温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2010年11月09日

謎学の旅⑫ 「十石犬を追え!」(上)

 僕の犬嫌いは、仲間内ではつとに有名です。
 大型犬はもってのほか、チワワやマルチーズだって、触れなかったのです。

 そんな我が家に4年前、家長の僕の許可なく(家内と娘の策略)、突然、チワワのマロ君がやって来ました。それも、家の中で飼うという(チワワですから当然ですが)。これはもう、生きた心地がしませんでしたよ。

 でも、一緒にいると、だんだんと情ががうつるんですかね。気が付いたら、僕が散歩までさせていました。今では、家族の中で、一番心を許せる友になっています。
 が、依然として、他の犬はダメです。マロ君のみ平気になりましたが、相変わらず犬はニガテです。

 そんな僕が唯一、眺めるのが好きな犬がいます。柴犬です。
 自分でも理由は分からないのですが、なんとも牧歌的な味わいがあり、見ていると心が和むんですね(もちろん、触ることはできませんが)。

 で、その柴犬のルーツともいえる土着犬の血筋を受け継ぐ犬が、今も群馬県の上野村にいるというのです。
 その名は、十石犬(じっこくいぬ)。

 昭和30年代に絶滅したと思われていた、幻の日本犬です!


 十石犬は中型犬で、毛色は柴色と黒色の2種類。
 人間には従順だが、クマやイノシシなどの獲物には、勇猛果敢に立ち向かう気迫があり、古くはマタギ犬(猟犬)として使われていた犬です。

 昭和のはじめ、群馬県上野村と長野県佐久町の県境にある十石峠付近で、「すごい犬を見た!」という噂が広まりました。
 昭和3年、日本犬保存会の初代会長である斉藤弘吉氏が、地元の猟師から譲り受け、東京へ持ち帰った犬に「十石号」と命名。この犬の写真が当時、新聞や雑誌に紹介され、その素朴な風貌と自然な味わいの深さから “柴犬の最高峰” と称され、柴犬の名を一躍世に知らしめることになりました。

 「ああ、十石犬に会いたい!」
 知れば知るほど会いたくなる。
 犬嫌いの僕が、十石犬とたわむれる夢を見たくらいです。

 ところが願いとは、念じていると不思議と叶うものなんですね。
 仕事で上野村役場の人と会う機会がありました。
 すかさず十石犬の話を切り出すと、詳しい人を紹介してくれると言うではありませんか!
 さっそく僕は犬好きのカメラマンを連れて、上野村を訪ねることにしました。


 某月某日。
 十石犬保存会会長の今井興雄さんが、待ち合わせ場所に指定してきたのは、上野村ではなく、意外にも安中市でした。

 コンビニエンスストアで合流。
 あいさつもそこそこに、言われるままに付いて行くと、住宅街の一軒のお宅へ入って行きました。

 「おおおぉぉぉー、いる~!」
 いきなり車から飛び降り、シャッターを切り出すカメラマン氏。
 僕には、ただの柴犬に見えますが、彼は 「目が違う! 骨格が違う! 毛質が違う!」 と、興奮しています。


 「コイツは、まだ目が明るい。
  本来の十石犬は、もっと目に沈みがあるんだ。
  さあ、行くよ。ついておいで」

 今井さんは、そう言うと、車に乗り込んでしまった。

 僕らは、十石犬の故郷、上野村へと向かった。


 <つづく>
   


Posted by 小暮 淳 at 18:12Comments(2)謎学の旅

2010年10月22日

謎学の旅⑪ 「キュウリを食べない人」

 以前、雑誌に 『前橋にウナギを食べない住民がいた!』 と題した記事を書いたところ、読者からの「驚いた」という便りが、たくさん編集室に届きました。(※「謎学の旅」②参照)

 なかには「私も生まれてから一度もウナギを食べたことがありません」という、片貝神社の氏子の方からのハガキも何通かありました。
 ところが、僕が文末に「キュウリを食べない住民がいるだって?」と思わせぶりなことを書いて締めくくってしまったものだから、翌月になって、「キュウリを食べない人はどうした?」「続きを楽しみにしていたのに」といったお叱りのハガキとメールが届いたのも事実でした。

