温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2013年01月31日

榛名湖温泉 「ゆうすげ元湯」「レークサイドゆうすげ」②


 これだから温泉は面白い!
 飽きることが、ありません。


 “現場百遍”
 これが僕の取材における鉄則であります。
 1回より2回、2回より3回・・・
 訪ねれば訪ねるだけ、新しい発見があるものです。

 今日、またしても、目からウロコの新発見に、心をときめかして参りました。


 榛名山腹の榛名湖。
 県内でも数少ない、天然湖のほとりに湧く温泉が榛名湖温泉です。
 現在、2軒の宿泊施設があります。
 「ゆうすげ元湯」 と 「レークサイドゆうすげ」。
 現在は、どちらも同一会社が経営しています。
 が……、それは平成になってからの話。

 でも、この温泉。
 昭和40年代から源泉がありながら、諸般の事情により、なかなか世に出なかった波乱万丈の幻温泉だったのです。
 ※(温泉の誕生秘話については、当ブログ2010年5月22日「榛名湖温泉 ゆうすげ元湯 レークサイドゆうすげ」を参照ください)


 今日の榛名山は、雲ひとつない、どピーカンの青空が冴え渡っていました。
 路肩に積雪はあるものの、湖畔を周遊する道路は通常走行が可。
 湖面は全面凍結していて、それはそれは、美しい風景でありました。

 「どうも、ご無沙汰しています」
 と 「ゆうすげ元湯」 で出迎えてくださった中島美春社長と小野浩司支配人。
 小野さんとは、2年半ぶりの再会です。
 中島さんは、その後、僕の本の出版記念パーティーでお会いしていますが、それでも約2年ぶりです。

 あいさつもそこそこに、通りを渡って、湖畔に建つ 「レークサイドゆうすげ」 へ。
 お約束の入浴シーンの撮影を、先に済ませることにしました。

 ここは内風呂しかありませんが、県内屈指のレイクビュースポットです。
 湖側が全面ガラス窓で、入浴中の目線が湖面の高さにあるのです。
 昔、“お魚になった私” なんていうテレビCMがありましたけど、気分はまさにワカサギです!(意味がよく分からないって?)

 で、僕のお気に入りは、眺望だけではありません。
 これぞ、“正しいかけ流し風呂” の模範のような浴槽こそ、イチ押し!であります。

 浴槽の形は、やや左ドッグレッグに曲がっていますが、源泉の注ぐ 「湯口」 が奥、オーバーフローする 「湯尻」 が手前と、理想的な造りをしています。
 そして、手前がぬるく、奥が熱い。
 完璧であります。
 これなら、あつ湯好きでも、ぬる湯好きでも、どちらの人でも入れます。

 う~~~ん!極楽極楽・・・

 仕事とはいえ、朝から極上の湯をいただいてしまって、申し訳ありましぇ~ん!
 と、白銀の榛名湖を眺めつつ、至福の時間を満喫していました。
 ところが・・・

 んっ?
 あれ?
 何かが違う。

 なんだ?

 あっ、色がない!

 そうです。僕が拙著 『群馬の小さな温泉』(上毛新聞社) の中で、<カーキ色の湯が湧く湖畔の湯治場>と形容した、白いタオルが生成り色に染まるほどの濃厚な褐色の湯が、なぜか今日は透明なのですよ。

 さては、源泉が涸れたか、湧出量が極端に減少したため加水したか?
 と、謎を解き明かそうと、あれやこれやと詮索していたのであります。

 ところが!
 浴室から出るやいなや、「レークサイドゆうすげ」 の富澤浩一支配人が僕を待ち構えていて、
 「突然、震災以降、湯の色が消えたんですよ。ところが成分は、まったく変わっていません。不思議なんです」
 と、開口一番。

 おっと、それは、たまげた。
 それより、僕に報告してくれた、その正直さに胸を打たれました。
 いつぞやの、温泉に色をつけたという偽装問題を起こした某温泉地とは、大違いである。

 温泉だもの、日によって、色も温度も異なるのが自然というものです。
 これで、いいのです。
 あるがままが、天然温泉の “あかし” であります。


 と、と、ところがーーーーっ!
 湯上がりに、「ゆうすげ元湯」 にもどって、中島社長と小野支配人とコーヒーを飲みながら雑談をしていたときです。

 「そーなんですよ。レークサイドは色が消えたんですが、逆に湯元のほうは色が付いたんです。以前と、逆転してしまいました」

 な、な、なんですとーーーっ!

 2軒は同じ源泉から引湯しています。
 もし、地震の影響で地下の湯脈に異変が起きたのだとすれば、両方とも色が消えるはず。
 なのに以前は、ろ過していたために色がなかった 「ゆうすげ元湯」 の湯に、なぜ突然、色が付き出したのだろうか?

 「我々も、理由がわかりません。本当に温泉って、不思議ですね」
 と、中島社長。


 と、いうことですから、みなさん!
 榛名湖温泉に行ったら、両方の湯に入ってみましょうね。
 (宿泊客は、どちらの浴室も利用できます)
   


Posted by 小暮 淳 at 19:31Comments(0)温泉地・旅館

2013年01月30日

清く 貧しく 美しく


 「貧乏ですかーーっ?」
 「貧乏ならば何でもできる!」

 会うと、そう言って、いつも2人は笑い合います。


 Mさんとは、本当に長い付き合いです。
 今年で、ちょうど30年になります。
 僕が東京から帰ってきたばかりで、地元のライブハウスあたりでタラタラ歌っていた頃に出会いました。

 Mさんも、まだその頃はバンドでドラムなんか叩いていて、ちょっと陰のある寡黙な人だったけど、穏和でやさしい頼れる兄貴的存在でした。
 そうです、Mさんのほうが僕より年上です。

 まったく性格も嗜好も違う2人なのにね。
 なぜか、長い人生を遊んでもらっています。

 ただ、2人には、1つだけ共通点があるんですよ。
 それは、“人に頭を下げられない”んです。
 かっこよく言えば、唯我独尊の一匹狼!
 でも本当は、組織の中で 「耐える」 「忍ぶ」 ことができない、ただの “わがまま” な男なんですけどね。

 だからMさんも僕同様に、勤めたことはあっても、すぐに会社を辞めてしまい、結局は自分1人で仕事をしています。
 「子どもたちにはさ、お父さんは社長なんだぞっ!って言ってるんだけどさ。従業員はいないしね。バカにされているよ」
 なーんて言っていた時代もありましたが、どーしてどーして、大したものですよ。
 自宅の敷地内に工房を持つ、一国一城の主(あるじ)であります。
 2人のお子さんだって、立派に育て上げました。

 ただね、一国一城の主といっても、所詮は、僕と同じ個人事業主です。
 “一人力” でこなせる仕事の量にも、稼げる金にも限度というものがあります。

 やはり、ついてまとうのは “貧乏” の二文字です。


 「ジュンちゃんさ、俺は最近、つくづくサラリーマンは偉いって思うんだよ。だって、イヤな上司やイヤ仕事にも頭を下げて、ストレスためて、何十年って生きてるんだからさ。俺には、できねぇ~な~」
 結局、僕らはそれができなかったから、今の人生を仕方なくやってるんじゃないですか!

 でもね、僕も最近は、そう思います。
 この世で一番偉いのは、サラリーマンじゃないかってね。
 だから、僕らなんかより何十倍も給料をもらっていても、文句なんてありませんよ。
 あんたたちは、偉いんだから!
 よっ、企業戦士!


 でも、公務員はいけません。
 市民、県民、国民の血税をもらって生きているんですから。
 ちゃーんと、市のため、県のため、国のために勤め上げてくださいよ。

 「しっかしさ、どーなっているんだろうね。今の教師はさ・・・」
 と、今日も今日とて渋茶をすすりながら、僕とMさんは時事(ジジイ)放談に花を咲かせます。

 テーマは、例の地方公務員の “駆け込み退職” であります。

 3月末で定年退職を迎える地方公務員の一般職と警察官、教員のうち、退職手当の引き下げを前に退職したか、退職を希望した人が、8県で460人を上回ったという、あのニュースです。
 なかでも埼玉県では、教員が123人もいたというじゃあーりませんか!(本当にたまげた!)

