温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2017年02月16日

「好き」 と 「得意」


 「好きこそ物の上手なれ」 ということわざがあります。
 はたして、これって本当なのでしょうか?

 先日、その業界で成功を収めた著名な方のインタビューを聴きました。
 彼いわく、「好きなことを職業にしたのではなく、得意だったことを職業にしたまでです」

 思わず、その言葉に目からウロコが落ちてしまいました。
 だって、僕は昔から好きなことが得意になり、得意なことは好きなことだと信じていましたからね。
 まさか、キライなことが得意にはならないでしょうが……。
 (でも、得意なことがキライになることはあるかもしれません)


 改めて考えてみれば 「好き」 とは、感情・嗜好・興味であります。
 一方、「得意」は、才能や技術まで伴います。
 趣味として楽しむぶんには 「好き」 で充分でしょうが、プロの仕事としては 「得意」 でないと成り立たないかもしれませんね。
 だって、「この仕事は好きなんだけど、あまり得意じゃないんだよね」 なーんていう大工さんには、あまり家を建ててほしくありませんもの。

 で、じゃあ、自分はなんで今の仕事を選んだのだろう?
 と、自問自答が始まってしまいました。

 “ライター” という仕事も、“温泉” というテーマもキライではありません。
 でも、好きで好きで、何がなんでもなりたかった職業なのか?と問われれば、違うような気がします。
 「好き」 の範疇にあったものではあるけれど、一番ではなかったと思います。

 では、「得意」 だったのでしょうか?
 そう問われて、幼少期から少年期、青年期の自分を回想してみました。
 すると、本を読むことは好きだったし、文章を書くことも好きだったことに気づきます。
 でも “多少” であり、“他人よりは” 程度で、ズバ抜けて秀でていたは思えません。
 よって、僕の場合、出た結論は……

 “成り行き” でありま~す!

 ていうか、モノにならないものを消去法により諦めていたら、たどり着いたのが今の職業だったというわけです。
 目からウロコが出たわりには、自分の場合、実につまらない理由だったことに気づいたのであります。


 みなさんは、なぜ、今の職業に就いたのですか?
   


Posted by 小暮 淳 at 11:33Comments(0)つれづれ

2017年02月10日

マロの独白⑳ 老化が止まらない


 こんにちワン! マロっす!!
 ここんちの飼い犬、チワワのオス、10才です。
 夏に誕生日が来ると、11才になります。

 ということは……、人間でいうと……、
 わ、わ、わわわわ~! 完全に還暦超えですよね。
 正真正銘の “じいさん犬” じゃありませんか!
 いつしか、ご主人様の年齢を抜いてしまいました。

 だからでしょうか、最近、ご主人様をはじめ、ご家族の対応がおかしいのであります。
 オイラのことを、まるで腫れ物に触れるかのように……。


 「おい、マロ! また寝ているのか?」
 「あ、ご主人様。お帰りなさいませ」
 「お帰りなさいじゃないよ。いつもなら玄関まで飛んで来るじゃないか? どこか具合でも悪いのか?」
 「いや、べつに、あの……。ただ、眠いだけです」
 すると、ご主人様の言うことにゃ、
 「そりゃ、老化だな。じいさん(ご主人様の父上様) と同じだよ。飯食っているか、散歩しているとき以外は、全部寝ているからな」

 老化!?

 そう言われて、ドキッとしました。
 我々犬族は平均17時間くらい睡眠をとるといわれていますが、確かに今のオイラは、それ以上寝ていますもの。
 1日2回の食事と夕方の散歩以外は、だいたい寝ています。


 さらなるショッキングな出来事がありました。
 先日、嫁いだ長女様が遊びに来た時です。
 次女様が告げた言葉に、落ち込んでしまいました。

 「お姉ちゃん、知ってた? マロったらヨボヨボなんだよ」
 「そうかな~、あんまり変わってないと思うけど」
 「だったら見ててごらんよ。ソファーに上がれなくなっちゃったんだから」

 えっ、あの、その、そんなこと、どうして知っているんですか?
 オイラも気づいていたけど、毎回、ごまかしていたので、知られていないと思っていたのに……

 「ほら、マロ! ソファーに上がってごらん」

 オイラ、両手を突いて、思いっ切り後ろ足を蹴り上げるのですが、以前のようにお尻が上がりません。

 「マジ、受けるんだけど~」
 「ね、私の言ったとおりでしょう。マロ、おじいちゃんになっちゃったのよ」

 2人の会話を聞いていた奥様が、見かねて台所からやってきて、オイラを抱え上げ、そっとソファーの上に乗せてくださいました。
 ありがとうございます。奥様。


 こんなはずじゃ、なかったんですけどね。
 散歩をしていても、足がもつれて転んだり、側溝に片足を突っ込んだり、老化が止まりません。
 このままでは今後、ご家族にご迷惑をかけそうで、我が身ながら心配でなりません。
 とはいっても、寄る年波には勝てませんものね。

 あーあ、イヤだ、イヤだ。
 せめて、オシッコの粗相だけは、しないように気をつけるだワン!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:32Comments(2)つれづれ

2017年02月05日

縁は万里を超えて


 無頼派を気取っている僕にとって、このテの形式ばった儀式は、大の苦手なのであります。
 でも今回だけは、仕方がありません。
 出席する側ではなく、迎える側なのですから……。
 腹をくくって、臨みました。

 昨日は、長男の結婚式ならびに披露宴でした。
 僕は、新郎の父という大役を務めてまいりました。


 「緊張しますね」
 控え室で、ペンギンのような格好をした新婦の父が言いました。
 「ガラではありません。逃げて帰りたいくらいですよ」
 同じ格好をした僕が言うと、ハハハと笑い合ったのであります。

 式は、滞りなく終わり、いよいよ披露宴の始まりです。
 初めて座る末席からの眺め……。
 なんとも不思議な気持ちになります。

 正面、高砂の席には、新郎という名の我が息子の姿があり、隣にはウェディングドレス姿の可愛らしい花嫁が座っています。
 主賓のスピーチ、友人たちの余興など、聞き逃すまいと真剣になって身構えてしまいます。

