温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2016年10月01日

伊香保温泉 「和心の宿 オーモリ」③


 昨晩は、伊香保温泉の 「和心の宿 オーモリ」 に泊まってきました。
 といっても取材ではありません。
 だからといってプライベートでもありません。

 仕事(のうち) です!(キッパリ)


 僕は、「プロジェクトK」(代表/桑原一) というクリエイティブネットワークに所属しています。
 ひとことで言えば、群馬県内外で活動するフリーランスのクリエイター集団です。
 2006年の秋に結成、今年で11年目を迎えました。

 メンバーは現在、ライターやデザイナー、イラストレター、カメラマンなど、21人が登録しています。
 なかには、画家や彫刻家、絵本作家、書家、建築家などのアーティストも参加しています。
 で、昨晩は、この集団の11回目の総会が、伊香保温泉で開かれました。


 「いらっしゃいませ。小暮さんは、いっつも元気ですねぇ~」
 いつものように女将の大森典子さんの笑顔に出迎えられました。
 「また、お世話になります」
 「でも今日は取材じゃないんですよね。ごゆっくりしてください」

 午後4時半
 部屋に着くと、すでに3~4名の先客がビールを飲んでいます。
 「ずるい! とりあえず僕も “お着きビール” を1杯いただきたい」
 「だめですよ、その前に、会費を払ってください」
 と幹事。

 そうでした。
 「懇親会+宿泊セット」 で申し込んでいたのでした。


 総会は会議室を借りて、1時間程度で終了。
 2015年後期~2016年前期の活動報告と、今後のプランが話し合われ、現在進行中の企画として、僕の温泉本や他のメンバーのガイド本、イベント予定などが報告されました。

 総会とは名ばかりで、もちろんお目当ては “温泉” と “宴会” であります。
 終了後、一目散に大浴場へ。

 何度も訪れている僕にとっては勝手知ったる湯ではありますが、やはり、取材で1人ぼっちで入る湯と、気の置けない仲間たちとワイワイ入る湯は、違います。

 「小暮さんは、何度も入っているの?」
 「ええ、まあ…」
 「いいなぁ~!」
 「とりあえず、温泉ライターを名乗っているもので」
 「そうでした。失礼しました」
 ドッと笑いが沸いて、にぎやかな湯浴みとなりました。



 懇親会は、お決まりの酒池肉林の宴となりました。
 ビール、ワイン、日本酒が飛び交い、2次会場へ。
 気が付けば、あっという間に午前様です。

 それでも話し足りないのか、各自が部屋にもどって3次会を開くツワモノたちも……。


 誰もが、フリーランスで生きていく不安を抱えています。
 でも、こうやって年に数回、顔を合わせれば、未来の不安よりも夢の大きさのほうが勝っていることを確認し合えます。

 良き仲間に出会えたこと、本当に誇りに思います。
 次は、忘年会でお会いしましょう!
   


Posted by 小暮 淳 at 14:04Comments(2)温泉地・旅館

2016年09月28日

熊の湯温泉 「熊の湯ホテル」


 「熊の湯温泉は、熊の湯ホテルだけです」


 昨日は、月に1回の野外温泉講座日でした。
 僕は8年前からNHK文化センター前橋教室で、温泉の講師をしています。
 基本は群馬県内の名湯・秘湯をめぐっていますが、年に数回、隣県の温泉にも足を延ばします。

 平成28年度前期の最終講座は、長野県(下高井郡山ノ内町) の熊の湯温泉へ行ってきました。
 天気は、快晴! 晴れ男、復活!! であります。
 標高2,000メートルの山々に囲まれた志賀高原をバスは、快適に登っていきます。

 突然、「ようこそ、ほたる温泉」 の看板が……。
 ん? そういえば、誰かが「熊の湯は今、ほたる温泉になった」 とか言っていたなぁ……。
 そんなバカな! 熊の湯は、熊の湯でしょ!!
 でも、ガイドブックの中には、このへんがゴッチャになっていて、「熊の湯には数軒の宿がある」 と表記がされていることも……。

 ホテルに到着して、フロントに駆け寄った僕の開口一番は、この疑問をぶつけました。
 で、その答えが冒頭の言葉です。

 昔も今も熊の湯温泉は、大正10年(1921) 創業の 「熊の湯ホテル」 だけです。
 一軒で、源泉と温泉地名を守り続けている正真正銘の “源泉一軒宿”。
 なんでもスキー場ができて、まわりにホテルや旅館が建ち、かつては熊の湯温泉を名乗る宿があったそうで、その混同をさけるために、新たに 「ほたる温泉」 と命名したそうです。

 これでスッキリ!

 謎が解明されれば、1分1秒でも早く温泉に入りたい。
 さっさと荷物を置いて、タオルを持って出かけようとすると、
 「先生、ダメですよ。いつも私たちに言っているじゃありませんか。宿に着いたら、お菓子を食べて血糖値を上げ、お茶を飲んで水分補給をしなさいって!」
 受講生たちに引き止められました。

 こりゃ~、マイッタ! 一本取られましたな。

 それでもはやる気持ちは抑えられません。
 お茶をひと口飲んで、男性有志らと浴場へ。

 「先生、先に行って見てきますよ」
 「ああ、頼みます」
 僕の胸は、ドキドキと波打っています。
 はたして、今日の湯の色は?


 温泉ファンなら、お分かりですよね。
 熊の湯といえば、全国でも数少ない緑色の湯が湧くことで有名な温泉です。
 でも、その色は天候や気温によって、乳緑色や緑がかった透明になったりします。
 さて、今日の色は?

 「先生、きれいです。鮮やかなエメラルドグリーンです!」

 おお、おおおおおお!!
 素晴らしい!
 目が覚めるような黄緑色の湯が、惜しみなくザバザバーと流れています。

 「うちの風呂と同じ色ですよ」
 「えっ?」
 「バスクリーンを入れてますから」
 受講生のジョークに、爆笑が起こりました。

 それにしても不思議な色をしています。
 温泉って、なんて神秘なのでしょうか。

 見上げれば、青い空と白い雲。
 ほのかに漂う硫黄の香り。

 もっともっと、こうして緑色の湯につつまれていたい。
 もうしばらく、湯上がりのビールはおあずけにして、極上の湯浴みを存分に堪能することにしました。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:58Comments(2)温泉地・旅館

2016年09月16日

法師温泉 「長寿館」⑥


 <小暮さんが断ってくれなかったから、本当に大変なんです>

 2週間前、法師温泉 「長寿館」(群馬県みなかみ町) の6代目主人、岡村興太郎さんからメールが来ました。
 なんのことかといえば、現在、上毛新聞に毎日連載されている氏のエッセイ 『心の譜』 のことです。
 ※(いきさつについては、当ブログ2016年8月29日 「『心の譜』連載スタート!」 を参照)

 今日、17話が掲載されました。
 “大変” なのは、察するところです。
 そして、“大変” なことは百も承知で、「受けたほうがいいですよ」 と僕は説得したのでした。
 連載が始まった今となっては、岡村さんの苦労は棚に上げて、「やっぱり、説得して良かったと」 と思いながら、日々紙面に目を通しています。

