温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2012年04月30日

書いて、書いて、書きまくれ!


 僕の短気は、昔から有名です。

 子どもの頃は、オフクロからよく、「悪いところだけ、お父さんに似ちゃって。“短気は損気”だよ」 と言われたものです。
 でもね、三つ子の魂 百まで。
 大人になった今でも、まったく治っていません。

 だからって、誰彼なしにケンカをするというわけじゃありませんって。
 ま、時々はケンカもしますが、暴力は振るいません。
 ただ、自分で言うのもヘンですが、僕は “生意気” なんですよ。

 若い頃は、この “生意気” が板についていましたが、年を重ねるにつけ、だんだんとこの “生意気” が邪魔になってくるんですね。
 だって、“生意気”って、若者の特権みたいなものじゃないですか。
 50歳過ぎても “生意気” なんて、世間体が良くありませんもの。

 だから僕は、40歳を過ぎたあたりから、この “生意気” を持て余してしまっているんです。
 誰か、短気を治す方法を知っている方がいましたら、教えてくださいな。



 以前、さる人から、こんなことを言われて、ムカついたことがありました。

 「キミはライターなんだから、とにかく、書いて書いて書きまくることだよ!」

 もう、その時は、カチーーンときました。
 だって、その人は、業界の人でも、ライターの先輩でも、作家でもないんですよ。
 ただの大学教授です。
 僕より、歳が上っていうだけです。

 で、上から目線の、この言葉です。

 ( けっ、アンタに言われたくないね。言われなくっても、ちゃんと書いていますよ。このクソジジイがっ!)
 なーんて、その時は腹の中で、その人を罵倒していたのであります。
 そして数日後には、その感情も忘れてしまいました。


 ところが、なんです。
 最近、ことあるごとに、その人が言った言葉が、頭の中をめぐるんです。

 「書いて、書いて、書きまくれ!」 って。

 たまった原稿を抱えて、ウンウンうなっている時や、
 安請け合いをして、ただ同然の原稿を書かされてしまった時など、
 なぜか、不思議と、あの言葉が脳裏をよぎります。

 書いて、書いて、書きまくれ!


 考えてみれば、僕はライターなんですよね。
 プロなんだもの、他人の100倍やっててあたりまえなんです。

 プロ野球のピッチャーは、投げて投げて投げまくります。
 マラソンランナーは、走って走って走りまくります。
 画家は、絵を描いて描いて描きまくります。
 ピアニストは、ピアノを弾いて弾いて弾きまくります。

 だもの

 ライターは

 書いて、書いて、書きまくるのは、当然のことなんですよ。

 思えば、ムカつくことでも、なんでもないことです。
 大学教授は、当たり前のことを言っただけだったんです。

 そのことに気づかせてくれたことに、今は素直に感謝できるのであります。

 Y教授、ありがとうございました。
 相変わらず、生意気は治りませんが、お言葉どおり、
 “書いて、書いて、書きまくろう” と思います。

 秋には、僕の最新刊を送りますので、また叱咤激励の言葉をください。
 よろしくお願いいたします。
  


Posted by 小暮 淳 at 20:32Comments(2)つれづれ

2012年04月29日

GWだ!里山へ行こう!


 先週、出版元の上毛新聞社より、「改訂した“里山”の増刷本ができました。著者分の本を用意してありますので、ついでの時にお寄りください」 との電話がありました。
 “里山”とは、昨年の1月に出版した拙著 『電車とバスで行く ぐんまの里山 てくてく歩き』 のことです。
 (業界では、本のタイトルを短縮して呼びます)

 で、GWに突入する前日、取材の帰りに出版元へ寄って、5冊ほど刷りたてホッカホッカの本をもらってきました。

 うれしいものですよ。
 増刷って!

 書き下ろしの新刊本を手にするときは、当然、我が子の誕生のように感動します。
 でもね、出版業界も不況の波を受けて、なかなか本が売れないのですよ。
 だから、たとえ本を出しても、初版で消えて行く本がほとんどなんですね。

 そんな時代での、改訂増刷です!
 まるで、我が子が成長して、入学式を迎えたような喜びであります。

 おかげさまで、僕の本は、これで3度目の増刷となりました。
 (過去に 『ぐんまの源泉一軒宿』 が、2度増刷しています)
 でもね、内容の改訂は初めてなんです。

 「このテの本(登山本) にしては、異例のスピードで売れています。本来、山登り本は、一部のファンにしか売れない本ですから、何年もかけて増刷される類いの本なんですよ」
 とは、出版担当者。

 どうも、僕の書いた “里山本” は、登山ファンだけが買っているのではないようです。
 どちらかというと、温泉ファンが、そのまま同じ著者が書いた本だということで、「つられ買い」 をしているのかもしれません。

 だとすれば、本当にありがたいことです。
 この場をお借りして、著者よりお礼申し上げます。

 「買ってくれて、ありがとうございます」


 で、改めて今日、マジマジと、昨年出版した初版本と改訂された増刷本を見比べてみたのです。
 当然ですが、見た目は、まったく同じです。

 表紙は、イラストレーターの飯塚裕子女史に描いていただいたパステル調のイラストです。
 山里の風景の中を、ハチ巻きをした僕が歩いています。
 実は、この “僕” は、粘土で作った人形なんです。
 僕が女史に頼んで、立体のイラストに仕上げてもらったのです。

 大成功でしたね。
 たぶん、この表紙のおかげで売れた部分もあると思います。


 で、見た目は同じでも、ページをめくると多少違いがあります。
 まず、奥付(最終ページ)。

 “2012年4月29日”の日付けと、“2刷”の文字が追加されています。
 そーです! 今日なんですよ。
 GWに合わせて増刷するなんて、出版元も憎いことをしますね。

 あとは、本文と巻末の入浴施設一覧に、いくつかの訂正がされています。
 マニアの方は、初版と見比べて、どこがどう変わったかを探してみてください。


 まだゴールデンウィークは、始まったばかりです。
 いかがですか?
 新緑の里山歩きを楽しんでみては?

 もちろん、いい汗をかいた後は、温泉が待っていますよ!
   


Posted by 小暮 淳 at 21:18Comments(2)著書関連

2012年04月28日

中之条 「湯帳」 スタンプラリー


 いよいよゴールデンウィークが、スタートしましたね。
 みなさんの予定は、いかがですか?

 なに?
 何にもないって!
 だったら、温泉めぐりへ出かけませんか?

 群馬県吾妻郡中之条町では、このゴールデンウィークから町内の温泉施設をめぐるスタンプラリーを開催しています。
 その名も 「奥之院中之条 『湯帳』 スタンプラリー」 。
 中之条町には、個性あふれる11の温泉地があります。
 そのうち8温泉地の13施設で、スタンプラリーを実施しています。


 ①まずは、施設および案内所にて 『湯帳』 をゲットしてください。
 ②13施設のスタンプを集めましょう。
 ③スタンプを集めたら、『湯長』 を近くの案内所までお持ちください。
   素敵な記念品がプレゼントされます。

 ・スタンプ5個   温泉水100%のウエットティッシュ
 ・スタンプ10個   四万・沢渡・六合温泉の入浴剤のうち1つ
 ・スタンプ全制覇 オリジナルタオル


 なんで僕が、中之条町の宣伝をしているのかって?
 実は、僕の書いた3冊の温泉本 『ぐんまの源泉一軒宿』『群馬の小さな温泉』『あなたにも教えたい 四万温泉』 に、中之条町の温泉地が、すべて掲載さているのですよ。
 そんな縁もあり、このたび、スタンプラリーマップが印刷されたスタンプ帳 『湯帳』 に、僕が 「中之条は温泉パラダイス」 というタイトルで、推薦コラムを寄稿しているのです。

 これは、なかなかの希少価値があると思いませんか(笑)
 温泉ファン&マニアのみなさん、このゴールデンウィーク中に、ぜひ、この 『湯帳』 をゲットしてくださいね!



