温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2021年01月01日

免疫元年の幕開け


 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。


 いよいよ、「免疫元年」 の幕開けです。

 これは、まことしやかな俗説ではありますが、この新型コロナウイルスの感染拡大というのは、地球自体が地球環境を維持するために、増え過ぎた人類を淘汰するために行っている自然治癒現象なのではないかと……。
 このままでは地球上の人類以外の生物は滅び、人類自体も食糧危機に陥ってしまう。
 その前に、最強ウイルスを発生させたのではないか……。

 となれば私たち人類は、今、生き残りをかけた地球最大の決戦の真っただ中にいることになります。

 でも、ご安心あれ!
 我ら大和民族は、古来、“湯治” という温泉を利用した民間療法により、幾多の災厄を乗り越えてきました。
 いまこそ、この 「湯治力」 を見直し、最大限に利用して、生き残ってみせようではありませんか!


 なにも先人たちは、病気やケガを治すためだけに湯治に通っていたわけではありません。
 最大の理由は、“未病” のためです。
 農業や漁業で疲弊した体を、温泉の力でリセットし、明日への活力に変えていたのです。

 そうです!
 免疫力のアップを行っていたのです。


 人間の体温は、1℃上がると体内の免疫力は5~6倍になるといいます。
 また逆に、1℃下がると30%低下するそうです。
 風邪を引いて発熱するのも、白血球がウイルスと戦うため、好条件ととれる37.2℃以上に体内温度を上げるためです。
 (一説では、がん細胞は35℃以下で活発になり、40℃以上で死滅するとも)

 ということは、体温を上げることが、いかに大切かが分かります。


 体温を上げるだけなら、なにも、わざわざ温泉に入ることはありません。
 自宅の風呂で十分です。

 しかし温泉には、水道水にはない多大なる効果を持ち合わせているのです。

 まず、「薬理効果」。
 入浴により温泉の成分が皮膚から浸透します。
 また飲泉をすれば胃腸からも吸収し、湯気の吸引からも薬効成分を体内に取り入れます。

 そして、何よりも最大の効果は、「転地効果」 です。
 ストレスの多い日常から離れ、風光明媚で自然豊かな環境に身を置くことこそが、心と体をリフレッシュさせ、“未病” への基礎体力を養ってくれます。


 いかがですか?
 もし、あなたが、この地球に生き残りたいなら、湯治の力を信じ、免疫力のアップを試みてください。

 『温泉で免疫力アップ!』

 これが、今年の合言葉です。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:51Comments(0)温泉雑話

2020年10月12日

コロナに消えた祭り


 30年以上も昔のことです。
 当時、僕はタウン誌の記者になりたてで、グルメ記事を書くために、県内のレストランや食堂を東奔西走していました。
 もちろん、すべて日帰り取材です。

 「やったー! 本当にいいんですか?」
 思わず編集長に、そう問いただしたほどでした。
 「仕方ないだろ、日の出前の早朝取材なんだから前泊しなけりゃ」

 県内なのに、初めての宿泊出張取材の許可が出た瞬間でした。


 川原湯温泉 (長野原町) で約400年前に始まったという奇祭 「湯かけ祭り」。
 その昔、温泉が枯渇してしまった際、湯のにおいがゆで卵に似ていることからニワトリをささげて祈願したところ、再び湯が湧き出したたため、湯をかけあって喜んだのが祭りの起源とされています。

 ふんどし姿の男たちが、1月の大寒の早朝に、紅白に分かれて湯をかけ合います。
 その時のかけ声が、「お祝いだ!」。
 これは、「お湯湧いた!」 が転じたとも言われています。

 当時の僕は、駆け出しの記者です。
 濡れないようにとカメラをビニールでくるみ、自身もフード付きのレインコートに身を包んで臨んだ記憶があります。
 その群衆の最前列で奮闘する姿が、NHKのテレビニュースで流れ、後日、編集長に褒められたことも記憶に残っています。


 30年前のことですから、その頃はまだ湖底に沈む前の旧温泉街での祭りでした。
 現在の代替地に移転してからも伝統ある祭りは、毎年、必ず開催されてきました。

 その祭りが、来年は中止になると発表がありました。
 理由は、「新型コロナウイルス感染症対策が困難なため」 とのことです。
 戦時中の混乱期以降、初めての中止です。
 住民にとっては、苦渋の決断だったと思います。
 それだけに残念でなりません。


 長引くコロナ禍は、まるで津波や土砂崩れのように、二次災害、三次災害へと波紋を広げています。
 無病息災、コロナ退散、世界平和を願いつつ、静かに湯の神様にお祈りをささげたいと思います。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:57Comments(2)温泉雑話

2020年09月22日

『湯けむりの先に』 最終回


 今月7日から上毛新聞の最終面にて大々的に始まった特別連載 『湯けむりの先に』。
 隔週の月・火曜日の掲載で、今日、最終回を迎えました(全4回)。
 ※(掲載のいきさつについては、当ブログ2020年9月7日 「連載開始!『湯けむりの先に』」 を参照)


 シリーズではコロナ禍の温泉地の現状を、多方面から切り口を変えて追いかけています。
 第1回 「需要消失」 では、自粛により苦悩する温泉宿や県のキャンペーン効果についてをレポート。
 第2回 「事業承継」 では、後継者不在により存続が危ぶまれる秘湯の一軒宿の “いま” を取材。
 第3回 「もてなし」 では、時代のニーズに合わせて変わろうとする旅館やホテルの接客のようすを報告。

 そして、今日の最終回のテーマは、「魅力創出」。
 ズバリ、“温泉王国ぐんま” の魅力に迫ります。

 たとえば、旅行のプロが選ぶ温泉地ランキング 「にっぽんの温泉100選」 で、草津温泉が17年連続で1位に選ばれていること。
 また、インターネット接続大手のビッグローブの温泉大賞でも、群馬が都道府県別の番付で 「東の横綱」 に君臨していること。
 さらに伊香保温泉が 「温泉まんじゅう」 の、磯部温泉が 「温泉マーク」 の発祥地など、群馬の温泉文化の奥深さにも触れています。


 しかし記事では、群馬県が大きな難題を一つ、抱えていることをあぶり出します。
 それは、知名度です。

 “温泉県” としては知られているのに、“観光県” としては低迷している現状です。
 毎年発表される都道府県の 「魅力度ランキング」 では、常に下位です。
 このことについて、都内の旅行会社は、こうコメントしています。

 「商品としてみると、群馬は華がない」

 首都圏からも約1時間と近く、アクセスも良く、有名温泉地もある。
 なのに “旅のパック” としては弱いということのようです。

 確かに、言われてみれば、その通りです。
 温泉県だけど、観光県ではないということですね。


 でも、どうでしょう?
 これは考え方一つではないでしょうか?

