温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2020年04月19日

源泉ひとりじめ(最終回) 棚田を揺らして、風が谷を滑って行った。


 癒しの一軒宿(30) 源泉ひとりじめ
 真沢(さなざわ)温泉(月夜野温泉) 「真沢の森」 みなかみ町


 「クワの葉は利尿作用があります。メグスリの葉は肝臓強化に、キクイモは消化を助け、ツリガネニンジンは精力増進に効きますよ」
 季節の山野草が、天ぷらや和え物、酢の物に調理された名物の 「つみくさ料理」 が夕げの膳を飾った。
 物珍しさから、まずはホタルブクロの天ぷらをひと口。
 宿までの山道に咲いていた濃紫色の花……
 味はしないが、夏草の香りがほのかにした。


 上越新幹線、上毛高原駅から車でわずか5分。
 「こんな所に」 と、訪ねた人は必ずや驚くに違いない。
 大峰山麓にたたずむ三角屋根の一軒宿、谷間に広がるまぶしい棚田の緑。
 心地よい風の通り道は、そのまま遠い峰々へと続いている。
 “理想のふるさと” を絵にしたようなパノラマを、しばらく飽きもせず眺めていた。

 開湯は定かではないが、昭和の初期までは湯治場として営業されていた秘湯である。
 一時、閉鎖されていたが、その湯は 「美人の湯」 として語り継がれていた。
 湯を惜しむ声から平成10(1998)年、日帰り入浴も可能な新たな温泉として復活した。

 自慢の湯へは、一度屋外へ出て、棚田とともに渡り廊下で下りる。
 ロッジ風の離れに、男女別の大浴場と露天風呂があった。
 湯は無色透明だが、噂どおりの “美人の湯” だ。
 ワックスをかけたように、肌の上を湯の玉がツルンと滑って落ちた。
 アトピーや肌荒れに効くというが、これならば納得である。
 露天風呂からは棚田が広がる谷の向こうに、三峰山と武尊山(ほたかさん) までが見渡せた。

 夕食の後、宿の人が 「ホタルが飛び始めましたよ」 と声をかけてくれた。
 テラスに出て目を凝らしていると、やがて暗い棚田の中に、小さな光がひとつふたつ……みっつ。
 天然のホタルを最後に見たのは、いつだったろうか。
 子どもの頃以来のような気がする。


 ●源泉名:月夜野温泉 真沢の湯
 ●湧出量:22.5ℓ/分 (自然湧出)
 ●泉温:24.5℃
 ●泉質:メタけい酸含有の冷鉱泉

 <2006年9月>



 長い間、「癒しの一軒宿 源泉ひとりじめ」 をご愛読いただき、ありがとうございました。
 今後もブログ開設10周年を記念した特別企画の第2弾を予定しております。
 ご期待ください。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:46Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年04月16日

源泉ひとりじめ(29) 旅情と人情が、山と盛られていた。


 癒しの一軒宿(29) 源泉ひとりじめ
 忠治温泉(赤城温泉) 「忠治館」 前橋市


 ドーン! ドーン! ドーン!
 湯上がりに、部屋でくつろいでいる時だった。
 磨き込まれた木の廊下を伝って、空きっ腹に太鼓の音が響いてきた。
 時計を見れば、午後6時ちょうど。
 それは、夕食を知らせる合図だった。

 「宴の間」 の前に、「きょうのおごっつぉ」 と書かれた野趣に富んだ食材たちが並んでいる。
 どれも山の幸ばかりだ。
 竹の子、こごみ、つる菜、わらび、まいたけ、こしあぶら……。

 山女の塩焼きと鹿肉のたたきに舌鼓を打ちつつ、乾いた喉に生ビールを流し込めば、甘露、甘露!
 何よりも夕げの席に顔を見せた、女将のあいさつと板長の料理解説に、旅情と人情を感じた。


 前橋市街地から車で、わずか40分。
 身近なれど山深い赤城山麓の地に、ひっそりと一軒宿はたたずんでいる。
 江戸時代の民家を再現した旅籠(はたご)風の古民家造り。
 蒼々と生い茂った大きな2本のモミジの樹が出迎えてくれた。

 通された部屋は 「浅太郎の間」。
 14部屋ある客室には、すべて国定忠治の子分の名前が付けられている。
 <身のこなしがとても敏捷なうえ長槍の名手で、足も速く六十里を一日で走ったといわれている。忠治親分への忠誠心は人一倍強く、伯父勘助の子、勘太郎を背に 「赤城の子守唄」 を唱ったことでも有名>
 と、部屋ごとに書かれている説明に見入ってしまった。

 食後は、ひと休みして露天風呂へ。
 かがり火が焚かれた幽玄な湯舟からは、崖下に落ちる勇壮な滝が見える。
 風の音、水の音、森の音が、湯けむりの中を間断なく通り過ぎてゆく。
 傍らでは、炎と一緒に薄紫のシャガの花が揺れていた。


 ドーン! ドーン! ドーン!
 翌朝、また太鼓の音で目が覚めた。
 「宴の間」 へ行くと、「人情盛り」 と名付けられた山盛りご飯が待っていた。


 ●源泉名:赤城温泉 新島の湯
 ●湧出量:87.7ℓ/分 (掘削自噴)
 ●泉温:43.2℃
 ●泉質:カルシウム・マグネシウム・ナトリウム-炭酸水素塩温泉

 <2006年8月>
   


Posted by 小暮 淳 at 13:59Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年04月13日

源泉ひとりじめ(28) 朝、イワツバメの声で目が覚めた。


 癒しの一軒宿(28) 源泉ひとりじめ
 向屋温泉 「ヴィラせせらぎ」 上野村


 まばゆい光の中で、鳥の声を聴いた──。
 レースのカーテンの隙間から、青空が見える。
 昨夜までの雨が、嘘のようだ。
 窓を開けると、目に痛いほどの緑が飛び込んできた。
 見渡すかぎり、小高い峰が累々とつづいている。
 ベランダに出て見上げると、何十羽ものイワツバメが、夏色の空を気持ち良さそうに舞っていた。

 上野村には、3軒の温泉宿がある。
 野栗沢(のぐりざわ)温泉、塩ノ沢温泉と、ここ神流(かんな)川沿いに湧く向屋(こうや)温泉だ。
 平成8(1996)年開湯の一番新しい温泉は、宿泊施設もモダンで洒落ている。
 国道から最初に目につくのは、屋根に風見鶏をのせた八角形のレストラン棟──。
 その奥に、浴室棟、長期滞在室を含む客室棟とつづく。
 レンガ色した建物が、手つかずの自然を借景にして、のんびりとたたずんでいる。

