温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2019年04月16日

中高年よ、家を出よう!


 中高年の 「引きこもり」 が止まりません。

 内閣府の発表によると、ついに!若年層(15~39歳) を対象にした調査の約54万人を、中高年(40~64歳) の引きこもり人口が上回ったといいます。
 その数、全国に61万3千人です!!


 以前、このブログでも、中高年の引きこもりが増えているという話題に触れたことがあります。
 しかし、その頃(2年前) は、まだ中高年の調査がされておらず、正確な数字は発表されていませんでした。
 ※(当ブログの2017年1月23日「楽しみは家の外に」参照)

 そして今年、恐れていたことが、ついに数字となって表れてしまいました。
 引きこもりは、もう “若者特有の現象” ではないということです。


 オジサンの引きこもり?
 なんだか、ピンと来ませんね。
 だって、引きこもりということは無職ということで、誰かがその人の面倒を看ているということです。
 20代の若者なら親は40~50代だから、なんとなく分かります。
 でも中高年の引きこもりとは、親の世代が家に居るということです。
 ということは、それを看ているのは?

 そうなんです!
 そのまた親の70~80代の年金暮らしの高齢者ということになります。
 つい最近まで、介護をしていた僕には、想像もつかない現実です。
 ということは、中高年の引きこもりをしている人の親は、元気なのでしょうか?
 もし認知症になったり、介護が必要となったら、誰が面倒を看るのでしょうか?

 介護の経験があるだけに、想像しただけでゾッとします。


 幸い、見渡したところ僕のまわりには、引きこもりの中高年は見当たらないので安心していますが、いつなんどき、親しい友人が、そうなるとも限りません。

 えっ、そういう自分は大丈夫かって?
 ええ、まあ、僕の場合、人と会わないと死んじゃう体質なので、家の中でジッとしていることができませんから、万に一つも可能性はないと思います。

 みなさんのまわりは いかがですか?
 引きこもりのオジサンやオバサンはいませんか?
   


Posted by 小暮 淳 at 12:13Comments(0)つれづれ

2019年04月14日

知人以上友達未満


 数日前の新聞に、こんな読者投稿記事がありました。
 50代主婦からの人生相談です。
 <先日、同窓会に参加しました。ごく少数の気心の知れた人ばかりの会だと思ったので、久しぶりに顔を出しました。その時は楽しく過ごせたのですが、連絡先を交換したため、その後のお誘いが止まりません。うんざりするほどしつこいです。>

 う~ん!分かります。
 というか、この年代になると 「あるある話」 ですよね。

 “同級生” って、実に不思議な存在です。
 友達なのか?と問われれば、違うような気がしますし、でも知人よりは親しいような、とってもあいまいな人間関係であることに気づきます。
 しいて言うならば、“知人以上友達未満” の間柄です。

 だからこそ、付き合い方が難しいんです。


 実は僕にも、まったく同じ経験があります。
 この10年間に、小学校と中学校のクラス会と同窓会が、それぞれにありました。
 どれも、卒業以来30~40年ぶりに会う人たちばかりですから、ドキドキ、ワクワクしながら行ってきました。

 投稿者さんと同じで、会えば懐かしくて、思い出話に花が咲いて、それはそれは楽しいのですが、やはり、その後が問題でした。
 連絡先の交換といっても、昔のように住所と電話番号を書いたメモを渡すわけではありません。
 メールやラインですから、さー大変です!
 その翌日から、来るわ来るわ!!

 で、「近々、ミニクラス会をやりましょう」ということになり、30年に1回が1年に1回となり、やがて 「今度、ミニミニクラス会を開きます」 となり、1年に1回が毎月開催されることになりました。

 それって、もう、クラス会じゃありませんて~!!!
 ただの飲み会でしょ!?
 でも、それにしては、そんなに親しくもないし、気心も知れていません。
 ただ共通は、昔の “クラスメート” というだけです。

 <うんざりするほどしつこいです。>
 投稿者さんとまったく同じ心境に陥りました。


 さて、では、この人生相談に、回答者の大学教授は、なんと返答しているのか?
 <相手も悪気はないので、普通は誘いがある度に断れば、そのうち声もかからなくなると思います。>

 ピンポ~ン!
 その通りであります。
 僕も誘いがある度に、「その日は仕事で」 とか 「都合が悪くて」 と断っていたら、いつしかメールは来なくなりました。

 知人以上友達未満の関係ですからね。
 数年に1度、元気な姿を確認し合えれば、いいと思うんですよ。
 同級生って……
  


Posted by 小暮 淳 at 12:24Comments(0)つれづれ

2019年04月08日

天才のゆくえ


 ショックでした。
 今度ばかりは、“三度目の正直”で授与されると思ったんですけどね。
 イチロー選手の国民栄誉賞辞退のニュースです。

 「人生の幕を下ろしたときにいただけるよう励みます」
 とのことです。
 選手としての現役は引退したけれど、野球人生は、まだ終えていないということでしょうか?

 飽くなき挑戦を続ける天才には、ただただ脱帽であります。


 イチロー選手の過去の言動には、凡人には及びもつかない含蓄を感じます。
 僕が心に残っているのは、日米通算4257安打の偉業を達成したときのコメントです。
 「僕は子供のころから、人に笑われてきたことを常に達成してきているという自負がある」
 ※(詳しくは当ブログの2016年6月7日 「笑われた記憶」 参照)

 笑われるということは、凡人には荒唐無稽に見えるということです。
 でも天才イチローには、ちゃんと根拠があるということです。
 それを何年かかろうが実践して、証明するところに、天才たるゆえんがありそうです。

 凡人には、真似したくても、そうそう真似できるものではありません。


 ところが今回の引退記者会見で、初めて凡人の僕が、イチローの言葉に親近感を抱きました。
 おこがましいのですが、僕が昔から言っていたことと同じ言葉をイチローが言ったのです。
 それは、子どもたちへのメッセージです。

 「自分に向くか向かないかよりも、自分の好きなものを見つけてほしい」

 “野球を愛してる” と言い続けているイチローらしいコメントです。


 とかく大人は、職業を選択する際に、「向いているか?」 を判断基準としたがります。
 でも所詮、「向いているか?」 なんて、やってみなければ分からないことなんですよね。
 やはり、人生のスタートは 「好きだから」 です。

 恋愛や結婚だって、そうですよね。
 「自分に向いている」 からなんていう基準で相手を選んではいませんもの。
 好きになることに、理由なんていりません!