 受験勉強と同じですよ!
 苦手科目を克服するか、得意科目を伸ばすか……

 だったら “温泉一本” で行きましょうよ!!


 そんな考えにまで及んだ、好企画の連載記事でした。
 執筆を担当した井部記者、堀口記者、大変お疲れさまでした。
 丁寧な取材と記事をありがとうございました。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:48Comments(0)温泉雑話

2020年09月19日

最終回!今日の毎日新聞


 <心や体を癒やしに温泉に行く──。群馬県の温泉に詳しい前橋市在住のフリーライター、小暮淳さんは、そんな昔の 「湯治」 のような素朴な旅を自書や講演などで長年推奨してきた。>
 (2020年9月19日付 毎日新聞首都圏版より)


 いよいよ、最終回となりました。
 今月5日付より、毎日新聞の首都圏版にて掲載が始まったシリーズ 『やすらぎの宿』 「霧積温泉 金湯館」 (全3回) が、今日、完結しました。

 ざっと、これまでの記事の紹介をすると……

 「上」 (第1回)
 <偉人が愛した避暑地>
 <人気小説の原点にも>
 と題し、明治時代には避暑地として人気があり、伊藤博文や勝海舟などが訪れたことや、詩人・西条八十が書いた詩の一節をモチーフにした作家・森村誠一のベストセラー小説 「人間の証明」 の舞台になったことに触れています。

 「中」 (第2回)
 <110年一軒で守りつぐ>
 <山津波被害後に託され>
 との見出しで、度重なる災害と闘いながらも、家族で温泉と宿を守り続ける佐藤家 (湯守) のこれまでを追いながら、毎分300リットルという豊富な量を誇る湯の魅力についても記しています。


 そして、今日の最終回 「下」 (第3回)
 <秘湯で心や体癒やす>
 <手つかずの自然 脅威に>

 またしても襲いかかる自然の猛威!
 昨年10月に群馬県を襲った台風10号により、県道が崩落し、通行止めになってしまった金湯館。
 それでも湯治客らは、長野県側のルートから山道を3時間も歩いて、やって来てくれたといいます。

 4ヶ月後の2月、県道が復旧したのも束の間、3月に入ると今度は新型コロナウイルスの感染拡大で、ふたたび秘湯の宿は苦境に立たされました。
 そこで、僕の登場となります。

 冒頭に続き、こうコメントしました。
 <コロナ禍だからこそ小暮さんは源泉を守る温泉宿にエールを送る。「大きな宴会などはできずとも、行ったことがない近場の小さな温泉地の魅力を再確認するような機会になれば」>


 筆者の尾崎記者、丁寧な取材と記事を、ありがとうございました。
 今後、ますますの活躍を楽しみにしています。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:54Comments(0)温泉雑話

2020年09月12日

今日の毎日新聞 『くつろぎの宿』


 <群馬県の温泉に詳しい前橋市のフリーライター、小暮淳さんに聞くと、金湯館のような 「源泉一軒宿」 が県内に40軒近くあり、残念ながら年々減りつつあるという。「霧積温泉は群馬で一番の秘湯でしょう」>
 (2020年9月12日付、毎日新聞首都圏版より)


 人の縁とは、不思議です。
 長い人生において、一度会ったきり二度と会わない人というが、ほとんどです。
 それが仕事での出会いとなれば、なおさらで、担当が変わったり、勤務地が異動になったりすれば、そのまま音信不通になってしまうのが、人の常です。

 でも、この記者は、違いました。


 今から5年前、僕はNPO法人 「湯治乃邑(くに)」 を設立しました。
 その時、真っ先に、オンボロ事務所(雨漏りがする借家) に駆けつけてくれたのが、当時、毎日新聞の前橋支局に在籍していた尾崎修二記者でした。

 <湯治場として復活計画>
 <前橋のライター小暮さんらNPO設立>
 (2015年10月18日付、毎日新聞群馬版より)

 そんな見出しが躍る記事を、地元版に書いてくださいました。


 その翌年のこと。
 「小暮さんの活動を、もっと全国の人に知ってもらいましょう」
 と連絡があり、再度、取材を受けました。

 <発信 地方から>
 <守りたい 「源泉一軒宿」>
 (2016年3月22日付、毎日新聞全国版より)

 という記事が載りました。
 今度は、全国版です!
 反響は、前回の比ではありませんでした。
 日本中の読者から、このブログにコメントが入り、アクセス数も1日で3,000を超えました。


 「なんで、そこまでしてくれるの?」 
 なにげに訊いたことがありました。
 すると彼は、たった一言、
 「温泉が好きなんですよ」
 そう言った記憶があります。

 そして、コロナ禍の今年……
 またしても連絡がありました。
 すでに彼は異動をしていて、現在は東京本社の勤務です。
 それでも、群馬の温泉の記事を書きたいと言います。


 そして先週から毎日新聞の首都圏版にて、『くつろぎの宿』 霧積温泉 金湯館の連載 (全3回) が始まりました。
 今日の掲載が、第2回目です。

 <110年一軒で守りつぐ>
 <山津波被災後に託され>

 と題して、幾多の災害を乗り越え、家族だけで守り続ける一軒宿の “いま” をレポートしています。
 でも彼の記事は、資料に基づく、報告だけではありません。
 実際に、自分の足で歩き訪ね、温泉に入り、宿に泊まり、湯の浴感に至るまで、ドキュメント・スタイルで詳細に記しています。
 その文章を読めば、いかに彼が温泉を愛しているかが分かります。

 そして記事には、冒頭の一文が登場します。


 来週 (次回) の最終回を楽しみにしています。
 そして、尾崎記者のますますの活躍を期待しております。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:53Comments(0)温泉雑話

2020年09月07日

連載開始! 『湯けむりの先に』


 今日から上毛新聞の紙面にて、『湯けむりの先に』 と題した特集記事の連載が始まりました。

 僕が新聞社から長時間にわたる取材を受けたという話を覚えていますか?
 ※(当ブログの2020年8月27日 「消えゆく一軒宿」 参照)
 その時の話を基に、若手記者たちが県内を東奔西走して、足で集めて来た珠玉の特集記事です。

 第1回目の今日のテーマは、「需要消失」。
 コロナ禍の不況にあえぐ、温泉地の現状を丁寧にルポしています。


 記事は、インバウンド(訪日外国人客) の減少や群馬県の 「泊まって!応援キャンペーン」 愛郷ぐんまプロジェクト、政府の観光支持事業 「Go Toトラベル」 キャンペーンなどに触れながら、今後の温泉地の在り方を問います。
 この中で、僕が個人的に興味を持った事柄があったので、紹介したいと思います。

