温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2022年04月30日

ガラケー3兄弟


 ♪ 一番上は ライター (ライター)
    一番下は 社長 (社長)     
    間にはさまれ オーナー (オーナー)
    ガラケー3兄弟 ♪


 読者のみなさんは、覚えていますか?
 紀伊國屋書店前橋店で開催された僕の著書フェアに、約30年前にバイトでお世話になったコンビニエンスストアのオーナーが、偶然に通りかかり、驚いて、メールをくださったという話を。
 (当ブログの2022年2月26日 「紀の国からの贈り物」 参照)

 その時は、懐かしさのあまり 「今度、一度会って呑みましょう!」 とメールを交換しましたが、僕は、てっきり社交辞令かと思っていました。
 そしたら、その後もメールをいただき、「だったら I 君の店で吞みませんか?」 とお誘いをいただきました。

 I 君とは、やはり、僕と同時期に同じコンビニでアルバイトをしていた青年です。
 その後彼は、実業家として成功し、今では県内に10店舗以上の居酒屋を経営しています。

 「彼が、また高崎に新店舗をオープンさせました。そこで、いかがですか?」
 ということになり、今週、数十年ぶりに3人が顔を合わせました。


 それぞれが、ほどよく歳を重ねていました。
 最年長は僕で、60代。
 職業は、ライターです。

 2番目はコンビニのオーナーKさん、50代。
 一番下は居酒屋の社長 I 君で40代です。

 “3兄弟” が勢ぞろいしました!


 一次会は I 君の店で、懐かし話に花が咲きました。
 「あの頃、僕はバイトの休憩中に、小暮さんの話を聞くのが楽しみでした」
 と I 君。
 「どんな話をしていたっけ?」
 「主に音楽の話でしたね。ギターはマーチンを持っているとか」
 「うん、今も大切に持っているよ」
 「それと、旅行の話です。僕も触発されて、旅に出ました」

 「小暮さんは、バイト中もネタを集めてましたよね」
 とKさん。
 「だって、24時間営業っていうの当時まだ珍しかったからね。人間ウォッチングをしていたんだよ」
 「営業日報に、ショートコラムを書いてましたよね?」
 「よく覚えているね。そうそう、一日一話、“今日のヘンな客” と題してね」
 「のちに、それが本になったんですものね」
 ※(1997年に上毛新聞社から出版した 『上毛カルテ』 )


 河岸を変えて、2軒目は I 君行きつけの小料理屋へ。
 カウンター席に座った時、Kさんのケータイが鳴りました。
 見ると、ガラケーです。

 「おお、仲間がいたじゃん」
 と僕もポケットから、ガラケーを取り出しました。
 すると、
 「えっ、お2人ともですか! はい、僕もです」
 と、I 君までもが折り畳み式のガラケーを取り出しました。

 カウンターテーブルの上に、ズラ~リと並んだ3つの “ガラパゴス携帯電話”。
 しかも、全部色は黒。
 3人で顔を見合わせて、笑ってしまいました。


 年齢も職業も別々の3人です。
 ただ共通は、約30年前に同じ職場で働いていたということだけ。
 なのに、みんな、ガラケーでした。

 「だってスマホなんて、必要ないでしょう?」
 「ないない、無くっても困らないし」
 「仕事ができる人は、モノになんて頼らないのよ(笑)」
 「そーだ!」


 ガラケー3兄弟は、夜が更けゆくのも忘れ、ひたすらに呑み続けたのであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:38Comments(0)つれづれ

2022年04月29日

ぐんま湯けむり浪漫 (2) 老神温泉


 このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳のぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
 ※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。


   老神温泉 (沼田市)


  効能を求めて患者が殺到


 国道120号は尾瀬・日光方面へ通じる県内屈指の観光ルートである。
 しかし、その途中にある椎坂(しいさか)峠は、山道特有の急カーブや急坂が続き、冬季は積雪や凍結により交通の難所となっていた。
 平成25(2013)年、この難所に悲願のトンネルが開通した。
 これにより走行時間が平常時で約10分、積雪時で約20分も短縮された。

 トンネルを抜けて、最初に旅人を迎える温泉が 「老神(おいがみ)温泉郷」 である。
 なぜ、“郷” の字が付いているのか?

 温泉郷は片品川沿いに細長く、「老神」 「大楊(おおよう)」 「穴原(あなはら)」 の3つの地区にまたがり、昭和初期までは、それぞれ老神温泉、大楊温泉、穴原温泉と呼ばれていた。
 昭和10(1935)年4月、3つの温泉地は統合され、「老神温泉郷」 として生まれ変わり、老神温泉旅館組合が発足した。
 これにより従来の湯治場から群馬を代表する温泉地へと発展していったのである。


 昭和20(1945)年、老神温泉の湯が傷に効果があるとして、沼田陸軍病院老神分院の建設が計画されたが、準備中に終戦を迎えた。
 しかし、全国的にまん延した疥癬(かいせん)という伝染性の皮膚病により、県内外から患者が殺到し、一躍、老神の名は広まった。

 利根地方には 「脚気(かっけ)川場に瘡(かさ)老神」 という言葉がある。
 瘡とは今でいう皮膚病のこと。
 昔から、おできや腫(は)れ物に効くことで有名な湯治場だった。


  日光の神を追い返した赤城の神


 その昔、上野国(こうずけのくに/群馬県) の赤城山の神 (ヘビ) と、下野国(しもつけのくに/栃木県) の二荒山(ふたあらさん/日光男体山) の神 (ムカデ) が仲たがいをし、共にゆずろうとはしなかった。
 争いは日増しにエスカレートし、多くの神々が二手に分かれて加勢し、激しい戦いがくり返されていた。

 あるとき、油断した赤城の神は敵の矢に当たり、負傷してしまった。
 なんとか赤城山のふもとまで逃げ帰ることができたが、二荒の神の軍勢は、すぐそこまで追いかけて来ていた。
 その時、傷ついた赤城の神が矢を抜き、地面に突き刺すと、不思議なことに湯が湧き出した。
 この湯を浴びると、たちまち傷は治り、陣を立て直して二荒の軍勢を追い返したという。

 このことから 「追い神」 が転じて 「老神」 と呼ぶようになったと伝わる。
 近隣には 「追い返す」 を意味する 「追貝(おっかい)」 や、「追い払う」 を意味する 「大原(おおはら)」 などの地名が残っている。


 しかし一般的に伝わる 「日光と赤城の神戦」 の話は、日光の神がヘビで、赤城の神がムカデである。
 なぜ老神温泉だけ伝説の神様が入れ替わってしまったのかは不明だが、地名のいわれについては、こんな説もある。

 現在の温泉街の小字名が 「湯の上(ゆのうえ)」 であり、かつては 「ゆのかみ」 と呼ばれていた。
 やがて、「おゆかみ」 「おいがみ」 となり、「老神」 の文字が当てられたのではないかという。


 <2017年6・7月号>
   


Posted by 小暮 淳 at 12:44Comments(2)湯けむり浪漫

2022年04月28日

ハッスル餃子とロゼのワイン


 ある時は、タオル片手に湯処をめぐる 「温泉ライター」。
 また、ある時は、民話や伝説の謎を追う 「謎学ライター」。
 しかし、その正体は?

 ジャーン!
 そうです、夜な夜な呑み屋に現れる神出鬼没の 「酔っぱライター」 であります!


 ということで、行って参りました。
 今春、リニューアルオープンした前橋市街地の “昭和レトロの聖地”、「呑竜(どんりゅう)横丁」。

 呑竜横丁とは?