 話は、1300年前の弘法大師の発見から始まり、明治8年(1875) の創業者・岡村貢氏の功績、そして岡村さん自身の生い立ちと続き、いよいよ 「秘湯を守る会」 や 「文化遺産を守る会」 の活動に触れる佳境に入ってきました。
 毎日、朝起きると真っ先に新聞を広げ、夢中になって読んでいます。

 ご本人が語っているだけあって、取材では拾えないような事細かなエピソードがちりばめられています。
 連載が完結したら、ぜひ本にしていただきたい素晴らしい内容です。


 さて、法師温泉といえば、群馬が全国に誇る人気の秘湯の宿であります。
 古くは旧国鉄の 「フルムーン」 ポスターになり、最近では映画 『テルマエ・ロマエ』 の舞台になりました。
 川端康成や与謝野晶子、直木三十五など、数多くの文人墨客も訪れています。

 で、忘れちゃならない人物がいます。
 旅と湯と酒をこよなく愛した歌人、若山牧水です!
 大正11年(1922) 年10月22日に来館しています。
 そして翌日は、笹の湯(旧・猿ヶ京温泉) を経て、湯宿温泉(みなかみ町) まで旅をします。

 と、いうことで!
 牧水が訪ねた時と、まったく同じ日に、同じ行程を歩こうというイベントが来月、法師温泉をメイン会場に開催されることになりました。
 もちろん、「みなかみ温泉大使」 として僕も参加いたします。

 詳細は、後日ブログにて公開いたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:36Comments(2)温泉地・旅館

2016年09月14日

伊香保温泉 「千明仁泉亭」


 文亀二年創業

 といわれてもピンときませんが、西暦で1502年と知ると、「おおお~!」 と感嘆の声を漏らしてしまいます。
 今から514年前といえば、室町時代です。
 もちろん、伊香保温泉で一番歴史の古い老舗旅館ということになります。

 昨日は6年ぶりに 「千明仁泉亭」 を取材で訪ね、22代目女将の千明佳寿子さんのご厚意により、泊まってきました。


 仁泉亭といえば、伊香保をこよなく愛した文豪、徳富蘆花(とくとみろか) が常宿にしていたことで有名です。
 <上州伊香保千明の三階の障子開きて、夕景色を眺むる婦人。>
 で始まる名作 『不如帰(ほととぎす)』 も、ここで書かれました。

「当館には11回、泊まられています。亡くなられたのも当館でした。いつも泊まられていたのは三階の角部屋、そう、今日泊まられる部屋と同じ場所ですよ」

 えっ、蘆花と同じ部屋に泊まれるの!?
 と一瞬、喜んでしまったが、同じなのは“場所” でした。
 蘆花が泊まったのは、明治31年から亡くなった昭和2年の間です。
 現在の建物は、旧館が大正10年、本館が昭和10年の建築ですから、当然、部屋は現存していません。
 ※(ただし臨終の部屋は、現在でも 「徳富蘆花記念文学館」 に保存されています)

 僕的には、大正11年に泊まった歌人の若山牧水が一番興味のあるところです。
 それに谷崎潤一郎や与謝野晶子なども泊まっています。
 女将さんからポンポンと飛び出す文人たちのエピソード話に、ワクワクしながらのインタビューとなりました。


 仁泉亭の自慢は、歴史と文学だけではありません!
 一番の魅力は、なんたって温泉でしょう。
 浴槽に注がれる湯は、もちろん茶褐色ににごる伊香保伝統の 「黄金(こがね)の湯」源泉です。

 そして、その湯量がスゴイ!
 源泉の総湯量(毎分約4,000リットル) の3分の1が、仁泉亭に流れています。
 部屋数は34室ですから、宿泊者1人当たりの源泉量は伊香保で1番多いといえます。

 ま、百聞は一見にしかず!
 凄いのなんのって、大浴場も露天風呂も貸切風呂も、正真正銘100%源泉かけ流しです。
 といっても、チョロチョロと湯がこぼれる子供だましのオーバーフローではありませんぞ!
 ザーザー、ジャバジャバ、ビショビショと完全たれ流し状態なのであります。

 極めつけは、なんといっても深さ1mの 「仁乃湯(めぐみのゆ)」。
 湯舟のサイズは5m×3m!
 これは、もう風呂ではなくプールなのです。
 その巨大な浴槽から、ザバーザバーと勢い良く湯が流れているわけですから、湯の中に立っていると水圧で流されそうになるのです。

 「おっとっと、おっとっと」
 と、よろけたふりをして、ついつい、泳いでしまうのでした。
 これが、“立ち湯” ならではの醍醐味なのであります。

 温泉大国の群馬広しといえども、“立ち湯”のある旅館は、いくつもありませんからね。
 これは、ぜひ一度、みなさんにも体験していただきたい!


 いや~、伊香保って、知れば知るほど奥の深い温泉ですね。
  


Posted by 小暮 淳 at 22:28Comments(2)温泉地・旅館

2016年09月07日

伊香保温泉 「遊山の里 とどろき」


 「とどろき」 って、「轟」 じゃなかったっけ!?

 そう、僕はホテルの前に立った途端、漢字の “轟” を連想したのです。
 だって、伊香保の 「ホテル轟」 といえば、高校時代に強烈な思い出があるからです。


 1970年代に大ヒットした青春ドラマ 『俺たちの旅』。
 中村雅俊演じる主人公のカースケたちは、立ち上げた 「なんでもする会社」 の仕事で榛名山へやって来ます。
 榛名湖畔で野宿をしながら、各々が仕事へ出かけます。
 そして、カースケが行った先が、「ホテル轟」 での清掃の仕事だったのです。

 ま、そこで偶然にも昔の親友やあこがれのマドンナ(竹下景子です) と再開し、ドタバタ劇が始まるんですけどね。

 当時、僕は毎週、夢中になって見ていましたから 「ホテル轟」 の名前は鮮明に覚えているのです。


 「ええ、前身はホテル轟です。3年前に経営が替わり、平仮名に屋号を変えました」
 と総支配人の荒川浩さん。

 なるほど、それで納得です。
 経営も替わり、建物も当時の物じゃないけれど、それでもカースケたちが訪れた宿に、こうして取材に来れたことを幸せに思いました。



 特筆すべきは、伊香保では珍しい本格石窯ピザが食べられるレストラン 『伊香保 精養軒』 が併設されていること。
 昨日も、平日の昼を過ぎた時間帯にもかかわらず、店内は観光客や若い女性たちでいっぱいでした。
 一番人気は、切干大根がトッピングされた 「伊香保ピザ」。
 ミスマッチのような、まさかの具材ですが、これがウマイ!
 新たな伊香保名物になる予感がします。

 もちろん、大浴場も露天風呂も、しっかり、いただいてきました。

 湯の中では、なにげに若き日の竹下景子の美貌を思い浮かべていました。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:57Comments(2)温泉地・旅館

2016年08月23日

本白根温泉 「嬬恋プリンスホテル」③


 「先生、やっぱり髪を染めたほうがいいよ」
 このところ、講座で受講生から、そう言われることが多くなりました。
 そのココロは?