 スタンプの押印施設およびプレゼント交換案内所は、下記のとおりです。

 1.四万温泉  こしきの湯
 2.四万温泉  清流の湯
 3.四万温泉  上之湯
 4.四万温泉  かじかの湯(山口露天風呂)
 5.四万温泉  御夢想の湯
 6.四万温泉  河原の湯
 7.沢渡温泉  沢渡温泉共同浴場
 8.有笠温泉  有笠山荘
 9.大塚温泉  金井旅館
10.尻焼温泉  バーデ六合(くに)
11.湯の平温泉  松泉閣
12.応徳温泉  くつろぎの湯
13.六合赤岩温泉  長英の隠れ湯

 <案内所>
 中之条町観光協会、四万温泉協会、中之条町観光協会六合支部

 ■問合せ先
   中之条町観光協会 TEL.0279-75-2111
  


Posted by 小暮 淳 at 21:03Comments(11)温泉雑話

2012年04月27日

水上温泉 「天野屋旅館」


 僕は、1つの原稿を仕上げるのに、何度でも取材へ出かけます。

 “現場百遍”
 これがライターとしての僕の私訓です。

 原稿料のことを考えると、割りの合わない仕事ですが、何よりも自分が 「納得したいから」 なんですよ。
 これが本の出版となると、約1年間を取材と執筆についやしますから、さらに念には念を入れます。
 新聞や雑誌の記事に比べると、その “記事” 自体に読者はお金を払ってくれているわけですし、本は後々まで残りますもの。
 やっぱり、手を抜くわけにはいきません。


 今秋の出版に向けて、昨年より僕は、水上温泉に入り込んで取材活動を続けています。
 もう何度訪ねたのかわからないくらい、訪ねています。
 初めて訪ねる旅館もあれば、写真を撮り直したり、再取材をしたり、校正を届けたり・・・2度3度訪ねる旅館もあります。

 昨日も午後から水上温泉へ入り込み、再取材をしてきました。
 「松乃井」 は、桜を入れた外観の撮り直しです。
 「山楽荘」 は、前回の取材が真冬で浴室が湯気で見えなかったため、こちらも入浴シーンの撮り直しでした。
 何度も訪ねれば、宿のご主人や女将さんとも、それだけ顔を合わせるわけですから、新たな話も聞けるというものです。

 “現場百遍” 
 取材は、し過ぎるということはないのです。


 で、昨晩は、路地裏の老舗宿 「天野屋旅館」 に泊めていただきました。

 いや~、全館昭和レトロ満載で、ゾクゾクしましたよ。
 完全に “つげ義春の世界” であります。

 温泉街の古びた食料品店の脇から坂道を下ります。
 右手にうどん屋、左手にそば屋、右手に飲み屋と、狭い路地裏に飲食店が点在します。

 あれ? 「天野屋ホテレ」
 良く見れば、ホテルのルの字の「ノ」が、取れちゃっているんですね。

 「“ホテル”と呼ぶのが流行った時代があってね、先代が一時、そう名乗っていたんですよ。私の代から、旅館にもどしました」
 とは、2代目主人の西山國弘さん。

 ロビーの赤いじゅうたん、パイプ手すりの階段、年代物の柱時計・・・
 昭和の匂いが、プンプンしています。

 部屋に入って、最初に目についたのが、隅に置かれた「衣桁屏風(いこうびょうぶ)」 です。
 着物などをかけておく、鳥居の形をした家具で、2つの衣桁が蝶番(ちょうつがい)でつながっている「えもんかけ」です。
 昔は、どこの旅館にもありましたが、最近は滅多に見かけません。

 ただ、ただ、感動!

 欄間(らんま) や雪見障子(しょうじ)、鏡台・・・

 「いいですね~、日本人に生まれてよかったなぁ~」
 と、しみじみと眺めてしまいました。


 浴室も浴槽も小さいけれど、完全かけ流しです。
 これで充分なのです。
 「大きくしたくても、湯量に見合った浴槽は、これが限界でね」
 なーんていう、ご主人の言葉にもシビレてしまいます。

 何もかもが、“昭和” で時が止まってしまったよう・・・

 まったくと言っていいほど、何も奇をてらっていないんです。

 料理もしかり。
 質素で、量がほどほどというのがいいですね。

 今朝なんか、しっかりご飯をお替りしてしまいましたよ。
 納豆、目玉焼き、焼きのり、大根おろし、焼き魚・・・

 そ、そ、そしてーーーーッ! 
 「フキ味噌」 があるじゃ、あ~りませんか!
 僕の大好物です。

 もう、これだけで、ご飯が進みます。


 嫌いじゃないんですよね。
 こういう宿って。

 これぞ!“正しい日本の温泉旅館”

 久しぶりに、そんな宿に泊まってきました。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:20Comments(2)温泉地・旅館

2012年04月25日

入れ替わった神様


 高崎市内に無料配布されているフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) の4月6日号に、謎学の旅② 「なぜ下仁田ネギは『上毛かるた』に描かれなかったか?」というエッセーを書いたところ、とても反響をいただきました。
 直接、感想を発行元へ電話で告げてきた読者もいたそうで、筆者としては嬉しい限りであります。

 また、このブログでも告知したものですから、僕に 「ちいきしんぶん、あります? 下仁田ネギのことが気になってしまって」 という人が何人もいました。
 みなさん、ありがとうございます。
 今後も、謎学の旅をよろしくお願いいたします。

 僕は現在、ちいきしんぶんに、このほか 『小暮淳の一湯良談』 と 『民話と伝説の舞台』 というコラムとエッセーを連載しています。
 今日は朝から、6月に掲載予定の 『民話と伝説の舞台』シリーズ13 の取材で、老神(おいがみ)温泉へ出かけてきました。


 みなさんは、「赤城と日光の神戦」 という話を知っていますか?

 昔、日光二荒山(男体山)の神と赤城山の神が、中善寺湖の水をめぐって争いになりました。
 日光の神はヘビに、赤城の神はムカデに姿を変えて戦い、傷ついた赤城の神が逃げ帰り、刺さった矢を引き抜き地面に立てたところ、湯が湧き出たといいます。
 その湯に浸かり、傷を治した赤城の神は、ふたたび日光の神に襲いかかり、追い返したことからこの地が「追い神」→「老神」と呼ばれるようになったということです。

 これが一般的に伝わる伝説です。
 テレビの「まんが日本むかし話」でも、このストーリーでした。
 また、栃木県の日光側でも、日光の神はヘビで、赤城の神はムカデとなっています。

 ところが・・・

 老神温泉では、神様がまったくの逆なんですね。
 赤城の神がヘビで、日光の神がムカデです。
 毎年5月7~8日(今年から第2金~土曜日に変更)に開催されている老神温泉最大のイベント「大蛇まつり」でも、老神の鎮守様である赤城神社の御神体の大蛇が、温泉街を練り歩きます。

 と、以上までの内容は、当ブログのカテゴリー「謎学の旅」にも書きました。
 でもね。どうしても僕は納得がいかないのですよ。

 なぜ老神では一般の伝説どおりに、赤城の神がムカデにはならなかったのか?
 いったい、いつから神様が入れ変わってしまったのか?

 そのナゾを探るべく、老神温泉の人たちから話しを聞いてきたのであります。

 で ーーーーっ ! ! ! !

 「おばあちゃん(80歳)の子供の頃には、赤城さま(赤城神社)の祭りにヘビはいなかったといいます」
 「初めて祭りにヘビが登場したのは、昭和30年代になってからですね」
 などなど、新しい事実がポンポンと拾えたのであります。

 さらにーーーっ ! ! ! !

 驚愕の事実が!
 な、な、なんと、温泉街を見下ろす片品川をはさんだ対岸には、敵である日光の神様「二荒山神社」 が祀られていたのです。
 これは、どういうことでしょうか?

