温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2013年09月30日

二の字の夜


 オヤジが、どんどん壊れていきます。
 いったい、この先、どうなっちゃんでしょうか?


 アニキが、東京へ帰ってしまいました。
 そもそも、仕事も家族も東京にある、東京都民なんですから仕方がありません。
 オフクロは、相変わらず入院中です。
 と、いうことは、僕がオヤジの面倒を看るしかありません。

 実家に泊まり込んで、2日間、一緒に過ごしてきました。


 「○○○(アニキの名前) は、どこへ行ったんだろうね?」
 「東京へ帰ったんだよ」
 「じゃあ、俺は一人ぼっちか?」
 「だからオレが、こうして来てるんだろうが!」
 「そうか、ジュンが居てくれるんだな?」
 「そうだよ」
 「夜は、どうするんだ? 俺は一人ぼっちか?」
 「オレが泊まるよ」
 「そうか、そりゃあ、うれしいな~」

 以前なら、この後、5分は記憶がもったのです。
 でも、昨日は違いました。
 2、3歩歩いたと思うと、振り返って、
 「○○○は、どこへ行ったんだ?」
 と、九官鳥のように繰り返してきます。


 オヤジは大正13年生まれの満89歳。
 足腰は丈夫で、1日3回、計3時間もの散歩を毎日欠かしません。

 でも、認知症をわずらっています。

 以前、このブログでも、オヤジの脳のことをパソコンに例えて、“上書き保存ができない” と形容しました。
 ハードディスクに残っている古い記憶は大丈夫なのですが、認知症の症状が出てからは、新しいことを記憶することができません。
 そう、上書き保存ができないのです。

 でも、数分は覚えていてくれたんですよ。
 なのに・・・
 その機能も壊れてしまいました。

 話すそばから 「削除」 ボタンを押されてしまうのです。
 言葉だけではありません。


 「昼飯はまだかなぁ~」
 だなんて、今、「ごちそうさま」 を言ったばかりなんですよ。

 「えっ、じいさん! 今、食ったばかりじゃねーかよ!」
 と言えば、
 「そうだったかなぁ……。分からなくなっちゃった」
 と、しょげてしまうのです。

 「自分のお腹に、聞いてごらんよ! お腹いっぱいでしょう?」
 と訊けば、
 「それが分からないんだよ」
 と言う始末。


 昨晩は、仕事を持って行ったので、実家の1階の部屋で原稿を書いていました。
 すると・・・
 5分ごとに、パジャマ姿のまま下りて来るのです。 

 「○○○は、どこにいるんだい?」
 「どうしてジュンがいるんだい?」
 「お前は、帰らないのかい?」
 「どこに寝るんだい?」

 もーーーーーーーっ、いい加減にしてくれよ!
 なんでもいいから、とっとと寝てくれないかな!
 ちっとも仕事が、はかどらないんだよ!

 「あんまりうるさいと、オレ、帰っちゃうよ」
 と、いらだった僕は、心にもないことを言ってしまいました。
 そしたらオヤジったら、泣くんですよ。
 「イヤだよ」 って。


 深夜、そーっとオヤジの部屋に行くと、オヤジは気持ち良さそうに寝息を立てていました。

 僕は酒を飲みながら、しみじみとオヤジの顔を眺めて思いました。
 「まったく、子どもと同じだな」 って。

 遊んで、タダこねて、怒って、泣いて、疲れて、寝ちまうなんて。

 でも、いるだけで、いいんだよ。
 だってオヤジは、いっつも言ってるじゃないか。
 「子どもがいない人は、かわいそうだ」 ってさ。
 「子どもがいても、面倒を看てもらえない年寄りはたくさんいる。ああ、俺は幸せ者だ」 ともね。

 そんなこと言われれば、息子としては面倒を看ないわけには、いかないでしょう。
 ずるいよな、オヤジは。


 オヤジの寝顔を見ていたら、ついつい酒を飲み過ぎてしまいました。
 そして僕も、オヤジの隣に床を延べて、眠りに就きました。

 二の字になって。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:54Comments(2)つれづれ

2013年09月28日

私がコンピューター


 フリーランスで仕事をしているというと、 “自由” なイメージを持たれそうですが、そのぶん “孤独” と葛藤している人たちがほとんです。
 だから僕らフリーランスは、とっても “ネットワーク” を大切にします。


 昨晩は、県内の某温泉旅館に、11名の仲間が集まりました。
 県内外でフリーランスで活動をしているクリエイターたちです。
 一番遠い人は、鹿児島県から参加してくれました。
 僕は7年前からの創設メンバーです。

 午後5時半。
 ひと風呂浴びてから、会議室にし集合。
 8回目になる総会が開催されました。

 議題は、この1年間の活動の報告と反省点の確認。
 そして、今後の展望について、1時間ほどディスカッションがありました。

 会議が終われば、当然、その後は、お待ちかねの酒宴です。
 みなさん、これが楽しみで、遠路はるばるやって来るのであります。

 でもね、僕らの酒宴は、ちょっと違います。
 もちろん、下世話な話や下ネタ話も時々飛び出しますが、話の中心は、どうしても仕事の話になります。
 仕事といっても、“お金” の話ではありませんよ。

 そこはクリエーター同士、“夢” の話で盛り上がります。


 「我々で、本を出版しよう!」
 という話題になり、その第一候補として、10年前に僕が原作を書いて、イラストレーターの I 女史がイラストを描いた絵本が上がりました。

 この本は、幼児向けに作られた30ページほどの動物が主人公の話です。
 当時、見本として数冊が製本されましたが出版、販売にはいたりませんでした。

 「いいね、あの本は、いいよ。賛成だな」
 と、最長老で絵本作家のN先生が太鼓判を押してくれました。
 なんでも、講演で、この本を題材にしたところ、子どもたちに大変評判が良かったとのことです。

 いやいや、N先生の後押しがあれば、百人力です。
 即、その場で、プロデューサーやデザイナー、印刷担当者までが決まり、夢はどんどん膨らんで、大いに盛り上がったのであります。
 もちろん、酒のほうも “飲み放題” ですから、メートルは上がる一方です。


 突然、I 女史が、こんなことを言い出しました。
 「あれ? 絵本のデータは、どうしたかな・・・。あっ、古いパソコンの中だ! どうしょう・・・取り出せるかなぁ~」
 不安顔になりました。

 ま、原本は何冊かあるわけですから、もしもの時でもなんとかなります。
 僕も、そしてスタッフも、ことのほか心配はしていませんでした。

 そしたら、I 女史ったら、
 「大丈夫、私がコンピーターだから!」
 と、自分の右腕を上げて、もう片方の手で、ポンポンと叩いてみせたのであります。

 これには、一同、大爆笑です。

 その自信たっぷりな笑顔!
 いいですねぇ~。
 長年、自分の腕1本で仕事をしてきたプロの笑顔であります。

 「そーだ!」
 「その通り!」
 「さすがだね」
 と、ヤンヤヤンヤのエールが飛び交いました。


 僕も、そう思います。
 僕らは、自由はあるけど、金はない。
 でも、アイデアと知恵がある。
 そして、組織に属さず、ひたすら一途に、おのれの才能と力を信じて生きてきた “自信” があるのです。

 何よりも、こうやって夢を語れるゆかいな “仲間” がいるじゃありませんか!

