温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2013年08月31日

たんげ温泉 「美郷館」②


 朝方、雨の音で目が覚めた。

 いや、雨ではない。
 渓流だ。
 それも滝の音であります。

 眠い目をこすりながら、障子を開けると、部屋の真正面には、2段に落ちる見事な 「宝泉の滝」 が、朝日に照らされて白く輝き、滝つぼにはエメラルドグリーンの水をたたえています。

 そーでした!
 ここは、たんげ温泉 「美郷館(みさとかん)」 の客室だったのです。
 前日、取材に入り、2代目主人の高山弘武さんのご厚意により、泊めていただいたのでした。


 たんげ温泉は、中之条町の市街地から国道353号で四万温泉方面へ向い、途中で分岐する県道へ曲がり、旧六合村へ越える暮坂峠方面へ向かいます。
 すぐ先には、草津温泉の 「なおし湯」 として有名な沢渡温泉がありますが、手前の反下(たんげ) 川沿いを遡上すること約4キロ。
 うっそうとした森の中に、ポツンと入母屋造りの一軒宿が現れます。

 僕が美郷館を訪れるのは、今回で4度目。
 過去に、雑誌や本、新聞の取材でお世話になりました。


 前回は、2代目女将の純子さんに、ご主人との出会いから結婚、そして旅館に入るまでのいきさつや苦労話を聞いたので、今回は、ご主人の修業時代と、驚異のリピーター率80%の秘密について、根掘り葉掘り聞いてきました。

 で、その秘密とは?

 オープン以来、宿泊客を大切にしたいという思いから日帰り入浴客を受け入れていないことや、人とのふれあいを大切にする接客方針など、その要因はいくつもあるのですが、ご主人には初めて会った時から一貫してブレないポリシーがあります。

 それは、自然環境を守り続けていること。

 「父は山師でしたから、山の神を祀って仕事をしていました。この自然があってこその秘湯の宿ですから」
 と、毎日山に入って、ご主人自らが草刈や伐採などの森林整備をしています。


 まさに、その自然美は、一級品です!
 泊まった部屋なんて、渓流に突き出した滝つぼを見下ろす部屋でしたからね。
 群馬県内には、滝を望める露天風呂を持つ温泉宿はいくつかありますが、こんな間近に部屋からも風呂からも滝を見渡せる宿は他にはありませんね。

 もちろん、眠気覚ましの朝風呂は、「滝見の湯」 へ。
 瀬音を聴きながら、ゆったりと湯に体を馴染ませ、森の緑と白い滝の流れを愛で、のんびりと一日をスタートさせたのであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:26Comments(2)温泉地・旅館

2013年08月30日

大塚温泉 「金井旅館」③


 「小暮先生さ、一軒宿ってーのは、観光旅館とは違うわけよ。マニュアルなんてーものは、ねーんだからさ」
 と4代目主人の金井昇さんは、なぜか僕のことを “先生” と呼ぶのです。

 「先生は、やめてくださいよ」
 と言えば、
 「何言ってんだい、オレは先生の新聞記事は全部読んでるし、テレビ番組だって、みーんな見てんだぜ! それだけじゃ、ねーや、講演だって行ってるかんね。そーだろ?」
 と、“先生” と呼んでいるわりには、上州弁バリバリの田舎言葉なのです。

 でも、そうでした、そうでした!
 あの時は、本当にビックリしましたよ。

 3~4年前だったと思います。
 渋川市で僕の講演会があったんですが、壇上に上がったら、な、な、なんと!
 客席の最前列に、金井旅館のご主人が陣取って、手を振っているでは、あーりませんか!

 一気に、緊張してしまったことを覚えています。


 「先生さ、昨日の新聞にも出ていたよな。ちゃーんと、読んでんだからね」
 と、なかなか僕のことについては、常日頃からチェックをしてくださっているようであります。

 そーなんですよ。
 昨日(8月29日付) の上毛新聞、経済面(6面)。
 『生活けいざい』 という記事で、僕が 「冷鉱泉」 についてコメントをしているのです。
 3分の2ページほどもある大きな記事なのですが、僕のコメントなんて、ほんの数行なんですよ。

 それでも、ご主人は、僕の名前を見逃さなかったんですね。
 うれしいじゃ、ありませんか!


 そんな、かんなで、僕とご主人は、長い付き合いをさせてもらっています。

 「思えば、ご主人と最初に言葉を交わしたのは、“梅干” がきっかけでしたよね」
 「そーだよ、先生が、うちの梅干を 『うまい、うまい』 って、言うからさ。くれてやったんだいね」

 そうなんですよ。
 もう10年くらい前のこと。
 取材ではなく、プライベートで、ふらりと大塚温泉に寄ったときに、庭でご主人が梅干を干していたんです。
 だから、
 「おいしそうな梅干ですね」
 と声をかけたのが、付き合いの始まりでした。


 「今年も梅が、いっぱい採れたから、持って帰んなよ。用意しておくからさ、風呂浴びてきな」
 と言われて、「それでは」 と、お相伴に預かることに・・・

 大塚温泉は群馬県内ても、知る人ぞ知る、ぬる湯の湯治宿です。
 泉温は、体温より低い約34度。
 自噴する湯量は、驚きの毎分約800リットル!

 だから内風呂といわず、露天風呂といわず、ザーザー、バシャバシャ、ドボドボ……と、惜しげなく湯が注がれ、そして、あふれ出しています。

 「うちは、源泉ぶん流しよ!」
 というのが、ご主人の口グセです。
 “ぶん流し” とは、かけ流しのこと。

 ご主人独特の言い方で、“かけ流し” の最上級形の表現のようです。


 いゃ~、この時季は、ぬる湯に限りますね。
 のんびり、ゆっくり、湯に浸かることができました。

 まだまだ残暑が厳しい毎日が続いています。
 「熱い温泉は、ちょっと・・・」 と夏に温泉離れをしているアナタ!
 ぬる湯に出かけてみては、いかがですか?
   


Posted by 小暮 淳 at 18:44Comments(0)温泉地・旅館

2013年08月28日

万座温泉 「万座ホテル聚楽」


 久しぶりに万座温泉へ行ってきました。

 万座温泉には10軒ほどの温泉宿がありますが、今回は 「万座ホテル聚楽(じゅらく) 」へ。
 僕にとっては3回目の訪問になりますが、とても思い出のある宿なんです。

 今から15年ほど前のこと。
 当時、生活情報誌の編集長をしていた僕は、支配人のご厚意により、家族で夏休みを過ごしました。
 嫁いだ長女も大学生の息子も、まだ小学生。
 一緒に昆虫を追いかけたり、夜遅くまでゲームをしたり、それはそれは楽しいひと時を過ごしました。

 だから僕にとって万座ホテル聚楽は、温泉ライターとしてではなく、父親としての想い出がよみがえる宿なんです。


 2回目に訪ねたのは、雑誌の取材でした。
 すでに支配人は転任されていたので、ご挨拶もお礼も言えず、ただ取材に専念してきました。

 で、今回は、僕が講師を務めるNHK文化センターの温泉講座での訪問となりました。
 実は、この講座で万座温泉を訪ねるのは2度目なんです。
 2年前の1月に、極寒の露天風呂を堪能しに、「日進館」 を訪ねました。
 この時は猛吹雪で、受講生らとともに露天風呂で、雪ダルマになりながら入浴した楽しい(?) 想い出があります。

 一転して、今回は、抜けるような青空がひろがる晩夏の高原。
 いえいえ、標高1,800メートルの高地は、もう、初秋の気配です。
 バスの車窓からは、風に揺れるススキの穂が見えましたもの。


 「せんせー! 来て来て。ここから、よーく見えますよ」
 と、浴室へ向かう途中にあるテラスから受講生たちが僕を呼びました。
 「うわ~! これが “空吹(からぶき)” ですね」
 「万座温泉には来たことあるのに、初めて見ましたよ」
 と、みなさん、感動しきりの様子。

 実は今回、僕が2度目の万座温泉に 「万座ホテル聚楽」 を選んだのも、この “空吹” を受講生たちに見せてあげたかったからなんです。
 空吹とは、噴火口跡から雨水や地下水が水蒸気となって硫化水素ガスとともに噴出している光景で、万座温泉の名物であります。
 他の宿からも見えますが、空吹に一番近い宿が 「万座ホテル聚楽」 なんですね。
 しかも、露天風呂に入りながら空吹を眺められるという、絶好のロケーションを持ち合わせています。


 湯は、万座温泉独特の腐卵臭のする硫黄泉。
 泉温約46度という上質な自家源泉が、加水されることなく、かけ流されています。
 色は、青空を溶かして、ミルクと混ぜたような白濁したエメラルドグリーン。
 もう、みなさん、大満足されていましたよ。


 「あら、先生! もう、始めているんですか?」
 と、湯上がりに先ほどのテラスでビールを飲んでいると、次々に受講生たちが、涼みにやって来ました。

 「もちろん! いい温泉に、いい景色。湯上がりにビールを飲むのも、正しい温泉の楽しみ方ですよ」
 と言えば、
 「まったくだ、では私もご一緒しましょう」
 と、至福の湯上がりビールを、みんなでいただいたのであります。

 めでたし、めでたし。

 来月は、知る人ぞ知る群馬の秘湯を訪ねます。
 また、元気にお会いしましょうね!
  


