温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2021年01月31日

来社来演、御礼申し上げます。


 コロナ禍の中、“3密” を避けて屋外で開催された 「神社かみしばい」。
 2日間で、計8回の口演を無事、終了することができました。

 寒い中、また上州名物の “からっ風” が吹き荒れる中、たくさんの方にお越しいただき、本当にありがとうございました。


 事前に新聞などで告知があったからでしょうか?
 昔懐かしい街頭紙芝居を見ようと、県内各地から大勢の人が集まってくださいました。
 また、メディア関係者の方々も多く来られました。

 すでに、「見たよ!」 というメールもいただいています。
 昨晩6時に放送された群馬テレビのニュース番組。
 今日の上毛新聞にも <神社境内 新作紙芝居> と見出しを付けて、大きなカラー写真で紹介されました。

 また、郷土の民話を題材にした新作紙芝居というところに興味を持たれたのでしょうか?
 伊勢崎市の市議会議員の方々も数名、お見えになりました。


 やっぱり、“海なし県なのに浦島太郎伝説?” というのが、みなさんの関心の的だったようです。
 「まったく知りませんでした」 という人から、「前から気になっていたのよね。『竜宮』 っていう地名」 という人まで、みなさん、興味津々で聴かれていかれました。
 子どもからは、「知っている浦島太郎とは話が違って、面白かった!」 という声が多かったようです。

 会場では、著書 『民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) の販売をさせていただきましたが、思っていた以上の売り上げがあり、出版元ともども大変喜んでおります。
 ありがとうございました。
 ぜひ、群馬県内に伝わる摩訶不思議な民話の舞台を訪ねてみてください。


 大盛況だったことに気を良くした主催者の 「壽ちんどん宣伝社」 の座長と口演終了後、話し合った結果、来月も1日限りの 「アンコール口演」 を行うことにしました。

 日時は、2月21日(日) の10時、11時、12時、13時の4口演のみです。
 場所は、同じく伊勢崎神社の境内です。

 今回、都合で来られなかった方、ぜひ、万障繰り合わせの上、お越しください。
 お待ちしております。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:40Comments(0)神社かみしばい

2021年01月30日

温泉考座 (65) 「“塩” の字が付く温泉」


 八塩(やしお)温泉 (藤岡市)、塩ノ沢温泉 (上野村) など、群馬県内には 「塩」 の字が付く温泉地名が、いくつかあります。
 また、現在の温泉地名には塩の字が付いていなくても、かつて小野上温泉 (渋川市) は塩川鉱泉、坂口温泉 (高崎市) は塩ノ入鉱泉、磯部温泉 (安中市) は塩ノ窪鉱泉と呼ばれていました。
 これらの温泉に共通していることは、文字通り塩分を多く含んだ塩辛い温泉であることです。

 塩分を含んでいる温泉は、殺菌力があり、昔から切り傷や皮膚病に効果があるといわれています。
 また皮膚に付着した塩分が毛穴をふさぎ、入浴後も汗の蒸発を防いでくれるため、湯冷めしにくいのが特徴です。
 保温効果があることから別名 「熱の湯」 とも呼ばれています。


 なかでも八塩温泉は、物資不足の戦時中に源泉から食塩を精製していたほどの高濃度の塩化物泉です。

 天然記念物の三波石(さんばせき) を産出することで知られる神流(かんな)川の支流、南沢の渓谷沿いには古くから八つの塩泉が湧いていたことから 「塩の湯口八ツ所」 と呼ばれ、これが八塩の地名の由来だといわれています。
 現在は5つの源泉が川沿いに湧き、3軒の温泉宿があります。
 どの宿も浴室には三波石がふんだんに使われていて、野趣あふれる豪快な入浴が楽しめます。


 明治18(1885)年創業の老舗旅館 「八塩館」 に残る古文書には、<本泉は食塩、亜爾加里(あるかり)性ラジウム炭酸泉なり。固形薬分の多きこと全國無比の鑛泉なり> と記されています。
 温泉の成分がチェコのカルルスバード温泉に似ているといわれ、昔から調査研究がされてきた名湯です。

 源泉は約14~15度の冷鉱泉。
 200万年以上前の新生代第三紀に地中に閉じ込められた海水が、現在も自噴しているといわれています。
 塩分が濃いため最初はピリピリ、チクチクと肌を刺すような刺激がありますが、やがて全身がカーッと熱くほてり出すのが分かります。

 旅館によっては加温していない源泉風呂があり、温浴と冷浴を交互に繰り返す昔ながらの入浴法を体験することができます。


 <2014年10月15日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 17:35Comments(0)温泉考座

2021年01月29日

フリーランス川柳は笑えない


 今年も恒例の 「サラリーマン川柳」 (第一生命保険) の入選作100句が発表されました。
 僕は俳句よりも、人間の悲哀を詠み込んだ川柳が好きで、毎年、この発表を楽しみにしています。

 <コロナ禍が 程よく上司を ディスタンス>
 <会社へは 来るなと上司 行けと妻>
 <出勤が 運動だったと 気付く腹>

 案の定、コロナネタが満載です。

 <リモートで ミュート忘れて 愚痴バレる>  
 <激論も パジャマ姿の 下半身>

 すっかり定着してしまったオンラインやリモートという新しい生活習慣。
 それゆえの 「あるあるネタ」 がオンパレードです。
 コロナ関連以外では、こんなのもありました。

 <はんこレス 上司の仕事 吹き飛んだ>
 <我が部署は 次世代おらず 5爺(ファイブジイ)>

 時代と世相を反映していて、みなさん、お上手であります。


 散々、笑った後、ふと、思いました。
 「自分と関係ないサラリーマンのネタだから笑えるのかもしれない……」
 と!

 もし、これが 「フリーランス川柳」 だったら?
 きっと、現実を突きつけられて、顔が引きってしまうことでしょうね。
 というか、そんな川柳が存在しないことを祈ります。


 えっ?
 ごたごた言ってないで、なんか1つ、詠んでみろって?
 分かりました、分かりました!
 では、ご期待に応えて、自虐ネタを一句!

