温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2022年11月18日

宝川温泉 「汪泉閣」⑧


 「これが男性用の “湯浴み着” です。時代の流れで、混浴のスタイルも変わりました」
 「ハイ、OKです!」

 晩秋の大露天風呂。
 紅葉は美しいけど、とにかく寒い!
 ふるえながら、腰巻のような湯浴み着一枚で、ディレクターの 「OK」 を何度も待ちました。


 群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』 の新シリーズ 「温泉王国ぐんま」 のロケで、宝川温泉 (みなかみ町) の一軒宿 「汪泉閣」 へ行って来ました。
 冒頭のセリフは、番組のエンディングシーンです。
 この後、僕は露天風呂に入り、カメラに向かって、手を振りました。

 温泉ロケでは、よくあるシーンですが、違和感が残りました。
 なぜなら僕は今まで、著書でも新聞、雑誌、もちろんテレビでも、全裸で撮影に臨んで来ました。
 なぜなら、「ウソのないように」 という思いからです。

 近年ありがちな、≪撮影のためタオルを使用しています≫ というテロップだけは、避けたいからです。
 でも、時代は変わりました。
 もう、テロップもお断りもいりません。

 堂々と “湯浴み着” を着て、入浴すればいいのですから……


 宝川温泉は昭和の時代、クマと入浴できる温泉としてマスコミに取り上げられ、全国的に話題となりました。
 平成以降は、天下一の露天風呂として売り出し、コロナ前まではインバウンドが奏功して、外国人観光客でにぎわっていました。

 ところが時代は、思わぬ盲点を露呈しました。
 クマとの入浴はもちろん、クマ園自体の撤去。
 そして、宝川温泉の一番の売りであったはずの全裸での混浴にも、コンプライアンスの手が伸びました。
 (女性は2016年~、男性は2019年~、湯浴み着の着用が義務付けられました)


 日本固有の文化が薄れていく風景に、杞憂と寂莫を感じながら撮影を終了しました。


 ※『ぐんま」トリビア図鑑』 #308 「みなかみ18湯 いで湯発見伝説」 は、12月6日(火) 21:00~の放送です。
  


Posted by 小暮 淳 at 09:19Comments(4)温泉地・旅館

2022年11月13日

月夜野温泉 「みねの湯 つきよの館」⑮


 <月夜野盆地を見下ろす天空の浴室からは、掛け値なしの絶景の展望が広がる。まるで湯の舟に乗って、遠く南の国まで飛んでいけそうな気分になった。>
 (『みなかみ18湯』 下巻 より)


 急きょ今日、主催者とともに打ち合わせを兼ねて、ごあいさつに行って来ました。
 月夜野温泉 (群馬県みなかみ町) の一軒宿、「みねの湯 つきよの館」。
 来月開催される第3回 「ぐんま温泉サミット」 の会場です。

 打ち合わせは主催者に任せ、僕は久しぶりに眺める宿からの景色に、ただただ見惚れていました。
 春夏秋冬、どの季節に来ても飽きることがありません。
 僕は著書の中で、訪ねるごとに色彩を変える風景を、様々な言葉を用いて表現してきました。


 <南に子持山から続くなだらかな尾根筋を望み、西に大峰山、吾妻耶山と雄大な景色が広がる。眼下には青々とした棚田と、こんもり生い茂った鎮守の杜。なんとものどかな山里の景色に包まれている。>
 (『ぐんまの源泉一軒宿』 より)

 <若葉の萌える頃もいいが、ホタル舞う夜もいい。紅葉は見事だし、雪景色も格別である。おすすめは季節に関係なく、天空が鮮やかな緋色に燃え上がる日没時。刻々と色を変える “日暮らしの景” は、いつまで眺めていても飽きることがない。>
 (『新・ぐんまの源泉一軒宿』 より)

 今日の絶景は、息を吞むような色とりどりの “錦秋美”。
 まさに錦絵を眺めているような美しさでした。


 もちろん打ち合わせ終了後には、“天空の湯舟” に乗ってきました。
 トロンとしているのに、サラッとした湯切れの良さは、今日も健在でした。
 日没までは居られなかったので、空が緋色に燃え上がる夕焼け美は見られませんでしたが、ぜひ、サミットでは参加者と一緒に観賞したいと思います。

 まだ定員には、若干の空きがあります。
 締め切りまで、残り1週間となりました。
 たくさんの方の参加を、お待ちしています。



   第3回 ぐんま温泉サミット IN つきよの

 ●日時  2022年12月3日(土)~4日(日)
 ●会場  月夜野温泉 「みねの湯つきよの館」
        群馬県利根郡みなかみ町後閑1739-1
 ●受付  11:00~ (昼食は各自)
 ●定員  宿泊 25名 日帰り 10名 ※先着順
 ●会費  ①1泊2食 12,000円
        ②日帰り(夕食付) 5,000円
        ③日帰り(入浴付) 2,500円
 ●締切  2022年11月20日(日)
 ●問合・申込
   群馬温泉サミット事務局 (関口) TEL.080-1023-9558 FAX.0270-50-1182
   mail kcc@eos.ocn.ne.jp  Facebook関口のメッセンジャーにて受付
 ※「みねの湯つきよの館」では受け付けていません。


   〖スケジュール〗
 13:00~ 開催あいさつ&旅館女将あいさつ
 13:30~ 講演会 (講師/小暮淳 演題/「令和版 みなかみ紀行」) 
 15:00~ 座談会 (サミット)
 16:00~ 自由時間&入浴タイム
 17:30~ 食事会 (交流会)
 20:00   終了
 翌日    朝食後 解散
  


Posted by 小暮 淳 at 18:59Comments(0)温泉地・旅館

2022年11月07日

四万温泉 「もりまた旅館」②


 「師匠に、ご主人が会いたがっていましたよ」

 2ヶ月ほど前、僕の “一番弟子” を名乗る温泉ファンの女性から電話がありました。
 「だったら久しぶりに会いに行くか!」
 と返したところ、後日、また電話がありました。

 「ご主人も喜んでいました。当日は全館貸し切りにしてくださるそうです」
 「貸し切り!?」
 驚く僕に、彼女は、こう言いました。
 「ええ、人数を集めましたから貸し切りです」


 ということで、四万温泉の 「もりまた旅館」 に行って来ました。

 四万温泉 (中之条町) は、四万川沿いに5つのエリアが連なる温泉地で、「もりまた旅館」 は下流から2つ目の山口地区に、ひっそりとたたずむ小さな宿です。

 2代目主人の森博昭さんは、元四万温泉協会の事務局長です。
 僕が 「四万温泉大使」 に委嘱された時、任命証を授与してくださったのが森さんでした。
 また、コロナ前まで毎年開催していた、NPO法人 「湯治乃邑(くに)」 主催によるパネルディスカッションにも、ゲストパネラーとして出演してくださったことがありました。


 そんな森さんが経営する旅館に、自称・一番弟子を名乗る知人が泊った際に、僕の話が出て、「だったら、みんなで泊まりにおいでよ」 ということになったようです。

 で、その “みんな” とは?
 温泉ソムリエなどの資格を持つ、コテコテの温泉ファンたちであります。
 旅館に現れた選ばれし5人は、男性3人、女性2人。
 年齢は40~50代。
 県内からは2人、あとの3人は埼玉県、東京都、大阪府から、わざわざ来てくださいました。