 “晴れ男” の妖力が落ちたからです。

 僕は2008年から丸8年間、NHK文化センターの野外温泉講座の講師をしています。
 毎月ですから、すでに100ヶ所近くの温泉地を講座で訪ねているわけです。
 でも、そのうち雨に降られた日は、ほとんどありませんでした。
 ところが……、今年度は、やたらと雨にたたられているのです。

 「先生が髪を染めるのを止めたからだよ」
 講座では、そんなウワサが、まことしやかに流れるようになっていました。


 さてさて、そんな逆風の中で迎えた本年度の第5回講座。
 今日、向かったのは本白根温泉(群馬県吾妻郡嬬恋村) の 「嬬恋プリンスホテル」 です。
 ここだけは、何がなんでも晴れてもらわないと困ります。
 だって、全国でも珍しい “露天風呂しかない宿” なんです。

 なんでか?
 それは絶景が売りだからです!
 標高1,126m(いいフロ) の高原からは、浅間山や四阿山~本白根山の山並みを望む大パノラマが広がります。
 だもの、もし、雨だったら……
 講師として、受講生たちに合わせる顔がありません。

 ところが天気予報では、台風9号が大接近!
 しかも火曜日に、ドンピシャ上陸かも!?!?
 なんていう状況で、講座開講以来初の “中止” もありえることに!

 ああ、神様、仏様、薬師如来さま~!
 我に、ふたたび “晴れ男” の妖力を授けたまえ~!
 と、この数日間は、祈り続けていたのであります。


 そして、迎えた当日。
 見事に晴れました!
 台風一過の青空です。

 「先生、面目躍如ですね」
 「もう大丈夫です。これで完全に “晴れ男” の妖力が戻りました」
 「では、髪の毛もそのままで」

 そう言って、湯舟の中で受講生たちと笑い合ったのであります。


 「カンパ~イ!」
 湯上がりは、恒例の生ビールで高原の夏を存分に満喫したのでした。

 めでたし、めでたし。
 晴れ男、復活!
    


Posted by 小暮 淳 at 21:25Comments(3)温泉地・旅館

2016年08月10日

伊香保温泉 「ホテル きむら」


 伊香保温泉は、ワンダーランド!
 訪ねれば訪ねるほど、巡れば巡るほど、知れば知るほど、ますます、もっと先を見たくなります。
 僕は現在、ライフワークのように毎週、伊香保温泉を歩いています。

 昨日は、ロープウェイに乗って、温泉街を一望する物聞山(ものききやま) の山頂へ。
 標高976mの見晴展望台からは、絶景の大パノラマを堪能!
 前橋市内は猛暑でも、ここは別天地です。
 高原の午後を満喫してきました。


 山から下りれば、もちろん待っているのは温泉です。
 昨晩は、3代目主人の木村幸久さんのご厚意により、「ホテル きむら」 に泊めていただきました。
 「ホテル きむら」 は、ロープウェイから降りて、右に行った最初の宿です。

 玄関の入口に、大きなセピア色した写真が貼られているのに気づきました。
 昭和初期の伊香保石段街の風景で、富岡製糸所の女工さんたちが大勢写っています。

 目を凝らして、よーく見ると、女工さんたちが立つ石段の脇に、看板が写っています。
 「湯宿 木村利平客室」 と読めます。

 説明書きには、<時の流れを物語る貴重なケヤキ彫り看板はフロントの壁面に現物が飾られている> とあります。
 もちろん、フロントに立った僕の第一声は、
 「その看板、見せてください!」

 昭和40(1965)年、先代が現在地に移転し、現在の「ホテル きむら」 が誕生したとのことです。


 4階の大浴場にある展望露天風呂は、畳敷きの樽風呂という珍しい造り。
 子持山や小野子山の稜線を西陽が照らす夕景を眺めつつ、サラリとした 「白銀(しろがね) の湯」をのんびりと浴みました。

 湯から上がれば、目指すは1つ!
 1分でも早く、食事処にたどり着き、生ビールを注文すること。
 「カンパイ! お疲れさまでした」
 と、カメラマン氏と祝杯を上げていると……

 「レディース&ジェントルメ~ン!!」
 とステージのどん帳が上がり、マジックショーの始まりです。
 子ども連れの多い夏休み期間中は、毎日、ショーがあるのだとか。
 それも大掛かりな、イリュージョンマジックです。

 美女の胴体がバラバラになったり、箱に入れられた女性と外の男性が一瞬に入れ替わったり、絵に描かれたハトが突然本物になって飛び出したり……。
 子どもでなくても、ハラハラドキドキしながら見ちゃいましたよ。
 だって、ふだんはテレビの中でしか見たことのないマジックが、実際に目の前で起きているのですからね。

 お子さんたちには、いい夏休みの思い出になったことでしょうな。


 小さな宿から大きなホテルまで、石段街から大自然まで、いろいろあって伊香保は楽しいのです。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:42Comments(0)温泉地・旅館

2016年08月03日

伊香保温泉 「ホテル松本楼」 「洋風旅館 ぴのん」


 松本楼といえば、「10円カレー」 で知られる東京・日比谷公園にある老舗レストランの 「松本楼」 が有名です。
 でも、全国には同じ名前の旅館や食堂はあまたとありますから、別段、気にしてはいませんでした。

 それでも話は聞いてみるものですね。
 「ええ、私の曽祖父が大正時代に修業をしていた店なんです。伊香保に帰って店を出すときに、のれん分けをしてもらったと聞いています。偶然にも苗字が松本だったということもありまして」
 と、若女将の松本由起さんが歴史を紐解き出しました。

 西洋料理の店 「松本楼」 は、伊香保温泉街でも評判を呼び、大変に繁盛したといいます。
 戦後、高度成長の波に乗り、観光ブームがやって来ます。
 昭和39年(1964)、彼女の祖父母が屋号を継いで現在の場所に旅館をオープンしました。
 わずか16室の小さな宿でした。

 旅館の歴史っていうのは、面白いものですね。
 一朝一夕には成し得ない、その時代、時代での年輪を重ねて、新たな歴史を造り上げていくのです。

 3代目の由起さんが、本場のホテル業を学んだイギリス留学の経験を生かし、「伊香保にない施設」 「自分が泊まりたい旅館」 を作りたいと平成9年にオープンさせたのが洋風旅館の 「ぴのん」 でした。

 「“ぴのん” 聞きなれない言葉ですが、何語ですか?」
 「PINON は、スペイン語で 『松ぼっくり』 のことなんですよ。松本の松、松本楼の松。なによりも曽祖父が大正時代に築いた洋食店のイメージを再現したかったんです」


 昨日僕は、とても贅沢な取材をしてきました。
 若女将のご厚意により、本館と姉妹館の両方を自由に利用させていただきました。
 風呂と夕食は、松本楼。
 宿泊と朝食は、ぴのん。