 上野村と聞くと、昭和60(1985)年の日航ジャンボ機の墜落事故を思い出す人も多いことだろう。
 「昇魂の碑」 のある御巣鷹山への玄関口となる同村は、8月12日という日を忘れてはいない。
 「すでに、その日は遺族の方々の予約が入っています」
 と話す支配人の言葉に、ハッとしたのも事実だった。
 部屋の窓から見える生命力に満ちた大自然と、大勢の命をのみ込んだ史実が、どうにもアンバランスに思えてならなかった。

 露天風呂から望む景色は、立ちのぼる雨煙に、所々かすんでいた。
 黄褐色に薄にごる湯は、トロリとしていて肌にまとわり付いてくる。
 長く浸かっていればいるほど、心地よさの増す湯だ。
 他の客は雨とあって、露天まではやって来ない。

 ポツンポツンと、雨足が大粒になってきた。
 どうせ濡れているのだ。
 このまま雨と湯を、じっくりと “ひとりじめ” することにした。


 ●源泉名:せせらぎの湯
 ●湧出量:39.6ℓ/分 (動力揚湯)
 ●泉温:14.5ド
 ●泉質:ナトリウム-塩化物冷鉱泉

 <2006年7月>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:34Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年04月09日

源泉ひとりじめ(27) 大きな木のぬくもりに、抱きしめられた。


 このカテゴリーでは、ブログ開設10周年を記念して2004年4月~2006年9月に 「月刊ぷらざ」(ぷらざマガジン社) に連載されたエッセイ 『源泉ひとりじめ』 を紹介しています。
 地名および名称等は連載当時のままです(その後、変更があったものは訂正を加えました)。



 癒しの一軒宿(27) 源泉ひとりじめ
 たんげ温泉 「美郷館(みさとかん)」 中之条町


 中之条町の市街地から四万温泉へ向かう途中、国道から離れ、暮坂(くれさか)峠へつづく県道をゆく。
 「草津の仕上げ湯」 として有名な沢渡(さわたり)温泉のさらに奥、エメラルド色した清流、反下(たんげ)川をさかのぼること、約5キロ──。
 ここまで来ると、携帯電話の電波は一切届かない。
 やがて前方の森の中に、入母屋造りの宿が姿を現した。

 玄関をくぐると、まずロビーの造りに圧倒された。
 ふた抱えもありそうなケヤキを惜しげもなく使った梁(はり) や垂木(たるき) が、覆いかぶさるような存在感で迎えてくれたからだ。
 ケヤキに惚れ込んだオーナーが選りすぐった木を、日本屈指の木挽(こび)き職人が3年かけて手で挽いた。
 機械で挽くより無駄な屑(くず) が出ず、木目も美しく仕上がるという。
 それらの木を宮大工が、釘(くぎ) を一本も使わずに組んでいる。
 これを見るだけでも、ここに来た甲斐があるというものだ。
 しばし、その素朴な美しさに見惚れながら、宙を見上げていた。

 さて、部屋で旅装を解いたら、さっそく湯めぐりといきたい。
 6つある風呂を三昧したいものだ。
 まずは、木の香漂う総ヒノキ造りの 「瀬音の湯」 から湯浴(あ)みを楽しむことにした。
 格子の窓から光と風が差し込む半露天の空間は、なんとも幻想的で、ジッと湯に身を置いていると自分の五感が冴えてくるのが分かる。
 湯床に敷きつめられた天然石の感触も、野趣に富んでいて心地よい。

 「日本秘湯を守る会」 「源泉湯宿を守る会」、そして 「日本温泉遺産を守る会」 に認定されている同館。
 歴史を守りたい秘湯であること、源泉かけ流しの宿であること、価値ある建造物や温泉文化があること──それらを満たしている宿であるということだ。

 草津や四万という名湯が近くにありながら、人知れずたたずむ一軒宿。
 なんだか人に教えてしまうのが、もったいないような宿である。
 秘密の隠れ家を見つけたようで、ちょっぴり得した気分になった。


 ●源泉名:美郷乃湯
 ●湧出量:110ℓ/分 (動力揚湯)
 ●泉温度:43.1℃
 ●泉質:カルシウム-硫酸塩温泉

 <2006年6月>
   


Posted by 小暮 淳 at 11:29Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年04月06日

源泉ひとりじめ(26) 湯を浴みながら、月の光を浴びた。


 癒しの一軒宿(26) 源泉ひとりじめ
 月夜野温泉 「つきよの館」 みなかみ町


 「そろそろ始まりますよ」
 女将に、そう言われて、窓辺に寄った。
 レモン色の太陽が遠くの尾根に触れると、途端にオレンジ色に空を染め出した。
 影絵のように稜線が際立って見える。
 ふと、南の空に目をやると、白い三日月が夕陽を追うように昇り始めていた。


 赤い屋根の宿が、崖の上に見える。
 直下の穴観音と呼ばれる僧の修行場だった洞窟の前に、源泉小屋はあった。
 あふれ出た湯は、小川に流れ出る岸で、黒緑色の苔をつくっていた。
 「この苔を手につけて、こすってみてください。肌がツルツルになりますよ」
 と、案内してくれたチーフの小林さんが教えてくれた。

 平成元(1989)年、同館の社長が、この湯を掘り当てた。
 以来、地元では立ち寄り風呂として、また遠方の常連客からは三峰山と大峰山に抱かれた絶景の宿として親しまれている。


 夕刻、窓枠いっぱいに描かれた風景画に誘われて、そのまま大浴場へ。
 夕焼けの赤が、湯舟の向こうで燃えている。
 見る見るうちに帳(とばり) がおりて、天空の主役は月にかわった。
 まるで湯の中から、全天周映画の投影を観ているよう。
 それも貸しきりでだ。

 思えば、ここは 「月の夜の野」 である。
 なんて美しい地名なのだろうか──。
 残念ながら昨年の合併で町名は消えてしまったが、ここには温泉名にも宿名にも、この美しい名前が残っている。

 脱衣所に出て、一枚の貼り紙に気づいた。
 「月の出ている夜は、浴室の電気を消して月光浴をお楽しみください」
 と書かれている。
 夕食のあとで、もう一度、湯を浴(あ)むことにした。


 ●源泉名:みねの湯
 ●湧出量:26.3ℓ/分 (動力揚湯)
 ●泉温:28℃
 ●泉質:アルカリ性単純温泉

 <2006年5月>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:15Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年04月01日

源泉ひとりじめ(25) 女将の笑顔に、「また来ます」 と応えてた。


 癒しの一軒宿(25) 源泉ひとりじめ
 倉渕温泉 「長寿の湯」 高崎市


 「女将さんに、つかまるなよだって! 私はさ、話好きだからね」
 そう言って、声高に笑ってみせた。
 いい宿の条件は、人それぞれだと思う。
 温泉があり、情緒があれば、まずは文句はない。
 でも、やっぱり人情が旅のスパイスだ。
 宿に着くなり、女将の人柄に魅了されてしまった。

