温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2018年03月19日

本の神様


 僕は、自他ともに認めるアナログ人間です。
 ですから、もちろんケータイは、いまだにガラケイです。

 パソコンだって、ブログや原稿を書く以外には、ほとんど使いません。
 ワープロ代わりに、使っているだけです。


 不便ではないのかって?

 どちらかというと、不便を感じるというよりは、不便を楽しんでいます。
 分からないことや探し物があるときは、体を使います。
 辞書で調べたり、図書館へ行ったり、店をまわったり……

 たぶん、ワープロもパソコンもなかった雑誌記者時代に身に付いた、取材方法なんだと思います。
 “情報を疑う” クセがあるのです。
 聞いた話より、自分の目で見たものを信じるという職業病かもしれません。


 本もしかりです。

 今の時代、わざわざ本屋へ行かなくても、ネットで欲しい本が届きます。
 でも僕にとっては、本を手に入れることも大切ですが、探すことに喜びを感じるのです。
 そして、見つけたときの感動!
 それは、赤い糸で出会った恋人のようにいとしいのであります。

 この数週間、探し続けていた本があります。
 小説や文庫本なら、古本屋を回ります。
 新刊本は、迷わず書店へ行きます。
 資料で使う専門書の類いなら、図書館で調べます。

 今回の本は、ちょっと、やっかいでした。
 新書なのです。
 それもマニアックな歴史物。
 新書は種類が多く、新刊ならばいざしらず、何年も前に出版された本となると、すべて揃っている書店は、なかなかありません。

 こんなときネットが使えれば、簡単に手に入るんでしょうけどね。

 書店を見かけるたびに立ち寄り、新書の棚をのぞきます。
 でも、たいていの書店は、そんなに広くスペースを取っていません。
 しかも僕が探している本は、少数派の新書だったのです。
 だもの、そうそう見つかるわけがありません。


 と、と、ところが~!!
 あったのです。
 昨日、なにげに入った書店に!
 以前、来た時は、なかったのにね。

 棚に見つけたときは、自分の目を疑い、何度もタイトルを確認しました。
 そして、手に取ったときには、全身に鳥肌が立ちました。

 「会えた!」

 もう、そのままレジに飛んで行き、家に直帰。
 一心不乱に読み出し、気が付いたら夕飯も食べずに、一気に読み終えていました。


 きっとこれは、神様からの粋なはからいなのですね。
 こんな至福をプレゼントしてくれた “本の神様” に感謝であります。
  


Posted by 小暮 淳 at 14:05Comments(2)つれづれ

2018年03月17日

とんでいけ~!


 歯痛は、忘れたころにやって来るのであります。

 今週、突然、疼痛に見舞われました。
 初日は、ズキンズキンと小刻みの痛みだったのですが、翌日には、半鐘を打つような激しい痛みに変わりました。
 ところが、行きつけの歯医者は定休日。
 他の医者を探そうにも、その日はスケジュールが詰まっていて、自由に動ける時間がありません。
 鎮痛剤を飲んで、なんとか1日を乗り切りました。


 ところが、その夜のことです。
 鎮痛剤を飲み過ぎたせいかもしれません。
 体がだるくて、悪寒もし、風邪のような症状になり、自宅に帰るなり、そのまま酒も飲まずに布団にもぐり込んでしまいました。

 でも、歯の痛みで眠れません。
 1時間、2時間……、時間だけがいたずらに過ぎていきます。
 時おり、うとうとと眠気がやってきます。

 このまま、眠ってしまいたい。
 朝まで、目が覚めないでほしい。

 と思ったのも束の間。
 突如、ズキーン、ズキーンと、激しい痛みが襲います。
 「ああ、痛い。痛いよ~。助けてくれよ~」
 夢ともうつつともつかぬ闇の中で、僕は誰にともなく叫んでいました。

 その時です。
 遠く暗闇の奥から、声がするではありませんか。

 「イタイの、イタイの、とんでいけ~!」

 その声の主は、なんとオヤジだったのです。
 そう、あの90歳を過ぎた認知症の老人です。
 でも、今のオヤジではありません。
 50年以上も昔の、若き日のオヤジの声です。

 当時の僕は、小学校の低学年。
 虫歯が痛くて、泣いた夜がありました。
 その時、オヤジは一晩中、僕の布団の隣で添い寝をしてくれました。
 そして、茶碗に入れた甘茶を指にひたしては、僕の頬をさすりながら、
 「イタイの、イタイの、とんでいけ~!」
 と、おまじないを唱えてくれていたのです。


 不思議なことって、あるものですね。
 この歳になって、突然、そんな忘れていた記憶がよみがえってくるなんて。

 「イタイの、イタイの、とんでいけ~!」

 闇の中で、おまじないが繰り返され、やがて僕は眠りにつきました。


 翌朝、一番乗りで、歯医者に駆け込んだことは、言うまでもありません。
 おかげさまで、痛みは取れました。

 今日は天気もいいし、午後は入院しているオヤジを見舞いに行ってこようと思います。
 たぶん、僕のことは分からないと思いますが、窮地を救ってくれたお礼を言いに……
   


Posted by 小暮 淳 at 13:15Comments(0)つれづれ

2018年03月09日

眠り翁


 「ジュン、すぐ来てくれないか! オヤジが…」

 昨晩、うっかりケータイを見ずにいたら、何度もアニキから着信履歴がありました。
 いやな、予感であります。
 あわてて電話をしました。

 「オヤジがどうしたって?」
 「寝ちゃって、起きないんだよ」
 「どういうことよ?」
 「いいから、すぐ来てくれ!」


 実家へすっ飛んで行くと、オヤジは、いつものようにベッドで寝ていました。
 蒲団が胸のあたりで上下に動いてますから、呼吸はしているようです。

 「ふつうじゃないか?」
 「それが、ふつうじゃないんだよ」

 アニキの話によれば、晩飯を食べている途中に突然、動かなくなり、そのまま寝てしまったというのです。
 声をかけても、揺すっても起きないので、そのまま担いでベッドに寝かせたようです。

 「な、ヘンだろ?」
 「でも、うちに来ても、そんなものだよ。1日20時間以上寝ているからね」
 「でも、ベッドには自分で歩いて行くだろう? それが今日は、まったくイスから動かないんだ」

 結局、昨日は一晩、様子をみることになりました。


 一夜開けた今朝のこと。
 またしてもアニキからの電話です。
 「おい、ジャン、すぐ来てくれ! 今から救急車、呼ぶから」
 「えっ、きゅうきゅうしゃ、だ~!!」

 あわてて実家へと、すっ飛んで行きました。
 僕が着くのと同時に、救急車も到着。
 救急隊員がストレッチャーにオヤジを乗せて、手際よく搬送して行きます。

 「なんで救急車なのさ?」
 「やっぱり朝起きないからさ、医者に電話したんだよ。そしたら軽い脳梗塞かもしれないから救急車を呼べって」

 ということで、アニキが救急車に同乗して、僕が実家で待機することになりました。


 午後、結果が出ました。
 “脳に異常なし”
 でも、もしものことを思い、しばらく入院させることにしました。

 着替えや洗面用具などを持って、病室へ行くと……

 やっぱり、寝ています。


 「眠り姫」 「眠る男」、いや、こりゃ 「眠り翁」 だな!

