2013年03月25日
どこかで 誰かが②
こんなメールが届きました。
<人の優しさと現実に触れた気がしました>
送信主は、かつて僕が編集をしていた雑誌の女性スタッフです。
彼女は、僕に何のことを言ってきたのか?
一瞬、戸惑いましたが、すぐに判明しました。
先日の僕とオヤジの散歩のことだったのです。
杖をついたオヤジの手を取り、信号待ちをしていたときです。
1台の車のドライバーが、通り過ぎざまに手を振りました。
あっという間のことでした。
「あれ、オレに手を振ったのかなぁ?」
と、あたりを見渡しましたが、歩行者専用押しボタン式信号機の前には、僕とオヤジしかいませんでした。
そのドライバーが、彼女だったのです。
僕が彼女に出会ったのは、25年前の春のこと。
雑誌社の面接に行ったとき、応接室でお茶を入れてくれたのが彼女でした。
それから8年間、机を並べて、一緒に仕事をしたパートナーです。
あれから17年。
雑誌が廃刊したあとは、他のスタッフ同様、みんな別々の人生を歩み出しました。
彼女は、以前から玄人はだしだった料理の世界へ進み、現在は自分の店を持つまでになっています。
そんな彼女と再会したのは、3年前。
僕の本の出版記念パーティーでした。
招待状を送ったら、当時のスタッフらと出席してくれました。
恥ずかしいやら、照れくさいやら、昔の仲間の前でスピーチするのは、緊張するものですね。
でも、昔を知る人たちに祝ってもらえたことは、僕にとって最大の喜びであり、励みになりました。
だって、こうやって時が経ても、お祝いに駆けつけてくれたということは、その後の僕の人生を認めてくれたということですからね。
ああ、オレの人生は間違ってなかったんだ・・・・
って、昔のスタッフに会って思いましたよ。
で、その彼女が、祝賀会の会場で、開口一番、僕に向かって言った言葉があります。
それは、
「この日が来ると、信じていました」
クーーーーーッ、泣かせるセリフじゃありませんか!
確かに、あの時(雑誌が廃刊になったとき)、僕は 「就職はしない」 と断言して、「ライターになる」 と宣言しました。
でもね、すべてハッタリで、自信なんて、これっぽっちもなかったんですよ。
なのに彼女は、そのことを覚えていてくれたんですね。
うれしかった!
その後、彼女とは、1度も会っていませんでした。
それが1本のメールが届いただけで、25年前のお茶のこと、17年前の廃刊のこと、3年前の再会のことが、走馬灯のようにいっぺんに僕の頭の中を駆けめぐって行ったのであります。
“どこかで 誰かが 見ている”
そう思うと、人生は捨てたもんじゃないぞ!っていう気になってくるのです。
Posted by 小暮 淳 at 21:50│Comments(0)
│つれづれ