 
 平成の大合併は、秘湯ファンの旅心をくじいてしまったような気がする。
 だって、ここが高崎市(旧・倉渕村) だなんて……。
 榛名山の豊かな伏流水が湧く温泉は、地元では約300年前から 「たまご湯」 と呼ばれている名湯である。

 国道406号 「権田」 の信号から中之条町方面へ、榛名山の西麓を巻いて走ると右手に山小屋風の建物が見える。
 日帰り入浴施設のイメージが強いが、れっきとした温泉旅館だ。
 女将の故郷・山梨では、このスタイルの宿が多いのだそうだ。

 手前の大広間は、日帰り客の休憩所も兼ねている。
 その先、格子の扉の向こうからが宿泊棟だ。
 廊下には、色鮮やかな浴衣が陳列されている。
 女性客だけのサービスだという。
 これも女将のアイデアのようだ。

 何はともあれ、自慢の源泉風呂へ。
 2本のパイプで汲み上げる湯量は、毎分310リットルという豊富さ。
 内風呂は、やや黄色がかった塩化物温泉、露天は無色透明の単純温泉。
 2つの源泉を思う存分に楽しめる。
 どちらもザーザーと惜しげもなく、かけ流されている。

 真夜中、もう一度、露天風呂に入った。
 昼間、女将から聞いた話を思い出したからだ。
 「夏はホタルが舞い、今の季節は宿の真上を天の川が流れているの」

 仰ぎ見れば、満天の星、星、星……
 星が多過ぎて、どこが天の川なのか分からない。
 それでも 「天の川を見た」 と自慢したくなった。


 ●源泉名:長寿の湯
 ●湧出量:310ℓ/分 (動力揚湯)
 ●泉温:31℃
 ●泉質:ナトリウム-塩化物温泉、単純温泉

 <2006年4月>
   


Posted by 小暮 淳 at 10:21Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年03月29日

源泉ひとりじめ(24) お湯の中に、黒い花が咲いた。


 癒しの一軒宿(24) 源泉ひとりじめ
 応徳(おうどく)温泉 「宿 花まめ」 六合村(現・中之条町)


 「応徳よいとこ 一度はおいで お湯の中にも こりゃ花が咲くよ チョイナ チョイナ~」
 思わず替え歌が、口を突いて出てしまった。
 歌に合わせて、湯もみ板で湯をもむと、パァーっと浴槽一面に、黒い湯の花が咲いた。


 群馬県内に 「道の駅」 は数あれど、温泉宿が併設されている道の駅は、ここだけだ。
 道の駅 「六合(くに)」 は、長野原から草津へ抜ける国道292号沿いにある。

 右手に観光物産センター、左手には観光案内所と無料休憩所、食事処が一つになった 「六合の郷 しらすな」、奥には日帰り温泉施設 「くつろぎの湯」。
 それらに囲まれるようにして、「宿 花まめ」 が建っている。
 築128年の古民家を移築した宿は、たたずまいからして、どこか懐かしく、記憶のなかの故郷へ帰った来た気持ちにさせてくれる。

 引き戸の玄関をくぐると、重厚な梁(はり) を二重に組んだ天井から、まぶしいばかりの自然光が降りそそいでいた。
 大広間の座敷をめぐり、民家棟を抜ける。
 すると一変して “洋” のおもむきをもつ山荘棟へ出た。
 コンクリート打ちっ放しの吹き抜け、古木をあしらった回廊……
 その先は、洋間の客室へとつづく。

 この日、通されたのは民家棟2階の和室だった。
 昨年4月にリニューアルしたばかりの部屋は、清潔感にあふれていて気持ちがいい。
 窓を開けても、ここが 「道の駅」 とは思えないほどの静けさである。

 浴室は、男女別の内風呂が一つずつ。
 一切、加水していないため、湯はやや熱めだ。
 そのために、「湯もみ板」 が置いてある。
 湯をもむたびに、沈殿していた煤(すす) のような湯の花が舞い上がり、見る見るうちに湯舟は真っ黒になった。
 当然、手も足も、からだ中が、真っ黒けである。

 シリーズ24回目にして、初めて黒い温泉に出合った。
 なんとも不思議な湯である。


 ●源泉名:応徳の湯・昭和の湯
 ●湧出量:50ℓ/分 (自然湧出)
 ●泉温:54.5℃
 ●泉質:含硫黄-ナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物温泉

 <2006年3月>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:49Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年03月22日

源泉ひとりじめ(23) 朝日の中で、浅間山が大きな背伸びをした。


 癒しの一軒宿(23) 源泉ひとりじめ
 奥嬬恋温泉 「干川(ほしかわ)旅館」 嬬恋村


 旅には、つねに運がつきまとう──。
 訪ねた日の天気は、あいにくの曇天。
 鈍色(にびいろ) の雲に覆われて、空の高さも高原の広さもわからなかった。
 ところが、一夜明けた朝。
 カーテンを開けると、部屋の窓いっぱいに絶景が……。
 「よしっ!」
 目の前の浅間山に負けじと、思いっきリ背伸びをした。


 暖簾をくぐると、石畳に導かれて、回廊のようなエントランスが続く。
 フロントには見事な花梨の根こぶでできた大きな衝立(ついたて) が、主人のような顔で出迎えてくれた。

 壁には柔らかな水彩で描かれたキャベツの絵が掛かっている。
 嬬恋といえば、やはり高原キャベツだ。
 絵手紙のように添えられた 「真心を包む一まい二まい」 の言葉が、やさしい気持ちにしてくれる。
 あいにくの天気に、やや滅入っていたが、一枚の絵に心がほっこりと和んだ。

 3年前にオープンした別邸の 「花いち」 は、半露天風呂付きの客室が4室。
 この日は平日にもかかわらず、すべて満室だった。
 若女将に通された本館の部屋で、旅装を解いて、さっそく湯浴(あ) みへ。

 浴室に足を踏み入れた途端、ムッと温泉臭が鼻孔を突いた。
 たっぷりと張られた湯舟は、全体に淡褐色をしているが、光が当たっている所は緑がかって見える。
 マグネシウムとマンガンの含有量が多いのだ。
 湯口に顔を近づけると、鉄臭がした。

 扉を開けて、露天へ。
 小ぶりながら板塀と石庭に囲まれた、落ち着きのある風呂だ。
 毎度のクセで、ちょっと味見をすると……かなり塩辛い!
 濃度の高い塩化物温泉である。
 山間部で、この濃度の湯が湧くことは、非常に珍しいという。

