温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2020年11月25日

ようこそ殺人現場へ


 これだからライターという仕事は、やめられません。

 読者の皆さんは、覚えていますでしょうか?
 以前、このブログで、非業の死を遂げた一介の村医者が、死後、民衆により神格化され、現在でも祀られたいるという話を?
 僕は、その医師が殺害された現場までの足取りを追いました。
 そして、ついに、その場所を突き止めたのです。

 というのが、前回の報告でした。
 ※(2020年9月29日 「殺害現場はココだ!」 参照)


 その後、僕は、この話を高崎市内に無料配布されているフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) に執筆しました。
 掲載されたのは、先週の金曜日です。

 「小暮さん、今、お時間大丈夫ですか?」
 昨晩、突然、編集長から電話がありました。
 「反響がありました! さっき、読者と名乗る男性が、わざわざ社を訪ねて来たんです」
 と、かなり興奮気味であります。

 電話やメールを寄こす読者は多々いますが、直接、訪ねて来る読者というのは珍しい。
 「で、なんだって?」
 「それがですね、殺人現場へ行ってきたと言うんですよ!」
 「えっ、墓ではなく、殺人現場へ?」
 「墓参りもしたらしいのですが、現場にも」
 「現場っていったって……」


 編集長と僕が驚いていたのは、殺された医師の殺害現場を特定できたということです。
 記事には、確かに 「事件現場」 とキャプションが付いた写真が掲載されています。
 しかし、写っているのは路面のアップだけです。

 実は発行前、この殺害現場の写真の掲載については、論議されました。
 「引き (全景) の写真を載せると場所が特定され、近隣住民に迷惑がかかるかもしれない」
 として、写真をトリミング (画像処理) してから掲載しました。

 今、改めて掲載写真を見ても、どこにでもある道路にしか見えません。
 「この写真で、よく特定ができたね?」
 「それがですね、一部、情報が写り込んでいたんですよ!」

 それは、車でした。

 写真の奥にポツンと小さく、赤い車が写っています。
 もちろん、ナンバープレートの判読なんてできません。
 「えっ、この車で場所が分かっちゃったの?」
 「ええ、特長のある車両ですからね」


 マニアックな読者って、いるものですね。
 そこまで深読みしていただけるなんて、ライター冥利に尽きるかもしれません。

 「で、その読者、それを言うためだけに編集室に来たの?」
 「いえ、ほかの人にも教えてあげたいからと、掲載紙をもらいに来たんですよ」


 読者様は神様であります。
 ただただ、頭が下がります。

 「で、小暮さん! その読者がね、謎めいたことを言って帰ったんですよ」
 「謎めいたこと?」
 「ええ、死んだ医師の墓が、もう一つ、別の場所にあると!」
 「そこは、どこ!?」

 そのあと、編集長から告げられた言葉に、全身鳥肌が立ちました。
 その場所は、殺された医師が、開業医になる以前に住んでいた地名だったのです。


 謎学の旅は、つづく。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:17Comments(0)執筆余談

2020年10月17日

連載再開 『ほろ酔い街渡』


 <長引きそうな “ウイズコロナ” の世の中だが、読者の期待に背中を押されながらもソーシャルディスタンスを保ち、マスク着用の出で立ちで、久しぶりに高崎駅に降り立った。>
 こんな書き出しで、連載が再び始まりました。


 高崎市民のみなさん、大変お待たせしました!
 月2回、高崎市内に配布されているフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 に、2018年3月より不定期連載されている 『群馬の地酒 ほろ酔い街渡(ガイド)』。
 今年の1月の掲載以来、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けストップしていた取材が、満を持して再開しました。

 そして、昨日発行された 「ちいきしんぶん」 10月16号で、不死鳥のごとく復活したのであります!
 タイトルは、「小栗上野介ゆかりの酒を訪ねて」。
 再開にふさわしく、群馬県最古の酒蔵である牧野酒造 (高崎市) を取材しました。


 このシリーズタイトルには、「公共交通機関で行く」 という副題が付いています。
 以前、同紙で連載し、のちに書籍化された 『里山を行く』 や 『ぶらり水紀行』 同様、あえて車を使わずに、電車とバスを乗り継いで、足で書く取材を続けています。
 ※(書籍は上毛新聞社より 『ぐんまの里山てくてく歩き』 として出版されています)

 それは、なぜか?
 とうぜん! 酒が呑みたいからであります。

 酒蔵を訪ね、酒を呑まずして、文章が書けますか?
 もし、それをやっちまったら、温泉ライターが温泉に入らずに、温泉のうんちくを書いているようなもの。
 フードライターが、料理を食べずして、グルメを気取っているのと同じです。

 ということで今回も、電車とバスを乗り継いで、丸1日かけて “ほろ酔い” ながら街を渡って来ました。
 バスの乗り継ぎ時間があれば、コンビニに駆け込み、缶ビールを買って、バス停で呑み。
 取材が終わって、高崎駅に着けば、そのまま居酒屋へ直行。
 という、のん兵衛による、のん兵衛のための、のん兵衛エッセイを書くために、取材を続けています。


 「ぐんまの地酒大使」 として、群馬県内の全酒蔵を制覇するまで!
 酒好きの方はもちろんのこと、そうでない方でも楽しめる旅エッセイです。

 今後の連載を、ご期待ください!
  


Posted by 小暮 淳 at 11:54Comments(0)執筆余談

2020年07月15日

温泉以外のアーカイブス


 昨日は、このブログへのアクセス数が100万回を超えたことを、お伝えしました。
 そして、その節目として、ブログに投稿した過去記事(2,730話) の中から、「人気ランキング」 の上位10話を発表しました。

 これにより、分かったことがあります。
 上位10話のうち、9話が温泉関連の記事だったということです。
 “温泉ライターのブログ” と銘打っている以上、必然的に温泉ファンの閲覧が多くなることは分かっていましたが、それでも、その他の記事とのアクセス数の圧倒的な差に、改めて驚いた次第です。

 唯一、ベスト10入りしたのは、8位の 「謎学の旅③ お化け坂の白い家」 でした。

 ということで、その後、アクセス数の上位100話までをチェックしてみました。
 すると、温泉関連以外の記事は、9話ありました。
 残りの8話は、以下の通りです。


 (37) 拝啓 恵村順一郎様   2013年4月18日
 朝日新聞社の元前橋総局長で、テレビ朝日 「情報ステーション」 のコメンテーターを務めた恵村さんへの手紙文です。