Posted by 小暮 淳 at 11:23Comments(0)温泉地・旅館

2013年08月26日

盤上の父子


 もう、ほとほと、イヤになります。
 来月89歳になるボケ老人のオヤジのことです。

 五体満足、健康なのは良いのですが、なーんにもしないのです。

 散歩をする以外は、寝ているか、食っているかだなんて、うちの愛犬マロ君と同じです。
 まだマロ君のほうが、マシです。
 家族を癒やしてくれますもの。
 でもオヤジは、介護している息子たちをイライラさせますからね。


 耳が遠いので、ラジオも聴かないし、テレビも観ません。
 目が悪いので、新聞も雑誌も本も読みません。
 だから起きているときは、ただ、ボーーーーーッとしています。

 「オヤジさ、死んでるんじゃねーの?」
 「いや、今、見てきたから大丈夫だ。息をしていたよ」
 いつも兄弟で、そんな会話を交わしています。

 「どーしたもんかねぇ・・・」
 「町内の老人会とか、出かけて行かないの?」
 「オフクロが一緒なら行くだろうけど、絶対に1人じゃ行かないな」
 「そもそも、一匹狼の人だからな。他人とつるむことは、若い頃からキライだったものね」
 「どーしたもんかねぇ・・・」
 顔を合わせるたびに、僕たち兄弟は、生きているだけの何もしないオヤジについて、話し合っているのでした。


 ある日のこと。
 突然、僕は、ヒラメキました。
 昨年94歳で他界した伯父(オヤジの兄) のことを思い出したのです。
 そう、伯父は死ぬ間際まで、大好きな囲碁を打っていたことを!

 そーだ、将棋だ!
 将棋ならオヤジも打てる。
 と、いうより、僕が相手になってやれる。
 いやいや、アニキだってできるさ!

 だって、僕に将棋を教えたのはアニキだし、そのアニキに将棋を教えたのは、オヤジだもの。
 元をたどれば、オヤジは、僕らの将棋の師匠だったのです。


 さっそく、我が家にある将棋盤を持って、実家を訪ねてきました。

 「おい、それはなんだ?」
 と、早くもオヤジは、興味を示しました。
 「将棋盤だよ」
 「なんで将棋なんか持ってきたんだ?」
 「将棋をしようと思ってさ」
 「誰と?」
 「じいさんとだよ!」
 「誰が?」
 「オレに決まっているじゃないか!」

 と僕が言った時です。
 「ウワッハハハ~~~!」
 と、バカ笑いをしたのであります。
 「何が、おかしいんだい?」
 と、今度は僕が尋ねる番です。
 すると、

 「だって、お前が俺に勝てるわけが、ないじゃないか!」
 ですって。

 大成功です!
 ついに、こっちの作戦に食いついてきました。

 「っていうかさ、将棋できるの? 並べ方とか、駒の動きとか、覚えてる?」
 と言えば、
 「バカにするな!」
 と、少し怒ったような顔をして、さっさと盤上に駒を並べだしたのであります。

 実は、僕のほうが、うる覚えなんです。
 だって、最後に息子と将棋をしたのなんて、10年以上も前ですからね。

 えーと、飛車は、右だっけ? 左だっけ?
 えーと、桂馬は確か、こういう動きだったよな・・・
 あれ、銀って、どっちへ行けないんだっけ・・・

 なーんていう具合ですよ。
 なのにオヤジったら、サッサと並べ終えてしまいました。
 頭はボケていても、記憶は明確なんですね。


 いざ、勝負!


 <20分経過>


 ところが・・・

 「はい、王手!」
 と、オヤジの誇らしげな声が、リビングに響きました。
 「まだまだ、お前なんかに、負けんよ」

 あっさり勝負が着いてしまいました。
 僕が手を抜いたわけじゃ、ないんですよ。
 本当に、強いんです。


 「ジュン、お前が弱過ぎるんだよ」
 と、あまりの決着の早さに、アニキがあきれ返って、やって来ました。
 「オヤジ、今度は、俺が相手になってやるからな。俺はジュンほど弱くはないよ」
 と言えば、
 「いつでも、いいぞ。まだまだ、お前らには、負けん!」
 と、オヤジは大満足の様子。

 僕とアニキは、顔を見合わせて、ニンマリ。
 これで、しばらくは、何もしない暇を持て余した息をしているだけのボケ老人では、なくなりそうです。

 ただ問題は、毎回、僕かアニキがオヤジの将棋の相手をしなくてはならないということ。
 本当に、手のかかる老人であります。
   


Posted by 小暮 淳 at 22:14Comments(0)つれづれ

2013年08月25日

嬬恋温泉 「つまごい館」


 「この本を持って来られる人が、結構いますよ」
 と、ご主人の黒岩和(かのお) さん。
 この本とは、2009年に出版した拙著 『ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) です。

 と、いうことは、ご主人にお会いするのは、4年ぶりということになります。
 あの日と変らぬ、物腰の柔らかい、穏和な笑顔で迎えてくださいました。


 和さんは、2代目。
 温泉を掘り当てたのは、先代の富太郎さんでした。
 戦後、富太郎さんは満州(中国東北部) から引き揚げ、白根鉱山で働いていました。
 のちに掘削機械を引き取り、現在の場所に自ら温泉を掘ったのだといいます。

 「父は風呂が大好きで、温泉の掘削には信念を持っていました。ここは川沿いだし、冬でも地面の温かい所がある。絶対に、湯が出るって」

 昭和51(1976)年、念願の温泉宿を開業しました。
 それまで嬬恋村の吾妻線沿線には、万座温泉と鹿沢温泉、新鹿沢温泉くらいしかありませんでしたから、日帰り入浴もできる身近な温泉として評判になり、連日、順番待ちをする行列ができるほどの盛況ぶりだったといいます。

 「今ですか? 今は、夏しか日帰り入浴客は受け入れていません。それ以外の季節は、開けていても客はきませんから。だって、こんな山の中まで来なくても、今はどこにだって温泉施設があるじゃないですか」

 それでも先代の遺志を継いで、温泉宿を続けているのは、本当の温泉好きが、やって来るからだと言います。
 「うちは、湯の分かるリピーターでもっているんですよ」
 と、目を細めながら、ゆっくりとお茶をすすります。

 それと、ここは、鉄道マニアに愛されている宿なんですね。
 JR吾妻線の終着駅 「大前」。
 駅舎もない無人駅の駅前には、商店も民家もありません。
 ホームの前に、「つまごい館」 が、ポツンと建っているだけ。

 だもの、マニアには、たまらない宿です。


 「最近は、温泉の記事も難しいでしょう? やたらに“ ○○に効く” とか “××が治る” って、言えないし、書けませんものね。でも、世の中には、藁(わら) にもすがる人たちがいて、やって来るんですよ」
 という、ここの湯は、昔から飲むと胃腸病や糖尿病に効くといわれ、また、湯気を鼻から吸入すると喘息(ぜんそく) に効くといわれています。

 薬事法に抵触するという理由から、温泉の効能についての表記には厳しい現代ですが、医薬品だって万人に絶対に効くとは限りません。
 10人の人が入浴(飲泉) して、1人でも病気が治ったり、症状が軽くなったら、それは温泉の “湯力(ゆぢから)” だと僕は思います。


