温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2020年07月31日

拝啓 太田裕美 様


 拝啓 太田裕美 様


 先日、10ヶ月ぶりに更新されたブログを拝見いたしました。
 「よかった!」
 往年のヒロミスト (ファン) としては、ただただ嬉しい限りです。

 昨年の9月、突然、公表された “乳がん闘病中” のニュース。
 その後、治療を続けられながらも暮れには、45周年コンサートも開催されたと、お聞きしていたので、治療を順調に続けられているのだろうと勝手に推測していましたが、それでも、頭の片隅には一抹の不安がありました。

 そんな中、飛び込んで来た朗報です。
 <昨年7月から手術・抗癌剤治療・放射線治療を無事終え、直近の精密検査の結果、転移なしの経過観察となりました。> (太田裕美オフィシャルサイト 「水彩画の日々」 より)
 の書き込みに、全国にあまたといるヒロミストたちは、どれだけ喜んだことか!


 思えば、裕美様との出会いは、さかのぼること46年前。
 テレビから流れて来た透き通った歌声、そのファルセット (裏声) の美しさに、一瞬にして釘付けになってしまいました。
 しかも、ピアノの弾き語り!
 それまでのルックスだけのアイドルにはない、アーティスト性まで持ち合わせた歌手の登場に、新しい時代の幕開けすら感じたのであります。
 もちろん、楽曲はデビュー曲の 「雨だれ」 (1974) です。

 当時、私は高校1年生。
 ご多分にもれず、桜田淳子さんや麻丘めぐみさん、アクネス・チャンさんといった王道アイドルにも熱を上げていましたが、あくまでもルックスに惹かれただけで、彼女たちのレコードは買ったことがありませんでした。

 でも、裕美様は違いました。
 「歌を聴きたい」 「もっと聴きたい」 と思わせる歌手だったのです。
 シングルのみならず、LPレコードもファーストアルバムの 『まごころ』 (1975) から 『君と歩いた青春』 (1981) までの計15枚は、いまでも我が家に、すべて揃っています。

 恋をしては聴き、失恋しては聴き、人生につまづいては聴き……
 いつでも私とともに、歌が流れていました。
 まさに裕美様は、私にとって青春そのものだったのです。


 私が、最後に裕美様にお会いしたのは (一方的にですが)、15年ほど前に行ったコンサート会場でした。
 1部が終わり、休憩をはさんで2部が始まった時でした。
 私は、後部座席の通路側に、1人で座っていました。

 徐々に会場が暗くなり、音楽が流れ出しました。
 「木綿のハンカチーフ」 のイントロです。
 でも、裕美様の姿は、ステージ上にはありません。

 ♪ 恋人よ 僕は旅立つ 東へと向かう列車で ♪

 突然、スポットライトが会場にいる私に当たりました。
 いえ、私ではありません、私のとなりにいる……

 そうです!
 裕美様が、私の隣の通路に立っていたのです!

 2部のオープニング曲は、客席から登場するという演出だったのです。
 ただただ、ビックリ!
 震えが止まりません。
 だってだって、あこがれの裕美様が、こんなにも近くに、しかも、まるで私に語りかけるように歌ってくださっているのです。

 目が、合いました!
 違っていても、いいんです。
 私は、裕美様が私の目を見つめたと、今でも信じ込んでいるのですから!

 ファンとは、そういうものなのです。


 オフィシャルサイトによれば、8月には京都でスペシャルコンサートを開催するとの告知がありました。
 タイトルは、「観客半分、心は倍返し!」
 裕美様らしい、ユーモアに富んだ素敵なタイトルですね。

 それでも、まだ闘病中ではあるとのこと。
 コロナ禍のおり、お体には十分にお気をつけになって、これからも全国のヒロミストのために、その変わらない歌声を届けてください。

 なかなかコンサート会場へまで足を運べませんが、ヒロミストの一人として、陰ながら応援しています。
 必ず、また会いに行きます。
 それまで、お元気で。

 敬具


 PS
 便利な世の中になりました。
 LPレコードはあってもプレーヤーがないため、しばらく聴けなかった裕美様の歌声ですが、いまはYouTubeにて拝聴してしております。
 そして、そのたびに、あの頃へと旅しています。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:31Comments(4)つれづれ

2020年07月30日

温泉考座 (14) 「いい温泉の条件」


 いい湯守 (ゆもり) は、源泉に手を加えることを嫌います。
 自然に湧いた温泉を、そのままの形で浴槽まで流し入れたいからです。
 これを 「自然流下」 といいます。
 動力を使わず、地形の高低差だけを利用して引き湯をすることです。
 よって、いい湯守のいる宿の浴室は、必ず建物の階下にあります。

 宿に着いて、風呂へ行こうとすると、フロントのある階よりも下へ下へと、いくつもの階段を下りた経験はありませんか?
 これは、源泉の湧出地より低い場所に浴室が造られているからです。

 自然湧出の温泉は、たいがい地層が露出している川のそばに湧きます。
 この温泉を効率良く利用しようと思えば、浴槽を川のほとりに造ります。
 しかし、宿は水害などの危険を考えて、川を見下ろす高い場所に建てられます。
 浴室が建物の階下にあるのは、当然のことなのです。

 草津温泉へ行くと、老舗と呼ばれる古い旅館は、「湯畑」 より低い場所に建てられていることに気づくはずです。
 これも自然流下により、新鮮な源泉を浴槽へ引き入れるために考えられた先人たちの知恵です。

 ところが大きな観光旅館やリゾートホテルへ行くと、建物の最上階に展望風呂なる大浴場を見かけることがあります。
 これなどは、まったくもって自然の理に反している給湯方法といえます。
 動力によりポンプアップし、一度、屋上のタンクに温泉をためてから各浴槽へ給湯するわけですから、湯は空気に触れ酸化し、時間の経過とともに劣化します。
 温度も下がるので、加温し直してから浴槽へ送ることになります。
 これでは、絶景は望めるかもしれませんが、温泉の質は望めません。

 「自然湧出」 「自然流下」 「完全放流(かけ流し)」、これが、いい温泉を見極める3条件です。
 今や全国でも、この条件を満たしている温泉は希少な存在ですが、温泉ファンなら探す価値は十分にあります。

 ぜひ、宿に着いたら源泉の湧出場所を聞いてみてください。
 湯守のいる宿ならば、丁寧に浴槽までの温泉の給湯方法を教えてくれるはずです。


 <2013年7月10日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:26Comments(0)温泉考座

