温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2016年12月31日

ゆく年に除夜の鐘を


 平成28年が、まもなく暮れようとしています。
 つくづく昭和が遠くなったと感じます。

 子どもの声がうるさいからか、保育園や幼稚園の建設に反対したり、不審者対策からなのかマンション内でのあいさつを禁止したり……
 昭和の時代には考えられなかったような出来事が、身の回りで次々と起きています。
 “除夜の鐘” も、その1つのようです。


 除夜の鐘は、騒音なのでしょうか?

 確かに、昭和と平成ではライフスタイルが大きく変わりました。
 それによって、個人の価値観の相違も多様になりました。
 だから、除夜の鐘を 「うるさい!」 と感じる人がいても不思議はありません。

 でもね……

 やっぱり、価値観は変化しても、文化は継承していきたいものです。
 それを忘れてしまったら、ご先祖様が泣きますぜ!

 ということで、古式ゆかしく、「紅白歌合戦」 のあとは、「ゆく年くる年」 を観ながら、除夜の鐘を聴いて新年を迎えたいと思います。


 読者のみなさま、今年1年間、お付き合いいただき、本当にありがとうございました。
 よい年をお迎えください。
 そして、来年もよろしくお願いいたします。

        平成28年12月31日 大晦日  小暮 淳
   


Posted by 小暮 淳 at 22:16Comments(2)つれづれ

2016年12月30日

マロの独白⑲ いくつ寝るとお正月


 こんにちワン!
 マロっす!
 ここんちの飼い犬、チワワのオス、10才です。

 お久しぶりでやんした。
 つうか、今年はオイラの出番が少なかったと思いませんか?
 ま、そんだけ、ご主人様が忙しかったということなんですけどね。
 オイラの出番が少ないということは、ご主人様の仕事が順調に進んでいるしるしですから、飼い犬としては喜ばしいことであります。

 それにしても、1年なんて、あっという間でやんすね。
 月日が経つのは、本当に早いものです。
 オイラが、この家に来て、もう10年ですからね。

 当時の小暮家は、それはそれは、にぎやかでしたよ。
 長女様は色気盛りの高校生で、長男様は生意気盛りの中学生。 
 次女様にいたっては、ピカピカの小学1年生でしたからね。
 そんて、みんながみんな、オイラを可愛がってくれました。

 やがて1人消え、2人いなくなり、残った次女様も難しい年頃のようで、ご主人様も奥様も腫れ物に触るような扱いでございます。
 でも、でもでもーーーーー!!!
 あと、いくつか寝ると、待ちに待ったお正月がやって来るんでやんす!

 長女様夫婦とお孫様、長男様夫婦、ご主人様と奥様と次女様とオイラと……
 ね、にぎやかでしょう!
 5人+1匹家族だったのが、10年経ったら8人+1匹家族になったんですよ!
 これって、すごい事だと思いませんか?

 ワ~、今から楽しみだな~!!
 オイラ、毎日、歌をうたって、お正月が来るのを待っているんだ!


 ♪ もういくつ寝るとお正月
   お正月には散歩して
   ドッグフード食べて 昼寝して
   いつもと変わらぬお正月 ♪

 来年もよろしくだワン!
  


Posted by 小暮 淳 at 15:04Comments(2)つれづれ

2016年12月29日

今年も最後はゲゲゲのゲ


 今年も残り、あと2日となりました。
 みなさんは、どんな1年間でしたか?

 反省すべき点も多々あることでしょう。
 でも、昨年よりも成長した事もいっぱいあるはずです。
 1年の最後ぐらい、自分の “頑張ったとこ” を褒めてあげようじゃありませんか!


 では、僕から振り返ってみますね。
 今年を表す漢字一字は、「奔」 でした。
 昨年が 「労」 だったわけですから、飛躍的に前向きになれた年だったと言えます。
 とにかく、飛び回っていた1年でした。

 <温泉>
 過去には年間100回以上めぐっていた年もありましたが、ここ数年は体力の衰えと取材内容の変化もあり、かなり少なくなりました。
 今年は、68回。昨年とほぼ同様です。

 <講演>
 そのぶん、講演やセミナー、講座などの出張が増えました。
 みなかみ町の 「温泉大使」 や中之条町の 「観光大使」 に任命されたこともあり、関連イベントでのスピーチや講話を含めると30回以上になります。

 <メディア>
 なんと言っても、今年はメディアへの露出が多かった年でした。
 1月の 「週刊文春」 から始まり、3月の 「毎日新聞」 全国版と立て続けに掲載され、4月には大阪のラジオ局 「毎日放送」 に生出演しました。
 やっぱり、全国区の反響は違います。
 著書の売り上げにも影響しますし、ブログやネット検索の数が桁違いに伸びますもの。
 そして、極めつけは9月に行った 「東京ビッグサイト」 での2回講演ですかね。

 群馬の温泉を全国の人たちに知っていただけたと思います。


 さてさて、いよいよ奔走した2016年も、まもなく暮れようとしています。
 最後に、僕をいつも励まし、突き動かしてくれている、あの七ヶ条を復唱したいと思います。
 そう、故・水木しげる先生の 『幸福の七ヶ条』 であります。
 ※(詳しくは当ブログの2015年12月26日「ゲゲゲの七ヶ条」参照)


 〔第一条〕
  成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
 〔第二条〕
  しないではいられないことをし続けなさい。
 〔第三条〕
  他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
 〔第四条〕
  好きの力を信じる。
 〔第五条〕
  才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
 〔第六条〕
  怠け者になりなさい。
 〔第七条〕
  目に見えない世界を信じる。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:33Comments(0)つれづれ

2016年12月27日

さらば青春の聖地


 ♪ ひとつひとりじゃ淋しすぎる ふたりじゃ息さえもつまる部屋
   みっつ見果てぬ夢に破れ 酔いつぶれ夜風と踊る街
   哀しみばかりかぞえて 今日も暮れてゆく
   あゝ青春は燃える陽炎か あゝ青春は燃える陽炎か ♪
    (『あゝ青春』 by 吉田拓郎)