 知る人ぞ知る温泉、温泉好きだけが知っている温泉。
 群馬には、いい温泉が、たくさんありますね。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:42Comments(2)温泉地・旅館

2013年08月24日

鹿沢温泉 「紅葉館」④


 鹿沢温泉の一軒宿、紅葉館がリニューアルオープンしたというので、さっそく取材がてら、泊まってきました。

 最後に訪ねたのは、2年前の夏。
 4代目女将の小林百合子さんに、インタビューをしました。
 そのとき、長男が修業を終えて帰って来たので、「これを機に、旅館を建て替えることにした」 と聞いていました。

 昨年のゴールデンウィーク明けから着工。
 本館が解体されました。
 昨年、2回ほど宿の前を通ったことがありましたが、なかなか新館が建つ気配がなく、心配していたのです。


 「そうだったんですよ。実は本館を壊したら、敷地から大きな岩がゴロゴロ出てきましてね。工事が大幅に遅れました。丸々1年かかりました」
 と、若き5代目主人の小林昭貴さんが、出迎えてくれました。
 
 今年の6月に完成した新しい本館は、木をふんだんに使った山小屋風。
 奇をてらったところがなく、実にシンプルな建物です。
 通された部屋も、テレビ以外の調度品類は、一切置かれていません。

 「ええ、ここに来たら自然を感じて欲しいので、あえて余分なものは排除しました」

 う~ん、いいですね。
 シンプル イズ ベスト!

 そういえば、エアコンもありません。
 でも、ここは標高1,530メートルもあるんですよね。
 赤城山や榛名山の山頂よりも高い所にある温泉なのです。
 冷房なんて、無用でした。


 さてさて、前回、女将とのインタビューの際、どうしても気になって聞いたことがありました。
 それは、あの、僕が県内でも3本の指に挙げる 「雲井乃湯」 源泉と浴室は、どうなるのか?ということ。
 確か女将は、
 「浴槽と浴室は、先祖の言いつけどおり、そのまま残すことにしました」
 と言っていましたが・・・

 本当でしょうか?

 部屋で浴衣に着替え、旅装を解いて、缶ビールを1本いただいてから、浴室棟へ向かいました。


 いや~っ! そのままですよ。うれしいですね。
 扉を開けると、ム~ッとまとわり付く蒸された空気と金気臭。
 脱衣場から浴室を覗き込むと、僕の大好きな昭和の香りがいっぱいに広がるレトロな浴槽が、健在です!

 泉温、約47度。
 源泉の湧出地は、浴室の上方、わずか10メートル。
 自然流下により注ぎ入れているため、温度は下がっても2~3度と、かなり熱めです。

 相変わらず、ガツーーーーンと体当たりしてくるマッチョな湯であります。
 足から徐々に、腰まで・・・
 そして、意を決して肩まで浸かると、途端、グイグイと今度は体全体を羽交い絞めにしてきます。

 でも、そう感じるのは、ほんの1、2分のこと。
 やがて、スーッと湯が馴染むように、しみ込んでくるんです。
 なんとも不思議な温泉であります。


 「建て替え前から、“浴室と浴槽は残してほしい” という声が多かったですからね。常連さんたちは、みなさん、ホッとして喜んで帰られます」
 と、昭貴さん。

 湯は変らないけれど、変ったものもあります。
 それは、料理!
 実は、昭貴さんは13年間にわたり、大阪の有名和食料理店で修業をしてきた方なのです。
 すべて地元、嬬恋村の食材だけを使って仕上げられた料理は、素材の味がしっかり生かされた逸品ぞろい。
 どれも手が込んでいて、箸が止まりません。

 なかでも、嬬恋高原キャベツを使った浅漬け風のサラダは、「えっ、キャベツって、こんなに美味しかったっけ!」 と声に出してしまったほどの絶品です。
 ぜひ、一度、食されたし!

 そして、関西風のダシのきいた薄味料理には、辛口の日本酒が、よく合います。
 もちろん、その晩も例外なく、キーンと冷えた冷酒を、しっかり御馳走になりました。
    


Posted by 小暮 淳 at 21:58Comments(0)温泉地・旅館

2013年08月23日

つま恋温泉 「山田屋温泉旅館」


 「今、決まりました。育英、優勝です!」
 僕が、風呂から戻ると、フロントの中から3代目主人の山口貴さんが、飛び出して来ました。

 「やりましたか! やってくれると信じていましたよ」
 と、僕も小躍りして、ともに喜びを分かち合いました。

 とにかく、気が気ではなかったんですよ。
 仕事が手につかないとは、このことです。
 でも、昨日は、取材出張日でした。
 だから移動中は、車の中でラジオを聴き続けていたのです。


 夏の高校野球、決勝戦。
 前橋育英(群馬) 対 延岡高校(宮崎)。
 4回の裏、延岡高校に3点先取されると、すかさず次の回には3点を奪取して、同点に!
 ここで、取材先に到着してしまいました。

 う~ん、ずーっと車の中で聴いていたいけど、約束の時間です。
 しぶしぶ、館内へ。

 「育英高校、同点ですね」
 と、主人との第一声が、高校野球の話でした。
 「みたいですね。私もテレビを観ていたいんですけど、それだと仕事にならなくなっちゃうもんで……」
 「でも気になりますよね」
 と僕。すると、
 「いやね、私も息子も、育英高校の出なんですよ」
 と主人。
 「それじぁ~、なおのこと気になりますね」
 かく言う僕にとっても、育英高校は息子の出身校なのであります。


 優勝が決まり、やっと落ち着いて主人と僕はロビーのテーブルに向かい合い、取材モードに入りました。

 僕が、つま恋温泉の一軒宿、山田屋温泉旅館を最初に訪れたのは、もう、かれこれ10年近く前のこと。
 雑誌の取材でした。
 その後、何度か訪れていますが、その都度、好意的に取材協力してくださっています。
 主人と僕が同い年だったというのも、話のウマが合う理由かもしれません。

 何年か前には、こんな事もありました。
 某鉄道会社の広報誌の取材で訪れた時のことです。
 日帰り取材のつもりで来ていたのですが、カメラマンの撮影が押して、夜になってしまいました。
 そしたら、
 「これから帰るのは大変でしょう。今日は、もう泊まっていったら」
 なーんて、言ってくれるものだから、ちゃっかり一晩、お世話になってしまったことがありました。


 親切にしてもらっているから、ほめるんじゃないんですけど、本当に、ここの宿は湯がいいんです。
 自噴する源泉の量は、驚異の1日ドラム缶約800本分!
 これが、内風呂、露天風呂、貸切風呂からジャンジャンかけ流されています。
 マグネシウムと鉄分の含有が多く、半透明の湯は一見、光の加減で濃緑色に見えますが、浴槽の中で湯をすくうと、黄褐色の小さな粒を確認することができます。

 で、いくつも浴槽はありますが、僕のお気に入りは、JR吾妻線を見下ろす露天風呂。

 コトンコトンコトン、コトンコトンコトン……

 時おり通過する列車の音を聴きながらの湯浴みは、至福のひととき。
 山あいを走るローカル線の響きは、街中で聴くそれとは異なり、なんとも郷愁を誘うのであります。

 晴れていれば、湯舟から日本百名山の一座、四阿山(あづまやさん) を望むことができますよ。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:48Comments(0)温泉地・旅館

2013年08月21日

オヤジ史③ 「麺スケベ」


 ついに、タブー取材に成功しました!

