温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2017年03月24日

伊香保清遊 ~詩人が愛した石段街~


 <私の郷里は前橋であるから、自然子供の時から、伊香保へは度々行って居る。で「伊香保はどんな所です」といふやうな質問を皆から受けるが、どうもかうした質問に対してはつきりした答えをすることはむづかしい。> (『石段上りの町』より)


 1年間にわたる長い旅が、終わろうとしています。
 大正時代に郷土の詩人・萩原朔太郎が書いた随筆の冒頭で、いきなり登場する問いかけの言葉。
 「伊香保はどんな所です?」

 その答えを探るべく、旅を続けてきました。
 そして、たぶん今回の旅の最後ではないだろかと思われる、のんべんだらりとした2日間を伊香保で過ごしてきました。


 石段街の中ほどに位置する旅館に、5人の仲間が集まりました。
 カメラマン、デザイナー、ディレクター、出版担当者と僕です。

 これは毎年この時期に恒例となっている、現地で行う最終の “編集および出版会議” なのであります。
 そして夜は、互いの労をねぎらう、慰労会でもあります。
 でも著者である僕は、すでに全取材を終えていますから、高みの見物であります。
 ロケハンに出かけるカメラマンたちを見送って、昼間から風呂に入り、ビールを飲んで、夕方にはすでに出来上がってしまったのであります。


 <伊香保の町は、全体に細い横丁や路次の多い、抜道だらけの町である。(中略) 伊太利のナポリ辺へ行くと、市街の家並が不均斉で、登ったり降りたり、中庭を突つ切つたり、路次から路次へ曲がつたりする迷路のやうな市街が多いといふことを聞いてゐるせいか、伊香保の町の裏通りを歩くと、何となく南欧の田舎町という感じがする。> (『石段上りの街』より)

 「伊香保って、路地と坂道が多くて、ヨーロッパの町並みに似ているね」
 重い機材を抱えて、撮影から帰って来たカメラマンの第一声です。
 くしくも、朔太郎と同じことを言うのでした。

 “坂道と路地の町”

 全国でも珍しい山の中腹から源泉が湧き出る温泉地ならではの風景です。


 時は春。
 桜の便りが聞かれる今日この頃だが、伊香保の春はまだ遠からじ。
 今日も朝から時おり、小雪がちらつく花冷えの一日となりました。

 それでも石段街は、とてもにぎやかです。
 平日だというのに、若い女性たちでいっぱいです。
 たぶん、卒業旅行なんでしょうね。
 みやげ物屋からは、どこも黄色い声が響いています。

 暮れなずむ街に、明かりが灯る頃。
 我も文豪を気取って、浴衣に丹前を羽織って、石段へ。
 射的やスマートボールに興じる若者たちを横目に、カウンターで生ビールをいただいたのでありました。


 <この温泉の空気を代表する浴客は、主として都会の中産階級の人であるが、とりわけさうした人たちの若い夫人や娘たち──と言つても、大磯や鎌倉で見るやうな近代的な、中凹みで睫毛の長い表情をした娘たちではない。矢張、不如帰の女主人公を思わせるやうな、少しく旧式な温順さをもつた、どこか病身らしい細顔の女たち──である。> (『石段上りの街より』)
 ※「不如帰(ほととぎす)」 は、伊香保を舞台にした徳富蘆花の小説です。
  


Posted by 小暮 淳 at 19:27Comments(0)温泉地・旅館

2017年03月21日

3つの温泉地の3つの温泉宿


 先日、某国立大学のOBという方々とお会いしました。
 なんでも群馬で同窓会が開催されるので、いい温泉を紹介してほしいとのことでした。
 だったらお安い御用です!
 と二つ返事でお受けして、指定されたお店に出かけて行ったのであります。

 集まったのは群馬支部の30~50代の男性5人。
 なかには温泉大好きファンもいたりして、それはそれは楽しい宴の席となりました。
 でも……、これはただの飲み会ではありません。
 全国からやって来る人たちに、自慢できる群馬の温泉を選出する重大な会議なのです。
 ところが話を聞いて、ビックリ!
 かなりの難題だったのであります。


 条件その① 150~200名を収容できる温泉宿であること。
 条件その② 電車と車の交通の便が良いこと。
 条件その③ 近くでアウトドアレジャーが楽しめること。
 条件その④ 草津温泉と伊香保温泉を除く(過去に開催したため)

 ん~、いかがですか?
 かなり難易度の高い条件だと思いませんか?
 草津と伊香保という群馬の2大温泉地が使えないとなると、駒は限られてきます。
 さらに条件は加わります。

 「申し訳ありませんが、小暮さんのおすすめの温泉宿を3つ挙げてもらえませんでしょうか?」
 「み、み、みっつ~!!! しかも異なる温泉地で3つの宿ですか~!」

 でも、そこは群馬を代表する温泉ライターですからね。
 頭の中にある、ありとあらやる引き出しから情報をかき集めて、なんとか3つの温泉地から条件を満たす宿を選出しました。
 とりあえず群馬支部のOBの方々も納得されたようなので、めでたし、めでたし。

 これで全国から群馬の温泉に来てくださるのなら、やっぱりお安い御用なのであります!
   


Posted by 小暮 淳 at 13:42Comments(1)温泉雑話

2017年03月19日

金があったらバチが当たる


 「幸せになっちゃダメ! 小暮さんはアウトローなんだから!!」

 突然、カウンター席の隅で、ヨッパライが大声を上げました。
 馴染みの居酒屋での常連客とのざれ言です。

 それまで僕は、ママと両隣の客と、僕の私生活について話していました。
 息子が先日、結婚したこと。
 今年は、2人目の孫が産まれてくること。
 どこにでもあるような普通のオヤジの世間話であります。

 でも、それが彼には面白くなかったんでしょうな。
 「不真面目に生きている小暮さんが、真面目に生きている自分たちと変わらない平凡な暮らしをしているなんて許せない」 と思ったのでしょう。
 言われた本人でさえ、「だよね、ゴメン」 と素直に納得してしまいました。