 イチローは子どもたちに、人生の “はじめの一歩” を伝えたかったのだと思います。

 これからも天才のゆくえに、目が離せません。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:11Comments(2)つれづれ

2019年04月04日

おとうさん、大好き!


 <現金3000万搾取被害
  84歳女性「たんす預金」>

 新聞記事に、思わず目を疑ってしまいました。
 群馬県内で発生した特殊詐欺事件です。

 えっ、3000万円だ?!
 ケタが間違っているんじゃないの?
 だって、たんす預金だろ?

 たんす預金ということは、現金ということです。
 そんだけの金が家にあったということです。
 手口は、お馴染みの長男を装った男から電話があり、「取引先に振り込む金が足りない」 というもの。
 そして女性は、長男の上司のおいを名乗る男に、自宅に保管してあった現金を渡したとのことです。


 ん~、犯人は完全に、この家に金があることを知ってましたね。
 事前リサーチをして、効率よく詐欺を行っています。
 敵もさることながら、年々知恵をつけて、搾取の確率を上げています。

 というのも、数年前は違いましたもの。
 手当たりしだい、電話をかけていました。
 まだ、オヤジもオフクロも元気だった頃には、僕の実家にも何度か「オレオレ詐欺」 の電話がかかってきました。

 まっ、うちは絶対に、ひっかかりませんけどね。
 「犯人もバカだね。金のないうちに、かけて来たって、払えるわけないじゃないかね。ひっかかる人は、お金のある人だよ」
 というのが、オフクロの口ぐせでした。
 そして、こんなことも言ってました。
 「そんな大事な話を電話で済ませようなんて、そんな育て方をした覚えはないもの。お前たちなら電話じゃなくて、直接、会いに来るよね。あっ、その前に、うちに金がないことを知ってるから、来ないね」
 そう言って、大笑いするのでした。


 そんなオフクロも、施設に入って、1年以上が経ちます。
 そういえば、またしばらくオフクロの顔を見ていません。
 新聞を読んでいたら、急に会いたくなったので、今日、面会に行ってきました。

 「よっ、元気そうだね」
 病室のベッドの上で、オフクロは何かを開いて見ていました。
 「何を見てるの?」
 「おとうさん」
 「なに、写真? ちょっと見せてよ」

 それは、数年前の春に、桜の下で写したオヤジとオフクロのツーショットの写真でした。
 「おとうさん、いい男でしょ!」
 「そうかな」
 「とっても、いい人だよね」
 「まあね」
 「恐かったかい?」
 「ああ、小さい頃はね」
 「ふ~ん……」

 「なに?」
 僕が問いかけると、突然、オフクロは、うれしそうに微笑んで、
 「おとうさん、大好き!」
 と言って、少女のように写真を胸に抱きしめました。

 ビックリです。
 そんなオフクロは見たことがありません。
 オヤジの生前には、見せたことのない姿です。

 だから言ってやりました。
 「好きだからって、父さんの後を追って、すぐに逝くなよな!」
 「大丈夫だよ。おとうさんに、オリンピックの話をしてあげなくっちゃならないから」
 「そうだよ、父さんは見れなかったんだからさ」
 「だから、まだまだ大丈夫」

 僕は安心して、病室を後にしました。
 今週末、早いもので、オヤジの四十九日の法要です。
   


Posted by 小暮 淳 at 19:36Comments(0)つれづれ

2019年04月01日

令月に風和ぎ


 <初春の令月にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、
  梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、
  蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす。>


 新元号が発表されました。
 「令和」 です。
 出典は、万葉集からとのことです。

 くしくも、キーワードは 「風」 でした。
 僕の “守護字” であります。
 ※(当ブログの2018年10月26日 「風のルーツ」、2019年3月17日 「風に吹かれて」 を参照)

 令月(めでたい月) に、風が和らぐとは、なんと風流なのでしょうか!
 まさに川原の風に吹かれるように、事にあらがわず、和らぎながら生きる時代にしたいものです。


 今日の毎日新聞に、大正生まれで、昭和、平成の時代を生きてきた漫才師の内海桂子師匠の新しい元号や時代へ向けての談話が載っていました。
 「大正、昭和から平成になって世の中は豊かになったと言われるけど、今はそんなに豊かなのかねえ。生活は苦しいのにそうでないふり、お金があるふりをしている人が多いように感じるよ。持たない者は持たないなりに、ぜいたくをせずに暮らせばいいというのが昔の考えだったけど、今は周囲と同じでないといけないと思う人が増えてるんじゃないかい。」

 そして、こんなコメントで締めくくっていました。
 「平成の次はどんな時代になってほしいかって? 時代はね、他人に作ってもらうのではなく、自分で作るものですよ。私は不満を世の中のせいにしないの。もし 『こんな社会で生かされるのはいやだ』 と思う人がいたら、自分で行動して、居場所を作ったらいい。」


 思えば、昭和と平成は豊かさにあこがれ、高度経済成長とバブルに踊らされた時代でした。
 新しい時代こそは、他人と比べる豊かさではなく、個々の価値観が反映される世の中でありたいと思うのであります。

 祝、新元号!
  


