温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2010年07月31日

パワースポット

 ちょっとお聞きしたいことがあり、奥嬬恋温泉の「干川旅館」に電話を入れました。
 運良く、3代目主人の干川英男さんが出られて、用件を話したあと、雑談となりました。

 「小暮さん、雑誌の反響がすごいですよ!」と、ご主人。
 干川旅館は、7月号の「月刊Deli-J」で、僕が記事を書いた旅館です。

 連載の『源泉巡礼記』は、4年目に入っている人気シリーズです。すでに“追っかけ”がいて、毎月、掲載された温泉を雑誌片手に、訪ね歩いている読者が大勢いると聞いています。
 さすが、県内最大の発行部数(35万部)の雑誌だけあります。

 奥嬬恋温泉の場合は、どうも温泉目的だけではないようです。
 僕が本文の中で、「干俣の諏訪神社は、願えを叶え、奇跡を起こすパワースポット」と書いたことも、人を呼んだようです。
 でも、これは、僕も女将も体験した事実なのですから、「やらせ」でも「しかけ」でもありませんよ。

 そもそも、湯治場と呼ばれる歴史の古い温泉地は、すべてパワースポットなのです。
 だから農閑期になると、コタツを担いで、米と味噌をもって、何週間も泊り込んで、英気を養ったのです。決して、病気になってから出かけたのではありません。病気にならないように、元気に暮らせるように、季節の変わり目に行った儀式のようなものです。
 湯治は、中国漢方の“未病”に近いかもしれませんね。

 古い温泉(自噴している)には、発見伝説が残っています。
 日本武尊、弘法大師、源頼朝などは、発見者の“御三家”です。
 そして、必ず薬師様や薬師堂が祀られているのです。

 僕は、霊験あらたかな温泉は、すべてパワースポットだと考えています。
 いつか、そんな奇跡を起こした“湯”ばかりを集めた本を出版できたら、面白いですね。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:33Comments(0)温泉雑話

2010年07月30日

明寿大学にて講演

 まったくもって、どこからどんな話が飛び込んで来るのか、分からないものです。
 ひょんなところから、講演の依頼がありました。

 今年2月に開講した(現在は休講中)、前橋カルチャーセンターの温泉講座 『小暮淳と行く ぐんま温泉探訪』 の受講者の一人から過日、「私が会長を務めるクラブの学習講座で講演をして欲しい」との電話がありました。
 話を聞けば、とても真面目で、勉強熱心な会のようなので、お受けすることにしました。もちろん、その方のことも、僕はちゃんと覚えていました。確か、薬師温泉での講座で、まだ雪が残る中、湯上りに甘酒を一緒に飲んだ紳士であります。そんな受講者さんからお願いされたわけですから、もちろん断るわけがありません。

 一昨日、正式に依頼状が郵便にて届きました。
 依頼主は、「明寿大学 悠々クラブ」という高齢者学習団体でした。
 「明寿大学 悠々クラブ」とは、前橋市中央公民館主催の明寿大学を卒業した人たちにより、平成元年に結成された団体で、現在、会員は330名もいるとのことです。

 今回、僕が依頼を受けたのは、平成23年度の学習講座です。
 来年の4月に開講し、9回講座あり、僕はその第1回講座を受け持つことになりました。それも、講座時間は2時間とのこと。通常、講演は1時間半ですから、かなり長めであります。ま、間が持たなかったら、最後はカラオケでも流して、『GO!GO!温泉パラダイス』でも歌って、ごまかしちゃおうかと思ってます(でも、高齢者教室の場合、これが結構受けるのですよ)。

 まだ10ヶ月も先のことですが、300名からの前でお話ができるかと思うと、今からとても楽しみです。
 群馬の温泉の魅力を知ってもらって、たくさんの人に群馬の温泉を親しんでもらえるよう頑張ります。


 ●日時 / 平成23年5月19日(木) 10時~12時
 ●会場 / 前橋プラザ 元気21  3F
        前橋中央公民館 多目的ホール
        tel.027-210-2199
 ●演題 / 「湯の国ぐんまは温泉パラダイス」
  


Posted by 小暮 淳 at 21:08Comments(0)講演・セミナー

2010年07月29日

駅前旅館でGO!GO!


 昨晩は、高崎駅前の老舗旅館「豊田屋」で、メディア懇親会が開かれました。
 5月に続いて、僕にも声がかかり、2度目の出席となりました。

 豊田屋は7年ほど前、高崎市の依頼で取材に入ったことがあります。
 創業は明治12年。戦前・戦中は軍用旅舎として、戦後は群馬交響楽団を描いた映画『ここに泉あり』の撮影現場および出演者の宿舎として使われた歴史などを調べ、一冊の雑誌にまとめました。
 4代目主人の園原豊さんに会うのも、久しぶり。とっても元気そうでした。

 さてさて、今回のメディア懇親会は、前回に増して、にぎやか、かつ豪華な顔ぶれでした。
 県内のラジオ、テレビ、新聞、雑誌にかかわるメディアマンに加え、県の観光関係の方など、総勢12名が集いました。

 その中に、以前このブログでも紹介した『群馬の逆襲』(彩流社)の著者・木部克彦さんがいらっしゃいました。
 「本、読みましたよ」とこちらが声をかけようとする前に、彼の方から「いつも読んでます」と先に言われてしまい、出鼻をくじかれてしまいました。互いの文章のことを語るのって、なんだか照れくさくてヘンな感じがしますね。

 文筆業同士、次回作のことや、群馬の魅力についてなど、短い時間でしたがお話ができて、とても有意義なひとときでした。
 でも不思議なものですね。彼の本を読んで、“一度お会いしてみたい”と思っていたら、こうして会えるんですから……。
 木部さんは、僕とまったくの同世代。10月には新刊本が出版されるとのこと。大変忙しい毎日を送っているようです。
 お互い、もう若くないのですから、体には気をつけながら、ジャンジャンいい本を書きましょうね。

 宴もたけなわとなり、エフエム群馬のNさんがギターを取り出し、僕が呼ばれて、結局最後は『GO!GO!温泉パラダイス』の大合唱となってしまいました。
 上毛新聞社のKさんが、この様子を動画で撮影。ユーチューブにアップするとのことでした。