 それ以外にも、坂を上ったり下りたり、行ったり来たりしながら、2日間たっぷりと和と洋のもてなしを満喫してきました。
 もちろん、温泉もすべての風呂に入ってきましたよ。
 どちらの宿にも 「黄金(こがね)の湯」 と 「白銀(しろがね)の湯」 の2つの源泉が引かれていますから、まさに温泉三昧の2日間でした。


 湯の数だけ歴史があり、宿の数だけ物語があります。
 2つとして同じ湯、同じ宿はありません。
 だから、取材って楽しいのです。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:46Comments(2)温泉地・旅館

2016年07月27日

尻焼温泉 「ホテル光山荘」


 <それでも湯は熱いのだが、不思議とクールな浴感であることに気づいた。まるでミントの入浴剤に入っているような清涼感である。その感覚は、湯から上がっても変わらない。体が火照ることなく、汗も噴き出さない。なんとも涼しい湯である。>
 (『群馬の小さな温泉』(上毛新聞社) より)


 昨日は月に1度の野外講座日でした。
 僕は8年前からNHK文化センターのカルチャー教室で、温泉講座の講師をしています。
 平成28年度の7月講座は、尻焼温泉(群馬県中之条町) へ行ってきました。
 川が露天風呂になっていることで有名な、群馬を代表する秘湯であります。

 「先生、昔ここは新花敷温泉っていってましたよね」
 バスを降りて、長笹沢川に架かる 「尻明(しりあき)橋」 を渡っている時に、年配の受講生が話しかけてきました。
 「よく、ご存知ですね。尻焼(しりやき) の名を嫌った時代があったんですよ」

 温泉の発見は古く、嘉永7年(1854) の古地図には、すでに記されています。
 村人たちが利用していたらしいのですが、入浴よりも主に “ねどふみ” という作業に利用していたようです。
 “ねどふみ” とは、この土地に生える菅(すげ) や萱(かや) などを川底から湧き出す温泉に浸して、足で踏んでやわらかくする作業のことです。
 その菅や萱で編んだ草履(ぞうり) や筵(むしろ) は、丈夫で水に強くて通気性も良いため、農作業や家庭で大変重宝されたといいます。
 ちなみに “ねどふみ” の 「ねど」 とは、温泉に草を寝かせる所の意味だそうです。

 この地に温泉旅館が建ったのは、昭和元年(1926) のこと。
 手前にある花敷(はなしき) 温泉で経営していた関晴館本館が、別館として新築開業したのが始まりでした。
 ※(現在、本館は廃業し、別館のみが営業しています)

 花敷温泉が古くから開けていたのに比べ、なぜ尻焼温泉の開発は遅れたのでしょうか?
 これには諸説ありますが、道が急峻だったことと、温泉のまわりにヘビがたくさん生息していて、人々を寄せ付けなかったからだといわれています。

 また一時、「尻焼」 の文字を嫌って、温泉名を 「尻明」 や 「白砂(しらす)」、「新花敷」 などと名乗った時代がありました。
 ちなみに「尻焼」 とは、川底に座ると、尻が焼けるように熱くなるからです。


 現在、尻焼温泉には3軒の宿がありますが、今回は唯一、自家源泉を保有している「ホテル光山荘」 にお世話になりました。
 冒頭の文章は、僕が6年前に著書の中で書いたものです。
 “湯上がりに汗が出ない不思議な清涼感” そんなコピーまでタイトルに付けました。

 「小暮さんの本を読んだ方が、湯の検証に来られますよ。みなさん、本当だ!って感動して帰られます」
 とは、出迎えてくれたオーナーの小渕哲也さん。

 はたして、今でもそうでしょうか?
 受講生たちも興味津々です。

 源泉の温度54℃と高温です。
 それが加水なしでかけ流されているのですから、熱い!
 ので、備え付けの “湯かき棒” で、かき回しながら湯をもんでやります。
 すると、さっきまでは足しか入れなかった体が、スーッと湯の中に入っていきます。

 それでも湯は熱いのですが……
 あとは冒頭の文章のとおりです。
 湯上がりが爽快な、まさに夏にピッタリの温泉であります。

 「先生、本当だ!」 「汗が出ないよ」 「さわやかだね」
 受講生たちの声が、浴室に響きます。

 これぞ、生きた講座なのであります。
  


Posted by 小暮 淳 at 17:57Comments(0)温泉地・旅館

2016年07月20日

伊香保温泉 「いかほ 秀水園」


 こんな話を知っていますか?

 昔々、500年以上前の室町時代のこと。
 茂林寺(群馬県館林市) を開山した正通和尚が、榛名山のふもとの伊香保を一人旅していると、小脇に茶釜を抱えた坊さんと出会い、寺へ連れて帰りました。
 彼は守鶴(しゅかく)和尚と呼ばれ、茶釜は福を分けることから 「分福茶釜」 と呼ばれるようになりました。

 これは、有名な昔話の前世物語です。
 後に、この話が元となり、茶釜に化けたタヌキが芸をするおとぎ話が生まれました。


 宿に着くと、駐車場から玄関、ロビーへのすがら、茂林寺よろしく信楽焼きの大きなタヌキ像に出迎えられました。
 なんで伊香保でタヌキなんだろう?
 一瞬、そう思いましたが、すぐに僕は前世物語を思い出しました。
 以前、取材で分福茶釜のルーツを追いかけたことがあったのです。


 茶釜をあやつる守鶴和尚は、どこから伊香保へ来たのか?

 調べると、吾妻郡東吾妻町に青竜寺という寺がありました。
 そこには四角い顔をしていたため、四角和尚と呼ばれていた男がいました。
 彼は茶釜で茶を沸かして飲むのが好きで、仕事をサボってばかりいたため、寺を追い出されてしまいます。
 その時に唯一、持って出たのが茶釜でした。

 これは取材後に分ったことですが、茂林寺の正式名は、なんと!青竜山茂林寺。
 これは、偶然でしょうか?

 そして、“四角和尚” と “守鶴和尚”
 2人は、同一人物だったようです。


 「よく、ご存知ですね。その逸話にあやかって、館内には招福狸が10体いるんですよ」
 と3代目若女将の飯野由希子さん。

 ということで、昨晩は “タヌキ探し” の一夜となりました。

 元気狸、美人狸、アベック狸、長寿狸……
 なかにはマイクを持ってカラオケを歌う芸能狸なんていうのもいたりして。

 結局、10体すべてを見つけることはできませんでした。
 というのも、いつものように湯上がりに酔っ払ってしまって、途中で探す気力を失ってしまったのであります。


 10体すべてのタヌキを探すと、宿から素敵なプレゼントがあるようですよ。
 ぜひ、挑戦してみてくださいな!
   