 (47) ああ、愛しのリンダ様   2013年1月8日
 エフエム群馬の人気パーソナリティー、櫻井美千代さんの番組に出演した時のエピソードです。

 (52) ショッカーの 「イー!」   2013年4月15日
 その昔、仮面ライダーのショッカー戦闘員のアルバイトをしていた時の逸話です。

 (70) さみしいよ          2013年11月17日
 昨年亡くなったオフクロと7年前に亡くなった叔父。実弟の死に目に会えなかったオフクロの無念……

 (72) 「さよならの夏」 が聞える  2011年7月28日
 40年前の夏、僕がプロデュースした女性デュオグループとの情熱を燃やした青春の日々。

 (84) 謎学の旅② 「ウナギを食べない住民」  2010年8月4日
 一昨年に出版した著書 『民話と伝説の舞台』 に収録されている 「片目ウナギ」 を書くきっかけとなった謎学の旅。

 (86) ちょっとインドまで⑦ 「カースト制度とバクシーシ」  2012年8月17日
 インド旅行記のシリーズ第7回。当ブログのカテゴリーより全10回を閲覧することができます。

 (89) 30代に見る夢        2012年5月11日
 「なでしこジャパン」 の佐々木則夫監督の名言より、“ブレずに生きる” ことの意味を考えてみました。


 以上、人気ランキングの100位までにランキングされた温泉以外の投稿記事でした。
 気になったり、興味を持ったテーマがありましたら、「ブログ内検索」 にてクリックしてみてください。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:51Comments(0)執筆余談

2020年07月14日

おかげさまで100万アクセス!


 これもひとえに、長年支えて下った読者様のおかげと、感謝しております。
 いつもご愛読いただき、本当にありがとうございます。

 昨日、このブログのアクセス数が、100万回を超えました!


 おりしも今年は、ブログ開設10周年という節目の年です。
 たかが10年と思われるかもしれませんが、日数にしたら3,650日もあるわけでして、ブログ開設したのが10年前の2月ですから今年も約150日は経過しているので、昨日までに約3,800日をブログとともに生きて来たことになります。

 その間に投稿した記事の数は、2,730話になります。
 ゆえに、ざっと計算すると、僕は1.4日に1話の割合で、記事を投稿していたことになります。

 よくもまあ、飽きもせず、書き続けてきたものだと、我ながら感心してしまいます。
 いえいえ、ブログとは、書き手より読み手あってのモノ!
 “飽きもせず” お付き合いしてくださっている読者様に、ただただ御礼を申し上げます。


 さて、アクセス数100万回の節目に、何を書こうかと考えあぐねた結果、「人気ランキング」 なるものを発表しようと思います。
 過去の2,730話のうち、アクセス数が多かった上位10話は、以下の通りです。

 ① 奈女沢温泉 「釈迦の霊泉」2       2012年11月10日  4,342PV
 ② 老神温泉 「ぎょうざの満洲 東明館」   2014年6月18日  3,988PV
 ③ 座禅温泉 「白根山荘」           2014年10月9日  3,675PV
 ④ 山田べにこさんと対談           2012年1月14日  2,928PV
 ⑤ 沢渡温泉 「龍鳴館」            2010年4月23日   2,684PV
 ⑥ 湯宿温泉 「常盤屋旅館」         2012年10月5日   2,557PV
 ⑦ 四万温泉 「竹葉館」            2010年12月15日  2,386PV
 ⑧ 謎学の旅3 「おばけ坂の白い家」    2010年8月15日   2,2779PV
 ⑨ 猿ヶ京温泉 「旅籠屋 丸一」       2012年3月30日   2,154PV
 ⑩ 四万温泉 「白岩館」「もりまた旅館」   2011年2月5日   2,145PV


 いかがでしたでしょうか?
 やっぱり、温泉ファンのアクセスが多いようですね。
 もし、気になる記事がありましたら、ブログ内検索にて、過去記事をチェックしてみてください。

 このブログは、まだまだ続きます。
 20周年、30周年……
 200万アクセス、300万アクセス……
 を目指して!
 コツコツと、したためてまいります。

 今後とも、よろしくお願いいたします。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:48Comments(7)執筆余談

2020年06月12日

めぐみさんとタウン誌


 北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさんの父、滋さん(87) が亡くなられました。

 めぐみさんが新潟市内で行方不明になったのは、昭和52(1977)年11月。
 北朝鮮による拉致の疑いが浮上したのは、それから20年後の平成9(1997) のことです。
 横田滋さん、早紀江さん夫妻は40年以上も最愛の娘を探し続けていましたが、ついに滋さんは再会を果たせずに旅立ってしまいました。


 このエピソードは、まだ、めぐみさんが北朝鮮の拉致による行方不明だとは、国民の誰もが知らなかった頃の出来事です。

 横田夫妻は、昭和63(1988)年から平成3(1991)年の3年間、滋さんの勤務地である前橋市に暮らしていました。
 当時、僕は地元タウン誌の記者として、カメラを首から下げて、県内を東奔西走しながら、取材を続ける毎日を送っていました。


 <早紀江さんは偶然手にしたタウン誌にめぐみさんにそっくりな写真を見つけた。「ボウリングレディ」 というミス・コンテストの写真特集に、群馬代表の5人が写っていた。>
 (2002年10月4日付 上毛新聞 「三山春秋」 より)

 このタウン誌は、月刊 「上州っ子」 の1989年2月号であり、記事は、日本ボウリング協会主催によるコンテストの群馬大会のことでした。
 毎年1月に前橋市内のボウリング場を会場に開催され、写真選考を通過した30人が集まり、私服の第1次審査と水着の第2次審査を行い、選出された上位5人が東京で開催される全国大会へ出場していました。

 そして、この時、写真を撮り、記事を書いたのが僕でした。


 < 「この人、めぐみに似ていない?」 と滋さんに雑誌を見せた。「似ていると言えば、似てるなあ」 と滋さんはその時うなずいたという。本大会が東京で開催することを記事で知った早紀江さんは、会場のホテルに駆け付けた。>

 結果、本人ではなかったことが分かります。

 でも、この時、早紀江さんは、こんなふうにコメントしています。
 < 「本当によく似ているけど、やはりめぐみではないと、すぐに分かりました」。それでも 「とても懐かしい気がして、あの子もあんなふうに大きくなっていればいいと思いました」 >


 めぐみさんは異国の地で、父の死を知ることができたのでしょうか?
 ただただ、無念でなりません。

 いったい、いつになったら帰ってくるのでしょうか?

