温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2016年04月08日

てるてる坊主の恩返し


 ♪ てるてる坊主 てる坊主
    あした天気にしておくれ
    いつか夢の空のよに
    晴れたら金の鈴あげよ ♪


 06:00
 「おい、坊主!」
 「あっ…」 
 「あっ、じゃねーよ! 外を見てみろ! 雨だぞ、雨!」
 「す、すみません。うっかり、夕べは眠ってしまいました」
 「なんだ!? オメエ、ちゃんと仕事しないと首チョン切るぞ!」
 「 そ、それだけは、ご勘弁を」
 「だったら今からでも晴れにしてくれよ」
 「そ、そんなぁ~。天気予報は雨なんですからね」
 「だから、こうやってオメエに頼んでいるんじゃねーかよ!」

 僕はおとといの晩、40数年ぶりに 「てるてる坊主」 を作り、仕事場の窓辺に吊るしました。
 昨日の天気予報は全国的に雨。それも暴風雨が吹き荒れ “春の嵐” になるといいます。
 しかし、群馬県地方は雨の降り出しは遅く、昼からの予報。
 ならば1本電車を早めて、昼までに登頂することにしました。

 なのに予想はハズレ、朝から雨でした。


 08:30
 JR高崎駅からS線に乗って、A駅に下車。
 依然、雨は降り続いています。
 駅から登山口までは、約6km。
 乗り合いバスも出ていますが、1日にたったの2本です。
 仕方なく、雨の中を傘を差して歩くことにしました。

 「わざわざ雨の日に登山を決行しなくてもいいのに」と思われるかもしれませんが、締め切りは待ってくれません。
 僕とカメラマンのスケジュールが合う日が、昨日しかなかったのです。
 ※(詳しくは2016年3月25日 「帰ってきたサトヤマン」 参照)


 11:00
 A市とT市の境にそびえるS山に登頂。
 雨は、いよいよ本降りに。
 それでも山頂広場を覆いつくす満開の桜の森に感激しました。


 14:00
 下山後、2時間歩いてJ線T駅へ。
 雨は、だんだん小降りとなり、傘を差さない人の姿もちらほら。
 駅前の食堂で、遅い昼食をとることに。

 「カンパーイ!」
 キーンと冷えたビールで、下山祝いをしました。


 17:30
 無事、帰宅。
 すでに雨は上がり、西の空に晴れ間が見えます。

 「ね、晴れたでしょ!」
 「晴れたでしょ、じゃねーよ。遅過ぎるだろう!」
 「でも天気予報では、夜まで強風と横殴りの雨が降るわけだったんですよ」
 「じゃあ、なにかい? 午後になって雨がやんだのは坊主の手柄だとでもいうのかい?」
 「はい、そうですとも。あれから後悔して、一心に念じておりました」
 「本当かなぁ~?」
 「本当ですとも。だってご主人様は、ワタシの首をハネなかったじゃありませんか」
 「まあな…」
 「だから、そのやさしさへの恩返しです」


 ♪ てるてる坊主 てる坊主
    あした天気にしておくれ
    わたしの願いを聞いたなら
    甘いお酒をたんと飲ましょ ♪
   


Posted by 小暮 淳 at 12:41Comments(0)取材百景

2016年01月12日

分身之術


 かれこれ20年以上も前の話です。
 僕は雑誌の記者をしていました。

 さる彫刻家の先生を取材した時のことです。
 アトリエには、何体もの作品が所狭しと置かれていました。

 どうして彫刻家になったのか?
 どんな活動をしているのか?
 そして、僕が一番知りたかったのは、「どうやって生計を立てているのか?」 ということでした。

 芸術家って、食っていけるの?

 インタビューとしてはタブーな質問ですが、興味のあるところです。
 しかも当時は、まだ僕はサラリーマンでしたから、好きなことだけをして生活している人に疑問があったのです。
 どうみたって、この手の作家が創り出すモノは、あくまでも作品であって、決して飛ぶように売れる商品ではありません。

 僕は、怒られるのを覚悟で、ズバリ、訊きました。
 すると作家は、摩訶不思議な話をし出したのです。

 「1つだけ、ちゃんとしたモノを作ればいいんだよ。あとは俺が寝ている間に、こいつがもう1つ作ってくれる。そして、そいつがもう1つ。知らないうちに、こんなにも作品が増えているんだ。簡単なことだよ。生きていくなんて」

 もう、何を言っているのか、さっぱり分かりません。
 たぶん作家は、うわべだけしか見ない、薄っぺらい記者の質問には答える気にもならず、煙に巻こうとしたのかもしれません。

 「まるで “分身之術” のようですね」
 そう言葉を返すのが、精一杯でした。
 すると作家は、
 「分身之術か……。いいこと言うね。そうだよ、分身之術だ」
 と、笑ったのであります。


 それから数年して、僕は会社を辞めてフリーのライターになりました。
 5年、10年が過ぎ、あれから20年が経った今になって、おぼろげながら作家が言っていた “分身之術” の意味が、やっと分かるようになりました。


 先日、突然、有名週刊誌の編集者から連絡があり、取材を受けることになりました。
 今までも中央のテレビや雑誌から出演や取材、執筆の依頼を受けることはありましたが、決まってテーマは群馬の温泉についてでした。
 でも今回は違います。
 温泉ライターとして、温泉の入浴法についてのインタビューだったのです。

 えっ、なんで僕なんだろう?
 全国には、もっと著名な温泉のスペシャリストがたくさんいるのに?
 そう、不思議に思っていました。

 はたして取材を受けてみて、その真相を訊ねてみると・・・
 「新聞の連載を読んでいた」
 というでは、ありませんか!

 1つの記事が、もう1つの記事を生み出したということです。

 思い返してみれば、現在の僕の仕事は、すべてこの “分身之術” により成り立っているんですね。
 社長兼、営業兼、制作兼の一人力で仕事をこなすフリーの身には、実はこの術を駆使して生きるしか道はないのです。

 今さらながら、作家先生には感謝しています。
  


Posted by 小暮 淳 at 23:28Comments(4)取材百景

2015年12月24日

謎学の旅はつづく


 2005年2月から2006年9月までの1年半、僕は前橋市の生活情報誌 『月刊ぷらざ』 に、「編集長がゆく」 というドキュメントエッセイを連載していました。
 これは、いわば編集後記のようなもので、編集人だった僕が1号1話、気になる県内の謎を解いていく人気のシリーズでした。

たとえば、“高崎に日本一小さい湖があった” とか “前橋にウナギを食べない住民がいた” とか “浦島太郎の墓が伊勢崎にあった” とか “本当にキュウリを食べない人たちがいた” などなど。
 バカバカしいけど気になる謎や不思議を、大真面目に解明していくエッセイだったのです。
 ※(エッセイの一部は、このブログのカテゴリー 「謎学の旅」 より閲覧できます)


 雑誌の休刊とともに余儀なく連載も打ち切りとなってしまいましたが、翌年2007年8月からは、同じ流れをくむシリーズの連載が、高崎市のフリーペーパー 『ちいきしんぶん』 で始まりました。
 「謎学の旅」 と 「民話と伝説の舞台」 です。
 こちらは、現在でも不定期ながら連載が続いています。

 と、いうことで、今日は今年最後の取材に行ってきました。


 場所は、県南西部にあるK町。
 この町には、日本全国に3ヶ所しか存在しない、とっても希少で不思議な “場所” が存在します。
 もちろん、群馬県内では、ここだけにしかありません。

 まずは役場の教育委員会を訪ね、文化財保護係の人に話を聞いてきました。
 事前に趣旨を話し、取材申し込みの連絡を入れてあったので、資料を用意して待っていてくださいました。

 次に、地元住民への聞き込みです。
 「昔は、血のように真っ赤だったのよ。だから、あんな名前が付いたんだと思いますよ」
 なーんていう、生々しい声まで拾ってきました。

 「すぐ近くに、確か古い神社がありました。そこへ行けば何か分かるかもしれませんね」
 そう言って、わざわざ地図を持ち出して、場所を教えてくださった人もいます。

 そして、いよいよ現場へ!


