2024年03月19日
What's your name?
トン、トン
夜遅く、ドアを叩く音がしました。
こんな時間に、僕の部屋にやって来る人は、一人しかいません。
次女です。
「お入り。帰ってきてたのか?」
「おとう、元気だった!?」
と、いつものように元気いっぱいの娘が登場。
手には、何か箱を持っています。
「沖縄、行ってきた。はい、これ、お土産」
次女は2年前から家を出て、県外で一人暮らしをしています。
休みが取れたので、友だちと遊びに行ってきたようです。
そして、また休みが取れたので、ぷらりと実家に帰ってきたようです。
いつもなら、これだけで部屋を出て行くのですが、今回は、おかしなことを訊いてきました。
「あのさ、私の名前は、なんでSって付けたんだっけ?」
「なんで、また?」
「うん、ちゃんと知りたくなって」
娘の名前は、漢字1字で 「S」。
仮名では、2文字。
「患者さんに、『昭和っぽい名前ね』 って言われた」
娘は、看護師です。
確かに、言われてみれば、平成~令和のキラキラネームではありません。
どちらかと言えば、古風な名前です。
頭に 「お」 を付けると、時代劇に出て来そうな名前でもあります。
でも、本人は気に入っているようです。
「同じ名前の人に会ったことあるか?」
「ない」
「だろう! とっておきの名前を付けてやったんだ」
ということで、漢和辞典を引っ張り出してきて、漢字の意味を詳しく伝えてやりました。
「へえ、そうだったんだ」
と、納得した様子で、部屋を出て行きました。
その昔、僕もオヤジに、名前の由来を訊いたことがありました。
でも、返ってきた言葉にガッカリした記憶があります。
「なんとなく、響きがいいから」
だから、ついでに自分の名前も漢和辞典で引いてみました。
【淳】 ジュン
水をめぐらしそそぐ意。借りて 「あつい」、すなおの意。
人情に厚く、真心がある。
ありのままで、飾り気がない。
そんな意味もありました。
「名は体を表す」 ともいいます。
名に恥じぬよう、これからも生きて行こうと思います。
What's your name?
2024年03月17日
とんとんとんからり
「あれって 『なか卯』 ですよね!?」
「さっそく 『なか卯』 へ行ってきました」
あの時、ブログを読んだ人たちから声をかけられました。
何のことかって?
ええ、うどん派の僕が、足しげく通った 「鴨そば」 の話です。
(2024年1月14日 「鴨が葱を背負って来た!」 参照)
別に 「なか卯」 の回し者でも、熱烈なファンというわけではないんですけどね。
たまたま、あの味が僕の口と合ったということです。
それと、我が家から一番近い外食チェーンだというだけです。
なので今でも、ときどき小腹がすくと、仕事の手を休めて、サクサクッと食べに行きます。
その手軽さが気に入っています。
「鴨そば」 は、期間限定メニューなので、すでに販売は終了しています。
が、新メニューが登場しました!
まず、その意表を突くネーミングに惹かれました。
「豚から丼」
(とんからどん) と読むそうです。
リズミカルで、いいですね。
「鶏から丼」 もありますが、こちらは想像が付きます。
でも、「豚から丼」 ですよ!?
豚肉の唐揚げの丼物なんて……
奇をてらってるだけじゃないの?
と、怖いもの見たさの好奇心から注文してみました。
まずは、見た目で 「おっ!」 とビックリ。
完全に、親子丼であります。
でも豚肉ですからね、親子ではありません。
完全に、他人です。
で、ふわふわ卵の中から、箸で豚肉をつまみ上げました。
「おおっ!」 っと、二度ビックリ。
鶏のから揚げのような肉のかたまりが出てくると思いきや、意表をついて、ペラッとしています。
カリッと揚げた豚バラ肉のスライスです。
これにブラックペッパーの風味が加わり、とじた卵の甘みと相まって、ごはんが進みます。
「う~ん、いけずぅ~」
と年甲斐もなく、まる子語を発してしまいましたとさ。
そんな話をしていたら、小腹がすいてきましたよ。
時計を見れば、もう昼じゃありませんか!?
♪ とんとんとんからりと豚から丼 ♪
(古い!)
なんて口ずさみなから、切りのいいところで出かけましょうかね。
2024年03月13日
「膕」 の相棒
たびたび、このブログでも紹介してきた 「膕」。
読者のみなさんは、もう読めますよね。
「月」 に 「國」 と書いて、「ひかがみ」 と読みます。
膝(ひざ)の裏のくぼんだ箇所の呼称です。
僕は、この部位が好きで、“ひかがみフェチ” であることを告白し続けています。
興味がある方は、下記のブログを検索してみてください。
●「膕」 の誘惑 2023年11月10日
●「膕」 の逆襲 2023年11月20日
●「膕」 の呪縛 2024年1月9日
昨年11月の掲載以降、読者から大変反響がありました。
「知らなかった」 「そんな呼び名があったんだ」 「漢字が難しい」 という声にまざって、こんな意見が寄せられました。
「では、肘(ひじ)の裏側は、なんて言うんですか?」
ですね!
僕も、うっかりしていました。
興味がないものだから、考えたこともありませんでした。
だって、肘の裏側なんて見ても、なんも感じないもの(笑)。
さて、なんと呼ぶのでしょうか?
さっそく、調べてみました。
「肘窩(ちゅうか)」 です!
えっ、なんだよそれ!って思いませんか?
肘窩の窩は、「あな、くぼみ」 という意味です。
そのままではないですか!
ちょっと納得がいきません。
だったら 「膕」 だって、別名 「膝窩(しっか)」 という呼び名がありますもの。
ちなみに、脇の下は 「腋窩(えきか)」 といいます。
それに比べて 「膕」 は、いいですね。
文学的で美しい!
