温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2021年01月14日

肩書のない四半世紀


 昨日、知り合いのデザイナーに、名刺を発注してきました。
 僕は2年ごとに、名刺のデザインをリニューアルしています。


 このコロナ禍で、イベントや懇親会は激減したため、大量に名刺が出て行くことはなくなりましたが、それでも在庫が残り少なくなってきました。
 自粛の今こそ補充のチャンス!とばかりに、増す刷りを頼みました。

 修正箇所は2つ。
 表に印刷されている 「ジュンちゃんマーク」 の色を変える。
 裏に印刷されている 「大使一覧」 に追加を記入する。

 「ジュンちゃんマーク」 とは、僕が温泉に入っているイラストです。
 このイラストも、名刺をお願いしたデザイナーが作画してくれたものです。
 4年前はグレー、2年前はパープル、そして今回は……(ナイショ)

 現在の大使一覧には、下記の5つが記載されています。
 ・みなかみ温泉大使
 ・中之条町観光大使
 ・老神温泉大使
 ・伊香保温泉大使
 ・四万温泉大使

 で、この2年間に、もう1つ大使が加わりました。
 「ぐんまの地酒大使」 であります。


 さて、過去の名刺をズラ~リと並べてみると、デザインは異なるものの、僕の名刺には “あるもの” がありません。
 そう、「肩書」 です。

 すべての名刺の名前の上には、ただ小さく 「writer」 とのみ記されています。
  「writer」 は肩書ではなく、職業です。


 今から25年前、会社を辞めた時、この肩書のない名刺を持って営業に回りました。
 新聞社、雑誌社、デザイン事務所、印刷会社……
 でも、肩書のない名刺は、何の効力も発揮しません。

 考えてみれば、職業名刺だけで仕事がもらえるほど、世の中は甘くありません。
 画家が 「画家」 の名刺を持って、役者が 「役者」 の名刺を持って回っているのと同じですからね。
 画家は絵を、役者は演技を見せるしかありません。

 そこで僕も考えました。
 1年後に、著書を出版しました。
 もちろん、自費出版です。

 すると著書があるのと、ないのとでは段違い!
 相手の興味の度合いが違います。
 「これ、名刺代わりです」
 と、営業先に配って回りました。

 このことが功を奏したからなのかは分かりませんが、あれから四半世紀、なんとか今日まで 「writer」 という職業を続けています。


 心機一転、令和3年度は、新しい名刺を持って、新たな仕事に挑戦したいと思います。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:58Comments(0)つれづれ

2021年01月13日

我が道のゆくえ


 ♪ 今 船出が 近づくこの時に
   ふとたたずみ 私は振り返る
   遠く旅して 歩いた若い日を
   すべては心の 決めたままに ♪
   (訳詞/中島潤)


 新聞を読んでいて、ちょっとショックな記事を見つけました。
 アメリカの歌手、フランク・シナトラは、自身が歌って世界的な大ヒットとなった名曲 『マイ・ウェイ』 を、「好きではなかった」 というのです。

 <歌詞は、死期が近づく男が人生を振り返り、自分の信じた道を歩んだことに間違いはなかったと述懐する。「身勝手だ」 と考えていたようだ。後年は家族への罪の意識も漏らしていたというから華やかな人生にも悔いはあったのだろう。>
 (毎日新聞 「余禄」 より)


 あれ、『マイ・ウェイ』 って、そんな歌だっけ?
 もっと希望に満ちた旅立ちの歌だったような……

 と思われたのは、きっと僕だけではないはずです。
 だって、一般に知られている歌詞は、冒頭に記した布施明が歌った歌詞ですものね。

 と思い調べてみると、こんな訳詞もありました。


 ♪ やがて私も この世を去るだろう
   長い歳月 私は幸せに
   この旅路を今日まで越えて来た
   いつも 私のやり方で
   (中略)
   人を愛して 悩んだこともある
   若い頃には はげしい恋もした
   だけど私は 一度もしていない
   ただ卑怯な 真似だけは

   人間(ひと)はみないつか この世を去るだろう
   誰でも 自由な心で暮らそう
   私は 私の道を行く ♪
   (訳詞/岩谷時子)


 こちらのバージョンは尾崎紀世彦らが歌っていますが、布施明がカバーした時は若かったため、船出に例えた希望ある歌詞に変更したようであります。
 今では、結婚式などの祝いの席での定番ソングとなっています。

 で、改めて、岩谷時子バージョンを聴いてみると、シナトラの言う 「身勝手」 の意味がしみじみと伝わってくるのであります。
 世界的な成功を収めた大スターの人生と比べるのは、おこがましいのですが、僕も身勝手ながら人生の3分の2以上を生きてきました。

 時に悩み、傷つき、人を愛し、迷いながらも、なんとか……。
 “正しかったか” “間違っていなかったか” は別としても、今、思えば十分に 「身勝手」 だったと思うのです。

 若い頃には考えてもみなかったことですけどね。


 みなさんは、どちらの歌詞が好きですか?
  


Posted by 小暮 淳 at 11:31Comments(0)つれづれ

2021年01月11日

虹色の輝きは魔法のおまじない


 ひざ小僧で光り輝く赤い色は、わんぱく小僧であるしるし。
 そして、昭和の子供たちの勲章でもありました。


 昨年の暮れ、国内唯一のメーカーだった三栄製薬 (東京) が、「マーキュロクロム液」 の製造を終了しました。
 通称、「赤チン」。

 なんで、赤チンと呼ばれていたのか?

