温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2010年08月31日

軽く生きる

 講演やセミナーを頼まれた場合、たいがいプロフィールを事前に提出します。
 当日、司会者が読み上げるためのものですが、チラシやパンフレットに刷り込まれる場合もあります。

 僕の場合、最近は著書の略歴をそのまま渡してしまうことが多いのですが、時々、先方から記入用紙が送られてくることがあります。
 略歴、活動内容、著書などの項目が書かれているのですが、まれに「好きな言葉」なんていう項目があったりします。ま、“座右の銘”というやつですね。
 そんなとき、僕は迷わず2つの言葉を書きます。


 1つは、 『元気がなくてもカラ元気』 。

 この言葉は、僕の人生の師でもあります木彫家で絵本作家、はたまた「GO!GO!温泉パラダイスの」の踊り振付師でもある野村たかあき先生から、20年以上前に出会ったときにいただいた言葉です。

 師いわく、「自分の体調や機嫌が悪いからといって、他人を不愉快にする権利は誰にもない。元気がなくても、人の前ではカラ元気でいろ」とのことです。
 まあ、長年仕事をしていると、プロ根性が身に付くのと同じで、“プロ”と名の付く人は、この状態をキープされていますよね。
 難しいのは、仕事以外のときです。仲間や身内の前でもできるようになると、なかなか大したものです。
 僕は良く、結婚式の色紙に、この言葉を書きます。


 もう1つは、『努力してでも軽く生きる』。

 これは、故・青島幸男氏の言葉です。
 とっても彼らしい言葉ですよね。

 僕は、事を難しく考える人が嫌いなのです。
 眉間にシワを寄せて、苦虫噛みつぶしている人、時々いますよね。
 自分だけ悩んで苦しんでいるみたいな人です。
 また、悩み苦しむことが偉いような雰囲気も好きになれません。

 人は誰でも、みんな悩み苦しんでいるのです。
 だったら、他人様には涼しい顔を見せて、おちゃらけて、エヘラエヘラして、なごんでもらいましょうよ!
 苦労なんて見せるものではありません。努力なんて人知れずするものです。

 「いいですね、好きなことだけしてて、悩みやストレスなんてないんでしょうね」
 なんて他人に言われたら、もうこっちのもの!
 努力してでも軽く生きた者勝ちです。

 ちなみに僕が好きな芸能人は、植木等さん、所ジョージさん、高田純次さんです。
 わかりやすいよ、ね~。
  


Posted by 小暮 淳 at 20:46Comments(0)つれづれ

2010年08月30日

山のつくりびと

 今日は、旧友のカメラマンを伴い、久しぶりに旧六合村の入山地区へ行って来ました。
 県から依頼されている雑誌の取材です。

 「野のや」の主人、山本幸人さんに初めてお会いしたのは、ちょうど3年前。お店をオープンして間もない頃でした。
 旧六合村役場の人に「うまい、そば屋ができたんですよ」と連れられて行ったのが、最初です。
 花敷温泉の手前、京塚温泉の入口に、手打ちそば処「野のや」はあります。

 その後、雑誌や本の取材で六合村を訪ねたときは、必ず「野のや」で昼食をとるようになりました。

 メニューはうどんとそばだけ。シンプルですが、ここには絶品の“黒まいたけの天ぷら”があります。
 大きくて肉厚でプリプリ、食べ応え充分! 県外からも、わざわざ、まいたけ目当てに食べに来るという名物であります。
 それもそのはず、もぎたてのまいたけなのです。

 山本さんの本業は、まいたけ農家。
 20年前から、独自の技法で栽培をしています。
 標高1,000メートルの高地で育てた「黒まいたけ」は、色と形と味と香りが格別。まさに“幻のきのこ”の風格を持っています。
 市場には一切出回らず、草津温泉の旅館とそば屋、そして「野のや」のみのために栽培されている希少なきのこなのです。

 今回、僕は山本さんを「野のや」の主人としてではなく、「六合まいたけ」の栽培農家として取材して来ました。

 植菌室、培養室、育成室と3つの棟からなる栽培工場を見学しながら、黒まいたけに賭ける情熱話を聞きました。
 菌を菌床に植菌してから出荷までの約70日間の全工程を、山本さんは、わかりやすく丁寧に話してくれました。

 最後に、「夢は何ですか?」と訊くと、ポツリとひと言。
 「ここで死ぬことかな」

 「まいたけに囲まれて死にたい」とも……。

 さすがに、この言葉には驚きました。
 植物ですよ、それも食材です。食べたら消えて無くなってしまうモノなのに、「我が子のように可愛い」だなんて!

 山本さん、参りました!
 その清原選手に似たゴツイ風貌、どこから見ても山男にしか見えない体格。なのに笑ったときのやさしいまなざし……。
 初めてお会いしたときから、タダ者ではないと思っておりました。


 まさに、あなたは群馬県認定の「山のつくりびと」です。


 ※「山のつくりびと」は、今秋発行される群馬県観光情報誌 『ググっと ぐんま』に掲載されます。
  


Posted by 小暮 淳 at 22:47Comments(0)執筆余談

2010年08月29日

温泉に入ってるだけ

 以前、ブログにも書きましたが、僕は今年、育成会長さんなのです。
 夏から秋にかけては、子ども会のイベントが、てんこ盛りです。「こりゃ、仕事なんてしている場合じゃないぞ!」と言って、本当に仕事を放り出したい気分です。
 完全に、今の僕の職業は「育成会長」です。名刺を持ったほうが、良さそうですね。

 今日も、朝から夜まで、2本のイベントのかけ持ちをしてきました。

 スマイルボウリングって知っていますか?
 前橋市で生まれた、屋内スポーツです。
 5人1組となって、ボウリングの10本のピンを全部倒すまで、1人ずつ投げる単純な競技なのですが、これがなかなか面白い。前橋市では、子どもからお年寄りまで、頻繁に行われています。

 先週、このスマイルボウリングの地区大会で、うちの町が優勝してしまつたのです。
 で、今日は朝から生涯学習センターの体育館で開催される前橋市大会に、子どもたちを引き連れて行って来ました。

 結果は、予選リーグ突破!
 ベスト16に残ったのですが、トーナメントの初戦で敗退してしまいました。

 でも、すぐさま子どもたちを連れて次の会場へ。
 某企業のお祭りイベント広場です。
 うちの町の子ども八木節が、夕方から出演するためです。

 八木節保存会の大人たちと、無事合流して、定時にステージへ立つことができました。


 「いやぁ~、小暮さん、良くやるね。みんな、感心してるんですよ」
 と、保存会の1人が言うと、
 「育成会長、適任だよ。来年もやってくれると、嬉しいんだけどな」
 と、もう1人。
 「カンベンしてくださいよ。だいぶ、仕事にシワ寄せがきてるんですから」
 と僕。

 すると別の1人が、
 「よく言うよ、小暮さんの仕事はさ、温泉に入ってればいいんじゃない」と……

 この言葉、最近、富に言われるんです。
 とても気になるのですが、できるだけ、エヘラエヘラ笑っているようにしています。

 でも、世の中に、そんな仕事ってあります?
 例えば、プロ野球選手は「野球やっているだけ」ですか? 陶芸家は「土をいじっているだけ」ですか? 競輪の選手は「自転車こいでるだけ」ですか?
 歌手は、歌を歌っていれば、それだけでいい仕事じゃありませんよね。

 でも、気持ちは分かるんです。
 そう言う人たちは、決まってサラリーマンですから。
 僕もサラリーマンをしていましたから、その“つらさ”は、よーく知っています。
 サラリーマンって、“○○だけ”やっている仕事じゃないんですよね。心中、察します。

 確かに○○だけやっている仕事って、楽しそうだし、ラクそうだし、好き勝手に生きているように見えるんですよね。
 僕も、そう思いましたもの。だからサラリーマン、辞めました。

 で、結果、そのとーりでした!

