温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2017年03月30日

千年湯めぐり


 歴史の古い温泉場のことを “古湯(ことう)” といいます。
 では古湯とは、どのくらいの起源なのでしょうか?
 ものの本によれば、それは奈良・平安時代からの開湯が伝わる温泉場とあります。
 別名 「千年湯」 と称される由緒正しき歴史を持つ温泉場のことだそうです。


 今週は、2つの古湯をめぐってきました。

 野沢温泉(長野県) を訪ねるのは、5年ぶりのこと。
 僕が講師を務める野外温泉講座で行ってきました。
 前回は、外湯(共同湯) のあまりの熱さに肩まで沈めず、ほうほうのていで逃げ帰った記憶があります。
 今回は、そのリベンジであります。

 野沢温泉の開湯は、奈良時代の高僧・行基によると伝わります。
 のち江戸時代初期(寛永年間) に、飯山藩主の松平遠江守が別荘を建て、浴場や宿を整備し、湯治場として利用されるようになったとのことです。


 温泉街の中心で威風を放つ 「大湯」 は、野沢温泉のシンボルです。
 浴室に入って手前が “ぬる湯”(約45℃)、奥が “あつ湯”(約48℃)。
 どちらも熱いのですが、とりあえず前回同様なんとか、ぬる湯はクリア!

 「先生、男の子だろ!」
 「我々に手本を見せてくれなくっちゃ!」
 受講生らに叱咤激励されながら、初のあつ湯に挑戦です。

 「う、う、うううーーーーー!!!!」
 水道の蛇口を全開にしながら、なんとか肩まで浸かりました。
 「1、2、3、4……。ダメだぁ~!」
 10カウント数えることなく、ギブアップ。
 それでも5年ぶりに、雪辱を晴らしたのでありました。



 今日は朝から四万温泉(群馬県中之条町) へ行ってきました。
 5月から始まる新連載の取材です。

 四万温泉の開湯は、永延3年(989) と伝わります。
 伝説では、源頼光の四天王の1人、日向守碓氷貞光という武将が夢のお告げにより 「御夢想の湯」 を発見しました。
 四万の病を癒やす湯であることから、この地を 「四万の郷」 と名づけたといいます。

 ま、僕にとって四万温泉は過去に本も書いているし、ホームグランドのような温泉地であります。
 今さら取材もないのですが、やはりそこは “現場百遍” のライター魂がうずくのであります。
 最新の情報を得るために温泉協会を訪ね、担当職員とともに温泉街をロケしてきました。

 もちろんカメラマンも一緒ですから、毎度おなじみの入浴シーンの撮影もしっかり押さえました。
 町営の日帰り入浴施設 「四万 清流の湯」 の露天風呂からは、その名のとおり、蒼く澄み切った四万川の流れを眺めながらの湯浴みを堪能してきました。


 <ここには、青く澄んだ川の流れと、こんこんと湧き出す豊潤な温泉、そして何百年もの間、湯とともに暮らしてきた素朴な人たちが生きています。(中略) 「何もない」のではなく、「湯がある」 ことへの畏敬の思いが、変わることのない四万温泉を守り継いでいるのです。> 『あなたにも教えたい四万温泉』 より
   


Posted by 小暮 淳 at 18:51Comments(0)温泉地・旅館

2017年03月27日

マロの独白(22) 大主人様がやって来た!


 こんにちワン! マロっす。
 ここんちの飼い犬、チワワのオス、10才です。
 今月は、2度目の登場でやんす。
 というのも……


 てーへんだー、てーへんだー、一大事だーーーっ!!!!
 ご主人様のお父上が、我が家にやって来たのであります。
 それも2泊3日のお客様としてでやんす。

 なんでも、ご主人様とご主人様の兄上様で協議した結果、兄上様の介護負担を軽減するために、デーサービスやショートステイがお休みの週末に、ご主人様がお父上を預かることになったらしいのです。

 「マロ、いいか。明日からじいさんが来るけど、仲良くしてくれよな」
 「もちろんです、ご主人様。ご主人様のお父上は、オイラにとっては大主人様ですから。一緒に散歩のお供をいたしやす」
 と、大主人様のご来宅を心待ちにしておりました。


 「おい、ここは、どこだ?」
 「ここはジュンのうちだよ」
 「ジュンって誰だい?」
 「いやだな、あなたの息子ですよ」
 「そうか、オレには息子がいるのか」
 大主人様は、御歳92歳。
 五体は健康なのですが、認知症がかなり進んでいます。

 「おい、マロ、あいさつをしろよ」
 「ワンワン、えーと、マロでやんす。大主人様、お会いするのを楽しみにしておりました。よろしくお願いいたしやす」
 と言って、オイラは大主人様の膝の上に、チョイと前足を乗せたのでございます。
 すると、大主人様ったら

 「うわっ、うわっ、なんだ! これ生きているのか?」
 「じいさん、マロだよ。前にも会ったことがあったろう」
 「ダメだ、ダメだ、あっちへ行け! 俺は生き物がキライなんだ~!!」
 そう言って、オイラを突き飛ばしたのであります。


 ご主人様も気をきかせて、オイラと大主人様の部屋を分けてしまうし、この2日間は雨で一緒に散歩へ行く夢も叶いませんでした。
 でもオイラ、あきらめないワン!
 これからも週末になれば、大主人様は来るのですから、仲良くするだワン!
   


