2011年05月09日
備え本あれば患いなし
薬が、切れた。
明日からの出張が心配だ!
ということで、朝イチで医者へ行ってきました。
以前にも書いたことがありますが、僕は少々血圧が高めでありまして、何年か前から定期的に主治医のもとへ通っています。
連休明けということもあり、医院の待合室は満員御礼です。
「あちゃー、こりぁ、かなり待たされるなぁ。でも出直すのも面倒くさいし…。しまった!こんなことなら読みかけの小説を持ってくればよかった。参ったなぁ……」
と受付で思案していたのですが、
「そうだ!こんな時のために、確かクルマの中に文庫本が置いてあったはず」
と常備本の存在を思い出したのです。
ま、僕は世間で言う “活字中毒” っていう病も患っているんですね。
そのため、“何もしないで待つ” ということができません。
だから、いつもなら “待つ” ことが想定される場合は、必ず本を持って出かけます。
家族で外食するときも、当然、持参します(注文の料理が出て来るまで、間が持ちません)。
ありました、ありました。
後部座席のラックの中に、文庫本が!
それも、最後にいつ読んだのかも思い出せない本が……。
山口瞳・著 『温泉へ行こう』(新潮文庫)
温泉好きには有名な、直木賞作家の温泉旅エッセーです。
エッセーの中には、たびたび、「スバル君」という旅の同行者が出てきます。
実は、このスバル君は、月刊誌の編集者です。
当初は、山口先生の将棋対戦記の連載を担当していたのですが、3回目の対局が終わったときに「還暦近くになり、体力的にしんどいので連載を降ろして欲しい」とお願いされてしまいます。
で、スバル君。
「先生は糖尿病もあるし、高血圧だし、全国の温泉で湯治の旅をしていただこう」
と考えつき、始まった連載が、この 『温泉へ行こう』 なんだそうです。
スバル君には、こんなエピソードがあります。
『私は昂(たかし) という名前ですが、最初に名刺を出したときに “昴(すばる)” と先生が誤読されたことから、連載では「スバル君」として登場するようになりました』
(新潮社・石井昂さんの談 /『作家と温泉』河出書房新書より )
常備本のおかげで、40分の待ち時間を持て余すことなく、楽しく過ごすことができました。
僕は、このようにTPOに合わせて、本を読み替えるクセがあります。
カバンの中には文庫本(エッセー)、ベッドの枕元には文庫本(小説)、机の上には単行本(温泉や歴史、資料関係) と、手の届くところに “活字” が常備されています。
「備え本あれば患(うれ)いなし」 ですから。
2011年05月08日
自粛の自粛の影響
これは、どういうことなんでしょう?
本日の上毛新聞、読書欄の売り上げ 「週間ベスト10」(前橋・煥乎堂本店調べ) で、拙著の 『ぐんまの源泉一軒宿』 が、9位に返り咲いているんです!
で、2週間前にはランクインしていた 『群馬の小さな温泉』 と 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 は、ランキング落ちであります。
新旧、入れ替わりです。
なんとも不思議でなりません。
なぜ、ここにきて、1年半も前に出版した本が返り咲いたのでしょうか?
先日、某デザイン会社の社長さんと話していたときのことです。
「こういう時は、小暮さんの本が売れると思うよ。自粛(じしゅく)の自粛の影響ですよ」
と、謎めいたことを言い出しました。
“自粛の自粛” は、決して “自粛の解除” ではない。
“自粛を自粛する”んだから、“多少は自粛する” んだそうです。
よってレジャーも、大っぴらには、はしゃがないが、ちょっとは日常から離れて息抜きをしたい状態です。
誰もが「プチ自粛」の意識を持ちながらのレジャーとなります。
「だから小暮さんの本が、今の世相に合っているんですよ。里山と、ひなびた小さな温泉でしょう。癒やしも含めて、プチ自粛にピッタリのレジャーじゃないでか!」
と、分析してみせるのでした。
そういえば、連休前に訪ねた温泉地では……
「震災後に一旦はキャンセルになりましたが、個人客(夫婦・カップル・家族)は、駆け込みで戻ってきました。グループ客はキャンセルのまま、もしくは縮小して宴会は中止したいとの申し入れがありました」
とのこと。
なるほど。
派手な温泉旅行は自粛するけど、質素に心と体を癒やしに温泉へは行きたい、ということですね。
里山も同様。
“安・近・短” の原則に、当てはまりますな。
これは僕の着眼が、震災後の世相にピッタリと合ったということなんでしょうか?