 それまで同じ殺菌・消毒の目的で使われていた 「ヨードチンキ」 が茶色なのに対して、色が赤いことから 「赤チン」 と呼ばれるようになったのだといいます。
 だから僕らは子どもの頃、茶色いのは 「ヨーチン」、赤いのを 「赤チン」 と呼び分けていました。
 (赤チンのことは、「マーキロ」 とも呼ばれていました)


 アメリカから日本に赤チンが入って来たのは、戦前 (1939年頃) のこと。
 戦後の最盛期には、国内で100社以上が生産していたといいます。
 ところが発がん性があるとか、水銀が含まれているとかの風評があり、だんだんと使われなくなっていったようです。
 確かに、僕のまわりでも赤チンを塗っていたのは小学生までで、中学生になるとサビオやバンドエイドなどの 「キズバン」 という簡易絆創膏を貼っていた記憶があります。


 当時、そう昭和の子供たち、それも男の子たちは、みんな半ズボンでした。
 だから、すり傷・切り傷は日常茶飯の出来事です。
 特に、ひざ小僧は、毎日のように、どこかにぶつけて、いつでも傷だらけ。

 男の子なら誰もが、保健室の若いお姉さん先生に、赤チンを塗ってもらった甘酸っぱい思い出があるはずです。
 「男の子でしょ、我慢しなさい!」
 なんて言われながら、赤チンを塗ってもらいました。

 そして、塗ってもらった後は……

 そうです! 誰もが 「フーフー」 と塗ってもらった傷口に息を吹きかけて、乾かすのです。

 すると……

 あーら不思議、赤チンが乾くと表面は、光の具合でキラキラと虹色に光り輝き出すのです。
 この輝きは、子供にとって、魔法のおまじないと同じ効果がありました。

 「光ったら、治る」

 そして、それは、少年たちの勲章になりました。


 また1つ、昭和の思い出が消えてしまいましたね。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:30Comments(0)つれづれ

2021年01月10日

ウイズコロナは悲喜こもごも


 「ボロは着てても心は錦じゃ~!」
 負け惜しみなのは分かっていても、そう叫ばずにはいられませんでした。


 新型コロナウイルスの感染拡大が止まりません。
 あまりに長引く “ウイズコロナ” は、私たちの生活や人生、はたまた未来までもを変えようとしています。

 閉店せざるを得なくなった自営業者、リストラされた会社員、仕事を減らされたパートタイマー……。
 それだけではありません。
 ローンが払えずに家を手放した人、家賃を滞納して部屋を追い出された人……。
 目に見えないところで、人々の限界はせまりつつあります。


 ところが、意外や意外、一方で景気の良い話もあるのです。
 なんでも、デパートでは宝飾品や時計、絵画などの高額商品が飛ぶように売れているといいます。
 それもコロナ前よりもアップしているとか。

 いったい、この現象は?
 と、思案したところで貧乏人には、生涯解けない問題ですが。

 答えは、富裕層のストレス解消による “巣ごもり消費” なのだといいます。


 所得が高い人ほど、海外旅行などの娯楽やレジャーへの支出割合が高く、その分のお金が高額品に向かったようです。
 「コロナ禍は、世の中からお金が消える経済危機ではない」
 とは、さる識者の見解ですが、どうみても僕と僕のまわりからは、完全にお金が消えています。

 コロナ禍は、ますます社会の格差を広げているようです。


 いつの時代でも、いつの世でも、人々の暮らしは 「悲喜こもごも」 であります。
 ついついウイズコロナの現状を語る場合、「悲」 ばかりがクローズアップされがちですが、庶民とは無関係な世界には、ちゃんと 「喜」 の部分が存在していたのですね。

 新聞に宝飾時計店社長の、こんなコメントが載っていました。
 <富裕層には200~300万円の時計が人気なのに加え、2019年までは全店で月に数本程度だった1本1000万円以上の時計の売り上げが、コロナ禍の今、毎日どこかの店舗で売れるようになった。>


 ま、僕には関係ない話ですが、最後に、もう一度だけ叫んでもいいですか!?

 「ボロは着てても心は錦じゃ~!」
  


Posted by 小暮 淳 at 12:13Comments(0)つれづれ

2021年01月08日

音のない街


 <本来、人間は生活の中では 「音」 と 「におい」 を発するものなのだ。同時に、それは人と人が触れ合うために生じる生活雑臭音だといえる。もし、町の中から音とにおいが消えてしまったとしたら……>

 この一文は、今から24年前に出版した処女エッセイ 『上毛カルテ』(上毛新聞社) に収録されている 「いつか見ていた風景」 から抜粋したものです。
 当時、すでに僕は、街の中から 「音」 や 「におい」 が消えて行くさまを憂いていました。


 若い頃からバックパッカーにあこがれ、アジアの国々を旅していた僕は、きっと今よりも 「音」 や 「におい」 に敏感だったのだと思います。

 <人が暮らしている証拠として発せられる音とにおいが、私の聴覚と嗅覚には、逆に新鮮に感じられたのである。けたたましい車のクラクション、せわしない自転車のベル、路地から聞こえる子供たち喚声、そして家々からこぼれてくる生活する音たち。露店の肉や野菜の臭いに混じって、時折、強烈に鼻孔を刺激してくる生活雑水の悪臭さえ、ナチュラルなものとして受け入れることができた。>


 「保育園の子どもの声がうるさい」 「除夜の鐘がうるさい」 「盆踊りの唄がうるさい」 「花火大会の音がうるさい」 「小学校の運動会がうるさい」……
 昭和の時代には当たり前にあった風景が、平成になり洗練され、そして令和になって消滅しようとしています。

 また1つ、全国で音が消える現象が起きています。

 視覚障害者に青信号を知らせるために整備されている音響式信号機のうち、8割超が音の出る稼働時間を制限しているとのことです。
 理由は、近隣住民への配慮や苦情を受けてのようですが、この稼働停止中に視覚障害者の死亡事故も発生しています。


 で、僕は思いました。

 なぜ、昭和の人たちは、音に無頓着だったのだろうか?
 なぜ、令和の人たちは、音を不快に感じるようになってしまったのだろうか?

