2014年05月08日
最後の家庭訪問
今日、最後の家庭訪問を終えました。
僕には、3人の子供がいます。
内訳は、長女(既婚)、長男(大学4年生)、次女(中学3年生) です。
で、今日は、次女の家庭訪問日だったのであります。
家庭訪問は、高校生になったらありませんから、今日が我が人生の “最後の家庭訪問” となったわけです。
長女と次女の年齢の差は、11歳。
長女の小学校1年生から次女の中学3年生までは、ちょうど20年間あります。
1人の子供に家庭訪問は、小学校の6年間と中学校の3年間がありますから、計9回です。
それが3人ですから、27回となります。
僕は、この20年間に延べ27人の担任の先生と自宅で会ったことになります。
と、いうのも、家内は勤め人です。
僕はフリーランスですから、必然的に平日自宅に居られる僕が、家庭訪問を受けることになります。
で、今日やってきた担任の先生は、過去20年間で最高齢の55歳。
生まれを訊けば、昭和33年の戌年!
そーです、僕と同じ歳の男性の先生でした。
「でも私は、もう孫がいるんですよ」
と先生が言えば、
「私だって、いますよ」
と負けずに(?)答えます。
「ああ、すみませんね。うるさくって! 座敷犬がいるもんで」
と僕が言えば、
「うちも、いるんですよ」
と先生も負けずに(?)答えます。
同い年で、孫がいて、犬を飼っているということもあり、親近感がわいてきます。
「あれ、おとうさんは楽器をやられるんですね」
と、立てかけてあったギターケースに、目ざとく気づく先生。
「ええ、まあ、バンドなんかやっちゃったりして・・・」
気が付いたら、自分のことばかり話していて、娘の家庭訪問だということを、すっかり忘れていました。
「とりあえず、娘をよろしくお願いします」
「こちらこそ1年間、よろしくお願いします」
とかなんとか最後に言葉を交わして、形だけの家庭訪問が終わりました。
終わってしまうと、なんだか淋しいものですね。
だんだん子供たちが、1人、2人と離れて行くようで・・・。
次は、孫の家庭訪問を楽しみに待ちたいと思います。
2014年05月07日
青春の抜け殻
「その後、どうーよ?」
「相変わらず、欲のない人生を送ってますよ」
と、自由業の旧友。
久しぶりに会って、茶を飲みました。
「そっちこそ、どーよ? また本なんか出して、忙しそうじゃないの?」
「忙しいもんか! ヒマだから、こうやって平日に遊んでるんじゃないか」
しばらくして、彼が、こんなことを言いました。
「歳のせいかね。最近は、昔みたいに熱くならないね」
言われてみれば、僕も同感です。
「そうだね、腹が立たなくなった。昔なら 『ちっくしょー!』 とか 『今に見てろよ!』 なんて、すぐにムキになったものな」
「なんだか、自分の実力が自分で分かってしまったみたいだね。無駄な情熱を燃やさなくなったよ」
そして彼は、まるでひとり言のように、
「みんな、年下だもの……」
「ん? どーゆうこと?」
「ああ、本を読んでいてさ、『この作家は凄い!』 と思ってプロフィールを見ると、自分より年下のわけよ。それって、ショックじゃねぇ?」
ある、ある、ある!
確かに、あります。その瞬間。
今、僕が夢中になって読んでいる好きなミステリー作家たちは、みんな年下です。
テレビのニュース番組の解説者やコメンテーターも、ほとんど年下。
さらには、僕が暮らす前橋市の市長だって年下だものね。
「それって、参っちゃうよね。『オレって、今まで何して生きてきたんだ?』 なんて、落ち込んだりしてね」
と苦笑いをする友人。
「そこまで自分を卑下することはないだろうが、気持ちは分かるよ。だって、あと何年かすると、同級生たちは定年退職して、老後を迎えるわけだからな」
と言えば、
「そうそう、我々には終わりがない。だから余計、あせるわけよ。このままで、いいのかって」
なんだか、まるで “青春の抜け殻” みたいな会話になっちゃいました。
お互い、「燃え尽き症候群」 をわずらっているんでしょうかね。
2014年05月06日
感染るんです
午前8時。
実家のキッチンで、スクランブルエッグを作っていると、オフクロがやってきて、リビングの椅子に腰掛けました。
僕は、ミルクを温めて、テーブルへ。
「おはよう。あれ、じいさんは?」
いつもなら、オヤジのほうが先に起きてきて、
「あー、ハラ減った~! メシはまだかな~」
と、うるさく僕をせきたてるのですが……。
「それがね、散歩に行ったまま、まだ帰ってこないんだよ」
「いつ、出かけたの?」
「5時半」
「ご、ご、5時半だーーーーっ!!!!!」
もう、2時間半も経っているではありませんか。
「どこまで行ったんだい?」
「駅だと思うけど」
「それにしても、遅いよ。迷子になったとか、事故に遭ってないだろうね」
と、僕は急に心配になりました。
なのに、オフクロったら、
「もう、じきに帰って来るよ。それより、朝食はまだかね? 私ゃ、おなかがすいたよ」
と、いうことで、とりあえず、オフクロの朝食の用意だけしました。
でも、オヤジは、まだ帰ってきません。
「あれ、今日の新聞は?」
「たぶん、お父さんが部屋に持って行ったんだと思うよ」
ったく、オヤジは目が悪くて新聞なんて読めやしないのに、昔からの習慣で、必ず朝起きると郵便受けから新聞を取り出して、部屋に持って行ってしまうのです。
で、仕方なく僕は両親の部屋へ、新聞を取りに・・・
ギェーーーーーっ、で、で、出たーーーーっ!