Posted by 小暮 淳 at 14:43Comments(2)つれづれ

2017年03月24日

伊香保清遊 ~詩人が愛した石段街~


 <私の郷里は前橋であるから、自然子供の時から、伊香保へは度々行って居る。で「伊香保はどんな所です」といふやうな質問を皆から受けるが、どうもかうした質問に対してはつきりした答えをすることはむづかしい。> (『石段上りの町』より)


 1年間にわたる長い旅が、終わろうとしています。
 大正時代に郷土の詩人・萩原朔太郎が書いた随筆の冒頭で、いきなり登場する問いかけの言葉。
 「伊香保はどんな所です?」

 その答えを探るべく、旅を続けてきました。
 そして、たぶん今回の旅の最後ではないだろかと思われる、のんべんだらりとした2日間を伊香保で過ごしてきました。


 石段街の中ほどに位置する旅館に、5人の仲間が集まりました。
 カメラマン、デザイナー、ディレクター、出版担当者と僕です。

 これは毎年この時期に恒例となっている、現地で行う最終の “編集および出版会議” なのであります。
 そして夜は、互いの労をねぎらう、慰労会でもあります。
 でも著者である僕は、すでに全取材を終えていますから、高みの見物であります。
 ロケハンに出かけるカメラマンたちを見送って、昼間から風呂に入り、ビールを飲んで、夕方にはすでに出来上がってしまったのであります。


 <伊香保の町は、全体に細い横丁や路次の多い、抜道だらけの町である。(中略) 伊太利のナポリ辺へ行くと、市街の家並が不均斉で、登ったり降りたり、中庭を突つ切つたり、路次から路次へ曲がつたりする迷路のやうな市街が多いといふことを聞いてゐるせいか、伊香保の町の裏通りを歩くと、何となく南欧の田舎町という感じがする。> (『石段上りの街』より)

 「伊香保って、路地と坂道が多くて、ヨーロッパの町並みに似ているね」
 重い機材を抱えて、撮影から帰って来たカメラマンの第一声です。
 くしくも、朔太郎と同じことを言うのでした。

 “坂道と路地の町”

 全国でも珍しい山の中腹から源泉が湧き出る温泉地ならではの風景です。


 時は春。
 桜の便りが聞かれる今日この頃だが、伊香保の春はまだ遠からじ。
 今日も朝から時おり、小雪がちらつく花冷えの一日となりました。

 それでも石段街は、とてもにぎやかです。
 平日だというのに、若い女性たちでいっぱいです。
 たぶん、卒業旅行なんでしょうね。
 みやげ物屋からは、どこも黄色い声が響いています。

 暮れなずむ街に、明かりが灯る頃。
 我も文豪を気取って、浴衣に丹前を羽織って、石段へ。
 射的やスマートボールに興じる若者たちを横目に、カウンターで生ビールをいただいたのでありました。


 <この温泉の空気を代表する浴客は、主として都会の中産階級の人であるが、とりわけさうした人たちの若い夫人や娘たち──と言つても、大磯や鎌倉で見るやうな近代的な、中凹みで睫毛の長い表情をした娘たちではない。矢張、不如帰の女主人公を思わせるやうな、少しく旧式な温順さをもつた、どこか病身らしい細顔の女たち──である。> (『石段上りの街より』)
 ※「不如帰(ほととぎす)」 は、伊香保を舞台にした徳富蘆花の小説です。
  


Posted by 小暮 淳 at 19:27Comments(3)温泉地・旅館

2017年03月21日

3つの温泉地の3つの温泉宿


 先日、某国立大学のOBという方々とお会いしました。
 なんでも群馬で同窓会が開催されるので、いい温泉を紹介してほしいとのことでした。
 だったらお安い御用です!
 と二つ返事でお受けして、指定されたお店に出かけて行ったのであります。

 集まったのは群馬支部の30~50代の男性5人。
 なかには温泉大好きファンもいたりして、それはそれは楽しい宴の席となりました。
 でも……、これはただの飲み会ではありません。
 全国からやって来る人たちに、自慢できる群馬の温泉を選出する重大な会議なのです。
 ところが話を聞いて、ビックリ!
 かなりの難題だったのであります。


 条件その① 150~200名を収容できる温泉宿であること。
 条件その② 電車と車の交通の便が良いこと。
 条件その③ 近くでアウトドアレジャーが楽しめること。
 条件その④ 草津温泉と伊香保温泉を除く(過去に開催したため)

 ん~、いかがですか?
 かなり難易度の高い条件だと思いませんか?
 草津と伊香保という群馬の2大温泉地が使えないとなると、駒は限られてきます。
 さらに条件は加わります。

 「申し訳ありませんが、小暮さんのおすすめの温泉宿を3つ挙げてもらえませんでしょうか?」
 「み、み、みっつ~!!! しかも異なる温泉地で3つの宿ですか~!」

 でも、そこは群馬を代表する温泉ライターですからね。
 頭の中にある、ありとあらやる引き出しから情報をかき集めて、なんとか3つの温泉地から条件を満たす宿を選出しました。
 とりあえず群馬支部のOBの方々も納得されたようなので、めでたし、めでたし。

 これで全国から群馬の温泉に来てくださるのなら、やっぱりお安い御用なのであります!
   


