2010年03月07日
ヨークカルチャー 4月講座変更のお知らせ
今年2月から開講したヨークカルチャーセンター前橋の温泉講座「ぐんま温泉探訪」。おかげさまで、2月、3月と順調に講座を開いています。
先月、新聞折込にて講座案内のチラシが入りましたが、講座予定に一部変更がありましたので、ご報告いたします。
4月の法師温泉は、先様の都合により6月になりました。替わって4月は県内で一番新しい温泉地、倉渕川浦温泉を訪ねます。
まだ若干の空席があります。ぜひ、ご参加ください。なお、今後の探訪日程は下記のとおりです。
●4月14日 倉渕川浦温泉(高崎市)
●5月19日 上牧温泉(みなかみ町)
●6月8日 法師温泉(みなかみ町)
●7月7日 宝川温泉(みなかみ町)
お問い合わせ/ヨークカルチャーセンター前橋
TEL.027-223-5121
先月、新聞折込にて講座案内のチラシが入りましたが、講座予定に一部変更がありましたので、ご報告いたします。
4月の法師温泉は、先様の都合により6月になりました。替わって4月は県内で一番新しい温泉地、倉渕川浦温泉を訪ねます。
まだ若干の空席があります。ぜひ、ご参加ください。なお、今後の探訪日程は下記のとおりです。
●4月14日 倉渕川浦温泉(高崎市)
●5月19日 上牧温泉(みなかみ町)
●6月8日 法師温泉(みなかみ町)
●7月7日 宝川温泉(みなかみ町)
お問い合わせ/ヨークカルチャーセンター前橋
TEL.027-223-5121
2010年03月06日
大泉町の皆さん、今年も会いに行きますよ。
昨年の6月に、大泉町教育委員会主催の「高齢者教室」に呼ばれて、温泉講座の講師をしました。2日間で4回講演という、ちょっとハードなスケジュールだったのですが、スタッフの方々が元気で明るくて、「こんな楽しい講座なら、5~6回でも大丈夫だな」と思えるくらい充実した2日間を過ごせました。あのときは、ありごとうございました。
夢や願いは、念じていると叶うと言います。「ああ、また大泉町に行きたいな」と思っていたら、昨日、「今年もお願いできませんか?」と連絡をいただきました。うれしいですね。以心伝心、片思いが両思いに転じた瞬間でした。
今年は「女性セミナー」で温泉講座を開きたいとのこと。温泉の研究をしている先生方はあまたといるというのに、ただの温泉好きのライターを選んでいただくなんて、うれしいですね。またまた、ありがとうございます。
講座日は12月と、まだだいぶ先ですが、今からとても楽しみです。それまでに、新ネタ(寄席ではないって)をたくさん仕入れて行きますね。大泉町の皆さん、待っていてください。
大泉町女性セミナー 温泉講座
●日時/平成22年12月3日(金) 10:00~11:30
●会場/大泉町公民館 ホール
●演題/「守り継ぐ湯 語り継がれる宿」(仮)
お問い合わせ/大泉町教育委員会 生涯学習課
TEL.0276-62-2542
夢や願いは、念じていると叶うと言います。「ああ、また大泉町に行きたいな」と思っていたら、昨日、「今年もお願いできませんか?」と連絡をいただきました。うれしいですね。以心伝心、片思いが両思いに転じた瞬間でした。
今年は「女性セミナー」で温泉講座を開きたいとのこと。温泉の研究をしている先生方はあまたといるというのに、ただの温泉好きのライターを選んでいただくなんて、うれしいですね。またまた、ありがとうございます。
講座日は12月と、まだだいぶ先ですが、今からとても楽しみです。それまでに、新ネタ(寄席ではないって)をたくさん仕入れて行きますね。大泉町の皆さん、待っていてください。
大泉町女性セミナー 温泉講座
●日時/平成22年12月3日(金) 10:00~11:30
●会場/大泉町公民館 ホール
●演題/「守り継ぐ湯 語り継がれる宿」(仮)
お問い合わせ/大泉町教育委員会 生涯学習課
TEL.0276-62-2542
2010年03月05日
川原湯温泉のゆくえ
僕はあえて川原湯温泉のことは、記事や講演などで、触れるのをさけて来ました。
ダムができることと、温泉を守ることは、まったくの別の次元のことだからです。単純に「代替地へ移ればいい」というものではありません。開湯800年の歴史ある湯に対して、「新しい源泉を掘ればいい」とか、「湯はポンプアップして引き湯すればいい」という考え方自体が、神への冒涜(ぼうとく)であり、代々湯を守り継いできた先人たちの努力を踏みにじるものだと思います。