 「ひと風呂浴びてからにしますか?」
 の問いに、
 「まだ、だいぶ日が高いですよ」
 と僕。
 「だったら、これ、やりますか?」
 と、ご主人が、芋焼酎 「魔王」 の一升瓶を差し出しました。

 「おおおおおーーー!!」
 と一斉に、声が上がります。
 「これがウワサのプレミアム焼酎ですか!」
 「一本、2万円くらいしませんか?」
 「いや~、遠慮なくいただきましょう!」

 ということで、ひと風呂前のウエルカムドリンクで盛り上がりました。


 実は、この5人とは、この日が初対面ではありません。
 全員が僕の読者で、過去に講演会やサミットなど、なんらかの会場でお会いしている人たちであります。
 よって、この日は、いきなりサイン会から始まってしまいました。

 僕は平成23(2011)年に、『あなたにも教えたい四万温泉』(上毛新聞社) という著書を出版しています。
 この本、出版社のちょっとした粋なはからいがあり、書店販売と地元の四万温泉販売では、本の帯が違うって知ってましたか?
 書店用は緑色の帯ですが、四万温泉用は、えんじ色の帯に僕の直筆で、こう書かれています。

 ≪何もないとは なんて素敵な ことだろう≫


 そのことに知っている人も知らない人もいましたが、「だったら四万バージョンが欲しい!」 ということなにり、急きょ、ご主人が温泉協会に電話をして、人数分の本を宿まで届けさせたのであります。
 そのサプライズに、参加者全員、大興奮!

 さすが、ご主人!
 元事務局長の権力を発揮してくださいました。


 もちろん、その晩は勢いそのままに、温泉談話まみれの酒まみれ。
 永い永い晩秋の宴が、夜深くまで続きましたとさ。

 みんな、ありがとうね。
 楽しかったよ!
  


Posted by 小暮 淳 at 11:30Comments(2)温泉地・旅館

2022年08月22日

磯部温泉 「小島屋旅館」➁


 「磯部温泉のイメージが180度変わりました!」
 「あまりの湯の良さに驚きました!」
 「一度は泊まってみたかった宿なので感動しています!」

 参加者が、そう口々に感想を伝えてきました。
 一昨日、開催されたNPO法人 「湯治乃邑(くに)」 主催による 『ぐんま温泉かるた』 の発行推進決起集会の会場でのことです。


 会場となったのは磯部温泉 (群馬県安中市) の老舗旅館 「小島屋旅館」。
 温泉ファンの間では、知る人ぞ知る名旅館です。

 創業は明治12(1879)年。
 現在の本館は、昭和2(1927)年の建築。
 2階から路地をまたいで渡り廊下で行き来する浴室棟は、さらに古く大正15(昭和元)年に建てられました。

 その外観は、当時の流行だった大正ロマネスク様式。
 シンメトリーに並ぶアーチ型の窓が美しいモダンなデザインです。

 雰囲気は国の登録文化財に指定されている四万温泉 「積善館」 の 「元禄の湯」 に似ていますが、あちらは昭和5年の建築ですから、こちらのほうが古いわけです。
 ぜひ、文化財に指定してもらいたいものです。


 でも、小島屋旅館の自慢は、建物だけじゃないんです。
 今回、決起集会に集まった参加者は全員が、温泉ソムリエなどの資格を持つ “温泉の達人” 揃いなのです。
 そんな彼、彼女らを唸らせているのは、もちろん! 湯の素晴らしさ!

 かけ流しの湯は、高濃度の強塩泉。
 まずは、その濃さに驚かされます。
 トロトロ、ヌルヌル、スベスベの感触は、一浴の価値があると思います。
 そして、しょっぱ~い!

 達人たちも、称賛の声を連呼していました。


 「なぜ、同じ磯部温泉でも、ここの湯は違うの?」
 その疑問は、ぜひ、自分の目と肌と舌で確かめてみてください。


 決起集会では、法人より、かるたの詠み札の解説と、クラウドファンディングの説明をさせていただき、その後はフリートークの懇親会となりました。

 「小暮さん、持ってきましたよ」
 Kさんがボトルを手に、僕の席へ。
 見れば、鹿児島の芋焼酎 「赤兎馬」 ではありませんか!
 しかも、“青” です。

 赤や紫は群馬県内でも売られていますが、青とは珍しい!
 聞けば、Kさんの実家は鹿児島で、帰省した際に買って来たのだといいます。

 「もしかして、ブログ読んだ?」
 「はい!」

 僕はたびたびブログに、 「赤兎馬」 に目がないことを書いているんですね。
 それを彼は覚えていてくれたのです。
 いやいや、申し訳ない。
 ありがとうございます。

 みなさんで、美味しくいただきました。


 いよいよクラウドファンディングも開始されます。
 詳細は後日、発表させていただきます。
 今後ともNPO法人 「湯治乃邑」 の活動へのご理解、ご支援のほどをよろしくお願いいたします。。 
   


Posted by 小暮 淳 at 11:25Comments(2)温泉地・旅館

2022年05月15日

幡谷温泉 「ささの湯」④


 布団が変わったことと、久しぶりの浴衣ということもあり、寝覚めが良くありません。
 しかも、昨晩は呑み過ぎた!
 確か、床に就いたのは午前2時。

 宿酔気味の体と頭を叩き起こしながら、「えいっ!」 と布団を跳ね上げました。


 午前8時。
 階下へ降りて行くと、すでに大広間では、朝食の真っ最中。
 僕が一番最後のようであります。

 「おはようございます」
 「お゛、は、よ゛、う、ご、ざ、い゛、ま゛、す」

 「小暮さん、声が出てませんよ」
 「あ゛あ゛~、呑み過ぎました」

 それでも、しっかりと朝食は米粒一つ残さずに平らげました。


 「もう新聞に載っていますよ」
 主催者に声をかけられて、食後にロビーへ。


 《温泉で名湯の逸話》
 《ライターの小暮さん講演》

 今朝の上毛新聞にカラーで大きく記事が掲載されていました。

 <フェイスブックなどでつながる県内外の温泉愛好家15人によるオフ会が14日、片品村の幡谷温泉の宿 「ささの湯」 で開かれた。ゲストの温泉ライター、小暮淳さん (63) =前橋市=の講演に耳を傾け、温泉談議に花を咲かせた>


 そうなのです、昨日、僕は群馬県片品村で開催された “温泉愛好家” たちのオフ会に呼ばれて、講演会を行ったのでした。
 演題は、「片品10湯と 『みなかみ紀行』」。

 開催地である幡谷温泉の歴史や温泉発見秘話、片品村の温泉について話をさせていただきました。
 それと、大正時代に群馬を旅した若山牧水の温泉行脚についても触れました。


 <若山牧水が100年前に本県を旅し、「みなかみ紀行」 に記した草津、四万、老神など9湯をエピソードと共に説明した。小暮さんは 「建物や歴史文化など自分の切り口で温泉を楽しんで」 と訴えた。>


 講演会の後は、質疑応答による座談会。
 休憩 (入浴タイム) をはさんで、お待ちかねの懇親会であります。
 15名の参加者は、温泉ソムリエなど温泉に精通した “つわもの” 揃い。
 東京や埼玉からも参加しています。

 まあ、いつもは温泉の素人(?)さんを相手にした講演や講座の講師をすることがほとんどなので、今回は僕も力が入りました。
 そして、何よりも楽しかった!