 赤城の神は、ヘビか? ムカデか?
 さて、真相はいかに・・・

 来月は、ムカデ伝説が残る赤城山麓へ取材に出かけます。
 乞う、ご期待ください。
   


Posted by 小暮 淳 at 22:13Comments(4)取材百景

2012年04月24日

谷川温泉 「旅館たにがわ」②


 平成24年度の温泉講座が、本日開講しました。
 正式名は、NHK文化センター 前橋教室 「続・探訪!ぐんまの小さな温泉」であります。
 僕が、このシリーズの講師を務めて、今年で4年目になります。

 おかげさまで、この講座は好評でして、今年度は欠員がなかったため、新規の募集はありませんでした。
 22名の在講生が、そのままスライド入講であります。
 (キャンセル待ちの方、ごめんなさい)

 そして記念すべき今年度第1回目は、今日、谷川温泉の 「旅館たにがわ」 へ行ってきました。

 去年の12月の講座以来、4ヶ月ぶりの顔合わせです。
 とにかく皆さん、元気いっぱいであります。
 「先生ったら、私たちに会わない間に、若い女性と温泉へ行っていたのねっ!」
 と、僕に詰め寄った婦人は、しっかり 『おとな日和』(パリッシュ出版) の山田べにこさんとの対談記事を読んでいたようです。

 さらに受講生のほとんどの人が、先日のNHKテレビ「ほっとぐんま640」の「温泉通になろう!」を観ていてくれました。
 さすが天下のNHKテレビ!
 中高年の視聴率は、絶大なものがあります。
 「先生さ、忙しくって、そのうち、この講座は先生なしで行くようになっちゃうんじゃないの?」 なんていうイヤミを言う人もいたりして・・・。
 とんでもございませんよ。
 こんな楽しい講座を降りるわけがないじゃありませんか!
 群馬に温泉がある限り、あと何年でも講座の講師を続けますよ!


 高崎駅と前橋駅を出発したバスは、関越自動車道に乗り、沼田ICで降りて、沼田城址公園へ。
 満開のソメイヨシノと樹齢400年の 「御殿桜」 を見物しました。
 その後、バスは一路、谷川温泉を目指します。

 谷川温泉の「旅館たにがわ」といえば、文豪・太宰治ゆかりの旅館です。
 昭和11年に滞在して、小説「姥捨(うばすて)」を書きました。
 (詳しくは、当ブログ2010年6月19日「谷川温泉 旅館たにがわ」参照)

 で、今回、僕がなぜ今年度の第1回目に谷川温泉を選んだのかというと、泉質が弱アルカリ性の単純温泉だからです。
 この講座では、肌にやさしい温泉から、徐々にクセのある濃厚な温泉へと入っていきます。
 次回は強アルカリ泉、そして色のあるにごり湯へと回を進めます。

 谷川温泉が初めてという受講生が多く、みなさん大満足の様子でした。
 湯上がりの生ビールも最高でしたね。
 来月も、よろしくお願いいたします。

 女将の久保容子さん、支配人の大野芳雄さん、大変お世話になりました。
 今度は取材でうかがいますので、よろしくお願いいたします。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:57Comments(3)温泉地・旅館

2012年04月23日

なぜだか表彰されました


 ある日、前橋市の教育委員会だとかなんとか名乗る人から電話があり、「あなたを育成功労者として表彰することとなりました」 と言ってきた。
 なんだ? 俺が? 育成に功労したって?

 後日、正式に書類が届き、「つきまして4月23日(月) に前橋市総合福祉会館にて挙行いたしますので、ご多用中とは存じますが、出席くださいますよう・・・」 うんぬんかんぬんと書かれていたのです。

 まあ、とにかく子供の頃から賞状には無縁の人生でしたから、なんで僕にくださるのか理由が分かりません。
 確かに、3人の子どもを育てましたから、PTAの役員をやったり、育成会長をやったり、去年からは地区の子ども会育成連合会の理事なんかもやらされていますが、これといって積極的に何かをやってきたわけではありません。
 どちらかといえば、頼まれて、仕方なくやっている感じです。

 僕の性格上、頼まれると、イヤとは言えないんですね。
 ですから、何年も、ダラダラと役員をやっています。
 ま、何かに付けて打ち上げのような飲み会があるので、それに釣られて活動に参加しているだけです。


 と、いうことで今夜、もらえるものは何でももらっておこうと、表彰式に出席してきました。

 なんていうことはありません。
 会場の一番前の席に座らされて、名前を呼ばれたら出て行って、前橋市子ども会育成団体連絡協議会長という舌をかんでしまいそうな肩書きのオジサンから賞状を受け取っただけでした。

 でも、賞状だけは、立派です。
 それを入れる大きな額までいただきました。
 さて、これをどうしょうか?
 飾るのはガラじゃないし、置いておくにもジャマになる。
 困ったもんです。

 でもね、ちょっぴりだけ嬉しいんです。
 それは、この土地に家族で引っ越してきた“意味”があったということ。

 16年前、僕が生まれ育った旧市街地から郊外の田園地帯に引っ越してきました。
 理由は、子どもをのびのびと育てたかったからです。
 以前の町は過疎化が進み、老人ばかりで子どもがいませんでした。

 でも、この土地へ来て、従来の地域社会を取り戻しました。
 子どもがいて、年寄りがいて、働く大人たちが暮らしています。
 何よりも田園地帯ですから、農家が多いんです。
 サラリーマン家庭が少ないということは、平日の昼間に、大人の男の人が町の中にいるということです。
 これが、僕の町に求める理想だったのです。

 僕が子供の頃は、まだサラリーマン家庭は少なかったんですよ。
 うちも自営業だし、隣んちも、前んちも、町内に自営の家がいっぱいあったんです。
 だから平日、学校から帰ると 「ジュン坊、お帰り」 なんて、八百屋のオジサンや大工のオジサンが必ず声をかけてくれました。
 だもの、悪いことなんて、できませんって。
 神社で遊んでいても、公園で遊んでいても、周囲に働く大人の目がランランと光っているのですから・・・。
 親の目は盗めても、近所のガンコジジイの目は盗めませんでしたね。
 「またジュン坊かっ! ダメだ、そんなことしちゃ!」なんて、よくゲンコツをもらいました。

 でも、今住んでいるこの町には、そんなおせっかいな住民が、まだまだいるんですね。
 僕も、子どもたちを真剣に叱れる大人になりたくて、この町を選びました。

 本当に、表彰されるようなことなんて、何もしていないんですけどね。
 でも、これでやっとこの町の住民になれたような気がするんです。


 みなさんは、自分の町内の子どもの名前を何人言えますか?
 僕は、ほとんどの子どもの顔と名前が分かります。

 なに?
 平日の昼間、町内をうろちょろしているからだって?

 ええ、そうですよ。
 仕事がなければ、毎日が日曜日ですからね。
 平日でも、青少年のすこやかなる育成のために、愛犬マロ君とともに町内をパトロールしているのでありま~す!
   


Posted by 小暮 淳 at 22:53Comments(2)つれづれ

2012年04月22日

赤城温泉 「赤城温泉ホテル」⑤


 何十年ぶりだったのだろうか?
 いや、もしかしたら人生で、初めてだったのかもしれない。
 昨晩は、オヤジとオフクロと3人で、「川」 の字になって眠りました。


 「湯之沢へ行ってみたいな」 とオヤジ。
 「あづまやに久しく行ってないものね」 とオフクロ。
 前々から、赤城温泉へは一度連れて行ってやらねばと思いつつ、何年も何年も月日を重ねていました。
 ところが、ひょんなことから僕と両親が、赤城温泉へ行くことになったのです。

 「湯之沢」 とは、赤城温泉の旧温泉名「湯之沢温泉」 のことです。
 「あづまや」 とは、赤城温泉ホテルの旧屋号であります。

 何度かブログでも書いていますが、赤城温泉ホテルの10代目主人、東宮(とうみや)秀樹さんは、僕のはとこです。
 で、オヤジの母親も、オフクロの母親も、ここ 「あづまや」の生まれであります。
 少し家系図的には、ややこしいのですが、僕の2人の祖母は “叔母と姪” の関係にあたります。
 ですから、僕の体の中には、とても濃い東宮一族の血が流れているのです。


