2016年01月17日
アメリカの少年
「子どものいない年寄りは、かわいそうだな」
ボケてからのオヤジの口ぐせです。
「こんな息子でも、そう思うかい?」
「ああ、そう思うよ」
「ありがとね」
そう声を返して、僕はオヤジの腕を取りました。
今日も日課の散歩へ行ってきました。
現在のオヤジの散歩コースは、2通り。
実家から北へ向かう “寺院コース” と、南へ向かう “神社コース” です。
どちらのコースも、オヤジの足でゆっくり歩いても30分程度です。
一昨年までは、平気で1時間以上歩いていたんですけどね。
去年の春頃から急に体力が落ちて、歩けなくなりました。
「今日は、どっちへ行く?」
「どっちだっていいさ、お前についていくよ」
そう言ったわりには、カタカタとステッキを鳴らして、南へ向かって歩き出していました。
人丸様・・・僕は子どもの頃から、そう呼んでいます。
正式名は厳島神社という由緒ある氏神様です。
住宅街の狭い敷地にある神社ですが、境内の大イチョウといい、遊具の数といい、昔とたたずまいはほとんど変わっていません。
すべり台、ブランコ、シーソー。
僕の子どもの頃と、まったく同じ景色です。
若いお母さんが、小さな女の子とシーソーで遊んでいました。
「よく、ここで子どもたちを遊ばせたなぁ…」
感慨深げに、オヤジが目を細めます。
「子どもだけじゃないだろう? 孫もみんな連れてきただろう?」
「そうだっけかなぁ…」
オヤジの記憶は、いったいどのあたりをさまよっているのでしょうか。
僕にとっての人丸様の思い出は、同級生とよく缶ケリをして遊んだことと、夏休みに野外映写会を観たことです。
それと、キョーレツな記憶として焼きついているのが、1人のアメリカ人の男の子です。
僕がまだ生まれる前、終戦直後のこと。
オヤジは進駐軍で、通訳の仕事をしていました。
その後、中学校の英語教師となり、僕が生まれた頃は自宅で塾を開業していました。
終戦から十数年が経った昭和30年代後半。
我が家には、時々、白人の男の子が遊びに来ていました。
名前は、デイビー。
オヤジの進駐軍時代の同僚の子どもでした。
「カモン、ジューン!」
「オーケー、デイビー!」
僕は英語が分からず、彼は日本語が話せません。
それでも仲良しで、日が暮れるまで遊んでいた記憶があります。
その遊び場が、ここ人丸様でした。
「デイビーって、覚えているかい?」
「わからない」
「ジョンストンさんの子どもだよ」
「・・・」
「進駐軍の頃の同僚だった人じゃない!」
「……、そうだったかな」
オヤジの記憶の中には、もうアメリカ人親子の姿はないようです。
でも、僕の思い出の中では、あの頃の2人が今でもシーソーに乗って、笑っているのでした。
デイビーは、今はどこで、どんな暮らしをしているのでしょうか?
どんな中年男性になっているのか、探してみたいような、知りたいような……。
Posted by 小暮 淳 at 16:46│Comments(0)
│つれづれ