 「本当だ! 今でも赤いですよ!」
 そう言って駆け出し、シャッターを切り出した同行のカメラマン氏。
 「ん~、きっと昔の人は、この光景に地獄絵を重ねていたんだろうね」
 と僕。

 「この先に、名前の由来を記した古文書がある寺があります」
 「だったね、行ってみようじゃないか!」

 謎学の旅はつづく……。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:59Comments(0)取材百景

2015年08月16日

のようなもの


 みなさんは、どんな夏休みを過ごされていますか?

 「そんなものは、ねーよ!」
 と、盆休みもなく働いている人は、たくさんいるでしょうね。
 特に、個人事業主の方々、心中をお察しいたします。
 “世間並み” に盆休みくらいは取りたいものです。

 かくいう僕も、そんな “世間並み”の暮らしをできずにいる小市民の一人であります。
 まして今年の僕の夏は、心身ともに疲れ果てています。
 ※(理由は、当ブログの2015年8月10日 「ピンチ到来!」 を参照)


 そんな僕にも、真夏のサンタさんからプレゼントがありました!
 “夏休みのようなもの” をいただきました。

 8月14日~16日は、磯部温泉(群馬県安中市) の 「磯部温泉祭り」 です。
 日頃から温泉組合、旅館組合の方々には、大変お世話になっているものですから、今年は、この祭りに参加してきました。
 といっても、そこは “温泉のプロ” です。
 ただ参加して、遊んでくるのでは、もったいない!
 ということで、ディレクター氏とカメラマン氏も同行してもらい、「祭りのドキュメントを取材しちゃおう!」 ということになりました。


 で、どんな取材をするのかといえば・・・

 ええ、まあ、あの、その……
 温泉に入ってですね、湯上がりは浴衣に着替えて、下駄をカランコロン鳴らしながら温泉街を歩いてですね、ビールなんか売っていたら、すぐ買っちゃって、グビグビと飲みながら、たこ焼きなんかをつまみつつ、お祭り広場までの道程を歩くだけなんですけどね。

 午後8時、温泉街に光と音が響き渡り、花火大会の始まりです。

 おのおの散策をしていた僕らは、温泉街を見渡す 「見晴らし広場」 に集合!
 ビール片手に、「たーまーやー」 と叫びながら、つかの間の夏休みを過ごしたのでありました。


 磯部温泉のみなさん、大変お世話になりました。
 取材協力、ありがとうございます。
  


Posted by 小暮 淳 at 17:49Comments(0)取材百景

2015年08月12日

復活! 民話と伝説の舞台


 高崎市民のみなさ~ん、こんばんは!
 今日は、地域限定でお送りします。

 創刊30周年を迎えた高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(発行/ライフケア群栄)。
 発行部数10万部の県内最古の老舗タウン誌であります。

 僕は以前、この冊子に、いくつか連載をしていました。
 その1つ、2007年11月~2013年12月の6年間に連載していたシリーズ 『民話と伝説の舞台』 が、このたび、2年間の沈黙を破って帰ってきます!

 このシリーズは、連載開始当時から読者のみならず、各方面のメディアからも賛辞をいただくほど評判となり、長期シリーズ化となったエッセイです。
 テーマは、群馬県内に伝わる民話や伝説。
 物語を追いながら、その舞台となった現在の場所を訪ねます。
 そして、物語に隠された“嘘” と “真実” を解き明かす歴史検証ミステリーなのであります。

 たとえば、こんなテーマがありました。
 ●「姫よ、なぜにあなたは竜になった!?」(木部姫伝説)
 ●「高崎版 ロミオとジュリエットの悲劇」(佐野の舟橋)
 ●「しだれ桜を寺から移したのは誰だ!?」(夜泣き桜)
 ●「巨人が射抜いた岩は、どこへ落ちたのか?」(百合若大臣)
 ●「オオカミの首をねじ切った大男は実在した!」(鬼利兵衛)
 ●「茶釜のふたは、どこへ行った?」(分福茶釜前世物語)
 などなど。
 ※バックナンバーは、当ブログ 「お気に入り」 より閲覧することができます。


 と、いうことで、今日は久しぶりに奇妙な伝説を求めて、県内某村へ取材に行ってきました。
 その村にある “森” には、必ず縁を切ることができる石祠があるといいます。
 そして、その根拠となる伝説には、悲しく残酷な物語が隠されていました。

 『民話と伝説の舞台』 の連載再開は、9月の第3金曜日発行号からです。
 乞う、ご期待!
   


Posted by 小暮 淳 at 20:30Comments(0)取材百景

2014年10月05日

フジテレビが来た!


 まったくもって、どこで、誰が読んでいるか、分からないものです。
 なんのことかって? はい、このブログのことです。

 過去には、直木賞作家で経済評論家の故・邱永漢先生が、僕のブログを読んでいるとかで連絡をいただき、連載を書かせていただいたことがありました。
 あの時も、ずいぶん驚きましたが、今回も突然でビックリしました。

 2週間ほど前のこと。
 フジテレビのディレクターという方から電話をもらいました。
 もちろん、その方は僕の連絡先を知るよしもありませんから、著書の出版元に問い合わせがあったようです。

 「フジテレビの 『ノンストップ!』 という番組ですが、出演していただけませんでしょうか?」
 とのことでした。
 なんでも、そのディレクター氏が、このブログの読者だというのです。

 ん~、本当に、どこで誰が読んでるか分からないものです。


 で、その後、何度か電話のやり取りがあったのですが、まったく先方の予定と僕のスケジュールが合いません。
 「最悪の場合は、コメントだけいただいて、著書だけの映像を流します」
 ということになりました。

 ま、それはそれで仕方がありません。
 本だけでも放映されれば、全国区ですものね。いい宣伝になります。
 出版元も喜んでくれるでしょう。

 と思っていたら、先週になって、
 「3日はどちらにおりますか?」
 との電話が入りました。

 3日の予定は、すでに先方に伝えてあります。
 群馬県沼田市の老神温泉に、「泊まり込みの取材に出ています」 と。
 なのに、「どこにいるか?」 とは、おかしな質問です。

 すると、
 「ええ、老神温泉にいることは聞いておりますが、どちらの旅館にお泊りでしょうか?」


 と、いうことで、な、な、なんと!
 一昨日、夜。
 本当に!フジテレビの撮影スタッフは、僕が取材で泊まっている老神温泉の「観山荘」 まで来てしまったのです。

 「えっ、観山荘でも、老神温泉の取材でもないのに、大丈夫ですか?」
 と問えば、
 「はい、観山荘の社長には、すでに承諾をとってあります」
 だなんて、さすがフジテレビ!
 段取りが、よすぎます。

 すぐに社長に確認すると、
 「うちを取材している小暮さんを、今度はテレビ局が取材に来るなんて、面白いですね」
 と、寛大な応対をしてくださいました。
 本当にありがとうございました。


 結果、観山荘のロビーと、僕が宿泊した客室でインタビューを受けました。
 なんだか、とっても不思議な気分になった夜でした。

 ※この時の様子は、10月13日(月・祝) 放送のフジテレビ 『ノンストップ!』(9:50~11:30) で放映されます。
   


Posted by 小暮 淳 at 15:24Comments(2)取材百景

2013年12月08日

片目ウナギ伝説


 「小暮さん、高崎にもウナギを食べない人たちがいましたよ!」
 編集者のYさんから電話をいただきました。

 「やっぱり虚空蔵様の化身ですか?」
 「いえ、ふつうの神社なんですが、やはり鰻池(うなぎいけ) があって、そこのウナギはすべて片目だっていうんです」
 「片目だ?」
 「ええ、興味あるでしょう。取材、してみませんか?」