 人騒がせな、じいさんであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:36Comments(0)つれづれ

2018年03月07日

詩人の亡霊


 東宮七男という詩人を、ご存知ですか?


 東宮七男 (とうみや・かずお) 1897~1988 詩人。
 勢多郡宮城村(前橋市) に生まれる。1915(大正4)年、群馬県師範学校(群馬大学) に入学し、翌年、萩原朔太郎の 「詩と音楽の会」 に参加。1920年同校を卒業し教職に就く。萩原恭次郎と縁戚関係にあり、その影響を受けて詩誌 『PETAN・PETAN』 を梅津錦一と刊行した。
 <中略>
 戦後、引き揚げて県同胞援護会に勤務し、一方で萩原朔太郎詩碑建設運動を興し、群馬ペンクラブの結成に取り組んだ。戦後の詩活動は豊田勇ら同世代詩人と 『ポエム』 『形成』 『果実』 を刊行し詩をはじめ詩論を発表した。詩集に 『魚鷹(みさご)』(1954) 『遍羅(べら)』(1972) 『空の花』(1987) があり、また郷土の詩人関係の評論に 『詩人萩原朔太郎』 『高橋元吉の人間』 ほかがある。
 <中略>
 戦後の県内文学運動進展に大きく貢献した詩人であり、その功績に対して詩碑が建設された。1978年11月に彫刻家高田博厚の設計により前橋市広瀬川河畔に建てられ、碑面には作品 「花なればこそ」 が刻まれている。
 (「群馬新百科事典」より)


 実は、東宮七男は僕の大叔父なのであります。
 オヤジのオヤジ(祖父) の弟です。

 大叔父は、甥っ子の中でも特別、僕のオヤジを可愛がっていました。
 たぶん、同じアウトローのにおいがしたのだと思います。
 オヤジも、そんな大叔父を尊敬して、したっていました。

 だからオヤジは、僕やアニキにも、小さい頃から大叔父の話をしていました。
 生涯、借家暮らしで貧乏だったこと。
 それでも4人の子どもを立派に育てたこと。
 何よりも、歴史に名を残した生き方を、いつも自慢していました。

 ですから物心ついた頃から大叔父の存在は、僕にとっても “あこがれ” だったのです。


 最後に大叔父に会ったのは、たぶん、アニキの結婚披露宴だったと思います。
 僕は高校生で、余興でギターを弾いて、オリジナルソングを歌いました。

 「いいよ、いいね。好きなことを思いっきりやりなさいね」
 そう、声をかけてもらった記憶があります。
 その言葉は、その後の人生の指針になりました。


 そして今でも大叔父は、亡霊となって僕の前に現れ、心を突き動かしています。
 亡霊……?
 いえいえ、そんなおどろおどろしいものではありませんね。
 いうなれば、守護神です。

 「おじさん、間違ってないよね? これで、いいんだよね?」
 心が折れそうになったとき、決まって僕は自転車を走らせます。
 広瀬川河畔へ


 上毛電鉄、中央前橋駅前に、大叔父の詩碑があります。
 ただ、じっと詩を読み、在りし日の詩人に思いを寄せます。

 すると、不思議、不思議。
 それまでのモヤモヤが、ウソのように晴れて行くのです。

 こうやって何十年と僕は、亡霊に助けられています。
   


Posted by 小暮 淳 at 14:59Comments(0)つれづれ

2018年03月05日

不死鳥のごとく


 「大変ですね」
 「お母さんの具合、いかがですか?」

 この1ヶ月間、たくさんの人から声をかけていただきました。
 たぶん、このブログを読んでくださっている方々です。
 ※(2018年1月29日の「トンカツと温かい手」、2月12日の「小さい手と手」参照)


 「病気と寿命は別物だよ」
 と気丈に振る舞っていたオフクロでしたが、寄る年波には勝てず、ついに1月、老衰のために入院してしまいました。
 病気には滅法強かったオフクロですが、加齢による体力の衰えには、あらがえなかったようであります。

 食事がノドを通らなくなり、点滴による生活が始まってしまいました。
 「たぶん、もう、帰って来ることはないだろう」
 僕もアニキも、今度ばかりは腹をくくって、見守っていました。


 と、と、ところが!
 なんということでしょう!!
 昨日、オヤジを連れて病院を訪ねると……

 「ジュン、来てくれたのかい! ありがとうね。あれ、おとうさんもかい。うれしいね」
 と、ベッドから起き上がらんばかりに、大きな声を上げ、満面の笑みを浮かべているではありませんか!
 「元気そうだね。あれ?」
 よく見ると、ベッドの脇に点滴の袋がありません。

 「どうしたのよ、点滴がないじゃない?」
 「だって、ごはん、食べてるもの」
 「えっ、食事しているの?」
 「うん、リハビリもしているよ。こうやって、イチ、ニ、イチ、ニって」
 そう言って、腕を上げたり下げたりして見せるのです。

 おそるべし生命力!


