2015年06月01日
白鳥の脚
「先生ってさ、どこからどう見ても “自由人” っていう感じなのにね。でも実は、孫もいるし、親の介護もしている。このギャップ!」
と言って、バスの中で笑ったのは、先日の温泉講座の受講生の1人でした。
ええ、ええ、良く言われるんです。
「生活感がない」 ってね。
「苦労していないんじゃないか」 とも。
ひどい人になると、
「悩みなんて、ないでしょう?」
なーんて、面と向かって訊いてくる人もいますからね。
でもね、思えば子どもの頃からエヘラエヘラしながら生きてきましたから、何を言われても、「そうかもしれませんね」と、逆に納得してしまうのです。
現実に対して、鈍感なのかもしれません。
だから時々、どっちが本当の自分なのか分からなくなってしまうことがあります。
「自由人の顔」 と 「家庭人の顔」。
前者は、自分が望んで作り上げてきた人生です。
でも後者は、その人生を歩んでいたら付随してきた副産物のようなもの。
だって、前者を貫くことだけを考えて生きていたら、家族ができて、孫も産まれて、両親の介護もしていたわけですからね。
ただ、時おり我に返ると、
「おっと、かなり過酷な人生を歩んでしまったな・・・」
なんて、今さらながら青ざめてしまうことがあります。
まさに 『積載オーバーの軽トラで急坂をのぼる』状態!
※(2015年4月21日の当ブログ参照)
ある意味、二足のわらじを履いている状態で、多かれ少なかれ、誰でも2つ以上の顔を持って生きているのではないでしょうかね。
「白鳥を見てくださいよ。涼しい顔をして気持ち良さそうに泳いでいるけど、水面下では必死になって脚を動かしているんですよ」
僕は、そう答えて、バスの中で笑いを返しました。
Posted by 小暮 淳 at 11:31│Comments(0)
│つれづれ