 僕だって、ずーっと気になっていたんです。
 だって、あの時出会った老人が残した言葉……
 「この辺じゃ、ウナギを食わんらしいね。うちの方じゃ、キュウリを食わんけどね」

 そして、さらに老人は言葉を続けた。
 「昔、村を守ってくれていたお侍さんが、キュウリのトゲで目をケガしてね。それ以来、キュウリを食わんようになったんだよ」


 あれから半年、ひょんなことから、僕はキュウリの話に出合いました。
 京都の人は、祇園祭の期間中は、キュウリを食べないというのです。
 これは、八坂神社の神紋がキュウリに似ていることに由来しているらしい。
 調べてみると、「木瓜(もっこう)」 という神紋は、確かにキュウリの切り口(断面)に似ているんです。

 なぜ、そんな神紋になったかといういわれについては、須佐之男命(すさのおのみこと)が、キュウリの上に降臨したという伝説が残っているます。
 また、キュウリを食べない習慣は、京都の八坂神社と関係のある全国の神社周辺でも見られるとのこと。

 これだー!
 とばかりに、僕は前橋市内の地図を広げて、老人の告げた地域周辺に八坂神社がないかと探しました。
 すると……

 あったのです!


 ちょうど時は、正月でした。
 僕は元日の初詣をかねて、前橋市文京町4丁目にある八坂神社を訪ねてみました。

 元日に行ったのは正解だったようです。たくさんの氏子たちが、社務所にいました。
 さっそく、神紋とキュウリの話を聞いてみると、氏子の一人が祭半纏(まつりばんてん)を見せてくれました。

 おおおぉぉぉ~~~!
 まさしく、キュウリの断面図のような木瓜紋がついているではありませんか!
 でも僕が知りたいのは、木瓜紋のことではなく、住民はキュウリを食べるのか、食べないのか、その真実です。

 「確かに今でもキュウリを食べない人はいるよ。でも、ほとんどの人は食べてるな」

 僕は無理をお願いして、今でもキュウリを食べない氏子を紹介してもらいました。
 でも、訪ねてみると寝たきりの老人で、残念ながら直接話を聞くことはできませんでした。
 息子さんの話では、「父はキュウリを食べない人です。でも、ただ単にキュウリが嫌いなだけなのかもしれません」とのことだった。


 あと何年かすると、キュウリを食べない人は完全にいなくなってしまい、この風習も消えてなくなってしまうのかもしれませんね。


 謎学の旅はつづく。
  


Posted by 小暮 淳 at 16:17Comments(0)謎学の旅

2010年10月12日

謎学の旅⑩ 「幻のガラメキ温泉」(下)

 行く手をさえぎる沢で、立ち往生をしていると、後方から颯爽(さっそう)とマウンテンバイクに乗ったおっちゃんがやって来ました。

 「ガラメキ、行くの?」

 埼玉から来たという男性は、そう僕に声をかけると「では、お先に」と、難なく沢を渡って行ってしまいました。

 世の中には変わった人もいるものだ、と感心して後姿を見送りましたが、思えば我もその一人である。
 負けてなるものか!

 沢を良く見れば、上流の方に、先人により木の橋が渡されているではないか。
 こちらは徒歩なれど、おっちゃん(僕とあまり歳は変わらないと思います)に遅れをとるまいと、必死で後を追いました。

 ゲートから、かれこれ1時間。地図を見れば、ゴールは近い。


 最終関門の三叉路に出ました。
 3本の道のいずれかの選択です。確率は3分の1。
 ……が、あたりをよーく見渡し、慎重に判断をすれば、左の道の木の枝に、これまた先人の残した赤いテープを発見!

 間違いない! こっちだ!

 一気に急な坂道を、息を切らして登りつめると、前方に見覚えのあるマウンテンバイクが止めてあります。
 ついに、幻の温泉に、たどり着いたのです!