 と、いうことで先週、温泉取材の合い間をみて、高崎市某所にある神社へ行き、ウナギを食べないという住民に会ってきました。


 読者のみなさんは、覚えていますか?
 以前、このブログで、前橋市の特定な地域の住民たちは、ウナギを食べないという話を書いたことを。
 ※(詳しくは、2010年8月4日 「謎学の旅② ウナギを食べない住民」 参照)

 話を要約すれば、
 ●ウナギは虚空蔵尊の化身として保護されている。
 ●眼病治療に霊験あらたかなことから、ウナギに願をかけ、その願いが成就すると池に奉納した。
 ●そのため、患者の身代わりとなった池のウナギは眼病をわずらい、片目のウナギになった。
 ●昔、ある人が池のウナギを捕って食べたら、たちまち目が見えなくなった。
 との伝説があり、現在でも信仰する氏子たちは、決してウナギを食べないということでした。


 今回、僕がお会いしたOさんは77歳。
 生まれも育ちも高崎市K町で、現在もK町に暮らしています。
 K町にあるN神社には 「片目鰻の池」 というのがあり、ここが伝説の発祥地です。

 「子どもの頃は、絶対に食べませんでした。でも大人になって、仕事でよその土地へ行ったとき、ウナギを出されましてね。断るのも失礼なので、仕方なく食べたことがありました。美味しかったですね(笑)。でも、このことは、もちろん家族をはじめ地元の人たちには、絶対に話せませんでした」

 Oさんは、今でも自宅や地元ではウナギを食べないといいます。


 前橋、高崎以外にも、まだまだウナギを食べない人たちが、いそうですよね。
 他の地域でも、ウナギを食べない人たちがいたら、ぜひ、ご一報ください。
 取材に伺いたいと思います。

 ちなみに、今回の取材記事は、今月20日発行の 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) の1面に掲載されます。
 興味のある方は、ご覧ください。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:23Comments(2)取材百景

2013年07月04日

ホタル、とんだ!


 早くも、来年に出版予定の本の表紙撮影が行われました。

 おかげさまで、2009年から上毛新聞社より出版している “群馬の温泉シリーズ” も、今春発売された 『みなかみ18湯 〔下〕』 で5冊目となりました。
 シリーズの本文写真は、同行取材をしているアートディレクターの桑原一氏が撮ってくださっていますが、表紙とグラビアに関しては、毎回、プロのカメラマンにお願いしています。
 今までの担当カメラマンは、下記のみなさんです。

 第1弾 『ぐんまの源泉一軒宿』(2009年)       綱島 徹 氏
 第2弾 『群馬の小さな温泉』(2010年)         竹沢 佳紀 氏
 第3弾 『あなたにも教えたい 四万温泉』(2011年)  酒井 寛 氏
 第4弾 『みなかみ18湯 〔上〕』(2012年)        酒井 寛 氏
 第5弾 『みなかみ18湯 〔下〕』(2013年)        酒井 寛 氏

 そして来年、シリーズ第6弾の表紙およびグラビアの写真を担当するカメラマンは・・・


 一昨日の夕方。
 僕は、群馬県内の某温泉の宿で、ビールを片手に、彼の到着を待っていました。

 「小暮~! なんだよ、もう飲んでんの?」
 「あたりまえでしょ、お前も、どう? 少し入ったほうが、いい写真が撮れるぞ!」
 と言って、僕は缶ビールを1本、彼に手渡しました。
 「へへへ、そうかな~。日没までは、まだ、だいぶ時間があるしなぁ……」
 「アルコールで清めて、煩悩(ぼんのう) と邪念を払う。そして、残された感性のみでシャッターを押す!」
 「まったく、小暮は相変わらずだなぁ~! 昔と、ちっとも変わっちゃいない」

 とかなんと言いながら、これからの撮影の成功を祈願して、豪快に飲み干したのであります。

 彼の名は、綱島徹。
 僕と彼は、中学から高校をともに過ごした、いわば悪友同士であります。


 午後6時30分
 宿を出て、すでに事前にロケハンを済ませておいたベストポイントへ。

 「まだ、明るいな。これじゃ、宿の明かりも見えない」
 と、三脚を立てながら彼が言う。

 午後7時
 「まだですね。西の空が明る過ぎる」

 7時30分
 カシャー、カシャー、カシャー ・・・・・

 やっと薄暮の山間に、シャッター音が鳴り響き出しました。


 8時10分
 「小暮、時計持ってる? 2分間を計ってくれ?」

 暗闇の中で、彼の声だけがします。

 カッ・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・シャ!

 長い長い、開放状態での撮影です。

 「次、1分30秒」 「次は1分ちょうどで、たのむ」


 なんとも、不思議な時間が、2人の間に流れました。
 急に、学生時代のことや一緒に東京へ出た日のこと、大人になってからも2人で旅をしたこと……

 暗闇の中で、時計の針とともに、想い出を追いかけていました。


 と、その時です。

 スーーーーーーーッ
 と、光が視界の中を横切りました。

 <あっ、妖精かも?>
 と一瞬、思いましたが、それはホタルでした。
 ※(なぜ妖精かと思ったのかは、当ブログの2010年11月16日「妖精目撃」を参照)

 ホタルが1匹、光の線を描きながら、僕らの前を通り過ぎて行ったのでした。



 8時30分
 「カンパーイ!」

 宿の協力を得て、僕らだけの遅い夕食が始まりました。

 「お疲れさまでした。とりあえず、OKだね」
 と、僕が言えば、
 「たぶん、な。ま、出版までは、あと1年あるんだ。何度でも撮りに来るさ」
 と彼。

 「そうか、すまんな」
 「なーに、大変なのは、これから小暮のほうだ」
 「そっか(笑)」

 これから1年かけて、また長い長い、温泉行脚(あんぎゃ) の旅を続けなくてはならないのです。


 読者のみなさーん!
 ご期待くださいね。
 シリーズ第6弾で、僕の温泉ライターとしての集大成をお見せしますよ。
   


Posted by 小暮 淳 at 19:03Comments(0)取材百景

2013年03月04日

75分の78


 先週、みなかみ町にある18温泉地の全75軒(みなかみ町観光協会加入旅館) を “湯破” したと書きました。

 しかし正しくは、昨秋出版した 『みなかみ18湯』 の上巻と今春出版する下巻に掲載される温泉宿の総数が75軒ということで、実際には、それ以上の温泉宿を取材しています。

 では、なぜ75軒なのか?


 実は、78軒の宿を取材したのですが、3軒は発売までに事情により “削除” されたのです。

 その理由とは・・・


 現在、出版されている上巻には、34軒の宿が紹介されています。
 当初の予定では、36軒が掲載されるはずでした。
 僕も36軒の宿を取材して、その数だけの原稿を書き上げて、出版元へ送りました。

 ところが!

 印刷に入る段階になって、急きょ2軒が掲載不可となってしまいました。
 取材後、廃業して売られてしまったのです。
 現在は、2軒とも経営者が変わり、宿名も改名され旅館としての営業を再開しています。

 まったくもって、先の分からない世の中です。

 「本ができるまで、うちも潰れないように頑張らなくちゃね」
 と、今回も不景気にグチをこぼす経営者は、大勢いました。
 それほどに、温泉地の現状は悪化しています。

 だからこそ、僕はこうやって、手弁当同然の待遇でも、温泉地へ通い続けて、本を作り上げようとしているのです。
 何が何でも、群馬の温泉を守りたい。
 歴史と文化のある温泉を後世に残したい。
 その一心で、温泉シリーズの本を書き続けています。

 どうか、温泉宿の経営者のみなさん!
 応援しますので、頑張ってくださいね。



 掲載されなかった、あと1軒は、下巻の取材中に発覚しました。
 なにが、発覚したのか?