 僕らに “不可能” なんて言葉はありませんって。


 I 女史、よろしく頼みまっせ!
 10年越しの作品だもの、「夢の10倍返し」 と、いきましょうよ。
  


Posted by 小暮 淳 at 20:59Comments(3)酔眼日記

2013年09月26日

能天気のすすめ


 先日、さる会社の社長さんと会食をしました。

 彼は、僕と同世代。
 公私共に付き合いのある古い友人でもあります。

 この日の彼は、いつもよりテンションが低めでした。
 無理もありません。
 1ヶ月ほど前に、会社がトラブルに巻き込まれて、新聞記事にまでなってしまったんです。
 当然ですが、代表として、しっかり彼の名前も紙上に載ってしまいました。

 「時間があったら、お会いできませんか?」
 と電話をもらったときから、だいたいの話の内容は察していました。


 「どう? 落ち着いた?」
 と僕が切り出せば、
 「おかげさまで、なんとか。でも今回は、ほとほと参りました」
 と、顚末(てんまつ) の一部始終を話してくれました。

 そして、彼は、こんなことを言いました。

 「小暮さんはさ、会社じゃないけど、長年1人で仕事をしてきたわけですよね。どうやって毎日、モチベーションを維持しているんですか?」

 なんでも、今の彼は、朝起きて、会社へ行くまでがツライのだそうです。
 「毎日、いかにして自分のテンションを上げるかに悩んでいます」


 ん~、・・・難しい相談ですね。
 だって、いくら僕が、ライター兼、社長兼、雑用係だといっても、所詮、個人です。
 しかも、パートもアルバイトも使っていない、まったくの “一人力” ですからね。
 僕がやっていることなんて、何人もの社員を雇用している彼の悩みの解消には値しませんって。

 だって、オイラは、能天気ですから!

 ただね、僕だって、ときどきテンションが下がりそうになることがあるんですよ。
 (まー、滅多にありませんけど。年に1、2回は・・・)
 そんなとき、自分をだますテクニックだけは、心得ています。

 ほめて、ほめて、ほめちぎるのみ!です。

 「よっ、天才!」「大したもんだね、オレ様は」「間違ってないよ、その生き方で」「今日も、みんながオレを待ってるぜ!」
 とかなんとか、歯の浮く言葉で、ほめちぎるのです。

 “豚もおだてりゃ木に登る” 戦法です。


 えっ、それでもテンションが上がらなかったら、どうするのかって?
 僕の場合、とりあえず、輝かしい(?)過去を振り返ります。
 と、いっても、大したことはありません。

 フリーになってからこなしてきた仕事のファイルや作品をめくり返すだけです。
 「ああ、この記事を書いたときは大変だったよな」
 とか、
 「この本を出版するまでは、本当に産みの苦しみを味わった」
 なーんてね。

 そして最後に、すべては “あきらめなかったから” こうして、実績として残っているんだ。
 そーだよ、だから、これからも、このままブレずに進めばいいんだよ。
 ね、天才ちゃん!(ちょっと大げさですが)

 でもね、それくらい能天気に励ましてあげないと、テンションは上がらないし、モチベーションを維持することはできません。


 だって、自分のやっていることに自分が応援してやらなくて、どうするんですか?
 自分の一番の味方は、自分です。

 たとえ10人の敵に囲まれても、僕は僕を最後まで信じてやるつもりです。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:43Comments(2)つれづれ

2013年09月25日

倉渕温泉 「長寿の湯」③


 「先生が、この講座のことを新聞に書いてくださいました」
 そう言って、担当添乗者のOさんが、バスの中でコピー紙を配りました。

 えっ、なにそれ?
 「どれどれ、僕にも1枚くださいな」
 と手渡されたコピーを見ると・・・

 なーるほど、ね。
 この記事のことでしたか!

 現在、僕が朝日新聞群馬版に連載している 『小暮淳の温泉考座』 で、9月11月に掲載されたコラムでした。
 <自分の好きな温泉>
 <主観を尊重して探す旅を>
 なんて見出しが付いています。

 要は、僕が講師を務める温泉講座では、「群馬にはどんな温泉があるのか? 自分はどんな温泉が好きなのか? そんな温泉探しの旅をしている」 というような内容の記事です。

 でも、うれしいですね。
 こうやって主催者側が新聞の記事に気づいて、受講生分のコピーまでとってくれるなんて。
 さらに、担当者いわく
 「新聞が掲載された日から、だいぶセンターに問合せがあったようです。でも、この講座は現在、定員満席なので、すべてお断りしたようです」
 とは、うれしいような、なんだか、もったいないような・・・

 ま、僕が書いたのはコラムであり、別にセンターの宣伝をしているわけではありませんからね。
 認知度が上がれば、それで、いいんじゃないでしょうか。


 と、いうことで、昨日は、月に一度のNHK文化センター主催による野外温泉講座の日でした。
 一行が向かったのは、旧倉渕村(現・高崎市倉渕町) の一軒宿。
 倉渕温泉 「長寿の湯」 であります。

 まさに、ここは僕にとっては思い出深い、コラムに書いたような “好きな温泉” の1つであります。
 なにが、好きかって?
 決まっているじゃ、あ~りませんか!

 女将さんですよ、女将さん!

 もちろん、湯も料理も、いいんですよ。
 でも、やっぱり女将さんの笑顔と根っから明るい人柄には、かないませんって。
 温泉ライターとして、まだ駆け出しだった頃、何度、この女将さんの笑顔に励まされたかわかりません。

 とにかく、女将さんは苦労人なんです。
 でも、それを一切、顔に出さない。
 それどころか、過去の “負” のパワーを10倍くらいにして、人生を切り開いてしまう肝っ玉かあさんなんであります。

 「私の旧姓は有賀(あるが) だからさ、いつもあるがままなんだよ。ハハハハッ!」

 その豪快な笑い声と屈託のない笑顔に、受講生たちも、あっという間にトリコになってしまいました。
 ま、女将さんと受講生たちは、同年輩ですからね。
 すぐに仲良しになっていましたよ。


 「今日の温泉は、どうでしたか? 満足していただけましたか?」
 と僕が、帰りのバスの中で問えば、
 「最高!」「満足!」「また来ます!」 の声と、拍手が起こりました。

 温泉の魅力は、お湯だけじゃないんですね。

 “秘湯は、人なり” 
  


Posted by 小暮 淳 at 12:10Comments(5)温泉地・旅館

2013年09月23日

幸せの倍返しだ!


 人気の日曜ドラマ 『半沢直樹』 が昨日、最終回を迎えました。
 ご多分にもれず、僕も毎週、夢中になって観ていました。

 でもね、初回は観ていないんですよ。
 「どーせ、銀行員の出世物語だろう」 って、興味もないし、高をくくっていたんです。
 そしたら、この反響!

 観たという知人からも、「違うよ、復讐劇だよ!」 と言われ、あわてて再放送を観たのが運のツキ。
 完全に、のめり込んでしまいました。
 僕が、テレビの連続ドラマを欠かさず観るなんて、とっても珍しいことなんですよ。
 だって、過去に観た連続ドラマといえば・・・

 『JIN -仁- 』 くらいなもの。

 あ、今気づきました。
 2つのドラマの共通点を!
 主演の堺雅人と大沢たかおは、僕のお気に入りの俳優さんであります。
 (もし僕が監督なら、2人を起用した映画を撮ってみたいものです)


 で、半沢ブームであります。
 ロケ地のカツ丼屋や居酒屋が、大人気なんだそうですね。
 さらに、「やられたら、やり返す。倍返しだ!」 は、早くも今年の流行語大賞の最有力候補だとか。
 なんだか世相を反映していますね。
 “やられたら、やり返す” だなんて。

 しかも、“倍返し” ですよ!

