温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2020年03月13日

瞳の中の恐怖


 可視化された世の中を、どう思われますか?

 防犯カメラやドライブレコーダーの普及により、ますます我々の日常は、世間にさらされています。
 確かに、犯罪の抑制や犯人検挙には役立っているようですが、それは性善説に基づいた考え方です。

 もし、悪意に満ちた考えの持ち主に利用されたら……


 先日、身の毛もよだつような事例を見つけました。
 それは、新聞の片隅に載った小さな記事でした。
 こんな見出しが付いていました。

 “瞳画像→駅判明→尾行”

 女性アイドルの体を触ってケガをさせたとして、強制わいせつ致傷などの罪に問われている男の裁判での起訴内容です。
 なんと犯罪のきっかけは、被害者がアップしたツイッター上の画像の瞳に映った景色からでした。
 いったい、「瞳に映った景色」とは?


 経緯は、こうです。
 まず被告は、女性が最寄り駅で自身を撮影した画像を見つけます。
 次に、女性の瞳の中に映った景色を分析し、ホームの特徴や線路の本数などを割り出します。
 さらに、握手会で直接女性から聞いた 「近くに引っ越しした」 との情報や、他のファンからの目撃情報を加味し、地図検索サイトのストリートビュー機能を駆使して、ついに駅を特定します。

 ここまでならゲーム感覚かもしれません。
 でも男は、ここから犯罪者としての行動をとります。

 特定した駅で女性を待ち伏せし、自宅マンションまで尾行。
 女性の投稿動画から部屋の位置やカーテンの色を把握。
 さらには、女性が自宅から動画をライブ配信している時に、玄関のチャイムを押して、音が鳴ったことを確認。
 ついに、部屋を探し当てます。

 そして女性宅に侵入し、わいせつ行為におよんだということでした。


 可視化は犯罪の抑制にもなりますが、誘発もしかねないということです。
 便利とは、なんて不便なんでしょうか。
 生きにくい世の中になったものです。
    


Posted by 小暮 淳 at 11:46Comments(0)つれづれ

2020年03月12日

源泉ひとりじめ(20) 湯けむりの向こうで、コスモスが揺れていた。


 癒しの一軒宿(20) 源泉ひとりじめ
 温川(ぬるがわ)温泉 「白雲荘」 吾妻町(現・東吾妻町)


 夜中に幾度となく、目が覚めた。
 そのたびに、滝の音を聴いていた。
 夕刻に眺めていた温川の清流を思い出しては、やがてまた眠りに就いた。
 いくつもの夢を見た。


 葉もれ日が揺れる、長い下り坂。
 その坂道の突き当たりに、山小屋風の一軒宿が見える。
 浅間隠(あさまかくし)温泉郷の中で、一番小さな温泉宿に着いた。

 浅間隠温泉郷は、温川に沿って湧く 「薬師」 「鳩ノ湯」 「温川」 の3つの温泉の総称である。
 浅間隠山(1,757m) の登山口にあることから、そう名付けられている。
 国道406号との分岐点に、大きな案内板が立っている。
 「左150m鳩ノ湯、300m薬師、右200m温川」
 温川をはさんで両岸に分かれ、2つと1つの一軒宿がたたずんでいる。

 「白雲荘」 の創業は昭和38(1963)年。
 5代目主人に案内された部屋は、一番奥の角部屋。
 眼下には七段に落ちる見事な滝を見下ろす絶景が待っていた。
 「川の音がうるさいかもしれませんね」 と、済まなそうに語る柔和な笑顔に、旅の疲れが一気にほぐれていった。

 群馬県内の温泉宿の宿泊客は、8割が県外からである。
 ところがここ温川温泉は、まったくの逆で8割が県内客だという。
 これには驚いた。
 「グループで2~3泊していかれる方が多いので、県内なら私が送迎しています」 と主人。
 またまた驚いていると、「前職がバスの運転手だった」 と聞いて納得。
 5名以上なら県内どこでも、主人自らがマイクロバスで迎えに来てくれるとのことだ。
 県内客のリピーターが多いのは、このきめ細やかな気配りにあったようだ。

 露天風呂へは、浴衣にサンダル履きで歩いて2~3分。
 温川沿いの敷地内に、小屋がある。
 湯は気持ちぬるめだが、肌触りが柔らかく、長湯ができる。
 仰ぎ見れば、どこまでも高い空。
 はぐれた小さな綿雲が、ゆっくりと流れてゆく……

 温川越しに 「鳩ノ湯」 と 「薬師」 の宿が見える。
 小さな温泉郷である。
 満開のコスモス畑の上を、赤とんぼの群れが何度も何度も行ったり来たりしていた。


 ●源泉名:目の湯
 ●湧出量:14ℓ/分(動力揚湯)
 ●泉温:35℃
 ●泉質:ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩温泉

 <2005年11月>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:40Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年03月11日

妖怪の出番です!


 東日本大震災から9年が経ちました。
 今また、9年前と同じような事態が日本および世界中を襲っています。
 デマ、風評、自粛の嵐です。

 新型コロナウイルスという見えない敵に、人類は成す術がないのでしょうか?


 新聞発表によれば、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、すでに群馬県内の宿泊施設では、少なくとも延べ10万人を超えるキャンセンルが出ているそうです。
 また3~5月分の予約も前年同期比で5割以下になっており、その影響は大型連休にまで及んでいる状況です。

 群馬県は4月から大型観光企画 「群馬デスティネーションキャンペーン(DC)」 が始まります。
 誘客に向けた盛り上がりが期待されていただけに、関係者の落胆は大きいと思われます。


 昔から人類は、数々の目に見えない “魔物” と闘ってきました。
 細菌やウイルスが発祥元となる病気も、その魔物の仲間です。
 そして、それら目に見えない魔物の正体は、妖怪や悪霊の仕業だとされてきました。

 正に、この新型コロナウイルスは、妖怪や悪霊と同じです。
 科学や医学が発達した現代ですが、正体が解明されるまでは、太刀打ちができません。
 こんなとき、昔の人は願をかけ、神や仏の加護にすがりました。


 今、SNSで、ある妖怪が話題になっているといいます。
 「アマビエ」
 妖怪には、悪いことをする妖怪にもいますが、これは人間を助けてくれる良い妖怪のようです。

 江戸末期、「病気が流行したら自分の姿を写して人々に見せるように」 と伝えて海中に消えたと伝えられています。
 半人半魚の妖怪で、顔は鳥のような口ばしがあり、髪が長く、首から下はウロコに覆われています。
 三本足で歩き、体全体が発光するといわれています。

 かなり不思議な妖怪ですが、見た目は愛嬌があり、マスコットになりやすいキャラクターであります。


 ここまで自粛ムードが続くと、誰もがワラにも神にもすがりたい気分になります。
 そんな時に現れた救世主、妖怪 「アマビエ」。

 どうか日本を、いえ、人類を疫病からお助けください!
   