Posted by 小暮 淳 at 15:31Comments(0)つれづれ

2019年03月31日

さよなら、チャコちゃん


 なんだか胸の奥のほうが、針で突かれたように、チクチクと痛いのです。
 1つ、また1つと、遠い青春の日々が、消しゴムで消されるみたいで……

 昨年の西城秀樹さんも先日の萩原健一さんも、僕の青春時代を彩ったスターたちが、年々姿を消していきます。
 樹木希林さんも、後を追うように逝ってしまった内田裕也さんも、少なからずや若い頃に影響を受けた人たちです。
 人は、いつか死ぬんだと分かっていても、その事実を知ったときは、深い悲しみに陥ります。


 昨日の新聞の訃報記事に、またもや釘付けになってしまいました。
 <白石冬美さん死去>

 若い人には、馴染みのない名前かもしれませんね。
 アニメ 「巨人の星」 の主人公・星飛雄馬の姉や、「パタリロ」 のパタリロ、「機動戦士ガンダム」 のミライなどの声を演じた声優さんといえば、思い出されるかもしれませんね。


 でも僕ら世代には、「チャコちゃん」 なのです!

 1967年~82年にTBSラジオで放送されていた深夜番組 「パック・イン・ミュージック」 で、同じく声優 (アラン・ドロンの吹き替えなど) の野沢那智さん(2010年死去) とパーソナリティーを務めていました。
 僕らが 「ナチチャコパック」 といって夢中になって聴いていた、一番人気の深夜ラジオだったのです。

 そのチャコちゃんが、死んだ!

 死因は虚血性心不全だそうです。
 享年、82歳でした。


 もうすぐ平成が終わるんですものね。
 昭和は、はるか遠い昔になりつつあります。
 でも、楽しい思い出がいっぱい詰まった時代だったと思います。

 チャコちゃん、ありがとう!
 そして、さよなら!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:01Comments(2)つれづれ

2019年03月23日

春を愛する人


 ♪ 春のうららの隅田川 のぼりくだりの船人が


 エレベーターを降りて、廊下を歩いていると、一番奥の病室から歌声が聴こえてきました。
 それも独唱。
 声の主は、間違いなくオフクロです。

 僕は昨日、1ヶ月ぶりにオフクロに会いに行きました。
 というのも長い間、インフルエンザの流行で、面会が禁止されていたからです。
 最後にオフクロに会ったのは、オヤジの葬儀を終えた翌日でした。
 息子が撮ってくれた告別式の写真ファイルを手渡しに行ったときです。
 その時も病室までは行けませんでしたが、事情を話して、介護師の方にロビーまでオフクロを連れてきてもらったのでした。

 あれから、1ヶ月が経ったのですね。


 バチ、パチ、パチ、パチ

 車イスの背後で拍手をすると、驚いたオフクロが振り返りました。
 「あれ、来ていたのかい! あっ、息子です」
 と律儀にも、リハビリ指導を受けいてる介護師に、僕を紹介してくれました。

 「今日は、なんだい?」
 「いや、顔を見に来ただけだよ。元気そうで安心した。すぐ帰るから、リハビリを続けてよ」

 「小暮さん、今日は、よく声が出ていますね。次は、何を歌いますか?」
 白衣を着た介護師が、大きな文字で書かれた歌詞カードをめくります。
 「オフクロはね、若い頃、合唱団に入っていたんですよ」
 僕が言うと、
 「そうですか、どうりで歌がお上手です」
 と、ほめてくれました。
 「若い頃ですけどね。歌が好きだったんですよ」
 とオフクロも、うれしそうです。


 僕は、リハビリの邪魔にならないように病室の隅で、しばらくオフクロの歌声を聴いていましたが、「また来るから」 と声をかけ、病室を後にしました。


 ♪ 春を愛する人は心清き人 すみれの花のようなぼくの友だち


 エレベーター乗り場まで、歌声が聴こえていました。

 オフクロの92回目の春です。
  


Posted by 小暮 淳 at 19:00Comments(2)つれづれ

2019年03月22日

あなたは誰?


 俳優の 「松方弘樹」 さんの名前を、3日間かけて思い出しました。
 マイブームの “ド忘れゲーム” です。

 有名人ですからネット検索すれば、すぐに知ることはできますが、これはゲームです。
 思い出すことに、意味があるのです。
 まあ、とどのつまり、思い出せなかったとしても、所詮、芸能人の名前です。
 日常での不便も不自由もありません。


 ところが、友人、知人、仕事関係の人の名前となると、生活に直接、関わってきます。
 実は僕、昨日、お会いした人の名前が、いまだに出てこないのです。

 その方とお会いしたのは、かれこれ3、4回目になると思います。
 でも、2人だけでお会いしたことはありません。
 いつも数人の仕事関係者と一緒です。
 一度だけ、お酒の席でお会いしたこともありました。

 で、昨日、別れたあとに 「あの人、なんていったっけ?」 と、突然、思い出せなくなってしまったのです。
 もちろん過去には、名前をお呼びした記憶もあります。

 「えーと、えーと、確か、同級生に同じ名字の人がいんだよな~」
 と、小学校から中学校、高校時代の思い出せる同級生の名前をたどっているのですが、いまだにヒットしません。

 「そうだ、名刺をもらっているかもしれない」
 と思い、名刺ファイルを出会ったであろう頃までさかのぼって、めくってみたのですが、ありません。
 ということは当然ですが、ケータイの電話帳にも登録されていません。


 こんなとき、みなさんなら、どうしますか?
 共通の知人に電話して 「あの人、誰だっけ?」 なんて訊くのも、なんだかヘンですよね?

 しばらく、お会いすることもないと思いますが、次に会うまでには思い出せるよう頑張ります。


 あなたは、誰?
   