 彼は僕と同世代。
 でも、かたや某有名企業のエリートサラリーマンです。
 “アウトロー” の僕には、計り知れない苦労と屈辱のイバラの道を歩んで来たことでしょうね。
 「それじゃ、不公平だろう!」 という怒りの声が、悲しい嘆きとなって僕の胸に刺さりました。


 その翌日。僕は同じアウトロー(自営業) の友人を訪ねました。
 「そりゃあジュンちゃん、無理もないよ。オレたちは社会の落ちこぼれなんだから。甘んじて、その言葉を受けなくっちゃ」
 そう言うのであります。
 彼は、小さいながら工房を構える一国一城の主。
 たった1人で、独自の世界を生きてきました。
 それでも私生活では持ち家に住み、2人の子どもを立派に成人させています。

 ただし僕同様、昔も今も “貧乏” の二文字に縛られて暮らしています。


 「それってさ、昔、ジュンちゃんのオヤジが言ってたセリフと同じだよね。『これで金があったらバチが当たる』 っていう言葉。今じゃ、オレの座右の銘だものな」

 『これで金があったらバチが当たる』

 そうなんです。
 人生を好き勝手に生きてきたオヤジの口ぐせなんです。
 するとオフクロは必ず、こう返していました。
 「そうですよ。おとうさんは好きなことだけして生きてきたんだから、お金のことは言ってはいけませんよ」 と。


 幸せとは、他人を羨ましがらずに暮らすことなのかもしれませんね。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:51Comments(0)つれづれ

2017年03月18日

誰がために生きる


 三十にして立つ
 四十にして惑わず
 五十にして天命を知る

 なるほどと思うのですが、なかなか凡人は孔子のようには生きられません。
 僕なんか、いまだ立場はおぼつかず、迷いっぱなしだもの、天命なんて知るよしもありません。

 でも僕は、昔から自分の人生を孔子風にいましめてきました。
 20代は 「体験」、30代は 「蓄積」、40代は「 行動」、50代は 「表現」です。
 若いときはハチャメチャなこともしたけど、それは 「体験」 となったし、ガムシャラに働いた時代もあったけど、それは 「蓄積」 されました。
 そして、やっと重い腰が上がって飛び回れたのが、40歳を過ぎてからです。

 まあ、それなりに言葉どおりの人生を歩んで来たように思います。
 が、しかし、今、ハタと立ち止まってしまいました。
 60代は何をしよう? どう生きればいいのだろうか?って……
 孔子は、なんていっているのでしょうか?(昔の人は、そんなに長生きをしなかったのかしらん)


 先日、新聞のコラムを読んでいて、こんな言葉を見つけました。
 フリーアナウンサーの八木亜希子さんの言葉です。

 <50歳を過ぎたら人のために生きる。自分のことで喜んだり落ち込んだりするのは、若い頃の話。>

 ガビ~~~ン!!!!
 突然、脳天に雷が落ちたような衝撃を受けました。
 だって僕なんて、50歳を過ぎて、しかも還暦間近だというのに、いまだに自分のことで一喜一憂していますもの。
 “人のために生きる”
 これだよ! 僕の人生に一番欠けているモノは!

 10年遅れではありますが、60代の目標は 「貢献」 としました。
 えっ? 60歳まで待たずに今すぐしろって?
 はい、極力そうします。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:34Comments(0)つれづれ

2017年03月16日

がんばろう! 四万温泉


 2日続けてショッキングな記事が新聞に出てました。

 <県の観光キャンペーン>
 <入り込み客1606万人>
 <温泉地が伸び悩む>

 14日の上毛新聞によれば、昨年10~12月に展開した大型観光企画 「ググっとぐんま観光キャンペーン」 の入り込み客数について、県は前年比3.0%減の1606万4406人だったと発表しました。
 減少の理由として、世界遺産の 「富岡製糸場と絹産業遺産群」 の関連施設への来場が落ち着いたことや、2015年に発行したプレミアム宿泊券による押し上げ効果の反動などを挙げています。 

 だと、僕も思います。
 が、気になるのは温泉地の減少(伸び悩み) です。
 県内主要9温泉地の日帰りと宿泊を合わせた合計は、1.7%減の217万7000人で、うち4大温泉地の内訳は以下のとおりです。

 草津温泉(草津町)   832.318人  -0.7%
 伊香保温泉(渋川市)  418.326人  -7.0%
 水上温泉(みなかみ町) 526.200人  +2.9%
 四万温泉(中之条町)   94.852人 -11.0%

 いかかでしょうか?
 確かに全体的に “伸び悩み” が見て取れますが、明暗を分けた温泉地があります。
 そう、水上温泉と四万温泉です。

 この結果に、とても複雑な思いでいます。
 だって僕は、みなかみ町の 「温泉大使」 であり、中之条町の 「観光大使」 でありますからね。
 気になるのは、四万温泉の2桁台の落ち込みです。
 なんか、いや~な予感がしていたのであります。

 そ、そ、そしたら!
 昨日の新聞で、的中してしまいました。


 <四万「花の坊」経営>  
 <ゆあさが事業停止>
 <負債14億>

 朝から真っ青であります。
 だって今年になって、僕が講師を務める野外温泉講座で行って来たばかりですからね。
 雪見風呂を満喫して、湯上がりの料理も美味しくって、新年早々だったこともあり、受講生らと飲み交わして、大満足した温泉宿でした。

 2011年9月に出版した拙著 『あなたにも教えたい四万温泉』 には、37軒の宿が掲載されています。
 これで35軒となってしまいました。

 どげんかせんといか~ん!!!! 

 全国の温泉ファンのみなさん、力を貸してください。
 緊急事態であります。

 大使として、今、できることとは……
 眠れない夜が続きそうです。
     


Posted by 小暮 淳 at 13:48Comments(6)大使通信

2017年03月15日

マロの独白(21) 出物腫れ物


 こんにちワン! マロっす!!
 ここんちの飼い犬、チワワのオス、10才です。
 みなさん、お元気でしたか?