 その前に、「温泉」 の定義について話さなくてはなりません。
 僕が温泉を取材する場合、“温泉法による温泉”の定義は適用しません。

 “スポイト温泉” という言葉をご存知ですか?

 温泉法には、希釈(きしゃく) に対する定義がありませんから、源泉を何十倍、何百倍、何千倍に水で薄めても 「温泉」 と認めています。
 “スポイト温泉” とは、この法律を逆手にとって、水を張った浴槽にスポイトで一滴だけ源泉をたらしても 「温泉」 として提供しているような温泉施設に対して、揶揄(やゆ) した言葉なのです。

 ですから、僕は取材対象の条件として、
 ① 自家源泉を所有していること。
 ② または源泉を引き湯していること。
 を通達しています。

 ところが今回、手違いがあり、この2つの条件に当てはまらない宿が取材対象に含まれていました。
 事前に、しっかり調べておかなかったのがいけないのでが、結果的に、僕が現場で気づくことになりました。

 ・加水あり
 ・加温あり
 ・循環ろ過装置使用

 あれ? 源泉の温度は高いのに加温?
 pH8.5のアルカリ性の割には、いくら加水しているといっても湯が硬質過ぎます。

 不思議に思って、主人に話を聞くと、ポリ容器にて源泉を持ってくる 「汲み湯」 だったことが分かりました。
 温泉法上では問題のない 「温泉」 ですが、僕の本の場合、掲載は不可ということになります。

 宿もきれいで、とても感じのいい主人だったのですが、残念です。



 75分の78 ・・・


 本に掲載されない、幻の温泉宿の話でした。
     


Posted by 小暮 淳 at 21:08Comments(2)取材百景

2013年01月05日

気絶しそうな人形


 今日が、今年の仕事始めとなりました。
 いや、書き仕事は2日からしていましたから、正確には初取材へ行ってきたということです。

 でも、温泉ではありません。
 某誌からの依頼による “達人” へのインタビューです。
 今年最初の取材は、新春にふさわしく江戸末期から伝わる桐生からくり人形芝居の保存会の人たちを訪ねてきました。


 桐生といえば、「西の西陣、東の桐生」 といわれるほどの織物の町。
 上毛かるたにも 『桐生は日本の機(はた)どころ』 と詠まれています。
 今でも、機械の音が乱反射して和らぐように屋根をギザギザにした 「のこぎり屋根」 の織物工場が残されている街として有名です。

 僕は群馬県のタウン誌の編集をしていたので、桐生へはたびたび取材を訪れています。
 また、何年か前まではJRの旅冊子の編集にもたずさわっていたので、のこぎり屋根工場や土蔵が多く残る街並み、名物のうどん屋などを取材しています。

 もちろん、「桐生からくり人形芝居館」 のある有鄰館(ゆうりんかん) へは、桐生取材のたびに寄っています。
 有鄰館とは、街の中心にある蔵群です。
 塩蔵、酒蔵、醤油蔵、味噌蔵など9つの土蔵や煉瓦蔵からなり、現在はギャラリーや多目的イベントスペースして開放されている桐生の情報発信基地。

 この蔵群の一番奥、ビール蔵にあるのが、からくり人形の芝居館です。
 もちろん、ここも過去に見学をしたことがありました。

 でも、見ると聞くとは大違い!(ふつうは「聞くと見るとは大違い」と言いますがね)

 そう、見ているだけでは知りえなかった、復元・復活までの並々ならぬ努力と苦労話を保存会の人たちから、たっぷりと聞いてきたわけであります。


 桐生からくり人形芝居のはじまりは嘉永5年(1852)、桐生天満宮御開帳で 「飾り物」 として行われました。
 以後、9回の興行が行われましたが、昭和36年を最後に途絶えてしまいました。
 時は流れ平成9年、桐生市内の蔵から江戸情緒を留めるからくり人形が発見されたのを機に、市内の有志が集まり前身となる研究会を発足。人形の復元を始めます。
 平成11年に、レプリカ人形による「曽我兄弟夜討」の上演で、復活をとげました。

 現在、保存会の会員は25人。
 人形の頭以外は、舞台も衣装もすべて会員による素人の手作りだといいます。
 その完成度の高さには定評があり、NHKテレビにも取り上げられ、多勢の参観者が訪れています。

 研究会発足当初、日本人形学界の有識者が視察に訪れ、「気絶しそうな貴重な文化財」 と絶賛したといいます。


 ご興味のある方は、毎月第1土曜日に 「桐生からくり人形芝居館」(有鄰館内) にて無料で上演されていますので、お出かけください。
    


Posted by 小暮 淳 at 21:02Comments(0)取材百景

2012年10月18日

達人に聞く


 昨年開催された 「群馬DC(デスティネーションキャンペーン)」 にあわせて、前年から群馬県が発行している観光情報誌 『ググっとぐんま』。
 僕は、創刊号から編集にたずさわっています。

 現在は、主に温泉ページの担当をしていますが、人物シリーズも創刊当時から執筆しています。

 初年度の2010年は、「○○人」シリーズでした。
 「草津人」「尾瀬人」 と題して、その土地で長年、観光に尽力してきた人物を取材しました。

 昨年はタイトルが 「○○のつくりびと」 と変わり、テーマごとに、物作りにこだわった匠(たくみ) たちを紹介しました。
 たとえば 「山のつくりびと」 では、“幻のキノコ”といわれる黒まいたけの栽培人。
 「川のつくりびと」 では、群馬のブランド魚 ギンヒカリの養殖人。
 また、「空のつくりびと」 では、30畳の巨大凧(だこ) を作って大空へ揚げる夢追い人など、群馬で活躍する職人たちの技と素顔にスポットを当ててきました。


 そして今年のシリーズタイトルは、「○○の達人」 です。

 達人とは?

 広辞苑によれば、
 ①学術または技芸に通達した人。
 ②広く物事の道理に通じた人。人生を達観した人。
 とあります。

 春夏秋冬、号によってテーマがありますので、そのテーマに沿った “達人” を探して、インタビューに出かけて行きます。

 たとえば、夏号のテーマは 「高原」。
 赤城高原をフィールドに活躍する世界ランカーの “ディスクドッグの達人” を紹介しました。
 秋号のテーマは、「橋」。
 ご存知、みなかみ町の諏訪峡大橋で行われている “バンジージャンプの達人” を紹介しました。

 そして今回、冬号のテーマは 「温泉街」 であります。
 温泉街にも、各ジャンルに様々な達人がいます。

 湯の達人、接客の達人、料理の達人、販売の達人などなど・・・
 その中で、今回スポットを当てたのは?

 と、いうことで今週、久しぶりに草津温泉を訪ねて、取材をしてきました。

 えっ、いったい誰を取材したのかって?
 それは、雑誌が発行されてからのお楽しみであります。
 ※( 『ググっとぐんま』冬号は、12月1日発行予定)


 いずれにせよ、1つのことを極めた達人たちの話は、実に面白いのです。
 取材をしている僕が、「へぇ~、そうなんだぁ~!」 と驚いてしまう話は、間違いなく読者の関心を引きます。

 何歳(いくつ) になっても、ワクワク、ドキドキできる仕事は、楽しいものです。
 今から、次はどんな達人に会えるのか、待ち遠しいですね。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:42Comments(2)取材百景

2012年08月09日

えっ、バンジーですか?