 昭和22(1947)、戦後間もなくのこと。
 復興計画に基づき、大蓮寺の墓地跡地に復員兵の生計を立てることを目的とした 「呑龍仲店」 が誕生しました。
 飲食を中心に、雑貨や総菜、青果の店が雑多に軒を連ねていたため、地元では通称 「呑龍マーケット」 と呼ばれていました。

 僕の子どもの頃は、あの一画は “大人の世界” で、暗黙の “立ち入り禁止エリア” でした。
 確か、大人たちは 「小便横丁」 なんて言っていた記憶があります。
 まあ、言うならば、前橋のゴールデン街だったのです。


 昭和57(1982)年1月。
 そんな “大人の聖地” を、存続の危機が襲いました。
 仕込み時間の夕刻、一軒の飲食店から出火。
 またたく間に火の手は広がり、マーケットは全焼してしまい、25店舗が焼き出されました。

 ところが、各店主たちの努力もあり、たった1年半で再建。
 名称も 「呑龍」 から 「呑竜」 へと改名。
 新たな “のんべえ横丁” がスタートしました。


 時代は昭和から平成へ。
 バブル経済がはじけ、出店者の撤退、空き店舗の増加、建物の老朽化……
 いつしか横丁は、昔のような華やかさを失っていました。

 そこで一念発起、有志たちによるプロジェクトが結成され、このたび 「呑竜横丁」 が華々しくリニューアルオープンしました。


 となれば、当然、「酔っぱライター」 の出動です!

 僕は現在、群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』 のスーパーバイザー (監修人) をしています。
 と同時に、リポーターとしても時々出演しています。

 「小暮さんにピッタリの企画なんですけど、出演していただけますか?」
 とディレクターからの誘いに、
 「酒、呑めるの?」
 「ええ、横丁を端からハシゴしていただきます」
 と言われてしまえば、断わる理由はありません。

 2つ返事+ 「ギャラは要りません」 の言葉を添えて、引き受けました(ウソ)。


 時々刻々と夕闇が迫るアーケード横丁。
 通りの提灯が一斉に灯りました。

 「はい、スタート!」
 ディレクターの声に背中を押され、のれんをくぐります。

 1軒目は、オリジナル 「呑龍ビール」 の小瓶を片手に、焼き鳥を頬張るシーン。
 2軒目は、カウンター席で常連客にまざって、日本酒を酌み交わします。
 ママ手作りのフキの煮物とポテトサラダに、撮影を忘れて箸が進みました。


 「次は、ここでギョーザを食べていただきます」
 とディレクターが指さした店の看板に目をやると、懐かしい文字が!

 『ハッスル餃子』

 いゃ~、懐かしいなんてもんじゃありませんよ。
 昭和の前橋っ子にとっては、憧れのギョーザです。

 ハッスル餃子とは?
 昭和43(1968)年創業のメイド・イン・群馬の “ご当地餃子” であります。
 僕の子どの頃は、前三百貨店の地下・食料品売り場でのみ販売されていました。
 今でいう実演販売で、目の前で焼いた熱々のギョーザを持ち帰り、夕飯のおかずにするのが最高の贅沢でした。


 「前三のハッスル餃子を、ご存じなんですか?」
 ギョーザを焼く若い店主に訊かれました。
 「このポスターだって知ってるよ!」
 壁に貼られたレトロなポスターは、当時、前三百貨店の地下売り場の店頭に貼られていたポスターと同じです。

 その前三百貨店が閉店したのが、37年も前のこと。
 店主が知らなくても無理はありません。

 「はい、ギョーザにはワインが合うんですよ。それもロゼ」

 へへへ~、ギョーザにワインなんて初めてです。
 が、これが意外とマッチ!
 聞けば、具の割合は野菜が9割。
 軽くてヘルシーな味わいで、パリッ、モチモチの皮とのバランスも絶妙です。


 さらに数軒、横丁をさまよいながら千鳥足で歩く僕を、カメラは追いかけ続けます。
 最後は、締めのラーメン店へ。
 食レポも1テイク (一発撮り) でOK!

 「小暮さんは素面(しらふ)よりアルコールが入っていたほうが、雰囲気があっていいですね」
 とディレクターに言われ、
 「だったら、これ、シリーズにしません?」

 この問いに何て答えたのかは、酔っていて覚えていませんが、視聴者の評判によっては、アリかもしせませんよ。


 ※『ぐんま!トリビア図鑑』、「楽しい横丁・吞竜仲店 (仮)」 は、5月24日(火) 21時~の放送です。
    


Posted by 小暮 淳 at 12:01Comments(0)酔眼日記

2022年04月27日

ぐんま湯けむり浪漫 (1) 四万温泉


 このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳のぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載いたします。
 ※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。


   四万温泉 (中之条町)


 「なぜ温泉ライターになったのか?」 と訊かれることがある。
 はたと言葉に詰まるが、きっかけならば思い当たる節がある。
 平成12(2000)年10月、四万温泉協会主催による 「探四万展(さがしまてん)」 というイベントが開催された。
 県内外から画家や彫刻家、写真家など12人のアーティストが集まり、四万をテーマに作品を造り、展示発表した。
 そのなかの一人に、私もコピーライターとして参加した。

 これを機に、何かに付けて四万を訪れるようになり、ついには四万温泉の本を出版することになった。
 そのとき、ひと口に 「○○温泉」 と言っても、湯の数だけ歴史があり、宿の数だけ物語があることを知ったのである。


   山の神のお告げによる開湯


 四万温泉の開湯は古く、平安中期の永延3(989)年と伝わる。
 源頼光の家臣で四天王の一人、日向守碓氷貞光(ひゅうがのもりうすいさだみつ) という武将が越後から上野国へ越えるとき、この地を通りかかった。

 石に腰かけ、うつらうつらしていると、どこからともなく一人の童子が現れて、不思議なことを言った。
 「私はこの山の神である。お前に4万の病を癒やす霊泉を授けよう」
 貞光が目を覚ますと、腰かけていた石の下から、こんこんと温泉が湧き出したという。

 このことを吉兆と感じた貞光が薬師如来像を安置したことから 「日向見(ひなたみ)薬師堂」、温泉を 「御夢想(ごむそう)之湯」 と名付けた。


   戦国時代に開かれた湯治場

 四万温泉は清流・四万川の流れに沿って、5つの地区が連なっている。
 下流から 「温泉口」 「山口」 「新湯(あらゆ)」 「ゆずりは」 「日向見」。
 それぞれに歴史があり、湯の町情緒を漂わせている。

 永禄6(1563)年。
 岩櫃(いわびつ)城が真田勢に攻められた際、四万を通って落ち延びる城主を守るために、追っ手を防ぎ戦った田村甚五郎清政という侍が、現在の 「山口」 に住み着き、湯宿を開いたとされる。
 やがて甚五郎の孫の彦左衛門が分家して、「新湯」 で湯宿を開業した。
 以来、田村家は四万温泉の湯守(ゆもり) を務めてきた。

 明治23(1890)年に 「山口」 が大火に見舞われ、それ以降は 「新湯」 が四万の中心となり、大正時代に 「温泉口」 と 「日向見」 に、昭和になって 「ゆずりは」 に旅館が開業した。


 現在、四万温泉には42本の源泉が湧出し、うち38本が自噴している。
 宿の数は35軒、1軒あたりの源泉保有率は全国でもトップレベルである。
 湯量豊富な自家源泉を持つ宿が多く、大きな旅館やホテルでも源泉かけ流しの風呂を提供している。

 温泉街には5つの外湯 (共同湯) があり、有料・無料に問わず、誰でも自由に入浴することができる。
 本来、外湯とは温泉地で暮らす人たちの浴場である。
 地域の人たちの厚意により開放されているので、利用する場合は 「湯をお借りしている」 という感謝の気持ちを忘れないようにしたい。

 湯は無色透明で肌触りが良く、リウマチや婦人病に効果があるといわれ、飲用すると胃腸病や整腸作用、食欲増進にも効能がある。

 昭和29(1954)年、優れた温泉の効能と豊かな自然環境から 「国民保養温泉地」 の第1号に指定。
 また平成5(1993)年には国民保養温泉地の中から特に自然の活用に適した温泉地として、環境省より 「ふれあい・やすらぎ温泉地」 にも指定された。


 <2017年5月号>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:26Comments(0)湯けむり浪漫

2022年04月26日

チャーハンの極意


 JR信越本線、「北高崎駅」 下車。
 徒歩約2分。

 住宅街の中の一軒家。
 築は30~40年くらいでしょうか。

 ここが、NPO法人 「湯治乃邑(とうじのくに)」 の事務所兼会議室であります。


 空き家を解体する話があり、だったら貸してほしいと所有者に掛け合い、数名の有志でシェアオフィスとして利用しています。
 その一人が、当法人の副理事長だったこともあり、「湯治乃邑」 も間借りすることになりました。

 このシェアオフィスのリビングスペースで、月に1回、役員による月例会議を開いています。

 時間は午前11時~午後1時まで。
 そうなんです、ランチをしながらの会議なんです。
 そして、そのメニューというのが、すべて手作り!