基本的に僕は、ダム建設に反対です。しかし、川原湯温泉の旅館主人たちにとっては、もう賛否のレベルではなく、心身ともに限界を超えてしまっているのです。
川原湯温泉とのつき合いは、かれこれ20年以上になります。まだ駆け出しの雑誌記者だった頃、真冬、極寒の早朝に開催される「湯かけまつり」の取材で、初めて川原湯温泉へ行きました。
それからは取材でたびたび訪れるだけでなく、プライベートでも足を運び、「王湯」「笹湯」「聖天様露天風呂」は、何度も通いました。宿にも泊まり、主人たちとも語り合いました。彼らが一番、川原湯の湯を愛している人たちです。今となってはダム建設に賛成していても、立ち退くことを望んでいる人はいません。
隆盛期は15軒以上あった旅館も、今は半分以下。そして、さらに一軒、また一軒と宿を閉めています。
「去るも地獄、残るも地獄」と言います。代替地は用意されていても、移転するまでの保障がありません。建物は老朽化する一方で、増築も改築もメンテナンスもできずにいます。ダム建設現場への観光客は増えても、宿泊客は減少の一途です。
先日、老舗旅館の主人と電話で話しました。
「小暮さん、残念だけど今月いっぱいで旅館を閉めることにしたよ。もう限界なんだ」と言われました。
「そんなこと言わないで、続けてよ」なんて、僕に言えるわけがありません。
「隣んちも、土地と建物を売却しちゃった。何軒残るのかな……。1、2軒だろうね」とも。
代替地で再オープンできるとしても、早くて2年後だといいます。
「絶対、連絡くださいね。一番先に僕が記事を書きますから!」そう声をかけて、電話を切りました。
がんばれ!川原湯温泉! 歴史ある温泉地の復活を祈ります。
ダムができることと、温泉を守ることは、まったくの別の次元のことだからです。単純に「代替地へ移ればいい」というものではありません。開湯800年の歴史ある湯に対して、「新しい源泉を掘ればいい」とか、「湯はポンプアップして引き湯すればいい」という考え方自体が、神への冒涜(ぼうとく)であり、代々湯を守り継いできた先人たちの努力を踏みにじるものだと思います。
基本的に僕は、ダム建設に反対です。しかし、川原湯温泉の旅館主人たちにとっては、もう賛否のレベルではなく、心身ともに限界を超えてしまっているのです。
川原湯温泉とのつき合いは、かれこれ20年以上になります。まだ駆け出しの雑誌記者だった頃、真冬、極寒の早朝に開催される「湯かけまつり」の取材で、初めて川原湯温泉へ行きました。
それからは取材でたびたび訪れるだけでなく、プライベートでも足を運び、「王湯」「笹湯」「聖天様露天風呂」は、何度も通いました。宿にも泊まり、主人たちとも語り合いました。彼らが一番、川原湯の湯を愛している人たちです。今となってはダム建設に賛成していても、立ち退くことを望んでいる人はいません。
隆盛期は15軒以上あった旅館も、今は半分以下。そして、さらに一軒、また一軒と宿を閉めています。
「去るも地獄、残るも地獄」と言います。代替地は用意されていても、移転するまでの保障がありません。建物は老朽化する一方で、増築も改築もメンテナンスもできずにいます。ダム建設現場への観光客は増えても、宿泊客は減少の一途です。
先日、老舗旅館の主人と電話で話しました。
「小暮さん、残念だけど今月いっぱいで旅館を閉めることにしたよ。もう限界なんだ」と言われました。
「そんなこと言わないで、続けてよ」なんて、僕に言えるわけがありません。
「隣んちも、土地と建物を売却しちゃった。何軒残るのかな……。1、2軒だろうね」とも。
代替地で再オープンできるとしても、早くて2年後だといいます。
「絶対、連絡くださいね。一番先に僕が記事を書きますから!」そう声をかけて、電話を切りました。
がんばれ!川原湯温泉! 歴史ある温泉地の復活を祈ります。
2010年03月04日
四万温泉 共同浴場
湯量が豊富な温泉地には、外湯と呼ばれる共同浴場があります。そもそもは地元の人たちの入浴兼社交の場ですが、一般の人が利用できる浴場もあります。
四万温泉には6つの外湯があります(本当はもっとありますが、鍵がかかっていて地元民しか使用できません)。