 それは、四大温泉地 (伊香保、草津、四万、みなかみ) の宿泊者数の増減です。
 4、5月の宿泊者は、どの温泉地も対前年比8~9割減という落ち込みようです。
 6月からは、県民が泊まると1人1泊5,000円を割り引くというキャンペーンが始まり、どの温泉地も5割まで増加します。
 そして、7月……
 みなかみ64.9%、草津79.2%、伊香保98.3%と順調に回復する中、四万だけは100.5%という昨年を上回る集客がありました。

 これは、どういうことでしょうか?
 県は <県民に群馬の観光を守ってもらった>、四万温泉協会は <地元の魅力を再発見してもらう機会になった> とコメントしています。

 ゆえに、県民が “群馬の温泉” を守ったということです。
 やはり県民には、群馬が “温泉県” である自負と誇りがあったのですね。
 うれしい限りです。


 では、なぜ四万温泉だけが、前年比超えを果たしたのでしょうか?

 これは僕の推測ですが、まだまだ県民の中には、四万へ行ったことがなかった人が、たくさんいたのではないでしょうか。
 上毛かるたに 『世のちり洗う 四万温泉』 と謳われているため、子どもの頃から名前は知っている温泉。
 なのに 「でも、思えば、一度も行ったことがなかったなぁ~」 という県民が多かったのではないでしょうか。
 「だったらキャンペーン中の、この機会に行ってみよう」 ということに、なったわけです。

 実際、協会の職員によれば、「期間中は県内ナンバーの客ばかりだった」 といいます。


 県をまたぐ遠出が、はばかれる時世。
 県民が改めて群馬の魅力を再確認する良い機会になったようです。

 ※(この連載は原則、隔週月・火曜日付。全4回の連載で、次回は明日掲載予定です)
   


Posted by 小暮 淳 at 12:09Comments(3)温泉雑話

2020年08月27日

消えゆく一軒宿


 「先日は、お時間を作っていただき、ありがとうございました。確認したいことがありまして、お電話しました」
 と、某新聞社の記者から丁寧な電話がありました。
 今月のはじめ、「温泉の特集記事を組みたいので、話を聞かせてほしい」 との連絡があり、新聞社を訪ねたことがありました。
 その時、3時間におよぶ取材の中で、現在の温泉地の現状について、たっぷり話をしてきました。

 どうして、そんなにも長時間の取材を受けたのか?
 それは、記者に情熱を感じたからに、ほかなりません。
 若い男性記者は、「それは、どういうことですか?」 「教えてください」 と、とにかく真剣なんです。
 そして、自分が納得するまで、質問をしてきます。

 いいですね!
 この取材姿勢、共感を覚えます。

 ネット社会の昨今、情報は必要過多に氾濫しています。
 にもかかわらず、手を抜かず、“生の声” を聞こうとする姿勢に、僕自身が引き込まれました。


 「あれから、小暮さんに教えていただいた温泉宿を回りました。どこの宿のご主人も、親切に応対してくださいました。ありがとうございました」
 と、気持ちの良い青年であります。

 「で、あの時、お話していただいた、消えた10軒の宿について、もう一度、確認したいのですが、よろしいでしょうか?」

 “消えた10軒” とは、2009年に出版した拙著 『ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) に掲載されている50軒の一軒宿のうち、現在も営業している宿は40軒で、この11年間に10軒もの宿が廃業してしまったという事実です。

 源泉を保有する一軒宿の廃業は、すなわち、イコール、“温泉地の消滅” を意味します。


 僕は、ことあるごとに、「群馬県内には約100の温泉地 (宿泊施設のある温泉) があります」 と言い続けています。
 でも、それは、あくまでも “約” であり、現実には、年々、その数字は減少しているのです。
 正確な数字は把握していませんが、もしかすると90を割っているかもしれませんね。

 なにも、この “一軒宿の減少” は、群馬に限ったことではありません。
 全国で同時進行している危機的な現象です。

 そして今年、コロナが温泉地を直撃しています。
 大きな観光を抱える温泉地は、国や県のキャンペーンにより、それなりの集客が望めるかもしれませんが、一軒宿の温泉地は、協会や組合に属さない “一匹狼” の家族経営の宿がほとんどです。

 このコロナ飢饉に耐えられるか、心配です。


 そんな危惧する現状を、若き記者は探ろうとしています。
 僕は、心より応援しています。

 ※掲載日が分かりましたら詳細を、ご報告いたします。
    


Posted by 小暮 淳 at 12:46Comments(0)温泉雑話

2020年08月16日

戦争を知っている温泉たち (下)


 戦時下の温泉地とは、どのような状況だったのでしょうか?

 昭和52(1977)年に四万温泉協会(中之条町) が発行した 『四万温泉史』 の中に 「戦時下の四万」 という項目がありますので、引用し、紹介します。

 <昭和十七(1942)年八月四日、東条首相が沢田村(現・中之条町) 奥反下(おくたんげ) の炭焼く部落を訪問した。上沢渡製炭現場まで、車をおりて約二キロの山路をのぼり組合の長老飯塚金十郎さんを先頭に十八人を激励した。その夜は四万温泉積善館の山荘にとまった。>
 とあります。
 その時の様子は、関怒涛著 『風雪三十年』(西毛新聞) の中にも、こう記されています。

 <(前略) 知事はかけつける。それ出迎え、歓迎準備など大騒ぎである中に自動車でのりつける。(中略) 首相は軍服、随行の人たちと、前橋から駈けつけた報道陣の人たちも上衣を脱ぐわけにはいかない。ぐっしょり汗にまみれてる。>
 とユーモラスに伝えています。
 この時、首相は、このように激励の訓示を述べています。

 「わが国は今、のるかそるかの大戦争を戦っている。このとき人里離れた山奥で、人知れず苦労をつづけ、不平もぜいたくも言わず努力していることに対し、まことに感謝のほかない。諸君の奮斗に対し、政府も国民も感謝している。(後略)」


 では、なぜ東条首相は、群馬の山奥まで、来られたのでしょうか?
 その理由については、同じ中之条町の沢渡温泉組合が平成20(2008)年に発行した 『沢渡温泉史』 に詳しく書かれています。