 誰が作るのかって?
 もちろん僕ではありませんって!
 (自慢じゃないけど僕が作れるのは、カップ麵とレトルトカレーだけですから)


 副理事長のA氏であります。

 この人の料理の腕は、並外れています。
 プロでもおかしくないというか、料理へのこだわりはプロ以上かもしれません。
 (変人に近いと思います)

 だって、ラーメンならスープはもちろんのこと、麺だって手打ちです。
 それだけではありません。
 チャーシューやメンマ、ラー油にいたるまで手作りという徹底したこだわりよう。
 (その極意については、当ブログの2020年12月27日 「100%手作り」 参照)


 で、今月のランチメニューは?

 中華の王道、「チャーハン」 でした。
 見た目は、ふつうのチャーハンです。
 具も、チャーシューに玉子にネギ……

 おや? と思ったのは、その色でしょうか?
 なんとなく全体が茶色いのですが、しょう油で焦がした色ではありません。

 とにかく、一匙、口の中へ。
 「う、う、うま~い!」
 米のパラパラ加減が、絶妙です。
 というか、ふだん店で食べているチャーハンとは、食感、特に歯ごたえが違います。

 「こんなチャーハン、食べたことがない!」

 そう絶賛すると、Aさんいわく、
 「何が違うか、分かります?」
 料理のできない僕には、難問過ぎます。

 何が違うって、チャーハン全体の味が違います。
 しいて言うならば、隠し味というよりは、そもそも米からして違うんじゃないの?

 そう告げると、
 「その通り! 玄米なんです」
 「えっ、これ玄米のチャーハンなの?」


 驚いている僕に、A氏は極意を教えてくれました。
 玄米を、ふつうの白米時間で炊き、芯を残したまま、炒めるのだといいます。
 溶き卵も、炒める前の米と、炒めてからの米に、2度がけするようです。

 「分かった?」
 と言われても、料理は食べるのが専門ですからね。
 僕には、馬の耳に念仏であります。


 料理を作るのが好きな方、ぜひ、チャレンジしてみてください。
 絶品のチャーハンが食べられますよ!(上手くできればの話ですが)

 来月の会議が楽しみな、理事長でした。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:30Comments(0)湯治乃邑

2022年04月25日

倉渕川浦温泉 「はまゆう山荘」④


 つい2週間ほど前のこと。
 某全国紙の群馬版に、こんな記事が掲載されました。

 ≪「泉変万化」? 朗報に沸く≫
 ≪分析で証明 入浴 県内はここだけ≫


 温泉法で義務付けられている10年に一度行う温泉成分の分析をしたところ、以前の 「塩化物泉」 から 「含鉄泉」 に泉質が変わっていたという記事です。
 まあ、この時は、「温泉は自然の産物だもの、そりゃあ~、泉質だって変化するよな」 くらいに受け流していました。
 実際に長い温泉取材では、拙著の中だけでも10年前と10年後では泉質が異なる温泉も、ままあります。

 ただ気になったのは、記事でも触れられていた 「含鉄泉」 ということ。
 鉄分を含み、茶褐色~赤褐色に色を変える “にごり湯” は多々ありますが、正式な療養泉名として 「含鉄泉」 の名が付く泉質は県内では、ほぼ皆無です。
 (以前は伊勢崎市に 「五色温泉」 がありましたが休業しています)


 まあ、珍しいといえば珍しいけれど……
 な程度に記事を読み流していたら先週、さっそく某紙から取材依頼が来ました。

 「小暮さん、『はまゆう山荘』 の温泉の泉質が変わったって知っていますか?」
 「ああ、新聞で読んだよ」
 「一度、その目で確かめてみませんか?」
 「確かめるって、そもそも鉄分を含んでいた温泉だからね。泉質名が変わった程度で、見た目の変化はないでしょう」
 そこまで電話で話した時です。

 「いえ、それが以前に比べ、てき面、色が違うらしいですよ!」


 ということで先週、現地調査に行って来ました。

 倉渕川浦温泉 (高崎市) 「はまゆう山荘」。
 温泉が湧いたのは、平成20(2008)年のこと。
 群馬県内で一番新しい “温泉地” となりました。

 それ以前は、旧倉渕村と友好都市を結んでいた神奈川県横須賀市の保養施設でした。
 なので施設には、横須賀市の市花 「浜木綿」 の名が付けられています。


 僕は同21年に 『ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) を出版しています。
 この本には、やはり <県内で最も新しい温泉宿である> と書いてます。
 そして記載されている泉質は、ナトリウム・カルシウム―塩化物・硫酸塩温泉。

 <湧き出た湯は、黄金色した45度の高温泉。時間帯により色が変化するらしく、今日は光の加減か薄黄緑色に見える。>
 ということは、多少なりとも鉄分を含んでいるということです。


 さてさて、では今回は?
 と浴室のドアを開けて、驚いた!

 おったまげ~!!!!
 チャチャチャの真っ茶色です。

 「これはスゴイぞ!」
 と、最新の温泉分析書を拝見。
 確かに泉質は、含鉄(Ⅱ)―ナトリウム・カルシウム―塩化物冷鉱泉と表記が変わっていました。

 10年前の旧温泉分析書と見比べてみると……

 おおおおおーーー!!!
 凄い、スゴイ、すごい!
 約3倍近い数値になっています。

 前回だって、「含鉄泉」 は名乗れなかったものの、ほぼほぼ基準値に近い鉄分を含んでいたわけですから、3倍というのは、かなり濃厚であります。


 ということで、湯を堪能して参りました。
 ところが、今回はカメラマン同行の写真撮影付きの取材ということもあり、長時間の入浴を強いられてしまい、不覚にも、のぼせてしまいましたとさ(笑)。

 ここで教訓です。
 塩分と鉄分の多い温泉は、体感温度を低く感じる性質がありますので、長湯に注意しましょう!
  


Posted by 小暮 淳 at 11:44Comments(3)温泉地・旅館

2022年04月23日

アンコール劇場 『い も う と』


 2015年4月23日
 永い読者ならば、覚えている人もいるかもしれませんね。
 7年前の今日、このブログに書いた記事が、ちょっとした話題になりました。


 今から半世紀近くも昔のこと。
 中学生の時に、下級生からもらったバレンタインチョコレート。
 添えられていたメッセージに書かれていた言葉は、

 ≪私のお兄ちゃんになってください≫

 恋人でも友達でもない、友達以上恋人未満の関係。
 やがて2人は大人になり、別々の人生へ。


 「感動しました」 「胸キュンです」 「ドラマみたい」 「映画のよう」 ……
 掲載当時、多くの反響が寄せられました。
 また、2人のその後についても話題になりました。

 最近になり、「あの話は良かったですね」 「もう一度、読んでみたい」 等のコメントをいただきました。
 奇しくも今日は、掲載からちょうど7年目です。
 記念して、アンコール劇場と銘打ち、再度掲載することにしました。

 初めての方も、ぜひ、お楽しみください。
 


       『い も う と』


 よく立ち寄るコンビニに、とても気になる女性がいます。
 年の頃は50代半ば。僕と同世代のオバサンです。

 なんで気になるのかといえば、遠い記憶の中にいる少女に似ていたからです。
 いや、似ているというのは語弊があるかもしれません。
 なんとなく、面影を感じたのでした。


