温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2021年07月03日

猿ヶ京温泉 「生寿苑」②


 「あったこったか なかったこったか
 あったこったと話すから あったこったと聞かっさい」
 (語り部 口上より)


 猿ヶ京温泉 (みなかみ町) には、昔から 「座敷わらし」 の伝説があります。

 <昔、旅の夫婦が一夜の宿を借りてから、そこに男の子が現れるようになったそうです。
 奥さんが、男の子と遊んであげると、「奥座敷の床下を掘ってください」 と言ったそうです。
 言われた通りに夫婦が掘ってみると、そこには大判小判の入った金瓶が埋まっていました。
 その後、夫婦はその家で暮らすようになり、座敷わらしに似た可愛い男の子をもうけ、幸せにくらしたそうです。>
 (猿ヶ京温泉の民話 『座敷わらしの家』 より)


 この夫婦から数えて19代目にあたるのが旅館 「生寿苑」 の主人、生津秀樹さんです。

 「小暮さん、お久しぶりです。いつも見ていますよ」
 「えっ?」
 「トリビア図鑑ですよ!」

 2人の会話を聞いていたディレクターが、思わず口をはさんで、
 「ありがとうございます!」


 聞けば生津さんは、群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』 の大ファンなのだといいます。
 今までもテレビや新聞など多くのマスコミから 「座敷わらし」 の現れる宿として、取材依頼があったといいますが、すべて断ってきたといいます。
 それが今回、テレビカメラが入ることを心よくOKしてくださったのも、ひとえに 「番組のファンだったから」 と言います。

 ご主人、ありがとうございます!


 昨日は、語り部のシーンからの撮影となりました。

 猿ヶ京温泉には、地元の民話を影絵や紙芝居で聞かせる 『民話と紙芝居の家』 という資料館があります。
 ここ生寿苑では、定期的に 『民話と紙芝居の家』 から語り部に来てもらい、宿泊客の前で口演を行っています。
 ※(現在はコロナ禍のため休演中です)


 おもちゃやお菓子が山積みにされた畳の部屋。
 その前で、表情豊かに語られる愛嬌たっぷりの座敷わらし……

 「ハーイ、OKでーす!」

 ディレクターが合図を送った途端、照明のライトが 「バシッ!」 と音を立てて消えてしまいました。
 ヘッドフォンをはずしながら飛び上がる音声さん。

 座敷わらしも、初のテレビ出演に喜んでいるようでした。


 さて、座敷わらしは、テレビカメラに映ったのでしょうか?

 「あったこったか なかったこったか……」

 それは、放送を観てのお楽しみに!


 ※放送は、7月13日(火) 21:00~です。
   僕は、番組のナビゲーターとしてMCを務めます。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:56Comments(0)温泉地・旅館

2021年06月24日

猿ヶ京温泉 「小野屋八景苑」②


 <昔々、相俣村 (現・みなかみ町) には河童が棲んでいて、キュウリ畑を荒らしたり、いたずらをするので、村人たちは 「こらしめるために、ひっつかまえてくれるべ」 と話し合っていたんだと。そしたら、ある日、小野屋の婆さまが赤谷川で小豆を洗っていると、ザルに河童がひっかかったんだと>
 【民話 「かっぱのくすり」 より】


 昨日は群馬テレビのロケで、猿ヶ京温泉 (みなかみ町) へ行って来ました。
 僕は、『ぐんま!トリビア図鑑』 という番組のスーパーバイザー (監修) をしています。
 と同時に、ネタによっては、レポーター役を買って出ています。

 今回のテーマは、「カッパ」。
 県内各地に河童伝説は多々ありますが、「昔々、あるところに」 がほとんどで、場所が特定されている民話や伝説は、とても少ないのです。
 その中で、“最も信憑性が高い” のが、猿ヶ京温泉に伝わる、この 「かっぱのくすり」 です。

 だって、そのものズバリ! 捕獲者の屋号が伝わっているのですからッ!!

 「小野屋」 とは、現在の旅館 「小野屋八景苑」 のことです。
 そして、民話に登場する 「婆さま」 は、実在した小野家の先祖なのであります。


 ということで、我が番組制作班は、入念な資料集めをし、現地に入り下見を兼ねたロケハン (ロケーションハンティング) を済ませ、満を持した態勢で、この日を迎えたのであります。

 「この民話に登場するお婆さんは、いつ頃の方ですか?」
 「カッパが教えてくれたという薬は、何代目まで作れたのですか?」
 「薬の処方箋は、残っていますか?」
 などなど、レポーターの僕と現当主の小野公雄さんとの一問一答のトークバトルを収録してきました。


 そして撮影のラストは、お決まりの僕のヌードショー!?
 いえいえ、入浴シーンの撮影です。

 河童が捕獲されたという赤谷川は、現在は湖の底です。
 その湖を見下ろすように 「小野屋八景苑」 は建っています。
 そして露天風呂には、伝説の河童の像がたたずんでいます。

 「小暮さんは、やっぱり入浴シーンが似合いますね」
 とディレクター。
 「一応、温泉ライターを名乗っているものですから」
 と僕。
 「小暮さん、湖の方を向いて、しばらく黙って眺めていてもらえますか」
 とカメラマン。


 さて、どんな番組に仕上がるのでしょうか?
 オンエアは、7月13日(火) 21時~です。
 乞う、ご期待!
  


Posted by 小暮 淳 at 11:08Comments(0)温泉地・旅館

2021年06月22日

伊香保温泉 「和心の宿 大森」④


 嬉しいニュースが飛び込んできました!
 JTB主催による 「2020年度サービス優秀旅館・ホテル」 に、伊香保温泉 (渋川市) の 「和心の宿 大森(オーモリ)」 が選ばれました。
 群馬県内の施設では、2018年度の 「ホテル木暮」(伊香保温泉) 以来の表彰です。


 この表彰は1979年から毎年実施されており、北海道から沖縄までを7ブロックに分け、施設の大きさごとに優秀旅館と優秀ホテルが選ばれます。
 審査方法は、2020年4月~21年3月に宿泊客へのアンケートを実施し、「従業員のサービス」 や 「大浴場などの設備」、「食事などの評価」 について約20万人に調査しました。

 「大森」 は、関東ブロックの中規模旅館クラスで優秀旅館に選ばれました。


 いや~、大森さん、やりましたね!
 日頃の努力と誠意、モットーとする “和心(わごころ)” が評価されたものだと思います。
 一ファンとして、心からお喜び申し上げます。

 大森さんとの出会いは、20年以上ほど前になります。
 たまたまイラストレーターの友人が、女将と友人だったこともあり、宴会などで利用させていただきました。
 もちろん、まだ僕は “温泉ライター” を名乗る前ですから、仕事ではありません。