2020年07月29日

不要不急が恋しくて


 「今は、講師の取り合いなんですよ」
 「取り合い?」
 「ええ、ですから、とりあえず先生のご都合だけでも、お伺いしようと思いまして」

 突然、県内の公民館から電話をいただきました。
 初めて耳にする公民館名ですが、声の主には聞き覚えがあります。
 「わたくし、〇〇公民館にいた☓☓と申します。その節は、大変お世話になりました。今年から△△公民館に異動になりまして、ぜひ、また先生に、ご講演をお願いしたく、お電話いたしました」

 〇〇公民館といえば、昨年、2回も呼んでいただいた公民館です。
 1回目は 「温泉」 、2回目は 「民話」 がテーマでの講演でした。


 「お願いできますか?」
 なんて頼まれてしまいましたが、本音を言えば、お願いしたいのは、こちらのほうです。
 だって3月以降というもの、このコロナ禍の影響で、講演および講座、セミナーの類は、すべて中止または延期になってしまいましたもの。

 もう、人に会いたくて、話がしたくて、うずうずしていたのです。

 「で、いつでしょうか?」
 「10月以降でしたら、先生のご都合の良い日で……」


 はは~ん、そういうことなんですね。
 “講師の取り合い” って!

 まだコロナが収束したわけではないけど、“ウィズコロナ事業” の一環として、イベント業務を再開させるようであります。
 ついては、この半年間、キャンセルになっていた今年度の講演やセミナーが、一気に、秋以降に集中したというわけです。
 それで、講師が足りなくなり、“取り合い” になっているようであります。


 「そうですねぇ……、少々お待ちください。えーーーと、ですね……」
 本当は10月以降のスケジュールなんて、真っ白なんですが、そこは、やはり見栄を張って、忙しいふりをさせていただきました。
 「そうですね、今なら、だいたい大丈夫ですよ。そちらの都合の良い日を、おっしゃってみてください。調整しますので」
 とかなんとか、カッコつけちゃって!


 でもね、ここに来て、ポチポチですが、こんな依頼電話が入り始めているのであります。
 決して、コロナが収束したわけでは、ないのにね。

 たぶん、“不要不急” とされていたモノが、みなさん、そろそろ恋しくなってきたのかもしれませんね。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:20Comments(0)講演・セミナー

2020年07月28日

温泉考座 (13) 「一夜湯治事件」


 湯治とは、読んで字のごとく “温泉に入って病を治す” ことです。
 現代では死語のような言葉ですが、その昔は 「温泉へ行く」 と言えば、湯治に行くことでした。

 春には春湯治、夏には夏湯治、秋には秋湯治、冬には寒湯治へ出かけました。
 江戸時代、人々は体を癒やし、明日へのエネルギーを養うため、農閑期や漁と漁の合間に湯治に出かけて行ったのです。

 当時は、旅人と湯治客の宿泊施設が、きちんと分けられていました。
 旅人は宿場町の旅籠 (はたご) に、湯治客は温泉宿に泊まりました。
 旅人が温泉宿に1泊2日で泊まることは許されず、また旅籠に連泊することは、病気などのやむを得ない理由がない限りは認められませんでした。
 温泉宿は、湯治目的の長期滞在者だけの宿泊施設だったのです。

 ところが、この常識を覆す事件が起きました。
 文化2年(1805)年、江戸後期に箱根湯本温泉で起きた 「一夜湯治事件」 です。
 元来、1週間以上逗留 (とうりゅう) する湯治客以外は受け入れてはいけない温泉宿が、1泊だけの旅人を泊めてしまったのです。

 当然、近くの小田原や箱根の宿は 「旅人を泊めるのはルール違反で、かつ営業妨害だ!」 と怒って、お上 (道中奉公) に訴えました。
 しかし、お上の評定は 「おとがめなし」 と、“一夜湯治” を認めてしまいました。
 この事件をきっかけに、湯治以外の目的で旅人が温泉宿に泊まるようになったといわれています。

 いまは 「温泉へ行く」 と言えば、そのほとんどの人が観光目的です。
 医学や医薬が進歩した現代、体の具合が悪いからといって、すぐに休暇を取って温泉へ出かけて行く人は、めったにいません。
 では、どうして私たち現代人は、温泉へ行くのでしょうか?
 また、どんなときに温泉へ行きたくなりますか?

 それは、心や体が疲れたと感じたときではありませんか?
 医療技術が発達した現代でも、癒やされたいと “湯治” を求めているからではないでしょうか。

 温泉だけが持つ、特別な “湯力 (ゆぢから) ” があることを、現代人も知っているのだと思います。


 <2013年7月3日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 13:07Comments(0)温泉考座

2020年07月27日

いつもと違う夏 ~四万だより~


 例年だと、この時期、四万温泉(中之条町) で毎年、7月の最終土曜日に開催されている 『レトロ通りの懐かしライブ』 の告知をしていますが、ご多分にもれず、今年は中止となりました。

 2012年にスタートした、このライブイベント。
 (実はイベントのネーミングも僕が名付けました)
 僕は、このイベントに第1回から出演しています。
 そして、今年は第9回を数える予定でした。
 残念ですが、仕方がありません。

 毎年、会場に来てくださったファン、そして出演バンドのみなさん、ぜひ、来年はお会いできるよう、元気でいてくださいね!


 そんなこともあり、「四万温泉大使」 を務める僕としては、現在の四万温泉の様子が心配になり、陣中見舞いの電話を入れました。
 すると……

 「おかげさまで、この4連休は、どこも満室です」
 と、温泉協会職員の明るい声が返ってきました。
 「それは、よかった! やっぱり県のキャンペーンの影響ですか?」
 「ええ、9割は県内からのお客さんです」

 確か、テレビのニュースでは、草津温泉(草津町) の旅館も軒並み “満室” と報じてましたっけね。
 でも、草津温泉の場合、9割が県外客とのことでした。
 そのことを告げると、
 「のようですね。うちと草津さんでは、知名度が違いますから」

 いいですね、この低姿勢!
 昔も今も変わらない、湯治場としての謙虚な姿勢、好感が持てます。


 しかし話を聞くと、いつもの夏とは、だいぶ事情が違うようです。
 ① 客室を減らしての営業
 ② バイキングの中止
 この2点が、大きく変わったといいます。

 「満室といっても、どこも客室を減らしての営業ですから」
 “密” を避けての配慮のようです。
 「大きな旅館やホテルほど、再開するのが大変でした」
 やはり、バイキング方式の食事がネックになっていたようです。
 「一部の旅館では、部屋出しに切り替えたところもありますが、大きなホテルは、そうもいきません」
 苦肉の策が、
 「テーブルの間隔をあけて、最初からトレーをセットしています。欲しい料理はスタッフに告げ、持ってきてもらう方式をとっているようです」