 えっ? 税金もらっていて、最後まで勤め上げないんですか?
 担任もっている先生だっているよね?
 「あっ、あの人。可愛い教え子たちより、150万円に目がくらんだ人だぁ~~!」 なんて死ぬまで後ろ指をさされますよ!

 えっ、それでも150万円のほうがいい?


 「でもさ、それでも退職金が2,500万円以上もらえるんだぜ。俺たち、なーんもないもんね。あー、そう思うと、ムカムカしてきた~!」
 と、オヤジ2人は酒も飲まずに、渋茶で大興奮であります。


 先生、あなたは、ただの公務員じゃないでしょ?
 先生とは、教え子がいて、先生なんですよ。
 聖職に就いている者としてのプライドはないのですか?

 たぶん、生き方の “美学” なんて、持っていないんでしょうな。
 あーあ、とりあえず群馬県は、1人も退職者がいなくてよかった・・・。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:56Comments(3)つれづれ

2013年01月29日

絶滅危惧温泉の未来


 僕が、ライフワークとして温泉の取材をするようになって、10数年になります。
 きっかけは、タウン誌や情報誌の編集をしていて、僕をはじめ、あまりにも群馬県民が県内の温泉のことを知らないことに気づいたからです。

 草津、伊香保、水上、四万・・・くらいは誰でも知っています。
 万座、磯部、老神、猿ヶ京・・・このあたりから、だんだん怪しくなってきます。

 他県の人なら、充分です。
 僕だって、他の県の温泉名を10も20も言えませんからね。
 でも、群馬に生まれ育って、しかも群馬のネタで食っている雑誌の仕事をしていて、10と名前を言えないというのは、なんとも情けない。

 「よっしゃ、一度全部調べてやれー! 」

 ということで、調べてみたら、これが驚いた!
 県の登録には、100以上の温泉地(宿泊施設のある温泉) があるではありませんか!
 ※(日帰り温泉も同じ数ほどあります)

 で、さらに調べて行くと、実に全体の8割が10軒に満たない小さな温泉地であること。
 さらにさらに、その8割 (なんと全体の半分以上) が、たった1軒で温泉地の看板を守っている “源泉一軒宿” だったのであります。

 「だったら、これ、全部まわって、本にしてやろーじゃないのォォォ~!」

 と、根性入れて書いた本が、4年前に出版した 『ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) だったのであります。


 現在群馬県内には、約50軒の源泉一軒宿があります。
 正確には、50軒以上あります。
 なぜ、“約” を付けるのかというと、年々その数は、減少の一途をたどっているからです。

 すでに昨年1年間だけでも、数軒の廃業報告を受けています。


 僕は、自分のセミナーや講演で、よく、こんな話をします。
 「草津温泉や伊香保温泉のように、何百軒、何十軒と宿のある温泉地は、1軒の宿が廃業したからといって、温泉地はなくなりません。でも、たった一軒で、源泉と宿と温泉地名を守っている “源泉一軒宿” は、その宿が廃業してしまうと、温泉地自体が地図から消えてなくなってしまうんです」 と・・・。

 いわゆる、絶滅危惧温泉(レッドデータ) です。


 実は、僕が一軒宿の温泉を取材するにあたり、一番知りたかったことが、これなんです。
 名前も知られていない、宣伝もしていない、ガイドブックや旅行雑誌にも載らない小さな宿って、どうやって客を集めて、どやって商っているんだろうか? という疑問です。

 そして、その答えにこそ、僕が人生を棒に振ってまで(?) のめり込んだ秘密があったのです!

 それは、温泉地本来の “湯治場” の姿が残されていたからです。


 僕は、前出著書の 「あとがき」 で、次のように記しています。
 <戦後、日本の温泉地はどこも急速に変化していった。高度経済成長の波に乗り、大型バスで団体客が温泉地へとなだれ込み、湯量に見合わない大浴場と露天風呂をこぞって造り、宴会客中心の旅館やホテルが増えつづけた。そして、いつしか温泉地は 「湯治場」 から 「観光地」 へと変貌してしまった。(中略) しかし高度経済成長期、バブル時代と大温泉地が集客に酔狂している間も、一軒宿の温泉地は、かたくなに湯を守りつづけていたのである。>

 そんな一軒宿を、景気や世相に左右されることなく支えてきたのが、“湯治客” でした。
 今の言葉で言えば、リピーターです。

 現在でも、一軒宿や小さな温泉地には、このリピーター率が80%以上という宿がたくさんあります。

 昔と比べたら、インターネットもありますから、雑誌やガイドブックに載っていなくても一見の客が来るようになりました。
 それでも、全体の数からしたら微々たるものです。

 そして、そのリピーター(湯治客) のほとんどは、高齢者ということになります。


 「今はなんとかリピーターで持っていますけど、あと10年もしたら分かりませんね」
 最近は、そんな切実な声ばかり、聞こえてきます。
 「ネットのお客さんもありがたいけど、なかなかリピーターにはなりません」
 とも・・・。

 湯治は、文化なんですね。
 文化は、文明のように急速には進化しません。
 ゆっくり、ゆっくりと、人が時間と手間をかけて、受け継ぎ、守り継いでいくものなのです。

 ぜひ、我々が、この先人たちが守り継いできた文化を、未来へと引き継げるよう、受け継いで行きたいものです。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:14Comments(2)温泉雑話

2013年01月28日

人事不省の30時間


 まったくもって、何がなんだか分かりません。
 キツネにつままれたような30時間でした。


 昨日の朝のこと。
 枕元の目覚まし時計のけたたましさに、覚醒を始める。

 何時だ・・・?
 おぼろげに数字を確認するが、体が反応しない。
 脳が指令を送っても、一向に体が動かない。

 えーと、今日の予定は・・・
 意外と脳はクリアなのであります。
 これといったアポも、急ぎの仕事もなかったはずだ。
 だったら、あわてて起きることもないか・・・

 そう思った瞬間、意識を失ってしまった。


 ええ、ここは、どこだ。
 目を開けると、天井が見えた。
 グルリと頭を回すと、僕の仕事場が見える。

 「うちだ、うちにいる。でも何をしているんだろ・・・」
 と、体を起こそうとするが、動かない。

 なんだ、この脱力感は?
 完全に、重力に肉体が負けている。
 でも、トイレへ行きたい。
 そう思って、無理やりベッドから抜け出した。

 時計を見ると・・・
 えっ、4時?
 午後の4時だ。
 14時間も寝ていたのか・・・


 階下へ降りて行き、水を1杯飲んだ記憶がある。
 「どうしたの? 具合悪いの?」
 と気づかう家人に、
 「夕飯は、いらない」
 とだけ告げて、またベッドにもぐり込んだ。

 自分でも、不思議だった。
 なんで、こんなにも眠れるのだろうか?
 ノドは乾くが、腹は減らない。
 それより、今は眠りたいのだ。


 リリリリリリ……
 遠くで、ベルの音がする。

 何の音だろうと、目を開けた。

 いつもの部屋で、いつもの朝を迎えた。
 それが、今日の午前9時。

 なんていうことはなく、スクッと起きられた。
 いつものようにトーストを食べ、食後にコーヒーを飲み、午前中に1本原稿を書いた。
 今週の予定を仕事先に連絡を入れ、いつもどおりの1日を過ごしている。


 いったい僕は、30時間もの間、どこで何をしていたんでしょうか?
 人生には、時として訳の分からないことが起きるものです。
   


Posted by 小暮 淳 at 14:49Comments(2)つれづれ

2013年01月26日

髪結いの亭主


 今日、髪を切られました。

 髪を “切った” のではなく、“切られた” のです。
 僕の場合・・・
 もう、こんな生活が27年間も続いています。

 なんのことかと言えば、「かーちゃん床屋」です。
 冬のこの時季は、風のない午前中の日だまりを見つけて、庭先でチョッキン、チョッキンされます。
 僕だけではなく、3人の子どもたちは、床屋や美容院というものを知らずに育ちました。

 「はい、髪の毛切るよ~!」
 と声がかかけば、誰ひとり逆らうことなく、順番を待って、かーちゃんの指示に従います。

 何を隠そう、僕のかーちゃん(家内) は、元美容師なんです。


 えっ、それじゃあ、髪結いの亭主じゃねぇかって?
 し、し、失敬なっ!