Posted by 小暮 淳 at 12:31Comments(0)つれづれ

2019年03月20日

シニアと呼ばれて


 僕のようにフリーランスで仕事をする者にとって、“休日” とはあってないようなもの。
 突然、仕事が入るときもあれば、その逆もあります。
 「予定は未定」 の職業であります。

 昨日は一日、原稿執筆日に当てていました。
 ところが、前日の筆(キーボード) の進みが思ったより早く、午前中には入稿(原稿を先方に渡すこと) となりました。

 はて、どうしよう?
 午後が丸々、オフとなってしまいました。
 予期してなかったので、なんの予定もありません。
 昼寝をしようか? 読書でもしようか?
 と、思いあぐねましたが、
 「そうだ! たまには映画を観に行こう!」
 と、いそいそと昼下がりに、映画館へと出かけたのでありました。


 映画を観るなんて、なんだか、とっても久しぶりです。
 「えーと、えーと、会員カードを持っていたよな」
 と、財布の中から取り出して、受付のお姉さんへ。
 「これ、期限が切れていますね。新しくお作りしましょうか?」
 「はい、お願いします」
 「では、こちらに住所、氏名、電話番号と生年月日のご記入をお願いいたします」

 ということで、僕は言われるままに、スラスラと記入を始めました。
 「あと、生年月日ね。えーと、1958年8月……」
 と、その時です。
 突然、お姉さんが、
 「ああ、お客様はシニアですね。シニア割引の対象となりますが、どういたしますか?」

 えっ、シニア? 誰が? ぼ、ぼ、僕がですか?

 「はい、通常大人1,800円が、こちらのシニアカードをご利用されますと、1,100円でご覧になれます」

 こ、こ、これは安い! ラッキー!!
 と、2つ返事で 「シニアカード」 を作ってもらいました。
 しかも、会員カードは有料ですが、シニアカードは無料です。
 しかもしかも、有効期限なし!
 だけでなく、紛失しても再発行してくれるのだといいます。
 ということは、死ぬまで1,100円で、映画を観続けることができるということです。

 おお~、歳は取ってみるものであります。
 こんな素晴らしい優遇サービスが受けられるのですから。
 この料金なら、これからもジャンジャン映画を観ることができるぞ!
 と、意気揚々と劇場の中へ入って行ったのでありました。


 平日の午後です。
 劇場の中は、閑散としていました。
 1列に1人ずつ、ゆったりと座れるほどです。
 見渡せば、学生らしきグループが2組と、あとは “年寄り” ばかりです。
 たぶん、シニア割引の客です。

 ということは僕も、その “年寄り” のうちの1人ということなんですね。
 なんだか、急に先ほどまでの喜びが失せて、淋しさに包まれてしまいました。

 でも、待てよ?
 なんで、60歳を過ぎるとシニアと呼ばれて、格安のサービスが受けられるのだろう?
 思案のすえに、たどり着いた答えは、「ヒマと小金を持っている」 から!
 入場者の少ない平日に呼び込める客は、このヒマと小金を持っている年齢層ということになります。


 でもね、僕の場合、ヒマも自由に使える小金もありませんって。
 でも、1,100円なら、まっ、いいっか!
 「また、来ようっと」

 ヘンに納得して、夕方、映画館から出てきたのであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 14:08Comments(2)つれづれ

2019年03月19日

ミルトブツを捕まえて!


 以前、このブログで 「アキストゼネコ」 という言葉の遊び方が分からないと書いたところ、その後、たくさんの方々から、「昔、遊んだ記憶がある」 との意見が寄せられました。
 ※(当ブログの2019年2月1日 「恋のおまじない」 参照)

 いろんな方の意見を総合すると、「アキストゼネコ」 は、“おまじない” ではなく、“占い” だったことが判明しました。
 好きな人と自分の名前を並べて書き、一文字ずつ画数を調べます。
 同じ画数の字は消去して、残った字の画数の合計が、その人の相手に対する気持ちとなります。

 「ア」 は、愛してる。
 「キ」 は、嫌い。
 「ス」 は、好き。
 「ト」 は、友だち。
 「ゼ」 は、絶交。
 「コ」 は、恋人。

 たとえば、5画ならば “絶交” です。
 7画以上ならば、「ア」 から何回でも繰り返します。

 なんの根拠もない、他愛ない遊びですが、確かに夢中になった記憶があります。


 そこで新たに浮上した言葉あそびが、「ミルトブツ」 です。

 「あっ、ミルトブツがいる!」
 突然、教室の天井を指差します。
 「えっ、どこどこ?」
 と、頭上を見ると、

 パッカーン!
 と、叩かれます。

 「おい、何するんだよ! いてーじゃねーかよ!!」
 「だから、“見るとぶつ” と言ったじゃねーか」
 というオチであります。

 思えば、そんな言葉あそびが、子ども頃には、たくさんありました。


 「“手袋” の反対、言ってごらん?」
 「ロ、ク、ブ、テ」
 「はい、123456(パン、パン、パン、パン、パン、パン)」
 と、6回ぶたれました。

 「ピザを10回、言って?」
 「ピザ、ピザ、ピザ、ピザ……」
 「じゃあ、ここは? (腕の曲がった所を指差す)」
 「ひざ!」
 「残念でした。ここは、“ひじ” です」

 なーんていうのも、ありましたね。
 そうそう、こんなのも、あったっけ。

 「あっ、アゴに何か付いているよ」
 言われて、手のひらでアゴをさすると、
 「オー、マンダム!」

 確か、当時流行った整髪料のCMだったと思います。
 人気俳優のチャールズ・ブロンソンの真似をさせられました。


 みなさんは子どもの頃、どんな言葉あそびをしましたか?