 スクリーンに映る息子との生い立ち映像……。
 生まれたばかりの息子を抱えて湯舟に入る、若き自分の姿には、思わず笑ってしまいました。


 「R(息子の名) の父です。この度は、ありがとうございます」
 「Rの母です。息子がいつもお世話になっております」
 瓶ビールを片手に、新郎側のテーブルをまわる僕と家内。

 「息子さんは優秀ですよ。将来は我が社を背負って立つ人材です」
 上司の言葉に苦笑い。
 「Rは、本当に素直でイイヤツですよ」
 友人の言葉に、ほっこり。

 なかには 「私、温泉が大好きで、お父さんのファンなんです。一緒に写真を撮っていただけますか?」 なーんていう女子の同僚もいたりして、この時だけは息子から主役の場を奪ってしまいました。


 そして披露宴は、クライマックスへ。
 新婦から両親への、お手紙朗読の時間です。
 隣を見れば、まだ読み出す前から家内は泣いています。
 「新婦のお母さんが、まだ泣いていないのに……」
 なんて思いながら、僕も必死になって涙をこらえていたのであります。
 だって、この後に大役が控えているのですからね。

 「それでは、両家を代表いたしまして、新郎の父、小暮淳様よりお礼の言葉をお願いいたします」
 スーッと、僕の前にマイクスタンドが現れました。
 いつもの調子で、いつもの調子で、と自分に言い聞かせていましたが、やっぱり講演やセミナーとは勝手が違います。
 フリートークなら自信があるのですが、今日は立場が違います。
 あくまでも、新郎の父なのであります。

 「えー、小暮家・○○家を代表しまして、ひと言ご挨拶を申し上げます。皆様、本日はご多様中の折り、また遠方より、新郎新婦のためにご臨席をいただきまして、誠にありがとうございます。また、ご来賓の皆様方から心温まるお言葉を多数いただきまして、心よりお礼申し上げます」

 えーーーーい! ダメだダメだダメだダメだーーーー!!!!
 全然、僕らしくないって!
 て、いうか、この調子で話していたら、いつか舌を噛んでしまいそうです。
 えーーい! ヤメたヤメたヤメたーー!!!

 ということで、この後からは得意なフリートークに変更。
 気が付いたら5分以上もしゃべっていました。
 最後、息子からは 「父の話が長かったので、短めに話します」 と新郎のあいさつで釘を刺されてしまいました。


 でも、僕が言いたかったことは、人生のほとんどは “縁” でできているということ。
 いくら“円” を持っていても縁だけは、買えませんものね。

 ふたりが出会ったのも縁、両家が出会ったの縁、親類縁者、会社の上司や同僚、友人たち、そして我が子として生まれてきたことも、すべてが縁なのであります。
 僕は、ただただ、そのことを、若いふたりに伝えたかったのであります。


 “縁は万里の長城を越えてやって来る”

 中国の古いことわざです。
 縁のない人は、袖(そで)が触れ合っても行き違う。
 でも縁ある人は、万里の長城を越えてやって来る。

 R、Mちゃん、末永くお幸せに。
 この縁を、いつまでも大切に。
   


Posted by 小暮 淳 at 16:04Comments(2)つれづれ

2017年01月23日

楽しみは家の外に


 「大人の引きこもり」 が増えているといいます。

 新聞によれば、内閣府が昨年発表した15~39歳の引きこもりは、約54万人。
 ただし、40歳以上の引きこもりに関しては今まで調査がなく、その実態は不明でした。
 そこで今回、引きこもりの相談を受けている全国の自治体窓口のうち150ヶ所を調べたところ、129ヶ所で対応した経験があるとの回答あり、もっとも多かったのが40代(62%) だったといいます。

 以下、続いて30代(52%)、20代(46%)、50代(45%)、10代(29%) の順です。
 10代よりも40代、50代が多いというのに、驚かされました。
 だって、引きこもりと聞けば、子どもや若者のイメージが大きいですからね。
 つくづく、この国は病んでいると知らされました。


 なぜ、引きこもるのでしょうか?
 家でジッとしていることのできない僕には、到底、見当もつきませんが、これだけは言えると思います。
 家の外より家の中のほうが、居心地が良い人たちなんでしょうね。

 僕の知人の息子さんも中学生の時に不登校になり、そのまま10年以上、自宅の部屋に引きこもっています。
 奥さんは、毎日、部屋の前に食事を運んでいるらしいのですが、いまだに籠城が続いているとのことです。
 一度、相談されたことがありましたが、そもそも “引きこもり” とは、なんぞや? が分からない僕に解決案などあるわけがなく、ただただ彼のグチを聞いてあげただけでした。

 幸い、我が家の子どもたちは、3人が3人とも小中学校で皆勤賞をいただくほどの、給食と部活大好き人間だったので、まったく引きこもりとは無縁の子育てでした。
 おまけに長女は21歳で、長男は24歳で生涯の伴侶を見つけて、さっさと家を出て行ってしまいました。

 思うに、子どもたちにとって我が家は、居心地が悪いのだと思います。
 居心地が悪いから、家の外に居心地の良い場所を見つけるのです。
 よって、家の居心地を悪くすれば、引きこもりはなくなるのであります。


 ところで、40歳以上の引きこもりって、誰が面倒を看ているのでしょうか?
 親だとしたら、かなり高齢で、経済的にも大変ですよね。
 こりゃ~、大変な社会問題ですぞ!

 みなさん、家の外に楽しみをいっぱい作りましょうね。
 これが、僕の引きこもり防止策です。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:18Comments(0)つれづれ

2017年01月07日

キャンセルの功名


 ピンチをチャンスに換える!