Posted by 小暮 淳 at 16:25Comments(0)温泉地・旅館

2016年07月15日

伊香保温泉 「橋本ホテル」


 “ステンドグラスの館へ、ようこそ”
 そんなキャッチコピーを付けたくなりました。

 湯元通りの坂道を上がり、紅葉の季節はライトアップされることで有名な河鹿橋を過ぎ、大露天風呂へ向かう途中。右手の森の中に、白いしょう洒な洋館がたたずんでいます。
 いつも通るたびに、気にはなっていたんです。

 レンガの階段を昇ったエントランスには、大きな八角形をしたステンドグラスの窓。
 その手前には、やはりステンドグラスで作られた 「HASHIMOTO HOTEL」 の看板が。
 フロントロビーに入っても照明の傘は、すべてステンドグラスです。

 「私の趣味なんですよ」
 と4代目女将の橋本廣子さん。
 “趣味” と聞いて、てっきり僕はコレクションだとばかり思っていたのですが……。

 2階のラウンジを案内された時です。
 年季物の渋い、フクロウのステンドグラスを見つけました。
 「これはまた、味があっていいですね」
 と僕が訪ねると、
 「これがステンドグラスを作るようになったきっかけだったんですよ」

 「えっ、もしかして、今まで見ていたのはすべて手作りだったんですか!」
 驚くやら、感心するやら、その完成度の高さに、プロの作品だとばかり思っていました。
 なんでも女将が嫁いで来た時にあったステンドグラスだったようです。


 創業は明治42年(1909)。
 当時の写真を見ても、3階建てのオシャレな建物です。
 初代が洋食のレストランとして開業。のちにホテルになったといいます。

 明治時代に洋食ですよ!
 伊香保の中でも、さぞかしハイソな客人たちが集ったことでしょうね。
 昔の宿帳を見せてもらうと、外国人の名前ばかりでした。

 と、その時、
 「ここを見てください」
 と橋本さんの指さしたページには……。

 Yume Takehisa

 1929年(昭和4年) に、画家の竹久夢二が泊まった時のサインです。
 語り継がれるエピソードによれば夢二は、チキンライスを玉子でくるんだ料理(オムライス) が好きで、何度も訪れていたといいます。
 いやいや、夢二らしい!
 かなりのハイカラさんだったようですよ。


 浴室にも大きなステンドグラスの窓がありました。
 湯は伊香保伝統の 「黄金の湯」。
 見た目は、うっすらとしたカーキ色でしたが、体を沈めると途端に沈殿物が舞い上がり、濃厚な茶褐色のにごり湯となりました。
 熱からず、ぬるからず、いい塩梅です。

 いつまでも湯の中で、ステンドグラスの幻想的な明かりを眺めていました。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:43Comments(0)温泉地・旅館

2016年07月13日

伊香保温泉 「景風流の宿 かのうや」


 「景風流」 と書いて、「ケーブル」 と読みます。
 なんてシャレているんでしょうね。
 一見、なんのことだか分かりませんが、宿に行ってみれば一目瞭然です。

 駐車場からフロントまで、自家用のケーブルカーに乗って行く宿なのです。
 伊香保では、もちろん。県内でも、ここだけ。
 全国でも、大変珍しい温泉宿であります。


 僕は昨日、20数年ぶりに 「かのうや」 を訪ねました。
 当時、僕は雑誌の編集をしていて、毎年、会社の忘年会場が、ここの宿だったのです。
 ケーブルカーは、すでにありました。

 「そうでしたか、それはありがとうございました。当時は、まだ温泉街が賑やかな時代でしたからね。今は団体客を受けていないんですよ」
 と5代目主人の大塚隆平さん。
 聞けば、主人は僕と同世代。
 ケーブルカーが設置されたのは平成元年で、ちょうど、その年に先代の後を継いで旅館に入ったといいます。

 思えば、僕が会社に入社したのが前年の昭和63年ですから、ケーブルカーが設置されて、すぐに忘年会で泊まっているわけであります。
 そんな思い出話をからめながら、じっくりと 「かのうや」 の歴史を聞いてまいりました。

 創業は明治22年(1889)、120年以上の歴史がある老舗旅館であります。
 でも僕が、そう言うと、ご主人は、
 「いえいえ、うちなんて伊香保では、ひよっ子ですよ」
 と笑います。
 そうなんですね。伊香保には十数代目を数える老舗旅館が、まだまだありますからね。

 でもね、120年以上もの歴史があっても、ひよっ子だなんて、伊香保って、知れば知るほど奥深い温泉なのであります。
 ご主人の歴史話や源泉、温泉街にまつわる裏話を聞いていると、ますます興味が湧いてきて、徹底的に伊香保を調べてやろう!という気になりましたよ。


 取材を終えれば、あとは温泉三昧が待っているだけです。
 もちろん、湯上がりのビールと地酒も、もれなく付いていますけどね。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:23Comments(0)温泉地・旅館

2016年07月06日

伊香保温泉 「和心の宿 オーモリ」②


 玄関の軒下に、いくつも吊るされた鉢植え。
 その下で、風鈴が揺れています。
 この時季、伊香保温泉では各旅館が、夏の風物詩 「ほおずき」 を飾ります。

 う~ん、風流ですね。
 赤いほおずきの実にばかり目が行きますが、よく見ると可憐で小さな白い花が、けな気に咲いています。
 しばらく足を止めて、見入ってしまいました。


 オーモリさんを訪ねるのは、4年ぶりのこと。
 前回は朝日新聞に連載していた 『湯守の女房』 というエッセイでの取材でした。
 だから、その時にお会いしたのは、女将の大森典子さんだけでした。
 ※(当ブログの2012年9月3日 「伊香保温泉 和心の宿 オーモリ」 参照)

 でも今回は、ゆっくり泊まっての取材と言うことで、3代目主人の隆博さんも同席してくださいました。
 隆博さんは伊香保温泉協会長ということもあり、以前から会合や宴席などで、たびたびお会いしています。
 また、女将は僕の友人の友人ということもあり、以前から親しくさせていただいています。

 ということで、昨晩はサプラズゲストとして、ご夫妻と共通の友人2人が、駆けつけてくれました。
 目的は、もちろん取材後の酒宴であります。
 というか、どこまでが取材で、どこからが酒宴なのか分らないまま、生ビール→ワイン→冷酒と進み、宴もたけなわとなったときです。
 カメラマン氏からの 「小暮さんが女性と飲んでいる写真を撮りたいので、場所を替えませんか?」 と提案。
 食事処からパーティールームへ移動して、ちょっぴりアダルトな雰囲気の中、ハイボールを飲みながら僕と女将と女友達の3ショットの撮影会となりました。

 もちろん、それだけでは終わりません。
 カラオケのマイクが回り出し、リクエストにお応えして、ふだんは歌わないAKBやサザンなんかも歌ったりして、それはそれは大いに盛り上がったのであります。

 気が付けば、時刻は午前様。
 部屋に戻るとカメラマン氏が、
 「こんなに楽しい取材は初めてですね」
 と、ご満悦の様子。

 これって取材なのかな?
 って一瞬思いましたが、考えてみたら僕の温泉取材は、いつだって酒びたりなのであります。

 いい湯、いい宿、いい酒。
 そして、いい友がいてこそ、いい仕事ができるというものです。
 (と、いうことにしておきましょう)