肘の裏側は、 「膕」 の相棒です。
「肘窩」 なんていう医学的専門用語ではなく、「膕」 のように漢字一字で表現してもらいたいものです。
もし 「肘窩」 の文学的呼称を知っている人がいたら、教えてください。
2024年03月07日
カメの恩返し
友人から、こんなメールが届きました。
<伊豆へ行ってきました。無事にカメちゃんたちを届けました。若干感傷的になったけど、狭い水槽から広い世界へ彼らが行けて良かった。>
ブログを読んでいる読者なら、何のことか分かりますよね。
先日アップした、大きくなってしまったミドリガメの話の続報です。
(2024年3月5日 「カメとの別れ」 参照)
このメールが届いたとき、僕の妄想が始まりました。
昔々、令和の世のこと。
あるところに、心優しい一家が暮らしていました。
主人は町はずれで、小さいな工場を営んでいました。
ある夜のこと、工場の戸を叩く音がしました。
コツン、コツン、コツン
「こんな夜遅くに、誰だろう?」
主人が戸を開けると、外には誰も居ません。
「なんだ、気のせいだったのか……」
と、戸を閉めようとした時です。
「私です。ご主人さま」
蚊の鳴くような小さな声がしました。
足元を見て、ビックリしました。
そこには緑色をした大きなカメがいたのです。
「ご主人さま、お懐かしゅうございます」
「あ、お前は!?」
「はい、長年、飼っていただいたミドリガメでございます」
カメは涙を流しています。
つられて主人も涙を流し、カメに抱き着きました。
「おお、元気だったのか! 今日は、どうして、ここに?」
「はい、お迎えに上がりました」
「この私をかい?」
「はい、お連れしたいところがあります。さあ、私の背中にお乗りください」
と言うと、カメはクルリと向きを換えました。
ノッソ、ノッソ、ノッソ……
カメは歩き出しました。
「えっ、このスピードなの? 空を飛んだりしないの?」
「はい、私はカメですから、歩みは遅いのです」
ノッソ、ノッソ、ノッソ……
しばらく行くと、前方に横たわる白い生き物がいます。
よく見ると、ウサギです。
「ウサギさん、お先に失礼しますよ」
カメは、そう言うと、寝ているウサギを横目に、ゆっくりと追い越しました。
やがてカメは、こんもりとした竹林の中へ入って行きました。
「ご主人さま、着きましたよ」
「着いたよって、ここは竹林の中じゃないか? てっきり私は、海の中の竜宮城へ連れて行ってくれるのかと思ったよ」
「いえいえ、私はウミガメじゃありませんので、泳げません」
「で、ここは、どこなんだね?」
暗闇の中でカメから降りると主人は、あたりを見渡しました。
遠くの方に、ぼんやりと明かりが見えます。
「あそこです。ご案内いたします」
「ん? いったい、ここは、どこなんだい?」
「はい、スズメのお宿です」
「スズメのお宿? 私はスズメなんて、助けてはいないよ」
するとカメは、言いました。
「難しいことは考えないでください。これは、おとぎ話です」
そう言って、宿の中へ入って行きました。
「ようこそ、ご主人さま~!」
色とりどりに化粧をしたスズメたちに出迎えられました。
「どうぞ、日頃のうっぷんを晴らして行ってくださいませ」
そう言うとスズメたちは、料理を運び、踊りを披露しました。
「これは、たまげたね。こんなところに、こんな店があるなんて!」
「ご主人さま、ここは、お店ではありませんよ。私が今日のために、ご主人さまだけに用意をしたパラダイスででございます。どうぞ、ゆっくり楽しんでいってくださいませ」
おいしい料理とお酒を呑んだ主人は、上機嫌です。
「なあ、カメよ。なんで、お前は私に、ここまでしてくれるのかい?」
カメは言いました。
「ほんの恩返しでございます」
「恩返し?」
「はい、私は、ご主人さま一家のおかげで、広い世界へ行くことができました。ありがとうございます。その恩返しでございます」
するとスズメたちが、主人の前に大きな箱と小さな箱を2つ持ってきました。
「これは、なんだい?」
「はい、私からのプレゼントです」
「でも2つあるね?」
「はい、大きなツヅラと小さなツヅラ、どちらにいたしますか?」
カメが言うと、主人は即答しました。
「こんな大きなのは持てないよ。私は小さいツヅラで十分だ」
「そう言うと思いましたよ、ご主人さまは。欲がないお方ですからね。真面目で正直者で、一生懸命に家族のために働いて、人が良くて、だまされてばかり。それでも困っている人がいると、自分のことは後にして、面倒を見てしまう、お人よし。でも、そこが、ご主人さまのいいところなんでよね。私は、そんなご主人さまに育ててもらって、大変幸せ者でした。どうぞ、小さいツヅラをお持ちください。あらかじめ小さい方に大金を詰めておきましたから」
その後、主人の工場は建て替えられて、あれよあれよのうちに大会社の社長になったとさ。
おしまい。
Mさん、そうなるといいですね。
2024年03月05日
カメとの別れ
昔、といっても小学生の頃ですから50年以上も昔のこと。
昭和40年代の話です。
放課後、小学校の正門を出ると、ときどき物売りのおじさんがいました。
教材や文房具を売る人は、きちんとした身なりをしていましたが、なかには怪しいおじさんもいました。
おもちゃや手品もあれば、ヒヨコやウサギなどの小動物を売っている人もいました。
子どもたち、特に男の子に人気だったのがカメです。
小さなゼニガメ (クサガメやイシガメの幼体) 。
いくらだったかは忘れましたが、僕も飼っていた記憶があります。
でも、一番欲しかったカメは、ミドリガメでした。
たぶん高かったんでしょうね。
クラスでも飼っている子は、いませんでしたから。
誰もが、一度は飼ってみたい夢のカメだったのです。
ところが!
雑誌の懸賞に応募をしたら、なんと!
見事に当選しました!
どうやってミドリガメが届いたと思いますか?
