温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2017年10月21日

下仁田温泉 「清流荘」⑨


 昨日、下仁田温泉(群馬県甘楽郡下仁田町) の一軒宿、「清流荘」 に行ってきました。
 取材です。
 でも、クルマで行ったのではありません。
 5時間歩いて、たどり着きました。


 僕は、2006年から高崎市のフリーペーパー 『ちいきしんぶん』(発行/ライフケア群栄) に、「里山をゆく」 という紀行エッセイを連載しています。
 その一部は、すでに 『ぐんまの里山てくてく歩き』(上毛新聞社) というタイトルで本になり出版されているので、他の地域にお住まいの方でも知っているかもしれませんね。

 で、この本には、サブタイトルが付いています。
 “電車とバスで行く”
 そうなんです。
 温泉と酒が好きな僕は、山歩きをした後は、温泉に入りたいし、酒も飲みたい!
 ということは、クルマは利用できません。
 ならば、公共交通機関だけを使って移動すればいい!
 ということになり、スタートした連載企画なんです。

 世の中には、山と温泉と酒が好きな人が多いんですね。
 連載を開始すると、人気シリーズとなり、本まで出版されました。

 で、このシリーズが、11年経った現在でも、まだ続いているのです。


 上信電鉄の高崎駅を午前9時に出発した電車は、1時間後に下仁田駅に到着しました。
 そこから「清流荘」 までは、直線で歩けば、わずか20分ほどの距離です。
 でも、たどり着いたのは、午後3時でした。

 はてさて、僕は、どこをどう歩いたのでしょうか?

 泥だらけになり、両脚のふくらはぎと太ももは、筋肉痛でパンパンであります。
 温泉に浸かった時は、まさに 「極楽!」 のひと言。
 全国でも希少な炭酸泉の湯が、全身を揉みほぐしてくれました。

 湯上がりのビールが、うまかったことは、言うまでもありません。


 それにしても僕は、“持って” ます!
 昨日は、1度も雨具のお世話になりませんでしたもの。
 一時は、雲の切れ間から日が差したくらいです。

 やっぱり、究極の “晴れ男” のようですよ。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:47Comments(0)温泉地・旅館

2017年10月19日

法師温泉 「長寿館」⑧


 古くは旧国鉄のフルムーンポスター、最近では映画 「テルマエ・ロマエ」 の舞台にもなった群馬の秘湯を代表する名旅館です。
 法師温泉 「長寿館」(群馬県利根郡みなかみ町)。
 群馬の温泉を語る上で、一度は行って欲しい温泉宿です。

 僕も何度も行ってます。
 う~ん、いったい何回、訪ねているのでしょうか?
 数えたことがないので、正確な数字は分かりませんが、年に1~3回として、この30年間で何十回と訪ねているはずです。


 久しぶりに昨日は、連載中の雑誌の取材で行ってきました。
 あえて水曜日を選んだのは、日帰り入浴の定休日だから。
 入浴シーンの撮影があるため、宿泊客がチェックアウトする10時を待って訪ねました。

 「いつもいつも、ありがとうございます」
 玄関で出迎えてくれたのは6代目主人の岡村興太郎さんと、弟で常務の国男さんでした。
 「これはこれは、お2人揃ってのお出迎えだなんて、恐縮です」

 まずは、お茶をいただきながら雑談を……
 先月、開催したNPOのパネルディスカッションの話や、先日のみなかみ町長選挙の話など……

 今さら、お2人に聞くことは、何もないんですけどね。
 でも、取材は “現場百遍” です!
 1回より2回、10回より100回。
 見て、聞いて、書いた文章は、信憑性があります。
 より読者の心を引き付けるに違いありません。


 もちろん、今回も収穫がありました。
 それは、源泉のはなし!

 一般に情報公開されている法師温泉の源泉の数は、3本です。
 足元湧出泉で知られる 「旭の湯」 と 「寿の湯」。
 この2つは、約42度の硫酸塩温泉です。
 それと、「官行の湯」 という温度の低い単純温泉の源泉があります。

 これらの源泉は、浴槽別に使い分けられていています。
 混浴で有名な 「法師乃湯」 の湯床から湧いているのは、「旭の湯」 です。

 がーっ、今回はじめて知ったことですが、実は宿の周りには、この主源泉のほかにも無数に源泉が湧いてるのだということです。
 ま、自然湧出泉ですからね、言われてみれば納得です。
 1つの浴槽に対して、いくつもの名前もない源泉が、チョロチョロとしみ出してきて、湯舟を満たしているとのことでした。

 う~ん、やっぱ温泉って、奥が深いですなぁ~!

 そのことを知って湯に入るのと、知らないのでは、感じ方もありがたみも異なります。
 温泉って、スゴイ!
 ただただ、感動しながら湯に身を浸してまいりました。
  


Posted by 小暮 淳 at 14:22Comments(0)温泉地・旅館

2017年10月01日

伊香保温泉 「よろこびの宿  しん喜」②


 いくつになっても仲間って、いいもんですね。
 久しぶりに、ゆかいな連中が集まり、伊香保温泉に泊まってきました。


 12年前、僕らは 「プロジェクトK」 というチームを発足しました。
 僕らとは、フリーランスで仕事をするクリエーターたちです。
 アートディレクターやライター、カメラマン、イラストレーターなど、現在は20名がメンバーに加入しています。
 ちなみに “K” とは、発足当時のメンバーの頭文字であります。

 一昨日、年に一度の総会が開かれました。
 会場は、伊香保温泉の 「よろこびの宿 しん喜」。
 今年5月に出版した拙著 『金銀名湯 伊香保温泉』(上毛新聞社) の取材では、大変お世話になった宿であります。


 「お待ちしていました。ありがとうございます」
 と出迎えてくれた和服姿の女将と専務、そして総務部長まで。
 熱烈歓迎ぶりであります。

 今回、出席したメンバーは12名。
 遠路はるばる鹿児島県から飛行機と新幹線を乗り継いでやって来た人もいました。
 総会では、1年間のチーム全体としての活動報告がされた後、一人一人の近況報告がされました。
 個展やグループ展を開く者、イベントに参加する者、資格を取得した者、連載や作品が掲載がされた雑誌や冊子を紹介する者と、さまざまです。

 僕らは、異業種の集まりです。
 でも、その中で協力し合えるモノがあれば、手を貸し合います。
 そして、何よりもフリーランスという同じ境遇にある者同士ですから、互いが理解者なのです。

 ある意味、友人や知人、家族よりも心を許しているかもしれません。


 総会が終われば、まずは温泉です。
 ここの源泉は、無色透明でサラリとしたクセのない 「白銀(しろがね)の湯」。
 メタけい酸の含有量のが多い、美肌の湯であります。
 夜景を眺めながら、のんびり、ゆったり、和気あいあいと湯浴みを楽しみました。

 湯から上がれば、親睦会です。
 生ビールでの乾杯のあとは、焼酎にワイン、日本酒が飛び交います。

 「小暮さん、バカに伊香保温泉に詳しいね」
 爆笑。
 「本でも書いたら?」
 爆笑。
 「あっ、小暮さんは伊香保の温泉大使でした」
 爆笑。


 飲むほどに、酔うほどに、“仲間って、いいなぁ~” と思えた夜でした。

 みんな、ありがとう!
 末永くよろしくたのむ!