 奇しくも前回、ブログに拓郎のことを書いたところ、翌日の新聞紙面に、こんなニュースが掲載されました。
 『フォークソングの聖地 42年の歴史に幕』

 「つま恋」 という名を聞いて、胸の奥のほうがキューンと締め付けられる思いを抱くのは、たぶん50代以上の方々でしょうね。
 決して、群馬県吾妻郡のキャベツの産地ではありませんよ。

 「つま恋」 とは、静岡県掛川市にあるヤマハリゾート施設のこと。
 1974年に開業し、翌年の夏には、あの伝説の野外フォークコンサートが開催されました。
 『あゝ青春』 は、その時のオープニング曲であります。

 そして1979年には、前回ブログに記した愛知県の離島、篠島でのアイランドコンサートが開催されました。
 この時のオープニング曲も 『あゝ青春』 でした。


 残念ながら僕は、同じ時代に青春を過ごしていたにも関わらず、まだ高校生だったことや家庭の事情もあり、歴史の現場には立ち会えませんでした。
 もちろん、ライブビデオは擦り切れるほど、くり返し観ましたけどね。

 で、大人になってから “聖地巡礼” の旅に出たのであります。
 つま恋にも、篠島にも……


 その青春の聖地が、1つ姿を消しました。
 施設の老朽化が進み、修繕費がかさむこと。
 利用客の減少により、業績不振に陥ったこと。
 理由は多重のようですが、やはり一番に感じることは時代の変化です。

 価値観の多様化、に尽きる気がします。

 きっと今の若者も、それぞれの夢を抱いて真っ直ぐに生きていることでしょう。
 そして僕らにも、夢中になった青春の群像があったのです。

 今でも記憶の中で、ゆらゆらと陽炎のように揺らめいています。
  


Posted by 小暮 淳 at 14:38Comments(0)つれづれ

2016年12月24日

今はまだ人生を語らず


 <拝啓 吉田拓郎様
  あれから25年。あの夏の日が忘れられなくて、あなたと青春を燃やした島、篠島へ行ってきました。青い海と空、そして気さくで人なつっこい島人たちと四季を遊んできました。みんな、あなたとあの日のことを覚えています。島が沈みそうになった1979年7月26日の熱い熱い夏の日を……>


 昨晩は、NHKテレビに釘づけになってしまいました。
 『SONGSスペシャル 吉田拓郎70歳・初めて挑んだライブに密着』

 10代から熱狂的なファンとして、彼を追いかけてきた僕にとっては、ただただ感動の1時間でした。
 若い時の拓郎もやんちゃで良かったけど、古希を迎えた枯れた拓郎も実に良いのであります。

 で、冒頭に記した文面であります。
 なんのことを言っているかは、拓郎ファンならお分かりですよね。
 1979年に知多半島沖の離島・篠島で夜通し開催された 「アイランドコンサート」。
 その伝説の島に、僕とフリーカメラマンの故・大河原義弘氏は、2年間通い詰めました。
 今から10年以上前のことです。

 そして僕らは、今の篠島を知ってほしいと、各地で展示会を開催しました。
 前橋・宇都宮・横浜、そして地元の安城市(愛知県) のギャラリーでも行いました。
 タイトルは、フォト&エッセイ展 『島人たちの唄』。

 この文章は、その時のDMやチラシに書かれたものです。


 テレビでは、珍しく拓郎本人が、自分の作った曲の中で、好きな歌ベスト5というのを発表していました。
 70歳になった拓郎が選んだ、そのベストワンとは?

 僕がカラオケで歌う、この曲でした。


 ♪ 朝日が昇るから 起きるんじゃなくて
    目覚める時だから 旅をする
    教えられるものに 別れを告げて
    届かないものを 身近に感じて
    超えて行け そこを
    超えて行け それを
    今はまだ 人生を 人生を語らず ♪

 『人生を語らず』
 この歌に、何度救われたことでしょうか。
 70歳の拓郎を見て、「まだまだ」 と勇気と情熱が湧き上がってきました。

 もちろん今日は、朝からこの歌が頭の中で、エンドレスに流れています。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:11Comments(0)つれづれ

2016年12月22日

カレンダー・レディー


 今でも、僕のことを 「編集長」 と呼ぶ人たちがいます。

 僕は過去に、3つの雑誌の編集長を務めたことがあります。
 だから当時のスタッフは、僕が雑誌の編集を辞めた後でも、「小暮さん」 とは呼ばずに、旧役職名で呼んでくれます。
 最初は、「もう僕は、キミたちの編集長じゃないよ」 と訂正していたのですが、「編集長っていうのは、編集長のニックネームだと思ってください」 とかなんとか言われて、そのまま今日まで来てしまいました。

 だから元スタッフから 「編集長」 と呼ばれることには慣れたのですが、たった1人だけ今でも違和感を感じ続けている人がいます。
 その人は、Kさんという女性です。
 彼女は、僕が編集長をしていた雑誌に、僕が辞めてから入ったスタッフです。
 だから本来は、彼女にとって僕は、編集長ではありません。

 なのに、僕が編集室を訪ねると、決まって 「編集長、ご無沙汰しています」 と声をかけてくれるようになりました。
 それこそ、「僕はキミの編集長じゃないんだから、おかしいよ」 と思うのですが、彼女にとっても “ニックネーム” になってしまっているようです。

 でもね、本当の編集長がいるわけですから、その人が2人の会話を聞いたら、さぞかし張り合いが悪いのじゃないかなって、不安に思うのであります。


 そんなKさんから、今年もひと足早く、クリスマスカードとプレゼントが届きました。

 <来年は入社から丸10年を迎えます。節目の年も宜しくお願いします!>
 と書かれたメッセージ。
 そして、恒例の卓上カレンダーです。

 毎年、僕は彼女から届く、このカレンダーを楽しみに待っています。


 今年も残りわずかとなりました。
 過ぎ去った1年間を振り返りつつ、新しいカレンダーのページをめくります。
 1月、2月、3月……

 5月で手が止まります。
 順調に取材と執筆が進めば、この頃には新刊が出版されているわけです。

 6月、7月、そして8月
 来年の8月8日は、火曜日なんですね。
 僕の誕生日です。
 いよいよ、還暦にリーチです。
 50代最後の夏を、どう生きようか?
 思いっ切り、暴れてやろうか!?
 考えただけで、ワクワクしてきます。


 Kさん、毎年毎年、素敵なプレゼントをありがとうございます。
 あれもやりたい、これもしてみたい、それも……
 夢と期待に胸がふくらむ本当に素敵なプレゼントです。

 10年の節目の年に、思い出に残るような仕事が、一緒にできるといいですね。
 来年もよろしくお願いいたします。
    


Posted by 小暮 淳 at 21:50Comments(0)つれづれ

2016年12月16日

明日はどっちだ!?


