2020年09月20日
温泉考座 (30) 「いい宿は引き算」
このカテゴリーでは、ブログ開設10周年を記念した特別企画の第3弾として、2013年4月~2015年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『小暮淳の温泉考座』(全84話) を不定期にて、紹介しています。
(一部、加筆訂正をしています)
「いい湯守 (ゆもり) のいる宿には、露天風呂がない」
と言ったら、言い過ぎでしょうか?
実は、古湯 (ことう) と呼ばれる歴史ある温泉地へ行くと、露天風呂のない旅館が少なくありません。
それは湯守にとって、露天風呂が “いい湯を提供する浴槽” の理にかなっていないからです。
夏には虫が飛び込み、秋には落ち葉が舞い落ち、冬には砂ぼこりが入ります。
湯が汚れやすい露天風呂は、湯守の立場からすれば、厄介な存在なのです。
ただ厄介なだけなら、まめに掃除をすれば済むことなのですが、露天風呂の問題点は、それだけではありません。
常に湯面が外気に触れている露天風呂は、湯が冷めやすいという欠点を抱えています。
それゆえ源泉が高温でないかぎりは循環装置を使い、加温し続けなければなりません。
内風呂に比べて、経済的負担も大きいわけです。
加えて、野外で日光にさらされるため、藻が発生します。
藻が付着すると、レジオネラ菌が繁殖しやすいという悪条件のおまけまで付いてしまうのです。
「こんなに湧出量があっても、露天風呂は造らないのですか?」
と、山あいの温泉宿の主人に質問したことがあります。
すると主人は、
「先祖から 『湯に手を加えるな、湯舟を大きくするな』 と言われています。1時間で浴槽内すべての湯が入れ替わるよう、湧出量に見合った大きさを守っています」。
この宿の浴室には、シャワーもカランもありません。
洗い場がないのです。
「温泉は、体を洗う場所ではない」 という先祖の言いつけを、かたくなに守り続けていました。
「あれもある、これもある」
「こんなサービスもあります」
という “足し算” をしてきたのが、現在の観光旅館の姿です。
でも、湯に自信がある湯守のいる宿は、とことん無駄と不必要なものを省いた “引き算” をしています。
「その代わり、うちには極上の湯がある」。
そんな頑固一徹な主人の心の声が聞こえてくる宿こそが、私は、いい温泉だと思うのです。
<2013年11月17日付>
Posted by 小暮 淳 at 11:25│Comments(0)
│温泉考座