2021年06月19日
湯守の女房 (13) 「父は 『災厄をなくしたい』 と天狗堂を建て、新たな天狗面を奉納しました」
沢渡温泉 「龍鳴館」 (中之条町)
「私の余生は湯守(ゆもり)です」
3年前に3代目女将を継いだ隅谷映子さんは、元県立高校の英語教師。
沢渡(さわたり)温泉の旅館の長女に生まれ、家業を継ぐのは当然と思ってきた。
「夫と結婚するときも、いずれは温泉宿をすることが条件でした」
57歳で退職。
両親が経営する宿がある沢渡温泉と、やはり高校教師だった夫や義父が暮らす伊勢崎市の自宅を往復する生活を続けた。
先代女将の母の他界を機に、沢渡温泉に腰を落ち着かせた。
前身は正永館(しょうえいかん)といい、大正時代に歌人の若山牧水が立ち寄っている。
昭和3(1928)年に母の叔母が経営を譲り受けて、「龍鳴館(りゅうめいかん)」 と改名した。
父の故・都筑重雄さんは、海軍の航空母艦の乗組員で、終戦後、町工場に勤めていた。
親類から 「旅館を継いでほしい」 と言われたが、「商売は苦手だから」 と断り続けた。
ある日、重雄さんは “お天狗様” と呼ばれる地元の占い師から 「北北西の沢渡へ行け」 と告げられた。
同24(1949)年、2代目経営者となった。
沢渡温泉の開湯は、建久2(1191)年と伝わる。
翌年、鎌倉幕府を開いた源頼朝が、浅間山麓でイノシシ狩りをした際に、発見したといわれる。
明治までは草津帰りの浴客でにぎわったという。
「一浴玉の肌」 と呼ばれるやさしい湯が、酸性度の強い草津の湯ただれを癒やす 「なおし湯」 となった。
昭和20(1945)年、山火事に端を発し、1,500ヘクタール、136戸が焼けた 「沢渡の大火」 で温泉街も全焼した。
昔から地元には守り神として天狗のお面があったが、大火の数年前に子どもがいたずらをして、お面の鼻を折ってしまったという。
沢渡温泉は、同10(1935)年にも 「沢田村水害」 に見舞われていた。
「父は、『災厄をなくしたい』 と、宿の裏山に天狗堂を建て、新たな天狗面を奉納しました」
同56(1981)年の建立以来、毎年4月16日に天狗様の祭りをしている。
温泉の温度は約55度。
加水せず、窓の開閉で温度調節をする。
温泉の成分を薄めずに提供したいという女将のこだわりからだ。
ツーンと染み入るように、体の隅々まで馴染んでいく。
硫黄のにおい(※)が心地よく、くせになる浴感である。
浴室の隅に、頼朝が腰かけたと伝わる石が置かれている。
表面の傷痕は、水害や大火をくぐり抜けてきた表れという。
天狗のお面同様、沢渡温泉の安穏を見守っている。
※(正しくは硫化水素のにおい)
<2011年9月21付>
Posted by 小暮 淳 at 11:22│Comments(2)
│湯守の女房
この記事へのコメント
自分の高校時代の恩師、隅谷先生。
近いうちにまた訪れたいと思っているお宿です。
ゆっくりお話ししたいです。
近いうちにまた訪れたいと思っているお宿です。
ゆっくりお話ししたいです。
Posted by センネンボク at 2021年06月19日 12:44
センネンボクさんへ
ぜひ先生に、裏山にある天狗堂へ連れて行ってもらってください。
天狗の面を見せてくれると思います。
その天狗の面には……?
摩訶不思議な現象が起きています。
ぜひ先生に、裏山にある天狗堂へ連れて行ってもらってください。
天狗の面を見せてくれると思います。
その天狗の面には……?
摩訶不思議な現象が起きています。
Posted by 小暮 淳 at 2021年06月19日 20:50