 なんていうと、まるでビジネス書か自己啓発本に出てくる言葉のようですが、結果、ピンチが転じてチャンスが到来することは、ままあることです。
 特に僕のような人生設計のないままに、行き当たりバッタリの無頼派を気取っている人間には、この “土壇場の神様” の救いに助けられることが多いのです。


 もう、何年も前のことですが、某地元紙で連載の企画が進んでいました。
 第1話の取材も終えて、原稿も書き上げていました。
 あとは、掲載日を待つのみというときです。
 突然、「連載は中止となりました!」 との担当者からの連絡。
 理由は、記事内容が幹部の考えとそぐわなかったようです。

 「だったら、最初っからオレなんかに依頼すんなよ!」
 と息巻いたところで、元の木阿弥。
 覆水盆に返らず、であります。

 「ああ、またやっちまった……」
 自分を曲げられない性格が、またしてもアダとなりました。
 ところが、数日後のこと。

 まったく似たような企画の連載話が飛び込んで来たのです。
 しかも、今度は大手新聞社からの依頼です。
 しかも、週刊連載!
 到底、地元紙の連載が始まっていたら、受けられなかった仕事です。

 まさに “キャンセルの功名” であります。


 今年も年明け早々、仕事が1本、キャンセルになりました。
 その日まで、あと1週間というドタキャン(土壇場キャンセル) です。

 ところが今回も、土壇場の神様はいました。
 キャンセルを受けた電話から、わずか2時間後です。
 「あけましておめでとうございます。急で済みませんが、来週の○曜日なんて空いてませんよね?」
 僕が世話になっている某団体職員から電話が入りました。
 急きょ、決まったイベントへの招待です。

 その日が、ドンピシャ! 2時間前にキャンセルで空いた日だったのです。
 またしても、キャンセルの功名であります。


 捨てる神あれば拾う神あり、人生は実に良くできているのです。
 みなさんの身の回りにも、ピンチをチャンスに換えてくれる土壇場の神様が必ずいるはずです。

 でも、神様には前髪しかないといいます。
 後ろ髪がないので、過ぎ去ってからでは、つかめないそうです。
 あしからず!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:03Comments(0)つれづれ

2017年01月04日

マルチ元年


 出会ってから30年間、同じテーマで年賀状を出している人がいます。
 その人は、作家のN先生です。

 その年に特化したもの、やるべき事に、「元年」 を付けて意志表明をします。
 たとえば、こんな年がありました。
 「せんずり元年」

 いえいえ、正月早々ふざけているわけではありませんよ。
 そのココロは?
 “書いて書いて書きまくる” であります。

 確か、昨年は 「ゲゲゲ元年」 でした。
 そう、故・水木しげる先生の 『幸福の七ヶ条』 であります。
 この七ヶ条を肝に銘じる1年でした。


 では、今年の年賀状には、なんと書いたのか?
 「マルチ元年」 です。

 別に大風呂敷を拡げたわけではありません。
 奇をてらっているつもりもありません。
 “マルチ” の意味を問えば……

 実は、昨年暮れに、ある占いを見て、僕の2017年を占ってみました。
 すると、出てきた答えは、「ありのまま」 だったのです。
 “素” で生きるということです。

 僕の本業は、フリーライターです。
 ですから基本、取材をして記事を書くことを生業としています。
 でも、この数年は、なんだかんだと多方面から声がかかり、だんだん自分の職業が分からなくなっていました。

 そんなとき、占いが導いたこの言葉が、僕を救ってくれたのです。
 「ありのまま」 に生きる。
 やりたいことをやって、見られるように見られる。
 あらがうことなく、求められるものは、すべて受け入れようという姿勢です。

 そう心に決めた途端、昨年末より次から次へと思わぬ依頼が飛び込んできました。
 某ミュージャンからのレコーディング参加の話、某温泉地から新たな役職任命の話、某テレビ局からレポーターの話……

 仕事とは、不思議なものですね。 
 自分が想像も想定もしていなかったことが、やって来るのですから。
 こうなったら、なんでもやってやろう!という気になったのであります。

 ということで、今年の僕は 「マルチ元年」 であります。
 さて、どんな年になるのかは、僕にも予想がつきませんが、ワクワク、ドキドキしながら楽しみたいと思います。
  


Posted by 小暮 淳 at 14:08Comments(0)つれづれ

2017年01月02日

年頭所感にかえて


 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。

 新しい年、平成29年(2017年) 酉年がスタートしました!

 テレビでは、酉年の平成29年にひっかけて 「とり肉」 を食べようなんてCMが流れていますが、僕だったら、こう語呂を合わせます。

 2017 = 「フロいーな」

 どうです? 僕らしくっていいでしょう!
 来年は 「フロいーわ」 で、再来年は 「フロ行く」 ですから、しばらくは僕の年が続きますね。


 さて、さてさて、みなさんは、どんなお正月を過ごしていますか?
 僕は年末に予測したとおりの、それはそれは賑やかな元日を迎えました。

 実家に集まったのは、総勢14人であります。
 両親と兄夫婦、姪っ子夫婦に、うちの家族です。
 うちの家族の内訳は、僕と家内、長女夫婦と孫、長男夫婦と次女であります。

 だもの正月に、盆とクリスマスまで一緒に来てしまったような大騒ぎです。
 その中で印象的だったのは、昨年、結婚して小暮家の仲間入りをした長男の嫁さんであります。
 彼女にとっては、初の “小暮家の正月” ですからね。

 端から見ていても、けな気なほどに、かいがいしく動いていました。
 義姉からは、「本当に、いい娘が来たね」 と、お褒めの言葉をいただきました。
 ま、褒められれば、義父の僕として、うれしいのであります。

 「ああ、また家族が増えんだなぁ~」 と、目を細めて彼女を眺めていました。


 宴もたけなわ、でも、僕たち(淳一家) は、移動の時間が近づいてきました。
 元日は、家内の実家へも全員で顔を出すのが恒例なのです。

 「さて、行こうか」
 と、僕が音頭を取った時でした。
 義姉に呼び止められました。
 「お義母さんが、Mちゃん(長男の嫁) に渡したいものがあるから、来てほしいそうよ」
 「Mちゃんに?」

 僕が長男の嫁さんを連れて、オフクロがいるベッドのある部屋へ行くと……
 車イスに座ったオフクロが、ポチ袋を手にして、待っていました。

 「はい、お年玉」
 「そ、そんなぁ~」
 と、驚く長男の嫁さん。

 「お年玉をもらうような年じゃありませんから」
 「いいんだよ。これは私の気持ちなの」
 そう言って、オフクロは彼女の手を握りしめました。
 骨と皮だけの、ガリガリの細い手で。

 「R(長男) を、よろしくお願いしますね。Mさん」

 オフクロにとってRは、たった1人の男の孫なんですね。
 言い換えれば、“小暮” の姓を継ぐ、たった1人の孫でもあるのです。
 昭和ひと桁生まれのオフクロらしい、愛情表現なんですね。


 「来年は、もっと賑やかになりまよ」
 と、姪っ子の旦那が、見送ってくれました。
 そうなんです、姪っ子のお腹には、新しい命が宿っているのです。

 15人目の小暮家の人です。


 子孫繁栄、家内安全、無病息災……
 また1年間、健康で元気に暮らしましょう!
   