郵送でした。
それも封筒に入ってました。
しかもスポンジの間に、はさまっていました。
でも、生きていたんですね。
うれしくてうれしくて、一日中、眺めていた思い出があります。
ただ、そのカメが、その後どうなったかは記憶にありません。
たぶん死んでしまったんでしょうね。
あの可愛いミドリガメが、実はアメリカ原産のミシシッピアカミミガメだと知ったのは、大人になってからでした。
ミドリガメは、その子どもだったんですね。
大きくなると体長25cm以上にもなるといいます。
カメは長生きですから、飼えなくなって放たれてしまったミシシッピアカミミガメが、いま全国の池や沼で繁殖して問題になっています。
現在は特定外来生物に指定されているので、むやみに捨てることは禁止されています。
「今度、家族で伊豆へ行くことになった」
友人との雑談中でした。
「旅行?」
「うん、旅行を兼ねてだけど、カメを届けに行くんだ」
「カメ?」
「ああ、ミドリガメ2匹。20年も飼っていたんだけど、大きくなり過ぎちゃって」
なんでも友人は、ネットでカメを引き取ってくれる動物園を探し出したらしい。
どうせなら家族全員で、お見送りをしようということになったようです。
「息子がさ、今になって別れたくないなんて言い出すんだよ」
息子さんは、すでに社会人です。
「そしたらね、女房が言うわけよ。あんたは、一度もカメの世話をしてないじゃない!って(笑)」
なんとも、ほのぼのとした家族であります。
でも息子さんの気持ち、分かります。
世話はしていなくても、カメだって家族の一員だったんですものね。
春は別れの季節です。
いろいろな別れがありそうですね。
2024年03月03日
馬から落馬して骨を骨折したことを後で後悔する
某新聞社が主催した読者交流会でのこと。
若い記者が壇上に立つと、スクリーンには今年1月1日に発生した地震被災地の写真が映し出されました。
そして第一声、こう話し出しました。
「元旦に発生した能登半島地震では……」
ん?
一瞬、聴き間違えかと思いました。
だって、地震が発生したのは、確か元日の午後4時過ぎです。
だったら “元旦” は間違えです。
「元日」 は1月1日のことですが、「元旦」 の 「旦」 は朝、夜明けの意味ですから、元日の朝または午前中を指す言葉です。
新聞記者が間違えるわけがありません。
きっと、言い間違えたんだろうと思っていたら、
「元旦の夜には、取材に向かいました」
と、くり返しました。
彼は完全に、元日と元旦を同義語として使っているようです。
きっと聴いている人の中には、僕以外にも違和感を覚えた人がいたと思います。
“元旦の夜” は、存在しないのですから……。
つくづく、日本語は難しいと思います。
たとえば重複語。
重ね言葉、二重表現などともいいます。
前例になぞれば、「元旦の朝」 が重複語です。
同じ意味の言葉を重ねる表現です。
有名な表現では、「馬から落馬する」 「骨を骨折する」 「後で後悔する」 などがありますが、さすがに重複していることには気づきます。
では、この表現は、どうですか?
「一番最初」 「ダントツ1位」 「まず第一」 「一番ベスト」 ……
ついつい使ってしまいますが、よくよく考えてみれば、同じ意味の言葉が重複しています。
僕も知らず知らずのうちに話し言葉では使ってしまっていますが、文章を書く場合は注意するようにしています。
では、まだまだ寒い日が続きますので、お体をご自愛ください。
(これも重複語で誤りです)
2024年02月25日
数字じゃないのよ人生は
また今年も、じっと手を見てしまいました。
フリーランスおよび個人事業主のみなさん、確定申告は済みましたか?
僕は昨日、無事に終えました。
だから、こうして、じっと手を見ているのです。
啄木の心境であります。
確定申告は、年に一度手渡される 「大人の通知表」 です。
しかも、その評価は、自分で行います。
「去年は、頑張ったよな」
と毎年思うのですが、電卓を叩いているうちに段々と気が滅入ってしまいました。
「えっ、もっと収入なかったっけ?」
帳簿を見ても、通帳を見ても、無い袖からは1円も出てきません。
結局、例年同様の収入しかありませんでした。
“働けど働けどなお、我が生活(くらし)楽にならざり。ぢっと手を見る。”
でもね、とっても楽しい一年でしたよ。
だから通知表の成績はオール3でも、備考欄には、こう記しまた。
<同級生は定年退職して悠々自適な生活をしているけど、いじけることなく夢をあきらめずに、よく頑張りましたね>
って。
自分へのメッセージを添えて。
生きてるだけで、丸儲け!
まだまだ、走り続けるぞ!
♪ 数字じゃないのよ人生は ホッホー ♪
2024年02月20日
090 が怖い
たとえば、昨年の10月。
僕が出演したフジテレビ 『ホンマでっか!TV』 のオンエア終了直後のこと。
すぐにケータイ電話が鳴りました。
テレビを観てくれた親しい友人が、さっそく電話をくれたのだと思いました。
ところが、表示を見ると……
090-××××-××××
登録のない電話番号です。
恐る恐る電話に出ると……
「Kです」
と、男性の声で名字だけを名乗りました。
“K” という名字は、ありふれた名字で、パッと思いつく知り合いだけでも2~3人はいます。
でも、その誰とも声が違います。
「どちらのKさんでしょうか?」
訊ねると、声の主は、こう言いました。
「同級生のKです」
といって、中学校の名を告げました。
K君、K君……、えーと、K君……
「あっ、K君ね」
おほろげながら、やっと思い出しました。
クラスでも目立たない、おとなしい男子でした。
ただ運動神経が良くて、スポーツができた子だということだけは覚えています。
「小暮君、今、テレビ観たよ。すごいね!」
電話の内容は、それだけだったのですが、なんで僕の電話番号が、とっさに調べられたのでしょうか?
