2021年07月18日
湯守の女房 (19) 「 『また来るね』 の言葉が私の生きがいです」
赤城温泉 「赤城温泉ホテル」 (前橋市)
年配の人に 「赤城温泉ホテル」 といえば、「ああ、『あづまや』 ね」 と返事が返って来る。
「あづまや」 とは、元禄13(1700)年創業の赤城温泉ホテルの旧名である。
昭和54(1979) に改築され、いまの屋号になった。
赤城温泉は、かつて 「湯之沢温泉」 といい、赤城山麓で、ただ一つの温泉地だった。
応仁元(1467)年の薬師石像から室町時代には温泉があったことをしのばせる。
国定忠治や新田義貞も、この湯につかったと伝わる。
この老舗に現代風の女将がいる。
「話し好きなものだから、ついついお客さんに言い過ぎてしまうことがあるんです。毎日、反省しています」
そう言って10代目女将の東宮香織さんは、屈託のない笑顔を見せた。
伊勢崎市生まれ。
市内の居酒屋で知り合ったご主人の秀樹さんが、香織さんに一目ぼれをして猛アタック。
6年間の交際を経て、26歳で結婚し、すぐ旅館に入った。
子育ては、先代女将の喜久枝さんがサポートした。
小学6年と4年の男児の母親である。
会うたびに、女将業が天職だと思う。
宴席などにも気軽に顔を出し、客からは 「ママ」 と慕われる。
「本当に、いい女性(ひと)が来たよね」
と、親戚は口々にいう。
香織さんが考案し、数年前から個室風呂付きの別館で 「赤ちゃんプラン」 を始めた。
「小さな子ども連れだと、どうしても他の人の視線が気になります。子どもが泣いても騒いでも平気な空間を提供したかった」
と話す。
部屋には、赤ちゃん布団や哺乳瓶、ミルク専用ポットなどが用意されている。
「接客に心を砕いているつもりだけど、必ずしも皆が満足しているとは限りません。『また来るね』 の言葉が私の生きがいです」
万病に効く薬湯として知られ、代々守り継いできた湯は、茶褐色ににごっている。
露天風呂は、湯葉のような白い炭酸カルシウムの膜が湯面を覆う。
「石灰華(せっかいか)」 と呼ばれる析出物で、温泉マニアにとって垂涎の的だ。
内風呂は、浴槽の縁や洗い場の床に、温泉の成分が鍾乳石のように堆積している。
これほどに濃厚な源泉が、加水も加温もせず、かけ流しされている。
実は、主人の秀樹さんと私は、はとこ同士だ。
私の母方の祖母が、ここの温泉で産湯をつかった。
子どもの頃から慣れ親しんできた私のルーツの湯である。
こうして、いまも湯に入れる幸せを、ご先祖様に感謝したい。
<2011年12月21日付>
Posted by 小暮 淳 at 11:56│Comments(0)
│湯守の女房