 「髪結いの亭主」 とは・・・
 <(髪結いは女性でも腕しだいで男性と同等に収入が得られることから) 女房を働かせて自分は仕事をせずに遊んで暮らしている夫。また、女房に養われて生きているふがいない男性>『成語林』より

 のことですぞっ!
 誰が、“仕事をせずに遊んで暮らしている夫” ですか!
 誰が、“女房に養われて生きているふがいない男性” ですか!

 えっ、僕のこと?

 ・・・そーいえば、27年前。
 結婚したときは、確かに僕は無職でした。
 だから結婚の条件として、僕が炊事と育児をする “主夫” を買って出たんです。

 えっ、家内ですか?
 美容師でした。

 あっ、やっぱり、合っていましたね。
 “美容師の夫で、女房に養われている男性” でした。
 こういうのを、名実共に 「髪結いの亭主」 って言うんでしょうか。

 でもね、“遊んで暮らしていた” わけでも、ましてや “ふがいない男性” ではありませんでしたよ。
 それなりに、お互いが納得して、結婚して、暮らしていたわけですからね。
 そーじゃなければ、27年間も続かないし、子どもを3人も産んで育ててはいませんよ。


 で、僕は結婚してから1度も床屋へ行ったことがないのか、っていうと、それがあるんです。
 かーちゃんと大ゲンカをして、髪を切ってもらえなかったことが、2回ほどありました。
 でもね、プロでも他人だと、なんだかシックリいかないんですよね。
 「前髪は、このくらい」 とか 「横は、耳が隠れるくらい」 とか、いちいち説明しても、自分の思いどおりの髪型にはならない。
 かーちゃんなら、何も言わなくても、いつもの髪型にしてくれるのにね。

 だから大ゲンカの後は、床屋へ行きたくないばっかりに、いつも僕から謝ってしまうわけです。


 先日、大学生の長男が、突然、髪の毛が短くなって帰って来ました。
 かーちゃんに 「お前が切ったのか?」 と訊くと、「自分で床屋に行って来たんじゃないの」 と少し淋しそうです。
 さすがに息子も、かーちゃん床屋は、恥ずかしい年頃になったようであります。
 親離れをしたということですな。

 えっ?
 ということは、僕はいまだに女房離れができていないということですか!

 ま、それはそれで、いいんじゃないでしょうかね。
 だって、筋金入りの 「髪結いの亭主」 なんですから……。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:30Comments(3)つれづれ

2013年01月25日

うのせ温泉 「上越館」②


 ついにマジック点灯!
 残り、あと6軒となりました。


 僕は1年半前から、群馬県みなかみ町にある18温泉地の全(※)75軒の宿を取材して回っています。
 ※(みなかみ町観光協会加入旅館)
 昨年の9月に、『みなかみ18湯〔上〕』(上毛新聞社) として、水上温泉と猿ヶ京温泉の2温泉地34宿をすでに発表していますから、下巻で紹介する残りの宿は41軒となります。

 この41軒は、昨年の夏から取材を続けています。
 で、未取材の宿は、いよいよ、残りあと6軒となりました!

 “終わりのない旅はない”

 そーです。
 どんなに長い旅でも、必ずいつかは終わりが来るのであります。
 あと、6つ!
 登山で言えば、九合目。
 ほら、山頂が、見えてきましたよ!


 と、いうことで、昨日は69軒目の温泉旅館に泊まってきました。

 うのせ温泉 「上越館」。
 2年半ぶりに、訪ねました。

 戦前、水上温泉が 「湯原の湯」 と呼ぶのに対して、ここは 「鵜の瀬の湯」 と呼ばれていました。
 また、湯の温度が低かったこともあり、地元では 「ぬる湯」 とも呼ばれ、湯治客が訪れていた小さな温泉地です。

 当時は、「神峡楼」「奥利根館」「鳴滝旅館」「山景館」「鹿野沢館」という5軒の湯宿がありましたが、それぞれ廃業や経営者が変わり、現在では3軒になっています。
 この中の 「山景館」 を戦後、現主人の祖父が購入して 「上越館」 となりました。


 「お久しぶりです。その節は、ありがとうございました。今日は泊まって、ゆっくりしてください」
 と、3代目主人の阿部聡一さんが、あの日と変わらぬ笑顔で迎えてくれました。
 阿部さんとは、2010年に出版した拙著 『群馬の小さな温泉』(上毛新聞社) の取材以来の再会であります。

 「今でも、あの本を持って泊まりに来られる方がいるんですよ」
 とは、うれしいですね。
 著者冥利に尽きるというものです。


 この宿の一番の売りは、何と言っても、利根川河川敷に造られた野趣あふれる露天風呂です。
 何はともあれ、部屋で旅装を解いたら、ぐずぐずせずに陽のあるうちに出かけましょう!
 と言っても、ここの露天風呂は、旅館内にはありません。
 旅館を出てから、利根川沿いの坂道を湯屋まで歩いて行きます。

 貸切露天風呂 「蛍」。
 名前のとおり、夏には天然のホタルが飛び交います。

 露天風呂ということですが、正確には “野天風呂” ですな。
 ※(露天は屋根がある。野天は屋根がない。)
 しかも、湯舟の左右にすだれのような仕切りがあるだけ。
 それ以外に、視界をさえぎるものは、何一つありません。
 かなり、ワイルドです。

 前回訪ねたのは、初夏のこと。
 ラフティングを楽しむ人たちが、素っ裸の僕に、手を振りながら利根川を下って行ったことを思い出します。
 でも今回は、冬。
 絶景の雪景色です。
 しかも、向かいの山のてっぺんには、早々と月が昇っています。

 「雪見風呂」 と 「月見風呂」
 なんと贅沢(ぜいたく) な湯浴みでしょうか!
 これが仕事なんだから、なお、たまりませ~ん!


 湯から上がれば、キーンと冷えた生ビールとともにいただく、主人の手料理。
 和食とイタリアンを学んできただけあり、絶妙に和洋が折衷された創作料理です。

 「イワナの刺身には、白ワインが合いますよ」
 だなんて、仕事とはいえ、だんだん公私混同してきましたよ。
 「では、次は冷酒を・・・」
 う~ん、イワナの刺身は、日本酒にだって、もちろんピッタリ合います。


 ホロリ、ホロホロ・・・
 と、ほどよく酒もまわり、無事に69軒目の取材が終わりました。
  


Posted by 小暮 淳 at 17:45Comments(0)温泉地・旅館

2013年01月23日

ぐんまちゃんが踊った!


 ♪GOGO 温泉パラダイス
   YUYU 湯の国ぐんま県♪

 イントロが会場に流れ出すと、ステージの上には、ぐんまちゃんと浴衣の少女たちが現れた。
 場内に広がる手拍子のリズム・・・

 もう、それだけで、僕の全身に鳥肌が立ちました。

 4000人の観衆を前に自分の歌が流れるというのは、不思議な感覚であります。
 ライブと違い、僕も客席にいるのに、自分の歌が聴こえてくるのですから。

 ステージの上では、ぐんまちゃんを囲んで、少女たちが円を描いて、盆踊りのように踊りながら回っています。

 少女たちは、群馬のアイドルグループ 「AKG」 温泉女子部のみなさんです。
 この日のために、僕のCDを聴きながら踊りの練習をしたんでしょうね。
 恐縮いたします。


 ステージ後ろの巨大モニターに、文字が映し出されましたよ!