なんとも複雑な思いで、今日の新聞紙面を眺めておりました。
2011年05月07日
負け惜しみの美学
「人生は、食えないくらいが、いいんですよね」
最近、知人に会うと、そう言われることが増えました。
みなさん、このブログを読んでくださっているんですね。
このブログで、たびたび出てくる友人の名言です。
“食えない” というハングリーな状態が、良い仕事をするという意味です。
人間、食えてしまうと、それで終わってしまうということなんですね。
で、僕のまわりには、こんな状態の人ばっかりが集まっています。
「プロK」こと、プロのクリエイティブ集団「プロジェクトK」の例会は、いつもいつも “ビンボウ自慢” のオンパレードです。
いかに、貧乏が素晴らしいか!
いかに、金がないほうが、金持ちより偉いか!
そんなことを根拠もなく、自慢しているのです。
いわば、負け惜しみです。
でも以前、こんなことがありました。
かれこれ、10年くらい前だったと思います。
今はもうない、地元のミニコミ誌で、対談をしたことがありました。
お相手は、絵本作家の野村たかあきさんです。
対談のテーマは、「貧乏力」。
貧乏力を身に付けて、たくましく生きよう!
フリーで生きるっていうことは、露地栽培の野菜と同じよ。
ビニールハウス育ちの野菜とは、味が違うんじゃい!
み・た・い・な、見方によっては、世の中を斜めから見て、真面目に働いている人たちを小バカにしているような内容の対談だったのですよ。
ちょっと、おふざけのノリも入っていたと思います。
と、と、ところがーーーーーー!!!!!!
世間というのは、面白いものです。
誰が読んでいるか、分かったもんじゃありません。
突然、発行元へラジオ局から電話がありました。
それも、天下の文化放送であります。
「貧乏力、面白いですね。放送で、紹介させていただきます」
な、な、なんですとーーーー!!!!!
しかも番組のパーソナリティーは、あの野村邦丸であります。
もちろん、当日はラジオの前で、正座して聞きましたよ。
「この小暮さんという方、娘さんに紙粘土を買ってやるお金がないからって、紙粘土を作ってやったんですって。紙粘土で何かを作ってきなさいという宿題だったのに、紙粘土そのものを作っていっちゃった! 恐るべし、貧乏力ですね」
と邦丸さん。
さらに……
「俺たちは、『金がないんじゃなくて、金はないんだ』 ですって! 分かりますか? 金 “が” じゃくて、金 “は” ないんですよ。 “が” と “は” の違いなんですけどね。素晴らしい! 金 “は” ないけど、他のモノはあるんですよ。これは意味が深いですね」
とかなんとか、対談の中のエピソードを交えて、延々と語ってくださいました。
ついには、貧乏が「美学」になってしまったんです。
あれから10年……
いまだに、“負け惜しみの美学” は健在です。
2011年05月06日
言の葉のゆくえ
先日、某編集室へ立ち寄ったときのこと。
「町には、音と匂いがあるんですよね。取材の際には、探すようにしているんですけど、なかなか見つけられないんですよ」
と、編集者の女性から話しかけられました。
「えっ?」
と一瞬、何のことだか訳が分からなかった僕。
「ご自分の本に、書かれているじゃないですか?」
と、机の引き出しから 僕の処女エッセー 『上毛カルテ』(上毛新聞社)を取り出しました。
「書写っていうんですか、小暮さんの文章を写して勉強しているんですけど……。文章って難しいですね」
僕の文章は、書写されるようなものではないけれど、その中でも、琴線に触れる言葉が彼女にあったことが嬉しいじゃありませんか!