 いやはや、なんとも、各旅館のご苦労が伝わってきます。


 「なにか僕に、お手伝いでることがあったら言ってください」
 「いえいえ、いつも気にかけてくださって、ありがとうございます。引き続き、よろしくお願いいたします」
 「では、コロナが終息したら、また思いっ切り派手に暴れましょう!」

 いつもと違う、それぞれの夏が、始まりました。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:33Comments(2)大使通信

2020年07月26日

温泉考座 (12) 「消えたガラメキ温泉」


 今回は、“消えた温泉” のお話をします。
 かつて旅館があった温泉地のことです。
 県内にも、いくつかありますが、そのほとんどは源泉の涸渇か、ダム建設に伴う湖底への水没で姿を消したものです。
 だから、たとえ場所がわかっても入浴はできません。

 ところが、榛名山中にあった 「ガラメキ温泉」 は、いまでも跡地に源泉が湧出しています。

 ガラメキ温泉の3軒の旅館は、敗戦翌年の昭和21(1946)年4月、役場から突然、「72時間以内に立ち退きなさい」 と連絡を受けました。
 榛名山中にある旧日本陸軍の相馬ケ原演習場を米軍が接収し、射撃訓練に土地を使用するという理由で、強制立ち退きを命じられたのでした。

 平成11(1999)年9月、群馬県と榛東村が協議し、「温泉源泉台帳」 からガラメキ温泉を抹消しました。
 したがって現在の地図には、もうガラメキ温泉の名はありません。

 数年前の夏、私はカメラマンと連れ立って、ガラメキ温泉を目指しました。
 古い地図によれば、場所は榛名山系鷹ノ巣山の山中に記されています。
 沢を何度も渡り、崖崩れにより土砂に埋まった道を登り、約1時間の歩行の末に、たどり着くことができました。

 旅館の跡を忍ばせる石垣が、所々に残っています。
 源泉は沢の端に埋まったヒューム管の中から湧いていました。
 泉温、約30度。
 泉質は、炭酸塩類泉。
 やけどや皮膚病に効能があり、「2~4週間滞在して温泉に入れば、きれいに治って毛やヒゲまで生えて来た」 と、当時を知る人たちは言います。
 戦時中は、空襲でやけどを負った人たちが、湯治に通って来たこともありました。

 私は意を決して裸になり、ヒューム管の中に身を沈めました。
 体温より低い源泉は、夏といえども、かなり冷たい。
 足底からは、プクプクと気泡とともに温泉が湧き出ている様が感じ取れました。

 “ガラメキ” の語源は判然としませんが、かつて 「我楽目嬉」 と表記したことがあったと聞きます。
 なんて素敵なネーミングなのでしょう。


 <2013年6月19日付>
   


Posted by 小暮 淳 at 11:48Comments(3)温泉考座

2020年07月25日

南の国から夏の便り


 今年も南国フルーツの 「マンゴー」 が届きました!

 送り主は、みなかみ町 (群馬県) です。
 なぜ、みなかみ町からなのか?
 はい、僕が 「みなかみ温泉大使」 を委嘱されいるからです。

 では、なぜ、マンゴーなのでしょうか?


 実は、みなかみ町と台湾の台南市は、友好都市関係にあります。
 2013年の締結以来、みなかみ町は、同市への町職員の駐在、学校間交流、町民旅行などを行っています。
 そして、2014年から開始したのが、台南市の特産物であるマンゴーの輸入です。
 その量は年々拡大し、当初は約200ケース (1ケース5~7個) でしたが、今年は過去最高の約800ケースが町に届きました。

 僕は (いえ、家族全員が)、毎年、この季節にマンゴーが届くのを楽しみにしています。

 南国の人のように、きれいに割って、切れ目を入れた上手な食べ方はできないのですが、それなりに工夫しながら美味しく、いただいています。
 日本の果実にはない、なんとも言えない甘みと香り……

 年に一度の贅沢を楽しんでいます。


 そこで、読者のみなさんにも南国の味を、おすそ分けしたいと思います。
 みなかみ町では、この完熟マンゴーを町内3ヶ所の 「道の駅」 で販売しているほか、町有フルーツ公園 「みなかみフルーツランド Mogitore (モギトーレ) 」 でも、ミルクプリンやタルトなど5種類のマンゴースイーツを販売しています (8月10日まで)。

 ぜひ、この機会に、南国の味を求めて、みなかみ町へおいでください。
 もちろん、スイーツを食べて血糖値を上げた後は、温泉にゆったり入って、コロナ疲れを癒やしてくださいね!


 以上、みなかみ温泉大使からのお知らせでした。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:48Comments(0)大使通信

2020年07月24日

ネガティブな回覧板


 先週、またしても芸能界から訃報が飛び込んで来ました。

 新型コロナウイルスの感染により、志村けんさんと岡江久美子さんが亡くなられた時もショックでしたが、それでも、あの時は 「病気だから仕方がない」 と割り切ることができました。
 でも今回は、なんとも言えない澱(おり) のようなものが、くすぶっていて、消化不良を起こしています。

 人気俳優の三浦春馬さんが、30歳という若さで突然、自らの死を選んでしまいました。


 映画やドラマ、バラエティー番組での彼を見る限りでは、才能豊かで、真面目で、誠実さが感じられる青年で、好感を抱いていました。
 演技力の評価も高く、これからが楽しみな役者さんの一人でした。

 自殺の原因は、ナゾです。
 きっと、解明されることはないのだと思います。
 死んだことのない、しかも、自らの死を選んだことのない人たちが、どんなに推測しても、それは憶測でしかありません。
 今はただ、冥福を祈り、彼が生前に残した作品に一つでも多く触れることが供養になると思っています。


 今回の三浦さんの死で、どうしても引っかかっていることが一つ、あります。
 SNSで、生前、彼を誹謗中傷する書き込みが多くあったということです。

 韓国アイドルしかり、先日の女子プロレスラーしかり、とかく有名人は “ネット殺人” の標的にされてしまうようです。
 コロナの 「自粛警察」 同様、現在社会では “正義” の名を借りた “いじめ” が、はびこっています。
 三浦さんもたびたび、不倫騒動を起こした友人を擁護する言動やコロナ禍での舞台出演、歌手活動への批判がネットで炎上していたようです。

 これらが自殺への直接の原因ではないでしょうが、引き金となる要因になった可能性は、拭い去れません。
 そうです!
 言い方を変えれば、ネットの住人たちが、三浦さんの自殺の後押しをしたのです。


 このネット上の誹謗中傷について、さる大学教授が、こんなことを言っています。
 「SNSで他人を誹謗中傷する人たちの3~5割が遺伝要因である」

 ふつうの人は自制心が働くのですが、何割かは、結果を考えない衝動性の高い人がいて、自制できずに叩いてしまうとのことです。
 そして、それは遺伝と関係があると……


 はたして、この現象を遺伝子のせいにしてしまって、いいのでしょうか?