Posted by 小暮 淳 at 13:42Comments(2)温泉雑話

2017年03月19日

金があったらバチが当たる


 「幸せになっちゃダメ! 小暮さんはアウトローなんだから!!」

 突然、カウンター席の隅で、ヨッパライが大声を上げました。
 馴染みの居酒屋での常連客とのざれ言です。

 それまで僕は、ママと両隣の客と、僕の私生活について話していました。
 息子が先日、結婚したこと。
 今年は、2人目の孫が産まれてくること。
 どこにでもあるような普通のオヤジの世間話であります。

 でも、それが彼には面白くなかったんでしょうな。
 「不真面目に生きている小暮さんが、真面目に生きている自分たちと変わらない平凡な暮らしをしているなんて許せない」 と思ったのでしょう。
 言われた本人でさえ、「だよね、ゴメン」 と素直に納得してしまいました。

 彼は僕と同世代。
 でも、かたや某有名企業のエリートサラリーマンです。
 “アウトロー” の僕には、計り知れない苦労と屈辱のイバラの道を歩んで来たことでしょうね。
 「それじゃ、不公平だろう!」 という怒りの声が、悲しい嘆きとなって僕の胸に刺さりました。


 その翌日。僕は同じアウトロー(自営業) の友人を訪ねました。
 「そりゃあジュンちゃん、無理もないよ。オレたちは社会の落ちこぼれなんだから。甘んじて、その言葉を受けなくっちゃ」
 そう言うのであります。
 彼は、小さいながら工房を構える一国一城の主。
 たった1人で、独自の世界を生きてきました。
 それでも私生活では持ち家に住み、2人の子どもを立派に成人させています。

 ただし僕同様、昔も今も “貧乏” の二文字に縛られて暮らしています。


 「それってさ、昔、ジュンちゃんのオヤジが言ってたセリフと同じだよね。『これで金があったらバチが当たる』 っていう言葉。今じゃ、オレの座右の銘だものな」

 『これで金があったらバチが当たる』

 そうなんです。
 人生を好き勝手に生きてきたオヤジの口ぐせなんです。
 するとオフクロは必ず、こう返していました。
 「そうですよ。おとうさんは好きなことだけして生きてきたんだから、お金のことは言ってはいけませんよ」 と。


 幸せとは、他人を羨ましがらずに暮らすことなのかもしれませんね。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:51Comments(0)つれづれ

2017年03月18日

誰がために生きる


 三十にして立つ
 四十にして惑わず
 五十にして天命を知る

 なるほどと思うのですが、なかなか凡人は孔子のようには生きられません。
 僕なんか、いまだ立場はおぼつかず、迷いっぱなしだもの、天命なんて知るよしもありません。

 でも僕は、昔から自分の人生を孔子風にいましめてきました。
 20代は 「体験」、30代は 「蓄積」、40代は「 行動」、50代は 「表現」です。
 若いときはハチャメチャなこともしたけど、それは 「体験」 となったし、ガムシャラに働いた時代もあったけど、それは 「蓄積」 されました。
 そして、やっと重い腰が上がって飛び回れたのが、40歳を過ぎてからです。

 まあ、それなりに言葉どおりの人生を歩んで来たように思います。
 が、しかし、今、ハタと立ち止まってしまいました。
 60代は何をしよう? どう生きればいいのだろうか?って……
 孔子は、なんていっているのでしょうか?(昔の人は、そんなに長生きをしなかったのかしらん)


 先日、新聞のコラムを読んでいて、こんな言葉を見つけました。
 フリーアナウンサーの八木亜希子さんの言葉です。

 <50歳を過ぎたら人のために生きる。自分のことで喜んだり落ち込んだりするのは、若い頃の話。>

 ガビ~~~ン!!!!
 突然、脳天に雷が落ちたような衝撃を受けました。
 だって僕なんて、50歳を過ぎて、しかも還暦間近だというのに、いまだに自分のことで一喜一憂していますもの。
 “人のために生きる”
 これだよ! 僕の人生に一番欠けているモノは!