“本来、人間は生活の中では「音」と「匂い」を発するものなのだ。同時に、それは人と人が触れ合うために生じる生活雑臭音だといえる。(中略) 人が人と触れ合うことを必要としない「まち」は、もう「町」や「街」とは呼べないだろう” (『上毛カルテ』「いつか見ていた風景」より)
たぶん、このくだりのことを言ったのだろう。
編集者として、町の音と匂いを探しているなんて、きっと彼女は、いい文章を書きますよ。
そういえば以前、飲み会の席で年配(60代後半)の男性から、こんなことを言われたことがありました。
「あなたの本を読んで、感動したなぁ…。“小雨” じゃなくて、“小さい雨”って表現していたでしょう?」
この時は、驚きました。
10年も前に書いた本なのに、なぜか僕も、そのフレーズは覚えていたのです。
シチュエーションが、強烈な場面でしたからね。
それは、女子少年院の潜入ルポでした。
“建物の外へ出ると、小さな雨が降っていた。(中略) わけも分からず熱い思いが目頭へと込み上げてきた。なぜだろう? 自問をしていると、少女たちの姿が次から次へと浮かんできた”(『上毛カルテ』「不透明な世代」より)
「読んでいて“小さな雨”が見えたからね。確かに、小雨じゃなかったよ(笑)」
そう言ってくれたIさんは、ことあるごとに、他人に僕の本をすすめてくれています。
嬉しいですね。
こんなとき、「ああ、物書きになって良かった」と実感するものです。
こんなこともありました。
居酒屋のママが、カウンター越しに突然、
「小暮さんの文章、この間、パクっちゃった。ごめんなさいね。“心象風景”っていう言葉、使いたかったのよ」
と言いました。
なんでも、息子さんの学校のPTA会報に寄稿することになり、僕の本の中から文章を引用したというのです。
“本書が、群馬で暮らす人、群馬を愛する人たちの心象風景に少しでもなりえたならば、著者としてこれ以上の喜びはないだろう”(『上毛カルテ』「あとがき」より)
「いやいや、謝ることなんて、ありませんよ。むしろ光栄です。これからもジャンジャン、パクってください」
と僕は、上機嫌になっていました。
だって、「これ、盗作したお詫びよ」って、生ビールをごちそうになってしまったのですから!
話し言葉は、消えて行きます。
でも、紙に印刷された言葉は、何年、何十年と残るんですね。
1つでも多く、いいモノを書いて残したい。
言の葉のゆくえを追いながら、そう強く思いました。
「町には、音と匂いがあるんですよね。取材の際には、探すようにしているんですけど、なかなか見つけられないんですよ」
と、編集者の女性から話しかけられました。
「えっ?」
と一瞬、何のことだか訳が分からなかった僕。
「ご自分の本に、書かれているじゃないですか?」
と、机の引き出しから 僕の処女エッセー 『上毛カルテ』(上毛新聞社)を取り出しました。
「書写っていうんですか、小暮さんの文章を写して勉強しているんですけど……。文章って難しいですね」
僕の文章は、書写されるようなものではないけれど、その中でも、琴線に触れる言葉が彼女にあったことが嬉しいじゃありませんか!