 ご主人、女将さん、大変お世話になりました。
    


Posted by 小暮 淳 at 21:35Comments(0)温泉地・旅館

2016年06月29日

栃尾又温泉 「自在館」


 医学的に治療効果のある温泉水を療養泉といいます。
 温泉法では、その主成分により9つの泉質に大きく分類されています。
 単純温泉、二酸化炭素泉、炭酸水素塩泉、塩化物泉、硫酸塩泉、含鉄泉、硫黄泉、酸性泉、放射能泉です。

 このうち8つの泉質の温泉が、群馬県内にあります。
 唯一、存在しないのが放射能泉です (微量の放射能を含む温泉はあります)。

 “ない” ということは、海と同じで、県民にとってはあこがれの温泉だと言っていいかもしれませんね。


 放射能泉は日本には珍しい泉質で、全国に数えるほどしかありません。
 が、僕が講師を務めるNHK文化センターの野外温泉講座では、過去に増富ラジウム温泉(山梨県) へ行っています。
 昨日は、久しぶりに放射能泉に入りたくなり、受講生らと新潟県の栃尾又温泉へ行って来ました。

 栃尾又温泉の歴史は古く、約1,200年前に高僧行基により発見、開湯されたと伝わります。
 今回、お世話になった 「自在館」 は、400年以上の歴史を持つ昔ながらの湯治宿で、宿の隣に建つ薬師堂の 「子持ち杉」 の言い伝えとともに、「子宝の湯」 として知られています。

 僕も受講生らも、「自在館」 を訪ねるのは初めて。
 最初に出迎えてくれる本館には、「日本秘湯を守る会」 の提灯が掛かっていました。
 道をはさんだ向かいには、大正時代に建てられた木造三階建ての旧館があり、双方は中空をつなぐ渡り廊下で行き来することができます。

 雰囲気は、やはり 「日本秘湯を守る会」 の会員宿である法師温泉 「長寿館」(群馬県みなかみ町) に似ていますね。
 どちらも歴史がある、日本を代表する秘湯の宿です。


 大広間で旅装を解いてから、男性は 「おくの湯」 へ、女性は 「したの湯」 へと分れて入浴することに。
 本館から渡り廊下をわたり旧館へ。旧館からはサンダルに履き替えて、離れの浴室棟へ。
 その行程が、平成から昭和、昭和から大正へと時代をさかのぼるようで、実に湯心をかき立てるのであります。

 「おくの湯」 の浴槽は3つに仕切られていて、真ん中が約30℃の低温、手前が約37℃の中温、奥が40℃以上に加温されています。
 源泉は28.5℃~37.2℃の3本あるとのこと。
 放射能泉の多くは25℃未満が多いのですが、こちらは比較的高い温度で自然湧出しているので、大変珍しい放射能泉といえます。

 以前行った増富温泉に比べると、湯は無味無臭で、肌触りもサラサラとしたやわらかな感覚を受けました。
 ただ、いくらやさしい湯だといってもラジウムを含んだ温泉です。
 ぬるいからと長湯をし過ぎると、湯あたりをしかねません。

 やはり湯上がりは、ドッと汗が吹き出てきて、なかなか服が着れませんでした。
 ただ僕個人の感想としては、増富温泉ほど体がダメージを受けていませんでしたね。
 あの時は、帰りのバスの中で、背骨を抜かれ体全体が重力に押しつぶされたようにグズグズにくずれていましたから……。

 これは後から分ったことですが、放射能泉は泉温が低いほどラジウムの含有量が多く、増富温泉は含有量が世界有数だということです。


 さて、次回の温泉講座は?
 受講生のみなさん、楽しみにしていてくださいね。
  


Posted by 小暮 淳 at 13:58Comments(2)温泉地・旅館

2016年06月24日

伊香保温泉 「塚越屋七兵衛」


 伊香保温泉は、坂の多い街です。
 中心街を東西に通る県道(通称:一文字通り) を境に、すべての脇道は、南に “上り坂”、北に “下り坂” となります。
 いったい、いくつの坂道があるのか分りませんが、名の付いた坂道には、たいがい有名旅館が立ち並んでいます。

 一文字通りの北、石段街の手前に、「かみなり坂」 という長い下り坂があります。
 なんともユニークなネーミングですが、その昔、このあたり一帯を 「雷(らい) の塚」 と言ったことから名づけられたようです。
 地元の人の話では、雷様の通り道で、とても雷の多い土地とのことでした。
 そのせいか、この通りにある旅館には必ずといっていいほど、鬼(雷様) の置物が置かれています。


 かみなり坂を下って、最初の旅館が 「塚越屋七兵衛」 です。

 「あれ、そこは、ガーデンじゃねぇ?」
 と思った人、かなりの伊香保通であります。
 確かに以前は、「ホテル伊香保ガーデン」 と名乗っていました。

 「じゃあ、つぶれて、経営者が変わったんだ」
 と思った人もいるかもしれませんが、それは違います。
 前の屋号に戻しただけなんです。

 「塚越屋七兵衛」 の創業は、文久年間(1861~1864) の江戸末期といいますから、創業は今年で152年になります。
 石段街で 「塚越旅館」 として開業されました。
 昭和38年(1963) に、現在の場所に新館 「伊香保ガーデン」 が建設されました。
 同42年、旧館の「塚越旅館」 が廃業。
 そして平成16年、創業者の名である 「塚越屋七兵衛」 に屋号が変更されました。

 現在の女将、塚越左知子さんで6代目になります。
 昨晩は、女将のご厚意により泊めていただきました。


 さて、ここで問題です。
 ここの湯の色は、何色でしょうか?
 ヒントは、150年の歴史がある石段街で創業した旅館です。

 以前も書きましたので、温泉フォンの読者は、すぐに分りますよね。
 正解は 「黄褐色」 です。

 伊香保温泉には、「黄金(こがね) の湯」 と 「白銀(しろがね) の湯」 という2種類の源泉が湧いていますが、透明の 「白銀の湯」 は平成になってから湧いた新しい源泉です。
 しかも、昔から湧いている「黄金の湯」には、現在でも湯権制度がありますから、すべての旅館が源泉を引けるわけではありません。
 同館は、現在9軒ある源泉所有者の1軒であります。


 ということで、夕食の前に、しっかりと黄金の湯を浴(あ)んできました。
 温度の高い “あつ湯” と、低めの “ぬる湯” の2層式になった浴槽は、申し分ない構造です。
 あつ湯と、ぬる湯を交互に入りながら、改めて伊香保の湯の素晴らしさを実感しました。

 結局、夕食の時間まで我慢できずに、湯上がりにラウンジで生ビールをいただいてしまいました。
 いつものことですが……(苦笑)
  


Posted by 小暮 淳 at 18:47Comments(0)温泉地・旅館

2016年06月16日

伊香保温泉 「市川別館 晴観荘」


 こんなことって、あるんですね。
 僕は年に約100ヶ所、10数年にわたり、温泉旅館を取材して回っています。
 思わぬ出会いや偶然に遭遇することは時々ありますが、あまりにも多くの偶然が重なると、なにやら運命的な縁を感じるのであります。


 「市川別館 晴観荘」 は、明治初期に伊香保温泉石段街に開業した「市川旅館」 の別館として、昭和32年に建てられました。
 当時は近隣に旅館はなく、森の中の一軒宿で、まだ道路も整備されていなかったといいます。