 ●戦時下の沢渡 「東条英機首相の来村」 より
 <開戦の当初十二月八日、ハワイ真珠湾でアメリカ太平洋艦隊を奇襲して勝利をおさめてその後、マレー沖海戦でもアメリカ海軍に打撃を与えた。日本は南太平洋に戦場を拡大して行った。日本の生産力は、年次を重ねる毎に低下し、軍需品の生産に重点を置いた政府は、戦いを進めながら増産に力を入れている。>
 <戦いのため、軍需産業の原料である金属類が不足してきたため、国民に対して金属類の供出を求め、寺の釣鐘までその対象となった。吾妻郡六合(くに)村(現・中之条町) の群馬鉄山の鉄鉱石を川崎重工まで運搬することになった。そのため早急に鉄道が敷設されたのが吾妻線である。製鉄のために木炭が必要であり、昭和十七年八月東条英機首相が、反下の製炭現場を増産激励に来村している。>

 このとき、県道では沢田小学校の生徒たちが校門前に整列して迎えたといいます。
 そして首相は現地で激励の後、天皇陛下万歳を村人たちと共に三唱しました。


 その後、戦争の激化とともに、食糧不足と戦災による被害から子供たちを守るため、都市の児童を地方に疎開される動きが活発化します。
 両温泉史によれば、四万温泉は滝野川区(旧東京府東京市35区の1つ、現在の北区南部) の滝野川第五小学校、沢渡温泉は田端新町国民学校(現・東京都北区) の児童を疎開先として受け入れました。


 終戦から75年の夏、少しだけ温泉地の戦時下のようすを紐解いてみました。
 みなさんは、どう感じられたでしょうか?
  


Posted by 小暮 淳 at 11:33Comments(0)温泉雑話

2020年08月15日

戦争を知っている温泉たち (上)


 ♪ 戦争が終わって 僕らは生まれた
   戦争を知らずに 僕らは育った
   おとなになって 歩きはじめる
   平和の歌を くちずさみながら
   僕らの名前を 覚えてほしい
   戦争を知らない 子供たちさ
    (ジローズ 『戦争を知らない子供たち』 より)


 今日は、「終戦記念日」 です。
 戦後、75年が過ぎました。
 ということは75歳未満の人は、みんな “戦争を知らない子供たち” であります。
 もちろん、僕も……

 新聞やテレビでは、“戦争を知らない子供たち” へ向けて、記憶が風化せぬよう特集記事や特別番組が組まれています。
 そこで、ふと僕は思いました。
 当時、戦時下の温泉地は、どのような状況だったのだろうか?

 温泉を愛する者として、取材の中から拾った資料をもとに、少し紹介したいと思います。


 昭和58(1983)年3月に発行された水上温泉 (みなかみ町) 旅館協同組合創立50周年記念誌 『みなかみ』 に、「戦時中の水上」 という項目があり、座談会の中で、前水上町長で元観光協会長の国峰勝治氏 (奥利根館社長) が語っている文章を引用いたします。

 <昭和十六年の大東亜戦争の開戦間際までは、旅館業は物資がひっ迫してもどうにかやっていたんです。むしろ当時とすれば都会が非常に食糧事情が悪いために、田舎へ来れば白いご飯が食べられるというわけですね。なにしろこの地は越後に近いから、そんな事情もよく分かるんですよ。>

 温泉地は田舎の中でも、さらに山深い里。
 空襲の心配もなく、さほど変化はなかったようです。
 逆に、戦争が功を奏した出来事もあったと、国峰氏は言います。

 <私共としては、営業はそれほどやりにくくなかった。ただ酒も配給、何もかも配給になってしまって、その点に関しては困難なこともあったようですが、結構営業はできたようです。それと、これは私の父からの話なんですが、戦争になって逆に気が楽になったことは、旅館同士の建築競争ができなくなったことだそうです。全部統制になったから各旅館の建築が一斉に停止になってしまい、そのために建築競争もなく、従って旅館同士の過当競争がなくなったわけです。>

 ただし、困ったこととして、供出 (民間の物資や食料などを政府に売り渡すこと) という名目で、旅館の布団や室内電話機を強制的に出すように言われたとも、語っています。
 そして開戦から2年後の昭和18年夏頃からは、学童疎開の受け入れが始まります。

 <育ち盛りの子供達だから、やはり食糧集めに苦労しましたね。配給ではとても足りないので、授業を教える先生と買い出し専門の先生に分かれてやっていましたね。毎日だから大変で、時々交代してしていました。>
 <それと、薪(まき)がないので、天気の日には川原へくり出して生徒に流木を一本ずつ拾わせる、百人いれば百本集まるからなかなか集まりがよかったです。>

 水上へは板橋 (東京都) の小学校の児童が来ていたようです。
 記念誌には、各旅館の受け入れ人数なども、事細かに記されています。


 学童疎開について、羽根田冨士雄氏 (菊富士ホテル社長) も、こんなエピソードを述べています。

 <食料は毎日大豆入りのご飯と味噌汁、それに野菜が少しで、栄養失調にもなりかねない食事でした。ある日、渋川に葱(ねぎ)があるというので一〇〇人くらいつれて先生と一緒に渋川まで汽車で出て、さらに三、四〇分歩いて農家に行き、各生徒に葱を背負わせて帰ったこともあります。途中、敷島 (渋川市) で空襲にあいましてね、二時間も立ち往生しましたよ。>
 <水上は温泉だから、疎開児童は毎日風呂に入るのですが洗濯するものがなく、それで虱(しらみ)がわいて、シャツをみるとまるで胡麻(ごま)をふりかけたほど虱がたかっていた生徒もおりました。まったく気の毒な話です。>


 明日は、四万温泉 (中之条町) の戦時下のようすを紹介いたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:17Comments(0)温泉雑話

2020年08月04日

笹を刈る


 昭和15 (1940) 年4月、作家の井伏鱒二は、太宰治ら数名と四万温泉 (中之条町) に来遊しています。
 この時のエピソードが、僕は大好きです。

 <太宰君は人に恥をかかせないように気をくばる人であった。いつか伊馬君の案内で太宰君と一緒に四万温泉に行き、宿の裏で私は熊笹の竹の子がたくさん生えているのをみて、それを採り集めた。そのころ私は根曲竹と熊笹の竹の子の区別を知らなかったので、太宰君に 「この竹の子は、津軽で食べている竹の子だね」 と云って採集を手伝ってもらった。太宰君は大儀そうに手伝ったくれた。>
 (井伏鱒二 『太宰治のこと』 より)

 この時、泊まった宿は 「四萬舘」 で、僕もたびたび取材等でお世話になっているが、確かに宿の周辺には、今も熊笹の群生が見られます。
 太宰は熊笹を見て、すぐに食用ではないと気づいたはずです。
 それでも師匠に逆らわず、嫌な顔をせずに手伝ったのですね。