 好きなことに熱中できるし、やりたい事をやりたいだけやれるし、誰にも文句は言われないし、ストレスはたまらないし、何よりも楽しいんですよ。
 サラリーマンやっている時より、100倍は楽しいですね。

 だから「温泉に入っていればいいんじゃない」と言われれば、そのとおりなんですけど、たった1つだけサラリーマンより“つらい”ことがあるんですね。
 それは「いつまで温泉に入っていられるのか?」ということ。

 プロ野球選手も、競輪選手も、歌手も、陶芸家も同じだと思います。

 願わくば、ずーと○○だけの生活を続けていたいものです。
 そのために、人が見ていないところで、チョッピリだけ努力もしているんですけどね……
  


Posted by 小暮 淳 at 21:45Comments(2)つれづれ

2010年08月28日

奈女沢温泉 「釈迦の霊泉」

 「温泉教授」こと、札幌国際大学教授の松田忠徳氏は、よく「温泉力」という言葉を使います。
 氏の言う温泉力とは、ホンモノの温泉が持つ、薬理的効果や人間本来の自然治癒能力を高める力のことを呼ぶことが多いようです。

 僕は、よく「湯力(ゆぢから)」という言葉を使います。
 これは、もう単純に湯に入ったときの浴感のことです。
 湯の感触って、本当に千差万別、十湯十色なのです。

 今までに、さまざまな湯に出会ってきました。

 ガンガン、相撲のツッパリのように押してくる湯、マッチョ男に羽交い絞めされたみたいに強く抱きしめられる湯。と思えば、妖艶な婦人に誘惑されるがごとく、絹の衣のような肌触りの湯。またまた、クールなイケメン君のように涼しい湯など、どれをとっても2つと同じ湯はないくらい、個性豊かな温泉ばかりでした。

 「あっ、こんな湯は初めてだ!」
 そんな出会いも、いくつかあります。
 その1つ、「釈迦の霊泉」は、ウワサどおりの摩訶不思議な湯でした。


 上越線の上牧駅を過ぎると、右手に案内板とともに川沿いを入る細道があります。
 いきなり「釈迦の霊泉」と書かれたゲートをくぐるのですが、くぐった途端、「あ、これでもう戻れないんだ……」的な不安がよぎりました。さっきのゲートが、“あちら” と“こちら”の結界だったように思えてくるのです。

 「小暮さんは、奈女沢温泉へは行ったのですか?」
 温泉通の人から聞かれる質問です。
 温泉好きな人は、みんな存在は知っていますが、行ったことのある人は少ないようですね。

 なぜか?
 みんな、宿の前まで行って、引き返してしまうんです。
 かく言う僕も、以前、引き返したことがありました。

 “末期ガンが消えた”
 そんなコピーの看板が、余計、訪ねる者を不安にさせるのかもしれません。
 薬事法的に問題のあるコピーですが、世の中にはワラをもつかむ思いでやって来る人が実際、いるのです。

 でも、これこそが、“霊験あらたか”とされる温泉本来の使われ方ではないでしょうか。
 現代に生き残った「湯治場」の姿を見たような思いがしました。

 「俳優の○田○作さんも、奥さんに連れられて、2度ほどお見えになりましたよ」
 と、2代目泉主は話します。
 話を聞けば、湯を求めた有名人のなんと多いこと。

 「御神水の奇跡」と記されたつづりには、奇病や難病が治ったとのお礼の手紙がビッシリととじてありました。


 奈女沢温泉の歴史は古く、戦国時代には上杉氏の「隠し湯」として、兵士たちが傷を癒やしたも伝わります。
 すでに大正時代には湯屋があり、近在の人たちが湯治に利用していたようです。
 湯宿が建てられたのは、昭和32年のこと。
 先代が、お釈迦様のお告げを受けたことから、この地に「釈迦の霊泉」を開いたといいます。

 その湯は、無色透明の冷鉱泉。
 温められた湯につかると、すぐに不思議な感覚を体が覚えました。

 ピリッ、ピリピリッ……
 一瞬、肌を何かが刺したかと思うと、スーッと湯が体に入り込んで来ました。
 と同時に、強い浮力が体を持ち上げてきます。
 フワリ、フワリと勝手に両腕が湯舟の中を漂うのです。

 しばらくすると、湯も落ち着いたので、あつ湯とぬる湯を交互に楽しむことができましたが、最初の感覚はなんだったのでしょうか?

 あれは、湯のあいさつだったように思うのです。
 「初めての客だな、どれどれ、ちょっとおどかしてやろうかね」なんて。

 群馬県内には、まだまだたくさんの名湯、珍湯、怪湯、妖湯があります。
 少しずつ、このブログでも紹介していきたいと思います。
   


Posted by 小暮 淳 at 17:16Comments(0)温泉地・旅館

2010年08月27日

謎学の旅④ 「妖怪チャンコロリン」

 3年前から某紙に 『民話と伝説の舞台』 という紀行エッセイを連載しています。
 また、6年前から毎年、某協会の発行する 『群馬 伝説の風光』 という民話カレンダーの執筆をしています。

 いつ頃なのか、気が付いたら、民話や伝説を集めて旅することが多くなっていました。

 民話や伝説を分類すると、キツネやタヌキやムジナなどの「化かしモノ」、天狗やカッパや鬼などの「架空生物モノ」、そして湖の主や山の神などの「化身モノ」が多く、その他「悲恋モノ」「恩返しモノ」「親孝行モノ」などがあります。大きな男や怪力男が現れる「巨人モノ」なんていうのもありますね。

 でも、僕が興味を抱くモノは、荒唐無稽ながら、ちゃんと“舞台”が存在する民話や伝説です。
 「今も○○が残っている」なんて知ると、すぐに飛んで行ってしまいます。

 なかには、舞台だけではなく、主人公そのものが、今も残っている話というのがあります。
 「分福茶釜」なんか、その1つですが、妖怪でありながら、石にされて、そのまま墓石にされてしまった間抜けな妖怪の話をご存知ですか?


