2021年04月26日
湯守の女房 (1) 「湯に入ると自然に 『ありがとう』 と感謝の言葉が出ます」
このカテゴリーでは、ブログ開設11周年企画として、2011年2月~2013年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『湯守の女房』(全39話) を不定期に紹介します。
湯守とは源泉を守る温泉宿の主人のこと。その湯守を支える女将たちの素顔を紹介します。
(肩書等は掲載当時のまま。一部、加筆訂正をしています)
猪ノ田温泉 「久惠屋旅館」 (藤岡市)
県道からはずれて山道に差しかかった途端に、ひんやりと空気が変わる。
標高はさほど高くないが、それほど藤岡市の猪ノ田(いのだ)地区は、深い森に囲まれている。
小さな渓流のほとりに、和風の一軒宿は建っている。
「私は病弱だったので、到底手伝えませんって、キッパリ言いました。でも、言い出したら絶対に聞かない人ですから」
と、女将の深澤信子さんは述懐する。
昭和58(1983)年12月、藤岡市内で牛乳販売業を営んでいた主人の宣恵(のぶやす)さんは、周囲の反対を押し切って旅館を開いた。
温泉に、ほれ込んでのことだった。
猪ノ田温泉は明治初期には 「皮膚病に効く」 という評判が高く、湯治場としてにぎわっていた。
当時は源泉の湧き口に野天の湯小屋があるだけだったが、大正時代には旅館が建てられ、戦前までは大いに繁盛した。
しかし戦後に経営は悪化し、約40年前に廃業した。
惜しむ声はあっても、温泉は森の中で眠ったままだった。
「主人は、歴史と効能のある温泉を復活させたいって、源泉をくんで来ては温めて入っていました。『この湯はすごい!』 って言いながら」
現在でも、医者に見放された患者たちが、遠方よりやって来る。
4年前から女将の発案で源泉を詰めたペットボトルの販売を始めた。
昨年からは、メーカーとの共同開発した温泉水入りの石けんも販売している。
長年、体が弱かった女将が、こうして健康を取り戻せたのも、温泉の効能によるものだという。
「源泉には、殺菌、浄化、漂白の作用があるらしく、皮膚科や小児科のお医者様が取り寄せたり、患者さんに紹介してくれたりしています」
古来、沸かしてまで浴した冷鉱泉には、病気の治癒効果が高い薬湯が多い。
猪ノ田温泉も硫化水素を含む独特の腐卵臭がすることから 「たまご湯」 と呼ばれ親しまれてきた “薬師の湯” である。
現在は 「絹の湯」 と呼ばれ、ふたたび傷ややけど、アトピー性皮膚炎に効く名薬湯として、全国からうわさを聞きつけた湯治客が訪れている。
その浴感は、トロリとして卵の白身のように滑らかだ。
「湯に入ると、自然に 『ありがとう』 と感謝の言葉がでます。私たちが生きているかぎり、この湯は守り続けます。ねっ?」
かたわらで若女将の久美子さんが 「はい」 と大きくうなずいた。
厨房を預かる長男の嫁として、2代目 “湯守の女房” へバトンが受け継がれようとしている。
<2011年2月9日付>
Posted by 小暮 淳 at 10:04│Comments(0)
│湯守の女房