 そして、このエピソードには、後日談がありました。
 結局、井伏鱒二は、この竹の子を家まで持ち帰り、料理して食べてしまったといいます。

 師弟関係にある2人ならではの互いを気遣う、なんとも、ほほえましいエピソードであります。


 唐突に、なんで、こんな話をしたかというと、昨日、笹を刈ったのであります。

 我が家には、猫の額ほどの庭があります。
 いえいえ、庭など呼べる代物ではなく、玄関前の駐車場です。
 ですから、ほとんどはコンクリート舗装されているのですが、小さな花壇が2つあります。
 その花壇が、チューリップが枯れた以降、ほったらかしになっていて、梅雨の長雨にさらされて、草ぼうぼうの状態でした。
 
 梅雨が明けたこともあり、一念発起し、草むしりを実行しました。

 小さな小さな花壇ですから、ものの1時間で終わりました。
 それでも、汗びっしょり!
 熱中症にならぬよう、水分補給の休憩をしているときです。
 前々から気になっていたことに、改めて気づいてしまいました。

 「あの笹、どうにかならないの?」
 再三、家人に言われていた言葉が、よみがえります。

 駐車場と道路のわずかな間、コンクリートから土が露出している部分に、いつの間にか笹が生え出し、あれよあれよのうちに小さな竹林のように群生してしまったのです。
 「いつか、そのうち」 「いつか、そのうち」
 と言いながら、気が付いたら笹は、身の丈を越えていました。

 「よし!」
 思い立ったら吉日とばかりに、鎌を持ち出して、悪戦苦闘をすること2時間!
 軽いめまいを感じながらも、休憩と水分補給を繰り返し、ついに根絶しました。


 で、その笹刈り作業中、ずーーーっと考えていたのが、井伏鱒二と太宰治のエピソードでした。

 さらに文学ファンには、つとに有名な話があります。
 滞在中に撮られた一枚の写真です。
 その写真には、井伏鱒二と太宰治の入浴シーンが写されています。
 井伏は肩まで湯舟に沈んでいますが、太宰は立ち上がり、左手で股間を手ぬぐいで隠しながら、右手で頭をかいています。

 この写真が公開されると、太宰の逆鱗に触れました。
 太宰の下腹部に盲腸の傷痕が写っていたからです (陰毛も少し写っています)。
 太宰は、この傷痕をとても気にしていたため、写真を撮った伊馬春部にフィルムの処分を求めたといいます。

 ちなみに太宰は、この滞在の後、四万温泉を舞台にした 『風の便り』 という小説を執筆しています。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:15Comments(0)温泉雑話

2020年07月21日

行って良かった群馬県


 コロナ禍のさなか、大打撃を受けている群馬県内の温泉地にとって、この朗報が誘客回復の一助になれば、ありがたいのですが……。


 先日、リクルートライフスタイル(東京都) が企画編集する旅行情報誌 「関東・東北じゃらん」 で、「行って良かった観光地」 のエリア・部門別ランキングというのが発表されました。
 この中の関東エリアの 「宿泊旅行で行って良かった観光地」 部門で、本県の 「草津」 が堂々の1位(前年5位) を獲得しました。
 「伊香保」 も4位、「みなかみ」 は7位と、高評価を収めています。

 ちなみに、2位は 「箱根」(神奈川県)、3位は 「舞浜・浦安」(千葉県) でした。


 「日帰り旅行で行って良かった観光地」 部門では、1位 「舞浜・浦安」、2位 「草津」、3位 「日光」(栃木県)
 ※5位に 「伊香保」 が入っています。

 「今年行きたい観光地」 部門では、1位 「箱根」、2位 「草津」、3位 「日光」
 ※12位に 「伊香保」 が入りました。


 さすが東の横綱、草津温泉であります。
 日帰り部門でも、ディズニーランドとトップ争いをしています。

 で、これらを見て、何か気づいたことはありませんか?
 そうなんです!
 これって、温泉地ランキングではないんですよね。
 あくまでも “観光地” なんです。

 だからでしょうか?
 万座温泉や四万温泉といった誉れ高き名湯の名が、上位にはありません。


 まあ、この際、四の五の言うのはやめて、素直に結果を喜ぼうではありませんか!
 次回は、「行って良かった都道府県」 ランキングで、群馬県が1位になれば、いいんです!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:29Comments(0)温泉雑話

2020年05月09日

原点回帰のすすめ


 「群馬の温泉の現状を、お話しいただけますか?」
 昨日、東京の新聞社から電話取材を受けました。

 ご存じのように、新型コロナウイルスの感染拡大の防止策として、このゴールデンウィーク中は国民への外出自粛と、店舗などへの休業要請が出されていました。
 ゴールデンウィークが明けた現在も、依然、収束の見通しがつかず、全都道府県を対象とした緊急事態宣言は今月末まで延長さけることになりましたが、一部の県では、休業要請の範囲が縮小されています。

 群馬県も、その1つです。

 だからといって、すぐに温泉地へ観光客がもどって来るわけではありません。
 依然、厳しい状態が続いています。


 以前、ブログにも書きましたが、今回の “自粛” は、東日本大震災時の自粛とは、質が異なります。
 前回は、個人による “贅沢” への自主自粛でした。
 ですからキャンセルは、客から宿への一方通行だったのです。

 ところが今回は、事情が違いました。
 休業要請による、宿から客へのキャンセルが発生したのです。
 せっかく入っている予約を、宿側が断わるという前代未聞の事態だったのです。
 ※(詳しくは当ブログの2020年4月27日 「今、できること~自粛とキャンセルの狭間で~」 参照)


 では今、県内の温泉地は、どのような状態なのでしょうか?
 電話取材の前に、いくつかの温泉地にリサーチをしました。

 「現在、確認中で、まだ正確な数字は分かりません」
 とするものの、いくつかの温泉地では、数軒の宿が営業を再開したとのことです。
 「大きな旅館やホテルは、今月いっぱい休業のところがほとんどです」
 「営業を再開したところは、すべて小さな旅館です」
 「日帰りの入浴のみ、人数限定で受け入れを始めたところもあります」


 要は、6日までは休業要請のため、余儀なく閉めていたいたが、7日以降の予約については、客からのキャンセルがない限り、受け入れるということのようです。
 しかし、緊急事態宣言は依然、発令中であります。
 都道府県をまたいでの移動は、自粛されています。

 群馬にとって温泉は、最大の観光資源であり、観光客の8割は県外客ですから、まだまだ先は見えない状態が続きます。


 そこで、僕は提案します!
 今こそ、“原点回帰” をする時だと!