「ああ、ありがとう。で、なんで、この番号を知ってるの?」
思わず、訊いてしまいました。
すると……
10数年前のクラス会の時に、名刺交換をしたというのです。
でも、こっちは、そんなことは記憶にありませんから、ただただ驚くばかりでした。
先日、またしても登録なしの電話がかかってきました。
090-××××-××××
電話に出ると、やはり声の主は男性でした。
「Hです」
今回は、まったく知り合いの中にはいない名字でした。
「どちらのHさんでしょうか?」
「○○中学で一緒だったHです」
と言われても、記憶の中のクラスメートには、H君という人はいません。
「H君?」
「ええ、△組のHです」
なんだって!
同じクラスじゃねーのかよ!
それじゃー、分からんて!
(僕らの中学校は当時、1学年10クラスもあったのですから)
それでも僕は、記憶をたどりながらH君という人物を頭の中で追い求めていました。
「小暮君、読んだよ! 昨日の新聞」
彼は、読売新聞に連載が始まった僕のコラムを読んでくれたようであります。
「前から小暮君のことは知ってたけどさ、顔写真付きで、すごいよね!」
あっ、思い出しました!
H君のこと。
中学時代はクラスも違うため、一度も口をきいたことはありませんでしたが、20年ほど前に、さる会合で同席した人です。
そのとき、たまたま同じ中学校の出で、しかも同学年だということで、名刺交換をした人でした。
でも、ごめんなさい。
忘れていました。
本当は、うれしいんですよ。
そうやって、昔の同級生や同窓生たちが、僕のことを思い出して電話してくれること。
でもね、突然、090 で始まる未登録の電話番号が表示されて、知らない人の声が聞こえてくると、ドキッとしてしまうんです。
できたら最初は、メールか手紙で連絡してくれませんか?
それから親しくなったら、電話でお話ししましょう。
2024年02月19日
じっさんずラブ?
なんだか最近、人生の “モテ期” に入ったようです。
ラブコールが止まりません。
といっても異性からではありません。
すべて男性からのラブコールです。
「いつもブログ、読んでます」
「小暮さんの本は全部持ってます」
「サインください」
「一緒に写真を撮ってもらえますか?」
講演やイベントに来てくださる読者のほとんどは、中年以上の男性です。
我が人生で、ここまで同性からモテた時期はありませんでした。
しかも、その年齢は年々、上がっています。
まあ、僕自身が歳をとるわけですから、読者層も上がっていくのは自然なことなんですけどね。
それにしても高齢化が進んでいます。
「小暮さんとは、もっと早く若い頃に知り合いたかったな」
なんて言う殺し文句を、60代後半の男性から言われたこともあります。
そして、ついに、ラブレターをもらいました!
名も知らない70代の男性からです。
以前、イベント会場に現れ、しつこく僕の誕生日を聞き出した老人です。
何のために、誕生日なんて聞くんだろう?
と、その時は思ったのですが、すでに忘れていました。
1カ月後の昨日、イベント会場へ行くとスタッフから1枚のクリアファイルを手渡されました。
「ほら、先月来た、あのじいさんからだよ。 『小暮さんに渡してほしい』 って、置いて行ったよ」
中には、便せんとプリントが入っていました。
便せんには、手書きで、こう書かれています。
<8月8日>
僕の誕生日です。
<誕生日の花 アオイ科 トロロアオイ>
<花言葉 知られぬ恋>
なななななな、なんですとーーーー!!!
し、し、し、“知られぬ恋” だ~!
これじゃ、“じっさんずラブ” じゃねえかよ~!
恐る恐る、便せんをめくり、プリントに目を通しました。
<8月8日>
<楽天的で前向き、人に親切な幸せ上手>
とあります。
今度は、誕生日占いです。
<自分に嘘がつけない、堂々と大手を振って歩く存在。>
<偉大なる意志を貫けば、闇さえも照らす楽園が待っている。>
かなり、ほめちぎっています。
さらに、ヨイショは続きます。
<あなたの人生は、徹底的なポジティブ・シンキングが強み。>
<ある程度の年齢になると、ますますポジティブ思考に磨きがかかり、物事のよい面を捉えるのが非常に得意となる。>
<常にぬくもりややさしさを感じ、生活を感動で満たしていくのが、あなたの一生です。>
ひぇ~、いいこと尽くめじゃないですか!?
でも、当たっている部分も多くあります。
「ある程度の年齢になる……」 というのは、ズバリ50代以降の人生を示唆しています。
まあ、脅迫文をもらったわけではないので、ありがたく頂戴することにしました。
どこの誰かは知りませんが、熱烈なお気持ちをありがとうございます。
この先、“じっさんずラブ” に発展しないことを願います。
2024年02月16日
トイレの怪
あれは2週間ほど前の寒い夜のこと。
仕事帰りに、晩酌のつまみを買おうと、家の近くのスーパーマーケットに寄りました。
店内に入った途端、不覚にも便意をもよおしてしまい、トイレに駆け込みました。
異変を感じたのは、個室に入った時でした。
シャーシャーシャー………
“音姫” って言うんでしたっけ?
便座に座ると、自動的に水が流れるような擬音が聞こえてきました。
シャーシャーシャー………
ジッと便座に腰かけ、排泄の準備をしていると、流水音に違和感を覚え出しました。
シャーシャーシャー………
✕✕✕✕✕✕………
シャーシャーシャー………
✕✕✕✕✕✕………
流水音の合間に、くぐもった男性の声のようなものが聞こえます。
イ✕ナ✕コ✕………
耳を凝らして聞いていると、あっ!と驚きました。
はっきりと聞こえます。
その男性の声は、こう言っているのです。
イワナイコト
「言わないこと」
いったい何のことでしょうか?
僕が、何を見たというのでしょうか?