 だって、あんな話やこんな話、温泉にまつわるエトセトラを制限なく思いっきり話せるのですからね。
 相手は、温泉を知り尽くした人たちです。
 遠慮はいりません。
 ついつい、酒のピッチも上がり、大好きな温泉ウンチクをしゃべり倒してしまったとさ。

 結果……
 声がかすれてしまったということであります。


 一夜明けても、参加者は、すぐに帰る気配はありません。
 「これで5回目ですよ」
 なんていう猛者もいて、仕上げの入浴に余念がありません。

 僕も帰り際、3回目の入浴を。
 相変わらず、いつ入っても、何回入っても、美しい湯であります。
 しかも、湯量豊富。
 加水なし、加温なし、かけ流し!

 見事としか言いようのない、単純温泉の見本のような素晴らしい温泉です。


 「はい、チーズ」

 出会いがあれば、必ず別れの時が来ます。
 あっという間の楽しい時間でした。

 宿の玄関前で、記念撮影会が始まりました。
 「一緒に撮っていただけますか?」
 「写真をフェイスブックに上げてもいいですか?」

 「はい、チーズ!」

 「これ、僕の遺影にします」
 「おいおい、歳から言えば、俺の遺影だろ!」
 (爆笑)


 みなさん、2日間、お世話になりました。
 とっても楽しい2日間でした。
 呼んでいただき、本当にありがとうございました。

 また、会いましょう!
   


Posted by 小暮 淳 at 20:46Comments(7)温泉地・旅館

2022年04月25日

倉渕川浦温泉 「はまゆう山荘」④


 つい2週間ほど前のこと。
 某全国紙の群馬版に、こんな記事が掲載されました。

 ≪「泉変万化」? 朗報に沸く≫
 ≪分析で証明 入浴 県内はここだけ≫


 温泉法で義務付けられている10年に一度行う温泉成分の分析をしたところ、以前の 「塩化物泉」 から 「含鉄泉」 に泉質が変わっていたという記事です。
 まあ、この時は、「温泉は自然の産物だもの、そりゃあ~、泉質だって変化するよな」 くらいに受け流していました。
 実際に長い温泉取材では、拙著の中だけでも10年前と10年後では泉質が異なる温泉も、ままあります。

 ただ気になったのは、記事でも触れられていた 「含鉄泉」 ということ。
 鉄分を含み、茶褐色~赤褐色に色を変える “にごり湯” は多々ありますが、正式な療養泉名として 「含鉄泉」 の名が付く泉質は県内では、ほぼ皆無です。
 (以前は伊勢崎市に 「五色温泉」 がありましたが休業しています)


 まあ、珍しいといえば珍しいけれど……
 な程度に記事を読み流していたら先週、さっそく某紙から取材依頼が来ました。

 「小暮さん、『はまゆう山荘』 の温泉の泉質が変わったって知っていますか?」
 「ああ、新聞で読んだよ」
 「一度、その目で確かめてみませんか?」
 「確かめるって、そもそも鉄分を含んでいた温泉だからね。泉質名が変わった程度で、見た目の変化はないでしょう」
 そこまで電話で話した時です。

 「いえ、それが以前に比べ、てき面、色が違うらしいですよ!」


 ということで先週、現地調査に行って来ました。

 倉渕川浦温泉 (高崎市) 「はまゆう山荘」。
 温泉が湧いたのは、平成20(2008)年のこと。
 群馬県内で一番新しい “温泉地” となりました。

 それ以前は、旧倉渕村と友好都市を結んでいた神奈川県横須賀市の保養施設でした。
 なので施設には、横須賀市の市花 「浜木綿」 の名が付けられています。


 僕は同21年に 『ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) を出版しています。
 この本には、やはり <県内で最も新しい温泉宿である> と書いてます。
 そして記載されている泉質は、ナトリウム・カルシウム―塩化物・硫酸塩温泉。

 <湧き出た湯は、黄金色した45度の高温泉。時間帯により色が変化するらしく、今日は光の加減か薄黄緑色に見える。>
 ということは、多少なりとも鉄分を含んでいるということです。


 さてさて、では今回は?
 と浴室のドアを開けて、驚いた!

 おったまげ~!!!!
 チャチャチャの真っ茶色です。

 「これはスゴイぞ!」
 と、最新の温泉分析書を拝見。
 確かに泉質は、含鉄(Ⅱ)―ナトリウム・カルシウム―塩化物冷鉱泉と表記が変わっていました。

 10年前の旧温泉分析書と見比べてみると……

 おおおおおーーー!!!
 凄い、スゴイ、すごい!
 約3倍近い数値になっています。

 前回だって、「含鉄泉」 は名乗れなかったものの、ほぼほぼ基準値に近い鉄分を含んでいたわけですから、3倍というのは、かなり濃厚であります。


 ということで、湯を堪能して参りました。
 ところが、今回はカメラマン同行の写真撮影付きの取材ということもあり、長時間の入浴を強いられてしまい、不覚にも、のぼせてしまいましたとさ(笑)。

 ここで教訓です。
 塩分と鉄分の多い温泉は、体感温度を低く感じる性質がありますので、長湯に注意しましょう!
  


Posted by 小暮 淳 at 11:44Comments(3)温泉地・旅館

2022年04月03日

けっぱれ! 川原湯温泉


 ≪老舗・山木館 一時閉館へ≫
 ≪コロナ禍 経営悪化≫

 ≪山木館が一時閉館へ≫
 ≪川原湯温泉の老舗旅館≫


 先週、県内の新聞は一斉に報じました。
 見出しが目に飛び込んだ時は、ただただ茫然としました。

 2020年3月の完成から丸2年となった八ッ場(やんば)ダム (群馬県長野原町)。
 旧川原湯温泉は湖底に沈み、約20軒あった旅館はダム建設に伴う移転で6軒に減りました。
 その6軒のうちの一軒、「山木館」 は約360年の歴史を持つ、川原湯温泉で最も古い老舗旅館です。

 ダム建設に伴い2013年に高台に移転しました。
 現在は15代目当主が切り盛りをしています。


 なぜ閉館へ?