 今日、実家にオヤジを送り届けた際に、アニキに報告しました。
 「だろ、あの人の生命力は、ただもんじゃないぞ」
 「だね、こっちは、これが最期だと覚悟していたのに」
 「あんまり 『家に帰りたい』 って言うもんだからさ、『自分で食事ができなきゃ、帰れないんだよ』 って言ったのが効いているのかもな」
 「オフクロ、帰って来る気でいるよ」
 「ああ、でも、帰って来たら、それはそれで大変なんだけどな」

 介護はつづくよ、どこまでも……
 いや、いつかは終わりが来るのでしょうけど……
   


Posted by 小暮 淳 at 13:59Comments(0)つれづれ

2018年02月25日

ため息のシーズン② 通知表


 1年で、もっとも憂うつな季節がやって来ました。

 フリーランスおよび個人事業主のみなさん、確定申告は済みましたか?
 僕は、さっさと済ませました。
 だから落ち込んでいるんです。


 毎年、その日が来るのがイヤでイヤでなりません。
 本当は逃げてしまいたいのですが、イヤな思いを続けたくないので、あえて “いの一番” に済ませます。
 そして、現実を突きつけられるのです。

 いわば、これは僕の 「通知表」 なのであります。
 いくら 「がんばった」 と思っても、数字がすべてを物語ります。
 そして結果、今年も成績(収入)アップならず!(涙) 
 昨年とまったく同じ成績でした。

 増えもせず、減りもせず。
 ということは現状維持のまま、まったく成長していないということです。
 我ながら、板についてしまった貧乏が、おかしくてなりません。


 所帯を持って別居している営業マンの長男が、ぷらりと顔を出したとき、こんなことを言いました。
 「お父さんの仕事は、楽しそうでいいな」
 突然、何を言い出すのかと、面食らっていると、
 「俺の仕事は、数字がすべてだから」
 と、ぼやいたのです。

 でもね、こんな親を見て育ったから、反面教師となって、彼は堅実な人生を選んだのであります。


 思えば、僕は小さい頃から “数字” が大嫌いでした。
 順位や優劣を競うのも苦手でした。
 ナンバーワンになる気は、はなはななく、いつもオンリーワンになることばかり考えていたように思います。
 だから10代の頃は受験勉強から逃げ、大人になってからは社会や組織から逃げ回ってきました。

 結果、数字を嫌う者は、数字に嫌われるのであります。


 ふーーーーーっ!

 青い吐息が、止まりません。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:51Comments(3)つれづれ

2018年02月19日

となりの芝生


 「小暮さんは、成功者ですね?」
 「えっ、僕がですか?」

 自分の人生を不幸だと思ったことはないし、どちらかといえば幸せな人生を送っているほうだとは思います。
 でも、“成功”か “失敗” かと問われると、まったく分かりません。
 そもそも、まだ人生は途上なのです。
 なのに、その人は僕のことを成功者だと言います。

 同世代の男性です。
 仕事は、やはり同じフリーランスですが、かなり特殊な職業です。
 芸の道を生きている人で、かなりの著名人です。
 僕から見れば、よっぽど彼のほうが人生の成功者なのです。

 なのに、なぜ、そんなことを言うのでしょうか?


 「子どもを3人も育てて、お孫さんまでいらっしゃる。大したものですよ」

 キョトンする僕。
 だって、誰でもやっていることではありませんか?
 ほめられることでも、別段、人と変わったことをしたわけでもありません。
 なのに彼は、その普通のことを、まるで偉業を成したかのように感心するのであります。

 話を聞けば、彼には紆余曲折の私生活があったようであります。
 でも、それは芸の道を究めるためには、不可欠だったように思われます。


 人は、何を基準に “成功者” と呼ぶのでしょうか?
 その価値観は、人それぞれのようですね。

 もしかしたら、ただ単に彼が持っていないものを、たまたま僕が持っていただけなのかもしれません。

 でも僕からしたら、彼は十分にうらやましい人生を歩んでいる人なのですが……。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:47Comments(0)つれづれ

2018年02月14日

キレる中高年


 さるサービス業の男性(20代) が、こんなことを言っていました。
 「クレーマーとは違うんです。ただ不機嫌なんですよ。上から目線っていうか、言葉遣いも荒く、イライラしている。こちらが何を言おうと、キレたように怒鳴るんです。そのほとんどが、オジサンなんですよ」

 そう言われてみると、確かに僕の日常でも “不機嫌な大人たち” を見かけることが多いように思われます。
 たとえば、コンビニのレジ前。
 バイト店員が、もたもたしているのが許せないようで、「おい、まだかよ!」と大声を上げてる客。
 決まって、オジサンです。
 それも、中高年。
 僕と同世代か、それ以上の還暦を過ぎた “立派な大人” です。

 何をこの人は、そんなにイライラしているんだろう?と不思議に思うこと、たびたび。
 だって、そのくらいの年齢になれば、人生の酸いも甘いも知り尽くしていて、分別がありそうなものじゃないですか。
 それとも、「仮想支配」っていうやつですかね?
 一時的でも客と店員は、“金を払う側” と “金をもらう側” の主従関係にあると勘違いしているのでしょうか?

 それとも、ただの短気?
 だとしたら、世の中に短気な人が多過ぎませんか?


 先日、新聞を読んでいたら、10代の販売店員からの相談記事がありました。
 「若い人に比べ、中高年のお客さんはキレやすく、対応に困る」
 という内容でした。

 おお、やっぱり!
 そう感じていたのは、僕や僕のまわりだけじゃなかったのですね。

 記事では、中高年がキレやすい理由として、「退職後の所在なさ」 「抑圧している敵が見えない」 などが挙げられていましたが、はたして真相は……


 僕には、燃え尽きる前に、世の中から廃品のように捨てられてしまったふがいなさ感が、怒りとして放たれているようにも見えるのです。
 いうなれば、自分の存在価値を、社会が年齢というルールだけで切り捨てたと。

 同世代として、僕も分からなくなくもありません。
 ある日、社会から 「あなたは、もういりません」 と言われたら……
でも、その時、僕はキレるのではなく、世間から消え去ることを考えるかもしれませんね。


 中高年のみなさん、夢や希望を持てとは言いませんから、世間に迷惑だけはかけずに生きていきましょうね。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:40Comments(4)つれづれ

2018年02月12日

小さな手と手


 ♪ ひとりの小さな手 何もできないけど
    それでもみんなの手と手を合わせれば
    何かできる何かできる ♪


 オヤジは93歳、体は健康ですが認知症が進んでいます。
 オフクロは90歳、頭はハッキリしていますが、脳梗塞と脳出血を繰り返して、寝たきりの生活をしています。
 平日は東京からアニキが実家に来て、デイサービスやショートステイの面倒を看ています。
 そんな兄の負担を少しでも軽くしてあげたくて、週末は、僕の家でオヤジを引き取って面倒を看ています。

 そんな兄弟二人三脚の介護生活が、もう10年近くも続いています。


 「ほら、じいさんを連れてきたよ」

 このところ日曜日は、僕がオヤジを連れて、オフクロが入院している病院を訪ねています。
 今年になってオフクロの老衰が進み、ついに自宅介護が不可能になってしまいました。
 ※(入院までのいきさつについては、当ブログの2018年1月29日「トンカツと温かい手」参照)