 これって、ネット社会になってからの現象ですよね?
 昭和の時代には、考えられなかった。
 だって、人の悪口は、こっそり日記帳に書くか、橋の下のコンクリート壁に落書きするしかなかったのですから。
 なかには直接、本人に手紙を送り付けたり、電話をかけたりする人もいましたが、ごく稀なケースで、ほとんどの人は陰で悪口を言っていました。

 だって、悪口って、そういうものでしょう?
 こっそり、本人に聞こえないように言うものです。
 それで言った人も、ストレス解消をしていたのです。

 なのに今は、不特定多数に向けて、しかも匿名で他人の悪口を言って、さらに拡散しています。
 まるで、ネガティブな意見ばかりを寄せ書きした回覧板のようです。

 もう、こんな、くだらないことは、やめませんか?


 大学教授の言うように、もし、これが遺伝によるものならば、ぜひ、一日も早い治療薬の開発をお願いいたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:39Comments(0)つれづれ

2020年07月23日

チョイニー草


 【 とくさ (砥草・木賊) 】 トクサ科トクサ属
 山地の湿地に生える常緑性のシダ。
 観賞用としても古くから利用されている。
 茎は円柱形で、高さ50~100センチになり、先端に楕円形の胞子嚢胞が1個つく。
 昔は茎を物を磨ぐのに使ったことから、砥草の名がある。
 < 山渓パケット図鑑1 「春の花」 より>


 グンブロで、お馴染みの漫画家、日高月詩さんのブログに、懐かしい植物の絵が描かれていました。
 「砥草」 です。
 きっと誰もが子どもの頃、遊んだ記憶があるのではないでしょうか?
 女の子は、おままごとで、よく箸の代わりに使っていました。

 地面から直立して、すっと生えた細長い茎が特徴の植物です。
 茎には節があり、群生・林立して生えるさまは、まるで小さな竹のようにも見えました。


 月詩さんの絵には、ピンク色のワンピースを着た少女が、砥草に囲まれた草原の中で、両手に砥草を持って、しゃがんでいる姿が描かれています。
 そして絵には、こうコメントが添えられています。
 <子供の頃は、これをヘビグサって、呼んでいて。引っ張って、はずして、また無理矢理くっつけて、パズルみたいに遊んでいたの。>

 そうそう!
 そんな事をして遊んだ記憶もありますね。


 当然、子どもの頃は、「トクサ」 なんていう名前は知りません。
 だから月詩さんのように、その時代、その土地土地で、子どもたちは勝手に名前を付けていたのだと思います。

 で、僕らは、「チョイニー草」 って呼んでいました。
 なんでか?
 これは擬音(オノマトペ) から、きているんですね。

 茎を引っこ抜いて、節を一つずつ、はずします。 
 一本の節の長さは、5cmくらいです。
 これを親指と人差し指で、つかみます。
 そして、2本の指をスライドさせると、かすかに音が鳴るんです。

 その音が、僕たちには “チョイニー、チョイニー” って聞こえたんですね。


 「砥草」 の名の由来は、茎がギザギザに波打っているため、昔から木材や爪を磨ぐ道具として用いたからだといわれています。
 “砥石のような草” という意味らしいです。


 月詩さんの絵を見ていたら、麦わら帽子にランニングシャツで、野原を走り回っていた遠い夏の日の光景が、よみがえってきました。
 セミの声に負けじと、僕らもチョイニー草を手に持って、思いっ切り鳴らしたものでした。

 チョイニー、チョイニー、チョイニー、チョイニー………
   


Posted by 小暮 淳 at 12:28Comments(4)つれづれ

2020年07月22日

温泉考座 (11) 「内湯と内風呂」


 「内湯」 と 「内風呂」 という言葉を、混同している人が多いようです。

 昔々、先人たちは、温泉が湧生き出る場所に湯小屋を建てました。
 これを 「大湯」(共同湯) といいます。
 やがて大湯のまわりに木賃宿ができますが、あくまでも宿泊をし、食事をするところでした。
 湯治客らは、大湯へ入浴に出かけました。

 やがて財力のある旅館は、温泉を引いて館内に浴室を設けました。
 これが 「内湯」 です。
 宿の外にある 「外湯」 に対して、そう呼ばれました。

 今では旅館の中に温泉を引いた浴場があるのは当たり前になりましたが、それでも時々、湯治場として栄えた古い温泉地へ行くと、旅館の玄関前に “内湯あります” と書かれた古い看板を見かけることがあります。
 これなどは、外湯へ通った湯治場風情の名残と言えるでしょう。

 これに対して 「内風呂」 は、新しい言葉です。
 高度成長期以降、、温泉地はどこも、こぞって大浴場を造りました。
 団体客を収容するためです。
 これにより温泉の湯量が足りなくなってしまった温泉地もあり、新たな源泉を求めて掘削をするという本末転倒な現象が、全国各地で繰り広げられました。

 やがて時代は昭和から平成へ。
 バブル期を迎え、ますます温泉施設の競争はエスカレートしていきます。
 屋外への露天風呂の設置です。
 「露天風呂がなければ、客が来ない」 とまで言われ、小さな旅館までも維持経費のかかる露天風呂を造りました。
 「内風呂」 とは、この露天風呂に対して、屋内にある浴場のことを言います。

 みなさんも、旅館のパンフレットに <内風呂:男1・女1、露天風呂:男1・女1> などと書かれた施設案内を見たことがあるはずです。
 まれにですが、<共同浴場:1 (宿泊者無料)> と書かれているパンフレットを見かけることもあります。
 これは旅館の近くに、地元民が利用している昔ながらの外湯があるのですね。
 ふだんは施錠されていますが、宿泊客にだけカギを貸してくれるのです。

