2019年12月05日
2つの共通点 ~ノーベル賞はもらえなくても~
数日前の毎日新聞に、ノーベル化学賞を受賞した吉野彰さんのインタビュー記事が掲載されました。
幼少のエピソード、科学に興味を持ったきっかけ、科学者としての苦悩や喜び、そして次世代を担う子供たちへのメッセージがつづられていました。
一介の僕が、こんなことを言うのもおこがましいのですが、記事を読んでいて吉野さんとの共通点を2つ見つけました。
1つは、小学生の時に先生から薦められて、ファラデーの 『ロウソクの科学』 を読んだこと。
感想文を書いた記憶はあるのですが、どんな内容の本で、どんなことを書いたのかは、まったく覚えていません。
吉野さんは、この本が科学への興味の始まりだったといいます。
この辺が、凡人との差であります。
もう1つは、“人生35歳説” です。
吉野さんは、こんなふうに話しています。
<人生の中で自分の力で何かをやることができる年齢は35歳くらいだと思う。成果を出せというわけではなく、あくまでスタートという意味で。>
吉野さんがリチウムイオン電池の研究をスタートさせたのが33歳でした。
ノーベル賞を受賞した人が研究を始めた平均年齢も35歳だといいます。
<社会の仕組みもある程度わかって、そこそこの権限もついて、一発ここで何かやろうと。そのくらいの年齢なら、万が一、何かやらかしたとしても、もう一回くらいリカバリーのチャンスもあるでしょう。思い切ったリスクをとって挑戦できる、人生で一番いい時期だと思う。>
これには、僕も納得です。
やっぱり、吉野さんと比べてはおこがましいのですが、僕も30代半ばが人生のターニングポイントでした。
会社勤めを辞めて、フリーランスの道を歩み出しました。
以前、僕はブログでも、「30代に見る夢」 と題して、こんなふうに書いています。
<30歳を過ぎて見た夢は叶えるべきである。叶えることが夢を見た自分への責任だから>
※(詳しくは当ブログの2012年5月11日 「30代に見る夢」 参照)
吉野さんは最後に、こんなエールを送っています。
<だから子どもさんに伝えたいのは、35歳という大事な時期をいずれ迎えるので、その間にいろいろ勉強して経験し、エネルギーをためておいてくださいということ。35歳になったら一気に吐き出すんです。>
その通り!
30代よ、大志をいだけ!
と、凡人の僕も思います。
共通点はあったのですが、その後の人生が大きく違うのが、凡人が凡人たるゆえんなのであります(残念!)。
2019年12月04日
うのせ温泉 「旅館 みやま」③
「小暮さん、ありがとうございます」
「えっ?」
「記事にしていただいて」
「はあ……」
この時点で、僕は何のことを言われているのだか分かりませんでした。
電話の主は、県内で温泉旅館をいくつも経営するオーナーさんです。
過去に、たびたび取材でお世話になり、講演や会合でも顔を合わせています。
「令和元年11月15日の 『ちいきしんぶん』 です」
それを聞いて、やっと合点がいきました。
僕は現在、高崎市のフリーペーパー 『ちいきしんぶん』 に 「はつらつ温泉」 というコラムを連載しています。
このコラムで 「牧水ゆかりの宿」 と題し、歌人の若山牧水が訪れた温泉宿を紹介しました。
ただ、オーナーが経営する、うのせ温泉(みなかみ町) の 「旅館みやま」 に牧水が泊まったわけではありません。
牧水は、大正11(1922)年10月21日、沼田市の 「鳴滝」 という旅館に投宿しました。
その建物が、旧水上町に移築されて、現在の 「旅館みやま」 となりました。
コラムでは、そんなエピソードを書かせていただきました。
※(移築・再建までの詳細は、当ブログの2010年6月11日 「うのせ温泉 旅館みやま」 および 2013年1月22日 「うのせ温泉 旅館みやま②」 を参照)
「えっ、どうして、ご存じなんですか?」
ちいきしんぶんは、高崎市内だけに配布されているフリーペーパーです。
遠く、みなかみの地へ、どうやって運ばれたのでしょうか?