 僕はフリーランスで仕事をしていますが、一応、便宜上の屋号があります。
 「スタジオJ」 といいます。

 もちろん従業員は、僕1人しかいませんから、事業所の住所も自宅です。
 職業は、「著述業」 です。
 でも、名刺には一般の人に分かりやすく 「ライター」 と書かれています。

 「スタジオJ」 の取り扱い営業種目は、大きく分けて2つあります。
 執筆作業を請け負う 「ライター部」 と、講演やセミナー、ライブなどの広報活動を行う 「イベント部」 です。

「ライター部」 には、一般取材をこなす 「フリーライター課」 と温泉関係の取材・執筆を専門に行う 「温泉ライター課」 に分かれています。
 これらの肩書きを使い分けると面倒くさいので、最近は、一番需要の多い 「温泉ライター」 を名乗ることが多くなってきました。


 で、今日は県からの取材依頼があり、久しぶりに 「ライター部フリーライター課」 としての仕事に出かけてきました。
 それも、水上温泉です。
 でも、温泉ではありません。
 昨年から、何十回と取材に来ていますが、温泉以外の取材で行くのは初めてのことです。

 そ・れ・も・・・・・・

 バ、バ、バンジージャンプだ~~~!!!!!!!


 おいおい、勘弁してくださいよ。
 僕が、この世で一番怖いものが、“高所” なのであります。
 ハシゴだって、3段しか上れないんですからね(自慢じゃありませんが…)。


 えっ? 飛ばなくていいの?

 いえいえ、それでもダメです!
 いつなんどき、相手の気が変わって、「やっぱり飛んでみなくては、いい記事が書けないでょう!」 とかなんとか言っちゃって、無理矢理にバンジー(ゴムなわ) を装着されて、ポーンと肩を叩かれて、谷底へ放り込まれないとも限りませんって・・・

 えっ、そんなことは絶対にないって?
 本当に、代表者から話を聞くだけなのね!


 と、いうことで、カメラマンと利根川上流の諏訪峡に架かる「諏訪峡大橋」の上へ。
 ここは、日本で唯一のブリッジバンジージャンプ場なのであります。
 川面からの高さは、な、な、なんと42メートル!

 こんなところから、ロープ1本で飛び降りる人の気持ちが知れませんって!
 ビルの14階から飛び降り自殺をするようなものだ!
 いったい、1年に何人くらいの人が利用するのかねぇ?
 そんな命知らずの変人がいるのなら、顔を見てみたいものだよ~!

 と、橋の中央の飛び込み台まで、行って見ると・・・・


 ぐぅ、え~~~っ!!!!

 人、人、人、人人人人人・・・・であります!

 平日の午前中から、なんですか、この人の群れは?


 「ハイ、今ハ、夏休ミナノデ、若イ人タチガ、イッパイデス。今日ハ、50人ガ飛ビマス」

 と、「バンジージャパン」 の創設者でジャンプマスターのチャールズ・オドリンさん。

 えっ? ご、ご、50人ですか~!
 それも、今日1日でぇ~~!

 ああ、恐ろしや。
 次々と目の前の川底をめがけて飛び込んで行く若者たちを見ているだけで、僕は、もう、めまいがしてきましたよ。

 それも、飛び込みながら、手を振ったり、Vサインをしています!
 なんという、恐ろしいことを!


 でも、これで、僕がルポとして、バンジージャンプを飛ばなくて済みそうです。

 「デハ、取材ハ、アチラノ事務所デ……」

 チャールズさんが、神様に見えてきました。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:52Comments(4)取材百景

2012年07月14日

ジンタの響きに誘われて


 なんで、そーなるの!?


 取材に行っただけなんですよ。
 なのにマイクで紹介されて、いい気になって、図に乗って、ついに歌まで歌ってしまいましたとさ・・・


 今日は、某紙の依頼取材で、みなかみ町の月夜野まで行ってきました。
 場所は、町立の幼稚園です。
 ここで行われているPTA主催のバザー&イベントに、「高崎チンドン倶楽部」 が呼ばれて演奏を行っているというので、その様子を取材していたのであります。

 最近では珍しい、温泉ネタ以外のフリーライターとしての仕事です。
 座長へのインタビューは、演奏が終わってからすることにして・・・
 それまでは、のんびりと園庭の隅で、見物してればいいや・・・

 なーんて、休憩モードで、ぼんやりと眺めていたのです。

 そ、そ、そしたらーーーー!
 いきなり司会者が、
 「今日はゲストをお呼びしています。温泉ライターの小暮淳さんです。さあ、拍手でお迎えくださ~い!」
 なんて紹介するものだから、ビックリするやら、戸惑うやらで、あたふたしてしまいましたよ。

 でも、そこはプロです!(何の?)
 マイクを受け取ると、園児と父兄たちに、ちゃんとあいさつをして、
 「それでは聴いてください。 『GO!GO!温泉パラダイス』 湯の国群馬県編です」
 と、ちゃっかり、チンドンの演奏に合わせて、自分の歌を歌ってしまったのでした。


 では、なんで、即興で、事前の打ち合わせなしに、いきなり演奏と歌が始められるのかって?
 実は、僕と 「高崎チンドン倶楽部」 の座長は、旧知の仲なのであります。
 以前から、高崎の 「人情市」 をはじめ、いくつかのイベントで僕のバンド 「じゅん&クァパラダイス」 とは、コラボレーションをしているのでした。

 また、僕が作曲した 『GO!GO!温泉パラダイス』 については、2010年11月に開催された「全国アマチュアちんどん競演会 in 前橋」にて、出し物として演奏。僕もゲストで共演して歌い、ななな~んと! 優秀賞(第3位) を受賞してしまった楽曲なのであります。

 ま~、取材に行ったとはいえ、かつて共演した僕が会場にいたのですから、座長が機転を利かせてサプライズ演奏を指示したんでしょうな。
 それにしても、まさか取材先で、歌を歌うとは、夢にも思いませんでした。


 ジンタの響きに誘われて、思わず浮かれてしまったようです。

 でも、楽しかったですよ。
 高崎チンドン倶楽部さん、また、うちのバンドとコラボしましょうね!
  


Posted by 小暮 淳 at 22:13Comments(2)取材百景

2012年05月16日

ムカデ、むかで、百足三昧


 以前、僕が伝説 「赤城と日光の神戦」 について調べていることを書きました。

 一般的には、赤城山の神様はムカデで、日光二荒山(男体山) の神様はヘビということになっています。
 ところが、赤城山北麓の老神(おいがみ)温泉だけは、赤城の神がヘビとして祀られているのです。

 なぜ、入れ替わってしまったのか?
 その真相を探るべく、今日は、赤城東南麓に残る根強い “百足(むかで)信仰” を追ってきました。
 (「赤城と日光の神戦」については、当ブログの2012年4月25日「入れ替わった神様」参照)


 午前10時、前橋市内をスタートして、まずは全国に334の分社を持つ赤城神の総本社、前橋市三夜沢の「赤城神社」へ参拝。
 取材の安全と無事を祈願しました。

 通称、南面道路(R353)を走り、旧新里村(桐生市新里町)板橋にある「赤城の百足鳥居」へ。
 この鳥居は、赤城山の東南の参道として天明2年(1782)に建てられた、安山岩製の稲荷鳥居です。
 社殿はなく、赤城山を御神体としています。
 で、この鳥居には、ムカデの彫刻が施されているのです。
 そして、この周辺の人たちは、神の使いであるムカデを決して殺すことはなかったと伝えられています。

 次に向かったのは、同じく旧新里村山上にある「山上城跡公園」です。
 この公園には、とても珍しいムカデとヘビのレリーフがあります。
 かつての城の構造が描かれた案内板の隣には、
 “むかしむかし、赤城山の神様の大むかでと日光男体山の神様の大蛇(おろち)とが争いましたとさ”
 と書かれ、からみ合う大きなムカデとヘビが石に刻まれています。
 (ヘビの目は×印になっていて、赤城山の神のほうが強いことを表しています)