 10年遅れではありますが、60代の目標は 「貢献」 としました。
 えっ? 60歳まで待たずに今すぐしろって?
 はい、極力そうします。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:34Comments(0)つれづれ

2017年03月16日

がんばろう! 四万温泉


 2日続けてショッキングな記事が新聞に出てました。

 <県の観光キャンペーン>
 <入り込み客1606万人>
 <温泉地が伸び悩む>

 14日の上毛新聞によれば、昨年10~12月に展開した大型観光企画 「ググっとぐんま観光キャンペーン」 の入り込み客数について、県は前年比3.0%減の1606万4406人だったと発表しました。
 減少の理由として、世界遺産の 「富岡製糸場と絹産業遺産群」 の関連施設への来場が落ち着いたことや、2015年に発行したプレミアム宿泊券による押し上げ効果の反動などを挙げています。 

 だと、僕も思います。
 が、気になるのは温泉地の減少(伸び悩み) です。
 県内主要9温泉地の日帰りと宿泊を合わせた合計は、1.7%減の217万7000人で、うち4大温泉地の内訳は以下のとおりです。

 草津温泉(草津町)   832.318人  -0.7%
 伊香保温泉(渋川市)  418.326人  -7.0%
 水上温泉(みなかみ町) 526.200人  +2.9%
 四万温泉(中之条町)   94.852人 -11.0%

 いかかでしょうか?
 確かに全体的に “伸び悩み” が見て取れますが、明暗を分けた温泉地があります。
 そう、水上温泉と四万温泉です。

 この結果に、とても複雑な思いでいます。
 だって僕は、みなかみ町の 「温泉大使」 であり、中之条町の 「観光大使」 でありますからね。
 気になるのは、四万温泉の2桁台の落ち込みです。
 なんか、いや~な予感がしていたのであります。

 そ、そ、そしたら!
 昨日の新聞で、的中してしまいました。


 <四万「花の坊」経営>  
 <ゆあさが事業停止>
 <負債14億>

 朝から真っ青であります。
 だって今年になって、僕が講師を務める野外温泉講座で行って来たばかりですからね。
 雪見風呂を満喫して、湯上がりの料理も美味しくって、新年早々だったこともあり、受講生らと飲み交わして、大満足した温泉宿でした。

 2011年9月に出版した拙著 『あなたにも教えたい四万温泉』 には、37軒の宿が掲載されています。
 これで35軒となってしまいました。

 どげんかせんといか~ん!!!! 

 全国の温泉ファンのみなさん、力を貸してください。
 緊急事態であります。

 大使として、今、できることとは……
 眠れない夜が続きそうです。
     


Posted by 小暮 淳 at 13:48Comments(6)大使通信

2017年03月15日

マロの独白(21) 出物腫れ物


 こんにちワン! マロっす!!
 ここんちの飼い犬、チワワのオス、10才です。
 みなさん、お元気でしたか?

 オイラっすか?
 オイラは、ちょっぴりへこんでいます。
 老化が進行したのかって?
 ええ、まあ、それもありますけど、それだけじゃないんです。
 実は……


 先日、平日の昼時のこと。
 次女様がテスト休みだとかで、家に居たのであります。
 朝からリビングで、ずーーっとスマホをいじりながら、ゴロゴロしているのです。
 そこへ仕事の手を休めに、ご主人様が2階から来ました。

 「昼飯、どうする?」
 「何か作るの?」
 「ああ、ラーメンしようか?」
 「うん、それでいい」

 ここまでは他愛もない父娘の会話だったのです。
 でも、この後、ご主人様が台所に立つやいなや、次女様が、とんでもないことを言い出したのであります。

 「ねえねえ、おとう!」
 「ん?」
 「マロさ、オナラするの知ってる?」
 「そりゃ、マロだって生きているんだからオナラくらいするだろ」
 「それがさ、このところ回数が多いんだよ。しかも、スゲー臭いの!」

 ドキッ!(顔面蒼白)
 次女様ったら、気づいていらしたんですね。
 オイラ、穴があったら入りたいけど、どこにもないので、知らん顔して窓の外を眺めていたんでやんす。

 「へぇ~、知らなかったな。オレは1度も聞いたことないよ。聞いてみたいな、マロのオナラ! プーって音がするの?」
 「それが、“すかしっぺ” なんさ。チョー臭いから!」

 ヒェー!(茫然自失)
 次女様ったら、そこまで言いますか!
 しかも、よりによって、ご主人様の前で……。

 オイラだって、気をつかって生きているんですよ。
 やっぱ、この家の主であるご主人様の前では、極力、粗相をしないようにしているんですからね。
 だから、お世話になっているこの10年間、ご主人様の前では一度たりとて “放屁” なんぞしたことはありませんって。

 なのに、なのに、ひど過ぎます。
 オイラのプライドが、ズタズタでやんす。


 「ほら、ラーメンできたぞ!」
 「いただきま~す」

 「マロどうした? 具合でも悪いのか?」
 「あれ、本当だ。いつもなら騒ぐのに、自分からゲージに入っちゃった」
 「もしかして、さっきの話、聞いていたんじゃないのか!?」
 「まさか……」


 いけずーーー!! (寝たふり)
   


Posted by 小暮 淳 at 11:52Comments(3)つれづれ

2017年03月13日

まだ見ぬ読者へ


 一夜明けた昨日、大胡温泉 「旅館 三山センター」 の女将さんから電話がありました。

 「小暮さんが帰ったすぐあとにね、『小暮さんは来てますか?』 って、男性が訪ねて来ましたよ」
 「男性? 僕の知り合いですか?」
 「面識はないって言ってたから、小暮さんの読者みたい。昨日(3月11日)、小暮さんがうちに来ることを知っているんだから熱烈なファンよ、きっと」