Posted by 小暮 淳 at 17:54Comments(3)つれづれ

2016年12月31日

ゆく年に除夜の鐘を


 平成28年が、まもなく暮れようとしています。
 つくづく昭和が遠くなったと感じます。

 子どもの声がうるさいからか、保育園や幼稚園の建設に反対したり、不審者対策からなのかマンション内でのあいさつを禁止したり……
 昭和の時代には考えられなかったような出来事が、身の回りで次々と起きています。
 “除夜の鐘” も、その1つのようです。


 除夜の鐘は、騒音なのでしょうか?

 確かに、昭和と平成ではライフスタイルが大きく変わりました。
 それによって、個人の価値観の相違も多様になりました。
 だから、除夜の鐘を 「うるさい!」 と感じる人がいても不思議はありません。

 でもね……

 やっぱり、価値観は変化しても、文化は継承していきたいものです。
 それを忘れてしまったら、ご先祖様が泣きますぜ!

 ということで、古式ゆかしく、「紅白歌合戦」 のあとは、「ゆく年くる年」 を観ながら、除夜の鐘を聴いて新年を迎えたいと思います。


 読者のみなさま、今年1年間、お付き合いいただき、本当にありがとうございました。
 よい年をお迎えください。
 そして、来年もよろしくお願いいたします。

        平成28年12月31日 大晦日  小暮 淳
   


Posted by 小暮 淳 at 22:16Comments(2)つれづれ

2016年12月30日

マロの独白⑲ いくつ寝るとお正月


 こんにちワン!
 マロっす!
 ここんちの飼い犬、チワワのオス、10才です。

 お久しぶりでやんした。
 つうか、今年はオイラの出番が少なかったと思いませんか?
 ま、そんだけ、ご主人様が忙しかったということなんですけどね。
 オイラの出番が少ないということは、ご主人様の仕事が順調に進んでいるしるしですから、飼い犬としては喜ばしいことであります。

 それにしても、1年なんて、あっという間でやんすね。
 月日が経つのは、本当に早いものです。
 オイラが、この家に来て、もう10年ですからね。

 当時の小暮家は、それはそれは、にぎやかでしたよ。
 長女様は色気盛りの高校生で、長男様は生意気盛りの中学生。 
 次女様にいたっては、ピカピカの小学1年生でしたからね。
 そんて、みんながみんな、オイラを可愛がってくれました。

 やがて1人消え、2人いなくなり、残った次女様も難しい年頃のようで、ご主人様も奥様も腫れ物に触るような扱いでございます。
 でも、でもでもーーーーー!!!
 あと、いくつか寝ると、待ちに待ったお正月がやって来るんでやんす!

 長女様夫婦とお孫様、長男様夫婦、ご主人様と奥様と次女様とオイラと……
 ね、にぎやかでしょう!
 5人+1匹家族だったのが、10年経ったら8人+1匹家族になったんですよ!
 これって、すごい事だと思いませんか?

 ワ~、今から楽しみだな~!!
 オイラ、毎日、歌をうたって、お正月が来るのを待っているんだ!


 ♪ もういくつ寝るとお正月
   お正月には散歩して
   ドッグフード食べて 昼寝して
   いつもと変わらぬお正月 ♪

 来年もよろしくだワン!
  


Posted by 小暮 淳 at 15:04Comments(2)つれづれ

2016年12月29日

今年も最後はゲゲゲのゲ


 今年も残り、あと2日となりました。
 みなさんは、どんな1年間でしたか?

 反省すべき点も多々あることでしょう。
 でも、昨年よりも成長した事もいっぱいあるはずです。
 1年の最後ぐらい、自分の “頑張ったとこ” を褒めてあげようじゃありませんか!


 では、僕から振り返ってみますね。
 今年を表す漢字一字は、「奔」 でした。
 昨年が 「労」 だったわけですから、飛躍的に前向きになれた年だったと言えます。
 とにかく、飛び回っていた1年でした。

 <温泉>
 過去には年間100回以上めぐっていた年もありましたが、ここ数年は体力の衰えと取材内容の変化もあり、かなり少なくなりました。
 今年は、68回。昨年とほぼ同様です。

 <講演>
 そのぶん、講演やセミナー、講座などの出張が増えました。
 みなかみ町の 「温泉大使」 や中之条町の 「観光大使」 に任命されたこともあり、関連イベントでのスピーチや講話を含めると30回以上になります。

 <メディア>
 なんと言っても、今年はメディアへの露出が多かった年でした。
 1月の 「週刊文春」 から始まり、3月の 「毎日新聞」 全国版と立て続けに掲載され、4月には大阪のラジオ局 「毎日放送」 に生出演しました。
 やっぱり、全国区の反響は違います。
 著書の売り上げにも影響しますし、ブログやネット検索の数が桁違いに伸びますもの。
 そして、極めつけは9月に行った 「東京ビッグサイト」 での2回講演ですかね。

 群馬の温泉を全国の人たちに知っていただけたと思います。


 さてさて、いよいよ奔走した2016年も、まもなく暮れようとしています。
 最後に、僕をいつも励まし、突き動かしてくれている、あの七ヶ条を復唱したいと思います。
 そう、故・水木しげる先生の 『幸福の七ヶ条』 であります。
 ※(詳しくは当ブログの2015年12月26日「ゲゲゲの七ヶ条」参照)


 〔第一条〕
  成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
 〔第二条〕
  しないではいられないことをし続けなさい。
 〔第三条〕
  他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
 〔第四条〕
  好きの力を信じる。
 〔第五条〕
  才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
 〔第六条〕
  怠け者になりなさい。
 〔第七条〕
  目に見えない世界を信じる。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:33Comments(0)つれづれ