 <フリーライター 仕事なければ フリーター>

 お粗末さまでした(涙)
   


Posted by 小暮 淳 at 17:16Comments(2)つれづれ

2021年01月28日

指警察の顚末


 みなさんは、覚えていますか?
 2017年6月5日に神奈川県の東名高速道路下り線で発生した交通事故のことを……
 追い越し車線に乗用車が2台続けて停車したところに後部からトラックが追突して、男女2人が死亡しました。

 覚えていますよね!
 俗にいう 「東名あおり運転事故」 です。
 この事故をきっかけに、「あおり運転」 が社会問題になりました。


 ところが、この事故は、その後、さらなる二次犯罪を生み出しました。
 いわゆるネット犯罪です。

 あおり運転で逮捕された加害者と同姓の建築会社社長が加害者の父親であり、加害者の勤め先であるような投稿が、ネット上に拡散されました。
 これは根も葉もないデマ投稿でした。

 そして、無関係の会社を中傷したとして福岡県内の男性が名誉毀損罪で強制起訴されました。
 また同様の書き込みをした5人が略式命令を受け、うち1人は罰金30万円の判決を受けています。


 と、ここまでが一連の 「あおり運転」 と 「指警察」 の顚末でした。
 あ、指警察っていうのは、僕の造語です!

 最近、やたらと 「指殺人」 という言葉が話題になりますよね。
 パソコンのキーボードやスマホのタッチパネルを指だけで操作し、他人を自殺に追い込むという悪質な行為です。

 で、これに似ている行為が、コロナ禍に登場した 「自粛警察」 です。
 正義という名のもとに、他人を愚弄する、これまた卑劣な行為であります。

 だから僕は、この2つの言葉を組み合わせました。
 自殺に追い込むほどではないが、正義の名のもとに他人を断罪する行為のことを 「指警察」 と呼ぶことにしました。


 そして、指警察は、指警察により処刑されました。

 昨日の新聞の片隅に、名誉棄損罪で強制起訴された男性が今月、死亡していたという記事が載っていました。
 死因は自殺とみられます。

 これは、天罰なのでしょうか?
 いえいえ、“悪の連鎖” が始まったのだと思います。

 断罪した奴を断罪する、新たな指警察が動いたのではないでしょうか?


 テレビで、SNSで誹謗中傷され自殺した女性の母親が、こんなことを言っていました。
 「これ以上の犯人捜しは止めてください。また娘のような被害者を生むだけです」

 嫌な世の中になったものです。


   


Posted by 小暮 淳 at 11:38Comments(0)つれづれ

2021年01月27日

初口演間近! 書き下ろし紙芝居


 「仕上がりを見てもらえますか?」
 作画担当のイラストレーターからメールをもらい、さっそく拝見させていただきました。

 ひと言、「きれい!」

 ともすれば、おどろおどろしい絵になりそうな物語だけに、その鮮やかさに釘付けになってしまいました。
 さすが、プロです。
 アクリル絵の具で描かれた竜宮城は、絢爛豪華!
 浦島太郎もイケメンです。

 何よりも、物語の肝であるラストシーンで、天空を舞う竜神の迫力は圧巻!

 「どうでしょう? 意見を聞かせてください」
 「素晴らしい! イメージ以上の仕上がりです。ありがとうございました」


 ことの発端は、昨年の夏。
 高崎市内の公民館で開催された僕の講演会でした。
 テーマは、『民話と伝説の舞台』。
 2年前に出版した同タイトルの著書を題材にした講話でした。

 その会場に現れたのが、今回の主催者となる 「寿ちんどん宣伝社」(茨城県土浦市) 座長の石原之壽君でした。
 彼は僕の高校の同級生であります。
 会場には、もう1人、知り合いが来ていました。
 前出のイラストレーター、須賀りすさんです。

 2人は、僕の講演会を知り、誘い合って来てくれたようです。


 講演終了後、3人で食事をしました。
 その時、石原君から提案されたのが、「浦島太郎の紙芝居を作りたい」。

 “浦島太郎” といっても、みなさんが知っているおとぎ話の浦島太郎ではありません。
 僕が著書に書いて、講演でも話している “ご当地民話” の1つです。
 その舞台が伊勢崎市であり、石原君は伊勢崎市の出身。

 実は石原君、定年退職後に 「ちんどん会社」 を立ち上げ、全国を口演しながら回っている大道芸人なのです。
 すでに故郷である伊勢崎市では、毎月2日間、伊勢崎神社の境内で 「街頭紙芝居」 を行っていました。

 「ぜひ、地元の民話を題材にしたオリジナルの紙芝居が欲しいんだよ。ジュン、頼む!」
 と、同級生から頭を下げられてしまったのですから、断るわけにはいきません。


 あれから半年……

 僕ら3人は定期的に会い、企画会議を開き、制作を進めてきました。
 まずは僕が、物語を作りました。
 次にイラストレーターが絵を描きました。
 最後に、演者が紙芝居本体を作り上げました。

 同時に地元の新聞社やテレビ局への広報活動も行い、すでに、いくつかの媒体から取材依頼も入っています。


 開催まで、あと3日!
 すべての準備が整いました。
 あとは、当日を迎えるのみです。 

 ぜひ、みなさんのお越しをお待ちしています。



      2021新春 神社かみしばい
      『いせさき宮子の浦島太郎』

 作/小暮 淳 (フリーライター)
 画/須賀 りす (画家・イラストレーター)
 演/石原之壽 (壽ちんどん宣伝社・座長)

 ●日時  2021年1月30日(土)、31日(日)
        10時、11時、12時、13時
 ●場所  伊勢崎神社 境内 (伊勢崎市本町)
 ●入場  無料 (投げ銭制)
 ●主催  壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480      

 
   


Posted by 小暮 淳 at 11:58Comments(0)神社かみしばい

2021年01月26日

温泉考座 (64) 「熱くてもクールな浴感」


 川全体が野天風呂になっていることで有名な尻焼(しりやき)温泉 (中之条町)。
 源泉の噴き出し口が長笹沢川の川床にあり、人が入れるだけの穴を掘り、裸になって座ると尻が焼けるように熱くなることから 「尻焼」 の名が付いたといわれています。
 昔から痔(ぢ)の治療に効果があるとされてきました。