 その後、新聞や雑誌などの取材で、たびたび伺うようになりましたが、極めつけは、2017年に出版した 『金銀名湯 伊香保温泉』(上毛新聞社) でした。
 この本で僕は、渋川伊香保温泉観光協会に加盟する44軒全ての宿泊施設を取材しました。
 そして当時、協会長をしていたのが 「大森」 の3代目主人、大森隆博さんでした。

 そんな縁もあり、僕は同年に 「伊香保温泉大使」 に任命されました。


 その後は仕事のみならず、イベントにゲストとして呼んでいただいたり、プライベートでも友人らと泊まりに行き、今日まで公私ともにお付き合いをさせていただいています。

 なので、今回の表彰は、大使としてはもちろんですが、個人的にも大変よろこんでいます。


 大森さん、女将さん、おめでとうございます。
 また、青竹に入った地酒を露天風呂で呑みに行きますね!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:24Comments(0)温泉地・旅館

2021年04月17日

相間川温泉 「ふれあい館」⑥


 <湯をすくい、鼻先へ近づけると金気臭い。顔に触れると、ひげそり後の肌がヒリヒリする。なめると、かなり塩辛い。体にすり傷でもあれば、間違いなくしみることだろう。体を移動しようと手をついた瞬間、ふわりと尻が浮いた。それほどに塩分濃度が高い湯である。>
 (『ぐんまの源泉一軒宿』 より)


 「世のやみ洗う 相間川」
 ※上毛かるた 「世のちり洗う 四万温泉」 のパロディ

 「お湯の中にも コーリャ油が浮くよ チョイナチョイナ―」
 ※草津節の替え歌

 まー、いつ行っても館内のあちこちに、ダジャレやコピーが貼られています。
 浴室には、こんな言葉も……

 「カップラーメン お湯を注いで3分 相間川の温泉(おゆ) 入っても7分! これ以上は のびるだけ」

 お見事!
 思わず 「山田く~ん、座布団2枚」 と言いたくなる名コピーのオンパレードです。
 でもね、言い当てて妙なんですよ。


 ということで昨日は、この抜群のセンスの持ち主を訪ねて、相間川温泉 (高崎市) 「ふれあい館」 へ行って来ました。
 昨年の12月に 「相間川の温泉暖議(サミット)」 で、お世話になって以来ですから4ヶ月ぶりでした。
 お会いしたのは副支配人の秋山博さん。
 そう、この方が名コピーの生みの親であり、“温泉暖議” の仕掛け人であります。
 昨年のサミットが大好評だったため、今年も第2弾を開催することになり、その打ち合わせで伺いました。


 ま、打ち合わせといっても日程や講演内容をサクサクッと決めただけですからね。
 ものの30分ほどで終わってしまいました。
 打ち合わせが終われば、お楽しみの “入浴タイム” であります。

 まー、相変わらず、濃い~んです。
 内風呂も露天風呂も、黄褐色であります。
 いや、茶褐色かな? いやいや赤褐色か?
 それくらい鉄分が濃いということです。

 さらに独特の油臭が漂います。
 大量の油分を含んでいるためなんですね。
 これは太古の地層から抽出されたもので、地下に閉じ込められていた海水内の微生物が、地熱と地圧により変化したものと考えられています。
 原油が生成される原理と同じようです。

 時に、この油分が湯面に膜を張ります
 すると日光に照らされ、キラキラと七色に光り輝くことから、温泉ファンの間では 「虹色の湯」 なんて呼ばれています。


 そして極めつけは、塩分濃度です。
 ちょっと、なめてみてくださいよ!
 「しょっ、ぺーーーー!!!」
 って、顔がゆがんでしまいますから!

 塩分、鉄分、油分
 3種混合の濃厚泉ですから、好きずきがあります。

 ちなみに塩分と鉄分の多い温泉は、実際の温度よりも体感温度が低く感じられます。
 だから <7分以上は、のびるだけ> なんですね。


 脱衣場には、こんなポスターも貼ってありました。
 <要注意! 長湯・湯あたり>

 みなさんも相間川温泉へ行かれた際は、ご注意ください。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:51Comments(4)温泉地・旅館

2021年03月11日

あれから10年 ~あの日あの時 大胡温泉~


 「女将さん!?」
 「……あっ、いま、オフクロに換わります」
 息子さんが出たようです。
 「もしもし、女将さん!?」
 「……最近、オフクロったら耳が遠くなっちゃって。いま、補聴器を付けてますから」
 「もしもーし! 女将さんですか!?」
 少し間があって、
 「はいはい、元気ですよ。コグレジュンさん」

 なぜか女将は、僕のことをフルネームで呼びます。


 さるアナウンサーが、テレビの報道番組で、
 「東日本大震災から今年で10年を迎えます」
 と伝えたところ、被災者の方から注意をされたといいます。
 「震災は終わっていません。震災発生から10年と言うべきです」
 と……


 2011年3月11日、午後2時46分。
 あの日あの時、僕は大胡温泉 (前橋市) の一軒宿 「旅館 三山センター」 に居ました。

 なぜ僕は、あの日あの時、あそこに居たのだろうか?
 取材でもないし、入浴もしてないし……
 発生から数年間は失念していましたが、その後、理由が判明しました。

 その数日前、女将さんから電話をもらったのでした。
 「コグレジュンさんのファンの方が来て、手紙を置いて行ったのよ。ついでの時に、寄ってちょうだい」 と。
 そして、仕事の途中に、たまたま寄った時間が、午後2時46分でした。


 グラッ、グラグラグラ……
 ガタッ、ガタガタガタ……

 その揺れの大きさに驚いて、女将と従業員らとともに外へ飛び出し、駐車場の真ん中で、うずくまっていました。


 翌年から僕は、同じ日の同じ時間に大胡温泉を訪れて、女将と一緒に黙とうを捧げてきました。
 でも、2年前からは今日のように電話で、声を掛け合うようになりました。
 理由は、旅館が日帰り入浴をやめてしまったこと。
 それと、女将さんが高齢になり、旅館の経営を息子さんに任せるようになったからです。

 「女将さん、元気ですか?」
 「はいはい、おかげさまでね。コグレジュンさんも、お元気のようで」
 「はい、コロナに負けず、なんとか元気にやってます」

 他愛のない会話ですが、電話の声が、今は亡きオフクロの声と重なります。

 「たまには顔を見せて、くださいな」
 「はい、寄らせていただきます」


 あれから10年が経ちました。
 場所は離れていますが、今年も女将たちと一緒に、黙とうを捧げたいと思います。

 あの日あの時を忘れないために。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:29Comments(2)温泉地・旅館

2021年03月01日

猪ノ田温泉 「久惠屋旅館」⑪


 宅配便で段ボール箱が1つ、届きました。
 開けてみると中には、ペットボトルが4本。
 ラベルには、「絹の湯」 と書かれています。

 手紙が同封されていました。

 <この度は、ちいきしんぶんに掲載頂き、ありがとうございました。心ばかりの品ですが、源泉で乾燥肌を潤して下さい。また、ぜひ絹の湯へいらして下さい。お越しを心よりお待ちしております。>

 と、丁寧な文字で、したためられていました。
 差出人は、群馬県藤岡市の猪ノ田(いのだ)温泉 「久惠屋(ひさえや)旅館」 の若女将です。


 なぜ、突然、ペットボトルが送られてきたのか?