 みなさん、そんなにうっ憤がたまっているんですかね。
 我慢をし過ぎじゃ、ありませんか?


 実は僕、ドラマは楽しく観ていたんですが、どーしても違和感を感じていたのが、この主人公、半沢直樹のセリフなんです。
 だって、“やられたら、やり返す” ですよ。
 僕の人生では、使わない言葉なんです。

 て、いうか、銀行員たちは、ふだん、“やられたら” やられっぱなしなんでしょうか?
 だから半沢みたいに、“やり返す” しかも “倍返し” に “やり返す” 姿に、スカッとするんでしょうかね。

 僕もサラリーマン経験は、多少あります。
 確かに会社には、大和田常務のようなイヤ~な奴が、いましたよ。
 でも、そんな奴に頭なんて下げたくないじゃないですか!
 だから反発し続けていたわけです。

 すると、だんだん社内は険悪なムードになってきます。
 で、どっちが先に手を出すかというと、イヤ~な奴のほうからに決まっています。
 その雰囲気って、分かりますよね。

 いつ来るか、いつ来るか・・・

 「来たな!」
 と思ったときには、
 「はい、今日までお世話になりました」
 って、辞表を出しちゃいました。

 忍法 “やられる前に逃げる” の術であります。

 所詮、そのまま会社に残ったって、そのイヤ~な奴とは、仲良く出来ないし、価値観も求めている仕事のクォリティーも違うし、人生をムダに過ごすだけだと判断したわけです。

 後悔していないのかといわれれば、まったくありません。
 あの時の判断も、間違っていたとは思いません。

 ただね、家族には、ツライ思いをさせましたよ。
 えっ、それは今も変ってないじゃないかって?

 はい、そのとおりであります。
 だから僕は家内に、いつも言ってるんですよ。

 「そのうち、幸せの倍返しをしてやる」 って。
 いったい、いつになることやら・・・



 ♪おしつけられたら 逃げてやれ
   気にするほどの 奴じゃない
   人を語れば 世を語る
   語りつくしてみるがいいさ
   理屈ばかりをブラ下げて
   首が飛んでも 血も出まい♪
   <吉田拓郎 『知識』 より>
   


Posted by 小暮 淳 at 20:49Comments(0)つれづれ

2013年09月22日

今年も 「オンパク」 開催中!


 時が過ぎるのは早いものです。
 あれから、もう1年が経ったのですね。
 今年も、また 「オンパク」 が、みなかみ町で始まりました。

 オンパクとは、「温泉泊覧会」 の略。
 2001年に大分県の別府温泉で始まり、全国各地の温泉地に広まった小規模の体験プログラムを連続開催するイベントです。
 みなかみ町では、2011年に県内で初めて開催。
 今年で3回目となります。

 今年は、新しい愛称 “CoCoira(ココイラ)” として、今月の17日からスタートしています。
 ココイラとは、群馬弁の 「ここいら」 と 「ここにいらっしゃい」 を掛け合わせた造語とか。
 3回目ということもあり、みなかみ町は、かなり活気だっていますよ。
 プログラムの数も、昨年の37から43と、さらに盛りだくさんになりました。

 17日のオープニング企画は、恒例の 「温泉スリッパ卓球」。
 その後、ほぼ毎日、みなかみ町のどこかでイベントが開催されています。

 ちなみに今日9月22日のプログラムは、「甲冑を着てSLに乗ろう」 と 「女子、西黒尾根を行く!」。
 明日23日は、「親子でDAYキャンプツアー」 と 「蕎麦打ち体験と蕎麦尽くしランチ」 となっています。


 で!
 今年も昨年同様に、僕がフィナーレを飾ることになりました。
 昨年は著書 『みなかみ18湯〔上〕』(上毛新聞社) の発売記念イベントでしたが、今年は 『みなかみ18湯』 の上下巻の完成を記念して温泉講話をいたします。

 題して、『小暮淳の「みなかみ」温泉考座』。
 同時に、本の制作スタッフによるミニライブと著書の販売サイン会も開催されます。

 みなさん、遊びに来てくださいね!



     みなかみオンパク フィナーレ
   『小暮淳の 「みなかみ」 温泉考座』

 ●日 時   2013年10月21日(月)
 ●会 場   上牧温泉 「辰巳館」 ロビー
 ●時 間   16:00~18:00
 ●定 員   30名
 ●料 金   1,000円(1名様)
          (辰巳館入浴料+オリジナルコーヒー付き)
 ●申込・問合 みなかみ町観光協会 TEL.0278-62-0401
          http://minakami-onpaku.jp
  


Posted by 小暮 淳 at 18:56Comments(0)ライブ・イベント

2013年09月21日

湯端温泉 「湯端の湯」②


 湯端の湯は、小さな山里で、ひっそりと湧いていました。


 「お久しぶりです。その節は大変ありがとうございました。新聞を見て来られた人が、たくさんいました」
 と、僕が駐車場に着くなり、作務衣姿で出迎えてくれた3代目主人の桑子済(とおる) さん。
 彼は、まだ20代です。
 僕が知る限り、県内で一番若い “湯守” であります。

 彼に会うのは、半年ぶり。
 前回は、今年の3月に朝日新聞の取材で訪れました。

 『湯守の女房』 という連載だったので、どちらかといえば奥様の真澄さんを中心に取材した記事でした。
 ので、今回は、きっちりとご主人に話を聞いてきました。

 と、いっても源泉の歴史や6年ぶり復活させた温泉宿再建までの奮闘記は、前回お聞きしましたからね。
 ※(当ブログ内、2013年3月7日「湯端温泉 湯端の湯」参照)
 今回は、お会いする早々、ご主人に、こう言いました。

 「ぜひ、源泉を見せてください」


 宿を出て、裏山に流れる小川に沿って約70メートル行くと、ちょこんと、お地蔵さんが乗っかった石積みが見えました。
 そのとなりには、扉の付いた小屋があります。

 「カギを付けたのは、最近なんですよ。勝手に源泉を汲んで、持って行っちゃう人がいるものですから」
 と、南京錠を開けると、中には石で囲まれた井戸のような水たまりが・・・

 これが湯端温泉の源泉、「湯端の湯」 であります。


 湯の歴史は古く、すでに明治時代には、ここに沼のような源泉が湧いていたといいます。
 宿の創業は、昭和46(1971)年。
 済さんの祖父が、地域の人たちに勧められて、温泉宿を始めました。

 だから今でも源泉は、地区共有の所有物です。
 管理者が、済さんということになっています。

 「今でも地区の人なら自由に源泉を汲むことができます。昔ほどいませんけど、それでも時々、カギを借りに来ますよ」

 源泉は、あせもやアトピーなどの皮膚病に特効があり、飲用すれば胃腸の調子が良くなるとも。
 また、この源泉で米を炊くと、シイタケのだし汁で炊いたような炊き込みご飯が出来るそうです。

 源泉は、かなり塩辛い高濃度の塩化物冷鉱泉です。


 昨晩は、ご厚意により泊めていただき、十二分にお湯を堪能してきました。
 ご主人、女将さん、ありがとうございました。

 よくぞ! 幻の薬湯を復活させてくださいました。
 温泉ファンのひとりとして、心よりお礼申し上げます。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:00Comments(0)温泉地・旅館