“本来、人間は生活の中では「音」と「匂い」を発するものなのだ。同時に、それは人と人が触れ合うために生じる生活雑臭音だといえる。(中略) 人が人と触れ合うことを必要としない「まち」は、もう「町」や「街」とは呼べないだろう” (『上毛カルテ』「いつか見ていた風景」より)
たぶん、このくだりのことを言ったのだろう。
編集者として、町の音と匂いを探しているなんて、きっと彼女は、いい文章を書きますよ。
そういえば以前、飲み会の席で年配(60代後半)の男性から、こんなことを言われたことがありました。
「あなたの本を読んで、感動したなぁ…。“小雨” じゃなくて、“小さい雨”って表現していたでしょう?」
この時は、驚きました。
10年も前に書いた本なのに、なぜか僕も、そのフレーズは覚えていたのです。
シチュエーションが、強烈な場面でしたからね。
それは、女子少年院の潜入ルポでした。
“建物の外へ出ると、小さな雨が降っていた。(中略) わけも分からず熱い思いが目頭へと込み上げてきた。なぜだろう? 自問をしていると、少女たちの姿が次から次へと浮かんできた”(『上毛カルテ』「不透明な世代」より)
「読んでいて“小さな雨”が見えたからね。確かに、小雨じゃなかったよ(笑)」
そう言ってくれたIさんは、ことあるごとに、他人に僕の本をすすめてくれています。
嬉しいですね。
こんなとき、「ああ、物書きになって良かった」と実感するものです。
こんなこともありました。
居酒屋のママが、カウンター越しに突然、
「小暮さんの文章、この間、パクっちゃった。ごめんなさいね。“心象風景”っていう言葉、使いたかったのよ」
と言いました。
なんでも、息子さんの学校のPTA会報に寄稿することになり、僕の本の中から文章を引用したというのです。
“本書が、群馬で暮らす人、群馬を愛する人たちの心象風景に少しでもなりえたならば、著者としてこれ以上の喜びはないだろう”(『上毛カルテ』「あとがき」より)
「いやいや、謝ることなんて、ありませんよ。むしろ光栄です。これからもジャンジャン、パクってください」
と僕は、上機嫌になっていました。
だって、「これ、盗作したお詫びよ」って、生ビールをごちそうになってしまったのですから!
話し言葉は、消えて行きます。
でも、紙に印刷された言葉は、何年、何十年と残るんですね。
1つでも多く、いいモノを書いて残したい。
言の葉のゆくえを追いながら、そう強く思いました。
2011年05月05日
逆引き辞典の活用法
職業柄、「辞書」は仕事の必須アイテムです。
たぶん、一般の人よりは多く所有していると思うんですよ。
なかには、「これ、どういう時に使うの?」という不思議な辞典もあります。
まず、机の上に常備されている「国語辞典」「漢和辞典」「広辞苑」「用字用語辞典」「英和辞典」「和英辞典」。
これらは、学生さんなら普通に持っていますよね。
僕の場合、それらの並びに「ことわざ辞典」「四字熟語辞典」「反対語辞典」「類語辞典」「漢字使い分け辞典」「季語辞典」が並んでいます。
「反対語辞典」は、真逆の言葉を探すときに使います。
「漢字使い分け辞典」は、間違えやすい漢字を選ぶときに使います。
たとえば、「追求・追及・追究」の違いや「収・納・修・治」の使い分けを知るのに大変役立つ辞書です。
「類語辞典」は、同じような意味を持つ、他の言葉を探すときに使います。
たとえば「温泉」という言葉を引くと、「出湯・霊泉・冷泉・鉱泉・間欠泉……」など関連した言葉がズラ~リと出てきます。
これも大変便利な辞書です。
少しマニアックなところでは「モノの名前辞典」なんてのもあります。
日用品や文房具品などのモノの名前から、モノの部分の名前まで、業界やメーカーしか知られていないモノの名前を調べることができます。
たとえば、トイレが詰まったときに、柄の先にゴムの吸盤が付いた棒を便器に突っ込んでバコバコするやつ?
正式名は、「通水カップ」または「ラバーカップ」といいます。
これを知ったときは、ちょっと賢くなったようで、嬉しくなっちゃいました。
「シマダス(日本の島ガイド)」は、完全なる僕の趣味です。
日本国内には約6800島の有人・無人島があるらしいのですが、この本には1,100島が紹介されています。
テレビの旅番組など見ているとき、すぐに何県のどんな島かが分かるので重宝しています。
机の上に置けないので、横の本棚に並んでいる大きな辞典があります。
「成語林」は、故事・ことわざ・慣用句を調べます。
「群馬新百科事典」は、僕も編集に携わった事典なので置いてあります。が、これが優れもの!
群馬で仕事をする人には、力になる1冊です。
その他、人物事典や一般の百科事典、昭和の出来事だけ集めた昭和事典などあります。
で最後に、僕がお気に入りの辞書を紹介します。
他人に話すと、必ず「どんな時に使うの?」と訊かれる珍しい辞書です。
その名は、「逆引き広辞苑」!