 古来、日本人は、農業や漁業の閑散期を利用して、心と体のメンテナンスをしてきました。
 そうです、「湯治」 です。

 現在のように、飛行機や新幹線、高速道路などない時代のこと。
 先人たちは、近場の温泉場へと、足しげく通いました。
 春湯治、夏湯治、秋湯治、寒湯治……
 季節の節目や労働の合い間に、疲弊した体をリセットしていたのです。

 いわゆる、“未病” へのための温泉通いをしていました。
 免疫力を上げて、病気にならない強い体を作っていたのです。

 まさに今、我々に求められているのは、ウイルスに負けない健康な体力づくりではないでしょうか?


 遠くの温泉へ行くのは、旅行です。
 でも近場の温泉へ行くことは、湯治の一環だと思います。

 今は遠出をひかえ、全国の人が地元の温泉に目を向けていただけたらと思います。

 湯治文化の復活!
 原点回帰のすすめです。


 と、新聞取材には、お応えしました。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:50Comments(2)温泉雑話

2020年04月27日

今、できること ~自粛とキャンセルの狭間で~


 <群馬に大きな被害はなかったが、群馬の温泉地では、「温泉はぜいたく」 という自粛ムードも広がり客が激減している。古来、日本人は温泉を質素な癒やしの場としてきた。群馬の豊かな 「湯力(ゆぢから)」 は人々を元気にしてくれる。利用者も温泉宿も、“温泉=ぜいたく” という考えを改めてほしい。>
 2011年4月6日付 朝日新聞群馬版より


 上記の一文は、僕が新聞に連載していたエッセイが、震災の影響で一時休載となり、再開した回の巻末に寄せた文章です。
 当時、全国の温泉地には自粛によるキャンセルの嵐が吹き荒れ、悲鳴にも似た救済の声が届きました。
 「このままでは、廃業に追い込まれてしまいます」
 そんな旅館経営者からの懇願に応えて、連載を再開しました。

 「今回は、あの時とは違います。なす術がありません」
 某温泉協会の職員から、悲痛な叫びを聞きました。
 「あの時は、個人の “贅沢への自粛” でした。でも今回は、完全なる国民への “外出の自粛” ですからね」

 その影響は、計り知れません。


 新聞報道によれば、群馬県内の旅館やホテルなどの宿泊施設では、3~6月のキャンセルが延べ約38万5千人に上るといいます。
 損害額は約40億2千万円!

 9年前の震災時が約10万人のキャンセルという報道でしたから、その被害は4倍近くになります。
 すでに県内の温泉地では、旅館やホテルだけでなく、日帰り入浴施設、美術館などの観光施設のほとんどが休業しています。

 「あの時は、お客様からのキャンセルだけでした。今回は、旅館やホテル側からの自主自粛による、予約客への休業連絡を余儀なくしいられています」


 こんなことを書くと、「温泉地だけじゃない!」 と叱られてしまいそうですね。
 当然です。
 日本中、世界中が、共通の敵と闘っている時ですものね。

 あの時とは、自粛の意味が違います。


 今、できること……
 それが “自粛” なのであれば、同じ痛みをみんなで分け合い、耐え忍びましょう。

 でも、明けない夜がないように、必ず、また陽は昇ります。
 その時のために、心と体に免疫力をつけて、今はジッと待ちましょう。


 温泉地のみなさん、コロナの影響が収束したとき、ドッと人々は温泉にやって来ますよ!
 だって我々の体の中には、“湯治のDNA” が息づいているのですから!
   


Posted by 小暮 淳 at 13:26Comments(0)温泉雑話

2020年03月18日

キャンセル 0 の宿


 <宿泊取りやめ相次ぐ>
 <延べ21万人以上 宿泊キャンセル>
 数日前の新聞各紙の県内版に、こんな見出しが躍りました。

 群馬県は、新型コロナウイルス感染症の観光関連施設への影響について、県内35市町村の旅館やホテルなど441施設の3~5月の宿泊キャンセルが約21万6,000泊あり、損害額は約22億8,000万円におよぶと発表しました。
 まさに、東日本大震災以来の “自粛ムード” が蔓延しています。

 ところが、あの時とは、ちょっと違う現象も起きています。


 先日、県内温泉地に宿泊した友人から、こんな内容のメールが届きました。
 「とっても気になったことがあります。私が泊まった旅館は満室ではありませんが、8割位の宿泊客がいました。ところが部屋から見えるホテルや大きな宿の客室の灯りは、ほとんど消えていました。団体のお客さんが来られていないのでしょうか?」
 友人が泊まった宿は、客室10部屋という小さな旅館だったようです。

 このメールが届いたのと同時期に、友人の言葉を裏付けするような、こんな記事が新聞に掲載されました。
 < (宿泊施設の) キャンセルは、安倍晋三首相が各種催しの自粛や一斉休校を要請した2月下旬から急増しているという。(中略) 一方で、個人客が中心の小規模な施設ではキャンセルが発生していない所もあるという。>

 これが事実だとすると、“自粛の二極化” が起きているということです。


 とても気になり、それとなく僕もリサーチをしてみました。
 すると、確かに程度の差こそあれ、宿泊施設によりキャンセルダメージに、はっきりとした差があることが分かりました。
 友人が言うように、団体客を対象にしている大きな旅館やホテルほどダメージが大きいということです。

 そして新聞記事が報道するように、キャンセルが0(ゼロ) の宿もありました。
 昔ながらの家族経営による小さな宿です。


 これは個人的な見解ですが、得てして小さな宿のほうが温泉の管理が良く、上質の湯を提供している場合が多いのです。
 そして山の中の一軒宿までは、きっとウイルスも来ないのではないでしょうか?
 まして温泉の “湯ぢから” により免疫力がアップし、よりウイルス対策にもなるというものです。


 ウイルスなんかに、負けるもんか!
 自粛になんて、負けてたまるか!
 今こそ、日本古来の湯治文化を見直す時です。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:48Comments(0)温泉雑話

2020年03月04日

今こそ温泉に行こう!


 新型コロナウイルスの影響で、全国の宿泊施設でキャンセルの嵐が吹き荒れています。
 新聞によれば、3~5月の予約人数が前年同期比45.2%減になっているとのことでした。
 “不要不急の外出は避ける” という自粛ムードが蔓延しています。

 当然ですが、僕の愛する温泉地も例外ではありません。
 昨日、県内の某温泉旅館に取材申し込みの電話を入れると、
 「ウイルスの影響で、ガラガラですよ。いつでも来てください」
 と、大歓迎されてしまいました。
 こんな時だからこそ、日頃お世話になっている温泉旅館のみなさんには、記事を書いて恩返しをしたいと思っています。


 今、世の中は新型コロナウイルスの感染防止策、一色であります。
 マスクの着用、うがい、手洗いと、ウイルスをシャットアウトすることばかりに躍起になっています。
 でも、相手は目に見えないウイルスです。
 それでも、知らぬ間に我々の体内に侵入してきます。

 ならば今こそ、免疫力をつけて、ウイルスに負けない体を作ることが大事なのではないでしょうか!?