 <GO!GO!温泉パラダイス>
 そして・・・
 <作詞・作曲/小暮 淳(温泉ライター)>

 ひえぇぇぇ~!
 驚きました。
 そこまで、してくれるんですか!
 今回は、群馬県も温泉のPRに力を入れてくれているんですね。
 ありがたいことです。


 で、いったい、なんのことを言っているのかといえば、今日、前橋市の 「グリーンドーム前橋」 で開催された 『第9回 国内観光活性化フォーラム』 での出来事です。
 午後に開催された 「群馬県観光プレゼンショー G旅オンステージ」 のオープニングで、群馬県の温泉応援ソングとして僕が作った 『GO!GO!温泉パラダイス』 が流れ、これまた群馬のマスコットキャラクターである 「ぐんまちゃん」 が踊り、さらにご当地アイドルの 「AKG」 も踊るという、ウソのような夢の共演が実現したのであります。

 会場には、ぐんまちゃんのほかにも、全国からたくさんの 「ゆるキャラ」 が、集合していましたよ。
 全身真っ赤な 「チーバ君」(千葉県) や頭に茅葺き屋根を乗っけた 「たかうじ君」(栃木県足利市) をはじめ、県内からも 「たまたん」(玉村町)、「ゆもみちゃん」(草津町)、「おいでちゃん」(みなかみ町)、お富ちゃん(富岡市)、「ころとん」(前橋市) などなど、会場内をウロチョロ歩いては、客と記念撮影をしていました。

 でも、一番人気は、やっぱり 「くまモン」(熊本県) でしたね。
 「ここが最後尾」 のプラカードが立つほどの行列です。
 ネクタイ姿のオジサンたちも列に並んで、記念撮影の順番待ちをしていましたよ。
 これぞ、全国区の人気者であります。

 ガンバレ、ぐんまちゃん!


 会場では、各温泉地のブースに女将さんたちが大勢いらしていて、端からごあいさついたしました。
 観光協会や温泉協会の方々も、大変ご苦労さまでした。
 これからも、ますます群馬の温泉を盛り上げて行きましょうね。

 GOGO 温泉パラダイス!
 YUYU 湯の国ぐんま県!
    


Posted by 小暮 淳 at 21:07Comments(0)ライブ・イベント

2013年01月22日

うのせ温泉 「旅館 みやま」②


 “牧水ファンが最後にたどり着く宿”

 僕は、「旅館みやま」 のことを、そう呼んでいます。
 だって、2年半前に訪れたときに知った事実は、あまりにも衝撃的でしたもの・・・。
 大正11年10月21日、歌人の若山牧水が沼田で泊まった宿屋 「鳴滝」 が移築され、現存していたなんて・・・。
 それが、現在の 「旅館 みやま」 だったという事実。
 実に、衝撃的でした。
 ※(詳しくは、当ブログ2010年6月11日「うのせ温泉 旅館みやま」を参照ください)


 今日は、どうしても、その 「鳴滝」 から 「みやま」 への変遷(へんせん) を50年以上にわたり見続けてきた女将の松本勝江さんに、話が聞きたくて会いに行ってきました。

 松本さんは、生まれも育ちも、うのせ温泉です。
 “うのせ” は、「鵜の瀬」 とも 「宇野瀬」 とも表記しますが、地元では湧き出る温泉の温度が低かったことから 「ぬる湯」 と呼ばれていたそうです。
 また一時、大穴スキー場のネームバリューに便乗して、「大穴温泉」 と名乗った時期もあったといいます。

 沼田市にあった旅館 「鳴滝」 が、現在の場所(みなかみ町大穴) に移築されたのは、昭和初期のこと。
 移築したのは元水上町長の高橋三郎氏。
 この高橋氏と松本さんの父が親しい友人だったということもあり、彼女は子どもの頃から旅館に出入りしていました。

 その後、定時制高校に通いながら、旅館 「鳴滝」 で働き出します。
 「昼間は旅館、夜は学校の毎日。卒業したら東京へ出ようと思っていたのに、親に反対されてね。結局、卒業後もそのまま旅館に勤めることになっちゃった」


 昭和41年~、農協が研修施設 「みやま荘」 として使用。
 昭和57年~、現オーナーが研修施設を購入して再設。
 平成14年、改修工事をして 「旅館みやま」 としてリニューアルオープン。

 オーナーは次々と変わったが、松本さんは旅館の生き字引として、解雇されることはなかった。



 「辞めようと思ったことは、なかったのですか?」
 と問えば、
 「何度もありますよ。でも、この “家” に執着があるんですよ。たびたび経営者は変わり、従業員も変わった。でも、この “家” だけは、ずーっと私と一緒だったからね」

 大正時代に若山牧水が泊まったというのだから、旅館は明治以前に建てられたものだろう。
 黒光りした太い梁(はり) や柱、時を刻んだ屏風絵・・・
 昭和になってからの50年以上もの時間を共に生きてきた女将にしてみれば、離れたくても離れられない “家” なのでしょうね。


 「だって、自宅よりも、家族よりも長い時間、一緒に過ごしてきたんですから」

 ズッシリと心の奥まで響いてくる、重みのある言葉でした。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:34Comments(0)温泉地・旅館

2013年01月21日

一石四鳥のタバコ


 どうも風邪を引いたようです。
 熱はないのですが、セキが出ます。

 マスクをしていれば、別に毎日の生活に支障はありません。
 仕事も、ふだん通りに、こなしています。

 でも、心配事が1つ・・・

 それは、今日のテレビ出演。
 生放送ですから、撮り直しはできません。
 いつ何時、「ゴホン」 とセキ込むか分かりません。

 そう考えただけで、もう、不安で不安で。

 と、いうことで、今日の本番を前に、セキ止めの薬を買いに薬屋へ行ってきました。


 「えーと、セキ止めは・・・」
 と、風邪薬の棚を探し始めると……

 「ん? なんだ? なんで、こんなところに?」
 なんとタバコが売られていました。

 「これ、薬なの?」
 と、手にとって説明書きを読んでみると・・・

 <使用上の注意>
 ■次の人は使用しないこと/喫煙習慣のない人、未成年の人
 ■効能・効果/せき・たん
 ■用法・用量/先端に点火し煙を吸入する。1回1又は2本、1日10本まで。

 ほほほほーーーっ!
 これは、いい薬を見つけた。
 愛煙家の僕としては、願ったり叶ったりであります。

 タバコが吸えて、セキが治まる。
 一石二鳥とは、このことです。

 しかも、1箱20本入りで、なんと280円!
 ふだん僕が吸っているタバコは410円もしますから、130円もお徳です。
 “一石三鳥” ではありませんか!

 僕は、即行、タバコを握り締めてレジへ。
 「これ、セキ止めですよね? タバコみたいに吸えばいいんですよね?」
 と白衣を着た若くて美人の店員さんに訊けば、
 「はい、そうですよ」
 と、笑顔で答えてくれました。

 この笑顔で、僕は “一石四鳥” を手に入れました。


 家に帰って、さっそく吸ってみると・・・

 タバコです。
 見た目も、味も、タバコです。

 ほほほほーっ!
 これは、いい。
 むせることなく、普通に吸えますよ。

 いったい、誰が考えたんでしょうか?
 こんな便利な、セキ止め薬を!

 おかげさまで、今夜のテレビ出演は、生放送中にセキが出る事もなく、無事終了しましたとさ。


 節約にもなるし、明日からタバコは、これにしようかしらん。
 (なに? それよりタバコをやめたほうがいいって? やめられるくらいなら、こんなセキ止めなんて買いませんよ!)
  