 滋さんのご冥福をお祈りいたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:31Comments(0)執筆余談

2020年05月11日

文士かくありき


 カボチャの冷たいスープ、から始まり、
 尾頭付き真鯛の塩焼き、茶碗蒸しの磯のり添え、木の実のかやく飯、オクラのお吸い物、に至るまで……。
 その間にも、酒のあてとして、
 手作りツナ(マグロ)、あぶりチャーシューのわさび醤油、茹でシラス、などなど、手の込んだ一品が次々と食卓に並びました。

 以前、文筆家の木部克彦氏のお宅に、お邪魔したときの、もてなしのされようです。
 すべて、氏本人が一人で作った料理です。
 以前から氏の料理の腕前は有名で、料理関連の著書を出版していることも知っていましたが、目の当たりにすると、ただただ息をのむばかりでした。
 この時、僕は、あまりにも自分との “才” の違いに、打ちひしがれた記憶があります。

 同じ人として、同じ男として、同じ年齢であり、同じ職業に就きながら……
 いったい、この違いはナンダ?


 氏との出会いは、ちょうど10年前になります。
 群馬県内のメディアに係わる人たちの集まりがあり、その席で初めてお会いしました。
 その後、何度か別の宴席でも顔を合わせましたが、親しくなったきっかけは、氏が2012年10月に出版した『続・群馬の逆襲』(言視舎) でした。
 前作の 『群馬の逆襲』(彩流社) がベストセラーとなり、すでに全国で 「~の逆襲」ブームが巻き起こっていた最中の待望の続編です。

 「次の本で、小暮さんのことを書かせてよ」
 冗談だと思っていた氏の言葉に、二つ返事で了承すると、本当に書かれてしまいました。
 著書の中では、「温泉バカ一代」 「天下無敵の温泉フリークの星」 などと揶揄(?) されながらも、5ページにわたり、僕のことを “群馬の宝” として紹介してくださいました。


 そんな木部氏が、このたび、またまた本を出版しました。
 『夢に住む人 認知症夫婦のふたりごと』(言視舎)

 氏は、認知症になった両親の介護に関しては、すでに2年前、『認知症、今日も元気だい 迷走する父と母に向き合う日々』 という日記風のエッセイを出版しています。
 今回は、続編ともいうべき2作目で、ノンフィクションの小説仕立てになってます。

 <家族の、地域の、医療と福祉の、社会のちょっとした支えがあれば、認知症なっても楽しく生きられる。>
 と氏は、新聞でコメントしています。


 僕も寝たきりの母と、認知症の父を長年介護しましたから、氏の思いは手に取るように分かります。
 ただ、僕と氏の違いは、そのことを “著する” かいなかであります。
 ここでも、また、才の違いを見せつけられてしまいました。

 文士たるもの、かくありきなのですね。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:17Comments(0)執筆余談

2020年04月18日

さよなら! グラフぐんま


 昨日、群馬県のグラビア広報誌 「グラフぐんま」 の最新刊が届きました。
 2020年4月号(第54巻3号通巻622号) です。
 創刊から54年経った年の3号目ということになります。

 そして、最終号です。
 この号をもって、54年の長い歴史を閉じました。
 ※(廃刊理由については、当ブログの2020年3月14日 「残念ながら最終回」 参照)


 最終号では、「表紙でみる グラフぐんま 伝えた54年」 と題した特別企画が巻頭を飾りました。
 <1967(昭和42)年の創刊以降、群馬に関するさまざまな話題を伝えてきたグラフぐんま。今なお県民の心に深く刻まれている出来事の数々を、表紙で振り返る。>

 碓氷バイパス開通(1971)、上越新幹線開業(1982)、あかぎ国体・愛のあかぎ大会開催(1983) など、県民には懐かしい写真(表紙) が紹介されています。
 中には、平成3(1991)年の 「琴錦が幕内初優勝」 なんていう表紙もあります。
 群馬県出身の力士の優勝は初めてということで、県民が大いに祝ったことを思い出しました。


 さてさて、僕も少なからずや 「グラフぐんま」 には、お世話になっていました。
 平成29(2017)年の5月号から毎号、『温泉ライター小暮淳の ぐんま湯けむり浪漫』 という温泉の紀行エッセイを書かせていただきました。
 最終回の第27回では、「尻焼温泉」(中之条町) を旅しています。

 おかげさまで 「グラフぐんま」 は、書店売りだけではなく、図書館や公民館、銀行などの公共スペースに置かれていることが多く、非常に知名度の高い雑誌です。
 そのため、県内での講演やセミナーに講師として呼ばれる場合、<「グラフぐんま」 でお馴染みの温泉ライター> などと紹介されることもありました。


 僕は過去に、いくつもの雑誌の廃刊を見てきました。
 その中には、僕が廃刊を決断した雑誌もあります。
 時代の流れとはいえ、継続されていたものが途切れるというのは、さみしいものです。

 その悲しみが分かるからこそ、そっと見送ろうと思います。
 さよなら! グラフぐんま
 ありがとう! グラフぐんま
  


Posted by 小暮 淳 at 13:02Comments(0)執筆余談

2020年04月05日

ジパング日和 ~群馬DCによせて~


 「この度は、ご紹介いただいて、ありがとうございます」
 「えっ? ……ああ、ジパングですね」

 某観光協会に電話をかけた時のことです。
 電話に出た事務局長は、開口一番、そう言いました。
 JRの会員誌 『ジパング倶楽部』 の4月号に、僕は 「 “ひとりじめ” したくなるいい温泉」 というタイトルで群馬の温泉記事を書いたのでした。

 この特集で、県内5ヵ所の温泉地を紹介しました。
 その中の1つが、某観光協会の管轄内の温泉だったのです。


 「せっかく記事を書いていただいたのに、こんな状況になってしまって……」
 と事務局長が言うのも、無理はありません。
 僕が記事を書いた 『ジパング倶楽部』 4月号は、今月1日から開催されている大型観光企画 「群馬デスティネーションキャンペーン(DC)」 に合わせて企画された特集号だったのです。

 さあ、春から夏にかけて、群馬に遊びに来てください!
 と、呼びかけた矢先に、このウイルス騒動が始まってしまいました。


 <コロナでイベント中止>
 <群馬DC寂しい開幕>
 数日前の新聞には、こんな見出しが……

 記事によれば、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、県内のイベントが軒並み中止となっており、さみしい開幕となったと報じています。

 たとえば、四万温泉。
 吉永小百合さんがCMに出ていることで話題の 「四万ブルー」 と呼ばれる青い湖水が美しい奥四万湖を一望できる四万川ダムでの業務用エレベーターを一般公開するイベントが始まりましたが、開催直後に県から自粛要請があり、突然、休止となってしまいました。
 残念でなりません。


 自粛ムードが続く中、観光大使として、温泉大使として、何ができるのだろうか……?
 日々、家の中で悶々としています。

 早く、来い来い、ジパング日和!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:22Comments(0)執筆余談

2020年03月25日

ジパング倶楽部 4月号


 JR 「ジパング倶楽部」 の会員のみなさん、こんにちは!
 はじめまして、温泉ライターの小暮です。
 みなさんの元へ、「ジパング倶楽部」 の4月号は、届きましたか?