 そして、女将さんをはじめとするスタッフのみなさん、大変お世話になりました。
   


Posted by 小暮 淳 at 17:27Comments(0)温泉地・旅館

2017年09月27日

塩原元湯温泉 「大出館」


 先日放送された 『出没!アド街ック天国』(テレビ東京) は、ご覧になりましたか?

 「秋に行きたい関東の温泉」 と題して、ベスト20を紹介していました。
 欲目でしょうかね、群馬の温泉が多かったように思えたんですけど。
 僕が温泉大使を務める温泉地は、すべて紹介されていました。

 法師温泉、宝川温泉、猿ヶ京温泉、老神温泉、四万温泉、そして伊香保温泉です。

 大使冥利に尽きるというか、観ていて、大変うれしく思いました。


 で、ベスト20の中には、栃木県も関東有数の温泉県として、いくつも温泉地が紹介されていました。
 昨日は、その中の1つ、塩原元湯温泉へ行ってきました。

 別に、テレビで紹介していたから、あわてて行ってきたわけではなりませんよ。
 すでに半年前から行く予定は決まっていました。
 僕が講師を務めるNHK文化センター前橋教室の野外温泉講座です。


 午前8時、前橋駅を出発したバスは、北東へと向かいます。
 昔に比べたら、ずいぶんと栃木県は近くなりました。
 北関東道から東北道へ。
 3時間ほどで、塩原温泉郷です。

 一般には “塩原温泉” と一緒くたに言ってますが、ここには11もの温泉地が点在しています。
 清流・箒(ほうき)川の下流から上流に向かって、大網、福渡、塩釜、塩の湯、畑下、門前、古町、中塩原、上塩原、新湯、元湯。
 これらを称して 「塩原十一湯」 と呼ばれています。

ちなみに、ここが 「温泉郷」 という言葉の発祥地だったって、知ってましたか?

 大正7年(1918) に出版された小説家・田山花袋の 『温泉めぐり』 の中で、<塩原は有名な温泉郷である。>と記したのが、最初の事例だったとされています。
 以後、複数の温泉地が集まるエリアのことを 「温泉郷」 と呼ぶようになったといいます。


 さてさて、バスは箒川の上流から支流の赤川へ。
 塩原温泉郷の一番奥にある温泉地が、元湯温泉です。
 現在、3軒の宿がありますが、訪ねた 「大出館」 は、その中でも一番奥にある宿です。
 まさに秘湯の宿です(「日本秘湯を守る会」会員)。

 今回、大出館を講座に選んだ理由は、ただ1つ!
 日本で唯一、黒い温泉が湧く宿だからです。

 同じ黒い湯でも、平野部で掘削により湧くモール泉とは成分が異なり、湧出時は無色透明ですが、温泉に含まれた鉄分や塩化物、硫黄などの成分による化学変化だと考えられています。


 その湯は、噂どおりの真っ黒け!
 「墨の湯」 の名称に恥じない色具合であります。
 温度は、熱からずぬるからず、いい塩梅でした。
※(「墨の湯」は混浴です。女性時間あり)

 大出館には、ほかにも 「五色の湯」 と呼ばれる天候により色の変わる浴槽がいくつもあり、この日は、淡緑色~緑白色の湯を堪能しました。

 受講生たちも、大喜び。
 抜けるような青空が広がる秋晴れの下、温泉三昧の一日を楽しんできました。
   


Posted by 小暮 淳 at 14:16Comments(0)温泉地・旅館

2017年09月21日

下仁田温泉 「清流荘」⑧


 「米以外は、すべて自給自足。“地産地消” なんていう言葉ができる前から、うちは敷地内産地直送だよ」

 10年以上も前のこと。
 最初に下仁田温泉(群馬県甘楽郡下仁田町) の一軒宿、清流荘を訪ねたとき、畑で作業をしながら先代主人の清水幸雄さんが言った言葉が忘れられません。

 四方を小高い山々に囲まれた渓流沿い広がる敷地は、なんと約7000坪!
 池や小川が配され、自家農園のほかにも、シカ園、イノシシ牧場、キジ園、ヤマメ池があり、その真ん中に本館と7つの離れ家、浴室棟、露天風呂が点在しています。

 全国でも珍しい、“地産地食” にこだわった宿なのです。


 今日、僕は久しぶりに訪ね、2代目主人の雅人さんに話を聞いてきました。
 テーマは、2つ。
 温泉宿の経営者としての顔と、農夫としての顔。
 その両立への苦悩や熱き思いを聞きました。

 清流荘は、「日本秘湯を守る会」 の会員宿でもあります。
 彼は、その関東支部長をしています。
 群馬県内の会員宿は、現在9軒。
 全国では多いほうですが、以前は15軒ありました。

 「減ってしまった理由は、すべて後継者不在です。うちだって、先は分かりません」

 加えて、若者離れが拍車をかけているといいます。
 「何もない」「古くさい」 というイメージが秘湯の宿にはあるようです。

 秘湯 → 湯治場 → 年寄りの行く温泉

 本当は、そんなことないんですけどね。
 今後の課題です。


 清水家は、ブランドねぎ「下仁田ねぎ」 の主産地である馬山地区に、先祖から受け継いだ畑を持つ町認定の 「下仁田葱の会」 会員農家でもあります。
 下仁田ねぎは毎年10月頃に種をまき、2回の移植と土寄せを行い、翌年の11月下旬から12月上旬に収穫します。
 一般のネギに比べると、気が遠くなるほど膨大な時間と労力と管理が必要な特殊なネギなのであります。

 だから、うまい!

 「今年の夏は長雨で、植え替えが遅れてしまいました。でも大丈夫、これからが勝負ですから。下仁田ねぎは、後半、一気に成長するんです」
 そう言った雅人さんの目は、誇りに満ちて、キラキラと輝いていました。


 最後に雅人さんは、こんなことを言いました。
 「地元の食材を提供するのが、本来のもてなしの姿だと思います」
 そして、
 「日本の温泉文化を正しく後世に伝えていきたい。本来の温泉宿の姿、日本人の心の中にある温泉のイメージを大切にしたいですね」
 とも。

 雅人さんは、僕と同世代です。
 だからかも知れませんが、雅人さんが思っていること、考えていることが、ひしひしと心に響いてくるのです。

 彼のような “湯守” がいる限り、僕も共に温泉を守って行こうと強く感じました。
  


Posted by 小暮 淳 at 19:30Comments(0)温泉地・旅館

2017年08月23日

霧積温泉 「金湯館」⑦


 <山の宿 泡付くヌル湯の 新鮮さ> by 郡司 勇


 全国でも希少な泡のつく温泉としても知られる群馬の秘湯といえば、霧積温泉です。
 かの伊藤博文や勝海舟らも泊まったという明治17(1884) 年創業の一軒宿、「金湯館」 へ行ってきました。