 「ご主人、お願いしますよ」
 「ダメだよ」
 「そこをなんとか。3ヶ月でいいんですから」
 「そう言って、以前、スポーツ紙をとってあげたじゃない」

 顔見知りの新聞販売所の店員が、新聞の勧誘にやって来ました。
 僕は長年、彼の店から1紙購読しているのですが、時々こうやって、他の新聞の勧誘にも来るのです。

 「あの時のことは、とても感謝しています。でも、またノルマもらっちゃって」
 「2紙は無理だよ。じゃあ、A紙をやめて、3ヶ月だけB紙をとってあげるよ」
 「それじゃあ、ダメなんです。私の成績にならないんですよ。お願いします! サービスしますから」
 「サービスって言ったって、どうせ洗剤だろ?」

 すると彼は、僕の顔色を伺いながら、こんなことを言ったのです。
 「ご主人は、『あしたのジョー』 はお好きですか?」


 好きだ?
 誰を相手に、ジョーの話を持ち出しているんだい? あんちゃん!
 『あしたのジョー』 は、オレにとっちゃ人生のバイブルだよ。
 何度、読んだかわかりゃしねぇよ。

 その昔のまた昔、オレの髪が今の倍以上長かった頃だよ。
 ライブハウスのステージでは、必ずジョーの話をしたもんさ。
 「ジョーのように、真っ白になって燃え尽きて死にたい」 ってね。

 髪の毛だけは、一丁前に白くなったけど、人生はまだまだ中途半端なんだよねぇ。
 そんなオレに、『あしたのジョー』 が好きかって、どういう意味だよ?
 好きだったら、全巻まとめて持って来てくれるとでも言うのかい?

 「はい、持ってきます!」
 「えっ……(絶句)」


 翌日、タブロイド版の 『あしたのジョー』全52巻が届きました。

 過去には、全巻集めては手放していた人生のバイブルが、こうやってまた我が家に揃いました。
 夜、寝る前に酒を飲みながらページをめくる喜び……。

 まだ舞台は、ドヤ街でジョーが、やっとボクシングに目覚めたところです。
 これから毎晩、力石徹やウルフ金串やカーロス・リベラやホセ・メンドーサたちに会えるんですね。
 ワクワクします。

 でも、ドキドキもしています。
 だって、新聞をもう1紙とったことを、まだ家族には話していないんですから。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:03Comments(2)つれづれ

2016年12月15日

今年の漢字は 「奔」


 先日、2016年の世相を1字で表す 「今年の漢字」 が発表されました。
 「金」 だそうです。

 リオデジャネイロ五輪の日本人選手の金メダルラッシュ、舛添要一前東京都知事の 「政治とカネ」 の問題、トランプ次期米大統領の金髪などが選考の理由だったようですが、確か何年か前も 「金」 だった年がありましたよね。
 やはりオリンピックの年だったような……。

 ふ~ん、なんだか僕とは無縁の漢字であります。
 「キン」 と読んでも、「カネ」 と読んでも、僕の1年とは関係ない言葉です。
 では、自分にとって今年は、どんな1年だったのだろうか?
 と、はたと考えあぐねてしまいました。


 今年の主だった出来事といえば、5月に温泉シリーズ第8弾 『西上州の薬湯』(上毛新聞社) を出版したこと。
 4月に、みなかみ町(群馬県利根郡) から 「温泉大使」 に、10月に中之条町(群馬県吾妻郡) から 「観光大使」 に任命されたこと。また、それらに関連するイベントに参加したこと。
 11月にNPO法人設立1周年を記念したパネル討論会を開催したこと。
 ぐらいでしょうか……

 それ以外は、いつもの年と変わらないと思います。
 相変わらず温泉には、取材や講座で回っていますが、例年並であります。
 ただ、今年は、講演やセミナーが増えたような気がします。
 少ない月で1~2回、多い月では4~5回のペースで開催しています。
 東京ビッグサイトやニューサンピア高崎などの大きなイベントに呼ばれたのも、例年にない変化だったかもしれません。


 と、いうことで、僕の今年の漢字は 「奔」。
 いつも奔走していた1年でした。
 平気で1週間ぐらいは、家族の顔を見ない時がありましたからね。
 家族としては、家の中が静かで喜んでいたと思います。

 今年も余すところ半月であります。
 まだまだ、僕の東奔西走は続きます!
    


Posted by 小暮 淳 at 12:19Comments(0)つれづれ

2016年12月12日

原点回帰


 なぞなぞ、です。
 「最初は4本、次は2本、最後は3本、な~に?」


 答えは、「人間の一生」です。
 赤ちゃんはハイハイ、やがて二足歩行となり、老人になると杖をつく。
 まさにオヤジが現在、“3本” なのであります。
 もちろん二足歩行もできますが、家の外へ出るときは杖と介助が必要です。

 でも、このなぞなぞには、続きがありそうですね。
 本当の最後は、“0本” です。
 寝たきり、または車イス生活です。
 まさに、オフクロが今、その状態であります。


 「いいかい? 上げるよ」
 リモコンを使って、僕はオフクロが寝ているベッドを操作します。
 上半身が起き上がると、オフクロは手の力だけで移動し、ベッドの縁に座ります。

 「ちょっと待ってておくれよ」
 3度の食事以外はベッドで寝たきりのため、上半身を起こしただけでも、めまいがするそうです。
 ここで3~4分、座ったままの状態で安静にさせます。

 「さっ、もう、いいだろ? 一気に乗り移っちゃおう!」
 「いち、にの、さん。いち、にの、さん、いち、にの……」
 何度か一緒に、かけ声をかけながら、ゆっくり、ゆっくりと車イスに移動させます。