 40年以上も昔のことです。
 中学3年生の冬。バレンタインデーの日。
 僕は見知らぬ下級生の女の子からチョコレートをもらいました。
 そして、こんな手紙が添えられていました。

 <私のお兄ちゃんになってください>

 以来、僕とその少女は、手紙のやり取りを始めました。
 彼女は一人娘、僕も女きょうだいがいません。
 いつしか2人は、本当の兄と妹のように、いろんなことを手紙で話し合うようになりました。
 その文通は、僕が高校生になっても、上京してからも続いていました。

 今思えば、それだけの付き合いです。
 直接会って話したのも、1回か2回。
 僕が帰省した際に、喫茶店でお茶を飲んだ記憶があるくらい。


 やがて彼女は、彼氏ができたと告げてきました。
 手紙の内容は、恋愛の悩み相談ばかり。
 そんなある日、彼女のお母さんから電話をもらったことがありました。

 「娘を知りませんか? 家を出て行ってしまった」 と。

 僕も一緒になって探しましたが、まだ携帯電話もない時代のことです。
 心当たりは、たった1つ。
 案の定、彼氏のところにいました。
 お母さんと一緒に、ホッと胸をなで下ろしたことが昨日のことのように思い出されます。

 そして、めでたく結婚、妊娠。彼女は母親になりました。
 まだ20歳そこそこの若いお母さんです。


 あれから30年・・・

 どちらからともなく手紙のやりとりもなくなり、互いの暮らしに追われる年月が流れました。



 1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月。
 コンビニの店内で、その女性を見かけるたびに声をかけようかと、迷い続けていました。

 胸の名札に書かれた苗字を見ましたが、もちろん旧姓ではありません。
 でも昔、紹介されたご主人の名前は、そんな苗字だったような気もします。


 そして今日。
 朝の早い時間帯だったこともあり、その女性が駐車場に出て、ほうきを持って掃除をしていました。

 これはチャンス!
 声をかけてみようか、いや待てよ、もう30年以上も前のことだ。
 人違いに違いない。

 と、その時、「おはようございます」 と僕に気づいたその女性があいさつをしてくれました。

 「おはようございます。すみません間違っていたらごめんなさい。もしかしたら、Mちゃんじゃありませんか?」

 「!」
 その女性の驚きようと言ったらありません。
 目をパチクリ、パチクリさせています。

 「小暮です。お久しぶりです」


 「・・・お、に、い・・・ちゃん?」


 春風が小さな想い出を運んできてくれました。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:12Comments(2)つれづれ

2022年04月21日

顔の見える地酒


 現在、僕は群馬県内6ヶ所の 「大使」 に任命されています。
 温泉大使が4ヶ所、観光大使が1ヶ所。
 そして一番新しい大使が、2019年4月に委嘱された 「ぐんまの地酒大使」 です。

 「へぇ~、スゴイですね~! こっちの方 (金) も凄いんでしょう?」
 なんて、えげつないことを言う人も中にはいますが、すべて無給であります。
 当たり前じゃ、ないですか!

 ぼ、ぼ、ぼくは、お金のために大使を引き受けたわけじゃありませんって!(キッパリ)
 すべては群馬の温泉のため、観光のため、地酒のために活動しているのです!(本当だよ)

 「でも、なんか特典はあるんでしょう?」

 これまた、えげつないことを訊いてくる人がいますが、そんな時はキッパリ、こう言ってやります。
 「ハイ、あります!」


 まあ、特典といったって、大使は名誉職ですからね。
 観光施設の優待券とか、温泉場ならば “顔パス” くらいですげど……。
 でもね、地酒大使は違います!
 ズバリ、現物支給があります。

 いや~、何が嬉しいかって、この世でもらって嬉しいものといえば、現金と酒に決まっているじゃありませんか!
 それも、どちらの方が、より嬉しいかって問われれば、迷わず僕は、“酒” と答えます。
 1番が酒、2番が現金です。

 と言うと、「現金の方がいいじゃないですか? 現金があれば酒だって買えます」 なんて言い返されそうですが、それは違います!(キッパリ)
 買った酒じゃダメなんです。
 酒は、もらってこそ、旨いんです。

 しかも、群馬の地酒ならば、なお好し!


 オール群馬の酒が発売される話を覚えていますか?
 (当ブログの2022年4月15日 「オール群馬の酒 『舞風』 限定先行販売!」 参照)

 米も酵母も水も、すべて群馬産で造った酒 「舞風」 のことです。
 明日22日(金) の一斉酒店販売を前に、今夜7時から蔵元出演によるトークショー 「舞風解禁前夜祭」 がYouTubeにてライブ配信されます。
 ということで、ひと足先に僕の所にも 「舞風5本セット(蔵元顔ラベル)」 が送られて来ました。

 この顔ラベルが、笑っちゃうくらい似ているんです!

 僕は酒蔵を取材して回っているので、蔵元の顔は、よく知ってますからね。
 「造った人の顔が見える酒」
 というわけです。
 なんか農産物みたいで、いいですね。
 顔が見えると、安心して呑めるような気がします。


 さて、今夜は、どの酒蔵の酒を呑もうかしらん。
 蔵元の顔を見ながら呑むなんて、なかなか粋なはからいであります。

 やるじゃないか、群馬の地酒!

 これからも応援していきます。
    


Posted by 小暮 淳 at 14:26Comments(0)大使通信

2022年04月20日

「神社かみしばい」 4月口演


 昭和の頃、近所の御婦人とすれ違うと、
 「いいお日和で」
 なんて声をかけられたものです。
 今思うと、なんて素敵な言葉なんでしょう。

 最近は、聞かなくなりました。


 「○○日和」 と言えば、○○をするのに好都合な天候や陽気のことをいいます。
 洗濯日和、遠足日和、行楽日和……
 僕らは勝手に、こんな言葉を使っています。

 “紙芝居日和”


 僕らとは、壽ちんどん宣伝社の座長・石原之壽(いしはらのことぶき)君と、画家の須賀りすさんと、僕です。
 3人は、昨年の1月から毎月、伊勢崎神社の境内で街頭紙芝居を行っています。

 “街頭紙芝居” ですから基本、屋外で開催しています。
 雨の日は仕方なく屋内を借りて行いますが、まあ、僕は自他ともに認める “晴れ男” ですからね。
 ほとんど雨天日はありません。

 ただし群馬には、名物 「からっ風」 が吹き荒れます。
 展示物や駄菓子などが、落ち葉と一緒に舞い上がってしまい、イベントになりません。
 そして、真冬の寒さ!
 観客はジッとして見ていられないため、立ち止まっても素通りされてしまいます。

 よって、この数ヶ月間 (12月~3月) は、余儀なく屋内開催となっていました。


 でも、季節は変わりました!
 桜も咲きました。
 菜の花も咲きました。
 ヒヨドリも飛んでいます。

 春です!

 そう、絶好のシーズン到来です。
 まさに “紙芝居日和” となりました。

 今度の週末も暖かな陽気になりそうです。
 たくさんの方のご来場をお待ちしています。



      「神社かみしばい」 4月口演
 
 ●日時  2022年4月23日(土)、24日(日)
       10時、11時、12時、13時 
       ※屋外開催 (悪天候時は室内)
 ●会場  伊勢崎神社 境内 (群馬県伊勢崎市本町21-1)
 ●入場  無料 (投げ銭制) ※ペイペイ可
 ●問合  壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480

 ☆小暮は24日のみ在社いたします。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:18Comments(0)神社かみしばい

2022年04月19日

西上州の薬湯 (15) 最終回 「『高崎の奥座敷』 と呼ばれた浮世離れの別天地」


 高崎観音山温泉 「錦山荘」 高崎市


 JR高崎駅から、わずか3キロ。
 観音山丘陵の中腹にたたずむ一軒宿は、市街地から近い場所にありながら、豊かな自然に囲まれた静寂の中に立つ。
 昔より、時の要人たちに愛されてきた別天の地だった。