 「どこ、どこにいるの?」

 あんだけ、「もう、おとうさんは連れてこなくていい」なんて強がっていたのにね。
 やっぱり、会いたいんですよ。
 だって、こんなにも、うれしそうなんだから。

 「ほら、じいさん、手を出して」
 「誰だい?」
 「H(オフクロの名前) だよ」
 「Hって、俺の女房かい?」
 「そうだよ」
 「なんで、こんなところにいるんだい?」
 「……、寝ているんだよ」
 「そうかい、寝ているんかい」


 前回、オヤジはオフクロの名前を言っても分かりませんでした。
 オフクロだけではありません。
 僕のことだって、アニキのことだって分からないのです。

 でもね、たまーーーーに、何かの拍子で、脳の回線がつながることがあって、一瞬だけど記憶がよみがえるときがあるのです。

 「ばあちゃん、良かったね。ばあちゃんのこと分かるってさ」

 寝ているオフクロの右の目尻から、一筋の涙が流れ落ちるのが見えました。
 そして、左手を差し伸べています。


 「ほら、じいさん。Hの手だよ」
 僕はオヤジの手を取り、オフクロの手に重ねてやりました。

 オヤジの体重は現在、40キロです。
 オフクロにいたって、28キロしかありません。
 しわくちゃでガリガリの手が、さらに小さな手をつかみます。

 「痛いですよ、おとうさん」


 なぜか、それを見ていた僕の頭の中に、急にあるメロディーが流れ出しました。
 その昔、フォーク歌手の本田路津子が歌った 『一人の手』 という歌です。

 小さな手と手が重なり合って、何ができるのでしょうか?
 何もできなくてもいいから、今、この時が止まってくれたらと、思わずにはいられませんでした。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:06Comments(0)つれづれ

2018年02月02日

16歳へのレクイエム


 「どうした? 友だち」
 「うん、意識がもどったって」
 「そうか、良かったな」
 「でも、もう一人の子が……」

 そんな会話を次女と交わしたのは、1週間ほど前でした。
 その、もう一人の子が31日の夕方、息を引き取りました。
 夢も未来もある16歳でした。


 事故は1月9日朝、始業式の日に起きました。
 前橋市内の県道で、乗用車が路側帯を自転車で走っていた高校1年生の女子に衝突。
 直後に民家の塀にぶつかった弾みで横転し、自転車に乗っていた高校3年生の女子をはねました。
 この2番目に巻き込まれた女子が、次女の友人でした。
 ※(当ブログの2018年1月12日「フラッシュバック」参照)


 昨日の早朝、朝刊を見て、愕然としました。
 <重体の女子高生死亡>
 自分でも、体が震えるが分かりました。
 なんで、なんで、死んじゃうの?
 この子は、何も悪いことなんて、していないじゃないか!
 心の叫びが、ますます体を震わせます。


 人生には、“まさか” という 「坂」 があるといいます。
 あの日、あの時、彼女が北風を切って自転車を漕いでいた坂道が、その “まさか” だったというのでしょうか……

 真っ先に僕の脳裏に浮かんだのは、ご両親のこと。
 だって、他人事ではありませんもの。
 もし、あの日、道が違っていたら、我が子だったかもしれないのです。
 何よりも僕ら夫婦は、過去に同じ境遇に遭っているからです。
 ※(当ブログの2017年3月6日「通れない道」参照)

 あの時、僕らは一心に祈りました。
 神様、仏様、ご先祖様にも、八百万の神々すべてに。
 そして、幸いにも願いが届き、息子はもどって来ました。

 でも今回、その願いは届かなかった。

 一日も早い回復を願って千羽鶴を折っていたクラスメートたち。
 事故を知ったたくさんの人たちの願いを、神様は聞いてくださらなかったのですね。


 乗用車を運転していたのは85歳の高齢男性でした。
 調べに対して 「気が付いたら事故を起こしていた」 と供述しています。

 被害者だけじゃありません。
 加害者にも “まさか” の下り坂があったのです。
 そして、ここにも家族がいます。

 85年間生きてきて、本人も残りの人生を平穏に送りたいと思っていたことでしょう。
 家族も同様です。
 長い長い人生の結末としては、最悪のシナリオを描いてしまいました。


 でも、罪は罪です。
 たった16年で旅立ってしまった命の代償は、つぐなってもらわなくてはなりません。
 そして、これから先、このような悲惨な事故が起こらないよう国を挙げて対策を考えてほしいものです。

 で、僕から1つ提案です。
 75歳以上のドライバーには、免許の条件に 「自動ブレーキシステム搭載車のみ可」 を加えてほしいのです。
 その条件を満たせない場合は、自動的に免許返納となります。



 太田さくらさんのご冥福をお祈りいたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:27Comments(2)つれづれ

2018年01月29日

トンカツと温かい手


 両親の介護も、いよいよ大詰めに入ったようであります。
 正月明けにオフクロが、また入院しました。

 以前は、脳梗塞、脳出血と病気のためでしたが、今回は事情が違います。
 老衰です。
 まったくもって、食事を摂らなくなってしまったのです。
 水すら受け付けなくなってしまったため、急きょ、入院させることにしました。

 オフクロは昭和2年生まれの90歳です。
 若い頃から “病気のデパート” と揶揄されるほど、病弱な人でした。
 それが60歳を過ぎてから健康を取り戻し、登山や俳句、合唱など趣味を謳歌するほど元気になりました。

 「こんなに長生きするとは思わなかった」
 とは、僕ら子どもたちならず、本人さえも口にする言葉です。
 でも、そろそろ限界のようです。


 昨日、オヤジを連れて、面会に行ってきました。

 オヤジは大正13年生まれの93歳です。
 もう、10年以上も認知症を患っています。
 現在、記憶は1分と持ちません。

 でも、健康だけは取り柄で、足腰が丈夫だったんですけどね。
 ついに、それも限界が来たようです。
 杖をついての一人歩行が困難になり、ついに、車イスに乗っての “夫婦対面” となりました。


 「ばあちゃん、ジュンだけど。分かるかい?」
 「ああ、来てくれたんかい。ありがとね」
 「思ったより元気そうで安心したよ」
 「せっかく来たんだから、トンカツでも食べていきな」
 「トンカツ?」
 「……」
 「なんだい、トンカツっていうのは?」
 「ふふ、ふふふふっ。きっと夢だね。ふふっ」