 「えー、今日の温泉は、源泉の温度が約39度。真夏にうれしい “ぬる湯” の宿です。何よりも、全身があっという間に泡まみれになる大変珍しい温泉です。ぜひ、その妙を楽しんでください」

 昨日は月に一回の野外温泉講座日でした。
 僕は9年前からNHKカルチャースクールで、温泉講座の講師をしています。

 「僕は、ここの湯のことを “サンゴの産卵” と呼んでいます。体毛、とくに陰毛が泡で真っ白になります。それを手で払ってみてください。パァ~と一斉に無数の気泡が飛び散って、まるでサンゴが産卵しているようですよ」

 車中で、笑いが起きました。
 やがてバスは、国道18号沿いのドライブインに到着。
 ここで一行は、すでに迎えに来てくれていた宿のマイクロバス2台に分乗し、山道を登り出しました。
 数日前に土砂崩れがあり、一時は通行止めになっていた道ですが、すでに復旧されています。


 鼻曲山の登山口、旧 「きりづみ館」 跡地の駐車場で、僕らは二手に分かれました。
 そのまま宿へ直行する組と、登山組です。
 僕を含め8名が下車し、伊藤博文らも歩いたといわれる 「ホイホイ坂」 を登って、宿を目指しました。

 徒歩約30分。
 たっぷり汗をかいて、待望の温泉へ。
 受講生一同、噂どおりの泡のつく湯を堪能しました。


 そして事件(?) が起きたのは、湯上がりの昼食タイムでした。
 「みなさん、全身が泡だらけになったでしょう?」
 と僕が受講生たちに問いかけた時でした。
 ほとんどの人が 「ハーイ!」 と答えている中、1人の婦人だけが、「私は付きませんでした」 と言います。

 えっ、そんなことってあるのでしょうか?
 1人だけ、泡がつかないっていうことが?

 「では、“サンゴの産卵” は見られなかったのですね?」
 との僕の問いに、婦人いわく、
 「私、頭髪以外、体毛がないのよ!」

 一瞬、場に静けさが漂い、遅れてドッと笑いが巻き起こりました。


 ま、毛のある人もない人も、存分に満足していただいた秘湯の宿でした。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:46Comments(0)温泉地・旅館

2017年08月21日

老神温泉 「観山荘」②


 先週のこと。
 自宅リビングのカレンダーに、1枚のプリントが貼られているのに気づきました。

 <学習合宿 実施要領>
 <8月16日(水)~20日(日) 老神温泉「観山荘」>
 と、書かれていました。

 高校3年生の次女のものです。
 受験勉強の強化合宿に参加するようです。


 「老神温泉(群馬県沼田市利根町) に行くの?」
 「うん」
 「観山荘に泊まるんだ?」
 「だっけ? そんな名前だった」
 「社長さんは、観光協会の副協会長さんだぞ」
 「そうなんだ」

 スマホを夢中になっていじっている娘には、まったく興味のない話のようです。

 「お父さんも、観山荘に泊まるんだよ」
 「いつ?」
 「日曜日」
 「へー、でも、すれ違いだね。私たちは、帰る日だから」
 「だね」
 「仕事?」
 「いや、バンド。老神温泉のお祭りに出るんだよ」

 そして、しばらく無言……

 「ねえねえ、おとう。おとうは、温泉じゃ、有名なんでしょ?」
 「有名って、まあ、老神温泉は温泉大使をしているけど」
 「だったら、おとうの娘だって言ったら、私だけ、なんか特別サービスがあるかな?」
 「さあ、どうかな。ためしに言ってみたら」
 「……、ヤダよ、恥ずかしい!」


 そして昨日の午後、僕はバンドのメンバーとともに、老神温泉のお祭り会場へ。
 本部テントへあいさつに行くと、観山荘のご主人、萩原忠和さんがいました。

 「今日まで、○○高校が合宿していたでしょう?」
 「あれ、よくご存知ですね」
 「ええ、うちの娘も参加しているんですよ」
 「そうですか! 確か、3時までいるはずですよ。娘さんに会いに行って来たらいかがですか?」
 「いえいえ、それは……」

 なんだか、急に恥ずかしくなってしまいました。
 とってもヘンな感じです。
 同じ日に、別々の用事で、父と娘が同じ温泉地にいるのって。


 夜9時、僕らは2回のステージを終えて、観山荘にチェックイン。
 祝杯を挙げる前に、とにかく汗を流したい。
 まずは全員で浴衣に着替えて、大浴場へ。

 源泉は、昔から 「瘡(かさ) 老神」 と言われるほど、皮膚病に特効がある名薬湯であります。
 泉質は、アルカリ性単純硫黄温泉。
 サラリとした、クセのない清らかな湯が、今日一日の疲れを取り除いてくれます。

 ふと、娘のことを思いました。
 5日間も、この湯を浴んでいたんだと。
 高校生のくせに、生意気だとも。
 10年、早いぞ! いや、20年くらい早い! なんてね。

 帰ったら、それとなく感想を聞いてみようかな……

 露天風呂の石の縁に頭を乗せながら、あれやこれやと考えていました。
   


Posted by 小暮 淳 at 19:09Comments(0)温泉地・旅館

2017年07月30日

四万温泉 「はつしろ旅館」


 今年も 「はつしろ旅館」 に泊まってきました。
 といっても素泊まりですが。
 昨日は四万温泉で開催された 「レトロ通りの懐かしライブ」 に出演したため、バンドのメンバー全員でお世話になりました。


 僕にとって、「はつしろ旅館」 は思い出多き温泉宿であります。
 2011年9月に出版した 『あなたにも教えたい四万温泉』(上毛新聞社)。
 この本の表紙およびグラビア撮影のために、カメラマンと泊り込んだ宿です。
 ちなみに、この本のプロフィールに使用された浴衣姿の写真も、ここで撮影されました。

 四万温泉は5つの地区に分かれています。
 一番にぎやかな中心は、新湯地区。
 その新湯の中でも、郵便局や信用組合、みやげもの屋などの商店が集まるメインストリートを 「桐の木平」 といいます。
 「はつしろ旅館」 も、この通りに面しています。
 ライブ会場も新湯地区にありますから、僕らにとっては交通至便で、とってもありがたい宿なのであります。


 午後5時半。
 ライブを終えて、メンバー全員で宿に入りました。
 昨日は、あいにくの雨模様。
 このイベントに6年連続出場していますが、一日中降られたのは初めてでした。
 それでも、たくさんの人に来ていただきました。
 ありがとうございます。
 心より感謝いたします。

 「おつかれ!」
 「カンパーイ!!」
 まずは部屋で、軽く缶ビールで喉を潤します。

 「さて、出陣の前に、体も清めますか?」
 「オー! そうしよう!!」
 と、雨で濡れた服を脱ぎ、たっぷりかいた汗を流しに浴室へ。

 ザー、ザー、ザー、ザーーー!