2016年12月27日

さらば青春の聖地


 ♪ ひとつひとりじゃ淋しすぎる ふたりじゃ息さえもつまる部屋
   みっつ見果てぬ夢に破れ 酔いつぶれ夜風と踊る街
   哀しみばかりかぞえて 今日も暮れてゆく
   あゝ青春は燃える陽炎か あゝ青春は燃える陽炎か ♪
    (『あゝ青春』 by 吉田拓郎)


 奇しくも前回、ブログに拓郎のことを書いたところ、翌日の新聞紙面に、こんなニュースが掲載されました。
 『フォークソングの聖地 42年の歴史に幕』

 「つま恋」 という名を聞いて、胸の奥のほうがキューンと締め付けられる思いを抱くのは、たぶん50代以上の方々でしょうね。
 決して、群馬県吾妻郡のキャベツの産地ではありませんよ。

 「つま恋」 とは、静岡県掛川市にあるヤマハリゾート施設のこと。
 1974年に開業し、翌年の夏には、あの伝説の野外フォークコンサートが開催されました。
 『あゝ青春』 は、その時のオープニング曲であります。

 そして1979年には、前回ブログに記した愛知県の離島、篠島でのアイランドコンサートが開催されました。
 この時のオープニング曲も 『あゝ青春』 でした。


 残念ながら僕は、同じ時代に青春を過ごしていたにも関わらず、まだ高校生だったことや家庭の事情もあり、歴史の現場には立ち会えませんでした。
 もちろん、ライブビデオは擦り切れるほど、くり返し観ましたけどね。

 で、大人になってから “聖地巡礼” の旅に出たのであります。
 つま恋にも、篠島にも……


 その青春の聖地が、1つ姿を消しました。
 施設の老朽化が進み、修繕費がかさむこと。
 利用客の減少により、業績不振に陥ったこと。
 理由は多重のようですが、やはり一番に感じることは時代の変化です。

 価値観の多様化、に尽きる気がします。

 きっと今の若者も、それぞれの夢を抱いて真っ直ぐに生きていることでしょう。
 そして僕らにも、夢中になった青春の群像があったのです。

 今でも記憶の中で、ゆらゆらと陽炎のように揺らめいています。
  


Posted by 小暮 淳 at 14:38Comments(0)つれづれ

2016年12月24日

今はまだ人生を語らず


 <拝啓 吉田拓郎様
  あれから25年。あの夏の日が忘れられなくて、あなたと青春を燃やした島、篠島へ行ってきました。青い海と空、そして気さくで人なつっこい島人たちと四季を遊んできました。みんな、あなたとあの日のことを覚えています。島が沈みそうになった1979年7月26日の熱い熱い夏の日を……>


 昨晩は、NHKテレビに釘づけになってしまいました。
 『SONGSスペシャル 吉田拓郎70歳・初めて挑んだライブに密着』

 10代から熱狂的なファンとして、彼を追いかけてきた僕にとっては、ただただ感動の1時間でした。
 若い時の拓郎もやんちゃで良かったけど、古希を迎えた枯れた拓郎も実に良いのであります。

 で、冒頭に記した文面であります。
 なんのことを言っているかは、拓郎ファンならお分かりですよね。
 1979年に知多半島沖の離島・篠島で夜通し開催された 「アイランドコンサート」。
 その伝説の島に、僕とフリーカメラマンの故・大河原義弘氏は、2年間通い詰めました。
 今から10年以上前のことです。

 そして僕らは、今の篠島を知ってほしいと、各地で展示会を開催しました。
 前橋・宇都宮・横浜、そして地元の安城市(愛知県) のギャラリーでも行いました。
 タイトルは、フォト&エッセイ展 『島人たちの唄』。

 この文章は、その時のDMやチラシに書かれたものです。


 テレビでは、珍しく拓郎本人が、自分の作った曲の中で、好きな歌ベスト5というのを発表していました。
 70歳になった拓郎が選んだ、そのベストワンとは?

 僕がカラオケで歌う、この曲でした。


 ♪ 朝日が昇るから 起きるんじゃなくて
    目覚める時だから 旅をする
    教えられるものに 別れを告げて
    届かないものを 身近に感じて
    超えて行け そこを
    超えて行け それを
    今はまだ 人生を 人生を語らず ♪

 『人生を語らず』
 この歌に、何度救われたことでしょうか。
 70歳の拓郎を見て、「まだまだ」 と勇気と情熱が湧き上がってきました。

 もちろん今日は、朝からこの歌が頭の中で、エンドレスに流れています。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:11Comments(0)つれづれ

2016年12月22日

カレンダー・レディー


 今でも、僕のことを 「編集長」 と呼ぶ人たちがいます。

 僕は過去に、3つの雑誌の編集長を務めたことがあります。
 だから当時のスタッフは、僕が雑誌の編集を辞めた後でも、「小暮さん」 とは呼ばずに、旧役職名で呼んでくれます。
 最初は、「もう僕は、キミたちの編集長じゃないよ」 と訂正していたのですが、「編集長っていうのは、編集長のニックネームだと思ってください」 とかなんとか言われて、そのまま今日まで来てしまいました。

 だから元スタッフから 「編集長」 と呼ばれることには慣れたのですが、たった1人だけ今でも違和感を感じ続けている人がいます。
 その人は、Kさんという女性です。
 彼女は、僕が編集長をしていた雑誌に、僕が辞めてから入ったスタッフです。
 だから本来は、彼女にとって僕は、編集長ではありません。

 なのに、僕が編集室を訪ねると、決まって 「編集長、ご無沙汰しています」 と声をかけてくれるようになりました。
 それこそ、「僕はキミの編集長じゃないんだから、おかしいよ」 と思うのですが、彼女にとっても “ニックネーム” になってしまっているようです。