 で、なぜ、僕と両親が今回 「あづまや」 へ行くことになったのかというと・・・

 僕の大叔父にあたる詩人の東宮七男(とうみや・かずお)<1897~1988>の想い出を語る会が開かれることになり、高齢ではありますが本人を良く知る甥っ子のオヤジが生き証人として呼ばれたのであります。
 当然、オヤジ1人では行かせるわけにはいきませんので、介護役にオフクロと僕が同行することになりました。

 主催はオフクロの従弟で、季刊 「群馬風土記」(群馬出版センター) の編集員でもある東宮春生氏と、東宮七男の実子で元新聞記者の東宮哲哉氏。
 会場となった赤城温泉ホテルには、その他、関係者が12人も集まりました。

 東宮七男は、大正時代から戦前・戦後を通じて前橋を中心に活動した郷土の詩人です。
 県師範学校時代に、萩原朔太郎の主宰する「詩と音楽の研究会」に入会し、大きな影響を受けました。
 戦後は、「上毛かるた」の制作にもたずさわりました。

 オヤジもボケ老人ながら、昔のことは良く覚えているようで、東宮七男との思い出話を披露。
 草野心平や萩原恭次郎、中西悟堂、おのちゅうこうらとの交友話、さらには七男の従兄である軍人、東宮鉄男(とうみやかねお)大佐にまでおよび、一族の偉人話に花が咲いたのでありました。


 僕にとっては、話の内容なんて、どうでも良かったのであります。
 “ああ、これで長年の夢だった親孝行がやっとできた”
 と、ただそれだけを考えていました。

 部屋にもどると、蒲団が3つ。
 「川」の字に敷かれていました。

 トイレに近いほうから、オヤジ、オフクロ・・・
 僕は2人が寝付いてからも、しばらく窓辺のイスで、両親の寝顔を見ながら酒を飲んでいました。

 やっぱり、初めてかもしれない。
 だって、僕には兄がいるのだから、子どもの頃だって 「川」 の字では寝なかったろう。
 もしかして、これが最初で最後の親子水入らずの「川」の字になるのだろうか?
 なんとも複雑な思いで、眠りに着きました。


 一夜明けて、オヤジとオフクロを連れて、2人の母親が産湯を浸かった “湯之沢の湯” へ。
 「小学校の夏休みはな、毎年、俺は湯之沢で宿題をやったんだよ」
 やせ細って、ちっちゃくなっちゃったオヤジが、湯舟の中で遠い昔の思い出を語り出しました。

 昔も今も変わらない、茶褐色のにごり湯。
 この湯が、我が一族のルーツの源であります。
     


Posted by 小暮 淳 at 22:05Comments(3)温泉地・旅館

2012年04月20日

妖怪はんぺん一家の夜逃げ


 以前、このブログで妖怪 「はんぺん小僧」 の話を書いたところ、多方面から思わぬ反響をいただきました。
 会う人、会う人、「はんぺんのお化けって、本当にいるんですかね?」 と声をかけてくださいますし、酒の席では、もっぱら 、はんぺん談義に花が咲いてしまいます。
 (これまでのいきさつについては、当ブログ4月8日の「妖怪はんぺん小僧現る!?」参照)

 ところが、先日、目撃者の I さんに、またお会いして話を聞いたところ、新事実が発覚しました!
 前回の妖怪「はんぺん小僧」についての描写は、どうも僕のうる覚えで書いてしまったようです。
 改めて話を聞き返してみると、微妙な表現の違いや新たな事柄がありました。
 ここに訂正して、お詫び申し上げます。

 (誤)
 はんぺん小僧は、床上10~15センチの高さを、ユラユラと浮いていた。
  ↓
 (正)
 はんぺん小僧は、立って床の上を滑るように歩いていた。


 僕は勝手に、はんぺんのことだから床に対して平行に横になって浮遊していたのだとばかり思い込んでいたようです。
 でも実際は、背筋をピーンと伸ばして立ったまま、左から右へと移動して行ったとのことでした。

 訂正は以上の1ヶ所だけなのですが、ななななんと!
 ビックリする事実を、I さんは前回、話してなかったのです。
 それは、はんぺん小僧は、1匹ではなかったということ!
 それも、弁当サイズのはんぺん小僧は1匹で、後ろから小さいはんぺん小僧が何匹もゾロゾロとついてきていたというのです。

 おいおい、それを早く言ってくれよっていう感じですよね。
 だいぶイメージが、前回の話しと違いますよ。

 これでは完全にイメージは、『となりのトトロ』 です。
 それも色からいったら、中トトロと小トトロです。

 もしかしたら親子ですかね?
 では、はんぺん小僧は「小僧」じゃなくて、「親はんぺん」 だったわけですね。
 母親ですかね? 父親ですかね?

 で、気になるのが、I さんが今回も言った言葉です。
 「だからさ、そのはんぺんの行列を見た2日後に、東日本大震災があったわけ。きっと “逃げろ” って僕に教えてくれたのよ」

 なるほど、それが事実ならば、妖怪はんぺん一家は、地震を予知して、住み慣れた I さんの家から夜逃げをしていたわけですね。
 これならば、説得力があります。

 これは、ますます捕獲したくなりましたね。
 ぜひ、妖怪はんぺん一家を捕まえて、地震の予知に活用すべきです!

 みなさんからの情報をお待ちしております。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:56Comments(4)つれづれ

2012年04月19日

たんげ温泉 「美郷館」


 たんげ温泉の一軒宿、「美郷館(みさとかん)」 を最初に訪ねたのは、6年前のこと。
 雑誌の取材でうかがい、その晩は泊めていただきました。

 その後も、本の取材や雑誌の取材で、何度か訪ねています。
 また、ご主人の高山弘武さんは、一昨年の僕の出版記念パーティーにも出席してくださいました。
 彼はまだ若いのに、とにかく一生懸命で、短期間に旅館をここまでに育てあげた人です。

 創業は、平成3年。
 源泉は、すでに昭和30年代から人知れず湧いていました。
 平成12年に現在の旅館にリニューアルして、結婚を機に女将の純子さんとともに旅館を継ぎました。

 今年で12年目です。
 なのに、すでに 「日本秘湯を守る会」 「源泉湯宿を守る会」 そして 「日本温泉遺産を守る会」 の会員宿に名前を連ねています。
 なによりも僕が驚いているのは、宿泊客の80パーセントがリピーターだということです。
 この驚異の数字は、どうしたらはじき出せるのでしょうか?

 今日は、そのナゾを解明するべく、久しぶりに 「美郷館」 へ行ってきました。

 とにかく毎度毎度、訪ねるたびに驚かされるのは、玄関ロビーで客人を出迎えるケヤキの大黒柱や杉の梁(はり) です。
 その覆いかぶさるような存在感は、圧巻!のひと言。
 今日も、改めて見上げては、感嘆の息をもらしてしまいました。

 なんでもケヤキに惚れ込んだオーナー(弘武さんの父) が、日本屈指の木挽(こび)き職人とともに、3年かけて手で挽いた巨木なのだそうです。
 それらの巨木を、宮大工がクギを1本も使わずに組んでいます。
 今日も、その木目の美しさに、惚れ惚れと見とれてしまいました。

 お茶を飲みながら、ご主人と女将さんの馴れ初めから、この12年間の苦労話やエピソードなど、温泉旅館の喜怒哀楽話をじっくりと聞いてきました。
 もちろん、温泉もしっかりと堪能してきましたよ。


 そうそう、リピーター率80パーセントのナゾでしたね。
 僕が取材のなかで見つけた秘密は、いくつもあったのですが、その中の1つにオープン以来、日帰り入浴客を受け入れていないという湯へのこだわりがありました。
 宿泊客を大切にしていることが、ちゃんとリピーター率という数字となって表れているんですね。

 でも、なによりも僕は、ご主人と女将さんのさわやかな笑顔と明るい性格が、人をひきつけているんだと思いますよ。
 だって、今日は、本当に気分がいいんですよ。
 お2人から元気をもらって帰りました。