 午後は太田市へ移動し、西矢島の「赤城神社」へ。
 ここには、本殿の扉の左右に、ムカデが描かれているといいます。
 が、行ってみると、氏子がいるのかいないのか、社殿は荒れはてていました。
 また、社殿周りには、それらしきムカデ絵は見当たりません。

 僕とカメラマンの行動を不審に感じたのか、敷地内の公民館にいたオジサンたちが3人出てきました。
 「これこれ、しかじか、なんですよ」
 と僕が説明すると、
 「確かに、ムカデを祀っているという話しは聞いたことはあるが、そんな絵は見たことないな~」と、3人が3人とも地元で生まれ育ったが、知らないと言います。

 「もしかしたら、“扉絵”というんだから、本殿の中かもしれんぞ」
 と言って、社殿の入口を開けてくださいました。
 僕に続いて、カメラマンが入ります。
 中は荒れ放題で、砂ぼこりが舞い上がります。

 奥に本殿が鎮座しています。
 近寄って扉を見ると・・・
 「これかな……、うん、ムカデに見えるよ」と僕。
 「そーですね。だいぶ風化して色が落ちていますが、ムカデのようですね」とカメラマン。
 絵が薄過ぎて、写るかどうか分かりませんが、とりあえず写真を撮ってもらいました。

 氏子(?)らに、お礼を言い、太田市を後にしました。
 正直言って、ちょっとガッカリです。
 保存状態が、悪過ぎました。


 日が西に傾き出すころ、僕らは館林市に着きました。
 今度こそは、スクープを!
 オイラの心のド真ん中に、強烈なストレートパンチが欲しいものです。

 はやる気持ちを抑えつつ、ファイナルステージの館林市足次の「赤城神社」へ。
 ここには、“むかで絵馬” が奉納されています。

 社殿を覗き込むと、確かに社内の壁には、ムカデが描かれた大きな絵馬がかかっていました。
 絵馬は、①「ムカデはお足(お金)が多いので、お金が貯まるように」、②「ムカデは子どもをたくさん産むので、子宝に恵まれるように」 との願いが込められています。

 そして、社殿の胴回りや梁(はり)には、いくつもムカデの彫刻が施されていました。
 それはそれは、見事な “むかで彫刻” であります。

 「これならバッチリですよ」と、夢中になってカメラマンはシャッターを切っていました。
 「ああ、立派なムカデの彫刻だね~」と、僕も大満足です。


 赤城山東南麓の人たちは、昔からムカデが出ると、
 「赤城のお山へ、お帰り」 と言って、家の外へ逃がしてやるそうです。
 また赤城神社の周辺には、「百足塚」も多く見られます。


 さて、赤城の神は、ムカデか、ヘビか?

 いよいよ、真相に迫ります!
 (6月22日発行の「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) に掲載予定)
    


Posted by 小暮 淳 at 22:08Comments(0)取材百景

2012年04月25日

入れ替わった神様


 高崎市内に無料配布されているフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) の4月6日号に、謎学の旅② 「なぜ下仁田ネギは『上毛かるた』に描かれなかったか?」というエッセーを書いたところ、とても反響をいただきました。
 直接、感想を発行元へ電話で告げてきた読者もいたそうで、筆者としては嬉しい限りであります。

 また、このブログでも告知したものですから、僕に 「ちいきしんぶん、あります? 下仁田ネギのことが気になってしまって」 という人が何人もいました。
 みなさん、ありがとうございます。
 今後も、謎学の旅をよろしくお願いいたします。

 僕は現在、ちいきしんぶんに、このほか 『小暮淳の一湯良談』 と 『民話と伝説の舞台』 というコラムとエッセーを連載しています。
 今日は朝から、6月に掲載予定の 『民話と伝説の舞台』シリーズ13 の取材で、老神(おいがみ)温泉へ出かけてきました。


 みなさんは、「赤城と日光の神戦」 という話を知っていますか?

 昔、日光二荒山(男体山)の神と赤城山の神が、中善寺湖の水をめぐって争いになりました。
 日光の神はヘビに、赤城の神はムカデに姿を変えて戦い、傷ついた赤城の神が逃げ帰り、刺さった矢を引き抜き地面に立てたところ、湯が湧き出たといいます。
 その湯に浸かり、傷を治した赤城の神は、ふたたび日光の神に襲いかかり、追い返したことからこの地が「追い神」→「老神」と呼ばれるようになったということです。

 これが一般的に伝わる伝説です。
 テレビの「まんが日本むかし話」でも、このストーリーでした。
 また、栃木県の日光側でも、日光の神はヘビで、赤城の神はムカデとなっています。

 ところが・・・

 老神温泉では、神様がまったくの逆なんですね。
 赤城の神がヘビで、日光の神がムカデです。
 毎年5月7~8日(今年から第2金~土曜日に変更)に開催されている老神温泉最大のイベント「大蛇まつり」でも、老神の鎮守様である赤城神社の御神体の大蛇が、温泉街を練り歩きます。

 と、以上までの内容は、当ブログのカテゴリー「謎学の旅」にも書きました。
 でもね。どうしても僕は納得がいかないのですよ。

 なぜ老神では一般の伝説どおりに、赤城の神がムカデにはならなかったのか?
 いったい、いつから神様が入れ変わってしまったのか?

 そのナゾを探るべく、老神温泉の人たちから話しを聞いてきたのであります。

 で ーーーーっ ! ! ! !

 「おばあちゃん(80歳)の子供の頃には、赤城さま(赤城神社)の祭りにヘビはいなかったといいます」
 「初めて祭りにヘビが登場したのは、昭和30年代になってからですね」
 などなど、新しい事実がポンポンと拾えたのであります。

 さらにーーーっ ! ! ! !

 驚愕の事実が!
 な、な、なんと、温泉街を見下ろす片品川をはさんだ対岸には、敵である日光の神様「二荒山神社」 が祀られていたのです。
 これは、どういうことでしょうか?

 赤城の神は、ヘビか? ムカデか?
 さて、真相はいかに・・・

 来月は、ムカデ伝説が残る赤城山麓へ取材に出かけます。
 乞う、ご期待ください。
   


Posted by 小暮 淳 at 22:13Comments(4)取材百景

2012年04月05日

犬はミスを犯さない


 人生は時おり、思わぬことが起きるものです。
 長い、ライター人生でも、こんなことは初めてでした。

 群馬県が発行している観光情報誌から、人物の取材依頼がありました。
 県内の達人を紹介するコーナーです。
 で、依頼された取材相手の名前を聞いて、ビックリ~~~ッ!

 友人だったのです。
 それも、ただの知り合いではない。
 小学校1年生からの竹馬の友!
 しかも、バンド仲間!
 おまけに、いつもは僕と組んで仕事をしているカメラマン!
 それも、拙著 『あなたにも教えたい 四万温泉』(上毛新聞社) の表紙およびグラビア、プロフィール写真を撮った、そう、あの酒井寛君であります。

 えっ、なんで?