 次回は、パリッシュ出版のUさんが幹事となり、9月に開催されることになりました。
  


Posted by 小暮 淳 at 14:49Comments(0)酔眼日記

2010年07月28日

丸沼温泉 「環湖荘」

 昨日は7月の第4火曜日。よって月に一度のNHKカルチャーセンター『探訪! ぐんまの源泉一軒宿』の講座日でした。
 いつものように、僕は前橋駅からバスに乗車。受講生は17名、夏バテにより当日欠席者が、かなりありました。
 当講座の平均年齢は65歳ですから、無理もありませんね(かくゆう僕も、かなりバテ気味です)。

 平成22年度、第4回目の温泉地は、丸沼温泉の一軒宿「環湖荘(かんこそう)」です。
 日光国立公園内にある神秘の湖、丸沼のほとり。見渡す限り、宿のほかに人工建造物はありません。それもそのはず、環湖荘は、明治時代にこの沼の持ち主が、客人をもてなすための別荘として建てたゲストハウスなのです。
 一般に開放し旅館としての創業は、昭和8年。当時は「丸沼温泉ホテル」といっていました。

 相変わらず下界は猛暑の様子。でも、ここは別天地。湖面を渡る風は、実にさわやかです。汗なんて、一つも流れませんでした。
 受講生らも、「涼しい涼しい」と大はしゃぎです。でも、ここからが、この講座のメインです。温泉に入ります。

 丸沼温泉の開湯の歴史は定かではありませんが、江戸時代だと伝えられています。
 古くから沼の北方に温泉が湧いていて、地元の人たちからは「沼入の湯」と呼ばれていたそうです。

 大正11年10月、歌人の若山牧水が湖畔に泊まり、翌日、金精峠を越えて日光へ向かっています。著書『みなかみ紀行』最後の宿泊地でもあります。残念ながら著書の中には、温泉に入ったかどうかの記述はありませんが、若山牧水は温泉地を投宿しながら旅をした歌人です。ですから、たぶん、いや絶対に丸沼の湯に入ったことでしょう。

 泉温47℃、湧出量は毎分300リットル。しかも自然湧出!
 無色透明で無味無臭のサラリとした単純温泉。湧き水のように澄んだ美しい湯です。

 それでも、「地震が起きる3日前には、硫黄臭がするんですよ」と支配人の井上勝さん。
 これが、かなりの的中率らしいです。

 温泉と地震の関係には、面白いデータがありますが、追ってこのブログで紹介したいと思います。

 湯上りは名物の岩魚の塩焼きをいただきながら、楽しい会食となりました。
 「先生、たまにはいいじゃありませんか」と年配の受講生さんに勧められて瓶ビールを1本。
 結局、男性受講生はみんな、呑んでしまいました。なかには冷酒に手を出す御仁も……。

 「この講座は、湯上りのこれが楽しみでね」と、他の男性も……。

 嬉しそうな受講生らとの会食、おしゃべり、そして一献。
 これだから、温泉講座は辞められませんね。  


Posted by 小暮 淳 at 11:47Comments(0)温泉地・旅館

2010年07月26日

謎学の旅① 「日本一小さい湖」

 上毛新聞社出版部に 「小暮淳さんの『謎学の旅』は、出版されてますか?」 という問い合わせがあったのだという。
 もちろん、そんなタイトルの本は出版していないし、そんなタイトルで文章を書いた覚えもありません。最初は間違えか何かだろうと思って聞き流していたのですが、数日後に「はっ!」と気づきました。

 4年前まで、僕は月刊「ぷらざ」という情報誌の編集をしていました。その間、『編集長がゆく』というタイトルで、県内の不思議なものを追いかけるエッセイを連載していたのです。当時、このエッセイは、とても人気があり、最終回にはたくさんの読者から「連載を続けて」とか「1冊の本にまとめて欲しい」とのハガキをいただきました。
 で、このエッセイで謎を1つ解決すると、最後に必ず “謎学の旅はつづく”と言葉をしめくくっていたのです。
 『謎学の旅』とは、この『編集長がゆく』というエッセイのことを言っているようです。

 懐かしくなって、今回、掲載誌を引っ張り出して読み返してみました。
 するとこれば、なかなかバカバカしい謎だらけで、けっこう面白いのですよ。
 と、いうことで、2005年4月号の第1話から、ちょっとセンテンスをご紹介します。


 日本一大きな湖は琵琶湖ですが、では日本一小さい湖はどこにあるかご存知ですか?
 これが何と、群馬県の高崎市にあったのです。
 湖の名は「西湖」。でも、近くの貯水池より小さいんです。
 一般には、池より大きいのが沼、沼より大きいのが湖と思われていますから、池より小さい湖は、たぶん日本でここだけではないでしょうか!?

 場所は、国立群馬工業高等専門学校の隣。
 ウソだと思う人は地図を広げて見てください。ちゃんと「西湖」と記されていますから。
 昔はただの貯水池だったようですが、現在は学校の所有地内になっています。だからブロック塀に囲まれていて、良く見えませんが、背伸びしてみると、一丁前に中ノ島までありました。

 学校庶務課の人に話を聞くと、「昭和42年2月14日、校庭西側の用水池を “西湖” と命名」と書かれた当時の「校報」を見せてくれました。
 西湖の“西”は、校庭の西側のことだったのです。
 ところが、湖のほとりには、しっかり「この池は学校構内です」という、立ち入り禁止の立て札が立っていました。
 湖という名の池だったのです。

 謎学の旅はつづく。
   


Posted by 小暮 淳 at 17:42Comments(0)謎学の旅

2010年07月25日

源泉巡礼記と編集長

 今日は7月の最終日曜日。ということは、月刊「Deli-J」(でりじぇい)の発行日であります。
 連載中の温泉エッセイ 『源泉巡礼記』 もシリーズ45回目となりました。あと3話で、まる4年も連載していることになるんですね。
 これも、ひとえに貴重な誌面を提供してくださっているDeli-J編集部スタッフと、長いこと愛読してくださっている読者の方々のおかげだと、ただただ感謝しております。