 いよいよ、4月1日から6月30日まで 「群馬デスティネーションキャンペーン(DC)」(大型観光企画) が開催されます。
 キャッチフレーズは、「心にググっとぐんま、わくわく体験 新発見」。
 ということで4月号の特集は、「群馬 知るほどなるほど、学ぶ旅」 と題して、鉄道や温泉、古墳といったテーマで、群馬の旅へ、ご案内します。


 で、今回、せん越ではありますが、県内の温泉大使を務める僕がナビゲーターとなり、4ページにわたり記事を書かせていただきました。
 タイトルは、「“ひとりじめ” したくなる いい温泉」。
 山奥にある秘湯や小さな温泉宿、ユニークな穴場スポットを紹介しました。

 巻末のコラム 「北に名湯、南に薬湯あり」 では、なぜ、群馬の温泉は素晴らしいのか?について、温泉自慢を書かせていただきました。


 えっ、読みたいけど、会員じゃないから読めないって!?
 だったら今すぐ、ご入会ください。

 ●お問い合わせ先
 JR東日本 大人の休日・ジパング倶楽部事務局 TEL.050-2016-7000
   


Posted by 小暮 淳 at 11:44Comments(0)執筆余談

2020年03月14日

残念ながら最終回


 すでに新聞報道等で、ご存じの方も多いかと思います。
 群馬県の情報誌 『グラフぐんま』(企画/群馬県、編集・発行/上毛新聞社) が、来月4月10日発行の4月号をもって廃刊されることになりました。

 『グラフぐんま』 は昭和42(1967)年創刊。
 来月号で第622号を数えます。
 写真を大きく扱ったワイドな紙面で、県政情報や地域情報をふんだんに発信してきました。
 現在の発行部数は約15,000部、年9回発行。
 書店でも販売されていますが、主に学校や図書館、医療機関、金融機関、郵便局などには無料配布されているため、多くの県民に愛されてきました。

 今回の廃刊について県の広報課は、「スマートフォンの普及により、県民が待合室などでグラフを読む機会が減った」 からと理由を説明。
 県民がインターネット上で、さまざまな写真を手軽に見られるようになった影響が大きいとしています。

 令和になり、ますます紙面による活字離れが進んでいるということの表れのようです。


 僕は平成29(2017)年の5月号から 『温泉ライター小暮淳の ぐんま湯けむり浪漫』 というシリーズを連載しています。
 今までに26温泉地を紹介しました。
 そして今週、27温泉地目の原稿を仕上げたばかりでした。

 突然の県の発表に多少の驚きはありましたが、これも時代の流れです。
 廃刊は、うすうす感じていました。
 本当は、もっともっとたくさんの温泉を県民のみなさんに紹介したかったんですけどね。
 これだけは、仕方ありません。


 『グラフぐんま』 の連載を楽しみにされていた読者のみなさん、本当に長い間、ありがとうございました。
 来月号が最終回となってしまいましたが、僕の “湯けむり浪漫” は、これからも続きます。

 また、別の紙面でお会いしましょう!
   


Posted by 小暮 淳 at 13:08Comments(0)執筆余談

2020年03月09日

ネットの弊害


 20年前のこと……
 当時、僕は雑誌の編集人をしていました。
 パソコンが普及し始めた頃で、編集者は不慣れながらもキーボードを叩いて、原稿を書いていました。

 「編集長、原稿チェック、お願いします」
 僕は毎日、スタッフから上がってくる原稿に目を通します。
 ところが……
 「おい、なんだこれは? 文体がバラバラじゃないか? 本当に君が書いた文章なのか?」
 問いただすと、
 「あ、はい……いえ、ネットで調べました」

 いわゆる今でいうコピペ (コピー&ペースト) といわれるズルをしていたのです。
 ネットで調べた記事を、いくつかコピーして貼り合わせていたのです。
 「ダメだよ! 自分の足で調べて書きなさい!」
 と、原稿を突き返しました。


 10年前のこと……
 僕は本の出版のために、県内の温泉旅館を回り、取材を続けていました。
 当時、行く先々の旅館で、こんなことを言われました。
 「本当に取材に来るんですね」
 最初は、何のことを言われているのだか分かりませんでした。
 「本当にって?」
 「だって、ほとんどの雑誌が電話での取材ですから」
 「えっ、じゃあ、写真はどうするんですか? カメラマンは来ないの?」
 「今は、みんなネットですよ。写真を送ってくださいって。もしくはホームページからの転載です」


 そして今……
 すべてではありませんが、出版社や雑誌社との原稿のやり取りの際に、首をかしげてしまうことがあります。
 送られてくる校正に、赤線が引かれていて、
 <不明> とか <確認とれず> の書き込みがあります。
 指摘されている箇所は、そのほとんどが僕が取材で地元の人や旅館の主人から聞いた内容です。
 意味を問うと、
 「ネットで検索しても、その事実がありません」
 とのことでした。

 おいおい、ネットが基本か?
 こっちは、直接関係者から聞いた事柄を書いているんだよ!


 おかしな世の中になったものです。
 便利になり過ぎて、誰もが平気で手を抜きだしています。
 でも、一度手を抜くと、人は便利から抜け出せなくなってしまいます。
 そしていつしか、“便利”=“正しい” と思い違いをしてしまいます。

 つくづく、便利って、なんて不便なのだろうと思ってしまいます。
 でも、まだ今なら間に合います。


 編集者よ、パソコンを捨てて、街を出よう!
    