2013年09月19日

上の原温泉 「水上高原ホテル200」③


 “三度目の正直”
 なんて申しますが、まさに、そのとおり、3度目にして、やっと入ってまいりました。


 僕が最初に、上の原温泉(群馬県みなかみ町) を訪ねたのは、昨年の7月のこと。
 当時、まだ露天風呂は、陰も形もありませんでした。

 上の原温泉の一軒宿 「水上高原ホテル200(トゥーハンドレッド)」 は、客室220部屋もあるリゾートホテルです。
 でも、露天風呂がなかったのです。
 所有する2本の源泉の総湯量は、毎分200リットル以上もあります。
 なのに、露天風呂はありませんでした。

 たぶん、再三、再四 「なーんだ、露天風呂がないの?」 と客に言われ続けていたんでしょうな。
 念願の露天風呂が完成したのは、昨年の11月。
 でもね、11月じゃ、冬ですよ。
 雪見風呂もいいですけど、何より絶景が望めません。
 一面、白銀の世界ですもの。

 別棟に造られた露天風呂の名は、「凛楽(りらく)」。
 そして、2つある浴槽の名は、「白樺の湯」 と 「眺望の湯」。

 っていう情報だけは、その後、ホテルから連絡がありました。
 「ぜひ、一度、お越しください」 とのことです。
 だから僕は、楽しみにしていたんですよ。

 で、今年の7月、再度訪ねたのですが、これが取材でもプライベートでもなかった。
 僕が講師を務める温泉講座だったんです。
 当然、バスで行く日帰りの団体客です。

 実は、別棟に造られた露天風呂は、宿泊者専用なんです。
 だから日帰り入浴客が利用できるのは、内風呂の大浴場のみとなります。

 と、いうことで、またもや夢はかなわず!


 で、“三度目の正直” にするために、リベンジしてまいりました。
 今回は、きっちり取材で、しかも宿泊で!
 これで、完璧です。

 いやいや、素晴らしい眺めでしたよ。
 「眺望の湯」 は、抜けるような青空の中、見渡す限り山、山、山の連なりが見渡せます。
 谷川岳から越後の山々まで、それはそれは、掛け値なしの絶景をひとりじめです。
 しかも、かけ流しとは、なお素晴らしい!

 でもね、僕は個人的には 「白樺の湯」 が気に入ってしまいました。
 ここは、標高966メートルの高原。
 緑に映える白樺林を眺めながらの湯浴みは、これはこれはリゾート気分が高まりますぞ!
 名前どおりの 「凛楽」 = リラクゼーション であります。
 2回も入ってしまいました。


 でもね、特筆すべきは、内風呂なんですよ。
 以前は2本の源泉の混合泉だったため、HP値は9・1でした。
 (それでも、かなり高いアルカリ性です)
 が、今回、2本の源泉を内風呂と露天風呂で使い分けているのです。

 しかも、2本の源泉は泉質が異なります!

 露天風呂はアルカリ性単純温泉ですが、内風呂はアルカリ性の単純硫黄温泉であります。
 硫黄泉のほうは、な、な、なんと!
 PH値が、9・26!

 だから、そのツルツル、スベスベ感は、さらにパワーアップしていたのであります!
 そして、かすかに漂う硫黄の香り・・・

 う~ん、ウワサにたがわぬ浴感は、「美肌の湯」 の看板に偽りがございません。
 ウソだと思ったら、ぜひ、一度体験してみてくださいな。

 思わぬところに、名湯は隠れているものです。
  


Posted by 小暮 淳 at 23:38Comments(2)温泉地・旅館

2013年09月18日

向山温泉 「宮前山荘」②


 “現場百遍”

 1回より2回、2回より3回・・・
 取材は、し過ぎることはありません。

 訪ねるたびに、新たな発見があるものです。

 人も、同じです。
 初対面では、なかなか本音の部分は聞き出せません。
 2度3度、顔を合わせることにより、その人の人柄に触れることができます。


 前回、向山温泉(群馬県みなかみ町) の一軒宿 『宮前山荘』 を訪ねたのは、一面雪に覆われた真冬でした。
 スキー場の中にある温泉民宿です。
 雪の中に缶ビールを冷やし、湯上がりに飲んだことを懐かしく思い出します。

 今回は、季節が変って、晩夏。
 スキー場に人影もなく、青々と茂った山あいに、ひっそりとたたずんでいました。

 「その節は、大変お世話になりました」
 どちらからともなく、あいさつを交わしました。
 出迎えてくれたのは、2代目主人の真庭寛さんと女将の昭子さん夫妻。

 お茶を飲みながら、雑談をはじめました。

 前回来た時に、民宿の歴史は聞いたし、温泉掘削までのいきさつも聞いたし、女将さんは、さらに雪深い湯の小屋温泉の出身だという話も聞きました。
 別に、これといって、あらためて聞くこともないのです。

 ただ、ただ、お茶を飲みながら四方山話に花を咲かせました。


 「ああ、この辺は昔、陸の孤島でね。利根川を渡って対岸の小学校へは、吊り橋を渡って通ったもんですよ」
 と、ご主人。
 「へ~、そうだったんですか。今は立派な橋が架かっていますが、昔は吊り橋があったんですね」
 と僕。
 すると、ご主人が言いました。

 「今でも、ありますよ。地元の人の生活道ですからね」

 「えっ、今もあるんですか!」
 と驚けば、
 「ええ、駐車場のすぐ下です。あれ、橋を渡るときに見えませんでしたか?」

 ん~~、気づかなかった!
 なんでも、僕が車で渡って来た鉄筋コンクリートの橋は、昭和47(1972)年に奥利根国際スキー場(現・奥利根スノーパーク) のオープンに合わせて架けられたとのこと。
 それまで、ここ向山集落の人たちにとっては、吊り橋が国道を結ぶ唯一の手段だったといいます。
 本当に、車も入れない “陸の孤島” だったわけです。


 もー、僕は、居ても立ってもいられませんって。
 高所恐怖症のくせして、吊り橋マニアなんですよ。
 怖いんですけど、あの、ゆら~り、ゆら~り揺れるスリルがたまりません。

 で、さっそく訪ねてみると・・・
 まさに “灯台下暗し” であります。
 ちゃんと駐車場の奥に、「つり橋 →」 の看板が出ているじゃありませんか!