 外気の温度が、急に冷え込んできた。
 ピーンと張った寒空に、星が二つ三つ……。
 明日は晴れるだろうか、いや絶対に晴れるに決っている。
 根拠もなく湯の中で、そう確信した。


 ●源泉名:葦乃湯
 ●湧出量:18.3ℓ/分 (動力揚湯)
 ●泉温:43.1℃
 ●泉質:ナトリウム・カルシウム-塩化物温泉
 <2006年2月>
  


Posted by 小暮 淳 at 14:59Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年03月19日

源泉ひとりじめ(22) 朱い湯の川が、いく筋も流れていった。


 癒しの一軒宿(22) 源泉ひとりじめ
 滝沢温泉 「滝沢館」 前橋市


 冬はナァー
 風に落葉が 飛び交う道を
 登り湯治と しゃれよぢゃないか
 ソーダ ソダ ソーヂャナイカ
 滝沢温泉 情けのいで湯
 (「滝沢温泉音頭」より)


 対岸の山腹に、木立ちに覆われた小さな宿が見える。
 橋の上からのぞくと、大小の岩を優しく噛みながら渓谷をゆく粕川の清冽な流れが……
 やがて「日本秘湯を守る会」 の提灯を揚げる玄関に着いた。

 現在(掲載当時)、「日本秘湯を守る会」 に加盟している県内の旅館は14軒。
 さすが温泉王国、群馬だ。
 関東ではダントツの数である。

 では、秘湯の条件とは?
 6代目主人の言葉を借りれば、「湯の質もさることながら、湯を守る心にあり」 ということになりそうだ。
 当然、山深い宿ゆえ、近代社会からかけ離れた不便さを有する。
 旅人がそれに触れることは、歴史に触れることであり、先人たちの湯守(ゆもり) の心に触れることだ。
 宿泊者の6割は、全国の秘湯めぐりを楽しむファンだという。
 市街地から、こんな近いところに秘湯の宿があることへの喜びは大きい。
 つくづく群馬県民であることを、幸せに思う。

 粕川の渓流に面した露天風呂へは、サンダルに履き替えて、石段を下る。
 小屋の扉を開けるなり、茶褐色ににごった池のような湯舟が視界に飛び込んできた。
 約40年前に赤城山に降った雨が、地中に浸透し、岩石などの鉱物を溶かして湧き出たという湯は、さすが鉄分たっぷりという色合いである。
 足元が見えないので、入浴の際は注意が必要だ。

 湯口から出ている湯は無色透明なのに、流れ出た湯は酸化して、朱色の帯となって粕川へ注いでいる。
 杓子があるので、ひと口飲んでみる。
 ピリピリっとサイダーのような炭酸が、口の中で跳ねているのがわかる。
 その後から鉄の苦味が追ってきた。
 決して美味しいものではないが、舌の感触が面白くて、おかわりをしてしまった。


 ●源泉名:北爪の湯
 ●湧出量:112ℓ/分(掘削自噴)
 ●泉温:24.5℃
 ●泉質:カルシウム・ナトリウム・マグネシウム-炭酸水素塩冷鉱泉
 <2006年1月>
    


Posted by 小暮 淳 at 17:03Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年03月15日

源泉ひとりじめ(21) トンネルを抜けると、湯の国だった。


 癒しの一軒宿(21) 源泉ひとりじめ
 塩ノ沢温泉 「やまびこ荘」上野村


 「いい湯だな、あははん。いい湯だな~」
 ほどよく反響する洞窟風呂の中で、思わず声にして歌ってしまった。
 岩に囲まれた不思議な空間に、たった一人きり。
 もっと大きな声を出しても大丈夫そうだ、そう思った時だった。
 まるで歌詞の続きのように、湯気が天井からポタリと落ちてきた。
 ここは上州、塩ノ沢の湯である。


 全長3.3kmの長いトンネルを抜ける。
 昨年3月に開通したこの 「湯の沢トンネル」 は、村民にとっては悲願の道だった。
 “群馬の秘境” とまで言われた上野村へ行くには、それまでは藤岡市から鬼石町(現・藤岡市) を経由して、神流(かんな)川沿いに旧万場町、旧中里町(ともに現・神流町) をひたすら走り続けなければならなかった。
 下仁田町側からでも、対向車とのすれ違いもままならない塩之沢峠の悪路を越えて、1時間の道のりだった。
 それが、わずか半分に短縮されたのだ。
 秘境は、緑豊かな森の郷となった。

 上野村には4つの温泉がある。
 トンネルを抜けてすぐの一軒宿が、「やまびこ荘」 だ。
 宿名どおり、四方を山に囲まれた深山幽谷の秘湯である。

 昭和43(1968)年、国民宿舎として創業。
 4年前に増改築され、リニューアルオープンした。
 館内は “木工の里” にふさわしく、テーブルやイスなど地元作家のこだわりの作品が配されていて、木の香りに包まれていた。
 平成13(2001)年に皇太子殿下(現・天皇陛下) が御来荘した際に座られたイスも、さりげなく置かれていて、誰でも自由に座ることができる。
 2階フロントから3階まで吹き抜けのロビーは、上野村美術館分館も兼ねた開放的で明るい空間だ。

 何はともあれ、宿に着いたら、することは一つ。
 部屋でそそくさと浴衣に着替え、大浴場へ。
 露天風呂はやや小さめだが、飛び石のつづく庭園は周りの山々と相まって、おもむきのある造り。
 湯は白色に微濁していて、わずかに硫黄臭がする。
 山の夜は早い。
 薄暮は、つるべ落としに漆黒の闇へと姿を変えた。

 すぐ前を渓谷が流れているのに、水の音が聴こえない。
 木々は揺れているのに、風の音がしない。
 まるで森が吸収してしまっているようだ。
 深い深い山の中である。


 ●源泉名:やまびこの湯
 ●湧出量:76.6ℓ/分 (動力揚湯)
 ●泉温:11.6℃
 ●泉質:含鉄・二酸化炭素-ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩冷鉱泉
 <2005年12月>
  


Posted by 小暮 淳 at 13:59Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年03月12日

源泉ひとりじめ(20) 湯けむりの向こうで、コスモスが揺れていた。


 癒しの一軒宿(20) 源泉ひとりじめ
 温川(ぬるがわ)温泉 「白雲荘」 吾妻町(現・東吾妻町)