 ご主人、女将さん。
 ありがとうございました。

 とっても、楽しい取材でした。
    


Posted by 小暮 淳 at 20:56Comments(0)温泉地・旅館

2012年04月18日

血圧と薬と春の宴


 Kさんと初めて会ったのは、6~7年前のことです。


 ある日、僕は右手にシビレを感じるようになり、脱力感を感じていました。
 思い切って病院へ行って検査をしてもらうと、別に “異常なし” とのこと。
 ただ、血圧が高めだったので、降圧剤を出してもらうことになりました。

 その時、薬局の窓口にいたのがKさんでした。

 それから僕は2週間に1回、薬を受け取るために薬局へ行くようになり、そのたびにKさんとはカウンター越しに話をするようになりました。
 僕の仕事のこと、互いの家族のこと、時には趣味の山歩きなど、そのときどきに互いの立場(薬剤師と患者) を忘れて話し込みました。

 Kさんは、僕と同じ歳です。
 育った時代が同じということで、話のウマが合ったようです。
 でもKさんは、とっても温和なお人柄。
 話し方も、ゆったりとしていて、やさしく患者さんたちに語りかけます。
 激昂型で威圧的にまくし立てる僕とは、正反対の性格です。
 そこが、僕には癒やされたのかもしれません。

 僕は2週間に1回、彼と会うのが、とても楽しみになっていました。
 といっても、薬剤師と患者の関係です。
 毎回、ただ窓口での雑談を楽しんでいました。

 でもKさんは、僕が本を出版するたびに買ってくださいます。
 それも複数冊購入して、薬局の待合室にまで置いてくれているのです。
 新聞や雑誌、ブログの記事も、みんな読んでくださっているんですね。
 ありがたいことです。

 過去には、僕が関係している展示会に顔を出してくれたり、一昨年の出版記念パーティーにも、わざわざ出席してくださいました。
 薬剤師と患者の関係なのにね。
 とにかく、いい人なんです。

 「今度、一度飲みましょう」
 そんな社交辞令のあいさつばかり、何年も交わしていました。
 「暖かくなったら、飲みに行きますか」
 なーんて、毎年、冬になると互いに声をかけ合っていたのです。

 そして、やっと・・・

 先週、薬をもらいに薬局を訪れたとき、運良く窓口にKさんが座っていました。
 「そろそろ暖かくなりましたね。どうですか、花見がてらに飲みに行きませんか?」
 何年も顔を合わせていて、初めて言えた言葉です。

 50歳を過ぎたオジサン同士なのに、なんだか初デートを申し込む高校生のような気分でした。
 「本当ですか! 嬉しいなぁ~」
 と、Kさんも快諾してくださり、プロポーズは大成功!


 と、いうわけで、昨晩はKさんと前橋駅で待ち合わせをして、花舞う夜の街へと出かけてきました。
 思えば、誰かと待ち合わせて飲みに出かけるなんて、何年ぶりでしょうか・・・
 仕事の打ち上げや会合は、すべて会場へ直行です。
 プライベートで酒を飲みに行くときだって、店へ1人で出かけていきます。

 いいもんですよ、くたびれた中年オヤジが2人並んで、駅前のケヤキ並木を歩く姿というのも!
 彼と入ったのは、このブログでもお馴染みの我らがたまり場、酒処 『H』。
 (行動範囲が狭いもので、ほかに店を知らないのであります)

 もちろんKさんは、初めての店です。
 なのに彼は店内へ入るなり、「あれ、○○さん?」 と隣の客と話し出すではありませんか!
 世の中は、狭いんですね。
 いや、Kさんの顔が広いのかな?
 で、関係を聞くと・・・

 笑ってしまいました。
 なんと、そのお客さんも、僕と同じ、彼の患者さんだったのです。
 恐るべし、薬剤師!
 患者の数だけ、知り合いがいるというわけです。
 いえいえ、それだけKさんが、患者さんたちにとって、ただの薬剤師ではなく、患者さんの相談に親身になって応え、心の支えになっているということです。

 Kさん、いつもありがとうございます。
 これからも末永くよろしくお願いしますね。

 あれ?
 薬剤師と患者の関係だから、“末永く” ではないほうがいいんですよね。
 でも、会えなくなるのも淋しいので、ほどほどに不健康に暮らします。
  


Posted by 小暮 淳 at 15:04Comments(3)酔眼日記

2012年04月16日

花ざかりの温泉


 今月からニュース番組のコメンテーターをやることになったため、今日は群馬テレビに生出演してきました。


 僕が群馬テレビに、最初に出演したのは1989年でしたから、23年も前のことです。
 当時、僕はタウン誌の編集者兼記者をやっていて、群馬の車社会についてのエッセーを連載していました。
 ズバリ! 出演した番組名は 『車社会を考える』。
 車社会評論家(?) の解説者として、コメントした記憶があります。

 その後も、群馬テレビには、新しい雑誌を創刊した時やCDの発売、本を出版するたびに、声がかかり出演させていただいています。
 前回は、昨年の12月に拙著 『あなたにも教えたい 四万温泉』(上毛新聞社) の紹介でゲスト出演しました。
 その番組が、午後6時からの 「ニュースジャスト6」 です。
 まさか、前回ゲスト出演した番組に、今度はコメンテーターとして出演するとは、夢にも思っていませんでした。
 これも、何かの縁なのかもしれませんね。


 縁といえば、今日のアナウンサーも前回と同じ吉田学さんでした。
 やっぱり、お相手が知っている人だと、なんとなく安心します。

 午後6時10分前、スタジオ入り。
 簡単なリハーサルを済ませて、すぐにオンエア開始です。
 ラジオと違って、テレビの生放送はタイムスケジュールが細かいんですね。
 進行表には何秒単位で、ラップが刻まれています。
 カメラの横にはADさんがいて、「30秒前」「15秒前」 のカンペを出しています。

 ラジオの生放送は、もっとアバウトです。
 「何時何分頃からまとめに入ってください」
 という決めがあるだけ。
 だから話が脱線しても、後半で軌道修正ができます。

 で、コメンテーター第1回目の今日は、ニュースへのコメントの他に 「NJウォッチ」 というコーナーで、温泉話をしてきました。
 今回のテーマは、『花ざかりの温泉』 です。
 グッドタイミングなことに、コーナーに入る前のニュースが、「桜前線」 だったのですよ!
 もう、そのままの流れで、コメントから本題へ入れました。

 秋は、月見風呂。
 冬は、雪見風呂。
 そして春は花見風呂と、日本人は昔から温泉に入りながら四季を愛で、風流を楽しんでいたのであります。

 番組の中では、猿ヶ京温泉、小野上温泉、八塩温泉、大胡温泉を例に上げて、花見のできる温泉について話をしました。

 そしたら、番組が終わるやいなや、大胡温泉「三山の湯」 の女将さんからケータイに電話が!
 「小暮さん、ありがとうね。テレビ見ましたよ。あんなに良く紹介していただいて、明日から忙しくなっちゃうかしらね」
 と、ごきげんの様子。
 実は、大胡温泉は、隠れた桜の名所なのです。

 昭和44年のオープン時に、今は亡きご主人が、女将さんの好きな桜の苗木を旅館のまわりに、グルリと100本も植えたのであります。
 これが一斉に咲くと、それはそれは圧巻ですぞ!
 もちろん、湯舟の中から花見風呂が満喫できます。
 女将さんによれば、ちょうど今が盛りだとか。
 それで群馬テレビも撮影に行ったようで、女将さんは、僕の今日の出演を知っていたのですね。


 桜前線は、今日現在、県内は渋川市付近を北上中です。
 吾妻、みなかみ、片品方面は、これからが見頃ですね。
 桜前線を追いかけながら、花見温泉の旅に出かけるのもいいかもしれません。

 ※次回 「ニュースジャスト6」 の出演は、5月15日(火) です。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:49Comments(2)温泉雑話

2012年04月15日

煙る都庁と雨の日の花嫁


 昨日は雨の中、姪っ子の結婚式に出席するため、東京まで行ってきました。


 親族を乗せて、前橋を出発したバスは、関越自動車道から目白通へ。
 「豊玉」「桜台」 といった、かつての青春の匂いがする地名に、胸を熱くしながら車窓から雨の街並みを眺めていました。