 オフクロは、89歳。
 頭もしっかりしているし、これといって大きな病気は抱えていません。
 でも、日に日に老齢による衰弱が始まっています。
 すでに体重は、40キロを割ってしまいました。
 体は、骨と皮だけとなり、筋肉がまったくありません。
 そのため、歩行が困難になってしまいました。


 「ごちそうさま。おいしかったよ」
 「体力が無いわりには、食欲はあるね」
 「はい、大変おいしゅうございました」
 オフクロは僕が作る料理を、いつも 「おいしい、おいしい」 と言って、残さず食べてくれます。

 「もう寝るかい?」
 「はい、そうします」
 「だったら、オムツを替えないとね」
 「はい、お願いします」

 半年前までは、ベッド脇の簡易トイレに一人で行けたのですが、今は到底無理です。
 オムツ(リハビリパンツ) のお世話になっています。
 でも、今の大人用オムツって、とっても便利にできているんですよ。
 ズボンを脱がずに着脱ができるんです。

 「ほら、テーブルに手をついて」
 「怖いんだよ。早くしておくれね」
 「もっと足を開かなくっちゃ、交換できないじゃないか」


 なんとも不思議な光景です。
 58年前、2人の関係は逆だったのですからね。
 僕が、この人にオムツを替えてもらっていたのです。 

 「どう? すっきりした?」
 「ああ、気持ちがいいよ。ありがとうね」

 小さな小さなオフクロは、まるで幼子のよう。
 すっかり昔と、立場まで逆転してしまいました。

 「おやすみ」
 「ありがとね。おやすみなさい。明日もよろしくお願いします」 

 僕が洗い物を済ませて、振り返ると、もうオフクロは寝息を立てて寝ています。


 さーて、お次は、オヤジの番だ!
 こっちは、手ごわいぞ!

 じいさん、待ってろよ!
 逃げるんじゃ、ないぞ!
 (オヤジは、オムツ交換が大嫌いなのです)
  


Posted by 小暮 淳 at 14:49Comments(2)つれづれ

2016年12月10日

父として祖父として……そして


 <娘としては猛烈に観てて恥ずかしかった>

 6年前に嫁いだ長女からメールが届きました。
 先日放送された群馬テレビの 「ぐんまトリビア図鑑」『温泉ライター小暮淳の素顔』 を観ての感想です。

 思えば長女とは、会話らしい会話をした記憶がありません。
 中学~高校は反抗期と思春期で、父親とは口を聞こうとはしませんでしたし、高校を卒業と同時に家を出て、その数年後には結婚をしてしまいました。

 孫が産まれてからは時々、遊びに来るようになりましたが、会話は、もっぱら母親とばかりです。
 娘にとって父親なんて、そんなものだと思っていました。

 <じぃじがテレビに出ている~、かっこいい~って大喜びだよ>

 と、孫のK君(5歳) の感想も添えられていました。
 放送翌日のことでした。


 今日また、長女からメールが届きました。

 <Kが、じぃじ観たい観たいって、この間録画したの朝から5回もリピートして見せてるよ。登場シーンで、じぃじ~じぃじ~って爆笑しながら何度も何度も喜んでいる>

 そして、
 <似合わない白髪でテレビに出てて、恥ずかしいな~って思ったけど、Kが喜んでいたからすべて良し。おとう、年取ったな~って、切なくなってたんだ。>
 <でも嬉しかったよ。もう10回以上観てしまったよ!>

 この辺りから、僕の涙腺がゆるみ出しました。
 だって、こんな長いメールが娘から届いたは初めてだったのです。

 <Kに言われて、本当におとうが私のお父さんで良かったって思ったよ。いつか親孝行させてね!>


 もうダメです。
 こんなに涙ってこぼれるんだ、と思うくらい、ポロポロと流れてきます。
 通りの真ん中で、ケータイを握り締めて泣いている初老の男の姿は、どんなふうに映っていたことでしょうか。

 親になるのではなく、親にならせてもらうのだと言います。
 いまさらながら、自分は人の親なんだと思い知らされました。


 最後に、こんなことも
 <Kが、じぃじ温泉連れてってくれないの~だってよ!> 

 お安い御用であります。
 湯の中で、孫を相手にウンチクをたれてやろうじゃありませんか!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:30Comments(0)つれづれ

2016年12月03日

マロの独白⑱ がんばれ!ご主人様


 こんばんワン! マロっす。
 ここんちの飼い犬、チワワのオス、10才です。

 お久しぶりでやんした!
 3ヶ月以上ぶりなんですね。
 みなさん、元気でしたか?
 オイラは、寄る年波で少々足腰が弱くなりましたが、元気に散歩と昼寝をしています。

 なんでこんなにも、ご無沙汰してしまったのか?
 それは、もう、ご主人様の多忙以外にありませんって!
 この数ヶ月間は、取材に講演にロケにと飛び回っていて、ほとんど家に居ませんでしたもの。
 帰って来ても夜遅くだと、オイラのいるリビングには寄らずに、そのまま自分の部屋へ入ってしまいます。

 でもね、たまに昼間帰って来ると、
 「おお、マロマロマロ~~!! 」
 って、擦り寄ってきて、オイラを思いっ切り抱きしめてくださるんですよ。
 そして、「散歩、行くか? 散歩!」 って外へ連れ出してくれます。

 だから、どんなにご主人様が忙しくても、オイラはいつも我慢して、ご主人様が遊んでくれる時を待っているんです。


 でもね……、
 そんな疲れているご主人様に対して、他の家族は冷たいんですよ。
 昔は、もっと違ったんですけどね。

 長女様が嫁いで行き、長男様も結婚して所帯を持ち、賑やかだった小暮家は、ずいぶんと淋しくなりました。
 昔のように、一家団らんの笑い声も聞かれなくなりました。


 「ねえ、おとうの仕事ってなに?」
 「……」
 「まじ、よく分からないんだけど。本を書いているから、作家?」
 「……」

 高校生の次女様と奥様の会話です。
 オイラは、リビングのストーブの前で、うたた寝をしているふりをしながら聞いています。
 会話といっても、次女様が一方的にしゃべって、奥様は無関心なんですけどね。

 「友だちがさ、テレビで、おとうを観たんだって」
 「……」
 「笑った顔が、私にそっくりだって言うんだよ」
 「……」
 「チョー傷つくんだけど!」
 「……」

 クスッ、クスクス(笑)
 オイラ、聞いていて笑いをこらえるのに必死でやんした。
 確かに、3人きょうだいの中では、次女様が一番、ご主人様に似ていますもの。
 顔も、性格もね。

 それにしても、クールなのは奥様です。
 一切、ご主人様ネタには、言葉を返しません。
 倦怠期っていうヤツですかね。
 “亭主元気で留守がいい”ってことですかね。

 いつか次女様も、いなくなってしまうですよね。
 あーあ、心配だなぁ~。

 でも、ご安心ください。
 オイラがいますよ!