 でもそこは、何の変哲もない、ただの沢でした。
 でも、上流にヒューム管が埋まっていて、その傍らに、さっきのおっちゃんが座っています。

 「よっ、お先に湯をもらったよ。沢の水が入り込んで、泉温は24℃とぬるめだが、さっぱりするぞ!」

 なぬ? このおっちゃんはもうすでに、ひと風呂浴びたのか?
 タダ者ではない、と見た。

 ならば、我も負けじとばかり、素っ裸になり、ヒューム管の中へ……

 ヌ、ヌ、ヌル~イ! が、足底からプクプクと、気泡とともに天然温泉の湧出を感じます。


 ガラメキとは、「我楽目嬉」と表記するらしいが、定かではありません。
 発見は、2世紀末とされていますが、これも定かではありません。

 明治時代には3軒の旅館があったようですが、昭和21年、旧日本陸軍の相馬ヶ原演習場を米軍が接収し、旅館は強制立ち退きを命じられたといいます。

 そして、地図からもその名が消えた今、 秘湯中の超秘湯として、全国の野湯マニアの聖地となっています。



 ●源泉名 : ガラメキ温泉
 ●湧出地 : 群馬県北群馬郡榛東村鷹ノ巣山中
 ●湧出量 : 不明 (自然湧出)
 ●泉  温 : 約30℃ (湧出地の噴き出し口)
 ●泉  質 : 単純温泉とも硫黄泉とも炭酸水素塩泉とも……不明
 ●効  能 : やけど、皮膚病に特効あり
 ●施  設 : 直径約70cm、深さ約150cmのヒューム管のみ
 ●料  金 : 無料 (ただし、体力と勇気が必要)


 謎学の旅はつづく。
  


Posted by 小暮 淳 at 14:34Comments(0)謎学の旅

2010年10月10日

謎学の旅⑨ 「幻のガラメキ温泉」(上)

 こつ然と、地図から消えた温泉があります。

 1999年9月、群馬県と榛東村は協議により、温泉源泉台帳から「ガラメキ温泉」を抹消しました。

 僕が、その奇妙な温泉の名前を知ったのは、かれこれ20年以上も前のことです。
 当時、仲間内で「陸上自衛隊相馬ヶ原演習場の奥に、かつて温泉があった」という話で盛り上がり、「よし、ならば、みんなで行ってみよう!」ということになり、その場で “ガラメキ探検隊” を結成しました。
 ところが、それが酒の席だったということもあり、探検隊は結成されたまま誰からも言い出すことなく、決行することはありませんでした。

 噂によれば、ガラメキ温泉の源泉は、数年前に土砂崩れにより埋まってしまったとも聞きます。
 ならば、もうこれは、この目で確かめるしかありません。
 ということで、地図から消えた幻の温泉を探すことにしました。

 古い地図によれば、場所は榛名山系鷹ノ巣山の山中に記されています。
 県道28号線「高崎榛名吾妻線」が近くを走っています。途中に車を置いて、歩いて行くしかないようです。
 水と食料をリュックに詰めて、完全装備でトライすることにしました。


 久々に晴れた梅雨の合間の休日……。
 天気予報が「夏日になる」と告げる絶好の探検日和となりました。

 旧箕郷町から県道を上りはじめ、つづら折りの坂道を行きます。
 右手にロッククライミングの名所「黒岩」の岩壁が見えます。一切の案内板はありませんが、車両通行止めのゲートがあるこのあたりが、たぶん登山口です。
 車を路肩に停めて、リュックを背負い、ゲートをくぐりました。

 5分も歩かないうちに、最初の分岐が現れました。迷ったすえに、右の道を選ぶことにしました。正しかったようです。
 さらに10分ほど行くと、沢が道を横切っています。飛び石を渡り、難なくクリアしましたが、なななんと! その先に恐ろしい光景が!

 がけ崩れです。

 完全に道が、落石した岩で埋まってしまっています。
 引き返すことも考えましたが、「苦難が多いほど、喜びも大きいはず」だと自分を励まして、瓦礫(がれき)の山を登りました。


 ホッとしたのも束の間、また沢です!
 さっきより深い川です。

 はたして本当にこの先に、幻の温泉は存在するのでしょうか?