 一日中、点滴だけで、寝ているからでしょうか。
 夢とも、うつつとも、判断がつかないようです。

 「じいさん、連れて来たよ」
 「おとうさんが来たの!? どこ?」

 「ほら、じいさん。ばあちゃんだよ」
 と、僕はオヤジの手を、オフクロの手に重ねてやりました。

 「あったかい手だな。誰の手だい?」
 「H(オフクロの名前)だよ。あなたの奥さんですよ」
 「……、ふ~ん」
 「会えて、良かったね」
 「……」


 ベッド脇のタンスに、持って来た着替えを納め、帰ろうとしたときです。

 「また来るからね」
 と、オフクロに声をかけると、思わぬ言葉が返ってきました。
 「もう、おとうさんは、連れて来なくていいよ」
 「なんでさ? あんなに会いたがっていたじゃないか?」
 すると、オフクロは、
 「だって、分からないんだもの」
 とだけつぶやき、目をつむってしまいました。


 「さっ、帰るよ」
 「どこへ帰るんだい?」
 「家だよ」
 「じゃあ、ここはどこだい?」
 「病院だよ」
 「なんで病院にいるんだい?」

 また、いつもの堂々巡りの会話が始まりました。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:56Comments(5)つれづれ

2018年01月27日

鬼の道 素通り


 実家の近くに、小さな児童公園があります。
 昔は、もっと遊具もたくさんあって、いつも子どもたちの喚声が聞こえてたんですけどね。
 老朽化と少子化のせいで、まるで昭和の忘れ物のように、ひっそりとたたずんでいます。
 今は古びたブランコと、ピラミッドのようなコンクリートの山と、小さな滑り台があるだけ。
 町内の夏祭り以外は、いつ前の道を通っても、滅多に人影を見ることがありません。

 小学生のときは、同級生とオニゴッコやカンケリをして遊んだ公園です。
 中学時代は、学校帰りに買い食いをした場所でした。
 高校生になってからは、入口にあった公衆電話に、お世話になったものでした。
 大人になってからは、世代交代して、うちの子どもたちの遊び場となりました。

 そんな思い出深い公園なのです。


 先日、近くを通った時に、なつかしくなり、ぶらっと寄ってみました。
 平日の午後でしたが、人っ子一人いません。
 公園の真ん中に立ち、グルリと見回したときでした。

 「あれ、なんだ?」

 公衆トイレの脇に、無造作に積まれている物があります。
 よく見ると、マンホールのフタような丸い、大小いくつものコンクリート盤です。

 「あっ、これ、鬼の道 素通りだ!」


 みなさんは、「鬼の道 素通り」 という遊びをしたことがありますか?

 地面に大きな円を描いて、中に十字の線を引きます。
 ジャンケンで鬼を決め、それ以外の人は、靴を片方だけ鬼に渡し、鬼はその靴を十字の中央に “宝物” として置きます。
 鬼が動ける範囲は、たてよこ十字の線だけですが、それ以外の人は、円のまわりも十字の中も自由に動けます。
 でも、すでに靴を片方取られていますから、ケンケンでしか動けません。

 鬼にタッチをされると、もう片方の靴も取られて、その人は失格となります。
 でも勇気のある人が、鬼が他の人に気をとられている隙に、“鬼の道” を通り抜けて、靴を取り返します。
 このときに発する言葉が、「鬼の道 素通り」 です。

 正しくは、「おーにのみーち すーどーり」 と抑揚をつけて歌いながら走り抜けます。

 「おーい、これは誰の靴だ?」
 「オレのオレの! サンキュー」
 「頼んだぞ!」

 靴を取り返してもらった人は、今度は両足で自由に走り回れます。
 鬼も俄然、守りが固くなります。

 こうして、すべての靴を取り返せば、鬼の負け。
 逆に、全員タッチされれば、鬼の勝ちとなります。


 無造作に積まれていたコンクリート盤は、かつて公園ににあった遊具の1つ 「鬼の道 素通り」 の残骸だったのであります。
 子どもたちが線を引くことなく、すでに円と十字に、このコンクリート盤が埋め込まれていたのです。
 今は無残にも、公園の隅に廃棄物のように積まれています。

 やっぱり、老朽化でしょうか?
 それとも、遊ぶ子どもたちが、いなくなってしまったからでしょうか?


 “子どもは風の子” なんていわれていたのは、はるか遠い昭和の時代なんですね。
 木枯らしが吹き抜ける公園に、しばらく立ちすくんでいました。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:36Comments(0)つれづれ

2018年01月15日

御用だ!! 「小暮」


 「こんなもの、高崎駅でもらっちゃった」
 義姉から手渡されたものは、A5判の小さなチラシでした。

 <御用だ!! 「小暮」>
 <懸賞金上限額 300万円>


 みなさんは、覚えていますか?
 平成10年1月14日夜、旧群馬町(現高崎市) で発生した一家3人殺人事件を!

 <事件から20年となった14日、県警はJR高崎駅でチラシやポケットティッシュを利用客らに配り、殺人容疑で指名手配されている元トラック運転手、小暮洋史(48)の情報提供を呼びかけた。>(今日の毎日新聞より)


 やっぱり、一族としては気持ちのいいものじゃありませんって。
 もちろん、親戚でもなく、縁もゆかりもない赤の他人ですけど、同姓というのは……。

 でも、それだけではないのです。
 20年前、我が家は大騒ぎになりました。
 というのも、オヤジが同姓同名だったからです。

 「おいおい、その昔は大久保清とも間違われたこともあるし、散々だな」
 とは、当時のオヤジの弁です。
 あれから20年、認知症を患った現在のオヤジにチラシを見せたら、なんと言うのでしょうか?


 好奇心が旺盛な僕とアニキは、ニヤニヤしながら、そっとオヤジにチラシを手渡しました。
 目が不自由なオヤジでも、十分読めるほどの大きな活字です。

 「ゴヨウダ、コグレ……。なんだい、これは?」
 「ここも、読んでごらんよ」
 「コグレ ヒロシ? これは俺かい?」
 「じいさん、人を殺しちまったんかい?」
 「…………、わかんない」

 もう、おかしくて、おかしくて、アニキと2人して、腹がよじれるほど笑いました。
 「かわいそうだよ、もう、やめようよ」
 「だな、罪の意識を持たれると困るものな」

 「同姓同名の人だよ。じいさんじゃないよ」
 「そーかい、それは良かった」
 と、本人も安堵したようでした。


 御用だ! 小暮!!