 がんばれ、ご主人様!
 オイラは、いつだって、ご主人様の味方ですからね。
  


Posted by 小暮 淳 at 20:49Comments(2)つれづれ

2016年11月20日

爪を切る②


 伯母が亡くなりました。
 91歳でした。


 オヤジは7人きょうだいの下から2番目。
 4人の姉と兄が1人、弟が1人いました。
 3年前に伯父が死んだ時、
 「オレ、1人になっちゃったよ。姉さんも兄ちゃんも弟もいなくなっちゃった」
 と、落ち込んでいたことを思い出します。

 亡くなった伯母は、その伯父の連れあいであります。
 これで、14人いた仲良しきょうだい(義兄弟、義姉妹を含む) は、たった2人だけになってしまいました。
 うちの両親です。

 と、いうことで、昨日は伯母の告別式でした。
 葬儀には、アニキとオヤジが参列することにし、僕は実家に残り、オフクロの面倒を看ることになりました。


 「ほら、じいさん。こっちへ来て! 着替えるよ」
 「どこへ、出かけるんだい?」
 何がなんだか分からない、認知症のオヤジに喪服を着せるのは、ひと苦労です。

 「ほれ、そこに座って! 靴下を履き替えるからね」
 と、それまで履いていた靴下を脱がせて驚きました。
 足の爪が、伸び放題に伸びています。

 「あんちゃん(僕はアニキのことを、そう呼びます)、デイ(サービス) じゃ、爪を切ってくれないのかね?」
 「いや、切ってくれてるはずだけど、もしかしたら、手の爪だけかもしれないな」
 「爪切り、どこだっけ?」


 パッチン、パラパラ、パッチン、パラパラ

 切るそばから爪が粉のように砕け散ります。

 「あんちゃん、これ、見て」
 「ああ、カルシウム不足だな。歳だから仕方ないけど」

 パッチン、パラパラ、パッチン、パラパラ

 オヤジの顔を見ると、うれしそうに微笑んでいます。
 「じいさん、良かったな。息子に爪を切ってもらえて」
 「ああ、オレは幸せだ。日本一の幸せだよ」

 パッチン
 「痛い!」
 「ごめん。もう終わりにするよ」


 ネクタイを締めて、革靴を履いて、お出かけ用のステッキを突いて、オヤジはアニキに手を引かれながら斎場へと向かいました。
 あと何回、オヤジの爪を切ってやれるのでしょうか?

 でも、そんな感傷に浸る間もなく、2人を見送った後、僕はオフクロのオムツを交換するのでした。
    


Posted by 小暮 淳 at 12:09Comments(0)つれづれ

2016年11月13日

95歳のドライバー


 高齢者ドライバーによる交通事故が多発しています。
 しかも通行人をはねて、死亡させてしまうケースが後を絶ちません。
 高齢化社会の末路です。

 なぜ、もっと早く、国や自治体は対策を取れなかったのでしょうか?


 我が家のボケ老人こと、92歳のオヤジは12年前からクルマの運転はしていません。
 いや、していないのではなく、させないのです。
 80歳の誕生日を境に、僕とアニキとで、強制的に免許証を取り上げ、自家用車も廃棄処分しました。

 もちろん、本人は 「まだ大丈夫だ!」 と駄々をこねました。
 まだ、こんなにも認知症が進む前でしたからね。
 でも、前兆はあったんです。

 一時停止をおこたり、バイクと接触事故を起こしました。
 ま、相手のケガは大したことなかったのですが……。
 このときが、79歳。
 その後、僕とアニキが助手席に同乗して、運転をチェックしたところ、すべての判断能力と操作行動が甘いことを確認したため、“免許剥奪の刑” に処したのであります。

 本人は、クルマを取り上げられたことにより、行動範囲が極端に狭くなってしまったため、しばらくは不服の様子でしたが、今となれば、僕とアニキの決断は正しかったと思います。
 だって、80歳過ぎまで生きて、残りの人生を刑務所の中で過ごさせるなんて、子どもとしてできませんって。
 何よりも、全く関係ない、赤の他人様を傷つけなくて済みました。


 ところが実家の近所には、いまだに軽トラを乗り回している95歳のおじいさんがいるのです。
 ま、一見、90歳過ぎには見えませんけどね。
 それでも、後期高齢者の超後期者であります。

 このおじいさん、現在でも現役で町工場を営んでいます。
 だから仕事でクルマは手離せないようなのですが、近所の人たちはハラハラしながら見守っているのが実情です。
 また、高齢者の娘さんと2人暮しなので、買い物をするのにもクルマは手離せないようです。

 そう、僕の両親が暮らす町は、過疎化が進む “買い物難民街” なのであります。
 なので一概に、他人がおせっかいをやいて、「そろそろクルマの運転はやめたほうがいいですよ」 とは言えないのです。
 こんな場合、どうしたらいいのでしょうか?