 『昭和27年12月竣工』 『向山橋(利根川)』

 と、主柱に刻まれています。

 「へ~、ご主人は、この橋を渡って学校へ通っていたんだ」
 そんなことを思いながら、ゆら~り、ゆら~り揺れる橋を、おっかなびっくりしながら渡ったのであります。


 “現場百遍”

 訪ねるたびに新しい発見があるものです。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:40Comments(0)温泉地・旅館

2013年09月16日

才能があるのに消えていく


 テレビのバラエティー番組を見ていたら、ビートたけしと横綱の日馬富士(はるまふじ) が出ていました。

 どちらも、その世界の頂点を極めた人物です。
 凡人の僕から見たら、見まがうことなく人並みはずれた天才です。

 なのに、ビートたけしが、こんなことを言い出しました。

 「あ、こいつ、オレなんかより才能があるのになぁ、と思うヤツが消えていっちゃうんだよな」

 すると横綱も、
 「才能があっても、根性がないと強くなれない」
 と、相撲の世界も同じだと言いました。


 とかく人は、才能の “ある” “なし” を理由にしたがります。
 かく言う僕も、才能には長年苦しめられて来た人間の1人です。
 若い頃は、成功した人たちを見て、
 「いいなあ、才能のある人は・・・」
 と、嫉妬したものでした。

 でも、いつの頃からか、少し考え方が変わりました。
 確かに、才能は “ない” よりは、“ある” に越したことはないのですが、才能だけでは人生を切り開けないことを知りました。
 それは、まさしく、ビートたけしの言ったとおりのことを体験したからです。

 才能があるのに消えて行った人たちを、何人も見送ったのです。


 僕がいる編集業界には、絵のうまい人、写真のうまい人、デザインのうまい人、文のうまい人がたくさんいます。
 では、その人たちが全員、第一線で仕事をしているのかといえば、そうではありません。
 まして地方では、仕事の量も限られています。

 優秀な人しか残れません。

 さらに、作品や仕事が世に認められるようになるには、当然、最後は才能の有無が左右してきます。


 ところが・・・

 突然、消えてしまうんですよ。
 才能を認められた人たちが!

 それって、何なんでしょうかね?

 やっぱり、横綱の言うところの 「根性」 が、なかった人たちなんでしょうか?
 それとも、突然、気が変わってしまったんでしょうか?
 ま、才能がないのに、何十年と業界にしがみ付いて生きてきた凡人には、分かりかねますが。


 実は凡人は、自分のことを良く分かっているんだと思います。
 “才能がない” ということも。
 だから、その欠点を補おうとして、努力や忍耐や根性を磨き、ときにはコネを使い、根回しをして、何が何でも生き残る術(すべ) を探し当てるんじゃないでしょうかね。

 それくらい、したたかでないと、才能の持ち主には勝てないということです。


 でもね、ビートたけしも日馬富士も、才能がある上で、努力もしたし、忍耐も根性も持ち合わせていたんでしょうな。
 そうなると、凡人は何をやっても、かないませんね。
    


Posted by 小暮 淳 at 23:23Comments(2)つれづれ

2013年09月15日

本白根温泉 「嬬恋プリンスホテル」②


 “現場百遍”

 これは僕の 「座右の銘」 です。
 まあ、人生のというよりは、仕事に対しての “モットー” のようなものでしょうか。

 1を見て、10を書くな!
 10を見てから、1を書け!
 知識にたよらず、体験してから文字にしろ!

 なーんて、ところでしょうかね。
 ちょっと、カッコつけ過ぎですか?
 でもね、慣れてくると、このほうが楽なんですよ。

 だって、自分が見て、感じたことだけ書けばいいんですからね。
 ネットで調べたり、他人から聞いたり、雑誌や本から得た情報に振り回されることはありません。
 もし疑問があれば、納得するまで自分の目で見ればいいだけです。


 で、リベンジしてきました!

 みなさんは、覚えていますか?
 露天風呂しかない、絶景の眺望が売りの温泉宿に泊まったら、ドシャ降りの雨で何も見えなかったという話を・・・
 そう、標高1,126メートルの高原に湧く本白根温泉でのことです。
 ※(2013年9月4日「本白根温泉 嬬恋プリンスホテル」参照)


 天気予報は、晴れ。
 浅間-白根火山ルート(万座ハイウェー) を走る車窓からは、青空がのぞいています。

 「やった! リベンジした甲斐があったぞ!」
 と、意気揚々とホテルを訪ねたのであります。

 「わざわざ、ご苦労さまです。でも、どうですかね、浅間山が見えますかねぇ?」
 と、ロビーで出迎えてくれた担当のOさん。
 「大丈夫でしょう。いい天気ですから」
 と、僕は自信たっぷりに言葉を返して、露天風呂へ向かったのであります。


 ところが

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 見えません。
 浅間山も、本白根山も、その他の山々も……

 こんなにも晴れているのにね。
 遠くのほうは、ガスっているんですよ。


 でもね、周辺の山は青々と緑をたたえ、高原を渡る風は実にさわやかであります。
 眺望は望めませんでしたが、絶景は満喫することができました。

 “現場百遍”

 これからも、根気よく、取材活動を続けるつもりです。
   


Posted by 小暮 淳 at 23:33Comments(0)温泉地・旅館

2013年09月14日

半出来温泉 「登喜和荘」③


 ライターにとって、やりがいとは?

 どんな仕事でも同じだと思いますが、お客様に商品を喜んでいただいた時だと思います。
 僕にとって 「仕事」 とは、温泉地を取材して文章を書くこと。
 「商品」 とは、その文章が載った記事や著書です。
 そして、「お客様」 は、読者ということになります。

 [本、持っています」
 「記事、いつも読んでます」
 そんな言葉が嬉しくて、ヤクザな商売だとは思いつつも、何十年とライター業を続けています。

 でも、ライターとしての喜びは、それだではありません。
 僕にとって読者がお客様ならば、取材元の温泉旅館は、企業でいえば取引先であります。
 まずは取引先に喜んでいただかねば、いい記事も書けませんし、読者も読んでくれません。

 だから僕には、読者も大切ですが、温泉旅館のご主人や女将さんに喜んでもらうことも、ライターとしての “やりがい” なんです。


 1年ぶりに、群馬県嬬恋村の半出来温泉に行って来ました。
 宿に入るなり、フロントのカウンターに積まれたチラシのような紙の束に目が留まりました。

 手に取ってみると、それは、1年前に僕が朝日新聞に書いた半出来温泉の記事でした。
 このシリーズは 『おやじの湯』 というタイトルで、旅館の主人を裸にして、一緒に温泉に入り、湯の中で談義をするというもの。
 当時、その斬新な企画が話題となりました。

 で、記事の真ん中にはドーンと大きく、2代目主人の深井克輝さんと僕の入浴写真が掲載されています。

 うれしいですね。
 こうやって記事をコピーまでして、入浴客や宿泊客に配っているなんて。
 ライター冥利に尽きるというものです。

 「主人のことを、面白く書いていただいてありがとうございました。本人も、とっても喜んでいますよ」
 と、出迎えてくれたのは、2代目女将のさかいさん。
 「温泉以外、なんにもない宿ですけど、一晩、ゆっくりしていってくださいね」
 と、2階の客室に案内してくれました。

 部屋の窓からは、庭一面に咲いた色とりどりのコスモスを見渡すことができます。
 春夏秋冬、いつ訊ねても、花が絶えることのない宿です。
 すべて、花好きの女将さんの手入れによるものです。


 源泉の温度は、42.5度。
 熱からず、ぬるからず、ちょうど良い湯加減です。

 名物の混浴露天風呂からは、吾妻川に架かる吊り橋が見えます。
 初めて訪ねた日、ゆら~り、ゆら~りと揺れる吊り橋が、とても怖かったことが思い出されます。

 対岸には、JR吾妻線の袋倉駅があります。
 時おり、コトンコトン、コトンコトンと、電車の通り過ぎる音が聞こえてきます。

 鳴き出した虫の声も、肌を通り過ぎて行く風も、すっかり秋の気配です。


 湯上がりは、女将さんが畑で育てた野菜の煮物や天ぷらを肴に、またご主人と温泉談義をしてきました。


 “いい湯、いい宿、いい人”
 三拍子そろってこそ、いい仕事ができるというものです。

 ご主人、女将さん、取材協力ありがとうございました。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:27Comments(0)温泉地・旅館