Posted by 小暮 淳 at 12:06Comments(0)執筆余談

2020年02月12日

ブログ開設10周年


 このブログを開設したのは、2010年2月13日です。
 今日で、ちょうど丸10年となりました。
 これも、ひとえに読者のみなさまのおかげであります。
 心より、お礼を申し上げます。

 ブログを始めるきっかけは、現在も大変お世話になっている高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) 社長の吉田勝紀氏からの勧めでした。
 当時、パソコン音痴の僕は渋っていたのですが、「ファンのために書いてください」 と手取り足取り熱心に指導してくださり、なんとか開設にこぎつけました。

 気が付けば、10年です。
 たかが10年、されど10年……
 その間に、10冊の著書を出版することができました。
 また、観光大使や温泉大使など県内6ヶ所の自治体や団体より “大使” の任務を仰せつかったのも、この10年間です。
 そう思うと、ブログとともに歩んできた10年間だったことが分かります。


 そんな僕にブログを書かせた張本人である吉田氏が、「ちいきしんぶん」 で企業向けに発行しているニュースレターの新春号に、「続ける力」 という題で僕のブログについて、こんな記事を書いてくださいました。
 一部を抜粋して、掲載させていただきます。

 <ちいきしんぶんでも大変お世話になっているフリーライターの小暮淳さん。新年最初のちいきしんぶん(1/10号)の1面でも小暮さんの連載 「ぐんまの地酒 ほろ酔い街渡(ガイド) 」 が載っています。ブログ 「小暮淳の源泉ひとりじめ」 は、今年の1月でまる10年、2月から11年目に突入です。ほぼ2日に1回くらいの割合で更新されています。このブログから仕事や講演の依頼はもとよりテレビやラジオの出演、新聞や雑誌への執筆依頼まで来るとか。また小暮さんのファンとの交流もこのブログがきっかけだそうです。>
 <まさに日々こつこつ積み上げている行動に対して素晴らしい結果が出ているという事実。さて気になるのはどうやって続けてきたか?ご本人に直接聞いてみました。「秘訣としては、写真を一切使わず文字のみのブログであることかもしれません。視覚にとらわれず、筆者目線で日々を切り取ることができるから」 とのことでした。今やSNSは文字より写真の方が優先されがち。写真1枚あれば文字での表現を大いに補ってくれますが、逆に写真がなければ文章に集中できる。目から鱗の回答でした。>

 社長、なんとも面はゆい記事をありがとうございました。


 このブログも、いよいよ明日から11年目に入ります。
 末永くお付き合いのほどを、よろしくお願いいたします。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:40Comments(3)執筆余談

2020年01月31日

パズルに夢中 ~おかげさまで20年~


 実は僕、パズラーなんです。
 しかも、「作る」 と 「解く」 の両刀です。

 2000年2月から高崎市内に配布されている 『TAKATAI (タカタイ)』(上毛新聞社) という生活情報紙に、「漢字熟語パズル」 を毎週連載しています。
 今月で、連載開始から丸20年になりました。
 その間に作ったパズルの数は、903回!
 まさか、こんなにも続くとは思ってもいませんでした。

 僕が作っている漢字熟語パズルは、オリジナルです。
 隔週で交互に、“二字” と “四字” の漢字熟語が入れ替わります。
 このスタイルに決るまで、1年の企画・構想期間を費やしています。
 生みの苦しみから実現した、パズル連載でした。


 思えば僕は、子どもの頃からパズル好きな少年でした。
 一番のお気に入りはクロスワードパズルですが、今でも新聞や雑誌で見つけると、何よりも真っ先に解き出します。
 難しければ難しいほど、燃えるんですね!
 考えて、考えて、どうしても答えを導けないときは、素直に負けを認めて、辞書やネット検索にたよることもありますが、できれば、そんなことはしたくない!

 だって、僕は作る側の人間でもあるからです。
 作る側は、読者に “勝負” を挑んでいるからです。
 「さあ、解けるものなら解いてみろ!」 ってね。

 それゆえ、解けたときの優越感はひとしおであります。


 最近、夢中になっているパズルがあります。
 「数独」 です。
 ナンプレともいいますが、81マスのタテヨコ1~9までの数字を揃えるパズルです。
 最初は何がなんだか分からないのですが、初級編からコツコツとあきらめずに挑戦していくと、だんだんと解くコツが分かってきます。

 現在は、上級編に日々挑んでいます。
 酒を呑みながら始めると、ついつい夜更かしをしてしまうため、量も増え、睡眠不足になるのが目下、悩みのタネであります。


 スマホ時代に、かなりアナログの趣味ですが、みなさんも始めてみませんか?
 ハマリますよ!

 ゲームもいいけど、パズルもね。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:22Comments(0)執筆余談

2019年10月30日

おかげさまで2,500話


 このブログの記事投稿数が、前回で2,500話に達しました!

 たかが2,500、されど2,500であります。
 2010年2月からコツコツとしたためてきた雑文ですが、こうやって9年8ヶ月の歳月を重ねると、積もりに積もるものです。
 なんとも感慨深いものがあります。

 思えば、これはひとえに、読者あっての数字です。
 “相撲取り 相撲を取らなきゃ ただのデブ” にならえば、ライターも読まれなければ、ただの使い捨てライターであります。
 読まれてナンボの商売ですからね。

 まあ、ブログは商売ではあれませんけど、それでも書いている以上、読まれなければ、ひとり言の日記と同じです。
 やっぱり、読まれてこそ、ブログなのであります。


 ひと口に2,500話といっても、膨大な数ゆえ、筆者本人でさえ書いた内容を、すべて憶えているわけではいません。
 でも、この10年間は、我が人生の中でも激動の10年間だったと思っています。

 ブログを開設した前年に、初の温泉本 『ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) を出版しました。
 翌年から毎年、出版を続け、2017年5月の 『金銀名湯 伊香保温泉』(同) まで計9冊の温泉本を執筆しました。
 また、著作では登山本の 『ぐんまの里山てくてく歩き』(同) 、昨年出版した 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) という温泉以外を題材とした本も出版しました。

 その他、下仁田ネギや日帰り温泉ガイドなどの共著や共編の出版物を合わせれば、14~5冊の本を世に出したことになります。
 忙しかったはずです。


 そして、この10年は、介護に明け暮れた10年間でもありました。
 認知症のオヤジと寝たきりのオフクロとの、笑えないけど笑っちゃうエピソードの数々をブログに書きつづってきました。
 たぶん、僕にとってブログが、ストレスのはけ口だったのだと思います。
 両親のことを、おもしろおかしく書くことによって、自分が置かれている現状をオブラートに包んでいたのでしょうね。
 そして、その都度、あたたかい言葉で返してくださる読者からのコメントに、どんだけ救われたことか!