 開湯は大正4(1915)年。
 当時は清水(きよみず)鉱泉と呼ばれる共同浴場があり、地域の人たちに親しまれ、大変にぎわっていたという。
 宿は昭和4(1929)年に、和風建築の高級料亭旅館として創業した。
 特に秋の紅葉は美しく、その錦織り成す風光明媚な景色から 「錦山荘」 と名付けられた。

 かつては新渡戸稲造や犬養毅などの政治家や実業家が足を運び、「高崎の奥座敷」 とまで言われた。
 平成の大合併がされるまでは、高崎市で唯一の温泉宿だった。


 昭和63(1988)年に改築され、装いも新たに展望風呂を持つ旅館に生まれ変わった。
 現在は日帰り入浴や食事、宴会ができる温泉施設として、宿泊客のみならず地域の人たちの憩いの場として利用されている。

 しかし大正、昭和、平成と時代は移り変わっても、ここだけは今も昔も変わることのない深い自然に包まれている。
 市街地との距離を考えると、奇跡とも言える清閑を保っている。


 本館の2階には、創業当時の客室が残されている。
 「桐」 「竹」 「桜」 「楓(かえで)」 の間には、客室名どおりの銘木を贅沢に使った長押(なげし) や回り縁、網代(あじろ)天井など、日本建築の粋を極めた内装が施されている。
 その美しさは、一見の価値あり。
 あえて、この4部屋を指名して宿泊するファンもいるほどだ。

 自慢の露天風呂へは、渡り廊下のような階段を上って別館へ。
 浴室は昔ながらの丸太を組んだ湯小屋風。
 湯舟の中からは高崎市街地を一望することができる。
 眼下の烏(からす)川越しに市役所、その奥に県庁舎を望み、遠く赤城山の全景を見渡す大パノラマが広がる。


 ♪ 秋の日脚は観音山に 落ちて夕闇立田の姫も 織るが紅葉の錦山荘は 浮世離れた別天地 ♪

 “ブルースの女王” と言われた大歌手、淡谷のり子が昭和初期に歌った 『高崎小唄』 のフレーズである。
 冷えた体を湯の中で温めていると、歌詞が心に染みて来る。

 まさに、ここは “浮世を離れた別天地” だ。


 <2018年2月2日付>
 ※現在、錦山荘は休業しています。


 このカテゴリーでは、2016年12月~2018年2月まで 「生活info(くらしインフォ)」 (関東新聞販売) に連載された 『西上州の薬湯』(全15話) を不定期にて掲載してまいりました。
 ご愛読いただき、ありがとうございました。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:03Comments(2)西上州の薬湯

2022年04月17日

おかげさまで定員を超えました!


 現在、群馬県立土屋文明記念文学館 (高崎市) で開催中の企画展 『落語と文学』。
 その開催期間中に特別企画として 「落語会」 が開催されます。

 出演は今や名実ともに大人気の春風亭一之輔、地元群馬出身の立川がじら、柳家小もん他。
 その “他” の枠で登場するのが、我らが酒処 「H」 のスター! 都家前橋 (みやこや・ぜんきょう) であります。
 彼は昨年、僕の提案により国定忠治が処刑前夜に呑んだとされる幻の酒 「牡丹」 をテーマにした創作落語 『末期の酒』 を披露して話題となりました。
 (現在もYouTubeにて公開中)

 そんな彼の新作落語が披露されることは、以前、このブログでも紹介しました。
 (2022年3月22日 「創作落語 『焼きまんじゅうろう』 本邦初演!」 参照)
 開催は5月3日(火・祝)、定員は100名。
 申し込みの締め切りは、4月18日必着!

 でしたが、なななんと! その締め切りを待たずして、すでに定員の100名を超えました! (凄い)
 ということで、抽選となります。

 ご応募された方、ありがとうございます。
 当選者にはイベントの1週間前を目安に通知が送られます。
 楽しみにお待ちください。


 群馬のニューヒーロー 「焼きまんじゅうろう」 の誕生は、14年前になります。
 前橋市在住の絵本作家、野村たかあき先生と僕の雑談の中で生まれました。
 まず手始めに、先生が作詞、僕が作曲を担当して、テーマソングの 『焼きまんじゅうろう 旅すがた』 を制作。
 すぐにレコーディングをして、CDを販売。
 県内のイベント会場で歌ったり、ラジオ局にゲスト出演して、歌のPRを続けてきました。

 翌年、 「焼きまんじゅうろう」 は、『日本全国ご当地キャラクター図鑑2』(新紀元社) にも群馬代表として、前橋市の 「ころとん」 とともに掲載されました。
 その後、紙芝居になり、このたび、満を持して創作落語としてお披露目されることになりました。

 タイトルは 「焼きまんじゅうろう旅姿~玉村宿の決闘」。
 乞う、ご期待!


 ※今回の企画展 『落語と文学』 では、原作者の野村たかあき作 「らくごえほん」 シリーズの原画が展示中です。
 (「しにがみさん」、「しばはま」、「ねこのさら」、「そこつ長屋」 ほか)
 ぜひ期間中に、ご覧ください。


      第115回企画展 『落語と文学』

 ●会期/2022年4月16日(土)~6月12日(日)
 ●時間/9時30分~17時
 ●休館/火曜日 (ただし5月3日は開館、5月9日休館)
 ●料金/一般410円、大高生200円
 ●問合/群馬県立土屋文明記念文学館 (高崎市保渡田町2000)
        TEL.027-373-7721
   


Posted by 小暮 淳 at 12:21Comments(0)ライブ・イベント

2022年04月16日

ガラケーは強し!


 「ア゛ーーーー!!」
 と叫んだと同時に、僕の胸ポケットから飛び出した携帯電話が、そのまま弧を描きながら真下の便器にダイブ!
 「ア゛ーーーー!!」
 と叫び終わる前に、すかさず右手を便器の中に突っ込み、底に沈む前にキャッチ!

 「ああ、これで俺のガラケー人生も終わったな」
 あわてて、備え付けのタオルにくるみました。


 思えば、長い付き合いだったよな。
 「絶対に携帯電話は持たない」
 という信念を貫こうとしていた僕を説得したのは、タウン誌編集部のS嬢でした。
 「だったら編集長は一歩も出ないで、一日中、編集室にいてください」
 のひと言に負けて、
 「何でもいいから携帯電話を持って来い! そしたら持ってやる!」
 と啖呵を切ったのが、ガラケーとの出合いだもの。
 20年以上の付き合いになります。

 もちろん、機種は何台も変わりました。
 そして時代も変わりました。
 携帯電話は、誰もがスマホを持つようになりました。
 それでも、かたくなに僕は 「絶対にスマホは持たない」 と意地を張りながら信念を貫き通そうとしていたのです。


 でも、潮時が来たようであります。
 これで踏ん切りが付くというものです。

 携帯会社からは再三、DM通知が届いています。
 <現在お使いの携帯電話は……>
 というガラケーでの通信が終了するというお知らせです。

 でも、終了までには、まだ間があります。
 「がんばれ! 僕のガラケー!」
 と励まし、騙し騙し、今日まで仲良く互いに支えながら暮らしてきたのです。


 きれいに体を拭き拭きしてあげ、一か八か、電源を入れてみました。
 すると、点きました!
 でも、光量が弱い。
 全体が暗く、画面の上部にカードマークが表示され、「☓」 印が点灯しています。

 「おい、ガラケー! お前は、まだ生きているんだな!」
 人間で言えば、瀕死の重体状態のようです。
 「待ってろよ、絶対に助けてやるからな!」
 と僕は、改めて電源を切り、本体から裏蓋をはずし、電池とチップを取り出しました。

 「こんなにも濡れているじゃないか! ごめんよ、気づかなくて」

 ティッシュと綿棒を取り出し、体内を清掃。
 電池とチップもきれいに拭いて、しばらく置いて、中を乾燥させることにしました。


 1時間後。
 電源、ON!

 「おおおおおおおーーーーーー!!!!」

 凄いぞ、ガラケー!
 何事もなかったように、いつもの画面に戻りました。
 データもすべて残っています。
 もちろ、電話もメールも通常通り使用できます。

 ガラケーは強し!