 夜中に幾度となく、目が覚めた。
 そのたびに、滝の音を聴いていた。
 夕刻に眺めていた温川の清流を思い出しては、やがてまた眠りに就いた。
 いくつもの夢を見た。


 葉もれ日が揺れる、長い下り坂。
 その坂道の突き当たりに、山小屋風の一軒宿が見える。
 浅間隠(あさまかくし)温泉郷の中で、一番小さな温泉宿に着いた。

 浅間隠温泉郷は、温川に沿って湧く 「薬師」 「鳩ノ湯」 「温川」 の3つの温泉の総称である。
 浅間隠山(1,757m) の登山口にあることから、そう名付けられている。
 国道406号との分岐点に、大きな案内板が立っている。
 「左150m鳩ノ湯、300m薬師、右200m温川」
 温川をはさんで両岸に分かれ、2つと1つの一軒宿がたたずんでいる。

 「白雲荘」 の創業は昭和38(1963)年。
 5代目主人に案内された部屋は、一番奥の角部屋。
 眼下には七段に落ちる見事な滝を見下ろす絶景が待っていた。
 「川の音がうるさいかもしれませんね」 と、済まなそうに語る柔和な笑顔に、旅の疲れが一気にほぐれていった。

 群馬県内の温泉宿の宿泊客は、8割が県外からである。
 ところがここ温川温泉は、まったくの逆で8割が県内客だという。
 これには驚いた。
 「グループで2~3泊していかれる方が多いので、県内なら私が送迎しています」 と主人。
 またまた驚いていると、「前職がバスの運転手だった」 と聞いて納得。
 5名以上なら県内どこでも、主人自らがマイクロバスで迎えに来てくれるとのことだ。
 県内客のリピーターが多いのは、このきめ細やかな気配りにあったようだ。

 露天風呂へは、浴衣にサンダル履きで歩いて2~3分。
 温川沿いの敷地内に、小屋がある。
 湯は気持ちぬるめだが、肌触りが柔らかく、長湯ができる。
 仰ぎ見れば、どこまでも高い空。
 はぐれた小さな綿雲が、ゆっくりと流れてゆく……

 温川越しに 「鳩ノ湯」 と 「薬師」 の宿が見える。
 小さな温泉郷である。
 満開のコスモス畑の上を、赤とんぼの群れが何度も何度も行ったり来たりしていた。


 ●源泉名:目の湯
 ●湧出量:14ℓ/分(動力揚湯)
 ●泉温:35℃
 ●泉質:ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩温泉

 <2005年11月>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:40Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年03月06日

源泉ひとりじめ(19) こっくりとした玉子湯に、身も心もとろけていった。


 癒しの一軒宿(19) 源泉ひとりじめ
 坂口温泉 「小三荘(こさんそう)」 吉井町(現・高崎市)


 「子供の頃から、よく親に連れて来られたよ。あせもやおむつかぶれなら、1~2回入れば治ってしまう」 と、地元の常連客は言った。
 今夏、海と山で酷使された肌には、いまだ痛々しく日焼けのあとが残っている。
 開湯300年の霊験あらたかな 「薬師の湯」 の恩恵に、あやかることにした。


 高崎市街地から車で、わずか20分の近距離。
 のどかな里山に囲まれた県道沿いに、一軒宿はひっそりとたたずんでいた。
 「あれっ、山が動いている!」 と思ったのは、どうも目の錯覚だったようだ。
 竹林に覆われた裏山が、時おりの風に右に左にと大きく揺れている。
 雲の切れ間から射した強い光に照らされて、借景は一瞬にして鮮やかなライトグリーンへと色を変えていった。

 それにしても引きも切らさずに入浴客が訪れる宿である。
 飛び込みの行楽客しかり、軽トラで乗り付ける地元客しかりだ。
 昨今のブームで街中に現れた日帰り温泉施設が、例外なく近隣にも点在している。
 しかし、無理やりボーリングしてくみ上げた “湯” と、何百年と湧き続けている “湯” が、同じであるわけがない。
 その効能は、口コミで県外へまでも届いている。

 「おかげさまで、ありがたいことです。本当に不思議な湯で、日によって微妙に色が変わります。にごることもあれば、透明な日もある。極端に色が変わると、数日中に天気が崩れますね」 と、4代目の泉主は語る。
 私が訪ねた日の湯の色は、やや薄にごりの淡緑色をしていた。
 こじんまりとしているが御影石を敷きつめた浴室は、清潔感にあふれ、気持ちがいい。
 そして何よりも湯に重みがあって、温泉成分が満遍なく溶け込んでいる感じがする。
 こっくりとしたゲル状の液体が、肌にまつわりついてくるようだ。
 湯舟の中で体をさすると、ツルルンと手が滑るのが分かる。
 なるほど、地元の人たちが「玉子湯」 と呼ぶはずである。

 浴室から眺める窓の外では、やわらかい夕日を受けて色合いを変えた竹林が揺れていた。


 ●源泉名:薬師の湯
 ●湧出量:測定せず(自然湧出)
 ●泉度:17℃
 ●泉質:ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩冷鉱泉

 <2005年10月>
  


Posted by 小暮 淳 at 19:51Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年03月02日

源泉ひとりじめ(18) 雨の夜に “月の女神” が会いに来た。


 癒しの一軒宿(18) 源泉ひとりじめ
 丸沼温泉 「環湖荘(かんこそう)」 片品村


 ひらひらと、エメラルド色した羽を持つ蝶が舞っていた。
 蝶ではない。夜だから蛾だ。
 しかし、大きさと美しさに息をのんだ。
 その姿は、まるで森から現れた妖精のようだった。


 前橋を発つときは晴れていたのに、片品村に入ると霧のような雨が降っていた。
 日光国立公園内にある丸沼湖畔にたどり着いたときには、フロントガラスを時折、篠の突く雨が叩くようになっていた。
 いくつもの立ち枯れた古木が、煙る湖面から突き出しているのが見える。
 「たまには、こんな旅もいい……」
 幻想的な風景の中で、そう思った。

 標高1,430メートル、原生林に囲まれて、湖畔に一軒宿が建っている。
 「盛夏でも25度を超える日はなく、お盆を過ぎると夜はストーブが必要」 とは、支配人の弁である。
 創業は昭和8(1933)年、当時から変わらぬ豊富な湯量は4ヵ所の浴槽では使いきれず、厨房などの館内でも使用しているが、それでも自噴の半分は放流してしまっている。
 その流れ込んだ温泉の塩分を目当てに、沼に野鹿がやって来るという。

 風格のある和風建築の館内は、玄関を入ったときから落ち着いた雰囲気に包まれていた。
 白木の一枚板の階段、ゆったりとした廊下、通された和室からは、白樺林越しに神秘的な丸沼を一望することができた。

