温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2018年04月16日

ゾウっとする夢


 みなさんは、夢を見ますか?
 そして起きた時、覚えていますか?

 僕は、ほとんど毎日見ていますが、起きた時には覚えていても、すぐに忘れてしまいます。
 そこで、忘れる前に 「夢日記」 というものを書いていた時期がありました。

 で、日記を読み返してみると、同じ夢というのを、何度もくり返し見ていることに気づきました。
 大きく分けると2つありました。

 1つは、「空を飛ぶ夢」。
 それも決まって、地面すれすれの超低空飛行です。
 夢の中で 「もっと高く飛びたい」 と思っても、体は浮上せず、毎回、イライラ、モヤモヤしています。

 もう1つは、「知らない町を歩く夢」。
 決まって、ローカル線の小さな駅に降り立ちます。
 駅前に商店街はなく、まばらな民家が両脇に点在する道を歩き出します。
 やがて道は二又に分かれ、Y字路の真ん中には神社があります。
 この架空の田舎町を、ときどき僕は散策しています。

 これは何を意味するのかと、考えたことがありました。
 「空を飛ぶ夢」 は、思っていることと、できていることのギャップへのいら立ちなのだろうか?
 もっとやりたいことがあるのに、やれていない自分へのもどかしさなのかもしれないと。

 「知らない町を歩く夢」 は、現実逃避?
 “一人になりたい” “自由に生きたい” という願望なのではないかと。

 ま、それが分かったところで、僕の日常は変わりないのですけどね。
 でも夢の中では、「あっ、また、この夢か!」 と気づきながらも、楽しんで見ている自分がいるのも事実です。


 さて、さてさて、
 先日、「夢日記」 には一度も登場したことのない、まったく新しいパターンの夢を見ました。

 僕は現在、地元自治会の役員をしています。
 毎年、春に子どもたちのためにイベントを開催しています。
 会場は、廃校になった小学校の校庭です。
 「金魚すくい」や「バルーンづくり」などの模擬店、ゲームコーナーなどを設営して、地域の子どもたちと遊びます。

 そして、校庭の一角には、毎年必ず 「乗馬体験コーナー」 を作ります。
 県内の牧場からポニーを借りて、小学生低学年の子どもたちに、乗馬を体験してもらっています。


 ここまでは、現実です。
 ここからが、夢の話です。 

 僕の提案で、「今年はポニーではなく、ゾウを呼びましょう!」 ということになり、会場には 「乗象体験コーナー」 を作ることになりました。
 アフリカゾウだったか、インドゾウだったかは記憶にないのですが、とにかく大きなゾウが校庭にやってきました。

 と、ところが!
 最初は順調に子どもたちを乗せて、乗象体験を行っていたのですが、突然、ゾウが暴れ出し、逃走してしました。
 校庭から飛び出し、町の中へ。
 僕らは追いかけましたが、あっという間にゾウは姿を消してしまいました。

 次のシーンでは、僕は報道陣に囲まれて、イベント主催者として謝罪会見をしていました。


 ここで、夢から覚めました。
 なんとも寝覚めの悪い夢です。
 死傷者は、いたのでしょうか?
 その後、ゾウは捕まったのでしょうか?

 その日は一日、気が気でありませんでした。 


 読者の方の中に、夢占いに詳しい人がいましたら、この夢の深層心理をお教えください。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:44Comments(0)つれづれ

2018年04月09日

黄泉への誘い


 「おとうさん、施設に入れちゃいなよ」
 「……」
 「どうせ、分からないんだからさ」
 「俺たちにも、いろいろ事情があるんだよ」

 昨日、オヤジを車イスに乗せて、入院しているオフクロを訪ねました。
 僕の顔を見るなり、オフクロは、
 「だいぶ疲れているみたいだけど、大丈夫かい?」
 そう言って、冒頭の言葉を続けたのです。


 オフクロは現在、老衰が進み、在宅介護が不可能なため、リハビリ施設にお世話になっています。
 ほぼ寝たきりですが、頭はハッキリしているので、僕やアニキが訪ねて来るのを、とても楽しみにしています。

 一方、オヤジは要介護認定3の認知症です。
 デイサービスとショートステイを組み合わせて、在宅介護をしていますが、最近は体力が極端に衰えたため、車イスの生活をしています。

 平日は実家でアニキが面倒を看ていますが、週末は僕が自宅にオヤジを引き取っています。
 そして毎週日曜日は、オヤジを連れて、オフクロに会いに行きます。
 オフクロは喜んでくれますが、オヤジは無表情です。
 僕のことも分からないのですから、オフクロのことも分かりません。


 ポカンと宙を仰いでいるオヤジの手を握って、突然、ベッドの中のオフクロが言いました。
 「おとうさん、そろそろ私と一緒に、あの世に行きませんか?」
 「そんなことを言ったって、分かるわけないだろう! なんていうことを言うんだい!」
 「ジュン、おとうさんに聞こえるように、言ってくれないかい?」

 冗談とは思えない真剣な目で、僕に訴えてきました。
 しかたなく僕は、オヤジの耳元で、大声を出して訊いてみました。
 「ばーちゃんがさー、いっしょに、あのよに、いこうって!」

 このあと、オヤジは、なんて言ったと思いますか?


 「いや、オレはいい」
 ですって。

 それを聞いたオフクロの悲しそうな顔といったらありませんでした。
 「おとうさん、それじゃ、ダメなんですよ。ジュンたちに迷惑が、かかるんですから」
 そう言うと、目をつむってしまいました。


 この会話、息子としては、どうリアクションすればいいのでしょうか?
 笑うに笑えないし、でも、笑わないとオフクロが、かわいそうでなりません。

 「ま、そういうことだから、2人とも長生きしてくださいな。俺とアニキなら大丈夫だからさ」

 車イスを押しながら、病室を後にしました。
  


Posted by 小暮 淳 at 13:47Comments(0)つれづれ

2018年04月06日

機械は機械


 アメリカで、自動運転のクルマが、人身事故を起こしたというニュースがありました。
 この場合、責任はドライバーにあるのか、メーカーなのか?
 今後、議論されることでしょう。

 インターネットやスマホが普及したときもそうでした。
 人間が作ったものなのに、人知を超えたトラブルが起こると、そこで初めて人間はあわてるのです。
 こうなることは予想がついていたはずなのに、法の整備は、いつも後手にまわされます。