Posted by 小暮 淳 at 15:18Comments(0)つれづれ

2020年03月10日

旅のめっけもん⑧


 ●旅のめっけもん 「江口きち資料室」

 『瀬の色のめたたぬほとの青濁り ゆきしろのはや交りくるらし』
 薄根川に架かる吊り橋の西のたもとに、「女啄木」 とも言われた薄幸の歌人、江口きちの歌碑が立っている。
 橋からつづく遊歩道の先に、なんとも懐かしい木造の校舎が見える。
 現在は 「川場村歴史民俗資料館」 だが、建物は明治43(1910)年に建築された川場尋常高等小学校で、国の登録文化財になっている。
 江口きちも、この小学校を卒業した。

 大正2(1913)年11月、川場村に生まれたきちは、幼い頃から勉学に励み、昭和3(1928)年の川場尋常高等小学校卒業時には、答辞を読むなど成績優秀だったという。
 一時期、沼田郵便局に勤めるが、母の急逝により19歳で稼業の飲食業を継ぐことになる。
 この頃から文学に傾倒し、文芸誌に短歌を投稿するようになり、生活の懊悩や妻子ある人との許されぬ愛などをリアルに表現した。

 老いた父、病気の兄、4歳下の妹を抱えた苦しい生活の中で、歌を詠むことだけを生きがいとしていたきちは、昭和13年、自ら26歳の命を絶ってしまう。
 辞世の歌 『大いなるこの寂(しづ)けさや天地(あめつち)の 時刻(とき)あやまたず夜は明けにけり』 を残して……。

 きちが自分で縫ったという死への旅立ちに着た純白のドレスが、見る者の胸を強烈に締めつける。
 <2005年7月 塩河原温泉>



 ●旅のめっけもん 「旧北軽井沢駅」

 かつて、この地を高原列車が走っていた。
 草津と軽井沢を結ぶ 「草軽電気鉄道」 である。
 昭和37(1962)年の廃線まで半世紀にわたり、避暑や観光目当ての客に親しまれるだけでなく、硫黄や木炭などの貨物輸送にも使われていた。
 線路は等高線に沿って敷かれたため、カーブが多く、脱線を頻繁にしたという。
 また速度が遅いのも有名で、走行中に乗客が列車を降りて用を足して、また飛び乗ったというエピソードが残っているほどだ。

 草津~軽井沢間 (55.5km) にあった17の停車駅の中で、北軽井沢駅だけが今でも唯一、駅舎が現存している。
 昭和4(1929)年に建てられた寺社のような外観は、シンメトリーを成していて美しい。
 廃線後、電鉄OBにより喫茶・スナックの店舗として活用されていたが、現在は建物のみが残っている。
 その風格と保存状態の良さは、一見の価値がある。

 昭和26年に封切られた日本初のオールカラー映画 『カルメン故郷に帰る』 の中で、主人公のカルメンは、この駅に降り立ち、この駅から帰っていった。
 とりわけ、長いパンタグラフとL字型の車両から 「カブト虫」 の愛称で親しまれたデキ12型機関車に引かれた貨車の上からカルメンが手を振りつづけるラストシーンは、印象的である。
 <2005年8月 北軽井沢温泉>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:51Comments(0)旅のめっけもん

2020年03月09日

ネットの弊害


 20年前のこと……
 当時、僕は雑誌の編集人をしていました。
 パソコンが普及し始めた頃で、編集者は不慣れながらもキーボードを叩いて、原稿を書いていました。

 「編集長、原稿チェック、お願いします」
 僕は毎日、スタッフから上がってくる原稿に目を通します。
 ところが……
 「おい、なんだこれは? 文体がバラバラじゃないか? 本当に君が書いた文章なのか?」
 問いただすと、
 「あ、はい……いえ、ネットで調べました」

 いわゆる今でいうコピペ (コピー&ペースト) といわれるズルをしていたのです。
 ネットで調べた記事を、いくつかコピーして貼り合わせていたのです。
 「ダメだよ! 自分の足で調べて書きなさい!」
 と、原稿を突き返しました。


 10年前のこと……
 僕は本の出版のために、県内の温泉旅館を回り、取材を続けていました。
 当時、行く先々の旅館で、こんなことを言われました。
 「本当に取材に来るんですね」
 最初は、何のことを言われているのだか分かりませんでした。
 「本当にって?」
 「だって、ほとんどの雑誌が電話での取材ですから」
 「えっ、じゃあ、写真はどうするんですか? カメラマンは来ないの?」
 「今は、みんなネットですよ。写真を送ってくださいって。もしくはホームページからの転載です」


 そして今……
 すべてではありませんが、出版社や雑誌社との原稿のやり取りの際に、首をかしげてしまうことがあります。
 送られてくる校正に、赤線が引かれていて、
 <不明> とか <確認とれず> の書き込みがあります。
 指摘されている箇所は、そのほとんどが僕が取材で地元の人や旅館の主人から聞いた内容です。
 意味を問うと、
 「ネットで検索しても、その事実がありません」
 とのことでした。

 おいおい、ネットが基本か?
 こっちは、直接関係者から聞いた事柄を書いているんだよ!


 おかしな世の中になったものです。
 便利になり過ぎて、誰もが平気で手を抜きだしています。
 でも、一度手を抜くと、人は便利から抜け出せなくなってしまいます。
 そしていつしか、“便利”=“正しい” と思い違いをしてしまいます。

 つくづく、便利って、なんて不便なのだろうと思ってしまいます。
 でも、まだ今なら間に合います。


 編集者よ、パソコンを捨てて、街を出よう!
    