オヤジの幽霊だーーーっ!
いや、まだ死んでないから幽霊じゃない。
生霊かもしれない。
どこかで事故か事件に巻き込まれて、助けを呼びに魂だけ飛んで来たのか?
んなわけ、ねーよな。
間違いなく、そこにいるのは生きたオヤジです。
一人で、こたつに入って、ボーっと宙を見つめています。
「じ、じ、じいさん、いるんじゃないか!」
「あ~、ハラが減った」
「散歩へ行ったんじゃないの?」
「わかんない。あ~、ハラか減ったよ。メシはまだかね~」
オヤジは、とっくに散歩から帰っていたのです。
なのに、同じ部屋にいて、その存在に気づかずにいたオフクロ。
困ったもんです。
オヤジのボケが、オフクロにも感染(うつ)ってしまったようです。
2014年05月04日
介護と読書、ときどき本屋めぐり
ゴールデンウィークも余すところ、あと2日。
みなさんは、どんな連休を過ごしていますか?
僕ですか? 僕はフリーランスですから、カレンダーの休日は関係ありません。
他人が働いているときに遊んで、他人が遊んでいるときに原稿を書いています。
でも、今回の連休は勝手が違いました。
まったく、仕事はしていません。
かといって、どっこも遊びに出かけていません。
では連日、何をしているのかといえば、実家に泊まりこんで両親の介護です。
とはいっても、3度の食事の支度と洗濯、そうじが終われば、多少の空き時間があります。
この空き時間を楽しみに、介護生活を頑張っています。
10分でも20分でも時間が空いたら、読書!
この1週間で読破しようと思って、持ち込んだ本は4冊。
内訳は、ミステリー2冊とエッセー1冊、温泉関連本1冊。
1日が終わって、両親を寝かし付けたあとに、酒を飲みながら本を読むのが至福の時。
やっぱり、ミステリーやサスペンスがいいですね。
でも、ついつい夢中になって、2時間、3時間と経つうちに、酒の量も増えてしまいます。
気が付くと、平気で5時間くらい一人で飲み続けています。
(ちなみに、今は誉田哲也の “姫川シリーズ” にハマってます)
でも、一日中、読書というのも飽きますから、昼間は食料品の買い物がてらに 「本屋めぐり」 を楽しんでいます。
なんのために?
ハイ、もちろん、自分の本をチェックしにであります。
やっぱり、新刊本が発売されるこの時期は、どうしても書店のディスプレーや売れ行きが気になるんですね。
ちゃんと目立つところに置かれているだろうか?
平積みなんてされていたらうれしいなぁ~、って。
で、今日は2軒の本屋をチェックしてきました。
老舗書店のK堂。
完全に “小暮淳コーナー” ができていました。
既刊のラインナップとともに、最新刊の 『新 ぐんまの源泉一軒宿』 は目立つように2面積み!
店員さんによる手書きのポップも付いていました。
<平成21年9月に出版された 『ぐんまの源泉一軒宿』 の新刊です。>
と、書かれていました。
店員さん、ありがとうございます。
ショッピングモール内のK屋書店。
こちらは、店内2ヶ所にディスプレイです。
郷土本コーナーに、2面平積み。
また、旅行・ガイドブックコーナーには、棚2段にかけて “小暮淳コーナー” が出来上がっていました。
温泉本に加えて、山歩き本まで並んでいますから、これは圧巻ですぞ!
「ふむふむ、よしよし、完璧なディスプレイじゃないか」
と、満足する僕。
あとは、たくさんの読者に買っていただくだけです。
こうやって自分のテンションを上げつつ、また介護の生活にもどっていくのでした。
2014年05月03日
新 “一軒宿の温泉” 完成!
<生きている温泉をひとりじめ、
パワーアップした旅エッセイ。>
これは、今日の上毛新聞21面に掲載された拙著 『新 ぐんまの源泉一軒宿』 の広告コピーです。
全5段、オールカラー。
目を引く、見ごたえのある広告です。
いよいよ、群馬の温泉シリーズ第6弾 『新 ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社、定価 1,200円+税) が発売されました。
今日の広告には、こんな宣伝文句が書かれています。
<温泉は生きていると語る小暮淳氏が、たった一軒で温泉地を守り続けている宿の主人と語り明かしたエッセイも深みを増し、彼の集大成といえる一冊になっています。>
と、いうことで、僕がコメンテーターを務める群馬テレビ 『ニュースジャスト6』 では、新刊本の発売を記念して、たっぷりとこの本の取材秘話や裏話についてお話しします。
また番組では、「この5年間で消えてしまった温泉は?」 「表紙の温泉はどこ?」 「一軒宿の温泉の魅力とは?」 などなど、質問にもお答えします。
ゴールデンウィーク中ですが、お時間のある方は、ご覧ください!
