2016年07月02日
喜びの沸点
「ありがとうございます。お世話になります」
昨日の夕方のこと。
ショートステイから帰って来たオヤジを実家の庭先で出迎えると、僕に向かって訳の分からぬことを言い出しました。
「お世話になりますだ? じいさん、何を言ってんだよ?」
「すみませんね。お世話になります」
「誰に向かって言ってるの?」
「……」
「分らないの?」
「……、はい」
オヤジは要介護認定2、生活するには不自由はありませんが、認知症が進んでいます。
数日間会っていなかったので、実の息子の顔を忘れてしまったようです。
「あなたの息子だよ」
「えーと、えーと、W(兄の名前) か?」
「それはアニキだよ。その弟だよ」
「弟? ……」
「忘れちゃったのかよ!」
「いま、思い出すよ。えーと……、なんて言ったっけかなぁ…」
「最初の文字は、“じ” だよ」
それでも分りません。
オヤジは考え込んでしまいました。
「じ、じ、じ……。“二郎” かな?」
「二郎だ~!!! そんな息子、いたかよ?」
「いないなぁ~」
「ジュンだよ、ジュン!」
「ああ、そうだ、そうだ! 俺の息子はジュンだった」
「忘れるなよな」
時々、あることなんですけど、これって結構、傷つくんですよ。
しかも今回は、アニキの名前は覚えていたわけですからね。
夕食を食べさせ、食器を片付けている時のこと。
「ごちそうさまかい?」
「はい、ごちそうさまでした」
「焼酎でも、飲むかい?」
「えっ、焼酎があるのかい? 飲むよ、飲みたいなぁ~」
「だったらクイズに答えられたら、あげます」
「クイズ? なんだい、それ?」
「では問題です。目の前のこの人は誰でしょうか?」
そう言って僕は、「チチチチチ…」 と秒読みを始めました。
「何をバカなことを言ってるんだ。ジュンに決まっているだろ!」
「では、あなたの何ですか?」
「俺の息子だよ。次男のジュンだ」
もう、それだけで充分なのであります。
当たり前のことが、当たり前に言ってもらえただけで、嬉しいのです。
「焼酎、いつもよりサービスしておいたからね」
認知症のオヤジといると、年々、喜びの沸点が低くなっていくのであります。
Posted by 小暮 淳 at 15:19│Comments(0)
│つれづれ