 でも今回、とても寂しいニュースも飛び込んで来ました。
 このシリーズを第1話から編集担当してくださっていた樋山久見子編集長が、今月をもって退社することになったのです。
 よって、今回の第45話が、僕と彼女の最後の仕事となりました。

 実は彼女は、2代目の編集長であります。初代は、僕でした。
 平成13年に創刊、2年後に彼女が入社して来ました。といっても、面接をしたのは、この僕ですが……。
 彼女の美貌と明るさ、そして活発な行動力に惚れ込んでの採用でした。

 ところが翌年、僕は突然の辞任をしました。
 この自由奔放な性格ですから、まあ、いろいろ摩擦もありまして、短気を起こしてしまったのです。
 残念だったのは、彼女に編集のノウハウを教え切れないまま、編集室を去ってしまったことです。このことは、何年も心の奥のほうで気に病んでいました。彼女には、済まなかったと……。

 でも、突然の僕の辞任にもかかわらず、彼女はその年から編集長として、立派に「でりじぇい号」の舵取りをしてくれました。
 あれから6年、よく頑張ったと思います。
 また、4年前からは僕の連載をこころよく受けて、今日まで理解ある編集をつづけてくれました。

 一身上の都合とのこと。
 また新しい世界で、“ひーねえちゃん”らしい人生を作り出してくださいね。応援していますよ。
 本当に長い間、ありがとうございました。そして大変、お疲れさまでした。
 また、どこかで一緒に仕事をしましょうね。

 ※『源泉巡礼記』は、まだまだ連載が続きますよ!
   


Posted by 小暮 淳 at 14:30Comments(2)温泉雑話

2010年07月24日

霧積温泉 「金湯館」

 ついに、ファイナルステージへ!
 出版本に掲載するエッセイ36温泉の最後の1つ、霧積(きりづみ)温泉へ行ってきました。
 これで、すべての取材が終了。この原稿さえ仕上げれば、あとは出版を待つのみです。
 いやぁ~、約7ヶ月間の長い長い温泉行脚の旅でした。

 霧積温泉「金湯館(きんとうかん)」を訪ねるのは、3回目です。
 最初に訪ねたのは、33年前のこと。そう、映画 『人間の証明』 のヒットにつられて、当時、運転免許を取ったばかりの友人が運転するアコードで、あの恐ろしい山道を登りました。あの頃は、まだ未舗装で、電気も通っていない、秘境の地でした。
 2度目は4年前、雑誌の取材で訪ねています。
 でも宿泊するのは、今回が初めてでした。

 やはり霧積温泉といえば、森村誠一の『人間の証明』で一躍有名になった温泉です。

 母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね? ええ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、渓谷へ落としたあの麦稈(むぎわら)帽子ですよ。(西条八十 『帽子』 より)

 と、いうことでディレクター氏は、わざわざ麦わら帽子を持参。釣竿の先の糸に帽子をくっつけて、霧積渓谷に向けてポーンと放り投げました。UFOのように、クルクルまわり、ユラユラゆれて、とってもきれいです。
 当然、僕は撮影中はずーっと、ジョー山中が歌った主題歌を歌っていましたよ。
 ママー、ドゥユーリメンバー! ってね。

 前回訪ねたときは、金湯館までクルマで行けたのですが、現在は通行止めになっていました。
 クルマは下の「きりづみ館」に駐車して、山道を20分ほど歩きました。

 標高1180メートル。気温は日中でも24℃です。
 下界の40℃近い連日の暑さがうそのような涼しさに、快適な取材がスタートしました。

 何と言っても、ここの湯の特徴は“泡が付く”こと。その付き方は半端ではありません。
 全国の泡温泉でも上位にランキングされているほどで、かのTVチャンピオンの郡司勇氏も 「山の宿 泡付くヌル湯の新鮮さ」と一句詠まれていました。

 その湯は、まるで炭酸飲料水の中に入っているよう。
 プチプチ、プチプチと背中を気泡がはじけながら、はいのぼって行きます。
 やがて、体は真っ白け。体毛という体毛に無数の泡が、びっしりと張り付いているのです。これは面白い!
 手でサーっとはらうと、一斉に小さな泡たちが飛び跳ねて散って行きます。

 特に陰毛がスゴイんです。
 白髪のように真っ白になって、腰をプルプルと振ると、パーっと気泡が飛び散ります。こりぁぁ、まったくサンゴの産卵であります。面白くて、面白くて、何回も何回も陰毛で遊んでしまいました。とさ。

 ぜひ、みなさんも一度、「サンゴの産卵」を体験してみてください。
 泡の付き方は、県内でも1、2を競う量ですよ。

   


Posted by 小暮 淳 at 15:12Comments(0)温泉地・旅館

2010年07月22日

あの頃、みんな若かった。


 一昨晩のマナビーズ同窓会。
 いやいや、大変盛り上がりました。

 まずは当時、編集していた受験雑誌 『学ing(まなびんぐ)』 が、酒席に広げられました。
 懐かしさから、全員食い入るようにページをめくります。

 巻末連載の『鬼丸先生の一筆両断』は、木彫家で版画家で絵本作家の野村たかあきさんが担当したページです。
 サブタイトルに「受験生の心の迷いをズバッと解消! 豪傑・鬼丸先生の激励説法」と書かれています。
 これは受験生のために「気は持ちよう」とか「急がば回れ」とか「念には念を入れよ」とかの言葉を、ズバッと墨字で書いて、座右の銘にしてもらう企画でした。
 最終号には『鬼丸の受験本番のための十カ条』なんていう企画もありました。いろいろ知恵を絞って考えていたんですね。

 そして、この雑誌の極めつけ企画といえば、年一回、全ページ劇画で贈る特別号です。
 1年目は『未来戦士 COOLファイター』というタイトルで、受験の敵、プレッシャーマンやスランプ大王と戦う受験戦士の話です。
 主人公は中学3年生の大和学と李麗美。変身するときの口上が、これまたカッコイイ!