 日本には古来、“湯治” という温泉を利用した民間療法があります。
 湯治は、なにも病気やケガを治すためだけに行っていたわけではありません。
 「転地効果」 という日常から離れた自然環境に身を置くことによるリフレッシュ目的もありました。
 でも何よりも先人たちが、年に何回も温泉場へ通った最大の目的は、“未病” という免疫力を高めるための予防だったのです。

 現代人の慢性病のもとは、低体温だといわれています。
 「体の冷えが病気を招く」 といわれ、万病の原因とされています。

 体温が平熱より1度上昇すると、免疫力は5~6倍になるといいます。
 風邪を引くと熱が出るのも、免疫力を高め、風邪のウイルスと戦っているからなのです。
 逆に体温が1度低下すると、免疫力は30%以上減衰するそうです。

 ならば体温を上げて、自らの免疫力を高め、ウイルスが入り込まない、もしくは入り込んでも自ら戦い、追い出すことのできる強い体を作りましょう!

 今こそ、先人たちの知恵にならい、湯治という予防文化を見直す時です。
 さあ、みなさん、温泉に行きましょう!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:52Comments(4)温泉雑話

2020年02月05日

『上州湯めぐり ものがたり』 開催中


 「文書館」 と聞くと、敷居が高いと思ってしまいませんか?
 かく言う僕も、そうでして、図書館の利用頻度に比べると、過去に数えるほどしか行ってません。
 でも、テーマ展示があるときは、覗くようにしています。
 しかもテーマが温泉となれば、必見です。

 昨年夏に開催された 『群馬の温泉』 に続き、今年も群馬県立文書館では、新年から温泉をテーマにした展示をしています。
 題して、『上州湯めぐり ものがたり』。
 前回が明治~昭和初期の資料が中心でしたが、今回は江戸時代の温泉に関する古文書や絵図が展示されています。
 また、草津・伊香保・四万などの主要温泉地だけではなく、温泉と文化の関わりや温泉地に向かう街道や交通、温泉に関係する産業、さらには温泉地で起きた事件なども紹介しています。


 正面玄関に入って、最初に目に付くのは、文化14年(1817) に発行された 「諸国温泉功能鑑」 です。
 いわゆる江戸後期の温泉番付表です。
 最上位の東の大関には、ご存じ草津温泉が書かれています。
 次いで前頭には、伊香保、川原湯、四万、老神といった群馬県民には馴染みの温泉地が並んでいます。

 特筆すべきは、勧進元(興行の世話人) として沢渡温泉が名を連ねていることでしょうか。
 温泉地の規模でいえば、大健闘だと思います。
 さすが、昔から 「草津のなおし湯」 といわれるだけあります。

 興味深いのは、当時の沢渡温泉の効能書です。
 「瘡毒(さくどく)」(梅毒)、「皮癬(ひぜん)」(疥癬) といった皮膚病の類いが列記されていることです。
 現在でも 「美肌の湯」 「美人の湯」 といわれるゆえんなんですね。


 個人的には、当時の旅人が役所や関所へ湯治のために提出した文書の展示に、大変興味をひかれました。
 もちろん、古文書は読めませんが、解説が書かれていますので、当時の様子は分かります。
 それほどまでして温泉地へ向かった江戸時代の人たちにとって、湯治は、ただ単に病気を治す療養目的だけではなく、世の塵を洗うバカンスだったのでしょうね。
 そう考えると、1泊2日で帰って来てしまう現代人より、昔の人のほうが贅沢なレジャーを楽しんでいたということです。

 楽しみ方はいろいろです。
 昔の温泉事情に興味がある人は、文書館に足を運んでみてください。



      『上州湯めぐり ものがたり』

 ●期間  令和2年1月8日(水)~3月22日(日)
        午前9時~午後5時 (観覧無料)
 ●休館  月曜日、祝日、月末
 ●会場  群馬県立文書館 (前橋市文京町3-27-26)
        TEL.027-221-2346
   


Posted by 小暮 淳 at 19:17Comments(0)温泉雑話

2019年12月24日

思わぬクリスマスプレゼント


 < 『dマークレビュー』 の受賞、おめでとうございます。>
 突然、賞状が贈られてきました。


 みなさんは、覚えていますか?
 2年前、2017年11月に出版された観光ガイドブック 『d design travel 群馬』(発行/D&DEPARTMENT PROJECT) で、僕が 「群馬のキーパーソン」 に選ばれ、記事として掲載されたことを。
 「温泉は群馬の宝もの」 というタイトルで、僕の活動が見開きで大きく紹介されました。

 記事には、こんなことが書かれていました。

 1.群馬県内5ヵ所の “名湯観光大使”。
 タウン誌の編集長を経て、現在温泉ライター。
 知見と思わず出かけたくなる紹介文とで、温泉にまつわる著作を9冊刊行。

 2.元ミュージシャン。
 ライブや講演も行う “温泉アーティスト”。
 その名も 『GO!GO!温泉パラダイス』。
 歌詞には、もちろん法師温泉や四万温泉など。

 3.NPO法人 「湯治乃邑(くに)」 を立ち上げ、群馬県の温泉を守っている。
  源泉一軒宿の再興など、リハビリや介護施設と連携し、温泉本来の湯治機能を現代に伝える。

 
 あらためて読み返してみると、なかなか照れくさい内容ですが、しっかり取材されています。
 インタビュー当日は、真夏の猛暑日でした。
 わざわざ東京から前橋くんだりまで、編集者とライター、そして編集長までが訪ねて来てくださったのを覚えています。
 ※(当ブログの2017年9月3日 「される側の心理②」 を参照)

 そして本では、僕のことを 「群馬のキーパン」 の1人として紹介してくださいました。


 <群馬県らしい人部門 小暮淳>
 47都道府県を舞台に、“その土地らしさ” を選び出すトラベルガイドブック 「d design travel」 が認定。

 賞状には、そう書かれていました。


 思わぬクリスマスプレゼントが届きました。
 ありがとうございます。

 湯の国ぐんまの “群馬県らしい人” として、これからも大いに群馬の魅力を発信していきたいと思います。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:08Comments(2)温泉雑話

2019年12月02日

チコちゃんに褒められる?