 今から200年ほど前のこと。
 中山道の宿場町で栄えた安中で、夜な夜な草木も眠る丑三つ時になると、「チャンコロリン、チャンコロリン」と音を立てて大きな石が街道を転がるため、人々は雨戸を閉ざし、恐ろしさに震えていました。
 旅人も気味悪がって、安中宿に泊まらなくなってしまったため、安中藩の侍が、刀や槍、弓矢、鉄砲で立ち向かったのですが、一向に効果はありませんでした。
 困り果てた町人たちは、大泉寺の和尚の法力にすがりました。
 和尚が転がる石に向かって法を唱えると、さしもの妖怪も寺の台座の上で動かなくなったといいます。

 その妖怪チャンコロリンが、今でも安中市の大泉寺に眠っています。
 しかも、チャンコロリンの墓なのに、チャンコロリン自体が墓石にされているのです(笑っちゃいます)。
 そして卒塔婆には、こんな文字が書かれていました。
 「南無阿弥陀佛為ちゃんころりん石追善」(やっぱり笑っちゃいます)

 24代目の住職いわく、
 「当時は浅間の噴火や天明の大飢饉(ききん)の起こったころ。宿場がさびれるなか、この話が生まれたのではないか」とのことでした。

 でも、石をよーく見ると、側面には鉄砲で撃たれたような穴が開いてます。
 また裏側には、刀で切りつけられたような痕(あと)が、確かにあるのです。

 妖怪チャンコロリンは、当時の人たちの願かけにより、人(石)身御供にされてしまったのかも、しれませんね。


 謎学の旅はつづく。
  


Posted by 小暮 淳 at 22:13Comments(2)謎学の旅

2010年08月26日

「GG」と呼んで

 そもそもブログは、プライベートなことを書く場なのでしょうが、あまりに私的過ぎると、マスターベーションのようでむなしくなります。
 増して、身内や家族ネタは、延々と見せられる結婚式のビデオや毎年送ってくる子どもの写真年賀状のようで、閉口してしまいますよね。

 分かっています。分かっていますが、今日だけは書かせてください。ご勘弁ください。


 本日、8月26日、午後4時48分。
 愚娘が、男児を出産しました!

 はい、ということで、晴れて僕は、おじいちゃんになりました~(とさ)

 今日は朝から超多忙を極めてまして、午前2本の会議と打ち合わせ、午後は2本の打ち合わせと合間に電話による取材が数本……。
 すっかり、娘が昨日入院したことも、家内が仕事を休んで病院に張り付いていることも忘れていました(ま、祖父なんて、そんなもんでしょう)。
 夕方、家内と娘の亭主から連絡が入ったときも、コンビニで膨大なコピーを取っていたくらいですから、ノンキなものです。

 まだ実感がわかないというのもありますが、やっぱり我が子の誕生とは、感覚が異なりますね。

 まず、緊張感がない!

 第一子の長女のときは、嬉しさを通り越して、「こりぁ、大変なことになったぞ」「しばらく、海外旅行は行けなくなるな」「俺も人の親になったんだ」「真面目に働こう」……なんて、かなり前向きに気負ってみたものです。

 長男のときも、多少緊張感は薄れたものの、「うわぁ~、養育費かかるぞ」とか「アパートじゃ、狭過ぎるな」とか「男の子には、働く父親の背中を見せてやらなくちゃならんな」とか、人生を構えたものです。

 次女のときは、もう、かなり気持ちはゆる~くなってましたが、それでも「かあちゃん、もう打ち止めにしような」「この子が成人するときは、俺はいったい何歳だ?」「ええい、1人も2人も3人も、同じじゃい。貧乏に変わりはないや」と、開き直ったものでした。

 でも、孫は違います。
 なんだか他人事のようです。子育ての責任がないからでしょうか?
 ただただ、心から娘夫婦に「おめでとう、良かったね」と、言えるのです。


 ところで問題は、僕のことを何と呼ばせるかです。
 「おじいちゃん」は、もう少し大きくなってからでしょうから、その前です。
 世の中には、格好つけて「グランパ」とか呼ばせる人がいるようですが、日本人ですから、それもヘンでしょう。

 この際、「ジジ」と呼ばせましょう。
 でも、音では「ジジ」ですが、表記は「GG」です。
 「GG」は、GOGOに似ています。はい、『GO!GO!温泉パラダイス』に通じますものね。


 なんだか、無駄な抵抗のようで、むなしくなってきました。

 今日のところは、素直に新しい生命の誕生を喜び祝いたいと思います。


 「めばえ、まさし君、おめでとう!」  GGより
 
  


Posted by 小暮 淳 at 21:19Comments(2)つれづれ

2010年08月25日

塩ノ沢温泉 「やまびこ荘」

 上野村には、4つの温泉があります。
 塩ノ沢温泉、向屋(こうや)温泉、野栗沢温泉、浜平温泉です。

 塩ノ沢、向屋、野栗沢は、すべて一軒宿の温泉地です。
 浜平も、かつては民宿がありましたが、今はありません。残った源泉を引いて、現在は「しおじの湯」という名の日帰り温泉施設に生まれ変わっています。


 昨日は、NHK文化センターの温泉講座日でした。
 8時、前橋駅発。8時30分、高崎駅発。
 定刻にバスは到着して、上野村の塩ノ沢温泉へ向かいました。

 受講者は、1名欠席の23名。このところ、皆さん、とても優秀な出席率です。
 年齢は、50代~70代と幅広い(?)のですが、回を重ねるごとに、仲良しさんも増え、かなり車内は和気あいあいで、笑い声が絶えません。
 今回は、来月出版される本の話や、10月からの追加講座の話をさせていただきました。
 生徒さんなのだから当然なのでしょうが、僕の本の購読率は100%です。いわば、お得意さんです。
 しっかり、宣伝をして、購買意欲をあおっておきました。

 午前中は、今はやりの「神流川発電所見学ツアー」に参加。
 地下500メートルの大空洞は、まるで秘密要塞のよう。未知との遭遇に、高齢者たちはグッタリのご様子。
 いえいえ、若手(参加者の中では)の僕でさえ、閉所恐怖症の身は、心中おだやかではありませんでしたよ。


 塩ノ沢温泉は奥多野の最奥の地。
 土地の人の話によれば、起源は不明ですが、昔より岩盤の裂け目から湯が湧いていたといいます。
 名前どおりの塩辛い湯です。

 塩化物泉(旧源泉名:食塩泉)は、別名「あたたまりの湯」とも呼ばれ、保温効果が高く、湯冷めしないのが特徴です。
 が、昨日は上野村も真夏日の暑さ。温まり過ぎて、受講生らは、全員グロッキー!
 大広間で、トドの昼寝が始まりました。

 おかげで英気を養って、帰りのバスの中は元気いっぱい。
 お約束の産地直売所では、みなさん大量の野菜を買い込んで、ご満悦のようすです。

 温泉を通じて、みんなが笑顔になってくれれば、それでいいのです。
 「温泉って楽しいな」「また温泉へ行きたいな」「群馬の温泉って最高!」
 そんな声が聞きたくて、僕は自称 “群馬の温泉大使” を買って出ているのです。


