2012年01月13日
100点満点の死
伯父が死んだ。
享年、94歳。
大往生でした。
でも、伯父の素晴らしかったところは、長生きをしたことではありません。
その “死にざま” こそが、家族やまわりの人たちの心を熱くさせたのであります。
その知らせは、正月に舞い込んできました。
「大胡 (現・前橋市、旧・勢多郡大胡町。小暮家の本家がある) の伯父さんの容体が良くないようだから、連れてっておくれ」
と、オフクロからの電話でした。
伯父は7年前にガンを宣告されていましたが、高齢ということと、本人の希望により、手術や入院を一切拒否して、自宅にて療養していました。
ガン細胞も、老人に巣作ると栄養が足りないのか、ほとんど成長せず、転移もなく、趣味の囲碁や将棋を楽しみながら、伯父らしい穏やかな余生を送ってきました。
昨年の11月に、容体が急変。
通常の生活が困難になりました。
それでも伯父は、延命措置を拒否。
それに家族も同意し、入院せずに、自宅にて医者の往診を受けていました。
12月30日(金)
毎週金曜日の恒例、囲碁仲間が訪ねて来ると、ベッドから起きて、嬉しそう囲碁を打ったといいます。
そして・・・
それを最後に、一切の飲食を口にしなくなりました。
1月5日(木)
僕がオヤジとオフクロを連れて、本家を訪ねると、すでに数人の親戚が集まっていました。
「もう1週間も、何も食べていないんですよ。水だけなんです。ジュースも吐き出してしまうんです」
と伯父を看病している、いとこの嫁さんが近況を話してくれました。
「会ってやってくださいね」
寝室へ行くと、やせ細った伯父が寝ていました。
でも、目は見開いて、手をあげています。
「兄貴、弟のヒロシだよ。分かるかい?」
と、7歳年下のオヤジが、その手を取り、話しかけます。
「アァ……、ア ・ リ ・ ガ ・ ト」
かぼそい声ですが、はっきり聞こえました。
オフクロが 「お義兄さん・・・」 と呼びかけ、
僕が、「伯父さん、ジュンです」 と話しかけました。
そのたびに、
「ア ・ リ ・ ガ ・ ト」
と応えるのでした。
あれから6日後、一昨日の未明に、伯父は旅立ちました。
いとこによれば、家族全員が見守るなか、
最後の呼吸を大きくすると、そのまま眠るように息を引き取ったといいます。
見事な、死にざまであります。
老いることは、人間誰しにも訪れることです。
そして、やがて訪れる死も、決して避けて通れません。
しかし、その定めにあらがうことなく、天寿をまっとうできる人は、少ないのではないでしょうか。
伯父は、12月31日に旅立ちの準備に入ったことになります。
なぜ、その日を選んだのでしょうか?
それは、正月に家族や親戚、友人、知人が年賀のあいさつにやってくるからに、ほかなりません。
生きているうちに、世話になった人たち全員に、自分の “声” でお礼が言いたかったのでしょう。
ア ・ リ ・ ガ ・ ト
真面目で、律儀だった伯父らしい、素晴らしい最期のあいさつでした。
誰もができる死に方ではありませんが、
「死ぬときは、こうやって死ぬんだよ」 と、
手本を教えてくれたような気がします。
伯父さん、53年間、大変お世話になりました。
ありがとうございます。
安らかにお眠りください。
あなたの甥より
Posted by 小暮 淳 at 18:37│Comments(5)
│つれづれ
この記事へのコメント
このごろ考えることは
どういう老い方をして、どういう死にざまをして、葬式はこうでなど…
早い早いと思ってる間に、人生は巡るのかなと
どういう老い方をして、どういう死にざまをして、葬式はこうでなど…
早い早いと思ってる間に、人生は巡るのかなと
Posted by ぴー at 2012年01月14日 06:54
母が亡くなって、伯父・伯母達 一世代前の方達? 全員亡くなっていることに
気付いた。母は末っ子だったから・・・。寂しい。甘えることの出来る人が居なくなった。遠くで暮らしているのだから、冠婚葬祭の時にしか会うこともなかったけど。ほんのたまにだけれど、伯父さん叔母さんの事思い出していますかから、墓参りには行けないけど許してください。
自分の手を見ると父を思い出す。親指と人差し指の間の毛の生え方が
似ているのです。鏡を見ると母の事思い出します。鼻の形が僕と似ているのです。こんな時にしか思い出さないけど許してください。
通って行く道なんですけどねー・・・。
気付いた。母は末っ子だったから・・・。寂しい。甘えることの出来る人が居なくなった。遠くで暮らしているのだから、冠婚葬祭の時にしか会うこともなかったけど。ほんのたまにだけれど、伯父さん叔母さんの事思い出していますかから、墓参りには行けないけど許してください。
自分の手を見ると父を思い出す。親指と人差し指の間の毛の生え方が
似ているのです。鏡を見ると母の事思い出します。鼻の形が僕と似ているのです。こんな時にしか思い出さないけど許してください。
通って行く道なんですけどねー・・・。
Posted by 小暮茂 at 2012年01月14日 10:42
ぴーさんへ
本当ですね。
子供の頃、まさか今の年齢になることは想像できませんでしたもの。
できればカッコ良く老いて、静かに死んでいきたいものです。
小暮茂さんへ
オヤジが、「これでオレだけになっちゃった」 と淋しそうにつぶやいていました。
オヤジは8人兄弟の7番目。姉も兄も弟も全員亡くなりました。
告別式では、「兄弟の分も生きるから」 とスピーチしていました。
そんなオヤジも、もう87歳です。
本当ですね。
子供の頃、まさか今の年齢になることは想像できませんでしたもの。
できればカッコ良く老いて、静かに死んでいきたいものです。
小暮茂さんへ
オヤジが、「これでオレだけになっちゃった」 と淋しそうにつぶやいていました。
オヤジは8人兄弟の7番目。姉も兄も弟も全員亡くなりました。
告別式では、「兄弟の分も生きるから」 とスピーチしていました。
そんなオヤジも、もう87歳です。
Posted by 小暮 淳 at 2012年01月14日 18:50
立派な最後ですね。
高僧のようです 涅槃へ行かれたことでしょう。
お祝をするべきです
無言で背中を見せてくれる 先人たちに感謝
高僧のようです 涅槃へ行かれたことでしょう。
お祝をするべきです
無言で背中を見せてくれる 先人たちに感謝
Posted by momotaka at 2012年01月15日 14:09
momotakaさんへ
告別式では、長寿銭が振る舞われました。
本当に立派な旅立ちでした。
伯父の人生そのものでした。
告別式では、長寿銭が振る舞われました。
本当に立派な旅立ちでした。
伯父の人生そのものでした。
Posted by 小暮 淳 at 2012年01月15日 17:26