Posted by 小暮 淳 at 12:06Comments(0)執筆余談

2020年03月08日

次はあなたの街へ


 ご来場された方々に、厚く御礼申し上げます。

 おかげさまを持ちまして、昨日、拙著『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) の表紙装丁画を展示した  「栗原俊文 表紙画展」 の巡回展第2弾が、無事終了しました。
 会場を提供してくださった戸田書店前橋本店の店長およびスタッフのみなさんにも、重ねてお礼を申し上げます。
 大変お世話になりました。

 この展示会では、一昨年に出版した同書の表紙の原画と装丁が出来上がるまでの工程をパネル展示しています。
 昨年の夏、戸田書店高崎店で第1回を開催したところ、たくさんの来場があり、大変盛況だったことから巡回展として県内の書店にて順次開催する運びとなりました。
 今回も36日間の会期中に、大勢の人に観ていただき、感想をいただき、さらには著書もお買い上げいただきました。


 今日は朝から栗原氏とともに、展示物の撤収作業に行ってきました。
 店長いわく、
 「あまり、お力になれなかったかもしれません。こんな騒動になってしまって……」
 やはり、ここにも新型コロナウイルスの影響が出ているようです。

 自粛、自粛、自粛の嵐……
 外出を控えるのも分かりますが、こんなときだからこそ、その時間を読書に費やしていただきたいものです。
 ぜひ、書店へ足を運んでください。


 さて、著書の出版元では現在、次なる開催地となる書店と交渉中であります。
 順調に行けば、春の訪れとともに巡回展第3弾の告知ができると思います。

 次は、あなたの街の書店かもしれません!
 お楽しみに!
   


Posted by 小暮 淳 at 13:45Comments(0)著書関連

2020年03月07日

尻焼温泉 「ホテル光山荘」③


 <長笹沢川に架かる橋の名は 「尻明橋(しりあきばし)」 という。かつて 「尻焼(しりやき)」 の文字を嫌って、温泉名を 「尻明」 「白砂(しらす)」 「新花敷(しんはなしき)」 などと称した時代があった。この橋は、その頃の名残である。>
 (『群馬の小さな温泉』 より)


 “群馬の秘湯” と聞いて、尻焼温泉(中之条町) を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?
 一時、雑誌やテレビなどで、川全体が露天風呂になっている野趣あふれる写真や映像が紹介されるやいなや、秘湯ブームに乗っかって、大混雑したことがありました。
 でも今は、また元の湯治場風情に包まれた静かな温泉地にもどっています。

 前日の雪が残る中、昨日は久しぶりに取材で尻焼温泉へ行って来ました。
 名物の川風呂には、平日の午前中にもかかわらず、数名の男性が湯を浴んでいました。
 「あの人たち、近くでキャンプをしている人たちですね」
 そう教えてくれたのは、川風呂から一番近い宿 「ホテル光山荘」 のオーナー、小渕哲也さんです。
 彼とは、かれこれ10年以上の付き合いになります。

 僕は、尻焼温泉のある中之条町の観光大使でもありますが、みなかみ町の温泉大使でもあります。
 そして小渕さんは、みなかみ町のうのせ温泉にある 「旅館 みやま」 のオーナーでもあるため、双方の総会やイベントなど、その他もろもろで大変お世話になっている方でありす。
 今回は、僕が雑誌の取材に来ることを知って、わざわざ旅館まで来てくださいました。


 尻焼温泉の発見は古く、嘉永7(1854)年の古地図に温泉地として記されています。
 川の中の野天風呂として村人たちが利用していたらしいのですが、温泉宿が建ったのは遅く、昭和になってからでした。
 往時は5~6軒の旅館がありましたが、現在は3軒です。
 その中で一番古い宿が、昭和52(1977)年創業の光山荘です。
 宿名の由来は、創業者が “鉱山” を所有していたからだといいます。

 そして3軒の宿の中で唯一、自家源泉を保有しています。
 以前、僕は著書の中で、こんなふうに書いています。
 <湯は熱いのだが、不思議とクールな浴感であることに気づいた。まるでミントの入浴剤に入っているような清涼感である。その感覚は、湯から上がっても変わらない。体が火照ることなく、汗も吹き出さない。なんとも涼しい湯である。>

 「小暮さんの本を読んだ人が、実際に湯を確かめに来るんですよ」
 小渕さんに言われたことがありました。
 「それで?」
 「みなさん、『本当ですね』 と納得して帰られます」


 はたして、今日の湯は?

 源泉の温度は約54度もあります。
 それが加水されることなく、ドバドバとかけ流されているのですから、やはり熱いのです。
 でも、ご安心を!
 浴室には、大きな湯かき棒が置かれています。
 これで豪快に、バシャバシャと湯をもんでやるのです。

 すると不思議不思議、スーッと体が湯の中に入って行くのです。
 それからは、上記のように著書に書いたとおりです。
 清涼感があり、湯上がりも汗が出ませんでした。


 「相変わらず、いい湯ですね」
 「ありがとうございます」
 「湯がいいのは、湯守(ゆもり) の腕がいいからですね」
 「だったら私ではなく、毎日、湯をみている女将に言ってやってください」

 だからロビーで、女将に言ってあげました。
 「グッジョブ!」


 いい湯に出合えると、本当に幸せな気分になりますね。
 オーナー、女将さん、取材協力ありがとうございました。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:08Comments(0)温泉地・旅館

2020年03月06日

源泉ひとりじめ(19) こっくりとした玉子湯に、身も心もとろけていった。


 癒しの一軒宿(19) 源泉ひとりじめ
 坂口温泉 「小三荘(こさんそう)」 吉井町(現・高崎市)


 「子供の頃から、よく親に連れて来られたよ。あせもやおむつかぶれなら、1~2回入れば治ってしまう」 と、地元の常連客は言った。
 今夏、海と山で酷使された肌には、いまだ痛々しく日焼けのあとが残っている。
 開湯300年の霊験あらたかな 「薬師の湯」 の恩恵に、あやかることにした。