 環七通から青梅街道へ。
 「高円寺」「中野新橋」「中野坂上」 は、さらに古い記憶を紐解きます。
 10代の頃、初めて東京へ出て暮らした町が 「中野坂上」 でした。
 当時、通った飲み屋があるかと目を凝らして探したけど、見当たりませんでしたね。
 35年も前の話です。

 そして、会場のある西新宿へ。
 初めて見る都庁!
 あまりにも高過ぎて、上層階は雨に煙っていて見えません。

 西新宿は、僕が20代の頃、本屋のバイトで毎日のように配達で回っていた場所です。
 あの頃も、ニョキニョキと何本かの高層ビルが点在していましたが、今はもう乱立!
 それも立錐(りっすい)の余地がありません。
 風景も時代も人も変わった街を、しみじみとホテルの41階にあるスカイレストランから見下ろしていました。


 午前11時30分
 40階のチャペルに、チェロの音が響き渡ります。
 もう、僕の知らない大人の女性になってしまった姪っ子が、義兄にエスコートされながら入場してきました。
 すでに、義兄の目は真っ赤です!
 と、隣を見れば、早くも家内が泣く気満々であります。

 なのに義父だけが、ちょこまかと写真撮影に余念がありません。
 しかも、賛美歌の斉唱では、“アーメン” を わざと 「ラーメン」 なんて言って、周囲の笑いを取ろうとしています。
 僕は結婚当初から、そんな場の雰囲気をはずすお茶目な義父が大好きなんです。
 一緒にいると、売れない芸人レベルのダジャレやギャグが、ポンポンと飛び出してきます。

 義兄は真面目な人ですから、まったくこの人のDNAは受け継いでいませんが、僕の家内がそのままこのDNAを持って、小暮家へと嫁いできました。
 披露宴では、 「ワイルドだろ」 なんて、しっかりスギちゃんのモノマネをしてウケを狙っていましたからね。


 僕はこの結婚式で、初めての体験をしました。
 「親族の紹介」 です。
 両家の父親が前に出て、ひとり一人、新郎新婦とのつながりを紹介します。
 僕は、新婦の父の妹の亭主ということになりますから、早めの紹介となりました。

 「ええ、次は・・・えーと・・・私の実の妹の亭主の・・・アツシ?」
 ちょっと、にいさん! 長年つき合っていて、そりゃあないでしょう!
 一瞬、僕に目で確認するとあわてて 「ジュンでした」 と言い換えました。
 慣れない大役に、極度の緊張をしていたようです。
 ちなみに、義兄は僕より年下であります。


 披露宴は39階の会場で行われました。

 そして、お決まりのラストシーン。
 新婦から両親へ、感謝のお手紙朗読です。

 隣の家内は、またもや泣く気満々で、読み出す前からハンカチを握り締めています。
 と、思えば義兄は、飲めない酒を無理に飲んで動揺を抑えようとしたのか、真っ赤な顔に泣きはらした赤い目をランランとさせながら、鬼ような形相で仁王立ちしています。

 「お母さんがお店をしていたため、いつも学校の行事には、お父さんが来てくれていました」

 と朗読が始まった途端、赤鬼の号泣が始まってしまいました。
 こちらも泣いた赤鬼を見ているうちに、涙腺が崩壊!
 涙、涙のエンディングを迎えましたとさ。

 実は、僕と家内も結婚式を挙げていませんが、僕らの長女も式を挙げていません。
 だから、身内側としての結婚式参席というのは、初めてだったのです。

 もし、僕が花嫁の父として、この会場にいたとしたら・・・
 なんて考えると、居ても立ってもいられませんね。
 たぶん、逃げ出してしまうでしょうな。
 次女も、将来、こっそりと入籍だけの結婚をしてくれることを願います。


 ほろ酔い気分でホテルを出ると、まだ大粒の雨が低い空から落ちて来ていました。
 その低い空を突き抜けるような高層ビル群。
 ひと際、異彩を放つ都庁の2本の塔は、先端の部分が煙っていて見えません。

 雨の日の花嫁は、幸せになるといいます。

 賢一くん、英里奈ちゃん
 結婚おめでとう!
  


Posted by 小暮 淳 at 12:45Comments(0)つれづれ

2012年04月13日

ワラをもつかむメール


 昨年11月からスタートしたコラムサイト 『ハイハイQさんQさんデス』 での連載 「温泉で元気」。
 おかげさまで明日、第40回を迎えます。

 このコラムは、直木賞作家で経済評論家の邱永漢先生が運営するサイトで、毎週水曜日と土曜日に僕が書いているものです。
 週2回の連載というのもハードなのですが、加えて100回連載するという試練とも現在、闘っています。
 約5ヶ月が過ぎ、なんとか40回まで来ました。

 今日も、仕事の合間を見て、1本書きました。
 先を見ると、時々、気が遠くなることもありますが、それでもあきらめずにセッセセッセと書いているのは、読者から応援メールが届くからなんです。
 「いつも読んでいます」
 「毎回、楽しみにしています」
 「今回も、大変ためになりました」
 「ますます温泉が好きになりました」
 という声に励まされ、おだてられながら日々、頭をしぼっているのです。


 今週の水曜日、第39回のタイトルは 「願いを叶える氏神様」 でした。
 以前、このブログでも触れたことがある、奥嬬恋温泉にある小さな神社の話です。
 不思議なほどに願いが叶うということで、僕が雑誌のエッセーに書いたところ大騒ぎになり、ふだんは無人の神社に役場の職員が出動してしまったという、あの神社です。

 でも、それだけ騒ぎになるということは、人は窮地に立たされたときには、ワラをもつかむということです。
 以前、同コラムで “末期ガンが消えた” という温泉の話を書いたことがありました(第4回 「霊験あらたかな湯」)。
 このときも、全国の読者から 「ぜひ、その温泉を教えてください」 というメールが届きました。

 そして、今回も・・・

 「私は慢性の疾患を抱えています」
 「友人が今度、難しいとされる手術をします」
 「息子が脳に障害があり、医学では治す方法がないと医者に見放されました」

 もう、読んでいて、胸が痛くなるメールばかりです。
 そして、最後に書かれている言葉は、「ぜひ、その神社を教えてください」。

 日本ではヨーロッパのように、温泉療法が医療として認められていません。
 温泉分析書には、適応症の項目がありますが、あくまでも “効能” にとどまり、どんなに霊験あらたかな温泉でも、薬事法違反になるため 「治る」 とは言ってはいけないのです。

 それでも、人は、万に1つの奇跡を信じます。
 
 それが温泉であれ、神社であれ。


 でも、昔から、そうやって人々の “心” を癒やしてきたのが温泉であり、神社だったのです。

 僕はメールをくださった読者ひとり一人に、返事を書きました。
 いつか、「ありがとうございます。おかげさまで……」 というメールが届くようにと願いを込めて。

 ※(コラム「温泉で元気」 は、当ブログの 「お気に入り」 より、お読みいただけます。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:39Comments(3)執筆余談

2012年04月12日

「つれづれ」 ベスト10


 このブログは、温泉ファンだけが読んでいるんじゃないんですね。

 時々、「いやぁ~、小暮さんのブログは泣けますね」 とか 「この間の○○(ブログのタイトル) は、泣かされました」 という声をかけていただきます。
 これらはすべて、温泉ネタではありません。
 主にカテゴリー『つれづれ』 で、つづっている日常の出来事です。

 先日も、毎日僕のブログを読んでいるという女性から 「私は小暮さんの家族話が大好きです。先日の白髪の話や息子さんのレストランの話は、泣けましたよ。銀婚式の話しとかも好きです。もっと家族話を書いてくださいよ」 と、熱いエールをいただきました。
 と、思えば、さる友人は、「『つれづれ』 だけをまとめて、本にして出版したら?」 とまで言ってくれました。

