2020年08月03日
温泉考座 (15) 「花袋の愛した温泉」
自然主義の小説家として知られる明治の文豪、田山花袋は、『蒲団』 や 『田舎教師』 など代表となる小説を発表し、作家としての地位を確立した後も、全国各地の温泉をめぐり、多くの紀行文を残しています。
特に大正時代に発表した 『温泉めぐり』 は、花袋のベストセラーとして、現在でも温泉ファンたちに読み継がれています。
花袋の生まれた故郷、群馬県館林市にある館林市田山花袋記念文学館で、2011年7~10月に特別展 「温泉ソムリエ・田山花袋~群馬の温泉編」 が開催されました。
この開催に合わせて講演会が開かれ、私が 「花袋の愛した群馬の温泉」 というテーマで、花袋の紀行文で紹介された群馬の温泉について、話をさせていただきました。
まず驚かされるのは、花袋の行動範囲の広さと、そのバイタリティー。
県内だけでも16ヶ所の温泉地を訪ねています。
今から約100年も前のこと。
鉄道や道路の交通が不便な時代に、手甲 (てっこう) に脚絆 (きゃはん)、草鞋 (わらじ) といういでたちで、日に十里も歩く温泉めぐりの旅をしています。
<私は信州の渋温泉から、上下八里の険しい草津峠を越して、白根の噴火口を見て、草津に一泊して、そしてそのあくる日は、伊香保まで十五、六里の山路を突破しようというのであった。> ( 『温泉めぐり』 より)
草津温泉に1泊した花袋は、午前4時に起きて湯につかり、大きな握り飯を3つ作ってもらい、草津温泉を後にします。
旧六合 (くに) 村へ下り、暮坂 (くれさか) 峠を越え、沢渡 (さわたり) 温泉に立ち寄り、中之条町からは吾妻川を渡しで越え、その日の午後4時には伊香保温泉に到着しています。
花袋自身も同書の中で、<今ではとてもあんな芸当は打ちたくても打てなくなった。旅は若い時だとつくづく思わずにはいられまい> と語っているものの、現代人には到底まねできない健脚ぶりです。
旅好きで温泉好きだった花袋は、温泉ライターの先駆者だったと言えます。
そんな大先輩の名を借りた講演会で温泉の話ができたことは、私にとって温泉ライター冥利に尽きる経験でした。
<2013年7月17日付>
Posted by 小暮 淳 at 10:13│Comments(0)
│温泉考座