 そして、僕がたどり着いた答えは、「お互いさまの心」 です。
 向こう三軒両隣、助け合って生きていきましょうよ!の思いやりの心です。

 思えば子どもの頃は、“うち” も “隣んち” もなく、味噌やしょう油の貸し借りをしていたし、風呂だって入りに行き来していました。
 それこそ、夫婦げんかの声だって、筒抜けでしたものね。


 僕はエッセイで最後に、こう綴っています。
 <不便な町が良いのではなく、人が手をかけた町は、きっと温かいはずである。そしてそこには、その町だけの 「音」 と 「におい」 があるはずなのだ。>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:15Comments(2)つれづれ

2021年01月07日

自粛+不安=少子化


 「来年の出生率は、上がるかね?」
 とは、昨年の夏に、行きつけの居酒屋で発した僕の言葉です。

 これに対して、隣のカウンター席にいた常連客は、
 「下がるでしょう! 濃厚接触しないと子どもは作れませんからね(笑)」
 「いや、逆に、やることがなくて、子作りに励むんじゃないの!」
 と反論した僕でしたが、結果は、常連客に軍配が上がったようであります。


 先日、全国の自治体が受理した昨年の1月~10月の妊娠届の件数が発表されました。
 これによると、前年同期比5・1%減という激減ぶりだったといいます。
 今年の出生数は、過去最低の80万人を割るという推定が出ています。

 初めて90万人を割ったのは一昨年で、推定通りなら、わずか2年で80万人を割ることになます。
 この数字は、少子化予測を約10年も前倒しする数字だそうです。


 やっぱり、コロナ禍の “濃厚接触” を恐れたことが要因なのでしょうか?

 識者の見解は、少し異なるようです。
 一番の要因は、「コロナ禍による将来の不安」 を挙げています。
 精神的な不安定さが、子作りにもストップをかけてしまったようです。

 実は、コロナ禍の不安は、妊娠・出産以前の男女の出会いにも影響が出ているといいます。
 それは、“巣ごもり生活による出会いの機会の減少” です。
 これにより、婚姻数も著しく減少しています。


 結婚するも妊娠するも出産するも、個人の自由ですが、そもそも人と人とが出会えないのでは、それら自由の選択も生まれません。
 リモートによる在宅や時差出勤では、なかなか、ときめくような恋とは出合えませんものね。

 すべてにおいて受難の年の幕開けとなりました。

 負けるな! 若人たちよ!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:08Comments(0)つれづれ

2021年01月04日

あなたは誰ですか?


 昨年は喪中だったこともあり、数えるほどでしたが、今年は、また、たくさんの年賀状が元旦から届きました。
 時代は変わった、世の中は変わったといっても、やっぱり年の初めに、みかんを食べながら目を通す年賀状は、いいものです。
 これぞ、日本の正しい正月の過ごし方であります。

 昨年は、コロナ禍の影響で、会えなかった人が多かったせいでしょうか?
 今年の年賀状は、いつもの年より、直筆のコメントを添えている人が多かったように思います。

 <コロナの影響で、自宅でリモートワークも始めました。>
 <早く自由に行動できるといいですね。>
 <お会いするのは難しいので、リモート飲み会しますか?>
 <今年は早く安心して自由に活動したいです。>

 人恋しさが伝わって来るコメントばかりでした。


 そんな中、今年もありました!
 “差出人不明” の年賀状です。

 といっても無記名ではないんです。
 住所も名前も書いてあるのですが、誰だか分からない人からの年賀状です。

 例年、必ず何通かはあるのですが、その後の努力 (名刺を調べたりして) により、ほとんどは判明します。
 講演会や懇親会の席で、不特定多数の人と名刺交換をしているせいなんでしょうね。
 社名や名前を見ただけでは分からず、名刺を見て、やっと判明しています。
 (僕は、もらった名刺に日付と場所を記入して保管しています)


 ところが、会社の名刺で交換しているのに、プライベートの年賀状を出される方がいるのです。
 これには、手こずります。
 「おいおい、ひと言、ヒントを書き添えておいてくれよ!」
 と愚痴りながらも、根気よく、過去の名刺ホルダーから同姓同名を探しています。


 今年は、2名いました。
 1名は男性。
 奥様と連名の年賀状です。
 でも、上記の検索作業により判明いたしました。

 さて問題は、もう1名の女性です。
 まったく名前に覚えがありません。
 でもヒントは、ありました。
 コメントの中に、「先生」 とあります。

 僕のことを 「先生」 と呼ぶ人は、限られています。
 講座の生徒さんか、講演の主催者の方々です。
 ただ生徒さんの場合、名刺をいただかない人が多いので調べようがありません。


 年賀状をいただいてから3日が経ちました。
 いまだ不明であります。

 あなたは誰ですか?
   


Posted by 小暮 淳 at 11:45Comments(0)つれづれ

2021年01月03日

ニュー・イヤー・シネマ・パラダイス


 元日の昼過ぎのこと。
 ケータイが鳴りました。

 「誰だか、分かりますか?」
 表示は電話番号のみ。
 アドレス登録のない、初めての電話です。

 「申し訳ありません。声だけでは……」
 「Sです。BのSです」
 「えっ……」


 その名を忘れるわけがありません。
 ちょうど20年前、平成12(2000)年の夏のことです。
 前橋市内にあったBという映画館が秋に閉館されることになり、僕は最後の支配人であるSさんを取材することになりました。

 それ以前からSさんとは、付き合いがありました。
 まだ駆け出しのタウン誌記者の頃、情報をもらいに月参していたのが縁で、フリーになってからもSさんの人柄に惹かれて、たびたび、お茶を飲みに立ち寄っていました。

 そんな、ある日のこと。
 「とっても残念だが、会社の方針でね。映画館をたたむことになったんだよ。俺の映画人生も、ここまでだ」
 そう告げられたときに、僕は決心しました。