 外湯がある温泉地は、古くから湯治場として栄えた証拠です。
 ですから外湯に出合うと、ちょっぴり得した気分になります。


 <2013年6月12日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:43Comments(0)温泉考座

2020年07月21日

行って良かった群馬県


 コロナ禍のさなか、大打撃を受けている群馬県内の温泉地にとって、この朗報が誘客回復の一助になれば、ありがたいのですが……。


 先日、リクルートライフスタイル(東京都) が企画編集する旅行情報誌 「関東・東北じゃらん」 で、「行って良かった観光地」 のエリア・部門別ランキングというのが発表されました。
 この中の関東エリアの 「宿泊旅行で行って良かった観光地」 部門で、本県の 「草津」 が堂々の1位(前年5位) を獲得しました。
 「伊香保」 も4位、「みなかみ」 は7位と、高評価を収めています。

 ちなみに、2位は 「箱根」(神奈川県)、3位は 「舞浜・浦安」(千葉県) でした。


 「日帰り旅行で行って良かった観光地」 部門では、1位 「舞浜・浦安」、2位 「草津」、3位 「日光」(栃木県)
 ※5位に 「伊香保」 が入っています。

 「今年行きたい観光地」 部門では、1位 「箱根」、2位 「草津」、3位 「日光」
 ※12位に 「伊香保」 が入りました。


 さすが東の横綱、草津温泉であります。
 日帰り部門でも、ディズニーランドとトップ争いをしています。

 で、これらを見て、何か気づいたことはありませんか?
 そうなんです!
 これって、温泉地ランキングではないんですよね。
 あくまでも “観光地” なんです。

 だからでしょうか?
 万座温泉や四万温泉といった誉れ高き名湯の名が、上位にはありません。


 まあ、この際、四の五の言うのはやめて、素直に結果を喜ぼうではありませんか!
 次回は、「行って良かった都道府県」 ランキングで、群馬県が1位になれば、いいんです!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:29Comments(0)温泉雑話

2020年07月20日

テレハラ上司に倍返し!


 “部下は選べても、上司は選べない”

 世のサラリーマンのうっ憤を晴らす人気ドラマが、7年ぶりにお茶の間に帰って来ました。
 ご存じ、『半沢直樹』 であります。
 前回同様、ご多分にもれず、僕も拝見いたしました。

 相変わらず、俳優陣の演技が冴えわたっています。
 しかも前回より増して、このドラマの売りである “顔芸” 豊かな役者が増えているような気がします。
 また、しばらくは、半沢ワールドに浸れそうです。

 ただ僕は、サラリーマン生活が短かったものですから、今一つ、感情移入ができないところがあります。
 そもそも僕には、上司に “復讐する” という発想がありません。
 すぐに、「イヤだったら、辞めれば」 という現実逃避を考えてしまう性分なもので、その会社に残って、上司と闘うという人生の選択肢がないのです。

 でも、現実社会は、どうも違うようであります。
 「辞める」 という選択肢もないわけではないのでしょうが、会社に残るとなれば、選択肢は2つです。
 「従う」 か 「反発する」 の二者択一。

 この場合、従えばストレスがたまり、反発すれば敵を作ります。
 まあ、辞めれば、それ以上の過酷な人生が待ち受けているのですけど……

 それが分かってる上でのドラマだからでしょうね。
 みなさん、半沢の 「倍返しだ!」 の一言を待っているわけです。


 さてさて、“サラリーマンは、つらいよ” 話は、このコロナ禍でも尽きないようであります。
 テレワーク (在宅勤務) によるハラスメントが、横行しているようです。
 略して 「テレハラ」。
 もしくは 「リモハラ」(リモートハラスメント) とも呼ぶそうです。

 いわゆるウェブ会議で映るプライベート空間の映像に対して、ネチネチとハラスメント発言をする上司が問題となっているとのこと。
 「今日は、すっぴんなの?」 「部屋の間取りは?」 「今そこに彼氏はいるの?」
 などなど、まさに女性にとってはセクハラもはなはだしい。

 と思えば、男性社員には、
 「ろくに働かないのに、いい暮らししているな」 とか 「子どもが、うるさい。黙らせろ!」 「奥さんは何をやっているんだ?」 など、土足で家の中を歩き回られるような暴言が、飛び交っているようです。

 この現象について、コンサルティング会社の研究員は、このように指摘しています。
 「自宅だと上司も気が緩み、部下のプライベートに立ち入りがちだ。1対1のウェブ会議は周囲の目が届かないため、特にテレハラが起きやすい」


 ご時世なんでしょうか?
 さっそく大手保険会社では、セクハラやパワハラに加え、新たにテレワークに関する保険の発売を始めたといいます。
 いやはや、サラリーマン社会のストレスは、エスカレートする一方ですね。

 ああ、フリーランスで良かった!
 (別の問題が山積みですが……) 
   


Posted by 小暮 淳 at 10:46Comments(0)つれづれ

2020年07月19日

温泉考座 (10) 「消えゆく自然湧出」


  このカテゴリーでは、ブログ開設10周年を記念した特別企画の第3弾として、2013年4月~2015年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『小暮淳の温泉考座』(全84話) を不定期にて、ご紹介いたします。
 (一部、加筆訂正をしています)


 東京電力福島第一原発事故を受けて、日本の電力を支える自然エネルギーとしての地熱発電への期待が高まっています。
 火山の多い日本は、世界有数の地熱資源国。
 また、風力や太陽光のように天候に影響されない点も、地熱発電が期待されている理由です。

 地熱発電は、地中に井戸を掘って高温の蒸気を取り出し、その蒸気によりタービンを回す仕組みです。
 しかし、資源の約8割は開発が規制されている国立・国定公園の下にあるため、これまで日本では、あまり活用されていませんでした。

 そこで開発されたのが、井戸を国立・国定公園の外から地下を斜めに掘る技術です。
 これなら公園内にある資源でも、活用することができるからです。
 しかし、これに警鐘を鳴らす人たちがいます。
 群馬県温泉協会長の岡村興太郎さんは、ボーリングによる新規の温泉開発によって、自然湧出の温泉は涸渇化の恐れがあるとし、「群馬県温泉協会誌」 に、このように書いています。

 <温泉は未知の分野が多く、地下の構造や湧出構造の解明、温泉のモニタリングが急がれるゆえんである。また一度、地熱発電が開始されると、一定量の蒸気確保のために、2~5年に1本の割で還元井戸を掘削し続けることが分かっている。際限のない、無秩序な開発にならないよう、最初から十分に検討されるべきである。>

