2010年03月05日
川原湯温泉のゆくえ
僕はあえて川原湯温泉のことは、記事や講演などで、触れるのをさけて来ました。
ダムができることと、温泉を守ることは、まったくの別の次元のことだからです。単純に「代替地へ移ればいい」というものではありません。開湯800年の歴史ある湯に対して、「新しい源泉を掘ればいい」とか、「湯はポンプアップして引き湯すればいい」という考え方自体が、神への冒涜(ぼうとく)であり、代々湯を守り継いできた先人たちの努力を踏みにじるものだと思います。
基本的に僕は、ダム建設に反対です。しかし、川原湯温泉の旅館主人たちにとっては、もう賛否のレベルではなく、心身ともに限界を超えてしまっているのです。
川原湯温泉とのつき合いは、かれこれ20年以上になります。まだ駆け出しの雑誌記者だった頃、真冬、極寒の早朝に開催される「湯かけまつり」の取材で、初めて川原湯温泉へ行きました。
それからは取材でたびたび訪れるだけでなく、プライベートでも足を運び、「王湯」「笹湯」「聖天様露天風呂」は、何度も通いました。宿にも泊まり、主人たちとも語り合いました。彼らが一番、川原湯の湯を愛している人たちです。今となってはダム建設に賛成していても、立ち退くことを望んでいる人はいません。
隆盛期は15軒以上あった旅館も、今は半分以下。そして、さらに一軒、また一軒と宿を閉めています。
「去るも地獄、残るも地獄」と言います。代替地は用意されていても、移転するまでの保障がありません。建物は老朽化する一方で、増築も改築もメンテナンスもできずにいます。ダム建設現場への観光客は増えても、宿泊客は減少の一途です。
先日、老舗旅館の主人と電話で話しました。
「小暮さん、残念だけど今月いっぱいで旅館を閉めることにしたよ。もう限界なんだ」と言われました。
「そんなこと言わないで、続けてよ」なんて、僕に言えるわけがありません。
「隣んちも、土地と建物を売却しちゃった。何軒残るのかな……。1、2軒だろうね」とも。
代替地で再オープンできるとしても、早くて2年後だといいます。
「絶対、連絡くださいね。一番先に僕が記事を書きますから!」そう声をかけて、電話を切りました。
がんばれ!川原湯温泉! 歴史ある温泉地の復活を祈ります。
ダムができることと、温泉を守ることは、まったくの別の次元のことだからです。単純に「代替地へ移ればいい」というものではありません。開湯800年の歴史ある湯に対して、「新しい源泉を掘ればいい」とか、「湯はポンプアップして引き湯すればいい」という考え方自体が、神への冒涜(ぼうとく)であり、代々湯を守り継いできた先人たちの努力を踏みにじるものだと思います。
基本的に僕は、ダム建設に反対です。しかし、川原湯温泉の旅館主人たちにとっては、もう賛否のレベルではなく、心身ともに限界を超えてしまっているのです。
川原湯温泉とのつき合いは、かれこれ20年以上になります。まだ駆け出しの雑誌記者だった頃、真冬、極寒の早朝に開催される「湯かけまつり」の取材で、初めて川原湯温泉へ行きました。
それからは取材でたびたび訪れるだけでなく、プライベートでも足を運び、「王湯」「笹湯」「聖天様露天風呂」は、何度も通いました。宿にも泊まり、主人たちとも語り合いました。彼らが一番、川原湯の湯を愛している人たちです。今となってはダム建設に賛成していても、立ち退くことを望んでいる人はいません。
隆盛期は15軒以上あった旅館も、今は半分以下。そして、さらに一軒、また一軒と宿を閉めています。
「去るも地獄、残るも地獄」と言います。代替地は用意されていても、移転するまでの保障がありません。建物は老朽化する一方で、増築も改築もメンテナンスもできずにいます。ダム建設現場への観光客は増えても、宿泊客は減少の一途です。
先日、老舗旅館の主人と電話で話しました。
「小暮さん、残念だけど今月いっぱいで旅館を閉めることにしたよ。もう限界なんだ」と言われました。
「そんなこと言わないで、続けてよ」なんて、僕に言えるわけがありません。
「隣んちも、土地と建物を売却しちゃった。何軒残るのかな……。1、2軒だろうね」とも。
代替地で再オープンできるとしても、早くて2年後だといいます。
「絶対、連絡くださいね。一番先に僕が記事を書きますから!」そう声をかけて、電話を切りました。
がんばれ!川原湯温泉! 歴史ある温泉地の復活を祈ります。
Posted by 小暮 淳 at 18:59│Comments(0)
│温泉地・旅館