「清流の湯」(温泉街の入口、温泉口地区にある)と「こしきの湯」(最奥、奥四万湖畔にある)は有料ですが、あとの4つは無料で利用できます。
一番奥の日向見地区にある「御夢想(ごむそう)の湯」は、四万温泉発祥伝説の湯。重要文化財「日向見薬師堂」の前にあります。何年か前に新しくなってしまいましたが、前のひなびた風情がなつかしいですね。
温泉街の中心、新湯地区の四万川と新湯川が合流する河川敷に湧く「河原の湯」。山口地区には「上の湯」と「山口露天風呂」があります。入浴料金は無料ですが、地元の人たちが大切に守っている古くからの浴場です。“善意の箱”が備えてあるので、「いい湯だった」と思ったら、ぜひ心遣いをお願いします。
昨日は時間があったので、積善館から歩いて「河原の湯」へ寄ってきました。
先客もなし、後客もなし。完全なる源泉ひとりじめでした。
四万の湯は、どの源泉も60~70度と高温です。だから旅館などでは、適温に冷ましてから浴槽へ流し入れていますが、外湯は無人です。温度管理をしていないので、大変熱くなっている場合があります。要注意を! せっかくの泉質を薄めてしまうのは忍びないのですが、仕方ありません。そんな時は、水を足しながら入ります。出るときは、必ず水を止めてくださいね。
四万温泉には40以上の源泉が湧いています。泉質は同じでも、微妙に含有成分は異なります。一般に四万温泉の湯は、無色透明と言われていますが、そんなことはありません。「河原の湯」は鉄分が多いようで、茶褐色の微濁があります。また、ほのかな金気臭もありました。
ぜひ温泉地へ行ったら、源泉の異なる湯を探してみてください。温泉の楽しみが、倍加することでしょう。
四万温泉には6つの外湯があります(本当はもっとありますが、鍵がかかっていて地元民しか使用できません)。
「清流の湯」(温泉街の入口、温泉口地区にある)と「こしきの湯」(最奥、奥四万湖畔にある)は有料ですが、あとの4つは無料で利用できます。
一番奥の日向見地区にある「御夢想(ごむそう)の湯」は、四万温泉発祥伝説の湯。重要文化財「日向見薬師堂」の前にあります。何年か前に新しくなってしまいましたが、前のひなびた風情がなつかしいですね。
温泉街の中心、新湯地区の四万川と新湯川が合流する河川敷に湧く「河原の湯」。山口地区には「上の湯」と「山口露天風呂」があります。入浴料金は無料ですが、地元の人たちが大切に守っている古くからの浴場です。“善意の箱”が備えてあるので、「いい湯だった」と思ったら、ぜひ心遣いをお願いします。
昨日は時間があったので、積善館から歩いて「河原の湯」へ寄ってきました。
先客もなし、後客もなし。完全なる源泉ひとりじめでした。
四万の湯は、どの源泉も60~70度と高温です。だから旅館などでは、適温に冷ましてから浴槽へ流し入れていますが、外湯は無人です。温度管理をしていないので、大変熱くなっている場合があります。要注意を! せっかくの泉質を薄めてしまうのは忍びないのですが、仕方ありません。そんな時は、水を足しながら入ります。出るときは、必ず水を止めてくださいね。
四万温泉には40以上の源泉が湧いています。泉質は同じでも、微妙に含有成分は異なります。一般に四万温泉の湯は、無色透明と言われていますが、そんなことはありません。「河原の湯」は鉄分が多いようで、茶褐色の微濁があります。また、ほのかな金気臭もありました。
ぜひ温泉地へ行ったら、源泉の異なる湯を探してみてください。温泉の楽しみが、倍加することでしょう。
2010年03月03日
四万温泉「積善館」
今日はヨークカルチャーセンターの3月講座で、四万温泉へ行って来ました。
俗に四万温泉には、「湯のたむら、女将のやまぐち、歴史の積善」と言われる3つの老舗旅館があります。今回は元禄4年(1691)創業の「歴史の積善館」を講座に選びました。
本館は築320年の面影を今に残す、日本最古の湯宿建築物(県重要文化財)。山荘は昭和11年(1936)に建てられた木造二階建で、当時の和風建築の粋を集めた桃山風建築(国登録文化財)。そして講座のメインである昭和5年(1930)に建造され、大正ロマネスク様式を用いたデザインが美しい浴場「元禄の湯」(国登録文化財)を見学しました。
20年ほど前から積善館は訪ねていますが、「元禄の湯」は何度浴しても飽きることがありません。完全かけ流しの豊富な湯量、さらりとした石膏泉の浴感もさることながら、五感に訴える湯殿自体が素晴らしい。湯を知り尽くした職人の技と、当時のデザイナーのセンスに、つくづく関心します。