 高齢者事故のニュースを耳にするたびに、僕は、そのおじいさんのことを思い出してしまいます。
  


Posted by 小暮 淳 at 13:20Comments(0)つれづれ

2016年11月01日

おばあさんが転んだ


 「いま、どこにいる? 来れないか?」
 「無理だよ、これからライブだもの」
 日曜日の朝、突然、アニキからケータイに電話がありました。
 いやな予感が、脳裏を走ります。

 「なんかあったの?」
 「オフクロが転んだ」
 「転んだ? それでケガは?」
 「ケガはないけど、腰を打ったらしくて、ベッドから動けなくなった」

 なんでもアニキが別の部屋でテレビを観ている1時間の間に、車イスから転げ落ちたらしい。
 気づいた時には、ひっくり返ったカメのように仰向けになって、手をバタバタさせてたという。
 しかも、そばにはオヤジがいて、「ばあちゃん、なんでそんなところで寝てるんだ! 早く新聞を取って来い!」 と息巻いていたという。

 幸い、リビングには床暖房が施されていたため、オフクロが冷たくなることはありませんでしたが、またまた、やっかいなことになりました。
 ちょうど3ヶ月前には、オヤジが転んで騒動を起こしたばかりです。
 ※(当ブログの2016年7月29日 「おじいさんが転んだ」 参照)

 これだから年寄りからは、目が離せません。


 「イタイ、いたたたたーーーー!」
 ベッドの上で、オフクロが叫びます。
 ついに車イスでの移動も不能になったため、1人でトイレに行けません。
 介助に付いても難しい様子なので、紙オムツをはかせることにしました。

 「あああーーー、死んじゃうよ~~!!」

 ベッドの上でのたくり舞うオフクロは、小さくてやせ細っていて、サルの赤ちゃんのようです。
 「まるで、捕まった宇宙人だな」 とアニキ。
 「ああ、あの有名な写真のね」 と僕。
 オフクロには失礼ですが、兄弟で大笑いしてしまいました。


 「さて、これからどうするかだ」
 「だね」
 「お前、今週、2人は同時に看れないだろう?」
 「オヤジだけならなんとかなるけど」

 僕ら兄弟は、両親がデイサービスやショートステイに行っている以外の日は、交替で介護をしています。
 くしくも今週は僕の当番でした。

 「オフクロの腰の痛みが取れるまで、預けることにしよう」
 「そうしてもらえると助かるけど」
 「ただ、急だからな。部屋が空いているかどうか…」


 そして昨日の午後、担当のケアマネージャーから連絡があり、オフクロを今日から1週間預かってもらえることになりました。

 さて残るは、ボケ老人のオヤジだけです。
 でもこいつが、なかなか手ごわいのであります。

 さあ、かかって来い! じいさんよ!!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:08Comments(1)つれづれ

2016年10月16日

ウンチが出ちゃう!


 「じいさん、散歩行くかい?」
 「……えっ?」
 「散歩だよ、さ・ん・ぽ!」
 「連れてってくれるのかい?」
 「ああ」
 「行くよ、連れてっておくれよ」
 「だったら準備して。ほら、帽子とステッキ」
 「あ、その前に、トイレに行かなくちゃ」

 オヤジは大正13年(1924) 生まれの92歳です。
 目も耳も不自由で、認知症が進んでいます。
 でも、散歩が大好きなんです(マロと同じ)。
 だいぶ足腰が弱ってきているんですけどね。
 それでも、雨さえ降っていなければ、毎日何回でも外へ出かけたがります。

 昨日は、今年最高の “晴天” に恵まれました。
 僕は伊香保温泉の帰り道、実家に寄ってオヤジを誘い出すことにしました。


 庭先で待っていると、しばらくして帽子をかぶって、ステッキを突いたオヤジがやって来ました。
 「さて、今日はどっちへ行こうか? お寺かな、神社かな?」
 オヤジの手を引いて歩き出した途端、
 「トイレ、行ってくる」
 「えっ、今行って来たんじゃないの?」
 「今度は、ウンチ」
 そう言って家の中へ、もどってしまいました。

 子どもかよ! 1回で済ませて来いよ! ったく!!


 「ウンチ、出たかい?」
 「うん、出た」
 「じゃ、行こう」
 とオヤジの手を引っ張りますが、動こうとしません。
 それどころか、見る見るうちに顔がコマッタちゃんになっていきます。

 「どうした? 具合が悪いのか?」
 「……」
 「どうしたんだよ?」
 「……、ウンチが出る」
 「まだ出るの? 早く行って来なよ」
 と、また家の中へもどりました。


 待つこと約10分。
 帽子をかぶって、ステッキを突きながらオヤジが、ヨタヨタと歩いてきます。
 「またウンチ、出たの?」
 「出た」
 「お腹、痛いの?」
 「平気」
 「散歩、どうする? 行く?」
 「うん、行くよ」

 僕らは、町内の寺院を目指して歩き出しました。
 歩き出して、ものの2~3分です。
 またしてもオヤジが立ち止まってしまいました。

 ま、さ、か……

 「どうした、じいさん?」
 「ウ、ウ、ウンチが出ちゃうーーーーーっっっ!!!!!!」


 「大丈夫か? 間に合うか? 尻の穴、キューっと締めて! もうすぐ、がんばれ、ほれ、着いたよ」
 なんとか漏らす前に、オヤジをトイレに押し込むことができました。

 トイレから出てきたオヤジは、グッタリとしてベッドに横になってしまいました。
 「今日は、もう散歩へ行かないよ」
 「……」
 「いいね!?」
 「う、……うん」
 顔を覗き込むと、うっすらと涙を浮かべて、情けない顔をして僕を見上げていました。

 子どもかよ!
 また連れってやるから、体調整えておけよ!
 明日からも、しばらく天気はいいらしいよ。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:40Comments(0)つれづれ

2016年09月18日

タイムマシーンに乗って


 <認知症の人は、タイムマシーンで最も輝いていた時代に戻る。浄化のための旅、人生を修復しに行く旅でもある。>
 (田中京子著 『認知症はタイムマシーン』 ヴォイス社 より)


 オヤジの認知症が、進んでいます。
 ついに昼夜の違いが分らなくなりました。
 今食べているのが、朝食なのか、昼食なのか、夕食なのか……。

 目も良く見えず、耳も聞こえないため、新聞を読むことも、テレビを観ることもラジオを聴くこともできません。
 ので、やる事がないため、一日中寝たり起きたりを繰り返しています。

 そして、ついには“トイレ” が分らなくなり、ところかまわず排尿をするようになりました。


 夏前までは夜中に目が覚めても、1人でトイレへ行って、用を済ませて、また布団に戻れたのですが、いったん起きると、ここがどこだか分らなくなってしまうようで、しまいには我慢できなくなり排尿してしまうようです。
 気が付くと、朝まで押入れや納戸の中に居たり、廊下の隅でうずくまっているようになりました。

 ということで、僕が実家に泊まる日は、オヤジと一緒に寝ることにしました。


 ピカァーー!!!