 一日も早い事件の解決を祈っています。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:45Comments(0)つれづれ

2018年01月12日

フラッシュバック


 またしても、高齢者ドライバーによる悲惨な事故が起きてしまいました。
 しかも、僕が住んでいる前橋市内で!
 しかも、しかも! 被害者の女子高生は、次女の友人でした。


 「交通事故」 「高校生」
 この二文字に、僕の体は過敏に反応します。
 目にした途端、全身を鳥肌が覆い、寒気が走り抜けます。
 PTSD (心的外傷後ストレス障害) っていうやつですかね?
 あの日の光景が、フラッシュバックするのです。

 もう9年前のことですが、長男が高校生の時に交通事故に遭いました。
 今回の女子高生と同じ、朝の通学途中でした。
 自転車は “くの字型” に曲がり、相手の車のフロントガラスは割れ、ボンネットは陥没していました。
 ※(詳細は、当ブログの2017年3月6日 「通れない道」 参照)

 <高校生、はねられ重傷>
 翌日の新聞記事の見出しです。

 「運が良かっただけです。打ち所が悪ければ死んでいましたよ」
 現場検証に立ち会ったときの警官の言葉が忘れられません。


 でも今回の事故では、被害者の女子高生2人は、<頭などを強く打ち意識不明の重体> だといいます。
 3日経った現在も、まだ意識はもどっていません。
 見守る家族の心中を察すると、胸が苦しくなります。
 どうか、一日も早く意識がもどり、快復に向かい、家族を安心させてあげてください。
 ただただ、祈るばかりです。


 それにしても、加害者のドライバーは85歳という超高齢者です。
 すでに兆候があり、物損事故をくり返していたといいます。
 なぜ家族は、もっと強く、もっと早く、制することができなかったのでしょうか?

 実は僕とアニキは、オヤジが満80歳の時に、強制的に運転免許を取り上げました。
 だって、兆候があったからです。
 一時停止を止まらずに、バイクと衝突事故を起こしたからです。

 本人は、「まだ大丈夫だ」 と駄々をこねましたが、僕らの判断は間違っていなかったと思います。
 子としては、80歳を過ぎた親を刑務所へ送るわけにはいきませんからね。


 どうか、高齢者と暮らす家族のみなさん。
 強い意志を持って、免許の返納を強制的に行ってください。
 それが、悲しい事故を1件でも減らす近道です。

 お願いします。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:15Comments(2)つれづれ

2018年01月08日

年賀御礼 ~見知らぬあなたへ~


 今年も、たくさんの年賀状が届きました。
 一時、メールで年賀のあいさつをくださる人が増えた年もあったのですが、今年はゼロ!
 すべて年賀状でした。
 平成が終わるからなんでしょうか?
 世の中が原点回帰を始めたのでしょうか?
 また年賀状の価値が、見直されてきたようです。

 僕の場合、圧倒的に仕事関係が締めています。
 取材した温泉宿やお世話になっている温泉協会、観光協会など、温泉関係が半分以上です。
 次に多いのが、新聞や雑誌、テレビやラジオ、旅行代理店などのマスコミ、メディア関係が年々増えています。

 逆に、減っているのが友人や知人などからの便り。
 同級生は、もう何十年も会っていないのに毎年来ますが、ここ数年は、親の年齢が高齢となり、喪中ハガキの人が増えました。


 そんな中、数年前から毎年、見知らぬ人から年賀状が届くようになりました。
 名前を見ても、記憶にありません。
 会社名を見ても、心当たりがありません。
 個人事務所のようで、肩書きも何もなく、名前だけが書かれています。
 手書きのコメントも一切ありません。

 3年前か、4年前だと思います。
 最初にもらった年に、名刺ホルダーのリストをめくってみたのですが、ありませんでした。
 どうも、名刺交換はしていないようです。

 でも、僕の住所と名前を知っているということは、どこかでお会いしているのだと思います。
 記憶にないからと、すっとぼけているわけにもいかず、最初の年に僕も年賀状を出しました。
 そしたら毎年、届くようになったのです。

 相変わらず印刷だけで、コメントがありません。
 よって、こちらもコメントの書きようがありません。
 ということは察するに、僕とその人は、その後、会っていないのですね。
 過去に一度会っただけで、年賀状のやり取りを続けているということです。

 でも、不思議なもんです。
 「あっ、今年も来ている!」
 と、年賀状を見つけたときに、ホッとするやら、うれしいやら、ちょっぴり喜んでいる自分がいるのです。


 あなたは、だーれ、だれでしょか?

 見知らぬ方ですが、今年も、どうぞ、よろしくお願いいたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:58Comments(0)つれづれ

2018年01月06日

人生に楽園があるとすれば


 「ジュンちゃん、新しいことを始めるんだね!?」
 N先生は、そう言葉をつないだのでした。
 年賀あいさつでのことです。
 ※(当ブログの2018年1月4日 「天命元年」 参照)


 えっ?
 いえいえ、僕はただ、60歳という年齢がキリがいいので、とりあえず人生の節目にしようかと思っただけでして……
 別に新しい何かを始めようなんてことは、これっぽっちも思ってはいませんで……

 “天命” という言葉を出した途端に、思わぬ方向に話を向けられてしまい、あたふたしてしまいました。
 だって、還暦過ぎてから新しいことを始めるって、『人生の楽園』 じゃないんだから……
 なんて、考えてしまったのであります。


 『人生の楽園』 とは、毎週土曜日の夕方にテレビ朝日系列で放送されているドキュメンタリー番組のことです。
 俳優の西田敏行さんと、菊池桃子さんがMCをしている人気番組です。
 (確か、初代のパートナーは伊藤蘭さんでした)

 で、この番組は、主に定年退職後に第二の人生を歩み出した夫婦の日常を追いかけています。
 趣味の工房を造ったり、自給自足の農家民宿やペンションの経営を始めたりと、人生を謳歌しているシニア世代が登場します。
 ある意味、悠々自適の老後を送っている人たちで、なんともうらやましい限りであります。

 でもね、僕の老後は、そんな時間もお金もありません。
 ましてや、趣味に没頭したり、夫婦で旅行三昧なんていう優雅なことは、あまりに非現実過ぎて想像すらできません。

 もし僕に “新しいこと” が始まるとすれば、それは仕事であり、もしくは仕事の延長線上にある何かです。
 なぜなら、それがフリーランスで生きてきた、そして今後も生きてゆく定めだからであります。


 生涯現役!

