2014年02月27日
さよなら初恋
僕の初恋は、小学校5年生のとき。
相手は、クラスメイトの髪の長い女の子。
だと、ずーっと思っていました。
ところが・・・
先日、卒業40周年を記念した中学校の同窓会通知が届きました。
封筒の中には、開催日時などのお知らせのほか、幹事たちが苦労をして作成した同窓会名簿が入っていました。
僕が地元の中学校を卒業したのは昭和49年(1974) 年です。
年度でいうと、昭和48年度の卒業生ということになります。
その中学校は、市内でもマンモス校として知られていました。
クラスは1学年、10組まであったんですよ。
生徒数は、学年だけで413人!
だもの、3年間通っても、一度も話したこのない人はたくさんいました。
まして、あれから40年の歳月が経っています。
名簿を見ても、自分のクラス以外の人の名前は、ほとんど記憶にありません。
担任の先生は10人。
すでに半分の先生が亡くなられていました。
で、同級生はというと・・・
413人中、13人に物故者の黒いマークが付いていました。
同じクラスの2人については、すでに知っていましたが、それ以外の人の名は、やはり記憶の片隅にもない人たちばかりです。
ところが!
1人だけ、僕の記憶に引っかかる人がいたんです。
他のクラスの女子ですが、確かに旧姓を見ると、幼なじみだった子です。
Yちゃんとは幼稚園から小学校低学年まで一緒だった大の仲良しでした。
いつも一緒に学校から帰り、いつも一緒に遊んでいました。
お絵かきや泥だんご、縄跳びをしたり、追いかけごっこをした記憶があります。
「大きくなったら、ジュンちゃんのお嫁さんにしてくれる?」
「うん、いいよ。僕もYちゃんのこと、大好きだから」
なーんて、たわいもなく未来の約束をしたような記憶までよみがえってきました。
えっ、Yちゃん、死んじゃったんだ・・・
僕とYちゃんは、幼なじみだったというだけで、その後は中学校を卒業まで一度も同じクラスになったことはなく、廊下ですれ違うことはあっても、話すらした記憶がありません。
だからだと思います。
この歳になるまで、初恋の相手を間違って覚えていたのです。
Yちゃんは、その後、どんな人生を歩んだのだろうか?
幸せな人生だったのだろうか?
もしかしたら、分かるかもしれないと思い、ネットで名前を検索してみました。
だって、結婚した相手の名字が、とっても珍しい名字だったからです。
ネット検索の場合、サラリーマンや主婦だと、なかなかヒットしませんが、個人事業主や医者、弁護士、大学教授など、また何かの活動をしている人は比較的、所在を知ることができます。
で、Yちゃんの名前を検索してみると・・・
ありました!
2件だけですが、絶対に彼女に間違いありません。
神奈川県でNPOの活動をしていたことが分かりました。
亡くなったのは、昨年の11月。
共に活動をしていた友人のブログには、こんなコメントが残されています。
<享年54歳。早すぎる旅立ちでした。
(中略)
この大きな喪失感を前に、人はなんという偉業を為せるのだろう、と思います。
限りある一生であっても、ともにあることの大きさ、その喜び、恩寵、為しえることはあるのだと気づきます。
真っ直ぐだったUさんに、次に会うとき、叱責を受けないように、いつもそうであったように笑って話しができるように、残った者のお約束を花束の結びにして、奉ります。合掌。>
そしてブログには、告別式会場の写真が添付されていました。
遺影の中では、僕の知らない大人のYちゃんが、ほほえんでいました。
僕がほとんど知らない54年間の人生ですが、たくさんの友人に囲まれて生きた幸せな人生だったようです。
胸の奥のほうが、チックンと痛くなりました。
さよなら、Yちゃん
さよなら、初恋
Posted by 小暮 淳 at 18:41│Comments(0)
│つれづれ