 NHKテレビの人気番組 『チコちゃんに叱られる』 で、「なぜ赤ちゃんは肩が凝らないのか?」 という問題がありました。
 正解は、「ムダな動きが多いから」 でした。
 肩凝りのもとは、同じ姿勢を続けることにあり、赤ちゃんはジッとしていないで常に動き回っているからのようです。

 ということは、僕は赤ちゃんですか?
 確かに世間一般の60代に比べると、ムダな動きが多いようにも思われますが……
 というのも僕は、“肩凝り”がありません!


 正確に言えば、昔は肩が凝ったことがありましたが、今はありません。
 もっと正確に言えば、30代までは極度の肩凝り症でした。
 肩がパンパンになり、吐き気をもよおすこともあり、医者に通ったこともありました。
 それが40歳を過ぎたあたりからパタリと肩が凝らなくなり、今日まで至ります。

 はて、なぜだろう?
 と人生を振り返ってみると、1つだけ思い当たるふしがあります。
 それは、温泉です!

 温泉をテーマに取材を始めたのが、その頃で、年を追うごとに人一倍、いや人十倍は温泉に入るようになりました。
 そして気が付いたら、肩凝りも消えていました。
 温浴により血流が良くなったからなのでしょうか?


 実は、温泉の効能ではないかと思われることが、もう1つあります。
 風邪を引かなくなりました。
 かれこれ20年近く、風邪を引いた記憶がありません。
 これまた温浴により免疫力がアップしたということなのでしょうか?

 もし、そうだとすれば、これらの効能は、まさに先人たちが行っていた湯治による “未病” と呼ばれる予防であります。
 「温泉と肩凝り」、「温泉と風邪」 の医学的な因果関係は分かりませんが、少なくとも僕は、温泉ライターを名乗ってから健康になりました。


 とりあえず、この件については、チコちゃんに叱られませんね!
   


Posted by 小暮 淳 at 17:58Comments(2)温泉雑話

2019年10月02日

神隠しの森


 山梨県のオートキャンプ場に、家族と遊びに来ていた7歳の少女が行方不明になっています。
 事故なのか、事件なのか?
 目撃者もなく、こつ然と姿を消しました。

 昔の人たちは、このように子どもが突然、消えてしまうことを 「神隠し」 といいました。
 人間ではなく、天狗や山の神のしわざだと……


 全国の温泉地には、神隠しにまつわる伝説が数多く残っています。
 群馬県内にも、こんな話があります。

 昔、霧積温泉(安中市) の湯が、ピタリと止まってしまったことがありました。
 湯宿の主人や浴客らが心配していると、突然そこへ天狗が現れて、こう言いました。
 「湯が止まったのは、山の神のたたりじゃ」
 そして、湯を元どおりにする条件として、こんなことを告げます。

 「人身御供を差し出せ。その人身御供は11歳の子でなくてはならない」

 そういわれて、宿の者も客たちも湯治場内を探しました。
 すると浴客の中に、美しい女の子が母親といました。
 歳を訊くと、ちょうど11歳でした。

 「その子を渡せ!」
 天狗の声がしたかと思うと、母親の手から女の子は引き抜かれ、消えてしまいました。
 途端、今まで止まっていた湯が、ふたたび勢いよく湧き出しました。
 母親は狂ったように娘の名を叫びながら、山深い森の中へ入って行きました。

 「ジュウイチ、ジュウイチ」
 と鳴く鳥がいます。
 母親が鳥になって、11歳の女の子を捜している声だといわれています。


 法師温泉(みなかみ町) にも、同じような話があります。
 こちらは11歳の男の子です。
 突然姿を消した男の子の母親は、山に入って、「ジュウイチ、ジュウイチ」 と子どもの歳を叫ぶ鳥になったといいます。
 以後、「11歳の男の子は山に入るな」 と言われています。



 7歳の女の子を隠したのは、誰ですか?
 山の神では、ありませんね。
 天狗でも、ありませんね。

 一日も早い発見を願っています。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:51Comments(0)温泉雑話

2019年09月27日

太宰治と温泉宿


 話題の映画 『人間失格 太宰治と3人の女たち』 を観てきました。

 主人公を演じる小栗旬さん、最初は全然、太宰に似ていないんですけどね。
 後半になるにつれ、横顔がグングン太宰っぽくなって、最後はまったく違和感がありませんでした。
 さすが、役者さんです。

 監督が蜷川実花さんということで、前作の 『へルタースケルター』 で見せた沢尻エリカさんの体を張った演技を期待していたのですが、今回は、さほどでもありませんでしたね。
 そのかわり二階堂ふみさんが、かなり思い切った大胆な演技で魅了してくださいました。

 作品としての評価については、ここでは差し控えさせていただきます。
 太宰フォンも、そうでない人も、そこそこ楽しめると思います。


 さてさて、太宰治といえば、群馬県内の温泉宿にも、いくつか滞在しています。

 昭和11年(1936)8月、太宰治は川端康成に勧められて、薬物中毒と肺病治療のために谷川温泉(みなかみ町) の「川久保屋」 に約1ヶ月間、滞在しています。
 のちに発表した小説 『姥捨(うばすて)』 では、谷川温泉が舞台となり、川久保屋の老夫婦が描かれています。
 また太宰は滞在中に、芥川賞の落選を知らされます。
 そのことを宿で執筆した 『創生記』 に書いています。
 そして、この 『創生記』 を書いたことが、名作 『人間失格』 を書くきっかけになったともいわれています。

 川久保屋は、のちに現経営者の先代が買い取り、「谷川本館」(現在の「旅館たにがわ」) として営業していましたが、老朽化を理由に取り壊されました。
 跡地である駐車場の脇には、『姥捨』 の舞台となった宿があったことを伝える記念碑が立っています。
 また、太宰治の命日(6月19日) 「桜桃忌」 には、石碑に献花がされ、供養講演などのイベントが行われています。


 太宰治は、昭和15年(1940) にも群馬の温泉に訪れています。
 井伏鱒二や伊馬春部らと四万温泉(中之条町) に来遊し、「四萬館」 に投宿しました。
 太宰らが宿泊した部屋は、現在でも道をはさんだ高台に移築され、保存されています。
 また太宰は、ここでの体験を基に四万温泉を舞台にした(とされる) 短編小説 『風の便り』 を世に残しています。


 秋の夜長、名作に酔いしれるのも良いですが、たまには文豪が書いた温泉地が舞台のちょっとマニアックな小説を探し当てて、読みふけるのも一興かと思います。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:36Comments(0)温泉雑話