 <お知らせ>
 8月23日に一般募集となりましたNHK文化センターの温泉講座『探訪!ぐんまの源泉一軒宿』の追加講座は、おかげさまをもちまして即日、定員満席となりました。ありがとうございました。
 現在、キャンセル待ちの状態となっております。詳しいことは、センターへお問い合わせください。

 ・NHK文化センター前橋教室/tel.027-221-1211
   


Posted by 小暮 淳 at 13:42Comments(0)温泉地・旅館

2010年08月23日

温人

 僕は、Oさんのことを 「温人」 と呼んでいます。
 まさしく人生の恩人でもあるのですが、僕の温泉を世に出してくれた人だからです。

 そのOさんが職場を離れるというので、今日、最後のあいさつに行ってきました。


 Oさんとの出会いは、ちょうど10年前。2000年の秋のことでした。
 知り合いの印刷会社を通して、「新しい雑誌の編集長を探しいてる」との話があり、営業の彼は「小暮さんを推薦しておいたからさ」と、その会社名を告げました。

 後日、連絡があり、話を聞きに伺うと、Oさんが部長の肩書きで面接(?) の場に、同席していたのです。
 話はまとまり、翌年の春より、雑誌を創刊することになりました。
 その雑誌が、月刊「Deli-J」です。

 ところが3年経ったある日、僕は短気を起こして、突然、編集長の座を降りてしまいました。
 誰もが「大人気ない」と言いましたが、Oさんだけは違いました。
 「私が守ってあげるべきだった。大変、後悔している。申し訳なかった」と、涙まで浮かべてくださったのです。

 僕が編集室を去ったあとも、Oさんは時々、飲み会の席にこっそりと僕を呼んでくれました。
 元スタッフの送別会や結婚祝会などにも、すべて僕を招待してくれたのです。

 やがて僕は、別の雑誌(ライバル誌)の編集長になりました。
 それでもOさんは、僕との交流を止めません。スタッフからは「ライバル誌の編集長が、うちの編集室を出入りするのは、おかしいです!」と詰め寄られても、Oさんは「いいじゃないか、小暮さんは別だよ」と言い放ちました。

 そのライバル雑誌が、突然休刊となった日。
 Oさんから電話がありました。「今晩、呑み行かない?」と……

 「戻っては来ないよね?」
 「ええ」
 「……」
 「申し訳ありません。気までつかっていただいて」
 「じゃあ、連載してよ。小暮さんの得意なやつ、温泉とか」

 飲み屋で交わされた会話が、2ヶ月後には 『源泉巡礼記』 というタイトルのエッセイとして連載がスタートしました。

 人の縁とは不思議なものです。
 いやいや、Oさんという情の深い人物との出会いが、僕を育ててくれたのです。
 ただただ、感謝しております。

 定年退職後は、親族の仕事を手伝うとか。
 第2の人生に心よりエールを贈ります。


 フレー、フレー、大橋部長!

 大変お世話になりました。
 ありがとうございました。

    


Posted by 小暮 淳 at 18:37Comments(2)つれづれ

2010年08月22日

「前橋まつり」でGO!GO!

 昨年に続いて、今年も前橋市より「前橋まつり」への出演依頼がありました。

 誰がって? もちろん、我らが群馬の温泉バンド「じゅん&クァパラダイス」ですよ。
 「前橋まつり」のステージで、昨年同様に、歌と演奏、そして踊りを披露します。


 ここでちょっと、初のメンバー紹介を!

 作詞・作曲・ボーカルは、僕です。
 ギター、ギター講師の関口隆史さん。
 ベース、カメラマンの酒井寛くん(彼と僕は小学校1年生からの同級生です)。
 鉦(かね)、アートディレクターの桑原はじめ氏。
 和太鼓、デザイナーの栗原俊文くん。

 以上がバンドメンバーですが、『GO!GO!温泉パラダイス』と『焼きまんじゅうろう 旅すがた』の演奏には、「オンパラシスターズ」という、2人の女性が加わります。

 合いの手&コーラス&踊り担当は、イラストレーターの飯塚裕子さんと、フリーライターの吉井こゆみさんです。

 彼女たちは、『GO!GO!温泉パラダイス』の「踊り練習用DVD」にも出演している、踊りの先生でもあります。
 ちなみに、振付師は、かの絵本作家、野村たかあき先生であります。

 さらに当日は、「オンパラ踊り隊」が出演します。

 会場での飛び入りも結構ですが、ちゃんと流派にのっとって“正調オンパラ踊り”を踊りたい人は、祭り前に練習を兼ねた踊りの講習会を開きますので、興味のある人は参加してください(無料です)。
 日時、会場等は、当ブログにて発表します。


 さーて、秋だ! 祭りだ! オンパラだ~!

 みなさんも、群馬の温泉応援歌 『GO!GO!温泉パラダイス』 を覚えて、歌って、踊って、僕らと一緒にGO!GO!しましょう!
   


Posted by 小暮 淳 at 18:40Comments(0)ライブ・イベント

2010年08月21日

怪力男の子孫

 身の丈、約2メートル。
 16才のときに榛名神社参拝の帰り道で、襲ってきたクマを捕まえて、その手をねじ切って持ち帰った。
 夜の雉ケ尾(きじご)峠で、オオカミに襲われた婦人を救い、オオカミの口の中に手を入れて、上アゴから頭をちぎって持ち帰った。

 数々の怪力話が残る男の名は、柄沢利兵衛。
 元文2年(1737)~文化7年(1810)に実在した人物です。

 利兵衛が持ち帰ったという、オオカミの上アゴが今でも大切に保存されているというので、高崎市上里見町(旧榛名町)の子孫を訪ねて来ました。


 まず僕を出迎えてくれたのは、主人ではなく、門前に置かれた2つの大きな「なんご石」。“なんご”とは、このあたりの方言で、お手玉のことだといいます。
 利兵衛が、烏川原から軽々とお手玉のようにして持って帰ったといわれている大石です。

 「おお、これだ! 伝説の石は……」
 と、カメラマン氏と、いきなりはしゃいでしまいました。
 高さ60センチ、幅45センチ、厚さ25センチ、重さ150キロの大石ですよ。これ1つだって持ち上がらないのに、2つをお手玉にしたなんて、信じられませーん!? (ここが民話や伝説の面白いところです)

 これからお会いするのは、“鬼利兵衛”と呼ばれた怪力男の子孫ですよ。
 自ずと、緊張が走ります。
 やたらな事を聞いたら、「えぃっ!」と腕をねじ取られ、「それっー!」と首をねじ切られてしまうかもしれないのですから……。

 まず、子孫の母がお出迎え。
 母には利兵衛のDNAは入っていませんから、小柄できゃしゃな、やさしい感じの老婦人でした。
 和室に通され、いよいよ、息子さんで現主人が登場です。

 「お・ま・た・せ・し・ま・し・た」

 うっわわわわわわわわわーーーーーー!