Posted by 小暮 淳 at 21:39Comments(2)つれづれ

2013年01月20日

日常という名の展覧会


 もし、僕に “畏友” と呼べる友がいるとすれば、それは久保繁のことだと思う。
 いや、過去に一度だけ、彼のことをそう呼んだことがあった。


 <何よりも一緒に灼熱のサイゴンを歩いてくれた畏友の画家、久保繁氏に心から感謝を申し上げたいと思います。ぜひ、また一緒にアジアを歩きましょう! 1999年9月 著者>

 これは、僕がベトナムを旅したときに上梓した旅行記 『ヨー!サイゴン』(でくの房) の 「あとがき」 の一文です。
 同じくして、その年から、久保氏は絵画の発表を始めています。
 彼の、画家としてのスタートのきっかけとなった “旅” が、2人で放浪したベトナムでした。

 その後、彼はアジアだけでなく、ヨーロッパへも旅を続け、帰国後には必ず、東京と前橋で個展を開催しています。


 今年も、2013年のオープニングを飾る企画展が開催されています。
 初日の昨日、僕は、日本酒を手みやげに、個展会場となっている画廊に彼を訪ねてきました。

 「おめでとう!」
 もちろん、個展の開催に対しての 「おめでとう」 と、今年初めて会うので新年のあいさつも兼ねています。
 「ありがとう。ジュンは、相変わらず、忙しそうだね」
 と、彼は必ず、僕に会うと、そう言ってくれます。

 他の人ならお世辞に聞こえる言葉も、昔の貧乏ドン底時代を互いに知っている彼が言うと、ジーンと胸の奥まで響いてくるのです。

 「まあな、でも、忙しいだけだ。一向に金にはならん」
 「それで、いいんじゃないの。俺たちは」
 「そうだな。金が欲しかったら、お互い、こんな仕事は選んでないものな」

 そう言って、思いっきり笑い合いました。


 午後5時。
 オープニングレセプションの開宴です。

 画廊内は、アッと言う間に、立食パーティー会場に変身しました。
 見渡せば、そうそうたる顔ぶれであります。
 彫刻家のMさん。
 絵本作家のNさん。
 建築家のTさん。

 それに、久保氏を 「先生」 と呼ぶ絵画教室の生徒さんたちも大勢集まりました。

 画廊オーナーからのあいさつの後、久保氏からひと言。
 「去年も幸せでした。今年も楽しくやっちゃいましょう!」

 彼らしいスピーチです。

 楽しく生きることの素晴らしさを知っている彼だからこそ、言える言葉です。



          久保 繁 展
      ~ La vie quotidianne ~
            日 常

 本展では、キャンバスにミクストメディアで描かれた作品数点と、
 ホンダカーズ群馬の2013年オリジナルカレンダーの制作にあたって
 ペン水彩で描かれた作品8点が展示されています。

 ●会期   2013年1月19日(土)~27日(日)
         10:30~19:00 (火曜休廊)
 ●会場   画廊 すいらん
         群馬県前橋市文京町1-47-1
         Tel.027-223-6311

  


Posted by 小暮 淳 at 17:24Comments(0)つれづれ

2013年01月19日

グリーンドームでオンパラ踊り!


 歌い続けて、約6年。

 晴れの日も、雨の日も、風の日も、雪の日も・・・
 東にイベントがあれば、ひとっ走り。
 西にお祭りがあれば、喜んで。
 北の温泉地では、女将さんたちと一緒に踊ります。

 「ああ、私はいったい、何屋なの?」
 と、ライターのプライドをかなぐり捨てて、恥も外聞も気にしない。
 手拭い1本たずさえて、歌って、踊り続けた6年間・・・

 やっと、みなさんのご支援のおかげで、日の目を見ることができました!


 「オンパラ」 こと、群馬の温泉応援ソング 『GO!GO!温泉パラダイス』(作詞・作曲/小暮 淳) が、このたび、グリーンドーム前橋で開催される観光イベントにて、温泉コーナーのオープニング曲に選ばれ、ぐんまちゃんが踊ることになりました。
 当日は、ぐんまちゃんの他にも、各地から人気のゆるキャラが大集合します。
 そ、そ、そして、アッと驚く、サプライズゲストが一緒に 「オンパラ」 を踊ってくれるようですよ。

 ぜひ、来る1月23日(水) は、グリーンドーム前橋へおいでください!
 そして、ぐんまちゃんと一緒に、オンパラを踊りましょう!




     第9回 国内観光活性化フォーラム
     ~旅行博覧会 東北復興支援~

 ●日時   2013年1月23日(水)
         10:30~17:00(物産展は19:00まで)     
 ●会場   グリーンドーム前橋
         前橋市岩神町1-2-1
 ●料金   入場無料


     <群馬県観光プレゼンショー>
        G旅オンステージ
 ●時間  15:20~16:50
 ●MC   おかもと まり
        (群馬観光特使・藤岡市出身)
 ※「オンパラ」は、15:20~の 「わくわく群馬」 のオープニング曲です。
   


Posted by 小暮 淳 at 15:29Comments(2)ライブ・イベント

2013年01月18日

湯宿温泉 「ゆじゅく金田屋」②


 昨日は、久しぶりに湯宿温泉の「金田屋」を訪れてきました。
 拙著 『群馬の小さな温泉』(上毛新聞社) の取材以来ですから、なんと2年半ぶりのことでした。


 宿の創業は明治元年。
 現在のご主人、岡田洋一さんで5代目です。

 大正11年10月23日。
 歌人の若山牧水が、法師温泉の帰りに投宿した宿であります。

 時代的には、2代目と3代目の頃のこと。
 岡田さんの曽祖父と祖父が、もてなしたと聞いています。

 前回、「金田屋」 に泊まった晩は、その牧水が泊まった部屋で、ご主人と一緒に酒を酌み交わしました。
 もう、それはそれは、生涯忘れられない記念すべき思い出となりました。

 「ぜひ、今晩は、また一緒に飲みましょう!」
 と訪ねるなり、ご主人に言われて、気分はアゲアゲ~!
 「では、取材も飲みながら、ということで!」
 と、早々に部屋で旅装を解いて、広縁のイスに腰掛けて、まずは冷蔵庫の瓶ビールを1本。

 でも、これも仕事なんですよ。
 実は、この部屋(2階の北の間) は、『群馬の小さな温泉』 の表紙に写っている部屋なんです。
 夜の温泉街に、浮かび上がる宿の明かりと女性の影・・・
 あの写真の部屋こそが、この部屋です。

 今回、撮影のために、あえてこの部屋を指定して泊まりました。
 『群馬の小さな温泉』 の表紙写真の逆バージョンを撮ろうという試みなのです。
 部屋の広縁でくつろぎながら、旅人(僕です) が、外湯の 「窪湯」 がある路地裏を見下ろしている写真であります。

 これは大成功でした。
 読者のみなさん、次回作をお楽しみに!


 湯上がりは、5代目主人が腕をふるう 「自然流菜根薬膳」 を肴に、まずは地ビールでノドを潤します。
 野菜、きのこ、豆腐、川魚、鶏、豚といった地元産の食材をふんだんに用いた創作田舎料理です。
 なんでも、夕食と朝食で約60種類の野菜が食べられるんだそうですよ。
 ヘルシーな肴だけに、ますます酒がはかどります。

 「よっ、待ってました!」 とばかりに、ひと仕事を終えたご主人が、ドブロク(にごり酒) を持って登場!
 「また、お世話になります」
 「いえいえ、こちらこそ、よろしくお願いいたします」
 なーんて、最初の乾杯だけ、堅苦しいあいさつをして、その後は、取材という名を借りた岡田さんの波乱万丈の半生話で大いに盛り上がりました。

 老舗旅館の5代目を継ぎたくなくて、世界中を放浪していた頃の話は、最高に楽しかったですよ!
 ぜひ、次は、出版記念パーティーで飲み明かしましょうね。
  


Posted by 小暮 淳 at 17:50Comments(2)温泉地・旅館

2013年01月17日

豪雪地帯の絶景温泉


 実は今日、これから群馬県北部の温泉宿へ取材に行く予定でした。
 が、突然、昨日になってキャンセル電話が入り、取材は延期となりました。

 理由は、豪雪です。

 大雪のため、温泉が引けなくなり、急きょ、宿はクローズとなってしまいました。
 こんなことも、あるんですね。
 でも、スキー場以外の豪雪地では、珍しいことではありません。
 厳寒のこの時期だけ、休業する温泉宿は少なくないのです。


 と、いうことで次回、僕がコメンテーターを務める群馬テレビ 「ニュースジャスト6」 では、今この時期、豪雪地帯だからこそ味わえる絶景の雪見露天風呂を持つ温泉宿を紹介します。

 群馬県は、稀に見る得意な地形をしています。
 東南部は関東平野に属し、北部は高山が連なる山岳地帯であります。
 それゆえ、北部と南部では気候も異なり、温泉の質までもが異なります。

 長野県や新潟県境の嬬恋村や草津町、みなかみ町では、群馬県民でも信じられないくらいの豪雪地帯に暮らしている人たちがいます。
 積雪数メートルもある雪原の中で入る露天風呂からの眺めは、ただただ息を呑むほどに美しい白銀の世界です!

 番組では、そんな群馬県の豪雪地帯にある絶景温泉を紹介いたします。
 ぜひ、お見逃しなく!


