2013年07月17日
失敗の中の真実
<校正とは、ひとつの誤りもなく成しとげれば、人に気づかれもせず、誤植という誤りがあれば、ことさらひと目にたつという、実に割りに合わない仕事である。>
昨夜、晩酌をしながら本を読んでいたら、ピタッと、この文章に目が止まったまま動かなくなってしまいました。
本の名前は、『増補版 誤植読本』(高橋輝次編著/ちくま文庫)。
前出の文章は、鶴ヶ谷真一さんという編集者のコラムからの抜粋です。
ん~、まさに、その通りだ・・・
と、酔眼の僕は、まじまじと納得してしまったのであります。
現在、僕は、文章を書く側にいますから、校正をされる立場にいます。
ちなみに、「校正」 とは、文章に誤字や脱字などの間違いがないかをチェックする仕事で、主に、編集者がします。
もちろん、著者も出版前には、ゲラ刷り(印刷前の文章や写真が組まれたプリント) が送られてくるので校正をしますが、どうしても書いた本人の校正というのは、生ぬるくて、アテになりません。
勘違いしている言葉や思い込み、クセなどもあり、本人は、なかなか間違いに気づかないものです。
これが、プロの編集者にかかると、校正紙が真っ赤になって返ってきます。
「あれ、どーして、こんな間違いをしたんだろう!」
と、指摘されて、初めて気づく漢字の書き間違いの多いこと。
こんなとき、「ああ、どこの世界にも “縁の下の力持ち” がいるんだなぁ~」
と、ただただ、校正者に感謝するばかりです。
この本には、作家やライター、編集者たちの誤植や校正ミスにまつわるエピソードの数々が紹介されています。
ちょっと、業界チックな内容の本ですが、文章に興味がある人や本好きならば、恥ずかしい失敗談や文章表現へのこだわりなど、校正をめぐる作家たちの本音を知ることができて、とても楽しめますよ。
たとえば、誤植の例では・・・
「成功の基(もと)」 が 「成功の墓(はか)」 になっていたり、「大使」 が 「大便」、「王子」 が 「玉子」 に化けたり。
「庇(ひさし)」 が 「屁(へ)」 になったり、「尻(しり)」や「尿(にょう)」 になったりします。
「読書」 と 「読者」、「著書」 と 「著者」 などは似ているため、起こりやすい誤植です。
「家庭の事情」 が 「家庭の情事」 に、「ゆずる心」 が 「ゆする心」 なんていうのは、笑うに笑えませんね。
これらは、手書き原稿を写植屋さんが打っていた時代に多かった間違いです。
最近は作家もパソコンで原稿を書きますので、こういった間違いは少なくなりました。
が! その代わり増えたのが “変換ミス” です。
特に、同音異語。
かつて、<貴社の記者が汽車で帰社した>を正しく変換できるワープロというのが話題になったことがありましたが、それくらい、日本語には同音異語が多いんですね。
たとえば、「電気」 「電機」 「電器」。
「上がる」 「挙がる」 「揚がる」。
「上る」 「登る」 「昇る」。
「侵入」 「浸入」 「進入」。
「対象」 「対照」 「対称」 などなど。
パソコンによる変換ミスは、とっても多いのです。
だから僕は、原稿を書くときには、常に 『漢字使い分け辞典』 という辞書を机の上に置いています。
が、それでも変換ミスは、なくなりませんね。
編集者のみなさーん、これからも厳しい校正チェックをお願いいたします。
Posted by 小暮 淳 at 21:19│Comments(0)
│執筆余談