 僕は、いまだに 「ミルトブツ」 という昆虫がいると信じています。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:47Comments(0)つれづれ

2019年03月17日

風に吹かれて


 <がんばらないよ!>

 過日、届いたDMに、直筆のコメントが添えられていました。
 現在、前橋文学館(前橋市千代田町) で開催中の絵本原画展 『おばあちゃんのほっこりごはん 野村たかあき展』 の案内ハガキです。
 ※4月7日(日) まで。観覧無料。水曜休館。


 差出人は、木彫家で版画家で絵本作家の野村たかあき氏、ご本人です。
 氏との付き合いは、かれこれ30年以上になります。
 でも今回、初めて直筆のコメント入りのDMをいただきました。

 なぜ氏は、こんなコメントを書いたのでしょうか?


 氏と出会って、数年が経ったある日。
 酒の席だったと記憶しています。
 氏が、しみじみと、こんなことを言いました。

 「要は、川原の風に吹かれるように生きることよ」

 川原の風? 吹かれる?
 まだ青二才だった僕には、なんのことだか、さっぱり分かりませんでした。
 ただ10年、20年と歳を重ねても、あの日あの時の言葉は忘れることができませんでした。


 時は流れて、昨年僕は、めでたくも “還暦” を迎えました。
 同級生は、定年を迎える年齢になりました。
 でも、僕のようなフリーランスの職業には、定年はありません。

 でも、なにか僕の人生にも、節目が欲しいと思ったのです。
 そして考えた挙句、たどり着いたのが 「心の定年」 でした。

 「そうだ、60年を節目に、心を解放してあげよう!」
 と思ったわけです。
 「もう、がんばらない」 と。


 今年の正月、年始のあいさつに、氏を訪ねたときのことです。
 今年を “がんばらない元年” にした旨を伝えると、

 「そうか、そうか、それは、いいね。がんばらないの、いいね」
 と、痛く喜んでくださったのです。


 いつからでしょうか、川原へ行くと、風を気にするようになったのは?
 50歳も半ばを過ぎたあたりだと思います。

 一斉に同じ方向に揺れるススキの穂を見て、ハッとしたことがありました。
 風が北から吹けば、南になびき、西から吹けば、東にたなびく。
 決して、あらがうことなく、風に吹かれているのです。

 「いつか自分も、こんなふうに生きてみたい」
 と思うようになりました。


 <がんばらないよ!>

 氏の言葉を、今、改めて噛みしめています。
  


Posted by 小暮 淳 at 14:06Comments(0)つれづれ

2019年03月04日

ため息のシーズン③ がんばらない効果


 今年も、嫌な季節がやって来ました!
 個人事業主のみなさん、確定申告は、お済ですか?
 僕は本日、無事に提出を終えました。

 毎年、この時期がイヤでイヤで、早く過ぎ去ってほしいものだから、いつも2月中に済ませていました。
 が、今年は思わぬハプニング(オヤジの死去) があり、作業が一時中断しておりました。
 で、先週、がんばって仕上げたのであります。


 毎年、このブログでつぶやいていますが、この確定申告って、年に1度手渡される “大人の通知表” なんですよね。
 自分では 「がんばった」 と思っていても、電卓を弾けば、すぐに明確な成績(数字) が表示されるわけです。

 確か、一昨年の所得は、その前年と10万円の単位まで一緒でした。
 そしたら昨年の所得は、見事に前年と万の単位までピタリと変わらず同じだったのです。
 この3年間、ほとんど所得は一定です。

 これは、どういうことでしょうか?

 進歩がないととらえるか、現状維持を保ったととらえるか?
 それとも、これが実力とあきらめるか?


 心の変化とでもいうのでしょうか!
 今年の僕の反応は違いました。
 昨年までは、タイトルどおり “青息吐息” で、落ち込んでいたのです。
 が、今年は無反応でした。

 「ま、俺の人生、こんなもんだ。増えもせず、減りもせず、良かったじゃないか」
 ってね。
 たぶん、これって、昨年、還暦を迎えたときに宣言した 「がんばらない」効果だと思うんです。

 だって、同級生たちは定年退職を迎えている歳ですものね。
 いくらフリーランスだからといって、僕だけ目くじら立てて、鼻息荒くして、張り切っていてもおかしいでしょう?
 だから、すべての事象を素直に、そのまま受け入れることにしました。
 結果、今年から “ため息” が出なくなったということです。


 さて、みなさんは、いかがでしたか?
 たっぷり税金を払うことになってしまった方、思わぬ還付金が返ってくることになった方……
 悲喜こもごものシーズンを過ごしていることでしょうね。

 えっ、これからなの?
 3月15日までですよ。
 お急ぎください!
  


Posted by 小暮 淳 at 18:26Comments(0)つれづれ

2019年03月01日

なんてこった!


 「病院の送り迎えから下の世話まで、散々、面倒看たからね。なんも後悔なんてないよ」
 数年前に父親を見送った友人の言葉です。
 この言葉に、僕はいつも励まされていました。

 「ジュンちゃん、介護は大変だけど、とことんやったほうがいいよ。自己満足かもしれないけど、見送った後が違うから」
 そうやって彼は、僕の介護の苦労話やグチを聞いては、応援してくれていました。
 そして、その通りになりました。

 先週、僕は認知症を患ったオヤジを、10年間の在宅介護の末に、無事、見送ることができました。
 “やるだけのことはやった” という自負があるからでしょうか。
 友人の言うとおり、悲しみも後悔もありません。
 不思議なくらい清清しい気持ちで、通夜も告別式も迎えました。


 たぶん、少しは悲しみもあったのでしょうが、僕には、それ以上に “家族” のありがたみを感じた2日間でした。
 本当に子どもたちが良く動いてくれました。
 長男は、車を出して何回も送迎をしてくれました。
 長女は、会葬者にあいさつを欠かさずしてくれました。
 次女は、自ら受付を買って出てくれました。