 もし僕に、人生の楽園があるとすれば、その四文字に尽きると思います。


 ジャーナリストの木部克彦氏は、著書 『続・群馬の逆襲』(言視舎) の中で、僕のことをこんなふうに書いています。

 <ここまで 「人生のすべて」 を温泉につけこんでしまう人は、なかなかいません。まさに 「温泉バカ一代」。「天下無敵の温泉フリークの星」 になるまで、彼の体当たりの 「修業」 は続くのです。>

 そして最後は、こんな僕のセリフで締めくくっています。

 <「こうなったら、自分の人生も、いやいや死に場所だって温泉以外にねえってもんさね。酒エ飲んだくれて、湯船で息絶えたら、『温泉葬』 にしておくんなさい。遺影はもちろん、湯につかっている写真だいねえ……」>

 これぞ! 僕が目指す人生の楽園であります。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:04Comments(2)つれづれ

2018年01月04日

天命元年


 「今年は、天命元年ですか。いいですね」

 毎年決まって、年賀のあいさつに伺うと、先生の第一声は、この “元年” 話から始まります。
 先生とは、木彫家で絵本作家のN先生のことです。
 先生と出会った30数年前から、僕は年賀状に “○○元年” と題して、必ずその年の目標を記しています。


 ちなみに昨年は、「マルチ元年」 でした。
 本業であるライターの枠を超えて、与えられたものは何でも挑戦して、こなして行こう!と、宣言しました。
 結果、昨年は新年早々から某ミュージシャンのレコーディングに参加したり、某銀行での温泉講座講師を引き受けたり、ラジオやテレビのコメンテーターや旅番組のナビゲーター、雑誌や新聞からインタビューされる機会が増えました。

 まさに “○○元年” は、僕にとって有言実行への指針となるキーワードなのであります。


 で、今年、僕が選んだ言葉は、「天命元年」 です。

 <人事を尽くして天命を待つ> といいます。
 また、孔子は <五十にして天命を知る> といいました。

 孔子と違い、僕は凡人ですから50歳では、天命を知ることはできませんでした。
 でも、僕もやっと人並みに、“天命” を知る齢(よわい) を重ねる歳となりました。

 今年、還暦(60歳) を迎えます。


 もっともっと、あれも、これも、やりたかったとは思います。
 でも、若い頃のように、あれも、これも、やりたいとは、もう思いません。

 60年も生きてきたんだもの。
 やるだけのことは、やってきた。
 と、思うのです。
 だってサラリーマンだったら、定年退職する歳ですからね。

 とりあえず僕も、ここらで人生の “第一章” に、責任をとろうと思います。
 すべての評価を、甘んじて受けます。
 60年間の僕の生き方に、世間が出してくれた答えが、結果であると……。

 良くも、悪くも、それが僕の人生の第一章とします。


 さて、審判の年が明けました。
 もう、逃げも、隠れもしません。

 さあ、みなさん、僕の半生をご自由に評価してください。
  


Posted by 小暮 淳 at 13:41Comments(2)つれづれ

2018年01月02日

1+1が9になる日


 明けまして おめでとう ございます。
 本年も よろしく お願いいたします。

 新しい年、2018年(平成30年) がスタートしました!
 2018 = 「フロいーわ」
 なんて温泉好きが喜ぶ語呂合わせでしょうか!!
 今年も、どんな温泉が待っているのか、とても楽しみであります。


 さて、みなさんは、どんなお正月を過ごしていますか?
 僕は、今年も年に一度の不思議な体験をしました。

 1月1日は、毎年特別な日であります。
 だって、こんな狭い家に、わんさか人が集まって来るのですから……。


 普段は、僕と家内と次女の3人暮らしです。
 そこへ、「おめでとうございまーす!」 と、耳をつんざくような大声とともに、長女一家が現れます。
 8年前に嫁いだ長女とムコさん、そして小学校1年生になる孫のK君です。

 さらに一昨年、所帯を持った長男夫婦が登場!
 これで8人なのですが、それは去年までの話。

 そうなんです!
 今年からは、プラス1が加わりました。
 昨秋、長男夫婦にも第一子が誕生したのであります。
 S君、0歳(2カ月半) です。


 「ちいさーい!」
 「見て見て、この手手」
 「かわいいー!!」

 完全に、今年からアイドルの座は、K君からS君に変わりました。
 だもの、さぞかしK君は、すねているだろうと思いきや……
 さにあらず、K君は、どこへ行くにもS君に付きっ切りです。

 「おい、ジイジと遊ぶか?」
 「いい」
 「なんで?」
 「だって、Sちゃん、かわいいんだもの」
 と、離れません。
 お手手をモゾモゾ、ほっぺをスリスリ、おつむをナデナデ……

 しまいには、クンクンと嗅ぎまわっています。
 「赤ちゃん、そんなに気に入っちゃったのか?」
 「うん、だって、いい匂いがするんだもの」


 なんて、不思議な光景なんでしょうか!?
 みんな僕の家族なんでしょうが、なんだか実感がありません。

 若い頃から唯我独尊で、我がままで、家族なんて持つ資格がないと思いながら生きてきた僕です。
 父親らしいことも何一つしてあげられず、子どもたちは勝手に育ってくれました。
 「うちのお父さんて、変わっているよね」
 子どもたちは3人ともが、友だちの親と比べては、コンプレックスを感じながら生きてきたと思います。

 そんな負い目があるものだから、僕も “父親風” を吹かせることはありませんでした。
 しつけも教育も、すべてが家内任せ。
 だから、なおさらなんです。
 1月1日の光景は、なんだかとっても面映いのであります。

 ああ、オレらしくないよなって……


 1+1=2
 それが33年経った今、9になっていました。
 「野球チームが作れるな」
 何気に言った僕の冗句に、
 「だね」
 と言葉を返してくれたのは、新米パパの長男だけでした。

 やっぱ、らしくないか……
  


Posted by 小暮 淳 at 13:37Comments(2)つれづれ

2017年12月31日

今年も最後はゲゲゲのゲ~!