 オイラっすか?
 オイラは、ちょっぴりへこんでいます。
 老化が進行したのかって?
 ええ、まあ、それもありますけど、それだけじゃないんです。
 実は……


 先日、平日の昼時のこと。
 次女様がテスト休みだとかで、家に居たのであります。
 朝からリビングで、ずーーっとスマホをいじりながら、ゴロゴロしているのです。
 そこへ仕事の手を休めに、ご主人様が2階から来ました。

 「昼飯、どうする?」
 「何か作るの?」
 「ああ、ラーメンしようか?」
 「うん、それでいい」

 ここまでは他愛もない父娘の会話だったのです。
 でも、この後、ご主人様が台所に立つやいなや、次女様が、とんでもないことを言い出したのであります。

 「ねえねえ、おとう!」
 「ん?」
 「マロさ、オナラするの知ってる?」
 「そりゃ、マロだって生きているんだからオナラくらいするだろ」
 「それがさ、このところ回数が多いんだよ。しかも、スゲー臭いの!」

 ドキッ!(顔面蒼白)
 次女様ったら、気づいていらしたんですね。
 オイラ、穴があったら入りたいけど、どこにもないので、知らん顔して窓の外を眺めていたんでやんす。

 「へぇ~、知らなかったな。オレは1度も聞いたことないよ。聞いてみたいな、マロのオナラ! プーって音がするの?」
 「それが、“すかしっぺ” なんさ。チョー臭いから!」

 ヒェー!(茫然自失)
 次女様ったら、そこまで言いますか!
 しかも、よりによって、ご主人様の前で……。

 オイラだって、気をつかって生きているんですよ。
 やっぱ、この家の主であるご主人様の前では、極力、粗相をしないようにしているんですからね。
 だから、お世話になっているこの10年間、ご主人様の前では一度たりとて “放屁” なんぞしたことはありませんって。

 なのに、なのに、ひど過ぎます。
 オイラのプライドが、ズタズタでやんす。


 「ほら、ラーメンできたぞ!」
 「いただきま~す」

 「マロどうした? 具合でも悪いのか?」
 「あれ、本当だ。いつもなら騒ぐのに、自分からゲージに入っちゃった」
 「もしかして、さっきの話、聞いていたんじゃないのか!?」
 「まさか……」


 いけずーーー!! (寝たふり)
   


Posted by 小暮 淳 at 11:52Comments(3)つれづれ

2017年03月13日

まだ見ぬ読者へ


 一夜明けた昨日、大胡温泉 「旅館 三山センター」 の女将さんから電話がありました。

 「小暮さんが帰ったすぐあとにね、『小暮さんは来てますか?』 って、男性が訪ねて来ましたよ」
 「男性? 僕の知り合いですか?」
 「面識はないって言ってたから、小暮さんの読者みたい。昨日(3月11日)、小暮さんがうちに来ることを知っているんだから熱烈なファンよ、きっと」

 一昨日、僕は午後2時46分の黙とうを終えると、早々に帰ってしまったのです。
 その直後のことだったといいます。

 「今までいたのよって言ったら、とても残念がってました」
 「僕もお会いしたかったです」
 「そうそう、その人ね、去年も来たんですって!」
 「えっ、去年もですか!?」
 「そう、やっぱり来たのが遅くて、小暮さんには会えなかったみたい」


 別に僕が気にすることではないのでしょうが、なんだか昨日からモヤモヤしていたのです。
 もう少し油を売っていたら、会えたのに……。
 2年越しで会いに来てくれたのに今年も会えなかったなんて……。
 申し訳ないなぁ~って。

 でも、うれしいですね。
 そうやって読者の方が訪ねて来てくれるのって。
 そんな温泉宿がいっぱい増えて、たくさんの人が群馬の温泉に来てくれたら、“消えゆく温泉”を1軒でも多く救えるのに、なんて考えてしまいました。


 まだ見ぬ読者さんへ
 来年は、黙とう前にいらしてくださいね。
 湯に浸かりながら温泉談義をいたしましょう!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:11Comments(4)温泉雑話

2017年03月11日

あれから6年、大胡温泉。


 2011年3月11日、午後2時46分。

 あの日あの時、僕はなぜ大胡温泉にいたのだろうか?


 <グラリと、とてつもない大きな揺れが東日本を襲った。「長年生きてきたけど、こんな揺れは初めてだよ」 と叫ぶ女将の中上八ツヱさんをはじめ、息子で2代目の富男さんらとともに、屋外へ駆け出した記憶が昨日のようにありありと目に浮かぶ。「これも何かの縁ですね」 と、毎年3月11日に私は必ず大胡温泉を訪ね、地震発生の時刻に女将らとともに黙とうを捧げている。>
   (『新ぐんまの源泉一軒宿』 より)


 今日、大胡温泉(前橋市) の一軒宿 「旅館 三山センター」 へ行ってきました。

 「待ってましたよ」
 「もちろん、来ましたよ」
 「どうします?」
 「まずは、ひと風呂浴びてきます」

 出迎えてくれた女将とは、10年以上の付き合いになります。
 息子さんやスタッフとも、気心知れた仲です。
 勝手知ったる温泉宿であります。
 僕は、あいさつもろくにせず、湯屋へと向かいました。


 あの日、なぜ僕は、ここに来たのだろうか?
 取材だとばかり思っていたけど、カメラマンはいませんでした。
 だとしたら、ぷらりと今日のように湯に入りに来たのだろうか?
 いえいえ、それは違います。
 あの日、風呂に入った記憶はありません。
 何より、午後2時46分に居たというのが不思議です。
 中途半端な時間に居たものです。

