2013年01月22日
うのせ温泉 「旅館 みやま」②
“牧水ファンが最後にたどり着く宿”
僕は、「旅館みやま」 のことを、そう呼んでいます。
だって、2年半前に訪れたときに知った事実は、あまりにも衝撃的でしたもの・・・。
大正11年10月21日、歌人の若山牧水が沼田で泊まった宿屋 「鳴滝」 が移築され、現存していたなんて・・・。
それが、現在の 「旅館 みやま」 だったという事実。
実に、衝撃的でした。
※(詳しくは、当ブログ2010年6月11日「うのせ温泉 旅館みやま」を参照ください)
今日は、どうしても、その 「鳴滝」 から 「みやま」 への変遷(へんせん) を50年以上にわたり見続けてきた女将の松本勝江さんに、話が聞きたくて会いに行ってきました。
松本さんは、生まれも育ちも、うのせ温泉です。
“うのせ” は、「鵜の瀬」 とも 「宇野瀬」 とも表記しますが、地元では湧き出る温泉の温度が低かったことから 「ぬる湯」 と呼ばれていたそうです。
また一時、大穴スキー場のネームバリューに便乗して、「大穴温泉」 と名乗った時期もあったといいます。
沼田市にあった旅館 「鳴滝」 が、現在の場所(みなかみ町大穴) に移築されたのは、昭和初期のこと。
移築したのは元水上町長の高橋三郎氏。
この高橋氏と松本さんの父が親しい友人だったということもあり、彼女は子どもの頃から旅館に出入りしていました。
その後、定時制高校に通いながら、旅館 「鳴滝」 で働き出します。
「昼間は旅館、夜は学校の毎日。卒業したら東京へ出ようと思っていたのに、親に反対されてね。結局、卒業後もそのまま旅館に勤めることになっちゃった」
昭和41年~、農協が研修施設 「みやま荘」 として使用。
昭和57年~、現オーナーが研修施設を購入して再設。
平成14年、改修工事をして 「旅館みやま」 としてリニューアルオープン。
オーナーは次々と変わったが、松本さんは旅館の生き字引として、解雇されることはなかった。
「辞めようと思ったことは、なかったのですか?」
と問えば、
「何度もありますよ。でも、この “家” に執着があるんですよ。たびたび経営者は変わり、従業員も変わった。でも、この “家” だけは、ずーっと私と一緒だったからね」
大正時代に若山牧水が泊まったというのだから、旅館は明治以前に建てられたものだろう。
黒光りした太い梁(はり) や柱、時を刻んだ屏風絵・・・
昭和になってからの50年以上もの時間を共に生きてきた女将にしてみれば、離れたくても離れられない “家” なのでしょうね。
「だって、自宅よりも、家族よりも長い時間、一緒に過ごしてきたんですから」
ズッシリと心の奥まで響いてくる、重みのある言葉でした。
Posted by 小暮 淳 at 21:34│Comments(0)
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