 新聞記事によれば、いくつかの理由を挙げています。
 ●観光資源と見込んでいた八ッ場ダムは完成したものの、コロナ禍の影響で完成式典などが延期され、移転した温泉地をPRする機会が奪われた。
 ●宿泊客が安定しない中、特に今年の第6波以降は予約客がない日が続き、10日間連続の休業を余儀なくされた。
 ●全国的に知名度が高い草津温泉が車でわずか25分の距離にあり、宿泊客が流れて集客も思うように進まなかった。

 複合的な理由のようですが、ダム湖の完成と新型コロナウイルス感染拡大が重なってしまったことが、すべてに影響しいます。
 3番目の理由 “草津温泉に宿泊客が流れて” も、コロナ禍でなければ完成を祝うイベントや従来の温泉祭なども予定通り開催され、「草津の仕上げ湯」 としての知名度アップになっていたことでしょう。

 「山木館」 は5月21日のチェックアウトを最後に一時閉館することになりましたが、宿の規模を縮小して再開するとのことです。


 僕は4年前に雑誌の取材で、川原湯温泉を訪れました。
 その時、温泉協会長の樋田省三さんが語った言葉が忘れられません。

 <「次世代を担う若い後継者が、帰って来ています。私たちは過去を引きずっていますが、彼らには未来しかない。新しい川原湯温泉に期待しています」>
 (『グラフぐんま』 2018年1月号 「ぐんま湯けむり浪漫」 より)


 その未来のスタートと同時に温泉地を襲ったのがコロナ禍でした。
 でも未来は、まだ始まったばかりです。
 川原湯温泉の永い永い歴史に比べれば、微々たるもの。

 けっぱれ! 川原湯温泉!!
 温泉ファンは、みんな応援しています。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:57Comments(0)温泉地・旅館

2021年07月03日

猿ヶ京温泉 「生寿苑」②


 「あったこったか なかったこったか
 あったこったと話すから あったこったと聞かっさい」
 (語り部 口上より)


 猿ヶ京温泉 (みなかみ町) には、昔から 「座敷わらし」 の伝説があります。

 <昔、旅の夫婦が一夜の宿を借りてから、そこに男の子が現れるようになったそうです。
 奥さんが、男の子と遊んであげると、「奥座敷の床下を掘ってください」 と言ったそうです。
 言われた通りに夫婦が掘ってみると、そこには大判小判の入った金瓶が埋まっていました。
 その後、夫婦はその家で暮らすようになり、座敷わらしに似た可愛い男の子をもうけ、幸せにくらしたそうです。>
 (猿ヶ京温泉の民話 『座敷わらしの家』 より)


 この夫婦から数えて19代目にあたるのが旅館 「生寿苑」 の主人、生津秀樹さんです。

 「小暮さん、お久しぶりです。いつも見ていますよ」
 「えっ?」
 「トリビア図鑑ですよ!」

 2人の会話を聞いていたディレクターが、思わず口をはさんで、
 「ありがとうございます!」


 聞けば生津さんは、群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』 の大ファンなのだといいます。
 今までもテレビや新聞など多くのマスコミから 「座敷わらし」 の現れる宿として、取材依頼があったといいますが、すべて断ってきたといいます。
 それが今回、テレビカメラが入ることを心よくOKしてくださったのも、ひとえに 「番組のファンだったから」 と言います。

 ご主人、ありがとうございます!


 昨日は、語り部のシーンからの撮影となりました。

 猿ヶ京温泉には、地元の民話を影絵や紙芝居で聞かせる 『民話と紙芝居の家』 という資料館があります。
 ここ生寿苑では、定期的に 『民話と紙芝居の家』 から語り部に来てもらい、宿泊客の前で口演を行っています。
 ※(現在はコロナ禍のため休演中です)


 おもちゃやお菓子が山積みにされた畳の部屋。
 その前で、表情豊かに語られる愛嬌たっぷりの座敷わらし……

 「ハーイ、OKでーす!」

 ディレクターが合図を送った途端、照明のライトが 「バシッ!」 と音を立てて消えてしまいました。
 ヘッドフォンをはずしながら飛び上がる音声さん。

 座敷わらしも、初のテレビ出演に喜んでいるようでした。


 さて、座敷わらしは、テレビカメラに映ったのでしょうか?

 「あったこったか なかったこったか……」

 それは、放送を観てのお楽しみに!


 ※放送は、7月13日(火) 21:00~です。
   僕は、番組のナビゲーターとしてMCを務めます。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:56Comments(0)温泉地・旅館

2021年06月24日

猿ヶ京温泉 「小野屋八景苑」②


 <昔々、相俣村 (現・みなかみ町) には河童が棲んでいて、キュウリ畑を荒らしたり、いたずらをするので、村人たちは 「こらしめるために、ひっつかまえてくれるべ」 と話し合っていたんだと。そしたら、ある日、小野屋の婆さまが赤谷川で小豆を洗っていると、ザルに河童がひっかかったんだと>
 【民話 「かっぱのくすり」 より】


 昨日は群馬テレビのロケで、猿ヶ京温泉 (みなかみ町) へ行って来ました。
 僕は、『ぐんま!トリビア図鑑』 という番組のスーパーバイザー (監修) をしています。
 と同時に、ネタによっては、レポーター役を買って出ています。

 今回のテーマは、「カッパ」。
 県内各地に河童伝説は多々ありますが、「昔々、あるところに」 がほとんどで、場所が特定されている民話や伝説は、とても少ないのです。
 その中で、“最も信憑性が高い” のが、猿ヶ京温泉に伝わる、この 「かっぱのくすり」 です。

 だって、そのものズバリ! 捕獲者の屋号が伝わっているのですからッ!!

 「小野屋」 とは、現在の旅館 「小野屋八景苑」 のことです。
 そして、民話に登場する 「婆さま」 は、実在した小野家の先祖なのであります。


 ということで、我が番組制作班は、入念な資料集めをし、現地に入り下見を兼ねたロケハン (ロケーションハンティング) を済ませ、満を持した態勢で、この日を迎えたのであります。

 「この民話に登場するお婆さんは、いつ頃の方ですか?」
 「カッパが教えてくれたという薬は、何代目まで作れたのですか?」
 「薬の処方箋は、残っていますか?」
 などなど、レポーターの僕と現当主の小野公雄さんとの一問一答のトークバトルを収録してきました。


 そして撮影のラストは、お決まりの僕のヌードショー!?
 いえいえ、入浴シーンの撮影です。

 河童が捕獲されたという赤谷川は、現在は湖の底です。
 その湖を見下ろすように 「小野屋八景苑」 は建っています。
 そして露天風呂には、伝説の河童の像がたたずんでいます。

 「小暮さんは、やっぱり入浴シーンが似合いますね」
 とディレクター。
 「一応、温泉ライターを名乗っているものですから」
 と僕。
 「小暮さん、湖の方を向いて、しばらく黙って眺めていてもらえますか」
 とカメラマン。


 さて、どんな番組に仕上がるのでしょうか?
 オンエアは、7月13日(火) 21時~です。
 乞う、ご期待!
  


Posted by 小暮 淳 at 11:08Comments(0)温泉地・旅館

2021年06月22日

伊香保温泉 「和心の宿 大森」④


 嬉しいニュースが飛び込んできました!
 JTB主催による 「2020年度サービス優秀旅館・ホテル」 に、伊香保温泉 (渋川市) の 「和心の宿 大森(オーモリ)」 が選ばれました。
 群馬県内の施設では、2018年度の 「ホテル木暮」(伊香保温泉) 以来の表彰です。


 この表彰は1979年から毎年実施されており、北海道から沖縄までを7ブロックに分け、施設の大きさごとに優秀旅館と優秀ホテルが選ばれます。
 審査方法は、2020年4月~21年3月に宿泊客へのアンケートを実施し、「従業員のサービス」 や 「大浴場などの設備」、「食事などの評価」 について約20万人に調査しました。

 「大森」 は、関東ブロックの中規模旅館クラスで優秀旅館に選ばれました。


 いや~、大森さん、やりましたね!
 日頃の努力と誠意、モットーとする “和心(わごころ)” が評価されたものだと思います。
 一ファンとして、心からお喜び申し上げます。

 大森さんとの出会いは、20年以上ほど前になります。
 たまたまイラストレーターの友人が、女将と友人だったこともあり、宴会などで利用させていただきました。
 もちろん、まだ僕は “温泉ライター” を名乗る前ですから、仕事ではありません。