 湯の中で、ただひたすらに、あの日のことを考えていました。
 地震発生後のことはハッキリと思い出せるのに、それ以前のことが、まったく思い出せません。


 「黙とう!」
 テレビの時報とともに、女将さんとスタッフ、広間にいたお客さんたちと一緒に1分間の黙とうを捧げました。

 「もう6年も経ったのかしらね。早いものですね」
 「みんなで旅館を飛び出したのが、ついこの間のようです」

 名物の 「焼きまんじゅう」 をいただきながら、あの日のことを話していました。
 でも、やっぱり、午後2時46分以降のことばかりです。

 「女将さん、あの日、僕はなんでここにいたんでしたっけ?」
 「えっ、……。なんででしたっけね」


 帰宅後、僕は自分のブログをチェックしてみました。
 すると、1年後のブログに、こんなことが書かれていました。

 数日前に、女将から電話をもらったこと。
 内容は、「小暮さんのファンが手紙を渡してくれと置いて行ったから、ついでの時に寄ってください」 とのこと。
 そして、あの日、僕が仕事のついでに寄った時刻が午後2時46分前だったこと。
 「お風呂に入っていったら」 と女将に勧められたが、「急いでいるので」 と断ったこと。
 その直後、とてつもなく大きな揺れが襲ったこと。
 ※(当ブログの2012年3月11日 「あれから1年、大胡温泉へ」 参照)


 「これも何かの縁ですね」
 女将の言葉が改めて、深く心にしみてきたのであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:47Comments(0)温泉地・旅館

2017年03月10日

おかげさまで70万アクセス


 気が付いたら、このブログのアクセス数が70万を超えていました。
 開設が2010年の2月ですから、ちょうど7年が過ぎたことになります。
 1年間で延べ10万人の人が読んでくださっているのですね。
 ありがたいことです。

 ライターは、読まれてナンボの職業です。
 ブログは仕事ではありませんが、会社も事務所も持たないフリーランスの僕にとっては、これが唯一の営業活動なんですね。
 ホームページもありませんから、初めて僕を知った人は、とりあえず、このブログを見てくださるわけです。


 最近は、新聞の記事や講演会のパンフレットなどにも、プロフィールにブログのタイトルが書かれていることもあり、新しい読者が徐々に増えているようです。
 そういえば、温泉大使の名刺にも刷られていましたっけね。
 “ブログ 「小暮淳の源泉ひとりじめ」 も好評執筆中!” って。

 なんといっても新聞の影響は大であります。
 昨年(2016年)の3月22日は、1日で約3,000ものアクセスがありました。
 その日、毎日新聞の全国版に記事が掲載され、ご丁寧にプロフィール欄にはブログのタイトルまで掲載されました。
 たかが群馬、されど群馬の温泉が全国に知れ渡った記念すべき一日となりました。


 また最近は、いろんなところで 「ブログを読んでます」 と声をかけていただきます。
 講演会やセミナーしかり、飲み屋のカウンターしかり、初対面でも 「あっ、温泉の!」 と僕を知った瞬間、ブログの話になります。

 以前は温泉ファンの読者が多かったのですが、最近は一般の人も読んでくださっているようで、「ご両親の介護、大変ですね」 とか 「息子さんのご結婚、おめでとうございます」 とか 「マロ君の話を毎回、楽しみにしています」 なんて声をかけてくれる人がいます。

 一番驚いたのは、地元自治会の会合に出席したときのこと。
 温泉好きの方が 「小暮さんの本を持ってますよ」 と声をかけてくれました。
 すると数名の人が、「俺も」 「私も」 と声を上げてくださいました。
 そしたら別の方が、「俺なんか、ブログ読んでるからね」 と言ったのです。

 なんと、その人は、我が家の隣のご主人だったのです!

 「ありがとうございます」と、お礼を言ったものの、急に恥ずかしくなってしまいました。
 こんな身近な人たちが読んでくださっているなんて、思ってもみませんでした。

 広いようで狭く、狭いようで広いのが、世の中なのですね。


 ということで、このブログも8年目に入りました。
 今年は80万アクセスを目標に頑張ります。

 温泉の話はもちろん、講演やセミナーのお知らせ、身近で起きた日々の出来事をつれづれなるままに記していきたいと思います。
 読者のみなさま、今後とも末永く、よろしくお願いいたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:20Comments(0)執筆余談

2017年03月08日

黄泉の国から


 なんとも寝覚めの悪い夢を見ました。

 9年前に亡くなった友人の夢です。
 いえ、友人というよりも、彼は仕事の相棒でした。
 一緒に離島を取材しながら旅をしたカメラマンです。


 あの頃のように、僕は彼と夜の街で待ち合わせをしています。
 決まって取材へ出かける前は、打ち合わせと称して酒を酌み交わしていました。
 ところが昨晩の彼は、いつもと様子が違いました。
 待ち合わせの時間には遅れることなく来たのですが、顔面蒼白です。

 「小暮さん、ごめん。今日は無理みたい。体調が良くありません」
 そう言って彼は、胸のあたりに手を当てて、路傍にうずくまりました。

 彼の死因は、肺ガンでした。
 でも夢の中の僕は、まったくその事実を知りません。
 もちろん、彼がすでに亡くなっていることにも気づいていません。
 それよりも僕は、つじつまの合わないおかしなことを考えていました。


 今年の正月、突然、彼の奥さんから電話がありました。
 「息子たちも小暮さんに会いたがっているので、遊びに来られませんか?」

 僕は、この電話にハッとしました。
 思えば彼が黄泉の国へ旅立って以来、一度も彼の家に行ってなかったことに気づいたのです。
 その数日後、僕は彼の家を訪ね、自分の著書を仏壇に供え、9年ぶりに線香を上げました。

 仏壇の中で、微笑む遺影。
 南の島で釣りをしている彼を写したものです。
 シャッターを押したのは僕。

 「この頃の主人が、一番生き生きとしていました」
 と奥さん。
 カメラマンだった彼自身を撮った写真は、ほとんどないと言います。


 僕は夢の中で、この日のことを考えていました。
 <なんで彼は、正月に遊びに行った時に、いなかったのだろう? たまたま仕事で不在だったのだろうか?>
 そんな疑問が渦巻く中、僕は彼を介抱しています。

 「救急車を呼ぼうか?」
 「いや、いいです。今日は、これで帰って寝ます」
 「本当に大丈夫かい?」
 「はい、ご心配かけました。では、また連絡します」
 そう言って彼は、夜の街へ消えてしまいました。


 なんで、あんな夢を見たのだろう……。
 今日は朝から悶々としていました。

 もしかしたら今になって、正月のお礼を言いに来たのかしらん。
 それとも・・・

 あの日、僕は彼の息子と酒を飲みながら、こんな話をしました。
 「来年はお父さんの十回忌だね。没後10年の節目に、彼の写真集を作ろうか?」
 すると製作会社に勤める息子が、
 「はい、ぜひ、お願いします。ね、母さん! 絶対にお父さん、喜ぶよね」


