2010年10月05日
謎学の旅⑧ 「桃太郎橋と鬼ヶ島」
旧北橘村(現・渋川市)のランドマーク、佐久発電所のサージタンクが見えると、県道渋川大胡線は、大きなU字カーブにさしかかります。車で走行中に、この真下に川が流れていることは、ほとんどの人が気づきません。
まして、橋が架かっていることも……
橋の名は「桃太郎橋」。
終戦直後から地元では、そう呼ばれています。
決して、この地に桃太郎伝説があるわけではありません。いわれは、この橋を渡った地域の名前にあります。
北橘村大字分郷八崎字鬼ヶ島
なぜ、「鬼ヶ島」なのでしょうか?
海もないのに、桃太郎もいないのに……
でも、よくよく考えてみると、海なし県の群馬県にも「島」の付く地名は少なくありません。
「シマとは、隅や端を意味する言葉だそうです。初の名誉村民で民俗研究家の都丸十九一さん(故人)は、そう著書の中で記しています」
と教えてくれたのは、旧北橘村歴史民俗資料館の学芸員でした。
では、「鬼」は?
「旧北橘村には、“七奇石”というのがあります。すべて現存しているわけではありませんが、その1つに “鬼石” という鬼の顔をした石があります。この石がある所が、鬼ヶ島です」
最初、鬼ヶ島という地名を聞いたときは、不気味な感じを受けたが、語源を知ると、なるほどである。
「鬼石のある村の隅っこ」という意味なのですね。
山田川に架かる「桃太郎橋」を渡り、もう一度折り返して川を渡ります。この橋が「鬼ヶ島橋」です。
そして、突如として「鬼ヶ島」と書かれた大きな看板が出迎えてくれました。
何かと思えば、休耕田を活用したビオトープ(動植物の生態系を復元した空間)です。ホタルの里として、池や小川がミニチュアながら再現されています。
ビオトープの奥。
昼なお暗き雑木林の中に、苔をむした奇石「鬼石」がありました。
昔、この地に城があり、敵が攻めて来たとき、この石が「ウオーッ!」と吠えて、追い返したという伝説が残っています。
でも、どうしても鬼の顔には見えません。ただの石です。
「村の長老の話では、昔は本当に鬼の面をつけているような石だったそうです。もしかしたら、県道の工事の際に、ホンモノは土の中に埋まってしまったのかもしれませんね」と学芸員。
えっ、ということは、この石は影武者?
謎学の旅はつづく。
まして、橋が架かっていることも……
橋の名は「桃太郎橋」。
終戦直後から地元では、そう呼ばれています。
決して、この地に桃太郎伝説があるわけではありません。いわれは、この橋を渡った地域の名前にあります。
北橘村大字分郷八崎字鬼ヶ島
なぜ、「鬼ヶ島」なのでしょうか?
海もないのに、桃太郎もいないのに……
でも、よくよく考えてみると、海なし県の群馬県にも「島」の付く地名は少なくありません。
「シマとは、隅や端を意味する言葉だそうです。初の名誉村民で民俗研究家の都丸十九一さん(故人)は、そう著書の中で記しています」
と教えてくれたのは、旧北橘村歴史民俗資料館の学芸員でした。
では、「鬼」は?
「旧北橘村には、“七奇石”というのがあります。すべて現存しているわけではありませんが、その1つに “鬼石” という鬼の顔をした石があります。この石がある所が、鬼ヶ島です」
最初、鬼ヶ島という地名を聞いたときは、不気味な感じを受けたが、語源を知ると、なるほどである。
「鬼石のある村の隅っこ」という意味なのですね。
山田川に架かる「桃太郎橋」を渡り、もう一度折り返して川を渡ります。この橋が「鬼ヶ島橋」です。
そして、突如として「鬼ヶ島」と書かれた大きな看板が出迎えてくれました。
何かと思えば、休耕田を活用したビオトープ(動植物の生態系を復元した空間)です。ホタルの里として、池や小川がミニチュアながら再現されています。
ビオトープの奥。
昼なお暗き雑木林の中に、苔をむした奇石「鬼石」がありました。
昔、この地に城があり、敵が攻めて来たとき、この石が「ウオーッ!」と吠えて、追い返したという伝説が残っています。
でも、どうしても鬼の顔には見えません。ただの石です。
「村の長老の話では、昔は本当に鬼の面をつけているような石だったそうです。もしかしたら、県道の工事の際に、ホンモノは土の中に埋まってしまったのかもしれませんね」と学芸員。
えっ、ということは、この石は影武者?
謎学の旅はつづく。
Posted by 小暮 淳 at 11:36│Comments(0)
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