 高崎市街地から車で、わずか20分の近距離。
 のどかな里山に囲まれた県道沿いに、一軒宿はひっそりとたたずんでいた。
 「あれっ、山が動いている!」 と思ったのは、どうも目の錯覚だったようだ。
 竹林に覆われた裏山が、時おりの風に右に左にと大きく揺れている。
 雲の切れ間から射した強い光に照らされて、借景は一瞬にして鮮やかなライトグリーンへと色を変えていった。

 それにしても引きも切らさずに入浴客が訪れる宿である。
 飛び込みの行楽客しかり、軽トラで乗り付ける地元客しかりだ。
 昨今のブームで街中に現れた日帰り温泉施設が、例外なく近隣にも点在している。
 しかし、無理やりボーリングしてくみ上げた “湯” と、何百年と湧き続けている “湯” が、同じであるわけがない。
 その効能は、口コミで県外へまでも届いている。

 「おかげさまで、ありがたいことです。本当に不思議な湯で、日によって微妙に色が変わります。にごることもあれば、透明な日もある。極端に色が変わると、数日中に天気が崩れますね」 と、4代目の泉主は語る。
 私が訪ねた日の湯の色は、やや薄にごりの淡緑色をしていた。
 こじんまりとしているが御影石を敷きつめた浴室は、清潔感にあふれ、気持ちがいい。
 そして何よりも湯に重みがあって、温泉成分が満遍なく溶け込んでいる感じがする。
 こっくりとしたゲル状の液体が、肌にまつわりついてくるようだ。
 湯舟の中で体をさすると、ツルルンと手が滑るのが分かる。
 なるほど、地元の人たちが「玉子湯」 と呼ぶはずである。

 浴室から眺める窓の外では、やわらかい夕日を受けて色合いを変えた竹林が揺れていた。


 ●源泉名:薬師の湯
 ●湧出量:測定せず(自然湧出)
 ●泉度:17℃
 ●泉質:ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩冷鉱泉

 <2005年10月>
  


Posted by 小暮 淳 at 19:51Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年03月05日

それでもフリーランスが好き


 「先生、実は……」
 「中止ですか?」
 「はい、申し訳ありません」

 またもや、中止連絡がありました。
 僕が講師を務めるカルチャースクール主催による野外温泉講座です。
 確かにバスを利用するので、濃厚接触による新型コロナウイルスの感染拡大が懸念されます。
 主催者側の判断は、順当と思われます。

 きっと全国で、こんなことが毎日くり返されているんでしょうね。
 伴い、バス会社は、どこも悲鳴を上げていることでしょう。
 聞くところによれば、社員の給料を補償するために、バスを売却した会社もあるとか……

 自粛による被害は、ウイルスの感染以上に拡大しています。


 でもね、このニュースを耳にした時、僕は、こんなふうに思いました。
 「いいなぁ~、仕事が無くなっても補償されて」
 だって、僕らのようにフリーランスで仕事をしている者には、なんの補償もありませんもの。

 フリーランスで生きるということは、ウイルスに限らず、いつなんどきも動じない精神力を維持することなんです。
 過去には、突然の雑誌の廃刊や連載の打ち切りなんて、数えられないほどありました。
 なかには、原稿料さえ払ってもらえないような事態もありました。

 それでも、この生き方を続けているのには、理由があります。
 それは、“自由” を愛しているからに他なりません。
 自由は、可能性を与えてくれます。
 可能性は、夢を見させてくれます。
 そして、夢は生きる力となるからです。

 ただ、そこには大いなるリスクを覚悟しなくてはなりません。


 今回のようにリスクが生じた時、いつも僕は、オヤジが言っていた言葉を思い出します。
 「人生は保障が大きいほど、中身は小さくなる」
 きっと、生涯、一匹狼で生きてきたオヤジの負け惜しみだったのでしょうね。
 でも、今となれば、その意味が僕にも分かります。

 なんだかんだとグチはこぼしても、この生き方が好きなんです。
 リスクが大きければ大きいほど、成しとげた時の充足感も大きいですから。


 ウイルスなんかに、負けるもんか!
 さあ、フリーランスのみなさん、ご一緒に叫びましょう!

 負けるもんかーーー!!!!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:43Comments(0)講座・教室

2020年03月04日

今こそ温泉に行こう!


 新型コロナウイルスの影響で、全国の宿泊施設でキャンセルの嵐が吹き荒れています。
 新聞によれば、3~5月の予約人数が前年同期比45.2%減になっているとのことでした。
 “不要不急の外出は避ける” という自粛ムードが蔓延しています。

 当然ですが、僕の愛する温泉地も例外ではありません。
 昨日、県内の某温泉旅館に取材申し込みの電話を入れると、
 「ウイルスの影響で、ガラガラですよ。いつでも来てください」
 と、大歓迎されてしまいました。
 こんな時だからこそ、日頃お世話になっている温泉旅館のみなさんには、記事を書いて恩返しをしたいと思っています。


 今、世の中は新型コロナウイルスの感染防止策、一色であります。
 マスクの着用、うがい、手洗いと、ウイルスをシャットアウトすることばかりに躍起になっています。
 でも、相手は目に見えないウイルスです。
 それでも、知らぬ間に我々の体内に侵入してきます。

 ならば今こそ、免疫力をつけて、ウイルスに負けない体を作ることが大事なのではないでしょうか!?


 日本には古来、“湯治” という温泉を利用した民間療法があります。
 湯治は、なにも病気やケガを治すためだけに行っていたわけではありません。
 「転地効果」 という日常から離れた自然環境に身を置くことによるリフレッシュ目的もありました。
 でも何よりも先人たちが、年に何回も温泉場へ通った最大の目的は、“未病” という免疫力を高めるための予防だったのです。

 現代人の慢性病のもとは、低体温だといわれています。
 「体の冷えが病気を招く」 といわれ、万病の原因とされています。

 体温が平熱より1度上昇すると、免疫力は5~6倍になるといいます。
 風邪を引くと熱が出るのも、免疫力を高め、風邪のウイルスと戦っているからなのです。
 逆に体温が1度低下すると、免疫力は30%以上減衰するそうです。

 ならば体温を上げて、自らの免疫力を高め、ウイルスが入り込まない、もしくは入り込んでも自ら戦い、追い出すことのできる強い体を作りましょう!