 <下巻へつづく>
   


Posted by 小暮 淳 at 11:30Comments(0)謎学の旅

2010年10月05日

謎学の旅⑧ 「桃太郎橋と鬼ヶ島」

 旧北橘村(現・渋川市)のランドマーク、佐久発電所のサージタンクが見えると、県道渋川大胡線は、大きなU字カーブにさしかかります。車で走行中に、この真下に川が流れていることは、ほとんどの人が気づきません。
 まして、橋が架かっていることも……

 橋の名は「桃太郎橋」。
 終戦直後から地元では、そう呼ばれています。
 決して、この地に桃太郎伝説があるわけではありません。いわれは、この橋を渡った地域の名前にあります。

 北橘村大字分郷八崎字鬼ヶ島

 なぜ、「鬼ヶ島」なのでしょうか?
 海もないのに、桃太郎もいないのに……

 でも、よくよく考えてみると、海なし県の群馬県にも「島」の付く地名は少なくありません。

 「シマとは、隅や端を意味する言葉だそうです。初の名誉村民で民俗研究家の都丸十九一さん(故人)は、そう著書の中で記しています」
 と教えてくれたのは、旧北橘村歴史民俗資料館の学芸員でした。

 では、「鬼」は?

 「旧北橘村には、“七奇石”というのがあります。すべて現存しているわけではありませんが、その1つに “鬼石” という鬼の顔をした石があります。この石がある所が、鬼ヶ島です」

 最初、鬼ヶ島という地名を聞いたときは、不気味な感じを受けたが、語源を知ると、なるほどである。
 「鬼石のある村の隅っこ」という意味なのですね。


 山田川に架かる「桃太郎橋」を渡り、もう一度折り返して川を渡ります。この橋が「鬼ヶ島橋」です。
 そして、突如として「鬼ヶ島」と書かれた大きな看板が出迎えてくれました。
 何かと思えば、休耕田を活用したビオトープ(動植物の生態系を復元した空間)です。ホタルの里として、池や小川がミニチュアながら再現されています。

 ビオトープの奥。
 昼なお暗き雑木林の中に、苔をむした奇石「鬼石」がありました。

 昔、この地に城があり、敵が攻めて来たとき、この石が「ウオーッ!」と吠えて、追い返したという伝説が残っています。

 でも、どうしても鬼の顔には見えません。ただの石です。

 「村の長老の話では、昔は本当に鬼の面をつけているような石だったそうです。もしかしたら、県道の工事の際に、ホンモノは土の中に埋まってしまったのかもしれませんね」と学芸員。

 えっ、ということは、この石は影武者?


 謎学の旅はつづく。
    


Posted by 小暮 淳 at 11:36Comments(0)謎学の旅

2010年09月23日

謎学の旅⑦ 「化粧をする薬師像」

 「そりぁ、昔は、木がうっ蒼と繁った淋しいところだったよ」
 畑仕事の手を休めて、おじいさんはお堂の方を指さして、言いました。

 前橋市元総社町。
 元総社北小学校の南側。牛池川に架かる薬師橋のたもとに、奇妙な石像が鎮座しています。

 数年前、はじめて通りかかったときは、その異様さに「ギョッ」としたものです。今も変わらず、顔に白粉(おしろい)を塗りたくり、赤い口紅をつけています。
 地元では化粧薬師と呼ばれているそうですが、なぜ化粧をするようになったかには、こんな悲しい伝説が残っています。

 今から4~500年前のこと。
 牛池川に大蛇が棲みついて、嫁入り前の娘を食べさせないと暴れ、台風が通ったあとのように田畑を荒らしていました。
 村人たちは、泣く泣く順番で、自分たちの娘たちを大蛇に差し出していたといいます。犠牲になった娘をあわれんで、石の薬師像を造り、白粉と口紅をつけて供養したとのことです。

 以来、嫁に行く娘は、ここを避けて通るようになり、離縁を願う女にはご利益を授けたことから、別名を「縁切り薬師」とも呼ばれています。

 「地元では毎年8月の祭日に掃除をして、さい銭をあげて、お参りをしているだけ。なのに薬師さんは、いっつも化粧をしているんだいねぇ。不思議だいねぇ……」と、おじいさんは首をかしげました。
 さらに、こんなことも言いました。
 「しばらく見に行かないと、さい銭が貯まっているんだよ。誰かが、縁を切りに来ているんだね」

 そして、願いが叶ったお礼に、化粧をして行く。
 小さな石仏を奉納して行く人もいるらしい。

 「最近、またよく薬師さんの場所を聞かれるんだよ。若い女性だったり、年配だったり、いろいろだ。今の人は簡単に離婚しちゃう人が多いようだけど、自分から別れを言い出せずに願掛けに来る女性が、こんなにもいるんだいね」

 お堂のなかを覗き込むと、真新しい小さな石仏が何体もありました。
 そして、白粉と口紅も、ごく最近に塗られたもののようです。


 また1つ、縁が切れたのですね。


 謎学の旅はつづく。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:34Comments(0)謎学の旅

2010年09月16日

謎学の旅⑥ 「三途の川」

 みなさんは、三途の川を渡ったことがありますか?