●放送局 群馬テレビ(地デジ3ch)
●番組名 「ニュースジャスト6」
NJウォッチのコーナー
●放送日 5月5日(月・祝) 18:00~18:30
●ゲ ス ト 小暮 淳 (温泉ライター)
●テーマ 「新 “一軒宿の温泉” 完成!」
2014年05月02日
ため息のゆくえ
オヤジは今年9月で、90歳になります。
オフクロは今月、87歳になります。
共に元気で、穏やかな老後を送っています。
が、2人だけでは暮らせません。
オヤジは認知症、オフクロは足が不自由なんです。
よって、介護が必要です。
僕は2人兄弟。7つ離れた兄がいます。
ふだん、両親の面倒は兄が看てくれていますが、彼の家族は東京にいます。
で、このゴールデンウィークは東京へ帰ることになり、今週は僕が介護当番をするこになりました。
オヤジは頭がボケているだけではなく、目と耳が不自由です。
だから新聞も雑誌も読めません。ラジオやテレビを観たり聴いたりすることもできません。
日がな毎日、ただボーっとイスに座って過ごしています。
オフクロは、頭も目も耳も達者ですから、テレビも観るし、新聞も読みます。
でも足が不自由ですからね。
結局、炊事や洗濯、掃除はできません。
もちろん、買い物にも行けません。
これらは、すべて “介護当番” の仕事となります。
朝、昼、晩。おさんどんの用意を済ませると、さすがに、グッタリと体にこたえます。
後片付けを終えて、「フーーーッ」 っと大きなため息をついて、僕は床にへたり込みました。
「ありがとうね。疲れたろう。すまないね」
と、オフクロ。
「・・・・・・」
なぜか、返事をしない僕。すると、
「子供がさ、親の介護に疲れて、殺しちゃう事件があるよね。気持ち、分かるよ」
なんて、言い出した。
「分かるんかい?」
「ああ、分かるね。老人の面倒を看るのは、子育てより大変だもの」
「そりゃ、そーだ。子供は可愛いけど、年寄りは可愛くないものな」
「本当だね」
と言って、うつむくオフクロ。
しばし、沈黙がつづきました。
「でもオレとアニキは、バーサンとジーサンを殺しやしないから、安心しな」
「そーかい。ありがとうね」
「でもな、言うこときかけりゃ、施設に突っ込むぞ!」
と、冗談半分で本音を吐く僕。
「それは勘弁しておくれよ。やっぱり、うちがいいもの・・・」
僕は、もう一度 「フーーーッ」 と深いため息をつきました。
ゴールデンウィークは、やっと折り返し。
あと4日間、あります。
アニキ、早く帰って来てくれよ~!
2014年05月01日
画家は絵が売れなくても個展を開く
「6冊目になりますか! もう、群馬県内の温泉は行き尽くして、書くことがないでしょう?」
と、昨日、新刊本を手渡した温泉療養研究所の I 所長に驚かれました。
まあ、本人も気が付いたら毎年、本を出していたというだけで、別に記録に挑戦しているわけでもないのですが・・・
言われてみれば、確かに群馬の温泉本だけで6冊ですから、よくもまあ、懲りずに書いているものです。
でも、たかが6冊ぐらいじゃ、まだまだ群馬の温泉は語り尽くせないのであります。
だって、群馬は全国に誇る日本を代表する “おんせん県” ですからね。
温泉地(宿泊施設のある温泉) だけでも100以上あります。
さらに、温泉を引いた宿泊施設を数えれば、その数は600軒!
で、僕が今日まで6冊の著書で紹介した温泉宿の数は、たかだか252軒(延べ) です。
著書以外の雑誌や新聞で取材した温泉宿を足しても、約300軒といったところでしょうか。
と、いうことは、やっと半分の温泉宿を取材したところです。
少なくとも、県内の全温泉宿を網羅するには、あと6年は必要だということです。
「でも、どうして小暮さんは毎年、本を書くのですか?」
とは、所長のみならず、いろんな人から受ける質問であります。
なぜ、毎年、本を出版するのか?
実は、とっても難しい質問なんです。
だって、考えたことがありませんし、それが当たり前になっているからです。
でも、こんなふうに答えることにしています。
「画家は絵が売れなくても個展を開きますよね。それと同じですよ」 と。
ミュージャンや歌手の人たちも同様です。
なぜ、コンサートやライブをするのかといえば、それが “発表の場” だからです。
だって、人前で歌を歌わない歌手を、僕らは歌手と呼びませんものね。
時々、“自称○○” という人がいますが、そんな人たちは発表の場を持っていません。
ゆえに、プロである限り、作品を他人にさらすことが、その道を選んだ者の最低条件だと思っています。
と、いうことで、ライターは本が売れなくても書き続けるのであります。
(できれば、売れてくれると、もっと張り合いがあるのですが……)