タイトルのまま、言葉をお尻から引くんです。
たとえば「温泉」は、「んせんお」と引きます。
そうすると、「温泉」という言葉が出てきて、その上に続く言葉の例がズラ~リと並びます。
○○温泉、××温泉、□□温泉……とね。
一般の人には、あまり必要のない辞書ですが、実は僕は、これがないと仕事にならないのです。
もうかれこれ10年以上になりますが、某情報紙で毎週、熟語パズルの連載をしています。
特に四字熟語の問題を作るときに活用します。
下から引くわけですから、そのモノの種類を知ることができるんです。
「電車(ゃしんで)」と引けば、電車の種類。「旅行(うこょり)」と引けば、旅行の種類を知ることができます。
かなりの優れものだと思いませんか?
て、いうか、この辞書を考えた人は、天才だと思うのです。
たぶん、一般の人よりは多く所有していると思うんですよ。
なかには、「これ、どういう時に使うの?」という不思議な辞典もあります。
まず、机の上に常備されている「国語辞典」「漢和辞典」「広辞苑」「用字用語辞典」「英和辞典」「和英辞典」。
これらは、学生さんなら普通に持っていますよね。
僕の場合、それらの並びに「ことわざ辞典」「四字熟語辞典」「反対語辞典」「類語辞典」「漢字使い分け辞典」「季語辞典」が並んでいます。
「反対語辞典」は、真逆の言葉を探すときに使います。
「漢字使い分け辞典」は、間違えやすい漢字を選ぶときに使います。
たとえば、「追求・追及・追究」の違いや「収・納・修・治」の使い分けを知るのに大変役立つ辞書です。
「類語辞典」は、同じような意味を持つ、他の言葉を探すときに使います。
たとえば「温泉」という言葉を引くと、「出湯・霊泉・冷泉・鉱泉・間欠泉……」など関連した言葉がズラ~リと出てきます。
これも大変便利な辞書です。
少しマニアックなところでは「モノの名前辞典」なんてのもあります。
日用品や文房具品などのモノの名前から、モノの部分の名前まで、業界やメーカーしか知られていないモノの名前を調べることができます。
たとえば、トイレが詰まったときに、柄の先にゴムの吸盤が付いた棒を便器に突っ込んでバコバコするやつ?
正式名は、「通水カップ」または「ラバーカップ」といいます。
これを知ったときは、ちょっと賢くなったようで、嬉しくなっちゃいました。
「シマダス(日本の島ガイド)」は、完全なる僕の趣味です。
日本国内には約6800島の有人・無人島があるらしいのですが、この本には1,100島が紹介されています。
テレビの旅番組など見ているとき、すぐに何県のどんな島かが分かるので重宝しています。
机の上に置けないので、横の本棚に並んでいる大きな辞典があります。
「成語林」は、故事・ことわざ・慣用句を調べます。
「群馬新百科事典」は、僕も編集に携わった事典なので置いてあります。が、これが優れもの!
群馬で仕事をする人には、力になる1冊です。
その他、人物事典や一般の百科事典、昭和の出来事だけ集めた昭和事典などあります。
で最後に、僕がお気に入りの辞書を紹介します。
他人に話すと、必ず「どんな時に使うの?」と訊かれる珍しい辞書です。
その名は、「逆引き広辞苑」!
タイトルのまま、言葉をお尻から引くんです。
たとえば「温泉」は、「んせんお」と引きます。
そうすると、「温泉」という言葉が出てきて、その上に続く言葉の例がズラ~リと並びます。
○○温泉、××温泉、□□温泉……とね。
一般の人には、あまり必要のない辞書ですが、実は僕は、これがないと仕事にならないのです。
もうかれこれ10年以上になりますが、某情報紙で毎週、熟語パズルの連載をしています。
特に四字熟語の問題を作るときに活用します。
下から引くわけですから、そのモノの種類を知ることができるんです。
「電車(ゃしんで)」と引けば、電車の種類。「旅行(うこょり)」と引けば、旅行の種類を知ることができます。
かなりの優れものだと思いませんか?