 一昨日、僕は午後2時46分の黙とうを終えると、早々に帰ってしまったのです。
 その直後のことだったといいます。

 「今までいたのよって言ったら、とても残念がってました」
 「僕もお会いしたかったです」
 「そうそう、その人ね、去年も来たんですって!」
 「えっ、去年もですか!?」
 「そう、やっぱり来たのが遅くて、小暮さんには会えなかったみたい」


 別に僕が気にすることではないのでしょうが、なんだか昨日からモヤモヤしていたのです。
 もう少し油を売っていたら、会えたのに……。
 2年越しで会いに来てくれたのに今年も会えなかったなんて……。
 申し訳ないなぁ~って。

 でも、うれしいですね。
 そうやって読者の方が訪ねて来てくれるのって。
 そんな温泉宿がいっぱい増えて、たくさんの人が群馬の温泉に来てくれたら、“消えゆく温泉”を1軒でも多く救えるのに、なんて考えてしまいました。


 まだ見ぬ読者さんへ
 来年は、黙とう前にいらしてくださいね。
 湯に浸かりながら温泉談義をいたしましょう!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:11Comments(4)温泉雑話

2017年03月11日

あれから6年、大胡温泉。


 2011年3月11日、午後2時46分。

 あの日あの時、僕はなぜ大胡温泉にいたのだろうか?


 <グラリと、とてつもない大きな揺れが東日本を襲った。「長年生きてきたけど、こんな揺れは初めてだよ」 と叫ぶ女将の中上八ツヱさんをはじめ、息子で2代目の富男さんらとともに、屋外へ駆け出した記憶が昨日のようにありありと目に浮かぶ。「これも何かの縁ですね」 と、毎年3月11日に私は必ず大胡温泉を訪ね、地震発生の時刻に女将らとともに黙とうを捧げている。>
   (『新ぐんまの源泉一軒宿』 より)


 今日、大胡温泉(前橋市) の一軒宿 「旅館 三山センター」 へ行ってきました。

 「待ってましたよ」
 「もちろん、来ましたよ」
 「どうします?」
 「まずは、ひと風呂浴びてきます」

 出迎えてくれた女将とは、10年以上の付き合いになります。
 息子さんやスタッフとも、気心知れた仲です。
 勝手知ったる温泉宿であります。
 僕は、あいさつもろくにせず、湯屋へと向かいました。


 あの日、なぜ僕は、ここに来たのだろうか?
 取材だとばかり思っていたけど、カメラマンはいませんでした。
 だとしたら、ぷらりと今日のように湯に入りに来たのだろうか?
 いえいえ、それは違います。
 あの日、風呂に入った記憶はありません。
 何より、午後2時46分に居たというのが不思議です。
 中途半端な時間に居たものです。

 湯の中で、ただひたすらに、あの日のことを考えていました。
 地震発生後のことはハッキリと思い出せるのに、それ以前のことが、まったく思い出せません。


 「黙とう!」
 テレビの時報とともに、女将さんとスタッフ、広間にいたお客さんたちと一緒に1分間の黙とうを捧げました。

 「もう6年も経ったのかしらね。早いものですね」
 「みんなで旅館を飛び出したのが、ついこの間のようです」

 名物の 「焼きまんじゅう」 をいただきながら、あの日のことを話していました。
 でも、やっぱり、午後2時46分以降のことばかりです。

 「女将さん、あの日、僕はなんでここにいたんでしたっけ?」
 「えっ、……。なんででしたっけね」


 帰宅後、僕は自分のブログをチェックしてみました。
 すると、1年後のブログに、こんなことが書かれていました。

 数日前に、女将から電話をもらったこと。
 内容は、「小暮さんのファンが手紙を渡してくれと置いて行ったから、ついでの時に寄ってください」 とのこと。
 そして、あの日、僕が仕事のついでに寄った時刻が午後2時46分前だったこと。
 「お風呂に入っていったら」 と女将に勧められたが、「急いでいるので」 と断ったこと。
 その直後、とてつもなく大きな揺れが襲ったこと。
 ※(当ブログの2012年3月11日 「あれから1年、大胡温泉へ」 参照)


 「これも何かの縁ですね」
 女将の言葉が改めて、深く心にしみてきたのであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:47Comments(0)温泉地・旅館

2017年03月10日

おかげさまで70万アクセス


 気が付いたら、このブログのアクセス数が70万を超えていました。
 開設が2010年の2月ですから、ちょうど7年が過ぎたことになります。
 1年間で延べ10万人の人が読んでくださっているのですね。
 ありがたいことです。

 ライターは、読まれてナンボの職業です。
 ブログは仕事ではありませんが、会社も事務所も持たないフリーランスの僕にとっては、これが唯一の営業活動なんですね。
 ホームページもありませんから、初めて僕を知った人は、とりあえず、このブログを見てくださるわけです。