 これは勝手な意見ですが、機械ギライの僕にしてみれば、「ドライバーが悪いのに決まっているじゃないか」 と単純に考えてしまいます。
 だって、このドライバーは機械を過信して、スマホに夢中になっていて、前方を見ていなかったというじゃありませんか!
 これじゃ、話になりませんって。
 自動運転は、あくまでも保険であって、有視界走行するのが基本だと思うのです。

 ま、技術的な難しいことは分からないので、この話は、ここまでにします。


 で、このニュースを聞いたときに、僕は数年前の出来事を思い出しました。
 当時、僕は新聞に毎週、連載記事を書いていました。
 そして、ある日のこと。
 突然、前触れもなく、愛用していたパソコンが壊れたのであります。
 締め切りは、迫っています。
 なのに、原稿を書くことも、メールで送ることもできません。
 僕は、あわてて、新聞社に電話を入れました。
 すると担当者は、こう言ったのです。

 「では、手書き原稿でいいですから、ファックスで送ってください」

 「えっ、それで、いいんですか! ありがとうございます。すぐに送ります」
 そう応えると担当者は、さらに、こんなことを言いました。
 「もしファックスが壊れていたら、また連絡ください。原稿を取りに伺いますから」

 なんて素敵なトークなんでしょうか!
 編集者の鑑のような人であります。

 このとき僕は、一生この仕事を続けようと決意しました。


 そうなのです。
 パソコンなんて、所詮、道具(機械) に過ぎないのです。
 文章を考えるのは、人間なのです。

 パソコンがなければ、手で書く。
 ファックスがなければ、届ける(または取りに来てもらう)。

 どんなに世の中が進歩しても、その世の中を作っているのは人間なのですから……
   


Posted by 小暮 淳 at 13:51Comments(0)つれづれ

2018年04月02日

シロバナタンポポとモンキチョウ


 何日か前、新聞に <環境の変化でしょうか。今年はシロバナタンポポを見かけません。> という読者の投稿文が載っていました。
 えっ、本当かな?

 ここに越してきた25年前に比べれば、我が家のまわりにはスーパーやコンビニ、住宅も増え、だいぶ風景が変わりましたが、それでもまだ田んぼや畑や野原が広がっています。
 クルマ嫌いの僕は、ヒマさえあれば自転車に乗って、ご近所を回っているので、どこにどんな花が咲くのか熟知しています。

 我が家の西、川を渡った先に、田んぼが広がっています。
 その一角、道の端の土手一面が真っ白になるシロバナタンポポの群生地があります。

 そういえば、今年はまだ、あのあぜ道を通ってなかったな……

 さっさく自転車に飛び乗って、ひとっ走り行ってきました。


 あった! 今年も咲いているじゃないか!!
 でも待てよ、なんかいつもと雰囲気が違うぞ!

 そう、一面の白ではないのです。
 ところどころ、黄色が混ざっています。
 セイヨウタンポポです。

 ヨーロッパ原産の多年草。
 明治時代に北海道で野菜として栽培されていたものが逃げ出したといわれています。
 どこにでも、ふつうに見られる外来種のタンポポです。

 一方、シロバナタンポポは、西日本で多く見られるタンポポです。
 名前のとおり、花が白いのが特徴。
 他のタンポポに比べると、ちょっと弱々しい感じがするところが、僕は好きです。
 最近は、関東地方でも見られるようになりました。


 道端に自転車を止めて、しばらく眺めていると、若いお母さんに連れられた小さな女の子がやって来ました。
 手には、大きな網を持っています。

 「なにをとっているの?」
 「チョウチョ!」
 「へー、チョウチョがいるの。つかまえたの?」
 「うん!」
 「おじさんにも、みせてくれる?」
 ※(ま、その子の歳を考えると僕は、“おじさん” ではなく、完全に “おじいさん” なのですが、そのへんは臨機応変ということで…)

 カゴの中をのぞき込むと、黄色い羽のチョウチョがいました。

 「モンキチョウだね」
 「……」
 「これはモンキチョウっていうだよ。黄色いでしょ」
 「……」
 「白いのは、モンシロチョウっていうんだよ」
 「……」

 かたわらで、ツバの広い日よけの帽子をかぶったお母さんが微笑んでいました。

 「バイバーイ!」
 ふたたび僕が自転車を漕ぎ出すと、
 「バイバーイ、またねー!」
 女の子の声が、追いかけてきました。


 田んぼのあぜには、青いオオイヌノフグリや紅紫色のホトケノザが、じゅうたんを敷きつめたように咲き誇っています。
 川の土手では、黄色い菜の花が風に揺れています。
 水面を桜の花びらが流れて行きます。

 春爛漫です。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:58Comments(0)つれづれ

2018年04月01日

兄弟問答


 「人間は生きたように死んでいくんだ」
 「なんだい、それ?」
 「たぶん、有名な哲学者の言葉だったと思う」


 僕とアニキの介護生活も、ほぼ10年になります。
 オヤジは今年9月で94歳になります。
 オフクロは今年5月で91歳になります。
 オヤジは認知症を患っていて、オフクロは寝たきりの生活を送っています。

 アニキも僕も実家を出て所帯を持ったため、10年前までは両親だけで暮らしていました。
 現在は、ウィークデイはアニキが東京から来て、週末は僕が両親の介護をしています。
 そんな生活も、いよいよ正念場を迎えています。


 「やっぱり、2人は無理だな」
 アニキから今後のことで相談があるからと、呼び出されました。
 「オフクロは仕方ないとしても、オヤジは在宅で面倒を看るしかない」

 今年になってオフクロの老衰が悪化し、通常の食事ができなくなったために入院をさせました。
 現在、だいぶ容態は回復してきましたが、まだ在宅の許可は出ていません。
 先月、オヤジも食事を摂らなくなってしまったため、一旦は入院しましたが、すでに回復して実家にもどっています。

 「オヤジもオフクロも国民年金だからな。2人をいっぺんに施設に入れる余裕はないよ」
 「分かった。オヤジだけでも2人で看よう」
 「すまないが、協力してくれ」
 「ここに来て、人生のツケが回って来たっていうことか」


 僕は、なぜかこの時、童話の 「アリとキリギリス」 の話を思い出していたのです。
 オヤジは、若い頃から根っからの自由人でした。
 組織には属さず、唯我独尊で、思うがままに生きてきた人です。