 それについてお話しする前に、いくつかのキーワードを説明をする必要があります。
 まず 「絹の湯」 ですが、これは猪ノ田温泉の源泉名です。

 猪ノ田は西上州で最も古い湯治場として、江戸の昔より地元民に利用されていました。
 明治時代には 「皮膚病に効く」 という評判が高まり、県外からも医者に見放された病人がやって来るようになったといいます。

 源泉は硫化水素を含む独特の腐卵臭がすることから 「たまご湯」 と呼ばれていましたが、現在は、その浴感のなめらかさから 「絹の湯」 といわれ、ふたたび傷ややけど、アトピー性皮膚炎に効く薬湯として、全国からうわさを聞きつけた湯治客が訪れています。


 次に、「ちいきしんぶん」 掲載についてです。
 「ちいきしんぶん」 は、高崎市内に配布されているフリーペーパーです。
 僕は、この情報紙に 『小暮淳のはつらつ温泉』 というコラムを連載しています。
 その第58回 (2021年2月19日号) で、「復活した西上州の湯治場」 と題して、猪ノ田温泉の湯について書きました。

 そして記事の中で、効能の1つとして実体験に触れました。
 それが、「乾燥肌」 です。

 冒頭で、
 <私は子どもの頃から、冬になると乾燥肌に悩まされています。風呂から上がり、布団に入ると、体中がかゆくて、なかなか寝つけません。>
 と触れ、末尾で、
 <私は毎年、冬になると就寝前に、この源泉を肌に塗っています。おかげで今年も快適に過ごしています。>
 と結びました。


 すると、途端、反響があり、この記事を持ってやってくる入浴客が何人もいたそうです。
 それで、女将と若女将が相談して、僕に源泉を送ってくださったそうです。

 そろそろ源泉の在庫が切れそうだった頃だったので、大変助かりました。
 でも、なんだが、催促しちゃったようですね。
 申し訳ありません。

 コロナが終息したら、寄らせていただきます。
 その時まで、お元気で!
  


Posted by 小暮 淳 at 09:51Comments(2)温泉地・旅館

2020年08月31日

川原湯温泉 「やまきぼし」


 <5年後には “旧七軒” と呼ばれていた旅館が、すべて揃います。そうすれば、もう少し温泉街らしくなると思います。>
 (当ブログの2017年11月24日 「川原湯温泉のゆくえ④」 より)


 うれしい知らせが届きました。

 川原湯温泉(長野原町) の “旧七軒” の一つ、「やまきぼし」 が、代替地に移り、宿泊業を5年ぶりに再開しました。
 冒頭のセリフは、3年前に雑誌の取材で川原湯温泉を訪ねた時に、川原湯温泉協会長であり、「やまきぼし」 社長の樋田省三さんから聞いた言葉です。


 周知のとおり、旧川原湯温泉はダム建設計画から60余年後の今年、長い長い闘争と翻弄の日々を終え、湖底に沈みました。
 かつては約20軒あった宿泊施設も、移転前には10数軒となり、現在、代替地で再開した宿は、「やまきぼし」 で6軒目となります。

 僕が最初に旧川原湯温泉の 「やまきぼし旅館」 を訪ねたのは、30年ほど前のこと。
 当時、勤めていた雑誌社の記者として、極寒の真冬に奇祭 「湯かけ祭り」 を取材しました。
 その時、お世話になった宿が 「やまきぼし旅館」 でした。
 でも、まだ駆け出しだったため、取材に夢中で、温泉と旅館の記憶は、ほとんどありません。

 それから10年ほどして、もう一度、訪ねています。
 この時はプライベートで、目的は “温泉王” といわれる作家の嵐山光三郎氏が命名した露天風呂の 「崖湯」 に入りに行きました。
 当時、嵐山氏は頻繁に川原湯温泉を訪れ、老舗旅館の “旧七軒” のご主人たちと、「夜話会」 なる呑み会を開いていました。
 たぶん僕は、作家として、そして温泉ライターの大先輩として、嵐山氏にあこがれていたのだと思います。
 ※川原湯温泉での 「夜話会」 については、嵐山光三郎著 『温泉旅行記』(ちくま文庫) に詳しく書かれています。


 営業再開に際しては、樋田さんの長男、恒祐さんが後継ぎとして入り、素泊まりなどの需要に対応する新しいスタイルの湯宿 「やまきぼし」 として、再スタートするとのことです。
 少しずつ、少しずつですが、新生・川原湯温泉に、にぎわいが戻りつつあります。

 3年前の取材で、樋田さんは、これからの川原湯温泉について、こんなふうに話していました。
 <次世代を担う若い後継者が、帰って来ています。私たちは過去を引きずっていますが、彼らには未来しかない。新しい川原湯温泉に期待しています。>
 (「グラフぐんま」 2018年1月号、温泉ライター小暮淳の 『ぐんま湯けむり浪漫』 より)

 僕も、大いに期待しています。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:55Comments(0)温泉地・旅館

2020年07月12日

新鹿沢温泉 「鹿澤館」


 また残念なニュースが飛び込んで来ました。

 新鹿沢温泉(嬬恋村) の “シンボル” として親しまれてきた老舗旅館の 「鹿澤館」 の本館が、取り壊されることになりました。
 昨年10月に東日本を襲った台風19号により、大量の土砂が流れ込む被害を受けて、営業を休止していました。
 修復には膨大な費用がかかる上、そこへ、このコロナ禍の追い打ちをくらいました。
 やむなく、営業の再開を断念したとのことです。


 まさに、新鹿沢温泉のシンボル!