2013年09月13日

川中温泉 「かど半旅館」②


 「日本三美人の湯」 の1つ、川中温泉の一軒宿 「かど半旅館」。
 僕は、ここを訪ねると、旅館へ入る前に必ず寄るところがあります。
 それは、敷地内にある薬師堂です。

 川中温泉に限らず、“古湯” と呼ばれる霊験あらたかな温泉には、必ず、湯の神様が祀られています。
 これから湯に入ろうとする者、湯を守り続けてくださっている神様への参拝を怠ってはなりません。

 「何百年もの長き間、湯が涸れぬよう見守りつづけてくださり、ありがとうこざいます」
 と、深々とおじぎをして、感謝の言葉を伝えました。


 「いつぞや、ありがとうございます。うちのことを書いてくださったんですね」
 と、2代目主人の小林正明さんに会うなり、意味不明な言葉をかけられました。

 「えっ、僕、何か書きましたっけ?」
 えーと、えーと、最近、川中温泉のことを書いたのは・・・

 「新聞ですよ。三美人の湯で」

 そーでした、そーでした。
 すっかり忘れていました。
 朝日新聞の連載に、こちらの湯のことを書いたことがありましたっけね。

 確か、他の2カ所(和歌山県「龍神温泉」、島根県「湯の川温泉」) より、川中温泉は
 “カルシウムイオンの量が多く、湯上がりのスベスベ感は群を抜いている”
 とかなんとか、書いた覚えがあります。

 で、主人いわく
 「あのとき、けっこう新聞記事を持って来られた方がいましたよ。ありがとうございます」
 と、さらに、丁寧にお礼を言われてしまいました。

 とーんでも、ございませんって!
 僕は、事実を書いたまでです。
 もし、お礼を言うのならば、霊験あらたかな湯に言ってくださいな。


 と、いうことで、今回も、しっかりと 「日本三美人の湯」 を堪能してきました。
 久しぶりに訪ねたら、混浴の源泉内風呂と混浴の大浴場の壁が取り外されて、ひと続きになっていました。
 これは、便利です。

 大浴場は、源泉の温度が低いため多少加温されていますが、源泉風呂は34.6度の源泉がそのまま、かけ流されています。
 これを交互に入浴することにより、新陳代謝が良くなり、お肌もツルツルになるとのことです。

 群馬の温泉ファンなら、とりあえずチェックしておきたい名湯の1つですね。
 ※(ただし、日帰り入浴は受け入れていません)
  


Posted by 小暮 淳 at 14:38Comments(0)温泉地・旅館

2013年09月11日

カネで売れないもの


 『ことば絵本 明日のカルタ』(日本図書センター) という本が、評判です。
 著者は、ダウンタウンやビートたけしの番組を手がけた放送作家の倉本美津留さん。
 僕と、同世代の作家であります。
 (ちなみに、彼はミュージャンでもあります)


 とっても不思議な絵本なんです。
 五十音順にカルタの読み札のように 「ことば」 と 「絵」 が描かれています。

 たとえば 「あ」
<明日は明るい日。明日の明日はもっと明るい日。だから未来はすごく明るい。>

 といった具合に、子どもたちが未来に希望が持てて、前向きになれるような、とってもポジティブなカルタです。
 ちょっぴり、ひねった人生哲学が、大人にも心地よかったりします。

 たとえば 「ぬ」
 <ぬるま湯につかってい続けたら必ず風邪を引く。>
 なんて、一瞬、我が身を思い、ハッとしてしまいます。


 ところが、「か」 の札は実にシンプルです。
 <カネで買えないものがある。>

 なぜか、直球、ど真ん中なんですね。
 あれ、ひねってないじゃない!
 と思って、添えられた解説文を読むと、こんなことが書かれていました。

 「今すぐ、お金で買えないものを10個、言ってみましょう」
 だなんて、不意を突かれました。

 えーと、家族でしょ、友情でしょ、それと才能とか知識とか・・・
 えーと、えーと、と考えながら読んでいたら、今度は、

 「あなたが、いくら積まれても金で売れないものは何ですか? 今日中に10個言ってください」
 みたいな質問が、飛び込んで来たのであります。

 いきなり暗闇で、後頭部をバットで殴られたような衝撃に襲われました。
 “お金で買えないもの”
 というのは、手垢にまみれた言葉ですが、
 “お金で売れないもの”
 という表現に、正直、頭から冷水をかけられた思いがしました。


 さて、僕には、いくらお金を積まれても売れないものが、あるのでしょうか?
 それも、10個です。

 “いくら積まれても” というのがミソです。
 1億、10億、いやいや、そんなはした金ではなく、何兆円という国家予算レベルの金を積まれても、絶対に手放さないものですよ。
 みなさんは、ありますか?

 えっ、僕ですか?
 ま、まぁ……、2、3個は思いついたのですが、10個となると、かなり難しいんですね。

 でも、今日はまだ数時間あります。
 この後、酒の力を借りて、探し当てたいと思います。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:53Comments(3)つれづれ

2013年09月10日

おもしろい仕事 つまらない仕事


 “好きなことを仕事にするのは難しい”

 テレビCMのナレーションに、違和感を抱きました。

 なぬ?
 て、いうことは、逆もまた真なりということなのか?

 “嫌いなことを仕事にするのは簡単”
 て、いうことですかね。
 ?????
 一瞬、僕の思考回路が、フリーズしてしまいました。


 たぶん、「あこがれ」 や 「夢」 ことを言っているのだと思います。
 歌が好きだから歌手になりたい、絵が好きだから画家になりたい、スポーツが好きだからプロ野球やJリーグの選手になりたい・・・
 でも、それには “才能” も “努力” も “運” も必要だ。
 だから、「好きなことを仕事にするのは難しい」 という発想のようです。

 確かに、世の中には、“才能”や“運”を味方につけないと、絶対に成れないという職業があります。
 でも、それは全体の職業からみたら、ほんのひとつまみです。

 たいがいの仕事は、努力次第でなんとかなるものです。

 で、その “努力” が、できるか、できないか、を左右するものが、「好きか」「嫌いか」 だと思うのです。
 だって、同じ努力でも、「楽しいか」「つまらないか」 では、天地の差がありますからね。
 もっと言えば、その努力が、「面白いか」「苦痛か」 くらいの違いがあります。


 もう、ずいぶんと昔のことです。
 僕がタウン誌の編集をしていた時に、読者からこんなハガキが届きました。

 <今の仕事が面白くありません。辞めて、違う仕事に就きたいのですが、自分が何になりたいのかが分かりません。>

 実にシンプルな悩み相談です。
 そして、この相談事が誌面に掲載されると、今度は別の読者から、こんなハガキが来ました。

 <仕事が面白くないなんて、バカじゃないの。世の中に面白い仕事なんてありません。面白くないから仕事なんです。>

 これには、編集部のスタッフ全員が、面食らってしまいました。
 “面白くないから仕事なんだ”
 と言い切ってしまうこの人は、なんのために生きているのだろうか?と・・・


 僕は、父親から 「自分の好きな仕事に就け」 と言われて育ちました。
 また僕も、自分の子どもたちには、同じ事を言って育てました。

 それは、なぜか?