 その後、新聞や雑誌などの取材で、たびたび伺うようになりましたが、極めつけは、2017年に出版した 『金銀名湯 伊香保温泉』(上毛新聞社) でした。
 この本で僕は、渋川伊香保温泉観光協会に加盟する44軒全ての宿泊施設を取材しました。
 そして当時、協会長をしていたのが 「大森」 の3代目主人、大森隆博さんでした。

 そんな縁もあり、僕は同年に 「伊香保温泉大使」 に任命されました。


 その後は仕事のみならず、イベントにゲストとして呼んでいただいたり、プライベートでも友人らと泊まりに行き、今日まで公私ともにお付き合いをさせていただいています。

 なので、今回の表彰は、大使としてはもちろんですが、個人的にも大変よろこんでいます。


 大森さん、女将さん、おめでとうございます。
 また、青竹に入った地酒を露天風呂で呑みに行きますね!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:24Comments(0)温泉地・旅館

2021年04月17日

相間川温泉 「ふれあい館」⑦


 <湯をすくい、鼻先へ近づけると金気臭い。顔に触れると、ひげそり後の肌がヒリヒリする。なめると、かなり塩辛い。体にすり傷でもあれば、間違いなくしみることだろう。体を移動しようと手をついた瞬間、ふわりと尻が浮いた。それほどに塩分濃度が高い湯である。>
 (『ぐんまの源泉一軒宿』 より)


 「世のやみ洗う 相間川」
 ※上毛かるた 「世のちり洗う 四万温泉」 のパロディ

 「お湯の中にも コーリャ油が浮くよ チョイナチョイナ―」
 ※草津節の替え歌

 まー、いつ行っても館内のあちこちに、ダジャレやコピーが貼られています。
 浴室には、こんな言葉も……

 「カップラーメン お湯を注いで3分 相間川の温泉(おゆ) 入っても7分! これ以上は のびるだけ」

 お見事!
 思わず 「山田く~ん、座布団2枚」 と言いたくなる名コピーのオンパレードです。
 でもね、言い当てて妙なんですよ。


 ということで昨日は、この抜群のセンスの持ち主を訪ねて、相間川温泉 (高崎市) 「ふれあい館」 へ行って来ました。
 昨年の12月に 「相間川の温泉暖議(サミット)」 で、お世話になって以来ですから4ヶ月ぶりでした。
 お会いしたのは副支配人の秋山博さん。
 そう、この方が名コピーの生みの親であり、“温泉暖議” の仕掛け人であります。
 昨年のサミットが大好評だったため、今年も第2弾を開催することになり、その打ち合わせで伺いました。


 ま、打ち合わせといっても日程や講演内容をサクサクッと決めただけですからね。
 ものの30分ほどで終わってしまいました。
 打ち合わせが終われば、お楽しみの “入浴タイム” であります。

 まー、相変わらず、濃い~んです。
 内風呂も露天風呂も、黄褐色であります。
 いや、茶褐色かな? いやいや赤褐色か?
 それくらい鉄分が濃いということです。

 さらに独特の油臭が漂います。
 大量の油分を含んでいるためなんですね。
 これは太古の地層から抽出されたもので、地下に閉じ込められていた海水内の微生物が、地熱と地圧により変化したものと考えられています。
 原油が生成される原理と同じようです。

 時に、この油分が湯面に膜を張ります
 すると日光に照らされ、キラキラと七色に光り輝くことから、温泉ファンの間では 「虹色の湯」 なんて呼ばれています。


 そして極めつけは、塩分濃度です。
 ちょっと、なめてみてくださいよ!
 「しょっ、ぺーーーー!!!」
 って、顔がゆがんでしまいますから!

 塩分、鉄分、油分
 3種混合の濃厚泉ですから、好きずきがあります。

 ちなみに塩分と鉄分の多い温泉は、実際の温度よりも体感温度が低く感じられます。
 だから <7分以上は、のびるだけ> なんですね。


 脱衣場には、こんなポスターも貼ってありました。
 <要注意! 長湯・湯あたり>

 みなさんも相間川温泉へ行かれた際は、ご注意ください。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:51Comments(4)温泉地・旅館

2021年03月11日

あれから10年 ~あの日あの時 大胡温泉~


 「女将さん!?」
 「……あっ、いま、オフクロに換わります」
 息子さんが出たようです。
 「もしもし、女将さん!?」
 「……最近、オフクロったら耳が遠くなっちゃって。いま、補聴器を付けてますから」
 「もしもーし! 女将さんですか!?」
 少し間があって、
 「はいはい、元気ですよ。コグレジュンさん」

 なぜか女将は、僕のことをフルネームで呼びます。


 さるアナウンサーが、テレビの報道番組で、
 「東日本大震災から今年で10年を迎えます」
 と伝えたところ、被災者の方から注意をされたといいます。
 「震災は終わっていません。震災発生から10年と言うべきです」
 と……


 2011年3月11日、午後2時46分。
 あの日あの時、僕は大胡温泉 (前橋市) の一軒宿 「旅館 三山センター」 に居ました。

 なぜ僕は、あの日あの時、あそこに居たのだろうか?
 取材でもないし、入浴もしてないし……
 発生から数年間は失念していましたが、その後、理由が判明しました。

 その数日前、女将さんから電話をもらったのでした。
 「コグレジュンさんのファンの方が来て、手紙を置いて行ったのよ。ついでの時に、寄ってちょうだい」 と。
 そして、仕事の途中に、たまたま寄った時間が、午後2時46分でした。


 グラッ、グラグラグラ……
 ガタッ、ガタガタガタ……

 その揺れの大きさに驚いて、女将と従業員らとともに外へ飛び出し、駐車場の真ん中で、うずくまっていました。


 翌年から僕は、同じ日の同じ時間に大胡温泉を訪れて、女将と一緒に黙とうを捧げてきました。
 でも、2年前からは今日のように電話で、声を掛け合うようになりました。
 理由は、旅館が日帰り入浴をやめてしまったこと。
 それと、女将さんが高齢になり、旅館の経営を息子さんに任せるようになったからです。

 「女将さん、元気ですか?」
 「はいはい、おかげさまでね。コグレジュンさんも、お元気のようで」
 「はい、コロナに負けず、なんとか元気にやってます」

 他愛のない会話ですが、電話の声が、今は亡きオフクロの声と重なります。

 「たまには顔を見せて、くださいな」
 「はい、寄らせていただきます」


 あれから10年が経ちました。
 場所は離れていますが、今年も女将たちと一緒に、黙とうを捧げたいと思います。

 あの日あの時を忘れないために。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:29Comments(2)温泉地・旅館

2021年03月01日

猪ノ田温泉 「久惠屋旅館」⑪


 宅配便で段ボール箱が1つ、届きました。
 開けてみると中には、ペットボトルが4本。
 ラベルには、「絹の湯」 と書かれています。

 手紙が同封されていました。

 <この度は、ちいきしんぶんに掲載頂き、ありがとうございました。心ばかりの品ですが、源泉で乾燥肌を潤して下さい。また、ぜひ絹の湯へいらして下さい。お越しを心よりお待ちしております。>

 と、丁寧な文字で、したためられていました。
 差出人は、群馬県藤岡市の猪ノ田(いのだ)温泉 「久惠屋(ひさえや)旅館」 の若女将です。


 なぜ、突然、ペットボトルが送られてきたのか?