 新鹿沢温泉に行ったことのある人ならば、必ず目にしたことでしょう。
 その威風堂々とした佇まいは、訪れる者を圧倒しました。
 木造2階建ての本館は入母屋造りで、瓦ぶきの屋根には千鳥破風 (屋根の斜面に取り付けた三角形の装飾版) が施されています。
 また玄関前の車寄せは、寺社建築に見られる唐草絵の彫刻や格天井で造られています。

 「鹿澤館」 の創業は昭和9(1934)年。
 当時、洋風の旧本館や木造3階建ての客間などが次々と建築されましたが、同29(1954)の火災で、ほとんどが焼失。
 かろうじて難を逃れたのが、現在の本館だといわれています。


 温泉ファンは、ご存じだと思いますが、新鹿沢温泉は大正7(1918)年の大火で全戸が焼失してしまった鹿沢温泉から移転し、再建された温泉地です。
 湯元である 「紅葉館」 だけが旧鹿沢に残り、かつては7軒の旅館が新天地で営業を続けていました。
 これで鹿澤館が再開を断念すると、新鹿沢温泉は3軒になってしまいます。
 とっても残念です。

 で、ここで、お知らせです。

 同館を記録に残し、後世に伝えておこうと、鹿沢温泉観光協会と嬬恋村では、7月19日(日) に、「お別れ内覧会」 を開催します (参加無料、午後1時~5時)。
 昔の写真の展示や同温泉街の入浴券の配布、同館を撮影対象とするフォトコンテストなどを実施する予定です。

 詳しくは、動画投稿サイト 「ユーチューブ」 の 「さようなら鹿澤館 お別れ内覧会」 を、ご覧ください。
 ●問合/嬬恋村総合政策課 TEL.0279-96-1257
   


Posted by 小暮 淳 at 11:35Comments(0)温泉地・旅館

2020年06月23日

谷川温泉 「別邸 仙寿庵」


 コロナ自粛解除後、初の温泉は、谷川温泉(みなかみ町) でした。
 しかも仕事ではなく、プライベートでもありません。
 それは何かと問われたら?

 しいて言うなら、公務でしょうか!?
 でも、「みなかみ温泉大使」 としてではありません。
 無理やり、こじつけるならば、自称 “群馬の温泉大使” としての布教活動です。


 世の中には殊勝な人たちがいるもので、こんな僕から夜通し温泉話が聞きたいと、わざわざ東京から3人の若者(男2、女1) が、群馬のみなかみ町くんだりまで来てくださったのであります。
 しかも、「温泉夜話」 の会場に指定してきたのが、なななんと! 「別邸 仙寿庵」 だったのです。

 仙寿庵といえば、群馬を代表する高級温泉旅館であります。
 もちろん僕は、取材で何度か伺ったことはありますが、すべて日帰りです。
 宿泊の時は、いつも本館の 「旅館たにがわ」 にお世話になっていました。
 では、なぜ、若者たちが、そんな高級旅館を指定して来たのでしょうか?

 理由を聞けば、納得。
 3人が勤める会社の社長さん御用達のお宿なのだそうです。
 それにしても、スゴイ!

 でも理由はなんにせよ、そうと決まれば、自粛解除を祝って、豪華に優雅に存分に満喫しようじゃありませんか!
 ということで、昨日は雨の中、いそいそと谷川温泉に向かいました。


 ウェルカムドリンクの生ビールをロビーでいただきつつ、雨に煙る谷川岳を眺めながら、“ご褒美タイム” のスタートです。
 ここからの景色のことを、僕は著書 『みなかみ18湯 (下) 』 の中で、こう書いています。
 <対峙する山並みと庭園を包み込むように曲線を描く廊下は、あたかも美術館のようだ。天井まで続く漆喰(しっくい) と京土壁。和と洋の美しさが、自然の緑と相まって、なんとも不思議な空間を創り出している。>

 約1000坪の建物内に、客室は18部屋のみ。
 いわば、“デザイナーズ旅館” と呼ばれるブームの先駆者のような宿です。
 設計を担当した建築家の羽深隆雄氏は、1998年に仙寿庵で日本建築仕上学会賞の作品賞を受賞しています。
 また2016年には、旅行業界のアカデミー賞とも称されるワールド・ラグジュアリーホテル・アワードで、「Luxury Hideaway Resort」 を受賞しています。


 ま、そんな宿ですら、取材するのと実際に泊まるのでは、大違いです。
 広~い部屋に通されても、ポツンと一人ぼっちで、やることがありません。
 主催者の3人が来るまでは、ひたすら温泉三昧に興じることにしました。
 大浴場と露天風呂、そして客室の露天風呂と、温泉ライター冥利に尽きる贅沢な時間を満喫させていただきました。


 午後6時過ぎ、おじいさん1人と若者3人が、宴の席に揃いました。
 自分で自分のことを “おじいさん” と呼んだのは、だって、3人とも若いんですもの!
 (僕の息子や娘より、若いのです)

 「お会いできて、大変うれしいです」
 「いえいえ、こちらこそ、こんな素敵な宿にお招きいただき、ありがとうございます」
 「まずは、乾杯いたしましょう。小暮さんは、日本酒ですか?」
 「あ、はい……いや、なんでも」
 とかなんとか、世代間ギャップを跳ねのけるべく、一気にのんで、一気に酔って、マシンガンのごとく温泉説法を撃ちまくったのであります。

 気が付けば、宿のスタッフから 「お時間です」 の合図。
 「では、続きは僕らの部屋で」 との誘いに、「私は、もう歳ですから、このへんで」 と断ればいいものの、「いいですねぇ、行きましょう!」 と最年長の自覚もないまま、深夜のトークバトル会場へ。

 結果、話のテーマは温泉から民話、はては妖怪から未確認生物までオーバーヒート!
 それでも、楽しくて嬉しくて、久しぶりに笑い転げました。
 やっぱり、これがリモートではない、“リアル飲み会” の醍醐味なんでしょうね。


 少しずつですが、僕の日常が返ってきました。
  


Posted by 小暮 淳 at 15:18Comments(0)温泉地・旅館

2020年06月03日

老神温泉 「楽善荘」②


 「ありがとうございます。お知り合いの方が、泊りに来てくださいました」
 突然、老神温泉(沼田市) の 「湯元 楽善荘」 の女将さんから電話がありました。
 本当に、お久しぶりです。

 老神温泉には約15軒の宿がありますが、知る人ぞ知る老神ファン御用達の小さな宿です。
 ご夫婦だけで商っているため、全室素泊まりのみ!
 でも屋号に “湯元” と付いているだけあり、湯は絶品!
 もちろん、加水なし、加温なし、完全放流式です。

 だから僕は、取材等で温泉地に入り込む際は、時々、利用させていただいています。


 「知り合い?」
 「はい、○○様です」

 ○○さんが老神温泉へ行かれることは、事前にメールをいただいていましたが、決して僕は 「楽善荘」 の名を出して、薦めたわけではありません。
 ○○さんが、自分で選んだ宿です。

 女将さんから 「ありがとうございます」 なんて、礼を言われる筋合いはありません。
 そう答えると、こんな話もしてくれました。

 「小暮さんのご近所という方が、泊りに来られたこともありましたよ」
 「近所?」
 「ええ、小暮さんは、よく散歩をしていると言ってましたから……」
 「はあ……、では近所の方ですね」
 僕には、思い当たる節がありません。