 そんなオヤジに育てられたアニキも僕も、“カエルの子はカエル”。
 迷うことなく、フリーランスの道を選んで生きてきました。
 でも、老後のことまでは考えていなかった……

 それで、つい僕は、“ツケが回って来た” なんて言ってしまったのです。


 「オレは、そうは思わないよ」
 アニキは振り返ると、ちょっぴり険しい顔になり、僕に、こう問いかけました。
 「じゃあ、ジュンよ。今、あの灼熱のインドを歩けるか?」

 なんのことを言っているのかといえば、25年前に兄弟で、バックパッカーの旅をしたときのことを言っているのです。
 その前後もアニキはアメリカ大陸や東南アジアへ、僕は中国とベトナムを旅しました。
 もちろん2人とも、結婚はしていたし、子供もいました。
 それでも自由に世界を旅することができたのは、互いにフリーランスという生き方を選んだからにほかなりません。


 「だね。この歳になったら、無理だよ。体力的に不可能だ。気力もないかもしれない」
 「だろう。だから “金と時間” ができるのを待っていたら、できないことが人生には、たくさんあるんだ」
 「でも、オヤジは、それをしてきた」
 「そうさ、だから、ちっともツケなんて回ってきてはいないんだよ」


 人間は生きてきたように死んでいく

 オヤジは、僕らに生きざまを見せてくれたように、今、死にざまを見せようとしているのかもしれませんね。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:28Comments(0)つれづれ

2018年03月23日

「そだねー」 と 「だいねー」


 この冬は、平昌オリンピックで脚光を浴びたカーリング女子に、癒やされた人が多いんじゃないでしょうか。
 かくいう僕も、テレビの前で 「さつきちゃ~ん」 って、声援を送っていた一人です。
 なんか、あの娘たちって、見ていると、ほんわか心がなごむんですよね。

 そして銅メダルという成績を修めましたが、同時に 「もぐもぐタイム」 や 「そだねー」 などの言葉も話題になりました。
 とくに 「そだねー」 は、早くも今年の流行語大賞の呼び声も。

 その 「そだねー」 を、商標登録しようと出願した企業が現れたそうです。
 北海道の菓子メーカーとのことですが、彼女たちの所属チームのある北見市ではありません。
 「北見に関係ない企業が、なぜ商標登録するのか?」
 誰でも抱く疑問です。
 それに対しての企業側のコメントは、
 「北海道らしい温かい言葉が、道外業者や悪徳業者に出願されて使えなくならないように。商標を独占する意図はない」
 とのこと。

 ん~、なんか、素直に納得できませんね。
 そもそも、造語でもオリジナルの言葉でもありませんよね。
 方言やなまりの類いですから、一企業がその言葉を商標登録してしまうというのは、いかがなものでしょうか?


 ところで、この 「そだねー」 ですが、群馬弁でいえば 「そうだいねー」 です。
 ちょっと長いので、縮めて 「だいねー」 なんて若い女の子が言ったら、可愛いかも!

 でも実際には、若い女性が使っているところは、あまり見かけたことがありません。
 どちらかと言うと、オバサン言葉です。
 で、オジサンたちは、なんていうかといえば、
 「そうだんべ」 「そうだいのー」 です。

 とは言っても、かなりの高齢者か農村部の男性で、街に暮らす僕らは、ほとんど使いません。


 で、かといって、この 「だいねー」 や 「だんべ」 や 「だいのー」 が、1つの企業に独占されたら困るのです。
 ま、群馬弁の場合、そんなことは起こらないでしょうけど。

 やっぱり、「そだねー」 には、金のにおいがするのでしょうか?
、   


Posted by 小暮 淳 at 12:03Comments(2)つれづれ

2018年03月19日

本の神様


 僕は、自他ともに認めるアナログ人間です。
 ですから、もちろんケータイは、いまだにガラケイです。

 パソコンだって、ブログや原稿を書く以外には、ほとんど使いません。
 ワープロ代わりに、使っているだけです。


 不便ではないのかって?

 どちらかというと、不便を感じるというよりは、不便を楽しんでいます。
 分からないことや探し物があるときは、体を使います。
 辞書で調べたり、図書館へ行ったり、店をまわったり……

 たぶん、ワープロもパソコンもなかった雑誌記者時代に身に付いた、取材方法なんだと思います。
 “情報を疑う” クセがあるのです。
 聞いた話より、自分の目で見たものを信じるという職業病かもしれません。


 本もしかりです。

 今の時代、わざわざ本屋へ行かなくても、ネットで欲しい本が届きます。
 でも僕にとっては、本を手に入れることも大切ですが、探すことに喜びを感じるのです。
 そして、見つけたときの感動!
 それは、赤い糸で出会った恋人のようにいとしいのであります。

 この数週間、探し続けていた本があります。
 小説や文庫本なら、古本屋を回ります。
 新刊本は、迷わず書店へ行きます。
 資料で使う専門書の類いなら、図書館で調べます。

 今回の本は、ちょっと、やっかいでした。
 新書なのです。
 それもマニアックな歴史物。
 新書は種類が多く、新刊ならばいざしらず、何年も前に出版された本となると、すべて揃っている書店は、なかなかありません。

 こんなときネットが使えれば、簡単に手に入るんでしょうけどね。

 書店を見かけるたびに立ち寄り、新書の棚をのぞきます。
 でも、たいていの書店は、そんなに広くスペースを取っていません。
 しかも僕が探している本は、少数派の新書だったのです。
 だもの、そうそう見つかるわけがありません。


 と、と、ところが~!!
 あったのです。
 昨日、なにげに入った書店に!
 以前、来た時は、なかったのにね。

 棚に見つけたときは、自分の目を疑い、何度もタイトルを確認しました。
 そして、手に取ったときには、全身に鳥肌が立ちました。

 「会えた!」

 もう、そのままレジに飛んで行き、家に直帰。
 一心不乱に読み出し、気が付いたら夕飯も食べずに、一気に読み終えていました。


 きっとこれは、神様からの粋なはからいなのですね。
 こんな至福をプレゼントしてくれた “本の神様” に感謝であります。
  


Posted by 小暮 淳 at 14:05Comments(2)つれづれ

2018年03月17日

とんでいけ~!


