2010年05月28日
ああ、ガラメキ温泉
先日のNHK温泉講座のとき、受講生の1人から「先生は、ガラメキ温泉をご存知ですか?」という、質問がありました。
ガラメキ温泉は、昭和21年にこつ然と姿を消した幻の温泉。平成11年9月には、群馬県の温泉源泉台帳からも抹消された温泉です。
「ええ、知ってますよ」と僕。
「そうですか。私のうちの近所に、かつての旅館の女将が住んでいるんですよ」と彼。
「箕郷町(現・高崎市)ですね。100歳になる女将さんが健在なのですよね」
「さすが先生、よくご存知ですね」
(先生、先生と言われるほどの馬鹿でなし……)
平成17年6月、僕は某情報誌に『編集長がゆく』という、群馬の不思議を追った連載を書いていました。そのシリーズの第5話で、幻の温泉「ガラメキ温泉」を訪ねています。
県道28号線「高崎榛名吾妻線」、ロッククライミングの聖地「黒岩」の岩壁を目印に、歩き出しました。途中は崖崩れが数ヶ所、沢越えが数ヶ所あり、約1時間の登行の末に、たどり着きました。
明治時代には3軒の旅館があったという名残の石垣の奥、直径約70cm、深さ約150cmのヒューム管から源泉が今も湧き続けていました。
先客は大宮からマウンテンバイクで来たというおっちゃん。
「よっ、お先に失礼。沢の水が入り込んで泉温は24度とヌルメだが、さっぱりするぞ!」とは、なかなかのツワモノです。
我も負けじと、素っ裸になって湯に浸かった記憶があります。
ガラメキとは、正しくは「我楽目嬉」と表記するらしい。
昭和21年、旧日本陸軍の相馬ヶ原演習場を米軍が接収し、旅館は強制立ち退きを命じられました。
この話は、シリーズで2話に渡り連載され、大変反響がありました。
「当時のガラメキ温泉の新聞広告を持っているから、取りに来なさい」と、わざわざ電話をくれたおじいちゃんなど、編集室にハガキもたくさん届きました。
90歳になるおばあちゃんからは、「子供の頃、ヤケドをすると、父親が私をおぶってガラメキ温泉まで連れて行ってくれました」という、長い長いお便りをいただきました。
平成に入り、雨後の竹の子のように日帰り温泉施設が増え続いている一方で、群馬県内には消えて行った温泉も、たくさんあります。いつか、そんな消えた温泉たちを1冊の本にまとめられたらと、思っています。
ガラメキ温泉は、昭和21年にこつ然と姿を消した幻の温泉。平成11年9月には、群馬県の温泉源泉台帳からも抹消された温泉です。
「ええ、知ってますよ」と僕。
「そうですか。私のうちの近所に、かつての旅館の女将が住んでいるんですよ」と彼。
「箕郷町(現・高崎市)ですね。100歳になる女将さんが健在なのですよね」
「さすが先生、よくご存知ですね」
(先生、先生と言われるほどの馬鹿でなし……)
平成17年6月、僕は某情報誌に『編集長がゆく』という、群馬の不思議を追った連載を書いていました。そのシリーズの第5話で、幻の温泉「ガラメキ温泉」を訪ねています。
県道28号線「高崎榛名吾妻線」、ロッククライミングの聖地「黒岩」の岩壁を目印に、歩き出しました。途中は崖崩れが数ヶ所、沢越えが数ヶ所あり、約1時間の登行の末に、たどり着きました。
明治時代には3軒の旅館があったという名残の石垣の奥、直径約70cm、深さ約150cmのヒューム管から源泉が今も湧き続けていました。
先客は大宮からマウンテンバイクで来たというおっちゃん。
「よっ、お先に失礼。沢の水が入り込んで泉温は24度とヌルメだが、さっぱりするぞ!」とは、なかなかのツワモノです。
我も負けじと、素っ裸になって湯に浸かった記憶があります。
ガラメキとは、正しくは「我楽目嬉」と表記するらしい。
昭和21年、旧日本陸軍の相馬ヶ原演習場を米軍が接収し、旅館は強制立ち退きを命じられました。
この話は、シリーズで2話に渡り連載され、大変反響がありました。
「当時のガラメキ温泉の新聞広告を持っているから、取りに来なさい」と、わざわざ電話をくれたおじいちゃんなど、編集室にハガキもたくさん届きました。
90歳になるおばあちゃんからは、「子供の頃、ヤケドをすると、父親が私をおぶってガラメキ温泉まで連れて行ってくれました」という、長い長いお便りをいただきました。
平成に入り、雨後の竹の子のように日帰り温泉施設が増え続いている一方で、群馬県内には消えて行った温泉も、たくさんあります。いつか、そんな消えた温泉たちを1冊の本にまとめられたらと、思っています。
Posted by 小暮 淳 at 02:23│Comments(0)
│温泉雑話