て、いうか、この辞書を考えた人は、天才だと思うのです。
2011年05月04日
いで湯伝説④ 「鳩」
「鳩(はと)に三枝(さんし)の礼あり
烏(からす)に反哺(はんぽ)の孝(こう)あり」
ハトは親鳥より3本下の枝に止まり、カラスは親鳥が歳をとるとエサを口に含ませるという。
東吾妻町にある浅間隠(あさまかくし)温泉郷の一軒宿、鳩ノ湯温泉「三鳩楼(さんきゅうろう)」の宿名は、この礼儀と孝行を重んじる教え「三枝の礼」に由来します。
その昔、傷ついたハトが、自然に湧き出る湯に浸かって傷を癒やしていたのを村人が見て、温泉の効能を知り、この地を「鳩ノ湯」と名づけたと伝わります。
浅間隠温泉郷には、温川(ぬるがわ)に沿って、一軒宿ばかり「鳩ノ湯」「薬師」「温川」の3つの温泉地があります。
開湯は、どれも古く、江戸時代は温川の右岸にある「薬師」と「鳩ノ湯」は一体で、「上の湯」「下の湯」と呼ばれていたといいます。
僕は、鳩ノ湯温泉の湯を「万華鏡の湯」と名付けました。
俗に言う、“変わり湯” です。
最初に泊まった晩、浴槽の湯の色は茶褐色をしていましたが、翌朝、行ってみると鮮やかなカーキ色に変わっていました。
ご主人によれば、白くなったり、黄色くなったら、青くなったり、季節や天候によって毎日色が変わるとのこと。
まれに無色透明になることもあるそうです。
ハトが見つけた温泉は、群馬県内には、まだあります。
群馬県最南端の温泉、上野村の野栗沢(のぐりざわ)温泉です。
ただ、こちらは伝説ではありません。
昔からこの地は、東南アジアの極限られた地域に分布するアオバトという海水を飲むことで知られる渡り鳥が、飛来することで知られていました。
なぜ、こんな山奥の秘境の地へ南国の鳥が?
アオバトの目当ては、塩分を含む泉だったのです。
野栗沢の人たちは昔から、この鳥を捕まえて食べていました。
病人や産後の肥立ちの悪い婦人に食べさせると、快復が早いのだそうです。
また泉の水を飲みながら農作業をすると、不思議と疲れないことから “魔法の水” として珍重されていました。
昭和58年、「すりばち荘」のご主人が、自ら泉の水をパイプで引いてきて、旅館を開業しました。
緑色の鮮やかな羽を持つアオバトも珍しいのですが、この温泉水も皮膚病に効果があることで一時、マスコミで話題になったことがありました。現在、同荘では、温泉水で作った石けんを販売しています。
また、「アオバト観察パック」があり、飛来期(5月~10月)には、ご主人が早朝、宿泊客をアオバトが集まる泉源地まで車で送迎してくれます。
これは、一見の価値が大あり!ですぞ。
目の前の泉を、何百羽という南国の青い鳥が覆いつくす光景には、鳥肌が立つほどの感動を覚えますよ。
2011年05月03日
古本屋ゲーム
ライターという職業柄、“読書” は必須作業です。
ま、“本を読む”というよりは、“資料に目を通す”と言ったほうが適切かもしれません。
参考文献です。
時には、膨大な量の資料(市町村史、温泉史、自叙伝、図鑑や事典など)を一日中読んで過ごすこともあります。
専門書ばかり読んでいると、やはり生き抜きに小説やエッセーが読みたくなります。
でも僕は、あまりお気に入りの作家っていう人がいません(若い時はいましたが)。
ベストセラー本や話題本も、ときには読みますが、小説は読み捨てになるので、安くて面白ければ、何でもいいんです。
と、いうことで、僕は「古本屋ゲーム」をして楽しんでいます。
①古本屋に入ったら、必ず1冊文庫本を買う。
②知っている作家、有名な賞の受賞作は除く。
以上がルールです。
要は、初めて出会う作家で、自分の感性に合いそうな小説を買って帰ります。
(エッセーでも良いのですが、エッセーは著名でないと、なかなか出版されていません)