 でもね、本当の編集長がいるわけですから、その人が2人の会話を聞いたら、さぞかし張り合いが悪いのじゃないかなって、不安に思うのであります。


 そんなKさんから、今年もひと足早く、クリスマスカードとプレゼントが届きました。

 <来年は入社から丸10年を迎えます。節目の年も宜しくお願いします!>
 と書かれたメッセージ。
 そして、恒例の卓上カレンダーです。

 毎年、僕は彼女から届く、このカレンダーを楽しみに待っています。


 今年も残りわずかとなりました。
 過ぎ去った1年間を振り返りつつ、新しいカレンダーのページをめくります。
 1月、2月、3月……

 5月で手が止まります。
 順調に取材と執筆が進めば、この頃には新刊が出版されているわけです。

 6月、7月、そして8月
 来年の8月8日は、火曜日なんですね。
 僕の誕生日です。
 いよいよ、還暦にリーチです。
 50代最後の夏を、どう生きようか?
 思いっ切り、暴れてやろうか!?
 考えただけで、ワクワクしてきます。


 Kさん、毎年毎年、素敵なプレゼントをありがとうございます。
 あれもやりたい、これもしてみたい、それも……
 夢と期待に胸がふくらむ本当に素敵なプレゼントです。

 10年の節目の年に、思い出に残るような仕事が、一緒にできるといいですね。
 来年もよろしくお願いいたします。
    


Posted by 小暮 淳 at 21:50Comments(0)つれづれ

2016年12月16日

明日はどっちだ!?


 「ご主人、お願いしますよ」
 「ダメだよ」
 「そこをなんとか。3ヶ月でいいんですから」
 「そう言って、以前、スポーツ紙をとってあげたじゃない」

 顔見知りの新聞販売所の店員が、新聞の勧誘にやって来ました。
 僕は長年、彼の店から1紙購読しているのですが、時々こうやって、他の新聞の勧誘にも来るのです。

 「あの時のことは、とても感謝しています。でも、またノルマもらっちゃって」
 「2紙は無理だよ。じゃあ、A紙をやめて、3ヶ月だけB紙をとってあげるよ」
 「それじゃあ、ダメなんです。私の成績にならないんですよ。お願いします! サービスしますから」
 「サービスって言ったって、どうせ洗剤だろ?」

 すると彼は、僕の顔色を伺いながら、こんなことを言ったのです。
 「ご主人は、『あしたのジョー』 はお好きですか?」


 好きだ?
 誰を相手に、ジョーの話を持ち出しているんだい? あんちゃん!
 『あしたのジョー』 は、オレにとっちゃ人生のバイブルだよ。
 何度、読んだかわかりゃしねぇよ。

 その昔のまた昔、オレの髪が今の倍以上長かった頃だよ。
 ライブハウスのステージでは、必ずジョーの話をしたもんさ。
 「ジョーのように、真っ白になって燃え尽きて死にたい」 ってね。

 髪の毛だけは、一丁前に白くなったけど、人生はまだまだ中途半端なんだよねぇ。
 そんなオレに、『あしたのジョー』 が好きかって、どういう意味だよ?
 好きだったら、全巻まとめて持って来てくれるとでも言うのかい?

 「はい、持ってきます!」
 「えっ……(絶句)」


 翌日、タブロイド版の 『あしたのジョー』全52巻が届きました。

 過去には、全巻集めては手放していた人生のバイブルが、こうやってまた我が家に揃いました。
 夜、寝る前に酒を飲みながらページをめくる喜び……。

 まだ舞台は、ドヤ街でジョーが、やっとボクシングに目覚めたところです。
 これから毎晩、力石徹やウルフ金串やカーロス・リベラやホセ・メンドーサたちに会えるんですね。
 ワクワクします。

 でも、ドキドキもしています。
 だって、新聞をもう1紙とったことを、まだ家族には話していないんですから。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:03Comments(2)つれづれ

2016年12月15日

今年の漢字は 「奔」


 先日、2016年の世相を1字で表す 「今年の漢字」 が発表されました。
 「金」 だそうです。

 リオデジャネイロ五輪の日本人選手の金メダルラッシュ、舛添要一前東京都知事の 「政治とカネ」 の問題、トランプ次期米大統領の金髪などが選考の理由だったようですが、確か何年か前も 「金」 だった年がありましたよね。
 やはりオリンピックの年だったような……。

 ふ~ん、なんだか僕とは無縁の漢字であります。
 「キン」 と読んでも、「カネ」 と読んでも、僕の1年とは関係ない言葉です。
 では、自分にとって今年は、どんな1年だったのだろうか?
 と、はたと考えあぐねてしまいました。


 今年の主だった出来事といえば、5月に温泉シリーズ第8弾 『西上州の薬湯』(上毛新聞社) を出版したこと。
 4月に、みなかみ町(群馬県利根郡) から 「温泉大使」 に、10月に中之条町(群馬県吾妻郡) から 「観光大使」 に任命されたこと。また、それらに関連するイベントに参加したこと。
 11月にNPO法人設立1周年を記念したパネル討論会を開催したこと。
 ぐらいでしょうか……

 それ以外は、いつもの年と変わらないと思います。
 相変わらず温泉には、取材や講座で回っていますが、例年並であります。
 ただ、今年は、講演やセミナーが増えたような気がします。
 少ない月で1~2回、多い月では4~5回のペースで開催しています。
 東京ビッグサイトやニューサンピア高崎などの大きなイベントに呼ばれたのも、例年にない変化だったかもしれません。


 と、いうことで、僕の今年の漢字は 「奔」。
 いつも奔走していた1年でした。
 平気で1週間ぐらいは、家族の顔を見ない時がありましたからね。
 家族としては、家の中が静かで喜んでいたと思います。

 今年も余すところ半月であります。
 まだまだ、僕の東奔西走は続きます!
    