一緒に入った受講生の一人が「ビロードの布に、やさしく包まれているようですね」と、湯を表現していました。うまいことを言うもんです。
積善館は、現社長の黒沢大二郎さんで19代目。僕と黒沢さんは、音楽と酒を通じて知り合った20年来の友人です。
就任してまだ1年ですが、どうしてどうして、19代目の貫禄が板についていましたよ。
大ちゃん、この素晴らしい湯と、積善の歴史ある文化と浪漫を守り継いでくださいね。
僕も微力ながら、この価値のある温泉遺産を語り継いでいきます。
俗に四万温泉には、「湯のたむら、女将のやまぐち、歴史の積善」と言われる3つの老舗旅館があります。今回は元禄4年(1691)創業の「歴史の積善館」を講座に選びました。
本館は築320年の面影を今に残す、日本最古の湯宿建築物(県重要文化財)。山荘は昭和11年(1936)に建てられた木造二階建で、当時の和風建築の粋を集めた桃山風建築(国登録文化財)。そして講座のメインである昭和5年(1930)に建造され、大正ロマネスク様式を用いたデザインが美しい浴場「元禄の湯」(国登録文化財)を見学しました。
20年ほど前から積善館は訪ねていますが、「元禄の湯」は何度浴しても飽きることがありません。完全かけ流しの豊富な湯量、さらりとした石膏泉の浴感もさることながら、五感に訴える湯殿自体が素晴らしい。湯を知り尽くした職人の技と、当時のデザイナーのセンスに、つくづく関心します。
一緒に入った受講生の一人が「ビロードの布に、やさしく包まれているようですね」と、湯を表現していました。うまいことを言うもんです。
積善館は、現社長の黒沢大二郎さんで19代目。僕と黒沢さんは、音楽と酒を通じて知り合った20年来の友人です。
就任してまだ1年ですが、どうしてどうして、19代目の貫禄が板についていましたよ。
大ちゃん、この素晴らしい湯と、積善の歴史ある文化と浪漫を守り継いでくださいね。
僕も微力ながら、この価値のある温泉遺産を語り継いでいきます。
2010年03月02日
亀沢温泉「亀沢温泉センター」
取材がない日は、たいがい家の仕事場で、朝から原稿を書いています。が、午後も3時を過ぎると、だんだん執筆能力も低下して、だらけてきます。そんな時は、愛犬のマロ君を連れて、散歩に出かけるのが日課となっています。
僕の家の周辺は、前橋市内とは思えないほどの田園が広がっています。だからサラリーマン家庭は少なく、ご主人たちは畑仕事や酪農作業をしています。散歩の楽しみは、そんな農夫たちとのおしゃべり。時には、採れたて野菜をもらうこともあります。
昨日もマロ君と田んぼ道を歩いていると、耕耘機に乗った近所のご主人に、声をかけられました。
「読んでるよ、温泉の記事! 亀沢温泉って、いい湯なんだってね~」
月刊Deli-Jの最新号を読んだようです。ご主人は、かなりの温泉好きのようで、受け応えをしているうちに、耕耘機から降りてきてしまいました。そして、長い長い立ち話がはじまりました。
いい湯とは、思わぬ場所で見つけるものです。旧倉渕村に湧く亀沢温泉も、その一つ。
亀沢温泉と聞くと、日帰り温泉のイメージが強くて、あまり温泉通の人からは話がでませんが、僕は好きなお湯です。
意外と知られていないのが、歴史。明治時代には、すでに湯治場として湯小屋があり、昭和40年頃までは「湯の沢温泉」と呼ばれ、近在の人たちの療養の場として、たいそう賑わっていたといいます。
何よりも湯量が豊富なのです。内風呂も露天風呂も、完全放流式(かけ流し)。日帰り温泉施設では、とても珍しいと思います。
また、旧源泉が水道水として使われていることも、意外と知られていません。湯上りの一杯が、たまらなく旨い! 体の内と外から温泉が楽しめます。
いい湯は、身近な場所にもあるものなのです。でひ、源泉を巡礼してみてください。
僕の家の周辺は、前橋市内とは思えないほどの田園が広がっています。だからサラリーマン家庭は少なく、ご主人たちは畑仕事や酪農作業をしています。散歩の楽しみは、そんな農夫たちとのおしゃべり。時には、採れたて野菜をもらうこともあります。
昨日もマロ君と田んぼ道を歩いていると、耕耘機に乗った近所のご主人に、声をかけられました。
「読んでるよ、温泉の記事! 亀沢温泉って、いい湯なんだってね~」