 このあと、僕とカメラマン氏は、世にも不思議なモノをいくつも目にすることになります。
 つづきは、9月3日発行の「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄)に掲載される 『民話と伝説の舞台』 にて、顛末をお読みください。
 
 “事実は伝説より奇なり” ですぞ。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:59Comments(0)執筆余談

2010年08月20日

ゆるキャラの夏


 今年の猛暑は、凄まじいですね。
 僕も何度か、記憶が飛んでしまう瞬間がありました(ただのボケかも…)。
 でも、猛暑の中、動き回っているのは人間だけなんですってね。動物は、防衛本能で動かなくなります。確かに、動物園の動物も、我が家の愛犬マロ君も、涼しいところを探して、一日中、じっーとしていますもの。

 猛暑の受難は、こんなところにも!

 全国の“ゆるキャラ”たちは、この猛暑の中でも、イベントに引っ張りだこです。
 よい子の皆さんには申し訳ありませんが、あの着ぐるみの中には、アルバイトの学生さんとか、フリーターとか、人間が入っているんですよ(知ってるって!)
 でも、仕事は過酷です。炎天下の道路工事より、さらに重労働です。

 ちょっぴり詳しいことを言うと、ヒーロー・戦隊モノのスーツで外気より+5℃、動物・怪獣モノになると着ぐるみの中は+10℃以上になるんですよ。知ってましたか?
 気温35℃では、45℃以上になっているわけですから、こりゃ~、たまりません。だんだん、気が遠くなっていきます。

 えっ? なんで、そんなに詳しいのかって?
 はい、実は僕、今から30年以上も前ですが、子ども相手の着ぐるみ劇団に籍を置いていたことがあるんです。
 どちらかというと、円谷系のヒーロー&怪獣ショーがメインだったのですが、時には市町村や商店街にも呼ばれて、クマやパンダの着ぐるみを着て、風船を配ったこともあります。

 大きなイベントだと、「ピンポンパン」 のおねえさん(酒井さんでした) や子門真人さんなんかと、ステージを一緒にやったことがあります。子門さんは、とても気さくな人で、楽屋も一緒で和気あいあいと過ごしました。当時、流行っていた 「ホネホネロック」 のバックで踊りましたっけ。

 怪獣ショーは、マイクロバスに乗って、日本全国ドサ回りです。
 デパートの屋上やスーパーマーケットのオープンイベント、商店街のお祭りなどなど。たいがい午前1ステージ、午後1ステージですが、時には午後2ステージなんていうハードな日もありました。

 どうして、そんなツライ思いをしてでも続けていたのかと言うと、アルバイト代が良かったからです。
 朝、昼、夜の3食が支給されて、当時、1日5,000円もらえたのです。
 貧乏学生やフリーターには、破格のアルバイトだったのです。

 ウルトラマンやウルトラセブン、ウルトラマンタロウ、仮面ライダーといったヒーローモノは、バック転ができないと入れないので、ほとんど体育大の学生でした。僕みたいに身長がない人は、怪獣や動物、それと仮面ライダーのショッカー(これが全身タイツ姿で、とても恥ずかしかったー)。

 あと、火薬班もいました。
 ウルトラマンがスペシューム光線を放ったあと、スイッチを押して、花火を爆破させる係りです。

 実は、僕がいた劇団で、学生1人が焼死するという事故が起きてしまいました。
 「ウー」 という怪獣をご存知ですか? 雪山に現れる全身毛むくじゃらの雪男怪獣です。その毛むくじゃらに引火して、火だるまになってしまったのです。皮肉にも、お客さんたちは演出かと思って、拍手をしていたといいます。

 僕が劇団を去って、翌年のことでした。


 ところで 「ゆるキャラ」 と言えば、「焼きまんじゅうろう」君って知ってますか?
 僕のプライベートバンド、じゅん&クァパラダイスの 『GO!GO!温泉パラダイス』 に続く第2弾、『焼きまんじゅうろう 旅すがた』 のキャラクターです。イラストは、絵本作家の野村たかあきさんが描いてくださいました。

 実は、この 「焼きまんじゅうろう」君、すでに本に載っています。
 『日本全国ご当地キャラクター図鑑 2』(新紀元社、1,400円)の群馬県のページです。
 ぜひ、書店で見てやってくださいな。

    


Posted by 小暮 淳 at 19:09Comments(0)つれづれ

2010年08月19日

やっぱり群馬は温泉だ!

 出版や編集業界、または県の関係者と会うと、もっぱら “DC” の話になります。

 DCとは、「群馬デスティネーションキャンペーン(群馬DC)」のこと。来年、平成23年7月から9月の3ヶ月間展開する、群馬県内の市町村や観光関係者と全国のJR6社が一体となって全国から誘客を図ることを目的とした大型観光キャンペーンです。
 キャッチコピーは「心にググっと ぐんま」。タレントの中山秀ちゃんや井森美幸ちゃんも、観光ポスターに起用されています。

 群馬県が来年のDCに向けて、発行している群馬県の観光情報誌が 『ググっとぐんま』 です。
 僕は、春の創刊号と夏号の執筆を担当しました。
 今回、制作会社が替わったので、もう関係ないものと勝手に考えていたのですが、またもやお声がかかりました。秋・冬号でも、温泉を特集するとのことです。ありがたいことです。

 やっぱり群馬は、温泉なのですね!


 と、いうことで今日、群馬県観光国際協会へ打ち合わせに行って来ました。
 観光推進グループのMさんは、僕の長年の読者とのことで、温泉話で盛り上がりました。
 また専務理事のYさんは、以前、県の発行する雑誌でご一緒したことがあり、しかも僕が時々呼ばれる同業種交流会の「メディア懇親会」でも顔を合わせています。Yさんも大変温泉に詳しい人で、今日は田山花袋が大正時代に書いた紀行文『温泉めぐり』の話で、熱く群馬の温泉について語り合ってしまいました。

 ま、仕事としては、これ以上やりやすい環境はないくらいのセッティングです。微力ながら、喜んで、また執筆させていただきます。

 今回、僕が担当するのは、群馬のスキー場と温泉です。
 スキー場あるところ、必ず温泉があります。なかには、スキー場内に温泉があるところも、群馬では珍しくありません。

 あらためて、群馬県内のスキー場と温泉の資料を重ね合わせて見てみると、「群馬って、いいところだなぁ~」と、つくづく感じます。
 そう言えば、昔、東京へ出たころ、僕が群馬出身だと分かると、必ず「温泉があっていいですね」とか「群馬の人って、みんなスキーができるんでしょ?」と訊かれたものでした。
 それだけ、他県の人から見たら、群馬は“温泉”と“スキー”に恵まれた県だったのですね。

 群馬って、いいなぁ…

 来年のDCに向けて、仕事をしながら群馬の “いいなぁ” をたくさん見つけたいと思います。

  


Posted by 小暮 淳 at 22:59Comments(0)執筆余談

2010年08月18日

言葉のチカラ

 おかげさまをもちまして、9月17日発行の新刊本『群馬の小さな温泉』の全ページの最終チェックが、今週終了しました。

 いよいよ、印刷です!