 「Sさんの映画にささげた半生を記事にしたい」 と……


 閉館後、僕らは半年間、毎月会いました。
 喫茶店だったり、レストランだったり、そば屋だったり、時にはSさんの自宅へ伺って、古い資料を見せてもらいました。

 子どもの頃に、初めて見た西部劇。
 以来、洋画に魅せられて、学生時代は東京の名画座に通った話。
 そして、憧れの映画配給会社への就職。

 僕は、Sさんの人生というフィルムを巻き戻しながら時系列に記事をまとめ、地元の新聞に連載することができました。


 「ジュンちゃん、いや、今はもう、ジュンちゃんなんて呼べないね。大先生だ」
 「なんですか、それ?」
 「その後の活躍は、新聞やテレビで見ているよ。うれしくってね。だって、俺の記事を書いてくれたジュンちゃんだもの! あっ、先生だ(笑)」
 「やめてくださいよ(笑)」

 あれから20年の時が流れました。
 その後、しばらくは年賀状のやり取りが続いていましたが、いつしか途切れていました。


 「急に、ジュンちゃんのことを思い出して、会いたくなってね」
 「会いましょうよ!」
 「それがダメなんだ。入院することになってね」
 「えっ、どこか悪いんですか?」
 「ああ、まあ……」

 病名は告げませんでしたが、近々精密検査を受け、その結果によっては手術をするのだといいます。

 「もう85歳だからさ。先は分からないだろ。だからジュンちゃん、約束してよ。無事、帰ってきたら、また電話するから、会ってよ」


 「もちろんです」
 といった後、そのまま僕は言葉が詰まってしまい、しばらく何も言えなくなってしまいました。

 Sさん、絶対絶対、会いましょうね。
 電話を待ってますよ!
 そして、また映画の話をしましょう。

 20年前の、あの日のように……
  


Posted by 小暮 淳 at 11:15Comments(0)つれづれ

2020年12月31日

終わり良ければゲゲゲのゲ


 ひな祭り、花見、入学式、ゴールデンウイーク、海水浴、お盆、花火大会、秋祭り、運動会、クリスマス……
 みーんな、なかった今年。

 コロナで始まり、コロナで終わり、コロナに振り回されっぱなしの2020年でしたが、その中でも得たものは多々あったと思います。
 それは 「生活」 することと 「人生」 を豊かにすることの相違点でした。
 衣食住の最低限の生活を確保することはできましたが、人生を豊かにする不要不急の娯楽が、いかに大切だったかということです。


 まるで戦時中のように、誰もが日常という防空壕の中で、ジッと息をひそめて、「いつかはきっと」 と希望を抱きながら暮らしていた一年だったように思います。
 でも、そんな戦禍においても、人は学び、知恵を付け、新しい生活と人生を探し当てます。

 来年は、きっと、コロナ前にはなかった素晴らしい世の中が訪れることでしょう。
 また、そう願っています。


 今年も一年間、ブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。
 読者のみなさんには、ただただ感謝しかありません。
 そして、みなさんに訪れる新しい年が、希望に満ちあふれた光輝く年でありますように、心より祈願して、今年を締めくくりたいと思います。

 では、今年も最後に、故・水木しげる先生の 『幸福の七か条』 (幸せになるための知恵) を、ご一緒に唱和しましょう!


 <第一条>
 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
 <第二条>
 しないではいられないことをし続けなさい。
 <第三条>
 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
 <第四条>
 好きの力を信じる。
 <第五条>
 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
 <第六条>
 怠け者になりなさい。
 <第七条>
 目には見えない世界を信じる。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:01Comments(3)つれづれ

2020年12月29日

納詣のすすめ⑥ コロナ禍だからこそ


 今年も納詣 (のうもうで) を済ませました。

 「納詣」 とは?
 これは僕の造語なのですが、かれこれ20年近く続けています。

 新年に神社仏閣へ参拝するのが 「初詣」 です。
 でも 「納詣」 は年内に行います。
 「初詣」 は神様に願い事をしますが、「納詣」 は神様に一年間の成果を報告します。
 ※(詳しくは当ブログの2010年10月27日「納詣のすすめ」参照)


 なんでも今年はコロナの影響で、「幸先詣(さいさきもうで)」 というのが、ひそかにブームなんですってね。
 神社側も、密を避けて、年内に早めに初詣を済ませてもらう “分散参拝” をすすめています。
 「幸先よく、新年を迎えよう!」
 ていうことのようです。

 でも僕が長年行っている 「納詣」 は、この 「幸先詣」 とは、主旨がまったく異なります。
 願をかける初詣の前倒し行事ではありません。
 一年間の自分を自分なりに評価し、その成果を報告する儀式なのであります。

 言い方を変えれば、初詣は、無責任な願い事の言いっぱなし状態。
 願い事だけをして、その結果報告もせず、翌年も願い事をする。
 ともすれば、一年前の願い事が叶ったかどうかすら忘れています。


 これは、いかん!
 願い事が神様任せになってる!
 ちゃんと成就させ、その過程をちゃんと報告しなければ!

 という懺悔の思いから始めたのが、この 「納詣」 であります。


 年末のこの時期は、どこの神社仏閣も閑散としています。
 まして今年は、新型コロナウイルスの感染拡大で、外出の自粛が叫ばれています。

 そんなコロナで始まり、コロナで終わろうとしている一年ですが、決して悪い事ばかりではなかったと思います。
 たぶん、今年の初めにした願い事は半分も叶わなかった人が多いかと思います。
 それでも、報告に行きましょうよ。

 小さな成果でもいいんです。
 頑張った自分を一年の終わりに、ほめてあげましょう!