 オヤジがベッドから立ち上がると、センサーに反応してライトが照らします。
 <あっ、オヤジが起きたんだ>
 僕は、そのたびに目を覚まします。

 ピカァーー!!!

 今度は廊下のセンサーが反応します。
 <オヤジがトイレへ行ったな>

 しばらくして、シーン……
 オヤジが帰って来る気配がないと、僕は飛び起きてオヤジを探します。

 案の定、トイレの前でウロウロしています。
 「わかんないよ、わかんないよ」
 「トイレは、ここだよ」
 ドアを開けてやると、
 「すみません、ありがとうございます」
 と、丁寧に礼を言われてしまいます。
 施設にお泊りしていると勘違いしているようです。

 これを一晩で5~6回繰り返すので、すっかり僕は寝不足であります。
 それでも、付いていて、教えてあげれば、ちゃんと用を足すことができるのです。
 まあ、多少の粗相は、愛嬌のうちですが。


 オヤジの今の記憶は、日々遠のいていきますが、過去の記憶だけは鮮明です。
 散歩の途中で、必ず2つの記憶を行きと帰りに話します。

 「この川に落ちたのは、お前だったよな」
 家の前を流れる側溝を指差して、必ず言うのです。
 これは僕が小学校1年生の時の記憶です。

 「この学校には、来たことがあるんだよ」
 町内にある女子高の前を通ると言います。
 僕が生まれる前、英語教師をしていた頃の記憶です。

 “川” の記憶は昭和30年代、“学校” の記憶は昭和20年代のことです。
 そして、いつも、とっても楽しそうに話すのです。


 オヤジは毎日、タイムマシーンに乗って旅をしています。
  


Posted by 小暮 淳 at 16:32Comments(0)つれづれ

2016年09月12日

岩倉さんでもいいですか?


 「ちょっと、頼みたいことがあるんだけど……」
 実家の台所で洗い物をしていると、リビングの奥のベッドからオフクロが僕を呼びました。

 「甘いものと、しょっぱいものが食べたいのよ。チョコレートとおせんべいを買ってきてくれないかい?」
 そう言って、千円札を2枚渡されました。

 「2,000円もいらないよ」
 「ふふふ、1,000円だよ」

 手にとって、よーく見ると……
 おおおっ、色もサイズも似ているが、野口英世ではない!
 岩倉具視だぁ~!!!!

 「どうしたんだい、この札?」
 と問えば、
 「タンスからたくさん出てきた」
 とのこと。
 「だったら換金すればいいのに?」
 と言えば、
 「いっくらにもならないよ。今でも使えるお金なんだから、使っちゃおうよ」
 と、なんだか嬉しそうに言うのです。


 明治の政治家、岩倉具視が描かれた五百円札は2種類ありますが、オフクロから手渡されたのは昭和44年発行の新しいほうです。
 昭和60年まで製造され、平成6年に支払いが停止されています。
 現在では、ほとんど見かけなくなりました。

 でも、お札はお札です。
 なんだか僕も、ちょっぴり買い物が楽しみになってきました。


 チョコレートとせんべいを入れたカゴを持って、スーパーのレジへ。
 そこで、怖気づいてしまいました。
 もし、偽札と思われたらどうしょう。と……。

 開放されているレジは、4台。
 うち3台は、若い学生のアルバイト女性です。
 <ダメだ、この娘たちは五百円札を知らない>
 と思い、一番奥の年配の女性のレジに並びました。
 歳の頃は、50代後半~60代前半です。
 <きっと彼女なら大丈夫>

 「○○○円のお買い上げです」
 「あの、五百円札でもいいですか?」
 「えっ、ええ」
 一瞬、戸惑ったようでが、僕から札を受け取ると、
 「まあ、珍しい! 初めてですよ」
 と言って、精算してくれました。

 でも、待てよ!
 今、彼女は受け取った金額を手で入力したぞ!
 「やっぱり、機械には通りませんかね?」
 僕が言うとね
 「でしょうね。試しに、入れてみましょうか?」
 と彼女も好奇心に満ちた顔で、五百円札を機械に投入しました。

 案の定、機械は受け付けず、紙幣は戻ってきてしまいました。
 「残念でしたね。機械には嫌われたようですね。でも、使えますからご安心ください」


 ふ~ん、そうなのか。
 使えるけど、機械は受け付けないんだ。
 やっぱり、年配の女性のレジに並んで良かった。

 なんだか、ちょっぴり得をしたような、不思議な気分になりました。
 今度は、伊藤博文の千円札で買い物をしてみようかなぁ~。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:14Comments(2)つれづれ

2016年09月04日

カズレーザーじゃねぇ~よ!


 「おぉっ、カッケー!(かっこいい)」
 「えっ、何が?」
 「小暮さん、髪、金髪に染めたんですか?」
 突然、知り合いの20代の青年に言われました。

 読者のみなさんは、すでにご存知だと思いますが、僕は今年の春から髪の毛を染めるのをやめました。
 白髪が増えるとともに、それまで黒く染まっていた髪が脱色を始め、光の当たる加減によっては金髪に見えるようなんです。


 「小暮さん、コワイよ」
 「何がさ?」
 「その頭、大人の不良だよ」
 「白髪頭がか?」
 「いや、どう見ても、それは金髪だな」
 今度は、同世代のバンド仲間から指摘されました。
 僕の白髪頭は、けっこう不評のようであります。


 極めつけは、高校生の次女からのひと言でした。
 「キャハハ~、笑える! おとう、カズレーザーみたい!!」

 なんでもお笑いコンビ 「メイプル超合金」 の男性に似てきたというのです。
 ちょうど、その時は赤いTシャツを着ていたということもあり、カズレーザーさんの衣装ともかぶり、娘のツボにはまったようです。

 「カズレーザーじゃねぇ~よ!」
 と言葉を返したものの、へこんでしまいました。


 思えば前々からカメラマン氏からは、忠告を受けていたのであります。
 「頭が白いと、被写体として映えないんですよ」と。
 入浴シーンの撮影が多い僕の場合、バックの白壁と同化してしまい、絵的に不都合が生じるようです。

 もしかして、白髪頭は “百害あって一利なし” なのだろうか?