 4人のオジサンが、いっぺんに浴槽に沈めば、洗い場は、あっという間に温泉の海に。
 それでも惜しげもなく、新鮮で豊富な湯が注ぎ込まれ、流れて行きます。

 「きーっ、温泉、最高!」
 「四万温泉、最高ですね」

 ほのかに硫黄の香りが漂う、無色透明で四万川のように清んだ湯の流れ……
 身も心も、ほぐされていきます。


 いざ、出陣!
 温泉協会主催による “打ち上げ” というなのバンド交流会場へと向かいました。
 長い長い夜のはじまりであります。

 「今夜は飲むぜー!」
 「おおーー!!!」
 平均年齢57.7歳のオジサンたちは、相変わらず元気なのです。
  


Posted by 小暮 淳 at 19:52Comments(0)温泉地・旅館

2017年06月22日

野栗沢温泉 「すりばち荘」④


 久しぶりに野栗沢温泉(群馬県多野郡上野村) の一軒宿、「すりばち荘」 を訪ねてきました。
 確か前回は著書 『西上州の薬湯』(上毛新聞社) の取材でしたから、約1年半ぶりになります。
 今回は、連載中の雑誌の取材です。

 やっぱり上野村は遠いですね。
 いえいえ昔に比べれば、下仁田町経由で南牧村から上野村に抜けるトンネルができたので、ずいぶんと時間が短縮されたんですけどね。
 それでも前橋から車で約2時間かかります。


 「お久しぶりです。お元気でしたか?」
 最初に出迎えてくれたのは、息子で2代目の黒沢忠興さん。
 「あれ、ご主人は?」
 「じきに帰ってきますよ」
 「では、先に湯をいただいてきます」
 と、勝手知ったる浴室棟に上がり込み、朝風呂をいたたくことに。

 泉質は、ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩冷鉱泉。
 今から34年前、山奥に湧く、この魔法の水を引いて来て、旅館を開業しました。

 えっ、何が魔法の水かって?
 それは、発見したのが人間ではなかったこと。
 飲用すると、野良仕事をしても疲れないこと。
 何よりも現在は、その効能を求めて全国からアトピー性皮膚炎の患者たちがやって来ること。
 などなど、温泉水にまつわるエピソードは枚挙にいとまがありません。
 ※(詳しくは、拙著『ぐんまの源泉一軒宿』『新ぐんまの源泉一軒宿』『西上州の薬湯』を参照ください)


 「炭酸泉で練っているから、少し色が黄色いやな」
 昼には、ご主人の武久さんが源泉水で打った、名物の 「すりばちうどん」 をいただきながら、話を伺いました。

 うどんは黄色というよりは、そばのような淡い灰色をしています。
 太くて、モチモチとした食感があり、ほんのり塩気があります。
 これを薄味の出し汁に、たっぷり浸して、豪快にパクつきます。

 「うまいっ!」
 「あったりまえさ、水が違うんだからよ」

 10数年前に初めて泊まった晩も、同じ会話をした記憶があります。
 あの時は、「ほれ、これが源泉だ! 絶対に二日酔いしないから、1杯飲んどきな」 とグラスを手渡されました。
 そしたら本当に翌朝は、散々酒を飲んだにもかかわらず、スッキリと目覚めることができました。

 ゴホン、ゴホン、ゴホン!

 食事の最中に突然、むせてしまいました。
 すると、すかさずご主人は厨房へとんで行って、水の入ったグラスを持ってきてくれました。
 「ほれ、これを飲めば一発でセキなんて、止まっちまうよ」

 源泉水です。

 ほんのり甘くて、今日はスポーツドリンクのような味がしました。
 でも、不思議不思議……、ピタリとセキが止んだのです。

 またしても “魔法の水” のお世話になってしまいました。


 温泉って、本当に不思議ですね。

 昔々、そのまた大昔、海底火山が噴火して、温泉が湧き出し、地球に最初の生命が誕生したといいます。
 やがて長い時間をかけて小さな命は、人間へと進化しました。
 だから生命の細胞の中には、温泉が含まれているということです。

 温泉は命のふるさとなんですね。

 実は、魔法でもなんでもないんです。
 人間は昔から、温泉に元気をもらって暮らしてきたのですから……。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:20Comments(0)温泉地・旅館

2017年05月24日

丸沼温泉 「環湖荘」④


 <沼のへりに沿うた小径の落葉を踏んで歩き出すと、ほどなくその沼の源というべき、清らかな水がかなりの瀬をなして流れ落ちている処に出た。そして三、四十間その瀬について行くとまた一つの沼を見た。大尻沼より大きい、丸沼であった。>
   (若山牧水 『みなかみ紀行』 より)

 大正11年(1922)10月、歌人の若山牧水は湖畔に投宿し、翌日、金精峠を越えて日光へ向かいました。
 丸沼が、『みなかみ紀行』 最後の宿泊地であります。


 開湯は江戸時代と伝わります。
 古くから沼の北方に温泉が湧いていることは知られていて、地元では 「沼入りの湯」 と呼ばれていました。
 いつ誰によって発見されたかは不明ですが、宿として創業は昭和8年(1933)。
 「丸沼温泉ホテル」 として開業されました。
 それ以前は、この沼の持ち主の別荘として使われていたといいます。

 昨日、僕は2年半ぶりに丸沼温泉(群馬県利根郡片品村) の一軒宿 「環湖荘(かんこそう)」 に行って来ました。
 前回は著書の取材でしたが、今回は僕が講師を務める野外温泉講座の受講生たちと訪ねました。
 標高1,430メートル。
 下界では連日の真夏日ですが、宿のまわりには、まだ雪が残っていました。


 それにしても美しい!
 相変わらず美しい!
 なんて美しいのだろう!!

 と、今回もただただ感動してきました。
 もちろん、日光国立公園に指定されている神秘的な湖も美しいのですが、なんと言ってもここの素晴らしさは、“湯の美しさ” です。

 毎分300リットル、自然湧出、自然流下、完全放流式により湛えられた温泉は、まさに湧き水のように清く澄み、惜しげもなく川のように浴槽の中を流れていきます。
 これぞ、単純温泉の鑑!
 そのけれん味のない、生真面目な湯に包まれていると、俗世間の気忙しさなど、洗い流されて行くのです。

 単純温泉を語るなら、まずは丸沼の湯に入ってから!
 群馬県内でベスト10入る、僕の愛すべき温泉の1つであります。


 もちろん、湯上がりには恒例の儀式が待っています。
 受講生らとともに、しばし下界の暑さを忘れ、高原の涼風に吹かれながら乾杯をしました。

 
 
   


Posted by 小暮 淳 at 12:08Comments(0)温泉地・旅館

2017年05月17日

川場温泉 「悠湯里庵」④


 久しぶりに川場温泉(群馬県利根郡川場村) の 「悠湯里庵(ゆとりあん)」 に泊まってきました。
 どれくらい久しぶりなんだろうと調べてみたら、2010年12月に僕が講師を務める野外温泉講座で行って以来だったのです。
 その年は 『群馬の小さな温泉』(上毛新聞社) を出版した年で、本や雑誌の取材で何度も訪ねています。