 歯痛は、忘れたころにやって来るのであります。

 今週、突然、疼痛に見舞われました。
 初日は、ズキンズキンと小刻みの痛みだったのですが、翌日には、半鐘を打つような激しい痛みに変わりました。
 ところが、行きつけの歯医者は定休日。
 他の医者を探そうにも、その日はスケジュールが詰まっていて、自由に動ける時間がありません。
 鎮痛剤を飲んで、なんとか1日を乗り切りました。


 ところが、その夜のことです。
 鎮痛剤を飲み過ぎたせいかもしれません。
 体がだるくて、悪寒もし、風邪のような症状になり、自宅に帰るなり、そのまま酒も飲まずに布団にもぐり込んでしまいました。

 でも、歯の痛みで眠れません。
 1時間、2時間……、時間だけがいたずらに過ぎていきます。
 時おり、うとうとと眠気がやってきます。

 このまま、眠ってしまいたい。
 朝まで、目が覚めないでほしい。

 と思ったのも束の間。
 突如、ズキーン、ズキーンと、激しい痛みが襲います。
 「ああ、痛い。痛いよ~。助けてくれよ~」
 夢ともうつつともつかぬ闇の中で、僕は誰にともなく叫んでいました。

 その時です。
 遠く暗闇の奥から、声がするではありませんか。

 「イタイの、イタイの、とんでいけ~!」

 その声の主は、なんとオヤジだったのです。
 そう、あの90歳を過ぎた認知症の老人です。
 でも、今のオヤジではありません。
 50年以上も昔の、若き日のオヤジの声です。

 当時の僕は、小学校の低学年。
 虫歯が痛くて、泣いた夜がありました。
 その時、オヤジは一晩中、僕の布団の隣で添い寝をしてくれました。
 そして、茶碗に入れた甘茶を指にひたしては、僕の頬をさすりながら、
 「イタイの、イタイの、とんでいけ~!」
 と、おまじないを唱えてくれていたのです。


 不思議なことって、あるものですね。
 この歳になって、突然、そんな忘れていた記憶がよみがえってくるなんて。

 「イタイの、イタイの、とんでいけ~!」

 闇の中で、おまじないが繰り返され、やがて僕は眠りにつきました。


 翌朝、一番乗りで、歯医者に駆け込んだことは、言うまでもありません。
 おかげさまで、痛みは取れました。

 今日は天気もいいし、午後は入院しているオヤジを見舞いに行ってこようと思います。
 たぶん、僕のことは分からないと思いますが、窮地を救ってくれたお礼を言いに……
   


Posted by 小暮 淳 at 13:15Comments(0)つれづれ

2018年03月09日

眠り翁


 「ジュン、すぐ来てくれないか! オヤジが…」

 昨晩、うっかりケータイを見ずにいたら、何度もアニキから着信履歴がありました。
 いやな、予感であります。
 あわてて電話をしました。

 「オヤジがどうしたって?」
 「寝ちゃって、起きないんだよ」
 「どういうことよ?」
 「いいから、すぐ来てくれ!」


 実家へすっ飛んで行くと、オヤジは、いつものようにベッドで寝ていました。
 蒲団が胸のあたりで上下に動いてますから、呼吸はしているようです。

 「ふつうじゃないか?」
 「それが、ふつうじゃないんだよ」

 アニキの話によれば、晩飯を食べている途中に突然、動かなくなり、そのまま寝てしまったというのです。
 声をかけても、揺すっても起きないので、そのまま担いでベッドに寝かせたようです。

 「な、ヘンだろ?」
 「でも、うちに来ても、そんなものだよ。1日20時間以上寝ているからね」
 「でも、ベッドには自分で歩いて行くだろう? それが今日は、まったくイスから動かないんだ」

 結局、昨日は一晩、様子をみることになりました。


 一夜開けた今朝のこと。
 またしてもアニキからの電話です。
 「おい、ジャン、すぐ来てくれ! 今から救急車、呼ぶから」
 「えっ、きゅうきゅうしゃ、だ~!!」

 あわてて実家へと、すっ飛んで行きました。
 僕が着くのと同時に、救急車も到着。
 救急隊員がストレッチャーにオヤジを乗せて、手際よく搬送して行きます。

 「なんで救急車なのさ?」
 「やっぱり朝起きないからさ、医者に電話したんだよ。そしたら軽い脳梗塞かもしれないから救急車を呼べって」

 ということで、アニキが救急車に同乗して、僕が実家で待機することになりました。


 午後、結果が出ました。
 “脳に異常なし”
 でも、もしものことを思い、しばらく入院させることにしました。

 着替えや洗面用具などを持って、病室へ行くと……

 やっぱり、寝ています。


 「眠り姫」 「眠る男」、いや、こりゃ 「眠り翁」 だな!

 人騒がせな、じいさんであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:36Comments(0)つれづれ

2018年03月07日

詩人の亡霊


 東宮七男という詩人を、ご存知ですか?


 東宮七男 (とうみや・かずお) 1897~1988 詩人。
 勢多郡宮城村(前橋市) に生まれる。1915(大正4)年、群馬県師範学校(群馬大学) に入学し、翌年、萩原朔太郎の 「詩と音楽の会」 に参加。1920年同校を卒業し教職に就く。萩原恭次郎と縁戚関係にあり、その影響を受けて詩誌 『PETAN・PETAN』 を梅津錦一と刊行した。
 <中略>
 戦後、引き揚げて県同胞援護会に勤務し、一方で萩原朔太郎詩碑建設運動を興し、群馬ペンクラブの結成に取り組んだ。戦後の詩活動は豊田勇ら同世代詩人と 『ポエム』 『形成』 『果実』 を刊行し詩をはじめ詩論を発表した。詩集に 『魚鷹(みさご)』(1954) 『遍羅(べら)』(1972) 『空の花』(1987) があり、また郷土の詩人関係の評論に 『詩人萩原朔太郎』 『高橋元吉の人間』 ほかがある。
 <中略>
 戦後の県内文学運動進展に大きく貢献した詩人であり、その功績に対して詩碑が建設された。1978年11月に彫刻家高田博厚の設計により前橋市広瀬川河畔に建てられ、碑面には作品 「花なればこそ」 が刻まれている。
 (「群馬新百科事典」より)


 実は、東宮七男は僕の大叔父なのであります。
 オヤジのオヤジ(祖父) の弟です。

 大叔父は、甥っ子の中でも特別、僕のオヤジを可愛がっていました。
 たぶん、同じアウトローのにおいがしたのだと思います。
 オヤジも、そんな大叔父を尊敬して、したっていました。