もし、何かを忠告しているのであるとすれば、この店で起きたことだろうと思います。
でも僕は、駐車場に車を停め、入口でカゴを手に取り、店内を半周ほど歩いたところで、便意をもよおしています。
まだカゴに商品は入っていなかったので、いったんカゴは元の場所にもどし、トイレへと向かいました。
その間に僕は、何か見てはいけないものを見てしまったのですか?
シャーシャーシャー………
イワナイコト………
シャーシャーシャー………
イワナイコト………
排泄を完了し、便座から腰を上げると、やがて流水音とともに男性の声も止みました。
「言わないこと」 とは、いったい何のことだったんでしょう?
あっ、しまった!
もしかして、この出来事自体ですか?
言うなと言われていたのに、うっかり、このブログで言ってしまいました!
もしも明日以降、このブログが更新されなかったら、僕に何かが起こったと思ってください。
2024年02月07日
100キロの壁
「人生には3つの “坂” があります」
とは、結婚披露宴での定番スピーチです。
“上り坂” と “下り坂”
それと “まさか” という坂があるということです。
確かに、人生には稀に “まさか” という坂が現れます。
先月、能登半島を襲った大地震なども “まさか” の出来事でした。
“まさか” とは、一般には事故や災害などの予測不可能な出来事のことをいいます。
なのに……
最近、体重が100キロを超えた友人がいます。
彼いわく、
「まさか、100キロを超えるとは思わなかった」
えっ、それって、“まさか” の使い方を間違ってない?
予測不可能な出来事じゃないじゃん?
以前から肥満体系の彼に、「予測できなかったの?」 と訊ねると、
「だって、人間って、100キロを超えないと思っていたから」
との返事。
なんだ、それ?
何の根拠から、そんな自分勝手な論理を組み立てたのでしょうか?
彼の言い分は、こうです。
お相撲さんなどの特殊な職業の人は別として、日々、普通に暮らしている人は、人間の肉体構造学上、100キロは超えないと思っていたらしいのです。
たとえ、怠惰な生活を続けたとしても……
ところが、このたび、めでたくも、ついに人生初の100キロの大台に乗ってしまいました。
“まさか” の使い方は、人によって程度の差があるようです。
予期せぬことは、誰の人生にでも起こり得ることです。
ちなみに、最近僕に起こった “まさか” は、やっぱり昨年のフジテレビ 『ホンマでっか!TV』 の出演ですかね。
突然、番組のディレクターから電話で依頼が来たときは、“まさか” と思いました。
ま、いい事なので、こんな “まさか” なら、いつでも歓迎であります。
さて、100キロを超えた友人ですが、現在、猛ダイエット中であります。
すでに、100キロは割ったとの連絡がありました。
めでたし、めでたし。
でも、油断は大敵ですぞ!
いつなんどき、“まさか” が襲って来るかもしれません。
ご自愛、くだされ。
2024年02月06日
アウトプットしてますか?
僕がスマホを持っていないからかもしれませんが、前々から気になることがあります。
会話の途中で、知らない言葉や思い出せない事柄があると、すぐに検索する人って、いますよね。
あれって、必要でしょうか?
“知る” ことは、とっても大切なことなんですが、その前に、考えること、思い出そうとすることが大事なのでは?
と思ってしまいます。
簡単に手に入れた情報は、身に着かずに、また同じことを繰り返すのではないでしょうか?
先日、講演会に行ってきました。
講師は、テレビでもお馴染みの明治大教授の斎藤孝さん。
演題は、「これからの時代に求められる日本語力」。
ユーモアあふれる講話を、たっぷりと聴いてきました。
印象に残ったのが、「アウトプット」 についての話でした。
脳を活性化させるには、インプット (入力) するだけではダメだということ。
アウトプット (出力) して、初めて自分のものになると。
「アウトプット中心の生活をしてほしい」
と斎藤さんは言います。
「見る」 「聞く」 「読む」 は、すべてインプットです。
テレビや映画を観る、音楽を聴く、本を読む……
この時点で満足してしまうと、その情報は、まだ知識にはなっていません。
この体験や経験を、「話す」 「書く」 ことにより、脳は覚えるんだそうです。
それを聞いて、「ほほう!」 と納得。
僕の仕事って、インプットとアウトプットのくり返し作業だったのです。
取材先で、「見て」 「聞いた」 ことを、資料を 「読み」 調べ、「書いて」 文章にまとめます。
さらに、講演やセミナーで人に 「話し」 ます。
知らず知らずのうちに、実践していました。
で話は、冒頭の件にもどります。
スマホでの検索は、一時的に脳が知ったつもりになっている可能性があります。
インプットしたら、忘れずにアウトプットを!
認知症の予防にもなると思います。
2024年01月30日
「いいちこ」 の夢
「なあ、K、今年の夏休みだけどさ」
「うん」
「部活動、忙しいの?」
「なんで?」
僕には中学生の男の子の孫がいます。
K君です。
男の子の孫にしては、祖父である僕に、なついています。
この日も、僕が活動するイベント会場に家族でやってきました。
「ジイと、旅しないか?」
「えっ、ジイジと2人で?」
「そう、男同士の二人旅」
一瞬にして、Kは満面の笑みに包まれました。
「それって、泊まり?」
「もちろん」
「やったー! 温泉も入る?」
「もちろん」
「スッゲー! やったー!」
本人はOKのようですが、こればかりは2人だけで決めるわけにはいきません。
親の許可が必要です。
いつもは一人で僕に会いに来ているKですが、今日は両親連れです。
だから、あえて僕は、この日を選んで提案したのでした。
「ということだけど、今年の夏休みに、Kを借りでもいいかね?」
母親である我が娘に、訊いてみました。
すると、二つ返事で、
「どうぞ、どうぞ! 何日でも」
と、その場で承諾をもらいました。
“爺と孫の二人旅” 決定!