 昨日は、報道・旅行関係者を集めた 「プレスDAY」 が開催され、僕も招待されたのであります。
 実は僕、招待状をいただいた時から、すっごく楽しみにしていたのです。
 以前、訪ねた時は宿泊棟がまだ、かやぶき民家を移築した4棟(8部屋) だけだったのですが、3年前に別館(10部屋) がオープンしたのです。

 で、その別館 「悠山」 というのが裏山の急斜面に建てられていて、な、な、なんと! モノレールに乗って行くのです。
 その話を聞いたときから、一度乗ってみたくて、この日を待ちわびていたのであります。


 日本百名山の一座、武尊山(ほたかさん) に湧く川場温泉は、昔から 「脚気(かっけ)川場」 といわれ、脚気患者が多く湯治に訪れていた名薬湯です。
 こんな伝説が残されています。

 弘法大師が諸国行脚の際、この村で食事をとろうとしましたが、どこにも水がなくて困っていると、一人の老婆が遠方より水を汲んできて世話をしてくれました。
 その厚意に心を打たれた大師が、杖を地面に立てたところ、温泉が湧き出したといいます。
 この湯は 「弘法の湯」 といわれ、今でも湧出地には弘法大師堂が祀られ、尊像が安置されています。


 「悠湯里庵」 は、薬師温泉(群馬県吾妻郡東吾妻町) 「旅籠(はたご)」 の姉妹館として、2010年3月にオープンしました。
 「旅籠」 同様、見事なかやぶき民家と長屋門が出迎えてくれます。
 圧巻は、長屋門の隣に立つ壮大な本陣屋敷。
 山形県から移築したという3階建てに匹敵する古典的な兜作りのかやぶき屋敷です。
 初めて訪れる人は、そのスケールの大きさと、展示されている調度品などの絢爛さに、感嘆の声を上げるほどです。

 ロビーから本館宿泊棟へは、電動カートに乗って移動。
 そこからはモノレールに乗って、別館へ。
 さらに展望台まで上がれば、川場盆地を見渡すことができます。

 ちょうど田植えが始まったところで、四方を山々に囲まれた棚田が、鏡のように空を映していました。
 まさに、日本の原風景を一望する絶景です。
 その美しさに、ただただ息をのんで、見惚れていました。


 夜の懇親会では、初めて会うプレス関係者がほとんどでしたが、何人かは顔見知りのライターや編集者もいて、温泉談義に花を咲かせてきました。
 もちろん、pH9.2の強アルカリ性を誇る源泉かけ流しの内風呂も堪能してきました。

 久しぶりに取材から離れて、のんびり温泉と宿を満喫した一日でした。

   


Posted by 小暮 淳 at 21:26Comments(0)温泉地・旅館

2017年04月26日

上牧温泉 「辰巳館」⑦


 2008年の暮れだったと思います。
 突然、NHK文化センターより電話がありました。
 「来年度の講座の講師をお願いできますか?」
 「講師ですか?」
 「ええ、里山ハイキング講座です」

 当時、僕は高崎市のフリーペーパー 『ちいきしんぶん』(ライフケア群栄) に 「里山をゆく」 という紀行エッセイを連載していたのです。
 たぶん、それで連絡が来たのだと思います。

 「山登りの講師ですか?」
 「はい、いかがでしょうか?」
 「いゃ~、山登りは趣味の範疇で素人ですから、お断りします」
 と告げたところ、
 「では温泉で、新講座の開講はいかがでしょうか?」


 あれから丸8年が経ちました。
 2009年4月に開講した 「ぐんまの温泉遺産を訪ねる」(現在の講座名は「名湯・秘湯めぐり」) は、今月9年目を迎えました。
 そして昨日、今年度の第1回講座が開講しました。

 今年度は新受講生を2名迎え、18名でのスタートです。
 第1回目ということもあり、ちょっぴり豪勢にしたくって、温泉大使の職権を乱用させていただきました。
 訪ねたのは、4代目主人の深津卓也氏が、みなかみ町観光協会長を務める上牧温泉 「辰巳館」 であります。


 「お待ちしていました」
 「ようこそ、お越しくださいました」
 バスが玄関前に着くと、ズラリとお出迎えの列が!
 旅館のスタッフだけかと思ったら、観光協会の専務や職員までもが並んでいるではありませんか!

 「これは、驚きました。すごい熱烈歓迎ぶりですね!」
 「そりゃ~、温泉大使様のお出迎えですから(笑)」

 いやいや、“たかが大使、されど大使” なのであります。
 その歓迎ぶりには、僕よりも受講生たちのほうが驚いていました。

 「温泉講座っていうのは、毎回、こんなにも歓待を受けるのですか?」
 今回から参加の新入生に訊かれ、
 「いや、その、あの……。これはビギナーズラックというやつですね。毎回は期待しないでください」
 と、あわてふためく僕でした。


 午前中は、男性が山下清画伯の壁画があることで有名な 「はにわ風呂」、女性が露天風呂のある 「かわせみの湯」 と 「たまゆらの湯」。
 昼食をはさんで、午後は男女が入れ替えとなりました。

 食事は、宿の名物 「献残(けんさん)焼」。
 献残焼とは、その昔、高貴な人に献上した物のおすそ分けを焼いて食べたという上越地方の郷土料理です。
 みんなで囲炉裏を囲んで、川魚や地鶏、野菜を焼きながら、和気あいあいといただきました。
 もちろん、生ビールや地酒も忘れずにいただきましたよ。

 「昼から飲めるって、幸せですね」
 「温泉入って、お酒が飲めて、最高の講座です」
 と、新入生からの評判も上々でした。

 この調子で、今年度も1年間、よろしくお願いいたします。
  


Posted by 小暮 淳 at 14:33Comments(0)温泉地・旅館

2017年03月30日

千年湯めぐり


 歴史の古い温泉場のことを “古湯(ことう)” といいます。
 では古湯とは、どのくらいの起源なのでしょうか?
 ものの本によれば、それは奈良・平安時代からの開湯が伝わる温泉場とあります。
 別名 「千年湯」 と称される由緒正しき歴史を持つ温泉場のことだそうです。


 今週は、2つの古湯をめぐってきました。

 野沢温泉(長野県) を訪ねるのは、5年ぶりのこと。
 僕が講師を務める野外温泉講座で行ってきました。
 前回は、外湯(共同湯) のあまりの熱さに肩まで沈めず、ほうほうのていで逃げ帰った記憶があります。
 今回は、そのリベンジであります。

 野沢温泉の開湯は、奈良時代の高僧・行基によると伝わります。
 のち江戸時代初期(寛永年間) に、飯山藩主の松平遠江守が別荘を建て、浴場や宿を整備し、湯治場として利用されるようになったとのことです。


 温泉街の中心で威風を放つ 「大湯」 は、野沢温泉のシンボルです。
 浴室に入って手前が “ぬる湯”(約45℃)、奥が “あつ湯”(約48℃)。
 どちらも熱いのですが、とりあえず前回同様なんとか、ぬる湯はクリア!