 だからオヤジは、僕やアニキにも、小さい頃から大叔父の話をしていました。
 生涯、借家暮らしで貧乏だったこと。
 それでも4人の子どもを立派に育てたこと。
 何よりも、歴史に名を残した生き方を、いつも自慢していました。

 ですから物心ついた頃から大叔父の存在は、僕にとっても “あこがれ” だったのです。


 最後に大叔父に会ったのは、たぶん、アニキの結婚披露宴だったと思います。
 僕は高校生で、余興でギターを弾いて、オリジナルソングを歌いました。

 「いいよ、いいね。好きなことを思いっきりやりなさいね」
 そう、声をかけてもらった記憶があります。
 その言葉は、その後の人生の指針になりました。


 そして今でも大叔父は、亡霊となって僕の前に現れ、心を突き動かしています。
 亡霊……?
 いえいえ、そんなおどろおどろしいものではありませんね。
 いうなれば、守護神です。

 「おじさん、間違ってないよね? これで、いいんだよね?」
 心が折れそうになったとき、決まって僕は自転車を走らせます。
 広瀬川河畔へ


 上毛電鉄、中央前橋駅前に、大叔父の詩碑があります。
 ただ、じっと詩を読み、在りし日の詩人に思いを寄せます。

 すると、不思議、不思議。
 それまでのモヤモヤが、ウソのように晴れて行くのです。

 こうやって何十年と僕は、亡霊に助けられています。
   


Posted by 小暮 淳 at 14:59Comments(0)つれづれ

2018年03月05日

不死鳥のごとく


 「大変ですね」
 「お母さんの具合、いかがですか?」

 この1ヶ月間、たくさんの人から声をかけていただきました。
 たぶん、このブログを読んでくださっている方々です。
 ※(2018年1月29日の「トンカツと温かい手」、2月12日の「小さい手と手」参照)


 「病気と寿命は別物だよ」
 と気丈に振る舞っていたオフクロでしたが、寄る年波には勝てず、ついに1月、老衰のために入院してしまいました。
 病気には滅法強かったオフクロですが、加齢による体力の衰えには、あらがえなかったようであります。

 食事がノドを通らなくなり、点滴による生活が始まってしまいました。
 「たぶん、もう、帰って来ることはないだろう」
 僕もアニキも、今度ばかりは腹をくくって、見守っていました。


 と、と、ところが!
 なんということでしょう!!
 昨日、オヤジを連れて病院を訪ねると……

 「ジュン、来てくれたのかい! ありがとうね。あれ、おとうさんもかい。うれしいね」
 と、ベッドから起き上がらんばかりに、大きな声を上げ、満面の笑みを浮かべているではありませんか!
 「元気そうだね。あれ?」
 よく見ると、ベッドの脇に点滴の袋がありません。

 「どうしたのよ、点滴がないじゃない?」
 「だって、ごはん、食べてるもの」
 「えっ、食事しているの?」
 「うん、リハビリもしているよ。こうやって、イチ、ニ、イチ、ニって」
 そう言って、腕を上げたり下げたりして見せるのです。

 おそるべし生命力!


 今日、実家にオヤジを送り届けた際に、アニキに報告しました。
 「だろ、あの人の生命力は、ただもんじゃないぞ」
 「だね、こっちは、これが最期だと覚悟していたのに」
 「あんまり 『家に帰りたい』 って言うもんだからさ、『自分で食事ができなきゃ、帰れないんだよ』 って言ったのが効いているのかもな」
 「オフクロ、帰って来る気でいるよ」
 「ああ、でも、帰って来たら、それはそれで大変なんだけどな」

 介護はつづくよ、どこまでも……
 いや、いつかは終わりが来るのでしょうけど……
   


Posted by 小暮 淳 at 13:59Comments(0)つれづれ

2018年02月25日

ため息のシーズン② 通知表


 1年で、もっとも憂うつな季節がやって来ました。

 フリーランスおよび個人事業主のみなさん、確定申告は済みましたか?
 僕は、さっさと済ませました。
 だから落ち込んでいるんです。


 毎年、その日が来るのがイヤでイヤでなりません。
 本当は逃げてしまいたいのですが、イヤな思いを続けたくないので、あえて “いの一番” に済ませます。
 そして、現実を突きつけられるのです。

 いわば、これは僕の 「通知表」 なのであります。
 いくら 「がんばった」 と思っても、数字がすべてを物語ります。
 そして結果、今年も成績(収入)アップならず!(涙) 
 昨年とまったく同じ成績でした。

 増えもせず、減りもせず。
 ということは現状維持のまま、まったく成長していないということです。
 我ながら、板についてしまった貧乏が、おかしくてなりません。


 所帯を持って別居している営業マンの長男が、ぷらりと顔を出したとき、こんなことを言いました。
 「お父さんの仕事は、楽しそうでいいな」
 突然、何を言い出すのかと、面食らっていると、
 「俺の仕事は、数字がすべてだから」
 と、ぼやいたのです。

 でもね、こんな親を見て育ったから、反面教師となって、彼は堅実な人生を選んだのであります。


 思えば、僕は小さい頃から “数字” が大嫌いでした。
 順位や優劣を競うのも苦手でした。
 ナンバーワンになる気は、はなはななく、いつもオンリーワンになることばかり考えていたように思います。
 だから10代の頃は受験勉強から逃げ、大人になってからは社会や組織から逃げ回ってきました。

 結果、数字を嫌う者は、数字に嫌われるのであります。


 ふーーーーーっ!

 青い吐息が、止まりません。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:51Comments(3)つれづれ

2018年02月19日

となりの芝生


 「小暮さんは、成功者ですね?」
 「えっ、僕がですか?」

 自分の人生を不幸だと思ったことはないし、どちらかといえば幸せな人生を送っているほうだとは思います。
 でも、“成功”か “失敗” かと問われると、まったく分かりません。
 そもそも、まだ人生は途上なのです。
 なのに、その人は僕のことを成功者だと言います。

 同世代の男性です。
 仕事は、やはり同じフリーランスですが、かなり特殊な職業です。
 芸の道を生きている人で、かなりの著名人です。
 僕から見れば、よっぽど彼のほうが人生の成功者なのです。

 なのに、なぜ、そんなことを言うのでしょうか?