 「大晦日」 と書いて、「おおつごもり」 とも読むそうです。

 「つごもり」 とは、「つきごもり(月隠)」 の略で、月の光が隠れて見えなくなること。
 元は月の三十番目の日(30日) のことで、転じて、月の終わり(下旬) をいうようになったようです。

 それに “大” の字が付くわけですから、一年の最終日となります。


 今日が、その大晦日であります。
 2017年(平成29年)、最後の日となりました。
 あと数時間で、新しい年を迎えます。

 なんだか、ドキドキしますね。
 ちょっぴり、ワクワクもします。
 なぜでしょうか?
 何か根拠でもあるのでしょうか?

 いえいえ、なーんにもありません。
 でも毎年、年越しは、ワクワク、ドキドキします。
 去り行く年を惜しむよりも、迎える年に期待することが多いからかもしれませんね。

 あっ、あれもしたかった!
 これも、し忘れた!
 あれも、これも、それも、みーんな、来年におあずけです。


 読者のみなさんにとって、今年は、どんな1年間でしたか?
 超ハッピーだった人も、ちょっぴり残念だった人も、リセットして気分一新!
 待望のニューイヤーを迎えましょう!

 と、いうことで、今年も最後は、あの恒例の“ゲゲゲのゲ” で1年を締めたいと思います。
 故・水木しげる先生の 『幸福の七ヶ条』 であります。
 さあ、みなさんもご一緒に、復唱ください。


 <第一条>
 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
 <第二条>
 しないではいられないことをし続けなさい。
 <第三条>
 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
 <第四条>
 好きの力を信じる。
 <第五条>
 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
 <第六条>
 怠け者になりなさい。
 <第七条>
 目に見えない世界を信じる。


 今年も1年間、お付き合いをいただき、ありがとうございました。
 来年もよろしくお願いいたします。
 良いお年を、お迎えください。
                 大晦日 小暮 淳
   


Posted by 小暮 淳 at 18:03Comments(0)つれづれ

2017年12月27日

今年のベスト10


 今年も残り少なくなりました。
 テレビや新聞では、恒例の10大ニュースを発表しています。
 “ニュース” というくらいですから、良い事も悪い事もあるわけです。

 でも、せっかくですから今年1年間を振り返って、良い事だけ選んでみようと思います。
 題して、「2017年 私のベスト10」。
 こんな感じになりました。



 第1位  3つの温泉大使 (5月・7月)

 昨年いただいた 「みなかみ温泉大使」 と 「中之条町観光大使」 に続いて、今年は 「老神温泉大使」 と 「伊香保温泉大使」 と 「四万温泉大使」 に任命されました。
 Old boys, be ambassador.(中年よ、大使になれ) なんていう言葉も生まれました。(ウソです)


 第2位  シリーズ9弾 『金銀名湯 伊香保温泉』 刊行 (5月)  

 2009年から始まった 「群馬の温泉シリーズ」(上毛新聞社刊) です。
 いよいよ天下の名湯、伊香保温泉が出版されました。
 44軒すべての宿の湯に浸かると、知っているようで知らなかった伊香保温泉の魅力が見えてきました。


 第3位  紀伊国屋書店でサイン会 (6月)

 『金銀名湯 伊香保温泉』 の出版を記念して、紀伊国屋書店前橋店様が 「群馬の温泉シリーズ フェア」 を開催してくださいました。
 フェア開催にあたり、「著者来店サイン会」まで開いてくださいました。
 それまでに講演会場でのサイン会というのはありましたが、書店でというのは人生初の体験でした。
 当日、会場に来てくださった読者のみなさま、ありがとうございました。


 第4位  群馬銀行記念講演会 (3月)

 講座やセミナーなどを含めると、年間20~30回の講演活動を行っています。
 一番多いのは、市町村公民館での高齢者を対象とした “温泉教室” です。
 聴講者の数も30~50名ほどです。
 でも、群馬銀行様主催となると違います。約200人!
 翌日の地元紙にも、大きく記事が載りました。


 第5位  NHKBSプレミアム出演 (7月)

 NHKBSプレミアムの人気番組 「ニッポンぶらり鉄道旅」 に、ナビゲーターとして出演し、イケメン俳優の渡邉剣さんと、草津温泉~沢渡温泉を旅してきました。
 さすが全国放送ですね。すごい反響でした。
 山口県に暮らすいとこが、あわてて電話をかけてきました。
 「ビックリしたよ! テレビ見てたら、突然、ジュン坊が出てきてさ」


 第6位  「ミュゼ」 にて企画展&文化講演 (7月)

 中之条町歴史と民俗の博物館 「ミュゼ」 にて、企画展 『世のちり洗う四万温泉』(7月1日~8月30日) が開催されました。
 企画展では僕の作品が展示され、開催にあたり文化講演を行いました。
 この講演会の壇上にて、四万温泉協会より温泉大使に任命されました。


 第7位  群馬のキーパーソン (11月)

 デザイン活動家のナガオカケンメイ氏が編集長を務める観光ガイドブック 『d design travel 群馬』 で、“群馬のキーパーソン” 4人のうちの1人に選ばれました。
 編集長自らが、群馬まで取材に来てくださいました。
 現在、全国の主要書店で絶賛発売中です!


 第8位  第2回公開パネルディスカッション (9月)

 NPO法人 「湯治乃邑(くに)」 を設立して、3年になります。
 意気込みのわりには、なかなか目に見える活動ができていなくて、歯がゆいかぎりです。
 そんな中で、今年もパネルディスカッションを開催することができました。
 ゲストパネラーに、(株)エムダブルエス日高代表の北嶋史誉氏と、みなかみ町観光協会理事長の深津卓也氏を招き、湯治場の復活をテーマに熱く語り合いました。


 第9位  冠連載スタート (5月)

 群馬県が企画し、上毛新聞社が編集・発行する県の広報誌 「グラフぐんま」 5月号から 『温泉ライター小暮淳の ぐんま湯けむり浪漫』 の連載がスタートしました。
 朝日新聞の 『小暮淳の温泉考座』 以来、久々の自分の名前がタイトルに付いた冠連載です。
 公民館や銀行、病院の待合室に置かれていることが多い雑誌なので、たくさんの人が読んでくださっているみたいですね。


 第10位  2人目の孫誕生 (10月)

 1つぐらいはプライベートの出来事を入れておきます。
 長男夫婦にも、男児が誕生しました。
 すでに長女夫婦には小学1年生の男の子がいますから、これで孫が2人になりました。
 あわてても、うろたえても、正真正銘の “ジイジ” です。



 以上、今年の私的ベスト10でした。
 みなさんは、どんな1年間でしたか?
   


Posted by 小暮 淳 at 12:38Comments(2)つれづれ