 実は僕、ボケてしまったオヤジの代わりに、オヤジの自叙伝を書いてやろうと思い、時間を見つけては実家へ行って、オヤジにインタビューをしています。
 ※(今までの取材経過については、当ブログの 「オヤジ史」 をお読みください)

 で、少年時代の話や戦中、戦後の話、水害で九死に一生を得た話などを聞いてきましたが、ついに! オフクロとの馴れ初めから結婚にいたるまでのラブロマンスを聞いてしまったのであります。
 このテの話題って、聞かれる親も照れくさいものですが、聞く子どもだって照れくさいのです。
 しかも、父と息子であります。
 一般家庭ならば、あえて聞くこともない、どーでもいい話題です。

 でも、僕はライターですからね。
 「オヤジ史」 を完結させるには、避けて通れないわけです。
 だから、ズバリ! 聞いてやりましよ。
 「ばあちゃんとは、どこで知り会ったんだい? 初めて会ったとき、どう思ったんだい? どっちが惚れたんだい?」
 ってね。
 そしたら、おかしな話が飛び出してきたんです。


 戦後間もない、昭和23(1948)年の春のこと。
 オヤジは終戦直後、地元の中学校の英語教師をしていましたが、その語学力を買われて、当時は太田市の進駐軍で通訳の仕事をしていました。

 オヤジには、5人の姉がいましたが(すでに全員、物故)、5番目の末姉(僕の伯母) の嫁ぎ先が、オフクロの実家の前の家だったのです。
 で、伯母は、いつまでも結婚する気のない弟(オヤジ) に、
 「向かいの家に、気立てのいい娘さんがいるけど、一度、会ってみないかい?」
 と、世話を焼いたとのことです。

 ところがオヤジったら、よっぽど独身生活が楽しかったんでしょうな。
 「だからオレは、まだ結婚なんてする気はねーって言っているだろ。ねーちゃんから、断ってくれよ」
 と、返しました。

 ところが、この話。オフクロのほうが、引かなかったと言います。
 まあ、オヤジとオフクロは、遠い親戚筋の関係にありますから、お互い子どもの頃には、見かけたことがあったようです。
 で、オフクロは、オヤジのことが気になっていたみたいなんですね。

 「私は、一度、ちゃんと断ったよ。それでも先方がお前に会いたいって言うんだから、今度は、自分で断りに行きなよ!」
 と、オヤジは伯母から強く言われたため、
 「だからオレは仕方なく、ばあちゃんちへ断りに行ったのさ」
 と言います。

 ところが、
 「ほれ、俺は “麺スケベ” だろう。ぱあちゃんちへ行ったら義母ちゃんが、うどんを打ってくれたのさ。これが、うまいのなんのって、お替りまでしちまったんだ。それで、断り切れずに、付き合うことに……」

 昔からオヤジの麺好きは有名で、そばでも、うどんでも、ラーメンでも、麺なら1日3食毎日でもOKな人なのです。
 「へーえ、それで、ばあちゃんの印象は、どうだったのよ?」
 「覚えて、ねーな」
 「本当に、うどんが理由で付き合ったのかよ?」
 「ああ、あの時、この人と結婚すれば、毎日、こんな、うまいうどんが食えるのかと思っちゃったのが、間違いの始まりだった。だって結婚してみたら、ばあちゃんは、うどんが打てなかったんだよ。あ~あ、だまされたな(笑)」


 この話は、本当なのだろうか?
 照れて、うどんのせいにしているのでは、ないだろうか?

 と、真偽を確かめるため僕は、その足で、オフクロが入院している病院を訪ねました。
 すると・・・

 「本当の話だよ。おじいちゃんは、結婚する気なんて、なかったんだよ。ただ、くやしいじゃないの。会って、ちゃんと話もしていないのに、断ってくるなんてさ。だから私が義姉さんに頼んで、うちに来るように言ってもらったの」
 とは、さすが上州女だ。
 もしかしたら、オヤジの麺好きまでも、事前にリサーチしていたのかもしれませんね。

 でも、その日以来、毎週日曜日になると、太田から前橋までオフクロに会いに来たというのですから、オヤジも満更じゃなかったようですよ。
 「いや、オレは、ばあちゃんに会いに行ったんじゃない。うどんを食いに行ったんだ」
 と、言われてしまえば、それまでですけれどね。


 ま、オヤジとオフクロが出会ってくれたお陰で、今、こうして僕が、ここにいるわけです。
 そして、僕の子どもたちがいて、孫もいます。

 不思議なものですね。過去って。
 誰一人が欠けても、“現在” は存在しないのですから。
 そして、“未来” も・・・


 “麺スケベ” に、感謝!
   


Posted by 小暮 淳 at 21:37Comments(0)つれづれ

2013年08月20日

終わらない夏


 泣けた! 泣けた!

 昨日の甲子園、第3試合。
 準々決勝、前橋育英(群馬) と常総学院(茨城) の一戦。

 2点ビハインドで迎えた9回裏の前橋育英の攻撃。
 2ストライク、ランナーなし。

 見ている誰もが、「もう、ダメだ」 と思っていた。
 実際、ベンチの中でも、2ストライクになって、泣いている選手がいたといいます。


 ところが、奇跡が起きた!
 5番の小川駿輝選手が、相手のエラーで出塁。
 続いて、6番の板垣文哉選手が2塁打を放ち、ランナーは、2塁、3塁と、1打同点のチャンスに!

 そして、バッターは、エース高橋光成(こうな)選手(2年生)。

 1ストライクからの2球目。

 カッキーーーーーーーーン
 と白球は、右中間を抜けていきました。

 この瞬間、全身をトリハダが覆いましたよ。
 なんだ、このミラクルは!
 彼は、“持っている” ぞ!

 そして延長10回の裏、見事、前橋育英は逆転サヨナラ勝ちをしたのです。


 今日のスポーツ新聞は、どこも1面は、前橋育英高校の記事でした。
 “高橋光成が呼んだ 奇跡のサヨナラ”(スポニチ)

 いや~、うれしいじゃ、ありませんか!
 群馬県民として、そして前橋市民として、誇りであります。


 高橋選手、インタビューでこんなことを言っているんですね。
 「絶対負けられないと思った。ここで負けたら、もう3年生と野球ができなくなる。1日でも長く野球がやりたい」
 だなんて、泣かせるじゃね~かよ(おじさんは、すでに泣いているのだ)。

 “1日” だなんて、言うなよ!
 あと2日、投げさせてやるぜ!
 そして、優勝旗を持って帰ってくるんだぞ!


 君たちの熱い夏は、まだまだ終わらないのだ。

 行け! 前橋育英ナイン
 てっぺんまで、登りつめろ!
   


Posted by 小暮 淳 at 18:38Comments(3)つれづれ

2013年08月19日

我は神の子⑤ 「悪魔払い」


 連日の猛暑の中、熱闘を繰り広げている甲子園球児たちには、本当に胸を熱くさせられます。
 なにより、この35度を超える炎天下の中、よく日射病や熱中症にならないものだと、感心してしまいます。

 だって、僕は昨日、熱中症手前の脱水症状を引き起こして、しばらく動けなくなったのですから・・・


 無謀です!
 前橋市の気温は、午前中からグングンとウナギのぼりに上がっています。
 その中、神に選ばれた11人の氏子たちは、太鼓を叩き、獅子神楽を廻しながら、町内を練り歩いたのであります。


 「悪魔っぱら~い! 悪魔っぱら~い!」

 氏子たちは、叫びながら約100戸の民家を訪ね歩きました。

 僕の担当は、前回の冬と同様、太鼓であります。
 もっとも過酷な獅子頭の中には、30代の若手2人に入ってもらいました。


 ドン、ドン、ドン・・・
 道を歩く時は、このリズム。

 ドンドンドン、ドンドンドン、ドンドンドン・・・
 民家の庭に入ったら、少し速めの、このリズム。

 太鼓の音を聴いて、家の中から祝儀を持って人が現れたら、
 ドドンコドン、ドドンコドン、ドドンコドン・・・
 と景気をつけて、

 「悪魔っぱら~い!」
 と叫んで、足や腰など体の悪い所をを獅子が、ガブリと噛みます。

 「ほれ、お前も頭を噛んでもらえ!」
 と孫を差し出す、おじいちゃん。
 「勉強ができますように」
 ガブリ!

 一行を追いかけて来た婦人がいました。
 「去年、噛んでもらったら、いい年だったんだよ。今年も噛んどくれよ」
 そして、思いっきり婦人の頭をガブリ!

 悪魔っぱら~い! 悪魔っぱら~い!