 と思われる人もいるかもしれませんが、彼は昨年、ディスクドッグの世界大会で日本代表として出場し、世界15位にランキング!
 しかも、最もパフォーマンスに優れたプレーヤーに贈られる審査員特別賞の 「フェイバリットエンターテイナー賞」 を受賞しているのです。
 (詳しくは、当ブログの2011年10月27日「ドッグアーティストって何?」、2012年2月4日「胡散臭いって素晴らしい!」 参照)

 もちろん友人ですから、僕だって彼の活躍は知っていましたよ。
 でもね、まさか僕が彼を取材するとは、夢にも思いませんでした。

 さて、困った。
 取材をするには、親し過ぎます。
 「取材、いらないんじゃないの?」 とか 「好き勝手に書いたら?」 とか、周りの人には言われましたが、プロとして記事を書く以上、そうは行きませんって。
 で、今日、彼の家へ行って、話を聞いてきました。

 いつもはバンド練習とか、遊びでしか訪ねない彼の家です。
 ひと足先に、カメラマンのF君が着いていました。

 これも、ヘンなものです。
 本来なら、僕と酒井君が組んでやっている仕事ですよ。
 でも、仕方ありませんよね。
 自分で自分の写真を撮るわけにはいきませんから、別のカメラマンに来てもらいました。

 それにしても、やりづらい!
 酒も飲まずに、身内を取材するなんて!
 照れてしまいます。
 それでも、ふと、思ったのですよ。
 考えてみたら、46年も付き合っていて、どうして彼が犬を好きになって、ディスグドッグのプレーヤーになったかなんて、考えたことも、聞いたこともなかったと・・・

 そう思ったら、ライターとしてではなく、友人として無性に理由(わけ)を知りたくなったのであります。


 一昨年、初めて日本代表としてアメリカの大会に出場した彼は、世界のレベルの高さと雰囲気にのまれてしまい、惨敗をしてしまいました。
 その時、彼が師と仰ぐプレーヤーから、こんな言葉が贈られたと言います。

 「犬はミスを犯さない。ミスするのは人間だ」 と。

 犬は、人間に従順な動物なので、人間の指示通りに動く。
 もし、犬がミスしたのであれば、それは人間のミスである。

 以後、彼は 「犬と、どう接するか」 を考えるようになり、自分のスキル向上に努めたといいます。
 結果、1年後の昨年10月、世界の舞台で好成績を残しました。


 僕は、この話を聞いたとき、温泉のことを考えていました。
 以前、四万温泉の老舗旅館 「積善館」 の19代目主人、黒澤大二郎さんを取材した時のことです。
 黒澤さんは、こんなことを言いました。

 「人は温泉のことを、“いい湯” とか “悪い湯” というが、それでは温泉がかわいそうだ。悪いのは温泉ではなく、利用している人間のほうなんだから」

 そう、地上へ湧き出てきた温泉は、みんな “いい湯” なのです。
 それを人間の都合で、勝手に手を加えてしまう。
 お湯の立場になって、温泉を考えるのが湯守(ゆもり) の仕事なのである。
 「人間にそれができないのなら、鳥や獣に温泉を返しなさい」 とまで、黒澤さんは言いました。


 どの世界でも、“本物” を極める人は、奥の深い言葉を残しますね。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:40Comments(5)取材百景

2012年02月10日

取材拒否の宿


 昨日、取材拒否をされてしまいました。


 情報誌の編集をしていた頃なら、別段珍しくないことなのですが、ここ数年ではなかったことなので、少々へコんでしまいました。

 取材拒否とは、読んで字のごとく 「取材」 を 「拒否」 することです。
 たいがいは取材される側が使う言葉ですが、その逆も取材拒否ということがあります。
 取材する側が拒否することです。

 「乗車拒否」 といえば、乗せる側の拒否を言う場合が多いですね。

 で、雑誌の場合は、圧倒的に取材される側が拒否する場合が多いのですが、大別すると2パターンあります。
 ① 行列のできる店などの繁盛店で、取材を受けることによって、これ以上お客に迷惑をかけたくない場合。
   または、経営者が根っからのメディア嫌い。
 ② 取材を受けたことがなくて、“取材 = 広告” と勘違いしている場合。
   話を聞く前に 「うちは結構です」 と、にべもなく断られる。

 ま、①の場合は稀な店で、ほとんどは②のパターンとなります。
 その原因として、媒体の知名度が関係してきます。

 「月刊○○ですけど・・・」 の○○が、初めて聞いた名前だと、先方も警戒します。
 これが 「△△新聞です」 となると、相手の対応が変わってきます。

 “雑誌=広告” であり、“新聞=記事” のイメージが強いようですね。

 では、これが温泉旅館になると、どのように変化するのか?
 やはり、媒体名を名乗る限り同様であります。

 しかし、本の出版となると話は別です。
 媒体名がありませんので、著者の名前と出版元の名前を言うしかありません。
 しかも、宿泊取材を申し入れることもありますから、その交渉はさらに難易度を増します。

 現在は、過去の実績があるため比較的スムーズに取材交渉が行われています。
 また僕との間に、温泉協会や観光協会などが入って、交渉の代理を行ってくれることもありますので、取材拒否というのはほとんどなくなりました。
 ただ、最初は苦労しましたよ。
 実績もないし、名前も通っていないし、信じてもらうまでが大変でした。


 で、昨日の取材拒否です。
 今までのパターンとは、まったく別の理由での拒否でした。
 しかも、初めて取材する宿でもありません。
 過去に何回も僕は取材をして、雑誌や本に旅館の記事を書いている宿なのです。
 なのに……

 理由は、たった1つ、写真でした。

 これだけは、説得をしても、納得していただけませんでした。
 宿の取材ではなく、女将さん自身の取材ですから、女将さんの写真を撮らないわけにはいきませんものね。
 「いやいやいや、私なんて」 と、結局、こちらが降りるしかありませんでした。

 確かに、名前と写真が公にされるわけですから、嫌がる人がいても当然です。
 電話を切ったあと、少しだけへコんだのですが、すぐに気を取り直して、次の取材先に電話を入れました。

 何が難しいかって、人の取材が一番難しいんですね。
 でも、そのぶん、やりがいと喜びもひとしおなのであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:44Comments(0)取材百景

2012年01月30日

ふたたび 「下仁田ねぎ」 を追って


 「下仁田ねぎのナゾ」(1月20日の当ブログ参照) は、深まるばかりです。

 『「上毛かるた」で見つける群馬のすがた』(群馬県発行) には、上毛かるたの絵札に下仁田ねぎが描かれていない理由として、以下のように記載されています。

 <「上毛かるた」が作られた当時は、店で見かけることもできなかったので、絵札にはイメージした形で描かれています>

 本当でしょうか?
 いくら当時、市場に出回っていなかったといえ、作画を担当した画家は、実物を見ずして本当に “イメージだけ” で描いたのでしょうか?

 仮に、初版(昭和22年)の絵札は、そうだったとしましょう。
 しかし、昭和43年に絵札は、画家の要望により、全札が描きかえられています。
 「ね」 の絵札も新しくなりましたが、依然として描かれているネギは、下仁田ねぎではありません。
 この間(21年間) に、「絵札が違う!」 との声は上がらなかったのでしょうか?


 前回までの取材で、上毛かるた競技会委員や下仁田町の生産農家、下仁田町役場の人たちからの声を拾ってきました。
 中には、「知らなかった」「初めて聞いた」 という人もいましたが、下仁田町の人たちは、ほとんどが 「カルタの札の絵が違うことは知っていた」 と言います。

 では、なぜ、その声は届かなかったのでしょうか?

 初版当時は、GHQ(連合国軍総司令部) の支配下という時代で、厳しい検閲を受けたといいます。
 なにか、下仁田ねぎの形状に問題があったのでしょうか?
 または、特定の団体や組織から、下仁田ねぎの絵を公表することに対して、多大なる圧力がかけられたのでしょうか?

 謎は謎を呼び、そのナゾは深まるばかりです。

 きっと、これには下仁田ねぎの歴史が関係しているはずだ!
 これはライターの勘であります。
 徹底的に、調べるしかありません。

 今日、僕は、ふたたび下仁田町へ行ってきました。


 訪ねたのは、『下仁田ネギ -ネギの来歴を追って-』 の著者である里見哲夫先生です。
 ご自宅にお邪魔して、膨大な資料と共にお話を聞いてきました。

 まず、ネギは 「葉ネギ」 と 「根深ネギ」 に大別されること。
 白根はあまり伸びず葉のやわらかな葉ネギは西日本で多く栽培され、白根が長くなる根深ネギは東日本に多いこと。
 そして、下仁田ねぎは、根深系ネギの一変種であることがわかりました。

 下仁田ねぎに関する最も古い文書は、江戸時代の文化2(1805)年に、江戸幕府城内から地元名主へ送られた「葱200本至急送れ」という手紙です。

 その後、天保3~4(1832~1833)年の「高崎藩御書留」 には、高崎藩の殿様が諸国大名へ年末年始の贈答品として送ったことが書かれています。

 明治16(1883)年の小学教科書「群馬県地誌略巻之上」にも、「下仁田町ノ葱ハ最モ著名ナルモノニシテ」 の記述があります。


 以上のように、一般に流通されていなかったとはいえ、当然、「上毛かるた」 が作られた昭和20年代、そして絵札が改定された昭和40年代には、すでに下仁田町および近隣では、名産として認知されていたことが分かります。

 では、なぜ、下仁田ねぎは、カルタには描かれなかったのでしょうか?