 今こそ、先人たちの知恵にならい、湯治という予防文化を見直す時です。
 さあ、みなさん、温泉に行きましょう!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:52Comments(4)温泉雑話

2020年03月03日

自粛いたします


 「先生、大変申し訳ないのですが……」
 「もしかして?」
 「ええ……」

 電話の主が、高崎市の某公民館だと分かった瞬時、「やっぱり!」 と確信しました。
 新型コロナウイルスの感染を懸念した講演会の中止連絡です。


 政府の通達により、今週から全国の小中高校が臨時休校を始めました。
 またディズニーランドをはじめ大型レジャーランドの休園、演劇やミュージシャンのライブ公演なども、軒並み中止となっています。
 さらに街中からはマスクが消え、ネットのデマによるトイレットペーパーの買いだめに奔走する国民たち……

 今、世の中には東日本大震災以来の “自粛ムード” が広がっています。
 しかも今回は、日本だけではありません。
 世界規模の自粛であります。
 だもの、一地方都市の小さな公民館で開かれる無名のライターによる講演会なんて、当然のように消えてなくなります。


 いつ、連絡が来るだろうか?

 先週あたりから僕は万全の言い訳や回避手段を算段して、その電話を待っていました。
 まずは、「無観客でやりましょう!」 と言うつもりでした。
 壇上には、講師ひとり。
 公民館の職員がカメラで撮影して、ネット配信します。

 でも、これには、かなり無理がありました。
 予定されていた講演は、「湯の国ぐんまの魅力!~群馬は温泉パラダイス」 と題した高齢者向けの内容でした。
 ネット配信しても、誰も見ないことに気づききした。

 「だったら感染リスクを避けて、客席を2メート間隔で離しましょう!」
 講師も受講者もマスク着用のこと。
 会場も密閉された空間ではなく、すべて窓を開け放つか、屋外にすればいいのです。

 でも、これにも無理がありました。
 いくら暖冬とはいえ、まだ、この時季は寒い!
 しかも、対象は高齢者たちです。
 たぶん、誰も来ないだろうと思われます。


 ということで、やむなく、
 「そうですか、それは残念ですね。ウイルスが終息したら、またの機会に、よろしくお願いします」
 とだけ告げ、電話を切りました。

 ささやかながら、僕もウイルスの感染拡大防止に協力しています。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:16Comments(2)講演・セミナー

2020年03月02日

源泉ひとりじめ(18) 雨の夜に “月の女神” が会いに来た。


 癒しの一軒宿(18) 源泉ひとりじめ
 丸沼温泉 「環湖荘(かんこそう)」 片品村


 ひらひらと、エメラルド色した羽を持つ蝶が舞っていた。
 蝶ではない。夜だから蛾だ。
 しかし、大きさと美しさに息をのんだ。
 その姿は、まるで森から現れた妖精のようだった。


 前橋を発つときは晴れていたのに、片品村に入ると霧のような雨が降っていた。
 日光国立公園内にある丸沼湖畔にたどり着いたときには、フロントガラスを時折、篠の突く雨が叩くようになっていた。
 いくつもの立ち枯れた古木が、煙る湖面から突き出しているのが見える。
 「たまには、こんな旅もいい……」
 幻想的な風景の中で、そう思った。

 標高1,430メートル、原生林に囲まれて、湖畔に一軒宿が建っている。
 「盛夏でも25度を超える日はなく、お盆を過ぎると夜はストーブが必要」 とは、支配人の弁である。
 創業は昭和8(1933)年、当時から変わらぬ豊富な湯量は4ヵ所の浴槽では使いきれず、厨房などの館内でも使用しているが、それでも自噴の半分は放流してしまっている。
 その流れ込んだ温泉の塩分を目当てに、沼に野鹿がやって来るという。

 風格のある和風建築の館内は、玄関を入ったときから落ち着いた雰囲気に包まれていた。
 白木の一枚板の階段、ゆったりとした廊下、通された和室からは、白樺林越しに神秘的な丸沼を一望することができた。

 浴室は、時間帯で交替する男女別の内風呂が、それぞれ1つと、家族風呂が2つ。
 まずは自慢の大浴場 「ニジマス風呂」 へ。
 何が自慢かといえば、ズバリ名前どおりにニジマスが泳ぐ巨大な水槽がある。
 魚と一緒に湯に浸かっているのは、なんとも不思議な気分ではあるが、それよりも贅沢にかけ流されている湯量の多さに感動させられる。
 かすかな温泉臭があるが、無色透明のやわらかい湯である。
 体を動かすたびに、ザザーっと浴槽からあふれ出る湯音が心地よく、何度も体を動かしてみた。


 相変わらず、外は雨である。
 ふと、ガラス窓の向こうに青い影を見た。
 大きくて、美しい蛾である。
 “オオミズアオ”
 学名は 「月の女神」 の意味を持つ。
 体長10センチ以上もある日本では最も大きな蛾である。

 森の妖精が会いに来た……
 年がいもなく、そう思った。
 明日は、きっと晴れるような気がした。


 ●源泉名:1・2号源泉
 ●湧出量:250ℓ/分 (自然湧出)
 ●泉温:47.8℃
 ●泉質:単純温泉

 <2005年9月>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:40Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年03月01日

ブレない男② ふたたび


 突然、2枚組みのCDが届きました。
 送り主は、20年以上前に組んでいたバンドの元メンバー。
 彼に最後に会ったのは5年前、ライブハウスでした。
 ※(当ブログの2015年3月16日 「ブレない男」 参照)

 「ジュンちゃん、よく来てくれたなー!」
 そう言って、思いっきりハグされたことを覚えています。
 そして、相変わらずのギターテクニックと、ハリのある力強いボーカルに酔いしれました。


 決して、ブレない男……
 真似しようとしても、真似できない生き方をしている男……

 それが、出会ってから今日まで、僕が彼に対して抱いている思いです。


 <14歳からギターの弾き語りを始め、フォーク、ロック、ジャズ、レゲエ等の影響を色濃く受けるが、ブルースにも強い興味を持ち、ブルースプレーヤーとしても精力的に活動する。現在はジャンルにとらわれないオリジナルソングの弾き語りで群馬県を中心に活動中。>
 彼のプロフィールを読んで、僕は大きくため息をつきました。