 途中で水分補給の休憩を入れながらも、歩き続けた2時間半。
 公民館にたどり着いたときには、もう、意識はもうろうとしていました。
 全員、クーラーの効いた畳の部屋で、大の字になってグロッキーであります。

 「小暮さん、大丈夫かい? ご褒美の生ビールを飲みに行くぞ!」
 との長老の言葉に、我に返りました。

 「えっ、公民館で缶ビールじゃないんですか?」
 「なーに、今年は○○(町内唯一の飲食店) を予約してあるんだよ。浴びるほど飲んでくんない!」
 と、いうことで、僕たち神の子一行は、最後の力を振り絞って、店まで移動しました。


 「はい、暑い中、大変お疲れさまでした。好きなだけ飲んでください。では、我が町内の家内安全、子孫繁栄を祈願しまして、カンパーイ!」
 次々に、ジョッキが空になっていきます。

 折りしも、食堂の大型テレビでは、高校野球の第3試合、前橋育英高校と横浜高校の試合が始まりました。
 1回表。前橋育英の先攻。
 なんと、強豪横浜相手に、早くも2点を先取であります。

 「ウォーーーーーッ! 育英、行けーーーーー!」

 みんな神の子であることを忘れ、前橋市民として熱戦に狂喜したのでありました。


 いよいよ今日は、ベスト4を賭けた大一番です。
 がんばれ、前橋育英!
  


Posted by 小暮 淳 at 13:03Comments(0)つれづれ

2013年08月17日

オヤジ史② 「キャサリン台風」


 「夕方、川の様子を見に行ったんだよ。そしたら、とんでもないことになっていた。赤城山のほうから土石流が襲いかかって来て、あっという間に、大胡の町は濁流に飲まれてしまった。オレも流されたけど、運良く、銀行の鉄格子にしがみ付いて助かったんだ。友だちを何人も失ったよ」

 敗戦から2年後の昭和22(1947)年9月14日から15日にかけて、関東・東北・北海道に水害をもたらした強い大型のキャサリン台風(カスリン台風ともいう) が、日本列島を直撃。
 9月15日の前橋の降雨量は、391.6ミリと、日降雨量の第1位を記録する大雨でした。
 集中豪雨に加え、水害や土石流の惨事はおびただしく、死者は関東地方で約1,000人。
 群馬県内だけで、592人に達しました。

 オヤジが暮らしていた小さな大胡町(現・前橋市) でも、77人の尊い命が奪われました。
 「大胡町はさ、住所が4番地から始まるんだ。なぜか分かるか? 1~3番地は、洪水でそっくり消えてしまったからだよ」
 と、オヤジは述懐しながら目を細めます。


 では、なぜ洪水が起きたのか?

 このことは、僕が子どもの頃から、繰り返し繰り返し、それも耳にタコができるくらい聞かされてきたことです。
 それは、戦中・戦後の樹木の乱伐で、赤城山が保水力を失ったから。
 台風による豪雨を吸収しきれずに、山津波となり、ふもとの町や村を襲い、土石流が人々の命を奪ったのだと言います。

 「終戦の年の秋。赤城山の紅葉は、山火事のように紅く燃えて見えたんだ。なんでだと思う? 戦時中に高木の常緑樹が伐採されたため、残った広葉樹だけが鮮やかに、ふもとから見えたのさ」

 “燃え上がる紅葉” = “山の破壊” だったのです。

 「だから、2度とふるさとが同じ目に遭わないように、オレは赤城の自然を守る!」
 そう心に誓ったオヤジは、人生の半分を自然保護活動に尽力してきました。

 日本野鳥の会会員や群馬県自然保護連盟会員として活動を続けるかたわら、個人的にも赤城山の自然を守る活動をしながら、県内各地の小中学校や団体をまわり講演を続けてきました。
 講演の際に、必ずオヤジはキャサリン台風の話をして、自然破壊が人間の命を奪うことの恐ろしさを訴えてきたのです。

 その苦労は、昭和54(1979)年に、環境庁長官賞の受賞という名誉により報われました。


 「オレの人生、金は残せなかったけど、子や孫やひ孫たちのために、赤城の自然を残すことができたよ」
 これは、昭和58(1983)年に発表された 『21世紀に残したい日本の自然100選』 に、赤城山の荒山高原が選ばれたことを言っているのです。

 当時、オヤジは英語塾を経営していたため、教え子たちや仲間たちに呼びかけ、主催者である朝日新聞というマスメディアの力を借りて、荒山高原の破壊を防ごうと考えたのでした。

 「自然を売り物にする“観光”ではなく、水害防止のための自然を!」

 その甲斐があり、赤城山の荒山高原は、圧倒的な支持を受けて、県内ダントツのトップ当選を果たしました。
 そして数年後には、県立森林公園にも指定されました。


 「じいさん、立派だよ。大したもんだよ」
 と、僕が言えば、
 「はははは、財産は残せなかったけどなぁ~」
 と、入れ歯をカタカタ鳴らしながら、うれしそうに笑うのでした。

 さあ、オヤジ、次回はいよいよ、オフクロとのラブロマンスを聞かせてもらうからな!
 照れずに、逃げずに、正直に話してくれよ。
   


Posted by 小暮 淳 at 22:44Comments(2)つれづれ

2013年08月16日

だから僕は講演をする


 「・・・ということで、今回の記事は見送らさせていただきます」
 と、先日、新聞社より電話があり、別の原稿に差し替えられることになりました。
 どうも、僕が書いた記事の内容が、社風にそぐわなかったようであります。

 まあ、こんなことは、ままあることです。
 “言論の自由” と言っても、不特定多数の公の場にさらされる文章ですからね。
 好ましくない表現や偏(かたよ)った物の考え方は、時と場合によっては、排除されます。

 僕も、それで、いいと思っています。


 こんなこともありました。
 以前、僕が新聞に、セックス描写のある文章を書いたときのことです。
 別の新聞社の記者に会った時、
 「小暮さん、読みましたよ。よく掲載されましたね。うちなら絶対にNGですよ」
 と言われました。

 これが社風というものです。
 Aでは良くても、Bではダメなことは、この世界では珍しくありません。
 だから、より自分の表現に近い媒体に文章を発表することが、ライターの腕の見せ所だと思っています。

 ただ、なんでもかんでも真実を書けば良いというものではありません。
 そこは、僕もプロですから、ときにはオブラートに包んで表現したり、遠まわしに言ってみたり、それなりの創意工夫と技巧を凝らして執筆しています。

 しかし、それでも、どーしても、真実を伝えたい場合は、もうペン(ワープロ) を捨てて、肉声で訴えるしかありません。
 それは、ズバリ! “ライブ” です。

 そう、僕の場合、講演やセミナーの場で、新聞や雑誌にかけない 「真実の情報」 を、お話ししています。

 たとえば源泉が涸渇や減少している実態。
 塩素消毒や循環風呂の実情と、その危険性。
 ザル法といわれる温泉法を逆手に取った悪質な業者。
 日帰り温泉施設の知られざる舞台裏・・・などなど。

 “ライブ” だからこそ話せる内容というのが、山ほどあります。
 お笑い芸人が、テレビでは見せられない自分たち本来のネタを舞台で披露するのと、似ているかもしれませんね。


 だから僕は講演をするのです。
 活字にはできない真実を、みなさんにお話しするために!

 機会があったら、ぜひ、講演やセミナーにお越しください。
 また、温泉に興味のある団体や企業の担当者さんも、ご一報ください。
 喜んでお話をさせていただきます。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:39Comments(4)講演・セミナー

2013年08月15日

オヤジ史① 「終戦記念日」


 親は子どもが生まれてから今日までの歴史を知っています。
 でも子どもは、物心がついてから今日までの親の歴史しか知りません。

 そんな当たり前のことに、今さらながら気づいたのであります。


 オヤジは、どんな子どもだったのだろうか?
 どんな遊びをしていたのだろうか?
 青春時代は?
 オフクロとは、いつ、どこで出会い、どう思ったのか?

 そして、僕が生まれた時、我が家は、どんな暮らしをしていたのか?