 いつのまにか成長した3人の姿に、ただただ目を奪われていました。

 孫の成長もしかり!
 長女の子、K君は小学2年生です。
 もちろん葬式は初体験なので、見るものすべてが驚きの連続です。

 お焼香が面白いようで、
 「ジイジ、もう1回行こうよ!」
 と通夜の後、誰もいなくなった会場に、何度も何度も連れていかれました。
 さぞかしオヤジも、喜んだことでしょうね。


 そんなK君が、斎場で火葬が終わった後、会葬者の笑いをとった出来事がありました。
 骨になったオヤジに駆け寄り、大声で叫んだのです。

 「なんてこった!」

 両手を頬に当て、ムンクの 『叫び』 の形相です。
 もしくは、映画 『ホーム・アローン』 のカルキン坊やの 「オーマイ、ゴッド」 のポーズに見えました。
 そして骨の前で、固まってしまいました。

 彼にしてみれば、手品を見ているようだったのかもしれませんね。
 大きいジイジが死んだことは受け入れていたんでしょうけど、まさか、たった1時間後に、こんなに小さな骨になってしまうとは、予想もしていなかったようです。

 彼の叫んだ 「なんてこった!」 に、会葬者一同が大爆笑となりました。
 ともすれば湿っぽくなりがちな葬儀を、一瞬にして和やかな雰囲気にしてくれました。

 さすが、僕の孫です。
 K君、ありがとう!


 楽しいことが大好きだったオヤジです。
 最後まで明るく、みんなで見送ることができました。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:11Comments(4)つれづれ

2019年02月25日

人生で一番長い2日間


 オフクロにとって人生で、もっとも長い2日間だったのではないでしょうか。


 オヤジが息を引き取った20日の朝。
 別の病棟にいたオフクロを車イスに乗せ、すぐにオヤジに会わせました。
 まだ、オヤジの手は温かったはずです。
 その手を握りながら 「ありがとう、ありがとう」 をくりかえし、「お父さんは、いい人なんです。本当にいい人だから」 と、まわりに居る誰にとはなしに語りかけていました。

 その後、葬儀社の車が迎えに来て、2人は引き離されてしまいました。
 まさか、これが70年も連れ添った相手との最後の別れになるとは……
 オフクロも思わなかったでしょうし、僕もアニキも、この時は知るよしもありませんでした。

 通夜にも告別式にも、オフクロを出席させるつもりでいましたから。


 この世の不条理とでもいうのでしょうか。
 オフクロの外出に、ドクターストップがかかってしまいました。
 いえ、正確には、医師は 「ダメだと言いたいところだが、担当介護師と相談して決めてください」 と言ったのです。

 結果、断念せざるをえませんでした。
 理由は、たくさんありました。
 ・ふつうの車イスでの外出はできないこと。
 ・専用の車イスは、普通車には乗せられず、介護タクシーを利用しなければならないこと。
 ・専用の食事、おやつ、水分補給飲料を携帯しなければならないこと。
 ・専属の介護人を付けること。
 そして何よりも、最大の理由は、
 ・長時間の外出に体力が持たないこと、
 でした。

 実際、オフクロは10分の面会時間の間にも、「疲れた」 と言って目をつむってしまい、「横になりたい」 と早々に病室にもどってしまいます。


 ショックだったのは、僕やアニキよりも、孫たちだったようです。
 「そうだ! おばあちゃんのために、アルバムを作って渡そうよ」
 息子の発案で、4人の孫たちが分担を決めて、2日間の式の様子を撮影してくれました。

 今は、便利になりました。
 スマホで撮って、コンビニでプリントができるのですから。
 すぐに息子が作ってくれ、翌日にはオフクロの元へ届けました。

 
 「ほら、これが祭壇だよ。立派だろ」 「こんなにも、たくさんの人が来てくれたんだよ」 とページをめくりながら、一枚一枚、見せてやりました。
 会場のメモリアルコーナーには、オヤジの若い頃の写真やオフクロとの新婚時代の写真、アニキや僕が生まれてからの家族写真、孫やひ孫に囲まれた晩年の写真など約20点が、時系列に飾られました。
 息子は、それらすべての写真を接写して、ファイルしてありました。

 「若かったね」 「お父さん、いい男だったんだね」
 と、なつかしそうに昔を思い出しているオフクロ。

 そして、アルバムを閉じると、
 「お父さんは、幸せな人でしたね」
 と言って、涙をぬぐっていました。


 オフクロ、ごめんね。
 本当は、最後の最後までオヤジのそばにいて、見送りたかったよね。
    


Posted by 小暮 淳 at 18:49Comments(4)つれづれ

2019年02月24日

最長寿記録


 いままで励ましや応援の言葉をかけてくださった読者のみなさま、長い間、本当にありがとうございました。
 たびたび、このブログにも登場してきました “ボケ老人” こと、認知症を患っていたオヤジが、先日20日の朝に永眠いたしました。
 享年94歳でした。


 その知らせは、突然でした。
 前日の就寝が遅かったため、僕は、まだベッドの中でした。
 ケータイの着信音で起こされました。

 「オヤジの容態が急変した。すぐ行ってくれ! 俺も今から家を出る」
 声の主は、アニキでした。

 我が家のほうが、オヤジのいる病院に近いこともあり、先に着きました。
 病室のベッドで寝ているオヤジは、いつもと変わりません。
 いつだって、寝ているのか死んでいるのか分からない状態だったのですから。

 ただ、この日は様子が違いました。
 ベッドのまわりに、白衣を着た医師や看護師が立っています。
 オヤジの頭の横にある計器の画面は、2本の直線を描いていました。
 脈拍と呼吸がないことを表しています。
 心電図だけが、かすかに波動していました。

 「7時の巡回時は、返事をしていました。8時の時に呼吸をしていなかったので、連絡をさせていただきました」
 との説明を受けているところに、アニキが到着。
 2人の同意を得て、医師が “臨終” を告げました。