 実際、過去には 「いい話だったので、小暮さんのブログをコピーして配りました」 というお医者さんがいたり、ミニコミ紙に掲載してくださった読者の方もいました。
 それらは、すべて 『つれづれ』 の中の話です。


 と、いうことで、過去に 「泣けた」 「いい話だ」 と声の上がった “ 『つれづれ』 ベスト10 ” を発表したいと思います。
 まだ、お読みになっていない方は、ブログ内検索をして、ご覧ください。

 ・「老人と温泉」(2010.2.25)
 ・「亡友の息子」(2010.9.12)
 ・「マイバスに乗って」(2010.12.6)
 ・「4つの顔と4つの祝い事」(2011.5.22)
 ・「生まれて初めて会った人」(2011.11.5)
 ・「老人とマンドリンの夕べ」(2011.11.7)
 ・「25年ぶりのツーショット」(2011.11.11)
 ・「100点満点の死」(2012.1.13)
 ・「背中に書かれた文字」(2012.2.16)
 ・「白髪へのトラウマ」(2012.3.27)
  <掲載の古い順です>
  


Posted by 小暮 淳 at 21:15Comments(2)つれづれ

2012年04月11日

群馬の温泉よもやま話


 昨晩は、群馬県公社総合ビルにて、温泉の講話をしてきました。

 僕を呼んでくださったのは、県内で活動するファイナンシャルプランナーや弁護士、司法書士などのネットワーク組織、㈱ライフプラン21です。
 代表の本多輝雄氏が、無類の温泉好きということもあり、僕はここの「ぐんま温泉倶楽部」顧問を務めています。


 昨晩は、同社の前橋市地区交流会が開催され、僕はゲストスピーカーとして1時間ほど温泉の話をさせていただきました。
 テーマは 「群馬の温泉よもやま話」。

 「なんでも小暮さんの好きなように話してください。温泉の話が聞けるだけで、みんな楽しいんですから」 と代表に言われ、思いつくままに、本当に好き勝手に話をしてきました。
 まあ、前半は、この1年の僕の近況報告です。

 でも嬉しかったのは、みなさん僕のことを良く知っていらっしゃる!
 会場に着くなり、「NHKテレビ見ました」 と声をかけてくださった方が何人もいました。
 また朝日新聞に連載中の 『湯守の女房』 を読んでいる人が、3分の1もいたのには驚きました。
 と、思えば、前橋地区の集まりなのに、先週発行された高崎市内配布の 「ちいきしんぶん」 に掲載された記事を読んでくれていた人もいました。
 ありがたいことです。

 やっぱり、少しでも温泉や僕に興味を持っていてくださる人たちの前で話をするのは、気持ちが良いものですね。
 みなさん、真剣に話を聴いてくださいますから、こちらも話し甲斐があるというものです。

 後半は、震災後の温泉地の様子について話をさせていただきました。
 以前から僕がブログでも話している “二極化” についてです。

 涸渇(こかつ)する温泉、レジオネラ菌の問題、湯に人が集まる温泉、湯以外で人を呼ぼうとしている温泉などなど、今僕が気になっている温泉事情について話をしました。


 でも、やっぱり1時間というスピーチ枠は短いですね。
 通常、講演会は90分が基本ですから、どうしても、話が急ぎ足になってしまいます。
 本当は、もう少し突っ込んだ話もしたかったのですが、それはまたの機会にお話しするということで・・・

 講話終了後は、お約束の著書販売とサイン会となりました。
 今回販売したのは、この1年間に出版した 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 と 『あなたにも教えたい 四万温泉』 の2冊だけだったのですが、たくさんの方が両方とも買ってくださいました。
 なかには 「サインだけでもいいですか?」 と、すでに買ってもっている本を持って来られた人もいました。
 と思えば、「実家の母や友人に贈りたいので」 と、同じ本を複数冊買ってくださった人もいます。

 会員のみなさん、本当にありがとうございました。
 そして、いつも陰で僕の活動を応援してくださっている本多代表には、心より感謝を申し上げます。

 ありがとうございます。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:52Comments(4)講演・セミナー

2012年04月09日

なぜかコメンテーター


 最近、自分が何屋だか、分からなくなってきました。

 本業は、まぎれもなく 「ライター」 です。
 ですから、「文章」 を売っています。
 いろんな文章を売っていますが、この何年かは 「温泉」 ばかり売っています。
 現在、販売の9割を占める当店の人気ナンバーワン商品です。

 テレビやラジオに出演したり、講座やセミナー、講演で講師をしているのは 「営業」 の一環です。
 自分の著書を売らんがための広報活動だと解釈しています。
 もちろん、それだけが出演や講師を受ける理由ではありません。
 温泉の魅力や温泉の正しい知識を、一人でも多くの人に伝えたいという使命感もあります。
 以前から、僕は自称 “群馬温泉大使” を名乗っていますから、群馬県のブランド力最下位脱出のためにも広報活動を続けているわけです。

 バンドのライブ活動は、完全な趣味です。
 いや、趣味でした。
 最近は、ステージのあとで、著書販売&サイン会を行うパターンが多くなったもので、だんだん趣味が仕事化していますね。
 なんだか、ライブ活動も 「広報」 および 「営業」 の一環と言えそうです。


 と、いうことで、今のところは納得をしながら、来る仕事は拒まずにこなしています。
 が、今日、新たな依頼があり、打ち合わせに行ってきました。

 依頼先は、「テレビ局」。
 依頼内容は、ニュースの 「コメンテーター」です。

 えっ、ニュース!?

 と最初に連絡をいただいたときは、お断りすることも考えたのですが、今日、担当者とお会いして話をしてみると、「温泉ライター」 としての出演で、毎回、専門分野の 「温泉トーク」 の時間をいただけるということだったので、お受けすることにしました。

 出演は、月1回程度。1年間。
 時間は、45分間です。

 不定期ですので、出演日は今後、ブログにて報告いたします。
 第1回目、今月の出演は、下記のとおりです。



 ●放送局   群馬テレビ(地デジ3ch)
 ●番組名   「ニュースジャスト 6」
 ●放送日   (月)~(金) 18:00~18:45
 ●出演日   4月16日(月)
 ●テーマ   「花ざかりの温泉」      
    


Posted by 小暮 淳 at 21:19Comments(4)温泉雑話

2012年04月08日

妖怪「はんぺん小僧」現る!?


 以前、妖精を目撃したという話を書いたことがありましたが、世の中には、まだまだ解明されていない生物が、ひそんでいるものです。
 (妖精についての詳しくは、当ブログ2010年11月16日「妖精目撃」を参照)

 先日、取材に同行した新聞記者の I さんから、
 「僕は霊感もないし、お化けや幽霊のたぐいは見たことがないんですが、ヘンなものを一度だけ見たことがあるんですよ」
 と、摩訶不思議な話を聞きました。


 時は、2011年3月9日。未明のこと。
  I さんが自室のベッドで夜中に目が覚めると、部屋の中に何か得体の知れない白い物体が浮いていたといいます。
 「大きさは弁当箱くらいかなぁ。僕は、すぐに “はんぺん” だと思ったよ」

 で、その “はんぺんのお化け” は、床から10~15センチの高さをユラユラと漂いながら左から右へ移動して行ったといいます。

 「それだけ?」 と僕。
 「うん、それだけ」 と I さん。
 「なーんだ」 と僕。
 「でもね、目が合ったんだよ」 と I さん。

 「なななんだってーーーっ! はんぺんに、目があったの?」 と僕。
 「うん、ちゃんと2つ。鼻と口もあった。でも、かなりマンガっぽかったけどね」 と I さん。

 そして、2日後。
 東日本大震災が発生した。
  I さんは 「地震の発生を教えに来たのかもしれないね」 と、しみじみと言いました。


 「違うな、それは!」
 と、この話に異論を唱える人がいます。
 ご存知、僕の友人S君です。
 彼は、僕が目撃したナゾの生物を 「妖精だ!」 と言い当てた人物です。