 そう思ったら、知りたいこと、聞きたいことが、次から次へと頭の中を駆けめぐって、居ても立ってもいられなくなってしまったのです。
 幸いにも、ボケ老人のオヤジは、ここ数年のことと、日々の出来事は、まったく覚えていませんが、ボケるまでのことは覚えています。
 それも、古ければ古いほど記憶は鮮明なのです。


 「じいさん、今日から毎日、オレと話をしょうよ」
 と、終戦記念日の今日、実家を訪ねました。

 ま、ほとんど毎日訪れているのですが、ボケているので、日常会話はあまりありませんでした。
 食事や散歩を一緒にするのが、僕の子どもとしての役目だと思っていたからです。

 でも、考えてみたら、僕の職業はライターだったんですよね。
 今までに、何百人という人を取材して、話を聞いてきました。
 ゴーストライターとして、他人になりすまし、本や記事を書いたこともあります。


 「なんの話をするんだい?」
 「じいさんの生まれたときから今日までの話だよ」
 「どうしてさ?」
 「だって、いつか自叙伝を出版したいって言っていただろう。でも、自分じゃ、もう書けないでしょう。だからさ、オレがじいさんの生涯を書いてやるよ!」
 と、言ったときです。
 急にオヤジは悲しい顔をして、

 「おれは、もう、死ぬのか……」
 と、うなだれてしまいました。

 「別に、そういうわけじゃないさ。ただの取材だよ、インタビューをさせてくれ。息子として、オヤジがどんな人生を送ってきたか、知りたいんだよ」
 そう言って、僕はオヤジを無理やりイスに座らせ、テーブルに録音機と筆記用具をスタンバイしました。
 まったく仕事の時と同じ条件で、インタビューに臨みました。


 オヤジは、大正13(1924)年9月20日に、群馬県の旧勢多郡大胡町(現・前橋市) で生まれました。
 8人兄弟の7番目。
 長女は明治生まれで、弟は昭和生まれ。

 祖母は、よく 「私は3人の天皇陛下に忠義を尽くした」 と言っていたといいます。


 今日は約40分間にわたり、出生と小学校、旧制中学校、大学時代、そして戦時中と終戦までの話を聞くことができました。

 68年前の今日。
 静岡の連隊で終戦を迎えたオヤジは、数日後に群馬へ帰って来ました。
 「前橋駅に降り立ったら、あたり一面は焼け野原。唯一、残っていたのが県庁の昭和庁舎と麻屋デパートだった」
 と、前橋空襲の惨劇を話してくれました。

 県庁の昭和庁舎は今でもありますが、麻屋デパートは残っていません。
 と、いうか、僕の記憶にはないデパートです。

 「大胡まで帰ろうと、中央前橋駅へ行ったら、駅舎は燃えてなかった。プラットホームに机を置いて、駅員がキップを売っていたんだ」
 と、敗戦の世に呆然と立ち尽くすオヤジは、まだ弱冠20歳。


 戦後、それからオヤジは語学力を生かして、進駐軍の通訳になるわけですが、その辺の詳しい話は次回ということで、今日のインタビューは終了しました。

 朝飯は何を食ったか、昼飯を食ったかどうかは忘れてしまいますが、昔のことは実に事細かに覚えていました。
 この人の記憶を、すべて引き出してやろう!
 と、久々に僕のライター魂に、火が点いたのであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 23:43Comments(2)つれづれ

2013年08月14日

人魂狩り


 お盆なので、今年も恒例の怪談話を1つ。


 あれは、今から45年以上も昔のこと。
 小学生の夏休み。
 僕らは、毎日のように雑木林へ出かけて、カブトムシやクワガタムシを捕まえて遊んでいました。

 僕らとは、「ワッケン」 ことW君、「ゲシ」 ことT君、「ゴンベ」 ことA君、と僕です。


 ある日のこと。
 3人に会うなり、ワッケンが、
 「グレコ(僕のアダ名)、なんで昨日は来なかったんだよ」
 と、食ってかかってきました。

 「なんでって、前に言わなかったっけ。家族で墓参りに行ってたんだよ」
 と僕。
 すると今度は、ゲシが、
 「グレコは、ラッキーだよな。オレたち、とんでもないモノ見ちゃったんだぜ! な、ゴンベ?」
 話をふられたゴンベは、
 「ああ、オレ、もう2度と、あの墓地へは行きたくねーよ」
 今にも泣き出しそうな顔で答えました。

 「えっ、何があったんだよ?」
 と僕。
 「絶対、信じるなら話す。俺たちは、本当に見たんだから……」
 そう言って、ワッケンが、昨日の夕方の出来事を話し出しました。


 昭和40年代のこと。
 前橋市の市街地に暮らしていたとはいえ、住宅街を少し抜ければ、田んぼや畑、雑木林はいくらでもありました。
 僕らは、ザリガニが釣れる池や川、カブトムシが集まる林、ノコギリクワガタやミヤマクワガタが捕れる木など、秘密の遊び場をいくつも持っていました。

 3人は、その中の1つ、利根川へ下りる河川敷の途中にある雑木林へ出かけたといいます。

 「もう帰ろうよ」
 とゴンベが言い出したときでした。
 「あっ、あれなんだ?」
 とゲシが、林の奥を指差しました。

 フワ~、フワ~と、光の玉が浮いていたといいます。

 「なんだろう、行ってみよう!」
 とワッケンが走り出しました。
 追って、2人も駆け出しました。

 雑木林を抜けた先には、小さな墓地があるだけです。
 光の玉は、墓石の上を、フワ~、フワ~と漂っていたといいます。

 「あれ、人魂(ひとだま) じゃ、ねーか?」
 と、物知りのゲシが言いました。
 「人魂って、なんだよ?」
 とワッケンが訊くと、
 「死んだ人の魂(たましい) だよ。この世にまだ未練があって、漂っているんだって」
 とゲシが答えました。

 「いいよ、もう、帰ろーよ」
 とゴンベが後ずさりをはじめたときです。

 「待て、ゴンベ! 人魂、捕まえようぜ!」
 と、ワッケンが虫取り網を振り回しました。
 「ゲシも手伝えよ。ほれ、そっちへ逃げたぞ!」

 フワ~、フワ~、フワ~
 と漂いながら光の玉は、大きなクヌギの木の裏へと消えていきました。

 「よーし、はさみ討ちだ! ゲシ、向こうへ回れ!」
 と、2人が左右に分かれて、クヌギの木の裏へ回り込んだときでした。


 うわわわわわわわわわわーーーーーーっ !!!


 そこには、白髪の老婆がうずくまっていたといいます。

 そして、ひと言、
 「どうして、後をつけてくるんだい」


 もう、45年以上も昔のことです。
 僕の記憶も、だんだん薄れてきました。

 ただ、その後、僕ら4人は2度と、その雑木林へは行きませんでした。
 今思えば、唯一、るり色に光り輝くタマムシがいる、“秘密の森” だったのです。


 ※過去の怪談話は、下記のブログをご覧ください。
   ●2010年8月15日 「謎学の旅③ おばけ坂の白い家」
   ●2011年8月12日 「首のないボーイ」
   


Posted by 小暮 淳 at 21:43Comments(2)つれづれ

2013年08月13日

不味くないけど美味しくない


 最近、立て続けにヘンなモノを食べました。


 腹は減っているが、この酷暑では熱い食い物は食べたくない。
 では、冷やし中華でも食べようかと、ラーメン店に入りました。 

 メニューを見ると、冷やし中華のとなりに、「冷やしラーメン」 の文字。
 冷やしラーメン?
 冷やし中華とは、違うのかい?
 2つ並んで書かれているところを見ると、別物なんでしょうなぁ・・・。

 そもそも熱いラーメンは食べる気がないのだから、迷わず、冷やしラーメンを注文しました。

 で、出てきたラーメンは、見た目、ただのラーメンであります。
 チャーシューもナルトもメンマも、のっています。
 スープは、ふつうのしょう油ラーメンのよう。

 ただ、違いは、冷房がギンギンにきいた店内なのに、湯気が立っていないだけ。

 まずは、スープをひと口・・・
 ん?
 冷たーーーーい!

 しょう油ラーメンのスープを、キンキンに冷やした感じ。
 ダシの味もコクも、分かりませんって。

 スープが冷たければ、当然、麺も冷たい。
 チャーシューだって、冷えている。


 で、結論です!
 冷たいと、味覚が舌に届きません。

 あーあ、これならば、ふつうの温かいラーメンにすればよかった。 
 いやいや、最初から冷やし中華を注文すればよかったんです。


 夏バージョンに冷たくした食い物には懲りたはずなのに、またしても先日、つい好奇心から、スーパーでヘンなモノを買ってしまいました。
 その食品の名は、「冷やしおでん」。
 茶碗蒸しのように、カップに入ってました。

 ん~、食べる前から、想像はついていたんですけどね。
 案の定、想像を裏切らない、ただの冷たいおでんでした。
 ちくわも大根もこんにゃくも、冷え冷えであります。

 しかも、スープはジェル状!
 おおおお、これでは、コーヒーゼリーを食べてるようです。
 て、いうか、おでんを生まれて初めて、スプーンで食べました。

 で、味はどうなのかって?
 はい、不味くはないけど、美味しくもありません。


 今思えば、「冷やしラーメン」 も 「冷やしおでん」 も、自分で作れますって。
 どちらも、ふつうに作って、冷蔵庫で冷やして食べればいいんです。
 でも、それって、何のために?

