2018年08月10日
どこかで 誰かが⑩ ロンドンの旧友
「ジュンちゃん、誕生日おめでとう! 確か、昨日だったよね?」
昨日の夜、突然、ロンドンに住む古い友人から電話がありました。
彼は、僕の仕事仲間でした。
25年前のある日、
「イギリスへ行って、向こうでデザイナーとしての腕を確かめてくる」
そう言って、単身、渡英してしまいました。
数年後、奥さんと子どもを呼び寄せ、今でもロンドンで暮らしています。
「よく、覚えていたね?」
「うん、偶然、ジュンちゃんの記事を読んでね。それで、思い出した」
「記事?」
「日本から雑誌を送ってもらっているんだ。その中に 『グラフぐんま』 があった」
『グラフぐんま』 とは、群馬県が発行しているグラビア広報誌です。
僕は昨年の5月号から 「ぐんま湯けむり浪漫」 という紀行エッセーを連載しています。
遠く離れたイギリスで、彼は、その記事を読んだというのです。
「60歳になったんだよね?」
「ああ、早くも還暦だ。キミは、いくつになったんだい?」
「7つ下だから、今年53ですよ」
「そうか……、そろそろ会いたいねぇ。今度、日本に帰ったら、連絡をちょうだい」
彼と最後に会ったとき、僕は、まだ30代でした。
彼にいたっては、20代です。
でも、何年かに1度、こうやって電話とメールのやり取りだけは続いています。
とても不思議です。
僕が書いた記事が、知らないところで海を渡り、偶然にも知っている人が手にして読んでいるなんて……。
いつも、どこかで、誰かが、見ていてくれているということなんですね。
Posted by 小暮 淳 at 12:33│Comments(0)
│執筆余談