 それは、人生において、睡眠時間以上に長い時間を費やしているのが、仕事だからです。
 言い換えれば、仕事が面白くなければ、その人の人生自体が、つまらない人生になってしまうのです。

 人は、ついつい、自分の仕事の評価を、お金で換算してしまいます。
 「面白くないけど・・・」「楽しくないけど・・・」
 もらえるお金が多ければ “満足” として、少なければ “不満” とします。

 しかし、それでは、一向に人生は改善されません。
 きっと、ハガキをくれた読者も、この矛盾の中で仕事をしていたのかもしれませんね。


 やっぱり僕は、
 “好きなことを仕事にするのは楽しい”
 と思いながら生きていたいと思うのです。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:16Comments(0)つれづれ

2013年09月09日

生きてるか死んでるか


 2020年 東京オリンピック・パラリンピック 開催決定!
 おめでとうございます。

 個人的には、経済効果等も考えて、開催には賛成だったのですが、でも日本国としては・・・
 と、ずーっ疑問視していました。
 その前に、この国はやることがあるんじゃないかなって。

 でも、今回の開催決定で、日本は 「安心、安全、安定」 した国であることを国際公約したわけですからね。
 復興および原発問題を先送りにせず、きっちりと取り組んでほしいものです。


 で、2度目の東京オリンピックです。
 前回は昭和39(1964)年でしたから、僕は6歳でした。
 でも、ちゃーんと記憶の中にありますよ。
 “東洋の魔女”ごっこなんてして遊んだし、「東京五輪音頭」 は運動会で踊りましたもの。

 あれから49年が経ったんですね。
 あの年に生まれた子が、すでに49歳のオッチャンとオバチャンであります。
 そして、次回の東京オリンピックは7年後。
 東京オリンピックを知らない子どもたちも、56歳になっているんですね。

 えっ、僕ですか?
 ・・・ぼ、ぼ、ぼくは・・・62歳になります。


 と、いうことで、東京オリンピックの開催が決定してからというもの、会う人会う人、
 「その時、私は○○歳ですよ」
 と、誰もが今の歳に “7歳” を足して話します。

 まー、若い人の7年は、そんなに人生が変ってはいないでしょうが、中高年以上~高齢者にいたっては、
 「生きてますかね?」
 「死んでるかもよ」
 という、なんとも淋しい会話が始まってしまいます。

 でもね、僕は思うんです。
 7年後、必ずしも若い人が生きていて、高齢者が死んでいるとは限らないと!

 “寿命” と “運命” は別物ですからね。


 僕は20代と40代に、友人を亡くしています。
 つい先月も、知人の奥さんが50歳で亡くなりました。

 新聞の 「おくやみ欄」 を見ても、その年齢は様々です。


 「じいさんは、いくつになっているんかね?」
 とオヤジに7年後の年齢を訊ねると、
 「わかんねぇ。今、オレは何歳なんだ?」
 と、相変わらずのボケ具合です。

 「じいさんは、96歳になってるんだぜ!」
 と、教えてやれば、
 「そーか、それは楽しみだ」
 と、今から東京オリンピックの開催を待ち望んでいる様子。


 そのとき、生きているのか? 死んでいるのか?
 それだけは誰にも、そして本人にも分かりません。
  


Posted by 小暮 淳 at 20:38Comments(6)つれづれ

2013年09月08日

サフランおばさんのラスク


 『群馬のおきて』(泰文堂) という本が、売れてるんですってね。
 ならばと、さっそく買って、読みました。

 <グンマーを楽しむための52のおきて>
 というサブタイトルが付いています。
 なんでも、ネット上では 「東京から近いのにバツグンに知名度が低い県」 ということで、
 “未開の地 グンマー”
 などと呼ばれているらしんですよ。

 グンマー、ですって!(笑)

 でもね、これまでの群馬本のように歴史と文化だけにかたよった編集じゃなくて、最新のサブカルチャーが満載で、僕的には、ずいぶん楽しめました。
 たとえば、NHK大河ドラマ 『八重の桜』 の主人公・八重の夫は安中出身の新島襄だとか、カンヌ映画祭で審査員賞を受賞した福山雅治主演の 『そして父になる』 のメインロケ地は前橋市だとか、宮崎駿監督の最新作 『風立ちぬ』 の主人公・堀越三郎は藤岡市の出身だとか、はたまた、アニメ 『機動戦士ガンダム』 に登場するモビルスーツ・ザクを型どった豆腐で大評判となった 「ザク豆腐」 は、前橋市に本社と工場のある会社の商品だとか・・・。
 今までにない、新しい群馬ネタと切り口が、新鮮だったのであります。


 で、最近の群馬ネタとして、今や全国的に有名なお菓子となっている旧新町(現・高崎市) に本社があるガトーフェスタ ハラダのラスクも紹介されていました。
 群馬みやげの定番は、
 “昔 「旅がらす」、今 「ハラダのラスク」”
 なんだ、そーです。

 ま、この件については、異論も反論もないんですけどね。
 ただ、実は僕、このラスク (正しくは、「グーテ・デ・ロア」 という商品名。フランス語で 「王様のおやつ」 の意味だそうです) には、並々ならぬ思い入れがあるのです。

 発売が2000年とのことですから、たぶん、その前年くらいだったと思います。
 前身の原田ベーカリーさんから、「今度、新しいラスクを発売する」 という話があり、ネーミングやパッケージデザインのプレゼンをしたことがあるんですよ。

 当時、僕はコピーライターとして参加。
 イラストレーターやデザイナーらと、新商品となるラスクの販売企画を考えたのであります。
 そして、その時、僕らが提案した商品名が・・・

 「サフランおばさんのラスク」

 今となっては、どんなコンセプトで考えたネーミングだったのかは忘れましたが、確かパッケージには、パンかごを持った西洋人の中年女性が描かれていた記憶があります。

 僕らの提案したネーミングやデザインにしなくて、正解でしたね。
 どう考えても、これほどのヒット商品には、なれなかったと思います。


 ヒット商品の陰に、ボツ企画あり!

 今となっては、なつかしい思い出です。
  


Posted by 小暮 淳 at 23:25Comments(0)つれづれ

2013年09月07日

消えたガラメキ温泉


 明治25(1892)年に発刊された群馬県の温泉分析書 『上野鉱泉誌』 には、74ヶ所の温泉が記載されています。
 うち、現存している温泉は30ヶ所余りです。
 この120年の間に、40ヶ所以上もの温泉が消えたことになります。

 そして、それらはすべて、自然湧出泉です。


 “消えた温泉” のほとんどは、源泉の涸渇(こかつ) によるものか、ダム建設に伴う湖底への水没、または火災や水害などにより壊滅したものです。
 しかし、榛名山中にあった 「ガラメキ温泉」 は、事情が異なります。

 敗戦という国家的理由により、姿を消した温泉でした。


 榛名山系鷹ノ巣山中にあったガラメキ温泉には、「冨士見屋」「阿蘇山館」「扇屋」 の3軒の宿があり、明治~戦前までは湯治場として賑わっていたといいます。

 ところが・・・

 敗戦翌年の昭和21(1946)年4月。
 「72時間以内に立ち退きなさい」
 と、突然、役場から連絡を受けます。

 榛名山中にある旧日本陸軍の相馬ヶ原演習場を米軍が接収し、射撃訓練に土地を使用するという理由から旅館に強制立ち退きが命じられたのでした。

 平成11(1999)年9月。
 群馬県と榛東村が協議をして、「温泉源泉台帳」 からガラメキ温泉の名前を抹消しました。
 したがって、現在の地図には、もうガラメキ温泉の名前は載っていません。