 僕は何回もあります。
 たぶん、みなさんの中にも、何度か渡ったことのある人がいるんじゃないですかね。

 「三途の川」とは、ご存知、人が死んでからあの世へ行くときに渡る想像上の川の名前です。
 ところが、その川が、全国に3ヶ所も存在するのです。

 千葉県長南町を流れる三途川、宮城県蔵王町を流れる三途川、そして、もう1つが群馬県甘楽町を流れる三途川です。
 しかも一級河川は群馬の三途川だけ。これは、日本を代表する「三途の川」ということで、過去には日本三途の川サミットも当地で開催されています。

 国道254号を旧吉井町側から車で走ると、「あっ」という間に通り過ぎてしまいます。もう一度、Uターンして戻ってみたのですが、「あれれっ」と思っている間に、あの世とこの世を往復してしまいました。
 かなり注意をして通らないと、あの世とこの世の境目を発見することはできません。それくらい、小さな川です。

 そこで目印となるのが、国道に架かる「三途橋」のたもとに建つ 「姥子堂(うばこどう)」 です。
 小さなお堂の中には、江戸時代に作られた 「奪衣婆(だついばあ) が祀られています。

 奪衣婆とは、三途の川のほとりにいて、死者の衣服をはぎ取るといわれている老婆です。
 脱がせた衣服の重さで、罪の軽重をはかり、生前に犯した罪を正し、閻魔大王(えんまだいおう)に送る役目をしています。
 善人は、衣服を取られずに、極楽へ案内されるといいます。

 恐る恐る、お堂の中を覗き込むと、オオオオ~!
 確かに凄腕風のニタリ顔したお婆が、こちらをにらんでいます。
 これは死ぬまで善人で過ごし、このお婆の世話にはならんほうが、身のためですな(それくらい、恐ろしい顔をしてます)。

 三途川は、上信越自動車道の甘楽PAの南側を水源地に流れ出し、その後、白倉川に合流し、鏑川に合流して、最後は利根川と合流します。水源地から白倉川との合流地点までは、わずか2・5キロ。なんの変哲もない、どこの田舎にも流れているような小河川です。
 でも、やはり、ネーミングが凄い!

 で、僕は三途川に架かる三途橋の真ん中で考えました。
 どっらがあの世で、どっらがこの世なのか?
 これがはっきりしないと、帰れません。

 どうも奪衣婆が川の右岸にいるところをみると、この世は旧吉井町側のようです。
 すごすごと右岸に渡り、この世にもどって帰ってきました。


 謎学の旅はつづく。

   


Posted by 小暮 淳 at 17:47Comments(2)謎学の旅

2010年09月05日

謎学の旅⑤ 「浦島太郎の墓」

 浦島太郎伝説は、日本全国各地に存在します。
 でも、どう考えても、タイやヒラメが舞い踊る竜宮城は、当然海の中ですよね。浦島太郎が助けたカメも海ガメですもの、物語の舞台は海辺です。カメをいじめたガキどもは、漁村の子どもたちです。

 なのに海なし県にも、伝説が残っているのです(かなりヘンです)。
 ただし、海ガメに乗った浦島太郎は出てきません。そのほとんどが「竜宮伝説」というもの。中でも多いのが「お椀伝説」です。
 祝儀の膳が足りないので、滝つぼや川淵、湖沼にお願いすると、椀と膳を乙姫様が貸してくれるというもの。
 有名なところでは、尾瀬ヶ原や吹割の滝にも言い伝えが残っています。

 ところが、群馬県内にも、いたんです!
 竜宮城へ行ってきた人が……


 伊勢崎市宮子町、県道2号線のオートレース場の先に「竜宮」という信号があるのを、ご存知ですか?
 いつもクルマで通るたびに、気になっていたのです。
 その交差点のほど近く、広瀬川に架かる橋の名は「龍宮橋」です。
 橋の上から河畔を覗き込むと、古木がうっ蒼と生い茂った社が見えます。