 「小暮さんの読者だとも、言っていました」
 「はあ……」
 ますます分からなくなってきました。
 町内に、僕の仕事を知っている、マニアックな温泉好きがいたのですね。
 もちろん、僕には、散歩の途中で町内の人と、楽善荘の話をした記憶はありません。

 いずれにしても、お二方とも、大の温泉好きで、僕の本を読んでいて、あまたとある群馬県内の温泉地と温泉旅館の中から、老神温泉の楽善荘を選んだということです。
 僕の本を、そこまで読み込めるとは、かなりの温泉通であります。


 「コロナの影響は、いかがですか?」
 「ええ、大きな宿は、今月いっぱい休むようですよ」
 「今年は大蛇まつり(5月) も中止になってしまいましたものね」
 「本当にね、さみしい限りです」

 女将さん、必ずまた、行きますからね。
 それまで、ご主人と仲良く、元気でいてくださいね!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:48Comments(0)温泉地・旅館

2020年03月16日

霧積温泉 「金湯館」⑩


 朗報が飛び込んできました!

 昨年10月の台風19号により、路肩が崩落して全面通行止めになっていた霧積温泉(安中市) へ続く県道の復旧作業が完了しました。
 これにより、今まで陸の孤島だった一軒宿の老舗旅館 「金湯館」 の営業が本格再開しました。

 良かった! 本当に良かった!


 昨日の毎日新聞に4代目主人、佐藤淳さんのコメントが載っていました。
 <設備に支障はなかったが、県道再開のめどが立たず、廃業も頭をよぎった。>
 収入が途絶える不安から、転職も考えたといいます。でも、
 <伝統ある旅館を自分の代で途絶えさせたくない。>
 と女将の知美さん、先代女将のみどりさんとともに決意を固め、徒歩で来られる登山客らの受け入れを始めました。
 ※(当時の様子は、当ブログの2019年12月1日 「霧積温泉 金湯館⑨」 参照)


 歴史をたどれば、“秘湯” と呼ばれる温泉は、いつの世も災害との闘いのくり返しです。
 霧積温泉も例外ではありません。

 金湯館の創業は、明治17(1884)年。
 往時は旅館が5~6軒あり、別荘が40~50棟立ち並び、避暑地として大いににぎわっていたといいます。
 伊藤博文や勝海舟、幸田露伴、与謝野晶子ら政治家や文人たちも多く訪れています。

 ところが同43年、一帯を山津波が襲いました。
 そして、金湯館以外の建物は、すべて泥流にのみ込まれてしまいました。
 その後、昭和30年代から親族が1キロ下流で旅館を開業していましたが、9年前に廃業。
 金湯館は、また一軒宿になってしまいました。


 県道寸断中のキャンセルは、延べ700人に上ったといいます。
 それでもSNSには 「頑張って続けてください」 「再開したら行きます」 との励ましの言葉が寄せられました。
 また、約30人もの登山客が、約3時間かけて訪ねて来たといいます。

 湯よりも温かい、人の温かさを感じます。


 良かったですね、淳さん、知美さん、みどりさん。
 また会いに行きます!
   


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2020年03月07日

尻焼温泉 「ホテル光山荘」③


 <長笹沢川に架かる橋の名は 「尻明橋(しりあきばし)」 という。かつて 「尻焼(しりやき)」 の文字を嫌って、温泉名を 「尻明」 「白砂(しらす)」 「新花敷(しんはなしき)」 などと称した時代があった。この橋は、その頃の名残である。>
 (『群馬の小さな温泉』 より)


 “群馬の秘湯” と聞いて、尻焼温泉(中之条町) を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?
 一時、雑誌やテレビなどで、川全体が露天風呂になっている野趣あふれる写真や映像が紹介されるやいなや、秘湯ブームに乗っかって、大混雑したことがありました。
 でも今は、また元の湯治場風情に包まれた静かな温泉地にもどっています。

 前日の雪が残る中、昨日は久しぶりに取材で尻焼温泉へ行って来ました。
 名物の川風呂には、平日の午前中にもかかわらず、数名の男性が湯を浴んでいました。
 「あの人たち、近くでキャンプをしている人たちですね」
 そう教えてくれたのは、川風呂から一番近い宿 「ホテル光山荘」 のオーナー、小渕哲也さんです。
 彼とは、かれこれ10年以上の付き合いになります。

 僕は、尻焼温泉のある中之条町の観光大使でもありますが、みなかみ町の温泉大使でもあります。
 そして小渕さんは、みなかみ町のうのせ温泉にある 「旅館 みやま」 のオーナーでもあるため、双方の総会やイベントなど、その他もろもろで大変お世話になっている方でありす。
 今回は、僕が雑誌の取材に来ることを知って、わざわざ旅館まで来てくださいました。


 尻焼温泉の発見は古く、嘉永7(1854)年の古地図に温泉地として記されています。
 川の中の野天風呂として村人たちが利用していたらしいのですが、温泉宿が建ったのは遅く、昭和になってからでした。
 往時は5~6軒の旅館がありましたが、現在は3軒です。
 その中で一番古い宿が、昭和52(1977)年創業の光山荘です。
 宿名の由来は、創業者が “鉱山” を所有していたからだといいます。

 そして3軒の宿の中で唯一、自家源泉を保有しています。
 以前、僕は著書の中で、こんなふうに書いています。
 <湯は熱いのだが、不思議とクールな浴感であることに気づいた。まるでミントの入浴剤に入っているような清涼感である。その感覚は、湯から上がっても変わらない。体が火照ることなく、汗も吹き出さない。なんとも涼しい湯である。>

 「小暮さんの本を読んだ人が、実際に湯を確かめに来るんですよ」
 小渕さんに言われたことがありました。
 「それで?」
 「みなさん、『本当ですね』 と納得して帰られます」


 はたして、今日の湯は?