ところが、娘いわく、
「でもKは、すでに反抗期に入ってるからね。大変だよ」
「大丈夫だよな、K! ジイの言うことは効くものな?」
「うん」
すると、またしても娘いわく、
「誰に似たんだか!? 外面だけは、いいんだから」
その言葉に、一緒にいた婿までもが大笑い。
「えっ、誰にって、誰?」
も、も、もしかして、僕のことですか?
でも娘は、こんなことも言ってくれました。
「よかったね、K。ずーと言ってたものね。いつかジイジと温泉に行きたいって!」
実は僕、そのことは知っていました。
でもKは当時、まだ小学生だったのです。
その頃に行っても、ただの家族旅行に終わってしまいます。
思い出にはなるかもしれないけれど、僕は孫と、もっと絆になるような旅がしたかったのです。
「ありがとう。その晩は“いいちこ” を呑むよ」
と娘に、お礼を言いました。
「いいちこ」 は、死んだオヤジが晩酌に呑んでいた焼酎です。
娘は子どもの頃、実家へ連れて行くと、いつも、その光景をみていました。
だから今でも娘は墓前に、「いいちこ」 のワンカップを供えています。
「だね、おじいちゃんも喜ぶよね」
「ああ、“いいちこ” を呑みながら、Kに曾祖父(オヤジ)の思い出話をしてやろうと思うんだ」
思えば、かなり遠くへ来たもんです。
まさか、こんな日が来るなんて……
20歳の頃には、思いもよらなかった未来です。
2024年01月27日
老いは若さに優る
「覚えているかな?」
「最後のライブから、だいぶ経っているからな」
「一度集まって、音合わせないか?」
ということで今週、バンドのメンバー4人が集まりました。
バンドとは、長年、僕がボーカルをつとめているオヤジバンドのこと。
「じゅん&クァ・パラダイス」 といいます。
近々、久々にライブをするため、急きょ、招集がかかりました。
(ライブ日程については、昨日のブログをご覧ください)
メンバーの平均年齢は、61.5歳。
正真正銘の “オヤジバンド” です。
いえいえ、結成から20年近くが経ち、すでに “ジジイバンド” の域に入ってきました。
僕らは、とっても仲がいいんです。
遊びだけでなく、仕事も一緒。
というのも同じ業界ですから、話も合うし、価値観も同じ。
だから仕事と遊びが、ごっちゃになって、ときどき仕事なのか、遊びなのか、分からないまま会っている時も多々あります。
最年少のKちゃんとですら、もう20年以上の付き合いになります。
ギターのKさんとは、仕事で知り合って、かれこれ30年です。
さらに “陰のバンマス” ことベースのS君にいたっては、小学1年生からの付き合いですから半世紀以上。
来年で、竹馬の友歴60年になります。
だもの、会えば、阿吽の呼吸で、すぐに話が盛り上がります。
盛り上がり過ぎて、一向にバンドの練習が始まりません。
最近の話のテーマは、寄る年波の御多分に漏れず、体の不調話です。
「よく足がつる」 とか 「血圧が高い」 とか 「結石が出た」 とか 「便秘に苦しんでる」 とか……
オジサンは年を重ねると、オバサン化するのですね。
体の不調話が止まりません。
でも誰一人、大病をした者はおらず、笑い話程度なのが、いいですね。
「そろそろ、やる?」
と、僕が口火を切ったのは、お茶を飲み出して1時間後のこと。
ところが、いざ全員、楽器を持つと、途端、熟年ミュージャンの顔になります。
「おお、そうだった」
「思い出した」
と、1回目の音合わせは、ちょっとおぼつかないものの、2回目では完全に勘を取り戻して、全員ご満悦。
「一回、休もうか」
と、また井戸端会議が始まります。
今度は、過去のライブでのエピソードトークです。
温泉地でのハプニングや失態話で、またもやジジイたちは笑い転げます。
結局、3時間も居て、練習したのは正味30分くらいのものでした。
でもね、僕らは気づいているんです。
若い頃のように、体力や情熱は薄れたけれど、要領とコツは昔より、つかんでいること。
互いに尊重し合い、足りないところを無意識に補い合っていることを。
それは、音を出してみれば分かります。
僕はボーカルですからね。
彼らの出す音の一つ一つを聴きながら、それに声をのせているわけです。
「あ、心地よい」
という瞬間が、何度もありました。
これは、若い頃には感じなかった感覚です。
とにかく楽しいんです。
とっても嬉しいんです。
還暦過ぎても、こうやって昔の仲間と、あの頃と同じように、1つの曲を一緒に奏でていることが……
“老いは若さに優る”
そう思えた、ひと時でした。
みんな、ありがとう!
ライブ、弾けようぜ!
2024年01月23日
ドラゴンへの道
さる婦人と、新年のあいさつを交わしたときのこと。
「これ、小暮さんにあげます」
と小箱を渡されました。
見ると、“辰” の文字と、竜の絵が描かれていました。
「干支の置物ですか?」
「そう、でも石けんなのよ」
パッケージの裏側を見てみると、確かに 「花王初春石鹸」 と書かれていました。
顔に近づけると、いい香りがします。
「ありがとうございます。でも、どっちに使おう?」
「どっちって?」
「置物にするか、石けんとして使うか……」
すると婦人は、いきなり “オバチャン” に変身して、こう言いました。
「そりゃ~、これで体を洗うのよ。辰年だけに、小暮さんのも “立つ” ようにね! ハハハ~!」
と大口を開けて、バカ笑い。
いや~、久々に昭和のオバチャンの下ネタギャグを聞きました。
最近では、めっきり聞かなくなったセクハラトークです。
若い人が聞いていたら、完全に 「アウト!」 ですよね。
でも、このオバチャンは、あっけらかんとしていて、実に気持ちがいい。
下ネタには、下ネタで返すのがオッチャンの流儀です。
「いやいや、僕のは辰は辰でも、タツノオトシゴですから」
するとオバチャンもさることながら、さらにヒートアップしてきます。
「大丈夫、この石けんでゴシゴシやれば、タツノオトシゴもドラゴンになるから! 試してごらんなさいよ」
ということで、ありがたくいただいて、家に持って帰りました。
えっ、それで、竜の形をした石けんは、どうしたのかって?