 今年も余すところ、今日を含めて3日です。
 神様は報告を待っていますよ。

 さあ、納詣に行きましょう!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:56Comments(0)つれづれ

2020年12月26日

歌は世につれ昭和は遠くなりにけり


 ♪ 北の酒場通りには 長い髪の女が似合う ♪


 筒美京平さんという偉大な作曲家を失ったばかりなのに、この年の瀬になり、続けざまに昭和を彩った巨星たちが、旅立ってしまいました。
 作詞作曲家の中村泰士さん、享年81歳。
 作詞家で作家のなかにし礼さん、享年82歳。


 中村泰士さんといえば、僕らの世代は 『スター誕生』 の審査員だった姿を思い浮かべます。
 合格ラインに届かなかった中森明菜さんに、たった一人満点を付けたというエピソードは有名です。
 「彼女は絶対にスターになる」 という先見の明があった人でした。

 代表作には、ちあきなおみ 「喝采」 や 桜田淳子 「わたしの青い鳥」、細川たかし 「心のこり」、五木ひろし 「そして…めぐり逢い」 など、どの曲も耳に残っている昭和の名曲ぞろいです。


 なかにし礼さんといえば、北原ミレイ 「石狩挽歌」 や黒沢年男 「時には娼婦のように」 など、独特の世界観でエロスを描いた作詞家です。
 個人的には、松本隆さんと並ぶ大好きな昭和の作詞家であります。

 また後年は、作家としての才能が開き、平成12(2000)年には、「長崎ぶらぶら節」 で直木賞を受賞しています。
 これまた個人的ではありますが、僕は、それ以前に書かれた自伝的な 「兄弟」 という小説が好きでした。
 読むと分かるのですが、過酷な海に生きる男たちの描写は、そのまま 「石狩挽歌」 の歌詞を彷彿させます。

 その世界観は唯一無二で、なかにしさんしか描けない魅力に満ちています。


 そんな同時代を綺羅星のごとく駆け抜けた2人が手がけた名曲に、「北酒場」 があります。
 作詞/なかにし礼、作曲/中村泰士、歌/細川たかし

 コロナ禍で自粛が叫ばれている今年の年末年始ですが、きっと、どこかの街のスナックや居酒屋で、人知れずマイクを握り、自慢の喉を披露している “昭和大好きオヤジ” がいることでしょうね。


 歌は世につれ、世は歌につれ。
 そして、また2つ、昭和が遠くなったと感じた訃報でした。

 ♪ 北の酒場通りには 女を酔わせる恋がある ♪
  


Posted by 小暮 淳 at 12:21Comments(0)つれづれ

2020年12月22日

匿名の牙


 天網恢恢疎にして漏らさず

 「こうでなくっちゃ、いけない」
 思わず、心の中で叫びました。


 今年5月、プロレスラーの女性がSNSで誹謗中傷された後に死去した問題で、警視庁捜査1課はツイッターで中傷する投稿を繰り返したとして、侮辱容疑で、大阪府の20代の男性を書類送検することにしました。

 侮辱容疑?
 ちょっと軽くないですか?

 僕同様に、そう思った人も多いはずです。
 脅迫罪、もしくは名誉毀損罪なのでは?

 もちろん捜査1課も名誉棄損容疑を視野に捜査を始めたらしいのですが、「死ね」 「消えろ」 などの抽象的な暴言では同容疑を成立させることはできなかったようです。
 そこで刑の軽い侮辱容疑に切り替え、悪質な投稿を繰り返した男性1人について立件したとのことです。


 プロレスラーの女性の死後、中傷した投稿やアカウントそのものが相次いでSNSから削除されていました。
 そこで捜査1課は、一定期間のページを復元できるソフトを使って投稿内容を確認し、中傷が疑われる約600アカウントの約1200件の投稿を抽出。
 この中から過激な内容を複数回書き込んでいた男性について、特に悪質として刑事責任を問う必要があると判断しました。

 まさに、「天網恢恢(てんもうかいかい)疎(そ)にして漏(も)らさず」 であります。


 子どもの頃、オフクロに良く言われた 「人が見てないところで悪さをしても、お天道様が見ているんだからね」 という言葉通りの結末になりました。

 “匿名の牙” は、いずれ、へし折られるのです。


 改めて、木村花さんのご冥福をお祈りいたします。合掌
  


Posted by 小暮 淳 at 11:04Comments(0)つれづれ

2020年12月21日

見慣れた歩道橋


 遅ればせながら、沼田まほかる原作の映画 『ユリゴコロ』 を観ました。

 まほかるさんは好きな作家の一人で、以前から小説は読んでいました。
 たまたまYouTubeで、映画 『彼女がその名を知らない鳥たち』 を見つけて観たのがきっかけで、『ユリゴコロ』 にたどり着いたのです。


 まほかるさんの作品は、ミステリーでも、ちょっとオカルトぽかったり、サイコパスなところもあり、好き嫌いが分かれる作家さんですが、僕は第5回ホラーサスペンス大賞を受賞した 『九月が永遠に続けば』 以来のファンです。
 (個人的なオススメは、ペットの死を描いた 『猫鳴り』。ただただ泣けます!)

 ということで、原作と比較しつつ 『ユリゴコロ』 を観ていました。
 主演はレストランオーナーを演じる松坂桃李さんですが、彼の母親役として回想シーンの中で吉高由里子さんと恋人の松山ケンイチさんが出演してます。

 何度か、吉高さんと松山さんが歩道橋の上で会話するシーンが映し出されます。

 「あれ、なんか見たことある風景だな~」
 なんて思いながら、目を凝らして観ると、
 「やっぱり、そうだ!」

 歩道橋の道路標識には、こう書かれていました。
 <右→大間々、大胡>
 <左→赤城山、富士見>

 いつも酔眼で眺めている歩道橋だったのです!
 このブログにも、ときどき登場する、ご存じ、酒処 「H」 から目と鼻の先の県道に架かる歩道橋です。


 映画が撮影されたのは2016~17年です。
 夜のシーンもありました。
 ということは、僕が 「H」 で、ほろほろと酔っていた時に、吉高由里子さんが、あの歩道橋に立っていたのかも知れないということではありませんか!

