温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2018年12月10日

不便と不自由の選択


 <「休み時間になると、廊下に公衆電話の順番を待つ長い列ができるんです。昨年から急に生徒たちがポケベルを持つようになったんですよ。その前の年には、まったく見られなかった現象です。たぶんテレビドラマの影響でしょうけど、授業中には鳴らさないように注意しています」> (『上毛カルテ』(上毛新聞社) より)

 これは平成6年(1994) に、僕が雑誌の取材で専門学校教師にインタビューした時の記事です。
 今読むと、もはや平成というよりは、昭和に近いイメージがする現象です。
 たかが24年前のことなんですけど……


 先週、ソフトバンクに通信障害が発生して、利用者らが公衆電話に列を作るという “珍現象” が起きました。
 なかには 「初めて公衆電話を使った」 という若い人もいたりして、なんとも不思議な “時代回帰” を見た思いがしました。


 実は僕、いまだに携帯電話はガラケーです。
 持たない理由は、「必要ないから」 なのですが、できればケータイ自体も持ちたくありません。
 というか、そもそも “持たない派” だったのです。
 が、18年前、雑誌の編集人に就任した際に、無理やりに持たされたのでした。
 もちろん、抵抗はしました。
 でも、スタッフに、
 「分かりました。だったら一日中、外出しないで編集室に居てください。でないと連絡が取れません!」
 と言われてしまい、自由が欲しい僕は、泣く泣くケータイを持つハメになったのであります。

 便利なものは、一度持ってしまうと手放せません。
 だからスマホも、怖いのです。
 現在、スマートフォンの保有率は約75%だそうです。
 誰かに脅かされない限り、残り25%の少数派に居残るつもりです。


 そういえば身近なところに、携帯電話を一度も持ったことのない人がいました。
 僕の実兄です。
 そう、このブログにも時々登場する、両親の介護を共にしているアニキであります。

 彼が、いまだにケータイを持たない理由は、「必要ないから」 です。
 職業は、建築士。
 すべての連絡は、自宅と事務所の固定電話の留守番電話機能で済ましています。

 「不便ではないのか?」
 と問えば、
 「不自由ではない」
 と答えます。

 う、う、うらやましいーーーッ!!!!!

 そうなのです、“便利” の代償は “不自由” なのです。
 そろそろ現代人は、自分の価値観で生きる勇気を身に付けたほうが良さそうですね。

   


Posted by 小暮 淳 at 12:08Comments(2)つれづれ

2018年11月26日

ガンバレ! 人生百年


 去年よりも今年、先月よりも今月と、日を追うごとに急速に老化が進んでいます。
 僕の両親のことです。

 オフクロは91歳。
 脳梗塞と脳出血を患い、現在でもリハビリ施設に入院しています。
 体の麻痺や言語障害はなくなりましたが、体力が乏しく、寝たきりの生活を続けています。

 オヤジは94歳。
 この歳まで病気一つせず、生きてきました。
 健康がとりえの人でしたが、10年前から認知症が進んでいます。
 もう家族のことは誰一人分かりませんが、頭以外は “健康” なので、デイサービスとショートステイを組み合わせながら在宅介護をしています。

 ただ、肉体の老化は、凄まじいスピードで進んでいます。
 立つ、起きる、歩く、座るという動作は、一人ではできません。
 当然、介助が必要なのですが、いよいよ、介助付きでも危なくなってきました。

 段差があると足が上がらない、歩くのにも一歩がなかなか踏み出せない、何よりも立っているだけで膝から崩れ落ちてしまいます。
 「あー、疲れたよ」
 「疲れたって、今、立ったところだよ」
 「横になりたいよ。布団を敷いておくれ」
 「まだ昼間だよ。寝るには早いよ」
 「そうかい、オレは何をしらいいんだい?」
 そんな堂々めぐりの会話が、繰り返されます。

 でも、無理はありません。
 足を見れば、ガリガリですもの。
 太ももは、細ももです。
 ふくらはぎもありません。
 膝から下は、ただの棒のようです。

 これでは、歩くことも立つことも、できませんって!

 ただ、おかげさまで食欲だけはあります。
 食べて、寝て。起きて、食べて。そして、寝て。
 そんな毎日が、何年も続いています。


 オヤジ、人生百年時代なんだってさ。
 あと6年じゃないか!
 がんばろうぜ!
 もっと、足に筋肉を付けなくっちゃ!

 イッチニ、イッチニ、イッチニ……

 今日も僕のかけ声とともに、部屋からトイレまでの数メートルを頑張って歩いています。
  


Posted by 小暮 淳 at 13:34Comments(0)つれづれ

2018年11月13日

あめ玉とえびせん


 「こんにちは。最近、おじいさんを見かけませんけど……」
 愛犬のマロ君を散歩させていると、近所の人から声をかけられます。
 「ええ、めっきり足が弱ってしまいましてね」
 「おいくつになられました?」
 「94歳になりました」
 「あれ、まあ、ご長寿ですこと。お元気なんでしょう?」
 「ええ、おかげさまで、頭と足以外は」


 終わりある介護生活も終盤を迎えています。

 オフクロは91歳。
 脳梗塞と脳出血の後遺症もあり、リハビリ施設に入院しています。
 まさに寝たきりの状態で、いつ訪ねていっても、爆睡状態です。
 声をかけても、体をゆすっても起きないことが多く、そんなときは、そっと着替えと洗濯物を交換して帰ってきます。

 オヤジは、相変わらずです。
 それでも1年前と比べると、確実に老化は進んでいます。
 完全に自力歩行ができなくなりました。
 足の筋肉が衰えてしまったようです。

 立ったり、座ったり、トイレへ行ったりは、介助なしでは動けません。
 以前のように徘徊する心配はなくなりましたが、依然、片時も目は離せません。
 自分は歩けると思い込んでいるので、一生懸命に立ち上がろうとします。
 ところが手も足も力尽きて、ゴロンと転倒します。
 そして、そのままカメのように起き上がることはありません。

 なので、片時も目が離せないのです。


 以前、ブログに 『キャラメル作戦』 というタイトルの記事を載せたところ、各方面から反響をいただきました。
 介護中、目を離したい時に、キャラメルやあめ玉をオヤジの口に入れて、時間を稼ぐという話です。
 ※(2018年9月18日付、参照)