 PS.今日は予定を変更して、これから積雪の少ない温泉地の取材へ出かけてきます。



 ●放送局   群馬テレビ(地デジ3ch)
 ●番組名   「ニュースジャスト6」
          NJウォッチのコーナー
 ●放送日   (月)~(金) 18:00~18:45
 ●出演日   1月21日(月)
 ●テーマ    白銀の雪見露天風呂
          ~豪雪地帯の絶景温泉~
  


Posted by 小暮 淳 at 11:51Comments(3)温泉雑話

2013年01月16日

カッコ悪い大人


 今日の新聞に、医者で作家の川渕圭一氏のコラムが掲載されていました。
 氏は、「頑張れ受験生」 と題して、若い人たちへ、こんなエールを贈っています。

 <世の中や他人のせいにしてばかりで、自らは一向に意見を発しない、カッコ悪い大人にならないために。揺るぎない信念を持ち、自らの理想を語ることができる、真の大人になるために。>


 “カッコ悪い大人”

 この言葉が、今日1日、僕の頭の中でグルグルとめぐっていました。

 確かに、氏の言うとおり、不平不満ばかり口にして、自らを改善しない大人は、カッコ悪いのです。
 いうなれば、“有言不実行” であります。
 でも、「会社が悪い」「上司がバカだ」と言いながら、飲み屋でクダを巻いているヤカラは、日本全国どこにでもいますよね。

 このヤカラは、決して珍しい人たちではありません。
 不平不満を口にすることによって、ストレスを発散して、翌日からまた同じ毎日を繰り返しているのです。
 気持ちは分からないでもありませんが、確かにカッコ悪い!

 僕も一時期、サラリーマンをしていたので、気持ちだけは分かります。
 でもね、僕の場合、翌日にリセットできなかったんでありますよ。
 氏の言うとおり、<意見を発して>しまったんですね。

 「バカに下げる頭はない!」って。
 でも、他人をバカ呼ばわりする人のほうが、本当はバカなんですよね。

 カッコは良かったけど、バカを見たのは自分でしたもの。
 ま、それゆえ、現在の僕が、ここにいるんですけど。


 実は今日、僕は、さる男のことを考えていたのです。
 30代の頃、彼は会うと、いつもいつも会社の不平と上司の不満を口にしていました。
 聞いているほうにしてみれば、あまり心地の良い話ではないのですが、そのいきどおりたるや凄まじく、いかに自分が優秀で、いかに会社がそれを認めてくれないかを熱く熱く語るのです。

 時に、その言動は、もうグチなどではなく、“青年の主張”のようにも聞こえてきました。

 当時、僕はすでにフリーで仕事をしていたので、「だったら、そんな会社、辞めちゃえば」 なんて、軽いノリで無責任に言っていたのです。
 すると彼も、酒の力を借りて、「おお、辞めてやろうじゃないか~! あんな会社、辞めてやる~!」 と息巻くのが、常でした。


 その後、僕も忙しくなり、滅多に彼と会わなくなっていました。
 40歳を過ぎてから、久しぶりに会うと、彼は、まったく別人のように変わっていました。

 「その後、どう?」
 と聞いても、以前のように会社や上司のグチを言いません。
 まったくもって温厚なオジサマに変身していたのです。


 最近、彼の会社の同僚に会うことがありました。
 彼がまったくの別人になってしまったことを告げると、その同僚は、
 「それが、うちの会社のやり方ですよ。アメとムチを上手に使い分けて、社員を飼い慣らすんです」 と・・・。

 “アメとムチ”

 それはそれで、幸せなのかもしれませんね。


 氏の言葉を借りれば、有言不実行がカッコ悪い大人なのですから、彼は、そこからは脱出したわけです。
 いわば “不言不実行” という、最強の武装を人生に施したのですから。

 確かにカッコ悪くはないかもしれません。
 でも、僕には、リングに上がらないボクサーのように見えて仕方がないのです。

 戦わなければ、負けることはない。
 負けることがなければ、失うものもない。

 でも、戦わないのだから、永遠に勝利はないのです。


 カッコなんて、悪くてもいいじゃん!
 負けたって、いいじゃん!

 <揺るぎない信念>を持ち、<自らの理想>を語ることができれば・・・
  


Posted by 小暮 淳 at 20:44Comments(2)つれづれ

2013年01月15日

東京を脱出した理由


 08時07分
 <おはようございます。今、東名川崎インターですが、車がまったく動いていません。>

 09時27分
 <渋滞で全然動きません。遅刻の可能性が出てきました。>

 09時40分
 <関越道に乗るまで、まったく到着の時刻が予測できません。>

 10時18分
 <いまだに動いていません。困りました。>

 11時01分
 <東名を降りるまで110分と表示されてます。>


 これは今朝、僕のケータイに送られて来たメールです。
 送り主は、今日、僕と一緒に温泉取材へ向かう予定だった某紙のカメラマン。
 彼は昨日まで、連休を利用して神奈川県の実家へ帰省していました。
 そして、爆弾低気圧に遭いました。

 「小暮さん、すみません。約束の時刻に着きそうもありません。首都の交通機能は完全に麻痺(まひ) しています」
 と本人から直接電話が入ったのは、11時01分のメールが入った直後でした。

 午前8時前に自宅を出て、すでに3時間以上が経過していますが、まだ神奈川県を出られない状態です。
 首都圏の高速道路網は、完全にストップしてしまったようです。

 それも、たかが、10センチあまりの雪のために・・・


 “一晩で7万件”
 ニュース番組の画面に、雪のトラブルの模様が次々と映し出されます。
 鉄道も空港も高速道路も、軒並み運休・閉鎖。
 駅では、タクシー乗り場で行列を作る帰宅難民の姿。

 たかだか、10センチあまりの雪に、大都市が悲鳴を上げています。

 雪国の人たちは、さぞかし笑っていることでしょうね。
 でも、これが戦後、急成長を遂げた日本の首都の姿でもあります。


 今から30年以上も昔のこと。
 僕が暮らしていた東京は、毎年のように夏、ゲリラ豪雨に見舞われ、そのたびに河川が氾濫していました。
 近くを流れる神田川は、その代名詞とも言われる暴れ川でした。
 アパートの近くまで、あふれ出した川の水が押し寄せてきます。

 「小暮くん、そっちは大丈夫?」
 バイト仲間から電話が、かかってきました。
 彼が住むアパートは、神田川のほとりにありました。

 「こっちは最悪だ。今、机の上にいるんだ。床上浸水しちまってね」

 都会とは、恐ろしいところだと思った。
 群馬なら、あの程度の雷雨で河川は氾濫しない。

 「オレ、田舎へ帰ろうかな……」
 そう、電話の向こうで声をつまらせた男は、栃木県の出身だった。

 そして、それから数年後、僕も彼も、東京を離れた。



 16時21分
 <今、会社(前橋) に着きました。>

 カメラマン氏から次にメールが届いたのは、彼が家を出てから実に9時間後のことでした。

 「群馬は災害も少ないし、住みやすいところだよね。なによりも温泉がいっぱいあるしね」
 渋滞中の車の中で言った彼の言葉が、やけにリアルな響きもって僕の古い想い出を呼び起こしたのであります。

 あらためて、群馬の魅力に気づかされた1日でした。
 (今日の取材は延期となりました)
  


Posted by 小暮 淳 at 19:21Comments(0)つれづれ

2013年01月14日

温泉ライブ in 月夜野


 伊香保温泉、四万温泉、猿ヶ京温泉、上牧温泉・・・など、県内の温泉地でライブ活動を続けている 「KUWAバン」。
 僕が在籍しているスーパーローカルオヤジバンドであります。

 このたび、月夜野温泉の一軒宿 「みねの湯 つきよの館」 の女将、都筑理恵子さんのご厚意と熱烈なるラブコールを受けて、2013年最初のライブを同館にて開催することになりました。

 今回は、特別ユニットによる “みなかみバージョン” でお贈りします

 なにが、特別バージョンなのか?
 はい、今回は地域限定ユニットなのであります。
 リードギターに、みなかみ町観光協会の職員であり、地元みなかみ町でライブ活動を続けているギタリストの木村崇利さんをゲストプレーヤーに迎えての新春ライブです。

 ご当地ソングの 『みなかみひとり』 や 湯の国ぐんまの応援ソング 『GO!GO!温泉パラダイス』 などのオリジナルソングのほか、60年代のGSメドレー、70年代の懐かしフォークを歌います。
 温泉に浸かり、湯上がりのビールを飲みながら、僕らと一緒に歌って踊りましょう!