 浴室は、時間帯で交替する男女別の内風呂が、それぞれ1つと、家族風呂が2つ。
 まずは自慢の大浴場 「ニジマス風呂」 へ。
 何が自慢かといえば、ズバリ名前どおりにニジマスが泳ぐ巨大な水槽がある。
 魚と一緒に湯に浸かっているのは、なんとも不思議な気分ではあるが、それよりも贅沢にかけ流されている湯量の多さに感動させられる。
 かすかな温泉臭があるが、無色透明のやわらかい湯である。
 体を動かすたびに、ザザーっと浴槽からあふれ出る湯音が心地よく、何度も体を動かしてみた。


 相変わらず、外は雨である。
 ふと、ガラス窓の向こうに青い影を見た。
 大きくて、美しい蛾である。
 “オオミズアオ”
 学名は 「月の女神」 の意味を持つ。
 体長10センチ以上もある日本では最も大きな蛾である。

 森の妖精が会いに来た……
 年がいもなく、そう思った。
 明日は、きっと晴れるような気がした。


 ●源泉名:1・2号源泉
 ●湧出量:250ℓ/分 (自然湧出)
 ●泉温:47.8℃
 ●泉質:単純温泉

 <2005年9月>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:40Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年02月24日

源泉ひとりじめ(17) 浅間高原で総天然色の歴史(ゆめ)を見た。


 癒しの一軒宿(17) 源泉ひとりじめ
 北軽井沢温泉 「地蔵川ホテル (現・御宿 地蔵川)」 長野原町


 「権田」 から国道を離れると、新緑が目に痛いほどに車窓にあふれていた。
 こっちが角落山(つのおちやま) で、あっちが鼻曲山(はなまがりやま) だ。
 その独特の山容は、眺めていて飽きることがない。
 やがて浅間隠山(あさまかくしやま) 登山口を過ぎて、二度上峠(にどあげとうげ) へ。

 「あっ、」 眼前に現れた浅間山の迫力に、思わず感嘆の声がもれる。
 噴煙たなびく姿は、古い映画のシーンそのままだった。

 昭和26(1951)年に封切られた日本最初のオールカラー映画 『カルメン故郷に帰る』 は、この雄大な浅間山をバックに始まる。
 青い空、白い雲、そして人気若手女優の高峰秀子が演じるダンサー、リリー・カルメンの派手な衣装……
 総天然色の名にし負う映像は、戦後日本が迎えた新時代への象徴的な作品だったに違いない。
 そのメガホンを取った木下恵介監督率いるスタッフが滞在していた宿が、ここ 「地蔵川ホテル」(当時は地蔵川旅館) だった。

 高原の緑の中にたたずむ赤い三角屋根に、古き良き時代の優雅さが漂う。
 “ホテル” という響きも、ここ北軽井沢の地で聞くと、どこか昭和の浪漫を感じるから不思議だ。
 「当時は子供だった」 と言うご主人と、3代目の若旦那が出迎えてくれた。
 大きな明り採りのガラス窓、高い天井にシャンデリアのあるロビーで、昭和17(1942)年創業以来、北軽井沢の歴史とともに歩んできた同ホテルの今昔物語を、ひとしきりご主人から聞いた。

 部屋へ向かう階段の踊り場から、ベランダ越しに中庭が見える。
 百花繚乱、千紫万紅の花園は、今を盛りと天然色の色合いで咲き誇っていた。

 さっそく、昨年新設されたばかりの庭園岩風呂へ。
 無色透明の湯は癖もなく、肌触りも柔らかい。
 何より窓をすべて開け放たれた内風呂と露天風呂が一体化した開放感は、湯あたりすることなく存分に湯を堪能できる。
 ときおり清涼な風が、洗い場まで入り込んで来る心地よさは格別だった。

 夕げの席は、畳の部屋でテーブルとイスという和洋折衷スタイル。
 カラフルな障子窓も印象的だ。
 特筆すべきは、デザートの手作りアイスクリーム。
 練乳のような濃厚な甘味が、懐かしさとともに口の中で広がった。


 ●源泉名:地蔵川の湯
 ●湧出量:22ℓ/分(動力揚湯)
 ●泉温:10.4℃
 ●泉質:メタけい酸含有泉

 <2005年8月>
   


Posted by 小暮 淳 at 11:31Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年02月20日

源泉ひとりじめ(16) とろんとした湯が、ゆっくりと滑り落ちた。


 このカテゴリーでは、ブログ開設10周年を記念して、2004年4月~2006年9月にわたり 「月刊ぷらざ」(ぷらざマガジン社) に連載 (全30回) されたエッセー 『源泉ひとりじめ』 を不定期にて掲載しています。
 ※地名および名称は連載当時のまま表記し、その後変更があったものは訂正を加えました。尚、現在は休業もしくは、すでに廃業している宿もあります。



 癒しの一軒宿(16) 源泉ひとりじめ
 塩河原温泉 「渓山荘」 川場村


 「あっ、思い」
 手ですくって、そう思った。
 実に存在感のある湯だ。
 湯舟から出した腕の表面を、ゆっくりと滑り落ちて行く。
 源泉名に、いつわりのない 「美人の湯」 である。

 昔から 「かっけ川場に、かさ(皮膚病) 老神」 と言われるほど、良質の温泉が湧き出ていた地である。
 知られざる名湯に、めぐり合えた。


 ペットも泊まれる宿と聞いて、少なからず危惧をしていた。
 何を隠そう、私は無類の犬嫌いなのである。
 でも、それは杞憂だったようだ。
 ワンちゃんは別館、人は本館という配慮は、純粋にに温泉を求めるものには嬉しい限りである。

 「何もブームに便乗したわけではありません。これからの温泉旅館の形を提案しただけです。キーワードは “コミュニケーション” “アクセス” “コンタクト”。新しい情報を発信する場でありたい」
 と、ご主人は、ペットの泊まれる宿という位置づけを否定する。
 あくまでも顧客サービスの一環なのだと。
 会員を募り、写真や水彩画の教室、ワインやビールのパーティー、絵画等の作品展、さらには著名人を招いてのトークショーなど、各種イベントを館内で開催している。

 何はともあれ温泉旅館であるかぎり、湯を堪能したい。
 数百年前から自噴しているという源泉は、代を替え、名を替え、今日まで守り継がれて来た良質の湯であるはずだ。
 まずはヒノキで組まれた内風呂に身を沈める。
 ぬるめだが、粘着性をもって肌に貼り付いてくる独特の湯感に、しばらく声がでなかった。
 まるで片栗粉を溶いて流し込んだような、とろみ具合である。
 それまで私が抱いていた単純温泉の概念を、完全に変えられてしまった。

 露天風呂は、武尊(ほたか)石を配した野趣あふれる造り。
 石段を下りる際は、濡れた足裏で踏むと、ぬるりと滑りやすいので注意が必要だ。
 そんな所にも、この湯の温泉力を感じる。