 実は僕、吉高さんのファンなんです。
 映画 『蛇にピアス』 を観て、その体当たり演技に、度肝を抜かれてしまいました。


 いや~、映画って、いいですね。
 まして身近な場所が舞台だったりすると、ますます感情移入してしまいます。

 吉高さん、ぜひ、今度は 「H」 をロケ場所にした映画に出演してください。
 もちろん、脚本と監督は僕です!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:44Comments(0)つれづれ

2020年12月17日

ファイト! ~私の敵は私です~


 ♪ ファイト!  闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう
   ファイト! 冷たい水の中を ふるえながらのぼってゆけ ♪
                      <by 中島みゆき> 


 今年も世相を一字で表す 「今年の漢字」 が発表されました。
 「密」 だそうです。
 まあ、今年はコロナ一色でしたからね。
 2位以下5位までは、「禍」 「病」 「新」 「変」 と新型コロナウイルス関連でした。

 で、僕も、この場をお借りして、恒例であります今年を表す自分の漢字一字を発表したいと思います。

 「闘」 であります!


 ちなみに過去5年間の漢字は、昨年が 「別」、一昨年が 「話」、以下 「活」 「奔」 「労」 だったと記憶しています。
 労多く、奔走しながら、活動を広げ、講話の場を得て来たが、昨年は両親と愛犬との別離の年だったという流れです。

 で、今年が 「闘」。

 何と闘っていたのかといえば、もちろんコロナです。
 でも、正確に言えばコロナ禍により思い知らされた自分の人生の是非だったようです。

 ご存じ、僕の職業はライターです。
 それも組織には所属しないフリーランスです。
 そんなヤクザな根無し草の人生を、かれこれ30年近くも続けています。

 吹けば飛ぶような、ふざけた人生ですが、本人はいたって大真面目で生きてきました。
 とは言っても、世間様に対して、常に負い目はありました。
 「ふつうに生きられない」 という負い目です。

 “ふつう” とは、有り体に言えば、“勤め人ができない” という体質です。
 人を使うことも、使われることもできない “わがまま体質” なのです。
 それゆえの苦労もありますが、勤め人の苦労に比べれば、屁のようなものです。

 だって、最後は自分一人だけ責任をとれば良いのですから。
 (家族は被害者ですけど)


 それで、まあ、なんとか還暦過ぎまで生きてきたわけです。
 「年も年だし、そろそろ自分の人生の集大成にでも取りかかるとするか……」
 なんて悠長に構えていた矢先のコロナです。

 「コロナ禍」 というリトマス試験紙は、世の中を真っ二つに分けてくれました。
 必要と不必要です。
 なかでも不要不急のものは、真っ先に排除されました。

 それでも旅行や外食のように目立つ職種には国も手を差し伸べてくれますが、目に見えない不要不急は、まだまだたくさんあります。
 芸術、音楽、演劇など、僕のまわりにいるアーティストたちは、完全に表現の場を失われてしまいました。


 かくいう僕も、表現者の端くれです。
 文学ならいざしらず、ただの “使い捨てライター” ですからね。
 やはり、不要不急の風に吹かれれば、紙切れのごとく飛ばされてしまいます。

 売れないライター業を支えていた講師業だって、半年間は、まったく仕事がありませんでした。
 コロナが少し収まった夏を過ぎた頃から、やっと戻って来ましたが、年末に来て、この第3波です。
 来年の見通しは、皆無であります。

 若い頃なら 「なにクソ!」 と、握ったこぶしを振り上げたのでしょうが、そうもいきません。
 ついつい、弱気になってしまいます。


 ということで、改めて、自分のやってきた仕事は正しかったのか? 間違ってはなかったのか? と自問自答を繰り返し、葛藤し続けた一年でした。


 ♪ 私の敵は私です ♪

 中島みゆきの歌詞が、やけに沁みる年の瀬です。

 ファイト!
   


Posted by 小暮 淳 at 16:25Comments(2)つれづれ

2020年12月14日

十人一色の風景


 見慣れた風景が、ある日突然、異様な光景に映ることってありませんか?


 今年は例年に比べると、電車に乗る機会が多い年でした。
 車内では、老若男女が 「3密」 を避けながら、思い思いの移動時間を楽しんでいます。

 今の時代を反映して、8割以上の人がスマホの画面を見入っています。
 残りの2割未満は、友人同士の会話か居眠りです。
 まれに読書をしている人もいますが、1車両に一人いるかいないかです。

 スマホを持たない僕は、もちろん2割未満組です。
 しかも新聞派という、典型的な昭和のオヤジです。


 その異様な光景に遭遇したのは先週、出張取材で電車を利用したときでした。
 時間は、通勤や通学が過ぎ去った昼近い午前中。
 コロナ禍の時世です。
 ほぼ満席でしたが、ソーシャルディスタンスを保って、ほどよく間隔を空けながら乗客は座席に座っています。
 立っている人は、僕だけでした。

 いつもと変わらぬ光景です。
 誰もが、うつむきながら一心にスマホの画面を見つめています。


 が、その光景に背筋が寒くなるような感覚を覚えました。
 見慣れた風景の中に、ある違和感を感じたからです。

 それは、車内の乗客全員が同じ姿だったのです。
 なんと、100%のスマホ閲覧率!

 老いも若きも、男も女も、もくもくと人差し指を動かしています。
 「怖!」
 これが正直な僕の感想でした。


 きっとコロナ禍が、拍車をかけているんでしょうね。
 「3密」 を避けるあまり、“お一人様時間” が増えています。

 それにしても100%とは驚きました。

 その光景は、まるでエイリアンに操られた地球人に見えます。
 「おい、大丈夫か? しっかりしろ!」
 そう声をかけ、マインドコントロールの呪縛を解いてあげたい気持ちにさえなりました。


 これが僕らが昭和の時代に夢見ていた未来なのでしょうか?
 手塚治虫でさえ、描けなかった世界かもしれません。

 十人一色の風景


 僕は電車のドアに背をもたれながら、異星人のように立ちつくしていました。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:50Comments(0)つれづれ

2020年12月08日

ジョンと甘い匂い


 12月8日は何の日?

