2011年01月03日
年賀巡礼 ~こころのボス~
初めてお会いした年から23年間、毎年欠かさず正月2日に、年賀のあいさつに伺う人がいます。
その人は、木彫・木版画家で絵本作家の野村たかあきさんです。
野村さんは、僕の人生の恩人だからです。
23年前。
お会いした時、僕は無職でした。仕事が無かったのではなく、あえて働いていませんでした。
結婚はしていたのですが、ジョン・レノンを気取って、主夫業に専念していたのです。
ま、本音を言えば、“夢破れて都落ち”です。
ミュージシャンになろうと東京へ出て、鳴かず飛ばずで売れなくて、いじけながら小説なんか書いていた時期です。
ぷらりと入った木彫展の会場に、作家として野村さんはいました。
すでに講談社の絵本新人賞を受賞している先生でしたが、当時の僕はナイフのように尖ってましたから、初対面から、かなり生意気な若造だったようです。
「あの頃の淳ちゃんは、スッゲー生意気だったよな。なんでコイツ、こんなに突っ張って生きているんだ?って思ったから、誘ったんだよ」と、その日のことを、野村さんは覚えてらっしゃいます。
「今夜、飲むか?」
初めて会った会場で、野村さんは僕を誘ってくれたのです。
これが、僕の文筆家への登竜門となりました。
その日以来、僕は、師に付いて人生を学ぶかのように、毎日、野村さんのアトリエへ通いました。
何するでもなく、何を手伝うわけでもなく、茶を飲み、語り合い、夕方になると、2人してテクテクと街へ歩いて行って、安い飲み屋で酒を酌み交わす毎日でした。
「あの頃は、俺もヒマだったからなぁ。でも、2人して金も無いのに、よくあんだけ飲みに行けたよな?」
確かに、今思えば、無職なのに、不思議な話です。
しばらくして、僕は雑誌の記者になり、野村さんは、絵本界の最高峰といわれる「絵本にっぽん賞」を 受賞します。受賞作の 『おじいちゃんのまち』 は、その後、英語版、韓国語版と翻訳されるほどのベストセラーになりました。
僕が人生に目覚めたのは、この頃からです。
群馬に居ても、モノは作れるんだ!
好きなことだけでも、生きて行けるんだ!
実際に目の前に、そういう人がいるんだもの!
この生き方は間違っていない!
そう、確信を持って生きて行く勇気を、僕に与えてくれたのでした。
でも、いったい野村さんは、いつ作品を作っているのだろうか?
これが最大の謎であり、人生を解くために必要なキーワードでした。
いつも昼間は僕らと遊んでいて、夜は酒を飲んでいるのです。
ある日、思い切って尋ねたことがありました。
すると、こんな不思議な話をしてくれたのです。
「1つだけ、きちんとした自分の分身となるモノを作るんだよ。するとな、俺が寝ていても遊んでいても、そいつがコツコツ、コツコツとイイ仕事をしてくれるんだな。今は分からなくても、いつかきっと分かる時が来るから大丈夫」
あれから20年、やっとこの歳になって、少しだけ実感できるようになってきた、今日この頃です。
昨日も、野村さんのアトリエは、木っ端にまみれていました。
歴女ブームにのって、伝記絵本の依頼がいくつも来ているのだといいます。
「今は頼朝を彫ってるんだけどさ、春までに龍馬を彫らなくちゃならんのよ」
出会った頃と、まったく変わらない空間と木の匂い……。
ここには、人生のヒントが、まだまだいっぱい転がっているようです。
ちなみに、僕が座右の銘としている 「元気がなくてもカラ元気」 は、野村さんからいただいた言葉です。
Posted by 小暮 淳 at 12:11│Comments(1)
│つれづれ
この記事へのコメント
師匠、一月四日は生放送ですね! 忘れず聞きます。
Posted by ぴー at 2011年01月04日 10:19