 でも、終わりのない介護なんて、ありません。
 おかげさまで、無事、今年の2月と5月に両親を見送ることができました。
 長かったけど、後悔のない介護生活でした。
 ありがとうございました。
 あらためて、お礼を申し上げます。


 見送ったといえば、マロも今年、あの世に旅立ちました。
 思えばマロは、とっても読者に愛されていましたね。
 なんと幸せな犬生だったのでしょう!
 僕の代わりにマロが書いた 「マロの独白」(カテゴリー) も、全50話となりました。
 ぜひ、読み返してあげてください。


 人生は、いろんなことがあるから楽しいのですね。
 今日 (2,501話) から始まる日々も、つれづれなるままに、したためていきたいと思います。
 今後とも末永く、よろしくお願いいたします。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:52Comments(2)執筆余談

2019年10月26日

謎を解く館


 新たな謎に、出合ってしまいました。
 寝ても覚めても、毎日毎日、頭の中は、その事でいっぱいです。

 なんでだろう? どうしてだろう?

 ネットで検索しても、確信に触れた記述はありません。
 あったとしても、歴史的背景も学術的解説もない、素人が書き込んだ情報ばかりです。
 昔に比べたら、だいぶ世の中は便利になりましたが、まだまだネットでは用が足りません。

 こんな時、僕は図書館へ足を運びます。


 県立か市立か?
 調べる内容によって使い分けていますが、すでに探していた本が、県立では “貸出中” ということが分かっていましたから、迷わず市立へ直行しました。
 ※(家に居ながらにして、在庫の確認ができるネットは便利ですね)

 まずはロビーの検索機で、キーワードを入力します。
 すると、出るわ!出るわ!
 何ページにもわたって、関連図書が表示されました。
 1冊1冊プリントして、書架を探していたら、日が暮れても終わりそうにありません。
 こんなときは、神様仏様、司書様に頼るしかありません。

 さすが、本のプロは違います。
 お医者さん同様に、僕から探したい本の情報を聞き出します。
 まさに、問診です。

 「○○の××について調べてるんですけど……」
 若い女性司書さんが、素早く、端末機のキーボードを叩いてくれます。
 「できれば、それに付随する△△についても知りたいんです」
 途端、キーボードを打つ手が止まりました。

 すると隣で聞いていた年配の女性司書さんが、
 「こちらでも調べてみますね」
 と言ったと思うと、 
 「ありました! どうですか?」
 とモニターの画面を、クルリと回転させて、こちら側に向けてくれました。
 「はい、そうです! これです!」
 と、やや興奮気味に返事をする僕。

 「プリントしてください。探してみますから」
 と言えば、
 「いえ、置かれている場所がバラバラなので、持ってきますよ」
 と言い終わらないうちに席を立ち、スタスタと歩き出しました。
 すぐに、僕も後を追いました。


 結局、求めていた本は、すべて別の部屋の書架にあったのです。
 図書一般、郷土資料室、書庫、禁帯出区分の4ヵ所です。
 禁帯出区分の本は、借りることができないので、その場で閲覧し、必要な箇所だけコピーをとりました。

 それにしても本のプロとはいえ、迅速な動きは見事です。
 餅は餅屋、蛇の道はヘビであります。


 図書館なくして、今の僕の仕事は成り立ちません。
 司書様に、感謝であります。

 秋深し……、必ず我は謎を解き明かすなり。
   


Posted by 小暮 淳 at 19:34Comments(0)執筆余談

2019年08月31日

ネギを描く


 <短く太い白根と、煮たときに出る独特の甘みで、特に鍋物に最適なネギとして人気が高い下仁田ねぎ。そのおいしさは、一朝一夕につくられたものではありません。江戸時代からの栽培の歴史、種植えから収穫まで15カ月間にわたる栽培管理といった、膨大な時間と管理の結晶です。> (上毛新聞社刊 『下仁田ねぎの本』 より)


 群馬県高崎市出身の葉画家(ようがか)、群馬直美さん(東京都在住) が、英国王立園芸協会主催の植物画展 「ボタニカルアート&写真展」 で最優秀賞を受賞したニュースが、テレビや新聞で報道されました。
 群馬県出身で “群馬さん” という名前にも親近感がわきましたが、その絵に釘付けになりました。

 彼女が描いた受賞作品は、下仁田ネギだったのです!

 実物大に描かれた、その緻密さと繊細さにも驚かされましたが、何よりも僕のハートをつかんだのは、実際に栽培農家を取材して、農作業まで体験して、ネギの成長過程を学んだ上での作画だということです。
 それを知っただけで、居ても立ってもいられません!
 だから、行ってきました。

 群馬直美 個展 -下仁田ネギの一生と、ヤマトビオトープ園の葉っぱたちー


 期待通りの精密画でした。
 そして、絵一枚一枚に添えられた彼女のエッセイが、素敵です。
 植物に寄せる思いの深さを感じます。

 その中でも実物大の下仁田ネギの絵は、圧巻です。
 今すぐ調理して、すき焼き鍋に入れてしまいたくなるような瑞々しい鮮度を保っています。

 <ネギの花 下仁田町馬山・大澤貴則さんの畑にて>

 絵に添えられたタイトルパネルを読んで、「あれ?」 と一瞬、僕の思考が止まりました。
 どこかで聞いたことがあるような、会ったことがあるような……

 帰宅後、調べてみると、やはり、そうでした。
 大澤貴則さんと僕は、過去に会っていたのです。


 冒頭に紹介した 『下仁田ねぎの本』(2014年11月発行) は、僕も取材・執筆に参加しています。
 この本の中で、僕は生産農家へのインタビュー記事を担当しました。
 タイトルは、「父から子へ 継がれる伝統のバトン」。
 下仁田ネギの主産地である下仁田町馬山地区で、180年間代々農家を営む大澤善正一家を取材しました。
 そして、僕は記事の最後に、1年前に脱サラをして父親の仕事を継いだ息子の貴則さんのコメントを付記しています。

 <「子どもの頃から両親の仕事は見て知っていたつもりでしたが、手伝うのと実際に職業として栽培するのとでは責任感が違います。父のことも今は先生だと思って、日々勉強しています」と貴則さん。父から子へ、下仁田ねぎという伝統のバトンが着実に手渡されている。>