ま、新人タレントを発掘するスカウトマンみたいな気分で、衝動買いするのです。
無名(僕にとっては)ですから、読んでみて、面白くなくても文句はありません。
実際、数ページ読んで、投げ出してしまう本もたくさんあります。
でも、ことのほか面白ければ、これは儲けもんです。
「スカウトマンとしての腕をあげたな」と、自分をほめてあげます。
最近読んだ本で、思わぬ儲けもんをしました。
中村航(なかむら・こう)著 『夏休み』 (河出文庫) です。
なぜか僕は、タイトルに “夏” が付くと、買ってしまうクセがあるんですね。
「夏の庭」とか「向日葵の咲かない夏」とか「夏と花火と私の死体」とか……
で、『夏休み』 のどこが儲けもんだったのかというと、草津温泉が舞台として登場するんです。
主人公のマモルが義理の友達の吉田くんと、ひと夏の不思議な旅に出かけます。
この “義理” という表現に、まず惹かれました。
2人の奥さん同士が、友達なんですね。だから2人は、義理の友達同士なんです。
このなんとも不安定な人間関係が面白いんです。
で、不思議な旅のたどり着いた先が、なぜか草津温泉。
2人は、真夜中に旅館を抜け出して「西の河原」へ出かけます。
行ったことのある人なら、ご存知でしょうが、そこかしこから湯煙が上がり、源泉が噴き出し、池のように溜まり、川となって流れているところです。
「鬼の茶釜」なんていう熱湯池もあり、最近、落ちてヤケドをした観光客がいました。
夜中に行くなんて、とても危険な場所です。
で、大胆不敵にも2人は、「ひとっ風呂浴びよう」と、素っ裸になって、湯溜まりに入ってしまいます。
いつしか義理の友達が、真の友達へと友情を深めていく話です。
知らずに読んでいて、群馬の温泉に出合うと嬉しいものです。
「古本屋ゲーム」で面白い本に当たる確率は、2割くらいでしょうか。
それでも明日、晴れていたら、我が家から一番近い古本屋まで、散歩がてら歩いて行ってこようかと思います。
2011年05月02日
ちいきしんぶん 「クルーの集い」
今月14日に、ちいきしんぶん(ライフケア群栄)主催による「クルーの集い」が開催されます。
クルーとは、情報紙「ちいきしんぶん」を配布するスタッフのことです。
現在、約330人のクルーさんたちが、発行部数10万部の「ちいきしんぶん」および「不動産情報」(リードプランニング)、「月刊 パリッシュ」(パリッシュ出版) 、その他チラシを旧高崎市内と隣接地域(吉井町・玉村町) に配布しています。
このたび、「ちいきしんぶん」が創刊25周年記念を迎えたことを記念して、日頃、「ちいきしんぶん」を配布していただいているクルーさんたちを一堂に会して、懇親と慰労を兼ねた「クルーの集い」が開催されることになりました。
僕も長年、エッセーの連載等でお世話になっている情報紙です。
何かお役に立てればと、常日頃から思っていたのです。
が、やっと恩返しができるチャンスが来ました。
当日、クルーさんたちの前で、講演をすることになりました。
もちろん、テーマは “温泉” です。
いつもいつも、雨の日も風の日も、東奔西走しながら、僕の記事を1軒1軒のお宅へ届けてくださっているクルーさんたちに、体も心も元気になれる、とっておきの温泉話をしたいと思います。
クルーさんは、ほとんどの方が女性のようですから、美肌効果のある美人の湯なんかも紹介しましょうかね。
講演には、「GO!GO!温泉パラダイス」の踊り子、オンパラシスターズも駆けつけてくれ、友情出演してくれることになっています。
と、いうことは……
もちろん、講演のエンディングは “オンパラ” の大合唱&大舞踊大会となります。
クルーのみなさん!
当日は、お誘いあわせのうえ、大勢の参加をお待ちしております。
みんなで、「GO!GO!」しましょうね!