 せっかちな彼のことです。
 昨晩の打ち合わせは、取材ではなく、写真集の件だったのかもしれませんね。
   


Posted by 小暮 淳 at 15:22Comments(0)つれづれ

2017年03月06日

通れない道


 「アクセルとブレーキを踏み間違えた」
 その後も、高齢者による交通事故が後を絶ちません。


 ちょうど1年前の3月3日のことでした。
 高崎市の市道で登校中の児童の列に、駐車場から飛び出した乗用車が突っ込み、小学1年生の男児が死亡。
 運転していたのは70代の男性。
 駐車場に駐車する際、「アクセルとブレーキを踏み間違えた」 とのことでした。

 新聞記事によれば、男児の命日である今月3日、関係者が事故現場に集まり、花を手向けて冥福を祈ったといいます。
 男児の父親は、「どうしても現場に来られなかった。事故と向き合ったのは1年ぶりで、いまだに信じられない」 とコメントしています。

 “どうしても現場に来られなかった”
 この言葉に、僕でさえ一瞬にして、あの日あの時の光景がフラッシュバックしてきて、体が小刻みに震え出したほどです。
 男児の父親の心情は、到底、そんなレベルではないはずです。


 今から8年前のこと。
 まだ高校生だった長男が、自転車での登校途中に交通事故に遭いました。
 交差点の真ん中で軽自動車にはねられ、宙を舞い、フロントガラスに叩きつけられ、路面に落ちました。

 <高校生 車にはねられ重傷>
 翌日の新聞には、そんな見出しの記事が載ったほどです。

 おかげさまで命には別状がなく、その後快復し、後遺症もなく、元気に高校生活に復帰しました。
 いまだに本人には事故の記憶がなく、あっけらかんとしていますが、第一報を受けて救急病院に駆けつけた僕は、その時のショックで寿命が縮まってしまい、しばらくは事故現場を通ることができませんでした。
 いえ、今でもなるべく通らないようにしていますし、仕方なく通るときには、できるだけ事故のことを思い出さないようにしています。

 だもの男児の父親の悲しみと怒りは、計り知れないものがあると思います。
 よくぞ、現場に来られたと、その気丈ぶりに敬服しました。


 くしくも同じ3月3日の新聞紙面に、こんな見出しの記事を見つけてしまいました。
 <74歳運転の乗用車 店舗に突っ込む>
 幸いけが人はいなかったようですが、運転手の女性は、また 「アクセルとブレーキを踏み間違えた」 と話しているそうです。

 クルマ自体の機能の改善、運転免許制度の見直し等、一刻も早く進めてほしいものです。
 被害者の家族もつらいですが、加害者となってしまった高齢者の家族もつらい思いをするのですから。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:29Comments(2)つれづれ

2017年03月04日

亡夫の湯心を抱いて


 僕は現在、年間20~30回の講演やセミナーを行っています。
 依頼主は企業や団体、市町村などまちまちで、その会場の規模もさまざまです。
 大きなところは200人以上が入る会館のホールだったりしますが、小さいところだと20~30人も入ればいっぱいになってしまう公民館や集会所だったりします。

 今週は、両極端な2会場で講演を行ってきました。


 昨日の上毛新聞に記事として載ったので、知っている人もいるかも知れませんが、1日(水) に群馬銀行本店の大会議室で、ぐんぎん証券の開業を記念した講演会に、講師として招かれ講話をしてきました。
 新聞発表によれば、約160人も聴講者があったとのことです。

 大きな会場では、あまり観客の顔が見えないので、自分勝手に話を進めることが多いですね。
 それなりの充足感は得られるのですが、終演後はすぐに控え室に入ってしまうため、主催者側の人としかコミュニケーションがとれないのが、僕としては残念です。

 それに比べるて公民館主催による小さな講演会は、とても和気あいあいで楽しいものです。
 周辺住民がお菓子や手作り惣菜を持ち寄って、終演後に講師を囲んで “お茶会” を開いてくれることもあります。
 今日も、そんな温かな講演会に招待されました。


 会場は、前橋市総社公民館桜が丘集会所。
 30人も入ればいっぱいの小さな会議室です。
 演台と客席の距離も近く、時に掛け合い漫才のようなトークも飛び出し、何度も笑いに包まれました。

 終演後のことです。
 1人の高齢の婦人が、僕の著書を手に、サインを求めて来ました。
 『ぐんまの源泉一軒宿』(2009年) と 『群馬の小さな温泉』(2010年) でした。
 2冊とも真新しいのですが、いくつも付箋紙が貼られていました。

 「主人が6年前に亡くなりまして、遺品を整理していた時に、先生の本が出てきました。行きたかった温泉に付箋を貼っていたようです」
 と開いたページには、所々、赤いラインマーカーで線が引かれていました。

 「この中で生前、夫に連れて行ってもらったのは、沢渡温泉の龍鳴館だけでした。その後、すぐに亡くなってしまいましたから……」

 6年前といえば、2011年です。
 この年の9月に僕は、シリーズ3冊目となる 『あなたにも教えたい四万温泉』 を出版しています。
 ということは、この方のご主人は、本が出版される前に亡くなったということです。

 「今日、先生にお会いできたのをきっかけに、主人が行きたかった温泉をめぐってみようと思います。今日は本当に素敵なお話をありがとうございました」
 そう言って婦人は、深々とお辞儀をすると、胸に2冊の本を抱えて会場を出て行きました。


 なんとも不思議な縁であります。
 もし、ご主人が生きていられたら、今日の講演会には2人で来られていたかもしれませんね。
 そして、シリーズ8冊全部を持って、サインを求められたかもしれません。
 でも、その本は、きっと今日持って来られたような真新しさはなかったでしょうね。

 たかが温泉、されど温泉。
 温泉が引き合わせてくれた、心温まる出会いでした。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:32Comments(2)講演・セミナー