 「常に冷静かつ沈着な洞察力と判断力を持ち、いかなる場合も己に与えられた使命に忠実に行動し、やがて訪れる輝かしい未来のために闘志を燃やす 愛と夢とヤル気のチャレンジャー! 近未来戦士COOLファイター!!! 」

 2年目は学園友情ドラマ、まなびヶ丘中学3年B組の仲間たち劇場 『ぼくらの夢、将来、そして今できること……』を全ページ劇画にしています。
 ともに原作・脚本は僕、作画はイラストレーターの飯塚裕子さんです。

 今見ても、なかなかクォリティーが高くて、充分楽しめる内容でした。
 そんな遊び心いっぱいの仕事ができた、いい時代だったのですね。とっても楽しい仕事だったと、盛り上がりました。

 何よりも一番盛り上がったのが、1枚の写真です。
 12年前の温泉合宿でのスナップ。旅館の大広間を借りての練習風景です。
 昔も今も変わってないと思っているのは自分だけなんですね。
 たかが12年前なのに、ギターを抱えている僕は、少年なのですよ。
 ドラムの野村たかあきさんも若い! 今の息子さんによく似ています(息子が似たんだ)。

 あの頃、僕はまだ30代、そして今は50代です。野村さんは、あの頃40代、そして今は還暦を過ぎました。

 いやいや、外見は少し(かなり)変わっちゃったけど、中身はさらにパワーアップしているマナビーズの懲りない面々でした。
 ぜひ、また10年後に同窓会をやりましょうね。

※イラストレーターの飯塚裕子さんが、自身のブログでマナビーズの使用前(12年前)と使用後(現在)のメンバー写真を公開しています。ご興味のある方は、「きゃろっとぷらん」のブログをご覧ください。
  http://maebashi.cool.ne.jp/carrot_plan/index.html
  


Posted by 小暮 淳 at 14:37Comments(0)酔眼日記

2010年07月21日

草津温泉 「睦の湯」

 昨晩は、遅くまで呑んで盛り上がったにもかかわらず、今朝はしっかり5時に起床!
 そのまま最寄の駅へ直行。電車とバスを乗り継いで、草津温泉へ行って来ました。

 えっ? なんでクルマで行かないのかって?
 はい、今日は「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄)に連載中の『公共交通機関で行く ぶらり水紀行』の取材だったのです。ですから、一番の目的は温泉ではありません。

 高崎駅にて、担当編集者のY氏と合流。上越線~吾妻線「長野原・草津口」下車。バスに乗り換えて、終点の「草津温泉バスターミナル」まで。ここからは徒歩にて「嫗仙の滝」へ向かいました。
 往復3時間の行程でしたが、下界の猛暑日がうそのように涼しい、快適な渓谷ハイクを満喫して来ました。今日の水紀行は、8月6日の「ちいきしんぶん」に掲載されます。

 草津温泉まで来たのですから、もちろん外湯(共同湯)へ入らないで帰るわけがありません。
 草津町には、無料で入れる外湯が18もあります。滝までの行き帰りだけでも、いくつもの外湯の前を通りました。
 「巽の湯」「睦の湯」「恵の湯」「煮川の湯」「地蔵の湯」「千代の湯」「白旗の湯」……

 今回は、鈴蘭通りとベルツ通りの交差する、名旅館「つつじ亭」そばの「睦の湯」にしました。
 ほかの外湯は覗いても、誰もいないのに、ここは混んでいました。
 先客3人、僕ら2人、後からまた2人とやって来て、小さな浴室は満員御礼!

 「やっぱり、ここは湯がいいからね。みんな知っているんだよ。あそこ(すぐ近くの別の外湯)は万代(万代鉱源泉)だけど、ここは湯畑(湯畑源泉)だからさ」と、地元のおじいちゃん。
 前々から不思議に思っていたのですが、草津の人はやたらと「湯畑源泉」と「白旗源泉」を褒めるのです。やっぱり、歴史が古い源泉だからですかね。確かに、老舗といわれる旅館は、必ずこのどちらかの源泉を引いています。
 でも、僕は酸性度の超強い、硬派な「万代鉱源泉」も嫌いじゃありませんよ。

 でも、いつ行っても裏切らないのが、草津の湯です。
 ガーンと勢いよく寄って来て、ガバッと体を捕まえてくる。その後はグイグイと力強く抱きしめてくるのだ。
 ところが、やがて体が慣れてくると、途端にやさしい湯へと変貌する。
 憎らしいほどに、魅力のある湯なんですねぇ。

 湯上りは、目の前のコンビニにすかさず飛び込んで、缶ビールを買って、とりあえず一杯!
 Y氏とシリーズ12回目の取材が無事終わった乾杯です。

 もちろん、この後は温泉街まで歩いて行って、ちゃんと店で呑み直したことは、言うまでもありません。 
   


Posted by 小暮 淳 at 22:26Comments(0)温泉地・旅館

2010年07月20日

マナビーズ同窓会

 今夜は、「マナビーズ」の同窓会です。
 マナビーズとは、10年以上も前に、僕が組んでいたバンドの名前です。これが、かなり異色のバンドだったのです。

 13年前、平成9年のこと。
 当時、「学ing」(まなびんぐ)という教育雑誌の編集にかかわっていました。中学3年生を対象にした受験攻略誌です。
 もちろん僕はライターとしての参加ですが、ディレクターをはじめ、イラストレーターやデザイナーさんたちが、すべてバンド経験者だったものだから、「だったら子供たちのために(うそ、自分たちがやりたくて)、バンド作って歌っちゃわない!」ということで、結成したバンドが、マナビーズです。

 四万温泉で合宿をしたり、県内の野外ライブに出演したり、雑誌のキャラクターでもある「マナチュー」君のTシャツを作ってメンバーのユニホームとして着たりして、遊んでいたのです。もちろん、このTシャツは、雑誌の読者に抽選でプレゼントしました。

 今夜、そのときのメンバー (編集スタッフ ) 5人全員が、10年ぶりに再会します。
 今となれば、そうそうたるスタッフだったのですよ、これが!