 かつては 「尻焼」 の文字を嫌って、温泉名を 「尻明(しりあけ)」 「白砂(しらす)」 「新花敷(しんはなしき)」 などと呼んだ時代もありました。


 この温泉の発見は古く、嘉永7(1854)年の古地図に温泉地として記されています。
 村人たちが利用していたようですが、旅館が建ったのは昭和になってからのこと。
 下流にある花敷温泉の旅館が、別館を建てて開業したのが始まりでした。

 花敷温泉が古くから開けていたのに比べ、尻焼温泉の開発が遅れた理由は、道が急峻だったことと、温泉周辺におびただしい数のヘビが生息していて、人々を寄せ付けなかったからだといわれています。


 現在、3軒の温泉宿があり、すべて異なる源泉を使用しています。
 その中で唯一、自家源泉を所有する 「ホテル光山荘」 の湯は、不思議な浴感があることで知られています。

 泉温は約54度。
 加水をしていないので、浴槽の湯は、かなり熱めです。
 すぐに体を沈めることはできません。
 そこで役に立つのが、浴室に備えてある大きな 「湯かき棒」 です。
 これでジャバジャバと豪快に湯をもんでやります。
 すると今度は抵抗なく、スーッと体が湯の中へ入って行くのです。

 もちろん、それでも熱いのですが、不思議とクールな浴感であることに気づきます。
 まるでミントの入浴剤を入れた湯の中に入っているような清涼感があるのです。

 その感覚は、湯から上がってからも変わりません。
 あれほど熱い湯に入ったにもかかわらず、体がほてることなく、まったく汗が噴き出しません。
 なんとも涼しい湯です。


 私が訪ねたのは真夏でしたが、その晩は爽快な気分で床に就きました。


 <2014年10月1日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:24Comments(0)温泉考座

2021年01月25日

干支は寝たか?


 今年の干支は、「丑」 です。

 僕は毎年、年賀状には、その年の干支にまつわる 「ことわざ」 や 「四字熟語」 をビッシリと書き込んでいます。
 たとえば今年なら、「丑」 の文字を大きく印刷し、その中に、「牛」 に関係する言葉をちりばめています。

 牛に引かれて善光寺詣り、牛は牛づれ馬は馬づれ……
 牛飲馬食、牛刀割鶏、蝸牛角上……

 見た目は、言葉で干支の漢字を書いたような仕上がりです。


 ところで、“牛” といえば、この時季、思い出すのは、「赤城の寝牛」 です。

 これは、地域限定のミステリーアート!
 晩秋から冬にかけて、僕が暮らしている前橋市からのみ鑑賞できる自然が織りなす巨大な芸術です。

 群馬県の中央に鎮座する名峰、赤城山。
 その赤城山は、いくつもの峰が集まり、1つの山を成しています。
 前橋市から見て、一番手前の峰が、鍋割山(なべわりやま)です。

 その鍋割山に西日が当たると、東側に影を伸ばします。
 頭が出て、角が伸びます。
 その影は、短すぎても、長すぎても、牛の姿になりません。

 天気の良い、夕方4時頃がベストです。
 が、時々刻々と姿を変えるため、完璧な姿を見られるのは、年に数えるほどしかありません。

 完成された 「寝牛」 は、見事!
 まさに、どっしりとした大きな牛が、横たわった姿に見えます。

 地元では、しばしば、どこから見る寝牛の完成度が高いか?が話題になります。
 利根川周辺、県庁舎ビルの最上階という人もいれば、JR両毛線の前橋大島駅~駒形駅の間という人もいます。


 実は、僕の仕事部屋からも見えるんです。
 ただ、今年は、まだ一度も見ていません。
 「あっ、そうだった!」
 と気づいて見た時には、いつも時すでに遅し……。

 ですから、前橋市内に暮らしていても、見たという人は、本当に稀なんですね。


 その昔は、農作業を終える目安にしたそうです。
 「ほうれ、寝牛が出たぞ。はあ、終わりにするんべえ」
 ってね。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:35Comments(0)つれづれ

2021年01月24日

SOSが聞える


 <昨年はコロナに振り回されて大変疲れた一年でした。>
 <コロナには、すっかり翻弄されています。>
 <知恵を貸してください。>

 温泉協会や温泉旅館から届いた今年の年賀状には、悲痛なコメントが添えられていました。
 まるで、「助けてください!」 と言わんばかりの心の叫び声が聞こえてきます。

 県が行った愛郷キャンペーンや政府が行ったGoToキャンペーンにより、一時は持ち直したかに思われた温泉地ですが、度重なる緊急事態宣言の発令により、またもや窮地に立たされています。


 まさか、こんなにも長引くとは……

 きっと、これが、誰もが抱いている本音だと思います。
 もし、昨年の夏あたりに終息してくれていたら、もう少し事態は変わっていたことでしょう。


 現在、僕は、群馬県内の1町の 「観光大使」 と4温泉地の 「温泉大使」 を委嘱されています。
 例年ならば、祭りやイベントに参加して、広報活動を行っていたのですが、昨年は、すべて中止となりました。
 また、僕自身が “不要不急” の職業とみなされているため、以前に比べると活動範囲も極端に限定されています。

 正直に言えば、手も足も出ない状態です。


 でも、なんとかしたい!
 名ばかりの “大使” ではなく、こんな時だからこそ、日頃お世話になっている温泉地に対して、何か恩返しがしたいのです。

 僕ができることといえば……
 ① ライターとして、文章を書くこと。
 ② 講演やセミナーで、温泉の魅力を伝えること。
 ぐらいです。

 ①は、ライフワークとして細々ですが、マスコミに対して行っています。
 が、②は、どうしても新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、延期もしくは中止に追い込まれているのが現状です。


 温泉地、および温泉関係者のみなさん、力不足で申し訳ありません!
 せっかく 「大使」 の肩書をいただいているのに、ご期待に応えられず、不甲斐ない思いで、いっぱいです。

 あと少し、あと少しだけ、待ってください。
 きっと、良い方向に事が運ぶはずです。

 だって、昔から言うじゃありませんか!
 「親の小言と温泉は、後から効いてくる」 って。

 春になれば、“温泉の免疫” が切れた全国の温泉ファンが、ドッとやって来ますよ。
 それまでの辛抱です。


 温泉地のみなさん、頑張ってください。
 その時まで、僕も一緒に耐え忍びます。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:09Comments(0)大使通信