 そう問われれば、僕ら世代は迷いなく、こう答えます。
 「ジョン・レノンの命日」


 1980年12月8日、ニューヨークの自宅アパート、ダコタハウスの前で凶弾に倒れたビートルズのメンバーだったジョン・レノン。
 そのショッキングなニュースは、一夜のうちに世界中を駆けめぐりました。
 享年40歳。

 今年は、ジョン・レノンの生誕80年にもあたります。


 当時、僕は22歳。
 大都会、東京で夢を抱えながらも日々の暮らしは貧しく、アルバイトに明け暮れていました。
 その悲しみのニュースは、仕事中に飛び込んで来ました。

 僕のアルバイトは、書店勤務。
 と言っても、店員ではありません。
 都内の企業や学校の図書館に納本する配送スタッフでした。


 忘れもしません。
 新宿区にある、とある菓子メーカーの工場を訪ねた時でした。
 いつものように駐車場に車を停め、書籍の入った段ボール箱を抱えながら、甘いガムの匂いが漂う構内を歩いていました。

 そして、いつものようにフロントで、顔見知りの受付嬢に書店名を告げ……
 る予定でした。

 でも、彼女の様子が尋常ではありません。
 うなだれて、泣いています。
 「お世話になります。○○堂書店です」
 と告げても、一向に顔を上げてくれません。
 やがて、

 「あ……、○○堂さん」
 「どうされたんですか?」
 彼女が答えた言葉に、僕の全身も凍り付き、震え出しました。

 「ジョンが、ジョンが、死んじゃった」


 あれから40年の月日が経ちました。
 ジョンが生きていれば80歳、今年は傘寿の祝いでした。
 きっと、SNS上でコメントを発表したことでしょうね。
 ジョンは、このコロナ禍の世界を、どのように見ていたでしょうか?

 40年経った今でも悔やまれます。


 今年も今日という日が、やって来ました。 
 毎年、この日が来ると、想いを告げることなく消えた淡い恋と、甘いガムの匂いを思い出します。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:04Comments(0)つれづれ

2020年12月04日

コ滅の刃


 今日の新聞を広げて、驚いた!
 ぶち抜き4面の全広告。

 <夜は明ける。想いは不滅。>

 なんでも人気のコミック 「鬼滅の刃」 の販売が1億冊を突破したそうです。
 そして今日は、その最終巻の発売日だとか。

 これは、ある意味、書店業界にとっては朗報であります。
 活字離れにより年々姿を消す書店の廃業に、多少の歯止めがかかっていることは確かです。


 それにしても恐るべし! 「鬼滅の刃」 であります。

 まあ、昔から流行は追わないタイプの人間なので、僕は、まったく興味がありません。
 映画もコミックも知りませんし、それによる 「キメハラ」 と呼ばれる差別を受けたこともありません。

 ただ、“謎学マニア” としては、「なぜ、いま、鬼滅の刃なのか?」 という興味はあります。
 映画も観ず、コミックを読まずして語るのもはばかれますが、それなりに僕もリサーチしてみました。
 僕同様、作品を観たり、読んだりしたことのない人のために、ざっと物語のあらすじを、ご紹介します。


 <舞台は、人を食べる鬼たちが人間社会の中にすむ大正時代の日本。主人公の竈門炭次郎 (かまどたんじろう) は、家族を鬼に惨殺され、生き残った妹の禰豆子 (ねずこ) も、傷口に鬼の総帥・鬼舞辻無惨 (きぶつじむざん) の血が入り、鬼にされてしまう。禰豆子を人間に戻すため、炭次郎は鬼を退治する 「鬼殺隊」 に加わる> (毎日新聞より)

 では、なぜ、この物語が、これだけの人気になったのでしょうか?
 さる精神科医は、こう分析しています。
 「自分の身近に鬼がいるかもしれない、今は鬼ではなくても豹変するかもしれない。あるいは、自分自身も鬼になるかもしれない──。そういった不安を現代の日本人が抱えていることが、ヒットの背景にあるのではないか」

 まさに、今です。
 新型コロナウイルスという “鬼” と闘っている状態なのだと思います。


 鬼とは、空想上の生き物ですが、昔から人間にとって正体不明の恐怖の対象でした。
 だから人の心にも、鬼が宿るといいます。
 「鬼が宿る」 とは、目に見えているその人でなく、その人の中に入り込んだ目には見えない恐怖に対して使います。

 我々人間にとって、一番の恐怖は、目に見えないものなんですね。
 まさに、ウイルス!
 そう考えると今年、このマンガが爆発的ヒットをしたのも納得です。


 身近にいる鬼への恐怖
 自分自身も鬼になるかもしれない恐怖
 誰が鬼になっても不思議ではない社会への恐怖

 今こそ、我々も一丸となって 「鬼殺隊」 に加わって、コロナという鬼と戦わなくてはなりません。

 全集中!
   


Posted by 小暮 淳 at 14:33Comments(0)つれづれ

2020年11月28日

やっぱ 「豚すき」 でしょう!


 昨日の毎日新聞群馬版に、こんな見出しを付けた記事が載っていました。

 <「すき焼き応援県」 に懐疑的>


 群馬県は2014年、牛肉やネギ、しらたきなどの食材が群馬で、すべて揃うとして 「すき焼き応援県」 を宣言し、「いいにく」 の語呂合わせで11月29日を 「ぐんま・すき焼きの日」 と定めています。

 6年前、このニュースを知った時、生粋の “上州っ子” の僕としては、かなり違和感を覚えました。
 だって、食材なんて、どこの県でも揃うし、何より群馬県民は日常、すき焼きなんて食べませんもの。
 たまに食べたとしても、肉は牛ではなく、豚です!