 今月末には、色校(印刷所に出向き、刷り出しの色合い具合をチェックします)となり、色調整の後、本刷りとなります。
 発行日は17日に設定していますが、出版社および著者の元には、7日前後には本が届くはずです。書店へは、それからの配送となるので、店頭に並ぶのは9月末~10月の頭になると思います。

 最終のチェックとは、編集者の校正が入ったゲラ(印刷前のプリント)を著者自らが、それで良いかどうか、判断する作業です。
 これが、なかなか厳しいのです。相手は校正のプロ(編集者)ですから、結構、僕の誤字、脱字をビシバシと見つけ出して、赤字を入れてきます。こう見えて(そう見えるって?)、僕はそそっかしいものですから、文字の打ち間違えや、変換ミスなんてのが多々あるんですね。
 ですから、見つけてくだる方がいて、大変感謝しております。

 ところが一方で、やっかいなのが、出版が新聞社なので、新聞用語にのっとった漢字使用の赤チェックが入ること。
 以前にも、このブログで書いた送り仮名やルビの規定です。でも、これなどは、僕は“おまかせ”しています。
 問題は、表現にかかわる言葉です。

 これも以前書きましたが、動植物の表記はすべてカタカナという規定。
 新聞は、見やすさが基準ですから、カタカナで良いと思いますが、こちらはエッセイです。やはり、文章の雰囲気や情緒が欲しいところです。
 温泉の発見伝説には、頻繁に動物が登場します。この場合、シカやイノシシ、タカでは、どうも重みがありません。やはり「鹿」「猪」「鷹」と書きたいところです。

 情緒を伝える表現で、赤チェックをもらった漢字表記が他にもあります。
 例えば、「永い間」→「長い間」、人間以外と「出会う」→「出合う」、「充分」→「十分」と訂正されます。
 が、どうでしょう?
 文章で一番大切なことは、前後の文脈との兼ね合いで言葉を選ぶことです。

 守り継ぐ湯は「永い間」が、時間の重みが出ます。また、湯に出合うより「出会う」方が、擬人化されていて、より湯に親しみが感じられます。「十分」は、なんだか時間みたいです。僕は「充分」の方が満ち足りていて好きです。

 極めつけは、「灯り」→「明かり」です。
 これは、もう譲れません。
 温泉街に「灯り」がともるのですよ。「灯り」は、ともし火です。でも「明かり」では、光の明るさになってしまいますもの。

 と、言うわけで、適材適所で“言葉のチカラ”を使い分けてあげなくてはなりません。

 だから僕は、妥協できるところは素直に赤チェックに従いますが、譲れない言葉は“このままで良し!”と押し返しました。


 いずれにしても、もう泣いても笑っても、印刷所の機械は回り出しました。
 これからの数週間が、なんとも心もとない日々なのです。
 
  


Posted by 小暮 淳 at 21:27Comments(0)著書関連

2010年08月17日

法師温泉 「長寿館」

 相変わらず、法師温泉の人気は、根強いようであります。
 “一度は行ってみたい秘湯の宿”では、常にトップの座に君臨しています。

 当然、法師温泉へは、雑誌や本の取材、温泉講座などで何度も伺っているのですが、僕がいつもお会いするのは、6代目社長の岡村公興太郎さんの実弟で、常務の国男さんです。とても物腰が柔らかくて、上品な方で、実兄とともに弘法大師の発見以来、1200年もの間、受け継がれた温泉を守り続けています。

 社長の岡村興太郎さんは、群馬県温泉協会の会長もなさっているお人で、公私共に大変忙しいようで、僕が訪ねるときは、いつもいらっしゃらないのです。どんな方か、前々からとても気になっていたのと、一度ちゃんとご挨拶しなくてはと思っていました。
 でも、縁とは異なもです。僕がはじめて法師温泉主人の岡村興太郎さんにお会いしたのは、法師温泉ではなかったのです。


 平成20年2月5日(火)
 群馬県社会福祉総合センターの大ホールで、群馬県薬務課主催による「平成19年度 温泉アドバイザー フォローアップ研修会」が開催されました。

 温泉アドバイザーのフォローアップ研修会とは、温泉科学・温泉医学の分野の研修を受講した人を対象に、上級温泉アドバイザー認定試験を実施し、合格すると群馬県知事認定の「上級温泉アドバイザー」としての認定証が交付されるというもの。
 僕もこの制度は前々から知っていたので、資格を取ろうと前年、問い合わせたところ、すでに締め切られていたのです。

 ところが、人生とは、実に不思議なことが起きるものです。
 受講しようと思っていた「温泉アドバイザー フォローアップ研修会」の主催者である県の薬務課から、突然、講師の依頼が来たのです。
 まさに青天の霹靂(へきれき)です。ミイラ取りが、ミイラの作製者になってしまったのですから!

 当日、『守り継ぐ湯 語り継がれる宿』と題して、1時間半の講演を行ったのですが、その席に群馬県温泉協会の会長でもある、法師温泉主人の岡村興太郎さんがいらしていたのです。
 「いつもお噂はかねがね聞いております。今日はお話を大変楽しみにして来ました」と、講演前に挨拶をされて、僕の緊張はピークに達してしまいました。

 岡村さんだけでは、ありません。ホールに来場されている方々は、県内温泉関係のそうそうたる人たちです。受講者だって、県内の温泉旅館のご主人や若旦那、女将さんたちです。
 これから、釈迦に説法をしようとしているのですよ。まさに、顔から火が出るような恥ずかしさ。壇上では、まな板の上の鯉状態。清水の舞台から、まっ逆さまに転げ落ちて行きました。

 そんなこともあり、ステージ度胸は人一倍付いてしまい、その後の講演会では、まず緊張することはありません。
 あれ以上の緊張は、たぶん一生ないのではないでしょうか。

 そのきっかけとなった人が、岡村興太郎さんです。
 感謝しています。ありがとうございました。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:30Comments(0)温泉地・旅館

2010年08月16日

ヌエの鳴く夜に

 ヒィーーーーン、ヒィーーーーン

 不気味な怪音が、夏の夜に響き渡ります。

 ヌエ(鵺)が今年の夏も、やって来たのです。

 
 ヌエは、源頼政が射取ったという伝説上の怪獣。
 頭はサル、胴はタヌキ、尾はヘビ、手足はトラ……。

 頼政はある晩、怪獣のうなるような不気味な声の主をめがけて、一本の矢を射ったところ、見事に命中して怪獣は音をたてて、ドサッと地に落ちてきました。ところが、その姿は怪獣などではなく、鳥でした。夜に鳴く鳥なので、「鵺」と呼ばれるになったといいます。

 そして、その正体は……
 ツグミ類ヒタキ科の「トラツグミ」です。

 何年か前から我が家の近くの木に、やって来るようになりました。
 それにしても、鳥とは思えない金属音を発します。
 その昔、前橋の街中に現れて、連日、新聞紙上をにぎわせたことがありました。
 「UFOが来た」とか「何かのタタリだ」とか、そりぁ~大騒ぎ!

 結局、日本野鳥の会が登場して、謎を解明。一件落着となりました。

 そのトラツグミが、僕の家の2階の仕事場の前で、「ヒィーーーーン、ヒィーーーーン」と毎夜毎夜、大声を上げて騒いでいるのです。仕事の邪魔ったら、ありゃしない!