 最近は、これに加え “えびせん戦法” も併用しています。
 「かっぱえびせん」 です。
 これまた、オヤジの大好物であります。
 小さな菓子鉢に、えびせんを数個入れて渡します。
 オヤジは歯がありませんので、これを1つずつ口に入れて、しゃぶりながら溶かして食べます。

 菓子鉢に5~6個も入れておけば、かなりの時間、ジッとしていてくれるのです。
 この間に僕は、仕事場へ行き、メールのチェックや資料探しをしています。


 介護が長引けば長引くほど、こちらも知恵をつけるものです。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:17Comments(0)つれづれ

2018年11月10日

逃げろ!子どもたち!!④ いじめの呪縛


 <変身ヒーローが集団で正義を振りかざすようになってから、子供たちのいじめがひどくなった>
 という一文を小説の中で見つけました。

 なるほど、その昔は、ヒーローは1人で、敵の悪人も1人、もしくはプラス、手下が大勢でした。
 いつからか戦隊モノという複数のヒーローが現れて、1人(1匹?) の悪者(怪人) をよってたかって成敗するようになったのです。
 “正義” という御旗の下、みんなで懲らしめるのです。


 またしても、イヤなニュースが飛び込んできました。
 都内の中学2年生の女子が、いじめから逃れるために転校したにもかかわらず、SNSによる誹謗中傷はなくならず、電車に飛び込んで自殺を図ってしまいました。

 僕は、たびたび、このブログでも子どもたちに、「逃げろ!」 と言ってきました。
 「学校がすべてじゃないんだ」 って。
 とりあえず、逃げれば、新しい何かが始まるのだから……って。

 だから、この女子は、親と先生に相談して、転校までしたのです。
 なのに、なのに、なのに! なぜ?

 いじめからの “逃亡説” を唱えていた僕には、いまだに激震が襲っています。
 だって、逃げても逃げても “いじめ” が、追いかけて来るのですから!
 SNSという見えないロープが巻きついて、恐怖でがんじがらめになるのです。


 はたして、子どもにスマホは必要なのでしょうか?

 我が家の3人の子どもたちには、高校生になるまでケータイを持たせませんでした。
 さらにケータイを持つ条件として、“通信料は自分で払うこと” を約束させました。
 だから当然、アルバイトを始めました。
 自分で払えば、使い過ぎることもありません。

 でも、あれから、さらに時代は変わりました。
 ケータイは通信機器ですが、スマホはコンピュータです。
 便利ではあるけれど、その先には計り知れない危険が隠されています。

 大人だって使いこなせなくて、ガラケーに戻る人がいるのですから、まだ社会を知らない子どもに持たせるには、危険過ぎる “オモチャ” だと思うのです。


 もし、この自殺した女子が、いじめから逃れるためにスマホを放棄していたら……

 そしたら転校した学校で、仲間はずれにされていたのかもしれませんね。


 ここまで来ると、さすがに降参です。
 いじめは、“昭和の頭” では解決しそうにありません。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:07Comments(0)つれづれ

2018年10月30日

遺伝子のゆくえ②


 <久々に録画していたお父さんのテレビみたら、白髪も悪くないかも>

 突然、深夜に嫁いだ娘から、長いメールが届きました。

 <多分、長女だからかな。白髪、絶対嫌って何度も言っちゃったよね。>

 長女は家族で唯一、毛染めを止めた僕の白髪に、反対し続けていました。


 <私のお父さんのイメージは黒髪。ずっと黒髪が良かったけど、(テレビの中で) 「ありのままで行こう」 って言ってたの見たら、白髪でも良いかなって、嬉しくなって同調できた。>

 思わず、ジーンとしてしまいました。
 僕は、いつでも自分勝手。
 今まで、何をするにも家族の同意なんて求めませんでした。
 それが自分らしい生き方だと思っていたから。

 まさか、こんなに永い間、長女が僕の白髪について、心を痛めていたとは知りませんでした。
 しかも、十年も一緒に暮らしていない娘なのに……


 さらにメールは続きます。
 <K(長女の息子) も私の影響で 「(GO!GO!) 温泉パラダイス」 が大好きだからね。>

 「GO!GO! 温泉パラダイス」 とは、僕が作った群馬の温泉応援ソングです。
 なぜか急に、白髪の話題から音楽に変わりました。

 <お父さんの遺伝子かな~、M(長女) もR(長男) もS(次女) もK(孫) も、歌上手だからね♪>

 なんて言われても、僕は娘も息子も孫の歌なんて、聴いたことありません。
 改めて僕は、家族のことなんて、なーんにも知らないことに気づきました。
 「みんな、歌、上手いんだ。そうなんだ」 って。


 最後に、こんな言葉が添えられていました。
 <お父さんが死ぬまでに、家族でバンドをやろう!>

 またまた、驚いてしまいました。
 思えば、長女は中学~高校と吹奏楽部で、フルート奏者でした。
 次女は小さい頃からピアノを習い、高校時代はドラムを叩いていました。
 まあ、この2人については心配ありませんが……

 <KもRの家族も頑張るから、家族バンドやろうよ!!!>


 もうダメです。
 涙腺があぶなくなってきました。

 でもね、名前の出てこない家族がいるんです。
 家内と長女の亭主です。
 遺伝子が違うからですかね?

 まあ、2人には、カスタネットとトライアングルでも叩いてもらいましょうかね。


 <ボーカルは、お父さんね>

 この夢、叶うといいなぁ~。
   


Posted by 小暮 淳 at 23:01Comments(0)つれづれ

2018年10月26日

風のルーツ


 ♪ 口笛吹きながら 歩いた小径(こみち)
    遠くに霞み見える 越後の山々よ
   私は今もなお 忘れはしない
   あの日の風の やさしきささやきを ♪


 長年、ずーっと気になっていることがあります。
 なぜだろう?
 なんで、こんなときに、そんな言葉が浮かぶんだろうか?
 と……

 いつの頃からかは、記憶が定かではありませんが、何十年も前からだと思います。
 フッと、ひと息ついたような時、何をするでもなく、ボーっと宙を眺めているような時に限って現れます。

 「風」 という漢字です。

 それも、漢字が浮かび上がるのではなく、頭の中で、一画ずつ、習字をするように、イチ、二、サン……と、つぶやきながら書き出します。
 別に、野外で風に吹かれているわけでもないのに。
 場所と時間を選ばず、気が付くといつの間にか、「風」 という字を書いているのです。