 「先生、男の子だろ!」
 「我々に手本を見せてくれなくっちゃ!」
 受講生らに叱咤激励されながら、初のあつ湯に挑戦です。

 「う、う、うううーーーーー!!!!」
 水道の蛇口を全開にしながら、なんとか肩まで浸かりました。
 「1、2、3、4……。ダメだぁ~!」
 10カウント数えることなく、ギブアップ。
 それでも5年ぶりに、雪辱を晴らしたのでありました。



 今日は朝から四万温泉(群馬県中之条町) へ行ってきました。
 5月から始まる新連載の取材です。

 四万温泉の開湯は、永延3年(989) と伝わります。
 伝説では、源頼光の四天王の1人、日向守碓氷貞光という武将が夢のお告げにより 「御夢想の湯」 を発見しました。
 四万の病を癒やす湯であることから、この地を 「四万の郷」 と名づけたといいます。

 ま、僕にとって四万温泉は過去に本も書いているし、ホームグランドのような温泉地であります。
 今さら取材もないのですが、やはりそこは “現場百遍” のライター魂がうずくのであります。
 最新の情報を得るために温泉協会を訪ね、担当職員とともに温泉街をロケしてきました。

 もちろんカメラマンも一緒ですから、毎度おなじみの入浴シーンの撮影もしっかり押さえました。
 町営の日帰り入浴施設 「四万 清流の湯」 の露天風呂からは、その名のとおり、蒼く澄み切った四万川の流れを眺めながらの湯浴みを堪能してきました。


 <ここには、青く澄んだ川の流れと、こんこんと湧き出す豊潤な温泉、そして何百年もの間、湯とともに暮らしてきた素朴な人たちが生きています。(中略) 「何もない」のではなく、「湯がある」 ことへの畏敬の思いが、変わることのない四万温泉を守り継いでいるのです。> 『あなたにも教えたい四万温泉』 より
   


Posted by 小暮 淳 at 18:51Comments(0)温泉地・旅館

2017年03月24日

伊香保清遊 ~詩人が愛した石段街~


 <私の郷里は前橋であるから、自然子供の時から、伊香保へは度々行って居る。で「伊香保はどんな所です」といふやうな質問を皆から受けるが、どうもかうした質問に対してはつきりした答えをすることはむづかしい。> (『石段上りの町』より)


 1年間にわたる長い旅が、終わろうとしています。
 大正時代に郷土の詩人・萩原朔太郎が書いた随筆の冒頭で、いきなり登場する問いかけの言葉。
 「伊香保はどんな所です?」

 その答えを探るべく、旅を続けてきました。
 そして、たぶん今回の旅の最後ではないだろかと思われる、のんべんだらりとした2日間を伊香保で過ごしてきました。


 石段街の中ほどに位置する旅館に、5人の仲間が集まりました。
 カメラマン、デザイナー、ディレクター、出版担当者と僕です。

 これは毎年この時期に恒例となっている、現地で行う最終の “編集および出版会議” なのであります。
 そして夜は、互いの労をねぎらう、慰労会でもあります。
 でも著者である僕は、すでに全取材を終えていますから、高みの見物であります。
 ロケハンに出かけるカメラマンたちを見送って、昼間から風呂に入り、ビールを飲んで、夕方にはすでに出来上がってしまったのであります。


 <伊香保の町は、全体に細い横丁や路次の多い、抜道だらけの町である。(中略) 伊太利のナポリ辺へ行くと、市街の家並が不均斉で、登ったり降りたり、中庭を突つ切つたり、路次から路次へ曲がつたりする迷路のやうな市街が多いといふことを聞いてゐるせいか、伊香保の町の裏通りを歩くと、何となく南欧の田舎町という感じがする。> (『石段上りの街』より)

 「伊香保って、路地と坂道が多くて、ヨーロッパの町並みに似ているね」
 重い機材を抱えて、撮影から帰って来たカメラマンの第一声です。
 くしくも、朔太郎と同じことを言うのでした。

 “坂道と路地の町”

 全国でも珍しい山の中腹から源泉が湧き出る温泉地ならではの風景です。


 時は春。
 桜の便りが聞かれる今日この頃だが、伊香保の春はまだ遠からじ。
 今日も朝から時おり、小雪がちらつく花冷えの一日となりました。

 それでも石段街は、とてもにぎやかです。
 平日だというのに、若い女性たちでいっぱいです。
 たぶん、卒業旅行なんでしょうね。
 みやげ物屋からは、どこも黄色い声が響いています。

 暮れなずむ街に、明かりが灯る頃。
 我も文豪を気取って、浴衣に丹前を羽織って、石段へ。
 射的やスマートボールに興じる若者たちを横目に、カウンターで生ビールをいただいたのでありました。


 <この温泉の空気を代表する浴客は、主として都会の中産階級の人であるが、とりわけさうした人たちの若い夫人や娘たち──と言つても、大磯や鎌倉で見るやうな近代的な、中凹みで睫毛の長い表情をした娘たちではない。矢張、不如帰の女主人公を思わせるやうな、少しく旧式な温順さをもつた、どこか病身らしい細顔の女たち──である。> (『石段上りの街より』)
 ※「不如帰(ほととぎす)」 は、伊香保を舞台にした徳富蘆花の小説です。
  


Posted by 小暮 淳 at 19:27Comments(3)温泉地・旅館

2017年03月11日

あれから6年、大胡温泉。


 2011年3月11日、午後2時46分。

 あの日あの時、僕はなぜ大胡温泉にいたのだろうか?


 <グラリと、とてつもない大きな揺れが東日本を襲った。「長年生きてきたけど、こんな揺れは初めてだよ」 と叫ぶ女将の中上八ツヱさんをはじめ、息子で2代目の富男さんらとともに、屋外へ駆け出した記憶が昨日のようにありありと目に浮かぶ。「これも何かの縁ですね」 と、毎年3月11日に私は必ず大胡温泉を訪ね、地震発生の時刻に女将らとともに黙とうを捧げている。>
   (『新ぐんまの源泉一軒宿』 より)


 今日、大胡温泉(前橋市) の一軒宿 「旅館 三山センター」 へ行ってきました。

 「待ってましたよ」
 「もちろん、来ましたよ」
 「どうします?」
 「まずは、ひと風呂浴びてきます」

 出迎えてくれた女将とは、10年以上の付き合いになります。
 息子さんやスタッフとも、気心知れた仲です。
 勝手知ったる温泉宿であります。
 僕は、あいさつもろくにせず、湯屋へと向かいました。


 あの日、なぜ僕は、ここに来たのだろうか?
 取材だとばかり思っていたけど、カメラマンはいませんでした。
 だとしたら、ぷらりと今日のように湯に入りに来たのだろうか?
 いえいえ、それは違います。
 あの日、風呂に入った記憶はありません。
 何より、午後2時46分に居たというのが不思議です。
 中途半端な時間に居たものです。