 せせらぎの音がする。
 川瀬が近い。
 そういえば昼間、訪ねる途中、薄根川に架かる橋の上から眼下の河畔に宿を見つけて驚いたことを思い出した。
 「川場」 の地名にふさわしい宿である。


 ●源泉名:美人の湯
 ●湧出量:23ℓ/分 (自然湧出)
 ●泉温:27.8℃
 ●泉質:アルカリ性単純温泉

 <2005年7月>
   


Posted by 小暮 淳 at 13:05Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年02月18日

源泉ひとりじめ(15) 和みの風が、湖面を渡っていった。


 癒しの一軒宿(15) 源泉ひとりじめ
 赤城高原温泉 「山屋蒼月(やまやそうげつ)」 前橋市


 左が 「手の湯」 で、右が 「島の湯」。
 湧き出る泉が、ここで一つになる。
 左は鉄イオンを含み、右はメタけい酸を含む。
 そして、混合の源泉が生まれる。
 
 本館の裏手にある源泉小屋を下った細流沿いから、遊歩道が始まる。
 アジサイに囲まれながら湿地帯を行く木道は、さながらミニ尾瀬の雰囲気だ。
 「素人が暇をみてやっているので、整備が遅々として進まない」
 と言う主人は、ここにミズバショウを飢える計画らしい。
 やがて、湖畔に着いた。

 地元では 「原沼」 とも 「ひょうたん池」 とも呼ばれる貯水池だが、なかなか、おもむきのある景色である。
 時折、湖面を渡る風が、ゆっくりと私を追い越していく。
 遠方に市街地と関東平野を望み、振り返ると本館を有する5,000坪という敷地が、視野いっぱいに広がった。
 アジサイ250株、ツツジ5,000株、ヤマユリ400株、モミジ50株……
 四季折々の顔を見せる花の庭は、県外から多くの客を呼んでいる。

 自慢の露天風呂は、長い階段の渡り廊下の突き当たり。
 川の流れを引き込んだ庭園の真ん中で、三日月型をした湯舟が、夕空を映していた。
 風の音、水の音に耳を澄ましながら、ぬるめの湯の中で時をやり過ごす。
 くせのない、まろやかな湯である。

 やがて浴槽から上がり、思いっきり背伸びをすると暗い湖面の向こうで、街の灯りがキラキラと輝いているのが見えた。

 まずは、湯上がりのビールをいただこう。
 夕食の後は、もう一度、部屋にある昔なつかしい木の桶風呂に浸かりながら、熱燗もいい。
 夜景を眺めながら、そんなことを考えていた。


 ●源泉名:手の湯・島の湯
 ●湧出量:測定不能 (自然湧出)
 ●泉温:14.5℃
 ●泉質:鉄イオン・メタけい酸含有泉

 <2005年6月>
   


Posted by 小暮 淳 at 11:51Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年02月14日

源泉ひとりじめ(14) みどり色の湯のなかで、満天の星を仰いだ。


 癒しの一軒宿(14) 源泉ひとりじめ
 つま恋温泉 「山田屋温泉旅館」 嬬恋村


 幸せだなあって思う時
 たべてる時
 ねてる時
 温泉つかってる時

 相田みつをを彷彿する、ご主人のほんわかした言葉たちが、訪ねる風呂のそこかしこで、湯気にゆらめいている。 
 男女別の内風呂・露天風呂、貸切露天風呂の樽風呂・石風呂・釜風呂、個室風呂も入れると、風呂は全部で9つ。
 本館を出て、通りを渡った向かいにある貸切風呂にいたっては、ご主人の手造りと聞いて驚いた。
 館内には、テーブルや飾り棚など、玄人はだしの作品が目を引く。

 以前からこの地で旅館業をしていた先代が、悲願の温泉を掘り当てたのは平成5年3月のことだった。
 突如、中空高く音をたてて吹き出したという。
 「あの時の感動は、忘れられない」 と、今でも目を細めて述懐する。
 地下384メートルから自噴する源泉の湯量は、1日ドラム缶約800本分にもなる。
 道路端の側溝から、もうもうと立ち昇る湯けむりを見れば、かけ流しされている湯量の豊富さがわかる。

 客室の窓からは、吾妻川や三原の町並みがよく見える。
 遠くには 「日本百名山」 の一つ、四阿山(あづまやさん) が、ひと際高くそびえている。

 さっそく浴衣に着替え、丹前を羽織って、露天風呂を目指した。
 お湯は手ですくうと薄黄色をしているが、湯舟全体は光の加減か、深い緑色をしている。
 マグネシウムが多く含まれているからだろう。
 ほのかに鉄臭もある。
 半透明のにごり湯につかると、膝まではうっすら見えるのだが、その先は見えない。

 思いっきり手足を伸ばして、大きく深呼吸を一度。
 「よーし、明日の朝までに、すべての風呂を制するぞ!」
 満天の星の下で、ひとりごちた。


 ●源泉名:貴乃湯
 ●湧出量:110ℓ/分(掘削自噴)
 ●泉温:42.3℃
 ●泉質:ナトリウム・マグネシウム-塩化物・硫酸塩・炭酸水素塩温泉

 <2005年5月>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:15Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年02月11日

源泉ひとりじめ(13) ゴボゴボと音をたてて、良質の湯が吹き出していた。


 癒しの一軒宿(13) 源泉ひとりじめ
 白根温泉 「加羅倉館(からくらかん)」 片品村


 「鹿肉、食うかい?」
 本館へ渡る橋の上で、唐突に、そう言われた。
 「この山で、近所の猟師が撃ってきたんだ。ふだんは出さないんだけどね、特別だよ」
 宿人の指さした裏山は、見上げると、まだ雪深く、森閑としていた。

 片品村鎌田から国道120号を日光方面へ向かい、約7キロほど行った丸沼との中間。
 赤沢山と日光白根山の加羅倉尾根の谷間を流れる大滝川沿いに、一軒宿はあった。

 国道をはさんで、本館と対峙するように古い木造の別館が建っている。
 昭和5年(1930) の創業というから、国道のほうがあとから敷地内を通り抜けたことになる。
 その別館の2階に、昭和27年に当時、皇太子殿下であった天皇陛下(現・上皇) が御来遊した際に泊まられた部屋が、今もそのまま残されている。
 6名以上であれば、宿泊も可能とのことだ。

 別館の並びに、一風変わった形をした半地下の建物がある。
 ここが浴室だ。
 本館の部屋で浴衣に着替え、タオルを手に寒風吹き抜ける国道を渡る。
 通りの端で乗用車やバスをやり過ごす間の、なんとも乙なこと……。
 旅情があって、実にいい。
 浴室棟に上がると、廊下が床暖房のように暖かい。
 これは、真下に源泉が湧いているためだという。