 これって、なんなんでしょうね?
 花占いや夢占いがあるように、もし “漢字占い” というのがあるのなら、占ってみたいものです。


 実は今年の夏、ひょんなことから “風のルーツ” を見つけました。
 有志たちが開いてくれた 「還暦ライブ」 が、きっかけでした。
 30数年ぶりに、昔作った自分の曲のファイルを何冊も引っ張り出して、歌ってみました。
 その時、気づいたのです。

 タイトルに 「風」 が付いた歌が多いことに……

 その中の1曲が、冒頭に記した 『風のささやき』 という歌です。
 で、この曲を歌ってみて、分かったのです。
 「あっ、だから僕は、“風” が好きになったんだ!」


 おのちゅうこう(本名:小野忠孝)、という作家をご存じですか?
 群馬県白沢村(現・沼田市) 出身の児童文学者で、詩人です。
 代表作に 『風は思い出をささやいた』 という著書があります。

 確か、主人公が都会で、故郷への思いを馳せる話でした。
 その、きっかけとなったのが、そよ吹く風だったのです。

 10代の頃、東京で同郷の作家が書いた小説と出合い、風吹く群馬の景色を思い出していた記憶があります。
 きっと 『風のささやき』 という歌も、作家と著書へのオマージュとして作ったのでしょうね。

 今年は、おのちゅうこう生誕110年の年に当たります。
 書庫を探し回り、“風のルーツ” を確かめたいと思います。


 ♪ れんげの花摘んだ 少女が微笑(わら)う
   川原の土手の上 初恋の人よ
   私は今もなお 忘れはしない
   あの日の風の やさしきささやきを ♪
  


Posted by 小暮 淳 at 18:01Comments(0)つれづれ

2018年10月15日

天高く老若男女が駆ける秋②


 曇天が続く毎日の中で、奇跡的に晴天に恵まれました。
 「みなさんの日頃の行いが良いようで……」
 主催者代表のスピーチも、お約束のフレーズから始まりました。

 昨日は、僕が暮らす地区の市民運動会でした。


 この町に移り住んで25年。
 子供が小さい頃は育成会役員として、子供が卒業してからは育成連合会の理事として、そして今回は自治会代表として、運動会に参加してきました。
 僕の役どころは、昨年に続いて 「受付係」 であります。

 過去には、選手の誘導をする 「競技係」 や用具の運搬をする 「用具係」、競技の判定を行う「審判係」、採点の集計をする 「記録係」 など、さまざまな係をしてきました。
 それらに比べれば、受付係はラクなのであります。
 忙しいのは、会場から開会式が始まるまでの30分間だけ。
 来賓者にプログラムや記念品を配ってしまえば、もう後は、やることがありません。

 昨年は物足りなさも感じましたが、今年は、この “体にやさしい係” が、ありがたいと思えたのです。
 こんなところにも、還暦過ぎの寄る年波を感じます。


 暇に任せて、青空をゆっくりと流れて行くイワシ雲を眺めていました。
 ムカデ競走に出た長女の姿が浮かびます。
 マラソンでは、わき腹を押さえながらトラックに入ってきた長男の姿が重なりました。
 それを乳母車の中で見ていた次女の姿……

 同じ会場なのに、僕の目に映る人たちは、知らない人ばかりです。
 それでも大会のファイナルを飾るリレーでは、トラック脇まで駆け寄り、大声を上げて、我が町内に声援を送っていました。

 「ガンバレ~! Aまち~!!」


 縁あって住んだ町です。
 3人の子供たちを育ててくれた町です。
 思えば、まだまだ恩返しが残っています。

 いずれは僕も、この町の人たちに見送られるのですから、これからも微力ながら町のためになりたいと思っています。


 “天高く 老若男女が 駆ける秋”
    


Posted by 小暮 淳 at 14:47Comments(2)つれづれ

2018年10月10日

“還活” の成果と誤算


 還暦を迎えて、2ヶ月が経ちました。

 30歳の誕生日は、仲間とワイワイ騒いでいる間に過ぎました。
 40歳の誕生日は、布団の中で脱力感を抱えながら目覚めました。
 50歳の誕生日は、温泉宿で冷酒に酔いながら眠りに就きました。


 今までの人生で、これほどまでに意識して迎えた誕生日はなかったと思います。
 60歳、還暦。
 正直に言いましょう、僕は、この日が来るのを恐れていました。
 逃げたい気持ちを抑えながら、50代後半を生きていました。

 たかが還暦、されど還暦。

 たぶん、子供の頃に何かで見た “赤いちゃんちゃんこ” を着たおじいさんの姿が脳裏にこびり付いていたからなんでしょうね。
 また、その昔は、「60歳を過ぎた老人は、姥捨て山に捨てられる」 という話を、まことしやかに信じていたのかもしれません。
 現在は違うにしても、でも “年寄り” には違いありません。

 間違っても、“若者” ではありませんし、“中年” の時期も過ぎました。
 厳密に言うならば、まぎれもなく “中高年” の 「高」 の人です。

 やはり、還暦を迎えるにあたり心の準備が必要でした。
 だから僕は、この2、3年をかけて 「還活」 を行ってきました。


 「かんかつ」 とは、還暦活動の略であります。
 就活や婚活と同じように、迎えるための準備をすることです。
 ただ、就活や婚活のように、目に見える活動はしませんでした。

 すべて、メンタル面の強化であります。

 ① 何事にもあわてず冷静に行動する
 ② 何事も他人と比べない
 ③ 老いることを否定しない
 ④ 老いることを楽しむ
 ⑤ そして、今までの人生に感謝する

 読者の人は、ご存じだと思いますが、毛染めを止めて、白髪にしたのも “還活” の一環であります。

 おかげさまで成果があり、Xデー(8月8日の誕生日) は心穏やかに迎えることができました。
 また、祝ってくれた人たちからの 「おめでとう」 の言葉にも、素直に 「ありがとう」 と言えたのです。


 あれから2ヶ月……
 “還活” に、誤算がありました。
 それは、闘争心が萎えてしまったことです。

 「ふざけるな!」 「なに、クソ!」 「今に見ていろよ!」
 何かにつけて、心の中で拳を握り締めるクセが、消えてしまったのです。
 「ま、いっか」 「それも、ありだね」 「ありのままの僕を見てください」
 といった具合に、心の中に、まったく波風が立たなくなってしまいました。

 あれ~?
 らしくないぞ。
 これで本当に、いいのだろうか?