 湯の中で、ただひたすらに、あの日のことを考えていました。
 地震発生後のことはハッキリと思い出せるのに、それ以前のことが、まったく思い出せません。


 「黙とう!」
 テレビの時報とともに、女将さんとスタッフ、広間にいたお客さんたちと一緒に1分間の黙とうを捧げました。

 「もう6年も経ったのかしらね。早いものですね」
 「みんなで旅館を飛び出したのが、ついこの間のようです」

 名物の 「焼きまんじゅう」 をいただきながら、あの日のことを話していました。
 でも、やっぱり、午後2時46分以降のことばかりです。

 「女将さん、あの日、僕はなんでここにいたんでしたっけ?」
 「えっ、……。なんででしたっけね」


 帰宅後、僕は自分のブログをチェックしてみました。
 すると、1年後のブログに、こんなことが書かれていました。

 数日前に、女将から電話をもらったこと。
 内容は、「小暮さんのファンが手紙を渡してくれと置いて行ったから、ついでの時に寄ってください」 とのこと。
 そして、あの日、僕が仕事のついでに寄った時刻が午後2時46分前だったこと。
 「お風呂に入っていったら」 と女将に勧められたが、「急いでいるので」 と断ったこと。
 その直後、とてつもなく大きな揺れが襲ったこと。
 ※(当ブログの2012年3月11日 「あれから1年、大胡温泉へ」 参照)


 「これも何かの縁ですね」
 女将の言葉が改めて、深く心にしみてきたのであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:47Comments(0)温泉地・旅館

2017年03月03日

伊香保温泉 「岸権旅館」


 僕は昨年の春から天下の名湯・伊香保温泉にある全宿の “湯” を制覇しようと、果てしない行脚の旅に出ています。
 最初は、いったいいつになれば終わるのだろうと思われた長い旅も、やがて終わりを迎えます。

 昨晩、その最後の宿に泊まってきました。
 伊香保温泉全44軒の最後に訪ねたのは、屈指の老舗 「岸権旅館」 でした。


 室町時代から安土桃山、江戸、明治、大正、昭和、そして平成と脈々と湯を守り継いできた3軒の老舗宿。
 そのうちの1軒が、岸権旅館です。
 創業は天正4年(1576)年といいますから、なんと440年前であります。

 まさに伊香保温泉全宿制覇のファイナルを飾るにふさわしい旅館でした。


 その昔、湯の引湯権利が与えられた大屋制度。
 12軒の宿には、十二支にちなんで干支の名が付けられました。
 「辰の湯」
 これが岸権の称号です。

 今でも残る3軒の宿には、「黄金(こがね)の湯」 と呼ばれる伊香保伝統の茶褐色の湯が引湯されています。
 岸権には、伊香保温泉総湧出量の約1割に当たる毎分300リットル以上の源泉が届いています。
 たった1軒で、300リットルですぞ!

 だもの本館、離れ、浴室棟にある計13の浴槽は、すべて完全放流式(かけ流し) です。
 これはファイナルにふさわしく、すべて “湯破” しようではないか! と意気込んでみたのですが、ひと晩では体力の限界があります。
 しかも女風呂には入れません。
 ということで、婦人浴室と貸切風呂を除く、代表する3つの湯を “湯破” することにしました。

 「権左衛門の湯」 と 「又左衛門の湯」 と 「六左衛門の湯」 です。
 すべて岸一族の先祖の名前が付いています。
 となれば第1湯目は、やっぱり岸権の創業者である権左衛門氏に敬意を表さないわけにはなるまい。

 江戸時代の古い錦絵に描かれた伊香保温泉の入浴風景。
 その湯殿を再現したのが、総ひのき造りの 「権左衛門の湯」 です。
 上越国境の白い連山を眺める露天風呂と2つの丸い桶風呂。
 惜しみなくかけ流されている茶褐色の湯を存分に堪能しました。

 もちろん、朝までに “三左衛門”の湯をすべてめぐりました。


 そして、僕の11ヶ月にわたる旅も終わりました。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:34Comments(0)温泉地・旅館

2017年03月02日

角間温泉 「岩屋館」


 一度行ってみたいと思っていた温泉宿でした。

 僕の場合、群馬県内を中心に仕事をしているので、なかなか県外の温泉を取材で訪れることはありません。
 行きたい温泉は、プライベートで行くしかないのですが、そんなプライベートな時間もなかなか作れません。
 そんな時、僕には格好の手段があるのです。

 そうです!
 自分の講座に組み込んで、受講生らと一緒に行っちゃえばいいんです。

 ということで、長野県上田市の角間(かくま)温泉 「岩屋館 」に行ってきました。


 岩屋館は、奇岩怪峰が見られる角間渓谷の奥深くにある秘境の一軒宿。
 「日本秘湯を守る会」 の会員宿でもあります。
 真田一族の居城も近いことから、その隠し湯とも呼ばれています。

 「いや~、すごい景色ですね~」
 露天風呂の中で、倒れかかるような岩壁や奇岩を眺めながら喚声を上げています。
 湯は鉄分を含んだ炭酸泉。
 足元が見えないほどの濃厚なにごり湯です。

 「赤いですね。伊香保より赤い。相間川(高崎市) くらいありますね」
 受講生の1人が、過去に講座で行った温泉と比較しながら言いました。
 「ですね。かなりの鉄分の量です。飲めば、貧血に効きそうですね」
 これぞ、野外講座ならではの生きた勉強であります。

 湯上がりは、山のごちそうをいただきながらのお決まりのビールタイム!
 食堂の窓いっぱいに迫る渓谷美を愛でつつ、今回も楽しい温泉談義に花が咲いたのでした。


 この野外温泉講座も今年で、9年目に入ります。
 新講座は4月に開講!
 ただ今、春期受講生募集中!
 問い合わせ・申し込みは、TEL.027-221-1211 (NHK文化センター前橋教室) まで。




   


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2017年02月24日

伊香保温泉 「ホテル冨久住」


  恋ひ恋ひて逢へる時だに愛しき
    言尽くしてよ長くと思はば


 バスターミナルやロープウェイへ向かう八幡坂の途中に、3階建ての古いホテルがあります。
 隣は、大きな大きな老舗旅館の 「ホテル木暮」。
 ともすれば、気づかずに通り過ぎてしまいそうな小さなホテルです。

 “伊香保で唯一のビジネスホテル”
 “素泊まり歓迎”

 昭和のにおいがプンプン漂うレトロなたたずまい。
 この地で30余年、家族だけで商ってきました。


 フロントを抜け、1階から2階へ。
 狭く急な階段は、どこか懐かしさを感じます。

 「あれ?」
 踊り場ごとに、新聞記事が貼られています。
 どの新聞にも、微笑みかける美しい女性の顔写真が掲載されています。

 「なんだろう?」
 と記事を読み出すと、女性の名前は富澤智子さん。
 「ああ、ここの娘さんが何か話題になったときの記事なんだ。女将さんかご主人が、自慢の娘の新聞記事を張り出しているんだな……」

