2014年04月20日
一筆啓上
読者とは、ありがたいものです。
雑誌にしろ、新聞にしろ、著書にしろ、わざわざお金を払って買って、僕の文章を読んでくださっているのですから、ライターとしてこれ以上の喜びはありません。
また、この喜びが味わいたいがために、飽きもせず取材および執筆活動を続けているのも事実です。
反面、読者とはライターにとって、一番怖い存在でもあります。
なぜなら、常に僕の文章をチェックしているからです。
愛のムチとでも言うのでしょうか?
時々、新聞社や出版元にクレームの電話などが入ることがあります。
「あの表現は、おかしいんじゃないか?」
「事実と異なる表記がある」
など、過去には何度か “お叱り” を受けた事もあります。
そんな時は、紙上で訂正を掲載したり、直接、著者から読者に説明の電話を入れることもあります。
でも大抵の場合は、個人的な見解の相違によるものなので、編集者サイドで解決してくれています。
先日、出版社を訪ねたら、担当の編集者から
「小暮さん宛てに、読者から届いています」
と、1枚のハガキを手渡されました。
あて先の住所は出版社名ですが、
“「群馬の小さな温泉」 著者 小暮淳様”
となってます。
差出人は、名前と文字からして年配の男性です。
『群馬の小さな温泉』 は、2010年に出版された本です。
あれ、バカに古い本のことを言ってるなぁ・・・
と思いつつ、裏面を読んでみると、
<本日、「群馬の小さな温泉」 の本を購入しました。>
と書かれています。
買って、すぐに手紙を書いてくださったようです。
内容は、歴史上人物の名前の表記についてでした。
僕の本では、初代沼田城主は 「真田信之」 と表記してあります。
これに対して読者は、「真田信幸」 ではないかと。
その根拠として、池波正太郎の 『真田太平記』 では、「信幸」 となっているとのこと。
実は4年前、この部分は執筆にあたり、大変悩んだ記憶があります。
複数の資料を調べましたが、「信之」 と 「信幸」 両方の記述があるからです。
で、最終的には、記事に登場する旅館に残る古文書の記述に基づいて、「信之」 と表記することにしました。
一筆啓上、その旨、読者に伝えました。
やはり、読者とは、ありがたいものです。
一語一句、そこまで読み込んでくださるのですから。
おかげで、もう一度、資料を広げて再読し、知識を深めることができました。
読者のみなさん、今後もご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。
Posted by 小暮 淳 at 21:24│Comments(2)
│著書関連
この記事へのコメント
いつも楽しませていただいています。
上田在住の者です。
真田信幸の表記は言われる通り2通りあります。
元は信幸です。
関ヶ原の戦いで信幸は徳川に付き、昌幸、幸村の父子は豊臣に付きました。
結果はご存知の通り、東軍の勝利。
徳川に付いた信幸は昌幸、幸村の助命嘆願をします。
それが聞き入れられたため、真田氏ゆかりの「幸」の字を憚ったことと徳川への感謝を表すために改名した名前が「信之」とされているのが有力な説です。
正確に言うと沼田の城主だったときは「信幸」ですが、一般的には「信之」が浸透している気がします。
ご存知のことかと思いますが、ご存知ない読者もおられると思い、コメントさせていただきました。
上田在住の者です。
真田信幸の表記は言われる通り2通りあります。
元は信幸です。
関ヶ原の戦いで信幸は徳川に付き、昌幸、幸村の父子は豊臣に付きました。
結果はご存知の通り、東軍の勝利。
徳川に付いた信幸は昌幸、幸村の助命嘆願をします。
それが聞き入れられたため、真田氏ゆかりの「幸」の字を憚ったことと徳川への感謝を表すために改名した名前が「信之」とされているのが有力な説です。
正確に言うと沼田の城主だったときは「信幸」ですが、一般的には「信之」が浸透している気がします。
ご存知のことかと思いますが、ご存知ない読者もおられると思い、コメントさせていただきました。
Posted by 上田の温泉好き at 2014年04月22日 23:04
上田の温泉好きさんへ
ありがとうございます。
大変勉強になりました。
さすがは真田の里、上田のお方ですね。
これからも、よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
大変勉強になりました。
さすがは真田の里、上田のお方ですね。
これからも、よろしくお願いいたします。
Posted by 小暮 淳 at 2014年04月23日 13:47