 紅一点のボーカルは、現在、クレイアーティストとして活躍しているイラストレターの飯塚裕子さんです。
 そして、なななんとドラム担当は、木彫家で版画家で、絵本作家でもある野村たかあきさんなんですよ。
 他のメンバーも、みんな現在フリーで活躍している面々です。

 ちなみに僕は、ギターとボーカルを担当していました。

 「またバンドやっちゃう?」
 なーんて話で、今夜は盛り上がるんですかね。
 もう、今からワクワクしています。

 外は今日も猛暑です。さぞかし生ビールがうまいんでしょうね。
     


Posted by 小暮 淳 at 13:37Comments(0)つれづれ

2010年07月19日

一番いい温泉

 こんな仕事をしていると、まわりの人たちは、僕のことを温泉のスペシャリストか何かと勘違いして、ガイドブック代わりに使われることがあります。
 先日も知人から電話があり、「どこか、いい温泉はありませんか?」と訊かれました。
 また、講演やセミナーで必ず出る質問が、「一番いい温泉はどこですか?」というもの。

 こんな、難しい質問はありません。
 それは「一番おいしいラーメン屋を教えてくだい」と訊かれたようなものです。

 ラーメンも、いろいろあります。
 しょう油なのか、味噌なのか、塩なのか、とんこつなのか……
 細麺なのか、太麺なのか、ちじれ麺なのか……
 あっさり味なのか、こってり味なのか……
 つけ麺? 激辛? ダシは?

 温泉も、まったく同じです。
 肌にやさしいアルカリ性がいいのか、殺菌力の強い酸性がいいのか?
 無色透明のさらりとした湯がいいのか、個性的なにごり湯がいいのか?
 温度は? 露天風呂なの? 内風呂なの? かけ流しにこだわるの?

 僕が知っている限りのことは、教えてあげます。でも、“一番いい温泉”だけでは、あまりにも漠然とし過ぎていて、答えに窮してしまいます。
 まず、大切なのは“目的”です。
 温泉に何をしに行くのか? 誰と行くのか?

 次に、期待するポイントです。
 宿のサービス? ロケーション? 料理? それとも、お湯?(本当は、これを一番にしてください)

 病気やケガを治す湯治目的なら、ずばり、症状に合わせた効能を持つ温泉を紹介します。
 ストレス解消が目的なら、転地効果に優れた秘境の宿を教えます。

 料理やサービス、設備を一番と考える人は、僕ではなく旅行雑誌やネットで調べたほうが、いいですね。


 たかが温泉、されど温泉です。
 あなたは、温泉に何を求めますか?  


Posted by 小暮 淳 at 10:33Comments(0)温泉雑話

2010年07月18日

連休はゲラカン

 いよいよ、9月に出版される温泉本のゲラ刷りが上がって来ました。
 「ゲラ刷り」とは、原稿や写真が組まれて、印刷前に校正用に試し刷りされたプリントのことです。

 まだ未取材、未入稿の原稿がありますが、とりあえず124ページ中、本文前半の22ページが送られてきました。
 この連休は、ゲラ校正のカンヅメ (ゲラカン) であります。

 校正は、もちろん著者一人がやるものではありません。
 取材先へも送られますし、編集者もがっちり見ます。ただ、原稿は著者に権利があるので、最終的な判断は著者が行います。

 出版元が新聞社ですから、編集者からは、なかなか厳しいチェックが入るんですね。
 使用できる漢字、送り仮名、表記の仕方などなど……。

 例えば、「循環濾過」→「循環ろ過」、「運動麻痺」→「運動まひ」となります。
 「癒し」の送り仮名は「癒やし」だったり、また動植物の表記は基本的にはカタカナとなります。
 でも植物の名前は、サクラと書くより「さくら」や「桜」の方が風情や情緒がありますよね。だから僕は、できるだけ押し通すようにしていますけど。

 例えば「ゆぶね」です。
 僕の文章には頻繁に出てくる言葉です。一般的には「湯船」と表記しますが、僕は断固として「湯舟」で通しています。
 何度も赤チェックを入れられますが、その都度“このまま(で良し)”と青チェックで返します。
 どう考えても、小さなお宿の風呂は、「湯舟」なのですよ。

 でも、ゲラ校正は本作りの作業の中でも、とても楽しい時間です。
 しいて言うならば、遠足の前夜のよう。リュックサックの中の持ち物チェックをしているときみたいで、ワクワクしながら校正を続けています。
 “明日になれば、待ちに待った楽しい遠足だ!” まさに、そんな気分なのです。
 “この作業が終われば、待ちに待った本の出版”なのです。

 連休は、またしてもカンヅメですが、僕にとってはこれも楽しい連休の過ごし方です。
 大好きな “ゲラカン” ですから!
  


Posted by 小暮 淳 at 14:45Comments(0)執筆余談

2010年07月17日

川原湯温泉のゆくえ②

 もうすでに新聞報道されたので、知っている人もいるかもしれませんが、またまた残念なニュースが飛び込んで来ました。

 215年の歴史を持つ川原湯温泉の老舗旅館「高田屋」が、11月より営業を休止するとのこと。昨年9月に民主党が政権交代をして、ダム建設中止の方針を打ち出して以来、これで2軒目です。今年の3月には、「柏屋」が宿泊営業を休止しました。

 高田屋の7代目社長、豊田明美さんは、僕の中学の後輩です。
 大人になってから酒の席で出会い、またJR等の仕事で、たびたび取材でもお会いしています。

 柏屋のご主人、豊田幹雄さんにも、いろいろお世話になりました。
 雑誌の取材だけでなく、昨年の11月にはNHKの温泉講座で受講生らとお邪魔したばかりです。

 立て続けに、懇意にしていただいていた宿が営業を休止してしまった事実に、ただただ驚いています。

 2005年くらいまでは、売り上げものびていたようなのですが、近年はダム工事の進捗にともない、周辺一帯が工事現場化してしまい、見学客は増えても宿泊客は減少の一途をたどり、赤字経営がつづいているとのことです。
 ピーク時には22軒あった旅館も、これで、わずか5軒になってしまいました。

 川原湯温泉といえば、古くから文人墨客らが大勢訪れている名湯です。
 大正時代には、かの若山牧水も滞在しています。投宿した旅館は、川原湯温泉で一番古い老舗宿「養寿館」。
 牧水は、かなり気に入ったようで3回も訪れています。そして吾妻渓谷の美しさに感銘し、次のように書いています。