 あれから5年、貴則さんが育てたネギは、絵画となり世界に認められました。



          群馬直美 個展
 -下仁田ネギの一生と、ヤマトビオトープ園の葉っぱたちー

 ●会期  2019年8月24日(土)~9月27日(金)
 ●時間  午前10時~午後5時
 ●料金  入場無料
 ●休館  土日・祝日 ※但し9月21日・22日は開館(作家来場日)
 ●会場  (株) ヤマト本社 1Fギャラリーホール
       群馬県前橋市古市町118 TEL.027-290-1800
   


Posted by 小暮 淳 at 12:41Comments(0)執筆余談

2019年08月05日

ゼロ市町村と平成温泉


 群馬県内には、約100の温泉地があります。
 “温泉地” とは、宿泊施設がある温泉のことです。
 ですから、日帰り入浴施設は含まれません。

 で、県内には35の市町村があります。
 一番、温泉地が多い市町村は、みなかみ町です。
 18湯あります(現在、2ヶ所が休業中ですが……)。
 次いで、吾妻町や片品村、嬬恋村、中之条町など上位は、すべて県北部の町村が占めています。

 当然ですが、1つも温泉地が無い “ゼロ市町村” も存在します。


 今まで、そんなことは何も気にかけていなかったのですが、さる不都合が生じてしまいました。
 それは、不公平感です。

 僕は数年前から群馬県が企画するグラビア雑誌に、県内の温泉を紹介する記事を連載しています。
 問題は、県の雑誌というところです。
 自分の独断と偏見で自由に書ける著書とは違い、「次は○○温泉でお願いします」 と依頼されます。

 第1回、四万温泉(中之条町)
 第2回、老神温泉(沼田市)
 第3回、野栗沢温泉(上野村)
 第4回、川場温泉(川場村)
 第5回、下仁田温泉(下仁田町)
 と続き、
 第19回、川古温泉(みなかみ町)
 第20回、磯部温泉(安中市)
 と回を重ねてきました。
 ここまで、市町村の重複はありません。

 で、ついに 「不公平を無くすために県内くまなく」 という理由から “ゼロ市町村” にもスポットを当てることになったのです。
 つまり、何百年という歴史はないけれど、「平成時代に掘削により湧いた温泉を所有する市町村も紹介して欲しい」 ということです。
 確かに、観光的には人気の温泉施設がある市や町や村があります。
 ちょっと、調査してみる必要がありそうです。


 ということで、今日は朝から某村を訪ね、30年前に温泉が湧いたという共同浴場と湯を引いている施設のロケ、それと役場に寄って話を聞いてきました。
 開湯伝説や老舗旅館は存在しませんが、それなりに平成の時代に紆余曲折したボーリング温泉の歴史がありました。

 これも時代が、令和に変わったからできる企画ですかね。
 “平成温泉をゆく”
 ご期待ください。
   


Posted by 小暮 淳 at 19:47Comments(0)執筆余談

2019年05月21日

掌編小説 <浅田晃彦・選>


 断捨離というわけではないのですが、ヒマにまかせて仕事部屋の整理を始めました。
 すると、ひょんなところから31年前に書いた掌編小説が掲載された新聞が出てきました。
 掲載されたこの日、僕は雑誌社へ面接に行き、採用が決まり、ライターとしての人生を歩み出しました。
 人生のターニングポイントとなった記念すべき掌編小説を全文、ご紹介いたします。
 ※(小説執筆のきっかけとなったエピソードについては、当ブログの2010年11月21日 「出雲市15時48分」 を参照ください)



      出雲市 『15時48分』

 山口は山陽というよりは山陰の気候に近いようだ。
 今日、瑠璃光寺近くの土産物屋で店のおばさんが 「これが山口らしい天気なのよ」 と、どんよりとした曇り空を見上げて言っていた。
 部屋の電話が鳴ったのは、ふたつめの缶ビールを口にした時だった。声の主は、親しい友人のTだった。
 「よく、ここが分かったな?」
 「君の奥さんに聞いたのさ」
 なるほど、それにしてもTは私の唯一の酒飲み友だちで、日常頻繁に会っている奴である。この旅が終わったら土産を渡しがてら、また会って飲む約束まで交わしている。そのTが、わざわざ旅先の宿まで電話をして来るのだから余程の話があるに違いない。
 「で、何だい?」
 「そこには、まだしばらくいるのかい?」
 「いや、そろそろ出ようと思っているけど」
 「どの辺を回って帰るつもりだい?」
 「せっかく、ここまで来たんだから山陰をゆっくり回ろうかと思っているんだ」
 「山陰か…」
 彼の言葉が、しばし途切れた。
 ─奴は何が言いたいのだろうか─
 私には皆目見当がつかないまま彼の次の言葉を待った。
 「う、うん。何処かで会えないかな?」
 「おいおい、ここがどこだか分かってるのかい! 山口だよ」
 彼が今いる前橋からここ山口は少なくとも千キロは離れている。会えないこともないが、ちょうど1週間前、私が前橋を発つ時、駅まで私を車で送ってくれたのは、今電話で話しているTなのである。離れ離れに暮らす恋人同士でもあるまいし、何の意味があるというのだろうか。
 「急にあさってから2日、休みが取れてね。とにかく何処で会うのが一番いいか、今晩じっくり考えてみるよ。明日夜8時に、もう一度そこに電話をするから、じゃあ」
 と私の返事も待たずして電話は切れた。

 その夜、私なりに時刻表を広げて、彼が何処を指定してくるのか思案してみたが、これといっためぼしい場所は浮かばなかった。そのかわり今回の彼の突発的な行動の意味は、古い友人として、なんだか分かるような気がした。
 高校時代から無類の旅好きで鉄道マニアだった彼は、写真部に籍を置き、休みとなればカメラを片手に旅に出ていた。そんな彼の自慢は、日本の全都道府県をすべて行き尽くしたということだった。
 その彼も今は結婚して、平凡なサラリーマンという生活を送っている。以前のように気ままに旅をすることもなくなったという訳だ。
 引き換え今では私の方が何かと旅づいていて、今回の山口行きにしても、彼は私を見送る側になってしまったのだ。
 そういえば別れ際に、前橋駅で彼が私に羨望を込めて言った台詞が、やけに意味ありげに思い出される。
 <今夜、君はブルートレインの中なんだ>
 彼の旅の虫が騒ぎ出したのかもしれない。