 それについてお話しする前に、いくつかのキーワードを説明をする必要があります。
 まず 「絹の湯」 ですが、これは猪ノ田温泉の源泉名です。

 猪ノ田は西上州で最も古い湯治場として、江戸の昔より地元民に利用されていました。
 明治時代には 「皮膚病に効く」 という評判が高まり、県外からも医者に見放された病人がやって来るようになったといいます。

 源泉は硫化水素を含む独特の腐卵臭がすることから 「たまご湯」 と呼ばれていましたが、現在は、その浴感のなめらかさから 「絹の湯」 といわれ、ふたたび傷ややけど、アトピー性皮膚炎に効く薬湯として、全国からうわさを聞きつけた湯治客が訪れています。


 次に、「ちいきしんぶん」 掲載についてです。
 「ちいきしんぶん」 は、高崎市内に配布されているフリーペーパーです。
 僕は、この情報紙に 『小暮淳のはつらつ温泉』 というコラムを連載しています。
 その第58回 (2021年2月19日号) で、「復活した西上州の湯治場」 と題して、猪ノ田温泉の湯について書きました。

 そして記事の中で、効能の1つとして実体験に触れました。
 それが、「乾燥肌」 です。

 冒頭で、
 <私は子どもの頃から、冬になると乾燥肌に悩まされています。風呂から上がり、布団に入ると、体中がかゆくて、なかなか寝つけません。>
 と触れ、末尾で、
 <私は毎年、冬になると就寝前に、この源泉を肌に塗っています。おかげで今年も快適に過ごしています。>
 と結びました。


 すると、途端、反響があり、この記事を持ってやってくる入浴客が何人もいたそうです。
 それで、女将と若女将が相談して、僕に源泉を送ってくださったそうです。

 そろそろ源泉の在庫が切れそうだった頃だったので、大変助かりました。
 でも、なんだが、催促しちゃったようですね。
 申し訳ありません。

 コロナが終息したら、寄らせていただきます。
 その時まで、お元気で!
  


Posted by 小暮 淳 at 09:51Comments(2)温泉地・旅館

2020年08月31日

川原湯温泉 「やまきぼし」


 <5年後には “旧七軒” と呼ばれていた旅館が、すべて揃います。そうすれば、もう少し温泉街らしくなると思います。>
 (当ブログの2017年11月24日 「川原湯温泉のゆくえ④」 より)


 うれしい知らせが届きました。

 川原湯温泉(長野原町) の “旧七軒” の一つ、「やまきぼし」 が、代替地に移り、宿泊業を5年ぶりに再開しました。
 冒頭のセリフは、3年前に雑誌の取材で川原湯温泉を訪ねた時に、川原湯温泉協会長であり、「やまきぼし」 社長の樋田省三さんから聞いた言葉です。


 周知のとおり、旧川原湯温泉はダム建設計画から60余年後の今年、長い長い闘争と翻弄の日々を終え、湖底に沈みました。
 かつては約20軒あった宿泊施設も、移転前には10数軒となり、現在、代替地で再開した宿は、「やまきぼし」 で6軒目となります。

 僕が最初に旧川原湯温泉の 「やまきぼし旅館」 を訪ねたのは、30年ほど前のこと。
 当時、勤めていた雑誌社の記者として、極寒の真冬に奇祭 「湯かけ祭り」 を取材しました。
 その時、お世話になった宿が 「やまきぼし旅館」 でした。
 でも、まだ駆け出しだったため、取材に夢中で、温泉と旅館の記憶は、ほとんどありません。

 それから10年ほどして、もう一度、訪ねています。
 この時はプライベートで、目的は “温泉王” といわれる作家の嵐山光三郎氏が命名した露天風呂の 「崖湯」 に入りに行きました。
 当時、嵐山氏は頻繁に川原湯温泉を訪れ、老舗旅館の “旧七軒” のご主人たちと、「夜話会」 なる呑み会を開いていました。
 たぶん僕は、作家として、そして温泉ライターの大先輩として、嵐山氏にあこがれていたのだと思います。
 ※川原湯温泉での 「夜話会」 については、嵐山光三郎著 『温泉旅行記』(ちくま文庫) に詳しく書かれています。


 営業再開に際しては、樋田さんの長男、恒祐さんが後継ぎとして入り、素泊まりなどの需要に対応する新しいスタイルの湯宿 「やまきぼし」 として、再スタートするとのことです。
 少しずつ、少しずつですが、新生・川原湯温泉に、にぎわいが戻りつつあります。

 3年前の取材で、樋田さんは、これからの川原湯温泉について、こんなふうに話していました。
 <次世代を担う若い後継者が、帰って来ています。私たちは過去を引きずっていますが、彼らには未来しかない。新しい川原湯温泉に期待しています。>
 (「グラフぐんま」 2018年1月号、温泉ライター小暮淳の 『ぐんま湯けむり浪漫』 より)

 僕も、大いに期待しています。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:55Comments(0)温泉地・旅館

2020年07月12日

新鹿沢温泉 「鹿澤館」


 また残念なニュースが飛び込んで来ました。

 新鹿沢温泉(嬬恋村) の “シンボル” として親しまれてきた老舗旅館の 「鹿澤館」 の本館が、取り壊されることになりました。
 昨年10月に東日本を襲った台風19号により、大量の土砂が流れ込む被害を受けて、営業を休止していました。
 修復には膨大な費用がかかる上、そこへ、このコロナ禍の追い打ちをくらいました。
 やむなく、営業の再開を断念したとのことです。


 まさに、新鹿沢温泉のシンボル!

 新鹿沢温泉に行ったことのある人ならば、必ず目にしたことでしょう。
 その威風堂々とした佇まいは、訪れる者を圧倒しました。
 木造2階建ての本館は入母屋造りで、瓦ぶきの屋根には千鳥破風 (屋根の斜面に取り付けた三角形の装飾版) が施されています。
 また玄関前の車寄せは、寺社建築に見られる唐草絵の彫刻や格天井で造られています。

 「鹿澤館」 の創業は昭和9(1934)年。
 当時、洋風の旧本館や木造3階建ての客間などが次々と建築されましたが、同29(1954)の火災で、ほとんどが焼失。
 かろうじて難を逃れたのが、現在の本館だといわれています。


 温泉ファンは、ご存じだと思いますが、新鹿沢温泉は大正7(1918)年の大火で全戸が焼失してしまった鹿沢温泉から移転し、再建された温泉地です。
 湯元である 「紅葉館」 だけが旧鹿沢に残り、かつては7軒の旅館が新天地で営業を続けていました。
 これで鹿澤館が再開を断念すると、新鹿沢温泉は3軒になってしまいます。
 とっても残念です。

 で、ここで、お知らせです。

 同館を記録に残し、後世に伝えておこうと、鹿沢温泉観光協会と嬬恋村では、7月19日(日) に、「お別れ内覧会」 を開催します (参加無料、午後1時~5時)。
 昔の写真の展示や同温泉街の入浴券の配布、同館を撮影対象とするフォトコンテストなどを実施する予定です。

 詳しくは、動画投稿サイト 「ユーチューブ」 の 「さようなら鹿澤館 お別れ内覧会」 を、ご覧ください。
 ●問合/嬬恋村総合政策課 TEL.0279-96-1257
   


Posted by 小暮 淳 at 11:35Comments(0)温泉地・旅館

2020年06月23日

谷川温泉 「別邸 仙寿庵」


 コロナ自粛解除後、初の温泉は、谷川温泉(みなかみ町) でした。
 しかも仕事ではなく、プライベートでもありません。
 それは何かと問われたら?

