2022年05月05日
エイ舞う形の群馬県
「つる舞う形の群馬県」
と言えば、群馬県民なら誰でも知っている郷土玩具 『上毛かるた』 の 「つ」 の札。
そして、『上毛かるた』 の札の中でも最も有名な札ではないかと思います。
確か競技会では、同点の場合は、この札を取ったチームの方が勝者となるルールでした。
それほどの肝になる札であります。
ので、群馬県民は、幼少の頃から何の疑いを抱かずに育ってしまいました。
そう、群馬県は 「鶴の形をしているんだ」 と……
ところが他県民に言わせると、
「どこが鶴やねん!」 (なぜか関西弁)
と突っ込まれます。
言われてみて、改めて地図で群馬県の形を見てみると……
鶴と言われれば鶴ですが、白鳥と言えば白鳥だし、鴨と言われれば鴨のようにも見えます。
いったい、いつ、誰が、「鶴」 に見立てたんでしょうか?
と思っていたら先日、興味深い新聞記事を見つけました。
《県の形の例え 昔は 「エイ」 》
<本県の形の例えに、魚のエイが持ち出された時期があった。NPO法人 「日本郷土かるた協会」 の山口幸男理事長によると、1883~1914年版の県統計書には 「海鷂魚(かいようぎょ) (エイ)」 に似ているとある。>
(2022年5月2日付 読売新聞群馬版より)
なぜ、海なし県なのに魚類の発想があったのでしょうか?
山口理事長は、こう推測します。
<明治初期の県上層部にはエイが身近な西日本出身者が多かったため>
そう言われて、改めて群馬県の地図を見てみると……
うん、うん、見えます!
それも鶴とは逆向きに泳ぐ、エイの姿に見えます。
いわゆる鶴の首 (東毛地区) が、エイでは尾になるわけです。
では、なぜ、「エイ舞う形の群馬県」 にならなかったのか?
山口理事長は、こう推測します。
<県内の学校は明治初期から 「県は鶴の形」 と教えてきており、山口理事長は、県内出身者が県政の中心を担うようになり 「鶴」 に変わったとみる。>
いや~、「鶴」 で良かった!
そのまま西日本出身者が上層部に居残っていたら、「つ」 の札は別の札になり、「え」 の札の 「縁起だるまの少林山」 は無く、代わりに 「エイ舞う形の群馬県」 になっていたのですからね。
待てよ……
ていうか、エイも鶴も群馬には棲息していませんって!
もっと群馬らしい動物に例えた方が良かったんじゃありません?
同じ鳥でも、県の鳥 「ヤマドリ」 とか?
でも、もはや手遅れです。
僕らの脳には、しっかり “つる舞う形” として、すり込まれていますものね。
悲しい群馬県民の性(さが)であります。
Posted by 小暮 淳 at 12:07│Comments(0)
│謎学の旅