 「ブレてない」

 全22曲、すべてオリジナルソングのCDを聴いていると、出会う前、出会ってから、そして別れてからの彼の “生きざま” が、すべて歌い込まれているようで、熱いものが込み上げてきます。
 10代にギターに出合ってから50年間……
 半世紀もの間、ただひたすらに 「音」 と 「言葉」 を追い求め続けているのです。


 還暦を過ぎて、ますます円熟味を増した彼の歌声を聴きに、久しぶりにライブハウスに足を運んでみたくなりました。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:25Comments(0)つれづれ

2020年02月29日

残り1週間! 表紙画展


 <一冊の本が完成するまでのご苦労が伝わってきました。>
 こんなメールが届きました。
 現在、前橋市の戸田書店前橋本店で開催中の拙著 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) の出版1周年を記念した巡回展 「栗原俊文 表紙画展」 を観に行ってくださった方からです。


 おかげさまで、昨年夏の戸田書店高崎店が盛況だったため、県内の書店をめぐる展示会を行っています。
 会場では著書の販売に併せて、表紙画と装丁を担当したイラストレーター&デザイナーの栗原氏による原画と制作過程を解説したパネルの展示をしています。
 著者からの依頼から始まり、打ち合わせ、ラフによる候補画の選出、決定、そして装丁デザインにいたるまで、時系列に紹介しています。

 今回、栗原氏にイラストレーターとして表紙画を依頼したのは初めてでしたが、デザイナーとしては長年、仕事でパートナーを組ませていただいています。
 上毛新聞社から出版している“群馬の温泉シリーズ” のほとんどは、彼のデザインです。
 そんな彼のデザイナーとしての力量はもちろん、イラストレーターとしての才能に触れることができるチャンスだと思い、この展示会を企画しました。

 いよいよ、残り1週間です。
 ぜひ、お見逃しなく!



   「ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台」
       栗原俊文 表紙画展

 ●会期  開催中~3月7日(土) まで ※観覧無料
 ●会場  戸田書店 前橋本店 (前橋市西片貝町4-16-7)
 ●問合  ちいきしんぶん TEL.027-370-2262
   


Posted by 小暮 淳 at 11:40Comments(2)著書関連

2020年02月28日

旅のめっけもん⑦


 このカテゴリーでは、現在、ブログ開設10周年を記念して不定期掲載をしている 「源泉ひとりじめ」(2004年4月~2006年9月に 「月刊 ぷらざ」 で連載されたエッセー) に併載されたショートコラム 「旅のめつけもん」 を紹介しています。
 温泉地で見つけた旅のエピソードをお楽しみください。


 ●旅のめっけもん 「千明(ちぎら)牧場」

 腰まである残雪の中、かろうじて門柱に書かれた 「千明牧場」 の文字が読めた。
 加羅倉館(からくらかん) のオーナーが経営する牧場である。
 1周1,600メートルある馬場は、今はただ一面の銀世界が広がるだけだ。
 案内された管理棟の壁に掛かる一枚の写真に、彼はいた。

 父はトウショウボーイ、母はシービークイーン。
 彼の名は、ミスターシービー号。
 1983年の皐月賞、日本ダービー、そして菊花賞の三冠を制し、歴史に残る三冠馬の1頭に名を連ねた名馬である。
 彼は1980年4月に、北海道で生まれた。
 翌年、オーナーブリーダーの千明大作氏が経営するここ千明牧場に移され、育てられた。

 千明牧場の歴史は古く、サラブレッドの生産を始めたのは昭和初期のこと。
 戦前には 「マルヌマ」 で帝室御賞典(現・天皇賞) を、「スゲヌマ」 で日本ダービーを制覇している。
 戦後になってからは、「コレヒサ」 で天皇賞優勝、そして 「メイズイ」 で皐月賞と日本ダービーの二冠を制した実績をもつ。
 個人経営の小さな牧場でありながら、ダービー馬を何頭も輩出している全国的にも類のない伝統ある牧場である。

 2000年12月、ミスターシービーは蹄葉炎による衰弱のため、千葉県の千明牧場で死去した。
 享年21歳(数え年) だった。
 今でも競馬ファンが、この地を訪ねて来るという。
 <2005年4月 白根温泉>


 ●旅のめっけもん 「瀬戸の滝」

 「あっ、滝だ!」 と思ったのも束の間、そのまま通り過ぎてしまった。
 国道144号沿い、長野原町から嬬恋村へ向かう途中のことだった。
 国道まで水しぶきを散らす勢いで、突如と現れた姿に一瞬、ブレーキを踏みそうになったくらいだ。

 宿の主人に訊くと、「瀬戸の滝」 と教えてくれた。
 なんでも冬場の渇水期には姿を現さない “まぼろし” の滝らしい。

 翌朝、滝つぼまで行ってみた。
 と言っても、国道脇の駐車スペースに車を停めて、徒歩0分の距離。
 車窓からも見られるが、やはりじっくりと観賞したい。
 見上げると、細い樋状の落ち口から吹き出した水が、岩盤の上を二度三度と跳びはねるように滑り落ちてくる。
 最後は、すそを広げながら岩の切れ目で、そり返るようにジャンプして、滝つぼへ。
 そのまま国道をくぐり、吾妻川へ流れ込んでいる。

 目測で30メートル以上はあるように見えたが、調べた資料によれば10~50メートルと、その落差の表記はさまざま。
 これもまた、“まぼろし” の名にふさわしい気がした。
 <2005年5月 つま恋温泉>
  


Posted by 小暮 淳 at 10:54Comments(0)旅のめっけもん

2020年02月27日

いつも真実は闇の中


 <この国のメディアはおかしい。ジャーナリズムが機能していない。>

 始まって、わずか5分。
 気がついたらスクリーンが涙で、ゆがんでいました。
 「なんでだろう?」
 自分でも分からないぐらい動揺しています。
 熱い思いが胸の奥の方から湧き上がり、目頭を熱くしていたのです。