ええ、とりあえず、トイレに芳香剤代わりに置いてあります。
そして時々、タツノオトシゴを横目で、にらみつけています。
「なんだソレ? ドラゴンにはなれんな」
と言いたげに……
2024年01月17日
生まれ直しの儀
昨晩は、友人の 「還暦祝いパーティー」 に出席してきました。
まさか、年下の還暦を祝うとは思いませんでした。
それにしても彼は、若々しい。
髪の毛は真っ黒だし、肌つやもいい。
本人も自分が還暦を迎えたことに、驚いている様子でした。
だって昔、還暦といえば、赤いちゃんちゃんこを着て、赤い頭巾をかぶって、上座に座っているイメージがありましたものね。
そして、座っている人は、正真正銘の老人でした。
でも今の60歳は違います。
人生100年時代の還暦は、まだまだ老人とは程遠い。
ですが、とりあえず、人生の節目であることには違いありません。
ので、彼には、赤いちゃんちゃんこならぬ、赤い靴下が贈られました。
でも、なんで、昔は 「赤いちゃんちゃんこ」 を贈ったのか?
それは還暦が、“生まれ直しの儀” だからなんですね。
生まれ直し、とは?
干支(えと)が一巡することです。
干支とは、「十干十二支(じっかんじゅうにし)」 のこと。
十干は、甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)などの10日まとまりで数える呼び名(符号)のことです。
これに子、丑、寅、卯……の十二支を組み合わせると、60通りになります。
だから、ちょうど60歳は干支が一巡して、また生まれた干支に戻ることになります。
文字通り、「暦(こよみ)が還(かえ)る」 わけです。
これを 「本卦還(ほんけがえ)り」 といい、一種の生まれ直しであると意義付けられています。
では、なぜ、赤いちゃんちゃんこなのでしょうか?
「ちゃんちゃんこ」 とは、赤ちゃんや子どもが着る袖なしの羽織のこと。
まさしく、“生まれ直し” を意味します。
そして、赤は魔除けの色です。
時代は変わりました。
それでも、人生の節目を祝う人の心は不変なのですね。
Aちゃん、おめでとう!
これからの人生も長いぞ!
よろしく!
2024年01月15日
テンで話になりません
その昔、まだ固定電話さえ普及していなかった昭和の時代。
緊急の知らせは、もっぱら電報でした。
若い人の中には、見たこともない人がいるかもしれませんね。
緊急を要するため、全文がカタカナで書かれています。
なので、読みづらい。
そこで最重要視されるのが、読点の位置です。
<オヤジシンダ>
この場合、父親の死を知らせるのであれば、読点 「、」 は、「オヤジ」 の後に打つことになります。
= <おやじ、死んだ>
ところが、「オヤ」 の後に打つと意味が変わってしまいます。
= <おや、地震だ>
僕ら文筆業に関わる者は、この読点の扱い方に細心の注意をはらいます。
さもないと、まったく異なる内容が伝わってしまうからです。
昨日の地元新聞に、目を疑う記事を見つけました。
この一文を読んで、みなさんは、どう解釈しますか?
<渋川市は能登半島の付け根にあり、大規模な断水が起きた富山県氷見市に飲料水を届けた>
ちょっと、ビックリしませんか?
渋川市が能登半島にあるのって?
群馬県民なら渋川市の位置を知っていますが、他県民が読んだら渋川市は能登半島にあると勘違いしてしまう文章です。
能登半島の付け根にあるのは氷見市ですよね!
ならば、読点の位置が違います。
正しくは、<渋川市は> の後です。
より分かりやすくするなら、<能登半島の付け根> と <富山県氷見市>」 の距離を近づけたほうがいいですね。
僕なら、こう順列を変えます。
<渋川市は、大規模な断水が起きた能登半島の付け根にある富山県氷見市に、飲料水を届けた>
いかがですか?
これで誤解は生じなくなったと思います。
今日は、まじめな話をしてしまいましたね。
ちょっと気になってしまったもので、あしからず。
2024年01月14日
鴨が葱を背負って来た!
「そば派」 か 「うどん派」 かと問われれば、完全なる 「うどん派」 です。
だって、“小麦の国の人” だもの!
たぶん群馬県民は、ほぼほぼ、うどん好きだと思います。
焼きまんじゅうに、おっきりこみ、すいとん、もんじゃ焼き……
生まれてからずーっと小麦の味に慣れ親しんでいますから、小麦の味には “うるさい” のです。
「やっぱ、ばっちゃんが、ぶった(打った) うどんが、いっちゃ、うんめー」
ということになります。
一方、生まれてこの方、“そば” に馴染みのない群馬県民は、たいがいが “そばオンチ” であります。
不味いそばは分かるけど、美味いそばは分かりません。
だから知らないそば屋に入ると、無難なうどんを注文してしまうというのも “県民あるある” だと思います。
御多分に漏れず、僕もそんな県民の代表です。
ですから年がら年中、うどんは食べていますが、そばは年に1度か2度。
だって、そばの味が分からないのだから仕方ありません。
そんな僕が、今、そばにハマっています。
それも有名そば店のそばではなく、なんと! 某外食チェーン店のそばです。
きっかけは、昨年の大晦日のこと。
昼に買い物に出たついでに、昼めしをとることにしました。
なんでもいいんです。
特別食べたいものなんてありません。
街道筋に、某外食チェーンを発見!