 お恥ずかしい話、訳あって、我が家は僕の仕事場だけエアコンが付いてないのです(息子の部屋にはあるのにね)。
 だから昼間は、リビングとか妻の部屋とか、エアコンのある部屋に避難して原稿を書いているのですが、夜は窓を全開にして仕事をしているのです。

 そして、今夜も……

 ヒィーーーーン  ヒィーーーーン  ヒィーーーーン


 ヌエの鳴く夜は恐ろしい。

  


Posted by 小暮 淳 at 22:06Comments(0)つれづれ

2010年08月15日

謎学の旅③ 「おばけ坂の白い家」

 お盆中なので、怪談話を1つ。

 「おばけ坂」って、知ってますか?
 ひと昔、いや、ふた昔前くらいに、テレビや雑誌などで全国的に有名になった「逆さ坂」のことです。
 上り坂に見えるけれど、実は下り坂。または、その逆。ほとんどの場合、目の錯覚による地形のいたずらだったりするのですが、僕は以前、恐ろしい体験をしました。

 僕が編集人を務める雑誌に、一通の読者ハガキが届きました。
 「富士見村(現・前橋市)の“おばけ坂”を調べてほしい」とのこと。

 でも少数精鋭の小さな編集室です。日々の仕事に追われてヒマなスタッフなんて、いません。
 「こんなハガキ、来てるけど? 誰か調査してみる?」と僕。
 すると、編集室最古参のお局様がすかさず、
 「一番ヒマなのは編集長です。興味があるなら、編集長が行って来てください!」と、ピシャリ。

 ということで、仕方なく、僕が出かけたわけです。

 通称・赤城県道から農免道路を西へ入り、大きな牛舎が見えたら右へ曲がる……。
 すると急に勾配のきつい上り坂が始まった。と思うと、今度は下り坂だ。
 途端、異変が起きた!

 前方は下り坂なのに、背中に強烈な重力を感じる。まるで後ろから、誰かに引っ張られているよう。
 ためしに、クルマを一旦停めて、ギアをニュートラルに入れてみた。
 すると、あらららら、クルマはバックして行くではありませんか!

 今度は、クルマから降りて、持参したゴムボールを道に置いてみた。
 やはり、コロコロと加速をつけて、坂道を上って行きます。

 と、その時です。
 急に、乗り物酔いに似た吐き気が、襲ってきました。
 「これは、やばい! 帰ろう」
 とクルマに乗り込もうとして、背筋がゾクッとしました。
 クルマを停めた行き止まりの道の先に、白い家があるのです。 真新しい、しょう洒な家です。

 なのに!

 窓ガラスという窓ガラスが、すべて割られていたのです。
 人の気配もありません。
 不思議に思い、近づいて家を覗き込もうとした瞬間、激しい頭痛が僕を襲いました。そして、同時に急な悪寒です。
 あわてて、クルマに乗り込んだことは、言うまでもありません。


 その晩、僕は高熱を出して寝込みました。

 後日、この出来事を雑誌に書いたところ、たくさんの読者からハガキや電話をいただきました。
 「場所を詳しく教えて欲しい」という内容がほとんどですが、なかにはこんなメッセージもありました。

 “あの白い家に近づいてはなりません”


 謎学の旅はつづく。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:15Comments(0)謎学の旅

2010年08月14日

干俣の諏訪神社

 昨晩、我が家の電話が鳴りました。
 ナンバーディスプレーの表示は、見知らぬ番号です。
 最近は、やたらと勧誘電話が多いので、怪しそうな番号の場合は、家族には出なくてよいと言ってあります。

 0273……

 高崎からのようです。
 仕事柄、高崎の方との付き合いは多いのですが、でもほとんどがケータイにかけてきます。また最近の僕の名刺には、自宅の電話番号は印刷されていません。
 「どうせ、何かの勧誘だろう」と思いながらも、受話器を取りました。

 「源泉の小暮さんでしょうか?」

 とても丁寧な口調で話す年配の男性の声。
 一瞬、“源泉の小暮”という表現に、言葉を返せませんでした。でも間違ってはいない。僕は小暮だし、源泉関係の仕事をしています。
 「は、はい。そーですが、何か?」

 僕の自宅電話を、どこでどう調べたのか、その男性は、僕の読者だと言いいます。そして、
 「干俣の諏訪神社ですが……」

 ここまで話して、合点がいきました。“源泉”とは、著書の『ぐんまの源泉一軒宿』のことではなく、月刊『Deli-J』に連載している『源泉巡礼記』のことだったのです。
 それも、1号前の7月号で取材した「奥嬬恋温泉」の記事の中で書いた、願いが叶う神社の話だったのです。

 「お酒とお米を持って、参拝されたと書かれていましたが、お酒は一升瓶がよろしいのでしょうか?」

 実は、これが話の本題だったのです。
 よっぱど何か切羽詰った願い事がおありなのでしょう。
 僕が記事の中で、“奇跡を起こすパワースポット”などと書いたから、ワラをもつかむ思いで、電話をかけてきたに違いありません。
 でも、僕は、ウソやでっち上げは一切書いていませんから、そのときの様子と参拝の仕方を話してあげました。

 「僕はワンカップでしたけど、気持ちですから、お酒の量はお好きでいいと思います」とも。


 年配の男性は、「ありがとうございました」を繰り返し、「これからも楽しい記事を書いてください」と丁寧に言葉を告げて、電話を切りました。

 わずか5分ほどの、見知らぬ人との会話でした。
 文章を書く仕事とは、実に不思議な仕事です。
 こちらは何気なく書いたことでも、読者にとっては人生を左右する重大な出来事に発展する可能性も秘めているんですね。


 ペンは剣より強し……

 強くなくてもいいんです。やさしく、誰かのお役に立てたなら、物書き冥利に尽きますもの。

   


Posted by 小暮 淳 at 11:07Comments(0)執筆余談

2010年08月13日

温泉と温泉地

 「日帰り温泉施設は取材をしないのですか?」
 よく、そう訊かれます。
 基本的には「YES」です。
 でも、仕事では行きませんが、遊びではたまーに行きますね。
 飲み会の前に汗を流しに寄る、銭湯代わりの利用です。

 なぜか?

 温泉と温泉地は異なるからです。僕は、温泉地に魅力を感じて、取材を続けています。
 人によって、温泉地の定義はさまざまですが、僕は“宿泊施設のある温泉”としています。
 識者のなかには、「日帰り温泉も温泉地に数えるべきだ」という人もいますが、僕のテーマが“湯と宿と人”なので、日帰り温泉施設は度外視しています。

 えっ? 日帰り温泉にだって“湯”はあるじゃないか、だって?