 遅ればせながら映画 『i 新聞記者ドキュメント』 を観てきました。
 主人公は、映画 『新聞記者』 の原案者としても話題を集めた、あの官邸記者会見で鋭い質問を投げかけることで有名な東京新聞社会部記者の望月衣塑子。
 監督は、ゴーストライター騒動の渦中にあった佐村河内守を題材にした 『FAKE』 などで知られる映画監督で作家の森達也。

 カメラは時に監督自身をも映しながら、ノートとペンとスマホを手にキャリーバッグを転がしながら全国を飛び回る記者を追い続けます。
 辺野古埋立地、もりかけ問題、そして官邸記者会見の場へ……

 真実は、どこへ?
 政治家や官僚の圧力と忖度を追究する彼女は、時には仲間である新聞社という組織へも歯向かいます。


 僕も同じ記事を書くライターですが、ジャーナリストではありません。
 追いかけているテーマは温泉や民話や地酒などですから、世の中に無くても生活には支障のない娯楽性の高いものばかりです。
 それでも 「真実を伝えたい」 というジャーナリズムのような感情は、いつも持ち合わせています。
 だからでしょうか、数々の弊害や妨害にはばまれながらも、それに屈することなく全速力で駆けずり回る彼女の姿に、涙が流れました。


 はて、タイトルに付いている 「i」 とは?
 映画館を出てから考えました。

 <あなたが右だろうが左だろうが関係ない。保守とリベラルも分けるつもりはない。メディアとジャーナリズムは、誰にとっても大切な存在であるはずだ。だから撮る。>
 これは、新聞記者と映画監督のガチンコバトルなのです。

 だから 「i」 は一人称の 「i」、「私自身」 のことではないかと?
 組織の中の記者とフリーランスの映画監督が、巨大な国家と闘うドキュメントなのだと……


 日本という国に暮らす、すべての人たちに問うテーマです。
 ぜひ、観て、考えて、悩んでみてください。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:07Comments(0)つれづれ

2020年02月26日

一年に一度、落ち込んでみました。


 個人事業主のみなさん、お疲れさまです。
 一年に一度のイヤ~な季節がやって来ましたね。
 それは、“大人の通知表” とも呼ばれる確定申告であります。

 もう、お済みになりましたか?
 僕は今日、無事に終えました。
 だから落ち込んでいるのです。

 今年こそは、今年こそはと言いつつ、やっぱり昨年度の稼ぎも例年並みでした。
 ま、計算するまでもなく、現在の生活水準を見れば、一目瞭然なんですけどね。
 それでも、「もしかしたら」 なんて思いながら電卓を叩いてみるわけです。
 
 でも結果は同じ……
 だから、こうして一年一度、落ち込んでいます。
 好きな仕事しかしないという、我がままゆえの自業自得なんですけどね。
 甘んじて、受け入れています。


 毎年、この時季になると、死んだオヤジの口グセを思い出します。
 「これで金があったらバチが当たる」
 オヤジは生前、何かに付けて自分を戒めるように、そう独りごちていました。
 唯我独尊、聞く耳を持たず、好き勝手に生きてきたオヤジらしいセリフです。

 若い頃は中学校の教師をしていましたが、意見の相違から校長をぶん殴ってクビになったと聞いています。
 それからは、人に使われるのも、人を使うのも嫌い、たった1人で学習塾を営んでいました。
 細々と、そして悠々と……

 だもの、僕が学校から帰って来ると、必ずオヤジは家にいました。
 仕事は、平日の夕方からの4時間だけです。
 それ以外は家にいて、毎日毎日、ただ本を読んで過ごしていました。
 楽しみといえば、週末の山登りぐらいでした。

 晩酌はしていましたが、ほとんど外へは飲みに出かけませんでした。
 ただ、まれに、ぷらりといなくなる日があり、ベロベロに酔っぱらって帰って来ました。

 ♪ 一年一度、酔っ払う

 まるで 「時代おくれ」 という歌の歌詞のように、不器用なオヤジでした。


 「これで金があったらバチが当たる」
 オヤジは、自分が選んだ人生に責任をとろうとしていたのかもしれませんね。

 僕も今日1日だけは落ち込んでみせますが、また明日からは自分が選んだこの道を歩み続けたいと思います。
 バチが当たらないように……
   


Posted by 小暮 淳 at 15:57Comments(3)つれづれ

2020年02月24日

源泉ひとりじめ(17) 浅間高原で総天然色の歴史(ゆめ)を見た。


 癒しの一軒宿(17) 源泉ひとりじめ
 北軽井沢温泉 「地蔵川ホテル (現・御宿 地蔵川)」 長野原町


 「権田」 から国道を離れると、新緑が目に痛いほどに車窓にあふれていた。
 こっちが角落山(つのおちやま) で、あっちが鼻曲山(はなまがりやま) だ。
 その独特の山容は、眺めていて飽きることがない。
 やがて浅間隠山(あさまかくしやま) 登山口を過ぎて、二度上峠(にどあげとうげ) へ。

 「あっ、」 眼前に現れた浅間山の迫力に、思わず感嘆の声がもれる。
 噴煙たなびく姿は、古い映画のシーンそのままだった。

 昭和26(1951)年に封切られた日本最初のオールカラー映画 『カルメン故郷に帰る』 は、この雄大な浅間山をバックに始まる。
 青い空、白い雲、そして人気若手女優の高峰秀子が演じるダンサー、リリー・カルメンの派手な衣装……
 総天然色の名にし負う映像は、戦後日本が迎えた新時代への象徴的な作品だったに違いない。
 そのメガホンを取った木下恵介監督率いるスタッフが滞在していた宿が、ここ 「地蔵川ホテル」(当時は地蔵川旅館) だった。

 高原の緑の中にたたずむ赤い三角屋根に、古き良き時代の優雅さが漂う。
 “ホテル” という響きも、ここ北軽井沢の地で聞くと、どこか昭和の浪漫を感じるから不思議だ。
 「当時は子供だった」 と言うご主人と、3代目の若旦那が出迎えてくれた。
 大きな明り採りのガラス窓、高い天井にシャンデリアのあるロビーで、昭和17(1942)年創業以来、北軽井沢の歴史とともに歩んできた同ホテルの今昔物語を、ひとしきりご主人から聞いた。