 あれから1週間が経ちました。
 今でも僕と一緒に暮らしています。
 なんだか以前より増して愛着が湧き、いとおしさまで感じるようになりました。
 でも、やがて別れの日が来るんですね。

 その日まで、よろしくガラケー! 
   


Posted by 小暮 淳 at 12:05Comments(0)つれづれ

2022年04月15日

オール群馬の地酒 「舞風」 限定先行販売!


 日本酒ファンのみなさん、こ・ん・に・ち・は~! (錦鯉風)

 今日は 「ぐんまの地酒大使」 から耳よりのお知らせです。
 オール群馬の地酒 「舞風」 2022 が、いよいよ今月22日より酒店やスーパーで一斉販売が開始されます。
 今年で11年目になります。


 「舞風 (Maikaze) 」 とは?

 酒米や酵母、仕込み水など群馬県産にこだわった地酒です。
 群馬県酒造組合では、「舞風」 のおいしさを味わってもらうために、製造する酒造りのルールを定めています。
 ●酒米は、群馬県産酒造好適米 (オリジナル酒米) 「舞風」 を100%使用すること。
 ●精米歩合60%以下の 「特定名称酒」 とすること。 (純米吟醸酒、吟醸酒、純米酒、本醸造酒)
 ●群馬県産の 「酵母」 を使用すること。

 これらの基準を満たした日本酒だけが 「舞風」 のシンボルマークを揚げて販売されます。


 県酒造組合では、販売開始の前夜となる4月21日(木) 午後7時より動画配信サイト 「YouTube」 にて、『舞風解禁前夜祭』 と銘打ったオンライントークショーを開催します。
 「舞風」 を造った県内16酒蔵の蔵元が出演し、それぞれの酒の出来栄えなどを紹介します。

 また、この前夜祭に合わて参加酒蔵が 「舞風」 の小瓶を詰め合わせた 「限定ボックス」(300セット) を先行販売します。
 ●300ml×5本=4,400円
 ●全3種 (15酒蔵が参加)
 3セット同時購入いると、15種の日本酒を味わえます。
 売り切れ次第終了。
 ※18日発送し、20~21日に届く予定です。

 「舞風」 および 「限定ボックス」 の予約・問い合わせは、各酒店または県産地酒の情報発信サイト 「群馬SAKE TSUGU (サケツグ)」 へ。


 ひと足早く、前夜祭を見ながら今年の 「舞風」 を味わいましょう!
  


Posted by 小暮 淳 at 12:25Comments(0)大使通信

2022年04月14日

先生と呼ばないで


 毎週、日曜日の朝が楽しみです。
 それは新聞の日曜版を読めるから。

 特に毎日新聞の 「日曜くらぶ」 はエッセーやコラムが充実していて、日曜日の朝にコーヒーを飲みながら一つずつ、ゆっくりと読んでいると、とても幸せな気分になります。
 タレントの松尾貴史さんのコラム、作家の山田詠美さんのエッセーは、欠かさずに読んでいます。

 そして、もう一人、短いコラムですが、毎回異なる視点で日常を軽く切ってくださるのが、心療内科医の海原純子さん。
 『新・心のサプリ』 を読むのも楽しみの一つです。
 「へ~」 とか 「ああ」 とか感心しながら読んでいます。


 今週のテーマは 「どう呼ばれるか」。

 <私は診療や講演以外で 「先生」 と呼ばれるのが嫌いで相手は敬称のつもりでそう呼ぶのかもしれないが、特にライブ会場でそう声をかけられると当惑してしまう。そう呼ばれると気分は 「医者」 のほうに追いやられるからだ。> 

 海原さんは、ミュージシャンでもあるんですね。
 いくつもの顔があるため、“呼ばれ方” によって自分の意識が影響されてしまうようです。
 また、こんな風にも言っています。

 <どう呼ばれるかは、レッテルの一種かもしれない。「先生」、と呼ばれれば先生のレッテルが貼られた気分になる。「おばさん」 「おばあちゃん」 と呼ばれればそのレッテルが貼られることになるから、怖い。>


 僕も時々、「先生」 と呼ばれる時があります。
 医者でも政治家でもないのにね。
 まあ、講演やセミナーなどに呼ばれると、一応、肩書は “講師” のわけですから、まわりの人は気をつかって 「先生」 と呼んでくださるわけです。
 最初は、ガラじゃないので、「先生」 と呼ばれるたびに何だかくすぐったかったのですが、馴れとは恐ろしいもので、かれこれ10年以上行っていると、ふつうに 「ハイ」 と応えられるようになりました。

 先日、「弟子の会」 という会合がありました。
 これは、僕のことを勝手に 「先生」 とか 「師匠」 と呼ぶ温泉好きの集まりです。
 7年ほど前から隔月で、年6回開催しています。
 開催といっても、居酒屋に集まって酒を呑むだけなのですが……

 この場合、「先生」 と呼ばれることに特に違和感は覚えません。
 そもそも自称 “弟子たち” は、僕のセミナーや講座の受講生や熱心な読者だからです。
 出会った時からすでに 「先生」 と呼ばれていました。


 問題は、以外の人たちです。
 まわりが 「先生」 と呼んでいるので、便乗して 「先生」 と呼ぶ人たちがいます。
 この場合、一瞬にして僕の体の中を違和感が走ります。

 「オレ、この人の先生じゃないし」

 でも仕方ないですよね。
 “レッテル” なんですから。
 勝手に貼られてしまうこともあるわけです。


 ある日のこと。
 いつもの居酒屋のカウンター席で、常連客らと和気あいあいと酒を酌み交わしていた時でした。
 カウンターの隅にいた若い女性客が、僕のことを 「先生」 と呼びました。

 「オレはキミの先生じゃないんだけどなぁ~」
 と思っていたら、すかさず助け舟を出してくれた客がいました。
 「先生なんて呼ばなくていいの! この人は 『ジュンさん』。だよね、ジュンさん!」
 ナイス・フォロー!

 ここは呑み屋なんだもの。
 堅苦しい呼び方は止めにして、楽しく呑みましょうよ。


 海原さんはコラムの最後を、こう締めくくっています。
 <妻をどう呼ぶか、夫をどう呼ぶか子どもをどう呼ぶか、なども考えるとさまざまな心理が浮かび上がる。意識することなくその人を呼んでいる呼び方や何気なく応じているその呼ばれ方が意識に影響しいてることがある。自分がその時そうありたいと思う呼ばれ方をするのが一番しっくりした気分になれるのだろう。>

 みなさんの呼ばれ方は、どうですか?
 呼ばれたい呼ばれ方で呼ばれていますか?
    


Posted by 小暮 淳 at 12:06Comments(0)つれづれ

2022年04月13日

西上州の薬湯 (14) 「太古の地中から湧き出る全国無比の鉱泉」


 このカテゴリーでは、2016年12月~2018年2月まで 「生活info(くらしインフォ)」 (関東新聞販売) に連載された 『西上州の薬湯』(全15話) を不定期にて掲載しています。
 ※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。


 八塩温泉 「神水館」 藤岡市


 神流(かんな)川の支流、南沢の渓流沿いに、古くから鉱泉が湧いていた。
 8つの塩泉があったことから 「塩の湯口八ツ所」 と呼ばれ、これが地名の由来だという。

 源泉は約14~16度の冷鉱泉。
 200万年以上前の新生代第三紀に地中に閉じ込められた海水が、現在も自噴している。
 高濃度の塩分を含んでいるため、物資不足の戦時中は源泉から食塩を精製したこともあった。
 また炭酸を含むため、菓子などの製造にも利用されてきた。
 明治時代の古文書にも、<固形成分の多きこと全国無比の鉱泉なり> と記載されているほどの名薬湯だった。


 八塩(やしお)の源泉は、上流にあるほど塩分が濃いともいわれ、現在は5つ源泉が川沿いに湧き、3軒の温泉宿が点在している。
 入浴には加水して濃度を薄めながら使用しているが、それでも塩辛い湯がピリピリと肌を刺激する。