 と、県の強引なこじつけ名産づくりに、異を唱えていたのであります。


 で、昨日の新聞記事です。
 この 「すき焼き応援県」 に違和感を感じ、インターネット上で 「食文化の伝え方として正しいと思えない」 と懐疑的な意見を公開したグルメジャーナリストの東龍さんのコメントを取り上げています。
 彼が、「すき焼き応援県」 を応援できない理由は、次の4つです。

 ・歴史がない
 ・県民が食べていない
 ・食材はあっても料理とは関係がない
 ・すき焼き店が多くない

 よくぞ、言ってくれました!


 そもそも、県民が日常に食べていない料理なのですから、違和感満載です。
 しかも、すき焼きに欠かせない牛肉とネギの全国47都道府県庁所在地と政令都市5市の世帯を対象にした支出金額は、全国最下位と48位なのです。
 ※(総務省2017~19年調べ)

 しかもしかも、県民意識アンケートの調査結果では、すき焼きを食べる頻度は、「半年に1回程度」 が29.5%、「1年に1回程度」 が24%、「1年以上食べていない」 は19%という、愛着のなさが浮き彫りとなっています。
 ※(群馬県2019年調べ)

 きっと、この記事を読んで、スッキリとした県民は多かったのではないでしょうかね。


 一方、こうした指摘に対して県は、なんと言っているのかといえば……
 以下、記事から抜粋します。

 <県産食材の結晶として、すき焼きがある。話題喚起の側面もあり、食文化として高めていくこととは、狙いがそもそも違う>

 とのことですが、
 だったら牛肉ではなく、
 断然 「豚すき」 でしょう!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:32Comments(0)つれづれ

2020年11月27日

秋眠 暁を覚えず


 これは 「なぞなぞ」 です。

 0 → 4 → 2 → 3 → 0

 この推移する数字に付く助数詞は、何でしょうか?


 答えは、「本」 です。
 これは、人間の一生の歩行状態を表しています。
 生まれてしばらくは歩けません。
 やがて、ハイハイをします。
 そして人生の大半は、2本足で歩きます。
 晩年、杖の世話になる人もいます。
 やがて動けなくなり、また赤ん坊のように寝た状態になります。

 ちょっと、ブラックな 「なぞなぞ」 でしたかね。


 さて、なんで、そんな話から始めたのかといえば、最近の僕は、自分でも自分の日常の変化に戸惑っているからです。
 「3」 を飛び越えて、いきなり 「0」 に近づいているのではないか……

 と、心配になるくらい、よく眠ります。
 そもそも以前から8時間睡眠を心がけている健康志向の持ち主ではあるのですが、近ごろは、それでも眠りが足りません。
 毎日平均9~10時間は眠らないと起きられません。
 さらに、昼食後には仮眠をとる始末です。

 「眠り姫」 ならぬ、「眠り爺」 であります。


 このことを同居する次女に話したら、
 「そのうち、そのまま起きてこないんじゃないの」
 と一笑に付されてしまいました。

 でも、この言葉、思えば僕が、ずーっとオヤジに死ぬまで言い続けていた言葉なんですね。
 「じいさん、『寝る子は育つ』 っていうけど、『寝る爺は旅立つ』 ぞ!」
 って。
 そうなんです、亡くなる前のオヤジは、食事とトイレに起きる以外は、ずーーーーーーっと眠り続けていたんです。

 そして言葉通り、そのまま眠るようにあの世へ旅立って逝きました。


 僕の場合、まだまだお迎えは来ないと思いますが、一抹の不安はあります。
 もし、このまま起きなかったらどうしょう……と。

 ま、原因は分かっているんですけどね。
 たぶん、暇なだけだと思います。
 予定がある日は、何時でも起きられるのですから。


 秋眠 暁を覚えず
    


Posted by 小暮 淳 at 11:14Comments(0)つれづれ

2020年11月24日

無表情の時代


 「うるさいな! 今、やっているところだよ!」

 老婆がバッグから財布を取り出しながら突然、大声を上げました。
 叫んだ相手は、レジ脇にある機械です。
 依然、機械は言葉をくり返しています。

 <オ金ヲ入レテ下サイ>


 コロナ禍の影響でしょうか、今年になってレジでの支払いを精算機で行うスーパーマーケットが増えています。
 「3密」 を避けた無接触の精算は、理にかなっているし、とても便利です。
 しかし一方で、機械特有の弱点が浮き彫りになっています。

 それは、やさしさや思いやりの欠如です。


 もし店員が対応していたら老婆は、大声を上げることはなかったと思います。
 「ごめんなさいね。もたもたしちゃって」
 「いえ、ゆっくりどうぞ」
 と、難なくレジを済ませたはずです。

 店員には、状況を判断して、臨機応変に対応する力があるからです。
 しかし、機械は一方通行です。
 容赦なく、入金の催促をしてきます。

 <オ金ヲ入レテ下サイ>

 老婆がキレる気持ちも分かります。


 最近はスーパーマーケットだけではありません。
 ファーストフード店やコンビニエンスストアでも順次、精算機の導入が進んでいます。

 先日、某コンビニに寄った時のことです。
 同じコンビニの他の店では精算機での支払いだったので、レジ周りをキョロキョロとしてしまいました。

 「あれ、ここは機械じゃないの?」
 「ええ、うちは、まだなんです」
 「このまま入れなくて、いいんじゃないの?」
 「こっちのほうが、いいですか? はい、○○円のお返しです」
 「僕はね。こうやってお姉さんと話ができるし(笑)」
 「私も本当は、お客様とコミュニケーションがとれるので、このままのほうが、いいんですけどね」

 なーんていう会話を楽しんできました。
 でも次に、あのコンビニに行ったときは、僕の相手をしてくれるのは無表情の機械なんでしょうね。

 昭和の時代には考えられなかったことです。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:35Comments(0)つれづれ