 やっぱり、温かい料理は温かく食べるに、限ります。 
  


Posted by 小暮 淳 at 21:44Comments(2)つれづれ

2013年08月12日

徒然なるままに


 「小暮さん、ブログ読みましたよ。ほんわかして、とってもイイ話ですね」
 と、電話をくださったのは、僕が顧問を務めている 「ぐんま温泉倶楽部」代表のHさん。

 「9月号の広報誌に載せてもいいですか?」
 と、おっしゃるので、もちろん二つ返事で了承いたしました。

 Hさんが気に入ってくれたブログとは、今月8日に書いた 『マイバスに乗って②居酒屋へ』 です。
 まあ、いつものボケ老人のオヤジネタであります。
 僕とアニキとオヤジが、バスに乗って酒を飲みに行った話なんです。

 最近、このテの家族ネタや日常ネタを楽しみにしている読者が増えているようで、「この間のブログ、良かったです」 と声をかけてもらうことが多くなりました。
 ありがたいことです。


 このブログは、タイトルを見てお分かりのように、“温泉ライター 小暮淳” のブログとして、2010年の2月にスタートしました。
 ですから、当初は、温泉の話だけを書きつづっていこうと思っていたのです。
 でもね、僕が 「温泉ライター」 を名乗るようになったのって、ここ数年のことなんですよ。
 基本的には、フリーライターですから、なんでも書くわけです。

 著書は現在までに9冊出版していますが、温泉本は、うち5冊。
 あとの4冊は、エッセーや紀行文、絵本です。

 たまたま10年くらい前から温泉を取材することが増えて、続けざまに温泉本を出したものだから、便宜上、“温泉ライター” と名乗ることが多くなっただけのことです。
 ですから、著書や新聞、雑誌の記事によっては、現在でも肩書きは 「フリーライター」 と記載されています。


 今までにも何度か、このブログを読んだ読者から連絡があり、他の媒体等に掲載された話がいくつかあります。

 2011年11月5日に書いた 『生まれて初めて会った人』。
 これは、55年前に、僕をオフクロの腹から取り上げてくれた医者の話です。
 一昨年、90歳で他界されたとき、僕は、最後のお別れを言いに行きました。

 偶然にも、お孫さんが僕のブログで見て、連絡がありました。
 「ぜひ、この話をプリントして親族に配りたい」 と・・・
 もちろん、ブログ冥利に尽きることなので、了承いたしました。


 2011年11月7日に書いた 『老人とマンドリンの夕べ』。
 これは、オヤジを連れて雨の中、マンドリンのコンサートへ行った話です。
 「この話を顧客に配る冊子に載せたい」 と、某飲食店の経営者から連絡をいただきました。

 うれしいですね。
 ブログを読んでいるだけではなく、こうやって、自分以外の人たちにも教えてあげたいと思っていただけることは、書き手冥利に尽きるというものです。

 たかがブログ、されどブログであります。


 今日紹介した3編の話は、すべて<カテゴリー>の中の 「つれづれ」 に集録されています。
 興味を持たれた方は、<検索>よりバックナンバーをご覧ください。

 これからも、徒然(つれづれ) なるままに、何気ない日常の出来事をつづっていきたいと思います。
 今後も、よろしくお願いいたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:29Comments(2)つれづれ

2013年08月11日

県庁のバカヤロー!


 花火は好きですが、花火大会は嫌いです。
 正しくは、大会が嫌いなのではなく、“人ゴミ” が苦手なんです。
 だから、子どもの頃は別として、昔から大勢の人が集まる場所は避けてきました。

 たとえば、休日の観光地。
 なるべくなら、家族にも同意をもらって、平日に出かけるようにしていました。

 いくら僕が休日の外出が嫌いでも、子どもたちに学校を休ませてまで家族旅行へ行くわけにはいきません。
 そこで我が家では、休日のレジャーは “山登り” と、決めていました。
 それも、なるべく、人気のないマイナーな山へ。

 たどり着いた山頂に、誰もいなかったときの満足感ったらありませんよ。
 360度のパノラマを、我々家族だけで独占できるのですから!

 そんなわけで、人ゴミ嫌いの僕は、大都会東京からも逃げ帰ってきたのであります。


 で、昨晩は、前橋市の花火大会です。

 ん~、長年、この街に暮らしていますが、ほとんど会場の近くまで行って観覧した記憶がありません。
 20代に1度だけ、当時の彼女と行ったことがあったような・・・
 ま、その程度にしか、花火大会には興味がないのです。


 が、今回、珍しく、実家のアニキから、
 「オフクロが入院していないから、オヤジを囲んで、屋上で花火を見ようか?」
 と誘いがありました。

 以前は、よく、実家の屋上で花火を見たものです。
 子どもたちが小さかった頃の話です。
 近所の人たちも集まってきて、実家の屋上や路上で、ビールを飲みながら、うちわを片手にワイワイやったものでした。


 「でもさぁ~、屋上から花火が見えなくなっちゃったんじゃなかったっけ?」
 と僕。
 実は、平成11年の群馬県庁新庁舎の完成以降、完全に視界をさえぎられてしまい、恒例だった実家屋上での花火観賞会は行われなくなってしまったのです。

 高さ153.8メートル、地上33階建て。
 なんでも、県庁舎としては、日本一を誇る高さなんですってね。
 ったく、税金のムダ遣いったら、ありゃしません。

 文字通りの、“無用の長物”です。


 「それがさー、去年は見えたんだよ。たんぶん、打ち上げ場所がズレたんだと思う」
 と、アニキが言うので、
 「だったら、久しぶりにやろうか!」
 ということになり、兄夫婦と僕の家族、娘夫婦の家族が、実家の屋上に集まったのであります。


 もう、打ち上げ開始の7時前から、テンションは上げ上げで、完全に宴会モードであります。
 オヤジも久しぶりに、ひ孫に会えたことを喜んでいます。

 「さー、始まったぞ!」
 というアニキの声で、屋内で食事をしていた全員が屋上へ。


 が・・・、音はすれど、いっこうに姿は見えません。
 完全に、県庁舎の巨大な壁に隠れてしまっています。

 「これじゃ、幽霊花火だなぁ~」
 オヤジが言うと、
 「今年はダメだね。下で飲みなおそう」
 と三々五々、姿を消してしまったのであります。


 「ったく、ムダな建物を作りあがって!」
 と、建築家としてもアニキの怒りはマックスに達していました。

 ま、「去年は見えた」 と言ってしまった手前、引くに引かれなくなってしまったんでしょうな。
 たった1人、屋上に残って、
 「花火は見えないけど、涼しいぞっ」
 ですって。

 でもね、こうやって、正月以外にファミリーが集まれたんですから、みんなアニキに感謝しているんですよ。
 とっても楽しかったって、娘夫婦も言ってましたもの。
 また、来年も集まりましょうね。


 てか、最後にひと言、言わせてくださいな。

 「県庁のバカヤロー!」
  


Posted by 小暮 淳 at 18:48Comments(3)つれづれ

2013年08月10日

温泉の3つの効果


 その昔、「温泉へ行く」 といえば、それは “湯治” に行くことでした。
 湯治とは、読んで字のごとく、温泉を利用して病気を治す民間療法です。

 その効果は、医学が発達した現代でも、高く評価されています。
 では、なぜ、温泉は体に効くのでしょうか?