「お客さんですよ! この記事を持って、グループで泊まりに来られたお客さんがいたんです」
「へーーー!!!」
思わず、ため息をもらしてしまいました。
小さな冊子の小さな記事です。
それなのに、温泉ファン、牧水ファンは見逃さないのですね。
ああ、この仕事を続けていて良かった!
と、つくづく思いました。
「小暮さん、ぜひ、お出かけください。また一緒に飲(や)りましょう」
「はい、ぜひぜひ、お願いします」
牧水のように、旅を愛し、湯を愛し、酒を愛して生きていたいですね。
2019年12月02日
チコちゃんに褒められる?
NHKテレビの人気番組 『チコちゃんに叱られる』 で、「なぜ赤ちゃんは肩が凝らないのか?」 という問題がありました。
正解は、「ムダな動きが多いから」 でした。
肩凝りのもとは、同じ姿勢を続けることにあり、赤ちゃんはジッとしていないで常に動き回っているからのようです。
ということは、僕は赤ちゃんですか?
確かに世間一般の60代に比べると、ムダな動きが多いようにも思われますが……
というのも僕は、“肩凝り”がありません!
正確に言えば、昔は肩が凝ったことがありましたが、今はありません。
もっと正確に言えば、30代までは極度の肩凝り症でした。
肩がパンパンになり、吐き気をもよおすこともあり、医者に通ったこともありました。
それが40歳を過ぎたあたりからパタリと肩が凝らなくなり、今日まで至ります。
はて、なぜだろう?
と人生を振り返ってみると、1つだけ思い当たるふしがあります。
それは、温泉です!
温泉をテーマに取材を始めたのが、その頃で、年を追うごとに人一倍、いや人十倍は温泉に入るようになりました。
そして気が付いたら、肩凝りも消えていました。
温浴により血流が良くなったからなのでしょうか?
実は、温泉の効能ではないかと思われることが、もう1つあります。
風邪を引かなくなりました。
かれこれ20年近く、風邪を引いた記憶がありません。
これまた温浴により免疫力がアップしたということなのでしょうか?
もし、そうだとすれば、これらの効能は、まさに先人たちが行っていた湯治による “未病” と呼ばれる予防であります。
「温泉と肩凝り」、「温泉と風邪」 の医学的な因果関係は分かりませんが、少なくとも僕は、温泉ライターを名乗ってから健康になりました。
とりあえず、この件については、チコちゃんに叱られませんね!
2019年12月01日
霧積温泉 「金湯館」⑨
今年は例年になく台風が猛威をふるい、全国に爪跡を残しました。
群馬は強風による被害は少なかったものの、大雨による災害が各地で起こりました。
温泉宿も例外ではありません。
台風19号による豪雨のため、霧積温泉(安中市) の一軒宿、金湯館へ向かう唯一の道路(県道北軽井沢松井田線) の路肩が約20メートルにわたり崩落して、現在も全面通行止めです。
車だけでなく、人も通れません。
それでも金湯館は、営業を続けています。
それは宿が長野県境にそびえる鼻曲山(1655m) への登山口にあるからです。
行楽シーズンの予約取り消しなどで大きな打撃を受けていますが、それでも温泉を愛する常連客たちが険しい山道を歩いて泊まりに来て、ご主人や女将さんを激励しているといいます。
先日、新聞に4代目若女将の佐藤知美さんのコメントが掲載されました。
<この状況がいつまで続くか不安な毎日だった。たくさんの人たちに励まされ、どんな状況でも頑張ろうと思えた。早急な対応に感謝している。>
群馬県は国と協議し、災害査定を待たずに事前着工する応急本工事を開始しました。
順調に進めば、来年1月末までに工事を完了する見通しです。
僕が最後に金湯館を訪れたのは、昨年の今頃でした。
雑誌の取材で3代目女将の佐藤みどりさん、4代目の淳さん、知美さん夫妻にお会いしました。
いつお会いしても明るく、あったかなもてなしで迎えてくださる素敵なご家族です。
道路が開通する頃には、宿のシンボルである “水車” が見事に氷結していることでしょうね。
それまで頑張ってくださいね。
また、会いに行きます!