 “還活” のし過ぎだったのでしょうか?
 このままでいいのか、どうしたものか、また新たな悩みにさいなまれています。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:48Comments(2)つれづれ

2018年10月02日

われら、逃げ切り組


 「あとは、逃げ切るだけだね」
 「逃げ切れるかな?」
 「でも、ここまで来たら逃げ切るしかないでしょう」
 「だよね。他に生きる道は、ないんだから……」

 先日の “還暦ライブ” 終了後、ステージで機材の片付けをしていた時のことです。
 共に還暦を祝ってもらった友人のS君が、話しかけて来ました。

 S君は小学1年生からの同級生で、50年以上の付き合いになります。
 長い友人でもありますが、バンド仲間でもあります。
 職業はカメラマンなので、仕事の相棒でもあります。

 ということで、この50数年間、互いの人生を見てきました。
 ひと言で言えば、2人は実に良く似た生き方をしてきました。

 夢を追ったものの挫折して、サラリーマンになったものの勤まらず、“落ちこぼれ” であることには違いありません。
 現在の職業だって、すべては消去法により、“なりたくないもの” を除外した結果、唯一、引っかかった職業が、カメラマンとライターだったという安易な選択だったのであります。


 僕らには、もう1人、50年来の友人がいます。
 画家のK君です。
 画家になった理由は、2人と同じです。
 「ほかに、なれるものが無かったから」

 3人が顔を合わせると、決まって “逃げ切り組” の話になります。
 「俺たちって、サラリーマンになれなかった落ちこぼれだよな」
 「確かに落ちこぼれではあるけれど、負け組にはなりたくないね」
 「でも、どう見ても勝ち組にはなれないでしょう」

 そんな酒の席で、たどり着いた言葉が 「逃げ切り組」 でした。

 ゴールは、“死” です。
 それまで、世間に妥協することなく、今の状態を続けられれば、我々の勝ちです。
 あれから、また4年が過ぎました。
 ※(当ブログの2014年10月20日 「目指せ!逃げ切り組」 参照)


 3人は、仲良く還暦を迎えました。
 さーて、思いっきり逃げるぞ!
 誰も転ぶなよ!
 ゴールは、まだまだ遠いぞ!
 足腰が、だいぶ弱ってきたけど大丈夫か?!

 まだまだ、ネバー・ギブアップ!
 われら、逃げ切り組だい!!
  


Posted by 小暮 淳 at 13:58Comments(0)つれづれ

2018年09月24日

白髪ロン毛同盟



 「髪を染めれば、10歳若く見えるのに」

 親しい友人や知人から、そう言われることが多々あります。
 僕は2年前の春から、毛染めを止めました。

 なぜか?
 答えは簡単です。
 面倒臭いからです。
 それと、以前から “ありのままの自分” であることへの憧れがありました。

 ただ、その決意には時間を要しました。


 その理由は、トラウマです。
 その昔、友人を傷つけてしまったことへの贖罪として、髪を染め続けていました。
 また、チビ (40歳を過ぎてから生まれた次女) のためにも、“若いお父さん” でありたいと思ったことも事実です。

 そのこともあり、僕は家族の前で 「毛染め宣言」 をしたのでありました。
 チビが、成人するまでは、染め続けると……
 ※(詳しくは、当ブログの2012年3月27日 「白髪へのトラウマ」 参照)


 ところが2年半前、居ても立ってもいられなくなってしまったのです。
 きっかけは、毎年、新年になると故郷の前橋で、個展を開催している画家の友人の存在でした。

 彼は小学校の同級生ですから、かれこれ半世紀のつきあいになります。
 子供の頃も遊びましたが、大人になってからは一緒に旅をしたり、また僕の著書を彼がプロデュースしてくれたこともありました。

 僕は毎年、彼の個展には必ず、祝いの酒を持って駆けつけています。
 もちろん、年々、彼の頭髪が白くなっていることには気づいていました。
 でも、前の年までは、何も感じませんでした。

 「彼は自然に逆らわず、ありのままに老いを受け入れているのだな」
 その程度に思っていました。


 でも、その年は違いました。
 「よっ、いつもありがとう!」
 個展会場で僕を迎えた彼の髪は、シルバーに光り輝き、長い髪がサラサラと揺れていたのです。

 カ、カ、カッコいい~!!

 その時、僕は決意しました。
 「毛染めは止めた」 と!


 先日、新聞を読んでいたら、こんな見出しを見つけました。
 『白髪増えていく自分が楽しみ』

 40歳過ぎの女性たちの間で、ひそかに白髪染めを止める人が増えているとの記事でした。
 40代で白髪染めを止めたナレーターの近藤サトさん(50歳) は、こんな風にコメントしています。

 <PTAに行く機会もなくなった。潔く老いを受け止めようと白髪染めを卒業した>
 <60歳の時に 『いつまでも若いね』 って言われるより、『いい年の取り方をしているね』 って言われたい>
 <(白髪が増えることは) 老化ではなく 「人としての成熟」 と捉えるよう提案し、これから白い部分が増えていく自分の写真を見るのが 「楽しみ」 >


 さあ、毛染め症候群のみなさん、いかがですか?
 僕らと同じ 「白髪ロン毛同盟」 に加わりませんか?