2017年03月03日

伊香保温泉 「岸権旅館」


 僕は昨年の春から天下の名湯・伊香保温泉にある全宿の “湯” を制覇しようと、果てしない行脚の旅に出ています。
 最初は、いったいいつになれば終わるのだろうと思われた長い旅も、やがて終わりを迎えます。

 昨晩、その最後の宿に泊まってきました。
 伊香保温泉全44軒の最後に訪ねたのは、屈指の老舗 「岸権旅館」 でした。


 室町時代から安土桃山、江戸、明治、大正、昭和、そして平成と脈々と湯を守り継いできた3軒の老舗宿。
 そのうちの1軒が、岸権旅館です。
 創業は天正4年(1576)年といいますから、なんと440年前であります。

 まさに伊香保温泉全宿制覇のファイナルを飾るにふさわしい旅館でした。


 その昔、湯の引湯権利が与えられた大屋制度。
 12軒の宿には、十二支にちなんで干支の名が付けられました。
 「辰の湯」
 これが岸権の称号です。

 今でも残る3軒の宿には、「黄金(こがね)の湯」 と呼ばれる伊香保伝統の茶褐色の湯が引湯されています。
 岸権には、伊香保温泉総湧出量の約1割に当たる毎分300リットル以上の源泉が届いています。
 たった1軒で、300リットルですぞ!

 だもの本館、離れ、浴室棟にある計13の浴槽は、すべて完全放流式(かけ流し) です。
 これはファイナルにふさわしく、すべて “湯破” しようではないか! と意気込んでみたのですが、ひと晩では体力の限界があります。
 しかも女風呂には入れません。
 ということで、婦人浴室と貸切風呂を除く、代表する3つの湯を “湯破” することにしました。

 「権左衛門の湯」 と 「又左衛門の湯」 と 「六左衛門の湯」 です。
 すべて岸一族の先祖の名前が付いています。
 となれば第1湯目は、やっぱり岸権の創業者である権左衛門氏に敬意を表さないわけにはなるまい。

 江戸時代の古い錦絵に描かれた伊香保温泉の入浴風景。
 その湯殿を再現したのが、総ひのき造りの 「権左衛門の湯」 です。
 上越国境の白い連山を眺める露天風呂と2つの丸い桶風呂。
 惜しみなくかけ流されている茶褐色の湯を存分に堪能しました。

 もちろん、朝までに “三左衛門”の湯をすべてめぐりました。


 そして、僕の11ヶ月にわたる旅も終わりました。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:34Comments(0)温泉地・旅館

2017年03月02日

角間温泉 「岩屋館」


 一度行ってみたいと思っていた温泉宿でした。

 僕の場合、群馬県内を中心に仕事をしているので、なかなか県外の温泉を取材で訪れることはありません。
 行きたい温泉は、プライベートで行くしかないのですが、そんなプライベートな時間もなかなか作れません。
 そんな時、僕には格好の手段があるのです。

 そうです!
 自分の講座に組み込んで、受講生らと一緒に行っちゃえばいいんです。

 ということで、長野県上田市の角間(かくま)温泉 「岩屋館 」に行ってきました。


 岩屋館は、奇岩怪峰が見られる角間渓谷の奥深くにある秘境の一軒宿。
 「日本秘湯を守る会」 の会員宿でもあります。
 真田一族の居城も近いことから、その隠し湯とも呼ばれています。

 「いや~、すごい景色ですね~」
 露天風呂の中で、倒れかかるような岩壁や奇岩を眺めながら喚声を上げています。
 湯は鉄分を含んだ炭酸泉。
 足元が見えないほどの濃厚なにごり湯です。

 「赤いですね。伊香保より赤い。相間川(高崎市) くらいありますね」
 受講生の1人が、過去に講座で行った温泉と比較しながら言いました。
 「ですね。かなりの鉄分の量です。飲めば、貧血に効きそうですね」
 これぞ、野外講座ならではの生きた勉強であります。

 湯上がりは、山のごちそうをいただきながらのお決まりのビールタイム!
 食堂の窓いっぱいに迫る渓谷美を愛でつつ、今回も楽しい温泉談義に花が咲いたのでした。


 この野外温泉講座も今年で、9年目に入ります。
 新講座は4月に開講!
 ただ今、春期受講生募集中!
 問い合わせ・申し込みは、TEL.027-221-1211 (NHK文化センター前橋教室) まで。




   


Posted by 小暮 淳 at 11:08Comments(2)温泉地・旅館

2017年02月27日

ツィゴイネルワイゼンと青春の街


 鈴木清順監督の訃報を聞いた日から、僕は頭の中で毎日、吉祥寺の町を歩いています。
 といっても今の吉祥寺ではありません。
 昭和55年(1980) の吉祥寺の街です。

 当時、僕は22歳。
 ミュージシャンになる夢を追いかけて、東京で暮らしていました。
 ライブハウスや路上、レコード店や楽器店の店頭での人寄せライブ等に、夢中になっていた頃です。

 彼女ですか?(誰も訊いてないって!)
 もちろん、いましたよ。
 1つ年下の大学生でした。
 でも一般の女子大生とは、ちょっと変わった娘だったんです。

 画家の卵でした。


 週末のデートは決まって、吉祥寺。
 なぜかというと、彼女が路上で絵を売っていたからなんです。

 夕方、店じまいをする時刻を見計らって、僕は吉祥寺へ行きます。
 「絵、売れた?」
 「全然だめ」
 「そうか、じゃあ、今日はオレのおごりだな」
 「サンキュー!」
 大きな画板を抱えた彼女と、吉祥寺の夜をあてもなくブラブラと歩きまわるのが、週末のお決まりでした。

 その頃に上映されたのが鈴木清順監督の 『ツィゴイネルワイゼン』 でした。
 上映場所は、映画館ではありません。
 全国のデパートやオープンスペースに仮設ドームを造っての簡易シアターでの上映という、奇抜なスタイルでした。

 吉祥寺のパルコ、といえば当時は若者の聖地。
 パルコ主催のグラフィックアート展などには、足しげく通ったものです。
 そのパルコの屋上に設置された特設会場で彼女と観た記憶が、訃報とともにフラッシュバックしたのであります。

 原田芳雄、大楠道代、藤田敏八の3人が演じる摩訶不思議で妖艶な甘美の世界……
 「清順美学」 と称された独得の映像美に酔いした夜でした。


 あれから37年も経ったのですね。
 吉祥寺の街も、ずいぶんと様変わりしたことでしょうね。

 待ち合わせに使った 「くぐつ草」 という喫茶店は、いまもあるのでしょうか?
  