 最近は、新聞の記事や講演会のパンフレットなどにも、プロフィールにブログのタイトルが書かれていることもあり、新しい読者が徐々に増えているようです。
 そういえば、温泉大使の名刺にも刷られていましたっけね。
 “ブログ 「小暮淳の源泉ひとりじめ」 も好評執筆中!” って。

 なんといっても新聞の影響は大であります。
 昨年(2016年)の3月22日は、1日で約3,000ものアクセスがありました。
 その日、毎日新聞の全国版に記事が掲載され、ご丁寧にプロフィール欄にはブログのタイトルまで掲載されました。
 たかが群馬、されど群馬の温泉が全国に知れ渡った記念すべき一日となりました。


 また最近は、いろんなところで 「ブログを読んでます」 と声をかけていただきます。
 講演会やセミナーしかり、飲み屋のカウンターしかり、初対面でも 「あっ、温泉の!」 と僕を知った瞬間、ブログの話になります。

 以前は温泉ファンの読者が多かったのですが、最近は一般の人も読んでくださっているようで、「ご両親の介護、大変ですね」 とか 「息子さんのご結婚、おめでとうございます」 とか 「マロ君の話を毎回、楽しみにしています」 なんて声をかけてくれる人がいます。

 一番驚いたのは、地元自治会の会合に出席したときのこと。
 温泉好きの方が 「小暮さんの本を持ってますよ」 と声をかけてくれました。
 すると数名の人が、「俺も」 「私も」 と声を上げてくださいました。
 そしたら別の方が、「俺なんか、ブログ読んでるからね」 と言ったのです。

 なんと、その人は、我が家の隣のご主人だったのです!

 「ありがとうございます」と、お礼を言ったものの、急に恥ずかしくなってしまいました。
 こんな身近な人たちが読んでくださっているなんて、思ってもみませんでした。

 広いようで狭く、狭いようで広いのが、世の中なのですね。


 ということで、このブログも8年目に入りました。
 今年は80万アクセスを目標に頑張ります。

 温泉の話はもちろん、講演やセミナーのお知らせ、身近で起きた日々の出来事をつれづれなるままに記していきたいと思います。
 読者のみなさま、今後とも末永く、よろしくお願いいたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:20Comments(0)執筆余談

2017年03月08日

黄泉の国から


 なんとも寝覚めの悪い夢を見ました。

 9年前に亡くなった友人の夢です。
 いえ、友人というよりも、彼は仕事の相棒でした。
 一緒に離島を取材しながら旅をしたカメラマンです。


 あの頃のように、僕は彼と夜の街で待ち合わせをしています。
 決まって取材へ出かける前は、打ち合わせと称して酒を酌み交わしていました。
 ところが昨晩の彼は、いつもと様子が違いました。
 待ち合わせの時間には遅れることなく来たのですが、顔面蒼白です。

 「小暮さん、ごめん。今日は無理みたい。体調が良くありません」
 そう言って彼は、胸のあたりに手を当てて、路傍にうずくまりました。

 彼の死因は、肺ガンでした。
 でも夢の中の僕は、まったくその事実を知りません。
 もちろん、彼がすでに亡くなっていることにも気づいていません。
 それよりも僕は、つじつまの合わないおかしなことを考えていました。


 今年の正月、突然、彼の奥さんから電話がありました。
 「息子たちも小暮さんに会いたがっているので、遊びに来られませんか?」

 僕は、この電話にハッとしました。
 思えば彼が黄泉の国へ旅立って以来、一度も彼の家に行ってなかったことに気づいたのです。
 その数日後、僕は彼の家を訪ね、自分の著書を仏壇に供え、9年ぶりに線香を上げました。

 仏壇の中で、微笑む遺影。
 南の島で釣りをしている彼を写したものです。
 シャッターを押したのは僕。

 「この頃の主人が、一番生き生きとしていました」
 と奥さん。
 カメラマンだった彼自身を撮った写真は、ほとんどないと言います。


 僕は夢の中で、この日のことを考えていました。
 <なんで彼は、正月に遊びに行った時に、いなかったのだろう? たまたま仕事で不在だったのだろうか?>
 そんな疑問が渦巻く中、僕は彼を介抱しています。

 「救急車を呼ぼうか?」
 「いや、いいです。今日は、これで帰って寝ます」
 「本当に大丈夫かい?」
 「はい、ご心配かけました。では、また連絡します」
 そう言って彼は、夜の街へ消えてしまいました。


 なんで、あんな夢を見たのだろう……。
 今日は朝から悶々としていました。

 もしかしたら今になって、正月のお礼を言いに来たのかしらん。
 それとも・・・

 あの日、僕は彼の息子と酒を飲みながら、こんな話をしました。
 「来年はお父さんの十回忌だね。没後10年の節目に、彼の写真集を作ろうか?」
 すると製作会社に勤める息子が、
 「はい、ぜひ、お願いします。ね、母さん! 絶対にお父さん、喜ぶよね」