 また、明治25(1892)年発刊の県の温泉分析書 「上野鉱泉誌」 に記載されている74ヶ所の温泉のうち、現存しているのは30ヶ所あまりとして、<昭和30年代以降の温泉掘削技術の進歩で、昔ながらの自然湧出の温泉が消えてしまった> と指摘しています。

 120年の間に40ヶ所以上の自然湧出温泉が消えたことになります。
 また、掘削による温泉は増えているものの、県内の温泉の総湧出量は年々減少していることも事実です。
 特に自然湧出温泉の湯量は、ピーク時から約30%も減っています。

 以上の数字を踏まえれば、地熱発電の開発に限らず、新たな温泉の掘削という行為自体を見直してほしいものです。


 <2013年6月5日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 12:45Comments(0)温泉考座

2020年07月18日

さらば還暦オババ


 ふだん、僕は、マンガというものは読みません。
 思い返しても、習慣的に読んでいたのは20代までで、それ以降の新しいマンガは、まったく知りません。
 でも、だからといって家に、まったくマンガ本が無いというわけではありません。
 かつて息子がいた部屋には、「ドラゴンボール」 や 「ワンピース」 などの人気マンガが全巻揃って、今でも置かれています。

 では、僕が所有してるマンガは?
 10代に揃えた、ちばてつやの 「あしたのジョー」 と手塚治虫の 「ブラック・ジャック」 のみです。

 ということで、このコロナ自粛で時間を持て余していたこともあり、読書の合間に 「ブラック・ジャック」 を読み返し始めました。


 「ブラック・ジャック」 は、1973年11月から 「週刊少年チャンピオン」(秋田書店) で連載が始まり、再連載が終了した1983年10月まで全242話が掲載されました。
 膨大な量ですが、毎日数話ずつ、気晴らしに読んでいます。

 で、今読むと、半世紀近くも前に描かれたマンガですから、時代背景の違いに違和感を感じる場面というのが、多々見受けられます。
 なかでも、今、この歳で読むと、かなりショッキングな話があったので、ご紹介します。


 『二つの愛』 というタイトルの作品です。
 ストーリーは、こうです。
 ある日、日本一といわれる寿司職人のタクやんという青年が、交通事故に遭い、両手を失ってしまいます。
 加害者のトラック運転手の男が謝罪に訪れると、タクやんは告訴を取り下げて、こう言います。
 「ぼくの手になって、寿司を握ってくれ」 と……

 タクやんには、どうしても自分の握った寿司を食べさせたかった人がいました。
 それは、故郷で暮らす母親です。
 その夢を実現させるためにも、タクやんは男に、寿司の握り方を教えます。
 やがて二人三脚で修業を積んだ末に、男は、タクやんが握った寿司と遜色のない寿司を握れるようになります。

 そして二人は、タクやんの夢をかなえるために、母親の待つ故郷へ向かいます。


 まあ、話の内容は、心温まるいい話なんです。
 後半は、ブラック・ジャックの活躍もあり、感動的なエンディングを迎えます。

 が、問題は、ここで描かれている母親なんです。
 「おふくろの還暦祝いに」 とか、「目が悪くて見えない」 とか、「おっかさんの年では、もうすぐ寿司が食べられなくなる」 といったタクやんの言葉が、随所に出てきます。
 読んでいて僕は、イヤ~な予感がしていました。

 案の定、描かれていた母親は、ヨボヨボの腰が曲がった “おばあさん” なのであります。
 「えっ、還暦っていったよね。だったら60歳のはず。なんで、こんな年寄りなんだよ」
 と、思わず突っ込みを入れてしまいましたが、よくよく考えてみれば、このマンガは半世紀前に描かれたんですよね。
 日本人の平均寿命だって、今よりは、だいぶ若かったはずです。
 ※(ちなみに1970年の平均寿命は、男69.31歳、女74.66歳でした)

 「サザエさん」 の波平さん、ふねさんだって、あれで50代なんですからね。
 さらに古いことを言えば、民話の 「姥捨山」 では、60歳になった年寄りは、山に捨てられてしまったのですから、時代とともに世の中も変わりました。


 ああ、よかった!
 今の時代に還暦を迎えられて!

 もし手塚先生が存命だったら、“還暦女性” のキャラクターを描き替えたかもしれませんね。
  


Posted by 小暮 淳 at 17:47Comments(0)つれづれ

2020年07月17日

ひとりバック・トゥ・ザ・フューチャー


 過日、平成生まれの若い読者たちとの交流会がありました。
 年長者の僕が、昭和の時代背景やら思い出話をしていたときのことです。
 ひとしきり話し終えたところで、1人の青年が言いました。

 「昔のことなのに、よく覚えていますね。それも事細かに?」

 確かに、言われてみれば、デティールが細か過ぎたかもしれません。
 それも、いちいち、「何歳のとき」 とか 「高校2年生だった」 とか、的確に話していました。
 でも、すべて覚えていたわけではありません。

 実は僕は、過去の史実を検証できるタイムマシンを持っているのです。


 「たぶん、日記をつけていたからだよ」
 「日記ですか?」
 「そう、50歳まで」
 「今は、つけてないのですか?」
 「ああ、ブログを書き出した時点で、ノートに書くのは止めてしまった」

 “日記をつける” という作業が、彼らには、いかにも “昭和” っぽかったようで、
 「へー」
 と一様に、ひと言返って来ただけでした。
 でも、1人だけ、こんなことを言ってくれました。

 「便利で、いいですね」
 だから僕は、こう言ってやりました。
 「これを “ひとりバック・トゥ・ザ・フューチャー” って言うんだよ」


 今でも自宅の書庫には、何十冊という日記のバックナンバーが揃っています。
 まるで図書館で資料を探すように、時々、「その頃、自分は、何をしていたのか?」 を調べるために、日記を引っ張り出します。

 たとえば、こんなふうに……


 昭和59(1984)年 7月18日(水) 晴れ
 <来週よりレコーディング開始となる。いよいよ、この夏、最大のイベントが始まる。いいものに仕上げたい。>

 昭和53(1978)年 7月21日(金) 曇りのち雨
 <彼女にズバリ、弱点を突かれた。つらい……。結局、俺は前橋(故郷) に頼っていたのだ。「もう前橋には帰れない」 と言いながら、実は、いつでも帰れたのだ。彼女に言われた。「もっと走れるはずだ」 と……。「もっと確かな自信になるものを、この東京で見つけなくてはダメだ」 と……。おまけに、こんなキツイことまで言われた。「今のままでは、いくら曲を作っても、みんな同じ曲になってしまう」 とも。つらい、つらい、愛する人に、そう言われたのだから>