 源泉の温度は約54度もあります。
 それが加水されることなく、ドバドバとかけ流されているのですから、やはり熱いのです。
 でも、ご安心を!
 浴室には、大きな湯かき棒が置かれています。
 これで豪快に、バシャバシャと湯をもんでやるのです。

 すると不思議不思議、スーッと体が湯の中に入って行くのです。
 それからは、上記のように著書に書いたとおりです。
 清涼感があり、湯上がりも汗が出ませんでした。


 「相変わらず、いい湯ですね」
 「ありがとうございます」
 「湯がいいのは、湯守(ゆもり) の腕がいいからですね」
 「だったら私ではなく、毎日、湯をみている女将に言ってやってください」

 だからロビーで、女将に言ってあげました。
 「グッジョブ!」


 いい湯に出合えると、本当に幸せな気分になりますね。
 オーナー、女将さん、取材協力ありがとうございました。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:08Comments(3)温泉地・旅館

2020年01月29日

上牧温泉 「辰巳館」⑧


 今さら辰巳館については、語ることはないのですが……

 大正時代に初代が温泉を発見した上牧温泉で最も古い旅館であること。
 源泉は弱アルカリ性で、昔から 「化粧の湯」 と呼ばれ美肌効果があること。
 「裸の大将」 で知られる山下清画伯が滞在して、浴室に大壁画を描き残した宿であること。
 などなど、復習の意味も込めて、バスの中でスピーチをさせていただきました。

 昨日は、NHK文化センターの野外温泉講座日でした。
 僕は講師を11年務めています。
 上牧温泉(みなかみ町) の老舗旅館 「辰巳館」 を訪れるのは、この講座では3回目となります。

 昨年実施した受講生への 「もう一度行きたい温泉旅館」 のアンケートでも一番人気の宿です。
 ということで、リクエストにお応えして2020年新春第1回目の講座は、辰巳館に決りました。


 人気の理由は、湯の良さもさることながら 「献残焼(けんさんやき)」 と呼ばれる料理にあります。
 雪深い上越地方に伝わる郷土料理で、高貴な方に献上した物のおすそ分けを焼いて食べたことから名付けられたといいます。
 また昔、上牧では上杉と武田の豪族の戦いが長いこと続いたといわれ、武士が夕焼けの空を背に山菜や川魚を剣に刺して、焚き火にかざして焼いたからともいわれています。
 赤々と燃える炭火の上で、串に刺した川魚や地鶏、旬の野菜を焼いていただきます。

 辰巳館には、大切にしている 「三温」 と呼ぶ3つの “温もり” があります。
 人の温もり、湯の温もり、そして、この旬を食す炭火の温もりです。


 「かんぱーい!」
 「今年もよろしくお願いしまーす!
 湯上がりに地ビールを呑みながら炭火を囲んで新春の宴が始まりました。

 受講生のみなさん、よろしくお願いいたします。
 今年も名湯・秘湯をたくさんめぐりましょうね!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:18Comments(0)温泉地・旅館

2020年01月10日

大胡温泉 「三山の湯 旅館 三山センター」⑬


 「小暮さん、今年もよろしくお願いします」

 毎年、正月の三が日が過ぎると、必ず電話をくださる女将さんがいます。
 大胡温泉(前橋市) の一軒宿、「三山センター」 の中上ハツヱさんです。
 もう、15年近く続いています。


 思えば、大胡温泉との出合いは、とても衝撃的でした。

 我が家から近いということもあり、ふらりと湯をもらいに立ち寄った時のことです。
 帰りしなに、玄関前を掃除する女将さんとバッタリ会い、立ち話を始めました。
 「とっても温まる、いい湯でした」
 そう感想を告げた僕に、女将さんから返って来た言葉が、長い付き合いのはじまりでした。

 「まさか温泉だったとは、私も驚きました」
 「えっ、温泉だったって?」
 「最初は、ただの井戸水を温めていただけだったのにね」

 その言葉を聞いた僕は、
 「ぜひ、取材をさせてください!」
 と詰め寄り、2度3度、いえいえ、もう何十回取材に訪れたか分かりません。


 <神経痛が治る魔法の井戸水は天然温泉だった> 
 <平成の世に湧いた痛みがやわらぐ奇跡の井戸水>

 新聞や雑誌、著書などで、その不思議な湯について記事にすると、大反響になりました。
 県内はもとより、県外からもウワサを聞きつけた浴客がやって来るようになり、しまいには、大学の教授までもが 「湯を調べたい」 と言って来たほどです。

 以来、女将さんとは長い付き合いを続けています。


 9年前、東日本大震災の時も僕は大胡温泉にいました。
 群馬テレビで 『温泉ライター 小暮淳の素顔』 という番組を収録する時も、ロケ地は大胡温泉でした。
 また昨年は、クリエーター仲間20名が集まり、大胡温泉で新年会を開きました。

 「小暮さんがいなかったら、うちなんて、つぶれていましたよ」
 なんて、うれしいことを言ってくれる女将さん。
 だから僕は、いつも、こう返します。
 「何言ってるんですか、湯がいいからですよ」


 現在、大胡温泉は日帰り入浴はやっていません。
 「宿泊客が多くなって、忙しくなっちゃったのよ。それに、もう歳だしね」
 と笑います。

 でも、宿泊客が増えたというのは、喜ばしいことです。 
 歳だって、まだまだ平均寿命内ですよ!

 女将さん、元気で100歳まで続けてくださいね。
 今年もよろしくお願いいたします。 
   


Posted by 小暮 淳 at 16:44Comments(2)温泉地・旅館

2019年12月18日

馬頭温泉 「南平台温泉ホテル 観音湯」


 “元祖 美人の湯”
 その刺激的なコピーに誘われました。

 元祖があるなら、本家も始祖も発祥もあるのだろうか?
 そもそも 「美人の湯」 とは、なんぞや?


 日本には 「三大美人の湯」 といわれる温泉があります。
 川中温泉(群馬県)、龍神温泉(和歌山県)、湯の川温泉(島根県) です。
 この3つの温泉に、共通の泉質はありません。
 では、なぜ、この3つの温泉が 「美人の湯」 と呼ばれるようになったのでしょうか?

 出典は大正~昭和にかけて発行された 『温泉案内』(鉄道省編) という冊子にあります。
 これに 「色を白くする湯」 という項目があり、3つの温泉地の名前が掲載されています。
 決して “美人になる湯” と書かれているわけではありません。

 でも昔から肌の美しさは、美人の条件に欠かせないものでした。
 そこで、美白→美肌→美人となったようです。


 その “元祖” だといいます。
 いかがな湯なのでしょうか?
 ということで昨日は、僕が講師を務める野外温泉講座にて、その検証のために馬頭温泉(栃木県) へ行ってきました。

 最初に源泉を掘り当てたのは、ホテルの創業者でした。
 昭和48年(1973) のことですから 「日本三大美人の湯」 よりは、だいぶ後発の温泉地だといえます。
 それでも “元祖” にこだわるのは、そのアルカリ度の高さゆえなのでしょう。
 水素イオン濃度を示すPH値は、9.6です。
 群馬県内の温泉でいえば、真沢(さなざわ)温泉(みなかみ町) と同レベルの高濃度です。
 真沢温泉も地元では、「美人の湯」 と呼ばれています。
 ※(群馬県内には、さらに高濃度のアルカリ性温泉があります)


 「うわ~、ウワサどおりのヌルヌルですね~!」
 受講生たちは湯舟の中で、体をさすりながら、はしゃぎます。
 「真沢の湯に近いですね」
 とは、古参の受講生。
 さすがです!
 ピッタリとPH値まで一致しています。