 はい、温泉のような“湯”はありますが、だいぶ加工されてしまっていますね。乳製品でいえば、生乳に対して「加工乳」の状態です。だから僕は、日帰り温泉のことを「温泉風入浴施設」と名づけています。よく機械で打っていても「手打ち風そば」ってあるじゃないですか! あれと同じです。

 でも、都市部にあること、銭湯の代役であること、温泉気分を味わえることを目的として誕生した施設ですから、それも仕方ないのです。1日に何百人、いや大きな施設では1,000~2,000人が芋を洗うのです。源泉の原型なんてありません。加水、加熱、殺菌、ろ過を1日中繰り返しているのですから……(中には換水せずに1週間繰り返しているところもあります)。

 ところで、群馬県内には、いくつ温泉地があるかご存知ですか?
 僕は「約90ヵ所」と答えています。
 正式(温泉地名の数)には、100を超えていると思いますが、現在宿泊施設がなかったり、大学やゴルフ場が所有しているケースもあるため、僕が数える「約90ヵ所」とは、“一般客が泊まれる宿が一軒以上ある”温泉地のことです。

 これに対して、県内の日帰り温泉施設は優に100施設を超えています。
 そして、それらのほとんどは平成以降に掘削された“新興温泉”です。

 温泉は限りある、地球の大切な地下資源です。
 もう、これ以上、地球に穴を開けなくてもいいんじゃないですかねぇ。 


 ※県内の温泉の総湧出量は、年々減少の一途をたどっています。 
   


Posted by 小暮 淳 at 14:19Comments(0)温泉雑話

2010年08月12日

竹ちゃんマンの逆襲

 海パンカメラマンことT君あらため、本名:竹沢佳紀こと、通称 “竹ちゃん”。
 僕が絶大なる信頼を寄せる、新進気鋭の若手カメラマンであります。

 その竹ちゃんが、やってくれました!
 野球で言えば、9回裏に飛び出した満塁逆転さよならホームランをかっ飛ばしてくれたんです。

 以前、当ブログでも紹介しましたが、来月17日に出版される拙著 『群馬の小さな温泉』(上毛新聞社)の表紙写真は、Y温泉の薄暮の町並みに決定していました。でも、これはディレクターがサンプルで撮影してきた写真の中から選んだものです。よって、すべてのデザインは出来上がっていますが、写真は仮データであり、ダミーの状態だったのです。

 本データの入稿リミットは、お盆前!
 竹ちゃんは、それまでにディレクターのサンプルどおりの写真を、確実に写さなくてはなりません。
 でも、竹ちゃんなら、絶対にやってくれる。そう信じて、撮影日を待ちました。

 ところが、竹ちゃんだって売れっ子カメラマンですから、なかなか時間が作れません。
 しかも指定は、灯ともし頃の夕暮れ時から日没までと制限されています。さらに鬼のディレクター氏からは、空に青空が残り、灯りがともるという微妙なシャッタータイムを指示されています。

 一昨日、取材の帰りにY温泉に竹ちゃんを連れて行き、ロケハンをして来ました。
 ディレクターが指示した場所を探し、ためしに三脚を立ててセッティングをしてみます。竹ちゃんは、丁寧に三脚の位置まで撮影して、入念にチェックを重ねて本番に備えました。

 「でも、俺、雨男なんですよ…」と不安げに、ぼそりと竹ちゃん。

 天気予報は “曇りのち雨”。ロケをした昼間は、天気予報がはずれて晴れていました。
 でも、もう時間がありません。この日の夜しか、竹ちゃんのスケジュールは空いていないのですから。


 そして、その夜 -------

竹ちゃんはふたたび、Y温泉へ向かいました。アシスタントに奥さんを連れて。
 しかし、竹ちゃんからディレクターに悲痛な電話が入りました。

 「雨です! それも、どしゃ降りです」

 彼の緊張は、ピークに達していたことでしょう。もう、後がないのです。
 でも、さすが名ディレクターのK氏です。気転を利かして、竹ちゃんにこう言いました。

 「キミの好きに撮って、いいよ」

 ピンチがチャンスに転じた瞬間でした。竹ちゃんの本領発揮です。
 感性のおもむくままにシャツターを切ったといいます。


 昨日、上毛新聞社の出版部にて、上がってきた写真を見ました。

 ジーンと目頭が熱くなって行くのがわかりました。
 雨が降ったおかげで、石畳が濡れて、街灯の明かりを映してきらめいているではありませんか。
 ほの明るい旅館の窓際には、浴衣を着た客人の姿が旅情たっぷりに写り込んでいます。

 竹ちゃん、やったね! 最高傑作だぜ!
 雨男の勝利だね。


 ぜひ、みなさん。書店で彼の会心のショットを見てあげてください。
   


Posted by 小暮 淳 at 10:46Comments(0)著書関連

2010年08月11日

歩こ~る里山

 今日は午前中、上毛新聞社にて、3回目の里山本出版会議が開かれました。

 出席者は出版部長のT氏と僕、そして連載元の「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄)より、編集&写真担当の吉田勝紀さんが出席。吉田さんが、“お盆前に全原稿入稿”という鬼のような時間制限にもかかわらず、本日、すべての連載原稿と写真データを用意してくださいました。
 吉田さ~ん、あんたはエライ! そして大変感謝しております。

 思えば、連載がスタートしたのは平成18年の12月……。

 その年の夏、訳あって、僕は雑誌を1つ、つぶしてしまいました。
 そんな僕を見かねてか、以前より知り合いだった吉田さんが声をかけてくれたのです。
 「私が担当になりますから、何か、小暮さんらしい連載を書きませんか?」と。

 吉田さんと僕の共通の趣味は、酒と山歩きです。
 「ふつうの登山ガイドは、つまらないね。酒を呑むための山歩きはどう?」「それプラス、温泉まで入ってしまう贅沢なハイキングエッセーはどうだ?」「そうなると、登山口までクルマでは行けないねぇ」「だったら、すべて公共交通機関を使ったら?」「おお、それなら、ずーっと酒が呑めるぞっ!」

 と、いうような会話がされて、連載が始まったのでした。

 あれから4年。まさに継続は力なりです。
 連載が、1冊の本になろうとしています。

 先週の金曜日に発行された「ちいきしんぶん」掲載の『ぶらり水紀行⑫』草津「嫗仙の滝」までの原稿が、すべて今日、入稿となりました。
 でも、やっと製作はスタートしたばかりです。これからが、長くツライ道のりです。
 本文デザイン、校正、表紙の装丁など、やることはテンコ盛りであります。

 何よりも、本のタイトルが決まっていません。
 今日は、3人であれこれとアイデアを出し合いましたが、なかなか焦点が絞り込めず、タイムアウト!

 「小暮さんらしく、“不良中年の里山歩き”は?」とか、「“ホロ酔い里山散歩”はどうだ?」とか、「“呑もう 歩こう”なんて、いいんじゃない?」とか……

 そこで僕が、「“歩こう 里山”って、フレーズいいね」
 すると、T氏がすかさず「小暮さんの場合、“歩こう”じゃなくて、“アルコール”でしょ!」
 大爆笑、となりました。

 ああ、いずれにしても、僕のイメージって、あまり良くないようですね。
 
   


Posted by 小暮 淳 at 20:48Comments(2)著書関連