記
●開催内容 ちいきしんぶん 「クルーの集い」
●開催日時 平成23年5月14日(土)
午前10時~12時
(受付9時30分~)
●温泉講話 午前11時10分~
講演:小暮 淳
●会 場 高崎市総合福祉センター
「たまごホール」
高崎市末広町115-1(ウニクス高崎近く)
2011年05月01日
花ざかりの散歩道
ここ数年は、“無趣味” が趣味になってしまいました。
僕の人生、趣味を持つと、仕事になってしまう確率が高いため、あえて好きなことを始めても “趣味” と公言しないことにしています。
さすがに履歴書は書く機会がなくなりましたが、それでも、何かのアンケートには「趣味」の欄があったりします。
ここに、なんと記入するか? これが悩みのタネなんですね。
若い頃は、「読書」と記入していました。
でも、大人になって、本を読むことは仕事になってしまいました。
「温泉めぐり」なんて書いていた時期もあったんですけどね。
これも仕事にしてしまいました。
取って置きの趣味が、子供の頃から長年続けていた「登山」だったんです。
なのに、そっと趣味のままにしておけば良かったのに、今年、本にしてしまいましたから……。
(まさか、仕事で山に登ることになるとは思いませんでした)
たった1つだけ、まだ仕事にしていない趣味があるんです。
それは、散歩!
“意地でも仕事にするもんか” と、僕が守り続けている聖域であります。
昔から、散歩の達人に憧れていたんです。
だから赤瀬川原平さんや南伸坊さんなんかを崇拝していたりもしました。
今現在、散歩に関する仕事の依頼はないので、のびのびと日々、街歩きを楽しんでいます。
1年のうちでも、今の時期の散歩が一番楽しい!
どこを歩いても、花ざかりなんです。
我が家は、とっても散歩に適した地域にあります。
住宅街があり、田畑があり、河川や小川が流れています。
長時間の散歩でも飽きない、このレイアウトが気に入って、ここに土地を購入したくらいですから。
ヤマブキ、ハナミズキ、ツツジ、フジの樹木が見事に咲き誇る大きな庭のお宅をめぐり、シャガ、アヤメ、パンジー、ポピー、マーガレット、オダマキなどが丹精に育てられた花壇を眺めながら、町内をゆっくりと歩きます。
でも、僕が好きな散歩道は、ここを抜けてからです。
畑や田んぼ道にこそ、春の散歩の醍醐味を感じます。
先日の温泉講座のバスの中でのこと。
「先生は、鳥の名前も詳しいんですね」
と、受講生の1人が言いました。
たまたま知っている鳥が、木の枝に止まっていただけです。
この人が“鳥の名前も”と言ったのは、温泉に対して「も」と言ったんではないんですね。
その前に山野草の話をしていたんです。
著書にも書きましたが、僕は物心ついた頃から父に連れられて山登りをしていました。
父は、アノ、紅白歌合戦で有名な「日本野鳥の会」の会員だったのです。
小さい時から、双眼鏡や望遠鏡を担いで山を歩いていましたから、そこそこは鳥の名前も知っています。
でも、鳥にはあまり興味が持てなかったものですから、必要以上に知識が身に付きませんでした。
鳥は、どうしてもジッとしていてくれないので、観察が難しいんです。
それに比べて、花はいい!
そこにジーッと、していてくれますからね。
で、僕は山の花の名前を覚えるようになったんです。
山の花の名前を覚えると、里の花の名前も覚えたくなる。
いわゆる「雑草」です。
“この世に雑草という名の花はなし”
誰が言った言葉かは忘れましたが、好きな言葉です。
今日も午前は一人で、午後は愛犬のマロ君と一緒に、散歩へ出かけました。
川の土手には、ナノハナ、ショカッサイが今が盛りと咲き競っています。
田園のあぜ道には、セイヨウタンポポ、シロバナタンポポ、ハルジオン、ノゲシ、ホトケノザ、オオイヌノフグリ、ヒメオドリコソウ、ムラサキサギゴケ、トキワハゼ………
目にする小さな花、1つ1つに、名前があることが、嬉しくなります。
このゴールデンウィークは、1日2回の散歩が日課になりそうです。