 「私はどうかこの渓谷の林がいつまでもいつまでもこの寂びと深みとを湛えて永久に茂っていてくれることを心から祈るものである」と……

 ダム建設話が、この自然豊かな温泉地に襲いかかったのは、昭和27年のこと。
 それから長い長い、住民たち闘いの日々が始まりました。
 そして、牧水の願いもむなしく、自然は破壊され、今は「養寿館」も姿を消しました。


 群馬の名湯、川原湯温泉の再建を心より祈っております。
 幹雄さん、明美さん、そして川原湯温泉のみなさん、お辛いでしょうが、どうかどうか頑張ってください。
  


Posted by 小暮 淳 at 14:46Comments(0)温泉地・旅館

2010年07月16日

湯の平温泉 「松泉閣」

 「表紙の写真は、どこですか?」と訊かれることが、多々あります。
 昨年出版した拙著『ぐんまの源泉一軒宿』の表紙のことです。

 ふつう、どこの写真なのか、どこで撮影したのかは、カバーの折り返しに書かれているのですが、あえてはずしました。
 理由は、50軒の宿を不公平なく平等に掲載するためです。
 じいちゃん、ばあちゃんでやっている小さな民宿から、大企業が経営する豪華な旅館まで、一律に“一軒宿”というくくりで取材・掲載したかったからです。特定の宿だけ、写真点数を多くしたり、大きく特別扱いしたくないからです。

 で、写真の温泉はどこか? 分かった人はいますか?
 もし分かった人は、かなりの温泉通ですね。ヒントは本文をめくった、グラビアの露天風呂写真にあります。これにはかなり特徴が出ています。

 正解は、湯の平温泉(旧六合村)の『松泉閣(しょうせんかく)』です。
 表紙の写真は、薄暮の露天風呂。それも脱衣小屋です。
 写真を撮ったのは上毛新聞社のカメラマン、綱島徹氏です。彼は僕の中学・高校の同級生。モノクロ写真を得意とするカメラマンです。さすが見事に、カラー写真でも明暗の美しさを表現してくれました。

 湯の平温泉は、群馬県内で唯一、クルマで宿までたどり着けない温泉です。
 国道から白砂川へ下りて、宿の対岸にクルマを停めます。到着をインターフォンで告げ、荷物は「架空索道(かくうさくどう)」というゴンドラに乗せて、ひと足先に運んでもらいます。
 そこからは時間にして10分ほどですが、下り坂を歩き、吊り橋を渡り、もう一度急なつづら折りの坂道を登ります。よって、高齢者や体の不自由な方は、訪問を遠慮していただいているという、まさに秘湯の中の秘湯。

 夏場は、息切れがして途中、何度も休むようです。また冬場は、雪に足を取られながらの訪問となります。
 でも、苦労の先には、コバルトブルー色した川面を臨む絶景の露天風呂が待っていますよ!
 ま、その露天風呂へも、原生林の中を5分くらい歩きますが……ね。

 “温泉好き”を自称する方は、ぜひ一度は体験しておいて欲しい宿です。
 群馬には、「こんなにも不便なところに温泉があるんだ」と、改めて、群馬の底力を知ることでしょう。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:00Comments(0)温泉地・旅館

2010年07月15日

君よ、情熱の河を渡れ!

 竹沢! でかしたぞっ!

 海パンカメラマンこと、竹沢佳紀くん、やってくれました。会心のシャッターが炸裂しました。

 昨日は午後3時に、撮影場所の温泉旅館にディレクターのK氏とともに到着。 ほどなくして新進気鋭の若手 (といっても30代後半ですが) 竹沢くんも、機材を抱えてやって来ました。
 全館貸切ですから、他のお客はいません。
 「自由に使ってください」
 とご主人に言われて、竹ちゃん(僕は彼をそう呼びます)は、早くもやる気満々です。

 3時半よりミーティング開始。
 K氏より事細かに、竹ちゃんに撮影ポイントの指示がされました。
 彼へのノルマは、規定アングルを3カット必達、およびフリーアングル数点。それと、僕のプロフィール用写真の撮影です。

 ミーティング終了後、竹ちゃんは休む間もなく、脱兎のごとく部屋を飛び出して、ロケハンに行きました。
 K氏はというと、缶ビールを片手に露天風呂へ。僕も後から追いかけました。

 「いいですね~。仕事だけど仕事じゃないって」と、露天のヒノキ風呂で、シトシトそぼ降る雨を見ながらビールを飲むK氏。
 「そーですね~。仕事だけど仕事じゃないって、いいですよね」と僕。

 本の表紙撮影ですから、これは立派な仕事なのですが、もうディレクションをしてしまったK氏にとっては、もうやることがありません。風呂に入るか、酒を飲むか。
 僕にいたっては、著者なので、それ以上にやることがありません。あとは夜遅く、浴衣姿にタオルを下げて、湯屋へ向かう旅人を演じればいいだけです。
 今回、実労働があるのは、一番若手の竹ちゃんだけなのです。オヤジ2人は、ただの酒飲みです。

 夕飯は、近くのそば屋から店屋物をとって食べて、すぐに竹ちゃんは現場にもどりました。
 K氏は部屋でひたすら飲み続け、僕はビールを持って竹ちゃんのいる現場へ陣中見舞いに。 

 三脚を立てて、黙々とシャッターチャンスを狙っている竹ちゃん。
 「まかせてください。オレ、絶対にやりますから」
 今回、大役の白羽の矢が当たったとき、彼はそう胸を張っていいました。それでも、現場を見たとき、
 「呑まれますねぇ、凄い湯小屋です」と、正直に緊張していることを僕に告げました。

 S温泉のM旅館の湯屋は、まさに温泉遺産の名にふさわしい歴史的建造物です。
 圧倒される気持ちは分かります。でも、ガンバレ! 竹ちゃん!