月刊Deli-Jの最新号を読んだようです。ご主人は、かなりの温泉好きのようで、受け応えをしているうちに、耕耘機から降りてきてしまいました。そして、長い長い立ち話がはじまりました。
いい湯とは、思わぬ場所で見つけるものです。旧倉渕村に湧く亀沢温泉も、その一つ。
亀沢温泉と聞くと、日帰り温泉のイメージが強くて、あまり温泉通の人からは話がでませんが、僕は好きなお湯です。
意外と知られていないのが、歴史。明治時代には、すでに湯治場として湯小屋があり、昭和40年頃までは「湯の沢温泉」と呼ばれ、近在の人たちの療養の場として、たいそう賑わっていたといいます。
何よりも湯量が豊富なのです。内風呂も露天風呂も、完全放流式(かけ流し)。日帰り温泉施設では、とても珍しいと思います。
また、旧源泉が水道水として使われていることも、意外と知られていません。湯上りの一杯が、たまらなく旨い! 体の内と外から温泉が楽しめます。
いい湯は、身近な場所にもあるものなのです。でひ、源泉を巡礼してみてください。
2010年03月01日
沢渡温泉「まるほん旅館」
今秋、出版予定の源泉本第2弾(タイトルは未定)の初原稿を書き上げました。
これから長い長い執筆活動が始まります。やはり、皮切りは大好きな湯から書き出した方が、その後の文章に弾みがつきます。ということで、最初に書き上げた原稿は、沢渡温泉の「まるほん旅館」。
なにも僕だけが「まるほん旅館」の湯をほめているわけではなく、かの温泉教授・松田忠徳氏や作家の嵐山光三郎先生なども訪れて、たびたび著書で紹介しています。
松田氏は著書『新・日本百名湯』のなかで、「風呂がまたいい。草津の仕上げ湯といわれただけあって、やわらかな肌感が身上。その湯を十分に生かすために浴舎は総檜作りなのである」と語り、嵐山先生は著書『温泉旅行記』のなかで、「泉質は、やわらかく、サラリとしているのにトロリとまとわりつくフシギな湯だ。湯上りの肌がテカっとなる」と表現しています。
まさに、両先生のおっしゃるとおり。まず総檜張りの湯小屋形式の浴場が素晴らしい。2階から渡り廊下で浴室へ下りる独特な建築様式は、まさに昭和初期の湯治文化を今に伝える温泉遺産です。脱衣所はなく、浴室の隅に棚があるだけの完全混浴を貫いている姿勢にも、元禄年間創業の老舗旅館ならではの風格を感じます。
原稿を書いていたら、また今すぐにでも会いに行きたくなりました。ひと言で言えば、恋人のような湯なのです。
書いた原稿は、和歌山県在住のデザイナー・江川俊幸さんへ送りました。クリエイティブ集団「プロジェクトK」のメンバーで、前回の「ぐんまの源泉一軒宿」を手がけてくれた方です。僕が最も信頼を寄せているデザイナーさんです。
今から校正が届くのが、大変楽しみです。
これから長い長い執筆活動が始まります。やはり、皮切りは大好きな湯から書き出した方が、その後の文章に弾みがつきます。ということで、最初に書き上げた原稿は、沢渡温泉の「まるほん旅館」。
なにも僕だけが「まるほん旅館」の湯をほめているわけではなく、かの温泉教授・松田忠徳氏や作家の嵐山光三郎先生なども訪れて、たびたび著書で紹介しています。
松田氏は著書『新・日本百名湯』のなかで、「風呂がまたいい。草津の仕上げ湯といわれただけあって、やわらかな肌感が身上。その湯を十分に生かすために浴舎は総檜作りなのである」と語り、嵐山先生は著書『温泉旅行記』のなかで、「泉質は、やわらかく、サラリとしているのにトロリとまとわりつくフシギな湯だ。湯上りの肌がテカっとなる」と表現しています。
まさに、両先生のおっしゃるとおり。まず総檜張りの湯小屋形式の浴場が素晴らしい。2階から渡り廊下で浴室へ下りる独特な建築様式は、まさに昭和初期の湯治文化を今に伝える温泉遺産です。脱衣所はなく、浴室の隅に棚があるだけの完全混浴を貫いている姿勢にも、元禄年間創業の老舗旅館ならではの風格を感じます。
原稿を書いていたら、また今すぐにでも会いに行きたくなりました。ひと言で言えば、恋人のような湯なのです。
書いた原稿は、和歌山県在住のデザイナー・江川俊幸さんへ送りました。クリエイティブ集団「プロジェクトK」のメンバーで、前回の「ぐんまの源泉一軒宿」を手がけてくれた方です。僕が最も信頼を寄せているデザイナーさんです。
今から校正が届くのが、大変楽しみです。