 「子どもを3人も育てて、お孫さんまでいらっしゃる。大したものですよ」

 キョトンする僕。
 だって、誰でもやっていることではありませんか?
 ほめられることでも、別段、人と変わったことをしたわけでもありません。
 なのに彼は、その普通のことを、まるで偉業を成したかのように感心するのであります。

 話を聞けば、彼には紆余曲折の私生活があったようであります。
 でも、それは芸の道を究めるためには、不可欠だったように思われます。


 人は、何を基準に “成功者” と呼ぶのでしょうか?
 その価値観は、人それぞれのようですね。

 もしかしたら、ただ単に彼が持っていないものを、たまたま僕が持っていただけなのかもしれません。

 でも僕からしたら、彼は十分にうらやましい人生を歩んでいる人なのですが……。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:47Comments(0)つれづれ

2018年02月14日

キレる中高年


 さるサービス業の男性(20代) が、こんなことを言っていました。
 「クレーマーとは違うんです。ただ不機嫌なんですよ。上から目線っていうか、言葉遣いも荒く、イライラしている。こちらが何を言おうと、キレたように怒鳴るんです。そのほとんどが、オジサンなんですよ」

 そう言われてみると、確かに僕の日常でも “不機嫌な大人たち” を見かけることが多いように思われます。
 たとえば、コンビニのレジ前。
 バイト店員が、もたもたしているのが許せないようで、「おい、まだかよ!」と大声を上げてる客。
 決まって、オジサンです。
 それも、中高年。
 僕と同世代か、それ以上の還暦を過ぎた “立派な大人” です。

 何をこの人は、そんなにイライラしているんだろう?と不思議に思うこと、たびたび。
 だって、そのくらいの年齢になれば、人生の酸いも甘いも知り尽くしていて、分別がありそうなものじゃないですか。
 それとも、「仮想支配」っていうやつですかね?
 一時的でも客と店員は、“金を払う側” と “金をもらう側” の主従関係にあると勘違いしているのでしょうか?

 それとも、ただの短気?
 だとしたら、世の中に短気な人が多過ぎませんか?


 先日、新聞を読んでいたら、10代の販売店員からの相談記事がありました。
 「若い人に比べ、中高年のお客さんはキレやすく、対応に困る」
 という内容でした。

 おお、やっぱり!
 そう感じていたのは、僕や僕のまわりだけじゃなかったのですね。

 記事では、中高年がキレやすい理由として、「退職後の所在なさ」 「抑圧している敵が見えない」 などが挙げられていましたが、はたして真相は……


 僕には、燃え尽きる前に、世の中から廃品のように捨てられてしまったふがいなさ感が、怒りとして放たれているようにも見えるのです。
 いうなれば、自分の存在価値を、社会が年齢というルールだけで切り捨てたと。

 同世代として、僕も分からなくなくもありません。
 ある日、社会から 「あなたは、もういりません」 と言われたら……
でも、その時、僕はキレるのではなく、世間から消え去ることを考えるかもしれませんね。


 中高年のみなさん、夢や希望を持てとは言いませんから、世間に迷惑だけはかけずに生きていきましょうね。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:40Comments(4)つれづれ

2018年02月12日

小さな手と手


 ♪ ひとりの小さな手 何もできないけど
    それでもみんなの手と手を合わせれば
    何かできる何かできる ♪


 オヤジは93歳、体は健康ですが認知症が進んでいます。
 オフクロは90歳、頭はハッキリしていますが、脳梗塞と脳出血を繰り返して、寝たきりの生活をしています。
 平日は東京からアニキが実家に来て、デイサービスやショートステイの面倒を看ています。
 そんな兄の負担を少しでも軽くしてあげたくて、週末は、僕の家でオヤジを引き取って面倒を看ています。

 そんな兄弟二人三脚の介護生活が、もう10年近くも続いています。


 「ほら、じいさんを連れてきたよ」

 このところ日曜日は、僕がオヤジを連れて、オフクロが入院している病院を訪ねています。
 今年になってオフクロの老衰が進み、ついに自宅介護が不可能になってしまいました。
 ※(入院までのいきさつについては、当ブログの2018年1月29日「トンカツと温かい手」参照)

 「どこ、どこにいるの?」

 あんだけ、「もう、おとうさんは連れてこなくていい」なんて強がっていたのにね。
 やっぱり、会いたいんですよ。
 だって、こんなにも、うれしそうなんだから。

 「ほら、じいさん、手を出して」
 「誰だい?」
 「H(オフクロの名前) だよ」
 「Hって、俺の女房かい?」
 「そうだよ」
 「なんで、こんなところにいるんだい?」
 「……、寝ているんだよ」
 「そうかい、寝ているんかい」


 前回、オヤジはオフクロの名前を言っても分かりませんでした。
 オフクロだけではありません。
 僕のことだって、アニキのことだって分からないのです。

 でもね、たまーーーーに、何かの拍子で、脳の回線がつながることがあって、一瞬だけど記憶がよみがえるときがあるのです。

 「ばあちゃん、良かったね。ばあちゃんのこと分かるってさ」

 寝ているオフクロの右の目尻から、一筋の涙が流れ落ちるのが見えました。
 そして、左手を差し伸べています。


 「ほら、じいさん。Hの手だよ」
 僕はオヤジの手を取り、オフクロの手に重ねてやりました。

 オヤジの体重は現在、40キロです。
 オフクロにいたって、28キロしかありません。
 しわくちゃでガリガリの手が、さらに小さな手をつかみます。

 「痛いですよ、おとうさん」


 なぜか、それを見ていた僕の頭の中に、急にあるメロディーが流れ出しました。
 その昔、フォーク歌手の本田路津子が歌った 『一人の手』 という歌です。

 小さな手と手が重なり合って、何ができるのでしょうか?
 何もできなくてもいいから、今、この時が止まってくれたらと、思わずにはいられませんでした。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:06Comments(0)つれづれ

2018年02月02日

16歳へのレクイエム


 「どうした? 友だち」
 「うん、意識がもどったって」
 「そうか、良かったな」
 「でも、もう一人の子が……」

 そんな会話を次女と交わしたのは、1週間ほど前でした。
 その、もう一人の子が31日の夕方、息を引き取りました。
 夢も未来もある16歳でした。


 事故は1月9日朝、始業式の日に起きました。
 前橋市内の県道で、乗用車が路側帯を自転車で走っていた高校1年生の女子に衝突。
 直後に民家の塀にぶつかった弾みで横転し、自転車に乗っていた高校3年生の女子をはねました。
 この2番目に巻き込まれた女子が、次女の友人でした。
 ※(当ブログの2018年1月12日「フラッシュバック」参照)