 まずは一度、勇気をふるって、お試しを!
 気が楽になり、老いることが楽しくなりますよ。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:56Comments(0)つれづれ

2018年09月18日

キャラメル作戦


 「介護には、知恵と工夫が必要である」
 と、誰かが言ってました。

 と、懲りずに今回もテレビドラマ 『遺留捜査』 の糸村風に始めてみました(最終回、見逃した!)。


 介護歴、約10年。
 それはオヤジの認知症の歴史でもあります。

 最初は物忘れから始まり、人の名前や時間や曜日、季節が分からなくなり、やがて食事をしたことさえ忘れ、記憶は1分と待たなくなりました。
 いえいえ、現在のオヤジには、まったく“上書き保存” という機能がなく、一切の記憶は書き込めません。
 食事の途中で食事をしていることを忘れ、トイレへ行った帰りに、またトイレに行こうとします。

 今居る所がどこなのか、一緒いる人が誰なのか、完全に記憶の中で “迷子” になっています。
 だから1秒たりとも目が放せません。


 ふだんは目をつむって、イスに座っていますが、突然、立ち上がるときがあります。
 トイレへ行きたいとの意思表示であることが多いのですが、意味もなく立ち上がることもあります。
 でも、オヤジは歩けませんから、そのまま倒れます。
 もちろん、打ち所が悪ければ、ケガをします。
 (実際、頭を打って出血し、救急車で運ばれたこともあります)
 だから片時も、目を放せないのです。

 現在、週末の3日間は、我が家でオヤジの面倒を看ています。
 僕は同じ部屋に居て、本を読んだり、ラジオを聴きながら四六時中、オヤジを監視しています。


 それでも、部屋を出なくてはならないことが多々あります。
 トイレくらいならば数十秒でもどれますが、問題は、その他の雑用です。

 仕事場で資料を探したり、パソコンでメールチェックをしたり……
 隣保班長をしているので、回覧板や広報を配ったり……
 そして欠かせないのが、愛犬マロ君の散歩です。

 数年前までなら、オヤジも一緒に連れて歩いたのですが、今は無理です。
 だからといって、オヤジをイスに縛り付けるわけにもいきません。
 (そうしたい気持ちは山々なのですが、今のご時世、虐待になりかねません)


 でも、“人間は考える葦(あし)”であります。
 僕ら(アニキと僕) には、知恵があるのです。

 「オレは洗濯物を干したり、コンビニへ行くときは、オヤジの口にキャラメルを入れて行くよ」
 「キャラメル?」
 「オヤジは、キャラメルが好きだろう」
 「それも森永じゃないとダメだけどね」
 「キャラメルをなめている間は、オヤジの意識はキャラメルに集中しているんだよ」
 「そうか、その手があったね。10分くらいは、部屋を空けられそうだ」

 さっそく僕は、アニキから教わった “キャラメル作戦” を実行しました。
 これが大成功!
 キャラメルが口の中にある間は、オヤジはイスにジーーーーッとしています。

 ただ、キャラメルは口の中で溶けやすいことに気づきました。
 だったら、飴玉のほうがいい。それも、できるだけ大きな飴玉がいい。
 これが、またまた大成功!
 より時間が稼げるのであります。


 兄弟、二人三脚の介護人生であります。
 兄の知恵と弟の工夫により、なんとか今日までしのいでまいりました。
 はてさて、いつまで続くのやら……


 

 
   


Posted by 小暮 淳 at 11:21Comments(2)つれづれ

2018年09月11日

ナシと共に去りぬ


 あの息をするのも苦しいような猛暑がウソのようであります。
 ひと雨ごとに朝夕は、めっきり涼しくなりました。

 まるで今年の夏は、人生を模しているようでした。
 “明けない夜はない”
 どんなに苦しい日々も、いつかは終わり、希望の朝が訪れるのだと……。

 きっと日本国中で、誰もがジッと猛暑を耐えていたと思います。


 「もし、エアコンがない時代に、今年のような暑さが来てたら、どうしていたんだろうね?」
 素朴な疑問です。
 さる人が言いました。
 「仕事も学校も休んで、みんな一日中、木陰で休んでいるよ」
 また別の人は、
 「避暑地に疎開だね。どうしても仕事を休めないお父さんだけ都会に残って、家族を山へ逃がすんだよ」

 でも、こんな意見も出ました。
 「暑くなったからエアコンが開発されたんだ」
 ごもっともです。
 確かに昔は、扇風機だけで夏をやり過ごすせていましたものね。


 さて、あの猛暑の夏は、こりごりですが、ちょっぴり淋しさも感じています。
 それは、ガリガリ君の「梨」 が食べられなくなってしまったことです。

 ハマりました!

 外出する時は、車でも自転車でも、気合を入れて家を出ましたが、必ず、まずはコンビニに直行!
 アイス売り場に駆け寄り、ガリガリ君を探します。
 ソーダ味では、ダメなんです。
 「梨」 です!

 口に含んだときのシャリシャリ感が、たまりません。
 そして、あの本物かと思えるほどのジューシーな “梨の味”。
 「よーし、暑さに負けずに、今日も一日がんばるぞ!」 って、気力がみなぎるのであります。

 と、と、ところが!
 いつの間にか、近所のコンビニからガリガリ君の 「梨」 が消えていました。
 こうなったら探し出してやれ!とばかりに数軒のコンビニを回りましたが、ありません。

 「あの…、ガリガリ君のナシ味は?」
 店員さんに尋ねると、
 「はい、あれは夏限定の商品ですから」
 と、つれない返事。

 ショック!


 来年の夏まで待つしかないのですね。
 でも、ガリガリ君の「梨」 は食べたいのですが、あの猛暑は、もう、こりごりなのであります。

 夏と共に去った、ナシ味の氷菓が、やけに恋しい今日この頃であります。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:14Comments(0)つれづれ

2018年09月10日

壊れたタイムマシーン


 「痴呆とは、壊れたタイムマシーンに乗って、記憶の中をさまよっている旅人である」
 と、誰かが言ってました。

 と、またまたテレビドラマ 『遺留捜査』 の糸村風に始めてみました。


 今では “認知症” と言われてますが、その昔は 「痴呆(ちほう)」 とか 「耄碌(もうろく)」 なんて呼ばれていました。
 または 「ボケ」 です。
 オヤジがボケ出したのは、かれこれ10年前です。
 少しずつ、少しずつ時間を重ねながら、記憶を失ってきました。

 「理想的な認知症ですね」
 なんて、医者からは言われています。
 確かに、穏やかな老衰下降をたどっています。
 大声を上げたり、暴力をふるうこともありません。

 ただただ毎日、日に日に残り少なくなる記憶の中をさまよい続けているだけであります。


 「ちょっと横になりたいな」
 と言うので、
 「どうしたんだい? 疲れたんかい?」
 と訊けば、
 「ああ、80(歳) を過ぎると、体がしんどいよ」
 と、とぼけたことを言います。
 「なに言ってるんだい! とっくに90歳を過ぎてますよ!」
 思わず、ツッコミを入れたくなります。
 本人は、まだボケる前の80代のつもりでいるんですね。