Posted by 小暮 淳 at 12:19Comments(0)つれづれ

2016年12月12日

原点回帰


 なぞなぞ、です。
 「最初は4本、次は2本、最後は3本、な~に?」


 答えは、「人間の一生」です。
 赤ちゃんはハイハイ、やがて二足歩行となり、老人になると杖をつく。
 まさにオヤジが現在、“3本” なのであります。
 もちろん二足歩行もできますが、家の外へ出るときは杖と介助が必要です。

 でも、このなぞなぞには、続きがありそうですね。
 本当の最後は、“0本” です。
 寝たきり、または車イス生活です。
 まさに、オフクロが今、その状態であります。


 「いいかい? 上げるよ」
 リモコンを使って、僕はオフクロが寝ているベッドを操作します。
 上半身が起き上がると、オフクロは手の力だけで移動し、ベッドの縁に座ります。

 「ちょっと待ってておくれよ」
 3度の食事以外はベッドで寝たきりのため、上半身を起こしただけでも、めまいがするそうです。
 ここで3~4分、座ったままの状態で安静にさせます。

 「さっ、もう、いいだろ? 一気に乗り移っちゃおう!」
 「いち、にの、さん。いち、にの、さん、いち、にの……」
 何度か一緒に、かけ声をかけながら、ゆっくり、ゆっくりと車イスに移動させます。


 オフクロは、89歳。
 頭もしっかりしているし、これといって大きな病気は抱えていません。
 でも、日に日に老齢による衰弱が始まっています。
 すでに体重は、40キロを割ってしまいました。
 体は、骨と皮だけとなり、筋肉がまったくありません。
 そのため、歩行が困難になってしまいました。


 「ごちそうさま。おいしかったよ」
 「体力が無いわりには、食欲はあるね」
 「はい、大変おいしゅうございました」
 オフクロは僕が作る料理を、いつも 「おいしい、おいしい」 と言って、残さず食べてくれます。

 「もう寝るかい?」
 「はい、そうします」
 「だったら、オムツを替えないとね」
 「はい、お願いします」

 半年前までは、ベッド脇の簡易トイレに一人で行けたのですが、今は到底無理です。
 オムツ(リハビリパンツ) のお世話になっています。
 でも、今の大人用オムツって、とっても便利にできているんですよ。
 ズボンを脱がずに着脱ができるんです。

 「ほら、テーブルに手をついて」
 「怖いんだよ。早くしておくれね」
 「もっと足を開かなくっちゃ、交換できないじゃないか」


 なんとも不思議な光景です。
 58年前、2人の関係は逆だったのですからね。
 僕が、この人にオムツを替えてもらっていたのです。 

 「どう? すっきりした?」
 「ああ、気持ちがいいよ。ありがとうね」

 小さな小さなオフクロは、まるで幼子のよう。
 すっかり昔と、立場まで逆転してしまいました。

 「おやすみ」
 「ありがとね。おやすみなさい。明日もよろしくお願いします」 

 僕が洗い物を済ませて、振り返ると、もうオフクロは寝息を立てて寝ています。


 さーて、お次は、オヤジの番だ!
 こっちは、手ごわいぞ!

 じいさん、待ってろよ!
 逃げるんじゃ、ないぞ!
 (オヤジは、オムツ交換が大嫌いなのです)
  


Posted by 小暮 淳 at 14:49Comments(2)つれづれ

2016年12月10日

父として祖父として……そして


 <娘としては猛烈に観てて恥ずかしかった>

 6年前に嫁いだ長女からメールが届きました。
 先日放送された群馬テレビの 「ぐんまトリビア図鑑」『温泉ライター小暮淳の素顔』 を観ての感想です。

 思えば長女とは、会話らしい会話をした記憶がありません。
 中学~高校は反抗期と思春期で、父親とは口を聞こうとはしませんでしたし、高校を卒業と同時に家を出て、その数年後には結婚をしてしまいました。

 孫が産まれてからは時々、遊びに来るようになりましたが、会話は、もっぱら母親とばかりです。
 娘にとって父親なんて、そんなものだと思っていました。

 <じぃじがテレビに出ている~、かっこいい~って大喜びだよ>

 と、孫のK君(5歳) の感想も添えられていました。
 放送翌日のことでした。


 今日また、長女からメールが届きました。

 <Kが、じぃじ観たい観たいって、この間録画したの朝から5回もリピートして見せてるよ。登場シーンで、じぃじ~じぃじ~って爆笑しながら何度も何度も喜んでいる>

 そして、
 <似合わない白髪でテレビに出てて、恥ずかしいな~って思ったけど、Kが喜んでいたからすべて良し。おとう、年取ったな~って、切なくなってたんだ。>
 <でも嬉しかったよ。もう10回以上観てしまったよ!>

 この辺りから、僕の涙腺がゆるみ出しました。
 だって、こんな長いメールが娘から届いたは初めてだったのです。

 <Kに言われて、本当におとうが私のお父さんで良かったって思ったよ。いつか親孝行させてね!>


 もうダメです。
 こんなに涙ってこぼれるんだ、と思うくらい、ポロポロと流れてきます。
 通りの真ん中で、ケータイを握り締めて泣いている初老の男の姿は、どんなふうに映っていたことでしょうか。

 親になるのではなく、親にならせてもらうのだと言います。
 いまさらながら、自分は人の親なんだと思い知らされました。


 最後に、こんなことも
 <Kが、じぃじ温泉連れてってくれないの~だってよ!> 

 お安い御用であります。
 湯の中で、孫を相手にウンチクをたれてやろうじゃありませんか!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:30Comments(0)つれづれ

2016年12月03日

マロの独白⑱ がんばれ!ご主人様


 こんばんワン! マロっす。
 ここんちの飼い犬、チワワのオス、10才です。

 お久しぶりでやんした!
 3ヶ月以上ぶりなんですね。
 みなさん、元気でしたか?
 オイラは、寄る年波で少々足腰が弱くなりましたが、元気に散歩と昼寝をしています。

 なんでこんなにも、ご無沙汰してしまったのか?
 それは、もう、ご主人様の多忙以外にありませんって!
 この数ヶ月間は、取材に講演にロケにと飛び回っていて、ほとんど家に居ませんでしたもの。
 帰って来ても夜遅くだと、オイラのいるリビングには寄らずに、そのまま自分の部屋へ入ってしまいます。

 でもね、たまに昼間帰って来ると、
 「おお、マロマロマロ~~!! 」
 って、擦り寄ってきて、オイラを思いっ切り抱きしめてくださるんですよ。
 そして、「散歩、行くか? 散歩!」 って外へ連れ出してくれます。

 だから、どんなにご主人様が忙しくても、オイラはいつも我慢して、ご主人様が遊んでくれる時を待っているんです。


 でもね……、
 そんな疲れているご主人様に対して、他の家族は冷たいんですよ。
 昔は、もっと違ったんですけどね。

 長女様が嫁いで行き、長男様も結婚して所帯を持ち、賑やかだった小暮家は、ずいぶんと淋しくなりました。
 昔のように、一家団らんの笑い声も聞かれなくなりました。


 「ねえ、おとうの仕事ってなに?」
 「……」
 「まじ、よく分からないんだけど。本を書いているから、作家?」
 「……」

 高校生の次女様と奥様の会話です。
 オイラは、リビングのストーブの前で、うたた寝をしているふりをしながら聞いています。
 会話といっても、次女様が一方的にしゃべって、奥様は無関心なんですけどね。