 開業から60年経った今でも、環境は変わっていません。
 1万5,000坪という広大な敷地に、ポツンと建っています。
 ここが伊香保温泉であることを忘れてしまうほどの静かな森の中です。


 駐車場から木立のエントランスを抜けて、宿に近づくと、玄関脇に見覚えのある絵が掛かっていました。
 大きな布のタペストリーに描かれているのは、同館のマスコットキャラクターの 「水天宮」 です。
 この絵をデザインしたのは、友人のイラストレーター、飯塚裕子氏であります。
 館内に入ると、ロビーや売店にも、彼女がデザインしたキャラクターや文字がいっぱいでした。
 ※(彼女のことは、当ブログの2016年5月27日 「伊香保温泉 よろこびの宿 しん喜」 参照)

 と思ったらロビーの一角には、水彩画家の筑井孝子氏の画集販売コーナーがあり、廊下のいたるところに彼女の絵画が飾られています。

 さらに3代目女将の茶木万友美さんに案内された食事処の 「浅間」 という間には、版画家の野村たかあき氏の絵が何点も飾られているではありませんか!
 なんで、こんなにも友人や知人の作品ばかりが展示されているのでしょうか!?!?

 女将に訊ねても、彼女の趣味や知り合いからの紹介とのことで、まったくの偶然としか言いようがありません。


 そ、そ、そして!
 極めつけは、ご主人の茶木茂直さんとの雑談で判明した、共通の知人の数です。
 ご主人とは、まったくの初対面なのに、僕の小学校や中学校の同級生の名前が次から次へとポンポンと飛び出してきたのです。

 し、し、しかも!
 噂をすればなんとやらで、僕が泊まった昨晩、ご主人の元へ、同級生の1人から偶然にも電話がかかってきたといいます。
 「小暮さんが来られていることを話したら彼も驚いていましたよ」
 一夜明けた今朝、ご主人に告げられたときには、さすがに鳥肌が立ってしまいました。


 縁は異なもの不思議なもの。
 それでも、これだけの偶然が重なると、気味が悪いほどです。

 たぶん、こちらのご夫妻とは、いつか出会う運命だったのでしょうね。
  


Posted by 小暮 淳 at 19:08Comments(0)温泉地・旅館

2016年06月08日

伊香保温泉 「森秋旅館」


 ♪ 青い目をしたお人形は
   アメリカ生まれのセルロイド ♪


 森秋旅館を訪ねるのは、今回で2度目になります。
 確か7~8年前に、JR発行の小冊子の取材で来ました。
 でも、あの時は日帰りでした。
 今回は、ゆっくり泊まって、じっくり話を聞いてきました。

 8代目女将の森田由江さんに出迎えられたロビーには、あの日と同じに童謡が流れています。
 「青い目の人形」 「しゃぼん玉」 「赤い靴」 「七つの子」 「雨降りお月さん」 ……

 誰もが子供の頃に聞いた、唄の数々。
 これらの唄は、大正から昭和にかけて書かれた詩人、野口雨情の作品です。
 雨情は、昭和3年と14年に群馬県を訪れ、そのたびに定宿にしていたのが森秋旅館でした。

 「雨情さんは最初、県の依頼で 『上州小唄』 の制作のために泊まられました。ところが、なかなか仕事がはかどらず、予定よりだいぶ長く泊まられていたそうです。次に来られたときに、前回は迷惑をかけたからと、お詫びのしるしに当館のために書いた 『伊香保新小唄』 を残されていきました」

 ロビーの片隅にある野口雨情コーナーには、雨情直筆の歌詞が書かれた大きな額が飾られています。


 明治元年創業。150年の歴史を持つ、伊香保屈指の老舗旅館であります。
 と、いうことは当然、湯は 「黄金(こがね) の湯」 ということになります。

 温泉通の人は、ご存知だと思いますが、伊香保温泉には2種類の源泉が湧いています。
 何百年と湧き続ける 「黄金の湯」 と呼ばれる茶褐色のにごり湯と、平成になってから使用している無色透明の 「白銀(しろがね) の湯」 です。
 そして 「黄金の湯」 は、昔から湯権制度により湯の権利を持つ小間口権者(源泉所有者) である老舗旅館のみに分湯されてきました。
 現在、9軒の所有者に、この伝統ある茶褐色の湯を使用する権利が与えられています。

 森秋旅館は、その9軒のうちの1軒です。


 「う~ん、極楽、極楽」
 と、カメラ目線を忘れて、惚れ惚れするにごり湯に、思わずうなってしまいました。
 「やっぱり、これぞ伊香保の湯ですな」
 カメラマンの存在なんて、いざ知らず。
 “湯の花まんじゅう”(伊香保では温泉まんじゅうのことを、そう呼びます) の皮のような茶褐色の湯の中で、存分に湯浴みを満喫しました。

 特筆すべきは、良くできた浴槽の構造です。
 内風呂も露天風呂も、ちゃんと湯口(注ぎ口) が奥にあり、湯尻(あふれる側) が手前にあります。
 これもすべて、豊富な湯量を持つ小間口権者の宿ならではの特権であります。

 ザバザバと惜しみなく、あふれ流れる湯に感謝しつつ、撮影の後は、お決まりの生ビールでカメラマンと乾杯をしました。
  


Posted by 小暮 淳 at 14:21Comments(2)温泉地・旅館

2016年05月27日

伊香保温泉 「よろこびの宿 しん喜」


 子どもの頃に家族で、社会人になって忘年会や新年会で、温泉ライターになってからは研修会やセミナーの講師として、幾度となく、いやいや、きっと数えられないくらい何十回と訪れているであろう群馬の名湯・伊香保温泉。
 でも、改めて行ったことのある旅館やホテルを数えてみると……。
 20軒にも満たない。
 伊香保温泉には、その倍以上、約50軒の宿があるのです。 

 前橋、高崎から車で、わずか30分。
 あまりにも身近で、知っているような気になっていたが、巡れば巡るほど奥が深いことに気づかされます。


 「いらっしゃいませ、お待ちしていました」
 「みなかみの温泉大使になられたそうで。新聞で拝見しました」
 ロビーで出迎えてくれた専務の青木伸行さんと総務部長の木暮孝史さん。

 ああ、恥ずかしい。
 群馬は狭いですね。
 伊香保温泉に来ているのに、いきなり、みなかみ町の件に触れられるとは、なんともバツが悪い。

 ソファーに腰掛けて旅装を解いていると、木暮さんが何やら売店から商品を手にしてもどってきました。
 「この手ぬぐい、同館のオリジナルなのですが、飯塚さんが作ってくださったんですよ。お仲間ですよね?」
 「えっ、そーなんですか!?」
 初めて会った人なのに、僕のことをなんでも知っているのですね。

 仲間の飯塚さんとは、イラストレーターの飯塚裕子氏のことです。
 彼女とは20年来の友人で、5年前には拙著 『ぐんまの里山てくてく歩き』(上毛新聞社) の表紙イラスト画を描いてもらいました。

 抹茶色に染められた手ぬぐいには 「八つの“しん”」 と題して、彼女の手書き文字で文章が書かれています。
 <いつでも「真」っすぐな心で 大木のように天に向かって「伸」びていく 「清」らかで常に美しく 汚れのない「信」じるこころ……>

 ん~、彼女らしいし、いい仕事をしています。
 今度、会った時に、ほめてあげましょう。


 「専務さん、後でお時間を取ってください。とりあえず、ひと風呂浴びてきますので」
 と、あいさつもそこそこでに、僕は部屋で浴衣に着替え、6階にある展望大浴場へ。
 最上階の標高は約800m。
 赤城山から子持山、小野子山と上州の山々が一望です。
 やや上空は雲がかかっていましたが、それでも文句なしの絶景です。

 メタけい酸含有のサラリとした 「白銀(しろがね)の湯」 を堪能した後は、そのまま同じ階にある 「展望湯上がりラウンジ」 へ。
 絶景を眺めながらの湯上がり生ビールとは、憎いことを考えたものです。
 これ以上の至福はありませんって!