 部屋にもどると、宿のご主人も加わって、酒盛りが始まりました。
 宿の創業は元禄時代、16代目になるご主人の老舗旅館ならではの苦労話を聞くことができ、とても楽しい時間を持つことができました。ご主人、このたびは本の出版に対して、多大なるご協力、およびご理解をいただき、誠にありがとうございます。

 しばらくして、「やりました! やりました!」とご機嫌な声で、カメラと機材を抱えて竹ちゃんが登場!
 会心のショットが撮れたようです。
 さっそくモニターにつないで、膨大な写真の量を端からクリックして、K氏とご主人に見せ出しました。

 「いいね、……いいよ。これで行こう!」
 K氏もご満悦のようす。ご主人も、
 「若い人は感性が違いますね。こういう写真を撮るカメラマンは珍しいですよ」
 と、これまたお墨付きをいただきました。
 やったね、竹ちゃん!

 本の完成と、ベストセラーを願って、4人で乾杯をしました。

 夕べは、布団に入ってからも夜が更けるまで、熱い熱い竹ちゃんと、熱い熱い作品作りについて語り合っていました。

 早朝5時、竹ちゃんは、そーっと布団を抜け出して、また写真を撮りに行きました。  

 いいぞ! 竹ちゃん。
 そのまま迷わずに、情熱の河を渡って行けよ!  


Posted by 小暮 淳 at 14:02Comments(0)著書関連

2010年07月14日

本日、表紙撮影

 上毛新聞社から温泉本第2弾の出版話をいただいたのが、昨年の暮れ。あれから7ヶ月……

 今年の1月から、こつこつと取材を進めて、現在35温泉が終了。残すは、あと1つ。
 いよいよファイナルステージです。

 そして今日は、待ちに待った表紙写真の撮影日です。
 ここまで来ると、山頂が見えてきて「長かったけど、よくここまで登ってきたなぁ」と、ちょっとホッとしています。
 でも、表紙は本の顔ですからね。撮影は一番緊張する作業でもあります。だから毎回、練りに練って話し合い、最良の撮影場所を探します。

 今回は、S温泉M旅館の温泉遺産ともいえる湯小屋で撮影することになりました。
 これから午後、アートディレクターのK氏と現場に向かいます。

 今日は旅館側の全面協力のもと、全館貸切にしてもらいました。よって、今晩は撮影クルーのみで泊り込みです。
 部屋と寝具だけ貸してもらい、食事と酒を持ち込んでの持久戦!
 納得のいく写真が撮れるまで、カメラマンを缶詰めにします。タイムリミットは明日の9時!
 夕方の光、夜の闇、朝の湯けむり、を徹底的に撮影します。

 で、今回、あまたといるカメラマンの中から、名誉ある表紙とグラビアの撮影を仰せつかったカメラマンとは?
 はい、僕が絶大な信頼を寄せる、天才的感性を持ち合わせた新進気鋭の若手カメラマン、竹沢佳紀くんでーす!

 竹沢佳紀、たけざわよしき、TAKEZAWA……

 あっ、わかっちゃいましたか? そうです、あのフルチンカメラマン改め、海パンカメラマンのT君です!

 と、いうことで、僕がディレクターにお願いして、彼に白羽の矢を当ててもらったのです。
 彼なら、絶対にイイ写真を撮ってくれるはずですから。

 さーて、そろそろ戦場へ向かいますか~!
 頼んだぞ、たけざわーー!   


Posted by 小暮 淳 at 12:27Comments(0)著書関連

2010年07月13日

大塚温泉 「金井旅館」

 行きつけの薬局の薬剤師さんと、よく立ち話をします。
 Kさんは僕と同世代で、温泉と山歩きが好きな方です。このブログも読んでいただいているようで、薬をもらいに立ち寄ると、必ず温泉の話になります。
 「行きたい温泉は、たくさんあるんですが、真夏は湯上りに汗が引かなくてね」と、Kさん。

 実は、人百倍温泉に入っている僕でさえ、この時季の温泉はこたえます。
 しかも取材では、日に3つくらい温泉にはいりますから、当然、湯疲れ、湯あたりをしてしまいます。
 Kさんの言うとおり、好きな仕事とはいえ、夏の温泉取材は、かなりハードです。

 そこで、夏におすすめの温泉を紹介します。
 「ぬる湯」という独特の入浴法を昔より守り続けている温泉です。
 一般には40℃以下の温泉を言いますが、どうしてもぬる過ぎて、温めて使用してしまうんですね。
 でも、このぬるい湯を、あえて加温せずに、そのまま入浴する温泉があります。「持続浴」とか「微温浴」とか呼ばれる入浴法です。

 ぬる湯は長時間入浴ができるため、薬効成分が肌から吸収しやすく、皮膚病などに効く温泉が多いのです。
 また長湯により血行が良くなり、老廃物や疲労物質が排出されるため、精神の鎮静効果が高く、ヒステリーや不眠症、うつ病などに効果があるといわれています。

 群馬県内で「ぬる湯」が体験できる温泉は、川中温泉(東吾妻町)・松の湯温泉(東吾妻町)・川古温泉(みなかみ町)などがありますが、今日は中之条町にある大塚温泉の一軒宿『金井旅館』を紹介します。

 ここの4代目主人の金井昇さんは、のんべぇで、実に愉快なオヤジです。
 初めて取材で伺ったときから意気投合してしまい、それからというもの茶を飲みに寄ったり、泊り込んで一緒に酒を呑んだり、公私共にお付き合いをしていただいております。
 そうそう昨年、渋川市で開催した僕の講演会にも来てくれました。一番前の席に座られてしまい、大変やりづらかったことを覚えています。でも、ちゃんと僕の本を5冊も買って帰ってくれましたよ。ありがと、おっちゃん!