 部屋へ向かう階段の踊り場から、ベランダ越しに中庭が見える。
 百花繚乱、千紫万紅の花園は、今を盛りと天然色の色合いで咲き誇っていた。

 さっそく、昨年新設されたばかりの庭園岩風呂へ。
 無色透明の湯は癖もなく、肌触りも柔らかい。
 何より窓をすべて開け放たれた内風呂と露天風呂が一体化した開放感は、湯あたりすることなく存分に湯を堪能できる。
 ときおり清涼な風が、洗い場まで入り込んで来る心地よさは格別だった。

 夕げの席は、畳の部屋でテーブルとイスという和洋折衷スタイル。
 カラフルな障子窓も印象的だ。
 特筆すべきは、デザートの手作りアイスクリーム。
 練乳のような濃厚な甘味が、懐かしさとともに口の中で広がった。


 ●源泉名:地蔵川の湯
 ●湧出量:22ℓ/分(動力揚湯)
 ●泉温:10.4℃
 ●泉質:メタけい酸含有泉

 <2005年8月>
   


Posted by 小暮 淳 at 11:31Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年02月23日

老神温泉 「びっくりひな飾り」


 年々スケールアップする老神温泉(沼田市) の 「びっくりひな飾り」。
 昨日、オープニングセレモニーに温泉大使として参加してきました。


 第1回の開催は平成26(2014)年。
 人形の生産地として有名な埼玉県鴻巣市から500体のひな人形が老神温泉へ寄贈されたのが始まりです。
 鴻巣市は、すでに “日本一のピラミッド型ひな壇” で知られていました。

 その後、交流を続けるうちに沼田市と鴻巣市は、ある共通の人物で結ばれていたことが判明します。
 沼田城初代城主・真田信幸の奥方・小松姫は、元和6(1620)年に、鴻巣の地で亡くなりました。
 小松姫の遺骸は火葬され、鴻巣勝願寺、沼田正覚寺、上田芳泉寺に分骨されました。
 この小松姫が縁となり、両市はますます親交を深め、友好協定を結びました。

 そして今年は、ちょうど小松姫の没後400年の年に当たります。
 会場には、小松姫の人形と位牌が祀られ、7,000体におよぶひな人形が、所狭しと集められました。

 とにかく、圧巻!

 僕は第1回を開催した年に、1年間かけて老神温泉を取材しています。
 そして第2回の年に、『尾瀬の里湯』(上毛新聞社) という老神温泉と片品村10温泉を紹介した本を出版しました。
 あの頃と比べると、「よく短期間で、ここまで大規模なイベントに成長したな」 と、ただただ、ため息をついて眺めていました。


 開催中は、小松姫の人形芝居や紙芝居、小松姫人形の絵付け体験など、没後400年ならではのスペシャルイベントが盛りだくさんです。
 ぜひ、足をお運びください。
 もちろん、入浴もお忘れなく!



     2002 老神温泉びっくりひな飾り
     「小松姫 (没400年) を偲んで」

 ●期間  2020年2月22日(土)~3月29日(日)
 ●開館  9:30~16:30 ※運営協力金 100円
 ●会場  沼田市利根観光会館(メイン) および老神温泉参加旅館・南郷曲屋ほか
 ●問合  老神温泉びっくりひな飾り運営委員会 TEL.0278-56-3013 (老神温泉観光協会)
  


Posted by 小暮 淳 at 12:05Comments(0)大使通信

2020年02月21日

線香が燃えつきなくて


 ♪ 私のお墓の前で 泣かないでください
   そこに私はいません 眠ってなんかいません ♪


 もちろん泣きもしませんし、そこにいないことも知っていますが、命日だもの、墓参りに行かないわけにはいきません。
 昨日2月20日は、オヤジが亡くなった日です。
 早くも1年が過ぎました。

 ひと言で、この1年を振り返れば、「介護から解放された自由な1年」 だったと言えます。
 ただ、家の中のそこかしこにオヤジの残り香があり、「ああ、よくここで、うたた寝をしていたな」 とか、「夜中に何回もトイレに起こされたな」 と、何かにつけて思い出すのですが、悲しくはありません。

 もしかしたら10年という長い介護生活が、悲しみという感情を麻痺させてしまったのかもしれませんね。
 “介護が長ければ長いほど、亡くなった後の悲しみは反比例する” ようです。


 花と線香と水桶を手に、両親が眠る墓の前に立ちました。
 家族や親族は一周忌に集まることにして、昨日は僕とアニキと2人だけの墓参りです。

 「じいさん、久しぶり! もう1年が経っちまったよ。そっちは、どうだい? 暮らしやすいかい? でも、さみしくはないよな。追いかけるように、すぐに、ばあちゃんも、そっちへ行ったからさ。また一緒にケンカしいし仲良く暮らしているんだろう? そうそう、マロには会ったかい? 去年の秋に、そっちへ行ったんだけど。まだ会えてないかな? そうか、じいさんは犬が嫌いだったからな、マロもなついていなかったし。じゃあ、マロは、ばあちゃんのところへ行ったね。ばあちゃんは、マロを可愛がっていたから……」

 とかなんとか、墓前で手を合わせていると、
 「うちもさ、ああいうのがあるといいね」
 突然、アニキが隣の墓石を指さしました。
 「あれ、本当だ! あれなら線香が最後まで燃えつきるね」

 見れば左右の墓も、その隣の墓も、見渡せば、そのほとんどの墓の線香立ての中に、金属の網を張ったトレーのようなものが置かれています。
 墓石の線香立ては、そのほとんどが線香を寝かせるタイプです。
 そのため線香が燃えつきずに、途中で消えてしまうのです。
 それが雨風にさらされて、散らかって、とても汚らしいのです。

 「来月の一周忌までには、うちも、あれを置こう! で、どこで売ってるんだ?」
 「仏具屋じゃないの?」
 「ホームセンターじゃ、売ってないのかな?」
 「どこでもいいから、墓守の長男に任せるから買っといてよ」


 オフクロが亡くなったのは令和元年の初日、5月1日です。
 だからオヤジの命日との間をとって、彼岸に合同の一周忌をとり行うことにしました。

 また一族が集まり、にぎやかな日になりそうです。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:50Comments(0)つれづれ