2010年10月07日
島人たちの唄③ 「老女たちの午後」
♪しのじま~ め~しょは~ まず みかど~い~ど~♪
(篠島名所は まず帝井戸)
唐突に、路地端の陽だまりに腰を下ろしていた老女の一人が、歌い出した。
ナカさん、93歳。
深く刻まれた顔のしわを、日の光がやさしく照らしている。
♪ひがしゃ~ し~ろのあと~ にしゃ こまが~いけ~♪
(東は城の跡 西は駒ヶ池)
「このおばさんは唄が上手でね、いつも 『いたこ絞り』 しながら、歌っとった」
物憂げに目を細めながら聴いていた、一つ年上のチカエさんが言う。
二人は、この島で生まれ育った幼なじみ。
老女たちの遠い時間が、唄と一緒に流れ出した。
その昔、といっても大正に入って間もなくの頃。島外から“しぼり問屋”が絞りの技術を島に持ち込み、教えたのが始まりだった。
細かな手作業に頼る 『いたこ絞り』 は、器用な島の女にうってつけだった。女子は小学生の低学年頃から母親のかたわらで、絞りを習い始める。娘盛りともなれば、みんな一人前以上の腕前になり、高く買い上げられて収入も良かった。
冬場、漁が暇になる男衆が遊んでいても、この 『いたこ絞り』 だけで、充分に生計が立てられたという。
「たくさん、儲けたがね」
「ああ、大勢でやるので、そばの人に負けないように一生懸命だった」
「家の外の日陰に筵(むしろ)を敷いて、子供から大人まで集まって、夜まで絞ったがね」
♪みなみゃ まぜがさ~き~ かとうきよまさ あの まくら~い~し~♪
(南は南風ヶ崎 加藤清正 あの枕石)
南風(まぜ)ヶ崎は島の最南端、かの加藤清正が名古屋城築城のために石を切り出したところ。一つだけ枕をかったまま、運び残したという大きな石がある。
帝(みかど)井戸も、城の跡も、みんな島人たちの自慢の場所だ。
「楽しい暮らしもしてきました。苦しい暮らしもしてきました。こうして二人で、ずーっと遊んどる」
チカエさんが問わず語りに、ひとりごちた。
老女たちの時間が、また、ゆっくりと動き出した。
Posted by 小暮 淳 at 11:07│Comments(0)
│島人たちの唄