 昨日の早朝、朝刊を見て、愕然としました。
 <重体の女子高生死亡>
 自分でも、体が震えるが分かりました。
 なんで、なんで、死んじゃうの?
 この子は、何も悪いことなんて、していないじゃないか!
 心の叫びが、ますます体を震わせます。


 人生には、“まさか” という 「坂」 があるといいます。
 あの日、あの時、彼女が北風を切って自転車を漕いでいた坂道が、その “まさか” だったというのでしょうか……

 真っ先に僕の脳裏に浮かんだのは、ご両親のこと。
 だって、他人事ではありませんもの。
 もし、あの日、道が違っていたら、我が子だったかもしれないのです。
 何よりも僕ら夫婦は、過去に同じ境遇に遭っているからです。
 ※(当ブログの2017年3月6日「通れない道」参照)

 あの時、僕らは一心に祈りました。
 神様、仏様、ご先祖様にも、八百万の神々すべてに。
 そして、幸いにも願いが届き、息子はもどって来ました。

 でも今回、その願いは届かなかった。

 一日も早い回復を願って千羽鶴を折っていたクラスメートたち。
 事故を知ったたくさんの人たちの願いを、神様は聞いてくださらなかったのですね。


 乗用車を運転していたのは85歳の高齢男性でした。
 調べに対して 「気が付いたら事故を起こしていた」 と供述しています。

 被害者だけじゃありません。
 加害者にも “まさか” の下り坂があったのです。
 そして、ここにも家族がいます。

 85年間生きてきて、本人も残りの人生を平穏に送りたいと思っていたことでしょう。
 家族も同様です。
 長い長い人生の結末としては、最悪のシナリオを描いてしまいました。


 でも、罪は罪です。
 たった16年で旅立ってしまった命の代償は、つぐなってもらわなくてはなりません。
 そして、これから先、このような悲惨な事故が起こらないよう国を挙げて対策を考えてほしいものです。

 で、僕から1つ提案です。
 75歳以上のドライバーには、免許の条件に 「自動ブレーキシステム搭載車のみ可」 を加えてほしいのです。
 その条件を満たせない場合は、自動的に免許返納となります。



 太田さくらさんのご冥福をお祈りいたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:27Comments(2)つれづれ

2018年01月29日

トンカツと温かい手


 両親の介護も、いよいよ大詰めに入ったようであります。
 正月明けにオフクロが、また入院しました。

 以前は、脳梗塞、脳出血と病気のためでしたが、今回は事情が違います。
 老衰です。
 まったくもって、食事を摂らなくなってしまったのです。
 水すら受け付けなくなってしまったため、急きょ、入院させることにしました。

 オフクロは昭和2年生まれの90歳です。
 若い頃から “病気のデパート” と揶揄されるほど、病弱な人でした。
 それが60歳を過ぎてから健康を取り戻し、登山や俳句、合唱など趣味を謳歌するほど元気になりました。

 「こんなに長生きするとは思わなかった」
 とは、僕ら子どもたちならず、本人さえも口にする言葉です。
 でも、そろそろ限界のようです。


 昨日、オヤジを連れて、面会に行ってきました。

 オヤジは大正13年生まれの93歳です。
 もう、10年以上も認知症を患っています。
 現在、記憶は1分と持ちません。

 でも、健康だけは取り柄で、足腰が丈夫だったんですけどね。
 ついに、それも限界が来たようです。
 杖をついての一人歩行が困難になり、ついに、車イスに乗っての “夫婦対面” となりました。


 「ばあちゃん、ジュンだけど。分かるかい?」
 「ああ、来てくれたんかい。ありがとね」
 「思ったより元気そうで安心したよ」
 「せっかく来たんだから、トンカツでも食べていきな」
 「トンカツ?」
 「……」
 「なんだい、トンカツっていうのは?」
 「ふふ、ふふふふっ。きっと夢だね。ふふっ」

 一日中、点滴だけで、寝ているからでしょうか。
 夢とも、うつつとも、判断がつかないようです。

 「じいさん、連れて来たよ」
 「おとうさんが来たの!? どこ?」

 「ほら、じいさん。ばあちゃんだよ」
 と、僕はオヤジの手を、オフクロの手に重ねてやりました。

 「あったかい手だな。誰の手だい?」
 「H(オフクロの名前)だよ。あなたの奥さんですよ」
 「……、ふ~ん」
 「会えて、良かったね」
 「……」


 ベッド脇のタンスに、持って来た着替えを納め、帰ろうとしたときです。

 「また来るからね」
 と、オフクロに声をかけると、思わぬ言葉が返ってきました。
 「もう、おとうさんは、連れて来なくていいよ」
 「なんでさ? あんなに会いたがっていたじゃないか?」
 すると、オフクロは、
 「だって、分からないんだもの」
 とだけつぶやき、目をつむってしまいました。


 「さっ、帰るよ」
 「どこへ帰るんだい?」
 「家だよ」
 「じゃあ、ここはどこだい?」
 「病院だよ」
 「なんで病院にいるんだい?」

 また、いつもの堂々巡りの会話が始まりました。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:56Comments(5)つれづれ

2018年01月27日

鬼の道 素通り


 実家の近くに、小さな児童公園があります。
 昔は、もっと遊具もたくさんあって、いつも子どもたちの喚声が聞こえてたんですけどね。
 老朽化と少子化のせいで、まるで昭和の忘れ物のように、ひっそりとたたずんでいます。
 今は古びたブランコと、ピラミッドのようなコンクリートの山と、小さな滑り台があるだけ。
 町内の夏祭り以外は、いつ前の道を通っても、滅多に人影を見ることがありません。

 小学生のときは、同級生とオニゴッコやカンケリをして遊んだ公園です。
 中学時代は、学校帰りに買い食いをした場所でした。
 高校生になってからは、入口にあった公衆電話に、お世話になったものでした。
 大人になってからは、世代交代して、うちの子どもたちの遊び場となりました。

 そんな思い出深い公園なのです。


 先日、近くを通った時に、なつかしくなり、ぶらっと寄ってみました。
 平日の午後でしたが、人っ子一人いません。
 公園の真ん中に立ち、グルリと見回したときでした。

 「あれ、なんだ?」

 公衆トイレの脇に、無造作に積まれている物があります。
 よく見ると、マンホールのフタような丸い、大小いくつものコンクリート盤です。

 「あっ、これ、鬼の道 素通りだ!」


 みなさんは、「鬼の道 素通り」 という遊びをしたことがありますか?