 もちろん、ライブの後には楽しい楽しい懇親会も待ってますよ。



     <KUWAバン 新春ライブ2013 in 月夜野>
 ●日時   2月16日(土) 17:30~
 ●会場   月夜野温泉 「みねの湯 つきよの館」 大広間
         群馬県利根郡みなかみ町後閑 1739-1
 ●出演   KUWAバン 桑原一(Vo.Gu)
                 小暮淳(Vo.Gu)
                 酒井寛(Ba)
             ゲスト 木村崇利(Gu) 
 ●料金   ライブのみ 1,000円(ワンドリンク付、入浴無料) 
         宿泊パック 9,000円(1泊2食付)  
 ●問合・申込   みねの湯 つきよの館 TEL.0278-62-1207
  


Posted by 小暮 淳 at 19:18Comments(0)ライブ・イベント

2013年01月13日

「上毛かるた」 は不思議がいっぱい


 午前6時。
 外は、まだ真っ暗。
 夜型の僕にとって、こんなに早い起床は、滅多にないことです。

 何も好き好んで早起きをしたわけではありません。
 今日は、上毛かるた大会の地区予選日だったのです。
 そして、僕は、なぜか前橋市K地区の子ども会育成連合会本部役員なのであります。
 (なんでも、半永久役員なんだそうです。無理やり任命されました)

 で、その準備のために、朝早くから某小学校の冷え込んだ体育館を開けて、ジェットヒーターに灯油を入れて、子どもたちが集まる時間までに会場を暖めておいたのです(エライ!)
 もちろん、競技が始まれば、審判もやりましたよ。
 仕方ないですね。これは地区の恒例行事ですから。

 昨年、この会場で見つけたのが、“下仁田ネギ”の謎でした。
 上毛かるたの「ね」の札、『ねぎとこんにゃく下仁田名産』 に描かれているネギは、なぜ、下仁田ネギではなく普通の長ネギなのだろう? という疑問。
 これは、たびたび、このブログでも取材の経過を書きましたから読者はご存知だと思いますが、調べた結果、上毛かるたが発行された昭和22年当時は、まだ品種改良前の下仁田ネギだったということでした。

 まあ、そんな去年のいきさつもありますので、今日も、ついつい審判をしながら絵札に釘付けになってしまったのです。
 そしたら、あります、あります!
 不思議な絵札が!


 たとえば・・・

 ①[り」 の 『理想の電化に電源群馬』
   この札に描かれているダム、なんで工事中なんですか? クレーン車が2機も描かれていますよ。

 ②「え」 の 『縁起だるまの少林山』
   だるまの絵の上に描かれている折れ線グラフのような図形って、いったいなんなのよ?

 ③「て」 の 『天下の義人茂左衛門』
   他の人物札は、すべて肖像画なのに、なんで茂左衛門さんだけ、寺の絵なの?

 ④「き」 の 『桐生は日本の機どころ』
   機(はた) を織っている乙姫様のような格好をした女性は誰?


 などなど、またしても 「上毛かるた」 の不思議がいっぱい見つかっちゃったのであります。
 だもの、今夜は眠れそうにありませんって。
 でも、寝ないわけにもいきません。
 ああ、どーしよう?
 もう、これは解決するしかないのです。

 と、いうことで、かるた大会から帰った僕は、我が家の資料部屋へ飛び込み、資料を調べまくりましたとさ。
 その結果、だいたいの謎は解けました。


 ①「り」 の札に描かれているダムは、昭和43年に完成した下久保ダムなんだそうです。あえて、工事風景を描いたのも、力強く前進する日本の姿を描きたかったからなんですって。ですから、この絵は昭和43年の改訂版で描かれたもの。昭和22年の初版の札には、水力発電所が描かれていました。

 ②「え」 の札の折れ線グラフのような図形、これは北斗七星でした。でも、星の数が6つしかありません。これには理由があって、“県民一人ひとりが七つ目の輝く星になるように” という願いが込められているんだそうですよ(へぇ~!)。

 ③「て」 の札に描かれているお寺は、茂左衛門が祀られている茂左衛門地蔵尊千日堂というお堂でした。なにせ江戸時代のことですから、本人の顔がわかる資料が残されていなかったのでしょうね。それで仕方なく、お堂の絵を描いた……。

 ④「き」 の札に描かれている、乙姫様のような衣装を着た女性は、桐生市の織姫神社に祀られている白滝姫という方でした。この地に機織りを伝え教えたといわれています。


 「ふ~ん、なるほど」 と、とりあえず納得しました。
 これで今夜は、眠れそうです。

 たかが、かるた大会。されど、かるた大会。
 なんだか心身ともに、とっても疲れた1日でした。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:34Comments(2)つれづれ

2013年01月12日

飲み過ぎはやめま賞


 これも何かの縁でしょうか。
 奇しくも昨年の湯納めと、今年の湯始めが同じ温泉宿でした。

 猿ヶ京温泉 「猿ヶ京ホテル」

 でも取材ではありません。
 打ち合わせ等の仕事でもありません。

 そーです! 新年会でありまーす!


 「小暮さ~ん、昨年は本当にお世話になりました。今日は仕事じゃないんですから、ゆっくり温泉に入って、のんびりくつろいでくださいね」
 と3代目女将の持谷美奈子さん。
 昨年は、秋に出版した 『みなかみ18湯〔上〕』 の取材や出版記念パーティーのほかに、朝日新聞に連載中の 『湯守の女房』 にも登場していただき、こちらこそ大変お世話になりました。

 「はい、今日は仕事じゃありません。ただの呑兵衛の宴会客ですから~~」
 と、ご挨拶をしたのち部屋で、まずビールを1杯。
 そして風呂に入って、湯上がりに2杯。

 そうこうしているうちに、仲間が集まってまいりました。


 何の新年会なのかといえば、僕が所属しているクリエイティブ集団 「プロジェクトK」(略して、プロK) であります。
 現在、メンバーは20名ですが、昨日はうち12名が出席しました。

 折りしも昨日は、僕が出演したFMぐんま「G☆FORCE」のオンエアー日だったのです。
 放送時間も15時05分~と、猿ヶ京温泉へ車で向かう時間帯とドンピシャリ!
 
 と、いうこともあり、会う人会う人、「今、小暮さんのラジオを聴きながら来ましたよ!」。
 それだけではなく、僕のケータイには 「聴きました」電話とメールが、次々に着信しました。
 さすが、県内最大の聴取率を誇るエフエム群馬!
 みなさん、聴いておられます。


 宴会では、プロK代表の桑原氏のあいさつのあと、乾杯は、昨年プロKホームページを作成したウェブデザイナーの草ヶ谷氏の音頭となりました。

 ここまでは毎年、変わりありません。
 この後は、ただ、ひたすら飲み続けるだけです。
 ところが・・・

 「では、酔っ払う前に、表彰式に移りたいと思います」
 と、泣く子も黙るプロK女子会の面々が、会場の前方へ集まった。
 この女子の面々、女子とは名ばかりで、コワ~イおばさま方なのであります(うそ、優しい妙齢のご婦人たちです)。

 ひと言で言えば、プロK内の風紀委員であります。
 すぐに脱線、暴走する男子たちを、ランランと目を光らせて見張っているのであります。


 「名前を呼ばれた人は、前へ出てきてください」
 なんて、恐ろしい!
 賞状と言ったって、絶対にホメ殺しはないのです。
 ・・・と、心配は、すぐ的中!

 「食べ過ぎはやめま賞」 だの 「もっと目立ちま賞」 だの 「見た目より面白いで賞」 だの、その人の欠点をズバズバと突いてきます。
 建築家のY君なんて、「下ネタの暴走はやめま賞」 ですからね。
 当たっているだけに、反論もできません。
 っていうか案の定、昨晩も、コワイ風紀委員の女性人たち相手に、果敢にも下ネタ全開で迫りまくっておりました。
 (Y君、偉いぞ!)