 「友だちがさ、テレビで、おとうを観たんだって」
 「……」
 「笑った顔が、私にそっくりだって言うんだよ」
 「……」
 「チョー傷つくんだけど!」
 「……」

 クスッ、クスクス(笑)
 オイラ、聞いていて笑いをこらえるのに必死でやんした。
 確かに、3人きょうだいの中では、次女様が一番、ご主人様に似ていますもの。
 顔も、性格もね。

 それにしても、クールなのは奥様です。
 一切、ご主人様ネタには、言葉を返しません。
 倦怠期っていうヤツですかね。
 “亭主元気で留守がいい”ってことですかね。

 いつか次女様も、いなくなってしまうですよね。
 あーあ、心配だなぁ~。

 でも、ご安心ください。
 オイラがいますよ!

 がんばれ、ご主人様!
 オイラは、いつだって、ご主人様の味方ですからね。
  


Posted by 小暮 淳 at 20:49Comments(2)つれづれ

2016年11月20日

爪を切る②


 伯母が亡くなりました。
 91歳でした。


 オヤジは7人きょうだいの下から2番目。
 4人の姉と兄が1人、弟が1人いました。
 3年前に伯父が死んだ時、
 「オレ、1人になっちゃったよ。姉さんも兄ちゃんも弟もいなくなっちゃった」
 と、落ち込んでいたことを思い出します。

 亡くなった伯母は、その伯父の連れあいであります。
 これで、14人いた仲良しきょうだい(義兄弟、義姉妹を含む) は、たった2人だけになってしまいました。
 うちの両親です。

 と、いうことで、昨日は伯母の告別式でした。
 葬儀には、アニキとオヤジが参列することにし、僕は実家に残り、オフクロの面倒を看ることになりました。


 「ほら、じいさん。こっちへ来て! 着替えるよ」
 「どこへ、出かけるんだい?」
 何がなんだか分からない、認知症のオヤジに喪服を着せるのは、ひと苦労です。

 「ほれ、そこに座って! 靴下を履き替えるからね」
 と、それまで履いていた靴下を脱がせて驚きました。
 足の爪が、伸び放題に伸びています。

 「あんちゃん(僕はアニキのことを、そう呼びます)、デイ(サービス) じゃ、爪を切ってくれないのかね?」
 「いや、切ってくれてるはずだけど、もしかしたら、手の爪だけかもしれないな」
 「爪切り、どこだっけ?」


 パッチン、パラパラ、パッチン、パラパラ

 切るそばから爪が粉のように砕け散ります。

 「あんちゃん、これ、見て」
 「ああ、カルシウム不足だな。歳だから仕方ないけど」

 パッチン、パラパラ、パッチン、パラパラ

 オヤジの顔を見ると、うれしそうに微笑んでいます。
 「じいさん、良かったな。息子に爪を切ってもらえて」
 「ああ、オレは幸せだ。日本一の幸せだよ」

 パッチン
 「痛い!」
 「ごめん。もう終わりにするよ」


 ネクタイを締めて、革靴を履いて、お出かけ用のステッキを突いて、オヤジはアニキに手を引かれながら斎場へと向かいました。
 あと何回、オヤジの爪を切ってやれるのでしょうか?

 でも、そんな感傷に浸る間もなく、2人を見送った後、僕はオフクロのオムツを交換するのでした。
    


Posted by 小暮 淳 at 12:09Comments(0)つれづれ

2016年11月13日

95歳のドライバー


 高齢者ドライバーによる交通事故が多発しています。
 しかも通行人をはねて、死亡させてしまうケースが後を絶ちません。
 高齢化社会の末路です。

 なぜ、もっと早く、国や自治体は対策を取れなかったのでしょうか?


 我が家のボケ老人こと、92歳のオヤジは12年前からクルマの運転はしていません。
 いや、していないのではなく、させないのです。
 80歳の誕生日を境に、僕とアニキとで、強制的に免許証を取り上げ、自家用車も廃棄処分しました。

 もちろん、本人は 「まだ大丈夫だ!」 と駄々をこねました。
 まだ、こんなにも認知症が進む前でしたからね。
 でも、前兆はあったんです。

 一時停止をおこたり、バイクと接触事故を起こしました。
 ま、相手のケガは大したことなかったのですが……。
 このときが、79歳。
 その後、僕とアニキが助手席に同乗して、運転をチェックしたところ、すべての判断能力と操作行動が甘いことを確認したため、“免許剥奪の刑” に処したのであります。

 本人は、クルマを取り上げられたことにより、行動範囲が極端に狭くなってしまったため、しばらくは不服の様子でしたが、今となれば、僕とアニキの決断は正しかったと思います。
 だって、80歳過ぎまで生きて、残りの人生を刑務所の中で過ごさせるなんて、子どもとしてできませんって。
 何よりも、全く関係ない、赤の他人様を傷つけなくて済みました。


 ところが実家の近所には、いまだに軽トラを乗り回している95歳のおじいさんがいるのです。
 ま、一見、90歳過ぎには見えませんけどね。
 それでも、後期高齢者の超後期者であります。

 このおじいさん、現在でも現役で町工場を営んでいます。
 だから仕事でクルマは手離せないようなのですが、近所の人たちはハラハラしながら見守っているのが実情です。
 また、高齢者の娘さんと2人暮しなので、買い物をするのにもクルマは手離せないようです。

 そう、僕の両親が暮らす町は、過疎化が進む “買い物難民街” なのであります。
 なので一概に、他人がおせっかいをやいて、「そろそろクルマの運転はやめたほうがいいですよ」 とは言えないのです。
 こんな場合、どうしたらいいのでしょうか?

 高齢者事故のニュースを耳にするたびに、僕は、そのおじいさんのことを思い出してしまいます。
  


Posted by 小暮 淳 at 13:20Comments(0)つれづれ