 という具合に、25歳 → 20歳の夏へと、バック・トゥ・ザ・フューチャーしてみました。

 ただし、僕のデロリアン(映画 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 に登場するタイムマシン) は、過去へは行けても、未来には行けませんので、あしからず。
  


Posted by 小暮 淳 at 17:24Comments(0)つれづれ

2020年07月16日

温泉考座 (9) 「もう一つの泉質」


 
 医学的に治療効果のある温泉水を 「療養泉」 といいますが、その主成分によって、大きく9つの泉質に分類されています。
 単純温泉、二酸化炭素泉、炭酸水素塩泉、塩化物泉、硫酸塩泉、含鉄泉、硫黄泉、酸性泉、放射能泉です。
 ※(2014年から含よう素泉が加わりました)

 「小暮さんは、温泉に入っただけで、泉質が分かってしまうんですか?」
 そんな質問をされることがありますが、残念ながら私は、まだ、そのレベルには達していません。
 腐卵臭のする硫黄泉や肌に泡の付く二酸化炭素泉、なめると塩辛い塩化物泉など特長のある泉質は分かりますが、複数の成分が含まれている泉質にいたっては、分かりかねます。

 ただし、私にも、てきめんに分かってしまう泉質が、1つだけあります。
 それは 「塩素泉」 です。
 実は、そんな名前の泉質はありません。
 塩素消毒された温泉のことを、温泉好きが揶揄(やゆ) して名付けたものです。

 平成14(2002)年に、宮崎県の公共温泉施設で、レジオネラ菌が大量発生し、約300人が感染、7人が死亡するという事件が起きました。
 これにより全国の入浴施設では、それまで以上に塩素消毒を徹底するようになりました。
 なかには条例で、源泉かけ流しの温泉であっても 「塩素を入れるように」 と指導する自治体まで出始めました。

 確かに塩素は殺菌作用がありますが、反面、アトピー性皮膚炎を悪化させたり、健康な人でも肌や髪の老化を促進させたりします。

 実は、私の肌は微量の塩素でも反応してしまうアレルギー体質なのです。
 湯に入った瞬間に、全身が、かゆくやります。
 「それで温泉ライターをやってられますね?」
 と笑われたことがありましたが、逆に、この体質が良い温泉を見分ける “リトマス試験紙” の役割をしてくれます。

 最近は、山のいで湯にも 「塩素泉」 が登場し始めています。
 せっかく、いい温泉が湧いているのに、浴槽を大きくしたために湯量が足りなくなり、循環ろ過をしながら塩素消毒をしている旅館が増えています。

 なんて、もったいない話でしょう。


 <2013年5月29日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 18:29Comments(0)温泉考座

2020年07月15日

温泉以外のアーカイブス


 昨日は、このブログへのアクセス数が100万回を超えたことを、お伝えしました。
 そして、その節目として、ブログに投稿した過去記事(2,730話) の中から、「人気ランキング」 の上位10話を発表しました。

 これにより、分かったことがあります。
 上位10話のうち、9話が温泉関連の記事だったということです。
 “温泉ライターのブログ” と銘打っている以上、必然的に温泉ファンの閲覧が多くなることは分かっていましたが、それでも、その他の記事とのアクセス数の圧倒的な差に、改めて驚いた次第です。

 唯一、ベスト10入りしたのは、8位の 「謎学の旅③ お化け坂の白い家」 でした。

 ということで、その後、アクセス数の上位100話までをチェックしてみました。
 すると、温泉関連以外の記事は、9話ありました。
 残りの8話は、以下の通りです。


 (37) 拝啓 恵村順一郎様   2013年4月18日
 朝日新聞社の元前橋総局長で、テレビ朝日 「情報ステーション」 のコメンテーターを務めた恵村さんへの手紙文です。

 (47) ああ、愛しのリンダ様   2013年1月8日
 エフエム群馬の人気パーソナリティー、櫻井美千代さんの番組に出演した時のエピソードです。

 (52) ショッカーの 「イー!」   2013年4月15日
 その昔、仮面ライダーのショッカー戦闘員のアルバイトをしていた時の逸話です。

 (70) さみしいよ          2013年11月17日
 昨年亡くなったオフクロと7年前に亡くなった叔父。実弟の死に目に会えなかったオフクロの無念……

 (72) 「さよならの夏」 が聞える  2011年7月28日
 40年前の夏、僕がプロデュースした女性デュオグループとの情熱を燃やした青春の日々。

 (84) 謎学の旅② 「ウナギを食べない住民」  2010年8月4日
 一昨年に出版した著書 『民話と伝説の舞台』 に収録されている 「片目ウナギ」 を書くきっかけとなった謎学の旅。

 (86) ちょっとインドまで⑦ 「カースト制度とバクシーシ」  2012年8月17日
 インド旅行記のシリーズ第7回。当ブログのカテゴリーより全10回を閲覧することができます。

 (89) 30代に見る夢        2012年5月11日
 「なでしこジャパン」 の佐々木則夫監督の名言より、“ブレずに生きる” ことの意味を考えてみました。


 以上、人気ランキングの100位までにランキングされた温泉以外の投稿記事でした。
 気になったり、興味を持ったテーマがありましたら、「ブログ内検索」 にてクリックしてみてください。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:51Comments(0)執筆余談

2020年07月14日

おかげさまで100万アクセス!


 これもひとえに、長年支えて下った読者様のおかげと、感謝しております。
 いつもご愛読いただき、本当にありがとうございます。

 昨日、このブログのアクセス数が、100万回を超えました!