 地面に大きな円を描いて、中に十字の線を引きます。
 ジャンケンで鬼を決め、それ以外の人は、靴を片方だけ鬼に渡し、鬼はその靴を十字の中央に “宝物” として置きます。
 鬼が動ける範囲は、たてよこ十字の線だけですが、それ以外の人は、円のまわりも十字の中も自由に動けます。
 でも、すでに靴を片方取られていますから、ケンケンでしか動けません。

 鬼にタッチをされると、もう片方の靴も取られて、その人は失格となります。
 でも勇気のある人が、鬼が他の人に気をとられている隙に、“鬼の道” を通り抜けて、靴を取り返します。
 このときに発する言葉が、「鬼の道 素通り」 です。

 正しくは、「おーにのみーち すーどーり」 と抑揚をつけて歌いながら走り抜けます。

 「おーい、これは誰の靴だ?」
 「オレのオレの! サンキュー」
 「頼んだぞ!」

 靴を取り返してもらった人は、今度は両足で自由に走り回れます。
 鬼も俄然、守りが固くなります。

 こうして、すべての靴を取り返せば、鬼の負け。
 逆に、全員タッチされれば、鬼の勝ちとなります。


 無造作に積まれていたコンクリート盤は、かつて公園ににあった遊具の1つ 「鬼の道 素通り」 の残骸だったのであります。
 子どもたちが線を引くことなく、すでに円と十字に、このコンクリート盤が埋め込まれていたのです。
 今は無残にも、公園の隅に廃棄物のように積まれています。

 やっぱり、老朽化でしょうか?
 それとも、遊ぶ子どもたちが、いなくなってしまったからでしょうか?


 “子どもは風の子” なんていわれていたのは、はるか遠い昭和の時代なんですね。
 木枯らしが吹き抜ける公園に、しばらく立ちすくんでいました。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:36Comments(0)つれづれ

2018年01月15日

御用だ!! 「小暮」


 「こんなもの、高崎駅でもらっちゃった」
 義姉から手渡されたものは、A5判の小さなチラシでした。

 <御用だ!! 「小暮」>
 <懸賞金上限額 300万円>


 みなさんは、覚えていますか?
 平成10年1月14日夜、旧群馬町(現高崎市) で発生した一家3人殺人事件を!

 <事件から20年となった14日、県警はJR高崎駅でチラシやポケットティッシュを利用客らに配り、殺人容疑で指名手配されている元トラック運転手、小暮洋史(48)の情報提供を呼びかけた。>(今日の毎日新聞より)


 やっぱり、一族としては気持ちのいいものじゃありませんって。
 もちろん、親戚でもなく、縁もゆかりもない赤の他人ですけど、同姓というのは……。

 でも、それだけではないのです。
 20年前、我が家は大騒ぎになりました。
 というのも、オヤジが同姓同名だったからです。

 「おいおい、その昔は大久保清とも間違われたこともあるし、散々だな」
 とは、当時のオヤジの弁です。
 あれから20年、認知症を患った現在のオヤジにチラシを見せたら、なんと言うのでしょうか?


 好奇心が旺盛な僕とアニキは、ニヤニヤしながら、そっとオヤジにチラシを手渡しました。
 目が不自由なオヤジでも、十分読めるほどの大きな活字です。

 「ゴヨウダ、コグレ……。なんだい、これは?」
 「ここも、読んでごらんよ」
 「コグレ ヒロシ? これは俺かい?」
 「じいさん、人を殺しちまったんかい?」
 「…………、わかんない」

 もう、おかしくて、おかしくて、アニキと2人して、腹がよじれるほど笑いました。
 「かわいそうだよ、もう、やめようよ」
 「だな、罪の意識を持たれると困るものな」

 「同姓同名の人だよ。じいさんじゃないよ」
 「そーかい、それは良かった」
 と、本人も安堵したようでした。


 御用だ! 小暮!!

 一日も早い事件の解決を祈っています。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:45Comments(0)つれづれ

2018年01月12日

フラッシュバック


 またしても、高齢者ドライバーによる悲惨な事故が起きてしまいました。
 しかも、僕が住んでいる前橋市内で!
 しかも、しかも! 被害者の女子高生は、次女の友人でした。


 「交通事故」 「高校生」
 この二文字に、僕の体は過敏に反応します。
 目にした途端、全身を鳥肌が覆い、寒気が走り抜けます。
 PTSD (心的外傷後ストレス障害) っていうやつですかね?
 あの日の光景が、フラッシュバックするのです。

 もう9年前のことですが、長男が高校生の時に交通事故に遭いました。
 今回の女子高生と同じ、朝の通学途中でした。
 自転車は “くの字型” に曲がり、相手の車のフロントガラスは割れ、ボンネットは陥没していました。
 ※(詳細は、当ブログの2017年3月6日 「通れない道」 参照)

 <高校生、はねられ重傷>
 翌日の新聞記事の見出しです。

 「運が良かっただけです。打ち所が悪ければ死んでいましたよ」
 現場検証に立ち会ったときの警官の言葉が忘れられません。


 でも今回の事故では、被害者の女子高生2人は、<頭などを強く打ち意識不明の重体> だといいます。
 3日経った現在も、まだ意識はもどっていません。
 見守る家族の心中を察すると、胸が苦しくなります。
 どうか、一日も早く意識がもどり、快復に向かい、家族を安心させてあげてください。
 ただただ、祈るばかりです。


 それにしても、加害者のドライバーは85歳という超高齢者です。
 すでに兆候があり、物損事故をくり返していたといいます。
 なぜ家族は、もっと強く、もっと早く、制することができなかったのでしょうか?

 実は僕とアニキは、オヤジが満80歳の時に、強制的に運転免許を取り上げました。
 だって、兆候があったからです。
 一時停止を止まらずに、バイクと衝突事故を起こしたからです。

 本人は、「まだ大丈夫だ」 と駄々をこねましたが、僕らの判断は間違っていなかったと思います。
 子としては、80歳を過ぎた親を刑務所へ送るわけにはいきませんからね。


 どうか、高齢者と暮らす家族のみなさん。
 強い意志を持って、免許の返納を強制的に行ってください。
 それが、悲しい事故を1件でも減らす近道です。

 お願いします。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:15Comments(2)つれづれ