2010年07月26日
謎学の旅① 「日本一小さい湖」
上毛新聞社出版部に 「小暮淳さんの『謎学の旅』は、出版されてますか?」 という問い合わせがあったのだという。
もちろん、そんなタイトルの本は出版していないし、そんなタイトルで文章を書いた覚えもありません。最初は間違えか何かだろうと思って聞き流していたのですが、数日後に「はっ!」と気づきました。
4年前まで、僕は月刊「ぷらざ」という情報誌の編集をしていました。その間、『編集長がゆく』というタイトルで、県内の不思議なものを追いかけるエッセイを連載していたのです。当時、このエッセイは、とても人気があり、最終回にはたくさんの読者から「連載を続けて」とか「1冊の本にまとめて欲しい」とのハガキをいただきました。
で、このエッセイで謎を1つ解決すると、最後に必ず “謎学の旅はつづく”と言葉をしめくくっていたのです。
『謎学の旅』とは、この『編集長がゆく』というエッセイのことを言っているようです。
懐かしくなって、今回、掲載誌を引っ張り出して読み返してみました。
するとこれば、なかなかバカバカしい謎だらけで、けっこう面白いのですよ。
と、いうことで、2005年4月号の第1話から、ちょっとセンテンスをご紹介します。
日本一大きな湖は琵琶湖ですが、では日本一小さい湖はどこにあるかご存知ですか?
これが何と、群馬県の高崎市にあったのです。
湖の名は「西湖」。でも、近くの貯水池より小さいんです。
一般には、池より大きいのが沼、沼より大きいのが湖と思われていますから、池より小さい湖は、たぶん日本でここだけではないでしょうか!?
場所は、国立群馬工業高等専門学校の隣。
ウソだと思う人は地図を広げて見てください。ちゃんと「西湖」と記されていますから。
昔はただの貯水池だったようですが、現在は学校の所有地内になっています。だからブロック塀に囲まれていて、良く見えませんが、背伸びしてみると、一丁前に中ノ島までありました。
学校庶務課の人に話を聞くと、「昭和42年2月14日、校庭西側の用水池を “西湖” と命名」と書かれた当時の「校報」を見せてくれました。
西湖の“西”は、校庭の西側のことだったのです。
ところが、湖のほとりには、しっかり「この池は学校構内です」という、立ち入り禁止の立て札が立っていました。
湖という名の池だったのです。
謎学の旅はつづく。
もちろん、そんなタイトルの本は出版していないし、そんなタイトルで文章を書いた覚えもありません。最初は間違えか何かだろうと思って聞き流していたのですが、数日後に「はっ!」と気づきました。
4年前まで、僕は月刊「ぷらざ」という情報誌の編集をしていました。その間、『編集長がゆく』というタイトルで、県内の不思議なものを追いかけるエッセイを連載していたのです。当時、このエッセイは、とても人気があり、最終回にはたくさんの読者から「連載を続けて」とか「1冊の本にまとめて欲しい」とのハガキをいただきました。
で、このエッセイで謎を1つ解決すると、最後に必ず “謎学の旅はつづく”と言葉をしめくくっていたのです。
『謎学の旅』とは、この『編集長がゆく』というエッセイのことを言っているようです。
懐かしくなって、今回、掲載誌を引っ張り出して読み返してみました。
するとこれば、なかなかバカバカしい謎だらけで、けっこう面白いのですよ。
と、いうことで、2005年4月号の第1話から、ちょっとセンテンスをご紹介します。
日本一大きな湖は琵琶湖ですが、では日本一小さい湖はどこにあるかご存知ですか?
これが何と、群馬県の高崎市にあったのです。
湖の名は「西湖」。でも、近くの貯水池より小さいんです。
一般には、池より大きいのが沼、沼より大きいのが湖と思われていますから、池より小さい湖は、たぶん日本でここだけではないでしょうか!?
場所は、国立群馬工業高等専門学校の隣。
ウソだと思う人は地図を広げて見てください。ちゃんと「西湖」と記されていますから。
昔はただの貯水池だったようですが、現在は学校の所有地内になっています。だからブロック塀に囲まれていて、良く見えませんが、背伸びしてみると、一丁前に中ノ島までありました。
学校庶務課の人に話を聞くと、「昭和42年2月14日、校庭西側の用水池を “西湖” と命名」と書かれた当時の「校報」を見せてくれました。
西湖の“西”は、校庭の西側のことだったのです。
ところが、湖のほとりには、しっかり「この池は学校構内です」という、立ち入り禁止の立て札が立っていました。
湖という名の池だったのです。
謎学の旅はつづく。
Posted by 小暮 淳 at 17:42│Comments(0)
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