 とても気になります。
 気になるものは、この目で確かめるしかありません。
 行ってみて、びっくり!
 「龍神宮」なる境内には、カメに乗った浦島太郎像があるではありませんか!
 あまり気になるので、地元の人に聞き込みをして、「龍神宮を守る会」を探し当てました。

 代表の方によると、ここは全国にある浦島太郎伝説の発祥の地とのこと。
 ま、笑わないで、話を聞いてやってください。
 こんな、お話です。

 昔、宮子に阿感坊(あかんぼう)という人がいました。
 あるとき、川のほとりで藤ツルを切っていたところ、手がすべってナタを川の中に落としてしまいました。
 拾おうとした阿感坊は、うっかり川に落ちてしまい、川の底には竜宮城がありました。
 出てきた娘に「乙姫様がナタを気に入ったので、3日間だけ貸してほしい」と言われ、阿感坊は、ごちそうを食べ、酒を呑み、歌って踊って、またたく間に3日間が過ぎました。
 乙姫様に玉手箱をもらい、川から帰ってみると、実は3年の月日が経っていました。このことを知った役人が話を聞こうとやってきましたが、阿感坊は「乙姫様との約束だから」と、断りました。
 腹を立てた役人は「話さねば、首をはねる」と刀を抜いたため、仕方なく阿感坊は竜宮城のことを話し出しました。
 すると、途端に阿感坊は苦しみ出し、絶命してしまったといいます。

 この話は、江戸中期に書かれた『口口相承龍宮本記』(「龍神宮を守る会」所蔵)に記されています。
 それによると阿感坊が竜宮城へ行ったのは天文16年(1547)と書かれていました。

 その阿感坊の墓があるというので、行ってみました。
 龍神宮より数キロ西、紅巌寺墓地に、子孫の斉藤家により、ひっそりと墓が祀られていました。
 「あなたは、本当に竜宮城へ行ってきたのですか?」
 460年前のロマンに思いをはせながら、手を合わせて来ました。

 ところが後日、守る会から新たな事実を知らされました。
 「斉藤家に、今も玉手箱がある」だって!


 謎学の旅はつづく…
  


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2010年08月27日

謎学の旅④ 「妖怪チャンコロリン」

 3年前から某紙に 『民話と伝説の舞台』 という紀行エッセイを連載しています。
 また、6年前から毎年、某協会の発行する 『群馬 伝説の風光』 という民話カレンダーの執筆をしています。

 いつ頃なのか、気が付いたら、民話や伝説を集めて旅することが多くなっていました。

 民話や伝説を分類すると、キツネやタヌキやムジナなどの「化かしモノ」、天狗やカッパや鬼などの「架空生物モノ」、そして湖の主や山の神などの「化身モノ」が多く、その他「悲恋モノ」「恩返しモノ」「親孝行モノ」などがあります。大きな男や怪力男が現れる「巨人モノ」なんていうのもありますね。

 でも、僕が興味を抱くモノは、荒唐無稽ながら、ちゃんと“舞台”が存在する民話や伝説です。
 「今も○○が残っている」なんて知ると、すぐに飛んで行ってしまいます。

 なかには、舞台だけではなく、主人公そのものが、今も残っている話というのがあります。
 「分福茶釜」なんか、その1つですが、妖怪でありながら、石にされて、そのまま墓石にされてしまった間抜けな妖怪の話をご存知ですか?


 今から200年ほど前のこと。
 中山道の宿場町で栄えた安中で、夜な夜な草木も眠る丑三つ時になると、「チャンコロリン、チャンコロリン」と音を立てて大きな石が街道を転がるため、人々は雨戸を閉ざし、恐ろしさに震えていました。
 旅人も気味悪がって、安中宿に泊まらなくなってしまったため、安中藩の侍が、刀や槍、弓矢、鉄砲で立ち向かったのですが、一向に効果はありませんでした。
 困り果てた町人たちは、大泉寺の和尚の法力にすがりました。
 和尚が転がる石に向かって法を唱えると、さしもの妖怪も寺の台座の上で動かなくなったといいます。