2021年01月23日

温泉考座 (63) 「鎮魂の湯舟」


 群馬県沼田市とみなかみ町の境にある三峰山(みつみねやま)の中腹。
 関越自動車道をまたぎ、宿と向かい合う丘に、高さ約20メートルの白い塔が立っています。
 月夜野(つきよの)温泉の一軒宿 「みねの湯 つきよの館」 の女将、都筑理恵子さんの父、理(おさむ)さんが平成元(1089)年に、異国の地に果てた戦友をしのんで建立した 「鎮魂之碑」 です。


 旧オランダ領東インド (現インドネシア) のジャワ島で軍務についていた理さんは、終戦直後、旧日本軍の残留兵とインドネシア独立派が武器の引き渡しをめぐって衝突した 「スマラン事件」 によって、多くの戦友を失いました。

 「父は 『これは生き残った者の使命だ』 と言っていました。その父も5年前、86歳で戦友たちの元へ旅立ちました」
 と女将は、塔を見上げながら話してくれました。

 「鎮魂之碑」 建立の翌年、理さんは遠方から供養に訪れる遺族や関係者のためにと温泉を掘削し、旅館の営業を始めました。
 生前、著書 『嗚呼スマランの灯は消えて』(広報社) の中で、<慰霊の園にふさわしい、自然の地形を生かした場所> と記しています。


 ここは全国でも美しい地名で知られる 「月夜野」。
 平安の昔、京の歌人、源順(みなもとのしたごう)が東国巡礼の途中に通り、三峰山から昇る月を見て 「よき月よのかな」 と深く感銘し、歌を詠んだことが地名の由来と伝わります。

 その月夜野盆地を見渡す湯舟からは、左手に子持山から続く峰々を望み、正面に大峰山、吾妻耶山(あづまやさん)といった群馬の名峰が連なり、眼下には棚田が広がり、こんもりとした鎮守の森が、のどかな山里の風景を描いています。


 極めつきは夕景の妙!

 稜線をシルエットにして、鮮やかな緋色に燃え上がる夕焼けは、息をのむほどに美しい。
 やがて、帳(とばり)が下りて、天空の主役が月に替わると、まさに温泉地名にふさわしい “月光の湯” を満喫することができます。


 なぜ、ここに鎮魂之碑を建てたのか?
 なぜ、ここに温泉宿を造ったのか?

 答えは、この絶景にありました。
 塔も宿も浴室も、すべて南方のジャワ島を向いて建てられています。


 <2014年9月17日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:59Comments(2)温泉考座

2021年01月22日

最東端温泉地が変わる!?


 「温泉地」 とは、“宿泊施設のある温泉” のことをいいます。
 ですから、都道府県などの温泉地数には、日帰り温泉施設は含まれていません。

 群馬県の場合、現在、約100ヶ所ありますが、一軒宿の廃業により、年々減少の一途をたどっています。
 たぶん、正確には100ヶ所を切っていると思われます。
 ただ、100年前は約70ヶ所でしたから、実際には増えていることになります。

 なぜ増えたのか?

 その答えは簡単です。
 100年前は、そのほとんどが自噴泉だったのに対して、現在は半数以上が掘削泉だからです。
 また1つ、群馬県内に掘削泉の温泉地が誕生するかもしれません。


 <東武伊勢崎線川俣駅周辺整備の一環となる温泉掘削事業で、明和町と民間企業が出資したまちづくり会社 「邑楽館林まちづくり」 は、温泉の湧出を確認したことを明らかにした。>
 (2021年1月19日付 上毛新聞より)

 泉質/弱アルカリ性のナトリウム塩化物温泉
 湧出量/毎分約130リットル
 泉温/41.7度

 とのことですが、まだ掘削途中のようで、温度は上がる可能性があるとのことです。


 で、この温泉を何に利用するのか?
 日帰り温泉施設ならば 「温泉地」 のカウントには入りませんが、どうやら新聞記事によれば <2022年開業予定のホテル内の温浴施設などで活用する方針> とあります。

 となると、群馬県の温泉の歴史が変わることになります。

 現在、最東端温泉地は、太田市の 「やぶ塚温泉」 です。
 これが明和町となると、『つる舞う形の群馬県』(上毛かるた) のツルのくちばしの先っぽまで移行します。
 もう、まさに群馬県の東の端で、これ以上東は、お隣の栃木県です。


 これは、喜ぶべきことなのか、思案のしどころですが、完成すれば、事実上の群馬県最東端温泉地となります。

 はたして、何という温泉地名になるのでしょうか?
 今後の発表を待ちたいと思います。
   


Posted by 小暮 淳 at 14:25Comments(2)温泉雑話

2021年01月21日

同姓同名の殺人鬼


 あれから、もう23年も経ったのですね。
 いまだに犯人は、捕まっていません。


 平成10(1998)年1月14日、群馬県の旧群馬町 (高崎市) で一家3人が殺害された事件。
 小暮洋史 (こぐれ・ひろし) 容疑者 (51歳) は、知人女性宅に押し入り、女性の祖母 (当時85歳) と両親 (ともに当時48歳) を殺害した疑いがあり、全国に指名手配されました。

 が、23年が過ぎた現在でも逮捕はおろか、逃亡に使った車すら見つかっていません。


 当時、我が家は騒然としました。
 だって、容疑者とオヤジとが同姓同名だったからです。

 オヤジの名前は小暮洋 (こぐれ・ひろし)。
 容疑者のほうが一字多いものの、それ以外の漢字と読みは、まったく同じです。
 オヤジは、さぞかし困惑していたと思います。

 「ま、歳がだいぶ違うからね。誰も同一人物だとは思わないだろうけど、殺人犯と同姓同名っていうのは、いい気持ちはしないな」
 そう言いながら暗い表情を浮かべたオヤジの顔が思い出されます。

 当時、小暮洋史は28歳。
 オヤジは74歳でした。

 「早く捕まって、くれねえかな」
 ニュースが報道されるたびに、そうオヤジは、つぶやいていました。


 過去には、大久保清や宮崎勤といった殺人犯と同姓同名の人が、戸籍の名前を変えたという話を聞いたことがあります。
 実際、名字が同じというだけで、いじめに遭った子どもたちは、大勢いたようです。

 一昨年、オヤジは、小暮洋史逮捕の知らせを聞くことなく、この世を去りました。
 最後は認知症が進んでいたので、もう殺人事件のことなど忘れていたかもしれませんが、子としては、生きているうちに逮捕され、安心して見送ってあげたかったと、少しばかりの無念は残ります。


 一日も早く、犯人逮捕のニュースをオヤジの墓前に知らせてあげたいと思います。

 がんばれ、群馬県警!
  