 しいて言うなら、公務でしょうか!?
 でも、「みなかみ温泉大使」 としてではありません。
 無理やり、こじつけるならば、自称 “群馬の温泉大使” としての布教活動です。


 世の中には殊勝な人たちがいるもので、こんな僕から夜通し温泉話が聞きたいと、わざわざ東京から3人の若者(男2、女1) が、群馬のみなかみ町くんだりまで来てくださったのであります。
 しかも、「温泉夜話」 の会場に指定してきたのが、なななんと! 「別邸 仙寿庵」 だったのです。

 仙寿庵といえば、群馬を代表する高級温泉旅館であります。
 もちろん僕は、取材で何度か伺ったことはありますが、すべて日帰りです。
 宿泊の時は、いつも本館の 「旅館たにがわ」 にお世話になっていました。
 では、なぜ、若者たちが、そんな高級旅館を指定して来たのでしょうか?

 理由を聞けば、納得。
 3人が勤める会社の社長さん御用達のお宿なのだそうです。
 それにしても、スゴイ!

 でも理由はなんにせよ、そうと決まれば、自粛解除を祝って、豪華に優雅に存分に満喫しようじゃありませんか!
 ということで、昨日は雨の中、いそいそと谷川温泉に向かいました。


 ウェルカムドリンクの生ビールをロビーでいただきつつ、雨に煙る谷川岳を眺めながら、“ご褒美タイム” のスタートです。
 ここからの景色のことを、僕は著書 『みなかみ18湯 (下) 』 の中で、こう書いています。
 <対峙する山並みと庭園を包み込むように曲線を描く廊下は、あたかも美術館のようだ。天井まで続く漆喰(しっくい) と京土壁。和と洋の美しさが、自然の緑と相まって、なんとも不思議な空間を創り出している。>

 約1000坪の建物内に、客室は18部屋のみ。
 いわば、“デザイナーズ旅館” と呼ばれるブームの先駆者のような宿です。
 設計を担当した建築家の羽深隆雄氏は、1998年に仙寿庵で日本建築仕上学会賞の作品賞を受賞しています。
 また2016年には、旅行業界のアカデミー賞とも称されるワールド・ラグジュアリーホテル・アワードで、「Luxury Hideaway Resort」 を受賞しています。


 ま、そんな宿ですら、取材するのと実際に泊まるのでは、大違いです。
 広~い部屋に通されても、ポツンと一人ぼっちで、やることがありません。
 主催者の3人が来るまでは、ひたすら温泉三昧に興じることにしました。
 大浴場と露天風呂、そして客室の露天風呂と、温泉ライター冥利に尽きる贅沢な時間を満喫させていただきました。


 午後6時過ぎ、おじいさん1人と若者3人が、宴の席に揃いました。
 自分で自分のことを “おじいさん” と呼んだのは、だって、3人とも若いんですもの!
 (僕の息子や娘より、若いのです)

 「お会いできて、大変うれしいです」
 「いえいえ、こちらこそ、こんな素敵な宿にお招きいただき、ありがとうございます」
 「まずは、乾杯いたしましょう。小暮さんは、日本酒ですか?」
 「あ、はい……いや、なんでも」
 とかなんとか、世代間ギャップを跳ねのけるべく、一気にのんで、一気に酔って、マシンガンのごとく温泉説法を撃ちまくったのであります。

 気が付けば、宿のスタッフから 「お時間です」 の合図。
 「では、続きは僕らの部屋で」 との誘いに、「私は、もう歳ですから、このへんで」 と断ればいいものの、「いいですねぇ、行きましょう!」 と最年長の自覚もないまま、深夜のトークバトル会場へ。

 結果、話のテーマは温泉から民話、はては妖怪から未確認生物までオーバーヒート!
 それでも、楽しくて嬉しくて、久しぶりに笑い転げました。
 やっぱり、これがリモートではない、“リアル飲み会” の醍醐味なんでしょうね。


 少しずつですが、僕の日常が返ってきました。
  


Posted by 小暮 淳 at 15:18Comments(0)温泉地・旅館

2020年06月03日

老神温泉 「楽善荘」②


 「ありがとうございます。お知り合いの方が、泊りに来てくださいました」
 突然、老神温泉(沼田市) の 「湯元 楽善荘」 の女将さんから電話がありました。
 本当に、お久しぶりです。

 老神温泉には約15軒の宿がありますが、知る人ぞ知る老神ファン御用達の小さな宿です。
 ご夫婦だけで商っているため、全室素泊まりのみ!
 でも屋号に “湯元” と付いているだけあり、湯は絶品!
 もちろん、加水なし、加温なし、完全放流式です。

 だから僕は、取材等で温泉地に入り込む際は、時々、利用させていただいています。


 「知り合い?」
 「はい、○○様です」

 ○○さんが老神温泉へ行かれることは、事前にメールをいただいていましたが、決して僕は 「楽善荘」 の名を出して、薦めたわけではありません。
 ○○さんが、自分で選んだ宿です。

 女将さんから 「ありがとうございます」 なんて、礼を言われる筋合いはありません。
 そう答えると、こんな話もしてくれました。

 「小暮さんのご近所という方が、泊りに来られたこともありましたよ」
 「近所?」
 「ええ、小暮さんは、よく散歩をしていると言ってましたから……」
 「はあ……、では近所の方ですね」
 僕には、思い当たる節がありません。

 「小暮さんの読者だとも、言っていました」
 「はあ……」
 ますます分からなくなってきました。
 町内に、僕の仕事を知っている、マニアックな温泉好きがいたのですね。
 もちろん、僕には、散歩の途中で町内の人と、楽善荘の話をした記憶はありません。

 いずれにしても、お二方とも、大の温泉好きで、僕の本を読んでいて、あまたとある群馬県内の温泉地と温泉旅館の中から、老神温泉の楽善荘を選んだということです。
 僕の本を、そこまで読み込めるとは、かなりの温泉通であります。


 「コロナの影響は、いかがですか?」
 「ええ、大きな宿は、今月いっぱい休むようですよ」
 「今年は大蛇まつり(5月) も中止になってしまいましたものね」
 「本当にね、さみしい限りです」

 女将さん、必ずまた、行きますからね。
 それまで、ご主人と仲良く、元気でいてくださいね!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:48Comments(0)温泉地・旅館

2020年03月16日

霧積温泉 「金湯館」⑩


 朗報が飛び込んできました!

 昨年10月の台風19号により、路肩が崩落して全面通行止めになっていた霧積温泉(安中市) へ続く県道の復旧作業が完了しました。
 これにより、今まで陸の孤島だった一軒宿の老舗旅館 「金湯館」 の営業が本格再開しました。

 良かった! 本当に良かった!