 その妖怪チャンコロリンが、今でも安中市の大泉寺に眠っています。
 しかも、チャンコロリンの墓なのに、チャンコロリン自体が墓石にされているのです(笑っちゃいます)。
 そして卒塔婆には、こんな文字が書かれていました。
 「南無阿弥陀佛為ちゃんころりん石追善」(やっぱり笑っちゃいます)

 24代目の住職いわく、
 「当時は浅間の噴火や天明の大飢饉(ききん)の起こったころ。宿場がさびれるなか、この話が生まれたのではないか」とのことでした。

 でも、石をよーく見ると、側面には鉄砲で撃たれたような穴が開いてます。
 また裏側には、刀で切りつけられたような痕(あと)が、確かにあるのです。

 妖怪チャンコロリンは、当時の人たちの願かけにより、人(石)身御供にされてしまったのかも、しれませんね。


 謎学の旅はつづく。
  


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2010年08月15日

謎学の旅③ 「おばけ坂の白い家」

 お盆中なので、怪談話を1つ。

 「おばけ坂」って、知ってますか?
 ひと昔、いや、ふた昔前くらいに、テレビや雑誌などで全国的に有名になった「逆さ坂」のことです。
 上り坂に見えるけれど、実は下り坂。または、その逆。ほとんどの場合、目の錯覚による地形のいたずらだったりするのですが、僕は以前、恐ろしい体験をしました。

 僕が編集人を務める雑誌に、一通の読者ハガキが届きました。
 「富士見村(現・前橋市)の“おばけ坂”を調べてほしい」とのこと。

 でも少数精鋭の小さな編集室です。日々の仕事に追われてヒマなスタッフなんて、いません。
 「こんなハガキ、来てるけど? 誰か調査してみる?」と僕。
 すると、編集室最古参のお局様がすかさず、
 「一番ヒマなのは編集長です。興味があるなら、編集長が行って来てください!」と、ピシャリ。

 ということで、仕方なく、僕が出かけたわけです。

 通称・赤城県道から農免道路を西へ入り、大きな牛舎が見えたら右へ曲がる……。
 すると急に勾配のきつい上り坂が始まった。と思うと、今度は下り坂だ。
 途端、異変が起きた!

 前方は下り坂なのに、背中に強烈な重力を感じる。まるで後ろから、誰かに引っ張られているよう。
 ためしに、クルマを一旦停めて、ギアをニュートラルに入れてみた。
 すると、あらららら、クルマはバックして行くではありませんか!

 今度は、クルマから降りて、持参したゴムボールを道に置いてみた。
 やはり、コロコロと加速をつけて、坂道を上って行きます。

 と、その時です。
 急に、乗り物酔いに似た吐き気が、襲ってきました。
 「これは、やばい! 帰ろう」
 とクルマに乗り込もうとして、背筋がゾクッとしました。
 クルマを停めた行き止まりの道の先に、白い家があるのです。 真新しい、しょう洒な家です。

 なのに!

 窓ガラスという窓ガラスが、すべて割られていたのです。
 人の気配もありません。
 不思議に思い、近づいて家を覗き込もうとした瞬間、激しい頭痛が僕を襲いました。そして、同時に急な悪寒です。
 あわてて、クルマに乗り込んだことは、言うまでもありません。


 その晩、僕は高熱を出して寝込みました。

 後日、この出来事を雑誌に書いたところ、たくさんの読者からハガキや電話をいただきました。
 「場所を詳しく教えて欲しい」という内容がほとんどですが、なかにはこんなメッセージもありました。

 “あの白い家に近づいてはなりません”


 謎学の旅はつづく。
  


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2010年08月04日

謎学の旅② 「ウナギを食べない住民」

 ウナギ好きって、多いですよね。
 僕は、食べなくても平気な人ですけど、すぐに「ウナギ食べてー」って言う人、います。
 でも、生まれてから一度も、ウナギを食べたことがない人がいるの、知ってましたか?
 それも、1人や2人ではなく、ある居住地域の人たち、みーんなです。

 前橋市東片貝町にある片貝神社は、お稲荷さん、片貝神社、虚空蔵様と3つの社殿がある神仏混合の神社です。境内には周囲10メートルほどの八角形をした池があります。案内板には、こんなことが書かれています。