Posted by 小暮 淳 at 15:00Comments(0)つれづれ

2021年01月20日

温泉考座 (62) 「銭湯なのに温泉」


 平成26(2014)年6月、「富岡製糸場と絹産業遺産群」 が世界遺産に登録され、群馬県内の観光は活気づいています。
 大きな温泉地では県外からの誘客戦略として、富岡製糸場と温泉地をつなぐ観光バスの運行を始めたところもあります。
 群馬の温泉が全国に知られる絶好のチャンスです。
 これを機に、周辺の小さな温泉地や秘湯の一軒宿にも目を向けていただきたいと思います。


 ところで、富岡製糸場から一番近い温泉地 (宿泊施設のある温泉) は、どこかご存じですか?

 それは富岡市内にある 「大島鉱泉」 です。
 鏑川(かぶらがわ)の支流、野上川沿いの山里にひっそりたたずむ一軒宿で、煙突から立ちのぼるけむりが秘湯情緒をかもし出しています。
 地元では 「榊(さかき)の湯」 と呼ばれ親しまれています。


 大正初期のこと。
 村人たちが共同で井戸を掘ったところ、ゆで卵のようなにおいのする水が湧き出しました。
 温めて浴すると腫れ物が治り、飲めば胃腸病に効くといわれ、長い間、地元の人たちに利用されていました。

 戦後になり、先代が公衆浴場の許可を申請し、この井戸水を利用した銭湯を始めました。
 昭和42(1967)年に現主人が旅館を併設して、3代目を継ぎました。

 銭湯と旅館の玄関は分かれていますが、2棟は渡り廊下で続いています。
 浴室の入り口にはのれんが掛かり、番台こそないものの雰囲気は銭湯そのもの。
 総タイル張りの浴室には定番の富士山が描かれていて、桶もカランも町の銭湯と変わりありません。

 でも、ここが他の銭湯と違うのは、湯が天然温泉であること。
 県内で唯一、温泉を利用した銭湯として、全国から温泉ファンのみならず、銭湯マニアたちも訪れています。

 湯は無色透明ですが、ほんのりと硫黄 (硫化水素) の香りがします。
 アルカリ度を示す水素イオン濃度はpH9.2と高く、ツルッとした感触で肌にまとわりつきます。


 現在の温泉法では、25度未満の冷鉱泉でも含有成分を満たしていれば “温泉” と表記できます。
 なのに、あえて “鉱泉” と名乗っているところに、大正、昭和、平成と守り継いできた主人たちの湯守(ゆもり)としてのこだわりを感じます。


 <2014年9月10日付>
   


Posted by 小暮 淳 at 11:21Comments(0)温泉考座

2021年01月19日

昭和33年のカラー写真


 今日は、ごく限られた狭いエリアの話をします。


 向町、琴平町といえば、現在の平和町や住吉町、昭和町界隈の旧町名であります。
 そこは、どこかといえば、前橋市街地北部の敷島小学校周辺です。

 なぜ、唐突に、そんなエリアの話をするのかと言えば、それは一片の小さな新聞記事に端を発します。


 <一昨年末、前橋敷島小 (同市昭和町) のPTA本部役員がPTA室を大掃除中、昭和20~30年代のスライドフィルムを偶然発見したという。開校90周年に合わせて当時のPTA関係者らが学校周辺の様子を撮影したものだった。歴史を伝える貴重な記録ととらえた本部役員は、最も多い1958(昭和33)年のフィルムをデジタル化し110点余りを印刷した。>
 (2021年1月17日付 上毛新聞より)

 なぜ、この記事に惹かれたか?
 まず、昭和33年は、僕の生まれた年だからです。
 そして、もう1つ、敷島小の学区である琴平町には、僕の母の実家があり、母も敷島小の卒業生でした。
 よって、僕は生まれた時から、その周辺で遊び育ったのであります。
 (同じ年のいとこも、敷島小の卒業生です)


 ということで、どうしても、僕が生まれた年の琴平町の風景が見てみたくなり、行って来ました。

    『前橋の今昔写真展』
 ●会場  前橋平和町郵便局
 ●会期  1月29日(金) まで
 ●主催  前橋敷島小PTA本部


 展示を見て、まず驚いたのは、写真の画像のクォリティーです。
 しかも、展示されている111点が、すべてカラー写真です。

 「えっ、当時は、まだ白黒だったでしょ?」
 との僕の疑問に、
 「スライドフィルムで残っていたからですよ」
 と、わざわざ奥から出てきて説明してくださった郵便局長さん。
 ご丁寧に解説をしていただき、ありがとうございました。


 向町、琴平町などの学校周辺から、細ヶ沢町、堅町、小柳町、萩町、桑町といった今は無き中心市街地の旧町名地区の写真も展示されています。

 「麻屋デパート」(昭和8年創業) が写っています。
 でも 「前三百貨店」 の写真はありません。
 あれ? と思ったら、前三ができたのは昭和39年でした。

 展示には工夫がされていて、現在の写真が添付され、今昔の比較がされています。
 現在も営業している老舗の菓子店もありますが、閉店してしまった書店もあります。

 「懐かしいですね」
 「ええ、よく残っていましたね」
 隣で見ていた初老の男性と、つい言葉を交わしていました。


 63年前の古き良き昭和の風景……
 ただただ時を忘れて、見入っていました。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:15Comments(5)ライブ・イベント