 一昨日の飲み会の席は、“はんぺんのお化け”話で、盛り上がりました。
 S君いわく、
 「それは、幽霊やお化けの類ではない。妖怪の一種だな」
 と、ズバッと言い切ります。

 「だったら、“いったんもめん”の仲間かもしれませんね」 とは、隣で聞いていたデザイナーのUさん。
 「亜種か突然変異で、短くなってしまったタイプかもしれない」 と推測します。

 「水木しげるの妖怪図鑑の中に、あるかもしれませんよ。ちょっと待ってくださいね……」
 とケータイで検索を始めたカメラマンのF君。
 「ありました~! あれ? ちょっと違うなぁ……はんぺんじゃありません」
 水木しげる先生の妖怪の中には 「高野豆腐型一つ目妖怪」 という妖怪がいるそうです。


 昨日、僕は改めて I さんに電話で確認しました。
 すると、「高野豆腐ではなく、はんぺんである」 こと、「1つ目ではなく、ちゃんと2つ目があった」 ことを証言しました。
 いうなれば、彼が目撃したのは、
 “はんぺん型2つ目妖怪” なのであります。

 長ったらしくて、言いづらいので、
 「はんぺん小僧」 と呼ぶことにしました。

 あれ? 「はんぺん娘」 かな?
  I さんは、性別までは分からなかったようです。


 はてさて、「はんぺん小僧」 の正体はいかに?
 もし、ご存知の方がいましたら、教えてくださいませ。

 僕らは今、「はんぺん小僧」 の捕獲計画を考えています。
  


Posted by 小暮 淳 at 17:23Comments(8)つれづれ

2012年04月07日

八塩温泉 「神水館」③


 桜の開花には、まだ早かったようです。
 でも、満開の梅の花が出迎えてくれました。

 昨日は、午後から八塩温泉の「神水館」へ取材に行ってきました。

 「神水館」へは、もう何年も前から、雑誌や本の取材、温泉講座などで、たびたび訪れています。
 今さら、見ることも聞くこともないと思われそうですが、いえいえ、とんでもない!
 僕が温泉ライターになった理由が、今回の取材には、しっかりあるのです。

 温泉の魅力は “湯” にあり、“歴史” にあり、そして “人” にあり

 僕は、いつも取材をするときには、この言葉を自分に言い聞かせるように反芻(はんすう) しています。
 と、いうことで、今回は “人” に会ってきました。
 (「湯」と「歴史」については、当ブログの2010年4月8日「八塩温泉 神水館」、2011年12月20日「八塩温泉 神水館②」を参照)


 お会いしたのは、4代目女将の貫井美砂子さんと、若女将の恵理香さんです。
 自家源泉を所有する老舗旅館に生まれ育った女将と、そこの長男のもとへ嫁いできた若女将。
 育った環境も、世代も異なる2人へ同時に話を聞くことにより、守り受け継がれる湯と歴史と文化の大切さを書いてみたいと思ったのであります。

 同館の娘として育った女将にとっては、「旅館は家庭の延長」 だと言います。
 しかし、嫁として5代目を受け継ぐ若女将にとっては 「湯と歴史を守らなくては」 という思いがひとしおです。

 僕と若女将が話していると、何気に女将がかけた言葉が印象的でした。
 「力まないで、自然でいいのよ」

 すると若女将は、
 「女将に会うのが目的で、泊まりに来るお客さんがいるんですよ。女将は私の手本です」
 と言葉を返しました。

 20年後、きっと同じ会話が、6代目若女将とされていることでしょうね。
 とっても、素敵なことだと思いました。


 「小暮さんは、温泉の記事なのに、必ず “人” が出てくるんですね?」
 と、良く聞かれます。
 ええ、結局、どんなに素晴らしい温泉でも、そこには必ず湯を守り、文化を築き、歴史を担ってきた “人” がいるからなんですね。
 僕は、いい温泉に出合うと、その温泉を大切に守り続けている人に会いたくなってしまいます。


 いい温泉には、いい湯守(ゆもり) がいる。


 僕にとって、温泉を訪ねるということは、人に会うことなのです。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:18Comments(0)温泉地・旅館

2012年04月05日

犬はミスを犯さない


 人生は時おり、思わぬことが起きるものです。
 長い、ライター人生でも、こんなことは初めてでした。

 群馬県が発行している観光情報誌から、人物の取材依頼がありました。
 県内の達人を紹介するコーナーです。
 で、依頼された取材相手の名前を聞いて、ビックリ~~~ッ!

 友人だったのです。
 それも、ただの知り合いではない。
 小学校1年生からの竹馬の友!
 しかも、バンド仲間!
 おまけに、いつもは僕と組んで仕事をしているカメラマン!
 それも、拙著 『あなたにも教えたい 四万温泉』(上毛新聞社) の表紙およびグラビア、プロフィール写真を撮った、そう、あの酒井寛君であります。

 えっ、なんで?

 と思われる人もいるかもしれませんが、彼は昨年、ディスクドッグの世界大会で日本代表として出場し、世界15位にランキング!
 しかも、最もパフォーマンスに優れたプレーヤーに贈られる審査員特別賞の 「フェイバリットエンターテイナー賞」 を受賞しているのです。
 (詳しくは、当ブログの2011年10月27日「ドッグアーティストって何?」、2012年2月4日「胡散臭いって素晴らしい!」 参照)

 もちろん友人ですから、僕だって彼の活躍は知っていましたよ。
 でもね、まさか僕が彼を取材するとは、夢にも思いませんでした。

 さて、困った。
 取材をするには、親し過ぎます。
 「取材、いらないんじゃないの?」 とか 「好き勝手に書いたら?」 とか、周りの人には言われましたが、プロとして記事を書く以上、そうは行きませんって。
 で、今日、彼の家へ行って、話を聞いてきました。

 いつもはバンド練習とか、遊びでしか訪ねない彼の家です。
 ひと足先に、カメラマンのF君が着いていました。

 これも、ヘンなものです。
 本来なら、僕と酒井君が組んでやっている仕事ですよ。
 でも、仕方ありませんよね。
 自分で自分の写真を撮るわけにはいきませんから、別のカメラマンに来てもらいました。

 それにしても、やりづらい!
 酒も飲まずに、身内を取材するなんて!
 照れてしまいます。
 それでも、ふと、思ったのですよ。
 考えてみたら、46年も付き合っていて、どうして彼が犬を好きになって、ディスグドッグのプレーヤーになったかなんて、考えたことも、聞いたこともなかったと・・・

 そう思ったら、ライターとしてではなく、友人として無性に理由(わけ)を知りたくなったのであります。


 一昨年、初めて日本代表としてアメリカの大会に出場した彼は、世界のレベルの高さと雰囲気にのまれてしまい、惨敗をしてしまいました。
 その時、彼が師と仰ぐプレーヤーから、こんな言葉が贈られたと言います。

 「犬はミスを犯さない。ミスするのは人間だ」 と。

 犬は、人間に従順な動物なので、人間の指示通りに動く。
 もし、犬がミスしたのであれば、それは人間のミスである。

 以後、彼は 「犬と、どう接するか」 を考えるようになり、自分のスキル向上に努めたといいます。
 結果、1年後の昨年10月、世界の舞台で好成績を残しました。


 僕は、この話を聞いたとき、温泉のことを考えていました。
 以前、四万温泉の老舗旅館 「積善館」 の19代目主人、黒澤大二郎さんを取材した時のことです。
 黒澤さんは、こんなことを言いました。

 「人は温泉のことを、“いい湯” とか “悪い湯” というが、それでは温泉がかわいそうだ。悪いのは温泉ではなく、利用している人間のほうなんだから」

 そう、地上へ湧き出てきた温泉は、みんな “いい湯” なのです。
 それを人間の都合で、勝手に手を加えてしまう。
 お湯の立場になって、温泉を考えるのが湯守(ゆもり) の仕事なのである。
 「人間にそれができないのなら、鳥や獣に温泉を返しなさい」 とまで、黒澤さんは言いました。


 どの世界でも、“本物” を極める人は、奥の深い言葉を残しますね。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:40Comments(5)取材百景