 苦渋の末、友人たちからアドバイスをもらい、決断をしました。
 うっすらとグレーに染めました。

 えっ、評判はどうかって?
 まだ誰も気づいてくれていないようです。
 でも、もう、絶対にカズレーザーには見えませんって!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:34Comments(0)つれづれ

2016年09月01日

僕も “コンビニ人間” だった。


 遅ればせながら芥川賞受賞作の 『コンビニ人間』 を読みました。

 あ~、面白かった!
 この面白さって、一般の人にも伝わるのでしょうか?
 きっと分るんでしょうね。
 伝わるから10万部を超えるベストセラーになっているんですよね。


 どうして、そんなことを言うのかというと、実は僕も “コンビニ人間” だったからです。
 東京から帰って来た25歳からタウン誌の編集者になるまでの4年間、コンビニでアルバイトをしていた経験があります。
 今から30年以上も昔のことです。

 もちろん当時は、「コンビニ」 なんている略語はありませんでした。
 そのまま誰もが 「コンビニエンスストア」 と呼んでいました。
 ※(表記をする際には、「CVS」 と略していた)

 群馬県にコンビニが始めて登場したのは昭和54年ですから、その4年後から僕はバイトを始めたことになります。
 ※(日本で最初にコンビニが誕生したのは昭和48年でから、本県への出店はだいぶ遅かったようです)
 当時、まだセブンイレブンなどの有名コンビニはなく、僕が勤務した店は 「サンチェーン」 といいました。
 ※(ダイエー系のコンビニで、のちにローソンと名前を変えました)

 もちろんレジは、現在のようなバーコードを読み取るボスレジではなく、一つ一つが手打ちです。
 ですから値札シールが付いていないと、パニックになりました。
 宅配便の受付や公共料金の支払いのような物販以外のサービス業務もありません。
 商品のアイテム(種類) も、現在の品揃えからは考えられないほどに簡素なものでした。

 何よりも、“24時間営業” が珍しかった時代ですからね。
 「この店、シャッターがないけど、いつ閉めるの?」
 なんていう客は、ざらにいましたよ。
 一晩中やって来て、「本当に夜中も開いているんですね!」 と納得して帰る客が何人もいましたもの。


 僕は36歳の時にタウン誌を辞めて、フリーのライターになりましたが、最初の年は仕事がなくて食っていけませんでした。
 そんな時、また手を染めたしまったのが、コンビニでした。
 ライターとして食えるまでの1年間は、コンビニ店員だったのです。
 計5年間、“コンビニ人間” をやっていたことになります。

 作者の田村沙耶香さんは、ちょうど僕が2度目のコンビニ人間をしていた時の年齢です。
 小説の中の主人公も、同じ歳です。
 文中には、「結婚もせず、就職もせず、バイト暮らし」 であることを世間から否定される描写が繰り返し出てきます。

 人間失格?
 でも、これが私の唯一の社会との接点。

 その葛藤は、当時の僕も同じでした。
 結婚はしていたけど、就職は柄じゃない。
 「今に見ていろよ!」 と、心の中では拳を振り上げているけど、現実は空回り。
 あの頃の自分を思い出して、胸の奥のほうが、なんだかくすぐったくなりました。


 主人公が知らないコンビニに客として入って、ついつい商品の陳列を直してしまうシーンがあります。
 これって、“コンビニ人間” の悲しい性なんですよね。
 さすがに今はやらなくなりましたが、当時の僕は、他のコンビニに行くと同じことをしていましたもの。

 前陳(ぜんちん) です。
 ※(陳列棚の奥の商品を引き出して、売れて空いたスペースを埋める作業)

 日本中に、こんなにもコンビニがあるのだから、さぞかしコンビニ人間がたくさんいるんでしょうね。
 いろんな人間がいて、いいんじゃないかな!
 否定するのは簡単だけど、肯定して生きるのも、また人生だもの……。
    


Posted by 小暮 淳 at 18:41Comments(0)つれづれ

2016年08月31日

超高齢町民


 「いつもいつも、親孝行で感心ですね」
 オヤジの手を引いて町内を散歩していると、時々出会う婦人から声をかけられます。
 歳の頃は……

 これが、なんとも年齢不詳の女性なのです。
 高齢だとは思うのですが、手押し車も杖も使わず、肌のツヤも良く、背筋が伸びていて、姿勢が良い。
 70代後半から、行って80代半ばだろうと思っていました。

 「おばさんこそ、いつも元気ですね」
 「私はね、ジッとしているのがキライだから。どこへでも1人で行っちゃうのよ」
 「お若いですね」
 「ありがとうございます。でも来月、100歳になるのよ」

 ひゃ、ひゃ、ひゃ~く~~!!!


 一瞬、我が耳を疑いましたよ。
 よっぽど、隣のオヤジのほうが老けて見えますもの。
 8歳も年下なのにね。

 実家のある前橋市K町は、超高齢化が進んでいるとは聞いていましたが、今の100歳って、こんなにも元気なのですか!?
 あまりに驚き過ぎて、僕が大口を開けて固まっていると、
 「確か、そこのSさんは私より1つ年上の卯年だから、今年101歳じゃないの?」

 “そこの” と指さした先の家は、実家の真ん前のうちです。
 「えっ、あのおばさん、100歳超えているんですか~~!!!!」
 もう、僕の大口は開いたまま、閉じられなくなっていました。
 だってSさんは、いつも庭の草花の手入れをしていて、「いいお日和で」 なんて声をかけてくれている人なんですから……。
 ショック!


 オヤジは92歳、オフクロは89歳。
 僕の両親だって、十分長寿だと思うんですけどね。
 上には上が、いるものです。

 しかしオヤジは認知症、オフクロは車イス生活です。
 どんな世界にも、個体差というものがあるんですね。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:33Comments(3)つれづれ