 胃腸病、リウマチ、一般皮膚病には温浴。
 また創傷、打撲、やけど、切り傷などは、局部冷浴により効果があるといわれている。
 塩分が発汗を抑えるため、保温効果もある。


 昭和6(1931)年創業の 「神水館(しんすいかん)」 は、「日本秘湯を守る会」 (朝日旅行) の会員宿として、温泉ファンに広く知られている老舗旅館。
 桃山風建築の本館と数寄屋造りの別館が、まるで時代劇のオープンセットのような存在感をもって、旅人を出迎えてくれる。

 玄関を入るとガラス張りのロビー一面に、神流川の悠々とした流れが、あたかも一幅の屏風(びょうぶ)絵のように広がる。
 春のサクラ、夏のツツジ、秋のモミジ、そして冬木立と四季折々の表情を映し出している。
 同館が “映し絵の宿” とも呼ばれるゆえんである。


 敷地内に自家源泉が湧く。
 泉質はナトリウム―塩化物・炭酸水素塩冷鉱泉。

 「重曹を含んでいるため、昔は、まんじゅうを作るのにも使われていたと聞いています。また切り傷や皮膚病に特効があるといわれ、医者に紹介されて通って来る患者さんもいます」
 と5代目主人の貫井昭彦さん。
 その効能は、アトピー性皮膚炎が治ったという報告もあるほどだ。


 内風呂には、源泉を加温した 「温浴用」 と、源泉そのままの 「冷浴用」 の2つの浴槽がある。
 交互に入浴することで、神経痛や筋肉痛などの効能を高めるという。
 源泉の温度は約15度。
 冬場の入浴は覚悟が必要だ。
 ところが、これがクセになる。
 湯上りは、いつまで経っても汗が引かず、体がほてり続けていた。


 <2018年1月5日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:05Comments(0)西上州の薬湯

2022年04月12日

今日の朝日新聞 「創作落語で悪者退治」


 今日の朝刊、群馬版に大きく出ました!

 ≪焼きまんじゅうろう≫
 ≪創作落語で悪者退治≫


 記事を書いたのはK記者。
 この記者、ちょっと変なんです。
 昨年春、群馬に赴任して来るなり、一見で飛び込んだ居酒屋で、偶然にも僕の著書を見つけ、翌日には連絡を寄こしました。

 で、会うことになり、意気投合。
 「群馬の面白い記事を書きたい!」
 その熱意に負けて、ネタを提供すると、次から次と記事にしました。

 温泉、民話、妖怪、紙芝居、そして創作落語……


 創作落語を取り上げるのは、昨年の国定忠治が処刑前夜に呑んだとされる酒をめぐる 『末期の酒』 以来、2作目であります。(YouTubeにて公開中)
 演じるのは、前橋市在住の噺家・都家前橋 (みやこやぜんきょう) さん。
 そして原作者は、これまた前橋市在住の絵本作家・野村たかあき先生であります。
 ※(詳しくは当ブログの2022年3月22日 「創作落語 『焼きまんじゅうろう』 本邦初演!」 参照)


 <創作落語の演目は 「焼きまんじゅうろう旅姿~玉村宿の決闘」 (約40分)。江戸時代に日光例幣使街道が通り、諸国の旅人でにぎわった玉村宿 (玉村町) が舞台だ。バクチ場をつくって大もうけをしようとする 「どどめ一家」 の親分や用心棒たちが登場。彼らとの戦いを、ユーモアをまじえてドタバタ喜劇風に描く。>
 (朝日新聞より)


 必殺技は 「あまから剣法みそだれ返し」!
 ベタベタとした味噌ダレを飛ばして、悪者を退治します。
 そして、決めゼリフは、
 「目に染みたか、身に染みたか、心に染みたか」

 乞う、ご期待! 
 会場で一緒に、「焼きまんじゅうろう」 を応援しましょう!



    創作落語 『焼きまんじゅうろう旅姿~玉村宿の決闘」 披露会

 ●会場/群馬県立土屋文明記念文学館 研修室
 ●日時/2022年5月3日(火・祝) 14~15時
 ●入場/無料 (ただし事前申込制)
 ●申込/4月18日(月)必着 (定員100名)
        〒370-3533 高崎市保渡田町2000 土屋文明記念文学館・イベント係
        ※HPの 「イベント申込フォーム」 または往復ハガキにて

  ≪当日のスケジュール≫
 14:00  開演/開口一番 落語一席 上州亭香鈴
 14:15  創作落語 『焼きまんじゅうろう旅姿~玉村宿の決闘』 都家前橋
 14:45  お楽しみ座談会 (野村たかあき&都家前橋)
  


Posted by 小暮 淳 at 10:02Comments(0)ライブ・イベント

2022年04月11日

安住効果の余韻


 「日曜日の10時から……」
 「えっ?」

 突然、話しかけられました。
 顔は見覚えがありますが、名前は知りません。


 昨日は年に1回の町内の 「堀払い」 (清掃活動) の日でした。
 午前8時、長靴を履いて、スコップを手にした人たちが、ぞろぞろと集まってきます。
 各家から1人が参加。
 約100戸ありますから町内は、さながら祭りのようであります。

 開始から数分後。
 側溝のゴミをすくい上げようと、スコップを持ち上げた、その時でした。
 「日曜日の10時からラジオを聴いていたらさ……」
 70代とおぼしき年配の男性に声をかけられました。

 「ああ、安住紳一郎さんの番組ですね」
 「そうそう、それ! ビックリしちゃってさ。知っている人のこと、話しているじゃない」

 なんのことかと言えば、昨年暮れにTBSラジオの 『安住紳一郎の日曜天国』 という番組で、アナウンサーの安住さんが、僕の本を 「ボロボロになるまで読んでいる」 「師匠と呼んでいる」 と発言して、話題になったあの一件のことのようです。
 ※(詳しくは当ブログの2021年12月5日 「安住紳一郎さん、ありがとうございます!」 参照)


 うれしいやら、恥ずかしいやら……
 でも4ヶ月も前のことですよ!
 よく覚えているものです。
 しかも、テレビではなくラジオです。
 映像はありません。
 だから僕の顔も出ません。
 なのに安住さんが 「小暮淳」 と言っただけで、「同じ町内の小暮さんだ!」 と分かったということです。

 恐るべし! このオッサン!!
 と驚くやら、感心するやら、ひとしきり雑談を交わして、作業にかかりました。
 約30分後、我が班の担当エリアの清掃を終え、隣保 (同じ班) の人たちと休憩をしていた時でした。

 ツカツカ、ツカツカと、前方より真っすぐ歩きながら僕に近寄る人影を発見!
 えーと、えーと、確か……
 マスクをしているので分かりづらいのですが、隣の班の人だよね?
 名前は忘れましたが、僕よりは年下の男性です。


 そして僕の前まで来ると、こう言いました。
 「TBSラジオ、聴きましたよ!」

 またしても “安住効果” であります。
 ふだんは道ですれ違っても、ペコリとお辞儀をするくらいの付き合いなのに、安住さんのひと言が、こんなにも町内を狭くしています。

 「ああ、ありがとうございます」
 「あんだけ宣伝してもらえば、本が売れたでしょう? 印税、ガッポガッポだ~(笑)」
 「ええ、おかげさまで、少しは売れたようですけど、在庫が出ただけですから、私には一銭も……」
 「何言ってるんですか! これからガッポガッポですよ~(笑)」

 彼の発する 「ガッポガッポ」 がおかしくて、一緒に笑ってしまいました。
 もしかしたら彼と話しをするのだって、初めてかもしれません。
 なのに、一気に “タメ言葉” で、この馴れ馴れしさです。

 恐るべし! 安住紳一郎!!

 地方都市の地域交流の話題づくりに、ひと役買っています。
 あらためて、お礼申し上げます。

 安住紳一郎さん、ありがとうございます!
  