 と思えば、
 「お腹が空いたな」
 「まだ夕方ですよ」
 「そうですか、じゃあ、夕飯まで散歩に出かけてきます」
 と、立ち上がろうとします。
 「散歩へ行くって、歩けないでしょう?」
 オヤジは、数年前から自力歩行ができません。
 外出の時は車イスでの移動です。

 さらには、
 「もう寝るかな」
 と言うので、
 「まだ早いですよ。もう少し起きていてください」
 と、さとすと、
 「じゃあ、テレビも見るかな」
 とリモコンを探すしぐさをしますが、オヤジは、ほとんど目が見えません。
 目が見えないことも忘れてしまっているのです。

 すべては、残されているわずかな記憶の中で生きています。


 「あなたには息子さんがいますか?」
 「はい、2人います」
 「名前は、なんといいますか?」
 「……」
 2人いることは分かるのですが、名前は思い出せないようです。

 「私が、その息子ですよ」
 と言った途端、とても驚いたようなリアクションをしました。
 そして、こんなことを言いました。

 「私の息子は、こんな年寄りではありません」

 ショック!


 オヤジは今日も、壊れたタイムマシーンに乗って、記憶の中を旅しています。
 二度と現在(今) に帰って来ることはありません。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:05Comments(0)つれづれ

2018年09月01日

すってんころりん


 ♪ ピーポー ピーポー ピーポー

 ケータイに出た途端、中からサイレンの音が聴こえてきました。

 「あっ、ジュン! すぐに来てくれ! オヤジが転んでケガをした」
 慌てふためく、アニキの声。
 「今、救急車が来たから……。頼んだよ」
 そう言って、切れてしまいました。


 実家で留守番をすること、わずか1時間。
 病院にいるアニキから電話がありました。
 「もう終わったから、迎えに来てくれ」
 とは、なんとも、あっけらかんとしています。

 指定された病院に駆けつけると、すでに正面玄関にアニキが立っていました。
 かたわらには、車イスに乗ったオヤジの姿が。
 頭を包帯で、グルグル巻きにされています。
 訊けば、「3針縫った」 とのことです。


 なんでも、アニキがちょっと目を放したすきに、徘徊を始めたようです。
 徘徊といっても、部屋の中だけですけどね。
 それでもオヤジは、ほとんど目が見えませんから、何かに、けっつまづいて、すってんころりん!
 テーブルの角にでも、頭を打ち付けたようです。

 「ドーンと音がしてさ、行ってみたら、オヤジがひっくり返っていたんだよ。それだけならいつものことなんだけど、びっくりするくらい血が飛び散っているんだもの。動転して、救急車を呼んじゃったよ」
 と、アニキも大騒ぎしたことを済まなそうに言いました。


 今年になって、これで2度目の救急車騒ぎであります。
 前回は、あまりに寝たまま起きないので、脳梗塞ではないかと、搬送されました。
 ※(当ブログ2018年3月9日「眠り翁」参照)

 当の本人は、何が起きたのかも覚えていない様子。
 「じーさん、どこか痛いところあるかい?」
 と訊けば、
 「いーや」
 と応えるだけです。


 「大したことなくて、良かったじゃないか?」
 「ああ、いつまで、続くのかね」
 「しばらく入院してくれると、助かったのにね?」
 「まったくだ」
 「いよいよ、一時もオヤジから目を放せなくなったね?」
 「いつまで、続くのかね」

 僕ら兄弟は、2人して頭を抱えてしまいました。

 人騒がせな爺さんであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 17:37Comments(0)つれづれ

2018年08月27日

書く力に励まされ


 「介護とは、愛憎のせめぎ合いである」
 と、誰かが言ってました。

 と、今回もテレビドラマ 『遺留捜査』 の糸村風に始めてみました。


 今年になって、友人や知人の親御さんの訃報が多く届くようになりました。
 僕の友人知人の親たちですから、もちろん高齢であります。
 でも年齢を訊くと、みんな僕の親よりは年下なんですね。

 しかも……
 「前の日まで元気だったのに、突然でした」
 とか
 「介護の間もなく、病院で亡くなりました」
 なんて聞くと、不謹慎ながら、つい、
 「でも良かったじゃないか。介護が続くより」
 と言葉を返してしまいます。

 本音を言えば、“うらやましく” もあります。


 僕のオフクロは91歳ですが、この10年の間に脳梗塞と脳出血をくり返し、現在は寝たきりで、リハビリ施設に入っています。
 来月94歳になるオヤジも認知症になって、かれこれ10年になります。
 でも頭以外は健康なので、デイサービスとショートステイを組み合わせながら、僕とアニキで交互に在宅介護をしています。

 僕もアニキも長引く介護生活に、少々疲れを感じていて、会えば 「夕べは寝られなかった」 とか 「オムツを何回取り替えた」 だの、愚痴の言い合いになりつつあります。
 親が長生きしてくれるのは、ありがたいことなのですが、その “ありがたみ” を、だんだんと感じられなくなりつつある今日この頃なのです。


 そんな折、今朝の新聞に、勇気づけられました。
 知人のジャーナリスト、木部克彦氏が、また本を出版したというのです。
 それもテーマは、「介護」
 共に84歳になる両親が、同時に認知症になってしまったといいます。
 その認知症両親の介護の日常をつづった日記が、このたび出版されました。

 『【群馬弁で介護日記】認知症、今日も元気だい』(言視舎) 1,620円


 木部さんといえば、かつて、『続・群馬の逆襲』(言視舎) という著書の中で、僕のことを “温泉バカ一代” と称して、書いてくださった人です。
 その時に取材を受けたのがきっかけとなり、酒を酌み交わす付き合いが始まりました。
 偶然にも、僕らは同じ歳なのです。

 その彼が、両親のダブル介護をしているとは、知りませんでした。
 彼は、新聞記事のインタビューで、こう答えています。

 「書くことで気持ちが整理されている面もある。今は序章でしかない。父と母が自分の存在価値を感じられるよう、やれるところまで実験していきたい」

 彼らしくもあり、ジャーナリストとしての生き方までが見えるようです。
 彼は、“実験” という言葉を使っていますが、まさしく介護は、誰もが迎える未知の世界なのです。