Posted by 小暮 淳 at 22:54Comments(3)つれづれ

2017年02月24日

伊香保温泉 「ホテル冨久住」


  恋ひ恋ひて逢へる時だに愛しき
    言尽くしてよ長くと思はば


 バスターミナルやロープウェイへ向かう八幡坂の途中に、3階建ての古いホテルがあります。
 隣は、大きな大きな老舗旅館の 「ホテル木暮」。
 ともすれば、気づかずに通り過ぎてしまいそうな小さなホテルです。

 “伊香保で唯一のビジネスホテル”
 “素泊まり歓迎”

 昭和のにおいがプンプン漂うレトロなたたずまい。
 この地で30余年、家族だけで商ってきました。


 フロントを抜け、1階から2階へ。
 狭く急な階段は、どこか懐かしさを感じます。

 「あれ?」
 踊り場ごとに、新聞記事が貼られています。
 どの新聞にも、微笑みかける美しい女性の顔写真が掲載されています。

 「なんだろう?」
 と記事を読み出すと、女性の名前は富澤智子さん。
 「ああ、ここの娘さんが何か話題になったときの記事なんだ。女将さんかご主人が、自慢の娘の新聞記事を張り出しているんだな……」

 でも違いました。
 記事の内容は、出版した本の紹介でした。
 それも新聞記事の日付けは、平成12年11月と同20年8月。
 朝日新聞と読売新聞、群馬よみうりが、こぞって掲載しています。

 「17年前と9年前の記事じゃないか……なんでだろう?」
 記事を読み進むに連れて、真実が浮き彫りにされます。

 著書のタイトル は『伊香保の万葉集』。
 そして著者の智子さんは、平成3年に他界していました。
 この本は没後9年経ってから、彼女が師事した国文学の大学教授らを中心に上梓されたものだったのです。


 教授は本のあとがきで、彼女のことをこんなふうに述べています。
 <本書はこの世を余りにも早く疾走し、駆け抜けて逝った冨沢智子君の遺著であります。群馬県の伊香保に生まれ、伊香保をこよなく愛し、伊香保に散って逝った薄命二十五歳の才色兼備の冨沢智子君。(中略) 智ちゃんは美人だった。頭がよかった。そして何よりも気持ちの素晴らしい女性だった。神は二物を人に与えずというが、三物も四物も与えた上、手元に置きたくなったのか、その御手の元に連れて逝ってしまった。神の気紛れ、ふとそう思った。>


 「それまでは、ふつうのホテルだったんですよ。私が厨房に入って料理を作って、娘が手伝ってくれて……。娘を亡くしたショックが大きくてね。私もダウンしてしまったんです」
 母で女将の富澤ツネヨさんは、在りし日の娘の姿を思い出しながら、時に笑いながら、本当に嬉しそうに話してくれました。


 群馬県内には、約600軒の温泉宿があります。
 その一軒一軒に歴史があり、物語があるのですね。
 一軒たりとも、取材をおろそかにはできません。

 そう肝に銘じた取材でした。

 ※冒頭の歌は、智子さんが中学生の時に、最初に好きになった万葉集の歌です。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:49Comments(0)温泉地・旅館

2017年02月22日

目指せ! 2.07


 先日、新聞に 「合計特殊出生率」 というのが出ていました。
 15~49歳の 「1人の女性が生涯に産む子どもの数」 を推定した数字だそうです。
 これによれば2015年の合計特殊出生率の全国平均は1.45人で、少子化の現状が浮き彫りにされました。

 ちなみに群馬県は1.49人で、全国平均を上回っているものの大差はありません。
 なんでも1人の女性が2.07人産まないと、現在の人口は維持できないそうです。

 でも、そうですよね。
 単純に考えて、1組の男女が結婚して、生まれてくる子どもが2人以下では人口は減少します。
 しかも生涯未婚だったり、出産を経験しない人もいますから最低2人以上は必要となります。

 で、気になって全国の表を見てみました。
 平均2.07人以上産んでいる県は、いくつあるのだろうかと!
 すると、驚いたことにゼロなんです!!!
 1位の沖縄県ですら、1.96人ですからね。
 これでは、日本の人口は減る一方です。

 まさに “少子高齢化” であります。
 年寄りの寿命は延びていますものね。


 でもね、群馬県内にはあるんです!
 2.07人以上子どもを産んでいる村が~ッ!!
 それは、上野村と川場村です。

 上野村が2.29人、川場村が2.13人。
 やっぱり都会より田舎の方が、子育てには環境が良いのかなと思ったのですが、そうとも限らないようです。
 県内35市町村での最下位は、片品村で0.82人なのですからね。

 ちなみに全国最下位は、やっぱりというか、東京都で1.24人でした。
 でも、これってどういうことなのでしょうか?
 都会より出生率の高い田舎と低い田舎があるって?

 一概に子育て環境だけの理由ではなそさうですね。
  


Posted by 小暮 淳 at 17:38Comments(0)つれづれ

2017年02月19日

トリビアを探せ!