 360年前に湧き出たという源泉は13本、そのうち現在は4本を使用している。
 その湯量は、とにかく圧巻である。
 8畳分はある大浴槽からは、あふれ出た湯がかけ流されている。
 湯口から打たせを兼ねて注がれる湯を見て、半地下構造になっている意味が分かった。
 自噴している源泉を、そのまま動力を使わずに流し込んでいるのだ。

 さらに贅沢なことに、シャワーも専用の源泉を1本使用している。
 それでも湯が使い切れず、半分は川へ流れてしまっているというから、もったいない話だ。

 熱めの湯に浸かり、ポカポカに温まった体で宿にもどると、天然鹿の刺し身が皿に山盛りで待っていた。
 滅多に食せない上質の肉は、臭みがまったくなくて実にやわらかい。
 なんたる幸せ、至福を存分に味わった。

 旅を重ねると、運まで付いてくるようになるらしい。


 ●源泉名:上乃湯
 ●湧出量:600ℓ/分(自然湧出)
 ●泉温:62℃
 ●泉質:単純温泉

 <2005年4月>
  


Posted by 小暮 淳 at 12:28Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年02月09日

源泉ひとりじめ(12) 山あいの離れ家で、瀬音の子守唄を聴いた。


 癒しの一軒宿(12) 源泉ひとりじめ
 下仁田温泉 「清流荘」 下仁田町


 紅梅が咲いていた。
 冬木立の中で、そこだけ明かりが灯っているようだった。
 橋の向こうに、宿が見えた。
 田舎の親戚を訪ねるみたいで、なんだか懐かしい気持ちになった。

 通された離れの部屋に荷物を置いて、まずは7,000坪という広大な敷地を散策することにした。
 滝や流れが配された美しい庭園内に、本館と離れ、浴室棟、露天風呂が点在し、それらをつなぐ渡り廊下が池のまわりを半周する。
 どこに居ても、やさしい水の音が聴こえてくる。

 宿の裏手にまわると、ただならぬ気配が……
 イノシシがいる、シカがいる、キジがいる!
 ここが名物 「猪鹿雉(いのしかちょう)料理」 の食材飼育園のようだ。
 シカのつぶらな瞳と目が合ってしまった。
 食べる前に会わないほうが良かったかも……と少し後悔をした。

 たっぷり1時間は歩いた。
 疲れた体を癒やすべく、まずは露天風呂へ。
 巨石を積んだ野趣あふれる豪快な造りだ。
 脱衣所も石の上に籠が置いてあるだけ、というのが開放的でいい。

 湯舟の縁に白く鍾乳石のような固まりが付着しているのは、カルシウム含有量が多い証拠だ。
 湯は無色透明だが、ほんのりと化粧乳液のような香りがする。
 アルカリ性のカルシウムイオンが、皮膚の角質をやわらかくして、しっとりとした肌になるという。

 個人的には、この気泡が肌に付く炭酸泉がありがたい。
 ヨーロッパでは「心臓の湯」 といわれ、毛細血管を広げて心臓に負担をかけずに血圧を下げる効果があるという。
 高血圧ぎみの私としては、家にまで持って帰りたいような湯である。

 夕げの膳は、離れまで部屋出しされた。
 広い庭内を電気カートで配膳してくれる労に頭が下がった。
 ボタン鍋やキジのお吸い物などの猪鹿雉料理に加え、下仁田ねぎのかき揚げ、こんにゃくの刺し身、コイのあらい、ヤマメの炭火焼と、山と里のものに徹底してこだわった味は、最後まで飽きることなく、箸と酒がすすんだ。

 やがて炬燵(こたつ) のぬくもりの中で、瀬音を聴きながら眠りについた。


 ●源泉名:清流の湯
 ●湧出量:測定不能(自然湧出)
 ●泉温:12℃
 ●泉質:含二酸化炭素-カルシウム・ナトリウム-炭酸水素塩冷鉱泉

 <2005年3月>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:48Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年02月02日

源泉ひとりじめ(11) 「神の啓示だった」 と、泉主は言った。


 癒やしの一軒宿(11) 源泉ひとりじめ
 五色温泉 「三楽旅館」 伊勢崎市


 県道を通るたび、いつも気になっていた。
 物見やぐらのように屋上高くそびえる貯水タンク、異彩を放つ唐破風の瓦葺き屋根をもつ玄関。
 さらに大きく書かれた 「五色温泉」 の文字……。
 私には、まるで伝奇の中に現れる魔宮の楼閣に見えていた。
 人づてに聞けば、「市街地の秘湯」 だという。

 伊勢崎市街地の東端、工業団地に隣接した立地条件は、あまりにも “秘湯” のイメージからかけ離れている。
 しかし必ずしも秘湯は、深山幽谷の風光明媚な地になくてはならないわけではない。
 読んで字のごとく、「人に知られていない温泉」 のことである。

 結界に足を踏み入れた気分だった。
 「ごめんください」 と声をかけるが、フロントに人の姿がない。
 呼び鈴を押すと、しばらくして “泉主” が現れた。
 さっそく、温泉の起源や効能の高説を拝聴することになった。

 昭和42年のこと。
 もともと自動車の修理販売業をしていた主人が、中古車の展示場を開設するつもりで購入したのが、ここの土地だった。
 まずは水が必要と、井戸を掘ったところ、湧き出したのは鉄分を多量に含んだヘンな水だった。
 しかし、主人は 「これは天啓だ」 と、この水を溜めて加熱した。
 すると透明な源泉が白濁色から黄土色に変色した。
 さらに茶色から赤レンガ色へと、五色に色を変えた。
 これが温泉名の由来である。

 その “天啓の湯” は、地下道のような廊下の突き当たりにあった。
 一歩足を踏み入れて、驚いた。
 浴槽もタイル張りの床も、鉄サビで赤褐色に染まっている。
 伊香保温泉の5倍の含有量にあたる鉄分を目の当たりにした。

 湯舟はレンガ色のあつ湯42度、茶褐色のぬる湯36度、透明な源泉17度に分かれている。
 これらを交互に入ると、より効能があるらしい。
 鉄のにおいを嗅ぎながら、まずは肌まで染まりそうな赤い湯の中へ。
 体を動かすたびに沈殿している鉄サビが、舞い上がってくる。
 まるで大地に抱かれているようで、不思議な安堵感に包まれてゆく。

 まさに温泉は地球からの贈り物である。
 こんな町の中に突如湧き出したのも、やはり神の啓示だったのだと納得した。


 ●源泉名:宏泉の湯
 ●湧出量:40ℓ/分 (動力揚湯)
 ●泉温:16.7℃
 ●泉質:単純鉄冷鉱泉

 <2005年2月>
  


Posted by 小暮 淳 at 10:58Comments(0)源泉ひとりじめ