 僕も彼の生き方にならい、自分の 「書く力」 を信じながら両親の介護に誠心誠意努めようと思えたのであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 14:06Comments(0)つれづれ

2018年08月19日

トトロとミチコちゃん


 先日、久しぶりにテレビでアニメ映画の 『となりのトトロ』 を観ました。
 もう、30年前の映画なんですね。
 ちょうど長女が生まれた年で、その後、ビデオになってから擦り切れるほど観た記憶があります。

 我が家の3人の子どもたちは、トトロが大好きで、“トトロで育った” と言っても過言ではないくらい、観続けた映画でした。

 今回は初めて、仕事部屋で酒を飲みながら、しみじみと1人で鑑賞しました。
 昔、子どもたちと観たときとは、まったく違う視点・感情で観ることができて、あらためて宮崎アニメの完成度の高さに感服しました。


 まだ長女が2、3歳だった頃、家族で山へ遊びに行ったときのことです。
 娘が車の中で、突然、
 「あっ、トトロだ!」
 と叫んだことがありました。
 「えっ、トトロ? あのトトロかい?」
 僕は、あわてて車を止めて、娘が指さす先を目で追いました。
 「どこ?」
 「ほら、あの木の上」
 「えっ、今もいるの?」
 「いるよ、こっちを見てるよ」
 そう言うと娘は、
 「トートーロー!」
 と大声で叫んで、手を振りました。

 映画の中でも、そうでしたが、トトロやネコバスは、子どもには見えても、大人には見えないんですよね。


 そういえば、こんなこともありました。
 長女が部屋で1人、おままごとをしていました。
 でも、なんかヘンなのです。
 一生懸命、誰かと会話をしています。

 「誰と話しているの?」
 そう問うと、
 「ミチコちゃん」
 と言います。
 「ミチコちゃん? お友だち?」
 「そう」

 しばらくすると夕食の時間になり、家内が食卓の用意を始めました。
 「ほら、おままごとは片付けて! 夕飯だよ」
 すると娘は、またもや
 「ミチコちゃんは? 一緒に食べるの?」
 と言います。
 仕方なく僕は、精一杯の演技をして、
 「さあ、ミチコちゃんも、お父さんとお母さんが心配しているから、もう、お帰りなさい。また、遊びにおいで」
 と言って、娘と彼女を見送りました。

 「バイバ~イ! またね!」
 玄関で手を振る娘に訊きました。
 「ミチコちゃんは、どこの子なの? 保育園のお友だち?」
 「ううん、違う。遠いお山から遊びに来るんだよ」

 そして、夕食の途中で娘は、こんなことを言いました。
 「あのね、ミチコちゃんはね、おとうさんとおかあさんがいないの」


 トトロを観ていて、昔の記憶がよみがえってきました。
 あの時、僕はミチコちゃんに、なんていうことを言ってしまったんだろう。
 引き止めて、一緒に夕食をとればよかった……
 なんなら、あの晩は泊めてあげて、娘と一緒に寝させてあげればよかった……

 今さらながら後悔をしています。


 長女は、このことを覚えているのでしょうか?

 彼女も今では、小学生の男の子の母親です。
 今度会った時に、訊いてみたいと思います。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:50Comments(3)つれづれ

2018年08月13日

意地悪な神様


 「介護とは、糞尿との闘いである」
 と、誰かが言っていました。

 と、テレビドラマ 『遺留捜査』 の糸村風に書いてみました。


 オヤジは、来月で94歳になります。
 重度の認知症で、自分のこと以外は、誰も分かりません。
 もちろん妻も、息子たちのことも。
 ましてや息子の嫁や孫、ひ孫なんて、この世に存在しないことになっています。

 そのオヤジが、突然、思い出したようにオフクロの名前を連呼することがあります。
 「○○子さん、○○子さん」
 って。
 「じいさん、急にどうしたんだい? ばあさんに会いたいのかい?」
 「○○子さんは、どこにいるんだい?」

 そうまで言われれば、介護している息子としては、オヤジとオフクロを会わせないわけにはいきません。
 ということで昨日、オヤジを車イスに乗せて、オフクロが入所しているリハビリ施設へ、面会に行きました。

 「ほら、じいさん。○○子さんだよ」
 オフクロのベッドの脇に車イスを寄せて、2人を会わせました。
 オフクロは寝たきりですが、頭はハッキリしているので、オヤジの来訪を大変よろこんでいます。

 「おとうさん、わたしですよ」
 オフクロが手を伸ばして、オヤジの手を取りました。
 「・・・・・」

 「あれほど会いたがっていたじゃないか?」
 「・・・・・」
 「○○子さんだよ!」
 「えっ、誰だって?」
 「○○子さん」
 「○○子って、……」 


 しばらく、オフクロはオヤジ手を握っていましたが、やがて離して、こんなことを言い出しました。
 「神様はさ、意地悪だよね」
 「どうしてさ?」
 「だって、おとうさんたら、『女は男を見送るものだ』 って言っていたんだよ。でも、ズルイよね。ボケちゃって。なーんも、分からないんだもの。しかも元気だし。わたしは、おとうさんを見送る自信なんて、ありませんよ」

 「まだ、分からないさ」
 息子としては、そう声を返すのが精一杯でした。


 神様、意地悪は、ほどほどにして、どうか、年寄りの願いを叶えてやってくださいませ。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:40Comments(0)つれづれ

2018年07月30日

介護日和


 「この部屋は小さくて、いいですね。私とあなた、ふたりきり。いいですね」

 認知症の老人は、突然、脈絡もなく、意味不明なことを言うものなのです。


 今年94歳になるオヤジは、認知症の症状が出始めてから、かれこれ10年近くになります。
 その症状は、年々重くなる一方で、今では、まったく自分以外の人間は、どこの誰だか分かりません。
 (なぜか、自分のことは名前も生年月日も分かります)

 平日は、デイやショートステイのサービスを利用しながら、実家にてアニキが面倒を看ています。
 週末は、できるだけアニキの負担を軽減するためと、アニキを東京の家族の元へ帰すために、我が家にオヤジを引き取って面倒を看ています。
 (オフクロは重度の老衰のため、現在はリハビリ施設に預けています)