 と、いうことで次回、僕が出演する群馬テレビのニュース番組 「ニュースジャスト6」 では、この温泉史上、他に類を見ない稀有な歴史をたどった “幻の温泉” について、お話をします。

 ※<ガラメキ温泉についての詳しくは、当ブログ2010年5月28日「ああ、ガラメキ温泉」、同年10月10日「幻のガラメキ温泉(上)」、同年10月12日「幻のガラメキ温泉(下)」 を参照ください。>



 ●放送局   群馬テレビ(地デジ3ch)
 ●番組名   「ニュースジャスト6」
          NJウォッチのコーナー
 ●放送日   9月10日(火) 18:00~18:30
 ●ゲ ス ト   小暮 淳 (温泉ライター)
 ●テーマ    「消えたガラメキ温泉」
  


Posted by 小暮 淳 at 21:25Comments(2)温泉雑話

2013年09月06日

わが取材スタイル


 “わが取材スタイル”

 これは、今週水曜日の朝日新聞群馬版に掲載された記事に付けられたタイトルです。
 僕は、今年の4月から毎週水曜日に 『小暮淳の温泉考座』 というコラムを連載しています。

 以前にも、このブログでお話ししたかもしれませんが、新聞記事の場合、基本、筆者はタイトル(見出し) を書きません。
 本文記事だけを新聞社へ送ると、整理部という部署が、文章の校正をして、読者の目に留まるようなキャッチコピーを考えて付けてくれます。

 で、シリーズ20話目となる今週のコラムに付けられたタイトルが、
 “わが取材スタイル” でした。
 ちなみに、サブに付けられたコピーは、
 “必ず入浴 「真の情報」発信” です。

 う~ん、さすがプロの仕事ですね。
 「おお、どんな取材方法なんだ? なになに、必ず入浴して、本当のことを書いているらしいぞ」
 と、読者の好奇心をくすぐる見出しであります。

 ついつい僕までもが、自分で書いていながら、本文に引き込まれてしまいました。


 僕の取材スタイルとは?

 読者のみなさんなら、もう、すでにご存知ですよね。 
 そーです! 自らのフルヌード写真を掲載するスタイルです。
 では、なぜ、すべての温泉に入浴して、わざわざカメラマンに写真を撮らせるのか?

 コラムでは、その “こころ” を解き明かしました。
 ※(新聞を読んでいない方は、当ブログの 「お気に入り」 よりバックナンバーがお読みいただけます)


 毎週の連載といっても、新聞社の都合により休載となる週もあります。
 それでも、今週で20話を迎えることができました。
 いったい、何話まで連載を続けるのかは未定ですが、ネタがある限りは書き続けたいと思います。

 通常は、「温泉」や「温泉地」、「温泉宿」 にまつわるウンチクや裏話を紹介しているのですが、たまには息抜きを兼ねて、今回のような温泉ライターとしての取材方法なんかも書かせてもらっています。

 ちなみに次週 9月11日(水) のコラムは、僕が講師を務めている温泉講座について書きました。
 どうして講師を引き受けたのか?
 講座では、どんなことを教えているのか?
 「いい温泉」 と 「好きな温泉」 の違いとは?

 温泉講座にまつわるエトセトラを紹介します。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:52Comments(0)執筆余談

2013年09月05日

平治温泉 「逢友荘」


 一般に、温泉地の名前は、源泉が湧出している場所の地名が付けられています。
 草津温泉も伊香保温泉も水上温泉も四万温泉も、みんな地名です。
 僕が知る限り、県内温泉地の9割以上が、地名を名づけています。

 ですから、平治温泉は、非常に珍しい温泉地名だといえます。
 だって、「平治さん」 という人の名前ですからね。
 源泉が湧いている土地の所有者の名前とのことです。


 平治温泉を訪ねるのは、約4年ぶりのこと。
 とにかく、分かりづらい旅館です。

 JR吾妻線の万座鹿沢駅から、吾妻川対岸に宿の大きな看板は見えるんですけどね。
 “すっぽん料理 逢友荘” って・・・

 迷わずにたどり着ければ、徒歩約6分の距離。
 ところが、国道には一切の誘導看板はないし、迷路のようにクネクネと入り組んだ住宅地の路地を行きます。
 「だって、ファンが看板は出すなっていうんだもん。なかなか、たどり着けないところがいいんじゃないの」
 4年前に、そう言って豪快に笑った小貫勝緩さん。
 お元気でしょうか?


 「いや~、久しぶりだね! さあ、上がって、上がって」
 と、相変わらず気さくなご主人と、女将の幸子さんに迎えられました。

 そして、愛犬のシロ・・・

 「あれ、シロですよね?」
 と、僕にじゃれついてくる白いチワワを指差すと、
 「シロはね、去年、死んじゃったのよ」
 と、女将さんが淋しそうに答えました。

 「でも、そっくりでしょ! 瓜二つだったので、また飼うことにしちゃった」

 本当だ。そっくりです。
 といっても、僕の記憶の中のシロと比べているのではありませんよ。
 茶の間には、歴代の愛犬たちの写真が、壁に飾られているんです。

 そのなかに、故・シロの遺影もありました。


 「温泉好きって、多いんだね。この本を持って、訪ねてくる人が、けっこういるよ」
 と、ご主人が手にしているのは、4年前に出版された拙著 『ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) です。
 そう言っていただけると、著者冥利に尽きるというもの。
 うれしいですね。

 「でも、オタクっぽい人もいるわね。泉質がどうのとか、効能がどうのとか、私なんかより、よっぽど、うちの湯について詳しいのよ。ありがたいことだけど」
 と笑う女将さん。
 「なんでも、泡の出る温泉っていうのは、珍しいんですってね」

 そーなんですよ、女将さん!
 とっても、珍しいんですよ。
 炭酸泉は全国でも、全体の1%しかありませんからね。


 とかなんとか話していたら、もう、居ても立ってもいられなくなってしまいました。
 ごちそうを前に、おあずけを食らっている犬のように、僕はよだれが止まりません。
 「とりあえず、風呂に入ってきま~す!」
 と脱兎のごとく茶の間を飛び出して、浴室へ。

 プ~ンと漂う、金気臭。
 相変わらず、ザバーザバーと惜しみない量の湯が、浴槽からあふれ出ています。
 そして、流れ出した湯の形に、洗い場のタイルが赤黒く変色しています。

 「そうそう、これこれ、これですよ。平治の湯は・・・」
 と、大好物にありついた犬のように、僕は湯にむしゃぶりついたのであります。

 源泉の温度は、約41度。
 浴槽にたどり着くまでに、1~2度下がっているだろうから、熱からず、ぬるからず、夏にはちょうどいい湯加減です。

 そして、1分も経たないうちに、全身が泡の粒に包まれてしまいました。
 「これこれ、これじゃなくっちゃ、平治の湯じゃないね」
 と、1人湯舟の中で、至福の時間を味わったのであります。

 群馬県は、全国でも泡の出る炭酸泉が多いほうだと思います。
 その中でも、ここ平治温泉は、県内1、2を競うほど、泡のよく付く温泉ですぞ。

 未体験の人は、ぜひ一度、お試しあれ!
  


Posted by 小暮 淳 at 21:09Comments(0)温泉地・旅館