 欲を言えば、これが仕事じゃないと、もっと幸せなんですけどね。
 ま、仕事だから幸せだという考え方もできますけど。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:43Comments(2)温泉地・旅館

2016年05月24日

湯宿温泉 「ゆじゅく金田屋」⑤


 「熱くなきゃ、湯宿の湯じゃねぇ~!」
 と、たんかを切った僕に、
 「では先生から、どーぞ」
 と言われ、
 「ほら、見てろよ」
 と、恐る恐る足先を入れた途端、
 「あっちちちちーーー!!!!!!」
 と飛び上がる始末。
 「水を入れろよ、水、水、みず~!」


 ということで、今日は1年半ぶりに湯宿温泉(群馬県利根郡みなかみ町) を訪れました。
 月に1回のNHK温泉講座日です。

 湯宿温泉は、今話題の真田ゆかりの温泉地。
 関ヶ原の合戦の後、初代沼田城主の真田信之が戦いの疲れを癒すために訪れています。
 その後も2代目信吉、3代目熊之助、4代目信政、そして最後の城主、5代目信直にいたるまで、下屋敷(別邸) として愛湯したといわれています。
 なかでも信直は痔の持病に苦しみ、ここの湯で根治したため、そのお礼にと薬師如来堂を建立しました。

 行きのバスでは、そんな歴史に触れながら、明治元年創業の 「ゆじゅく金田屋」 へ向かいました。
 金田屋といえば、そう! 若山牧水ゆかりの宿であります。
 大正11年に 「みなかみ紀行」 という著書で、長野県から群馬県を横断して栃木県まで旅をしていますが、群馬県内で今でも牧水が泊まった部屋が、そのままの形で現存しているのは、ここ金田屋だけです。


 「小暮さん、お久しぶりです」
 バスを降りると、いきなり厚い握手で出迎えてくれた5代目主人の岡田洋一さん。
 岡田さんとは、かつて新聞の取材で一緒に風呂に入り、湯談義をした仲であります。

 「みなかみ温泉大使、おめでとうございます」
 と、早くも話題を振られました。
 「えっ、ご存知なんですか?」
 「ええ、観光協会から任命式の通知が来ましたから。もちろん、私も式には出席しますよ」

 温泉大使なんて、あんなり実感がなかったんですけどね。
 でも、こうやって喜んでくださる温泉宿のご主人がいると思うと、大役だけど 「受けて良かったのかなぁ~」 と思います。


 座敷で旅装を解いたら、まずは宿の内風呂へ。
 源泉の温度は、約60度。
 でも適温に加水されているため、ここの湯は難なくクリア!

 昼食をはさんで、有志を募り、いよいよ午後は外湯へ。
 一番近い 「窪湯」 は清掃中とのことなので、その先の 「小滝の湯」 へと攻め入ったのであります。
 が、その顚末が冒頭のような情けない有り様でした。

 なんとか肩まで沈むことはできましたが、やはり熱い!
 「先生、これって罰ゲームの熱湯風呂ですよ」
 
 でもね、熱くなけりゃ湯宿の湯じゃないんですよ!
  


Posted by 小暮 淳 at 21:25Comments(2)温泉地・旅館

2016年05月21日

湯端温泉 「湯端の湯」④


 僕が理事長を務めるNPO法人 『湯治乃邑(くに)』 が、設立から2年目を迎え、2度目の総会が開催されました。

 「どうせやるなら 『湯治乃邑』らしく、温泉でやりませんか?」
 という役員の発案に、
 「いいですね。そうしまょう! で、どこでやりますか?」
 「それは理事長が決めてください。専門家なんですから」
 と言われ、
 「分りました。だったら 『湯治乃邑』 らしく、湯治場でやりましょう!」
 「湯治場?」

 そうです。
 観光温泉がはびこる現代において、かたくなに湯に入ることだけにこだわった宿は、温泉大国群馬といえども数えるほどもありません。

 「湯端にしましょう! あそこは、完全なる現代の湯治場です」


 ということで昨日は、牛伏山のふもとで明治時代から地元の人たちに愛されてきた湯端温泉 「湯端の湯」(高崎市) に、メンバーが集まりました。

 「こんにちは、お久しぶりです」
 といっても、3代目主人の桑子済(とおる) さんには、半年前に新刊 『西上州の薬湯』(上毛新聞社) の取材でお会いしています。
 「その節はありがとうございました。本が届きました!」
 「それは良かった。書店には、まだ並んでいませんからね」


 部屋には、すでに副理事のAさんが到着していました。
 「とりあえず、乾杯しましょう!」
 と、来る途中で買い込んできた缶ビールで景気づけの一杯を。

 そうなんです。
 ここは、素泊まり専門の宿なんです。
 だから飲食は、すべて客が用意するのです。
 廊下には、各部屋用の冷蔵庫があり、電子レンジで食材を温めることもできます。

 まさに、現代の湯治宿であります。


 ひと息ついて、A氏は離れの 「湯端の湯」 へ。
 僕は本館の 「ホタルの湯」 へと、分れて向かいました。

 浴室は2つ、どちらも貸切です。
 宿泊者は空いていれば、いつでも入れますが、日帰り入浴の場合は事前に予約が必要です。

 湯は、ゆで玉子のような匂いのする塩化物冷鉱泉。
 塩辛い、弱アルカリ性の湯は、肌にしみ入るようなやさしい浴感があります。
 100年以上の昔から、あせもなどの皮膚病に特効があり、飲用すれば胃腸病に効くといわれてきた西上州を代表する薬湯です。


 「ほかの人たちは、遅いですね?」
 「まだ仕事が終わらんのでしょう」
 「では、来るまでやってますか?」
 と、ビールのロング缶をブシュ。

 時刻は、午後5時。
 初夏の太陽が、まだサンサンと輝いています。
 でもここは、牛伏山系の渓流を渡る風の通り道……。

 緑の風を湯上がりの肌に感じながら、総会開始までのひと時を過ごしたのでありました。
   


Posted by 小暮 淳 at 14:43Comments(2)温泉地・旅館