 大きく分けて、温泉には3つの効果があります。

 その1つは、誰でも知っている温泉の成分による 「化学的作用による効果」 です。
 皮膚や呼吸を通して、成分が体内に吸収されることにより、“薬理効果” を生みます。
 また、飲用すれば、体内に吸収された成分が血液に入り、さきざまな効果をもたらします。


 2つめは、「物理的作用による効果」 です。
 これは、温熱や水圧、浮力といった入浴中に体にかかる物理的な作用による効果のことです。

 たとえば、「温熱作用」。
 温泉の持つ熱により体が温められ、新陳代謝の促進や自律神経の調整がされるため、神経痛や筋肉痛、関節痛などに効果があります。

 「水圧作用」 は、入浴中にかかる水圧により、筋肉などへのマッサージ効果や運動効果があります。
 手足への血流が良くなり、全身の血行が促進されます。

 そして 「浮力作用」。
 入浴すると浮力が働き、体重は空気中の約9分の1になるため、足腰や関節への負担が軽く、水中での運動が楽になり、神経麻痺などのリハビリに有効です。


 と、ここまでの作用は、日帰り温泉施設や温水プールでも効果を得ることができますが、実は、昔ながらの温泉地へ行く “湯治” には、あと1つ、絶対に現地でなければ効果を得られない作用があるのです。

 その作用と、効果とは?


 と、いうことで、僕が毎月、コメンテーターを務めている群馬テレビのニュース番組 『ニュースジャスト6』 では、次回、この温泉の持つ、3つの効果についてお話します。
 ご興味のある方は、ぜひ、ご覧ください。



 ●放送局   群馬テレビ(地デジ3ch)
 ●番組名   「ニュースジャスト6」
          NJウォッチのコーナー
 ●放送日   (月)~(金) 18:00~18:30
 ●出演日   8月13日(火)
 ●テーマ    「温泉の3つの効果」
  


Posted by 小暮 淳 at 16:43Comments(0)温泉雑話

2013年08月09日

五十半ばの迷い坂


 昨日は、僕の55回目の誕生日でした。

 いよいよ、50代も折り返し。
 四捨五入すれば、還暦であります。

 えっ、ついにオレも 「アラ還」(アラウンド還暦) か?
 と驚きましたが、アラ還とは、60歳前後の人のことをいうそうですから、もう少し間がありそうです。
 アラ還予備軍といったところでしょうかね。


 誰だって若い頃は、自分がオヤジやオフクロの年齢になるなんて、考えも、想像もしませんでした。
 そして、その年にたどり着くまでには、たくさんの出来事、たくさんの時間があったはずなのに、不思議なものです。
 たどり着いて、振り返って見ると、ついこの間のような気がするのです。

 えっ、ちょっと待ってよ!
 まだまだ、やりたいこと、やるはずだったことが山ほどあったのに・・・
 と、なまけていた自分を棚に上げて、いつもいつも後悔の連続です。


 「三十にして立つ」
 といいますが、今思えば、30歳の自分なんて、志もなく、ただ面白おかしく毎日を過ごしていました。

 「四十にして惑わず」
 40歳は “不惑の年” なんていいますが、僕は完全に迷っていました。
 フリーになって3年目で、ぽつりぽつり仕事はありましたが、それでもはたから見たら失業者同然であります。

 「五十にして天命を知る」
 だなんて・・・
 やっとこさっとこ、ライターとして歩けるようになった幼稚園児であります。


 そして昨日、50代の折り返し地点を通過しました。

 まだまだ、夢も志しも半ばであります。
 いったい、いつになれば 「立つ」こと、「惑わぬ」こと、「天命を知る」ことが、できるのでしょうか?
 なんだか、自分が他人より20年も30年も遅れているように思えて仕方がないのです。

 でもね、これだけは、言えます。
 昔より、若いときより、誕生日を祝ってくれる人たちが、たくさんいるってこと。

 昨日も一日、友人知人からメールをいただきました。
 中には、こんな可愛いメールもありましたよ。

 < じいじ おめでと >

 3歳になる孫からです。
 もちろん、まだ字が書けませんから、嫁いだ長女が、孫の写真に文字を入れて送ってくれたのです。

 「そうか、あいつ、ちゃんと覚えていてくれたんだ・・・」
 そう思ったら、娘の小さい頃の顔が浮かんできて、つい、ウルウルと涙腺がゆるんでしまいました。


 失ったものもたくさんあるけれど、得たもの、増えたものもたくさんある人生なのだと、昨晩はしみじみと1人で、家内からプレゼントされた下着を身に付けながら、次女からもらったつまみを肴に、長男が買ってくれた酒を飲み干しました。


 五十半ばは、まだまだ心臓破りの迷い坂。
 されど、振り返れば、確かに幾すじもの夢の轍(わだち) が見えます。

 さーて、勝負はこれからだ!
 てっぺん目指して、登り続けますぞ!
  


Posted by 小暮 淳 at 21:53Comments(3)つれづれ

2013年08月08日

マイバスに乗って② 居酒屋へ


 「たまには、オヤジを連れて、夕飯がてら街へ出てみるか?」
 とアニキが言い出したので、昨晩は珍しく、親子3人で飲みに出かけました。

 3人で飲むのは、ほぼ1年ぶりです。
 昨年の9月に、やはりオフクロが入院した時に出かけました。
 でも、あの時と違い、昨日は猛暑日。
 夕方5時を過ぎても、まだ前橋市内は気温が30度以上もあります。
 さすがに、健脚なオヤジでも歩かせるわけにはいきません。 


 ということで、僕らは 「マイバス」 を利用することにしました。

 マイバスとは、前橋市内をグルグルと走り回っている循環バスです。
 北循環と南循環があり、実家のすぐそばを南循環バスが通っています。

 以前からオヤジと散歩へ出かけた際に、街の中から帰りに乗ることはあっても、行きに利用するのは初めてのこと。
 アニキにとっては、マイバスに乗ること自体が初体験です。

 バス停に立つ、オヤジとアニキを見て、笑ってしまいました。
 だって、ネコバスを待っているサツキとメイなのですから!

 と、いうことは、僕がトトロっていうことですかね(笑) 


 とても、のどかな光景であります。
 暮れなずむ住宅地を縫うように走る小型バス。
 その中で、89歳になる老いた父親と60歳と50歳を過ぎた2人の息子が、揺られています。

 <次は、前橋駅北口>

 ここで、ほとんどの乗客が降りました。
 若い女性や学生が、急ぎ足で駅の改札口へ向かっていきます。

 一般の路線バスに比べると、幹線道路を通らずに、あえて住宅地の中をクネクネと走り回るマイバスは、同じ場所へ行くのにも倍以上の時間がかかります。
 でも、その分、どこまで乗っても一律100円というのが魅力。

 特に、この猛暑です。
 100円で涼みながら移動ができるのですから、市民はとっても重宝しています。


 <次は、坂下>

 「ほら、じいさん、押して!」

 ピンポ~ン!

 <次、止まります>

 「足元に気をつけてくださいね。ゆっくりで結構ですよ」
 運転手さんに見送られて、杖をつくオヤジと一緒に、一歩ずつ乗降口を降りました。


 「おお~、これはこれは、親孝行な息子たちの登場だ~!」
 のれんをくぐると、マスターのやさしい声に出迎えられました。

 「おとうさん、お久しぶりです。元気そうですね。さあ、奥へどうぞ!」
 と通されて、カウンターの奥に、僕、オヤジ、アニキの順で座りました。


 おでんとやきとりの店 「K」。
 僕ら兄弟が、かれこれ30年近く通っている居酒屋です。
 だから常連客は、みーんな顔見知り。

 「ジュンちゃん、この間、新聞に載ってたね。温泉の講演したって!」
 「今日の新聞、読んだよ。“0泊2食” の記事さ」
 って、次々に声をかけてくれます。


 「オヤジの長寿に、カンパ~イ!」
 とアニキが音頭をとれば、マスターも常連客たちも、一緒になってグラスを挙げてくれます。

 「じいさん、美味しいか?」
 「ああ、おいしいね」
 「じいさん、幸せだろう?」
 「ああ、幸せだ」

 するとアニキが、
 「だったら、もう、いつ死んでもいいだろう?」
 と言うと、つられてオヤジが、
 「ああ、いつ死んでもいいよ」
 と、ポロリ。

 すると今度は、
 「こら! この親不孝者が! なんてことを言う!」
 と、マスターがアニキを一喝。

 そして、店内に、笑いが起きました。


 マスター、常連客のみなさん、ありがとうございます。
 また、オヤジを連れて飲みに来ますよ。

 かなり、とんちんかんなボケ老人ですが、末永くよろしくお願いしますね。
   


Posted by 小暮 淳 at 19:07Comments(0)酔眼日記