Posted by 小暮 淳 at 11:43Comments(0)つれづれ

2022年04月10日

こ・の・う・ら・み・は・ら・さ・で・お・く・べ・き・か


 <中学一年生の時、衝撃的な事件が起こった。手塚治虫先生の漫画との出会いである。ある日、藤本君と2人でいきつけの書店へいった。その本棚に一冊の漫画の本があった。『新宝島/手塚治虫著』 という単行本だった。>
 (『まんが道』 1巻 「あとがき」 より)

 漫画家の藤子不二雄Ⓐ (本名・我孫子素雄) さんが亡くなられました。
 88歳でした。


 僕が生まれて初めて自分で買ったレコードは、ザ・タイガースの 『モナリザの微笑』 でした。
 でも、買ってもらったレコードは違います。
 ソノシートの 『オバケのQ太郎』。
 (若い人は馴染みがないかもしれませんが、子ども向けのレコードは、みんなビニール製のペニャペニャしたソノシートでした) 

 漫画家・藤子不二雄原作のテレビアニメの主題歌および声優陣のミニドラマが収録されていました。
 ただ、まだ当時は、“藤子不二雄” という人が2人いることは知りませんでした。


 やがて、藤子・F・不二雄 (本名・藤本弘) 原作のテレビアニメ 『ドラえもん』 のヒットにより、僕らは、それ以前の作品は、藤子不二雄Ⓐとの共作であったことを知ります。
 でも、すでに僕は中学生でしたから、『ドラえもん』 には夢中になりませんでした。
 僕は成長と共に、藤子不二雄から分離した藤子不二雄Ⓐの世界に引き込まれて行きました。


 どちらかというと活字好きの読書派だった僕は、ほとんどマンガ本を買うことはありませんでしたが、10代の頃に唯一、全巻揃えたマンガが 『魔太郎がくる!!』 (1972~) でした。

 「このうらみ!はらさでおくべきか!!」
 (この恨みを晴らさないで放置していいのか)
 の名ゼリフとともに、ふだんは、いじめられっ子である主人公の浦見魔太郎が、夜になるとマントをひるがえして仕返しに現れます。

 今までのマンガに無い、シュールでホラーでブラックな作品に夢中になった記憶があります。


 『笑ゥせぇるすまん』 『プロゴルファー猿』 『少年時代』 ……

 その後も精力的に大人向けのマンガを描き続けてきた藤子不二雄Ⓐ
 もし僕が、数ある作品の中から一冊を挙げるとすれば、それは今でも、この仕事部屋の手の届く書架に置かれている 『まんが道』 です。

 主人公の名前こそ違いますが、まさに自伝的漫画。
 満賀道雄と才野茂は、藤子不二雄の両氏です。
 富山の田舎から師と仰ぐ巨匠・手塚治虫のもとへ上京し、漫画家の道を歩む2人の姿は、いつ読んでも胸を打たれます。

 今でも漫画家を志す若者たちのバイブルとなっているようですが、漫画に限らず、夢を追う人たちには、ぜひ、一読していただきたい名著だと思います。
 僕も訃報を知り、眠っていた 『まんが道』 を取り出し、また1巻から読み出しました。


 藤子不二雄Ⓐさんのご冥福をお祈りいたします。
 素敵な作品を残していただき、ありがとうございました。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:15Comments(0)つれづれ

2022年04月09日

長生きしたけりゃ酒を呑め!


 新聞によりますと……
 (「テレビ三面記事 ウィークエンダー」 風に)

 <広島大と日本医療研究開発機構は7日、清酒酵母に多く含まれる物質 「S―アデノシルホモシステイン」 (SAH) が生物の寿命を延ばすことを発見したと発表した。>
 (2022年4月8日付 毎日新聞より)


 これは朗報であります!
 それも日本酒好きには、願ったり叶ったり、大手を振って酒を浴びる口実にもなりますぞ!
 日本酒を呑んで、長生きをしよう!

 ていうか、難し過ぎて、何が何だか分かりません。
 そもそも 「S―アデノシルホモシステイン」、略して 「SAH」 って何だ?


 新聞によりますと……(古い!)

 <SAHは生物内に現存する代謝物質で、アミノ酸の一種 「メチオニン」 が細胞内で別物質に変化する反応を活性化させる。>

 ますます分からなくなってきました。


 なんでも研究チームによれば、このSAHの働きを調べるための実験を行ったとのことです。

 <単細胞生物である別の酵母と、多細胞生物である線虫に餌としてSAHを投与したところ、酵母は最大1.6倍に、線虫は同1.3倍に、それぞれ寿命が延びることを確認した。> 

 線虫? なんじゃ、そりゃ?
 しかも、線虫とやらの寿命が延びると、人間の寿命も延びるの?

 学のない頭で、自分でも分かるように新聞記事を読み解いてみました。
 すると、どうも、生物の寿命を左右するのが、前出の 「メチオニン」 という物質らしいのです。
 このメチオニンが体内で減少すると、生物は長生きできるとのことです。

 <メチオニンは肉や乳製品などに多く含まれる。>
 いわゆる “美味しいモノ” に含まれているのですね。


 研究の中心になった広島大教授の水沼正樹氏は、こう言います。
 <「カロリー制限は長寿を促進するとされているが、難しいと感じる人も多い。この物質を活用して、食事制限に頼らない長寿命化を模索したい」>

 呑兵衛的に解釈すれば、カロリーを気にせずに、美味しいモノをたくさん食べたければ、日本酒を呑みなさい! ということですね。
 素晴らしい!

 食べて、呑んで、長生きをしよう!


 思えば僕の先祖は、みんな吞兵衛で、大往生しています。
 “酒は百薬の長” とも言います。
 昔の人は、実験なんてするまでもなく、酒の力を知っていたんですね。

 これで 「ぐんまの地酒大使」 としても今後、堂々と日本酒を宣伝していけます。
 研究チームのみなさん、ありがとうございます。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:52Comments(0)大使通信

2022年04月08日

プラスD


 「血圧が下がったんですって?」
 「亜鉛が、いいんですってね?」

 ブログを読んだ友人知人らから、そんな問い合わせがありました。
 ※(2022年3月19日 「アエ~ン!!」 参照)


 因果関係は定かではありませんが、サプリメントの亜鉛を飲み出してから血圧が下がったという記事を書いた件です。
 ある日、定期問診に主治医のもとへ行ったときのこと。
 いつもは高めの血圧が、下がっていました。
 医者も不思議がり、何度か測り直してみたものの、やはり下がっています。

 その時、「心当たりは?」 と問われ、「そう言えば、亜鉛を飲み出しました」 と答えたという話です。

 そもそも亜鉛を飲み出したのは、さる医学に精通した知人から 「コロナ感染予防には亜鉛がいいですよ」 と教えてもらったからであります。
 物は試しにと、ドラックストアで安価で売られてるサプリメントを購入しました。

 ただ、それだけのことです。


 まわりの反響に驚いていると、亜鉛をすすめた当の知人からメールが来ました。
 ブログを読んでくださったようです。
 こうメッセージが寄せられていました。

 <ぜひ、ビタミンDもお忘れなく!>

 そして、こんな注釈が添えられていました。

 <ビタミンDと亜鉛の血中濃度が高い人は、ワクチン接種の有無に関わらず、「感染しない」 「感染しても無症状~軽症」 という臨床医からの報告が上がっています。> 

 単純な僕は、「ほほう! ならば、さっそく試してみよう」 とドラッグストアに駆け込み、ビタミンDのサプリメントを購入。
 毎日せっせと、亜鉛&ビタミンDを摂取しております。


 何か変化はあったのかって?

 まだ異変は起きていませんが、血圧は依然、下がったままです。
 何より、今日現在、新型コロナウイルスには感染していません。


 3回目のワクチン接種もしました。
 亜鉛もビタミンDも飲んでます。

 コロナ野郎! 来るなら来てみろ~!


 ていうか、誰か、花粉症に効くサプリメントを知りませんか?
 目下、コロナウイルスより花粉症と格闘中であります。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:57Comments(0)つれづれ