 おりしも今年は、ブログ開設10周年という節目の年です。
 たかが10年と思われるかもしれませんが、日数にしたら3,650日もあるわけでして、ブログ開設したのが10年前の2月ですから今年も約150日は経過しているので、昨日までに約3,800日をブログとともに生きて来たことになります。

 その間に投稿した記事の数は、2,730話になります。
 ゆえに、ざっと計算すると、僕は1.4日に1話の割合で、記事を投稿していたことになります。

 よくもまあ、飽きもせず、書き続けてきたものだと、我ながら感心してしまいます。
 いえいえ、ブログとは、書き手より読み手あってのモノ!
 “飽きもせず” お付き合いしてくださっている読者様に、ただただ御礼を申し上げます。


 さて、アクセス数100万回の節目に、何を書こうかと考えあぐねた結果、「人気ランキング」 なるものを発表しようと思います。
 過去の2,730話のうち、アクセス数が多かった上位10話は、以下の通りです。

 ① 奈女沢温泉 「釈迦の霊泉」2       2012年11月10日  4,342PV
 ② 老神温泉 「ぎょうざの満洲 東明館」   2014年6月18日  3,988PV
 ③ 座禅温泉 「白根山荘」           2014年10月9日  3,675PV
 ④ 山田べにこさんと対談           2012年1月14日  2,928PV
 ⑤ 沢渡温泉 「龍鳴館」            2010年4月23日   2,684PV
 ⑥ 湯宿温泉 「常盤屋旅館」         2012年10月5日   2,557PV
 ⑦ 四万温泉 「竹葉館」            2010年12月15日  2,386PV
 ⑧ 謎学の旅3 「おばけ坂の白い家」    2010年8月15日   2,2779PV
 ⑨ 猿ヶ京温泉 「旅籠屋 丸一」       2012年3月30日   2,154PV
 ⑩ 四万温泉 「白岩館」「もりまた旅館」   2011年2月5日   2,145PV


 いかがでしたでしょうか?
 やっぱり、温泉ファンのアクセスが多いようですね。
 もし、気になる記事がありましたら、ブログ内検索にて、過去記事をチェックしてみてください。

 このブログは、まだまだ続きます。
 20周年、30周年……
 200万アクセス、300万アクセス……
 を目指して!
 コツコツと、したためてまいります。

 今後とも、よろしくお願いいたします。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:48Comments(7)執筆余談

2020年07月13日

温泉考座 (8) 「性欲を捨て聖浴に徹すべし」


 某温泉旅館を取材したときのことです。
 貸切露天風呂の壁に、こんな貼り紙を目にしました。
 宿の主人からのメッセージでした。

 <幸せなふたりへ>

 そう書かれた木の扉が付いた箱が掛かっており、開けてみると、中にはキスをしている男女のイラストが描かれています。
 そして、こんなコメントが添えられていました。

 <ここまでにしてね♥>

 尋ねると、主人は、こんなことを言いました。
 「若いカップルには、困っています。平気で風呂の中で、始めちゃうんですよ。声がうるさいって、近所から苦情が来るんです」
 さらに、最近は 「部屋に避妊具が置いてない」 という客からのクレームも増えた、と困惑している様子でした。


 以前、貸切風呂のことは 「家族風呂」 と呼ばれていました。
 お年寄りや身体の不自由な人など、介護が必要な人たちが家族と一緒に入るために造られた浴室だったのです。

 最近の若い男性は、彼女をデートに誘いやすいため、温泉地を利用することも多いそうです。
 「温泉旅館を何だと思っているんでしょうね。ラブホテルじゃないんですから」
 と話す女将もいました。


 温泉地は、その昔、源泉の湧き出る所に湯小屋が建つ、純粋に湯浴(あ)みだけをする湯治場でした。
 やがて周りに宿泊を目的とする木賃宿ができ、湯治客は自炊をしながら滞在するようになりました。

 しかし、高度経済成長の波に乗り、大型バスで団体客が温泉地へ、なだれ込むようになると、どの旅館も湯量に見合わない大浴場や、湯温が低ければ加温しなければならない露天風呂を次々に造りました。
 バブル経済崩壊後は、富裕層をターゲットにした豪華な露天風呂付きの部屋を売りにする高級旅館が目立つようになりました。
 そこには、もう湯治場の風情はありません。

 浴客に、こびる。
 その延長線上に、“温泉宿のラブホテル化” があると思うのです。

 温泉では、湯を楽しんでほしいと考える 「源泉至上主義」 の私は、この風潮を憂え、あえて、こんな標語を唱えています。

 『浴場で欲情するべからず』
 『性欲を捨て聖浴に徹すべし』


 <2013年5月22日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 12:12Comments(2)温泉考座

2020年07月12日

新鹿沢温泉 「鹿澤館」


 また残念なニュースが飛び込んで来ました。

 新鹿沢温泉(嬬恋村) の “シンボル” として親しまれてきた老舗旅館の 「鹿澤館」 の本館が、取り壊されることになりました。
 昨年10月に東日本を襲った台風19号により、大量の土砂が流れ込む被害を受けて、営業を休止していました。
 修復には膨大な費用がかかる上、そこへ、このコロナ禍の追い打ちをくらいました。
 やむなく、営業の再開を断念したとのことです。


 まさに、新鹿沢温泉のシンボル!

 新鹿沢温泉に行ったことのある人ならば、必ず目にしたことでしょう。
 その威風堂々とした佇まいは、訪れる者を圧倒しました。
 木造2階建ての本館は入母屋造りで、瓦ぶきの屋根には千鳥破風 (屋根の斜面に取り付けた三角形の装飾版) が施されています。
 また玄関前の車寄せは、寺社建築に見られる唐草絵の彫刻や格天井で造られています。

 「鹿澤館」 の創業は昭和9(1934)年。
 当時、洋風の旧本館や木造3階建ての客間などが次々と建築されましたが、同29(1954)の火災で、ほとんどが焼失。
 かろうじて難を逃れたのが、現在の本館だといわれています。


 温泉ファンは、ご存じだと思いますが、新鹿沢温泉は大正7(1918)年の大火で全戸が焼失してしまった鹿沢温泉から移転し、再建された温泉地です。
 湯元である 「紅葉館」 だけが旧鹿沢に残り、かつては7軒の旅館が新天地で営業を続けていました。
 これで鹿澤館が再開を断念すると、新鹿沢温泉は3軒になってしまいます。
 とっても残念です。

 で、ここで、お知らせです。

 同館を記録に残し、後世に伝えておこうと、鹿沢温泉観光協会と嬬恋村では、7月19日(日) に、「お別れ内覧会」 を開催します (参加無料、午後1時~5時)。
 昔の写真の展示や同温泉街の入浴券の配布、同館を撮影対象とするフォトコンテストなどを実施する予定です。

 詳しくは、動画投稿サイト 「ユーチューブ」 の 「さようなら鹿澤館 お別れ内覧会」 を、ご覧ください。
 ●問合/嬬恋村総合政策課 TEL.0279-96-1257
   


Posted by 小暮 淳 at 11:35Comments(0)温泉地・旅館