2013年08月15日
オヤジ史① 「終戦記念日」
親は子どもが生まれてから今日までの歴史を知っています。
でも子どもは、物心がついてから今日までの親の歴史しか知りません。
そんな当たり前のことに、今さらながら気づいたのであります。
オヤジは、どんな子どもだったのだろうか?
どんな遊びをしていたのだろうか?
青春時代は?
オフクロとは、いつ、どこで出会い、どう思ったのか?
そして、僕が生まれた時、我が家は、どんな暮らしをしていたのか?
そう思ったら、知りたいこと、聞きたいことが、次から次へと頭の中を駆けめぐって、居ても立ってもいられなくなってしまったのです。
幸いにも、ボケ老人のオヤジは、ここ数年のことと、日々の出来事は、まったく覚えていませんが、ボケるまでのことは覚えています。
それも、古ければ古いほど記憶は鮮明なのです。
「じいさん、今日から毎日、オレと話をしょうよ」
と、終戦記念日の今日、実家を訪ねました。
ま、ほとんど毎日訪れているのですが、ボケているので、日常会話はあまりありませんでした。
食事や散歩を一緒にするのが、僕の子どもとしての役目だと思っていたからです。
でも、考えてみたら、僕の職業はライターだったんですよね。
今までに、何百人という人を取材して、話を聞いてきました。
ゴーストライターとして、他人になりすまし、本や記事を書いたこともあります。
「なんの話をするんだい?」
「じいさんの生まれたときから今日までの話だよ」
「どうしてさ?」
「だって、いつか自叙伝を出版したいって言っていただろう。でも、自分じゃ、もう書けないでしょう。だからさ、オレがじいさんの生涯を書いてやるよ!」
と、言ったときです。
急にオヤジは悲しい顔をして、
「おれは、もう、死ぬのか……」
と、うなだれてしまいました。
「別に、そういうわけじゃないさ。ただの取材だよ、インタビューをさせてくれ。息子として、オヤジがどんな人生を送ってきたか、知りたいんだよ」
そう言って、僕はオヤジを無理やりイスに座らせ、テーブルに録音機と筆記用具をスタンバイしました。
まったく仕事の時と同じ条件で、インタビューに臨みました。
オヤジは、大正13(1924)年9月20日に、群馬県の旧勢多郡大胡町(現・前橋市) で生まれました。
8人兄弟の7番目。
長女は明治生まれで、弟は昭和生まれ。
祖母は、よく 「私は3人の天皇陛下に忠義を尽くした」 と言っていたといいます。
今日は約40分間にわたり、出生と小学校、旧制中学校、大学時代、そして戦時中と終戦までの話を聞くことができました。
68年前の今日。
静岡の連隊で終戦を迎えたオヤジは、数日後に群馬へ帰って来ました。
「前橋駅に降り立ったら、あたり一面は焼け野原。唯一、残っていたのが県庁の昭和庁舎と麻屋デパートだった」
と、前橋空襲の惨劇を話してくれました。
県庁の昭和庁舎は今でもありますが、麻屋デパートは残っていません。
と、いうか、僕の記憶にはないデパートです。
「大胡まで帰ろうと、中央前橋駅へ行ったら、駅舎は燃えてなかった。プラットホームに机を置いて、駅員がキップを売っていたんだ」
と、敗戦の世に呆然と立ち尽くすオヤジは、まだ弱冠20歳。
戦後、それからオヤジは語学力を生かして、進駐軍の通訳になるわけですが、その辺の詳しい話は次回ということで、今日のインタビューは終了しました。
朝飯は何を食ったか、昼飯を食ったかどうかは忘れてしまいますが、昔のことは実に事細かに覚えていました。
この人の記憶を、すべて引き出してやろう!
と、久々に僕のライター魂に、火が点いたのであります。
Posted by 小暮 淳 at 23:43│Comments(2)
│つれづれ
この記事へのコメント
オヤジの人生の続きに、自分があるわけですから、オヤジの歴史は自分の歴史でもあるんですね。
小生のオヤジも、昭和2年生まれで静岡県の清水高等商船学校で終戦になったと聞いています。
当時の話を聞けるのも、後僅かかもしれません。
今度、里帰りした時にもう少し詳しく聞いておきたいですね。
録音機でも用意して行きますか(笑)
小生のオヤジも、昭和2年生まれで静岡県の清水高等商船学校で終戦になったと聞いています。
当時の話を聞けるのも、後僅かかもしれません。
今度、里帰りした時にもう少し詳しく聞いておきたいですね。
録音機でも用意して行きますか(笑)
Posted by ヒロ坊 at 2013年08月16日 11:52
ヒロ坊さんへ
オフクロが、昭和2年生まれです。
終戦を疎開地で迎えた話を聞いたことがあります。
まだオヤジと出会う前です。
そう考えると、不思議ですね。
ヒロ坊さんの言うとおり、親の人生の続きに、自分があるわけですから、親の歴史は自分の歴史なんですね。
ぜひ、ヒロ坊さんも録音機を用意して、お父様をインタビューしてきてくださいな。
オフクロが、昭和2年生まれです。
終戦を疎開地で迎えた話を聞いたことがあります。
まだオヤジと出会う前です。
そう考えると、不思議ですね。
ヒロ坊さんの言うとおり、親の人生の続きに、自分があるわけですから、親の歴史は自分の歴史なんですね。
ぜひ、ヒロ坊さんも録音機を用意して、お父様をインタビューしてきてくださいな。
Posted by 小暮 at 2013年08月16日 20:34