 里見先生は僕に、1つ手がかりをくださいました。
 それは、「下仁田葱発祥の地」 があること。
 そして、その碑が立っている場所は、現在の下仁田ねぎの生産拠点である馬山地区ではないこと。

 そこへ行けば、何かが分かるかもしれない・・・

 僕は、その足で、先生に教えていただいた下仁田町内のS地区を訪ねました。
 そこは、下仁田町でも長野県境に近い、山間の集落でした。
 山肌に石垣が積まれた段々畑が連なる山村です。

 で、あったんですよ!

 こんな山の中に!

 「下仁田葱発祥の地」 の立て札がーーーーぁ ! ! ! !


 さっそく僕は、看板の立つ畑の地主を探して訪ねました。
 すると、そこの主人が見せてくれましたよ。
 先祖代々、作り続けている “下仁田ねぎ” というヤツを!


 怖気立つとは、このことです。
 全身に鳥肌が走りました。

 そのネギは、長ネギでも、僕らが知っているずんぐりとした下仁田ネギでもなかったのです!



 いよいよ、真実にたどり着いたようです。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:55Comments(5)取材百景

2012年01月20日

下仁田ねぎのナゾ


 僕は、仕事の内容によって、肩書きを使い分けています。

 温泉の記事を書いたり、温泉関係で取材を受けたり、講演や講座を依頼されたときは 「温泉ライター」 と名乗ります。
 ただし、自分から名乗るのはそこまでであって、勝手に先方が都合の良い肩書きを付けてしまうこともあります。
 「温泉評論家」「温泉研究家」「温泉作家」「温泉ルポライター」「温泉ジャーナリスト」 など、書きたい放題です。

 でも、そもそも肩書きなんて、自分で付けるものでなく、仕事相手が決めるものだと思っていますから、いつもおまかせしています(自分で肩書きを付けると、「自称」 になりかねませんから)。

 ただ、温泉以外の取材や執筆のときは、「フリーライター」 と名乗ります。
 とても幅が広くて、便利な肩書きなので、ふだんは、ほとんど 「フリーライター」 を使っています。
 ですから僕の名刺は、ただ 「writer」 とだけ印刷されているんですよ。
 これなら、「温泉ライター」 でも 「フリーライター」 でも、TPOに合わせて自由に名乗れますからね。


 で、今日は雪の中、フリーライターとしての取材に、西毛地区(群馬県西部) を飛び回ってきました。

 読者の皆さんは、覚えていますか?
 以前、僕が群馬名産 「下仁田ねぎ」 のことをブログに書いたことを・・・。
 (12月18日の 『寝ずに今夜は下ネタねえさん』 参照)

 このとき、ブログに、さる方がコメントをくださいました。
 「上毛かるたの札に描かれているネギの絵は、下仁田ねぎではない」 と!
 確かに、そーなのですよ。
 あんなにも特徴的な形をした下仁田ねぎなのに、スラ~ッとした長ネギが描かれているんですね。

 なぜ?
 どーして?

 もしかして、これって、“謎学の旅” の始まり?

 と、いうことで、僕の頭の中は、昨年の暮れから 「下仁田ねぎ」 で、いっぱいになってしまったんです。

 ネット検索はもちろんのこと、図書館に通い文献の収集、下仁田生産農家へのインタビュー、上毛かるた競技会へのコメントとり・・・

 とにかく、なんで、上毛かるたの 「ね」 の札 『ねぎとこんにゃく下仁田名産』 には、下仁田ねぎが描かれていないのだーーーーっ!!!
 責任者、出て来ーーーい!

 と、日々、東奔西走して、地道に取材活動を続けていたのであります。
 そして、今日。
 いよいよ、掲載が決まった某誌の編集長と連れ立って、本丸へと乗り込みました。

 1人は、ベストセラー 『「上毛かるた」で見つける群馬のすがた』 の企画・編集にたずさわった某学芸員を直撃!
 もう1人は、下仁田役場の農林建設課の某職員を奇襲!

 ついに核心に触れる真実をつかんでまいりましたよ。
 なぜ、「上毛かるた」 に下仁田ねぎは描かれなかったのか?

 そして、本当の下仁田ねぎ発祥の地は、どこなのか?


 掲載日が決定しましたら、ご報告します。

 謎学の旅は、つづく・・・
  


Posted by 小暮 淳 at 18:02Comments(7)取材百景

2011年10月21日

巨大舌切バサミ


 今週は、東奔西走しています。
 昨日に引き続き、今日も向かったのは、西上州。
 磯部温泉であります。

 とは言っても、温泉取材ではありません。
 ということは、風呂にも入っていません。
 温泉地へ行って、温泉に入らずに帰ってくるのは、僕としては大変珍しいことです。

 訪ねたのは、“舌切雀のお宿” で有名な 「磯部ガーデン」 であります。

 では、温泉も入らずに、何をしに行ったのか?
 はい、「ハサミ」 を見にであります。
 大きな “舌切バサミ” を、 この目で確かめに行ってきたのです。

 実は、僕は長年、趣味の範疇で、群馬県内の民話や伝説を調べています。
 ところが、いつしか調べるだけでは物足りなくなってしまい、「なぜ、その民話が生まれたのか?」「実は、史実があって、事実に基づいているのではないか?」「今でも主人公の子孫がいるのではないか?」 などなど、興味は好奇心となって、気が付いたら仕事になっていたのです。

 数年前は、情報誌に 「編集長がゆく」 と題して、県内の謎を旅したコラムを連載していました。
 (※当ブログ内、カテゴリー「謎学の旅」参照)

 で、現在は、高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) に、『民話と伝説の舞台』 と題して、群馬県内が舞台の民話をほじくり出しては、その真偽を検証したエッセーを連載しています。

 で、今回は、日本の五大昔話の1つに数えられている 『したきりすずめ』 にスポットを当てて、そのお伽話の発祥の地とされている磯部を訪ね、取材をしてきました。


 えー、えー、今回も荒唐無稽な爆笑ネタをたくさん拾ってきましたよ!

 おじいさんが可愛がっていた “ちゅん” という雀の舌を、おばあさんが、ちょん切ったという大きなハサミが・・・
 長さ30センチ×幅27センチの、それはそれは大きなハサミです。
 あまりに大き過ぎて、おばあさんが持てないんじゃないの? と突っ込みを入れたくなるような立派なハサミです。

 と、思えば、欲張りばあさんが担いできたという、大きな葛籠(つづら) もあります。
 でも、こんなのは、まだまだ序の口なんです!

 あんなモノやこんなモノなど、これでもかっ!というくらい、お伽話発祥の地をアピールしています。

 でも、そこには、“なぜ、ここが 「舌切雀のお宿」 なのか?” という真実までもが隠されていたのです。


 いゃ~、民話って、面白いですねぇ~!
 これだから、民話探訪&検証あそびは、やめられませんって。


 ※『民話と伝説の舞台』 第12話、「舌切雀のハサミ」(仮) は、12月2日発行の「ちいきしんぶん」 にて掲載されます。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:46Comments(2)取材百景