2021年01月18日

悪魔祓いの季節


 トン、トン、トコトン、トン、トン、トコトン……
 「悪魔っぱら~い! 悪魔っぱら~い!」

 朝から町内に、太鼓の音と威勢のいい声が響き渡りました。
 昨日は 「神楽廻し」 の日。
 冬と夏、年2回行われます。


 僕が暮らす前橋市南部の町には、上神様と下神様という2つの神社があり、氏子たちは 「年番」 という制度により、持ち回りで神の使いとなり、一年間、ご奉公します。
 町内は11班に分かれ、僕の班は8戸が氏子に在籍しています。
 各班1人ずつ、1年ごとに年番は移りますから、僕には8年に1度、そのお役目が回って来るわけです。
 今年、僕は11人の選ばれし 「神の使い」 の1人になりました。

 「神楽廻し」 とは、獅子頭を先頭に、家々をまわり、1年間の無病息災や家内安全をお祈りします。
 獅子頭は体力が必要なため、毎回、若者の役割です。
 僕も昔は、「ほれ、若い人が率先して廻さなくて、どうするんだ!」 なんて長老に言われて演じていましたが、これが、かなりの重労働なのです。
 町内の約100戸を3~4時間かけて回るわけですから、夏の例祭では、脱水症状を起こして倒れる騒ぎになるくらいです。


 8年前の前回、僕は五十路ということで、太鼓担当になりました。
 一番、重要な役目です。

 トン、トン、トコトン、トン、トン、トコトン……

 いわば、この音が神楽がやって来る合図となります。
 家に近づくにつれ、音が大きくなります。
 「ほれ、そろそろ神楽が来るぞ!」
 と氏子たちは、お布施を用意して、玄関先に出て、迎える準備をするのです。

 「悪魔っぱら~い! 悪魔っぱら~い!」

 最近は、玄関先で、獅子の口をパクパクさせるだけの簡易なものになりましたが、昔は、一軒一軒、家の中まで入り、各部屋すべてで神楽を廻したものでした。
 寝たきりの年寄りがいれば、床まで行って、「悪魔っぱらい」 と言いながら、お祓いをしました。


 で、今回は、僕も還暦を過ぎました。
 ので、さらに労働力の少ない 「大麻(おおぬさ)」(大幣とも書く) の担当です。
 大麻とは、よく神主さんが振っている 「紙垂(しで)」 と呼ばれるギザギザの白い紙が付いた棒です。
 この棒を振りながら、町内を歩きました。

 「悪魔っぱら~い! 悪魔っぱら~い!」

 でも今年は、いつもの年と、かけ声が少し違います。

 「コロナ退散!」
 が加わりました。


 次回の神楽廻しは、8月です。
 その時は、いつもの年と同じかけ声であることを願うばかりであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:14Comments(0)つれづれ

2021年01月17日

Le temps de Bonheur ~幸せの時~


 <コロナ禍の中でさまざまな規制があり、行動制限がある今。それでも小さな幸せを探し、豊かな日常が送れることを祈りつつ、光に溢れ、清々しく、観る者の心が開放される半透明な水彩の世界が、私たちを癒してくれるようです。画廊主> (個展DMより)


 竹馬の友であり、水彩画家の久保繁・新春画廊企画展が、今年も開催されています。

 まず、彼の名を聞いて、「あれ、もしかして……」 と思われた方、あなたは、かなりコアな僕の読者様であります。
 そうです!
 1999年秋に出版したベトナム旅行記 『ヨー!サイゴン』(でくの房) に登場する、もう一人の主人公であります。
 共に旅をしたこの年、僕はエッセイを書き、彼は人生初の個展を開きました。

 その後、彼はデザイン事務所を退職し、画家としての創作活動を始めました。
 前橋と逗子にアトリエを持ち、東京を中心に群馬や神奈川などで個展を開催しています。
 2003年から始まった前橋市の画廊で開催される新春企画展は、今年で19回目を数えます。


 初日の昨日、僕は夕方、買い物に出たついでに、ぶらりと寄ってきました。

 「あれ、今日、彼はいないの?」
 「ええ、先生は明日からなんですよ」
 と画廊のオーナー。
 毎年、初日に行けば会えていたので、改めて彼に確認を取らずに訪ねたことを少し後悔しました。

 でも、そのぶん、ゆっくりと絵画を鑑賞することができました。


 「だいぶ雰囲気が変わりましたね?」 
 「ええ、今回はペンで輪郭をとっていない作品が多いんですよ」

 なるほど、それでなんですね。
 淡い透明感のある色彩が、以前の作品に比べると、明るくポジティブなイメージを受けます。
 もしかして、これが、今回の個展タイトルの 「幸せの時」 なのだろうか……

 何よりも、その被写体の変化に気づきます。
 相変わらずヨーロッパの街並みを描いた作品は多いのですが、やっぱり去年はコロナの影響だったのでしょうか?
 日常である逗子や鎌倉周辺であろう海辺の風景が、何点かありました。


 「コロナの影響って、あるんですか?」
 「うちみたいな地方の画廊は、関係ないですね。そもそも密になりませんから」

 それでも都会のギャラリーやデパートなどで展示開催している同業者は、それなりに自粛を強いられているところもあるそうです。

 「作家は、どうなんですか?」
 「それぞれ個人差があると思いますが、なかには 『そもそも貧乏だからコロナも何も関係ない』 という方もいます(笑)」
 「彼なんかは、どうなんだろう?」
 「さあ、どうなんでしょうね。直接、本人に訊いてみてください(笑)」

 ということで、会期中に、もう一度、彼を訪ねて、真相を解明することにしました。



           久保 繁 展
    Le temps de Bonheur ~幸せの時~

 ●会期  2021年1月16日(土)~24日(日)
        10:30~19:00 (火曜休、最終日17:00まで)
 ●会場  画廊 翠巒 (すいらん)
        群馬県前橋市文京町1-47-1 TEL.027-223-6311
   


Posted by 小暮 淳 at 15:05Comments(0)ライブ・イベント

2021年01月16日

不要不急に物申す!


 全国で新型コロナウイルスの感染拡大が急増する中、群馬県でも現在、9市町に対して接客を伴う飲食店などに営業時間の短縮を要請しています。
 酒類の提供は午後7時まで、店の営業は午後8時までです。

 「7時なんて、仕事が終わってから立ち寄って、呑み始めたら、もうラストオーダーだよ!」
 ということですから世のサラリーマン諸君の悲鳴は、ごもっともです。

 でも、仕方ありませんね。
 今は、緊急事態なのですから。
 素直に従うことにしましょう。


 その上で、物申す!