 えっ、僕ですか?
 ええ、まあ、僕も賞状はいただきましたよ。
 もう、その通りの賞であります。

 「飲み過ぎはやめま賞」

 「だって、小暮さんのブログ読んでいれば、お酒飲んでいる話ばっかりじゃないですか!」
 と評定委員の I 女史に言われて、全員納得。

 でも、これは勲章ですぞ!
 そして、健康である証拠です。
 これからも体力が続く限り、飲んで飲んで飲み続けますよ。

 プロKメンバーのみなさん、今年もよろしくお願いいたします。
 フリーでなければできない、“いい仕事” をしましょうね!


 ●プロジェクトKHPでは、メンバーの作品や仕事内容を紹介しています。
   http://pro-k.jp/portfolio/index.html
  


Posted by 小暮 淳 at 18:38Comments(3)酔眼日記

2013年01月10日

予期せぬ来訪者


 読者とは、ありがたいものです。

 ライターにとって読者は、役者にとっての観衆、ミュージシャンにとっての聴衆であります。
 だから僕にとって読者は、神様みたいな存在であります。
 もちろん、読者に足を向けてなんて、寝られません。

 でもね、神様にもいろいろいるんですよ。
 僕にとって、都合のいい神様ばかりとは、かぎりません。


 暮れも暮れ。
 年の瀬が押し詰まった30日の午後。
 僕は、自宅の2階で原稿を執筆していました。

 ワンワンワンーーっ!

 階下で、愛犬のマロ君が吠えています。

 郵便屋さんか、ガス屋さんか?
 あんまり吠えるときは、呼び鈴がわりに降りて行くのですが、今日は確か、1階には末娘がいるはずです。

 ワンワンワンーーっ!

 ますますマロ君の声が大きくなって、玄関で人の声がします。
 なんだろうと不審に思い、仕事部屋を出てみたときです。

 「おとーさーん! 来て~!」
 と階下から末娘の声が、聞こえてきました。

 「どーした? 何があった?」
 と脱兎のごとく僕は、階段を駆け降りました。

 「知らない人が・・・お父さんに話を聞きたいって・・・」
 と、おびえています。
 玄関を見れば、見知らぬ初老の男性が、すでに家の中に入り込んでいます。

 「えっ? 何でしょうか?」
 と問えば、この男性は、僕の読者だという。
 そして、どうしても直接会って聞きたいことがあり、訪ねて来たといいます。

 ちょっと、ちょっと、待ってくださいよ。
 だからって、ここは僕の自宅ですよ。
 それも、あなたは、すでに家の中に入っているし。

 とりあえず名前を聞いたら、答えてくれましたが、問題は、どうして僕の自宅が分かったのか?であります。
 だって、僕の著書には住所も電話番号も記載されていませんよ。

 「よく僕の家が分かりましたね?」
 と詰問すれば、
 「ええ、まあ、いろいろ調べまして・・・」
 と言葉をにごします。

 男性は、著書に関する質問を2問ほどして、事なきを得て帰っていきましたが、こんなことは初めてだったのでビックリしました。


 以前にも、読者と名乗る人からの電話は、何度かありました。
 「今日の新聞記事を見て、教えてほしいことがありまして・・・」
 なーんて、ね。

 でも、どうして僕の自宅の電話番号が、読者に分かってしまうのでしょうか?
 掲載された新聞社や出版社へ電話をしても、絶対に教えないことになっているのにね。
 不思議です。


 読者のみなさん、できましたら直接電話や自宅訪問ではなく、新聞社や出版社のほうへ質問等はお願いいたします。
 追って僕のほうから、ご連絡させていただきます。
 または、このブログまで!
  


Posted by 小暮 淳 at 19:50Comments(2)つれづれ

2013年01月09日

父からの詫び言


 「留学したい」
 そう、大学生の息子に言われて、
 「うちには、そんな金はない」
 と、言い放ってしまった僕。

 その日以来、息子は毎日夜遅くまで、近くのファミレスでアルバイトをしています。
 申し訳ないと思う。
 親として、情けないとも思う。
 でも、無い袖は振れないのです。

 昨晩も僕が深夜、リビングで晩酌をしていると、バイトを終えた息子が疲れ切った顔で帰ってきました。
 「お帰り。お前も飲むか?」
 と、発泡酒をグラスに注いでやると、
 「ありがとう」
 と素直に返事をして、一気に飲み干す息子。
 その横顔に、やっぱり、「申し訳ない。こんな親の元に生まれたことは運命だと思ってあきらめてくれ」 としか言えないのです(もちろん、心の中で)。


 貧乏は、血筋なのでしょうか?
 同じような古い記憶が、僕にはあるのです。

 中学3年生ですから、もう40年近くも前のことです。
 受験勉強をしていて、夜中に夜食のインスタントラーメンを作ろうと台所でゴソゴソと調理をしていたときです。
 突然、父が寝室から降りてきて、訳の分からないことを言い出しました。

 「ラーメンか……。悪いな、貧しい夜食で。俺の子ども時代には、2人もお手伝いさんがいてな、夜食はみーんなお手伝いさんが作ってくれていたんだ。試験勉強の時なんて、毎晩、カツ丼だった。それに比べたら、お前たちに何一つ贅沢(ぜいたく)をさせてあげられなくて、本当にすまないと思う」

 最初は、父が何を言い出したのか分かりませんでしたが、要は、自分の育った環境と、今の自分が子どもを育てている環境があまりにもかけ離れていることを詫(わ) びているようです。
 父は大正生まれ。
 祖父は町の名士で、町長を務めたこともありました。
 大きな蔵と田畑、駅から自宅までは自分の土地を歩いて帰ったというほどの地主でありました。

 でも戦後は農地改革に遭い、伯父の代になってからは蔵屋敷も手放してしまい、平民の生活を余儀なくされることになりました。
 次男である父も家を出てからは、風来坊のような人生を転々としてきました。

 「時代が違うんだから仕方ないよ」
 そう僕が言っても、父は豊かだった自分の子ども時代を思い浮かべて、夜中にインスタントラーメンをすすっている息子に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいだったようです。


 時は経ち、僕が東京の専門学校へ通うことになり、ひとり暮らしを始めるためにアパートを探しに行った時のことです。
 父からは 「2万円以内で見つけてこい!」 と言われていたのですが、当時ですら、そんな安いアパートはそうそう見つかるものではありません。

 やっと見つけたアパートは、木造2階建て。
 6畳、風呂なし、トイレは共同のボロアパート。
 家賃は、月22,000円。

 父との約束より2,000円オーバーだけど、なんとか許してもらえると思い、その日は契約して、群馬へ帰ってきました。
 ところが・・・

 約束を守らなかったことが、父の逆鱗に触れました。
 「学費と家賃だけは払ってやろう。あとは自分で稼げ!」
 と、最悪の条件を突きつけてきました。
 しかも、
 「その仕送りも20歳までだ。20歳からは、すべて自分で生きて行け!」
 と、突き放されてしまいます。

 でも仕方がありません。
 僕は、自分の好きな道へ行こうとしていたのですから。
 専門学校だって、作曲の勉強がしたいがための音楽学校だったのです。

 昼間はバイト、夜は学校。
 土日は別のバイトする毎日でした。
 しかも、本当に20歳の誕生日を境に、プツリと一切の仕送りを絶たれてしまいました。

 確かに、その時は、父の冷酷さを恨みましたよ。
 でもね、今となっては感謝をしています。

 “自分の道は自分で作れ”

 そう言って、お金の代わりに自由を与えてくれたわけですからね。


 飲み干したグラスをテーブルに置いて、「ごちそうさま」 と言った息子は、風呂場へと消えて行きました。
 リビングに、ひとり残った僕は、複雑な思いで冷酒を飲み続けていました。


 息子よ、きっと将来、貧乏な家に生まれ育ったことを感謝する日が来ると思うよ。
 (そう思わずには、いられませんでした)
   


Posted by 小暮 淳 at 18:35Comments(2)つれづれ