 毎週火曜日の夜9時から群馬テレビで放送中の 『ぐんま!トリビア図鑑』。
 ご覧になってますか?
 僕は、この番組のスーパーバイザーをしています。

 番組がスタートしたのが2015年4月ですから、早いもので丸2年が経とうとしています。
 すでに70話以上のトリビアを世に送り出してきました。
 もちろん、構成作家やディレクター、アナウンサーの力に負うところが大きいのですが、僕も微力ながら制作に参加させていただいております。

 スーパーバイザーとして以外にも、ときどき 「トリビア博士」 に扮して番組に出演したり、昨年暮れには 「温泉ライター 小暮淳の素顔」 という丸々僕が主役の番組まで作っていただき、フル出演しました。
 でもね、肝心要のお仕事は、そんな表面に出て目立つことではないんですよ。
 もっと地味で、とっても大切なお仕事があるのです。

 それが、年に4回開かれる 「構成会議」 です。
 作家、ディレクター、プロデューサー、時にはアナウンサーも加わり、たっぷり時間をかけて、番組の構成を練り上げます。
 先日、今年最初の構成会議があり、僕も末席ながら参加してきました。
 びっしり3時間半かけて、今夏までの番組内容を討論してきました。


 歴史あり、文化あり、風土あり、民俗あり……(もちろん温泉ネタもね)。
 それぞれが持ち寄ったネタを俎上に並べて、吟味していきます。
 今回は、いくつか 「上毛かるた」 の話題がでました。

 「塩原太助って、何した人だっけ?」
 「天下の義人茂左衛門って、どこの人?」
 素朴な疑問が、トリビアを生み出します。

 そして、恒例 “真夏のミステリーツアー” の話題も出ました。
 昨年の夏に、僕が 「ミステリーハンター」 となり県内をめぐった不思議探しの旅です。
 プロデューサーによれば、とっても評判が良かったようで、「今年もお願いします」 と念を押されました。

 さてさて、今後、どんなトリビアが飛び出すのか!?
 ご期待ください。

 火曜の夜9時は、地デジ3チャンネルで会いましょう!
 あなたをトリビアな世界にいざないます。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:08Comments(0)テレビ・ラジオ

2017年02月16日

「好き」 と 「得意」


 「好きこそ物の上手なれ」 ということわざがあります。
 はたして、これって本当なのでしょうか?

 先日、その業界で成功を収めた著名な方のインタビューを聴きました。
 彼いわく、「好きなことを職業にしたのではなく、得意だったことを職業にしたまでです」

 思わず、その言葉に目からウロコが落ちてしまいました。
 だって、僕は昔から好きなことが得意になり、得意なことは好きなことだと信じていましたからね。
 まさか、キライなことが得意にはならないでしょうが……。
 (でも、得意なことがキライになることはあるかもしれません)


 改めて考えてみれば 「好き」 とは、感情・嗜好・興味であります。
 一方、「得意」は、才能や技術まで伴います。
 趣味として楽しむぶんには 「好き」 で充分でしょうが、プロの仕事としては 「得意」 でないと成り立たないかもしれませんね。
 だって、「この仕事は好きなんだけど、あまり得意じゃないんだよね」 なーんていう大工さんには、あまり家を建ててほしくありませんもの。

 で、じゃあ、自分はなんで今の仕事を選んだのだろう?
 と、自問自答が始まってしまいました。

 “ライター” という仕事も、“温泉” というテーマもキライではありません。
 でも、好きで好きで、何がなんでもなりたかった職業なのか?と問われれば、違うような気がします。
 「好き」 の範疇にあったものではあるけれど、一番ではなかったと思います。

 では、「得意」 だったのでしょうか?
 そう問われて、幼少期から少年期、青年期の自分を回想してみました。
 すると、本を読むことは好きだったし、文章を書くことも好きだったことに気づきます。
 でも “多少” であり、“他人よりは” 程度で、ズバ抜けて秀でていたは思えません。
 よって、僕の場合、出た結論は……

 “成り行き” でありま~す!

 ていうか、モノにならないものを消去法により諦めていたら、たどり着いたのが今の職業だったというわけです。
 目からウロコが出たわりには、自分の場合、実につまらない理由だったことに気づいたのであります。


 みなさんは、なぜ、今の職業に就いたのですか?
   


Posted by 小暮 淳 at 11:33Comments(0)つれづれ

2017年02月14日

前橋を愛するアートな面々


 1988年5月、僕はフリーターをやめて、タウン誌編集の職に就きました。
 入社早々、巻頭のインタビュー記事を担当することになり、テーマも自分で決めて、アポを取り、取材に行かされることに。

 思案の末、県内の芸術家を訪ねて、話を聞くことにしました。
 『ヒューマン・スクエア』(人間広場) と題したエッセイは、僕が退社するまで 7年間にわたり連載されました。
 その記念すべき第1回に登場したのは、絵本作家としても知られる木彫・木版画家の野村たかあきさんでした。
 そして第2回は、萩原朔太郎像などの街角オブジェで著名な彫刻家の三谷慎さんです。

 あれから30年近く経った現在でも、おふたりとは交遊を続けさせていただいております。


 ジャンルの異なる2人の作品が、同じ会場で展示されることは滅多にないことなのですが、今回、ファンにとってはサプライズともいうべきイベントが、前橋市のギャラリー 「アーツ前橋」 で開催中だというので、行ってきました。

 『前橋の美術 2017 ~多様な美との対話~』
 在住または出身の前橋ゆかりの作家ばかりが48人。
 技法やジャンルを問わずに、独創的な作品を出展しています。

 広い展示会場の中でも、おふたりの作品は、すぐに分かりました。
 野村さんの大きな版画と三谷さんのブロンズ像は、見慣れていることもあり、探すまでもなく吸いよされました。

 でもね、1つ1つ作品を見ていくと、「あっ、この人!」 と声を上げそうになることが、たびたびありました。
 画家や写真家など、過去に仕事で関わった人が、何人もいたのです。
 どの人も個性的で、信念を持ち、自分の生き方を曲げずに通している人たちです。

 「ああ、僕は、こういう人たちから刺激をもらって、今日まで生きてきたんだなぁ~」
 と、作品よりも作家自身に惚れ込んでいたことに気づかされました。


 もし、生まれ変わったら、絶対に “芸術家” になろう!
 そう心に決めて、会場を後にしました。



   前橋の美術 ~多様な美との対話~

 ●会期  2017年2月3日(金)~2月26日(日)
        11:00~19:00 (水曜休館)
 ●会場  アーツ前橋 (前橋市千代田町5-1-16)
 ●観覧  無料
 ●問合  TEL.027-230-1144 (アーツ前橋)
   


Posted by 小暮 淳 at 12:51Comments(0)ライブ・イベント