 酒呑みの心は、酒呑みにしか分からないのです。
 世間では不要不急と思われているようですが、そんなことはありません。

 こんな世の中だからこそ、酒の力が必要な人もいるんです!(キッパリ)


 いったい、誰が決めたんですか?
 音楽、芸術、旅行、文学、演芸、祭事……
 それらを、ひとくくりに “不要不急” のカテゴリーに入れて、“自粛” という檻の中で飼い殺しにしていませんか?

 こと、酒に関しては、午後8時過ぎだとアウトで、その前ならセーフという線引きも納得がいきません。
 要は、時間ではなくて、「3密」 でしょ?
 昼間から大勢で小部屋に集まれば、そのほうが感染は大であります。

 僕に言わせてもらえば、不要不急は 「文化」 なのであります。
 一度絶えてしまった文化を、元に戻すのは大変なことですぞ。


 いったい何が言いたいのか、といえば、国や県の要請は、きっちりと守るから、不要不急とされるモノたちに、もう少し寛容になってほしいということです。
 温か~い目で、見守ってほしいのであります。

 ということで、昨日は陽のある時間から出かけて、正々堂々と “昼酒” を呑んできました。

 でも、いるんですよ。
 僕と同じ考えの呑兵衛が。
 カウンターは、夕方には満席です。
 中には会社を休んでまで、呑みに来たサラリーマンもいます。

 分からんでしょうね~、この気持ち。
 酒を呑まない人には……


 会社を休んでまで、昼から酒を呑むって、分かりますか?
 その人にとっては、酒を呑むことは決して不要不急ではないということです。

 “必要急務” なのです!


 「みんな~、あと20分だからね」
 午後7時40分、ママの声が店内に響きます。
 「はーい!」
 まるで幼稚園児のように、良いお返事です。

 そして、午後8時。
 暖簾が外されました。


 時短要請がなんだ! 自粛がなんだ!
 呑兵衛には、呑兵衛の生き方があるんだ!

 コロナなんかに、負けるもんか~!!!

   


Posted by 小暮 淳 at 12:20Comments(2)酔眼日記

2021年01月15日

温泉考座 (61) 「ダムに沈んだ温泉地」


 八ッ場(やんば)ダムの計画が浮上したのは昭和27(1952)年。
 以来、住民たちの生活は翻弄され続けてきました。
 ダム湖に水没する川原湯温泉 (長野原町) にとっては、温泉の存続を賭けた闘いの半世紀でした。
 しかし、長い苦悩の日々も、終わりを迎えようとしています。
 今秋にはダム本体工事が始まります。
 すでに数軒の旅館は高台の代替地へと移転して、新たな温泉地の歴史を歩み出しました。
 ※(八ッ場ダムは2020年3月に完成しました)


 群馬県内には、同じくダム湖に沈み、移転地で再開した温泉地があります。
 昭和33(1958)年、赤谷川を堰き止めた相俣ダム (旧新治村) の建設で、人造湖の赤谷湖が誕生しました。
 これにより 「湯島」 「笹の湯」 という2つの温泉地が水没。
 4軒あった旅館は代替地へ移転し、新たな源泉を掘削して猿ヶ京温泉 (みなかみ町) として生まれ変わりました。

 翌年、国道17号の三国トンネルが開通。
 その2年後には苗場国際スキー場 (新潟県) がオープンし、大勢のスキー客が押し寄せるようになりました。
 旅館も増え、農家はこぞって民宿経営に乗り出しました。
 スキーブーム、マイカーブームも追い風となり、湖を見下ろす高台の温泉地は、群馬を代表する温泉地へと発展しました。


 「猿ヶ京」 という地名の由来には、こんな伝説があります。
 永禄3(1560)年、上杉謙信が越後から三国峠を越えて関東に出陣の折、現在の猿ヶ京である宮野の城に泊まり、不思議な夢を見ました。
 宴席で膳に向かうと箸が1本しかなく、ごちそうを食べようとするとポロポロと歯が8本抜け落ちました。
 嫌な夢を見たと思い、このことを家臣に告げると、「これは関八州 (関東一円) を片端 (片箸) から手に入れる夢なり」 と答えたので、謙信は大いに喜び 「今年は庚申(かのえさる)の年で、今日も庚申の日。出陣の前祝いに、宮野を 『申が今日』 と名付ける」 と申し渡したといいます。


 移転した4軒のうち2軒は廃業しましたが、旧湯島温泉の長生館と桑原館 (現・猿ヶ京ホテル) が歴史を守り継いでいます。
 水没から半世紀以上経った今でも、渇水時には湖底から湧出する温泉の湯けむりを見ることができるといいます。


 <2014年9月3日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 10:53Comments(0)温泉考座

2021年01月14日

肩書のない四半世紀


 昨日、知り合いのデザイナーに、名刺を発注してきました。
 僕は2年ごとに、名刺のデザインをリニューアルしています。


 このコロナ禍で、イベントや懇親会は激減したため、大量に名刺が出て行くことはなくなりましたが、それでも在庫が残り少なくなってきました。
 自粛の今こそ補充のチャンス!とばかりに、増す刷りを頼みました。

 修正箇所は2つ。
 表に印刷されている 「ジュンちゃんマーク」 の色を変える。
 裏に印刷されている 「大使一覧」 に追加を記入する。

 「ジュンちゃんマーク」 とは、僕が温泉に入っているイラストです。
 このイラストも、名刺をお願いしたデザイナーが作画してくれたものです。
 4年前はグレー、2年前はパープル、そして今回は……(ナイショ)

 現在の大使一覧には、下記の5つが記載されています。
 ・みなかみ温泉大使
 ・中之条町観光大使
 ・老神温泉大使
 ・伊香保温泉大使
 ・四万温泉大使

 で、この2年間に、もう1つ大使が加わりました。
 「ぐんまの地酒大使」 であります。


 さて、過去の名刺をズラ~リと並べてみると、デザインは異なるものの、僕の名刺には “あるもの” がありません。
 そう、「肩書」 です。

 すべての名刺の名前の上には、ただ小さく 「writer」 とのみ記されています。
  「writer」 は肩書ではなく、職業です。


 今から25年前、会社を辞めた時、この肩書のない名刺を持って営業に回りました。
 新聞社、雑誌社、デザイン事務所、印刷会社……
 でも、肩書のない名刺は、何の効力も発揮しません。

