2017年12月09日
冠を正す
僕は現在、週刊・月刊・不定期を合わせて、6本の連載記事を書いています。
うち2本が、“冠記事” です。
冠記事とは、タイトルに筆者の名前が付いている記事のことです。
「グラフぐんま」(企画/群馬県、編集・発行/上毛新聞社) に 『温泉ライター小暮淳の ぐんま湯けむり浪漫』、「ちいきしんぶん」(発行/ライフケア群栄) に 『小暮淳の はつらつ温泉』 を連載しています。
今月、『ぐんま湯けむり浪漫』 は第6回、『はつらつ温泉』 は第20回を迎えました。
ご存知かも知れませんが、新聞や雑誌の記事には2種類あります。
「無記名」記事と「記名」記事です。
無記名記事は、新聞社や雑誌社の記者や編集者、専属ライターなどが書いた記事で、文責はすべて発行元にあります。
一方、記名記事は、特定の作家や著名人に書いていただいた依頼原稿が一般的です。
最近は、新聞などでは自社の記者が書いた記事の文末に、筆者の名前が掲載されていることが多くなりました。
たぶん、やりがいと文責を持たせるためだと思いますが。
無記名記事の場合、文体が三人称の視点で書かれています。
これに対して記名記事は、一人称で書かれることが多くあります。
自分の名前を出して書いているわけですからね。
見たこと、感じたことを、他人の視点を気にせずに書けるわけです。
一般論ではなく、自論を主張することができます。
“ナンバーワン” の文章を求めるのではなく、とことん “オンリーワン” の文章に徹することが可能になります。
いわば記名記事は、ライターにとって理想の仕事といえるかもしれません。
ただ、オンリーワンには、責任がもれなく付いています。
間違った情報を書けば、編集社ではなく、筆者に責任は求められます。
時にはクレームにへこむこともありますが、それでもオンリーワンの仕事をしている充足感は、他では味わえない宝物です。
僕はよく、「李下の冠」 という中国のことわざを思い浮かべます。
「李下に冠を正さず」 ともいいますね。
李(すもも) の木の下では、たとえ冠が曲がっていても、手を上げて直そうとしてはいけない。
なぜなら、すももを取ったと疑われるからとの意です。
転じて、他人に疑われるような行動はしないほうがよいということです。
意味は、まったく異なりますが、なぜか 「冠を正さず」 と 「いずまいを正す」 の語感が似ていることから、頭の中で勝手に 「冠を正す」 という造語を作っているのです。
「冠を正す」 とは、縁あって冠の称号をいただいているのだから、常に品行方正であれ。
どこで誰が見ているか、分からないんだぞ!
と、自分を戒める言葉として使っています。
これからも、おごらずに、されど臆することなく、オンリーワンの記事を書き続けていきたいと思います。
読者のみまさま、末永く、ご愛読のほど、よろしくお願いいたします。
Posted by 小暮 淳 at 12:29│Comments(0)
│執筆余談