 昨日の毎日新聞に4代目主人、佐藤淳さんのコメントが載っていました。
 <設備に支障はなかったが、県道再開のめどが立たず、廃業も頭をよぎった。>
 収入が途絶える不安から、転職も考えたといいます。でも、
 <伝統ある旅館を自分の代で途絶えさせたくない。>
 と女将の知美さん、先代女将のみどりさんとともに決意を固め、徒歩で来られる登山客らの受け入れを始めました。
 ※(当時の様子は、当ブログの2019年12月1日 「霧積温泉 金湯館⑨」 参照)


 歴史をたどれば、“秘湯” と呼ばれる温泉は、いつの世も災害との闘いのくり返しです。
 霧積温泉も例外ではありません。

 金湯館の創業は、明治17(1884)年。
 往時は旅館が5~6軒あり、別荘が40~50棟立ち並び、避暑地として大いににぎわっていたといいます。
 伊藤博文や勝海舟、幸田露伴、与謝野晶子ら政治家や文人たちも多く訪れています。

 ところが同43年、一帯を山津波が襲いました。
 そして、金湯館以外の建物は、すべて泥流にのみ込まれてしまいました。
 その後、昭和30年代から親族が1キロ下流で旅館を開業していましたが、9年前に廃業。
 金湯館は、また一軒宿になってしまいました。


 県道寸断中のキャンセルは、延べ700人に上ったといいます。
 それでもSNSには 「頑張って続けてください」 「再開したら行きます」 との励ましの言葉が寄せられました。
 また、約30人もの登山客が、約3時間かけて訪ねて来たといいます。

 湯よりも温かい、人の温かさを感じます。


 良かったですね、淳さん、知美さん、みどりさん。
 また会いに行きます!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:13Comments(0)温泉地・旅館

2020年03月07日

尻焼温泉 「ホテル光山荘」③


 <長笹沢川に架かる橋の名は 「尻明橋(しりあきばし)」 という。かつて 「尻焼(しりやき)」 の文字を嫌って、温泉名を 「尻明」 「白砂(しらす)」 「新花敷(しんはなしき)」 などと称した時代があった。この橋は、その頃の名残である。>
 (『群馬の小さな温泉』 より)


 “群馬の秘湯” と聞いて、尻焼温泉(中之条町) を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?
 一時、雑誌やテレビなどで、川全体が露天風呂になっている野趣あふれる写真や映像が紹介されるやいなや、秘湯ブームに乗っかって、大混雑したことがありました。
 でも今は、また元の湯治場風情に包まれた静かな温泉地にもどっています。

 前日の雪が残る中、昨日は久しぶりに取材で尻焼温泉へ行って来ました。
 名物の川風呂には、平日の午前中にもかかわらず、数名の男性が湯を浴んでいました。
 「あの人たち、近くでキャンプをしている人たちですね」
 そう教えてくれたのは、川風呂から一番近い宿 「ホテル光山荘」 のオーナー、小渕哲也さんです。
 彼とは、かれこれ10年以上の付き合いになります。

 僕は、尻焼温泉のある中之条町の観光大使でもありますが、みなかみ町の温泉大使でもあります。
 そして小渕さんは、みなかみ町のうのせ温泉にある 「旅館 みやま」 のオーナーでもあるため、双方の総会やイベントなど、その他もろもろで大変お世話になっている方でありす。
 今回は、僕が雑誌の取材に来ることを知って、わざわざ旅館まで来てくださいました。


 尻焼温泉の発見は古く、嘉永7(1854)年の古地図に温泉地として記されています。
 川の中の野天風呂として村人たちが利用していたらしいのですが、温泉宿が建ったのは遅く、昭和になってからでした。
 往時は5~6軒の旅館がありましたが、現在は3軒です。
 その中で一番古い宿が、昭和52(1977)年創業の光山荘です。
 宿名の由来は、創業者が “鉱山” を所有していたからだといいます。

 そして3軒の宿の中で唯一、自家源泉を保有しています。
 以前、僕は著書の中で、こんなふうに書いています。
 <湯は熱いのだが、不思議とクールな浴感であることに気づいた。まるでミントの入浴剤に入っているような清涼感である。その感覚は、湯から上がっても変わらない。体が火照ることなく、汗も吹き出さない。なんとも涼しい湯である。>

 「小暮さんの本を読んだ人が、実際に湯を確かめに来るんですよ」
 小渕さんに言われたことがありました。
 「それで?」
 「みなさん、『本当ですね』 と納得して帰られます」


 はたして、今日の湯は?

 源泉の温度は約54度もあります。
 それが加水されることなく、ドバドバとかけ流されているのですから、やはり熱いのです。
 でも、ご安心を!
 浴室には、大きな湯かき棒が置かれています。
 これで豪快に、バシャバシャと湯をもんでやるのです。

 すると不思議不思議、スーッと体が湯の中に入って行くのです。
 それからは、上記のように著書に書いたとおりです。
 清涼感があり、湯上がりも汗が出ませんでした。


 「相変わらず、いい湯ですね」
 「ありがとうございます」
 「湯がいいのは、湯守(ゆもり) の腕がいいからですね」
 「だったら私ではなく、毎日、湯をみている女将に言ってやってください」

 だからロビーで、女将に言ってあげました。
 「グッジョブ!」


 いい湯に出合えると、本当に幸せな気分になりますね。
 オーナー、女将さん、取材協力ありがとうございました。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:08Comments(3)温泉地・旅館

2020年01月29日

上牧温泉 「辰巳館」⑧


 今さら辰巳館については、語ることはないのですが……

 大正時代に初代が温泉を発見した上牧温泉で最も古い旅館であること。
 源泉は弱アルカリ性で、昔から 「化粧の湯」 と呼ばれ美肌効果があること。
 「裸の大将」 で知られる山下清画伯が滞在して、浴室に大壁画を描き残した宿であること。
 などなど、復習の意味も込めて、バスの中でスピーチをさせていただきました。

 昨日は、NHK文化センターの野外温泉講座日でした。
 僕は講師を11年務めています。
 上牧温泉(みなかみ町) の老舗旅館 「辰巳館」 を訪れるのは、この講座では3回目となります。

 昨年実施した受講生への 「もう一度行きたい温泉旅館」 のアンケートでも一番人気の宿です。
 ということで、リクエストにお応えして2020年新春第1回目の講座は、辰巳館に決りました。


 人気の理由は、湯の良さもさることながら 「献残焼(けんさんやき)」 と呼ばれる料理にあります。
 雪深い上越地方に伝わる郷土料理で、高貴な方に献上した物のおすそ分けを焼いて食べたことから名付けられたといいます。
 また昔、上牧では上杉と武田の豪族の戦いが長いこと続いたといわれ、武士が夕焼けの空を背に山菜や川魚を剣に刺して、焚き火にかざして焼いたからともいわれています。
 赤々と燃える炭火の上で、串に刺した川魚や地鶏、旬の野菜を焼いていただきます。

 辰巳館には、大切にしている 「三温」 と呼ぶ3つの “温もり” があります。
 人の温もり、湯の温もり、そして、この旬を食す炭火の温もりです。


 「かんぱーい!」
 「今年もよろしくお願いしまーす!
 湯上がりに地ビールを呑みながら炭火を囲んで新春の宴が始まりました。

 受講生のみなさん、よろしくお願いいたします。
 今年も名湯・秘湯をたくさんめぐりましょうね!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:18Comments(0)温泉地・旅館