 「先生、私が誰だか分からないでしょう? キレイになり過ぎて!」
 湯上がりに女性の受講生が、すり寄ってきました。
 「あっ、本当だ! あんまり若くて美しくなっちゃって、気づきませんでしたよ(笑)」

 でもね、必ずしも 「美人の湯」 = 「若返りの湯」 ではありませんからね。
 美しい人は、より美しく。
 そうでない人は、それなりにです。


 さて、今年も1年間、この講座では県内外の名湯・秘湯をめぐって来ました。
 来年は、どんな湯にめぐり合えるのでしょうか?
 楽しみにしています。
  


Posted by 小暮 淳 at 16:11Comments(0)温泉地・旅館

2019年12月11日

宝川温泉 「汪泉閣」⑦


 「グラフぐんま」(企画/群馬県、編集・発行/上毛新聞社) というグラビア雑誌をご存知ですか?
 たぶん、群馬県民なら一度は見たことがあると思います。
 県内の銀行や公共施設には、必ず閲覧用に置かれている雑誌です。

 僕は、この雑誌に2年前から 『ぐんま湯けむり浪漫』 という記事を連載しています。
 最新の12月号で、第24回を数えます。
 そして、迎える新年号は?

 「県から、雪の露天風呂シーンが欲しいとの要望がありました」
 との相談が、前回の打ち合わせ時に担当編集者からありました。
 長年、雑誌の編集に係わっていますが、この“季節感の要望” というのが、一番の悩みのタネであります。

 そう、月刊誌にしろ、季刊誌にしろ、取材するのは発行の数ヶ月前なのです。
 「桜の写真が欲しい」 と言われても、取材するときは完全につぼみの状態です。
 雪だって、この暖冬では期待できません。
 ので、取材日を引っ張って、引っ張って、現地の様子をうかがっていました。

 そしたら先週、「みなかみ町で積雪15cm」 の報告が入りました。
 「だったら、さらに奥の豪雪地帯で知られる藤原地区なら30cmは積もっただろう!」
 とスケジュールを組んで、本日、宝川温泉へと行ってきました。

 ところが……

 暖かい!
 持参したコートを一度も着なかったぐらい暖かいのです。

 そして案の定、どこを探しても雪はありません。
 遠く眺める谷川岳が、わずか山頂部分に雪化粧をしているだけです。

 ということで、グラビアのカメラマンには後日、出動していただくことにして、僕と編集者、そして地元の観光協会職員に同行してもらい、取材を進めることになりました。


 宝川温泉といえば、“天下一” と称される巨大露天風呂です。
 4つある露天風呂の総面積は、約470畳分!
 そのスケールは、川と見まがう大きさで、かつて温泉評論家たちが選ぶ 「全国露天風呂番付」 で、“東の横綱” の地位にに輝いたことがあるほどです。

 でも、“天下一” と称される理由は、大きさだけではありません。
 このサイズの露天風呂が、加温なしで、完全放流式(かけ流し) であることです。
 それができるのも温度と、そして毎分約1,800リットルという恵まれた湯量があるからであります。


 入浴シーンの撮影は、2番目に大きい(120畳) の 「摩訶の湯」 で行いました。
 いつもは、著者1人での入浴が多いのですが、今回は同行した観光協会職員の男性にも一緒に入ってもらいました。

 すでに、ご存じの方もいるかもしれませんが、ここの露天風呂は混浴(1つ女性専用あり)ですが、今年から男性も 「湯浴み着」 の着用が義務付けられました(女性は3年前から)。
 僕は今までの取材では、いつも全裸だったので、なんとも違和感のある撮影でした。

 でも今のご時世、外国人観光客も増え、スマホによる盗撮が多発している現状を考えると、仕方がないのかもしれませんね。
 温泉ファンとしては、さみしい限りであります。
 いずれ日本から(着衣なしの純然たる)混浴文化が消えてしまうのではないかと……


 日本の温泉文化の未来に憂いながらも、無事、取材を完了!
 今日も宝川温泉は、外国人のカップルやファミリーで、いっぱいでした。

 クール・ジャパン!
 (宿泊客の4割が外国人とのことです)

   


Posted by 小暮 淳 at 21:58Comments(0)温泉地・旅館

2019年12月04日

うのせ温泉 「旅館 みやま」③


 「小暮さん、ありがとうございます」
 「えっ?」
 「記事にしていただいて」
 「はあ……」
 この時点で、僕は何のことを言われているのだか分かりませんでした。

 電話の主は、県内で温泉旅館をいくつも経営するオーナーさんです。
 過去に、たびたび取材でお世話になり、講演や会合でも顔を合わせています。

 「令和元年11月15日の 『ちいきしんぶん』 です」
 それを聞いて、やっと合点がいきました。
 僕は現在、高崎市のフリーペーパー 『ちいきしんぶん』 に 「はつらつ温泉」 というコラムを連載しています。
 このコラムで 「牧水ゆかりの宿」 と題し、歌人の若山牧水が訪れた温泉宿を紹介しました。

 ただ、オーナーが経営する、うのせ温泉(みなかみ町) の 「旅館みやま」 に牧水が泊まったわけではありません。
 牧水は、大正11(1922)年10月21日、沼田市の 「鳴滝」 という旅館に投宿しました。
 その建物が、旧水上町に移築されて、現在の 「旅館みやま」 となりました。
 コラムでは、そんなエピソードを書かせていただきました。
 ※(移築・再建までの詳細は、当ブログの2010年6月11日 「うのせ温泉 旅館みやま」 および 2013年1月22日 「うのせ温泉 旅館みやま②」 を参照)


 「えっ、どうして、ご存じなんですか?」
 ちいきしんぶんは、高崎市内だけに配布されているフリーペーパーです。
 遠く、みなかみの地へ、どうやって運ばれたのでしょうか?

 「お客さんですよ! この記事を持って、グループで泊まりに来られたお客さんがいたんです」

 「へーーー!!!」
 思わず、ため息をもらしてしまいました。
 小さな冊子の小さな記事です。
 それなのに、温泉ファン、牧水ファンは見逃さないのですね。

 ああ、この仕事を続けていて良かった!
 と、つくづく思いました。


 「小暮さん、ぜひ、お出かけください。また一緒に飲(や)りましょう」
 「はい、ぜひぜひ、お願いします」

 牧水のように、旅を愛し、湯を愛し、酒を愛して生きていたいですね。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:29Comments(0)温泉地・旅館

2019年12月01日

霧積温泉 「金湯館」⑨


 今年は例年になく台風が猛威をふるい、全国に爪跡を残しました。
 群馬は強風による被害は少なかったものの、大雨による災害が各地で起こりました。
 温泉宿も例外ではありません。

 台風19号による豪雨のため、霧積温泉(安中市) の一軒宿、金湯館へ向かう唯一の道路(県道北軽井沢松井田線) の路肩が約20メートルにわたり崩落して、現在も全面通行止めです。
 車だけでなく、人も通れません。