 でも違いました。
 記事の内容は、出版した本の紹介でした。
 それも新聞記事の日付けは、平成12年11月と同20年8月。
 朝日新聞と読売新聞、群馬よみうりが、こぞって掲載しています。

 「17年前と9年前の記事じゃないか……なんでだろう?」
 記事を読み進むに連れて、真実が浮き彫りにされます。

 著書のタイトル は『伊香保の万葉集』。
 そして著者の智子さんは、平成3年に他界していました。
 この本は没後9年経ってから、彼女が師事した国文学の大学教授らを中心に上梓されたものだったのです。


 教授は本のあとがきで、彼女のことをこんなふうに述べています。
 <本書はこの世を余りにも早く疾走し、駆け抜けて逝った冨沢智子君の遺著であります。群馬県の伊香保に生まれ、伊香保をこよなく愛し、伊香保に散って逝った薄命二十五歳の才色兼備の冨沢智子君。(中略) 智ちゃんは美人だった。頭がよかった。そして何よりも気持ちの素晴らしい女性だった。神は二物を人に与えずというが、三物も四物も与えた上、手元に置きたくなったのか、その御手の元に連れて逝ってしまった。神の気紛れ、ふとそう思った。>


 「それまでは、ふつうのホテルだったんですよ。私が厨房に入って料理を作って、娘が手伝ってくれて……。娘を亡くしたショックが大きくてね。私もダウンしてしまったんです」
 母で女将の富澤ツネヨさんは、在りし日の娘の姿を思い出しながら、時に笑いながら、本当に嬉しそうに話してくれました。


 群馬県内には、約600軒の温泉宿があります。
 その一軒一軒に歴史があり、物語があるのですね。
 一軒たりとも、取材をおろそかにはできません。

 そう肝に銘じた取材でした。

 ※冒頭の歌は、智子さんが中学生の時に、最初に好きになった万葉集の歌です。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:49Comments(0)温泉地・旅館

2017年01月25日

四万温泉 「すみよしや 花の坊」③


 今年は、雪の当たり年のようであります。
 雪見風呂に雪見酒……
 しんしんと音もなく降り積もる雪を見ながら、ただただ酔いしれてきました。


 NHK文化センター前橋教室の野外温泉講座 「名湯・秘湯めぐり」。
 なんでも全国で温泉講座があるのは、ここ群馬県だけらしいのですが、僕は、その講師をしています。
 早いもので、今年で9年目になります。

 2017年の第1回講座が、昨日、開講されました。
 今年の初講座にふさわしく、群馬の名湯・四万温泉へ。

 高崎駅と前橋駅を出発したバスは、極寒の冬晴れの下、北へと向かいました。
 渋川市を過ぎたあたりから、だんだんと空の色が変わります。
 赤城山と榛名山はすでに雪雲に覆われて見えず、標高の低い子持山や小野子山まで雪化粧をしています。

 寒いはずです。
 中之条町を過ぎた時点で、外気の温度はマイナス2℃!
 トンネルを抜けて、国道353号を、さらに奥へ。
 あっという間に、あたりはまばゆいばかりの銀世界に!

 「群馬県って、広いですね」
 「同じ県内なのに、まったく景色が違う」

 別に雪が珍しいわけじゃなかろうに、それでも受講生たちは一面の雪景色を見て、喜々としています。


 四万温泉は、清流・四万川に添って、5つのエリアに分かれています。
 手前から 「温泉口」 「山口」 「新湯」 「ゆずりは」 「日向見」 です。
 過去に、この講座では山口地区 の「四万やまぐち館」、新湯地区の 「積善館」 と 「四万たむら」 を訪ねたことがありますが、今回、お世話になったのは、さらに奥のゆずりは地区にある 「すみよしや 花の坊」 であります。

 手前の温泉口とは、4キロくらい離れていますからね。さらに山深いのであります。
 湯薬師トンネルを抜けて、ゆずりは橋を渡る頃には、車窓に映る雪もハンパない量に!
 「うお~!」
 と、掛け値なしの絶景に、車内からは喚声が上がりました。


 「すみよしや 花の坊」 を訪れるのは、かれこれ5年ぶりになります。
 確か、最後に訪れのは拙著 『あなたにも教えたい四万温泉』 の取材だったと思います。
 あの日と変わらぬ品の良い和装で、女将の湯浅麻紀子さんが出迎えてくれました。


 やっぱ、雪景色には、日本酒が合いますね。
 いつもは、あまりたしなまない女性陣も気分が高揚したようで、雪見酒を楽しむ人の数が多かったのであります。

 湯良し、味良し、景良しの三拍子が揃い、今年の講座が無事にスタートしました。
 受講生のみなさん、今年もよろしくお願いします。
 温泉をたくさん、めぐりましょうね!
  


Posted by 小暮 淳 at 11:49Comments(0)温泉地・旅館

2017年01月14日

伊香保温泉 「金太夫」


 寒波襲来!

 またしても、雪舞う温泉地へ出陣でありました。
 前橋市街地から、車でわずか30分の距離。
 でも榛名山中腹の温泉街は、雪、雪、雪また雪の銀世界でした。


 「金太夫(きんだゆう)」 といえば、ご存知、伊香保を代表する老舗旅館であります。
 江戸時代の伊香保には石段街の左右に “大屋” と呼ばれる温泉の権利を持つ14軒の温泉宿がありました。
 延享3年(1746) 徳川九代家重の時代に、12軒の大屋に、それぞれ十二支が名づけられました。
 その時、「寅」 を授けられた旅館が金太夫です。

 300年近い歴史を持つ老舗旅館ですが、現在は経営が変わり、リーズナブルなホテルとして温泉好きの庶民に親しまれています。
 さすがに以前と比べると、老舗の風情と情緒は薄れてしまいましたが、“湯” は今も健在です。
 湯量豊富な伊香保独得の 「黄金(こがね) の湯」 が、内風呂や露天、貸切風呂で惜しみなくかけ流されていました。


 金太夫には、特別な思い入れがあるのです。
 もう、20年近くも昔のことだと思います。
 長女と長男が、小学生でしたからね。
 数少ない、家族で泊まった宿の1つです。

 「あっ、やっぱり、そうだ! ここだよ、ここ!」

 7階にある展望露天風呂に入った途端、記憶が鮮明によみがえってきました。
 昨年、結婚した長男と、遠い昔に男同士で入った記憶です。
 その時、何を話したのかは、思い出そうとしても思い出せません。
 それでも、息子のちっちゃな体と笑顔だけは、ありありと湯の中で浮かび上がってきます。

 いつかまた、息子とこの湯に入りに来よう!
 ヤツの子どもが、もし男の子だったら、孫と三代で入ろうじゃないか!
 その時は、じいちゃんが、温泉のウンチクを語ってやるぞ!

 「へー、じいちゃんって、温泉のこと詳しいんだね」

 あの頃の息子と、よく似た笑顔に、自慢してやりたいものです。


 なんて考えながら入っていたら、ついつい長湯になり、のぼせてしまったとさ……。
  


Posted by 小暮 淳 at 13:47Comments(0)温泉地・旅館