 『ウナギは虚空蔵尊の化身として信仰者から特別な保護を受けた。もちろん片貝の住民は虚空蔵尊の化身なるがゆえに、絶対に食するものはいなかった……』

 説明によれば、昔からこの池のウナギを捕ると、目がつぶれると言われてきたそうです。
 「そんなバカなことがあって、たまるものか!」と、ある人がこの池のウナギを捕ったところ、たちまち目が見えなくなったとのことです。

 「そんなバカな!」と、僕も同様に思い、さっそく周辺住民に聞き込みを開始しました。

 「俺は、よそから来た人間だから食べるよ」「あんな、うまいもん食うにきまってるがね」などなど、半信半疑ながら、ちょっと期待はずれのコメントばかり返ってきてしまいました。

 待てよ、話を聞いた人は、みんな若い人だったのです。
 そして、ついに……

 「昔からの住民は、絶対食べないね」のコメントを収集!

 4月の第2日曜日。
 虚空蔵鰻池に、ウナギが奉納される祭りがあるというので、行ってみました。

 着物姿の世話人の方たちが、おごそかにウナギを池に奉納する姿は、ちょっと不思議な光景です。
 儀式のあと、僕はすかさず世話人たちに近寄り、質問しました。
 「ウナギ、食べますか?」
 すると……

 「生まれてこのかた、一度も食べたことがない」「子供の頃から、絶対食べてはいけないと言われてきたからね」と、70年以上ウナギを食べたことがない人がたくさんいたのです。
 そして、さらに
 「ここの町内には、ウナギ料理の店はないよ」とも。

 そうそう、実は、コメントをもらった若い人たちも、こんなことを言ってました。
 「年寄りの前では食べない」とか「町外へ出て食べる」など、やはりこの町では、“うなぎの蒲焼”は御法度のようでした。


 謎学の旅はつづく。
  


Posted by 小暮 淳 at 08:39Comments(0)謎学の旅

2010年07月26日

謎学の旅① 「日本一小さい湖」

 上毛新聞社出版部に 「小暮淳さんの『謎学の旅』は、出版されてますか?」 という問い合わせがあったのだという。
 もちろん、そんなタイトルの本は出版していないし、そんなタイトルで文章を書いた覚えもありません。最初は間違えか何かだろうと思って聞き流していたのですが、数日後に「はっ!」と気づきました。

 4年前まで、僕は月刊「ぷらざ」という情報誌の編集をしていました。その間、『編集長がゆく』というタイトルで、県内の不思議なものを追いかけるエッセイを連載していたのです。当時、このエッセイは、とても人気があり、最終回にはたくさんの読者から「連載を続けて」とか「1冊の本にまとめて欲しい」とのハガキをいただきました。
 で、このエッセイで謎を1つ解決すると、最後に必ず “謎学の旅はつづく”と言葉をしめくくっていたのです。
 『謎学の旅』とは、この『編集長がゆく』というエッセイのことを言っているようです。

 懐かしくなって、今回、掲載誌を引っ張り出して読み返してみました。
 するとこれば、なかなかバカバカしい謎だらけで、けっこう面白いのですよ。
 と、いうことで、2005年4月号の第1話から、ちょっとセンテンスをご紹介します。


 日本一大きな湖は琵琶湖ですが、では日本一小さい湖はどこにあるかご存知ですか?
 これが何と、群馬県の高崎市にあったのです。
 湖の名は「西湖」。でも、近くの貯水池より小さいんです。
 一般には、池より大きいのが沼、沼より大きいのが湖と思われていますから、池より小さい湖は、たぶん日本でここだけではないでしょうか!?

 場所は、国立群馬工業高等専門学校の隣。
 ウソだと思う人は地図を広げて見てください。ちゃんと「西湖」と記されていますから。
 昔はただの貯水池だったようですが、現在は学校の所有地内になっています。だからブロック塀に囲まれていて、良く見えませんが、背伸びしてみると、一丁前に中ノ島までありました。

 学校庶務課の人に話を聞くと、「昭和42年2月14日、校庭西側の用水池を “西湖” と命名」と書かれた当時の「校報」を見せてくれました。
 西湖の“西”は、校庭の西側のことだったのです。
 ところが、湖のほとりには、しっかり「この池は学校構内です」という、立ち入り禁止の立て札が立っていました。
 湖という名の池だったのです。

 謎学の旅はつづく。
   


Posted by 小暮 淳 at 17:42Comments(0)謎学の旅