 せっかちな彼のことです。
 昨晩の打ち合わせは、取材ではなく、写真集の件だったのかもしれませんね。
   


Posted by 小暮 淳 at 15:22Comments(0)つれづれ

2017年03月06日

通れない道


 「アクセルとブレーキを踏み間違えた」
 その後も、高齢者による交通事故が後を絶ちません。


 ちょうど1年前の3月3日のことでした。
 高崎市の市道で登校中の児童の列に、駐車場から飛び出した乗用車が突っ込み、小学1年生の男児が死亡。
 運転していたのは70代の男性。
 駐車場に駐車する際、「アクセルとブレーキを踏み間違えた」 とのことでした。

 新聞記事によれば、男児の命日である今月3日、関係者が事故現場に集まり、花を手向けて冥福を祈ったといいます。
 男児の父親は、「どうしても現場に来られなかった。事故と向き合ったのは1年ぶりで、いまだに信じられない」 とコメントしています。

 “どうしても現場に来られなかった”
 この言葉に、僕でさえ一瞬にして、あの日あの時の光景がフラッシュバックしてきて、体が小刻みに震え出したほどです。
 男児の父親の心情は、到底、そんなレベルではないはずです。


 今から8年前のこと。
 まだ高校生だった長男が、自転車での登校途中に交通事故に遭いました。
 交差点の真ん中で軽自動車にはねられ、宙を舞い、フロントガラスに叩きつけられ、路面に落ちました。

 <高校生 車にはねられ重傷>
 翌日の新聞には、そんな見出しの記事が載ったほどです。

 おかげさまで命には別状がなく、その後快復し、後遺症もなく、元気に高校生活に復帰しました。
 いまだに本人には事故の記憶がなく、あっけらかんとしていますが、第一報を受けて救急病院に駆けつけた僕は、その時のショックで寿命が縮まってしまい、しばらくは事故現場を通ることができませんでした。
 いえ、今でもなるべく通らないようにしていますし、仕方なく通るときには、できるだけ事故のことを思い出さないようにしています。

 だもの男児の父親の悲しみと怒りは、計り知れないものがあると思います。
 よくぞ、現場に来られたと、その気丈ぶりに敬服しました。


 くしくも同じ3月3日の新聞紙面に、こんな見出しの記事を見つけてしまいました。
 <74歳運転の乗用車 店舗に突っ込む>
 幸いけが人はいなかったようですが、運転手の女性は、また 「アクセルとブレーキを踏み間違えた」 と話しているそうです。

 クルマ自体の機能の改善、運転免許制度の見直し等、一刻も早く進めてほしいものです。
 被害者の家族もつらいですが、加害者となってしまった高齢者の家族もつらい思いをするのですから。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:29Comments(2)つれづれ

2017年03月04日

亡夫の湯心を抱いて


 僕は現在、年間20~30回の講演やセミナーを行っています。
 依頼主は企業や団体、市町村などまちまちで、その会場の規模もさまざまです。
 大きなところは200人以上が入る会館のホールだったりしますが、小さいところだと20~30人も入ればいっぱいになってしまう公民館や集会所だったりします。

 今週は、両極端な2会場で講演を行ってきました。


 昨日の上毛新聞に記事として載ったので、知っている人もいるかも知れませんが、1日(水) に群馬銀行本店の大会議室で、ぐんぎん証券の開業を記念した講演会に、講師として招かれ講話をしてきました。
 新聞発表によれば、約160人も聴講者があったとのことです。

 大きな会場では、あまり観客の顔が見えないので、自分勝手に話を進めることが多いですね。
 それなりの充足感は得られるのですが、終演後はすぐに控え室に入ってしまうため、主催者側の人としかコミュニケーションがとれないのが、僕としては残念です。

 それに比べるて公民館主催による小さな講演会は、とても和気あいあいで楽しいものです。
 周辺住民がお菓子や手作り惣菜を持ち寄って、終演後に講師を囲んで “お茶会” を開いてくれることもあります。
 今日も、そんな温かな講演会に招待されました。


 会場は、前橋市総社公民館桜が丘集会所。
 30人も入ればいっぱいの小さな会議室です。
 演台と客席の距離も近く、時に掛け合い漫才のようなトークも飛び出し、何度も笑いに包まれました。

 終演後のことです。
 1人の高齢の婦人が、僕の著書を手に、サインを求めて来ました。
 『ぐんまの源泉一軒宿』(2009年) と 『群馬の小さな温泉』(2010年) でした。
 2冊とも真新しいのですが、いくつも付箋紙が貼られていました。

 「主人が6年前に亡くなりまして、遺品を整理していた時に、先生の本が出てきました。行きたかった温泉に付箋を貼っていたようです」
 と開いたページには、所々、赤いラインマーカーで線が引かれていました。

 「この中で生前、夫に連れて行ってもらったのは、沢渡温泉の龍鳴館だけでした。その後、すぐに亡くなってしまいましたから……」

 6年前といえば、2011年です。
 この年の9月に僕は、シリーズ3冊目となる 『あなたにも教えたい四万温泉』 を出版しています。
 ということは、この方のご主人は、本が出版される前に亡くなったということです。