 考えてみれば、職業名刺だけで仕事がもらえるほど、世の中は甘くありません。
 画家が 「画家」 の名刺を持って、役者が 「役者」 の名刺を持って回っているのと同じですからね。
 画家は絵を、役者は演技を見せるしかありません。

 そこで僕も考えました。
 1年後に、著書を出版しました。
 もちろん、自費出版です。

 すると著書があるのと、ないのとでは段違い!
 相手の興味の度合いが違います。
 「これ、名刺代わりです」
 と、営業先に配って回りました。

 このことが功を奏したからなのかは分かりませんが、あれから四半世紀、なんとか今日まで 「writer」 という職業を続けています。


 心機一転、令和3年度は、新しい名刺を持って、新たな仕事に挑戦したいと思います。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:58Comments(0)つれづれ

2021年01月13日

我が道のゆくえ


 ♪ 今 船出が 近づくこの時に
   ふとたたずみ 私は振り返る
   遠く旅して 歩いた若い日を
   すべては心の 決めたままに ♪
   (訳詞/中島潤)


 新聞を読んでいて、ちょっとショックな記事を見つけました。
 アメリカの歌手、フランク・シナトラは、自身が歌って世界的な大ヒットとなった名曲 『マイ・ウェイ』 を、「好きではなかった」 というのです。

 <歌詞は、死期が近づく男が人生を振り返り、自分の信じた道を歩んだことに間違いはなかったと述懐する。「身勝手だ」 と考えていたようだ。後年は家族への罪の意識も漏らしていたというから華やかな人生にも悔いはあったのだろう。>
 (毎日新聞 「余禄」 より)


 あれ、『マイ・ウェイ』 って、そんな歌だっけ?
 もっと希望に満ちた旅立ちの歌だったような……

 と思われたのは、きっと僕だけではないはずです。
 だって、一般に知られている歌詞は、冒頭に記した布施明が歌った歌詞ですものね。

 と思い調べてみると、こんな訳詞もありました。


 ♪ やがて私も この世を去るだろう
   長い歳月 私は幸せに
   この旅路を今日まで越えて来た
   いつも 私のやり方で
   (中略)
   人を愛して 悩んだこともある
   若い頃には はげしい恋もした
   だけど私は 一度もしていない
   ただ卑怯な 真似だけは

   人間(ひと)はみないつか この世を去るだろう
   誰でも 自由な心で暮らそう
   私は 私の道を行く ♪
   (訳詞/岩谷時子)


 こちらのバージョンは尾崎紀世彦らが歌っていますが、布施明がカバーした時は若かったため、船出に例えた希望ある歌詞に変更したようであります。
 今では、結婚式などの祝いの席での定番ソングとなっています。

 で、改めて、岩谷時子バージョンを聴いてみると、シナトラの言う 「身勝手」 の意味がしみじみと伝わってくるのであります。
 世界的な成功を収めた大スターの人生と比べるのは、おこがましいのですが、僕も身勝手ながら人生の3分の2以上を生きてきました。

 時に悩み、傷つき、人を愛し、迷いながらも、なんとか……。
 “正しかったか” “間違っていなかったか” は別としても、今、思えば十分に 「身勝手」 だったと思うのです。

 若い頃には考えてもみなかったことですけどね。


 みなさんは、どちらの歌詞が好きですか?
  


Posted by 小暮 淳 at 11:31Comments(0)つれづれ

2021年01月12日

温泉考座 (60) 「忘れたころに猛威をふるう」


  このカテゴリーでは、ブログ開設10周年を記念した特別企画の第3弾として、2013年4月~2015年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『小暮淳の温泉考座』(全84話) を不定期にて、紹介しています。
 (一部、加筆訂正をしています)


 平成26(2014)年6月、埼玉県内の日帰り温泉施設に入浴した60~80代の客3人がレジオネラ菌に感染し、うち同県在住の60代の男性が死亡しました。
 男性は同施設に複数回入浴し、発熱の症状を訴え、レジオネラ肺炎と診断されていました。

 その3年前にも群馬県北部の温泉旅館で、同様の死亡事故が起きています。
 いったい、いつになったら現代人は、レジオネラ菌から身を守ることができるのでしょうか?


 レジオネラ菌は、自然界の土中や河川に生息している菌です。
 従来のような放流式 (かけ流し) の浴槽では、たとえ菌が入っても繁殖する前に流されてしまいました。
 ところが、循環式の浴槽の登場により、菌が爆発的に繁殖するようになりました。

 レジオネラ菌の繁殖を防ぐには、2つの方法があります。

 1つは、浴槽の湯を換水して、徹底した清掃をすること。
 もう1つは、浴槽内の湯を殺菌消毒することです。

 湯量が豊富な放流式の場合は、前者で繁殖を防ぐことができます。
 しかし、湯量が少ない場合は、循環式の浴槽に頼るしかありません。
 この場合、清掃もさることながら、後者の殺菌消毒が不可欠となります。


 では、なぜ同じような死亡事故が起きてしまうのでしょうか?

 都会の日帰り温泉施設ですから、循環式風呂であったはずです。
 だとすれば、必ず消毒剤を投入しています。
 清掃も保健所の指示により適切に行われていたことでしょう。
 事実、毎月行っている水質検査では異常がなかったといいます。

 ただ、最近は消毒剤の臭いを嫌う客が増えているといいます。
 「塩素臭い」 「プールのような臭いがする」 などの苦情が寄せられるため、消毒剤の投入を控える施設もあるようです。
 その結果、浴槽内の塩素濃度の管理が不十分となり、殺菌力が低下する可能性があります。


 かけ流し風呂にせよ、循環式風呂にせよ、消毒剤だけに頼るのではなく、徹底した清掃を心がけてほしいものです。
 レジオネラ菌は、忘れたころに猛威をふるいます。


 <2014年8月13日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:25Comments(0)温泉考座