2012年12月07日
高崎観音山温泉 「錦山荘」③
「昔は、高崎市内で唯一の温泉宿って言ってたんですけどね」
と笑う、支配人の武藤三治さん。
そーなんですよ。
僕も昔、雑誌の編集をしていた頃には、キャッチコピーとして使わせていただいた言葉です。
でも平成18年以降の市町村合併により、唯一ではなくなってしまいました。
今は、倉渕村も吉井町も榛名町も、高崎市ですものね。
今日は久しぶりに、旧高崎市内にある高崎観音山温泉「錦山荘」へ行ってきました。
この時期は、通常の温泉取材(出版や連載) に加えて、どうしても雑誌や新聞の新春号用の取材が入ってきます。
これから書く原稿は、もう、すべて来年1月掲載分の記事となります。
ま、そのぶん、原稿は年内に書けばいいので、なんとなくのんびりムードの取材となりました。
「どういたしますか? 最初にお風呂に入られますか?」
とは、支配人も気が利いていらっしゃる。
「はい、では先に湯をもらいましょう。話を聞くのは、その後ということで・・・」
と僕は、勝手知っている宿の湯屋へ向かって歩き出しました。
昭和4年に建てられた重厚な造りの本館から、昭和63年に増築された新館へ。
ジグザグ、ジグザグと曲がりながら上がる階段廊下が、なんとも印象的です。
昔ながらの丸太を組んだ湯屋からは、掛け値なしの絶景が広がっていました。
この時期、キーンと空気が澄んでいますから、それはそれは遠方の山々まで見渡せます。
烏川越しに高崎市役所が、その奥に群馬県庁を、その借景としてまるで屏風絵のようにすそ野をのばした赤城山の雄姿を望むことができました。
<ああ、今日はもう、取材はこれで終わりにしようか……
だって、何度も来ているから温泉のことも歴史のことも知っているし、別段、今さら聞くことはないしなぁ……>
なーんて怠惰(たいだ) な考えが一瞬、頭の中をよぎったのであります。
いや、いかん、いかん!
“現場百遍” ですぞ!
僕は 「錦山荘」 に来たら必ず見せてもらう部屋があります。
約20年前に、初めて取材で訪れたときに泊まった部屋です。
それは本館2階にある、創業当時のまま残されている客室 「桐」 「竹」 「桜」 「楓(かえで)」 の間です。
今となっては、この4部屋のどの部屋に泊まったのかは記憶にありませんが、この4部屋が “錦山荘らしい” 部屋なのであります。
「ええ、今でもこの4部屋を指定して泊まる方がいますよ」
と、今回も支配人が、ひと部屋ひと部屋、案内してくれました。
なにが凄いって、その日本建築の粋を極めた内装美!
「桐」 の間は桐、「桜」 の間は桜の木を贅沢(ぜいたく) に使って、「長押(なげし)」 や 「回り縁」、「鴨居(かもい)」、「網代(あじろ)天井」 が造られているのです。
これは一見の価値あり!
ぜひ、お泊りの際は、この部屋を指定してみてください。
昭和の初期に高級料亭旅館として建てられ、新渡戸稲造や犬養毅など多くの政治家や実業家たちが 「高崎の奥座敷」 と呼んで利用していた錦山荘の品格を知ることでしょう。
Posted by 小暮 淳 at 17:55│Comments(0)
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