 「今日、先生にお会いできたのをきっかけに、主人が行きたかった温泉をめぐってみようと思います。今日は本当に素敵なお話をありがとうございました」
 そう言って婦人は、深々とお辞儀をすると、胸に2冊の本を抱えて会場を出て行きました。


 なんとも不思議な縁であります。
 もし、ご主人が生きていられたら、今日の講演会には2人で来られていたかもしれませんね。
 そして、シリーズ8冊全部を持って、サインを求められたかもしれません。
 でも、その本は、きっと今日持って来られたような真新しさはなかったでしょうね。

 たかが温泉、されど温泉。
 温泉が引き合わせてくれた、心温まる出会いでした。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:32Comments(2)講演・セミナー

2017年03月03日

伊香保温泉 「岸権旅館」


 僕は昨年の春から天下の名湯・伊香保温泉にある全宿の “湯” を制覇しようと、果てしない行脚の旅に出ています。
 最初は、いったいいつになれば終わるのだろうと思われた長い旅も、やがて終わりを迎えます。

 昨晩、その最後の宿に泊まってきました。
 伊香保温泉全44軒の最後に訪ねたのは、屈指の老舗 「岸権旅館」 でした。


 室町時代から安土桃山、江戸、明治、大正、昭和、そして平成と脈々と湯を守り継いできた3軒の老舗宿。
 そのうちの1軒が、岸権旅館です。
 創業は天正4年(1576)年といいますから、なんと440年前であります。

 まさに伊香保温泉全宿制覇のファイナルを飾るにふさわしい旅館でした。


 その昔、湯の引湯権利が与えられた大屋制度。
 12軒の宿には、十二支にちなんで干支の名が付けられました。
 「辰の湯」
 これが岸権の称号です。

 今でも残る3軒の宿には、「黄金(こがね)の湯」 と呼ばれる伊香保伝統の茶褐色の湯が引湯されています。
 岸権には、伊香保温泉総湧出量の約1割に当たる毎分300リットル以上の源泉が届いています。
 たった1軒で、300リットルですぞ!

 だもの本館、離れ、浴室棟にある計13の浴槽は、すべて完全放流式(かけ流し) です。
 これはファイナルにふさわしく、すべて “湯破” しようではないか! と意気込んでみたのですが、ひと晩では体力の限界があります。
 しかも女風呂には入れません。
 ということで、婦人浴室と貸切風呂を除く、代表する3つの湯を “湯破” することにしました。

 「権左衛門の湯」 と 「又左衛門の湯」 と 「六左衛門の湯」 です。
 すべて岸一族の先祖の名前が付いています。
 となれば第1湯目は、やっぱり岸権の創業者である権左衛門氏に敬意を表さないわけにはなるまい。

 江戸時代の古い錦絵に描かれた伊香保温泉の入浴風景。
 その湯殿を再現したのが、総ひのき造りの 「権左衛門の湯」 です。
 上越国境の白い連山を眺める露天風呂と2つの丸い桶風呂。
 惜しみなくかけ流されている茶褐色の湯を存分に堪能しました。

 もちろん、朝までに “三左衛門”の湯をすべてめぐりました。


 そして、僕の11ヶ月にわたる旅も終わりました。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:34Comments(0)温泉地・旅館

2017年03月02日

角間温泉 「岩屋館」


 一度行ってみたいと思っていた温泉宿でした。

 僕の場合、群馬県内を中心に仕事をしているので、なかなか県外の温泉を取材で訪れることはありません。
 行きたい温泉は、プライベートで行くしかないのですが、そんなプライベートな時間もなかなか作れません。
 そんな時、僕には格好の手段があるのです。

 そうです!
 自分の講座に組み込んで、受講生らと一緒に行っちゃえばいいんです。

 ということで、長野県上田市の角間(かくま)温泉 「岩屋館 」に行ってきました。


 岩屋館は、奇岩怪峰が見られる角間渓谷の奥深くにある秘境の一軒宿。
 「日本秘湯を守る会」 の会員宿でもあります。
 真田一族の居城も近いことから、その隠し湯とも呼ばれています。

 「いや~、すごい景色ですね~」
 露天風呂の中で、倒れかかるような岩壁や奇岩を眺めながら喚声を上げています。
 湯は鉄分を含んだ炭酸泉。
 足元が見えないほどの濃厚なにごり湯です。

 「赤いですね。伊香保より赤い。相間川(高崎市) くらいありますね」
 受講生の1人が、過去に講座で行った温泉と比較しながら言いました。
 「ですね。かなりの鉄分の量です。飲めば、貧血に効きそうですね」
 これぞ、野外講座ならではの生きた勉強であります。

 湯上がりは、山のごちそうをいただきながらのお決まりのビールタイム!
 食堂の窓いっぱいに迫る渓谷美を愛でつつ、今回も楽しい温泉談義に花が咲いたのでした。


 この野外温泉講座も今年で、9年目に入ります。
 新講座は4月に開講!
 ただ今、春期受講生募集中!
 問い合わせ・申し込みは、TEL.027-221-1211 (NHK文化センター前橋教室) まで。




   


Posted by 小暮 淳 at 11:08Comments(2)温泉地・旅館