 問題は、この猛暑です。
 昨年までは、難なくこなしていましたが、今年は暑過ぎて、オヤジの熱中症が心配で、介護を苦労しています。
 というのも、オヤジを預かっている我が家の和室(6畳) には、エアコンがありません。
 例年ならば、日中の暑いうちは僕の仕事部屋に居てもらい、寝るときになると和室へ移動していました。

 が、今年のこの暑さです。
 夜中でも30℃を下らない熱帯夜であります。
 ということで、先週までは僕が実家へ行き、オヤジの部屋に泊まっていました。

 でもね、それでは、やっぱりダメなんです。
 いくら僕がオヤジの面倒を看ているといっても、アニキにとっては休養にならないのですよ。
 東京に帰っているときは、それで良いのですが、こちらに居るときは、気が休まらないようです。
 「やっぱり、オヤジを連れてってくれよ」
 と言われれば、弟としては従うしかありません。


 で、この週末を迎えました。
 <最悪、オヤジを俺のベッドに寝かせて、一緒に添い寝をするか……>
 と腹をくくっていたのですが、幸か不幸か、台風が日本を直撃しました。

 台風の進路に当たって被害が出た地域の方々には、大変申し訳ないのですが、関東地方は接近しただけだったため、適度なお湿り雨となり、気温もグッと下がり、久しぶりに涼しい数日間となりました。
 よって、この週末はエアコンいらずで、扇風機の風だけで快適に過ごせました。


 そんな台風が去った日曜日の夕暮れ、セミが一斉に鳴き出した時でした。
 オヤジが、突然、冒頭のセリフを言ったのです。
 目も見えない、耳も聞こえない、耄碌爺さんだとばかり思っていたので、ビックリしました。

 “ふたりきり”
 って、誰と誰のことを言っているのでしょうか?


 オヤジと僕の今年の夏は、まだ始まったばかりです。
   


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2018年07月20日

蚊のいない夏


 昔、といっても僕が子どもの頃のこと。
 夏休みになると、決まって母親に、こう言われました。
 「午前中の涼しいうちに、宿題をしちゃいなさい」
 って。

 ラジオ体操から帰って来て、朝食をとって、マンガを読みながらグダグダとしていると、言われたものです。
 というのも、どこの家にもクーラーがない時代のこと。
 午後になると気温がグングン上がり、30℃を超える日もあったからです。

 そう、当時は “30℃” というのが 「真夏」 を表すキーワードだったのです。
 だから勉強は、気温が上る前の午前中にしてしまえと言ったのです。


 午後になって30℃を超えると、親たちは子どもに、今度は、こんなことを言いました。
 「外へ行くんなら、帽子をかぶりなさいよ。日射病になっちゃうよ」
 って。

 そう、まだ “熱中症” なんて言葉がなかった時代だったんです。
 “30℃超え” にビビッていた昭和の頃は、怖いのは高温ではなく、直射日光だったのです。


 時は流れて、あれから半世紀……。

 なんですか、このクソ暑さは!?!?!?
 「午前中の涼しいうち」 が、どこかへ行ってしまいました。
 朝の7時で、すでに30℃超えですからね。
 今の親は、子どもになんて言うのでしょうか?
 「いつでもいいから冷房の効いた部屋で宿題をやりなさい」 ですかね。

 それにしても、今年の暑さは異常です。
 何が異常かって、だって、蚊がいないんですもの!
 例年ならば、蚊取り線香や殺虫剤が手放せないのに、僕はまだ今年、蚊に刺されていません。

 不思議だな~、不思議だな~と思っていたら、先日、ラジオで識者が、こんなことを言っていました。
 「蚊は、35℃を超えると活動がにぶり、40℃を超えると死んでしまう」 と!
 それを聞いた僕は、つい、ツッコミを入れてしまいました。

 「蚊だけじゃねーよ! 人間もだよ!!」


 みなさん、不要不急の外出は避けましょう。
 これは異常気象などではなく、すでに災害ですぞ!
   


Posted by 小暮 淳 at 17:46Comments(0)つれづれ

2018年07月12日

もっと恍惚の人


 「確か、昔、読んだよな。たぶん、あったような気がしたけど……」

 オヤジの介護をしていて、突然、僕は、ある本が読みたくなって、書庫へ駆け込みました。
 書庫といっても、たたみ2畳ほどの小さな納戸です。
 天井までの書棚が2つあるだけです。

 その棚の奥の奥に、セピア色した文庫本を見つけました。
 有吉佐和子・著 『恍惚(こうこつ) の人』(新潮文庫)

 読んだ記憶はありますが、内容は、まったく覚えていません。
 ただ、老人介護の話だったという以外は……

 「昔は、どうだったんだろうか? 今とは勝手が違ったのだろうか?」
 急に、自分が抱えている介護との比較がしたくて、読み始めました。


 小説が出版されたのは、昭和47年(1972)。
 当時、ベストセラーとなり社会に大きな影響を与えました。

 物語は、ショッキングなシーンから始まります。
 主人公の嫁・昭子は、仕事帰りに、町を徘徊する舅(しゅうと) の茂造と出くわします。
 「腹が減った。何か食べさせてくれ」
 「おかあさんは、どうしたんですか?」
 「婆さんは、いくら言っても起きてくれない」

 あわてて家に帰り、離れをのぞくと、姑(しゅうとめ) が亡くなっています。
 舅、84歳。姑、75歳。
 このとき初めて、息子夫婦は、茂造が認知症であることに気づきます。
 そして、経験したことのない介護生活が始まります。


 でも、これは半世紀近く前に書かれた小説です。
 当時はまだ “認知症” という言葉はなく、「ボケ」 「痴呆(ちほう)」 「耄碌(もうろく)」 という言葉が使われています。
 そして驚いたのは、当時の平均寿命です。
 男性は69歳、女性は74歳なんですね。
 今より10歳も若かったことになります。


 「うんうん、分かる、分かる。そうそう、そうなんだよな」
 と、時代は変われど、介護の実状は変わりません。
 でも時には、
 「甘い、甘い。うちのジイサンは、そんなもんじゃねーぞ!」
 なんて、ツッコミを入れたりしながら読んでます。

 ふと、本から目を離すと、寝息を立てているオヤジがいます。


 息子の信利が妻に言った言葉が、めぐります。
 「俺もうっかり長生きすると、こういうことになってしまうのかねえ」
  


Posted by 小暮 淳 at 11:01Comments(0)つれづれ