 そんなオヤジがいる、きさくな宿ですが、日帰り入浴もやっていまので、ぜひ一度「ぬる湯」を体験してみてください。
 泉温は34℃、体温より低いですから、ほとんど温水プールです。常連客は日に8時間以上入ります。風呂の中で本を読んでいる人もいますね。まさに、平成の湯治場です。

 ただし、露天風呂は混浴です。
 男女別の内風呂が1つずつありますが、源泉が岩肌から滝のようにふりそそぐ名物の内風呂は、混浴です。
 でも慣れると混浴もクセになるものです。ぜひ、「ぬる湯混浴」にチャレンジしてみてください。
  


Posted by 小暮 淳 at 13:16Comments(0)温泉地・旅館

2010年07月12日

第2回 里山本出版会議

 今日は上毛新聞社にて、10月に出版が予定されている里山本の2度目の会議がありました。
 いよいよ、第1話の原稿および写真がデータ入稿されました。

 今回は、連載元の「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄)の担当者、吉田勝紀さんが同席しました。
 彼は、2年半前の連載スタート時からの担当で、『里山をゆく』と『ぶらり水紀行』のすべてに同行して、写真を撮ってくれている人です。本の出版に当たっては、原稿と写真のデータ整理および入稿まで、すべておまかせしています。

 来週、2人で最終話の取材へ出かけてきます。
 8月掲載の『ぶらり水紀行』第12話までが、本に収録されることになりました。
 収録は全26話となります。

 9月の温泉本に続いて、立て続けの出版となるので、この夏はなんだか大変なことになりそうな気配です。
 それでなくても、忙しい毎日が嫌いで、この人生を選んだような男ですから、まさかの展開にかなり戸惑っています。

 ちなみに里山の定義は、「1000m未満の低山であること」「人里と隣接していること」「登山口まで公共交通機関があること」としました。
 さらに道中に、「温泉があること」。そして一番重要なポイントが、「酒が呑めること」です。
 これらすべての条件を満たした山歩(さんぽ)コースを、エッセイにて紹介します。

 山歩き&温泉めぐり&ほろ酔い旅、とずいぶん欲張った一冊ですが、さて、売れますかね?

   


Posted by 小暮 淳 at 17:57Comments(0)著書関連

2010年07月11日

ぐんまの宝物

 「小暮さんにとって、温泉って何ですか?」
 あまりにも漠然としていますが、よく訊かれる質問です。
 でも、僕は質問の答えとしてではなく、常日頃思っていることとして、
 「温泉は群馬の宝です」
 と言い続けています。

 最近、『群馬の逆襲』(木部克彦/彩流社)という本が、群馬県内で売れているようですね。
 僕も読みましたが、温泉にはあまり触れていません。伊香保、草津、水上……、やっぱり旅行雑誌程度の評価です。
 群馬県民が、その程度の知識と認識しかないのが、実は群馬の温泉の実情です。
 だもの、県外の人に、温泉への熱意も情熱も伝わりませんよね。

 「地域ブランド力」ランキングで、群馬県が47都道府県中の最下位! むべなるかな、です。
 群馬には日本一の“温泉”があるのに……、と残念でなりません。

 県の観光関係の人と話しても (けっこう僕はムキになって、ツバを飛ばしながら熱く温泉を語ります) 、「群馬は温泉だけじゃありませんからね。もっともっと、自慢できるものがたくさんありますよ」と、言葉が返って来る始末。
 “だったら!なんで最下位なんだよ~!”と、突っ込みたくなりますよ、本当に。

 実は、僕が温泉に興味を持ったのも、まずは群馬県民に群馬の温泉の素晴らしさを知ってもらいたかったからです。
 県民が誇りに思えるものは、必ずや県外へ伝わります。

 牡蠣といえば広島、蜜柑といえば愛媛、サクランボは山形、焼酎は鹿児島、アンコウは茨城……。

 では、温泉といえば……

 近い将来、必ずや“群馬”と答えさせたい!
 県外の年寄りに、「ああ、死ぬまでにもう一度、群馬の温泉に入りたいね」と言わせたい!

 自称、群馬温泉大使。
 これからも、群馬の温泉の素晴らしさを、どんどんPRして行きますぞ!  


Posted by 小暮 淳 at 15:08Comments(6)温泉雑話

2010年07月10日

野栗沢温泉 「すりばち荘」

 一昨日訪ねた宝川温泉は、その昔「白鷹の湯」と呼ばれていました。
 これは温泉の発見伝説により付いた名前です。

 日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国征伐の折り、一羽の白い鷹(たか)に導かれて湯を発見し、傷を癒やしたという伝説に基づいています。
 実は、このように動物発見伝説が残る温泉は、全国にたくさんあります。県内でも、鹿沢温泉の“鹿”、霧積温泉の“犬”、猿ヶ京温泉の“猿”、鳩ノ湯温泉の“鳩”などなど、摩訶不思議な話から面白民話まであり、それだけで1冊本が書けそうです。

 でも、そのほとんどは伝説で、史実に基づいてはいません。

 ところが、県内に1つだけ、伝説でも民話でもなく、昭和の時代に動物が発見して、人間に湯の恵みを与えてくれた温泉があります。それも、外国の動物です!

 群馬県最南端の温泉、野栗沢温泉(上野村)を見つけたのは、「アオバト」という南国の鳥でした。
 アオバトは東南アジアのごく限られた地域に分布する渡り鳥です。上野村には、昔から毎年5月~10月の半年間、やって来るといいます。
 では、何でこんな山奥にやって来るのでしょうか?

 実はこの鳥、海水を飲むことで知られている鳥で、上野村に湧く、海水に似た塩分の多い源泉を飲みにやって来るのです。
 その数、約3000羽!
 僕は以前、『すりばち荘』に泊まり、ご主人の黒沢武久さんに早朝5時に叩き起こされ、源泉の湧く岩場までアオバトを見に行ったことがあります。
 とにかく圧巻のひと言でした。泉のまわりが一面、鮮やかな黄緑色に染まるのです。それもハトですから、デカイんです。

 「野栗沢の人は、昔からこの鳥を捕まえて食べていた」と黒沢さんは言います。
 肉は滋養強壮にてきめん効果があり、産後の肥立ちの悪い婦人に食べさせたといいます。
 また、泉は“魔法の水”で、これを飲んで畑仕事をすると、不思議と疲れを知らないそうです。

 
 『すりばち荘』では飛来期中、パック料金にて宿泊客をアオバト観察に連れて行ってくれます。
 興味のある方は、ぜひ一度体験してみてください。
 絶対、感動します!(神秘的で、鳥肌が立ちますよ)
 
  


Posted by 小暮 淳 at 12:40Comments(0)温泉地・旅館