 死因は肺炎のようですが、僕らは老衰による大往生だったと受け止めています。


 さてさて、ここからが、さー大変!
 僕もアニキも、身内の葬式を出したことなんてありませんからね。
 てんやわんやの大騒ぎです。
 怒涛の3日間が始まりました。

 葬儀屋への手配、お寺の住職への依頼、親類縁者への連絡……
 が終わったと思えば、
 湯かん、納棺、通夜、告別式、火葬と、息つく間もないスピードで3日間が過ぎていきました。


 群馬県内の新聞各紙の 「おくやみ欄」 に掲載されたこともあり、通夜・告別式には大勢の方々が焼香に訪れてくださいました。
 当日は、至らぬ点が多々あったと思いますが、お許しください。
 この場を借りて、改めて、お礼を申し上げます。
 ありがとうございました。


 そして最後に、オヤジが打ち立てた偉大なる記録をご報告いたします。
 これまでの小暮一族の “最長寿記録保持者” は、伯父 (オヤジの兄) の94歳3ヶ月でした。
 このたび、オヤジが、この記録を更新いたしました。

 94歳と5ヵ月!

 実りある、見事な一生だったと思います。 合掌
  


Posted by 小暮 淳 at 11:52Comments(5)つれづれ

2019年02月13日

どこかで 誰かが⑫ 縁は異なもの


 「やっとお会いすることができました。グリーンドームで講演をなさりましたよね? お話に大変感動しました」


 今日、僕は久しぶりにオヤジを見舞いに、施設を訪ねました。
 ちょうど3時のおやつの時間で、オヤジはベッドで半身を起き上がり、若い介護師の男性に、ゼリー状のお菓子をスプーンで、やしなってもらっていました。

 彼は僕と会うなり、4年前の秋にヤマダグリーンドーム(前橋市) で開催された 「ぐんまリビングフェア」 の話をし出しました。
 「確か、石田純一さんのトークショーの前でしたよね。お名前と介護のお話を聞いて、すぐに小暮さんの息子さんだと分かりました」

 そうなんです。
 そのイベントで、なぜか僕は俳優でタレントの石田純一さんの前座を務めたのでした。
 しかも話のテーマは温泉ではなく、“介護” です。
 演題は 『不孝をすると親は長生きをする』。
 当時、在宅介護をしていた両親の苦労話や笑い話をさせていただきました。
 ※(当ブログの2015年10月15日 「2つのセミナー」 参照)

 「えっ、あの時、会場にいたのですか?」
 「はい、実は家族と石田純一さんを見に行ったんですけどね」
 「でしょうね(笑)」
 「いえ、感動しました。小暮さんの話に! 偶然にも私は小暮さんのご両親を担当していたものですから」


 なんて縁とは、異なものなのでしょうか。
 両親がデイサービスやショートステイでお世話になってる施設の介護師さんが、その両親の介護話をしている僕の講演を聴いていたなんて!
 そして今、僕の目の前で、その介護師さんは、僕と話をしながらも、オヤジに食事をさせてくださっているのです。

 「こちらこそ、両親が大変お世話になっています。いつもありがとうございます」
 そう礼を言って、オヤジを見たとき、ふだんは無表情のオヤジが、かすかに微笑んだように見えました。
 自分のことを話していることが、分かったのかな?

 たぶん気のせいだと思います。
 重度の認知症を患っているオヤジが、分かるわけがないのです。
 でも、なぜか笑ったように見えたのです。


 じいさん、良かったね。
 いい人に介護してもらえて!
   


Posted by 小暮 淳 at 20:58Comments(2)つれづれ

2019年02月12日

ご褒美の行方


 定年退職を迎える友人が、新車を購入しました。
 なんでも、長年勤め上げた自分への “ごほうび” なんだそうです。
 驚いたのは、その金額です。
 600万円!
 ま、価値観は人それぞれですから、その金額が高いのか、安いのかは、一概には申しません。
 が、「車は動けばいい」 と中古車を日々乗り回している僕からしたら、ただただ驚くばかりであります。


 もう、何年も昔のことですが、法要の席で、いとこの男性から、こんな話を聞きました。
 彼は定年退職を機に、新しい趣味を始めることにしました。
 「若い頃さ、カメラが好きだったんだよね」
 と退職金をつぎ込んで、最新のカメラと機材一式をそろえたと言いました。

 それから数年経った法要の席でのこと。
 「そういえば、カメラはどうなりました。撮ってますか?」
 と問えば、意外や意外。返ってきた言葉は、
 「いやね、始めてはみたんだけどさ。何を撮ったらいいのかが分からなくてね」
 結局、2、3回撮影に出かけただけで、趣味は終わってしまったとのことでした。

 時間とお金はあっても、“情熱” は手に入れられなかったということでしょうか?


 はてさて、気になるのは、友人です。
 ピカピカの新車に乗って、どこへ行くのでしょうか?
  


Posted by 小暮 淳 at 11:45Comments(0)つれづれ

2019年02月08日

こんな世の中だから


 高田純次、所ジョージ、柳沢慎吾、勝俣州和

 彼らに共通するのは、“無駄に明るい” こと。
 そして、僕の敬愛するタレントさんです。


 <努力してでも軽く生きる>
 これは僕の座右の銘の一つです。
 作家でタレント、元東京都知事の故・青島幸男氏の言葉です。
 初めて、この言葉を聞いたとき、落雷に打たれたほどの衝撃を受けました。

 だって若い頃、僕は自分の “軽さ” を嫌っていた時期がありましたから。
 どうにか、払拭したかったのです。


 幼稚園でのアダナは、「太陽ちゃん」or 「おてんとうくん」 でした。
 えくぼがあって、いっつもニコニコしていたからです。
 小学校から中学にかけては、その明るさと賑やかさに拍車がかかり、教師からは 「便所の100ワット」 なんて呼ばれていました。
 無駄に明るく、さわがしい存在だったようです。

 高校生になると、これに “いい加減さ” が加わります。
 現実逃避が、はなはだしく、夢想家なことから、友人たちからは 「楽天貴族」 などと揶揄され、からかわれていました。
 本人は、いたって真面目だったんですけどね。
 他人には、お調子者に映っていたようです。


 大人になると、この “軽さ” が、何かと邪魔します。
 一歩間違えれば、“落ち着きのない人” と捉えられ、信憑性に欠ける人格と評価されかねません。
 だから大人っぽく見られるようにヒゲを生やしてみたり、教養が増すように無理して外国語のスクールに通った時期もありました。

 でもダメなんです。
 持って生まれた性格は、大人になってからでは、そうそう直りませんって!