「ここで、いいや」
程度の選択で入りました。
入口に大きくポスターが貼られています。
“鴨そば”
「ほほう、鴨そばね。年に一度、大晦日くらい、そばを食うか」
と注文。
そして出て来た鴨そばは、イメージ通りの品でした。
カモ肉が数枚と刻みネギ、それと小さな油揚げがパラパラ……
見た目からして、そば屋のそれとは違います。
なんとなく、チープな感じ。
でも、しょうがないですよね。
そば屋で食べたら、たぶん倍の値段がすると思います。
でも、ここはリーズナブルな外食チェーン店。
しかも、そば専門ではありません。
メインは丼物です。
そばは、この時季だけの期間限定メニューなのです。
だもの期待はしていません。
が、一口すすって、驚きました。
「うまい! うそだろ?」
麺は歯ごたえがあり、しっかり汁がからんでいます。
なにより、その汁がうまい!
ちょっぴり甘めで、ダシもきいている。
「へー、この値段で、この味なら、そばという選択もありだな」
そう思いながら店を出ました。
異変は、年明けに起こりました。
無性に、あの鴨そばが食べたくなったのです。
口の中で、あの汁の味と麺の感触が、よみがえってきます。
ということで、今度は鴨そば目当てで、わざわざ店へ足を運びました。
すると!
ビックリしました!
僕以外の他の客も、鴨そばを食べているじゃありませんかーーー!!!
レジで店員に声をかけました。
「鴨そば、人気なの?」
「ええ、僕も大好きで、いつも食べてます。カモの脂がうまいですよね」
と、バイトらしきお兄さん。
「でも、これ期間限定なんでしょ?」
「そうなんですよ。残念ながら冬だけの限定メニューなんです」
「一年中、食べられるようにしてよ」
「あ、……はい」
「はい」 と言っても、このお兄さんはバイトさんです。
権限はないことは知ってますが、僕はうれしいのです。
そばオンチの僕が、「うまい」 と思ったそばを他の客らも注文していて、さらに店員までもがファンだったということ。
もしかして、このそば、本当においしいのかもしれませんよ。
そば通のみなさん、ぜひ、評価をお寄せください。
2024年01月09日
「膕」 の呪縛
正月早々、実に不謹慎な物を見てしまいました。
懺悔の値打ちもありません。
ただただ猛省しております。
今年は元日から大変な年明けとなりました。
大きな震災が列島を襲い、翌2日には航空機事故が発生しました。
僕の “不謹慎” は、2日目の事故で起こりました。
テレビのニュースで、乗客が撮影した避難時の映像が映りました。
「体を低くして、口を押さえてください」
とCA (キャビンアテンダント) の声が聞こえる中、乗客たちが床に伏せている映像です。
当然、映像はローアングルです。
冷静に行動するCAの下半身が映っています。
それも後ろ姿です。
その時です、僕の中で “不謹慎” な妄想が始まりました。
「ふくらはぎが見える。ということは、もしかすると……」
勘のいい読者ならば、もう察しが付きますよね!?
そうです、こんな緊迫した映像の中に、僕は自己中心的な “癒やし” を求めていたのです。
その “癒やし” の名は、「膕」。
これで 「ひかがみ」 と読みます。
人間の体の部位の呼称で、ひざの裏のくぼんだ所です。
※(「膕」については過去ブログの2023年11月10日「膕の誘惑」、同年11月20日「膕の逆襲」 を参照)
そう思った次の瞬間、一瞬ですが “ひかがみ” が映りました。
「おおおおおーーーーーっ!」
と雄叫びを上げた瞬間、自分の不謹慎さに気づき、自己嫌悪に陥ってしまいました。
「自分は、なんていう人間なんだ。不謹慎さにも程がある。今すぐ出家せよ!」
ってね。
許してください。
もう二度と妄想はしません(本当?)。
ただ救いは、乗客と乗員全員が無事に脱出できたことです。
でも、衝突した海保機の搭乗員が亡くなっています。
謹んでお悔やみ申し上げます。
今年は、“ひかがみ” の呪縛を解くことが、僕の最大の目標となりました。
精進します。
2024年01月08日
安眠のすすめ
「ブログ読んでます」
友人知人だけでなく、講演会やイベント等で初めてお会いする人からも、たびたび声をかけていただきます。
スマホを持たず、SNSに無知で無頓着な僕の唯一の情報発信源が、このブログです。
開設から丸14年、投稿した記事の数は3,000話以上になります。
よく続いていると我ながら感心しますが、それ以上に感心するのが読んでくださっている読者様の熱心さです。
改めて、この場をお借りして、お礼を申し上げます。
毎度ご愛読いただき、ありがとうございます。
近年、読者の方からこんなことを言われることが多くなりました。
「寝る前に読んでいます」
まあ、一日の終わりにブログをチェックしている人が多いのだろうと思っていました。
すると……
「小暮さんのブログを読むと、ほっこりした気分になって、よく眠れるんです」
なんて言う人もいました。
えっ、本当ですか!?
驚き桃の木、山椒の木!
僕のブログが睡眠導入剤の役割を果たしているんですかね。
読者は、たぶん 「つれづれ」 のことを言っているのだと思います。
「つれづれ」 とは、このブログのカテゴリーの1つです。
話の内容によって、現在34項目に分けられています。
その中で一番多い話が、「つれづれ」 です。
「つれづれ」 とは、“徒然なるままに” の 「つれづれ」 です。
意味は、「手持ちぶたさ」 のこと。
転じて、日々凡々とした何気ない日常をつづっています。
こんなことを言われたこともありました。
「私は、小暮さんのブログで 『つれづれ』 が一番好きです」
聞けば、その人は温泉には興味がないとのこと。
温泉以外の話を楽しみに読んでいるそうです。
なるほどね。
読者それぞれの読み方があるということです。
ぜひ、みなさんもカテゴリーから索引して、お気に入りの睡眠導入剤をお探しください。
ちなみに、「泣けました」 という声が多いのは下記の2話です。
2016年4月3日 「見えないサクラ」 (つれづれ)
2019年9月20日 「天国より愛をこめて」 (マロの独白)
ご参考までに。
ただし、こちらは就寝前の一読には向かないと思います。
あしからず。