 それでも金湯館は、営業を続けています。
 それは宿が長野県境にそびえる鼻曲山(1655m) への登山口にあるからです。
 行楽シーズンの予約取り消しなどで大きな打撃を受けていますが、それでも温泉を愛する常連客たちが険しい山道を歩いて泊まりに来て、ご主人や女将さんを激励しているといいます。


 先日、新聞に4代目若女将の佐藤知美さんのコメントが掲載されました。
 <この状況がいつまで続くか不安な毎日だった。たくさんの人たちに励まされ、どんな状況でも頑張ろうと思えた。早急な対応に感謝している。>

 群馬県は国と協議し、災害査定を待たずに事前着工する応急本工事を開始しました。
 順調に進めば、来年1月末までに工事を完了する見通しです。


 僕が最後に金湯館を訪れたのは、昨年の今頃でした。
 雑誌の取材で3代目女将の佐藤みどりさん、4代目の淳さん、知美さん夫妻にお会いしました。
 いつお会いしても明るく、あったかなもてなしで迎えてくださる素敵なご家族です。

 道路が開通する頃には、宿のシンボルである “水車” が見事に氷結していることでしょうね。
 それまで頑張ってくださいね。

 また、会いに行きます!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:01Comments(0)温泉地・旅館

2019年11月16日

高原千葉村温泉 「高原千葉村」④


 温泉ファンの間では、“幻の温泉” とも呼ばれた群馬県内でもマニアックな温泉です。
 その名も、高原千葉村温泉。

 なぜ、そんなネーミングなのか?

 場所は、みなかみ町相俣。
 昭和48年(1973) に、千葉県千葉市が市民の保養目的しとて建てた施設なのです。
 約41万500平方メートルの敷地にキャンプ場、スキー場、テニスコート、青少年自然の家、ロッジ、ログハウスなどの野外スポーツ施設を所有しています。

 温泉が湧いたのは昭和53年(1978)。
 昔から雪解けの早い所があり、掘削したところ湧出したとのこと。
 ところが、この温泉が、たちまち評判になりました。
 このあたりでは珍しい、硫黄を含んだ乳白色の湯だったのです。

 「季節や天候によって色が変化する不思議な湯です」
 最初の取材時、当時の管理事務所長さんが言った言葉を覚えています。

 僕は過去に3回訪ねていますが、確かに3回とも色が違いました。
 1回目は、少し緑がかった抹茶ミルク色。
 2回目は、完全なる乳白色。
 3回目は、半透明で湖のように神秘的なエメラルドグリーンでした。

 では、なぜ、温泉ファンから “幻の温泉” といわれたのか?

 まずは、群馬県にありながら千葉市の施設だということ。
 もちろん一般客も 「市外者料金」 を払えば利用は可能ですが、あまり知られてなかったようです。
 そして一番の理由は、日帰り入浴客を受け入れていなかったことです。
 この二重のハードルのため、なかなか温泉ファンでも未体験の人が多い温泉でした。


 さて、ここまで読んで、なにか気づきませんでしたか?
 そうです! 僕の文章が 「でした」 と過去形なんです。
 残念ながら、利用者数低下などの理由により今年の3月で廃止されてしまいました。

 でも、ご安心ください!
 みなかみ町が今年4月、千葉市から施設を取得いたしました。
 そして現在、施設運営を希望する民間業者を募集しています。
 ぜひ、温泉好きの経営者さんがいましたら、ご一報ください!
 みなかみ温泉大使からのお願いです。

 幻の温泉を復活させましょう!

 ●問い合わせは、みなかみ町観光商工課 TEL.0278-25-5018
 
   


Posted by 小暮 淳 at 11:43Comments(4)温泉地・旅館

2019年11月12日

赤城温泉 「赤城温泉ホテル」⑦


 <成し終えて 赤城の山に 果てるとも 湧き出る湯こそ 吾命かな>

 宿の玄関前で、8代目主人の故・東宮欽一さんが詠んだ歌が出迎えてくれました。
 欽一大伯父は、僕の母方の祖母の弟であります。

 「おじさん、また来たよ」
 そう、心の中で歌碑に呼びかけながら、館内に入りました。


 「大変、ご無沙汰しています」
 「また、よろしくお願いいたします」
 満面の笑みで出迎えてくれたのは、10代目主人の東宮秀樹さんと、女将の香織さん。
 秀樹さんと僕は、はとこの関係になります。

 「今でも小暮さんの本を持って来られる方がいますよ」
 「うれしいですね」
 「決まって、『著者の小暮さんとは親戚なんですよね』 と言われます(笑)」

 本とは、2010年9月に出版した 『群馬の小さな温泉』(上毛新聞社) のことです。
 この本で僕は、赤城温泉はかつて 「湯之沢温泉」 と呼ばれていたこと、赤城温泉ホテルの前身は 「東屋(あづまや)」 だったこと、そして、我が一族の “ルーツの湯” であることを書きました。

 子どもの頃から、慣れ親しんだ温泉です。
 創業300年の昔から先祖たちが、脈々と守り継いできた命の湯であります。

 昨日は雑誌の取材で、赤城温泉へ行ってきました。


 「相変わらず、いい色をしていますね」
 カメラマンのT君が、浴室でセッティングをしながら言いました。
 「あれ、T君は、ここ初めてじゃないんだ?」
 「いやだな~、小暮さんたら! D(雑誌名) の取材で来たじゃないですか!」

 そうでした、彼は、初代の 「海パンカメラマン」 でした。
 もう、かれこれ10年以上も前の話です。
 めぐりめぐって、また、こうして一緒に仕事をしているのも、彼とは縁があるんでしょうね。
 ※( 「海パンカメラマン」については、当ブログ内で検索をしてください )


 今日も茶褐色の “にごり湯” は健在です。
 加水なし、加温なし、完全かけ流しゆえ、その湯の色は濃厚です。
 湯舟からあふれ流れた湯の通り道は、黄土色の析出物が堆積して、鍾乳石のような模様を描いています。
 また露天風呂では、析出物が、まるでサンゴのように無数の突起を持ったオブジェを作り出しています。

 さらに、運が良ければ見られるという 「石灰華(せっかいか)」 まで漂っていました。
 これは温泉成分である炭酸カルシウムが、湯葉のような白い膜となって湯面を覆う現象のことです。
 僕でさえ、今までに数回しか見たことがありませんから、かなりラッキーでした。


 赤城温泉の歴史は古く、起源は古墳時代ともいわれ、奈良時代の書物には、すでに記述があります。
 何百年、何千年と湧き続ける命の湯。
 それを守り続けてきた先祖に、ただただ感謝であります。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:38Comments(2)温泉地・旅館