 そんな時に出合ったのが、青島氏の言葉です。
 <努力してでも軽く生きる>
 「これだ!」 と思いました。
 他の努力は苦手でも、この努力ならできるぞ!
 と、一瞬にして、人生が開けた思いがしたものです。

 難しい顔をして、悩んでいるふりをしているより、明るく生きてるほうが楽しいですものね。
 もっともっと、軽~く生きたいと思うようになりました。


 いじめ、虐待、あおり運転、ストーカー etc
 殺伐とした世の中では、それらが自殺や殺人までも招いています。

 だから、もっと軽く生きましょうよ!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:16Comments(0)つれづれ

2019年02月01日

恋のおまじない


 「ア、キ、ス、ト、ゼ、ネ、コ」

 いつからかは判然としないのですが、何年も前のある日、突然、この呪文のような言葉が脳裏によみがえりました。
 どこかで、聞いたことがあるのです。
 それも、遠い昔の記憶の奥のほうで眠っていたフレーズです。

 「ア、キ、ス、ト、ゼ、ネ、コ」

 なんだっけ?
 女の子が使っていたような……
 でも僕も知っているんだから、男の子もたまには使っていたのかもしれない。
 何かの遊びの時に歌う唄の一節かもしれない……

 ♪ せっせっせーのよいよいよい
 ♪ ずいずいずっころばしごまみそずい
 ♪ おちゃらかおちゃらかおちゃらかほい
 ♪ じゃんけんぽっくりげたひおりげた
 ♪ ゆうびんやさんのおとしもの

 いくつかのなつかしいフレーズが浮かびますが、それらは、どんな遊びかも同時に思い出せます。
 なのに、この呪文のような言葉だけは、何年経っても思い出せませんでした。


 ところが!
 ある日、突然、ひらめいたのです。
 「きっと、何かの頭文字だ!」
 すると、今までのナゾが、するすると解け出しました。

 「ア」=愛してる
 「キ」=嫌い
 「ス」=好き
 「ト」=友だち
 「ゼ」=絶交
 「ネ」=熱愛
 「コ」=恋人

 これは、恋のゆくえを占う “おまじない” だったのです。

 でも、ここから先が、どうしても思い出せません。
 この “おまじない” を、どのように使った遊びだったのか?

 どなたか、知りませんか?

 ま、知ったところで、この歳になって占う相手もいないんですけどね(笑)。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:19Comments(2)つれづれ

2019年01月28日

空っ風と人情


 今の季節、北陸や東北から群馬を訪れた人と話すと、決まって、こう言われます。
 「よっぽど、群馬のほうが寒いですよ」
 なんでも、雪は一度降ってしまえば、無風の日が多く、体感は、さほど寒くないといいます。

 比べ、群馬は、この時期、名物の “空っ風” が吹きます。
 空っ風とは、シベリア方面から水分を含んだ北西の風が、日本海側で雪を降らせた後、乾燥した冷たい風となって上越国境の山々を越えて関東平野に吹き降ろす風のことです。
 特に、前橋市や伊勢崎市は赤城山のふもとにあり、関東平野の始まりに位置しています。
 そのため 「赤城おろし」 と呼ばれる空っ風界の横綱級の強風が吹き下ろすのです。
 風速1メートごとに体感温度は1度下がるといわれていますから、この風の強さには、雪国の人でも音を上げてしまうということです。


 でも、前橋に生まれ育った僕には、なんだか最近の空っ風は、昔に比べたら弱くなっているように思えるのですが、気のせいでしょうか?
 「昔は、こんなもんじゃなかったよ。自転車がバタバタと、なぎ倒されたもんだ」
 という先輩たちの意見もあり、やはり気だけのせいではなさそうです。

 以前、赤城南面で大凧(おおだこ) を揚げる 「凧の会」 の人たちを取材したことがありました。
 20畳以上もある大凧を制作し、空っ風を利用して飛揚している人たちです。
 その時、代表の方から大変興味ある話を聞きました。

 蔵から、大正時代に作られた大凧が発見されたといいます。
 さっそく、会で組み立てて、飛ばそうと試みたそうですが、重た過ぎて現在の風では、飛ばなかったようです。
 「昔は今よりも、よっぽど風が強かったんだいね」
 そう言って笑った顔が、なんとも印象的でした。


 そういえば、雷も少なくなりました。
 僕の子どもの頃は、夏は毎日決まって、夕立が来ましたもの。
 そして夕立が通り過ぎたあとは、グ~ンと気温が下がり、とてもしのぎやすかったのを覚えています。
 これも地球温暖化の影響なんでしょうか。

 『雷(らい) と空風(からっかぜ) 義理人情』

 ご存じ、「上毛かるた」 の 「ら」 の札です。
 昔から “義理人情にあつい” といわれてきた群馬県人の気質を、気象現象の雷と空っ風にたとえて読み込まれています。


 こちらは、いかがでしょうか?
 雷と空っ風は、めっきり弱くなりましたが、上州気質は、まだ健在なんでしょうか?
 気になるところです。
    


Posted by 小暮 淳 at 12:05Comments(0)つれづれ