 翌日、私は日帰りで長門峡を散策して、8時までに宿に戻り、彼からの電話を待った。
 電話が鳴ったのは、8時を5分とは過ぎていなかった。
 「グッドアイデアはあったかい?」
 「ああ! すごいのがあったよ」
 彼の声が踊っている。
 「明日、君は山口から11時51分の 『おき4号』 に乗ってくれないか。そして出雲市で降りてくれ、15時48分だ。僕は岡山から 『やくも7号』 に乗るから、出雲市で再会だ!」
 「それで君の乗る 『やくも7号』 は、出雲市には何時に着くんだい?」
 「それがね、なんと同じ15時48分なんだよ」
 「何だって! それは本当かい」

 後は何を話したのか、よく覚えていない。
 「明日の夜は、したたか飲もう」 なんて、いつもと変わらぬ会話をしたようだ。
 時刻表を取り出し、『おき4号』 と 『やくも7号』 を捜す。本当だ、確かに両車とも15時48分出雲市に同時入車である。
 彼は昨夜、胸をときめかせながら時刻表を捲っていたに違いない。そして、この出雲市15時48分を見つけた時 「これしかない」 と確信した。同時に私をしてやったと思ったに違いない。事実、私は彼にしてやられた思いがした。
 「30歳になったら2人で旅をしたいな。日本海がいい。新鮮な海の幸を肴に酒を飲もう」
 そんな、いつか交わした口約束を彼は本当に叶えてしまった。旅好きで鉄道マニアの彼らしい答え方で。
 窓の外の山口の街は、雨に煙っていた。やはり山陽というよりは山陰の気候に近いようだ。
   <1988年5月18日付 上毛新聞より>
  


Posted by 小暮 淳 at 15:05Comments(2)執筆余談

2019年05月18日

どこかで 誰かが⑬ 連載の力


 <「はつらつ温泉」 初めて読みました。いいお話ですね。>
 知人の男性から、メールが届きました。

 「はつらつ温泉」 とは、高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 に毎月連載しているコラムのことです。
 彼が読んだのは、今週発行号に掲載された第37話の 「好きな温泉探し」 のようです。
 この回では、僕が講師を務める温泉講座について書きました。
 泉質や効能を知ることも大切ですが、講座では “いい温泉探し” をするのではなく、みんなで自分の “好きな温泉探し” の旅をしているという内容です。

 早いもので、この連載もスタートから丸3年が過ぎ、4年目に入りました。
 で、ふと思ったのであります。
 彼は高崎市在住で、僕が 「ちいきしんぶん」 という冊子に連載をしていることも知っているのに、<初めて読んだ> と知らせてきたのです。

 たまたま見たのかもしれませんが、それにしても <初めて読む> までに3年の月日を要したということです。
 そう考えると、つくづく “連載” とは、続けることに意味があるのだと思いました。
 だって、もし、今年の3月で 「丸3年でキリがいいから」 と連載を打ち切っていたら、彼は永遠に僕のコラムを読めなかったし、メールを送ってくることもなかったわけです。


 このブログにも書きましたが、以前、イギリスに暮らす友人が、偶然、日本から送ってもらった雑誌の中に、僕の書いた記事が載っていたことに感動して、わざわざ国際電話をかけてきたことがありました。
 ※(当ブログの2018年8月10日 「どこかで誰かが⑩ロンドンの旧友」 参照)
 このときも、「単発の記事ではなく、連載だったから彼の目に留まったのだ」 と思いました。

 そう、連載の持つ “力” が、偶然の確率を大きくして必然に変えるのだと!


 その昔、雑誌社の記者を辞め、フリーランスのライターになることを決心した若き日のこと。
 「絶対、新聞や雑誌に連載を書けるライターになる」
 と、心に誓いました。
 単発の無記名記事ばかり書いていた駆け出しの頃です。

 “使い捨てライター” なんて、呼ばれたくないと……


 あれから四半世紀。
 なんとかライターを職業として今日まで暮らして来たけれど、どこまで走り続けられるのやら。
 生涯現役ライターの道は、まだまだ続きそうです。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:09Comments(2)執筆余談

2019年03月06日

生涯ライター


 僕は、作家ではありません。
 しがない地方のライターです。
 だから締め切り厳守は必至であります。

 加え、臆病な性格もあり、余裕を持たないと気が気でありません。
 自分が元編集者だったということもあり、相手の事情を考えると、ついつい前倒しに原稿を仕上るクセがあります。
 早いものでは1週間、それ以上前に入稿することもあります。

 ところが、先月は勝手が違いました。
 確定申告と思わぬオヤジの葬儀が重なり、執筆の手が止まってしまいました。
 で、先週から躍起になって取りかかり、なんとか、いくつかの原稿を仕上げました。


 現在、僕は5つの連載を抱えています。
 週間が1本、月刊が2本、不定期が2本です。
 が、だいぶ数は減りました。
 多いときは、この倍はありましたからね。
 中には、週2回掲載なんていうハードな連載を受け持っていたこともありました。
 それを思えば今は、頭も体も、かなり楽になりました。

 ライターって、作家と違い、知力よりも体力勝負の職業なんです。
 机の前で何時間ジッとしていても、文章は生まれてきません。

 “取材ありき”の職業です。

 ということは、フットワークが求められます。
 企画を出して、資料を集めて、現場に飛び、見て、聞いたことを、締め切りまでにまとめなくてはなりません。
 体力がモノを言う職業なのです。

 おかげさまで、僕はライターに向いていたようです。
 思えば、この世界に入ってから一度も寝込んでいませんものね。
 ケガも病気も、風邪すら引いたことがないのです。
 だから30年近くも、この職業が続けて来れたのかもしれません。


 でも、なんだかんだ言っても、寄る年波にはあらがえません。
 30代より40代、40代より50代と、確実に体力は衰えています。
 年々、フットワークの距離も短くなり、スピードも遅くなり、反応も鈍くなっています。

 でも、年を重ねると、良い事もあるのです。
 体力に反比例して、知力は増しているようです。
 “考える力” は、若い頃よりも確実に伸びています。
 (ただ、記憶力は低下しています)


 はてさて、迎えた60代は、どんなライター人生が待っているのでしょうか?
 せめて、「使い捨てライター」 にはならぬよう、好奇心を失わず、刺激的な毎日を送りたいと思います。

 目指せ!! 生涯ライター!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:13Comments(0)執筆余談